野田正彰(紙の爆弾2026年3月号掲載)

2018年の学習指導要領により、高校の保健体育教科書で、40年ぶりに精神疾患に関する記述が復活した。2022年の「現代社会と健康」から新たに「精神疾患の予防と回復」の項目が加えられ、「児童生徒が心の健康について関心を持ち、正しく理解し、適切な対処や行動選択ができるようにすることが求められている」と呼び込みをしている。
「学習指導要領解説」は「精神疾患の特徴」と「精神疾患への対処」に分けて、うつ病・統合失調症・不安症・摂食障害の四疾患について指導し、「正しい知識やそれに基づく適切な対処や行動選択を理解させる」と続ける。
1972年を最後に高等学校の学習指導要領から「精神疾患」に関する記述は抹消された。復活にあたり、なぜ消されたのかに関する言及は皆無だが、消したのには理由がある。文部省と著者と教科書会社が邪悪な内容を書いて教え込んでいたことを暴露されたからだ。
その後も1980年代まで新聞をはじめマスコミは盛んに「狂人に刃物」といった煽動的解説を続け、精神疾患に関する誤った記述(偏見)が社会に浸透していった。
◆根拠なき「遺伝説」を「常識」にした戦後保健教育
私は精神科医になって間もない1973年、「偏見に加担する教科書と法」という論文を「朝日ジャーナル」2月16日号で発表した(鹿砦社刊『流行精神病の時代』に収録)。
戦後の保健体育の教科書は「精神衛生」の項で「精神病の遺伝」について解説し、「精神病は遺伝するので、結婚にあたって相手方の家系その他を調べることは重要である」「精神病者には優生保護法による優生手術が行なわれる」などと教育した。
戦前・戦中の軍国主義国家の時代、日本政府にとって精神病は、徴兵において重要な問題だった。明治期に徴兵制が施行されると、当時多かった梅毒の患者、とりわけスピロヘータの大脳感染者(進行性麻痺)を軍隊に入れないことが課題で、社会での精神病者の排除はそれほど重視されていない。
1940年、ナチス・ドイツの優性思想に倣い作られた国民優生法は、根拠なき「精神病遺伝説」に基づき精神病者の断種を規定したが、徴兵者を増やしながら精神病者を多く見つけて排除するという矛盾から、さほど実効性を持たなかった(それゆえ、強制不妊手術の実施は後述する戦後の旧優生保護法施行後がほとんどである)。
戦後の日本では結婚が急増し、海外の引揚者も増加して、第一次ベビーブームが起きた。人工妊娠中絶を容認する世論が広がるのに便乗して、精神病者を社会から排除する旧優生保護法が1948年に制定された。この法律に基づいた優生手術(強制不妊手術)が1960年代まで盛んに行なわれたことは、2024年に最高裁判決が出た国賠訴訟を通じて周知のことだろう。
ただし、その報道では優生手術の主たる対象が知的障害者ではなく精神病者であったこと、学校教育で「精神病遺伝説」が国民に「常識」として徹底されたことはまったく触れられなかった。
「精神病は遺伝する」との「常識」を創作した主犯は日本精神神経学会(1902年設立)の精神科医ら、とりわけ旧帝国大学を中心とした医学部精神科教室である。そして文部省の強制の下での教育とマスコミが偏見を日常的に強調することで、その「常識」を国民に刷り込んだ。
もともと日本社会に「精神病は遺伝する」という考えが定着していたわけではない。人々の精神病の概念は曖昧で、地域によっては「狐憑き」や「天狗にさらわれた」といった「憑きもの」と同一視する考えや、「その家の不幸によるもの」などの様々な解釈があった。
ナチスなき後、戦後日本の精神科医と教育・マスコミ関係者こそが精神病遺伝説、そして精神病者は社会から減らさなければならない「犯罪予備軍」との偏見を確立させたのだ。
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