君には「狼」の咆哮が聞こえるか ──『赤軍と白軍の狭間に』『反日革命宣言』など、革命のオルタナティヴを問う鹿砦社の歴史的名著を風塵社が続々復刊!

「反日」──。この言葉だけで、理屈も史実もへったくれもなく、「叩く対象」と決めてかかっている「ネトウヨ」が日本には約59万1,301人ほどいるらしい。

「約」としながらも、細かい数字までわかったのは最近、公安調査庁が開発した「ネトウヨセンサー」によって、割り出された数字がもたらされたからだ。

風が吹けば塵が飛ぶ──。そんな名前の出版社がある。大方赤字の出版社がひしめき合う、東京・文京区の一角。湯島にも本郷にも近い好立地に、「風塵社」はひっそりと居を構えている。

資本金、年間売上高、社員数などは知らない。ただし最近(といっても数か月前だが)、『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線戦の戦闘史』が復刊されたニュースは読者にお伝えせねばならない。

そもそも鹿砦社は、創立時代に硬派左翼書籍を多数出版していた。その世界では知る人ぞ知る出版社でもあった。

現在の社員は社長を除いて誰も左翼経験はないが、「鹿砦社を知らなければ左翼ではない」なあぁんて言われた時代もあったのだ。

「反日」攻撃が約59万1,301人を中心に荒れ狂う時代に、風塵社は、「火中の栗」を拾う覚悟を決め、鹿砦社に「古く硬い書籍の版権を○○万円で譲ってくれないか」との話を持ち掛けてきたという(版権の額については諸説あり、明らかではない)。

この申し出は、鹿砦社社内で慎重に検討された結果、無償で風塵社の要請に応じることが決定された。

鹿砦社から版権を譲り受けた風塵社は、2017年7月に『赤軍と白軍の狭間に』(トロツキー著、楠木俊訳)、同年8月に『赤軍 草創から粛清まで』(ヴォレンベルグ著、島谷逸夫・大木貞一訳)、同年9月に『赤軍の形成』(レーニン、トロツキー、フルンゼほか著、革命軍事論研究会訳)、同年11月に『マフノ叛乱軍史』(アルシーノフ著、奥野路介訳)、12月に『クロンシュタット叛乱』(イダ・メット、トロツキ―著、湯浅赳男訳)、『ブハーリン裁判』(ソ連邦司法人民委員部編、鈴木英夫訳)を矢継ぎ早に復刊。まさに白軍に迫る赤軍の勢いさながら、毎月復刊を続けていた。

書影左から『赤軍と白軍の狭間に』(トロツキー著)、『赤軍―草創から粛清まで』(エーリヒ ヴォレンベルク著)、『赤軍の形成』(レーニン、トロツキー、ベルクマン、スミルガ、ソコリニコフその他著)
書影左から『マフノ叛乱軍史―ロシア革命と農民戦争』(アルシーノフ著)、『クロンシュタット叛乱』(イダ・メット、レオン・トロツキー著)、『ブハーリン裁判』(ソ連邦司法人民委員部/トロツキー著 )

上記に紹介した書籍は、いずれもロシア革命関連の、いわば「史料」であるが、レーニンの登場はあるものの、ロシア革命の真実をスターリンではなくトロツキーなどの視点から検証し、記録するという意志が貫かれており、「ロシア革命100周年」を迎えた出版界においても、異色のラインアップということができよう。

 
『反日革命宣言』東アジア反日武装戦線KF部隊(準)(著)/風塵社(編集)、講演 太田昌国 (その他)

そして本年1月、ついに『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線戦の戦闘史』が復刊された。ロシア革命の側面史を記したシリーズとは異なり、『反日革命宣言』は、日本における現代史であり現代詩である。

そしてまぎれなく、『反日革命宣言』は2019年5月中盤の日本人に「あなたはどうなのだ?」と胸ぐらをつかむような問いかけを重ねる。

“いま、日本に生きることの意味は、歴史的文脈によっても解析されねばならない”

『反日革命宣言』のどこを探しても、そのような記述はない。が、本書を読了された諸氏は、必ず上記の設問に胸を絞めつけられるはずだ。なぜならば、繰り返すが『反日革命宣言』は、歴史書ではなくわれわれが、日頃目を背けるか、あるいは無知にして知らないだけの近現代史を、実に忠実に掘り起こし、その主体に対する「オトシマエ」までつけた「行動の報告」でもあるからだ。

詳細は実際に『反日革命宣言』を手に取って確認されたい。紹介するにあたり最後に断言しよう。これほど真摯に歴史と世襲的罪に向き合った日本人が、かつていたであろうか。将来現れるであろうか。あなたは、真に誇らしい「歴史処理(オトシマエ)人」の存在に打ちひしがれるであろう。

またこの先、風塵社は、鹿砦社から過去に刊行された左翼社会革命党関連の復刊を予定しているらしい。

▼小松右京(こまつ うきょう)
ライター兼日雇い労働者。初老にさしかかり体のあちこちにガタがきて、仕事にあぶれる日が多いのが心配事。ネットカフェ愛好者。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』
 
板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』