平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

民江さんは88才の誕生日の頃に認知症の診断を受け、衣食住の中に「できないこと」があるかもしれないと、思いを巡らせるようになりました。その一つが、着替えと洗濯です。洗濯が済んだかどうかと聞くと、「だって、洗濯するものがないんだもん」と言いました。はじめは、「そうかそうか」で済ませましたが、次に聞いた時も同じこたえでした。それから幾度か同じ質問をして、「おかしい」と思いました。「ないわけないでしょ」と言うと、「だって汚れてないんだもん」と。もうこれは完全に「おかしい」です。

一緒に住んでいれば、夜にはパジャマを、朝には見計らった服を差し出すことができますが、民江さんは独り暮らしです。私が気が付いたこの時には、家に帰るとブラウスやズボンを脱いで、肌着のまま布団に入り、翌朝またその肌着の上にブラウスを着てズボンを履くだけ。つまり同じ肌着をずっと着ている状態になっていたようです。タオルも真っ黒になっていました。きれい好きな民江さんが、ここまで進んでいるとは思っていませんでした。

なんとか着替えと洗濯をして欲しい。説得中に私がうっかり「汚いでしょ」と言おうものなら、「汚くない」、「自分の着た物のどこが汚い」と怒らせてしまい、会話になりません。

ならば洗濯は私が全部するから、着替えだけはして欲しい。整理ダンスに貼り紙をして、どこに何が入っているか一目でわかるようにしましたが、着替える意志がないからか、効果はありませんでした。電話で一つ一つ順番に動作を伝えて、やっと着替えることができましたが、長いと30分かかることもあり、民江さんも私もヘトヘトになりました。

昨年の暮れ、民江さんの家に行き、部屋の片付けをしながら着替えをしてもらっていた時のことです。途中裸でウロウロ歩き回ったり、パンツを2枚履いてしまう姿を見てしまいました。自力でできなくなったことを無理に私がやらせようとしていたことに気が付いた瞬間でした。民江さんの自尊心を傷つけていたかもしれません。

それから間もない大晦日の晩、例年通り、我が家でお鍋を囲んでいました。お肉に箸が止まらず、「生まれて初めてビールを飲むわ」(本当はいつも飲んでいます)と真顔で言って周囲を爆笑させ、テレビに合わせて歌を唄い、この頃には珍しく口数も多く、ご機嫌な時間を過ごしていました。ところが、「そろそろお母さん、お風呂に入ってくれる?」と言うと、いつものような「ではお先にちょうだいします」という返事がありません。ん? デイサービスでお風呂に入り、シャンプーもしてもらっているから、今夜は入らなくていいと言います。

 

デイサービスのお風呂が気持ちいいことは、毎日聞いていますが、我が家のお風呂もお気に入りだったはずです。再度私が勧めても、返事は同じどころか、怒って泣き出す始末です。「じゃあ、今日は私がシャンプーしてあげるから、入ろうよ」民江さんはやっと立ち上がり、私は一緒に準備してきたパジャマと下着を鞄から出す手伝いをしました。

ところがしばらくすると、今度は裸で廊下をウロウロしているではありませんか。私は理由がわからないまま、お風呂に連れて行きました。「デイサービスの人のように上手にできないかもしれないよ。どうやったらいいか教えてね」と言うと、背中を丸めて両手で顔を隠して言いました。「頭からお湯を掛けますよーって言って、お湯をかけて。お湯を掛けますよーって」と。まるで幼い子供がお母さんにお湯を掛けてもらうのを待っている時のようです。母のその後ろ姿に一瞬言葉を失いました。

そして、脱衣かごに入っていた汚れた下着を見て、現実を思い知りました。
私は、もっと早く民江さんの変化に気が付いて対応してあげていればよかったと、少なからず後悔をしています。私は、あの母が認知症になるという意識が全くなかったのです。そのせいで、多少のおかしな言動も、加齢によって性格が強く出てきているだけだと解釈していました。認知症に対する知識を集めることもしていませんでしたので、不用意な言葉をかけたり、不適切な態度を取ったかもしれないと思うと、「私が認知症の進行を早めたのかな」と、そんなふうに考えてしまいます。

認知症についての資料には、「感情的になってはいけません」、「怒ってはいけません」と必ず書いてあります。しかし一方で「怒った自分を責める必要はありません」、「たまには怒ってもいいのです」とも書いてあります。「じゃあ、どっちなのよ!」ですが、症状も元々の性格も家族の歴史も周囲の状況も様々なのですから、自分に合った良い方法を探し、解決していくことによって、納得し、心を整えていくしかないということでしょう。

着替えの話は、次回につづきます。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

月刊『紙の爆弾』2019年1月号!玉城デニー沖縄県知事訪米取材ほか

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆同級生(89歳)のいとことランチの約束をして

前回は、民江さんが慣れた場所で初めて道に迷った時のことをお伝えしました。あれは、本人にとってもショックだったと思いますし、家族にとっても認知症の進行と怖さを実感た出来事でした。今回は、それから3か月後に起きた騒動です。

これまで二度の迷子騒動を経験した私は、民江さんが電車で外出することに対して、それなりに注意を払っていました。それは、「約束したら私にも必ず教えてね」とお願いし、約束の日時と場所に無理がないかをチェックし、当日朝にもう一度確認するというものです。とは言っても、そもそも申告自体があてになるものではありません。案の定「今日は○○ちゃんと12時に会うのよ」とか「今日約束してたけど、体調が悪いらしくて延期したわ」など、約束していたことを当日の朝に初めて知ることがよくありました。

それは昨年4月のことです。同級生(つまり89歳)のいとことランチの約束をしていると言うので、数少ない友人と楽しい時間が過ごせるといいなという思いで、快く送り出すことにしました。約束の場所と時間から、何時に家を出て、どういう経路で行くのかを確認し、「気を付けてね。何かあったら電話してね」と言いました。

数時間後、行き慣れた場所でしたし、約束の時間もとっくに過ぎたので、ホッとしてお茶でも飲もうと思ったところに電話がかかってきました。民江さんの携帯電話からの着信です。でも、声は男性です。「お母さんが倒れていらっしゃったので救急車を呼ぼうかと声を掛けたんですが、娘に電話をしてくださいとおっしゃるので」と。

聞いていた場所とは全く違いますが、とにかく迎えに行かなくてはなりません。どんなに急いでも40分はかかりますが、その方は付き添って待っていてくださるそうです。お言葉に甘えて、私はまず待ち合わせ相手の娘さんに電話で状況を説明し、そちらの対応をお任せした後、急いで車を走らせました。到着すると、歩道の木陰に喫茶店で借りた椅子に座った民江さんと、寄り添ってお話をしてくださっているご夫婦の姿がありました。

よかった。そして、本当にありがとうございました。お二人は散歩の途中だったそうで、「もう少しお散歩の続きをしますから、どうぞ気にしないで」と笑顔で手を振って去っていかれました。過去二回もそうでしたが、またしても親切な方に助けていただいたわけです。

さて民江さんの様子はというと「私はいとこのせいで行き倒れた!」と怒っています。いとこの希望で約束の場所を変更したことが原因だと言います。その場所が久し振りだったこともあると思いますが、見当違いの方向へ1キロぐらい、民江さんの足なら電車を降りて1時間ぐらい歩いたようです。助けてくださった方への感謝の気持ちよりも、いとこへの恨みと空腹感で荒れています。

私は、なぜ変更したことを教えてくれなかったのかと苛立ちながら、とにかく民江さんの気持ちを鎮めようと、適当なお店を探してお腹を満たし、プラス思考の話題へ誘導しますが、なかなか機嫌は直りません。今回は特にダメージが大きかったようです。早く休ませて、明日になることを願うしかありませんでした。

◆穏やかに接してあげたいが

このようなことが起こると、民江さん自身とても混乱し、恐怖を感じたでしょう。それを思えば、私もなるべく穏やかに接してあげなくてはいけません。なるべく穏やかに接してあげなくてはいけないことはわかっています。が、現実は辛い。この時の民江さんの言動をもう少し詳しくお話しします。

急いで駆けつけた私に何も言わないどころか、助けていただき一時間も付き合ってくださった方に対しても、私が促してやっと軽くお礼を言いうことができました。
車に乗せると後部座席から「信号青よ!」と大きな声。しかもそれは横の信号を見て言っているのですから、本当はまだ赤なのに、私に指図をしてきます。途中、路上に車を止めて駅のトイレを借りて走って戻った私に「ソフトクリーム買って来てくれたんじゃなかったの?」と言い、「食べたいの?」と聞くと、「買って来て」と横柄な態度です。

その後も、駐車場のある店に入ろうと探しながら走っているのに「お腹がすいた」「どこでもいいから早くお店に入ってよ」と繰り返します。「場所を変えてくれと言ったいとこが悪い」「いとこのせいで私は行き倒れた」「もういとことは会わない」と、いつまでも怖い顔をして怒っています。

こんなに悪態をつかれても、娘の私は黙って聞いていなくてはいけません。認知症の人に怒っても本人を混乱させて状態を悪化させるだけ。母は認知症。だから怒ってはいけない。怒ったら、あとでもっと自分を責めることになる。わかっていても辛いものです。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

月刊『紙の爆弾』2019年1月号!玉城デニー沖縄県知事訪米取材ほか

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆グルグル歩いているうちに熱中症に

今回は、認知症の母が道に迷ってしまった時のお話です。

私自身、大型ショッピングセンターで買い物を済ませ駐車場へ戻った時、車を止めた場所がわからなくなることがあります。広い駐車場、たくさんの知らない車、この中から自分の車を見つけることができるのかと恐怖に近いものを感じました。昔はそんなことはなかったので、おそらくこれも老化現象の一つでしょうけれど、こんなことを経験したお陰で、『高齢者が、突然自分の立っている場所がわからなくなる』とは、どんな感覚なのか、少しだけわかるような気がしました。

昨年の夏のこと、「もしもし」民江さんの携帯電話から男性の声で電話が掛かってきました。認知症の症状が目立ってきた頃でしたので、私はとっさに「いよいよ警察か」と構えたところ、救急隊の方でした。街で熱中症になり倒れてしまったそうで、病院に搬送するから迎えに来るようにという連絡でした。そして最後に付け加えられたのは、「ご本人嫌がっていますけど、無理やりお連れしますから。ご了承ください」でした。

たまたま病院が姉の家の近くでしたので、この日は姉に迎えに行ってもらうことにしました。が、病院からは「点滴を抜いたりして大変なので早く来てください。何時ごろになりますか?」「まだですか。では、お姉さんの電話番号を教えて下さい」と二度も電話がかかってきました。幸い熱中症の症状は落ち着いたようで、病院スタッフは暴れていることに手を焼いているご様子です。しばらくして姉が到着し、途端に静かになったそうです。安心したのでしょう。

いつもの店に行くつもりの道がわからなくなり、グルグル歩いているうちに熱中症になったようですが、こんなことは初めてでした。本人は自分が倒れたことに加えて救急車で病院に連れて行かれたことで、余計に混乱し興奮したのでしょう。私が駐車場で体験した恐怖より、何倍も怖かったはずです。それにしても、フラフラになった民江さんに声を掛けたり、救急車を呼んだり、なだめたり、飲み物を買ってくださったりと、通りすがりの方々が足を止めて介抱してくださったことと思います。おかげで大事に至らず済みました。

 

◆危なかったけれど、有難かった出来事

二度目は今年の1月のこと、仕事の移動中になぜかふと思い立って民江さんに電話を入れました。すると、「なっちゃん……わたし○○で道がわからなくなっちゃって、今送っていただいいてるの」「な、なんで? 誰に? どこまで?」 どうやら電車に乗って街へ行き、いつものお店でお昼ご飯を食べて駅に向かったが、○○で道がわからなくなり、通りすがりの方に家まで車で送っていただいている、ちょうどその最中のようなのです。

驚いて言葉に詰まっていると、「もしもしお電話かわりました。娘さんですか? 怪しい者ではありませんから。お母さんに名刺をお渡ししました。お母さんが△△で道に迷っていらっしゃるご様子だったのでね、今おうちまでお送りしていますのでご心配なく。おうちは××で間違いないですね。いえいえ、たまたまついでがありましたから、大丈夫ですよ」と年配の男性の声。

お言葉に甘えてそのままお願いし、丁寧にお礼を言って電話を切りました。なんと親切な方でしょう。家は車で30分以上かかる住宅街です。「ついで」って、そんなことありますか。そしてこんな親切な方にめぐり逢うことができた民江さんはなんと幸運なのでしょう。後日、お礼状を書こうと名刺を探しましたが見つかりませんでした。恩人の名刺をどこかに失くしてしまったとは、つくづくがっかりですが……仕方ないですね。危なかったけれど、大変に有難い出来事でした。

道に迷うということは、場所を認識する能力が低下し、見慣れたはずの場所が突然全く知らない場所になってしまうのでしょうか。恐怖と不安で混乱し、暴れたり怒ったり、感情が制御できなくなるのかもしれません。民江さんは足腰が丈夫なので、積極的に出かけてほしいと思っています。けれど親切な方々のご厚意によって大事を免れていることと、これからまたこのようなことが起きるかもしれないということを、私は強く心に留めておかなくてはなりません。医者が言うようにGPSを持たせなくてはならない日が来るのでしょうか。

 

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆温度感覚が鈍ってきた

高齢者は室内でも熱中症になる危険性が高いと言われています。今年は、もともと大変な暑でしたが、母の温度感覚が鈍ってきたことを実感したお話です。

暑がりの民江さんが、今年はいつまでも暖かい肌着やベストを身に着けていました。私が持ち帰って洗濯して戻すと、また着ています。「いくらなんでも、もう必要ないでしょ」と何度言っても、また着ています。内緒で普段使わないタンスにしまい、代わりに薄手のブラウスを目につく場所に掛け、やっと夏らしい装いに変わりました。本人は何も言わないので、これでよかったかどうかわかりませんが、今年は少し強引に衣替えをさせてしまいました。

クーラーについては、年齢の割におおらかなのか、それほど暑さに弱いのか、1~2時間の外出ならつけたまま出かける生活を昨年までずっと続けていました。ところが、記録的な猛暑となった今年、7月になってもエアコンはいらないと言います。せめてもと思い、扇風機を物置から出してきて回しておくのですが、いつの間にか止めてあり、また私がつけて……の繰り返しです。「暑くない」と言い張ります。

ある日、民江さんの寝ている和室を覗くと、まだ布団が敷いたまま(民江さんは足腰が丈夫なので、今でも自分で布団の上げ下ろしをしています)でした。片付けようと近づくと、掛け布団は冬用の羽毛布団のまま、襟元はズクズクに濡れてペチャンコに、白いカバーは黄色く変色しツンと臭います。敷布団もずっしりと重たくなっています。大量の汗が染み込んだままの布団、今朝も肩まで布団をかぶって寝ていたようです。私は毎日数回電話をし、最低でも週に一度は来ています。ですが今日まで気が付かなかった。ああ! もっと早く気が付いてあげるべきだった。羽毛布団をクリーニングに出し、その他もさっぱり夏仕様に交換し、室内用布団干しを買って届けました。

こんなに汗をかいて……暑くて布団を剥ぐということをしなかったのでしょうか。そもそも暑さ自体を感じなかったのでしょうか。布団が汚れているという感覚はなかったのでしょうか。起きたら、たくさん汗をかいたことを忘れてしまうのでしょうか。寝る時に濡れた布団に触れても何も思わないのでしょうか。床に落ちている髪の毛は拾うのに、汚れた布団は目に入らないのでしょうか。それら全てによって……これが老いなのでしょうか。独り暮らしにいよいよ危険を感じました。

◆エアコンの設定温度を10度も下げる理由

室内で熱中症になってはいけないので、その日から必ずエアコンをつけるよう丁寧に説明しました。28度に設定し、温度のボタンは触らないように言いましたが、電話をすると「エアコいンつけてるよ」「18度より下がらないのね」「え?もっと上げるの?」「上げる?」「数字を大きくするの?」「三角の上のボタン?」「はい、28になりました」と。そして次の日もまた次の日も、18度より下がらないから始まって、同じ会話の繰り返しです。

本人はデイサービスに喜んで行っていますが、私としてはこれ以上回数を増やしたくないと思っていました。理由は、自分で考えて能動的に時間を過ごす日も必要だと思っていたからです。しかし、この一件で考えを改めることにしました。夏の間だけでも、デイサービスをもう一日増やすように早速お願いし、日曜日と通院日を除いて、週5日通うようになりました。

後日談です。毎日エアコンの設定温度について同じ話を繰り返すことに疲れてきた私は、「18度に下げると電気代もったいないよ」と言ってみました。すると「あら、せっかく点けるのに? 18度にしないともったいないと思ってた」と明確な返事が返ってきました。

そしてそれ以来、リモコンの設定温度は28度のままです。説明を繰り返す必要が一切なくなりました。本人の中では理由があって温度を下げていたことがわかったので、すっきりしたようでもあり、毎日の私の苦労は何だったのかと、別の謎が生まれました。民江さんに振り回される毎日です。そして、ああ、次は冬の装備です。

 

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆認知症を除けば、足腰丈夫な健康体

民江さん89歳は、すこぶる健康体で認知症を除いてこれといった大きな病気はありません。転んだことをきっかけに杖を勧められて使うようになりましたが、足腰は丈夫です。

ですからその右手に持った補助的な杖は、別の用途で使うことがあります。道端で弱った子猫を狙うカラスに向かって杖を振り回して追い払った時は『なんと勇ましい!』で済みましたが、指で示す代わりに杖の先で示してしまうのは困りものです。

外出中に何かの理由で杖を水平に持ち上げて教えてくれることが度々あります。スーパーで店員さんを呼び止めて「これ」とお茶のペットボトルの箱を杖で指し、ショッピングカートに積んでほしいと指示していることもありました。

病院で少し離れたところにスリッパを、杖を使って履きやすい位置に動かしていました。私がたまたま少し離れていたときは慌てて駆け寄り、周りの方々に頭を下げて謝ることになりますが、本人はシャキッと突っ立ったままです。「杖を持ち上げたり、杖で物を指したりしたら、危ないし失礼だからやらないでね。」と何度言ってもやめることはできないようです。

姿勢の良さは羨ましいほどです。父親に厳しく躾けられたと昔から誇らしそうに語っていた通り、今でも背筋はまっすぐ伸びています。最近特に慎重にゆっくりと歩きますので、胸を張ったその姿は悠然として貫録があります。

病院の待合室でもソファーにもたれかかることはなく、背筋を伸ばして顎を引き、手は膝の上に置いて凛として周りを見回しています。これなら杖は要らないんじゃないか(だって立ったまま「ヨイショ」と声を出して見事にズボンを履いていますし)と私なんかは思うのですが、「転ぶといけないから要る」と本人は頑なです。はいはい、どうぞ使ってください。

◆『してやったり』の目つきも口調も昔と一緒

性格としては、昔から誰にでも平気で話しかけるタイプでした。ベビーカーに座った赤ちゃんを見ると「あら、可愛い」と声を掛けますし、軒下で雨宿りをしている親子を車に乗せて家まで送ってあげたのは30年ほど前のことです。そして……犬のリードを外して散歩をさせている飼い主さん、橋の上で鳩に餌をあげているおじさん、駅の階段でしゃがみこんでいる高校生の集団、電車の中で足を広げてふんぞり返っている若いサラリーマン……などなど、見逃すことは決してありません。いつか反撃されるのではないかと家族はひやひやしていたものです。

そんなアグレッシブを絵にかいたような民江さんが、要介護1の認定を受け、身の回りのことが出来なくなり、自分から何か出来事を話してくれることがなくなってきたこの頃、急に思い出したように言いました。

「電車でね、若い男が足を広げて座ってるから注意してやったわ。」「えっ、いつ?」「昨日かなぁ、その前かなぁ」と。確かに二日前に久し振りに電車に乗って一人でお昼ご飯を食べに出かけています。急に昔のことが蘇ってきただけか単なる幻覚かとも考えられますが、この表情を見る限り、これは実際に今回起きたことなのではないか、目に飛び込んできたものが脳を叩き起こしたのではないかと感じました。

この『してやったり』の目つきも口調も昔と一緒です。89歳の杖をついた白髪のお婆さんが若者を叱りつけている姿を思い浮かべて、私は生まれて初めて心配よりも誇らしい気持ちが勝った瞬間でした。

認知症だからといって人間性まで変わることはないのでしょう。歳を重ねて我が強くなり家族は困ることがありますし、ぼんやりしているので一見弱々しくて心配になることもありますが、民江さんの個性は健在です。安心しました。いつまでも民江さんらしくいてください。病院の帰り道、今日も民江さんは後部座席からマナーの悪い運転手を狙ってるかと思うと面白くなりました。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

月刊『紙の爆弾』12月号! 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

格闘道イベント「敬天愛人」本日11月11日(日)鹿児島アリーナにて開催!鹿砦社取締役・松岡朋彦も出場します! 九州、鹿児島近郊の方のご観戦をお願いいたします!

格闘道イベント「敬天愛人」HP https://ktaj.jp/

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆一つ目の壁 お医者さんに診てもらう

一昨年、87歳だった民江さんの異変に気付いて真っ先に思ったのは、「一度専門のお医者さんに診てもらわなくちゃ」ということでした。けれども、問題はどうやって言い含めて連れて行くかです。自分がボケてるなんて全く思っていないプライドの高い民江さんをどんな言葉で説得しよう……当時私はそればかり考えていました。

かかりつけのお医者様にお願いしておいて、先生から本人に話してもらったという人の話を聞きましたが、民江さんにそんな主治医はいません。本人から「心配だから医者に連れて行ってほしい」と頼まれたという人の話も聞きました。その人は自分より母親が先に気が付いたことをとても悔やんでいらっしゃいました。もちろん民江さんにそれは望めません。かわいい孫から言わせた、そんな話も聞きました。さて、何と切り出しましょう。

少し機嫌の良さそうな日、「ねぇ、お母さん。お母さんは若い頃、めまいがして脳のCT撮ったことあったけど、最近は検査してないよね。年齢も年齢だし、一度検査してもらわない?物忘れも時々あるでしょ、それもお薬でよくなるかもしれないらしいよ。ね。」

反応を見ながらゆっくり聞いてみました。すると「そうね、なっちゃんが連れて行ってくれる?」あっさりオッケーの返事がきました。すかさず「じゃあ、伯母さんの通っていた病院に予約を入れておくね。」と言いました。病院が済んだらそのままフランス料理のお店に行き、姉と三人で久し振りのランチまでセッティングして備えていたのに、そんな鼻先に人参のような小細工は必要ありませんでした。

◆二つ目の壁 デイサービスへ行かせたい

こうして無事に認知症専門のクリニックで診ていただき、ついでにフレンチも美味しくいただき、一つ目の壁を越えることができました。今からちょうど一年半前のことです。

2か月ぐらい経った頃、次に私はデイサービスへ行かせたいと考えました。認知症の薬というのは、進行が遅くなるのに僅かでも役立てばいいという程度で、実はあまり当てにはしていません。それよりも、自由気ままに一人で過ごしていることが悪い方に作用しているのではないかと思い、人と接して話をしたり考えたりする機会を増やし、刺激を受けることが大切なのではないかと思ったからです。

以前にも何度か勧めてみましたが、その時は馬鹿にして全く聞き入れてくれませんでしたので、これをまた説得するのは私にとって高い壁です。数年前にハイキングで転倒し腰椎圧迫骨折をした時でも、せっかく頼んだヘルパーさんをたった三回で勝手に自分から断った実績があります。ヘルパーさんに対する文句ばかり聞かされたことを思い出しました。

ところが、その二つ目の壁も案外簡単に超えることができたのです。民江さん自身の口から「デイサービスに行こうかな。」と言ってきました。驚いて聞き返したことを覚えています。

理由を聞いてみると、「○○ちゃんも行ってるらしいから」と。その方は小学生の頃からの友達で元開業医、とても知的な方です。だんだん同級生が減っていく中で、たまに電話でお喋りをしたり一緒に映画に行ったりお食事をしたりできる数少ない友達のお一人でした。おかげで民江さんは自分から行ってみようという気になってくれたのです。早速ケアマネージャーさんに手配をしてもらい、お試しに行きました。するとどうでしょう、大変気に入った様子で翌週から週に三回デイサービスに行くことになり、現在は週に五回も通っています。

受診もデイサービスも私が心配していたよりも案外と壁は低かったのです。二つ目に関しては低いというより壁などなかったということでしょう。不思議な感じです。でもこれが老いというものなのかもしれません。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
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◆朝の電話

今日は、民江さん89歳にまつわる切ない気持ちを聞いてください。

10年以上前から私は、民江さんに朝電話をかけて、声で体調を確認したり、その日の予定を聞くことが日課になっています。けれどその日は民江さんから電話が掛かってきました。「なっちゃん、トイレが流れない!」「流れない? 詰まったの?」「流れないの!」「何か詰まったのね?」「知らない!」 事件が起こった時は、だいたいこんな調子で始まります。私も出かける時間が迫っているので声が大きくなりますが、冷静に冷静に。

まず民江さんを落ち着かせてから、便器から汚水が溢れたのかどうかを聞き出し、その状態に応じて対処しなければいけません。携帯電話を持ったままトイレに行き、トイレの中には足を入れず、覗き込んで今の様子を伝えるように一言ずつゆっくりと電話越しに指示を出します。

興奮すると電話が切れるので、何度も掛け直さなくてはなりません。現状を把握するまでに長い時間とたくさんのエネルギーを消耗するのは毎度のことです。やっと何かの原因で排水管が詰まり、便器からマットがびしょ濡れになる程の水が溢れ、代わりに風呂場で用を足していることがわかりました。

さあ、どうしましょう。今日は大好きなデイサービスに行く日ですし、私は午後しか行くことができません。結局マンションの管理会社にお任せして、無事に詰まりは解消しました。民江さんも少し時間をずらしてデイサービスに行くことができました。皆さんに感謝です。

◆夕方の電話

しかし夕方です。また民江さんからハアハア言いながら電話が掛かってきました。「ベランダに干しておいた私の大切なピエールカルダンのトイレマットが見つからない!」と言うのです。あらら、大切なものだったのね……。実は、民江さんの留守中に掃除と消毒に行った私は、ベランダに干してあったベトベトのマットをゴミ袋に入れて持ち帰り、捨ててしまったのです(!)

民江さんの話は続きます。「マンションの周りを一回りして探したけど落ちてないの。マンションの管理会社に電話したらすぐ来てくれてね、私がご近所一軒一軒聞いて回るわけにいかないと言ったら、見つかったら連絡をくれるって」「だって私が一軒一軒……」

興奮状態の民江さんの口からは、荒い息と一緒に次々と言葉が出てきます。捨てたことを言えなくなってしまった私は、「10階だからね、洗濯バサミで止めていないマットが飛んで行っちゃっても仕方ないよ」と言いましたが、民江さんの気持ちはおさまりません。

一旦こんな状態に陥ると、しばらく5分10分刻みで電話が鳴るので、できる限りお付き合いすることになります。幸いこの日は姉の「古かったからちょうどよかったじゃない」の一言で早々に鎮まり、民江さんは眠りについたようです。翌日、私は新しいマットをトイレにこっそり置いてきました。できればマットがなくなったことは忘れてほしいと願いながら。

管理会社の方のお話から推測すると、今回は尿パッドを流したようです。トイレットペーパー以外の物を絶対に流してはいけないと繰り返し言ってきたのにです。果たしてこの一件で、マットがなくなってしまったことよりも、そちらが重要だということが脳にインプットされたでしょうか。なるべく優しく「うっかり落としてしまったのなら、これからは絶対に気を付けてね」と何度も言っておきましたが、どうでしょう。嫌がられても毎日言い続けていれば、覚えてくれるでしょうか。

◆辛いですか。辛いでしょうね。

民江さんの家の中には、私の書いた張り紙が幾つかあります。ゴミの捨て方やデイサービスから持ち帰った下着の置き場所についてのお願いが大きな文字で張り付けてあります。しかしそれらの張り紙に何の効力もないことを思い起こしながら、あらためて民江さんが一人で生活をすることの難しさを痛感しました。デイサービスで難読漢字をいくらすらすらと読んでいても、目の前にぶら下がった紙には興味がないのでしょう。

普通にしていたことができなくなった民江さん、辛いですか。辛いでしょうね。娘に毎度世話を焼かれたくないでしょうね。明日も私は箪笥や部屋のあちらこちらから脱いだ下着を探して持ち帰りますね。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

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平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆近所の家電量販店からの領収証

高齢者を狙った犯罪が後を絶ちません。詐欺や窃盗など、刑法に触れる犯罪は社会的に深刻な問題です。しかしそこまでいかない、普段の生活の中でちょっとした『ごまかし』によって、高齢者を騙して得をしようと企む人はたくさんいるようです。民江さん89歳にまつわるそんなエピソードです。

ちょうど二年前なので、まだ自分である程度身の回りのことをこなしていた頃のことです。「リビングの蛍光灯がつかなくなったんだけど、交換してもらって明るくなったわ」と嬉しそうに電話が掛かってきました。ゆっくり聞き直すと、昨夜電気がつかなくなったから、朝、近所の家電量販店に行き、先程お兄さんが来て交換してくれて、ありがとうと現金を支払って、お兄さんは帰ったということでした。

電気がつかない時に疑うのは、壁スイッチがOFFになっていることか、単なる蛍光灯の寿命のはずですが、なんとなくおかしい。「ところで何を交換してもらったの? 蛍光灯の管? まさか本体?」聞いても返事は曖昧です。「いくらだったの?」すると領収証を見ながら「35,000円よ」と。

つまりシーリングライト本体を交換したということです。民江さんにその時の様子を尋ねても、お兄さんが車に戻ってこれを持って来てくれたということ以外、詳細を聞き出すことはできません。

私は翌日民江さんの家へ行きました。なんと明るいのでしょう。6畳の居間は煌々としています。そして案の定、複雑なリモコンのどのボタンを押したらいいのかわからなくて今度は怒っています。

私は型番号を控えて家に戻り、製品について調べてから販売店に電話をし、事情を尋ねました。「お母様がLEDをご希望されましたので、そのような器具に取り換えさせていただきました」と。

それからやり取りをすること約30分。年配者には明るい方がいいから部屋の3倍である18畳用で、今後切れる心配のないLEDのシーリングライトに交換したという事がわかりました。そして販売店は蛍光灯を交換するだけで対処できたことを認めたのです。この件は、後日店舗へ行き、一番シンプルで使いやすいリモコンの付いた12畳用の商品に交換し、差額を返してもらうことで決着しました。

◆地銀のクレジット機能付きカード

次は半年ほど前の話です。民江さんから「○○銀行がお金をくれない! 私のお金なのに!」猛烈な勢いで電話が掛かってきました。カードが間違っていないか聞いても「お金が出てこない!」の一点張りです。たまたま居合わせた女性が電話を替わって現場の様子を教えてくださいました。日曜日なので行員さんは不在だし、非常用ボタンを押したためにSECOMが駆けつけて、とにかく大騒ぎになっているようです。私はすぐ家を出るので30分ほどで着くことを伝えて、急ぎ銀行へ向かいました。

到着すると、突っ立った若いSECOMのお兄さんに向かって民江さんが「こんな銀行!」と鬼の形相で怒鳴りつけ、横に女性が付き添ってくださっているという状況でした。まずその親切な女性にお詫びとお礼を申し上げました。それからカードを確認し、難なく希望の現金を引き出しましたが、民江さんの興奮はおさまりません。「もうこんな銀行には来ませんよ!」と大声で叫んでいます。現金を引き出す様子を離れて見守っていたSECOMのお兄さんにお礼を言い、民江さんを抱えるように車に乗せて家まで送りました。

さて、何故このような騒動になったのかということです。銀行のカードの図柄が以前使っていた物と違うことは、私にも一見してわかりました。紫色のそのカードは、クレジットカードとキャッシュカードが一体になっています。差込口に入れる時には、小さな文字を確認して矢印の向きに入れなくてはなりません。差し込む方向がわかりにくいのです。

私の知らない間に、民江さんはこの銀行でクレジット機能の付いたカードに変更をすることを勧められ、何もわからないまま了承して変更をしたということでしょう。

民江さんは昔から「クレジットカードで買い物するということは、借金をして買い物をするということだから、私は絶対にしません」と、クレジットカードを持つことすら拒否し続けてきた昭和一桁生まれです。この銀行は、もう数十年間も民江さんのメインバンクで、年金の振り込みを含めて日常的に利用し、最近では暗証番号を忘れたり印鑑を間違えたり、その都度お世話になっている地方銀行です。ですから民江さんの老化に気付いてくださっていたと思います。

その上でこのカードを勧めたのでしょうか。クレジットカードなんか使うわけがないじゃないですか。万が一落とした時はどうなりますか。サインレスでしょ。簡単にごまかすことができる高齢者を利用しようという人間の心理が働いていたのだと、私は思います。

余談ですが、この銀行は民江さんが端の破れた一万円札を持って交換のお願いに行った際、「ここではできませんので日銀に行ってください」と言ったそうです。90近いお婆さんにです。幸いすぐ傍の別の銀行に寄って交換してもらった民江さんが一枚上手でしたけど。

私達が気を配っていないと、本人が気付かないまま軽く騙され、結果高齢者はデメリットを被ることがあるのです。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

民江さん89歳の食生活にまつわるエピソードです。

民江さんは、どちらかと言えば料理が得意だったと思います。最近のお母さん(お父さん)は、動物やアニメのキャラクターを細かく形どったお弁当を作るようですが、昔の民江さんもアルミのお弁当箱に彩りよく手作りのおかずを詰め込んでくれていました。

サラダ菜やキュウリ、ニンジン、ハム、チーズなどを花束の様に食パンで巻いたサンドイッチは、私のお気に入りでした。ガスオーブンからバターたっぷりのマドレーヌが焼きあがる時の香りは忘れられません。当時は外食など滅多にしませんし、レトルト食品や冷凍食品なんてほとんどありませんので、手間と時間をかけて毎日美味しい手料理を作ってくれていました。

◆一人でランチを食べ歩く

そんな頃から半世紀が過ぎ、幸いにも胃腸や歯に何一つ問題のない民江さんは、毎日美味しいランチを一人で食べ歩くようになりました。80歳を過ぎて一人暮らしなのですから無理もないことと思います。お気に入りの店がいくつかあり、時々一緒に行きます。私が「今日は車なんだから、いつも行けないお店にしたほうがいいんじゃない?」と言っても、自分の行きつけの店に私を連れて行きたがりました。

席に着くと「いらっしゃいませ。いつものでよろしいですか。」店員さんの言葉に笑顔で頷きながら民江さんは「娘です」と私を紹介し、「いつも母がお世話になっております」と私は頭を下げます。なぜだか一層背筋を伸ばして微笑む民江さん。「私は一人ぼっちの老人じゃないんですよ。」という心の声が聞こえてきました。

◆「私はこれが一番好き」

民江さんの言動に異変を感じ始めたのは二年ほど前ですが、このようなお気に入りの店ができ、その頻度がだんだん高くなり、いくらなんでも通い過ぎだと思うようになったのもその一つです。一週間に三回同じステーキを食べる。ある時は「私はこれが一番好き」と言ってカキフライ定食が続く。サンドイッチ屋さんのスタンプカードがあっという間に一杯になる。

昨年の春、88歳の誕生日の事です。久し振りに二人の娘家族全員9人が集まり、ホテルのステーキハウスで米寿のお祝いをしました。和食ではなくお肉にしたのも本人の希望です。家まで送り、「じゃあ、夕食はどうする? お寿司でも買ってこようか」と尋ねました。ところがいつものサンドイッチを食べると言うのです。民江さんの意向に従い、私は隣の駅のサンドイッチ屋さんに行きました。

本人にサンドイッチの種類を聞いても「いつもの」と言うだけなので、店員さんへ「あのぅ、たぶん毎日のように88歳の母がいただいているサンドイッチを、今日はお持ち帰りでお願いしたいのですが……」と言ってみました。すると若い店員さんは笑顔で「はい、では卵と野菜とロースハムのサンドイッチだと思います。」と。さらに88歳の誕生日だということを説明すると、小さなメッセージカードを添えてくださいました。私は民江さんがこの店に通い詰める理由は、何よりもお店の雰囲気が心地よいのだと感じました。

◆「毎日おでん」「毎日アイスクリーム」

そんな食生活が数年続いていましたが、さらに驚くことになったのは一昨年の秋ごろです。昼食は相変わらずお気に入り店へ通っているのですが、夕食は近くのコンビニへ行くようになりました。そこで買うのは『おでん』です。コンビニのおでんはお出汁が染みて美味しいらしいですし、栄養的にも問題ないと思いますが、その頻度が問題です。毎日です。コンビニには他にも美味しそうなお総菜がたくさんあるにもかかわらず何か月も毎日『おでん』とサトウのご飯です。

以前から家計簿をつける習慣がありましたので、毎日電話で聞いてみると、毎日千円程度の『おでん』を食べています。でも私が夕食を作って届けてあげられるわけではないので、夏になったらどうなるんだろうと思いながら、そのまま様子を見ていました。

暑い季節になりました。すると今度はアイスクリームを買ってくるようになったのです。その頃は、前日どころかついさっきの記憶も曖昧になり、電話での普通のやりとりではなかなか実態が把握できないようになっていたので、私は少々罪悪感を持ちながらも細かく聞き取りを始めました。

「今、冷凍庫に何本入ってるのか見てきて」「昨日の家計簿にいくら買ったと書いてあるの?」「冷凍庫に入ってるアイスは何?」それを続けてわかったことは、ガリガリ君などのアイスバーやカップのアイスクリームを毎日10個以上食べているということでした。いくら暑いとは言え、一日に10個以上の『アイス』を食べているのです。夜中に目を覚ましても食べているのです。家での食事は朝食のパンと『アイス』だけで、前日に買ったアイスが翌朝にはなくなり、また買いに行っているのです。

私の不安は『おでん』より膨らみましたが、止めさせることはできません。自分の足で買いに行きますし、「私のお金で買っているのに、何がいけない!」と怒鳴るのですから。お腹を壊すことも体重が変わることもなく、こうして夏は終わりました。

◆今年のこの猛暑でもアイスは一度も食べていない

この頃ちょうど昨年の夏から、デイサービスに通っています。異変を感じてから半年後に初めて認知症専門外来に行き、要介護度1の認定を受け、そろそろデイサービスに行った方がいいのではないかと思っていたら、突然本人が行きたいと言い出したのです。

地域の老人会も拒否していた民江さんなので大変驚きましたが、本人の中で何かが変わり始めた証だと思います。そしてあの時コンビニに通い詰めていたことは、今では全く記憶にないようです。今年のこの猛暑でも『アイス』は一度も食べていません。冷凍庫の中には空箱が二つ入ったままです。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

発売開始!月刊紙の爆弾10月号

母、民江さんの異変が気になり始めたのは、まだ2年ほど前、民江さんが87歳の時でした。二人の娘を嫁に出した後に夫が亡くなり、ひとり暮らしが17年。「私は今が一番幸せ」が口癖になっていた頃の事です。

いつからか自分で作る食事といったら、トーストと温泉卵と牛乳という簡単な朝食のみ。昼食は、近所のサンドイッチ屋さんやカニクリームコロッケが自慢の洋食屋さん、わざわざ電車に乗ってデパートの地下にあるステーキ屋さんへ行くこともしばしば。日替わりで美味しいランチを食べ、サトウのごはんとスーパーで買った好みのお総菜を夕食にしていました。量だって普通の一人前をペロリと平らげます。食事のついでに立ち寄ったデパートで買った高価でそっくりなデザインのブラウスは、いったい何枚あるのでしょう。日々の暮らしがこうなのですから「幸せ」に間違いないと私は思っていました。

二年前のある日、「あら、なっちゃん。もう退院してきたの?あのね、隣の○○さんがね……」と。毎朝欠かさず電話していた私が、忙しくて三日間も電話をしそびれてしまった後の民江さんの言葉です。えっ?!ピンピンしている私を勝手に病人にしたの?!と、まず思いましたが、そんなことは仕方ありません。私が電話をしなかったのですから。

それより問題は「娘の私が入院しても、全く心配をしていないこと」です。驚いたと言うか、がっかりしたと言うか、悲しかったと言うか……。このとき私が初めて意識した民江さんの異変でした。もちろんそれまでも民江さんの老いを感じることは度々ありました。何度も何度も同じことを聞かされると私は、「もうそれ百回聞いたよ」と返事していました。けれども、同じ話をまるで初めてのように喋る民江さんを見て「ああ、昨日や一昨日どころじゃなくて、いま話したこと自体を忘れるからこうなるのね」と思ってあげられるようになりました。この一件がきっかけです。

あれからたった二年です。たった二年で変わってしまいました。どんなふうに変わったかと言うと、まず、歩き方が大変遅くなりました。若い頃から民江さんは運動が得意で、80歳を過ぎても一日に二、三回は散歩に出かけていましたし、スクワットを披露してくれていました。ところが明らかに歩みが超スローになったのです。足腰に全く問題がないのに、「転ぶといけないから」と本人は言います。もっともな理由ですが、どうにも遅すぎます。

第二に、顔つきが変わりました。会話中に目が合うことはほとんどありません。視点が定まらず空を見ているようですし、たまに娘の私が見たことのないほど目を細くして微笑みます。別人のような表情になりました。怒っているのではなくて笑っているのですからまだマシですが、娘としては不自然で受け入れがたいものです。

第三に、言葉数がすっかり減ってしまいました。PTAの役員をやっていた全盛期は、それはそれは恥ずかしいくらいのお喋りでした。それが普通になったというレベルではありません。元が100だとしたら、今は0.2ぐらいかと思います。認知症初期の頃、何度か「80歳になったなっちゃんを見てみたいわ」と言いました。その都度私は「見れるものなら見てよ」と言い返しながら、心の中で反省していました。私の口調が厳しいことを、民江さんは遠回しに訴えていたのでしょう。現在はそれすらありません。

そして最も深刻な変化は、清潔に対して無頓着になったことです。きれい好きだったはずなのに、いつの間にか全く気にしていないのです。これは大変衝撃的でした。洗濯をしていなかったのです。掃除をしていなかったのです。食器を洗っていなかったのです。これらに関して気が付いてあげられなかった私達の責任は重大です。「洗濯は洗濯機がしてくれる」と言いながら、まさか着替えをしていないとは思わなかったし、白髪が茶色っぽいと思ってもまさか髪を洗っていないとは思わなかったのです。それが何か月に渡っていたのか、知ることはできません。相談に行った福祉の窓口の方はおっしゃいました。「大丈夫ですよ。お食事さえ忘れずに食べることができていれば、まだお一人で暮らせますよ」と。でも娘としては、とても頷くことはできません。安全で清潔に生活できる方法をせめて本人に代わって考えてあげなければなりません。

最近の電話口での民江さんの第一声は「ハアハア(荒い呼吸)、なっちゃん、もう寝るね」です。(何時でもです!)けれども二年以前の第一声は、いつも「だいじょぶよー」でした。あの声を思い出しては後悔しています。その頃から大丈夫ではない状況が始まっていたのでしょう。「大丈夫かどうかなんて聞いてないのに」と思っていてごめんなさい。

最近私と同様に50歳を過ぎた者が数人集まると、認知症の家族の話題になります。ですから65歳以上の7人に1人は認知症という統計には納得です。こんなどこにでもいるような民江さんですが、日々いろいろな事が巻き起こっています。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

『紙の爆弾』9月号

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