[増補新版]本当は怖いジャニーズ・スキャンダル

2013年刊行の『本当は怖いジャニーズ・スキャンダル』は、2008年から2012年までの5年間を中心にジャニーズスキャンダルをまとめたものである。今回刊行の増補新版は、ここに、最近のジャニーズの動向と今年1月に起こったSMAP解散騒動を加筆し、ジャニーズを多面的に見ることのできる一冊となっている。

◆KATU-TUN赤西仁の独立騒動の軌跡

本書に登場する多くのタレントたちの中から、この時期お騒がせの主役級だった赤西仁にスポットをあててみたい。赤西はジャニーズとのあつれきの末、ジャニーズ事務所を自らやめて独立した。今改めて彼の歩みをたどると、芸能人や芸能事務所のありようについて考えさせられるところも多く興味深い。

赤西は2006年3月、KATU-TUNの中心メンバーとしてCDデビューする。赤西、田中聖など、ジャニーズきってのヤンチャメンバーを擁するKATーTUNはデビュー前から人気が高かったが、素行不安が大きくなかなかデビューに踏み切れなかったといわれている。

待ちに待ったデビューでKAT-TUN人気は爆発、デビュー曲『Real Face』はミリオンセラーとなった。ところが次代のジャニーズを牽引するのはKAT-TUNで決まりかと思われた矢先の10月に、赤西はアメリカに留学のため活動休止し、KAT-TUNの人気はあえなく失速する。この唐突で不可思議な留学には、薬物捜査から逃れるためだったのではないかという疑念も持たれている。

2007年4月に帰国しKAT-TUNとしての活動に復帰するも、不協和音の噂は絶えず、デビュー時のKAT-TUNの勢いが戻ることはなかった。一方で盛んに夜の繁華街に繰り出すようになり、赤西を中心とした悪名高い夜遊びグループ「赤西軍団」が誕生する。ジャニーズでは山下智久、錦戸亮らが加わっていた。アイドルらしからぬ行状はもとより、赤西軍団の最大の問題は薬物疑惑がつきまとっていることだった。遊び仲間の一人のプロテニスプレイヤー宮尾祥慈は大麻使用で有罪判決を受けていた。赤西自身も捜査のターゲットとなり、2009年には逮捕されるとの情報が流れたものの、辛くも難を逃れている。少なくともこの時は限りなくクロに近い状況だったと考えられる。その後薬物疑惑のささやかれるクラブなどでの退廃的な夜遊びショットが多数流出した。薬物疑惑は現在に至るまでことあるごとに取りざたされて、赤西唯一の懸念材料になっている。

◆赤西のわがままさが功を奏す?

こんな騒動がありながらも、2010年7月にはKAT-TUNを脱退し念願のソロとなり、翌年にジャニーズのお膳立てで全米デビューを果たす。ところが、恩を仇で返すかのように、2012年2月、事務所に無断で黒木メイサとできちゃった結婚し、制裁としての謹慎に入った。その間、9月には長女が生まれ、赤西は育児にいそしみながら楽曲作りに励んでいたようだ。ジャニーズ、というよりジャニー喜多川はなおも赤西を見限らず、2013年6月に謹慎が解けると積極的に推して立て続けにCDリリースさせるのだが、赤西はその方針に不満を抱き、ついに2014年2月の契約満了を以ってジャニーズを退所するのである。赤西のわがままさばかりが目立つ顛末だった。
ジャニーズをやめたタレントは、バーニング系などに拾われない限り、大手メディアから排除されて辛酸をなめるのがそれまでの常だったので、その後の赤西の身の振り方に注目が集まった。赤西は同年7月14日の30歳の誕生日に自身のレーベルを立ち上げ独立。独立後最初にリリースしたCDは4万枚を売上げ、自主レーベルとしては上々の滑り出しを見せる。その後は大手メディアとは無縁にネットを活用しながら、市民会館クラスのハコを中心に全国ツアーを行うなど堅実な活動を続けた。さらに音楽フェスへの出演などを足掛かりに中国への進出を図ると、いつの間にか中国人気を獲得する。今後薬物問題でのつまづきさえなければ、ジャニーズ残留組よりはるかに大きな成功を勝ち取る可能性も出てきた。

◆韓流に先を越されたジャニーズの空白地帯〈中国〉

もともとジャニーズ事務所は中国進出を熱望していた。市場として有望だからなのは言うまでもないが、もう一つ、海外進出はジャニー喜多川にとって最後に残された夢、という事情もあった。赤西の強引なアメリカデビューもその海外への夢に後押しされたものだったがあまりうまくいかなかった。ならば中国ということで、ジャニーズは中国進出のためにさまざまな根回しを熱心に行った。しかしせっかく努力して中国コネクションを築いたのにもかかわらず、その後政治的に日中関係が冷え込んだことにより、中国進出は宙に浮いてしまっていた。

ジャニーズが手を出せない間に中国はすっかり韓流に席巻され、ジャニーズの空白地帯となっていた。そこに単身乗り込んだ赤西にとっては、中国は独占市場に等しいものだったかもしれない。もともと逸材でアメリカでの活動経験もある赤西には、十分に韓流と差別化できる魅力があり、自立した活動スタイルも自己主張の強い中国人気質と相性が良かった。

かくして、2015年には中国の「アジア人気アーティスト賞」「年度音楽大賞」を受賞、今年に入ってからは「アジアで最も影響力のある日本人アーティスト」に選ばれるなど、着々と中国での認知度を上げ、はからずもジャニーズをやめてからジャニー喜多川の夢を実現することになった。あまりにうまくいっているので、ジャニー喜多川が裏で個人的に支援しているのではないかという噂もあるほどだ。

この赤西の軌跡を、SMAP解散騒動を踏まえて見ると、めちゃくちゃに見えたジャニーズ時代のふるまいにも、理由があったのだろうかと思わせられる。赤西は、ジャニー喜多川にはかわいがられた一方、メリー・ジュリー母娘には疎まれていたといわれ、彼女らに不合理な前近代性を感じ取って孤独な戦いを続けていたのかもしれない。


◎赤西仁HP http://jinakanishi.com/

◆SMAPでさえ干される〈時代遅れ〉を越える戦略はある

ジャニーズ事務所とタレントの関係では断然タレントの方が弱い立場にあり、関係が良好でなければSMAPでさえ使い捨てにされるのだが、赤西は、独立してやっていくために必要な経験と実績をジャニーズで積み、うまくジャニーズを使い捨てている。SMAP騒動でジャニーズ側の横暴ぶりが明るみになった今から見ると、むしろあっぱれだったというべきだろう。赤西は、「ジャニーズを利用して知名度とスキルアップをはかり、脱退後はその政治力の及ばないネットや海外で活動する」という新たな道を切り開き、後輩たちにおおいに希望を与えることになりそうだ。

すでにその兆候は見えており、2011年に未成年喫煙問題で忽然と姿を消した、元Hey Say JUMPメンバーの森本龍太郎が、格闘技団体をバックにこの4月から独自に芸能活動を再開している。またSMAP騒動の前後から、二番手クラスの人気Jr.が相次いでジャニーズを去り、スターダストプロモーションから「地下アイドル」としてデビューして注目を集めている。そのタイミングや彼らが飯島三智の推しメンだったこと、また飯島がかねてよりスターダスト社長細野義朗と親しいことなどから、動きの背後に飯島がいるのではないかともささやかれている。

赤西、そして小林幸子の成功にも見るように、もう大手メディアや事務所の政治力に頼らなくても、工夫次第で芸能活動が成り立つ時代になりつつある。「干す」ことをちらつかせて恫喝し、タレントを支配するやり方は、遠からず通用しなくなるだろう。そしていずれは、ジャニーズのような強大な芸能事務所も時代遅れなものとなり、その存在意義を失っていくのではないだろうか。

(遠藤サト)

[増補新版]ジャニーズ50年史

本書は、2014年初版の『ジャニーズ50年史』に、今年1月に起きたSMAP解散・脱退騒動の流れを加筆した増補版である。

ジャニーズ事務所は2013年に50周年を迎えている。『ジャニーズ50年史』は50年間のジャニーズにまつわるできごとを、時系列で並べてまとめた、ジャニーズの歴史を俯瞰するのには最適な書だ。ここでのジャニーズの歩みは、途中の浮き沈みはあるものの、大筋では逆境を乗り越えての発展・拡大の軌跡となっている。

◆年明け早々のお家騒動がジャニーズ衰退への大きなトリガーに

2015年までのジャニーズは、男性アイドルという市場にあって、ぶっちぎりの強さを誇っていた。行き着くところまで行ったという頭打ち感は徐々に出ていたが、まだまだ当面その覇権状態は安泰に見えた。ところが2016年の年明け早々、SMAP解散・脱退騒動が、ジャニーズ帝国の根幹を大きく揺るがした。このお家騒動は、ジャニーズを予想外に早く衰退に向かわせる大きなトリガーになった可能性がある。

SMAP育ての親、ジャニーズ中興の立役者だった飯島三智は1月でジャニーズを去り、この4月からメリー・ジュリー母娘の一本化された新体制に本格的に入った。飯島が最後に残していった置き土産のような仕事もなくなり、いよいよ次期社長ジュリーの真価が問われることになる。  

そもそも、飯島に若手タレントを任せたのはジャニー喜多川の意向だったといわれる。タレントが増え、ジュリー・メリー母娘のキャパシティーを超えてきていたので、長年別働隊だった飯島の能力を活用するのは理にかなったことだった。飯島は、人気の如何にかかわらず、律義に新たな仕事を作り傘下のタレントに振りあてて、SMAP以外のマネージメントでも敏腕ぶりを発揮した。ジュリー・飯島の二頭体制はうまくいき、2011年から2015年の間に、ジャニーズの業界内領土は最大版図を獲得するに至った。それをわざわざぶち壊したのだから、経営者としてはクレイジーというよりほかはない。普通に考えれば、飯島をバックアップし十分に働かせその成果を享受する方が、どれほどおいしいことか。

新体制では、すでに子飼いタレント同士で仕事を奪い合うような状況が生じており、この先旧飯島派タレントが合流した大所帯を捌き切れるようにはとても見えない。
 
◆ジャニーズ事務所はもう「国民的アイドル」を生み出すこともできない?

事務所のイメージも悪くなる一方だ。4月から、テレビでSMAPを見かけることが露骨に減っており、1月の「公開処刑」に続き、SMAPが干されるように陰湿に仕向けていることが容易に推測される。夢を売るはずのジャニーズ事務所は、夢の代わりに、SMAPを通じていじめの雛型を日本中に示し続け、多くの人々を嫌な気分にさせている。これでは子供のいじめがなくなるはずもなく、ジャニーズがしばしば口にしてきた「子供たちへの影響を考えて云々」というキレイ事はすべて嘘だったことがよくわかる。そしてこれだけイメージに傷がついたジャニーズ事務所には、もう万人に愛される「国民的アイドル」を新たに生み出すこともできないだろう。

やることなすことがあえて自滅の道に向かっているようにしか見えないのだが、一体この母娘はどういうつもりなのだろうか。実はもう、芸能事務所の経営などどうでもいいのかもしれない。すでに孫子の代まで何もしなくても悠々自適に暮らせるくらいの資産は十分にあり、貸しビル業でも営んだ方がよほど楽で儲かるはずなのだ。だからソニーにおける電機事業のように、芸能業務はアイデンティティと趣味の部分で残していけばよい。そうであるなら、目障りで気に入らないものを叩きつぶし、自分たちの好みの色に染め上げることが再優先になるのもわからなくはない。気の毒なのはそれに付き合わされるタレントたちだ。若手たちは、中高年の先輩タレントたちのような将来があるとは思わない方がいいかもしれない。

しかしファンでもない立場から眺める分には、今後予想されるジャニーズの縮小・衰退フェーズも、味わい深く面白いものになるのではないか。ぜひジャニーズの大きな曲がり角に建てられたマイルストーン『ジャニーズ50年史 増補新版』を傍らに、巨大芸能事務所盛衰の歴史を鑑賞してみて欲しい。
 
(遠藤サト)

これまでに一度だけ、思い立って宝塚の舞台見に行った経験がある。2001年のことだ。

何の予備知識もないままにヅカファンだった友人に連れられて見たのは、たまたま上演していた雪組轟悠主演『猛き黄金の国』。三菱の創始者、岩崎弥太郎の生涯を描いた作品である。始まる前に友人は、この舞台はイマイチで、初めて見るなら違うものが良かったんだけど・・・と、少し顔を曇らせた。そう思いながらも彼女が足を運んだ理由は、共演の紺野まひるを応援するためだった。

確かに『猛き黄金の国』はそれまでテレビで見たことがあったものに比べると冴えなかった。その最大の理由は、台本が、つまらないというわけではないが地味で、主人公の役柄に全く華がなく、宝塚の持ち味を生かしきれないことにあった。

当時、宝塚は男性ファンを獲得しようと思考錯誤し、男性の興味を引きそうな歴史ジャンルにも題材を求めていたようだ。しかし、歴史上の人物にしても、もっと宝塚にマッチした華と人気のあるヒーローはいくらでもいる。それなのに、何故岩崎弥太郎なのか?

誰でもピンとくるのは、阪急と三菱の間に何かあるのだろう、ということだ。そして、案の定、当時の阪急電鉄社長小林公平は、三菱系の三村家から、小林家に婿養子に来ている関係だ。つまり、『猛き黄金の国』は社長にゆかりの三菱グループへのはなむけであり、ファンを喜ばせるための作品ではなかった。そういうものを平気で金を取って見せるのは、いかにも殿様商売に思われ、なめられているような気がして不愉快だった。生の舞台の魅力はわからなくはなかったが、それ以上に宝塚に対する大きな違和感が刻まれ、二度と舞台を見に行くことはなかった。

◆読んでわかった違和感の構造

こういった伏線をふまえて『タカラヅカスキャンダルの中の百周年』を読むと、当時の違和感の理由がいろいろと納得できる。

本書によれば、『猛き黄金の国』の主演だった轟悠は、歌劇団やプロデューサーに大金を貢ぎ、資産家の実家の経済力でトップスターの地位を手に入れた女優だった。どおりで実力もそれなりのはず。もし仮にまっとうに選ばれたトップスターが演じたならば、もう少し惹きつけられるものがあり、ヅカファンまではいかなくてもリピーターにはなっていたかもしれない。

現在、轟悠は歌劇団に残り、ジェンヌ出身としては珍らしい幹部になっているという。企業の事情がにおう舞台の主役としては、実にふさわしい配役ではあったのだ。

歌劇団が殿様商売をしているという印象も、間違ったものではなかった。本書に詳述されている、ファンがマネージャーの役割を肩代わりした上、歌劇団に上納金まで納めているという、ファンクラブの奇妙なあり方を見ると、一体客はどちらなのかわからなくなってくる。このように長い間ファンに甘え、利用するのが当たり前という慣習にどっぷりつかってきたのであれば、ファンのため、観客のためという発想が欠落するのも当然だろう。
本書を通じて強く感じられるのは、歌劇団組織の腐敗のようなものである。掲載されているジェンヌの不祥事は、上納金を始めとした、ジェンヌに負担を強いる歌劇団のシステムのしわ寄せから生じたものが多い。歌劇団がそれを知らないはずはないのだが見て見ぬフリで、事が起こればジェンヌを切り捨て終わりにする。そういうことをずっと続けてきたのだ。

◆歌劇団に刃向かった者は芸能界で干される

2008年のいじめ事件も、音楽学校職員のダメっぷりがいかんなく表われていた。いじめはひどいものだが相手はまだ未成年の少女であり、学校側の権限をもってきちんと対応すれば、ことの真偽を見極め、被害者を救うことはできたように思う。しかし職員は事件に対して全く真剣に向き合わず、てっとり早く被害者を切り捨てて幕引きをはかろうとする。そこには、被害者生徒のことはもとより、宝塚歌劇団の将来を考える気持ちもみじんもない。そして、順調に育てば歌劇団にも大きな利益をもたらしたであろう類まれな資質の逸材を、あっさりとつぶしてしまうのである。なんとももったいない話である。

この事件はたまたま被害者が訴訟という勇気ある行動に出て明るみになったが、同じようなことはほかにも起こっているように思えてならない。

被害者Sさんは、残念ながら、今後もう芸能界での活躍は難しいように思われる。せっかくの勇気ある行動が、歌劇団に刃向かった者は芸能界で干される、という前例を生んでしまったとしたら、本当に残念なことである。

(遠藤サト)