◆核実験場廃止、世界のヒバクシャと連帯で座り込み

1月27日はネバダ・デーです。1951年1月27日、アメリカのネバダ州で核実験場が「オープン」してしまいました。その後、1992年までに928回もの核実験が行われたとされています。アメリカでも実は多くの方がヒバクされているのです。ある意味、アメリカこそが世界最初で最大の被爆国(自国の核実験による)といってもいいでしょう。

33周年にあたる1984年1月27日、 実験場の偏西風の風下(東側)に当たるユタ州シーダー市の「シティズンズ・コール」(ジャネットゴードン代表)の呼びかけで、全米各地で反核集会が開催されました。

この運動がイギリス・カナダ・マーシャル諸島などへも広がり、 広島県原水禁もこの日、核実験全面禁止を求める国際連帯行動として、 原爆慰霊碑前で座り込みを行いました。

 

広島県原水禁代表委員で元衆院議員の金子哲夫さん

その後、この日は「ネバダ・デー・国際共同行動日」として世界で取り組まれるようになり、以降、広島では毎年のように座り込み行動を続けています。

この日も12時15分から筆者も含む広島県原水禁のメンバーが原爆慰霊碑前で座り込みを開始しました。

広島県原水禁代表委員で元衆院議員の金子哲夫さんから、上記のようなネバダ・デーについての説明をいただきました。

昨年2022年は、新型コロナ・オミクロン株の感染爆発で中止になった座り込みですが、2年ぶりに復活しました。

参加者は
・ネバダを始めすべての核実験場の閉鎖
・核兵器保有国と核の傘の下の国の核兵器禁止条約参加
・北東アジアの非核地帯化・非核三原則の法制化
を求め、
・ロシアによる核使用・威嚇は絶対に許さず
・世界のヒバクシャと連帯するとともに、岸田政権の原発再稼働・新増設も許さない、
趣旨のアピールを採択しました。

◆伊方原発運転差し止め仮処分 パワポのプレゼン競争で結審

筆者はこの後、伊方原発運転差し止めを求める裁判の原告として、広島高裁に移動しました。伊方原発広島裁判は、2016年3月11日に提訴。その後、筆者(当初は応援団)も含む原告312人に膨れ上がりました。本裁判の方はまだ広島地裁で続いています。「裁判中に原発事故が起きてはいけない」ので、運転差し止めの仮処分を住民側はこの間、何度も申し立てています。

広島高裁では、原告側が、運転差し止めの仮処分を求めて抗告中です。2017年12月13日に広島高裁で一度、運転差し止めの仮処分が下されています。しかし、四国電力が異議を申し立てし、2018年9月25日に四国電力の異議を認めた高裁が運転差し止め却下を決定してしまいました。

2020年3月11日に原告側は新たな仮処分を申し立て。しかし、2021年11月4日に産廃処分場裁判などでも権力寄りで悪名高い吉岡裁判長により仮処分は却下されてしまいました。そこで18日に原告側は即時抗告を高裁にしていました。そして、2023年1月27日に第一回審尋でそのまま結審、ということになりました。

この日の審尋では、抗告人(我々原告)側弁護人→相手方(四国電力)側弁護人の順にパワーポイントで主張を展開しました。脇由紀裁判長と陪席の男性裁判官2名も、高い場所から平場?に降りて、スクリーンに映った両者の主張を我々原告、被告=四国電力の「えらい人」たちと一緒に見ておられました。

原告側は、伊方原発訴訟最高裁判決を根拠として、被告=相手方の四電に審査基準が安全かどうかの立証責任があるという主張を展開しました。

「原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟においては、判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものであるが、行政庁の側において、まず、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議において用いられた具体的審査基準並びに調査審議及び科断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認される。」

これが、1992年の最高裁判決の要旨です。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54276

他方、被告=相手方の四国電力側は、地震動の危険性は加速度だけではない、また、伊方原発の下の地盤は周辺のそれより硬い、ということを必死で主張されていました。ただ、南海トラフ地震でも181ガルしか揺れない、という四国電力側の想定は素人目に見てもあまりにも楽観的なように思えました。そもそも、普通の工場などよりもさらに厳しく「絶対に事故を起こさない」ことを求められている原発にしてはあまり楽観的な態度に見えました。ただ一方で、「普通の工場並みでも良いじゃない?」と思ってしまっている人にはそれなりに説得性があるようにも思えました。

 

伊方原発運転差し止めを求める裁判の報告会

筆者は原発関係の裁判はもちろん、労働裁判も含めて裁判の傍聴経験は多数あります。しかし、今日は、はじめて、「パワポでプレゼン」という裁判を傍聴しました。非常に新鮮でした。ただ、裁判長の反応があっさりしすぎてちょっと不安になりました。ただし、判決内容と裁判長の裁判中の対応は必ずしも比例しないということもプレゼンした河合弘之弁護人から伺いました。

この日、応援にかけつけた原発を止めた「あの」樋口英明元裁判官(写真左端)も実は、「あの」裁判の訴訟指揮では原告に対してもかなり素っ気なかったそうです。そのことをうかがって、少し安心しました。

伊方原発広島裁判の運転差し止めの仮処分の可否は3月24日、言い渡されます。ご承知の通り、地元広島の岸田総理がフクシマの処理もめどが立たぬ中、原発推進へと暴走し、全国の皆様には大変ご迷惑をおかけしております。総理の選挙区の有権者の一人として、吉報を3月24日にお届けすることで、多少の「罪滅ぼし」ができることを願っております。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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汚染水放出のトリチウム濃度について東電は「海洋放出の場合」 「海水中のトリチウムの告示濃度限度(水1リットル中6万ベクレル)に対して、 「地下水バイパス」及び「サブドレン水」(原発建屋周囲の地下水汲み上げ井戸)の運用基準(水1リットル中1500ベクレル)を参考に検討する、としている。

一見、法令上の規制値から40分の1に下げているので安全と思われるかもしれないが、それは誤解だ。

放射性物質による公衆の年間被曝制限値は1ミリシーベルトと定められている。

1500ベクレルとは、現在も放出されているサブドレン水及び地下水バイパスの排出運用に基づき設定された値である。これ以外にも放射性物質が漏出している福島第一原発では、法定基準値で排出したら他の放射性物質との合計で1ミリシーベルトを超えることから、トリチウムについては1500ベクレルとした。

事故によりさまざまな放射性物質を拡散させる福島第一原発では、排水中にトリチウム以外にもセシウムやスト097ロンチウムなどの放射性物質が含まれることから、それらが混在していても全体として公衆への被曝線量が法定基準内に収まるよう2012年に設定されたのである。

サブドレンとは、建屋周りの地下水を汲み上げて排水することで建屋などへ流入する地下水を低減させるために使用する井戸。地下水バイパスとは原発の上流側の海抜35メートルの高台に12本の井戸を設け、地下水を連続して汲
み上げ排水する設備だ。

アルプスで処理した水も、ストロンチウムやセシウムが全部なくなるわけではないし、その他の放射性物質も残留するとして、その値が告示濃度以下であっても環境への影響、人体への影響を抑えるために設定されている。現在は排水中のトリチウムが1500ベクレルを超えることは認められないことから、サンプリングで超えた場合はすべてタンクに貯蔵される。このことから東電はそれを目安として排出する
ことにしている。

一般の原発では存在しない1500ベクレル/リットルという基準を定めなければならないほど、福島第一原発の環境は汚染されていることを示している。

貯蔵すればトリチウムの総量は減る海洋放出について全国漁業協同組合連合会(全漁連)は、反対の意志を変えていない。県漁連と国・東電との間では「関係者の理解なしには放出をしない」ことを文書により約束している。

国も東電も反故にすることはしないという。しかし一方で海洋放出に関する「説明会」が1000回以上開催されており、既成事実化しようとしている。放射性物質は常に「減衰を待つ」ことが基本だ。

トリチウムの半減期は12.3年で、初期値が850兆ベクレルでも2052年時点で約90兆ベクレルに減る。さらに、濃縮すれば体積を大幅に削減できる。

123年経てば1000分の1になるので問題はさらに解決しやすくなる。

トリチウムの量を減らすには、時間経過を待つのが最も効率的だ。地元をはじめ多くの人々が求めているのは100年以上の長期保管だ。

これについて経産省は「2011年12月から30~40年での廃止措置終了時においては、アルプス処理水についても処分を終えていることが必要」としている。そして「貯蔵継続は廃止措置終了まで(注:最長2052年まで)の期間内で検討することが適当」と期限を切る。

東京電力は4月12日に海洋放出の関連費用が4年で計430億円に上る見通しだと明らかにした。これだけの費用を掛ければ、数年で新しく地下式のタンクで備蓄することは可能だ。地上タンクもなくすことができ、防災上も有利である。

肝心の廃炉が40年以内に完了する見通しは、まったくない。この前提で検討を進めること自体が全体をミスリードさせている。考え方を変える必要がある。ありもしないゴールを想定して汚染水放出を正当化することなど許されない。(完)

◎山崎久隆《特別寄稿》福島第一原発からの「汚染水海洋放出」に反対する
〈1〉放出にいかなる理由があるのか 
〈2〉「汚染水対策」は最初から失敗 
〈3〉「1500ベクレル」の根拠 

本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日)掲載の「福島第一原発からの『汚染水海洋放出』に反対する」を本ブログ用の再編集した全3回の連載記事です。

▼山崎久隆(やまざき・ひさたか)
たんぽぽ舎共同代表。1959年富山県生まれ。脱原発東電株主運動、東電株主代表訴訟に参加。反原発運動のひろば「たんぽぽ舎」設立時からのメンバー。湾岸戦争時、米英軍が使った劣化ウラン弾による健康被害や劣化ウラン廃絶の運動に参加。福島第一原発事故に対し、全原発の停止と廃炉、原子力からの撤退を求める活動に参加。著書に『隠して核武装する日本』(影書房 2007年/増補新版 2013年)、『福島原発多重人災 東電の責任を問う』(日本評論社 2012年)、『原発を再稼働させてはいけない4つの理由』(合同出版 2012年)、『核時代の神話と虚像』(明石書店 2015年)等多数。

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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

東電は「どのような処分方法であっても、法令上の要求を遵守することはもちろんのこと、風評被害の抑制に取り組む」(市民団体の質問への回答より)としているが、その処分方法は国の小委員会でも「大気放出」 「海洋放出」の2つしか議論されていない。地元の漁協などへの反対意見に対しても「放出」前提の対策のみで話が進んでいる。国も東電も放出以外の方法を検討していない。

2012年想定で、 2021年度末の段階では汚染水の新たな発生はなくなり、建屋内部の滞留水もデブリの冷却用に注入される日量5トンから6トン(3基合計で20トン程度)に留まるとされていた。

これは、凍土遮水壁や建屋及び周囲の土地の雨水浸入防止措置で、新たな水の流れ込みを押さえることで達成できるとしていた。

ところが、2017年頃になって、地下水や雨水の侵入防止がうまくいかないことが顕在化し、結局、当時最大でも80万立方メートル(現状の6割程度)で留まるはずが、今も増え続けている。

浸水防止の失敗が、汚染水増加を食い止められない事態を生んだ。2021年中には1日平均150立方メートルも浸入する状況になっている。

凍土壁が地下水を十分食い止めきれず、随所に漏れがあること、特に下部(底の部分)はもともと止められていないこと、建屋の損傷部や敷地の土壌部(舗装さえ完了していない)からの雨水浸入が止められないことが原因だ。

最初から、恒設の止水壁を地下に造り、 「地下ダム」を構築すると共に地上部をチェルノブイリ原発のドームのような構造物で覆うなどしていれば、汚染水の増加は防ぐことができたし、そうした主張や提案は市民から東電にも国にもされていたのに採用しなかった。また、その責任を指摘し追及する人もほとんどいない。

今からでも、これら対策を最優先にし、汚染水の発生量をゼロにする対策を構築すべきだ。

◆「放出基準値」の異常

申請されている放出方法では、汚染水は1日当たり最大約500立方メートルを排出する計画で、 「1500ベクレル/リットル」の濃度まで海水で薄めて流すという。その総量は「トリチウムで年間22兆ベクレル」で、原発が稼働していた時の管理目標値を使う。

原発の時代の管理目標値を、どうして廃炉になった原発で使えるのか、その法的根拠は何かが疑問だ。

さらに福島第一原発が実際に稼働していた時代には、年間放出量実績は平均約2兆ベクレル程度だった。実績として管理目標値の10分の1に抑えていたとも言える。ところが今度は原発でさえない(即ち経済的なメリットも何もない)施設から年間22兆ベクレルを放出するという。

40年かけて毎年22兆ベクレル放出の場合、開始時点では汚染水は総量137万トンほど、さらに毎日130トン程度溜まり続けるために、全体量はすぐに大きく減らない。現状の風景の約1000基のタンク群はそのまま。目に見えてタンクが減りはじめるのは2040年頃以降である。

東電はタンクの貯蔵限界を2023年秋とし、最長で24年1月まで貯蔵可能としている。その段階で137万トンを越えるという。しかしこれは放出開始時期を2023年春と仮定し、逆算して日量130トンの汚染水発生を推定した結果にすぎない。大型台風がひとつ襲来したり梅雨や秋の長雨でもあれば崩れてしまう。

建屋の止水を進めることが最も効果的なのだから、これを進めていけば少なくてもタンク容量から、放出時期を23年にする根拠はなくなる。単なるつじつま合わせでなく、対策と効果を正しく評価して、優先すべきことを明確にする必要がある。(つづく)

◎山崎久隆《特別寄稿》福島第一原発からの「汚染水海洋放出」に反対する
〈1〉放出にいかなる理由があるのか 
〈2〉「汚染水対策」は最初から失敗 
〈3〉「1500ベクレル」の根拠 

本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日)掲載の「福島第一原発からの『汚染水海洋放出』に反対する」を本ブログ用の再編集した全3回の連載記事です。

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福島第一原発の事故から、早くも11年余の時が経過した。この間に何度か地震に遭遇したが、大きな被害は受けていない。この地域は常に巨大地震と津波の脅威が迫っているとされるところであり、重大事故を再発する潜在的な危険性は大きい。

発生した場合、爆発的な炉心溶融ではなく、炉心の真下にあるデブリの拡散と1000基を超える汚染水貯蔵タンクの倒壊のような、放射性物質の拡散事故が大きな被害をもたらす恐れがある。また、使用済燃料プールの冷却ができなくなり、燃料破損・溶融も懸念される。言い換えるならば、原子炉建屋の倒壊が最も危険である。

それに対する安全対策は最優先事項だ。しかし現状はそうなっていない。

政府は、2021年4月に福島第一原発のタンクに溜まり続けている「汚染水」約134万トンについて、 「海洋放出」で処分することを決定した。その理由として費用対効果と共に、汚染水タンクが地震で倒壊した場合の放射性物質大量拡散を防ぐためとしている。

しかし、海洋放出を始めたからといってすぐにタンクがなくなるわけではない。30~40年とされる「廃炉期間」の間に順次減っていく程度である。最初の数年は、見かけも減った印象などないし、地震のリスクも変わらずに存在し続ける。

福島県民や漁業関係者をはじめとして、強い反対の声を押し切ってまで強行する合理的な理由は見当たらない。また、東電は敷地をタンクが占領している状態で、廃炉に必要なデブリ取り出しの施設、設備が設置できないことを理由としている。しかしこれは合理的な敷地利用で対処可能であり、理由にはなっていない。

すでに規制委員会の審査がほぼ終わり、2022年6月には排水用地下トンネル本体工事着工、2023年春頃にも放出開始されるとされる。その最新の状況をお伝えする。

◆福島第一原発の「汚染水」とは何か

NHKは2021年4月の関係閣僚会議での海洋放出決定以降、「汚染水」という表現をやめた。「風評被害を招く」との主張が国会でされたことが原因だ。

他の報道機関も「福島第一原発の貯蔵タンクの水」を「アルプス処理水」または「処理水」と呼ぶようになっている。なお、アルプスとは「ALPS・多核種処理設備」のことだが、以下「アルプス」と表記する。

しかし、どのように表現しても「流れ込んだ雨水と地下水と、冷却用の注水が溶け落ちた炉心いわゆるデブリに接触して汚染された水」を「多核種除去設備・アルプスで処理した水」であることに変わりはない。

最初の 「汚染」 を重視するか 「処理」を重視するかで、呼び方に違いがある。汚染の大小があるにしても、トリチウムなどの放射性物質が混じる水だ。「アルプス処理」をしてもトリチウムの量が1リットル当たり数百万ベクレルにも達するものもあるので「トリチウム汚染水」とも言える。しかしアルプスを通してもストロンチウムやセシウムなどは全部除去しきれないので「(放射能)汚染水」でもある。

現在貯蔵されているタンクの水は、そのまま薄めて海に流せるものは3割以下、残りは再度アルプスで処理して流すとしているから、国の基準でも現在の水は大半が汚染水であることに変わりはない。(つづく)

◎山崎久隆《特別寄稿》福島第一原発からの「汚染水海洋放出」に反対する
〈1〉放出にいかなる理由があるのか 
〈2〉「汚染水対策」は最初から失敗 
〈3〉「1500ベクレル」の根拠 

本稿は『季節』2022年夏号(2022年6月11日)掲載の「福島第一原発からの『汚染水海洋放出』に反対する」を本ブログ用の再編集した全3回の連載記事です。

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日本の崩壊がいよいよ可視的なレベルにまで高まってきました。「国民総中流」、「Japan as NO.1」との形容があったことすら知らない世代が既に成人を迎えています。安倍、菅のあと就任した岸田首相は、所信表明演説で「改憲の迅速化」と「原発の再稼働」を明言しました。ほかにも些末なことに言及していましたが、ほとんどすべての政策が2022年年末に「破綻」していることは、自民党支持者を含め多くの国民が同意するところです。

広島出身の岸田総理には主としてマスメディアから、的外れな期待もありました。また来年開かれるサミットを広島で開くことに、積極的な意味を見出す言説です。しかし考えてみてください。2000年の「沖縄サミット」は沖縄に少しでも平和の助け舟を出したでしょうか。幾度も選挙で辺野古基地建設反対の意思を表明しても、結局政府は「沖縄無視」を決め込んでいます。広島サミットが実施されてもその果実はほとんど皆無でしょう。

「二酸化炭素」を最大の悪者とする世界において原発は国連が発するSDGsとのお題目から、生き残る護符を得ました。広島で各国首脳が原爆被害者に哀悼の意を表面上表したところで、現在最も深刻な問題である「核兵器」、「原発」の削減や廃止についての議論にまで話題が及ぶことは「絶対」といってよいほどありません。

わずか一世紀前弱の記憶はおろか、十年ほど前の記憶すら、権力者や金持ちにとって不都合であれば「なかったものにしよう」、「被害を最小化に閉じ込めよう」と蠢いて恥じないのがこの国の心象です。どこまで矜持と良心を放棄すれば気が済むのか、と当該人物顔の前十センチ前で尋ねてみたいと思うのは、気が短いせいでしょうか。

ことしは大きな戦争が起きました。おそらくは専門家でも予想できなかった規模と戦法によってウクライナがロシアに侵略されました。冷戦終結前は同じ国であり言語も似通った近隣国による不幸な戦争です。この戦争に軽薄な日本の政権を含む右派は「現在の日本国憲法では国が守れない」、「米国と核兵器を共有すべきだ」と無知丸出しの恥ずべき感情を吐露しました。その失当さは本文で「原発を止めた裁判官」、樋口英明さんが看破していただいています。

この国も、世界もどうやらこれまでよりも格段に速度の速い文明の転換点に確実に入ったようです。きのうまで当たり前であったことが明日認められる保証がどこにもない時代です。今一度「なにが起こるかわからない」時代への心の準備を再確認し、まずは原発の全廃に向けて進もうではありませんか。

2022年12月
季節編集委員会

12月11日発売 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

季節 2022年冬号
NO NUKES voice改題 通巻34号 紙の爆弾 2023年1月増刊

[グラビア]福島の記憶 2011-2022(写真=飛田晋秀

鈴木エイト(ジャーナリスト)
《インタビュー》大震災の被災地で統一協会は何をしていたか

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
人は忘れっぽい、でも忘れるべきでないこともある

今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
マボロシが蘇ってきたような革新炉・次世代炉計画

菅 直人(元内閣総理大臣/衆議院議員)
時代に逆行する岸田政権の原発回帰政策

樋口英明(元裁判官)
《インタビュー》「原発をとめた裁判長」樋口さんが語る「私が原発をとめた理由」
《緊急寄稿》40年ルールの撤廃について

飛田晋秀(福島在住写真家)
《インタビュー》復興・帰還・汚染水 ── 福島の現実を伝える

広瀬 隆(作家)
《講演》二酸化炭素地球温暖化説は根拠のまったくないデマである〈後編〉

鈴木博喜(『民の声新聞』発行人)
《検証・福島県知事選》民主主義が全く機能していない内堀県政が続く理由

森松明希子
(原発賠償関西訴訟原告団代表/東日本大震災避難者の会Thanks&Dream[サンドリ]代表)

最高裁判決に対する抗議声明
司法の役割と主権者である私たちが目指す社会とは

伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
「原発事故避難」とは何なのか

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
経産省「電力ひっ迫」で原発推進のからくり

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
原発政策の転換という反動的動きを見て

漆原牧久(「脱被ばく実現ネット」ボランティア)
自分の将来、すべてが変わってしまった
311子ども甲状腺がん裁判第二回口頭弁論期日に参加して

板坂 剛(作家/舞踏家)
何故、今さら猪木追悼なのか?

松岡利康(鹿砦社代表/本誌発行人)
いまこそ、反戦歌を!

細谷修平(メディア研究者)
シュウくんの反核・反戦映画日誌〈3〉
映画的実験としての反戦 『海辺の映画館―キネマの玉手箱』を観る

佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
「辞世怠(じせだい)」原子炉ブームの懲りない台頭

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈18〉
文明世紀末から展望する~新たなユートビアは構築可能か~

再稼働阻止全国ネットワーク
「原発の最大限の活用と再稼働の全力推進」に奔走する岸田政権に反撃する!
《北海道》佐藤英行(後志・原発とエネルギーを考える会 事務局長)
《東海第二》横田朔子(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《新潟》小木曾茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発廃炉を求める「命のネットワーク」有志)
《浜岡原発》沖 基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
《川内原発》向原祥隆(反原発・かごしまネット代表)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《読書案内》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

反原発川柳(乱鬼龍選)

◆広報室長・廣瀬氏の証言

次に、1月12日、動燃の行った3回の会見すべてに同席した広報室長・廣瀬氏の証言記録を見てみよう。

廣瀬氏は、大石氏に「12月25日と正直に答えなさい」と指示をされたのは、1回目の会見後の打ち合わせだったと証言している。ならば、その直後の2回目会見で、大石氏自身が正直に12月25日と答えれば良かったのではないか? そうすれば、3回目の会見に西村氏は駆り出されたりすることも、さらに死ぬこともなかったのだ。

弁護人にそのことを質問された廣瀬氏は「理事長はやはり理事長としての立場がございますから、やはり物事の本質論ですとか、そういうことを述べるというのが当然だと思います」などと証言した。

また、廣瀬氏は、会見を終えた西村氏に、科技庁の会見場から出た廊下で「なぜ1月10日と言ったのか?」と尋ねたという。その際、西村氏からは「年をまたいだら、もたないだろうと思った」と言われたと証言した。妻のトシ子さんは「一職員でしかない西村がそんなこというかしら」と言う。確かに、理事長が「12月25日と正直に答えなさい」と指示しているのに、一職員の勝手な判断でそんなことをいうだろうか。

しかし、西村氏がそう言ってしまったために、廣瀬氏と安藤氏は「訂正会見をやらなければ」と帰りの車中で話しあったという。

そもそも安藤氏と廣瀬氏は、西村氏の会見で同席しながら、西村氏が理事長大石氏の指示に従わず、「1月10日」と発言したならば、「何を言っているんだ」と驚いたはずだ。しかし、3回の会見を取り仕切った、廣瀬氏の部下A氏は、そのとき廣瀬氏、安藤氏に特別変わった様子はなかったと控訴審で証言している。

一方、西村氏の発言をその場で訂正できなかったか理由を質問された廣瀬氏は「常識論として、調査をした人間の答えを調査しない人間が、間違いじゃないかというのは、プレスがたくさん集まって、テレビのカメラが回っている状況の中でできるかどうかというのは、常識的に考えれば、それはパスするということになるんじゃないでしょうか」などと、どこか居直ったように証言した。

理事長・大石氏、理事長秘書役・T氏、広報室長・廣瀬氏(いずれも当時)他4名、計7名の314頁に及ぶ証言記録

 

福井県敦賀市白木地区で出会ったおばあさん。「あの近くにうちの畑があった」と指さす先にもんじゅが建っていた

納得いかない弁護士は、廣瀬氏にこう迫った。

弁護士 西村さんの地位は何ですか。

廣瀬  総務部の次長です。

弁護士 大石さんの地位は。

廣瀬  理事長です。

弁護士 大石さんの指示は12月25日だったんでしょう。

廣瀬氏 そうです、はい。

弁護士 どちらが重いんですか。

廣瀬氏 ……。(無言)

◆西村さんの会見は失敗ではなかった

西村氏の死が自殺だというなら、動燃に安全配慮義務違反があったのではないかと訴えた裁判の一審は敗訴した。トシ子さんはすぐに控訴した。2007年に始まった控訴審で、トシ子さんらは「動燃は、記者会見で真実を公表するか虚偽の事実を公表するかの二律背反的な進退窮る状況におき、結果として虚偽の発表を強いた」旨に一部主張を改めた。

こういうことだ。大石氏は、理事長として、打ち合わせで「2時ビデオが本社にあったことがわかった日は12月25日と正直に答えなさい」と指示しつつ、自身の会見では「初めて知ったのは昨日(11日)の夕方」と真っ赤な嘘をついたことから、西村氏は12月25日と正直に答えるか、大石氏に合わせて、(大石氏に報告した前日の)1月10日と嘘をつくかの二律背反的な状況を強いられ、結果、嘘をつかざるを得なかったのである。

では、3回目の記者会見がどのような様子だったかを、先の廣瀬氏の部下のA氏の証言からみていこう。A氏は、会見の調整役として、12日の3回の会見をすべてを現場で見ていた。事前の打ち合わせに出ていないA氏は、大石氏の指示は知らないため、西村氏の発言が正しいかどうかはわかっていない。しかし、西村氏は、会見では厳しく追及されたものの、終了後は記者らに囲まれ、褒められていたと証言した。

次の場面である。

弁護士 この会見の後、西村さんとあなたは言葉を交わしてますか。

A氏  会見の後は交わしてないですね……。あるとすれば、接点は1回だけあるんですけども、それは(西村さんが)会見場を出てこられたときに記者に囲まれたんですよね。それで記者の皆さんが、非常に立派な会見というのはおかしいかもしれないけど、きっちりしてましたというようなことをおっしゃったんですよ、皆さんが。で、西村さんもお疲れなので、あまりそこでつかまってもあれなので、「じゃあ」ということで私が仕切ったと思います、その入り口のところは……。

弁護士 何かすごく記者が殺気立って、追及みたいなことがあったみたいな情報もあるんですが、むしろそうじゃなかったということですか。

A氏  外のところはなかったです。その会見の席は結構厳しいと思いました。

弁護士 厳しいやりとりはあった。

A氏  あったと思います。

弁護士 それで、これも会見終了後ですけれども、廣瀬さんが、なぜ1月10日というふうに言ったのかというふうに聞いたら、会見場を出た廊下の部分、いま、あなたが言ってたところなんだけど、彼(西村さん)が年をまたいだら持たないと思ったのでそういったと答えたと。ちょうどその本人が会見場を出てきた辺りでやられていたことのようなんですが、それはご記憶ないですか。

A氏  いや、そこではそういう話は多分しないと思いますね、記者に聞こえるところではしないと思います。

弁護士 そこからちょっと離れたところ。

A氏 だから、出て、私は記者をそこで引き留めてしまったので。ほかの方たちはすっと帰られたと思うんですね。

 

夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘いは続く

さらに、A氏は、上司の廣瀬氏から、間違った西村発言を訂正する会見を開く予定は聞いていたかと質問され、「ないです。私にしてみれば、なぜその日にやらないかというふうに思いますけどね」「(夜中でも)かまいません」と、当時は夜中の会見はざらにあったと証言した。

しかし、廣瀬氏と安藤氏は、「訂正しなくてはならないね」と話し合ったものの、その後会見は行わず、翌日の定例会見で訂正する予定だったと証言した。

しかし、翌日は土曜日で、通常定例会見を行うことはなかったと、A氏は証言した。A氏同様、当時会見に参加していた複数の記者が「西村さんは、初めての記者会見にしては堂々としていました。あのような厳しい状況のなかでの会見で、言うべきことははっきり言い、わからないことはわからないと対応していました。割とうまくやったと思います」と話している。

不本意だったとはいえ、西村氏の会見時での発言は、動燃職員としては間違っていなかったのだ。つまり、そのことを苦に自殺することは、まずあり得ないのだ。動燃から西村氏の死についての説明は一切ないなか、T氏の「西村職員の自殺に関する一考察」では、西村氏は、会見で間違った発言をしてしまったことを苦にした自殺とされた。しかもそれに、よって厳しい動燃批判は一挙に沈静化し、再び動燃はもんじゅ稼働を推し進めていった。

「組織防衛のために夫が生贄にされた」。

悔し気にそう話すトシ子さん。

もんじゅが、ほぼ稼働せず、廃炉が決まったのは、西村氏の死から20年後の2016年だった。その日、トシ子さんは、仏壇に置かれた夫の遺影にこう話しかけた。

「もんじゅのために死ぬことはなかった」──。(了)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
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※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

◆あの日、夫に何が起こったのか?

遺体発見時の10時間前に亡くなっていた動燃職員・西村成生(しげお)氏。しかし、妻・トシ子さんへの遺書には「3:40」との時刻が書いてあった。遺書は確かに西村氏の字だが、数字は別人のものだった。

「夫はどこかで無理やり遺書を書かされたあとで、殺害されたのでないのか」。

トシ子さんはそう確信し、8年後の2004年、ようやく闘ってくれる弁護士に出会えた。しかし、動燃を「殺人罪」で訴えたいというトシ子さんの要求はかなわず、西村氏が自殺したというならば、動燃に「安全配慮義務違反」があったと訴えることになった。

トシ子さんにとっては不本意だったが、証人尋問で証言した、理事長・大石氏、理事の大畑氏、安藤氏、広報室長・廣瀬氏、そして理事長秘書役・T氏らの証言の記録から、西村氏が不審死する前後に何があったのかが明らかになってきた。

もう一度時系列で追ってみる。1996年1月11日夕方、動燃本社で大石理事長、安藤氏、理事長秘書役のT氏らが出席し、調査チーム主催の会議が行われた。8時過ぎには、動燃と科技庁との間で、どのタイミングでメディアに公表するかが話し合われた。しかし、前述の通り、12日、中川科技庁長官が会見で「ビデオは動燃本社に持ち込まれ、本部員も見ていた」などと発言したためメディアが騒ぎ出し、動燃も急きょ会見せざるをえなくなっていた。

1回目の会見で理事の安藤氏は、メディアの質問にまともに答えられず、怒ったメディアから、理事長大石氏の会見が要求された。

安藤氏の会見後、大石氏、関係者らは1回目の打ち合わせを行った。会見前の関係者の打ち合わせは、この1回目と、3回目会見前の2回目があり、証人により、そのどちらの打ち合わせかは違っているが、全員が、大石氏が「『2時ビデオ』が本社に持ち込まれていたことを確認した日は12月25日であると、正直に言いなさい」と指示したと証言した。大石氏がそこまで「12月25日と正直に言いなさい」と指示したとなれば、確かにT氏の「西村職員の自殺に関する一考察」のように、西村氏が間違った発言を苦に自殺したとも推測できる。しかし、裁判で証言した大石氏、大畑氏、T氏、広報室長・廣瀬氏らの証言からは、そうした事実と相反する事実が次々と明らかになった。

◆誰が嘘をついているのか?

2006年2月、東京地裁で大石氏は、「2時ビデオ」が本社にあったことを知ったのは、1月11日の会議の場だったこと、調査チームからは、それまで1度も報告がなかったこと、西村氏には11日初めて会ったと証言した。ビデオ問題が、もんじゅ存続の可否を決める重大事項になっている最中、自ら指示して作らせた調査チームの職員に、会ったたことがなかった……そんなことがあり得るだろうか。

また西村氏、安藤氏、広報室長・廣瀬氏が、会見後に大石氏に報告した際、大石氏は「安藤理事がなんとか無事に記者会見を終えることができましたという旨の報告がありました」「西村氏に変わった様子はなかった」と証言した。

また大石氏は、弁護士に「西村氏がなぜ自殺したと思うか?」「本社に『2時ビデオ』があったことを確認した日が12月25日であったのに、1月10日と発言したことと関連しているかどうかについてはどう思うか?」と問われ、「わからない」と答え、西村氏が「1月10日」と発言したことは、西村氏の死後、秘書役のT氏から聞いたと証言した。繰り返すが、重要な会見で、出席者がどのような発言をしたか、理事長が知らなかったなんて、あり得るだろうか?

では会見後、普段と変わった様子のなかった西村氏が、なぜ自殺しなければならなかったのか? その原因と思われる個所を、西村氏が間違った発言を苦にして自殺したと「考察」したT氏の証言から見てみよう。

西村氏が会見に使った資料(想定問答集)には、西村氏の字で「1月11日頃」との書き込みがあった。それについて、弁護士がT氏に、打ち合わせで何が話し合われたかと質問した。

弁護士 弁護士21号証で、これは調査グループが調査に入ってから、12月25日であるという1つの想定の答えが書いてあって、その右側に1月10日頃という記載があるんですけれども。

T氏  はい、ありますね。

弁護士 どういうやりとりがあったかは思い出せますか。12月25日という書き込みがあり、他方、本当のメモ書きなんだけれども、コピーで1月10日というふうに残っている。この1月10日頃という書き込みの、この字は西村さんの字なんですけども、どんなやりとりが行われたか。

T氏  それは私には判りませんが、やりとりがあったのは私のほうからご質問させていただいたんでよく覚えているんですが、この質問の、Eが保管していた事実が判明したのはいつかということで、12月25日という回答がでたわけですね、議論の中で。

弁護士 回答って、事実でしょう、調査結果の。

T氏  (12月25日を)ここに書きましょうという。それで、そのときに私から理事長に、12月25日ということで本日になって発表すると、いままでの経緯、ビデオ問題をさんざん隠して社会の糾弾を浴びておりましたから、今日になって、12月25日に判明しましたということをいうと、また騒ぎになりますが、それで宜しいですねということを聞きました。そのときに理事長がいいと、事実をありのままに言いなさいとおっしゃったので、よく記憶しております。(中略)

弁護士 第3回目の記者会見に向けて、あなた自身は12月25日の日取りについて不安があったと。12月25日といっちゃうと10日間以上も何をやっていたんだという話になると、大丈夫でしょうかという不安があったとおっしゃるわけね。

T氏  はい。

弁護士 実際には、理事長は本当のことを言いなさいというんだと。第3回目では結局(西村氏は12月25日とは)言ってなかったということになったんですが、その記者会見はどう聞いておられますか。

T氏  だいぶあとですね。僕は(会見で西村氏が)1月10日というふうにいわれたということを知ったのは2日後ぐらいですから。

弁護士 要するに、西村さんが亡くなられたと、関係方面から耳に入ってきたという話ですよね。

T氏  はい。

動燃理事長秘書役(当時)だったT氏が書いた手書き文書「西村職員の自殺に関する一考察」1-2頁

同上 3-4頁

西村氏が発言した3回目の会見後、大石氏に報告した際、西村氏が1月11日と発言したことは、誰からも全く問題にならなかったと、T氏は証言した。西村氏の両隣には安藤氏、廣瀬氏もいたし、事前の打ち合わせで大石氏にあれだけ「12月25日と正直に言いなさい」と指示されながら、西村氏の間違った、ある意味大石氏に背くような発言を行ったことを、咎める、訂正させる人が全くいなかったということがあり得るだろうか?

大石氏が、12月25日と正直に言うことについて、T氏自身が懸念を示していたのだ。であるならば、会議でなんらかの対処法などが検討された可能性もあるが、それについてはT氏はきっぱりと否定。さらにT氏は、11日午前と12日午後に、大石氏はじめ関係者が出席した重要な会議に出席した事実が議事録にも残っているのに、「まったく記憶にない」と否定した。T氏の理事長秘書役という役職は、通常の秘書業務だけではなく、「理事長に関わる問題のほとんど全部についてかかわってくる。理事長に情報を提供したり、いろんな問題について提案をしたりする」と理事長の大石氏が証言していた。その T氏は、理事長秘書役として重要会議に出席していたことを、なぜ頑なに否定するのだろうか?(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
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▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

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日本原子力研究開発機構(JAEA)は、2022年4月22日、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)で行われていた原子炉内核燃料の取り出しを終えたと発表、今後は原子炉内を冷却していたナトリウムの抜き取り作業が行われることになった。

1兆1313億円もの総工費を投入しながら、ほぼ稼働せずに廃炉が決まったもんじゅでは、JAEAの前身である「動燃」(動力炉・核燃料開発事業団)時代に職員が不審死を遂げている。

1995年12月8日に起こった、もんじゅのナトリウム漏洩事故で、動燃は当初、事故直後の生々しい事故現場を撮影した「2時ビデオ」を隠蔽し、翌日撮影した「4時ビデオ」の一部しか公開しなかった。その後、地元自治体などの立ち入り調査で、「2時ビデオ」の存在が発覚。それまでも日本の原子力産業での秘密主義、隠蔽体質が問題視されていたが、こうした動燃の対応のまずさに、メディアや住民の非難が高まってきたことはいうまでもない。

そうした中で、動燃の大石理事長〈当時〉は、なぜこんなことが起きたかを内部で調査するチームが作らせた。不審死した西村成生(しげお)氏(当時47歳、以下西村氏)はその一員だった。

◆夫は本当に自殺したのか?

事故後の12月23、24日、西村氏ら調査チームは、敦賀市のもんじゅで職員に聞き取り調査を行った。その結果、「2時ビデオ」が事故の翌日に東京本社にも運ばれていたことが判明した。西村氏らは、翌25日、東京本社に戻ってすぐに大石理事長にそのことを報告、早急に公表すべきと進言した。

しかし、大石氏は公表を先延ばしし、国会で参考人に呼ばれた際も、公表しないまま、年を越してしまった。翌年1月、橋本龍太郎氏に政権交代したことから、新たな科学技術庁(当時)長官に就任した中川秀直氏が、記者会見で動燃が公表していない、その事実を突然公表してしまった。前日に、動燃から科技庁に提出された資料を、勝手に読んでしまったのだ。そのため、動燃も急きょ会見を行うこととなった。

 

西村さんが飛び降り自殺したとされるホテルの前でトシ子さん

1回目の会見に出席した安藤隆理事は、記者らの質問にまともに答えることができず、怒った記者らから、大石理事長の会見が要求された。2回目の会見に出席した大石理事長は、そこでも事実を公表せず、「2時ビデオ」が本社にあったことを知ったのは、1月11日だったと虚偽の発言をした。そして「詳細は、調査チームに話させる」と逃げたため、3回目の会見に調査チームの西村氏が駆り出されることとなった。西村氏は、そこで、大石理事長の発言にあわせ、「2時ビデオ」の存在を知ったのは、大石理事長が知った11日の前日の1月10日だったと発言せざるを得なかった。

3回目の会見を終えた西村氏は、科技庁から戻った動燃本社で簡単な打ち合わせを行ったのち、翌日早朝に、大畑理事と敦賀市に出張に出るため、東京駅近くのホテルに深夜1時ころチェックインした(ことになっている)。2時過ぎ、ホテルに動燃から西村氏宛のfaxが届き、浴衣姿の西村氏が、5枚の用紙を取りに来たこととなっている。その後、3時台に妻・トシ子さん、大石理事長、秘書役T氏の3人に遺書をしたため、早朝、8階の非常階段から飛び降り自殺したとなっている。

ホテルの敷地内で西村氏の遺体を発見したのは大畑氏だった。西村氏の部屋の机に3通の遺書があったことから、駆け付けた中央警察署は飛び降り自殺と断定したとなっている。

しかし、聖路加国際病院の霊安室で、西村氏の遺体と対面したトシ子さんは、8階から飛び降りたとは思えないに夫の遺体を見て、「何かがおかしい」とすぐに疑問を抱いた。

60人ほどの小さな葬儀を考えていたトシ子さんに、動燃は「もっと大きな会場を」「4人に弔辞を読ませる」などと無理な注文を付け、結局、国会議員など1500人もの弔問客が訪れる「社葬」のような葬儀が執り行われた。大石氏、T氏ら4人の弔辞は、西村氏の死を動燃の復活へと結び付ける内容で、その後メディアの動燃批判は一挙に沈静化した。

 

動燃本社の裏口。遅くに外に消しゴム1つ買いに行くにも記帳しなけれぱならなかったのに、あの日深夜、科技庁から戻り、ホテルに行くため出た西村さんの記帳は確認出来なかった

◆夫の死後、次々に起きた不可解なこと

「夫の死は政治的に利用されているのではないか」。そう考えるトシ子さんの周辺では、次々と不可解なことがおきた。初七日の翌日、総務部長から「お礼参りに来て欲しい」と連絡された。「お礼参り?」と訝しく思ったが、夫の死について何か聞けるのではないかと、息子らと動燃本社に出向いた。動燃本社に到着するなり、役員室に案内された。理事長などから西村の死について説明があると思ったが、役員20名がただ青ざめて立っているだけで、説明も何もなかった。そのつぎに、西村さんが在籍していた総務部に案内されたときだ。若い職員が駆け寄り「西村さんの机の上にあった沢山の資料はどうしたんでしょうね?」と言った。成生氏は普段から、秘密事項などの重要書類を扱うため、席を外す際には書類を必ず鍵のかかる引き出しにしまっていた。若い職員の言うことが事実なら、西村氏は、書類をしまう間もないほど急がされて、会見に引きずり出されたのではないか? トシ子さんの疑念は深まるばかりだった。

次に向かった科技庁では、中川長官から「生前の西村さんは何か言い残していないですか」と確認されるように聞かれた。トシ子さんは「もんじゅの担当にされてしまったよ」と、いつになく悔し気に語った西村氏を思い出した。トシ子さん自身、そう聞いて妙な胸騒ぎを感じていたのだった。

お礼参りの最後、新橋駅近くの雑居ビルに入る動燃関連会社「ペスコ」に向かった。ワンフロアを貸し切ったペスコに入った途端、トシ子さんはなんともいえぬ薄気味悪さを感じていた。平日の昼間なのに、動燃の職員が何人もいたうえ、みな、西村氏の死を悲しむような表情ではなく、平然としていた。葬儀で弔辞を読んだ一人、竹ノ内会長が「前の日もここで(成生氏と)一緒にお茶を飲んだのに…」とつぶやいた。西村氏が亡くなった前日1月12日は、科技庁の会見が予定されており、そこでの中川長官の発言から、動燃も緊急会見を余儀なくされ、1日中バタバタ慌ただしかったはずだ。ここに来てお茶を飲む時間などなかったはず…。トシ子さんはそう考え、「ここで何かあったのではないかしら」と思えてきた。

初七日後、初めて西村家に連絡してきた理事長秘書役のT氏の動きにも気になることが多々あった。葬儀後、初めての電話でいきなり「今どんな気持ちがするか?」と聞いてきた。そして翌日来訪すると伝えられた。来訪の理由は、自分が葬儀で読んだ手書きの弔辞を、ワープロのものに差し替えたいということ、もうひとつは、形見に、西村氏の着けていたウッジウッドのカウスボタンが欲しいと言ってきた。もちろんカウスボタンを渡さなかった。

その後、多くのメディアに「亡くなった西村職員の友人」として登場するT氏だが、ある日、トシ子さんから「Tさんは夫の親友でもなんでもなかったのよね」と聞いた。二人は大学が同期というだけで、趣味の麻雀やゴルフも一緒にやったことがない、2ショットの写真も一枚もないという。そしてT氏の書いた「西村職員の自殺に関する一考察」では、西村氏の自殺の原因は、3回目の会見で、西村氏が間違った発言をしたことではないかという。果たして、あの時点で、西村氏の発言は、「自殺」を考えるほど間違っていたものといえるのだろうか?(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
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※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

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◆遺書に書かれた「3:40」の謎

西村成生氏(以下、成生氏)の遺書は3通とも、動燃の社用箋に書かれ、一番上に遺書を認めた年月日、曜日と時刻が書かれていたが、報告書のように「以上」と締めくくられていたり、「勘違い」を「勘異い」、「発展」を「反展」、「通り越し」を「遠り越し」などの漢字ミスがあるなど不可解なことが多かった。

というのも、成生氏は、行政などに提出する公文書の最終チェックを行う総務部文書課にも長く属しており、文章には非常に厳しく、残されたノートなどにも誤字などはまったくなかったからだ。

「夫がそんな間違いをするだろうか」

不思議でならなかったトシ子さんが、遺書に書かれた「勘異い」「反展」などの漢字ミスを、その後、ある文章で知ることとなった。 それは、秘書役T氏が書いた「西村職員の自殺に関する一考察」の中でだった。

「一考察」にはまた、「妻宛の遺書にはこう書かれていた」との説明も書かれていた。T氏は「一考察」を、成生氏が亡くなった直後の1月15日に書いていたが、トシ子さんは、警察から手渡された遺書を、その後1年間ほど、誰にも見せていなかったのだ。その遺書の内容を、何故T氏が知っていたのか? それはのちの裁判で明らかになる。

成生氏の死から1年後、聖路加国際病院の医師に、成生氏の遺体は死後10時間くらい経って病院に搬送されたと告げられたトシ子さんは、遺書に書かれた「3:40」の字も偽装されたのではないかと疑い始めた。その時刻、成生氏はもう亡くなっていたのだから、時刻を書きこむことは出来ないではないか。

3通の遺書に多く書かれた「3」の数字を改めて確認すると、大量に残された成生氏の生前の文書に記された「3」とは明らかに違っていることがわかった。しかも、何時何分と書く際、何分を何時より小さく書き、下に線を1本引くという成生氏のクセもないことにも気づいた。遺書の字は確かに成生氏のものだが、遺書を認めたという時刻は、誰かがあとで書き足したものではないか?その時刻に、あたかも成生氏が生存していたようにみせるために……。

 

夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

◆夫の死の真相を追及する闘い

夫の死の真相を何とか知りたいと、1年後、トシ子さんは宿泊していたホテルに宿帳を見せてほしいと求めたが拒否された。同じころ、聖路加国際病院の医師から、成生氏の遺体は死亡から10時間経過していたと聞かされたトシ子さんは、成生氏の遺体を処理した中央警察署に説明を求め訪れた。刑事課長は名前すら明かさなかったが、代わりに対応した課長代理が、成生氏の遺体に関する説明を行った。

トシ子さんは、「ホテルの部屋や8階の非常階段に成生さんの指紋はあったのですか?」と尋ねると、「指紋の資料はない」と答え、さらに「救急搬送する前に、警察で遺体を見ているのですか?」と尋ねると、「見ています」とファイルを差し出した。

そこには、成生氏の頭部と全身を写した写真が3枚あった。しかし、転落現場を撮った写真は1枚のみ、スーツ姿の成生氏が転落したコンクリートの地面ではなく、担架にうつぶせに寝かされているものだった。なお、ホテルにチェック・イン後、成生氏に動燃から送付されたFAX用紙について、中央警察署は把握していないとの回答だった。深夜2時過ぎにホテルに送信され、浴衣姿の成生氏がフロントに取りにきたという5枚のFAX用紙はどこに消えたのだろうか?

その後、トシ子さんは、死体検案書を作成した東京都監察医(当時)の大野曜吉氏に面談した。大野氏は、「検視は、1月13日午前10時55分頃。聖路加国際病院の霊安室で行った。立会人は、中央警察署の警部補だった」などと話した上で、難解な説明が長々話すので、トシ子さんはそれを止めるように、こう質問した。

「深部温度は計ったのですか?」

素人のトシ子さんから医学的な専門用語が出たため、顔色を変えた大野氏、「計ってません。なぜそんなことを聞くのか?」と聞いてきた。

トシ子さんはそれに答えず畳みかけるようにこう聞いた。

「じゃあ、どうやって死亡推定時刻を判断したのですか?」

すると大野氏は「遺体の発見は5時40分だと(立ち会った)警部補がいうから、それのやや前だろうと(考えた)」と答えた。

さらにトシ子さんが「転落したらしいと書いてありますが、なんで『らしい』なんですか?」と尋ねると、それも警部補からの伝聞だという。あまりにずさんな鑑定ではないか。

そのためトシ子さんは、監察医の大野氏を死体検案書の虚偽私文書作成で、秘書役のT氏を遺書の私文書偽造で、東京地検特捜部に告訴したが、2件とも「嫌疑なし」で不起訴となった。

2002年10月、トシ子さんは、東京都公安委員会に犯罪被害者等給付金請求申請を提出したが、翌年棄却。2004年10月13日、トシ子さんは2人の息子と、核燃料サイクル開発機構(旧動燃)に対して、成生氏の死が「自殺」というならば、動燃から虚偽の説明を強いられたためだとし、安全配慮義務違反の損害賠償を求める裁判を提訴した。

しかし、東京地裁は「動燃が虚偽の発表を強いたとはいえない」として請求を棄却、東京高裁も「動燃には自殺を予見できなかった」などとして一審を支持、2012年、最高裁は上告を退ける決定を下した。

しかし、高裁判決では「もし虚偽の回答をしてしまったことが発覚した場合には、もんじゅ現地のみならず動燃本社までもが嘘をついているとして、社会から厳しい指弾を受け、大石理事長の早期辞任はもとより、動燃の体質論から動燃の解体論にまで発展しかねない重大な事態を引き起こす危険性があった」と認定した。

成生氏の死が、まさにその「重大な事態」を食い止めたのだ。

2015年2月13日、警視庁中央署に対し、成生氏の全着衣、FAX、遺書作成に使用した筆記用品などの遺品について、返還を求める未返還遺品請求を提訴したが、2017年9月13日、東京高裁で棄却された。

さらに2018年2月22日、日本原子力研究開発機構と大畑宏之理事に対し、成生氏の全着衣、FAX、遺書作成に使用した筆記用品、手帳、事務机内の全遺品の返還を求める未返還遺品請求を提訴。その後大畑氏が死亡したため、現在トシ子さんは、同機構と大畑宏之元理事の遺族を相手取り、遺品返還訴訟を行っている。

前述した通り、トシ子さんは、葬儀に献花した国会議員らに、動燃本社内の成生氏の机の封印の嘆願書を提出しており、机は封印されていた。その事務机内の遺品とともにトシ子さんは、中央署員が大畑理事に渡した成生氏の遺品(ホテルで受信したとされるFAX受信紙、鞄に入れていた95年「どうねん手帳」、遺書を書いた万年筆、マフラー、ネクタイ、靴、着衣等々)の返還を求めた。

2021年9月30日、東京地裁は訴えを棄却したが、トシ子さんは、2021年10月14日、東京高裁に控訴し、今も闘い続けている。(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44727
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44733
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44851

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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◆動燃の説明で強まる不信感と疑念

動燃は、トシ子さんに成生氏の死の経緯の説明など行わない一方、ささやかな葬儀を予定していたトシ子さんに、ハイヤーが6台入るようにもっと広い会場を、4人に弔辞を読ませる時間がないと困るなどと注文をつけ、葬儀を取り仕切った。

実際、葬儀には1500人もの参列者が訪れ、梶山静六官房長官(当時)はじめ田中真紀子氏ら国会議員、原発立地の県会議員、原発関連企業幹部ら「大物」の名前が並び、費用は西村家が出したにもかかわらず「社葬」のようだった、とトシ子さんは振り返る。「夫はもんじゅ事故騒ぎの鎮静化のために亡くなったというふうに、政治的に利用されているのではないか」。

 

トシ子さんは涙も見せず、葬儀を注意深く見ていた。「当日読まれた弔辞を全部あわせて読むとよくわかるんです」と、4人の弔辞内容が巧妙に連携されていたと説明する。科技庁・石田寛人事務次官の「明日へのエネルギー確保のための原子力」、動燃・大石博理事長の「もんじゅ事故の混乱」、関連企業ペスコ・竹ノ内一哲会長の「ホテルで1人で遺書を書き」、そしてT秘書役の「自ら命を絶った」と。

実際、成生氏の死後、動燃批判は一挙に沈静化したが、トシ子さんの疑念はますます強まっていった。葬儀の10日後、トシ子さんは、葬儀に献花した閣僚らに対し、動燃内の成生氏の事務机の封印について嘆願書を提出し、その10日後、科技庁事務次官から「奥さんの望むようにした」との返書が届いた。

一方、トシ子さんは大石理事長に、夫の死について何度も説明を求めたが、まったく返答はなかった。そんななか4月22日、T秘書役から「説明したい」と連絡があった。

T氏は、成生氏から遺書を受け取った1人であるが、夫の大学の同窓生でもあった。待ち合わせ場所は動燃本社ビル地下にあるスナックだった。トシ子さんは、そこに現れたT氏からてっきり動燃社内に案内されると思いきや、近所の居酒屋に案内された。

そこに大畑理事が現れ、T氏と2人で酒を飲み始めた。「夫の死の話をするのに、どういう神経をしているのかしら?」と訝しく思うトシ子さんに、T氏は「西村職員の自殺に関する1考察」と題した社用箋に手書きした文書を手渡した。

そこには、成生氏の死は、前日の会見で、本来上層部がビデオの存在を知ったのは、前年12月25日だったから、成生氏は「12月25日」と返答すべきところ、「1月10日」と言い間違えて返答してしまったことを苦に自殺したという内容だった。

「それは違う」。トシ子さんは咄嗟に思った。前述したように、夫の死後、トシ子さんに返された成生氏の鞄に入っていた記者発表の想定問答集には、「12月22日から1月11日の間」と記載されていたが、当日、2回目の会見で、大石理事長が「1月11日に初めて知った」と答えたことから、成生氏は、安藤理事、廣瀬広報室長と行った3回目の会見で、理事長発言の1月11日の1日前の「1月10日」と答えるしかなかったのである。

しかもその答えを、同席していた安藤理事や廣瀬広報室長も訂正しなかった。それは動燃の「統一見解」であったからだ。成生氏も仕方なく従うしかなかったのだ。成生氏が「言い間違えた」というなら、同席していた安藤理事、広報室長らが訂正したり、再度会見を開くことも可能だったのに、行っていなかった。

そんなトシ子さんの思いも知らず、T氏は「西村は発作的に自殺をしてしまったんだ。でも潔ったよ」と語ったという。

「事実は違うと思います。夫は当日、ホテルでファックスを受け取ったそうですが、その受信紙は今どこにあるんですか?」とトシ子さんは2人に問い詰めた。

すると大畑理事は、顔色を変え、突然店から出て行ってしまった。そのファックス用紙が存在すれば、刻印時刻に成生氏がホテルに宿泊し、その時刻まで生存していた第一級の証拠物であるというのに、警察と動燃は、その後の裁判においても証拠提出していない。

 

夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さん

◆夫の死後、初めて涙した日

数日後、自宅に〈「動燃もんじゅ大事故」と「ビデオ隠し」の犠牲者〉と題された記事が掲載された講談社発行の月刊誌が、差出人不明で届いた。内容は、先日聞いたT氏の「1考察」に沿う内容で、T氏自身も実名でコメントを寄せていた。

「数日前の奇妙な説明は、この記事が出る前、私を説得させるためのものだったのか」とトシ子さんは考えた。

1年後、その記事を見せた知人に「それは変だ。調べ直したほうがいい」と言われ、夫の遺体を死亡確認した聖路加国際病院の医師に説明を求め電話を入れた。

驚くことに医師は、トシ子さんからの連絡を待っていたという。成生氏の死に不信を感じていたのか、当日トシ子さんに話をするため霊安室に向かったが、入口で動燃職員に止められたという。

医師はトシ子さんに、(成生氏の遺体は)「死後、10時間くらい経って、病院に連れてこられたんですよ」と、驚くべき事実を伝えてきた。

直腸など身体の奥の外部の気温などに左右されにくく、常に約37度で安定している「深部体温」から推測すると、成生氏の死亡推定時刻は、動燃や警察が発表した午前5時頃よりかなり前だというのだ(法医学では気温が常温18度の場合、遺体の深部体温は1時間に1度低下するとされるが、1月で気温が低かったため、少なくとも午前1時までには死亡していたと推測される)。

監察医は、死体検案書に成生氏がホテル8階から転落、「即死」したのが午前5時頃と記載、搬送先の聖路加国際病院の医師が、死亡確認した時刻は6時50分で、その時の「深部体温」は27度と記載していた。

その後、トシ子さんが何人かの法医学者に尋ねたところ、午前5時から6時50分までの約2時間で、深部体温が10度も低下することについて、全員が「あり得ない」と答えた。

さらに、側頭部のレントゲン写真を撮ったところ、頭の中央部が白く映っており、脳幹に空気が入った状態だったことがわかった。脳幹には生命維持機能があり、脳幹に空気が入ると息が止まり、致命傷になるとのことだった。

数日後、トシ子さんは、聖路加国際病院が撮影した成生氏のレントゲン写真を受け取り、付添人と病院の庭園で封を開け、写真を見た。夫の頭蓋骨、胸郭には、骨折など目立つものは何もなかった。

「頭蓋骨骨折で…」と書いた新聞もあったではないか…。死んだ夫のレントゲン写真が、夫が8階からの飛び降り自殺ではない事実を証明してくれたのだ。霊安室でも葬儀でも泣かなかったトシ子さんが、その時初めて涙した。(つづく)

《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件──夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
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▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

※本稿は『NO NUKES voice』30号掲載の「『もんじゅ』の犠牲となった夫の『死』の真相を追及するトシ子さんの闘い」と『季節』2022年夏号掲載の「《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 なぜ西村さんは『自殺』しなければならなかったか」を再編集した全6回の連載レポートです。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

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