松岡利康(同志社大学学友会倶楽部 ホームカミングデーの集い実行委員会)
ホームカミングデーは同志社大学の正規の行事として毎年この時期に行われるものです。大学によれば、「ホームカミングデーとは、卒業生やその家族、教職員OBなどを大学に招いて歓待するイベントです。」ということです。
今出川校地には、大学の正規の諸イベント、サークルや団体などのOBが集まるイベントなどが多彩に催されます。
わが同志社大学学友会倶楽部も、これを利用し同大OBをゲストに招いて講演会やイベントを開催し、今回で11回目の集いとなります。
昨年10回目を終了し、今年から新たに第二期の活動に入りました。
「学友会」という名を冠するのであれば、やはりこれが最も輝いた時代、つまり1960年代から70年代はじめのことについて語らなければなりません。
当時活動されたみなさん、あるいは若い世代のみなさん、世代を越えて結集され、あの熱かった時代を想起し、当時と同じく戦争が続いている中で反戦の声を上げようではありませんか!
以下は、当日配布するレジメの内容です。
ご参加の方には、参考資料として先日刊行した前田良典小論選集『野の人』(非売品)を献本します。すでにお持ちの方には、担当者の出版社が発行している雑誌『紙の爆弾』『季節』などから1冊献本いたします。
また、今後、この活動を手伝ってくれる方(同志社OB)を募集します。さらに愛称(Ex.明大土曜会)も募集いたします。ご連絡をお待ちしています。

2025年11月9日 同志社大学学友会倶楽部 第11回ホームカミングデーの集い
1960年代 同志社ラジカリズムとは何だったのか?
本日の同志社大学学友会倶楽部の集いに結集されたすべてのみなさん、共に語り合い有意義なひと時を過ごそうではありませんか!
◆同志社大学学友会倶楽部とは?
1960年代から70年代初めにかけての時代、つまり〈二つの安保闘争〉を中心とした時代は、日本の転換期といわれ、高度成長下、政治、社会、文化・音楽面すべてにわたり大きな発展を遂げた時期でした。
その時代、私たちは同志社大学で青春のエネルギーを費やしました。当時東洋一といわれた旧学生会館での学術団、文連、放送局、新聞局、各学部自治会などで活動した私たちは、大学を離れても、なんとか親睦を深め続け記録に残す作業を行う目的で結成したのが「学友会倶楽部」で、60年代半ばの学友会委員長・堀清明さんを中心に20数年前から自然発生的に活動を行ってまいりました。学友会倶楽部名で出版した記録集としては、『アジビラは語る──60年代同志社学生運動』(2012年)があります。
年に二、三度、連絡を取り合い集まり歓談する機会がありましたが、2013年から、OBで、広く各分野で活躍している方を招いて講演会を開き毎回100名(最高は「伝説の学友会委員長」といわれた矢谷暢一郎さんの時で200名余)前後の方々が全国から集まられ、コロナ禍で開催できない時期を除き盛況のうちに10回を開催することができました。矢谷さんは、ブント内党内闘争で亡くなった望月上史さんと同期で共に活動しておられました(矢谷さんについては、私が出版させてていただいた2冊の著書をご一読ください)。
しかし、代表の堀清明さんや実行委員会スタッフの高齢化とこれに伴う健康不安により、所期の目標だった10回の講演会が終了したことなどで、重篤な持病を抱えつつ輝かしい同大学友会の運動とこの精神の継承のため長年頑張って来られた堀さんが一歩退かれ、実行委員会もひとまず解散、松岡が引き継ぎ本年から新たな態勢で幾分規模を小さくして再出発することになりました。堀さんの人格と経験に遙かに劣る松岡が果たして大任をこなせるか懸念されますが、学友会の歴史と精神を語り継ぐために精一杯奮闘いたします。
◆本年の企画概要
前記のように、同志社大学における文化・音楽、社会、政治(自治会)など多くの領域での活動は、わが国でもひときわ目立った存在でした。たとえば、文化・音楽面では、「関西フォーク」と呼ばれ一世を風靡しましたが、この中でも同志社大学は中心でした。岡林信康、はしだのりひこ、中川五郎(2018年ゲスト)、豊田勇造(2023年ゲスト)……。
また、ベトナム反戦運動の世界的拡がりの中で、「べ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の中心を担ったのも同志社の学生でした(私が入学した70年当時、学館別館1階にボックスがあり、学生会館ホールで開かれたべ平連主催の小田実やジェーン・フォンダの講演は衝撃でした)。
さらに学生運動においては、60年─70年の二つの反安保闘争、ベトナム反戦、沖縄返還問題が国民的関心となる中で、その圧倒的な戦闘性で全国の先進的学友を牽引しました。
こうした事実は、半世紀余りを経た今、いかなる意味を持ち、いかに歴史的評価をされるのか──このことが学友会倶楽部の一貫とした課題でした。
1962年に同志社大学に入学された前田良典さんが先頃、いわば、みずからの“回顧録”として、当時の出来事や記憶などを書き溜めたものを編集し、後輩有志の協力を得てまとめ出版されました(書名『野の人』)。知らなかったことも多い内容です。これに長年出版を生業としている松岡が編集・製作を手伝い、かつての熱気や記憶がよみがえってきて、当初他のテーマ(反原発、冤罪など)を考えていたところ、本年は、やはり“古くて新しいテーマ”を採り上げることにいたしました。
ちなみに、前田さんの著書出版を発案し、長年の癌との闘病をおして実際に原稿整理、編纂の中心を務められ、費用の半分も負担され、まさに人生最期の仕事として完遂された河本(品川)政春さんは、当時の典型的な同大の学生活動家で、本当に純真で真面目な方でした。今回の作業で日々やり取りする中で、河本さんの前田さんに対する敬愛の念、この作業を通して当時の自己の活動を必死に総括されようとする姿勢が直に伝わり感銘を受けましたが、本書の完成を見ることなく本年8月20日に亡くなられました。猛暑のさなかの作業で命を縮められたと思います。
また、前田さんも、自著の編集作業が身に堪えたようで、7月30日に突然、脳梗塞で倒れられました。2か月近く入院、現在リハビリ中です。本日も参加をお願いしましたが、残念ながら無理でした。
前田さんは一般的には無名に近い方ですが、かの塩見孝也さんと同期で、当時の京都の学生運動に関わった方々、とりわけ同大OBの中では知る人ぞ知る方です。また、藤本敏夫さんは、寮の1年後輩となります。松岡もこの寮の出身で、学費闘争で逮捕された際に、寮母さんに身元引受人になっていただきました。
今回は、前田さんの著書も参考資料に、同大OB、のみならず他大学OBの方や若い世代の方など多彩にお集まりいただいた皆様と共に、世界的にも国内的にも激動の時代だったといえる当時の出来事、そこにおいて同志社大学(のみならず京都や関西)の学生はいかに行動したのか、「同志社ラジカリズム」といわれる比類なき急進性、戦闘性などについて語り合いたいと考え標記のテーマを設定いたしました。
ウクライナやパレスチナで戦争が続き、60年代と似たような情勢になりつつある中で、私たちが後世に語り継ぐものとは? 私たちは老いても問い続けます。このたびの企画もその一環として開かれます。
◆同志社学生運動について──みずからの体験から考えてきたこと
同志社大学の学生運動が、その戦闘性と動員力で1960年代から70年代はじめにかけ〈二つの安保闘争〉をメルクマールとして全国の先進的学友を牽引し一時代を築いたことは、学生運動に関わったものなら誰もが知る歴史的事実ともいえることです。
私は1970年に入学した「遅れて来た青年」で、それまでの先輩方の活動を継承する形で学友会運動、これに密接にリンクする全学闘争委員会(全学闘)に関わりました。1970、71年入学というのは微妙な世代で、その前後の世代とは違ったものの見方があります。
同大では、大きな政治的攻防戦があったのは、他大学より遅れて、私も逮捕された1972年2・1学費決戦で100数十名の検挙、40数名の逮捕、10名の起訴者を出しました(69年の封鎖解除では徹底抗戦をせず逮捕者なし)。むしろ他大学に転戦して、例えば東大安田講堂では、支援の大学としては広島大学に次ぐ逮捕者を出しているほどです。
私が活動した70年代前半は、ある意味で良い時代でした。60年代の先輩方の闘いを継承し、追いつき追い抜くぞということ決意で、先輩方と共に沖縄闘争、三里塚闘争、学費闘争を一所懸命に闘うことができました。その後は、私たちを絶望させるような出来事が多く、いたずらに対立と分裂が拡大再生産され、権力と闘うというよりは「コップの中の嵐」ばかりにエネルギーを使わざるをえなかったようで後輩諸君にとっては気の毒な時代でした。私たちや先輩方の時代は、いわば一元支配で、他大学とは異なり、革マル派はじめ(東京ではまず革マル対策が第一だといいます)、他党派との軋轢などに気をつかう必要はなく、「コップの中の嵐」に巻き込まれることもありませんでした。
私個人の闘いとしては、主に71年の沖縄─三里塚闘争、学費闘争が中心で、学費闘争では明徳館屋上に拙い砦をこしらえ立て籠り徹底抗戦、逮捕・起訴され有罪判決を受けました。
以降、今に至るまで、当時どこにでもいたノンセクト活動家が、〈みずからの闘いの意味〉を反芻し、それを問い続けてきたつもりで、出版物も(東京の出版社とは異なり)同志社や関西の運動中心に採り上げてきました。出版を始めたのも、拙いながら、こうしたことをやりたかったからです。本日の集いも、この一環です。
同志社の学生運動について記述した出版物は、あれほど活発だった割には多いとは言えませんが、あるにはあり、『野の人』を除くと別紙に採り上げたぐらいです。このことは、同志社の活動家は、行動することが第一義で、記録に残すとか資料を蒐集するといったことには消極的な体質も一因としてあると思ってきました。
私は、2017年、ロシア革命100年、山﨑博昭虐殺50年に際し、〈政治的遺書〉とすべく、垣沼真一さん(京大70年入学。72年2・1学費決戦に支援にかけつけてくれ逮捕。仲間のМ君は起訴され無罪を勝ち取る)と『遙かなる一九七〇年代 京都──学生運動解体期の物語と記憶』を出版、以降シリーズ化し、毎年1冊出版してきました。みずから考えて来たことの〈総括〉の意味がありました。その最終巻が未刊で、果たしていつそれができるか、私の人生も先が見えてきたので、焦る昨今です。
本日は、前田さんの『野の人』編集─制作に触発されて、「時には昔の話を」(加藤登紀子)するのもいいだろうと、みなさん方と語り合えれば、と思います。
《進行予定》
12時30分 開場(受付開始)
13時00分 開始 主催者あいさつ
同 20分 カオリンズミニライブ開始
50分 同 終了
14時00分 問題提起(3名)
15時00分 討議開始
16時00分 終了
同 30分 撤収
主催:同志社大学学友会倶楽部
〒663-8178 兵庫県西宮市甲子園八番町2-1-301(株)鹿砦社気付
電話 0798-49-5302 FAX 0798-49-5309
メールmatsuoka@rokusaisha.com
代表・松岡利康(1970年文学部入学。71年文学部自治委員、72年文学部自治会委員長、73年第98回EVE[大学祭]実行委員長)
















