私はこの連載において、鳥取連続不審死事件の上田美由紀死刑囚の本質は「悪人」というより、「善悪の感覚が一般的な日本人と違う人物」だと指摘してきた。それゆえに私利私欲のために平気で人を殺せるし、人を殺したあとも何ら悪びれることなく、無実を訴え続けることができるのだ。端的に言えば、上田死刑囚とは「サイコパス」ということになるだろう。

その上田死刑囚のサイコパスぶりを示すエピソードとして、非常に印象深いことがある。それは、テレビ朝日「報道ステーション」の敏腕ディレクターだった岩路真樹氏(享年49)が2014年8月末に自死し、しばらくした時のことだった――。

◆岩路氏の死を悼む手紙を次々に送ってきたが・・・

〈岩路さんが亡っちゃいました。もう、ショックでショックでどうしようもありません。10/1に知りました。お亡りになったのは8/29だそうです。私に会いたいと言っておられたそうです。残念です(中略)大好きだったのに岩路さんの事・・・・47才ですよ。若すぎる..〉(2014年10月2日消印の葉書より)※以下〈〉内は引用。句読点を修正した以外、特に断りがない限りは原文ママ。

上田死刑囚からそんな内容の葉書が届いたのは2014年秋のことのだった。

私は当時、まだ裁判中だった上田死刑囚への取材を重ねていたうえ、鹿砦社の月刊誌「紙の爆弾」で上田死刑囚が連載する手記の入稿に協力していたこともあり、上田死刑囚と手紙をひんぱんにやりとりしていた。一方、司法関係の取材に熱心だった岩路氏も上田死刑囚への直接取材を重ねていたのだが、私と岩路氏は知り合いのため、上田死刑囚の手紙に岩路のことが書かれていることは以前からよくあった。そしてこの時も上田死刑囚はマスコミ関係者から岩路氏の死を知らされるや、ショックや悲しみの思いを私に伝えてきたのだ。

私はこの葉書の内容にまず“違和感”を覚えたのだが、そのことは後で述べる。ともかくその後も上田死刑囚は次々に私に対し、岩路氏の死を悼む内容の手紙を送ってきたのだった。

〈岩路さんの死を受け止めれない私に、岩路さんのインターネットの記事送って下さい。どうかお願いします。悲しくて、悲しくて、どうかお願いします〉(2014年10月6日消印の手紙より)

〈ダメです。私、立ち直れない。岩路さんの事が、受け止めれないです〉(2014年10月20日消印の手紙より)

〈私、岩路さんの事、受け止めれない嫌です。何で、私を連れてってくれないの、私を残すのでしょうか? 岩路さんは何で、連れて行ってくれなかったのでしょうか? 思っているよりダメージが大きいです〉(2014年10月30日消印の手紙より)

私はこうした手紙を見て、悲しみの表現が過剰だとは思ったが、上田死刑囚が少なくとも“現時点では”岩路氏の死を本気で悲しんでいるように思えた。それゆえに上田死刑囚から「紙の爆弾の連載で、岩路さんのことを書きたい」と言われた時は無下に断れず、編集部に掛け合った。結果、編集部のゴーサインが出て、同誌2014年12月号では「上田死刑囚による岩路氏への追悼文」を掲載されるはこびとなったのだ。

その内容は、ここでは紹介しないが、鳥取連続不審死事件や上田死刑囚のことを何も知らない人が読めば、岩路氏の死を本当に心から悼んでいるように思えるような内容だった。

◆岩路氏が亡くなる前はむしろ岩路氏のことを悪く言っていた

では、私がなぜ、上田死刑囚が岩路氏の死へのショックや悲しみの思いを綴った葉書に“違和感”を覚えたのか? それは、上田死刑囚がそれ以前、むしろ岩路氏についてネガティブなことを手紙に書いてくることが多かったからだ。たとえば次のように。

〈私は岩路さんを悪い人とは思いませんが、でも疑問が沢山あります〉(2014年2月26日消印の手紙より)

〈たしかに岩路さんは色々報道してる人です。でも、大切な事をスッポリと忘れている気がしました。だから私も連絡するのをやめましたし、母も、岩路さんに会いたくない、友人もイヤと言ったので、会わせませんでした〉(2014年3月17日消印の手紙より)

〈岩路さんに報道ステーションにて手記を出し私を知ってもらった方がいいと何十回も進められました。又、講談社へも声をかけて下さいましたが、当事者の私の気持ちが全く動かなかったんです。そのために岩路さんは東京から面会に来てくれましたが、私はダメでした。片岡さんと面会をし片岡さんの記事を見て私は、片岡さんに全てを話したい全てを知って欲しいと思いました〉(2014年9月26日消印の手紙より)

上田死刑囚が私のことを「同業者をけなせば、喜ぶ人間」と思っているかのようだったという話は以前書いた。手紙で私を褒めつつ、他の取材関係者のことを悪く言うことがとにかく多かったからだ。そんな上田死刑囚はこのように手紙で岩路氏のことを悪く言いつつ、私のことを持ち上げることもよくあったのだ。

上田死刑囚の2014年9月26日消印の手紙。岩路氏のことを悪く言いつつ、筆者を持ち上げている

◆嘆き悲しむ今の自分と以前の自分の矛盾に何も気づかず・・・

さらに岩路氏の死後、あるインターネットメディアで岩路氏が上田死刑囚の告白本を大手出版社から出そうと動いていたという話が報じられると、その記事の写しを私から入手した上田死刑囚はこんなことを言い出した・・・。

〈インターネットに載ってた事は事実です。講談社の方が動いていました。手記もある程度渡っていました。もう少しで出版だったのに弁が止めたのです。悔やみます〉(2017年11月17日消印の手紙より)※原文では、弁という字を〇で囲んでいる。

上田死刑囚の2014年11月17日消印の手紙。岩路氏の死後、あたかも岩路氏の助力で出版が実現しそうだったと言い出した

読者には、上田死刑囚が岩路氏の死を知らなかった時期に書いた前出の2014年9月26日消印の手紙とぜひ読み比べてみて欲しい。「岩路が亡くなったのを知らなかった時期の手紙」と「岩路氏が亡くなったことを知った後の手紙」では、上田死刑囚はまったく真逆のことが書いてきたのである。おそらく本人は、自分の矛盾に何も気づいていないのだと思うが、それにしても凄まじい手の平の返し方である。

もっとも、上田死刑囚が少なくも岩路氏が亡くなった時点では本気で死を悲しんでいるのなら、それは一応、人間らしいと言えるだろう。しかしその後、上田死刑囚は岩路氏の生命をまさに愚弄するようなことを仕出かした。その時は私もさすがに堪忍袋の緒が切れ、上田死刑囚にずいぶん厳しいことを言ったのだが、そのこともまたいつか話したいと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

クロは動かしがたい状況の中、無実を訴え続けた上田美由紀死刑囚が昨年7月に上告を棄却された鳥取連続不審死事件。上田死刑囚は死刑確定後、刑場のある広島拘置所に移送されており、社会を騒がせた鳥取連続不審死事件もすでに終結した感がある。

だが、私は、この事件はまだ終わっていないと思っている。なぜなら、私は、裁判中に上田死刑囚に対して行っていた直接取材を通じ、上田死刑囚が他者の財産や生命は簡単に奪うが、自分の財産や生命を奪われることは絶対許さない人物だと確信しているからだ。上田死刑囚は今後も死刑執行を免れるために無実を訴え続け、再審請求を繰り返すことは間違いないだろう。

そこで当連載では、上田死刑囚の裁判や裁判終結後の処遇が公正か否かを見極めるうえで参考になるような情報を今後も提供し続けたい。今回は、事件前に上田死刑囚の周辺で起きていた3件の火災について紹介する。

◆最初の火災は上田死刑囚が暮らしていた県営住宅で発生

1件目の火災が発生したのは、2001年11月29日。鳥取連続不審死事件が表面化する8年前のことで、上田死刑囚は当時まだ20代。結婚を2回している上田死刑囚だが、この頃は1回目の結婚生活を送っており、現在とは名字が異なっていた。

現場は、鳥取市の隣にある八頭郡の山すその町にある県営住宅の1棟だ。この棟には2つの部屋があり、1つの部屋には高齢の単身入居者、もう1つの部屋には上田死刑囚とその家族が住んでいた。同日午後1時35分頃、外出中だった高齢の単身入居者の部屋から出火し、この部屋は全焼したという。

現地の人たちに取材したところ、上田死刑囚による放火を疑う声も聞かれたが、鳥取県庁の担当者によると、「火災の原因は不明」という。上田死刑囚の家族が暮らしていた部屋には延焼しなかったそうだが、建物は1棟丸ごと取り壊されてしまった。

上田死刑囚が暮らしていた県営住宅は火災後、更地に

◆上田死刑囚と金銭トラブルになっていた被害者宅で不審なぼや

2件目の火災については、裁判でも上田死刑囚の関与が取り沙汰されている。発生は2009年2月26日。現場は、上田死刑囚に殺害された被害者の1人で、トラック運転手の矢部和実さんの鳥取市内にある自宅だった。不幸中の幸いで、ぼやで済んだが、矢部さんは翌27日、警察官の事情聴取に対し、次のように話していたという。

「昨日、上田死刑囚がうちで食事をして帰ったあと、眠っている間に火災が発生しました」「もしかしたら誰かに殺されそうになったかもしれません」

警察官が「誰かとは上田のことか」と尋ねたところ、矢部さんは否定も肯定もしなかったそうだが、矢部さんと上田死刑囚の間では当時、金銭トラブルが生じていた。普通に考えれば、矢部さんは上田死刑囚のことを疑っていたのだろう。

死刑が維持された控訴審判決公判後、「ほっとした」と語った矢部さんの兄

ぼやの7日後にあたる3月5日、矢部さんと上田死刑囚の間では、貸主を矢部さん、借主を上田死刑囚、連帯保証人を上田死刑囚の同居男性とする金銭借用証書が作成されている。その金額は270万円で、返済期限は同月31日。債務の内容は定かではない部分もあるのだが、矢部さんが上田死刑囚に対し、かなり強く返済を求めていたとみるのが妥当だろう。

しかし、返済期限を4日過ぎた4月4日早朝、矢部さんは上田死刑囚と共に車で日本海に向かったのちに失踪し、1週間後に日本海沖で遺体となって見つかったのである。

矢部さん宅の火災については、上田死刑囚による放火事件として立件されたわけではないが、上田死刑囚と何も関係ないと考える人は少ないと思われる。

◆罪を押しつけられそうになった男性の実家で土蔵が全焼

そして最後の1件の火災は、矢部さんの死の2カ月後にあたる2009年6月9日に起きている。発生現場は、上田死刑囚が当時同居しており、取り込み詐欺を一緒に行っていた男性の鳥取市内にある実家だった。家族が全員外出して留守だった午前10時ごろ、土蔵から出火。けが人はいなかったが、木造2階建ての土蔵は全焼したという。

同居男性の実家で起きていた火災を伝える日本海新聞2009年6月10日の記事

この男性は、上田死刑囚から「金を得るための道具」として使われていた感が否めないこと(2017年8月16日付け当連載記事)や、裁判で上田死刑囚から罪を押しつけられるような主張をされたということ(2017年6月30日付け当連載記事)はすでにお伝えした通りだ。そんな男性の実家で火災が発生したのは、まさに男性が上田死刑囚と一緒に取り込み詐欺を繰り返していた最中のことだ。そのためか、2人を知る関係者からはこの火災についても上田死刑囚の関与を疑う声が聞かれた。

私が男性に取材を申し込んだところ、男性は電話口で「私には生活がありますんで」などと言うばかりで断られてしまったことはすでにお伝えした。しかしそんな中、男性はこの火災について上田死刑囚のことを疑っているのではないかという雰囲気が感じられたのも事実だ。

私は上田死刑囚が最高裁に上告していた頃、この3件の火災について、「すべての火災は上田さんが放火したのではないかと疑っている」と手紙で上田死刑囚に伝えてみたが、上田死刑囚から返事はなかった。

結局、「真相は闇の中」というほかないが、私は1つだけ確信していることがある。それは、上田死刑囚が本当のことを話す日は永遠にこないだろうということだ。

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田死刑囚は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田死刑囚は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。2014年3月、広島高裁松江支部で控訴棄却、2017年7月に最高裁で上告棄却の判決を受け、死刑が確定。現在は死刑確定者として広島拘置所に収容されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今年7月、最高裁に上告を棄却され、死刑判決が確定した鳥取連続不審死事件の上田美由紀死刑囚。捜査段階から一貫して無実を訴えてきたが、その有罪認定が妥当であることは当連載で報告してきた通りだ。

上田死刑囚はすでに死刑場のある広島拘置所に移送されており、今後は死刑執行まで同拘置所で過ごすことになる。だが、本人への取材を重ねてきた私は、上田死刑囚が今後、死刑執行を免れるために再審請求を繰り返すことを確信している。

当連載では、上田死刑囚がどんな人物で、本当は一体何をやったのかについて、引き続き取材結果を報告していく。私はそのことにより、死刑制度の見過ごされてきた問題も浮き彫りにできると考えている。

上田死刑囚が逮捕前に暮らしていた家は取り壊されて畑に……

◆最初の印象は「むしろ弱々しい感じ」

私は当連載の第1回で、松江刑務所で裁判中の上田死刑囚と初めて面会した際、「人当たりのいい人物」のように思えたと書いた。

というのも、報道では、巨躯で化粧の濃い怪人物であるような写真が流布していた上田死刑囚だが、実際に会ってみると、肥満体型ではあるものの、身長は150センチあるかないかというほど小柄で、むしろ弱々しい感じだった。男たちを次々に騙し、貢がせ、殺害した疑惑は本当なのだろうかと疑問を抱かせる雰囲気を醸し出しているのである。

実際、私だけではなく他の取材関係者の中にも上田死刑囚について、「実際に会ってみると、悪い人間には思えなかった」とか、「むしろいい人に思えた」とか言う者は複数いた。それもまた上田死刑囚なのである。

◆最初はとにかく人を褒めるが……

面会や手紙のやりとりをするようになった最初のうち、上田死刑囚はとにかく人のことをよく褒めていた。

まず、私に対しても、上田死刑囚は会うたび、手紙のやりとりをするたびにあれこれと褒めてくれた。たとえば、過去に書いた記事のコピーを差し入れると、「片岡さんが書いた記事はどっしりきます」などと言い、「片岡さんには何でも話せそうに思います」「片岡さんと会えて本当に良かったです」などと誉め言葉を並べ立てた。

このように臆面もなく褒められると、お世辞だと思っても悪い気はしないものだ。また、上田死刑囚は勾留されている刑務所の職員、一審の弁護人ら私以外の周囲の人物についても、「いつもよくしてくれている」「自分のために本当にがんばってくれた」などと感謝するようなことをよく言った。私は正直、当初は上田死刑囚のそういうところにも好印象を抱いた。

さらに上田死刑囚は「自分のところには、差し入れてもらった本がたくさんある。それを片岡さんに送るから、誰か取材している収容者の人に差し入れてあげて欲しい」「片岡さんには友人たちに会ってもらおうと思っています。友人たちもマスコミが嘘ばかり書いてひどいから、本当のことを話したいと言っています」などということを口にした。

そういうことについても、一体どこまで本当なのかと思いつつ、悪い印象は抱かなかった。しかし交流を重ねるうち、上田死刑囚は次第に「本当の素顔」をあらわにしてきたのである。

◆最初に感じたストレス

私が上田死刑囚について、最初にストレスを感じたのは、取材関係者の悪口をよく言うことに関してだ。上田死刑囚は疑惑が表面化した当初、マスコミに散々悪く書き立てられていた。それゆえに取材関係者のことを悪く言うこと自体は仕方がない。私がいやだったのは、上田死刑囚が私を褒める際、他の取材関係者の名前を挙げ、いちいち悪く言っていたことだ。

「××さんや〇〇さんとも会いましたが、私は信頼なんてできませんでした」
「××さんや〇〇さんの記事は嘘が多いです」
「××さんや〇〇さんより片岡さんは立派な方だと思います」

私も人間だから、同業者と比較されながら自分のことを褒められ、当初は悪い気はしなかった。しかし、それが延々と続くうち、「同業者をけなせば、喜ぶ人間」と思われているのではないかと感じるようになった。

しかも上田死刑囚は人のことを悪く言う一方で、上記のような「本を送る」とか「友人たちに会ってもらう」などという自分から言い出した話がまったく実現しなかった。そして私が「あの話はどうなったのか」と尋ねると、あれやこれやと言い訳して、はぐらかす。

そんな上田死刑囚に対し、私はストレスを蓄積していった。

◆被害者のことまで貶める

このように交流を続けるうち、人の悪口をよく言うようになった上田死刑囚だが、私がとくに印象に残っているのが被害者のことも悪く言っていたことだ。

「あのスナックには絶対に行かないでください。あそこの人間は私について、嘘ばかり言うからです」

上田死刑囚は私に対し、逮捕前にホステスとして勤めていたスナックのことをそう言った。マスコミに「デブ専スナック」と揶揄されたこのスナックは上田死刑囚の疑惑が表面化した際、マスコミの取材がかなり多く入っており、この店の経営者らの話に基づいて上田死刑囚が客の男性たちを次々に篭絡していたような話が報道されていた。それゆえに上田死刑囚は私に対し、このスナックで取材させたくないと考えたのだろう。

しかし実をいうと、上田死刑囚は逮捕前、この店の女性経営者の家にも泥棒に入り、現金約35万円などを盗んでいたことが明らかになっている。しかもそのことについては、上田死刑囚本人も裁判で容疑を認めているのである。

どうも上田死刑囚は、私がそのことを知らないと思っていたようなフシもあるのだが、自分に不都合なことを隠すためなら、被害者のことまで平気で貶めるところには、さすがに驚きを禁じ得なかった。

もっとも、私はこのように上田死刑囚の悪い面を見つつも、上田死刑囚のことを根っからの悪人だとは思えないでいた。さらに言えば、実は今でも上田死刑囚のことを悪人だとは認識していいない。悪人ではなく、「異常者」と理解したほうがしっくりくるからだ。

取材の記録をひもときながら、そのことをおいおい書いていく。

上田死刑囚が収容されている広島拘置所

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田死刑囚は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田死刑囚は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。2014年3月、広島高裁松江支部で控訴棄却、2017年7月に最高裁で上告棄却の判決を受け、死刑が確定。現在は死刑確定者として広島拘置所に収容されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

借金の返済を免れるためなどに2人の男性を殺害するなどした罪に問われた上田美由紀被告(43)が最高裁に上告を棄却され、死刑判決が確定することになった鳥取連続不審死事件。裁判の最大のキーマンは、上田被告と同居していた男性A氏だった。

A氏は事件前、上田被告と共に取り込み詐欺を繰り返し、窃盗にも手を染めて実刑判決を受けたという人物だ。上田被告の裁判では検察側の最重要証人として法廷に立ち、上田被告が2件の殺人を実行したことを裏づける重要な証言をしている。このA氏も上田被告に関わって以来、何かと大変な目に遭っているのだが、今回はそのことを紹介したい。

◆有力な目撃証言をした同居男性

裁判の認定によると、上田被告は09年4月、270万円の債務の返済を免れるために交際していたトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませ、海の中に誘導して溺死させた。同10月には家電の代金約53万円の支払いを免れようと、電化製品販売店を営む圓山秀樹さん(同57)も同様の手口により川で殺害したとされる。

このような事実認定がなされるうえで欠かせなかったのが、A氏の次のような証言だった。

【矢部さん殺害事件に関するA氏の証言の要旨】

「私は事件当日、矢部さんと行動を共にしていた上田被告から電話で連絡をうけ、事件現場の砂浜まで車で迎えに行きました。すると、上田被告は全身がずぶぬれ状態で、一緒にいたはずの矢部さんの姿は見当たりませんでした。その後、しまむら倉吉店まで上田被告と一緒に行き、上田被告が着替えるための衣類を私が購入し、上田被告はラブホテルで着替えをしました」

【圓山さん殺害事件に関するA氏の証言の要旨】

「私は事件当日、上田被告に言われるまま、眠そうな状態の圓山さんを車で事件現場の川の近くまで連れて行きました。その後、私は上田被告に言われて一度現場を離れましたが、上田被告から迎えに来て欲しいという電話をうけて再び車で事件現場の近くまで行きました。すると、上田被告は下半身が濡れた状態で、『圓山さんと話していたら突然殴られ、圓山さんがいなくなった』と言っていました」

このような上田被告の犯行を目撃したに等しいA氏の証言は、携帯電話の記録やしまむら倉吉店のレシート、カーナビの履歴などの客観的証拠により裏づけられていた。私はこれまで被告人が無実を訴える殺人事件を数多く取材してきたが、これほど有力で、信ぴょう性の高い目撃証言が存在する事件を他に知らない。

では、そんなA氏が上田被告と関わって以来、一体どんな大変な目に遭っているのか。A氏は現在、上田被告と一緒に犯した取り込み詐欺や窃盗の被害者に1人で償いをしているのである。

上田被告が矢部さんを殺害後、着替えるために利用したとされるホテル

◆1人で矢面に立たされている同居男性

私が最初にそのことを知ったのは、事件当時、上田被告やA氏と近所づきあいをしていた男性B氏に取材した時のことだ。というのも、取り込み詐欺を繰り返していた上田被告とA氏はB氏に対しても米や車を売ってやると嘘を言い、多額の金を騙し取っていたのだが、B氏は次のような話を聞かせてくれた。

「私は事件後、騙し取られた金を取り戻すためにAを相手取り鳥取地裁に損害賠償請求訴訟を起こしました。その結果、Aに対し、私に100万5400円を支払うように命じる判決が出たのですが、Aは出所後、ちゃんと仕事を見つけて働いており、私に毎月1万円ずつ支払い続けているのですよ」

また、上田被告とA氏は共謀し、上田被告が働いていたスナックのママの家に侵入して現金約35万円などを盗んでいたのだが、スナックのママによると、A氏はママにも少しずつ盗んだ金を返しているという。

こんな話をすると、「犯罪者が被害者に償いをするのは当たり前」と思う人もいるかもしれない。そういう考え方を否定するつもりはないが、A氏も上田被告との関係で言えば、被害者だということは指摘しておきたい。

というのも、A氏は元々、自動車の販売店に勤めていた妻子持ちの真面目な人間だった。しかし、上田被告と知り合って肉体関係を持ったことから上田被告に「三つ子を妊娠した」と嘘をつかれ、「養育費を支払って解決したいならば、3000万円を支払うように」などと求められて1000万円以上を渡しているのだ。そればかりか妻子のいる家を出て、上田被告と同居し、取り込み詐欺をやるようになったのだが、2人を知る人たちによれば、明らかに主導権は上田被告が握っていたという。事実関係を見る限り、A氏は上田被告に金を得るための道具として使われていた感が否めないのだ。

さらにこんな話も聞いた。

「Aは殺害行為に関与していないとはいえ、被害者遺族から見ればAは上田被告の共犯です。そのため、被害者遺族の1人がAの家をつきとめ、怒鳴り込んだのですが、Aは必死に謝っていたそうです」(関係者)

一方、B氏やスナックのママによると、上田被告からは償いどころか謝罪1つないという。つまり、A氏は上田被告に人生をボロボロにされた挙げ句、現在は上田被告と一緒に犯した罪に関し、1人で矢面に立たされているわけである。

A氏は現在、再び妻子と一緒に生活している。私はそんなA氏に対し、上田被告への思いなどを聞くべく取材を申し込んだが、A氏は電話口で「私には生活がありますんで」などと言うばかりで、結局、取材には応じてくれなかった。しかし、その語り口から元々は真面目な人間だったというのが改めてよくわかった。だからこそ、A氏も上田被告との関係では被害者だと私は自信を持って言えるのだ。

ネット上などでは、A氏について、あたかも裁判で上田被告を貶める虚偽の証言をしたかのように言っている人が散見される。そういう人はおそらく、A氏が上田被告と一緒に取り込み詐欺などを繰り返していたため、警察や検察に弱みにつけこまれた可能性を疑っているのではないかと思う。しかし、単なる憶測でそういうことを言うのはやめて欲しいと切に願う。上田被告との関係では、A氏も被害者なのだから。

上田被告は矢部さんを殺害後、A氏がこの店で購入した衣類に着替えたとされる

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部で控訴棄却、今年7月に最高裁で上告棄却の判決を受け、死刑が事実上確定した。

《鳥取不審死・闇の奥》
《01》「悪」とは別の何かに思える被告人
《02》弁護人も悲しげな表情で聞く被告人の荒唐無稽な弁解
《03》様々な点が酷似していた2つの殺人事件
《04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告
《05》上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」
《06》被害者遺族が語る 死刑が確定する被告への思い
《07》有力な目撃証言をした「同居男性」の苦難

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

一、二審共に死刑とされながら、無実を訴え続けていた鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)の上告審で、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は7月27日、上田被告の上告を棄却し、死刑を事実上確定させた。2009年に事件が表面化してから8年。ようやく裁判が終結しつつある今、被害者の遺族は何を思うのか。上田被告に殺害された2人の男性のうち、圓山秀樹さん(享年57)の次男・賢治さん(42)に話を聞いた。

7月27日、上田被告の上告審判決があった最高裁

◆「とうとうこの日が来た」

「予想通りで、わかりきったことでしたが、やはり結果を聞くと、こみ上げてくるものがありましたね」

上田被告の上告審判決は仕事の都合で最高裁まで傍聴に行けなかったという賢治さん。当日は兄たちと一緒に鳥取市内でマスコミの取材に応じ、「上告棄却」の第一報は会見場で記者から聞かされたという。その時のことを振り返る言葉には万感の思いが込められていた。

賢治さんの父・圓山秀樹さんは2009年10月、上田被告に睡眠薬を飲まされ、川の中に誘導されて溺死させられた。上田被告がこのような犯行に及んだ動機は、家電代金約53万円の支払いを免れるためだったとされる。事件当時、上田被告は同居していた男性と共謀し、取り込み詐欺を繰り返しており、電器店を経営していた圓山さんからも「代金後払い」の約束で洗濯機など家電6点の交付を受けていたという。

そんな圓山さんは事件前、周囲の人に「代金を支払わない女性客がいる」と漏らしていた。そして事件当日の朝、上田被告から電話をうけ、「集金に行く」と言って出かけたまま、行方不明に。翌日、川で遺体がうつぶせ状態で浮かんでいるのが見つかったのだが、実は賢治さんはその現場に駆けつけ、遺体の発見者にもなった。「上告棄却」の報を聞いた際はその時のことも思い出したという。

「それから8年間ずっと毎日、父の仏壇に手を合わせてきました。『とうとうこの日が来た』『長かった』と思いましたね」

被害者の遺族にとっては、上田被告の死刑判決が確定することはまさに悲願だったようだ。

話を聞かせてくれた被害者遺族の圓山賢治さん

◆上田被告は「血も涙もない」

「父は母と離婚しているんですが、そのぶん僕や兄のことを気にかけてくれていました。僕や兄同様、父もバイクなどの乗り物が好きで、趣味も合った。だから、僕や兄は事件当時もよく父のところに遊びに行っていたんです」

賢治さんは圓山さんとの思い出をそう振り返る。生前の圓山さんは「『よく商売ができるな』と思うほど、とにかくむちゃくちゃ優しい性格で、まったく怒らない人」だったという。ただ、人が良いためか、経済的なことでは何かと苦労が絶えなかったようだ。

「今は量販店がありますから、父のような個人経営の電器店は家電の販売では儲かりません。父の仕事は主に電気工事でした。ずっと日曜日も関係なく働いていて、お酒を飲まないので、お客さんから修理のために夜呼ばれることもありました。そのうえ、自宅で祖母の介護もしていましたから生活は大変だったはずです。父にとっては、1万円でも大事なお金だったと思います」

上田被告はそんな圓山さんから「代金後払い」の約束で約53万円の家電を購入し、結局、代金の支払いを免れるために殺害してしまった。賢治さんはそんな上田被告について、「血も涙もないですよね」というが、遺族がそう思うのは当然のことだろう。

「父は甘いところがあり、支払いについても『待って』『待って』と言われたら、待ってしまう性格でした。だから、上田に狙われてしまったんじゃないかと思います」

◆「とにかく上田が死ぬのを待つだけ」

この連載の第1回で書いたことだが、上田被告は私と面会や手紙のやりとりをする中、まったく悪びれた様子もなく不自然きわまりない主張をし、「冤罪」を訴えながら様々な人を貶めることを述べていた。賢治さんによると、裁判中も上田被告はケロッとした様子で罪悪感を一切覚えていないように見えたという。

だからこそ今、賢治さんは上田被告に対して、こう思う。

「僕はとにかく上田が死ぬのを待つだけです。上田が生きているうちは、事件が解決したとは思えないので。上田は人の生命を粗末に扱ったのだから、自分も同じ報いを受けて欲しいです」

《鳥取不審死・闇の奥》
《01》「悪」とは別の何かに思える被告人
《02》弁護人も悲しげな表情で聞く被告人の荒唐無稽な弁解
《03》様々な点が酷似していた2つの殺人事件
《04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告
《05》上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」
《06》被害者遺族が語る 死刑が確定する被告への思い

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2人の男性を殺害するなどしたとして一、二審共に死刑とされながら、無実を訴え続ける鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)。その上告審を担当している最高裁第一小法廷はこのほど、6月27日午後3時から判決公判を開くと決めた。

私は当欄でお伝えしてきた通り、上田被告に対する一、二審判決の有罪認定は妥当だと思っている。そして去る6月29日、最高裁第一小法廷で開かれた上告審弁論を傍聴した結果、もはや何かの間違いで一、二審判決が覆る可能性も皆無になったと思った。上田被告の無罪を主張する弁護人の弁論がかえって上田被告の「クロ」を動かしがたく証明していたからである。

◆あっというまに終わった上告審弁論

6月29日の午前10時30分から最高裁第一小法廷で始まった上田被告の上告審弁論。傍聴券の抽選こそ行われなかったが、最終的に48の傍聴席は満席となり、この事件に関心を持つ人が世間にはまだそれなりに存在することが窺えた。

だが、いざ開廷すると、上田被告の無罪を主張する弁護人の弁論は約20分、上田被告を有罪・死刑とした控訴審までの判断は妥当だとする検察官の弁論は10分もかからず、公判はあっというまに終わった。そんな最終審理で何より印象深かったのは、弁護人の無罪主張の内容があまりに苦しく、かえって一、二審判決の有罪認定にスキがないことを際立たせていたことだ。

6月29日に上田被告の上告審弁論が開かれた最高裁

◆睡眠薬の薬効が出たことは証明されていないと言うが……

一、二審判決によると、上田被告は2009年4月、借金270万円の返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろうとさせたうえ、海に誘導して溺死させた。さらに同10月、電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で殺害したとされる。

弁護人がそんな一、二審判決を覆すため、上告審弁論で示した「無罪の根拠」は2点ある。

1点目は、「2人の被害者に睡眠薬の薬効作用が発現していたことが証明されていない」ということだ。弁護人は、2人の遺体の血液中における睡眠薬成分の濃度などが調べられていないことを根拠にそのような主張をしたのである。

しかし、事実関係を知る者からすると、この弁護人の主張はかなり無理がある。捜査段階に行われた鑑定によると、矢部さんも圓山さんも血液や胃内容物などから睡眠薬や抗精神薬の様々な成分が検出されているし、2人が海や川で溺死した事情が自殺や事故であることは現場や遺体の状況から考え難かった。客観的事実は2人が何者かに睡眠薬を飲まされ、意識もうろう状態で海や川に誘導されて溺死したことを動かしたく裏づけていたのである。

しかも、2人の遺体から検出された睡眠薬や抗精神薬の成分の組み合わせは、上田被告の知人男性が鳥取市内の病院で処方され、上田被告の手に渡ったとされる睡眠薬や抗精神薬の成分の組み合わせと一致していた。この睡眠薬や抗精神薬を上田被告の知人男性に処方した主治医は「私がこれまで1000人以上診察した患者の中には、同じ組み合わせで睡眠薬や抗精神薬を処方した患者はいなかった」と証言している。

2人の被害者が睡眠薬を飲まされて殺害されたことや、飲まされた睡眠薬と上田被告が結びつくことがこれほど確かな根拠をもとに認定されているのである。弁護人の主張するような根拠で、睡眠薬を使った殺害行為を否定するのは無理だと言わざるをえない。

◆「再現実験」もしていたが……

弁護人が上告審弁論で示した無罪の根拠の2点目は、「一、二審判決が認定したような犯行は架空の物語で、上田被告には不可能」ということだ。矢部さんが海の中に誘導されたとされる砂浜、圓山さんが川の中に誘導されたとされる橋の下はいずれも足場が悪かったり、段差があったりするため、上田被告が意識もうろう状態の被害者を誘導し、そのような犯行に及ぶのが「不可能」だというのだ。

しかし、私は両方の現場を実際に訪ねてみたが、いずれの現場も一、二審判決が認定したような犯行が不可能だとはまったく思えなかった。弁護人たちは圓山さんが殺害されたとされる川では再現実験もしており、「男性の我々でもそういうことはできなかったのに、女性の上田さんにそういうことは不可能」とも主張していたが、この主張にいたっては逆に上田被告を有罪に追い込んでいるように思えた。

というのも、当欄でお伝えした通り、上田被告は控訴審の公判において、事件当時に同居していた男性A氏が真犯人であることを明言したに等しい供述をしている。「男性でも犯行が不可能」という弁護人の主張は、この上田被告の控訴審での主張を否定しているに等しい。

圓山さんが殺害された場所は橋の向こう側。道幅は狭いが、歩けないほどではない

◆「弁護人が『クロ』を証明した」という意味

さて、ここまで上告審弁論における弁護人の主張を否定してきたが、実を言うと私は上田被告の2人の弁護人のことをむしろ熱心で、優秀な人たちなのではないかと思っている。

私は主任弁護人とは会って話したことがあるが、東京の弁護士なのに、上田被告が拘禁された松江刑務所までしばしば面会に行っているようなことを言っていた。わざわざ東京から鳥取まで行って、殺害現場の川で実験をしたという話にもよくもまあ、わざわざ・・・と本当に頭が下がる思いだった。2人の弁護人は国選である。金銭的に大赤字だろう。

そんな熱心で、優秀な弁護人たちでもこのような無理筋の無罪主張しかできないのだ。だからこそ、私は弁護人の弁論がかえって上田被告の「クロ」を動かしがたく証明したというのである。

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

《鳥取不審死・闇の奥》
《01》「悪」とは別の何かに思える被告人
《02》弁護人も悲しげな表情で聞く被告人の荒唐無稽な弁解
《03》様々な点が酷似していた2つの殺人事件
《04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告
《05》上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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2009年頃に社会の耳目を集めた鳥取連続不審死事件で、2人の男性を殺害するなどしたとして強盗殺人などの罪に問われ、無実を訴えながら死刑判決を受けた上田美由紀被告(43)。その最終審理とも言える上告審弁論も6月29日に最高裁で開かれ、あとは最後の判決を待つばかりだ。

私はこの連載で2つの殺人事件について、事件当日の上田被告や被害者の足取りをたどるなどしたうえで上田被告の無実の訴えは無理があることを論証してきた。

今回は2つの殺人事件のうち、上田被告が2人目の被害者・圓山秀樹さん(当時57)を殺害したとされる事件について、上田被告の弁明がどんなものだったかをみてみよう。

◆同居していた男性が真犯人であるかのように弁明

一、二審判決の認定によると、上田被告は2009年10月、電化製品の代金約53万円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろう状態に陥らせたうえ、摩尼川という川の上流で溺死させたとされる。

そして事実関係を見ていくと、事件当日の朝、圓山さんは内縁関係にあった女性に「集金に行く」と言って、用意された朝食も食べずに外出。そしてほどなく上田被告と合流し、殺害現場のほうに車で向かったのちに行方が途絶え、翌日、川の中で溺死体となって見つかっている。

加えて、上田被告は同年4月、借金270万円の返済を免れるために殺害したとされる1人目の被害者・矢部和実さん(同47)が失踪した当日も朝から矢部さんと行動を共にしていた。そして一緒に車で殺害現場である海まで向かったのち、矢部さんはそのまま行方不明になり、後日、溺死体で見つかっている。このように2つの事件が酷似した経緯をたどっていることを「単なる偶然」だと思う人はいないだろう。

そして2つの殺人事件では、上田被告の弁明も酷似していた。矢部さんが殺害された事件について、上田被告が当時同居していた男性A氏のことを犯人であるかのような弁明をしているのはすでに述べた通りだが、上田被告は圓山さんの殺害についてもA氏の犯行だったかのように主張しているのである。

圓山さんが殺害された当日、上田被告と一緒に赴いた岩戸港

◆詳細に事件当日のことを語ったが……

裁判の第一審では黙秘した上田被告。控訴審の法廷で黙秘を撤回し、圓山さんの事件について弁明した供述の要旨は次の通りだ。

・・・・・以下、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

私は事件当日、知人の運転する車で、ファミリーマート鳥取丸山店に寄って、コーヒー、タバコ、お茶を購入した後、圓山さんが経営する電気工事業の事務所に赴き、圓山さんと合流しました。そして圓山さんの運転する車の助手席に乗って喫茶店に赴き、モーニングを食べ、その際に圓山さんから「電化製品代金のことでAと話がしたい」と言われたので、Aに電話をしました。そしてAに対し、圓山さんの言う通りに待ち合わせ場所を説明したのです。

それから、私は圓山さんの運転する車で、当時は名前を知らなかった岩戸港まで移動しました。そして岩戸港に到着後、10分か20分すると、Aが車を運転してやってきました。すると、圓山さんが「Aと1対1で話がしたい」と言ったため、圓山さんの車の助手席に座っていた私はAと交替しました。そして私はAが乗ってきた車の運転席で2人の話し合いが終わるのを待っていましたが、途中、自動販売機で買った缶コーヒー2缶を2人が乗っている車に差し入れました。

しばらくすると、Aと圓山さんが車から降りてきて、運転席に座っていた圓山さんが助手席に座り、助手席に座っていたAは缶コーヒー2本を海に投げ捨ててから、車の運転席に乗り込みました。そしてAは私に対し、「圓山さんは気分が悪いみたいだ。車を運転し、ついてくるように」と言い、圓山さんの車を運転して岩戸港から出発しました。そこで私も車を運転し、Aが運転する圓山さんの車についていったのです。

それからAは殺害現場の川のほうに車を走らせて行きましたが、その途中、Aの運転する車の助手席に座った圓山さんが窓に頭をもたれかけているのが見えました。それから私はクラクションを鳴らしてAの運転する車を停めさせ、Aに「ついていきたくない」と言いました。私は無免許運転だったため、このまま一本道を行くと、後ろからついてきていると思っていた警察に捕まるのではないかと思ったためです。

すると、Aは「待っとれ」と言い、私の運転する車を残し、自分は圓山さんを助手席に乗せた車で殺害現場の川の付近に向かっていきました。その後、私からAに電話をしたところ、Aから「まあ、ええけえ。ちょっと待っとれ」と言われましたが、私が乗っていた車を少し前進させたところ、Aが小走りで向かってきて、私が乗っていた車の助手席に乗り込んできました。

私は「何があったの?」と尋ねたり、自分と交替で運転席に座ったAに「車を進めて欲しい」と言いましたが、Aは膝から下を濡らした状態で、しどろもどろになってはっきり答えず、車を動かしませんでした。

・・・・・以上、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

 
とまあ、上田被告は裁判で、かくも詳細に事件当日のことを語っている。A氏こそが圓山さんを殺害した犯人だと明言しているわけではないが、そう言ったに等しい供述内容だ。

◆罪を免れるための虚言

実際問題、検察の主張では、上田被告が圓山さんから「代金後払い」の約束で交付をうけていた電化製品は計12点・販売価格合計約123万円に及んだとされたが、そのうち6点・約69万円が圓山さんの作成した売掛帳ではA氏が債務者であるかのように記載されていた。そしてA氏本人は裁判で、自分が債務者であるかのようにされた電化製品6点は上田被告が注文したものだと主張したのだが、裁判では結局、A氏の証言が信用されず、A氏が問題の電化製品6点の債務者だったように認定されている。

しかし事実関係を見ると、上田被告が主張する通りにA氏が真犯人だと考えるのはやはり無理がある。

まず、そもそも上田被告らと圓山さんが取引を始めたのは、以前から知り合いだった上田被告と圓山さんが2009年8月頃、ドラッグストアでばったり会ったのがきっかけだった。さらに圓山さんと内縁関係にあった女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝、上田被告から電話があったことについて、「(電化製品の)代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。そして携帯電話の通話記録を見ると、圓山さんと上田被告の間で頻繁に電話がかけられていた。こうした事実関係を見る限り、圓山さんが代金を請求する相手をA氏ではなく、上田被告だと認識していたことは明らかだ。

そして事件当日の朝、圓山さんは取引先に電話をかけ、「集金に来てくれという電話があったので、行かなければならないからまた後で電話をする」と伝え、その後に内縁関係にあった女性に「集金に行く」などと言い、用意された朝食を食べずに慌てた様子で出かけて行ったという。そして外出後、ほどなく上田被告と合流している。こうした事実経過をたどる中、圓山さんが突如、「電化製品代金のことでAと話がしたい」と言い出し、やってきたA氏がいきなり圓山さんを殺害するなどということはどう考えてもありえないだろう。

そしてA氏が圓山さんを殺害するということがありえないならば、圓山さんを殺害する機会や機会を有していたのは上田被告だけである。上田被告の無実の訴えについては、「罪を免れるための虚言」と評価せざるをえない。(次回につづく)

上田被告は、この橋の下を流れる川まで圓山さんを連れて行き、溺死させたとされる

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号!【特集】アベ改憲策動の全貌

6月29日、最高裁で上田美由紀被告(43)に対する上告審の弁論が開かれる鳥取連続不審死事件。前回は、上田被告が2009年4月、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬を飲ませ、海に誘導して溺死させたとされている通称「北栄町」事件について、上田被告と矢部さんの事件当日の足取りをたどったうえで、上田被告の無実の訴えが荒唐無稽だったことを伝えた。

今回は、同年10月に上田被告が電化製品の代金約53万円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を殺害したとされている通称「摩尼川事件」について、一、二審判決をもとに上田被告と圓山さんの事件当日の足取りをたどり、事件の真相を検証する。

◆2人目の被害者も1人目と同じ死に方

鳥取市を流れる摩尼川の上流で、圓山さんが遺体で見つかったのは2009年10月7日の午後2時半過ぎだった。発見者は圓山さんの知人で、遺体はえん堤付近の河川内でうつ伏せの状態で浮いていた。圓山さんは前日の午前8時頃に家を出かけたまま、行方不明になっていた。

解剖の結果、圓山さんの死因は溺死と判断されたが、矢部さんと同じく圓山さんも体内から睡眠薬や抗精神病薬の成分が検出された。一方で、体内からアルコールは検出されず、疾病も確認されず、頭部などに損傷もほとんど認められないことなどから圓山さんが誤って川に転落したとは考え難かった。さらに現場の水深は30センチから80センチ程度であるにも関わらず、圓山さんの手の平などには傷がなく、溺れた際に危険回避行動をとっていなかったと推定された。

つまり、海と川の違いこそあるが、圓山さんも矢部さん同様、何者かに睡眠薬を飲まされたうえ、水の中に誘導されて溺死させられたことを示す事実が揃っていたわけである。そして2つの事件の共通点はそれだけではない。事件当日に上田被告と被害者がたどった足取りも2つの事件は酷似しているのである。

圓山さんの溺死体が見つかった摩尼川のえん堤付近

◆いずれの被害者とも事件当日に行動を共にした被告

圓山さんと内縁関係にあった女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝に上田被告から電話があったことについて、「(電化製品の)代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。そして事件当日の午前8時8分、圓山さんは上田被告から電話をうけ、女性に「集金に行く」と言い、朝食を食べずに慌てた様子で出かけたという。その約20分後の午前8時30分頃、圓山さんは営んでいた電化製品販売業の事務所前で上田被告と合流し、自分の車に乗せている――。

つまり、2つの殺人事件の当日、いずれも上田被告は被害者と朝から会っているわけだ。

さらに言うと、実は裁判では、上田被告がこの日、圓山さんに会う前に知人の運転する車でファミリーマート鳥取丸山店に赴き、麦茶など4点を購入していることも明らかになっている。矢部さんが殺害された事件当日も上田被告は矢部さんに会う前、このファミリーマート鳥取丸山店で飲み物などを買っていた。2つの殺人事件の当日に上田被告がとった行動はこんなところまで共通しているわけである。

そして上田被告は圓山さんと合流後、喫茶店に立ち寄ってモーニングを食べ、圓山さんの運転する車でいったん岩戸港という港に赴いている。それ以降の行動については、色々争いがあるが、上田被告と圓山さんが摩尼川の殺害現場近辺まで車で赴いていることは間違いない。

そしてこの日の朝、上田被告と会ったのちに殺害現場のほうに向かい、行方が途絶えた圓山さんは、翌日、摩尼川で睡眠薬を飲まされた溺死体となって発見されている。4月に矢部さんが亡くなった時とまったく同じようなことが再び起きたわけである。この事実経過を見ただけでも、上田被告が圓山さんを殺害したのだと確信する人は少なくないだろう。

◆被告の弁明内容も2つの事件は酷似

そんな状況でもなお、上田被告は圓山さん殺害の容疑についても無実を訴えているのだが、実は上田被告の弁明の内容も2つの殺人事件は酷似している。上田被告は裁判において、矢部さんの事件に関して主張したのと同様、圓山さんの殺害についても同居していた男性A氏が犯人であるかのようなことをとうとうと語っているのである。

次回は、その上田被告の弁明内容をみていこう。

(次回につづく)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

周辺で6人の男性が不審な死を遂げ、そのうち2人の男性に対する強盗殺人の容疑を起訴された鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)。裁判では、別件の詐欺や窃盗は罪を認めたが、2件の強盗殺人についてはいずれも無実を主張している。しかし、2つの強盗殺人事件が起きたとされる日の上田被告と被害者らの足取りをたどってみると、それだけでも上田被告の無実の訴えは無理があるとわかる。

今回はまず、現場の地名から「北栄町事件」と呼ばれる2009年4月4日の事件について見てみよう。一、二審判決によると、上田被告はこの日、270万円の債務の支払いを免れるため、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませ、海中に誘導して溺死させたとされる。2人は3月5日、金額を270万円、借主を上田被告、貸主を矢部さん、連帯保証人を上田被告と同居していた男性A氏とし、返済期限を3月31日とする金銭借用証書を作成していたというのは前回述べた通りだ。つまり、事件があったとされる4月4日は返済期限を4日過ぎた日だったことになる。

この日、上田被告は午前7時33分頃、車を使えば自宅からそう遠くない鳥取市丸山町のファミリーマート鳥取丸山店で、おにぎり2個、お茶、即席みそ汁を購入。これと前後して矢部さんと連絡をとって合流し、矢部さんはその後、上田被告が購入したおにぎりやみそ汁を食べている。

そして上田被告は矢部さんの運転する車ダイハツミラの助手席に乗り、2人で殺害現場の東伯郡北栄町の砂浜があるほうに向かっている。そして午前8時16分、国道9号線沿いにあるファミリーマート鳥取浜村店に到着。この店で上田被告はフェイシャルペーパー、ハンディウェットティッシュ、紙コップ、缶コーヒーを購入すると、再び助手席に乗り込んで、午前8時22分に同店を出発し、殺害現場の砂浜がある西のほうへ向かっている。

こうしたことは防犯カメラの映像など上田被告の裁判で示された客観的証拠により動かしがたく証明されている。そしてこの日、午前8時22分、ファミリーマート鳥取浜村店を出発する際に防犯カメラの映像で確認された矢部さんの姿は、客観的証拠により認められる「矢部さんの生前最後の姿」となった。

2日後の4月6日、殺害現場の砂浜で矢部さんのダイハツミラが止められているのが、通報を受けて臨場した警察官により確認される。それからさらに5日後の4月11日、砂浜から東に約3・5キロメートル離れた沖合の海中でワカメ漁をしていた漁師により、矢部さんの溺死体が全裸の状態で発見されている。そして死体解剖の結果、矢部さんの血液や胃内容物から睡眠薬や抗精神病薬が検出された――。

上田被告が矢部さんを殺害したとされる北栄町の砂浜

◆同居していた男性が真犯人であるかのように語ったが……

さて、矢部さんの体内から検出された睡眠薬などと上田被告の結びつきについては後に述べるが、矢部さんには自殺の動機や兆候は見受けられなかったという。とすれば、矢部さんが砂浜で自ら睡眠薬などを飲み、溺れ死んだとも考え難く、何者かに睡眠薬を飲まされ、殺害されたとみるほかない。矢部さんが姿を消すまでの経緯からして、その「何者か」が上田被告である疑いを抱かない者はいないだろう。

そんな状況において、上田被告にとって無実を訴えるうえでの唯一の望みは、午前11時過ぎに現場の砂浜で当時同居していた男性A氏と合流していることだ。この件に関する上田被告とA氏の言い分は大きく食い違うが、上田被告が電話やメールでA氏を迎えに来るように呼び出したことは事実関係に争いがない。そして上田被告は控訴審の法廷において、A氏こそが真犯人であると言ったに等しい次のような供述をしたのである。

・・・・・以下、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

矢部さんの運転する車で西に向かっていた途中、矢部さんは私と自分の交際について、『今後どうするだ』『どう思っとる』などと言ったり、Aさんのことを『あれは男だろう』などと問い質したりしてきました。そして私が曖昧な答えをしていることについて怒り出したため、私はそのまま怒らせたら大変だと思い、矢部さんに対し、『頭、冷やして』と言って砂浜近くにあるコンビニ付近の路上で車から降ろしてもらいました。すると、矢部さんは砂浜のほうにいったん去っていきました。

その後、矢部さんは私をおろした場所まで戻ってきましたが、「頭、冷えたん?」と尋ねたところ、「いや、もうちょっと」と言うので、私が「じゃあ、もう1回頭冷やしてきて」と言ったところ、矢部さんは「わかった」と言って砂浜のほうに車を走らせて行ってしまい、その後、私は矢部さんと顔を合わせていません。

そしてこの間、私はAさんにメールや電話で迎えに来るように頼んでいたのですが、午前11時11分過ぎ頃、車に乗ってきたAさんと合流しました。そしてAさんに対し、矢部さんを怒らせてしまったことや、私のかばんを矢部さんの車に残したままにしてしまったことを説明したところ、Aさんは車を運転し、現場の砂浜手前の空き地に車を停め、車のトランクからペットボトル入りミルクティー2本を持ち出し、私を車に残して1人で砂浜のほうに歩いていき、約20分後、ズボンを濡らした状態で、私のかばんを持って戻ってきました。

その後、Aさんとホテルに入りましたが、Aさんは私をホテルの部屋に残し、車を運転してどこかへ行きました。Aさんはしばらくしてから戻ってきましたが、その時、車の後部座席には、矢部さんが当日着ていた着衣の上下とスコップが積んでありました。

・・・・・以上、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

矢部さんは事件前、上田被告と交際しているような状態だった時期があったとされる。それにしても、上田被告の供述では、矢部さんが嫉妬に狂い、突如、頭がおかしくなったような話になっており、あまりにも不自然だ。そして同居男性のAさんについては、上田被告に呼ばれて現場にやってくるなり、矢部さんに睡眠薬を飲ませ、殺害した犯人であるかのような行動をとったことになっているのだが、荒唐無稽な弁解だと言わざるをえない。

広島高裁松江支部の控訴審で被告人質問が行われた際、私は傍聴券を確保できず、法廷の出入り口ドアにつけられた小窓から中の様子を伺っていたのだが、上田被告に質問をしている男性の弁護人が何やら悲しげな表情をしていたのが印象的だった。それは、第一審では公判で黙秘したまま死刑判決を受け、いよいよ自分の言葉で無実を訴えた控訴審でこんな荒唐無稽なストーリーを大真面目に語った上田被告に対し、哀れみを感じたからではないか。私はそう思えてならない。

(次回に続く)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪に問われた上田美由紀被告(43)が死刑判決を受け、現在は最高裁に上告している鳥取連続不審死事件で、最高裁第一小法廷は6月29日、弁護人、検察官双方の意見を聞く弁論を開く。私は当欄で2013~2014年にもこの事件を取り上げたが、その後も上田被告本人や関係者、関係現場への取材、資料の検証を重ね、「冤罪」を訴える上田被告に対する一、二審判決の有罪認定は妥当だという結論に達している。ただ、一方で、上田被告の本質は「悪」とは別の何かではないかという思いが拭えない。事件の闇を報告する。

◆悪くない第一印象

上田被告の周辺で6人の男性が不審な死を遂げていた疑惑が表面化したのは2009年の秋だった。鳥取市の「デブ専」と揶揄されるスナックで働き、5人の子供を抱えていた上田被告。容姿端麗とはいえない太った女の周辺で交際相手の男性らが次々に不審死していたという事件の構図は、一足早く話題になっていた木嶋佳苗死刑囚(42)の首都圏連続不審死事件と酷似していた。そのため、マスコミは上田被告を「西の毒婦」と呼んだ。

私がそんな上田被告と初めて面会したのは、第一審・鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決が出て9カ月後の2013年9月のことだ。場所は島根県松江市の松江刑務所。マスコミ報道で見かけた写真では、かなり大柄で、目つきが鋭く、いかにも怪人物のように見えた上田被告だが、面会室に現れた本人は、体の横幅こそあるものの、身長は150cmに満たないほど小柄だった。化粧をしていない表情は穏やかで、むしろ弱々しい印象を受けた。

「私のこと、怖いですか? 私が暴力をふるうように見えますか?」

マスコミ報道では、上田被告は逮捕前、周囲の男性に暴力をふるったように伝えられていた。そういう報道の情報は事実ではないと上田被告は私に訴えてきたのである。彼女の話だけで判断するわけにはいかないが、こと見た目がどうかといえば、たしかに上田被告は暴力的な人間には見えなかった。私がそう告げると、上田被告は嬉しそうに微笑み、こう言った。

「私のことを一度にすべて知ってはもらえないと思いますが、1つ1つ知って欲しいと思います」

私はこの時、上田被告に対して正直、悪い印象は抱かなかった。むしろ、人当たりのいい人物のように思えたくらいだ。

だが、そういった第一印象はもちろん、上田被告の冤罪の主張を裏づける根拠になるわけではない。上田被告は周辺で不審死していた6人の男性のうち、2人に対する強盗殺人の罪を立件され、一、二審ではいずれも有罪とされているが、動機は借金の返済や電化製品の代金の支払いを免れるためだったとされている。この男性たちも上田被告の第一印象が良かったからこそ金を貸すなどしてしまい、被害に遭ったのではないかと疑ってみることもできる。では、実際はどうなのか――。

上田被告はこの初めての面会のあと、私に対しても、「友人に会わせる」「子供に会わせる」などと都合のいいことを次々に口にしながら実現せず、その都度、場当たり的な弁明をした。私はそんな上田被告の「実像」に直接触れたのに加え、事実関係を調べるうち、やはり上田被告は一、二審判決で認定された通りのことをやっていると判断せざるをえなくなっていった。

◆何ら悪びれることなく不自然な弁明

ここで上田被告が有罪とされている2件の強盗殺人について、一、二審判決で認定された犯罪事実はどんなものだったかを確認しておこう。それはおおよそ次の通りだ。

上田被告は2009年4月4日、合計270万円の債務の弁済を免れるため、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろう状態に陥らせたうえ、砂浜から海中に誘導して溺死させた。さらに同年10月6日、洗濯機など電化製品6点の代金53万1950円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山(まるやま)秀樹さん(当時57)にやはり睡眠薬などを飲ませて意識もうろう状態に陥らせたうえ、河川内に誘導して溺死させた――。

以上は一、二審判決で認定された上田被告の犯行だが、上田被告は私と面会した際、このことについて次のように述べた。

 

上田被告が勾留されている松江刑務所

「私は2人からお金の返済や支払いを請求され、殺してしまったという話にされていますが、あの人たちはお金の返済や支払いを求めてくる人たちではなかったんです。あの人達がそんなふうに言われるのも悔しくて……」

そう語る時、上田被告は大真面目な表情だった。

だが、裁判で明らかになったところでは、矢部さんが亡くなる約1カ月前の2009年3月5日、矢部さんと上田被告の間では、金額を270万円、貸主を矢部さん、借主を上田被告、連帯保証人を上田被告と同居していた男性A氏とし、返済期限を同3月31日とする金銭借用証書が作成されていた。

また、圓山さんの内縁の妻の女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝に上田被告から電話があった際、「代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。さらに事件当日の午前8時8分にも上田被告から電話をうけたのち、女性に「集金に行く」などと言い、女性が用意した朝食を食べずに慌てた様子で家を出たという。

こうした事実関係に照らせば、上田被告が私に語った上記の話が不自然きわまりないと誰もが思うだろう。矢部さんや圓山さんが事件前、上田被告に返済や支払いを求めていたのは明らかだからだ。しかし面会の際、上田被告はこうした不自然きわまりないことを話しながら、悪びれた様子はまったく見受けられなかった。さらにこの時以外でも私と面会や手紙のやりとりを重ねる中、繰り返し「冤罪」を訴え、その過程では様々な人を貶めることを述べているのだが、その際も同様だった。

善悪の感覚が根本的に現代の一般的な日本人と違うのではないか。私は上田被告に対して、次第にそう思うようになっていった。私が上田被告のことを「悪」とは別の何かではないかという思いが拭えないというのは、つまり、そういうことである。

(次回に続く)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)