すでに何度もご報告していますように、2005年7月12日の私・松岡逮捕―鹿砦社出版弾圧についての“官製スクープ”記事を神戸地検と密通して書いた朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者(現・司法担当キャップ)に対して面談を求めてまいりましたが、平賀記者(あるいは広報担当者)らは私の要求をことごとく無視、あるいは担当者名なしの素っ気ないメールを送り付けて来たり徹底的に蔑ろにしてきました。

やむなく朝日新聞の登記簿に記載されている渡辺雅隆社長の“自宅”に「通告書」を8月23日に郵送しました。同月25日に届いています。回答期限を到着から7日以内(つまり9月1日)としましたが、いまだ回答ありません。無視して逃げ切ろうというつもりです。

朝日新聞・渡辺社長への「通告書」(1/2P)

朝日新聞・渡辺社長への「通告書」(2/2P)

ところで、登記簿では渡辺社長の住所は京都府京田辺市となっていますので、そこに送りましたが、なぜか転送されて「芦屋郵便局」経由で配達されています。つまり、渡辺社長の現住所は兵庫県芦屋市ということになります。2年半ほど前(2018年2月)にリンチ事件についての質問書を送った際にも同様でした。この時には、「住居移転したばかりで登記が遅れてるのかな」ぐらいに思っていましたが、2年半ほども放ってきたのでしょうか?

会社の社長(代表取締役)は登記簿に正しく住所を記載しないといけないと定められています。私もちゃんと登記簿に実際に住み住民登録している住所を記載しています。世の中の会社の社長もみなそうしていますよね。朝日新聞だけ特別ではないはずです。身の危険があるから別の住所に登記しているなどという言い訳は通じません。会社法に詳しくはありませんので、これにどういう罰則があるかどうか知りませんが(詳しい方は教えてください)、少なくとも平素から「コンプライアンス遵守」を謳う大手新聞社としては範を示すべきでしょう。大会社も零細企業もみなそうしているわけですから。直ちに正しい住所を登記せよ!

配達履歴情報

平賀拓哉記者

ところでくだんの平賀拓哉記者、こら、いつまで逃げてるんだ!? 

平賀記者は、1977年生まれ(おっ、私の愚息と同じだ!)、ということは今43、44歳か。私の逮捕事件の際はまだ20代だったんだ。

その10周年の2015年から中国・瀋陽支局長として赴任、2018年暮れ頃に帰国し現職(大阪社会部司法担当キャップ)に就いているようです。

平賀さん、あなたが日本を代表する大新聞社の幹部記者である前に、一人の自立したジャーナリストであろうとするのなら、みずからの記事に責任を持ち、私や鹿砦社(の社員)らを地獄に落とした弾圧事件の記事について私の面談に応じよ!

私は“当事者中の当事者”ですよ、私の言っていることは間違っていますか? 私は無理な要求をしていますか?

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

一昨日(8月17日)にこの通信でお伝えしたように、松岡逮捕―鹿砦社出版弾圧を神戸地検特別刑事部らと密通し大々的に報じた朝日新聞大阪本社社会部・平賀拓哉記者(現・司法担当キャップ)の面談拒否に対して、面談に応じるよう弁護士から「通知書」を8月6日付けで同社・渡辺雅隆社長へ内容証明郵便にて送りました。8月7日に到着しています。

回答期限は1週間以内でしたが、昨日(8月18日)に簡易書留で顧問弁護士に「回答」が届きました。「回答」の日付は「8月13日」になっていますが、同じ区内で、届くのにそんなに何日もかかるわけがありませんので、実際に差し出されたのは、おそらく17日だと思われます。「回答」なるものは画像の通りです。

8月18日、簡易書留で顧問弁護士に届いた朝日新聞大阪本社からの「回答」

みなさん、いかがでしょうか? またしても責任者名がありません。弁護士から送れば、少なくともマシな回答が届くと思いましたが浅薄でした。渡辺雅隆社長宛に出していますが、本当に渡辺社長の元に届いているのでしょうか? 届いていて、この回答だったら、渡辺という人は非常識ですし、こんな小さな“蟻の一穴”からダムは決壊します。「奢れる者、久しからず」です。

平賀記者は、社会部出身の渡辺社長の子飼いの記者だということですが、それなら尚更、渡辺社長は平賀記者や「広報」担当者を、きちんと叱責し対応すべきでしょう。そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか?

7月30日、朝日新聞大阪本社(広報)から松岡宛に届いた発信責任者不明の非礼なメール

私はくだんの「名誉毀損」逮捕事件で有罪判決を受けましたが、まさか、そんな前科者の要求には応じられないとでも言うのでしょうか。

平賀さん、何度も言うが、私や鹿砦社は、神戸地検特別刑事部らと密通し画策した、あなたの“官製スクープ”記事で地獄に落とされた当事者中の当事者です。私はあなたに面談を求める〈権利〉がありますし、あなたは私の求めに応じる〈義務〉があります。

いくら嫌でも、こんな弁護士や私たちをコケにした「回答」はないでしょう。常々朝日新聞が公言する「人権」の薄っぺらさがわかろうというものです。

私も逮捕当時はまだ50代でしたが、今や70にもなろうという初老の男です。歳を取るごとに好々爺のように丸くなってきたと言われますが、かの事件は私にとって人生最大の事件です。すんなりと面談に応じたのなら、和気あいあいと昔話に花が咲き、それで終わったと思いますが、ここまでコケにされたら、そうもいきますまい。「老いの一徹」という言葉もあります。“奥崎謙三”にはならないまでも(笑)、「蛇蝎のごとき執拗さ」(アルゼの告訴人の一人の元執行役員)でもって、全智全能、全身全霊、総力で追及せざるをえません。

平賀さん、みずからの記事に責任を持ち面談に応じよ!

ドラマは始まったばかりです。多くの皆様方のご注視とご支援をお願いいたします。逐次ご報告いたします。

関連カテゴリー《鹿砦社弾圧報道問題》

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

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既報のように2005年7月12日の松岡逮捕─鹿砦社出版弾圧の“官製スクープ”記事を神戸地検特別刑事部と“密通”して書いた朝日新聞大阪本社現司法担当キャップ・平賀拓哉記者に対し3度の面談申し込みを出しましたが、なんらの真摯な回答をいただけませんでした。3度目にようやく「広報」から無署名の「弊社では、こうした面談申し込みには応じておりません」という、たった2行の無味乾燥で事務的なメールがあったのみです。

このような平賀記者の無責任な態度に対し、私方は弁護士を通して朝日大阪本社・渡辺雅隆社長宛に「通知書」を内容証明郵便にて送りました。8月6日に発送し7日に到着しています。回答期限は受け取りから1週間以内、つまり8月14日ですが、いまだ回答ありません。まあ、お盆休みが挟まったので、もう少し待つか(苦笑)。

平賀さん、みずからの記事に責任を持ってください。私たちはこの弾圧で地獄に落とされました。会社は壊滅的打撃を受けました。地獄を見た私は、そうやすやすと引き下がることはできません。平賀さんが逆の立場だったらどうでしょうか? 逃げるのならば徹底的に追いかけます。金と女は追えば追うほど逃げると言いますが、平賀さんも、追えば追うほど逃げるおつもりですか? ジャーナリストの寺澤有さんからは、「松岡さんなら当然もっと追いかけるのでしょう?」と“挑発”されましたが、やはり今や好々爺の私としても人生の一大事の記事を書かれたのですから追いかけるしかないでしょう。

◆鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか

ところで、平賀記者が密通し鹿砦社弾圧に手を貸したりした者の多くが不思議と不祥事を起こしたり不幸な目に遭っています。「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄される所以です。簡単に挙げておきましょう。──

大坪弘道検事 当時の神戸地検特別刑事部長。その後栄転した大阪地検特捜部長時代、「厚労省郵便不正事件」証拠隠滅に連座し逮捕、有罪確定、検事失職。それまでエリートコースをひた走っていましたが、これでパアーです。現在は無職のようです。

大坪弘道逮捕を報じる朝日新聞2010年10月2日朝刊

宮本健志検事 当時の神戸地検特別刑事部主任検事。平賀記者が具体的に密通し“スクープ”情報を得たと推認される人物。その後、大坪検事同様、栄転した徳島地検次席検事時代、深夜泥酔して一般人の車を蹴り傷つけ(おそらく検挙され)事情聴取され戒告・降格処分を受けました(和解したことで懲戒免職は免れています)。当時京都地検刑事部長に異動していた大坪検事に拾われ平検事に降格され京都地検へ異動。尚、宮本検事は鹿砦社の地元・西宮市甲子園出身です(西宮市立東高校→早稲田大)。

宮本健志の不祥事を報じる徳島新聞2008年3月26日朝刊

岡田和生 アルゼ(当時)の創業者オーナー。松岡を「名誉毀損」で刑事告訴し、鹿砦社に3億円の巨額民事訴訟を提訴。その後、活動の拠点を海外に移しフィリピンカジノ建設のために政府高官に賄賂を贈ったりして逮捕。また海外生活中に、子飼いの社員、息子、後妻らによってクーデターを画策され放逐されています。

岡田和生逮捕を報じるロイター電子版2018年8月6日付け

みずからが作り育てた会社から放逐された岡田和生のインタビュー記事 『週刊ポスト』2019年3月18日号

阿南一成 当時のアルゼの雇われ社長。元警察キャリア(中国管区警察局長)→参議院議員。耐震偽装企業から不適切な献金を受け辞任に追い込まれています。彼は証人尋問に出廷し、さんざん私を詰りました。彼の存在はアルゼが警察癒着企業であることを象徴していますが、このことを甘く見ていました。阿南としては、メンツにかけて松岡逮捕─鹿砦社潰しに尽力したものと推認されます。

阿南一成アルゼ社長(左)の辞任を報じる朝日新聞2006年1月19日朝刊。この直後の1月20日、松岡が保釈された

佐野哲生 私に有罪判決を下した神戸地裁裁判長。私の判決と同じ週に、女児が死亡した明石砂浜陥没事件で国と市に無罪判決を下しましたが、控訴審で逆転し有罪が確定。同じ週(松岡7月4日、明石7月7日)に2件の重要事件の判決を下さざるをえない裁判所の情況にも問題があるでしょうが、裁判官人生の最終段階で誤判は大きいと言わざるを得ません。私の有罪判決にも疑義を感じさせる出来事です。佐野裁判長が、のちに「裁判員制度」の導入の際、メディアに登場し説明している場面を見ましたが、「お前らがいい加減な判決を下すことを、裁判員制度で誤魔化すのか!?」と冷笑せざるを得ませんでした。

7月4日松岡一審判決当日のテレビ画像。右に佐野裁判長の画像と“名言”

同じ週に同じ裁判長で2つの重要判決。右が毎日新聞2006年7月4日夕刊、左が朝日新聞7月8日朝刊

明石砂浜陥没事件の誤判を報じる朝日新聞2008年7月11日朝刊

◆松岡逮捕─鹿砦社弾圧は、意図的な魂胆を持って仕組まれた! 

こうして見てくると、松岡逮捕─鹿砦社弾圧が“立派”な人たちにより意図的な魂胆を持って仕組まれていることが判ります。再審請求をしたいぐらいです。半年余りも勾留され、(執行猶予付きとはいえ)本当に有罪にならないといけなかったのか? 大いに疑問です。なにか恣意的な策謀がなかったのか?「言葉の暴力」だって!? 裁判所は「憲法の番人」といわれますが「権力の番犬」に成り下がったと断言します。

民事でも、刑事で有罪になったこともあるのか、賠償金が倍額になりました(1審300万円→控訴審600万円)。最高裁で確定しました。踏んだり蹴ったりでした。

ところで、平賀記者が、こうした人物にどう取材し、あるいはどう密通して情報を得、記事を作成したのか、ぜひとも面談して聞きたいところです。この事件で地獄に落とされた私は、このスクープ記事を書いた平賀記者に面談する権利があるますし、平賀記者には面談に応じる義務があります。

天下の朝日の幹部記者が、零細出版社のオヤジから逃げてどうする! 平賀記者は速やかに私と面談せよ!

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月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

私の人生にとっても、われわれの会社・鹿砦社にとっても最大の事件となった、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件は、15年前の2005年7月12日に起きました。これを神戸地検特別刑事部からリークされ(いや、密通してと言ったほうがいいでしょう)、一面トップで“官製スクープ”の大きな記事を書いたのが、現在朝日新聞大阪本社司法担当キャップ・平賀拓哉記者でした。同日夕刊にも続編記事があり、ここに「平賀拓哉」の署名がありますが、すべて平賀記者が書いたものです。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊 「解説」に「平賀拓哉」の署名あり

本年はその事件から15年周年となります。地獄も見ました。そのかん、私や鹿砦社は筆舌に尽くし難いほどの困難な目に遭い、しかし、多くの心ある皆様方のご支援で再起し、出版活動を持続しています。このことについては、節目の年でもあり、『紙の爆弾』5月号(創刊15周年記念号)に「『紙の爆弾』が創刊された2005年に何が起きたのか」という長文の総括文を執筆し、またこの通信においてもたびたび述べてきました。

そうして、神戸地検と密通し15年前の“官製スクープ”記事を書いた平賀拓哉記者が今や大阪本社司法担当キャップを務めていることが、偶然にも4月1日付けの署名記事で判明し、これも何かの因縁、ぜひとも面談し15年目の気持ちや想いなど聞かねばなるまい、と考えた次第です。その総括文が掲載された『紙の爆弾』5月号を同封して手紙を郵送したのが4月5日でした。なんの音沙汰もありませんでしたが、これは緊急事態宣言が出た直後ということもあり、この対応で慌しいのかと思っていました。

朝日新聞(大阪本社版)2020年4月1日朝刊 「司法担当キャップ平賀拓哉」の署名あり

2020年4月5日付けの手紙

実は10周年の際にも平賀記者に話を聞きたいと思っていたところ、聞いていた携帯の番号は使われておらず、また海外に赴任しているとの情報もあったりで面談できませんでした。

しかし、今は大阪本社で司法担当キャップとして活動されている──私から書籍や資料を入手しインタビューを行い署名記事まで書いたぐらいですから、気安く会って面談してくれると信じていました。

ところが、2度目の「面談申込書」を因縁の7月12日に出し(回答締め切り7月20日)、これも回答ナシ。ようやく3度目の7月21日の「催告書」にて届いたのが責任者名なしのメールでした(別掲画像)。

私たち素人考えでは、署名記事というのは書いた本人が責任を持つということでしょう。みなさん、そうですよね? 私は、当該記事の当事者中の当事者で、書いた本人に面談する権利も資格もあると思いますし、また、当日の朝刊一面トップ、夕刊にも連続して大きく採り上げ署名記事まで書いた本人=平賀記者には私と面談する義務があります。そうではないですか?

同年7月12日付けの「面談申込書」

同年7月21日付けの「催告書」

朝日新聞大阪本社(広報)からの発信責任者不明の非礼なメール

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊 平賀記者に渡した書籍の画像あり

その記事と関係のない私以外の者が面談を申し込むのを断るのは理解できますが、平賀記者は、あたかも私たちの理解者顔をし、持っていない書籍や資料を求め、私は、彼が私たちの出版活動を理解して記事にしてくれるものと誤認しタダでそれらを渡しました。それは当該記事(2005年7月12日夕刊)に画像で出ています。私も本当にお人好しですよね(苦笑)。

そうして、運命の2005年7月12日早朝、当日付けの朝日朝刊を見て自分の逮捕を知るという笑い話にもならない物語が始まりました。

その後、192日間もの長期勾留(独居房。うち約3カ月の接見禁止)、勾留中の事務所撤去と事業活動停止、ただ一人踏み止まった編集長の中川以外の全員解雇、第1回公判に神戸地裁の大法廷を埋め尽くしてくれた多くの皆様方、大晦日・正月を酷寒の神戸拘置所で過ごしたこと……走馬灯のように甦ります。こら、平賀さん、少しは私の身にもなってみよ! 私が記事を書かれた当事者中の当事者なら、あなたは私にインタビューし書籍・資料を入手し同日の朝刊、夕刊と連続して大きく採り上げ署名記事まで書いた当事者中の当事者、あなたは私の求めに応じるべきです。そうではないですか? そうでないと、ジャーナリストとして、いや人間として無責任ということになります。「釈迦に説法」かもしれませんが、署名記事というものは、いろんな意味で(無署名記事に比して格段に)重いものです。

平賀記者は、このまま逃げおおせるものと思っているかもしれませんが、そうは問屋が卸しません。私が『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三(故人。生前は神戸市在住)のように厳しく責任を追及するものとビビッているのでしょうか? 私は平賀記者に私怨・私恨などありませんので、責任を追及するつもりはありません。ただ、15年経った現在の気持ちや想い、疑問点などを訊ねたいだけです。特に幾つか疑問点がありますが、これを解明しないと死んでも死に切れません。

平賀さん、あなたは私と面談し、私の疑問や質問に答える義務があります。あれだけ朝刊・夕刊と連続して大きく採り上げ、署名記事まで書いたのですから当然です。

平賀記者と朝日新聞の非礼な対応を弾劾します。平賀記者は即刻私と面談すべきです。平賀さん、逃げないでください!

関連カテゴリー《鹿砦社弾圧報道問題》

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

今年も〈7・12〉がやって来ました──毎年この日になると、私たちなりに思うところがあります。それはそうでしょう、私松岡が逮捕(その後192日間の長期勾留)され、本社、東京支社、松岡自宅、取引先などに大掛かりな家宅捜索がなされ、会社が壊滅的打撃を受けたのですから──。10周年までは毎年集会を開き、この弾圧の意味をみなさん方と共有し、またみずからを鼓舞して来ました。それも10周年の2015年以来開いていませんでした(今年は『紙の爆弾』創刊15周年と併せ節目なので開くつもりでしたが、コロナ蔓延で中止になりました)。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊

わざわざ東京から神戸に出向き裁判を傍聴してきた、ジャーナリスト・山口正紀のレポート

捜査は、のちに厚労省郵便不正事件に連座し逮捕・失脚する大坪弘道神戸地検特別刑事部長(当時)の指揮によって行われ、これに絡んだパチスロ大手アルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)創業者オーナー(当時)岡田和生も海外で逮捕、実子や妻、子飼いの社員らに会社から放逐されたり、この15年の間にいろいろなことが起きました。

大坪弘道逮捕を報じる朝日新聞2010年10月2日朝刊

ユニバーサル(旧アルゼ)のフィリピン・カジノ不正を報じる朝日新聞2012年12月30日朝刊

みずから創業し育てた会社から放逐された岡田の泣き言(『週刊ポスト』2019年3月22日号)

岡田逮捕を報じる2018年8月6日付けロイター電子版

月日の経つのは速いもので、もう15年が過ぎました。当時の新聞記事や資料などを見るたび、15年前の2005年7月12日と、これ以降の出来事が走馬灯のように甦ります。

出版弾圧は『紙の爆弾』創刊(2005年4月7日)直後になされました。このことから『紙の爆弾』が発行され続け定着することに対する先制攻撃とも言われました(元大阪高検公安部長・三井環の指摘)。

比較するにはおこがましいですが、かの『噂の眞相』の「皇室ポルノ事件」も創刊直後でした(張本人は、いまや鹿砦社ライターとなった板坂剛)。

そういうことから、出版弾圧と『紙の爆弾』創刊15周年に絡め同誌5月号巻末に多くの画像と共に長文の総括文「『紙の爆弾』が創刊された2005年に何が起きたのか?」を掲載いたしました。私なりに長年考えてきたことを書き綴りました。あまり反響はありませんでしたが、一所懸命に書きましたので、今からでもぜひお読みいただきたく望みます。

 

『紙の爆弾』2020年5月号(創刊15周年記念号)。「『紙の爆弾』が創刊された2005年に何が起きたのか?」(別帳16ページ)掲載

詳しくはそれに譲りますが、今、新型コロナウイルス蔓延で社会や経済が麻痺し、鹿砦社も売上減となり苦しんでいます。いや、書店は休業を余儀なくされ出版界全体が苦しんでいますし、社会全体が苦しんでいます。

しかし、私たちは、15年前、あれだけの壊滅的打撃を受け地獄に落とされましたが、にもかかわらず復活を遂げることができました。読者やライターら社内外の多くの心ある皆様方のご支援や、運が良かったこともあります(自分で言うのも僭越ですが、土壇場で悪運が強い!)。ですから、ちょっとやそっとで潰されない自信があります。

一方、他人の不幸を喜ぶわけではありませんが、私たちを地獄に落とし栄華を謳歌していた弾圧の張本人、大坪弘道や岡田和生らは逮捕・失脚し地獄に落ちました。人をハメた者は、みずからもハメられる、ということです。まさに「因果応報」です。

皆様方、この国難とも言うべき未曾有の困難に対し、共に苦しみの中から起ち上がり共に前進していこうではありませんか! 闘争勝利!

◎6月6日に『紙の爆弾』創刊―出版弾圧15周年集会を予定していましたがコロナ蔓延で中止せざるをえませんでした。これに参加された方には『紙の爆弾』創刊号、もしくは弾圧直後に出版された同誌2005年9月号を贈呈する予定でしたが、かないませんでした。よって、『紙の爆弾』定期購読(新規、更新)された方には、どちらか希望の号を贈呈いたします(どちらを希望か明記してください。なくなり次第終了)。定期購読によって『紙の爆弾』を支えてください!

定期購読は、1年分(12号)6600円(1号分お得!)を郵便振替(01100-9-48334、口座名=(株)鹿砦社)にて送金してください。ご住所、氏名、×号からを明記してください。

左から『紙の爆弾』創刊号(2005年5月号)、『紙の爆弾』2005年9月号(7・12弾圧緊急発行)、『パチンコ業界のアブナい実態』(紙の爆弾特別取材班・編/事件から2年余り経った2007年10月刊行。7・12弾圧から最高裁上告棄却までの経過報告と中間総括)

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

〈原発なき社会〉をもとめて 『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

15年前の4月7日、『紙の爆弾』は創刊いたしました。2005年のことです。新卒で入社した中川志大(創刊以来の編集長)は、『噂の眞相』休刊(事実上の廃刊)後、約1年間、取次会社に足繁く通い、取得が困難とされる「雑誌コード」を取得し、『紙の爆弾』は創刊いたしました。

『紙の爆弾』創刊15周年記念号の表紙画像と、別冊付録「2005年に何が起きたのか?」の一部

『紙の爆弾』創刊15周年記念号別冊付録「2005年に何が起きたのか?」の一部

出版弾圧10周年の集い(於・西宮)で。大学の後輩で書家の龍一郎から贈られた書

創刊号巻頭には、悪名高い「〈ペンのテロリスト〉宣言」が掲載され、独立独歩、まさに死滅したジャーナリズムとは違った道を歩み始めました。創刊部数は2万部でした。

確かに(今でもそうですが)、『噂の眞相』の足元にも及ばず、拙いながら気持ちは意気揚々としていました。

いわく、

「われわれの“出番”がやって来た!」「たかが『暴露本出版社』と思うなよ!」
 と叫び、文中では、

「私たちの出版活動に対して、ある社会的犯罪企業から『ペンの暴力』などと非難されたことがありますが、タブーや巨悪に対して、私たちは力一杯『ペンの暴力』を行使します」

「逆説的に言えば、巨悪に対しては、時に“極悪”でもって立ち向かわなければなりませんし、“過激派”であり“武闘派”であらねばなりません」

「ペンという武器を取り、返り血を恐れず闘わん!」

「『表現の自由』も『言論の自由』も、黙っていて守れるものではなく、タブーや巨悪に立ち向かい、闘うことによってしか守ることはできません」

……などと、まさにアジテートしています。今から想起すると赤面物ですが、当時の私たちの想い、決意だけはご理解ください。

そうして創刊から3ヵ月後の7月12日早朝、忘れもしない出来事が起きます。これを知ったのが当日配達されたばかりの朝日新聞朝刊でした。1面トップに大きく出ていたので気づかないわけがありません。一斉に、まずは松岡の自宅が家宅捜索され松岡を連行、その後、神戸地検に連行され逮捕されました。同時に鹿砦社本社、東京支社にも家宅捜索が入りました。

平賀拓哉記者がスクープした2005年7月12日朝日新聞朝刊(大阪本社版)

これは、当時の神戸地検特別刑事部による朝日へのリークでなされた、いわば“官製スクープ”です。この記事を署名記事として書いたのは朝日大阪社会部の平賀拓哉記者でした。あたかも、私たちの出版活動を理解しているかのように近づき、手持ちがない書籍を持ち帰ったりし、私も「朝日が私たちの出版活動を理解してくれた」と感じ積極的に協力しました。私が提供した書籍の画像や発言が掲載されています。当日の朝刊、夕刊共に大きな扱いでした。他紙も続きました。

地検の一行が自宅のドアを開けても、「シャワーぐらいさせてほしい」と言い、その時間を待たせるほど落ち着いていました。

それから延々192日もの予想以上の長期勾留が続くわけですが、このことによって、会社は壊滅的打撃を受けました。こうした経緯は4月7日発売の『紙の爆弾』5月号の巻末別冊綴じ込み付録「本誌が創刊された2015年に何が起きたのか?」をご一読いただきたく願います。16ページにわたり画像30枚余りを駆使し、15年後の現在、私なりに総括しています。この事件について、これだけ長い文章を書くのは、これが最後だという想いで根性を入れて執筆しました。

この事件に関与したキーマンらには続々と“不幸”が訪れています。当時の主任弁護人の中道武美弁護士は先日、「まさに『鹿砦社の祟り、松岡の呪い』やな」と仰いましたが、まさにそうです。当時の神戸地検特別刑事部長・大坪弘道検事、同主任検事・宮本健志検事、岡田和生創業者社長らの行く末を見ると、この事件は決して潔癖健全な人たちが起こした事件ではなかったことがわかるでしょう。

ところで、去る4月1日朝日朝刊1面トップに湖東会記念病院の西山美香さん再審無罪の記事が出ています。それを見て驚いたことがあります。15年前の朝日記事を書いた平賀拓哉記者が「大阪社会部司法担当キャップ」の肩書きで記事を書いています。いわく、──

「捜査関係者は『今回は特異なケース』と片付けたいかもしれない。だが、ほんとうにそうだろうか。(中略)
 無辜の市民が不条理な刑に処せられた歴史を直視すれば、今回の事件が特異でないことは明らかだ。」

15年後、平賀記者による朝日新聞記事(2020年4月1日朝刊)

 よく言うわい(苦笑)。朝日大阪社会部や司法記者クラブ所属記者らは、「カウンター大学院生リンチ事件」について、私たちの取材に真摯に対応せず、ことごとく逃げを打ちました。メディアの記者として恥ずべき態度と言えるでしょう。早速、15年前に聞いた携帯に電話してみましたが、今は使われていませんでした。

しかし、私は執念深い男です。生来鈍愚で、頭脳もさほど良くない私の武器は、この悪魔のような執念深さです。

15年の年月を越えて、あらためて平賀記者へ取材を試みるつもりですが、果たしてどういう対応をするのでしょうか? 興味津々です。“落とし前”はまだついていない!

7日発売!月刊『紙の爆弾』創刊15周年記念号【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他

※松岡代表の逮捕と鹿砦社弾圧事件をめぐっては、板坂剛氏による「松岡逮捕の衝撃と教訓 鹿砦社への出版弾圧十五年によせて」が4月15日発売の『情況』4月号にも掲載されます。

15年前の2005年は、私たちにとって“特別の年”でした。この年の4月7日、『紙の爆弾』は創刊しました。

『紙の爆弾』創刊号(2005年5月号。4月7日発売)

そして、それからわずか3カ月後、あろうことか鹿砦社代表の私松岡が逮捕され、本社、松岡自宅、東京支社、関係先などに大掛かりな家宅捜索がなされ、さらには製本所、倉庫会社、大手取次3社、関西の主要書店3社などにも捜査が入りました。製本所、倉庫会社はともかく、普段は「表現の自由」「言論・出版の自由」という言葉を声高に叫ぶ大手取次や大型書店は、あっさり捜査に協力しました。少しは抵抗してほしかったな。

私は192日の長期勾留を強いられ、このかんに鹿砦社は機能停止、事務所閉鎖、壊滅的打撃を受けました。大晦日・正月を六甲の山の上(歴史的にも名のあるひよどり台)にある神戸拘置所で過ごしました。そうして、執行猶予付きながら懲役1年2カ月の有罪判決、民事でも600万円(一審は300万円、控訴審で2倍になりました)余りの賠償金が課されました。

そうした困難な情況でも、心ある多くの方々のご支援で『紙の爆弾』は、断続的ながら発行を続け、私の保釈後、鹿砦社は、自分で言うのも僭越ですが、奇跡的に復活することができました。正直、自分でも復活できるとは思ってもいませんでした。ただ、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」と、懸命にもがき続けただけです。うまく「瀬」を摑むことができました。悪運が強いとしか言いようがありません。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

一方、弾圧の張本人、本件事件の責任者で当時の神戸地検特別刑事部長・大坪弘道検事は、大阪地検特捜部長に栄転、しかし厚労省郵便不正事件証拠隠滅に連座し逮捕され有罪、失脚しました。また、主任検事で松岡に手錠を掛けた宮本健志検事(地元甲子園出身!)は深夜に泥酔し暴れ拘束され、戒告・降格処分を受けました。

大坪弘道逮捕を報じる朝日新聞2010年10月2日朝刊

岡田和生逮捕を報じるロイター電子版2018年8月6日付け

さらに、松岡を刑事告訴し、賠償請求3億円もの巨額訴訟を起こした、警察癒着企業にして大手パチンコ企業アルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)の創業者社長(当時)岡田和生氏も海外で逮捕、みずからが作り育てた会社からも放逐されました。

まさに因果応報、人をハメた者は、必ずやみずからもハメられるという恰好の証左です。こうしたことを想起すると、この事件が、よからぬ輩に仕組まれたものだということが判るでしょう。
 
私たちは、『紙の爆弾』創刊(4月7日)─出版弾圧(7月12日)に至る過程で絶望的に地獄に落とされましたが、そうした攻撃や弾圧に打ち勝ち、『紙の爆弾』を継続発行し、さらに強くなり出版活動を持続しています。これほどの事態を乗り越えたのですから、もう何も怖くはありません。

『紙の爆弾』は、来月4月7日発売号(5月号)で創刊15周年を迎えますが、別冊「2005年に何が起きたのか?」を付けます。お支えいただいた皆様方に感謝し、死滅したジャーナリズムの中で、存在感のある出版活動を継続してゆくことを、あらためて決意するものです。共に闘いましょう!

『紙の爆弾』創刊―出版弾圧15周年を記念して、昨年の鹿砦社創業50周年に続き、今回は東京だけですが6月6日(土)に記念集会を予定しています(午後3時から、於・スペースたんぽぽ)。今から日程を調整され、ぜひともご参加お願いいたします。この種の記念集会は、これ以後しばらくはやらないつもりですので、特に昨年の集会に参加されなかった方のご参加をお願いする次第です。

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◆月刊『紙の爆弾』(定価600円/税込)は全国の書店にて発売していますが、なるべく定期購読をお願いいたします。1年(12号)分6600円(1号分お得)を郵便振替(01100-9-48334 口座名=株式会社鹿砦社)にて、お名前、ご住所、×号からを明記しご送金ください。お申し込みの方には特製ブックカバーを贈呈いたします。また、毎年12月には魂の書家・龍一郎揮毫によるカレンダーを送ります。

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創刊─出版弾圧15周年!! いまこそタブーなき言論を!月刊『紙の爆弾』2020年4月号

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』