『紙の爆弾』1月号に寄せて

中川志大 『紙の爆弾』編集長

1月号では、孫崎享・元外務省国際情報局長が高市早苗首相の「台湾有事発言」を分析。すでに日中関係の悪化による経済への影響が各所で顕在化していますが、それにとどまらない本当の「高市リスク」について解説しています。それは、2021年末の安倍晋三元首相の「台湾有事は日本有事」発言と比較するとわかりやすく、両者の違いは現役の首相であるかだけではありません。高市首相の「右翼的ポピュリスト」思想にもとどまらない、今の高市政権そのものが持つ危険性が、孫崎氏の論考から見えてきます。

そもそも、繰り返し強調される「中国の脅威」とは何か。日本国内では、まるで中国がいきなり暴走を始めたかに受け止められていますが、そのタイミングをみれば、アメリカの対中戦略の変化が発端であることがわかります。だとすれば高市発言は、米中対立が次の段階に移行する予兆ととらえることが可能です。そうした現状にあって、果たして日本政府に対中戦略と呼べるものがあるのか大いに疑問で、ひたすらアメリカに追従することしか考えていないように見えます。その先に見えるのが、「日本のウクライナ化」です。ロシア・ウクライナ情勢について前号では東郷和彦・元外務省欧亜局長が、日本でほとんど報道されない欧州各国首脳の過激発言を紹介、ウクライナ情勢の現在と今後の展開について解説しました。そこで見えてきたのが欧米発のプロパガンダにまる乗りする日本の姿で、こと台湾情勢においてはさらなる危機を招くことが懸念されます。

孫崎氏は「目先の一手」に終始する高市政権の対外姿勢を指摘していますが、それは、事実に基づかない発言で“犬笛”を吹きジャーナリスト・西谷文和氏を攻撃しながら、西谷氏の質問状に答えない藤田文武・維新共同代表の言動にも通じます。橋下徹元代表ならば、もう少し考えて話していたのでは。自維まるごと、代を重ねるごとに劣化する、というのは、現代日本の政治に根本的な要因があるように思います。

N党・立花孝志代表の名誉毀損逮捕。パチスロメーカー告発書籍等の出版を理由とした2005年の鹿砦社代表逮捕・長期勾留事件は、名誉毀損の判断は権力・体制側のさじ加減であるとしても、出版物の記載内容(表現)を理由にしながら「証拠隠滅のおそれ」「逃亡のおそれ」を認定した異常なものでした。松岡代表が否認を貫き、それゆえに約200日に及ぶ長期勾留に至ったのに対し、立花氏が早々に罪を認めたなど両事件の展開には違いがあるものの、本誌記事が指摘する内容は、日本の刑事司法を考えるうえで間違いなく重要なテーマです。

ほか今月号では、現地取材・本人取材を通して田久保眞紀・前伊東市長への「メディア総たたき」の真相に迫りました。また“極右の台頭”ばかりが報道される裏で躍進を見せる「欧州左派」と、失速する「日本の左派」の違いを解説。さらに、このところ死亡事故が相次いでいるにもかかわらず、大きく取り上げられない日本ボクシング界の闇にメスを入れました。『紙の爆弾』は全国の書店で発売中です。ぜひご一読ください。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

『紙の爆弾』2026年1月号
A5判 130頁 定価700円(税込み)
2025年12月7日発売

「台湾有事発言」は序章にすぎない 日本を襲う高市リスク 孫崎享
高市首相に食い込んだ米巨大投資ファンド 浜田和幸
日本だけ“真逆”の「令状主義」立花孝志逮捕事件が明かす刑事司法の異常 たかさん
藤田文武維新共同代表「犬笛吹いて逃亡」の責任を追及する 西谷文和
欧州左翼“復活”の時代に 日本の左派が見失った「果たすべき役割」広岡裕児
デマゴーグが闊歩する風土(上)日本的「和」の真相 中尾茂夫
国民を監視し情報を遮断する統制強化装置「スパイ防止法」の正体 足立昌勝
犯罪を裁く司法の犯罪 警察、検察、そして「裁判所の裏ガネ」青山みつお
動物実験を代替する? ヒト臓器チップとは何か 早見慶子
「日露相互理解協力章」受章 日露民間外交がもたらす「国益」 木村三浩
「JBC」トップに高まる退陣要求 ボクシング連続死亡事故の報道されない闇 片岡亮
メガソーラー計画は本当に止まったのか? 田久保眞紀前伊東市長総たたきの真意 高橋清隆
保護者を“カスハラ”扱いする都教委ガイドライン 永野厚男
原発亡国論 佐藤雅彦
食・農と生活を再生する「海洋深層水」の可能性 平宮康広

連載

例の現場【新連載】
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け:西田健
「格差」を読む:中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座:東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER:Kダブシャイン
ニッポン崩壊の近未来史:西本頑司
芸能界 深層解剖【新連載】

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0G4CFFVG9/

司法の独立・裁判官の独立について〈2〉アメリカによる日本の司法破壊

江上武幸(弁護士 福岡・佐賀押し紙弁護団)

戦後80年にわたって日本がアメリカの事実上の支配下におかれてきたことは、ネット情報により国民に広く知れわたるようになりました。前回述べたとおり、司法の世界(裁判所・検察庁)もアメリカ支配のもとにおかれてきました。

*元外交官孫崎享氏の『アメリカに潰された政治家たち』(河出文庫)をご一読ください。

*グーグルで「日米合同委員会」・「年次改革要望書」を検索して下さい。

日米合同委員会は、在日米軍将校と中央省庁の官僚とで構成する政治家抜きの秘密会議です。日本側参加者の肩書をみると、軍事・外交・防衛問題のみならず立法・司法・行政の国政全般について継続的に協議が行われていることがわかります。

日米合同委員会は月2回程度開催されているとのことで、これまでの開催数は2000回におよぶとの指摘もあります。

そこでの協議内容は、国会に報告されることも国民に公表されることもありません。

* グーグルで「日米合同委員会議事録公開訴訟」を検索ください。

日本のエリート官僚は、戦前は天皇支配のために、戦後はアメリカ支配のために生涯を捧げているといっても過言ではありません。日米合同委員会に各省庁を代表して出席できる地位につくことが官僚としての出世コースの最終ゴールであると考えて日常業務に従事しているとしても不思議ではありません。

大臣や国会議員が短い期間で国政の場から退場していくのに比べると、各省庁の官僚は大学卒業後、定年退官まで人生のすべてをかけて国政の中枢に座り続けるのですから、国を動かしているのは自分たち官僚であると自負するのもあながち無理からぬことかもしれません。しかも、在職中「つつがなく」上司の指示・命令に従って業務を遂行すれば、出世につながり、職を辞したあとは優雅な天下り生活が待っています。

しかし、国家権力が最終的に帰着するところは、最大の暴力装置である軍隊であることは歴史の証明するところです。アメリカの支配下におかれている我が国においては、国家権力は最終的には駐留米軍と自衛隊に帰属します。この点は、冷静に見ておく必要があります。自衛隊の文民統制も究極においては絵に描いた餅になることが必至です。

近時、自衛隊は陸・海・空を問わず米軍との共同訓練を拡大しています。実際に戦争が始まった場合、自衛隊が米軍の指揮下にはいることは避けられません。共同訓練の積み重ねによって、自衛隊員があたかも世界最大の核保有国であるアメリカの軍隊の一員であるかのように錯覚し、米軍に先んじて無謀な軍事行動に出る可能性も否定できません。

防衛大学生が入学直後、大量に退学している情報がネット上散見されます。退学の理由はともかくとして、早々に防衛大学での生活をあきらめ退学を選択した学生達と違い、残った学生は軍事大国としての復活を目指す思想に染まりやすいのではないかと懸念します。

日々、猛烈な軍事訓練に耐えてきた防衛大学卒業の自衛隊幹部が、文民統制という名で上位に立つ同世代の一般大学卒業の文官を内心で軽くみたとして不思議ではありません。

防大生の職業軍人としての自尊心・おごりたかぶりの萌芽は、戦前の帝国陸・海軍人の姿をみるまでもなく、制服姿で靖国神社の参道を行進する姿をみれば容易に想像がつきます。

災害時に被災者を救護した経験のある自衛隊員はともかく、日夜、日本の防衛のためということで人殺しのために厳しい訓練に耐えている血気盛んな若者が、いつしか世界最強の米軍と共に戦場に立つ日が来ることを夢見たとしても不思議ではありません。

◆最高裁と検察庁中枢のアメリカ支配

次に、年次改革要望書は、アメリカ政府の日本政府に対する規制緩和や市場開放を求める要望事項(実際は命令に等しい)を記載した文書です。日本政府はこれを受けて関係省庁の官僚に検討と実行を指示し、官僚は進捗状況をアメリカに定期的に報告する仕組みになっています。鳩山民主党政権時代にいったん終了しますが、その後も形を変えて継続しています。

そこに書かれた要望事項は、建築基準法・独占禁止法・著作権法・労働者派遣法などの基本法の改正や郵政民営化・法曹人口の大幅増加などの具体的かつ詳細で、広範にわたっています。

司法にもアメリカ支配が及んでいることは、米軍立川基地違憲判決(伊達判決)を最高裁判決で取消すための方策を田中耕太郎最高裁長官とアメリカ大使が密談で決めたことを紹介したとおりです。

* 検察庁については、戦後、GHQによる東京地検特捜部の誕生秘話を検索ください。

* 歴史に仮という言葉が許されるならば、当初予定されていた田中二郎氏が最高裁長官に指名されておれば、我が国の司法の歴史はもっと違ったものになっていたことでしょう(岡口基一元裁判官のSNSでの発言)。

司法の独立と裁判官の独立を守るのは裁判官の責任だけではありません。検察官・弁護士を含む法曹三者全体の責任です。

最高裁と検察庁の中枢はアメリカ支配を積極的に受け入れてきた戦前の司法官僚とその後継者たちによって占められてきました。従って、アメリカが裁判所・検察庁については、直接間接に影響力を及ばすことは可能です。

ちなみに、京都大学法学部卒業で検事になった同期の友人は、「就任して6年目に将来同期の誰がどの程度まで出世するかが分かるようになった。」と述懐してくれました。裁判官の世界も同じです。

しかし、弁護士の場合、単位弁護士会と日本弁護士連合会の会長は会員の選挙によって選ばれますし、そもそも民間組織であるためアメリカの支配はおよびません。

弁護士は治安維持法に基づく検察局・裁判所による思想弾圧事件を弁護してきた戦前の歴史から、新憲法のもとで認められた三権分立・司法の独立・裁判官の独立を守ることの重要性を最も強く感じていました。

新憲法施行に伴い「司法研修所」が設置され、司法研修所を卒業するときに裁判官・検事・弁護士のいずれかの道を選択する制度に変わりました。

司法研修所の2年間の生活で法曹の卵たちは法曹三者の一体感を醸成してきました。私達世代は、裁判官・検察官・弁護士の立場の違いを超えて、司法の独立・裁判官の独立を一致協力して擁護しようとする気持ちは同じでした。しかし、アメリカの支配を甘んじて受け入れた戦前の裁判官・検察官は、戦後の司法研修所で培われた次世代の法曹三者の一体感を理解することも尊重することもできませんでした。

石田最高裁長官らによる青法協所属裁判官の脱会工作や再任拒否、修習生の任官拒否による思想統制については、結局、外部の日本弁護士連合会が中心になって反対するほかありませんでした。

1969年 定期総会 司法権の独立に関する宣言
1970年 臨時総会 平賀・福島裁判官に対する訴追委員会決定に関する決議
1971年 臨時総会 裁判官の再任拒否に関する決議
1971年 臨時総会 司法修習生の罷免に関する決議
1971年 定期総会 司法の独立に関する宣言
1972年 定期総会 裁判官の再任・新任拒否に関する決議
1973年 定期総会 最高裁判所裁判官の任命に関する決議
1973年 臨時総会 裁判官の再・新任に関する決議
1975年 定期総会 司法研修所弁護教官の選任および新任拒否に関する決議
1976年 定期総会 司法研修所における法曹教育に関する決議
1977年 定期総会 裁判官新任拒否に関する決議
1978年 定期総会 裁判官新任拒否に関する決議
1979年 定期総会 裁判官新任拒否に関する決議

最高裁の裁判官の思想統制に真っ向から反対する弁護士や日本弁護士会の存在がアメリカや最高裁にとって目障りだったことは疑いようがありません。

アメリカは1997年の年次改革要望書に「日本政府は、1998年(平成10年)4月1日から、最高裁判所の司法研修所の修習生受け入れ数を年間1500人以上に増やすことによって、日本弁護士の数を大幅に増やすべきである。」と記載しました。

翌1998年の要望書には「日本政府は、最高裁判所司法研修所の修習生受け入れ数を可及的速やかに、遅くとも2000年(平成12年)4月1日以降に入所する修習生クラスから年間1500名以上に増やすべきである。」と記載しました。

1999年の要望書には「日本政府はできる限り速やかに、しかし遅くとも2001年(平成13年)4月1日に開始される研修までに、最高裁判所司法研修所による修習生の受け入れ数を年間2000名以上に増やす必要がある。」と記載しました。

2000年の要望書には「米国は、自由民主党司法制度調査会が2000年5月に提言した目標(ある一定期間内にフランスのレベルに到達する)のように、弁護士数をある一定数、大幅に増加させることをもとめる。」と記載しました。

(注):フランスのレベルとは、年間3000人程度の数を意味します。

アメリカ政府が日本政府に司法試験合格者の大幅増員を求めた背景には、日本の弁護士の経済的・社会的地位の低下、裁判官・検察官に対する弁護士の相対的地位の低下、ひいては日本弁護士連合会の政治的影響力の低下を実現する意図が隠されていたと考えざるを得ません。

法曹人口の増大と法科大学院の導入が完全な失敗であったことは誰の目にも明らかになっています。しかし、日本の司法の破壊を目的としたアメリカにとっては大成功だと評価することが出来ます。郵政民営化の成功体験と同じです。

◆法科大学院導入と法曹人口増員が日本の司法をいかに破壊してきたか

次回の投稿は、法科大学院の導入と法曹人口の増員が日本の司法をいかに破壊しているか、その現状を個人的感想を交えて述べさせていただきたいと思います。

(追記)現在の司法の状態をどのように立て直していけば良いのか考えると気が遠くなります。なお、参考のために以下の動画と書籍をご覧頂ければ幸いです。

れいわ新選組の山本太郎氏の参議院文教委員会における質疑(2019年6月18日開催)
「アメリカ様の要求通りは、学問の世界も?
」(ユーチューブ動画)

◎前法務大臣河井克行氏著「司法の崩壊-新任弁護士の大量発生が日本を蝕む」(PHP研究社刊)

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年10月12日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

◎「司法の独立・裁判官の独立」について〈1〉

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

《12月のことば》我が道を行く

鹿砦社代表 松岡利康

《12月のことば》我が道を行く(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)
《12月のことば》我が道を行く(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

本年のカレンダーも最後の一枚になりました。一年経つのは本当に速いものです。

本年も厳しかった一年でしたが、月々のカレンダーの言葉に叱咤激励され過ごしました。この一年が厳しかったとは言っても、大きな自然災害、人的災害に遭った方々が受けた被害に比すれば大したことはありません。どんなに苦しい時でも、確固たる信念を持って「わが道」を進んでいけば、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」と信じています

私たちの出版社・鹿砦社は、激動の年・1969年に創業して以来、多岐にわたる領域の出版を行いつつも常に「わが道」を進んできました。そうでなければ、鹿砦社という出版社のレゾンデートル(存在理由)はありません。どこにでも在る中小出版社にすぎません。小さくても毒を持つ出版社を目指してきました。

創業50周年を、創業メンバーでただ一人、生き残り老骨に鞭打って頑張っている前田和男(『続全共闘白書』編纂人)さんを招き、当時の想い出を語っていただき、皆様方に祝っていただいてから、新型コロナという予想もしなかった感染症が世の中を一変させ、いかんせん、これに巻き込まれ、いまだにのたうち回っています。もうそれも、そろそろ打ち止めにしなくてはなりません。

これからも、いかなる苦境にあろうとも、「わが道」を進み続けることに変わりはありません。生来鈍愚なので、今更生き方を変えることはできませんから……。

来年のカレンダーは、『紙の爆弾』2月号と共に明日発送いたします。制作途上で龍一郎は肺がんで片方の肺の半分を取る手術をし、加えて歴史的な猛暑で体力的に厳しい中、気力を振り絞り書き上げてくれました。70代に入り満身創痍の龍一郎をしても、大動脈解離に続き大病で体力的に持たず、東日本大震災-原発爆発から来年3・11で15年を迎え、震災発生から龍一郎と二人三脚で続けて来たカレンダーですが、これを節目として最後にさせていただくことになりました。まことに残念ですが、ご了承ください。闘病中の龍一郎については、その費用をまかなうため次の口座にカンパをお願いいたします。

振込先:郵便振替 01760-0-130407
口座名:井上龍一郎

龍一郎にしても私にしても、大学を離れてから、いろんなことを経験しました。龍一郎は、何と言っても「ゲルニカ事件」、私は「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧──けっして安穏な人生ではなかったけれど、それなりにいろいろあった人生でした。人生はまだまだ続きます。私は一時の栄華から転落、このままでは悔いが残りますので、反転攻勢をかけ必ずや再び失地回復を成し遂げます。ご支援をお願いいたします!

六ヶ所再処理工場と大間原発が建設中の青森県こそ反戦反核の拠点に! 12月1日大阪での中道雅史さんの報告集会にご参加を!

尾﨑美代子

去年、大阪で開催された老朽原発再稼働阻止集会で、青森県から参加された中道雅史さんにお会いした。集会での中道さんのアピールをお聞きして、青森県の原発、核関連施設について、私が余りに知ってないことに驚かされた。その中道さんが来週祝島、広島を講演会で回るそうだ。最後の日曜日は、高浜の現地行動へ行くという。以前、店に来られた際、少しお話をお聞きしたが、もっとじっくりお話をお聞きしたいと思ってた。なので、来週いっぱいスケジュールが入ってるようなので、大阪で話して貰うのはまた今度と考えていた。そんな時中道さんから提案された。

「尾崎さん、月曜日でもいいからぜひ皆さんに報告させて下さい」と。私は311以後作った「西成青い空カンパ」の仲間に聞いたら、みなさん、「やろう!やろう!」「お話が聞きたい!」となった。

ということで、12月1日(月曜日)大国町ピースクラブで中道雅史さん緊急報告会をやります。ぜひぜひお集まりを!!

《追記》先日来店された女性2人のお客様、知っている方の女性はキリスト教団体の反原発の催しなどやっていて、数年前、小出さんの講演会に参加させて頂いた。

お二人にチラシを渡すと、もう1人の釜ヶ崎初めての女性が、「私の故郷は青森県です」というのだ。あらま、びっくり。彼女の母親は現在65歳、高校卒業後「集団就職」で関東に出てきたという。えっ集団就職? それってもっと古い昔じゃないの?と思ったが、事実だった(これが最後だったらしい)。

それほど地元で仕事がない。結局彼女のお母さんは千葉で割の良い仕事が探せ、そこで知り合った男性と結婚し、彼の転勤で青森県に戻り、それからずっと反原発を闘ってると。

彼女の地元十和田市は、パチンコ店が乱立しているらしい。山ほどある原発関連施設で働く作業員らが楽しむためだろう。もちろん歓楽街、風俗店も。

青森県にはぜひ行って見たい。中道さんが案内して下さるという。この目で見てみたい。どんな光景が広がっているのだろうか?

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

3・11の彼方から──『季節』セレクション集 Vol.1
https://www.amazon.co.jp/dp/4846315878

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

WMO世界戦、瀧澤博人は戴冠! 睦雅は敗れる!

堀田春樹

2024年7月28日の世界挑戦で2-1判定負けした瀧澤博人は今回、明確に倒して戴冠。
睦雅はベテランの曲者、ペッダムにペースを狂わされ判定負け。
軽量級の二人のライバルチャンピオン、西原茉生はテクニックで圧倒の判定勝利。
細田昇吾は初回早々の圧倒のKO勝利。
治政館の新星、BANKIと西山天晴は揃って勝利。

◎KICK Insist.25 / 11月23日(日・祝)後楽園ホール17:15~21:20
主催:VICTORY SPIRITS、ビクトリージム
認定:World Muaythai Organization、ジャパンキックボクシング協会(JKA)
世界戦スーパーバイザー:ウラチャー・ウォンティエン(タイ)

前日計量は22日14時より水道橋内海ビルにて行われ、全員が一回でパスしています。戦績はプログラムを参照に、この日の結果を加えています。

◆第11試合 WMO世界スーパーライト級王座決定戦 5回戦

3位.睦雅(=瀬戸睦雅/ビクトリー/1996.6.26東京都出身/63.5kg)31戦23勝(14KO)6敗2分
            VS
ペッダム・ペッティンディーアカデミー(1998.5.25タイ国出身/63.5kg)
258戦199勝52敗7分
勝者:ペッダム・ペッティンディーアカデミー / 判定0-3
主審:ノッパデーソン・チューワタナ(タイ)
副審:椎名利一(日本)48-50. 
アラビアン長谷川(タイ)47-49. 
ナルンチョン・ギャットニワット(タイ)47-49

(睦雅はWMOインターナショナル・スーパーライト級チャンピオン/ペッダムは元・WBC・ムエタイ世界フェザー級、元・ルンピニー系バンタム級、元・タイ国《PAT》バンタム級チャンピオン)

睦雅はローキックで様子見。ペッダムは高めの蹴りを返しながら圧力を掛けて出る。パンチの交錯は互角ながら、ペッダムの勢いが強い。

第2ラウンド以降もペッダムの左ミドルキックが時折強く繰り出して来る。更にペッダムの左ハイキックが睦雅の顔面を掠めるようなヒット。睦雅はローキックからパンチ、ハイキックも織り交ぜ突破口を開こうと出ていくが、ペッダムはリズムを崩さない。

ペッダムの左ハイが睦雅の顔面を掠める

その流れが続き、睦雅がパンチ攻勢を強めてもペッダムは凌いで強い左の蹴りで返して来る。第3ラウンド終了時の公開採点が30-29、30-28が二者でいずれもペッダム優勢。これはもう倒しに行かなければ勝利は難しい流れとなった。

しかし、睦雅は攻めても流れを変える勢いは無く、ペッダムの左ミドルキックでの優勢の流れは変えられない。第4ラウンドも取られて各ジャッジとも2~3ポイント開いた差となってしまった。ほぼ勝ち目は無いが倒しに掛かるしかない最終ラウンド、作戦は如何に進めるか。セコンドの声に頷く睦雅。ペッダムは手数は減ったが、出て来る睦雅に対抗して蹴って出た。睦雅は正に無我夢中の攻めも敵わず、頑丈なペッダムに蹴られ続けてしまった流れで巻き返せず、王座奪取は成らなかった。

ペッダムの左ミドルキックは重く強くタイミングよく入って睦雅を苦しめた

睦雅は試合後「戦い難さはちょっとはあったんですけど、僕自身がダメだったので、ここまで整えるまでが未熟だったかなとやってみて思いましたね。ペッダムはそこまで強いとか崩せないというのは無かったので、僕が足りない部分があったというところですね。」と語った。

ペッダムには防衛戦について尋ねると「防衛戦もやりたいですが、これからも実力をアップさせて名声を高めていきたいです。」と、大凡はこのように応えました。タイ語が難しくて捉え難かったですが、キレイに纏めてくれた印象があった回答でした。

判定はペッダムに上がった。睦雅は悔しい瞬間

◆第10試合 WMO世界フェザー級王座決定戦 5回戦

15位.瀧澤博人(ビクトリー/1991.2.20埼玉県出身/ 57.1kg)45戦29勝(16KO)12敗4分
VS
10位.チャイトーン・ウォー・ウラチャー(タイ/ 57.0kg)77戦54勝20敗3分
勝者:瀧澤博人 / TKO 3ラウンド 1分25秒
主審:ナルンチョン・ギャットニワット(タイ)
副審:椎名利一(日本) アラビアン長谷川(タイ)  ノッパデーソン・チューワタナ(タイ)

(瀧澤博人はWMOインターナショナル・フェザー級チャンピオン/チャイトーンはラジャダムナン系スーパーバンタム級5位)

離れた距離での蹴りでの牽制の両者。瀧澤博人は距離を詰め難さが感じられた。ペース掴めず圧され気味の中、第2ラウンドには距離が詰まるとチャイトーンの左ヒジ打ちで瀧澤は右目尻を切られてしまうが、瀧澤も右ヒジ打ちでチャイトーンをグラつかせた。

ヒジで斬られた瀧澤博人はヒジ打ちで返した

蹴りの勢いとタイミングではチャイトーンが優勢の中、第3ラウンド、チャイトーンが瀧澤をロープ際に詰めたところで、瀧澤がカウンターの左ヒジ打ちをチャイトーンの顔面に打ち込むとゆっくりとロープにもたれ掛かって崩れ落ち、カウント中にレフェリーがストップし、瀧澤のTKO勝利となった。

瀧澤博人はカウンターの左ヒジ打ちでチャイトーンを倒した

歓喜に湧く瀧澤陣営。瀧澤も喜びと号泣と、そして最後は元気にマイクで感謝と先の目標を語った。

二人の愛娘を抱き上げる瀧澤博人。人生最高の瞬間。更にもう一つ上へ行けるか

◆第9試合 52.5kg契約3回戦

JKAフライ級チャンピオン.西原茉生(治政館/2003.6.27埼玉県出身/治政館/ 52.4kg)
17戦11勝(5KO)5敗1分
         VS
ローマ・ルークスワン(IMSAスーパーフライ級Champ/タイ/ 52.45kg)68戦41勝26敗1分
勝者:西原茉生 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:勝本30-27. 西村30-27. 少白竜30-27

ジャブとローキックでペース掴み、先手を打ってローマのリズムを崩した西原茉生の上手さが目立ち、倒すに至らなくても終始圧倒。蹴りもパンチも多彩に攻め優り、ジャッジ三者ともフルマークを示した。

ローキックから終始圧倒を維持した西原茉生。細田昇吾の挑戦を受ける日は来るか

◆第8試合 52.5kg契約3回戦

JKAフライ級1位.細田昇吾(ビクトリー/1997.6.4埼玉県出身/ビクトリー/ 52.4kg)
26戦17勝(6KO)7敗2分
         VS
ソッサイ・ウォー・ウラチャー(タイ/ 52.4kg)50戦29勝19敗2分
勝者:細田昇吾 / KO 1ラウンド 48秒
主審:勝本剛司

ローキックで調子を上げていく細田昇吾。ソッサイも応じて多彩に蹴るも、細田の勢いが優り距離感を掴んでパンチ連打で追い込み、左ボディブロー二度ヒットさせるとソッサイは苦しそうに崩れ落ち、テンカウントを数えられた。

細田昇吾は9月20日にタイでジットムアンノンスタジアム・スーパーフライ級王座決定戦で4ラウンドKO勝利し王座獲得。そのチャンピオンベルトを掲げて登場。勝利後も王座戴冠の報告と今後の飛躍を誓った。

最後は左ボディーフックだが、最初のボディブローが活きた細田昇吾。勢いが優った

◆第7試合 66.7kg契約3回戦

ペップンミー・ビクトリージム(元・タイ国イサーン地方フライ級2位/タイ/ 66.0kg)
68戦53勝(16KO)15敗
         VS
NKBウェルター級チャンピオン.カズ・ジャンジラ(Team JANJIRA/1987.9.2東京都出身/ 66.65kg)45戦21勝(4KO)17敗7分
勝者:ペップンミー・ビクトリージム / 判定3-0
主審:西村洋
副審:椎名30-28. 勝本30-28. 少白竜30-28

ローキックで様子見。徐々に距離を詰めていく両者だが、前に出るカズ・ジャンジラと、下がりながらも的確に攻めるペップンミーはヒジ打ちを含め多彩な技を持った上手さで余裕の判定勝利。NKBから参加したカズ・ジャンジラは引退まで残り2戦となった。この日の一戦で得た技で防衛戦と引退試合を勝ち上がりところである。

ペップンミーは落ち着いた試合運びでカズ・ジャンジラの蹴り足を捉える

◆第6試合 ライト級3回戦

ジャパンキック協会ライト級5位.林瑞紀(治政館/ 61.2kg)19戦11勝(4KO)7敗1分
        VS
乱牙(=蘭賀大介/前・NKBライト級Champ/無所属/1995.2.9岩手県出身/ 61.23kg)
14戦7勝(3KO)5敗2分
勝者:林瑞紀 / 判定2-0
主審:少白竜
副審:椎名29-29. 勝本29-28. 西村30-29

蹴りとパンチの互角の攻防。やや乱牙の勢いある蹴りも林瑞紀のパンチヒットで巻き返す。第3ラウンドにはヒザ蹴りに行こうとした乱牙に左ストレートヒットさせた林瑞紀。グラついた乱牙に連打で仕留めに掛るが、乱牙は凌いで蹴りとパンチの乱打戦。ラストラウンドを取った林が辛うじて判定勝利した。乱牙はNKBから離脱し、フリーとなっての参加。前・チャンピオンの意地を見せたかっただろう。

◆第5試合 フェザー級3回戦

JKAフェザー級3位.石川智崇(KICKBOX/神奈川県出身33歳/KICK BOX/ 56.8kg)
10戦5勝4敗1分
          VS
同級5位.海士(ビクトリー/ 56.95kg)7戦5勝2敗
勝者:海士 / 判定0-3
主審:椎名利一
副審:勝本28-30. 少白竜29-30. 西村29-30

◆第4試合 スーパーフェザー級3回戦

青木大好き(OZ/ 58.5kg)15戦7勝8敗
      VS
松岡優太(チームタイガーホーク/ 58.7kg)5戦4勝1分
勝者:松岡優太 / 判定0-2
主審:勝本剛司
副審:椎名28-30. 少白竜28-30. 西村29-29

◆第3試合 フェザー級3回戦

BANKI(=竹森万輝/治政館/2008.2.15埼玉県出身/ 57.0kg)3戦3勝(1KO)
      VS
エイジ(RANGER/ 56.9kg)5戦3勝2敗
勝者:BANKI / 判定3-0 (30-28. 29-28. 30-29)

蹴りが中心の攻防もBANKIは得意の右ハイキックは時折繰り出すが、エイジもハイキックを返し、両者ともハイキックのインパクトを残した。やや圧して出るBANKIが第3ラウンドも攻勢を維持し判定勝利。

BANKIのミドルキックがエイジにヒット。互いの蹴りが交錯する激戦となった

◆第2試合 53.0kg契約3回戦

西澤将太(ラジャサクレックムエタイ/ 52.85kg)2戦2勝(1KO)
          VS
トム・ルーククロンタン(Team S.R.K/ 52.7kg)3戦1勝2敗
勝者:西澤将太 / 判定3-0 (28-27. 30-27. 30-27)

◆プロ第1試合 フェザー級3回戦

西山天晴(治政館/2007.4.25埼玉県出身/ 57.1kg)2戦1勝(1KO)1敗
          VS
石井隆浩(尚武会/ 56.7kg)5戦5敗
勝者:西山天晴 / TKO 1ラウンド 1分8秒

蹴りからパンチへ繋いだ西山天晴の左フックヒットし、石井隆浩がバランス崩した後、右ストレートでノックダウンを奪った。その後もパンチでコーナーに追い込み、連打したところでレフェリーストップが掛かり、西山のTKO勝利となった。

◆オープニングファイト アマチュア -85kg2回戦(90秒制)

石田岳士(SOGA KICKBOXING)vs長曽我部優空(ROCK ON)
勝者:石田岳士 / 判定3-0 (20-18. 20-19. 20-18)

※JKAフェザー級チャンピオン.勇成(Formed)は練習中の怪我により欠場。試合は中止。

《取材戦記》

WMO世界戦2試合は、7月3日に行われたWMO世界スーパーフェザー級タイトルマッチ、オーウェン・ギリス(イギリス)vs馬渡亮太戦でのジャッジ一者の採点不備を踏まえ、オープンスコアリングシステムを採用。各ラウンド毎に集計し公開アナウンスとなりました。

前回はジャッジ一者毎に一枚のジャッジペーパーで、最終ラウンドまで採点し集計してレフェリーに渡すローカルシステムでしたが、ジャッジ一者が集計ミス。これで大きなトラブルに発展した。未だ解決しないこの試合結果。WMOサイトではこの試合の結果は載っておらず、オーウェン・ギリスはチャンピオンのままです。

馬渡亮太に尋ねたところ、一応ジャパンキックボクシング協会には、“そのチャンピオンと認められてはいる”いう曖昧な立ち位置。でも近々決着戦が予定されているという。それが日本かイギリスかは未定で、「出来ればタイで行なうのが中立ですね。」と語られた。いずれにしても“倒して勝つ”と宣言した馬渡亮太。前回のモヤモヤした保留結果は払拭して貰いたいところである。

今回のWMO世界戦2試合は、前回の不祥事ジャッジ(タイ)は外された様子。

瀧澤博人はラジャダムナンスタジアム・ランカーのチャイトーンを倒し、WMOの世界王座は戴冠しても、これを切符にラジャダムナンスタジアムランキング入りと王座挑戦も近づいたという、世界王座の上に殿堂ラジャダムナンスタジアム王座があるという縦構造を示した形。まだ最高峰には達していないという発言にもなった。

試合は距離感掴めない、やや圧された展開からヒジ打ち狙った両者の攻防の中、アグレッシブにぶっ倒してしまう圧倒的勝利は見事だった。“瀧澤やるじゃん”である。

睦雅は1月のONEでの敗戦後4連勝の絶好調の中、何が調子を狂わせたか、ペッダムは左ミドルキックは強かったが、攻略出来ない相手ではないと考えられたが、睦雅は言葉少ないながらも、再挑戦へ向けて立ち上がると窺える表情だった。

2026年のジャパンキックボクシング協会興行は、3月15日(日)後楽園ホール、5月24日(日)市原臨海体育館、7月5日(日)後楽園ホール、9月20日(日)新宿フェース、11月22日(日)後楽園ホールが予定されています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

「万博」「都構想」「身を切る改革」そして……維新と吉村洋文は何度でもウソをつく

西谷文和(紙の爆弾2025年12月号掲載)

タブーなき月刊誌『紙の爆弾』の最新号記事がnoteで一部公開・購読可能となりました。独自視点のレポートや人気連載の詰まった「紙の爆弾」は全国書店で発売中です(毎月7日発売。定価700円)。書店でもぜひチェックしてください。

◆安倍晋三に学んだ政治家としての処世術

「大阪の男」と「奈良の女」。高市早苗首相と吉村洋文大阪府知事・日本維新の会代表(以下、敬称略)に共通するものは何か? それは平気でウソをつけること、しかも、そのウソを追及されても開き直って責任をとらないという「強靭なメンタル」を持っていることだ。

2023年8月6日、吉村は被爆地・広島には行かず、京セラドーム大阪で開かれた「関西コレクション2023A/W」というファッションショーにモデルとして出演した。その後、女性司会者とのやりとりの中で「大阪万博の上空では空飛ぶ車が自転車のようにぐるぐる回る」「万博には3000万人、主に外国の方が来る。国際交流の場になる」と断言した。しかし、空飛ぶ車は開催中にデモ飛行が実施されたものの、観客の乗車体験は断念。そのデモ飛行も、「ぐるぐる回る」どころか、プロペラの一部が折れて飛行中止。

万博の入場者数は想定以下の2500万人で、来場者は外国人でいっぱいにはならなかった。地方の参加者は少なく、地元の関西人が主だったのも周知のとおり。それでも閉幕後は「黒字になった。大成功だ」とはしゃいでいる。しかしそれは運営費で黒字になっただけで、約2倍に膨れ上がった建設費2350億円や9.7兆円に上る巨額のインフラ整備費を全く考慮に入れない大ウソだ。

実際の収支は大赤字なので、これから巨額の血税が注ぎ込まれていくのだが、「大阪の男」はそんなことお構いなしに、大阪都構想の是非を問う3度目の住民投票に突き進んでいる。ちなみに2020年に2回目の住民投票で敗れた際には「もう僕自身は政治家として都構想にチャレンジしません」と述べていた。この矛盾を突かれると「このままではできない、なので信を問う」との主旨を述べた。つまり辞職して知事選挙と3回目の住民投票を同時に行なうつもりだ。

ウソにウソを重ねて、「勝つまでジャンケン」を繰り返す吉村。冗談ではなく、この人物が知事である限り4度目、5度目があるかもしれない。

一方「奈良の女」は自民党総裁選で「奈良公園の鹿を蹴っているのが外国人旅行者とすれば」と仮定法で、言い逃れが可能なヘイトスピーチを披露した。この発言の直後から「迷惑系ユーチューバーの、へずまりゅう(奈良市議)と同じだ」「総裁候補としてありえないヘイト発言」と批判の声が湧き上がった。実際の奈良公園の動画を見れば、外国人旅行者は鹿に優しく接しているし、一部蹴り上げている過去動画はあるものの、それが外国人かどうかは判別できない。このことを問われた高市は「せんべいをあげようとして焦らすと、鹿は足を踏んで来る。それに怒った英語圏の人が蹴り上げた」と、証拠も示さずに自身の経験談を語るのみ。

注目すべきはいったん「外国人旅行者」と決めつけておきながら、釈明会見では「英語圏の人」と言い換えていることだろう。高市は参政党が進めた「日本人ファースト」にあやかって極右の票を獲得しようとする一方、外国人排斥・排外主義者というレッテルを貼られたくないので、外国人を「英語圏の人」と言い換えて「ヘイト度」を薄めようとしたのだ。

高市は経済安全保障担当相だった2年前にも、安倍政権下の総務相時代、マスコミへの電波停止発言に関する自身の発言を暴いた総務省の内部文書を「捏造だ」と決めつけた。立憲民主党の小西洋之参院議員に「捏造でなければ議員を辞めるか?」と詰め寄られると、「結構ですわよ」と開き直った。後日この文書は捏造されたものではなく本物であったことが判明したが、高市は大臣・議員を辞めるどころか、吉村と組んで今や総理大臣になってしまった。

高市早苗と吉村洋文の2人は第2次安倍政権時代に「政治家の処世術」を学んだのだった。安倍晋三首相が森友学園事件で「私や私の妻が関係していたら総理も国会議員も辞めます」とタンカを切ったものの、本当に関係していたので部下が公文書を改竄して守ってくれた。桜を見る会前夜祭で地元山口県下関市の後援会員を格安で接待したことがバレても、全責任を会計担当者と秘書、領収書を出さないホテルになすりつけて逃げ通した。権力を握れば、つまり「トップに上り詰めればウソも開き直りも許される」ことを学んだわけである。

◆大阪での成功体験

ではこの2人が連立合意した条件、まずは衆議院議員の1割削減について考察してみよう。

これは「企業団体献金の禁止」を求める維新に対し、自民が応じなかったので、それに代わる改革ネタ(馬場伸幸・前代表談)が必要だと感じたのがそもそもの目的である。裏金議員に対する国民の怒りを定数削減にすり替えるという維新お得意の「騙しの手口」なのだが、なぜ唐突に定数削減を言い出したかというと、維新には「大阪での成功体験」があるからだ。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/nb65dca79b73b

植草一秀 「政治とカネ」を闇に葬る最悪連立 自民・維新金権腐敗政権

植草一秀 文責・本誌編集部(紙の爆弾2025年12月号掲載)

タブーなき月刊誌『紙の爆弾』の最新号記事がnoteで一部公開・購読可能となりました。独自視点のレポートや人気連載の詰まった「紙の爆弾」は全国書店で発売中です(毎月7日発売。定価700円)。書店でもぜひチェックしてください。

◆空費された2年間

2025年10月21日、第104代内閣総理大臣に高市早苗衆院議員が就任し、高市内閣が発足しました。

様々な紆余曲折がありましたが、振り返ると2024年の年初から国民生活は極めて厳しい状態に置かれ、政治は何ら措置も取らないまま、ほぼ2年間が空費されました。この現実をまず直視すべきです。

この2年間、日本の政治を2つの事象が支配してきました。1つは自民党内の「政治とカネ」の問題、史上空前の巨大裏金不正事件です。1000万円超の不正を行なった議員が21名いたにもかかわらず、刑事事件として立件された議員は数名に留まった。これは刑事司法の腐敗も示しています。

もう1つは、深刻なインフレが進行して労働者の実質賃金が減り続け、国民生活が一段と冷え込む状態が続いたことです。2013年~23年の10年間、日銀総裁を担った黒田東彦氏はインフレ誘導政策を推進しました。不幸中の幸いでその目論見は失敗したものの、コロナ融資を契機に2022年~25年までの4年間で目標の2%を大幅に上回るインフレが発生しました。生鮮食品については2022年以降、年間8%ペースで上昇が続き、2021年を基準にすれば物価は3割も上昇しました。

一方で、賃金が上昇しているのは大企業だけ。しかも、それ以上にインフレが進み、実質賃金は減少が続いています。厚生労働省の統計では2022年4月から25年8月までの41カ月間で、1人あたりの実質賃金指数が前年比プラスになった月は4回のみ。それ以外の37カ月は前年比マイナスの有り様です。同時に日本円が暴落し、いまや円は1970年水準よりも弱いという状況です。これは、日本国民の所得や資産のドル換算での金額が激減したことを意味します。円の暴落は国民に甚大な損害を与えています。

こうした事態に日本国民は選挙で明確に意思表示をしてきました。その1つは昨年10月の衆議院総選挙で自公の議席が過半数割れに転落したことです。この時、野党がその気になれば、政権刷新も可能な状況が生まれていました。今年7月の参院選でも自公が歴史的な大惨敗を喫し、与党は参議院でも過半数割れに転落しました。

昨年10月の総選挙では裏金事件が大きな争点となりました。その主犯が旧安倍派だったため、石破茂内閣は、敗北の責任は旧安倍派にあるとしましたが、今年7月の参院選で石破内閣に明確な退場通告が突きつけられます。

政治腐敗の根源が企業・団体献金です。したがって今年1月からの通常国会は、その全面禁止を法定化する千載一遇のチャンスでした。しかし、石破首相は国会答弁で、禁止には反対だと明確な意思表示をしました。

とはいえ、自公政権は衆院で過半数割れしています。ここで野党が結束して企業・団体献金禁止の法定化を実現しようとすれば、少なくとも衆院では可決できたはずです。しかし、その機会を自民とともに潰した犯人が国民民主党です。国民民主はこの問題について全会一致が必要だと主張。自民党の反対を踏まえて全会一致を求めることは、法定化を妨げることにほかなりません。昨年の総選挙後に、自民党にすり寄る行動をとって政権交代の芽を摘み取ったのも国民民主でした。

また税の問題では、衆院選で消費税率を5%に下げるという主張を中心に、複数の野党が減税提案を示しました。しかし通常国会で決定されたのは、所得税の「103万円の壁」引き上げのみ。その減税規模はわずか0.7兆円にすぎません。しかも、所得税は岸田文雄内閣が2024年に1年限りの2.3兆円定額減税(総額3・3兆円)を実施しています。これが終わったことで、2025年度の所得税は、差し引きで前年度比1.6兆円増税となっています。これは財務省の資料によって簡単に確認できる事実ですが、メディアは1行も伝えていません。

加えて、社会保険料負担が発生する「106万円・130万円の壁」の撤廃がどさくさにまぎれて決定されました。結果、週20時間以上働く人の手取り収入が、16万円や27万円も減ることになりました。

◆議員定数削減の不埒な狙い

この2年間の政治背景を踏まえれば、改革の一丁目一番地が「政治とカネ」であることは誰の目にも明らかです。しかも、自民党と連立を組んだ日本維新の会は企業・団体献金廃止を提案してきたのですから、連立樹立の条件にこれを掲げるのが順当です。ところが維新はこの問題を放棄し、代わりに提示したのが社会保険料の引き下げと副首都構想、そして議員定数削減でした。社会保険料引き下げは若者を中心とした人気取り政策、副首都構想は大阪利権そのものです。

さらに議員定数削減とは比例代表の削減で、その真意は少数政党の殲滅です。そもそも日本の国会議員数は人口比において、G7諸国の中でも米国に次いで2番目に少ないものです。一方で、議員報酬は国際比較で突出して高い。それゆえ「身を切る改革」というのであれば、議員定数ではなく議員報酬を削減すべきです。

日本の国会議員の本給である歳費とボーナス(期末手当)だけで約2200万円。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/nc1a93e4fae3f

「公安警察」とは何か

足立昌勝(紙の爆弾2025年11月号掲載)

タブーなき月刊誌『紙の爆弾』の最新号記事がnoteで一部公開・購読可能となりました。独自視点のレポートや人気連載の詰まった「紙の爆弾」は全国書店で発売中です(毎月7日発売。定価700円)。書店でもぜひチェックしてください。

◆相次ぐ警察不祥事と謝罪

9月5日、警察庁の楠芳伸長官は、都道府県警の本部長を集め臨時の全国会議を開いた。被害者の訴えを黙殺した「川崎ストーカー殺人事件」における神奈川県警の不適切対応や、立件ありきの「大川原化工機事件」における警視庁公安部の捜査が違法と認定された不祥事を受けてのものである。

川崎事件では、9月4日に神奈川県警本部が「神奈川県川崎市内におけるストーカー事案等に関する警察の対応についての検証結果」を公表した。そこでは、署や本部における対処体制の形骸化や機能不全を取り上げ、今後、人身安全関連事案における被害者やその親族等の安全確保を最優先とした対処を徹底するという。ここで指摘されている内容は、現状の体制内における教育等に終始している。問題の本質が異なっているのではないか。今まで言ってきた言葉を繰り返しただけで、再発防止になるはずがない。根本的解決を図るならば、警察に批判的な人物を含め、第三者で構成する委員会に諮問すべきだ。

また、大川原化工機事件について、警視庁は8月7日、「国家賠償請求訴訟判決を受けた警察捜査の問題点と再発防止策について」を公表した。そこでは、訴訟指揮に関連して次の5つの問題点を指摘している。これらは組織内部の問題であり、公安部が抱える問題の大きさを物語っている。

①捜査機関解釈に対し経産省が疑問点を示していたにもかかわらずその合理性を再考することなく捜査を進めたこと
②温度測定実験に関する消極要素の精査の不徹底
③取調べ官に対する指導の不徹底
④捜査班運営の問題
⑤公安部長ら幹部への報告の形骸化と実質的な捜査指揮の不存在

これらを踏まえ、「公安部の捜査指揮系統の機能不全によって、公安部において組織として捜査の基本に欠けるところがあり、本件において関係者を逮捕したことが国賠法上違法であるとされる結果となったと考えられる」と結論付けた。今後は「業務の性質上現場の捜査員が声を上げにくいと言われる公安部の組織風土を十分認識した上でそれによる弊害を減らし、上司、部下が立場にとらわれず必要な意見を交わすことができる環境づくりを進めるとともに、公安部全体の捜査指揮能力の向上につなげていかなければならない」という。

大川原加工機事件で問われるべきは、公安警察の在り方そのものである。主権者である国民に見えないところで秘密の捜査を行ない、国民を監視してきたのが公安警察だ。この組織そのものにメスを入れない限り、根本的解決にはならない。

◆公安警察とは何か

1945年10月6日、GHQ(連合国総司令部)が発した人権指令「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件」に基づき、国民を弾圧し続けた悪名高き特別高等警察(特高警察)は廃止された。

しかし、戦後の社会情勢に不安を感じていた内務官僚は、これに代わる組織の必要性を考えた。そして同年12月19日、内務省警保局に「公安課」を置き、各都道府県警察に「警備課」を設けた。その後、内務省は解体され、警察の在り方も根本的に改正されたが、そのどさくさ紛れに忍び込ませたのが公安警察で、その後も解体されることなく、大きな組織へと発展していった。

さらに特徴的なことは、公職追放されていた旧特高警察の警察官の多くが公安警察に復帰し、特高警察での経験・ノウハウを活かしているといわれていることだ。
 昨年5月21日、警視庁150年を記念した特集で産経新聞は、「過激派、外国による工作…国内唯一の『公安部』誕生」を掲載した。同紙は公安警察の役割について次のように書いている(一部要約。以下同)。

〈「国事犯を隠密中に探索警防する事」。警視庁は明治7(1874)年の発足直後から、国家の秩序を乱す活動を事前に察知して防止することを、主要任務の1つとして掲げてきた。戦前では主に「特別高等警察(特高)」が対応に当たったが、GHQから「秘密警察」とされ廃止に。戦後、デモや大衆運動が活発化し、過激派による襲撃事件も発生する中、警視庁は警備課や捜査2課に置かれた係で対処する状態だった。「このような分散された弱い体制では(中略)国内の治安情勢に対処することはできない」(『警視庁史昭和中編上』)として昭和27(1952)年、公安1~3課を擁する警備2部が発足。1932年には「公安部」に改称され、日本で唯一公安部を持つ警察本部となる。東大紛争やあさま山荘事件、オウム真理教事件など、極左や右翼、カルト宗教を受け持つ「国内公安」に加え、外国機関の情報収集、対日有害活動に対応する「外事」も担う。外事は現在、主にロシアを担当する外事1課、中国の外事2課、北朝鮮の外事3課、国際テロの外事4課という態勢に。また、テロの疑いがある事案の初動捜査などに対応する公安機動捜査隊やサイバー攻撃対策センターも擁する。〉

この記事には、同紙の極右的特徴がそのまま出ている。まず、特高警察について触れながら、その悪行への批判はない。戦後のどさくさ紛れに設置された公安警察を無批判に受け入れ、旧内務省警保局への反省もない。このような治安重視の姿勢が、どれだけの善良な国民を監視し、投獄してきたのか。その事実を抜きにして、警察史を語ることはできない。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/n208373083019

キックボクサーは何歳まで戦えるか

堀田春樹

「俺らの時代は試合終わると身体のあっちこっち痛くて足引き摺りながら帰ったけど、今時の選手は怪我しないよね!」とは1989年1月にタイで、当時のニシカワジム西川純会長が、試合を終えた愛弟子・赤土公彦がさっさと歩いている姿を見て言っていた話。怪我が治らないうちに次に試合がある。西川さんはそんなキックボクシング創生期に活躍した選手でした。

そして、「キックボクシングなんて長くやるもんじゃないよ!」とも言われ、大怪我したり、ダメージ蓄積すれば、その後の人生に影響が出るという、そんな風潮があった昭和の時代。30歳以上のキックボクサーは居るには居たが、その数は少なかった。

特に世界の頂点極めた者がその地位を維持出来なくなったら引退が濃厚。そこからデビュー当時のゼロ地点に落ちるまで戦い続ける者はほぼ居ない。

他のスポーツと比べて身体を酷使する打撃格闘技は動体視力やスピードと反射神経が重要で、全盛を維持出来なくなると、もう引退というのも一般認識だろう。

◆現役に拘った選手達

しかし、キックボクシングは第一線級を退いても、存在価値があれば続けられる、メインイベンターは無理でも、使って貰える環境が有る。それはチケット売れるなら使ってやろうという主催者都合もあるだろう。

元・全日本フェザー級チャンピオン、立嶋篤史は1971年12月28日生まれで、1987年に15歳でタイで初試合。国内では翌1988年4月デビュー。1991年4月に王座獲得後、防衛は成らなかったが、二度奪還した功績は大きかった。身体のメンテナンスを怠らず、負けが込んで、その下降線を辿っても、新たな目標持って戦う立嶋篤史は今年4月27日に53歳で101戦目を戦い敗れたが、ストイックに凄いキャリアを残した。

ストイックな立嶋篤史。フェザー級に拘った37年。変わらぬ体形(2025.4.27)

近年、48歳まで戦った笹谷淳(現・レフェリー)は、1975年3月17日生まれで、2002年11月に27歳でデビュー。2010年10月10日にJ-NETWORKウェルター級王座獲得。2023年2月18日のNKBウェルター級王座決定戦でカズ・ジャンジラに敗れて引退を決意。怪我を克服しながら諦めずチャンピオンへ再チャレンジを続けた。

笹谷淳は最終試合の翌興行で引退式。更にレフェリーになるのも早かった(2022.2.19)

笹谷淳と同時期デビューした竹村哲(現・マッチメイカー)は、1971年8月18日生まれで2002年に31歳でデビュー、2014年10月11日、NKBウェルター級王座獲得したが翌年12月に引退。44歳まで戦った。

竹村哲は遅咲きの43歳で王座獲得。引退は44歳。当時はもう少し頑張れたかも(2015.12.12)

目黒系藤本ジム所属だった勝次(=高橋勝治)は1987年3月1日生まれで、2006年5月21日デビュー。2015年3月15日に日本ライト級王座獲得し、2019年10月20日にWKBA世界スーパーライト級王座獲得。その後は鳴かず飛ばずの状態が続くも、先月の9月28日にWBCムエタイ日本王座への挑戦が実現。HIRO YAMATO(25歳)に初回早々ノックダウン奪いながら巻き返されての僅差判定負けとなった。もう一度花を咲かせるか、引き際を考えるかの去就が注目される現在だが、まだ40歳手前で、衰えより若い世代の台頭に圧された感じである。

勝次は連敗脱出成るか。更なる王座奪取成るか。現在においてはまだ引退は早い(2025.9.28)

10月18日の日本キックボクシング連盟興行に出場した小磯哲史は、1973年8月8日生まれで1999年にデビュー。元・J-NETWORKライト級チャンピオンで、最近は負けが込む中、元・新日本キックで日本ライト級ランカーだった大月慎也(39歳)に初回早々から攻勢を掛け、主導権支配してレフェリーストップに追い込む圧倒のTKO勝利。スピードは落ちたが52歳の小礒哲史は、この中堅域ならまだまだイケそうな雰囲気である。

52歳で圧倒のTKO勝利を飾った小礒哲史。現役はまだ続けられそうである(2025.10.18)

思い付く代表的選手を抜粋しましたが、他にも息の長い選手は多いところです。

◆ルール的には

プロボクシングならば日本ボクシングコミッションによる厳格な規定があり、ボクサーライセンス取得資格は16歳(試合は17歳から)以上37歳未満まで。37歳以上はチャンピオンであることやランキングに入っていて王座挑戦の見込みがあることなど幾つかの条件が付く。条件に満たなければライセンス失効となる。それは健康で将来を重要視した規定でしょう。

キックボクシングはコミッションといった管轄組織は無く、有っても名前だけで厳格な機能はしていない。年齢制限は団体によっては制定されているだろうが、任意団体の御都合主義で大方が明確ではない。だから50歳過ぎても現役を続けられたり、60歳プロデビューも起こる業界である。

◆50歳が境界線

因みにプロボクシングでは世界第一線級に立つ中で、ジョージ・フォアマンが48歳9ヶ月まで戦い、バーナード・ホプキンスが51歳11ヶ月まで戦ったという驚異的記録があります。

国内のキックボクシングでは、立嶋篤史が「先はそんなに長くない」と言う中、今後の動向が注目されます。

私ども“完全燃焼”という言葉を使うこと増えていますが、その時戦える自分に合った最強の相手と戦って、結果に関係無く全力を尽くして悔いなく引退するのが最近の風潮かもしれません。もし大きな怪我無くとことん戦い続けたら、体力の限界は50歳が一つの境界線でしょうか。何歳まで戦えるかは二十代でも、三十代で引退も選手各々の人生次第でしょう。

大金を稼ぐ夢を持った時代から、逆に赤字でもやる者も多いのが今の時代。長くやるもんじゃなかった時代からずいぶんと様変わりした競技となったものです。

最後にこのテーマから論点ズレしますが、6月に立嶋篤史氏と他数名で会って久々に食事しました。打たれ脆くなった、反射神経が著しく落ちたと言われても、彼の身体そのものはなかなか丈夫である。試合でKO負けしても後楽園から船橋まで走って帰る逞しさ。昔のことはしっかり覚えている。議論すればしっかり自論で言い返して来る。32年前、タイで会っていた頃と同じだった。立嶋篤史氏についてはまだ時期未定ながら、格闘群雄伝に登場予定です。

憧れの後楽園ホールのリング。ここを目指して来た選手は多い(2025.5.11)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

「鹿砦社カレンダー2026」完成! これが最後となります。『紙の爆弾』『季節』の定期購読の方、会員、支援者の皆様には12月初め発行の両誌次号と共にお届けいたします!

鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社カレンダー2026の一枚

「鹿砦社カレンダー2026」が出来上がりました!

2012年版(東日本大震災の年2011年制作)から始まった「鹿砦社カレンダー」も恒例となり、毎年首を長くしてお待ちいただいている方もおられます。

これは、松岡の大学の後輩で書家の龍一郎が、魂を込めて揮毫したものです。

本年もまた多くの自然災害、事件などがあり、目を海外に向ければ、ウクライナ、パレスチナの戦火はまだ続いています。本当の平和はいつ訪れるのでしょうか。

こういう時勢だからこそ、私たちは強い想いを持って、このカレンダーの制作にあたり、ここにお届けすることができました。ぜひ、お部屋の片隅にでもお飾りいただければ幸いです。

この制作の過程で、龍一郎に肺ガンが発見され左肺の半分を取る手術をし、現在抗がん剤治療を行っています。彼は重度の糖尿病、大動脈解離などを経験し、不屈の精神で病を乗り越えてまいりました。今回もおそらく乗り越えることでしょう。心ある皆様方のご支援(闘病資金)をお願いする次第です。

振込先:郵便振替 01760-0-130407    
口座名:井上龍一郎
空欄に激励のメッセージなどお書きください。

来年3月11日で東日本大震災-原発爆発から15年となります。このカレンダーも、龍一郎の体力を鑑み、ひとつの区切りとして今回でいったん最後にさせていただくことになりました。龍一郎も私たちも頑張りました。今は清々しい気分です。機会あれば、なんらかの形で再び登場いたしたく思っています。

【お断り】このカレンダーは基本的に『紙の爆弾』『季節』の定期購読者、会員、いつもカンパをいただいたり継続的にご支援をくださる方、執筆者などに限り送らせていただいております。龍一郎や私たちの想いの籠もったこのカレンダーは毎年好評で、数を限って制作しており、毎年ほとんどなくなります。カレンダーだけを送れという方はお断りさせていただいております。

https://www.rokusaisha.com