「最高の責任者は私だ」として、あたかも自らが憲法解釈を行いうるかのような、安倍晋三首相の国会答弁に注目が集まっている。
これはもちろん大問題だが、その陰で、安倍政権が明確に原発の再稼働に舵を切っていることは、あまり注目されていない。

2月25日に、政府がまとめた「エネルギー基本計画」の原案は、原発を「重要なベースロード電源」と位置づけた。
「ベースロード電源」とは、季節や時間帯に関係なく安定的に出力できるという意味で、電力供給の基礎を原発に置くということだ。
原案には、原子力規制委員会の新規制基準をクリアした原発について「再稼働を進める」とも明記されている。

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『紙の爆弾』の安部譲二氏による連載が終わった。
一方、『デジタル紙の爆弾』では、「ロス疑惑」の三浦和義氏が取り上げられていた。このデジタル版の記事のとおり、三浦氏の無罪判決は無実とか潔白とか言うべきものであり、証拠不十分により疑わしきは被告人の利益に、というものではなかった。

しかし、この判決の当時、安部氏は無罪になって悔しいと言っていた。これは一部の新聞に談話として掲載された。このなかで安部氏は、三浦氏に100万円取られたと言っていた。これは、「ロス疑惑」について安部氏が週刊誌上で、三浦氏は「ハングレ」であり死刑か無期懲役刑が相応しいと述べたことが、名誉毀損により違法とされた判決のことだ。週刊誌やワイドショーの面白おかしい報道を情報源にして私人に対し決め付けをするべきではない、ということだった。

そして、三浦氏の無罪判決は、安部氏が名誉毀損で敗訴した判決が正当であったことを裏付けるものである。だから、自らの敗訴を不当判決と主張するならともかく、その恨みを引きずり無罪判決に悔しがるのでは筋違いだ。
この安部氏の態度について、当時、三浦氏は批判しており、これは『週刊金曜日』に取り上げられていた。安部氏は刑務所に入ったことがあるので、その辛さなどを知っているはずだが、それなのにどうしてあのような酷いことを言うのかと、三浦氏は疑問を呈していた。

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日本史の一大事件として有名な二・二六事件は、78年前の1936年2月26日に起きた。学生の頃勉強した当時の教科書を開くと、国家改造・軍部内閣樹立を目指すクーデターで、その後軍部が政治介入するきっかけとなり、高橋是清、斎藤実元首相と渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害されたとある。

私には、明治生まれで100歳まで生きた祖母がいた。4年前に他界したが、亡くなる直前まで元気で、孫、曾孫達に昔話を聞かせるのを楽しみとしていた。その祖母から聞かされた二・二六事件は、教科書で学んだものとは少し違う。

祖母は当時20代半ばで結婚しており、子供はまだいなかった。世田谷に住んでいたがその頃の世田谷は今のような住宅街ではなく、片田舎の様相を残していた。事件前日までは、特に何も変わった様子もなく、平穏な毎日だったという。

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世の中が完全にインターネットの時代になり久しい。誰でも気軽にネットでニュースも観れるし映画も観れる。本も買えればCDも買える。尤も紙媒体やCDすら必要もなく、電子書籍に音楽データで済んでしまう。

町の書店は減り、CDショップも減少傾向にある。商店街の店が一件潰れる度、失業者が増えたのだろうなと思う一方で、ネットワークシステムを構築するような仕事は常に人手不足で、少ない技術者を取り合う状況になっている。

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2011年に下関市で6歳の女児が殺害され、湖山忠志氏という在日韓国人の男性が殺人などの容疑で逮捕、起訴された事件について、筆者は当欄でたびたび取り上げてきた。それは、この事件は何かと問題が多いからである。

最大の問題は、湖山氏が本当に犯人なのか、ということだ。湖山氏は一貫して無実を訴えながら、一昨年7月に山口地裁の裁判員裁判で懲役30年の判決を受け、さらに今年1月、広島高裁の控訴審でも無実の訴えを退けられた。しかし、実を言うと裁判では、湖山氏とは別の第三者による犯行を疑わせる数々の事実が判明していた。それがこの事件の実相なのである(詳しくは、下記の関連記事1などを参照)。

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自殺騒動まで報じられた猪野直樹元都知事。都知事でなければ、「作家」のみの肩書きが残るが、もはや発注する人はいない。
町田の閑静な住宅街。「印税収入、年間3000万円」だという猪瀬邸では、主の姿をすっかり見ない、と近隣の中年が囁く。
「知事のころは、警備員つきでジョギングしている姿を見たが、例の5千万騒動のころから見ませんねえ。まあ、見かけても挨拶してくれるような人ではないけれど」
猪瀬直樹の目撃情報が途絶えた。「今は、知人の家に宿泊しているはずです。まあ、事務所には連絡とれますし、とくにこちらから用事もありませんしね」とかつての出版社の担当は冷たい態度をとる。

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現在の日本国憲法は、アメリカから与えられた憲法だ、と多くの日本人が思いこんでいる。
それに対して、GHQの干渉は受けているが、その土台は日本人が作った自主憲法であると実証的に述べているのが、佐藤雅彦著『もうひとつの憲法読本  新たな自由民権のために』(鹿砦社)だ。

土台となった憲法草案は、土佐の自由民権運動指導者、植木枝盛が1881年に起草した「東洋大日本国国憲按」である。
これを福島県相馬郡出身の鈴木安蔵という憲法学者が発掘。戦後、これを元に「憲法草案要綱」を発表、現在の日本国憲法の土台となっている。

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1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で味噌製造会社の男性専務とその家族3人が惨殺された「袴田事件」。強盗殺人罪などに問われた元プロボクサーの袴田巌さん(77)は1980年に死刑判決が確定したが、世間では冤罪とみる人が多く、今春にも再審開始の可否が決まる見通しの第2次再審請求の行方に対する注目度が日増しに高まっている。

そんな袴田事件の初期報道を調べていたら、強く関心をひかれる新聞記事に出くわした。袴田さんがこの事件の容疑者として警察に連行された際、重大事件の容疑者らしからぬ「笑顔」だった様子を伝えた毎日新聞(縮刷版)1966年8月18日付け夕刊9面の記事である。

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都知事選で、民主党は細川護煕を支持。民主党の支持母体である連合東京は、舛添要一を支持した。この、ねじれには、オヤッと思った人々も多いだろう。
人心が離れていくのをみて、民主党は原点に立ち返ったのかと感心した向きも少なくない。
だが、選挙が終わって流れているのは、民主党は細川陣営の足を引っ張るために選対に加わったのではないか、という情報だ。

桝添支持に傾いていた民主党は、細川出馬が決まると一夜にして、細川支持に変わった。
1月27日には、民主党の大畠章宏幹事長は、「暴走を始めた安倍政権に対峙していく戦いの一環だ。細川候補の勝利を勝ち取るために、協力をお願いします」と、党所属国会議員や都道府県連代表者らに檄を飛ばした。

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笑ってしまうのは、フィギュアスケ-トの高橋大輔がショートプログラムで滑った曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」の作曲者とされていた佐村河内守氏が、「実は耳が聞こえていた」と週刊文春で新垣隆氏に暴露されてからのマスコミの対応だ。
他の雑誌やテレビ局関係者が、「耳が聞こえていると気がついていた」と言い出した。

ある意味すごいのは、「本誌が見抜いた佐村河内の嘘」という記事を載せた、2月10日発売のAERAだ。
昨年6月に佐村河内氏にインタビューした際に、彼は手話通訳が終わらないうちに答え始めたという。帰りのタクシーが着てインターホンが鳴ると、即座に立ち上がって「来ましたよ」と言ったという。
耳が聞こえていたことに気がついて、インタビューの掲載を見送ったというのだが、なぜその時に追求して記事にしないのか。そうすれば、週刊文春に先んじたスクープになったのに。自分たちのマヌケぶりを、わざわざ記事にしているのだから、驚く。

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