1978年7月13日に安西マリア事件の公判がスタートし、関係者の新証言に注目が集まった。8月7日の第2回公判では、安西が証言台に立ったが、2月3日に竹野が衣籏を殴った後で、安西と母親を呼び出した際、竹野の言い放った脅し文句について検事の質問に答えて次のように詳細の説明した。

「ワシは前科24犯だ、人を殺すことなどなんとも思わん。警察もこわくはない。背中のイレズミをなんだと思ってるか、これを使ってホリプロとのもめごとと解決すしたんだって。こなると広島から若いものを連れてこなくちゃならんな、などといわれて、私は泣き出してしまいました」

安西は竹野エージェンシーに所属する前、ホリプロ傘下のプロダクションにいたが、安西をスカウトした人間が800万円の借金をつくった。それが移籍の際、問題となり、違約金として請求されたが、竹野は背中のイレズミを見せることでチャラにしたのだった。

つまり、大手芸能プロダクションであるホリプロからタレントを奪うのに背中のイレズミがモノを言ったというのだ。

「あなたに敗けそう」(1975年3月20日東芝EMI 作詞=なかにし礼 作曲=井上忠夫)

◆「社長と寝た方がいい」

これまで何度も述べている通り、芸能界には多くの大手芸能事務所が加盟する日本音楽事業者協会という業界団体があり、タレントの引き抜きを禁じ、独立阻止で一致団結している。だが、この芸能界の秩序は、暴力によって時にねじ曲がるというのである。

これは、なぜ暴力団関係者が芸能事務所を経営しているのかということに1つの答えが見出されると思う。暴力は芸能事務所の経営に役立つツールなのだ。

さらに、安西の証言は続く。安西は検事から「竹野社長が、前科24犯とか、広島から若い者を呼ぶといったのはまちがいありませんね」と訊かれ、「はい。ワシを裏切ったらどうなるかわかっとるのか。殺すことなんかなんでもないし、おまえと寝ようと思えば寝られるんだって……」と答え、嗚咽を漏らした。

そして、安西は、新しい契約書にサインをしてから、新曲の作詞家から「社長と仲が悪いのはまずい、社長と寝た方がいいんじゃないか」などと言われたという。これを聞いた安西は「竹野社長は私と関係しようとしていると感じました」という。

4月8日、安西は失踪したが、その理由は「社長に、コンクリートづめにして海に沈めなければわからないなどといわれたので、逃げ出してしまいました」と説明している。

◆加害者社長はほどなく復帰、被害者マリアは引退へ

年が明けた79年1月19日、東京地裁で竹野に懲役10ヶ月、執行猶予3年の有罪判決が言い渡された。だが、当時の週刊誌は、「私はマリアに脅迫、強要をした事実はありません。私が期待していた判決ではありません」「私も許されるならば、芸能界の仕事をしたいのですが……」といった竹野のコメントを紹介し、擁護し、にこやかに笑う竹野の写真も掲載している。そして、判決が出た1年後の80年に竹野は奥村チヨの所属事務所としてフェニックス・ミュージックを設立し、芸能界に復帰した。

一方、事務所に謀反を起こし、芸能界の暗部を告発した安西の方は、引退を余儀なくされた。長らく日本を逃げるようにしてハワイに移住していたが、失踪事件から22年後の2000年に芸能界に復帰した。なお、所属事務所は、バーニング系と言われる10-POINTだった。
安西は復帰後しばらく芸能活動をしたが、テレビ番組で2013年に鬱病を告白し、2014年3月15日、急性心筋梗塞で他界した。

▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』絶賛発売中!

 

20代前半血気盛んな若者たちが「祭り」で酒を飲めば、乱痴気騒ぎは避けられない。昼間から飲み始め何時間も飲んでいれば、酩酊したり、軽度の急性アルコール中毒になる学生が出るのも毎回のことだった。学園祭を運営する学生組織は、もめごとや軽度のアルコール中毒学生のケアーも手が回る限り対応にあたっていたが、普段見たこともないような大勢の人波にあふれるトラブルの全てをコントロールすることはやはり学生には無理がある。

◆学園祭の危機管理に不可欠だった「ガムテープ」

学生が手におえないような状態が発生した時「待機」している教職員に助っ人を求めてくる。一番多いのが酩酊者の扱いだ。悪酔いして暴れだしたり、喧嘩を始めて血まみれになって気を失っていたり、程度の酷い酩酊者を相手にするのはこちら側にもそれなりの体力と工夫がいる。

元気のいい学生が暴れだしたら、私が一人で取り押さえるのは危険だった。一人で何とかなるだろうと過信して取り押さえようとしたものの、顔を蹴られるは、投げ飛ばされそうになるわ、散々痛い目を食らった経験があった。その時に先輩の職員から、「なんでガムテープ持っていかへんかったん?」と秘訣を授けられた。

酩酊者に限らないが、乱暴者を取り押さえるのに「ガムテープ」はとても使いやすい「武器」なのだ(布製のガムテープは粘着力が強過ぎて皮膚を傷つける恐れがあるので、紙製のガムテープを使用していた)。

3人程で2本のガムテープを準備して「酩酊学生鎮圧」にかかるわけだが、要領はこうだ。まず一人が頭を抱えるようにして上半身を押さえつけながら地面に倒す(頭を押さえるのは怪我をさせないためである)。もう一人が足の動きを押さえにかかり動きを止める。この状態で酩酊学生は二人に取り押さえられているが、当然抵抗を止めず、バタついている。こういう状態の人間はたいてい大声を出しながら暴れるので、少々乱暴だが3人目はまず口にガムテープを張る。声を出せなくなると不思議だが体の抵抗が少し収まるのだ。次に膝を手早くガムテープでグルグル巻きにする。膝を固定するともう大暴れは出来ない。膝から足先までを順次巻き上げていき、下半身を完全に封じ込む。最後に手首を押さえつけて両手を固定すれば、一応完了だ。

その後酩酊学生を3人で抱えて保健室のベッドへ搬送(?)する。ミノムシのように簀巻きにされ、さぞや不本意なのであろう体をくねらせて抵抗するが、ガムテープの粘着力には余程体力のある学生でも太刀打ちできない。保健室に連れて行き、口に張ったガムテープをはがし、一人が給水と見張りで付き添い残りの二人は引き上げる。最初暴れようとして大声を出したり、体を動かそうとしていても、相当な体力を使ったためと、アルコールにより、しばらくすれば大抵眠りにつく。

◆学内での集団乱闘をどう収束したか?

単独学生の酩酊ならば、このように対応可能なのだが、騒ぎが100人の単位を超えると事態の深刻さは比べものではなくなる。

ある日、学園祭の終了時間間近になって事務室に学生が飛び込んできた。

「大変です。メインステージ前で大乱闘になってます。すぐ来てください!」

急を告げに来た学生は学園祭を運営している顔見知りの学生だ。彼らは責任感から、学園祭が終了するまでは一切の飲酒を自主規制しているのでデマではない。取り急ぎ事務室に待機していた職員数人とメインステージに向かう。怒号が飛び交い角材を振り回している者もいる。学生同士であればこれほど大規模な混乱は起こらない。学園祭を運営する不文律は個人の酩酊者を出すことはあっても集団での乱闘を阻止するように学生の間に浸透していた。

事情が呑み込めない。近くで模擬店をやっている学生に何がどうなったのかを聞く。

「暴れているのは学生じゃなくて外部の人間で、怪我した学生は校舎の中に運び込まれているんです」

よく見ると確かに乱暴している連中は似たような衣装を着ており、学生ではない。
私は、「うちの学生!絶対手を出すなよ!」とあらん限りの大声を出す。
「うちの学生はその場に座れ!」

ざっと見渡して200人ほどはひしめいている混雑の中で暴力を振るっている学外者を特定しないと対処ができない。私の指示は徐々に伝達されてゆき、やがて6、7人の人間を残してその場の学生は皆しゃがんだ姿勢となった。

その時、門衛さんが息を切らして走って来た。
「警察が入れろ言うてます!20人くらい来とるんです。どうしましょうか。今は止めてますねんけど」

暴力沙汰にびびった学生が110番をしたのだろう、しかし、この状態では絶対に警察を入れてはいけない。双方怪我人がいることは確実だろうから警察は事情聴取で何人も引っ張るだろう。それにかこつけて模擬店の学生や学内の捜査を行うに決まっている。私ともう一人の職員をその場に残して他の教職員は校門へ向かってもらう。20人の警察官ということは、たぶん機動隊も何人か来ていると想像される。絶対に何があっても警察を学内に入れないように説得にあたってもらう。

こちらは乱闘騒ぎの収拾を図らなければならない。
「何人ぐらい怪我させられたんや」と顔見知りの学生に聞くと、

「10人位かな。校舎の中に運び込んで中から鍵かけてます。ビール瓶で頭割られたり、角材でボコボコにされて出血ひどい先輩もいるから、救急車呼ばないと・・・」

「あほ!救急車呼んだら、また警察来るやないか!今既に20人位校門に来とんねんぞ!お前ら110番したんちゃうやろな」

「俺たちちゃうけど、見てた女の子が何人か110番してました」

「しゃあないなぁ」

事情は分かったので派手な服装の学外者へ声をかける。
「この大学の職員です、喧嘩になったと聞きましたのでうちの学生がご迷惑をかけたのであればお詫びしなければなりません。会議室へお越し頂けませんでしょうか」

「おっさん!どないしてくれんねん!お!このジャケット10万したんやで!破れてもうてもう着られへんやないか!お?」

「ですから、学生に非があればその分大学として補償さえて頂きます」

「弁償してくれるんかい?」

「学生に非があれば大学が補償いたします」

「おい、このおっさん弁償してくれるんやて。ほんなら話にいこうやないか。ごっつい損失やもんな!」

しめしめ、これで学生と乱暴者を引き離せる。と安心した時、静かに座っていた学生の中から大声が上がった。

「なんでそんな奴らに頭下げなあかんねん!」

そう声を上げたのは顔見知りの卒業生だった。勿論酔っている。こいつがほかの学生に火を付けたら収まるものも収まらない。

「何ぬかしとんじゃ!どあほ!」
そう怒鳴ると私はその卒業生に張り手をかました。

「田所さん、興奮せんといといてください!」

後輩の職員が止めに入る。

「演技や演技。学生が怒り出してまた乱闘になったらもう手が打てないやろ。ここには学生200人はおるんやで。勢いで鎮圧しないと、こっつち2人しかいないんやで。全然興奮なんかしてへん」と小声で伝える。彼には学外者を事務棟の会議室へ引率してくれるように頼み、私は怪我人の様子を見に校舎へ向かう。見慣れた連中がへたり込んでいる。

「なんで、こんなことになったん?」

「昨日、あいつらの一人が来てて大道具を壊しよったから、Aがどついたんです。そしたら今日仲間連れてきて・・・」

「お礼参りか。だいぶ怪我ひどそうやな」

「俺はビール瓶で頭二回やられました」

「ほとんど一方的か?」

「反撃しようにも、あいつら慣れてますよ。喧嘩」

「たぶん顔の折れてるで、君。今から車で病院に運ぶし。病院では学生同士で喧嘩した、っていうとき、あとで見舞い行くから」

怪我と程度から見れば学生が一方的に暴力を振るわれたことは明らかだ。学外からの乱入者をうまく聴取して「お灸」をすえるしかない。

いかにも喧嘩慣れした連中が片側に座る会議室に到着すると、

「今回は誠に申し訳ございませんでした。学生に事情を聞きましたがこちら側にも問題があるようですので、詳細をお聞きしたいと思います」
と腰を低くへつらい口調で会話を始める。

「補償をさせて頂くにあたり、皆さんのお名前、ご住所、被害内容が必要ですので、順番にお願いいたします」

これは暴行傷害立件のためにこちらが必要とする人定なのだが、「金」に注意が向っている学外者は脇があまりにも甘かった。

「俺か?名前は○○○○、住所○○○○、電話は○○○○。被害やけどなグアムで買うたロレックス壊されたわ。160万や。あとジャケットやパンツ合わせて200万位や」
「はい、次の方」
「名前は・・・・」
と同様のやり取りが続く。学外加害者の被害申告はどう見ても嘘だ。こちらが弱気になっていると思い、過剰に申告してくる。一応の聴取を終え、
「大学として総合的に調査し至急ご連絡を差し上げます。今日は混乱もありましたからこれでお引き取り下さい」と伝えると彼らも抵抗の素振りなく帰路についた。

暴行を受けた学生の見舞いに私は出向けない。それは他の職員に任せて早速「通告文書」の作成にかかる。

「○○様 過日、本学の学園祭で本学学生より、物質的な被害を受けたとお話を伺いましたが、その後の調査で貴殿らは本学学生に対して極めて悪質な暴行傷害を行っておられたことが判明しました。被害学生には顔面を複雑骨折したものもいます。本学としては貴殿のこのような暴力行為に対してこれ以上不当な補償要求を続けられるのであれば、誠に残念ではありますが警察当局の捜査に委ねるしかないと考えております」

翌日、学長の了承を得てこの文章を学外の加害者全員に送付した。効果はてきめんだった。時を於かず暴行に関わった学外者の親から「今回は勘弁して欲しい」との懇願の電話がかかってきた。学生の治療費などをこちらが請求できる状況だったが、その時は大学の判断としてそれは見送り「以後このような事が決してないように」要請するに留めた。

学園祭にトラブルはつきものだ。その時、被害者は怪我をさせられた学生たちだったが治療費は保険でカバーされ、校門前で一時は30人近くに膨れ上がった警察の入校も防ぐことができた。

これは10年近く前の話であるが、学園祭での飲酒自体がほぼ禁止となっている今日、紹介したような乱暴な景色はもうほとんどないだろう。

(田所敏夫)

タブーなき『紙の爆弾』 話題の11月号!

 

これまでに一度だけ、思い立って宝塚の舞台見に行った経験がある。2001年のことだ。

何の予備知識もないままにヅカファンだった友人に連れられて見たのは、たまたま上演していた雪組轟悠主演『猛き黄金の国』。三菱の創始者、岩崎弥太郎の生涯を描いた作品である。始まる前に友人は、この舞台はイマイチで、初めて見るなら違うものが良かったんだけど・・・と、少し顔を曇らせた。そう思いながらも彼女が足を運んだ理由は、共演の紺野まひるを応援するためだった。

確かに『猛き黄金の国』はそれまでテレビで見たことがあったものに比べると冴えなかった。その最大の理由は、台本が、つまらないというわけではないが地味で、主人公の役柄に全く華がなく、宝塚の持ち味を生かしきれないことにあった。

当時、宝塚は男性ファンを獲得しようと思考錯誤し、男性の興味を引きそうな歴史ジャンルにも題材を求めていたようだ。しかし、歴史上の人物にしても、もっと宝塚にマッチした華と人気のあるヒーローはいくらでもいる。それなのに、何故岩崎弥太郎なのか?

誰でもピンとくるのは、阪急と三菱の間に何かあるのだろう、ということだ。そして、案の定、当時の阪急電鉄社長小林公平は、三菱系の三村家から、小林家に婿養子に来ている関係だ。つまり、『猛き黄金の国』は社長にゆかりの三菱グループへのはなむけであり、ファンを喜ばせるための作品ではなかった。そういうものを平気で金を取って見せるのは、いかにも殿様商売に思われ、なめられているような気がして不愉快だった。生の舞台の魅力はわからなくはなかったが、それ以上に宝塚に対する大きな違和感が刻まれ、二度と舞台を見に行くことはなかった。

◆読んでわかった違和感の構造

こういった伏線をふまえて『タカラヅカスキャンダルの中の百周年』を読むと、当時の違和感の理由がいろいろと納得できる。

本書によれば、『猛き黄金の国』の主演だった轟悠は、歌劇団やプロデューサーに大金を貢ぎ、資産家の実家の経済力でトップスターの地位を手に入れた女優だった。どおりで実力もそれなりのはず。もし仮にまっとうに選ばれたトップスターが演じたならば、もう少し惹きつけられるものがあり、ヅカファンまではいかなくてもリピーターにはなっていたかもしれない。

現在、轟悠は歌劇団に残り、ジェンヌ出身としては珍らしい幹部になっているという。企業の事情がにおう舞台の主役としては、実にふさわしい配役ではあったのだ。

歌劇団が殿様商売をしているという印象も、間違ったものではなかった。本書に詳述されている、ファンがマネージャーの役割を肩代わりした上、歌劇団に上納金まで納めているという、ファンクラブの奇妙なあり方を見ると、一体客はどちらなのかわからなくなってくる。このように長い間ファンに甘え、利用するのが当たり前という慣習にどっぷりつかってきたのであれば、ファンのため、観客のためという発想が欠落するのも当然だろう。
本書を通じて強く感じられるのは、歌劇団組織の腐敗のようなものである。掲載されているジェンヌの不祥事は、上納金を始めとした、ジェンヌに負担を強いる歌劇団のシステムのしわ寄せから生じたものが多い。歌劇団がそれを知らないはずはないのだが見て見ぬフリで、事が起こればジェンヌを切り捨て終わりにする。そういうことをずっと続けてきたのだ。

◆歌劇団に刃向かった者は芸能界で干される

2008年のいじめ事件も、音楽学校職員のダメっぷりがいかんなく表われていた。いじめはひどいものだが相手はまだ未成年の少女であり、学校側の権限をもってきちんと対応すれば、ことの真偽を見極め、被害者を救うことはできたように思う。しかし職員は事件に対して全く真剣に向き合わず、てっとり早く被害者を切り捨てて幕引きをはかろうとする。そこには、被害者生徒のことはもとより、宝塚歌劇団の将来を考える気持ちもみじんもない。そして、順調に育てば歌劇団にも大きな利益をもたらしたであろう類まれな資質の逸材を、あっさりとつぶしてしまうのである。なんとももったいない話である。

この事件はたまたま被害者が訴訟という勇気ある行動に出て明るみになったが、同じようなことはほかにも起こっているように思えてならない。

被害者Sさんは、残念ながら、今後もう芸能界での活躍は難しいように思われる。せっかくの勇気ある行動が、歌劇団に刃向かった者は芸能界で干される、という前例を生んでしまったとしたら、本当に残念なことである。

(遠藤サト)

芸能界には暴力団関係者が経営する芸能事務所というものがある。これは昔からあるし、全国の自治体で暴力団排除条例が施行された今も変わらない。

1978年に起きた「安西マリア失踪事件」では、そうした芸能界の暴力団汚染の実態にメスが入れられた。

デビュー曲「涙の太陽」(1973年7月東芝音楽工業) 50万枚超のヒットとなった

安西マリアは、都内の高校を卒業後、銀座のクラブ「徳大寺」でホステスとして働いていたところ、スカウトされ、1973年に『涙の太陽』で芸能界デビューした。同曲は50万枚以上も売れたが、その後はヒットに恵まれなかった。

そして、1978年4月8日、安西は予定されていた曲のレコーディングに姿を現さず、失踪してしまった。13日、安西が所属するタケノエージェンシー社長、竹野博士は、記者会見を開き、これを公にし、14日、捜索願が出された。

◆「愛の逃避行」報道から急転した事件の真相

だが、事件は思わぬ展開を見せた。

安西は失踪直前に元マネージャーの衣籏(きぬはた)昇とともに母親をタクシーで湯河原まで送り、そのまま同じタクシーでビクターのスタジオに行くところだったが、横浜の日吉で下車し、それ以降、2人の足取りがつかめなくなっていた。以前から2人は親密だったことから「愛の逃避行」などと騒がれていたが、その2人は4月21日に麻布署に姿を現し、竹野社長を暴行と強要の容疑で告訴した。

警察発表によれば、容疑事実は以下の通り。

2月3日、竹野がマネージャの衣籏を呼び出し、安西がその日の朝のテレビ撮影に遅刻した責任を追及し、靴ベラで衣籏の頭を殴打し、怪我を負わせた。さらに、安西と安西の母親を呼び出し、「テメエら、ふざけるんじゃねえぞ、ソレは前科24四犯だ(実際には5犯)。人をブッ殺すことなんか、なんとも思っちゃいねえんだ。仕事をすっぽかしたことをどうするか、よく考えろ」と脅迫した。恐れをなした安西は14日に、月給を100万円から55万円に減額する契約書に署名した。安西と衣籏が失踪したのも竹野を恐れてのことだった、という。この告訴によって5月6日に竹野は逮捕され、竹野が過去、暴力団の組長だった経歴が明らかにされた。

竹野は広島の広陵高校を卒業後、51年、阪神に入団し、二軍で捕手を務めたが、野球賭博に手を出して、翌年、退団。第2時広島ヤクザ戦争が起きていた63年に自身の十一会という暴力団を旗揚げし、64年反山口組勢力の連合体、共政会に合流し、ナンバー3の地位にあたる理事長のポストに就任。だが、銃撃されて重症を負ったり、凶器準備週号などで逮捕されるなどして、抗争に疲れ果て、72年、広島県警に脱会届を提出し、暴力団から足を洗い、上京して芸能プロダクションの仕事を始め、74年に竹野エージェンシーを設立した。

東京ではカタギだったはずの竹野だったが、前年11月に共政会組員が銀座で拳銃を発砲した事件で、その共政会組員が留まったホテルに竹野の自宅電話番号が書かれたメモがあったことから、警察は竹野をマークしていたという。

一方、竹野の側もこれに反論をした。竹野が衣籏を靴ベラで叩いたのは、衣籏が会社のお金を横領した上、商品である所属タレントに手を出したためであり、安西の遅刻の件もあって、解雇した。また、安西のギャラの減額のために再契約した際も、安西は納得して「クビになると困る。これからも使ってください」と言い、その後もたびたび食事をし、おびえた様子はなかったという。

◆それでも安西を叩き続けたマスコミたち

「愛の逃避行」から一転して「暴力団出身の事務所社長による脅迫事件」に発展した後も、マスコミの論調は安西や衣籏のバッシングに走り、竹野を擁護する芸能事務所関係者の声をより多く報じた。安西の失踪事件は、終始、芸能プロダクション側の論理に引きずられていた感が強い。

事件の初期段階で『週刊平凡』(78年4月27日号)がバーニングプロダクションの周防郁雄社長の次のようなコメントを掲載している。

「たとえば本人があらわれて謝罪しても、多くの人に迷惑をかけた今回の行動は許されるべきではない。まわりの人はマリアに引退を勧告すべきだし、レコード会社もすぐ新曲を発売中止にするべきです。厳しすぎるかもしれませんが、そうすることが芸能界の将来にとてプラスになると思います」

事務所の言うことを言うことを聞かず、弓を引いたタレントは、業界から追放すべし、ということなのだ。

▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

芸能界の真実をえぐる! 『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

 

 

 

デジタル鹿砦社通信をご覧の老若男女諸君、ごきげんよう。喫煙推進委員会の原田卓馬です。今回はタバコの葉に使用されている添加物・香料のお話であります。

◆ タバコの香りは、何の香りなんだろうか

皆さん、どんなタバコがお好きですか? 私が普段から吸うタバコはシャグ(手巻き用の刻んだタバコ)なら、あんまり決まってないけどだいたいナチュラルのヴァージニアブレンドシガレット(紙巻きタバコ)なら、アメリカンスピリット。たまにインドネシア産クレテック(クローブタバコ)のグダン・ガラム。

あとは、見た事のない銘柄があれば食わず嫌いしないでとりあえず買って吸ってみます。しょっちゅう貰いタバコもしますし、面倒くさい時なんかは灰皿をあさったり、究極は道に落ちてるシケモクだって吸っちゃいます。結構なんでもいいんです。

手巻きタバコを始めたばかりの頃はベリー系やグリーンティー(シトラスフレイヴァー)、ローズなどの香料を添加したものを色々試しつつ吸っていたのですが、ある時自分が何を体に取り込んでいるのかわからなくて、香料無添加のタバコに落ち着きました。

健康に良いか悪いかということも多少考えなくもないですが、化学合成したケミカル香料よりも、タバコ本来の素材の味や香りの方が面白い年頃になったのでしょうね。国や地域、気候風土によって好まれる香りの傾向が違いますし、生産されるタバコ葉の質も変わります。フランスのジタンやゴロワーズといった黒タバコは、日本だと苦手な方が多いみたいですが、文化の多様性っていいですね。

◆ タバコ香料の歴史は意外と古い

2004年にハイライトのメンソールタイプが発売されたのだが、そのテレビCMで『ラム酒が香るメンソール』というキャッチコピーが印象的だったのを覚えています。

「へ?、タバコにお酒で香りつけたりするんだ?!そういや、キャスターとかもヴァニラの香りがするよな?!」

なんて思ったものですが、当時はテレビでタバコのコマーシャルがやっていたのですね。たった10年でだいぶ時代は変わりました。

色んなフレイヴァーで香り付けをしたシガレットというのは数多く流通しているのはなんとなく知っていますが、食品のようにパッケージに成分表示があるわけでもなく実際のところ何を吸っているのかよくわかりません。

知らないことは知りたい! こうなったら徹底的に調べてやるぞと近所の図書館に出向いて持ち出し禁止の棚で782ページに渡る分厚い本を発見!

『たばこの事典』(TASCたばこ総合研究センター/山愛書院2009年)によると、
「1518年にスペイン人がメキシコを探検したとき、先住民がタバコとフウ(マンサク科フウ属植物)の樹液を一緒に葦に詰めたもの(葦シガレット)を吸っていたとの記録が残されている──」。

フウというのは、『中薬大辞典』(1978年版)によると、
「20年以上 の大木を選び、7~8月の暑い時期に樹皮を開き、11月~翌年3月の間に流出する樹脂をとり、自然乾燥か日干しとする。乾燥した樹脂は大小ふぞろいの楕円形か球形顆粒、淡黄色で半透明、質もろく砕けやすい。すがすがしい香りかおり、燃やすと香気はさらに強い。この樹脂を生薬名楓香脂、中国では白膠原香ともいう──」。

すがすがしい香り、燃やすと強い香気、まさしく香料である。
「16世紀のロンドンではラム酒、砂糖、あるいは糖蜜などで甘くして縄状に撚ったたばこのほか、ワインや糖蜜に漬けたロール状の圧搾たばこが市場に出まわっていたという記録もある──」。

おお、例のラム酒だ。ワインもある。大航海時代に喫煙文化がヨーロッパに伝わり、わずかな期間でタバコに香料を添加したのか。

日本の場合はどうだろうか?

「1889年(明治22年)に村井兄弟商会が発売した『サンライス』は、米国直輸入の加香方式を取り入れたが、内容は明らかではない。しかし、アメリカンタバコ社の日本駐在員で村井兄弟商会の役員でもあったE.J.Parishのメモには、1899年頃の日本製シガレットに使われたものとして、グルコース、ショ糖、甘草、ラム酒、トンカ豆、グリセリンが挙げられていると言われ、その後の日本製品の製造の際、大いに影響をもたらしたものと思われる──」。

村井兄弟商会というのは、京都の民営のタバコ会社で、ライバル企業の岩谷商会と市場シェアを競っていました。明治37年に政府によるタバコ専売制がしかれるまで『LEADER』や『HERO』などの紙巻きタバコを製造販売していました。

グルコース、ショ糖は要するに砂糖の仲間だ。甘草はリコリスとも呼ばれ、砂糖の50倍の甘さを誇るグリチルリチンを含み、甘味料や漢方薬としても用いられている植物だ。欧米では菓子や、ルートビア、リキュールなどで広く知られている。スペインでは古くから防腐用に甘草エキスを葉タバコに添加していたという。

トンカ豆というのが面白い。桜餅の香りの天然成分でもある、有機化合物のクマリンが含まれている。クマリンの香りは、バニラ、杏仁、キャラメル、プラリネ、クローブ、ジュニパーベリー、ラム、ブランデーなどに喩えられる。

旨そうじゃないか!
しかし、残念ながら発ガン性の問題で現在は使用されていないようだ。

タバコに香料はつきもののようだが、2014年現在のタバコはどうなんだろうか。毎度おなじみ、JTのホームページをチェックしてみると、200種類近い添加物リストの大半は香料だ。以下、読み飛ばして構わないのでコピペしておきます。
http://www.jti.co.jp/cgi-bin/JT/corporate/enterprise/tobacco/responsibilities/guidelines/additive/tobacco/index.cgi

◆JT添加物 香料一覧

アセトアニソール
2-アセチル-3-メチルピラジン
2-アセチルピラジン
2-アセチルチアゾール
アルファルファエキストラクト
アミルアルコール
酪酸アミル
トランス-アネトール
スターアニス油
リンゴエキストラクト
ミツロウアブソリュート
ベンアルデヒド
ベンゾインレジノイド
ベンジルアルコール
安息香酸ベンジル
プロピオン酸ベンジル
2-ブタノール
4-(2-ブテニリデン)-3,5,5-トリメチル-2-シクロヘキセン-1-オン
酪酸ブチル
酪酸
カカオマス、ココアエキストラクト、ニブティンクチャー、パウダー、シェル
カラメル
カルダモン油
キャロブアブソリュート、エキストラクト、パウダー
キャロットジュース、シード油
L-カルボン
β-カリオフィレン
カシア樹皮油、オレオレジン
シダーウッド油
セロリーシード油、エキストラクト
カモミル油、アブソリュート
シンナムアルデヒド
ケイ皮酸
ケイ皮酸シンナミル
シトロネロール
酢酸シトロネリル
クラリーセージエキストラクト
コーヒー、エキストラクト、オレオレジン
コニャック油
コリアンダー油、エキストラクト
クミンアルデヒド
ダバナ油
δ-デカラクトン
γ-デカラクトン
デカン酸
4,5-ジメチル-3-ヒドロキシ-2,5-ジヒドロフラン-2-オン
3,7-ジメチル-6-オクテン酸
2,5-ジメチルピラジン
2,6-ジメチルピラジン
10-ウンデセン酸エチル
2-メチル酪酸エチル
酢酸エチル
酪酸エチル
ヘキサン酸エチル
イソ吉草酸エチル
乳酸エチル
ラウリン酸エチル
レブリン酸エチル
エチルマルトール
オクタデカン酸エチル
オクタン酸エチル
オレイン酸エチル
パルミチン酸エチル
フェニル酢酸エチル
プロピオン酸エチル
サリチル酸エチル
エチルバニリン
エチルバニリングルコシド
2-エチル-3,(5または6)-ジメチルピラジン
5-エチル-3-ヒドロキシ-4-メチル-2(5H)-フラノン
2-エチル-3-メチルピラジン
ユーカリプトール
フェヌグリーク油、アブソリュート、エキストラクト、オレオレジン、レジン
ジェネアブソリュート
ゲンチャンエキストラクト
ゲラニオール
酢酸ゲラニル
グレープ濃縮果汁
グアヤコール
グァバエキストラクト
γ-ヘプタラクトン
γ-ヘキサラクトン
ヘキサン酸
シス-3-ヘキセン-1-オール
酢酸ヘキシル
ハチミツ、エキストラクト
4-ヒドロキシ-4-(3-ヒドロキシ-1-ブテニル)-3,5,5-トリメチル-2-シクロヘキセン-1-オン
4-(パラ-ヒドロキシフェニル)-2-ブタノン
4-ヒドロキシウンデカン酸ナトリウム
インモルテル油、アブソリュート、エキストラクト
β-イオノン
酢酸イソアミル
酪酸イソアミル
ヘキサン酸イソアミル
フェニル酢酸イソアミル
プロピオン酸イソアミル
酢酸イソブチル
フェニル酢酸イソブチル
ジャスミンアブソリュート、エキストラクト
コーラナッツチンクチャー
ラブダナム油、アブソリュート、エキストラクト、ガムレジン、オレオレジン、レジノイド
レモン油、テルペンレス油
カンゾウエキストラクト、エキストラクトパウダー
ライム油、テルペンレス油
リナロール
酢酸リナリル
ロベージ油、エキストラクト
マルトール
マテエキストラクト
中鎖脂肪酸トリグリセリド
メントール
メントン
酢酸L-メンチル
パラメトキシベンズアルデヒド
メチル-2-ピロリルケトン
アントラニル酸メチル
フェニル酢酸メチル
サリチル酸メチル
3-メチル吉草酸
6-メチル-5-ヘプテン-2-オン
4′-メチルアセトフェノン
メチルシクロペンテノロン
ミモザエキストラクト
トウミツ、蒸留物、エキストラクト、エッセンス、ティンクチャー
ミリスチン酸
ネロリドール
γ-ノナラクトン
ナツメグ油、パウダー
δ-オクタラクトン
オクタナール
オクタン酸
オリバナムエキストラクト
オレンジフラワー油
オレンジ油
オリス油、エキストラクト
パルミチン酸
ω-ペンタデカラクトン
ペパーミント油、アブソリュート
ペルーバルサム油、レジノイド
プチグレインパラグアイ油
フェネチルアルコール
フェニル酢酸フェネチル
フェニル酢酸
ピペロナール
プラム濃縮物、エキストラクト
プロペニルグアエトール
酢酸プロピル
プルーンエキストラクト
レーズンエキストラクト、濃縮果汁
ローズ油、アブソリュート、エキストラクト
ラム酒、エキストラクト
セージ油、エキストラクト
ソルビトール
スペアミント油
ステアリン酸
スチラックスアブソリュート
ショ糖パルミチン酸エステル
糖類: コーンシロップ(液糖)
糖類: デキストリン
糖類: フルクトース
糖類: ブドウ糖
糖類: コーンシロップ(高果糖液糖)
糖類: 転化糖
糖類: ショ糖
ティーディスティレート、エキストラクト、パウダー
α-テルピネオール
酢酸テルピニル
5,6,7,8-テトラヒドロキノキサリン
1,5,5,9-テトラメチル-1-オキサシクロ(8.3.0.0(4.9))トリデカン
2,6,10,10-テトラメチル-1-オキサスピロ[4,5]デカ-2,6-ジエン-8-オン
2,3,5,6-テトラメチルピラジン
トマトエキストラクト
2-トリデカノン
クエン酸トリエチル
4-(2,6,6-トリメチル-1-シクロヘキセニル)-2-ブテン-4-オン
2,6,6-トリメチル-2-シクロヘキセン-1,4-ジオン
4-(2,6,6-トリメチル-1,3-シクロヘキサジエニル)-2-ブテン-4-オン
2,3,5-トリメチルピラジン
γ-ウンデカラクトン
γ-バレロラクトン
バニラエキストラクト、オレオレジン、チンクチャー
バニリン
ベラトルアルデヒド
ベチバー油
バイオレットリーフアブソリュート

なんすか、これ? 多すぎます。疲れました。
これじゃあ、なんだかさっぱりわかりません。ああ、全部知りたい。好奇心に勝てない!
原田、またしても日本たばこ産業JTコールセンターに電話しちゃいました。

次回、「JTの電話の人と40分も話したよ!」の巻。乞うご期待!

(原田卓馬)

(屁世〔へいせい〕26年10月26日)

「ねんごろ」なんて方言は使うな!

国会で「邪馬台国」処分発動!方言札が復活……の巻

全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。
屁世滑稽新聞のお時間です。

きょうは国語学者の金玉一腫彦(はれひこ)先生をお迎えして、このごろの
言葉づかいの問題について、お話しをうかがいたいと思います。

国語学者・金玉一腫彦先生と
児童文学翻訳家・花子先生との会話

花子おばさん 「いらっしゃいませ、金玉一先生。お会いできてまことに光栄です。」
金玉一先生 「ごきげんよう、お話しのおばさん。こちらこそ、よろしくお願いします。……この“ごきげんよう”という挨拶(あいさつ)の言葉は、相手への思いやりと、温かくてこまやかな心づかいが感じられて、とても素敵な日本語ですよね」
花子おばさん 「わたしの“お株”をとられちゃいましたが、まったく先生のおっしゃるとおりですの。わたくしは女学校でこの挨拶を、文字どおり“身につけた”のですが、すばらしい教育と礼儀の心に出会うことができて、学校にも親にも、そして学友たちにも感謝しておりますわ」
金玉一先生 「ことばは心のかがみです。心が乱れておると、おのずから言葉が乱れます。逆もまた真ナリで、乱れた言葉づかいをしていると、心が自然と荒(すさ)んでしまいます」
花子おばさん 「おっしゃるとおりです。わたくし、子供のための読み物を書いてきたものですから、昨今の大人の社会の言葉の乱れが、子供の言葉と心を乱してしまい、これからの日本が恐ろしい退廃と混乱に向かうのではないかと、本当に心配しておりますのよ」
金玉一先生 「きょうお話ししたいのは、まさにそういう、大人の社会の、言葉の乱れの問題です」
花子おばさん 「では先生、お願いいたします」

★          ★          ★

金玉一先生 「花子先生、ご出身は山梨県でしたよね? お国ことばには……“方言”とも申しますが……通じていらっしゃるでしょう?」
花子おばさん 「あたりまえジャンか! もしも方言がなかったら世の中のことばも人情も、ずいぶんと寂(さび)しいものになるズラ。国語学者の金玉一先生なら、この気持ち、理解してクンロ!」
金玉一先生 「ワレも方言の大切さはガギ(=子供)のころから知っとったっタ。そんなわけで還暦すぎた今になっても全国の方言の勉強しとっケ。はぁ~どんどはれ! ところで花子センセイ、昼メシいっしょにアベっ!」」
花子おばさん 「あたし先生のこと、江戸っ子だと思っていましたが、かなりハードな方言をお使いになるのね」
金玉一先生 「は~ぁ、ワレの祖父は盛岡人だったッタから、岩手のお国言葉になじんできたっケ」
花子おばさん 「まあ!そうでしたの。ところで“いっしょにアベっ!”って何ですの? 安倍総理を詣(もう)でる義理なんか、あたしには無くってよ」
金玉一先生 「ええっと、標準語に戻って説明しますと、“アベ”ってのは“行こう”という意味です」
花子おばさん 「あらまぁ、そうなんですか? だったら自民党の選挙演説会なんかで、安倍さんのファンが当選を記念して『行け行けガンバレ!』ってな意味で『アベっ!アベっ!』なんて方言丸出しで叫んだら、単に罵倒(ばとう)しているみたいに誤解されて、お巡(まわ)りさんにつまみ出されちゃうワね(笑)」
金玉一先生 「とかく方言は誤解をうけやすい。標準語は、さまざまなお国言葉が入り交じる都会では、“共通語”として使うのに、たしかに都合がいいわけです。都会に流れてきた人々がそれぞれに使うお国言葉の多様性を切り捨てて、単純化できるわけですから。ちょうど江戸時代に新吉原の遊廓(ゆうかく)で使われていた“廓(くるわ)ことば”のようにね。全国各地から売られてきた遊女の、生まれ育った土地で身につけた“お国言葉”を消毒して、遊廓のなかだけで通用する“標準語”を女の子たちに使わせた。標準語というのは、そういうたぐいの、一種の経済的な必要性から発展してきたわけです」
花子おばさん 「いわゆる“花魁(おいらん)ことば”のことですね? “アリンスことば”とも呼ばれていますよね」
金玉一先生 「さようでありんす」

★          ★          ★

花子おばさん 「ところで地方の方言のなかには、大昔に首都でつかわれていた主流言語が、ほとんどそのまま廃(すた)れずに保存されたような言葉もありますわよね?」
金玉一先生 「これは私の持論なのですが『言葉は時代とともに絶えず動いて変化する』のですよ。そしてあちこちの田舎から多くの人が集まってくる都市ほど、それも大都市ほど、そこで使われる言葉は移り変わりが激しいわけでして……。そういうわけで、中央政権から離れたいわゆる“辺鄙(へんぴ)”な地方ほど、かつて中央の都会で使われていた言葉が、あまり損(そこ)なわれずに今もずっと残っていたりするわけです」
花子おばさん 「そのお話から私がいま連想したのは、中国から伝来して日本文化の基礎をかたちづくることになった、仏教思想とか漢字のことですのよ。仏教はインドで起こって仏典も“梵語(ぼんご)”すなわちサンスクリットで書かれていたけれど、それが中国に伝わって、中国では梵語から漢文に翻訳されて、こんどはその漢訳の仏典が、日本に伝来しました。そして今や仏教の教えや考え方は、日本人の精神文化の土台になっているわけですけど、その中国では千数百年があいだにあまりにも激しく社会が変わりつづけたから、漢訳仏教の真髄がほとんど残っていませんものね。それらを損なわずに保存してきたのは、地理的には東アジアのどん詰まりで、しかも四方を海に囲まれている島国ニッポンの、お寺である場合が多い……」
金玉一先生 「おっしゃるとおりですね」
花子おばさん 「漢字だってそうですワ。たとえば現代日本では、『明』という漢字の音読みには、呉(ご)音の『ミョウ』と、漢音の『メイ』と、唐(とう)音の『ミン』の三種類がありますもの」
金玉一先生 「あらためて復習しておきましょう。
“漢音”は7~8世紀に遣唐使や留学僧らがシナから持ちこんだ唐の首都・長安の発音でした。“呉音”は“漢音”が導入される以前に日本に定着していた発音でして、大陸シナの南方から直接に、あるいは朝鮮半島の百済(くだら)を経由して日本に伝わったというのが通説になっています。いっぽう“唐音”は、鎌倉時代以降に、禅宗の留学僧や貿易商人らが日本に持ち込んだ“漢字の読み方”なのです。……これらは日本に持ち込まれた結果、現地の正確な発音でなく、使い手の日本人による“訛(なまり)”を帯びることになりましたから、『当時のシナ現地の発音を音声学的に正確に再現している』とまでは言えないでしょう。とはいえ、もちろん現代中国ではこんな大昔の言葉は使われていないわけですから、シナのむかしの言葉が“絶海の島国”ニッポンでみごとに保存されてきた、と言えるわけです」
花子おばさん 「アジア大陸のシナ文明でかつて使われていた言語が、アジアの辺境の、絶海の日本列島で現在まで保存されていた……というのは、なんだかロマンあふれるお話しですわね。この構図を日本に当てはめてみると、たとえばニッポン本土と、沖縄に代表される琉球列島の関係になりますわね」
金玉一先生 「さすが花子センセイ、ズバリそのとおりです。現代の琉球方言には、千年前のむかしの日本の政都で用いられていた言語が、そのまま“凍結保存”されているといってもよいのです。このあたりの詳しい研究成果は、先年逝去(せいきょ)された沖縄の言語学者である外間守善(ほかま・しゅぜん)さんが数多くの書物をのこしておられるので、たとえば中公文庫の『沖縄の言葉と歴史』あたりからお勉強されるとよいと思います」
花子おばさん 「沖縄といえば“めんそーれ沖縄”ですよね?」
金玉一先生 「まさに、この沖縄方言として一番よく知られた挨拶の言葉が、じつに日本の古語の“凍結保存”だと考えられています。“めんそーれ”というのは“いらっしゃいませ”という意味ですが、“いらっしゃいませ”という意味の日本の古語である“参(まい)り候(そうら)え”が凍結保存されたものだと考えられているのですよ。現代にいたって少しばかり言い方は変わったけれども、“マイリソーラエ”が“メンソーレ”になったというわけ」
花子おばさん 「ニッポン本土の大昔のみやこで使われていた古語が、沖縄に伝わり、かの地で“凍結保存”されて、現代でも方言として残っているわけですね。“めんそーれ”の他に、どんなものがありますか?」
金玉一先生 「たとえば沖縄方言で、昆虫の“とんぼ”のことを『あけじゅ』といいますが、これは万葉集や日本書紀の時代に“とんぼ”を指す言葉として使われていた『阿岐豆・秋津羽(あきづ)』という古語が、現代にそのまま生きのびた言葉です。“愛(いと)おしい”という感情を沖縄方言で『かなさん』といいますが、これも“いとおしい”を意味する日本の古語『かなし』が、ほぼそのまんまの形で現代に生きのびたものです。こういう事例はざらにあるのですよ」
花子おばさん 「ニッポン本土に住んでいる我々は、沖縄を“日本文化からかけ離れた異郷”のように考えがちですけど、じつはそれは大まちがいで、現実には古来の日本がもっていた豊かな精神文化をそのまま保存している“日本のふるさと”みたいな存在になっている、ということですね」
金玉一先生 「おっしゃるとおり。非常に興味ぶかいことですが、当世では、ニッポン本土よりも古来の日本の伝統を忠実に受け継いできたのが、沖縄のような琉球の島々だということになります」
花子おばさん 「東京に住んでいる私たちこそ“ニッポン”の代表格だ、という世間常識が、ガラガラと音をたてて崩れていく感じがしますわ」
金玉一先生 「歴史を長い目でみた場合、現在の“東京首都圏”すなわち武蔵国(むさしのくに)が日本の中心だ、という現代人の通念なんて、ホントに例外的で一時的なものにすぎないでしょう。そういう考えはチッポケだってことですよ。福島原発災害のせいで首都圏一帯が本来なら居住不能な放射能汚染地域に成りはてた……という特殊な事情もありますけれども、この先いつまでも日本の首都が“江戸”東京にあり続けるわけじゃないでしょうからね。首都が数百年ごとに大きく変わってきたのは、日本の歴史上の、動かしがたい事実なのですから」
花子おばさん 「たしかに、このままじゃ済まない、という危機感はひしひしと感じておりますわ」
金玉一先生 「言葉についていえば、日本のハシッコの異郷だと思われてきた琉球の国ぐにこそが、古来の日本の言語文化を忠実に保存してきて、“日本文化のひな型”になっているのです。これは現在の日本の首都東京にすむ我々にとっては、まったく予想外の“逆転の発想”……ということになるでしょうが、しかしこの逆転現象は沖縄だけではないのです」
花子おばさん 「日本の伝統的な言葉づかいが、首都圏からむしろ離れた場所で、生き続けているということですね?」
金玉一先生 「さようでありんす」
花子おばさん 「先生いつから遊女になったの?」
金玉一先生 「いやいや、ほんの冗談(笑)」

★          ★          ★

花子おばさん 「金玉一先生がこのところ憤慨しておられる事柄というのは、いまうかがったお話しと関係があるのですね?」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。先日、最暗黒の東京は永田町の国会議事堂内で起きた『ねんごろな関係』という表現をめぐる“方言札”事件に、わたしは心の底から怒りを覚えておるのですよ」
花子おばさん 「国会動物園のことですね? わたくしは児童文学がらみで、アソコで吠(ほ)えている奇妙な動物たちの様子にしか目をむけてこなかったので、『ねんごろ』事件については疎(うと)いのですが……。チョックラご説明してクンロ(笑)」
金玉一先生 「ご存じのように、9月はじめの“第二次大戦降伏記念日”の翌日に、安倍改造内閣が発足して5人の女性議員が大臣になりました。……が、ほどなく、そのうちの何人かが、国際的には決して容認されないネオナチ党とか“在特会”と称して排外主義の実力行使を行なっているならずもの集団と、親密な関係であることが世に知れわたりました」
花子おばさん 「それって日本の報道機関、ジャーナリズムが“調査報道”を行なった成果ですよね?」
金玉一先生 「ウウン、そうじゃネェじぇ! 実際はそうはイガネガッタノス。実際はネオナチ党の党首やら在特会の幹部やらが、議員と会ったことをインターネットの自分のブログで宣伝して、得意満面になっていたわけでした。つまりネオナチやら排外主義団体が、ときの政権との“ねんごろ”ぶりを自(みづか)ら公然と発表してきたわけで、そういう不特定多数の世界の人々にむけて、何年も前から公表されてきたものが、ネットの世界で“くちコミ”で知れわたり、マスコミが今ごろになって、それに飛びついたにすぎません」
花子おばさん 「マスコミの長所は“速報性”だって宣伝されてきたけど、現実は大ちがいなのね?」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。今や現実には、ネットで無数の“名無しさん”が何処(どこ)かからスクープ情報を見つけてきて、それを“2ちゃんねる”掲示板なんかに晒(さら)して、まずは雑食性ハイエナの週刊新潮とか週刊文春のような低俗週刊誌がそれをそのまんま使って記事にして、それで騒ぎが大きくなると大新聞がようやく書き立て始め、テレビのワイドショーが騒ぎ出し、そうやって世間で大騒ぎになったことを最終認知するかたちで、ようやく民放テレビのニュース報道になり、それを見計らってNHKもニュースで報じる……という仕組みになっておるのです」
花子おばさん 「まあひどい! それじゃマスコミの“速報性”なんて大嘘だわね。正しくいうと“遅報性”ってことね」
金玉一先生 「さよう。もぅひとつ言えば“痴呆性”でもありんす(笑)」
花子おばさん 「漫然と新聞なんか読んでたら、文字どおり“知恵おくれ”になっちゃうわ」
金玉一先生 「しんぶんや てれびを頼れば 馬鹿になる。罵笑……(笑)」

★          ★          ★

花子おばさん 「で……“ねんごろ騒動”の話ですけど……」
金玉一先生 「あんれ!忘れるとこだっケ! ときは先般十月七日、ところは国会議事堂で、ハァ~ベンベン!」
花子おばさん 「おやまあ! 浄瑠璃(じょうるり)の義太夫節みたいになってきましたわ。さすが当世随一の国語学者の先生ですわネ。伝統的な大衆芸能にふかい造詣(ぞうけい)をお持ちでいらっしゃる……」
金玉一先生 「いいえ……ちょっと囓(かじ)ってるだけですから(笑)」
花子おばさん 「おぉっと! “ミカンのようで~ミカンでないベンベン、ダイダイのようで~ダイダイでないベンベン♪”で有名な落語『豊竹屋』のオチがいきなりキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」(https://www.youtube.com/watch?v=w17YjaZ0EIU
金玉一先生 「某巨大ネット掲示板みたいなご反応に、ワレびっくりこいたっケ~!。とにかく話を進めますが……(笑)。10月7日の参議院予算委員会で、民主党の小川敏夫議員が、山谷えり子国家公安委員長を相手に、“在日特権を許さない市民の会”通称『在特会』の連中と写真撮影したほどの親密ぶりを追及していたわけです。5年まえ、すでに山谷えり子は、国会議員として“在特会”の活動を支援していましたが、“竹島の日”に現地で講演をするため松山市を訪れた際、“在特会”関西支部の増木重夫支部長らが山谷議員の宿泊先のホテルを訪れて、増木支部長の日記によれば『少々遅い“夜明けのコーヒー”を飲みながら午前中を過ごした』のだそうです」
花子おばさん 「いかにも中途半端に年配の人が書きそうな文章ですわね。『夜明けのコーヒー』というのは1968年に大ヒットしたピンキーとキラーズの『恋の季節』のなかの有名なフレーズだわ。“夜明けのコォヒィ~♪ ふ~たりで飲もうと~♪ あ~の人が言ったぁ~♪ こぉ~いのきせ~つよ~♪”(http://www.youtube.com/watch?v=fr3VNZmO8dY) 作詞家・岩谷時子先生の、当時とすればとってもホットな歌詞でした」
金玉一先生 「この当時は“夜明け”という言葉には今とちがって特別な思い入れがありましたからねえ……」
花子おばさん 「そういえば岸洋子さんも、あの頃、“夜明けのうた”(http://www.youtube.com/watch?v=7LL-Atpsuec )という名曲を歌っていたわ。日が昇る前後の“夜明け”というのは、澄みきった涼しい外気に包まれながら、お天道さまの登場を迎えるという、なんとも厳粛な瞬間ですよね」
金玉一先生 「岸洋子さんの“夜明けのうた”はちょうど今から50年前の、1964年の秋に発表された歌なんですよ。これも作詞岩谷時子・作曲はいずみたくという、ピンキラの“恋の季節”と同じコンビが作った歌で、9月に岸洋子さんがSPレコードが出て、
翌10月に坂本九ちゃんが歌ったやつが出たんです」
花子おばさん 「まあ!ずいぶんとお詳しいのね」
金玉一先生 「わたしが流行歌ずきの学生の時分でしたから。それにちょうど東京オリンピックの開催時期と重なっていたんですよ。……これは私の邪推なんですけどね、東京オリンピックには、戦争で徹底的にぶちのめされて奈落の底に転落したニッポンが庶民社会のレベルで国際的に再浮上して“完全復興のお披露目”を行なう、という重大な意味がありました。だから“日がまた昇る”ことへの厳粛な期待感をうたった歌だったんじゃないかと、私には思えるのです」
花子おばさん 「つまり50年まえの日本では、“夜明け”というのは“日の本の国ニッポン”がふたたび世の中に顔を出す、という、国民を元気にするような隠れた意味があった、ということですか。聖徳太子が1400年まえに中国の“隋”帝国皇帝に送った外交挨拶状の『日出(いづ)る処の天子、書を日没する処の天子に致す』を、思い起こすご指摘ですわね」
金玉一先生 「繰り返しで恐縮ながら……さようでありんす(笑)。1960年代、わたしが青年だったころは『夜明け』というのは、人であれ、われらが日本という国家であれ、親に庇護(ひご)されてきた子供の時代を脱して、広く大きな社会に登場する直前の、身が引き締まるような緊張感と期待感、夢と希望、厳粛な気持ちを、象徴するものだったんですよ。たとえば東京オリンピックから2年後の1966年、昭和41年には、フジテレビが『若者たち』という連続ドラマの放映を始めたのですが、青春ドラマの先駆けというべきこの番組の主題歌『若者たち』は、黒澤明監督の息子さんの黒澤久雄が中心となって結成されたフォークグループ“ザ・ブロードサイド・フォー”が歌っていました」
花子おばさん 「お詳しいのね。あなたの青春だったのね……」
金玉一先生 「黒澤ジュニアは、当時は“黒パン”なんて呼ばれて、流行の最先端をいく“ナウなヤング”でした(笑)」
花子おばさん 「いまの若い人たちには到底理解できないことよ。ぜんぜん感覚が違いますもの。“黒パン”って、当時インテリのかたがたがカブレていたソ連の主食のライ麦パンのことでしょ?」
金玉一先生 「なるほどねぇ……。でもそうじゃない。黒澤久雄は昭和20年、戦争が終わった年に生まれたんですよ。ちなみに吉永小百合さんや、おすぎとピーコさん、サックス奏者の坂田明さん、ロックの世界ではエリック・クラプトンや絶叫ボーカルの時代を切りひらいたディープパープルのイアン・ギラン、それにタモリさんなんかが、この年に生まれています」
花子おばさん 「あゝそうですか。だ~からタモリは、坂田明や3ヶ年上の山下洋輔なんかとツルんで“全日本冷やし中華愛好連盟”の結党とか、“ソバヤソバ~ヤ♪”(https://www.youtube.com/watch?v=Xx8mNJLIwbU )みたいなワールドミュージックを作るなどの華々しいご活躍ができたのね。戦後日本の文化をいろどりを与えたあのかたがたが、同年代だったというのは興味ぶかいわ」
金玉一先生 「“黒パン”の話に戻りますが、黒澤久雄さんにそんなアダ名がついたのは、ロシアとは関係なかったみたいですよ。終戦直後の物資欠乏の混乱した時代に、幼い久雄ちゃんだけは、洋風の白いブリーフをはいていたので、友だちから『や~い! 男のくせに女の子のパンツはいてるぞ~! 黒澤のパンツや~い! 黒パン黒パン!』と冷やかされて、それがあだ名の由来だそうです」
花子おばさん 「ご家庭がわりあいに裕福でモダンだったということね。お父さまが当時絶頂のエンターテインメント産業にいたおかげだったのね」

★          ★          ★

金玉一先生 「なんだか話が大脱線してしまいましたが、“在特会”関西支部長が山谷えり子の宿泊先をたずねて『少々遅い“夜明けのコーヒー”を飲みながら午前中を過ごした』という話でしたね。話をそこに戻しましょう」
花子おばさん 「それは秘密の逢い引きじゃなかったんでしょ?」
金玉一先生 「もちろん。だって在特会の増木支部長が自分のウェブサイトで得意げに公表していたのですから。こんなふうに、ほら!」

今やあまりにも有名な「山谷えり子議員と関西“在特会”連中との
記念写真。平成21(2009)年2月21日、当時の「在特会」関西支部長
(同年4月、兵庫県西宮の小学校長を脅し暴力行為法違反で逮捕され
支部長を解任された)増木重夫ら在特会一行が「竹島の日」講演会
のため松江を訪れた山谷えり子を、宿泊先のホテルに「押しかけ」、
「少々遅い『夜明けのコーヒー』」を飲みながら午前中を過ごした、と
増木自身がブログで報告している。


「在特会」関西支部長として山谷えり子の宿泊先ホテルに「押しかけた」
増木重夫の報告(下記の彼のブログから、引用者が日記部分を画像コピー
し、動画部分を《中略》して該当箇所のみ黄色でマーキングした。
http://mid.parfe.jp/gyouji/H21/2-21-hirosima-matue/top.htm
……野田国義議員が国会で追及したのは、すでに公表されている
山谷議員と在特会との、この親密な関係についてだったのだが、
安倍総理はじめ自民党の幹部連中は血相を変えて野田氏の「懇ろな
関係」発言を、あたかも性的関係のように歪曲宣伝して反撃した。
なぜか? 写真にあるように、安倍総理自身も在特会と「懇意の仲」
だったからだ。

花子おばさん 「ここまであからさまに公表していたら、否定しようがないですわね」
金玉一先生 「ところが自民党としては、いまや国際的に悪名が高い排外主義団体と、安倍現政権の国家公安委員長である山谷えり子が、長年親密な関係を続けてきたことが世間にバレると本当にヤバい、と恐れを成したのでしょう。この追及問答のさなかに外野席の議員が『宿泊先まで知っているというのは懇(ねんご)ろの関係じゃないのか?』とヤジを飛ばすや、すぐにそっちに矛先(ほこさき)を変えて反撃に転じた」
花子おばさん 「“話の腰を折った”わけですね」
金玉一先生 「そのとおり。自民党は自分らへの追及をかわすために、ヤジをはさんだ第三者にタックルをかけて、この無関係なヤジ男を新しい攻撃標的に仕立てて逃げたわけです。ちなみにこうやって図々しく批判の矛先を変えて、論争の被告席から逃げ果(おお)せるという手口を、アメリカなどの政界用語で『スピン(spin)』と言います」
花子おばさん 「スピンって“回転させる”って意味でしょ?」
金玉一先生 「元々はテニス試合あたりから転用された言葉らしいですよ。つまり相手が強烈な決めダマで攻めてきたときに、ラケットでボールに回転を与えて打ち返すと、返球は相手が想定外の場所に飛んでいくから、形勢不利を一転して優勢に変えることが出来る。自民党はそのテクニックを使って逃げ果(おお)せたわけです」
花子おばさん 「児童文学ばかりやってきたから、さすがの私も、そういう種類の英語には疎くなっておりました。……ということは、『ねんごろな関係じゃないか?』とヤジった議員が、哀(あわ)れ自民党のラケットでぶん殴られて、回転しながら民主党席に飛んでいった……ということになりますわね」

国家公安委員長・山谷えり子が、国際的に悪名高い人種差別団体「在特会」
(正式名称・在日外国人の特権を許さない市民の会)と昵懇(じっこん)の関係
であるという問題を、10月7日の参院予算委員会で民主党の小川敏夫議員が
追及していたが、その質疑応答中に、「宿泊先まで知っているというのは
懇(ねんご)ろの関係じゃないのか」とヤジが起きた。するとたちまち自民党
からは、自民党副総裁の高村正彦などが「女性閣僚に対して極めて下品な
ヤジが飛んだのは大変残念なことです」などと、あたかも山谷えり子が
在特会関係者と肉体関係があるかのように“曲解(スピン)宣伝”されて、
この問題はウヤムヤにされてしまった。
【参考動画】
●「名乗り出よ」山谷大臣へのヤジ問題で高村副総裁(14/10/08)
https://www.youtube.com/watch?v=1LESrFPUGjo
●「懇ろ関係じゃないのか」やじで議員名乗り出る(14/10/08)
https://www.youtube.com/watch?v=axZ3N4o-sgc

金玉一先生 「さようでありんす(笑)。その不運なボール役に選ばれたのが、あのタイミングでヤジを飛ばした民主党の野田国義議員だったというわけです」
花子おばさん 「まるで強盗犯が警察から追われて街なかで大捕物が行なわれているときに、自転車に乗った小学生がとつぜん路地から飛び出してきて、それを見つけた強盗犯が小学生をその場で人質にとって、警官が人質に気を取られているすきにまんまと逃げおおせた……という展開ですね」
金玉一先生 「先般の国会や地方議会で、自民党議員のセクハラ野次が大問題になったんで、自民党も政敵からのヤジに噛みついて反撃しようと、虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたんでしょう。そんな殺気立った場所でうかつにヤジを飛ばした野田という議員に、ハイエナどもが飛びついた……という構図です」
花子おばさん 「金玉一先生、ずいぶんと野田議員に同情的なのね?」
金玉一先生 「そんなことは全然ないのですよ。第一、わたしは野田国義っていう議員をまったく知らなかった。ニュースで『野田議員』という名前を聞いて、野田聖子かな? そうじゃなきゃ、いつのまにやら勝手に民主党時代の総理大臣になった野田さんかな?……って思ったくらいですから。選挙もしないで総理になった野田さんのほうは、私はいまだに苗字だけしか知りませんし(笑)。……しかし自民党のスピン工作の手口があまりに卑劣だったし、なによりも方言を猥褻だと貶(おと)める悪意と、日本語に対する無知がひどすぎるので、それで職業柄、この事件に注目するはめになったのです」
花子おばさん 「自民党は血相をかえて、野田議員を悪者に仕立てましたが、それほど無茶苦茶にあせる理由なんてあったのかなぁ?」
金玉一先生 「ヒントは“在特会”関西支部長の自慢げなブログに見いだすことができるでしょうね。5年まえの2009年、2月下旬に増木支部長は山谷えり子の松江宿泊中のホテルを訪れた。その時の日記も写真もずっと公表していた。その2ヵ月後に兵庫県西宮市の学校を襲ったことで逮捕され、在特会の支部長を解任されています。しかし支部長職を解かれたとはいえ、その後もますます盛んに在特会の運動をやりつづけ、同年8月には大阪での自民党候補の選挙運動を“勝手連”と名乗っていました。このときに東京から安倍晋三を呼んで会ってるんです。安倍さんはすでに下痢で総理のポストを投げ出し、当時は議員だったけれど“浪人中”でした。その安倍晋三とのツーショット写真も、増木氏は自分のブログで得意げに公表していたんです。その写真には『マスキクンのことを覚えてくれてました』などと自慢げな添え書きまで付けてあったんですよ。……ところが最近、その写真だけ除去してしまった……」


「在特会」の増木重夫関西支部長らが平成21(2009)年8月17日に
大阪7区の自民党候補(とかしきなおみ)を勝手連で応援した際に
安倍晋三(当時は官邸から逃げ出して「総理浪人」だった)を呼んだ。
その時の街宣報告が増木氏のブログで出ているが、注目すべきは
安倍とのツーショット写真に「マスキクンのこと覚えてくれてました」
のコメントが添えてあることだ。なお、安倍と在特会の「ねんごろな
関係」が世間に知られるのを恐れてか、このブログは現在では
安倍と増木のツーショットだけ消されている。自分の都合の悪い
画像を消すなんて、北朝鮮とか中国の独裁政権のやることだ(笑)。

(引用元:【1】増木サイト(いまは不都合写真を削除済み)
http://mid.parfe.jp/gyouji/H21/8-17-abe/top.htm
【2】不都合なツーショットが消されるまえのオリジナルがこれ。
http://megalodon.jp/2014-0919-1405-51/mid.parfe.jp/gyouji/H21/8-17-abe/top.htm


花子おばさん 「排外主義を信条にしていて『在日特権を許さない』増木さんなのですから、“在日特権”の権化みたいな安倍晋三を排除したってことでしょ?」
金玉一先生 「ウウン……と、そうじゃネェじぇ。世界から注目を浴びている“在特会”が、安倍政権の閣僚のうちの、あまり重要じゃないメンバーと“ねんごろ”だとバレたくらいなら、トカゲの尻尾切りでなんとでもゴマカせる。けれども安倍総理本人と“ねんごろ”だったなんてバレたら、自民党はバカな国民は騙(だま)せても、世界の国々から相手にされなくなりますからね。だから安倍さん自身に追及がおよぶまえに、自民党への追及の矛先をかわしてスキャンダルつぶしをする必要があった……ということでしょうな」

★          ★          ★

花子おばさん 「先生さきほど、今回の騒動では自民党の、方言を猥褻だと貶(おと)める悪意と日本語に対する無知がひどすぎる、と憤慨しておられましたが、どういうことですの?」
金玉一先生 「野田議員がヤジって、自民党が即座に問題視したのは、『ねんごろな関係』という言い回しでした。自民党の連中、たとえば副総裁の高村正彦なんて、『女性閣僚に対して極めて下品なヤジが飛んだのは大変残念なことです』なんて公言しとるわけですよ。……それをみて私は、『あゝ、自民党の奴らって、日本古来のことばを猥褻な意味にしかとらえることができない、日本語しらずの卑猥(ワイセツ)な連中だなあ』と痛感したのです」
花子おばさん 「たしかに『ねんごろ』という言葉は元来、猥褻とはほど遠いですよね。『ねんごろ』は漢字で書けば“懇親会の懇”という字ですし。懇親会って猥褻な乱交パーティーじゃないわけですから」
金玉一先生 「おっしゃるとおり。そもそも『ねんごろ』という言葉がどういう起源から生まれ、大昔から現在にいたるまでどんな意味で使われてきたか? それを簡単にまとめたメモ書きを、今回のお話しのために用意してきたんですが、棒読みしても味気ないものなので、この対話の末尾に掲載することにいたしましょう。それをご覧になればただちにわかることですが、『ねんごろ』という言葉に猥褻な意味ばかり見いだす態度こそが異常であるし、そうした態度こそが猥褻なのですよ。じっさい学校なんてPTAの懇親会がざらにあるわけですが、乱交とかセックスなんて無関係な場所ですから(笑)」
花子おばさん 「ところが自民党のエラい先生たちは『ねんごろな関係』をそういう意味でしか理解できないみたいだわ。そういう“ワイセツ脳”ならば、教師が『PTA懇親会』で生徒の親たちと乱交してるにちがいない……て思い込むのでしょう。あのようなかたがたが、いまだに日教組を攻撃しているのは、そういう有らぬ妄想から生じた嫉妬(しっと)心のせいかもしれないわね(笑)」
金玉一先生 「山谷大臣にむかって『ねんごろな関係じゃないか?』というヤジが出て、自民党がケシカランと怒りだし、ヤジの犯人さがしが始まって、おかげで山谷えり子と在特会の“ねんごろな関係”の追及が吹き飛んでしまった。これで審議が中断し、自民党の憤慨ぶりに恐れをなして、野党側の筆頭理事の蓮舫(れんほう)が、ヤジを飛ばしたのは『明らかに我々の側だった』といってすぐに予算委員長に謝罪したんです。蓮舫が謝罪した瞬間に、野田議員の『ねんごろな関係じゃないのか?』という追及の矛先そのものが“謝罪すべき非行”だと断罪されて、民主党みずからの手でポッキリと折られてしまった……。自民党の連中は日本語知らずの破廉恥(ハレンチ)野郎だけれども、台湾生まれとはいえ幼少時からずっと日本で育ってきた蓮舫さんも、やはり日本語についての理解が浅かったことが、暴(あば)き出されたといえるでしょう」
花子おばさん 「そうやってヤジが大騒動に発展したのは野田議員の本意ではなかったでしょうね。野田さんはすぐに名乗り出て、『誤解を与えたことは反省するけれど、自分が言ったのは思想的な“ねんごろ”という意味で、男女関係の意味ではない』と釈明もしましたが、マスコミも自民党に同調して、彼が騒ぎの元凶だという扱いで一件落着して、ついに在特会と山谷国家公安委員長との“腐れ縁”についての追及はあいまいになっちゃった……」
金玉一先生 「野田議員は、単に“親しい”という意味で“ねんごろ”という言葉を『九州じゃあ、よく使うんよ』と言いました。九州どころか、通常はまさに彼がいう意味で“ねんごろ”は全国的に使われているわけです。……ところが麻生太郎が即座にこれを否定した。九州じゃそんな言葉は使わないぞ、とね。麻生太郎はもともと日本語をあまりよく知らない人ですから、そういう日本語知らずが“九州人の代表格”みたいな顔をして、曲がった口先で曲がったことを言うのは、国語学者としてちょっと許しがたいわけですワ(笑)」
花子おばさん 「でも結局、野田議員のその釈明は、つぶされてしまいましたよね」
金玉一先生 「野田氏が『九州じゃあ、よく使うんよ』と釈明したら、ネットでは『ボクはワタシは九州人だけどそんな言葉は使いません』という書き込みが殺到したんです。ふつうに生活している人たちは、わざわざそんなことを書き込んだりしませんよ。ヒマにまかせてネット掲示板に張り付いている所謂(いわゆる)“ネトウヨ”のゴロツキ連中とか、自民党がインターネット世論対策で組織した、会員数公表1万人の“自民党ネットサポーターズクラブ”の連中でしょうね。……ちなみに私はこの連中を“自民党サポチン”と呼んでおります。なにしろ奴ら、座敷犬の狆(ちん)みたいに卑屈で小うるさく吠える。このサポチン連中のせいで、日本のインターネットは全体的に生産性の低い、劣悪な内容に成り果ててしまった……。ネットでウジウジと落書きをしているだけの、インポテンツなサポチンどもですわ(笑)」
花子おばさん 「……わたしは女ですからサポチンは着けませんけど、おっしゃることはよくわかりますわ。自民サポチンのほかに、インターネットを使って政治活動をしている右翼勢力といえば、問題の在特会や、カルト集団の統一教会とか“降伏の科学”もありますよね。そういう連中も暗躍したのかも……」
金玉一先生 「いま“降伏の科学”とおっしゃたが、ひょっとして“幸福の科学”の間違いでは? まあとにかく、片っ端から相手をかえてイタコもどきを行なってる下品なカルト団体には相違ない。津軽の恐山で口寄せをしている本業のイタコのかたがたが、あのカルト集団のサーカスまがいの演芸を鼻で嗤(わら)っていますからね。……それはともかく、この騒動の結果、野田議員は“口枷(くちかせ)”をはめられてしまった。もう大臣閣僚の連中と、在特会との“ねんごろな関係”について国会で語ることはできなくなった。いわば野田議員の首に“方言札(ほうげんふだ)”が掛けられてしまったわけです」


「ねんごろ」は殊更に性的な愛情関係を指す言葉ではない。
むしろ「心が通い合って懇意になる」意味で日本の社会一般
で使われている。なのに野田議員がその趣旨を述べて「九州
では普通の意味で使っている」と釈明するや、福岡生まれの
“江戸っ子”麻生太郎から「そんな方言はない!」と頭ごなし
に否定され、九州方言そのものへの攻撃へとすり替えられた。
あげくのはてに野田議員が一方的に謝罪するはめになり、まるで
彼が「九州方言を乱用してセクハラ発言」をした、みたいな
印象で終わってしまった。一般常識的な用法であり、もちろん
九州でも普通に使われている「ねんごろ=懇意」という意味
での「ねんごろ」の使用を、野田議員は国会与党の圧力で禁じ
られてしまった。かつて沖縄などで強制された「方言札」が
国会で復活したのであった……。


花子おばさん 「方言札ですか……。琉球国が日本の統治下に入って以来、沖縄など南西諸島の学校でさかんに行なわれた“ことばの体罰”でしたよね」
金玉一先生 「古来、琉球国は独自の文化をもった島国だったわけですが、明治政府がクーデタで幕藩体制をひっくり返して西洋流の“近代国家”を作ろうとし始めたときに、南西諸島にひろがる琉球国を吸収しようとして、焦(あせ)って事を進めたわけです。そして強引に琉球国ならではの文化的な独自性(アイデンティティー)を消し去って、ニッポン本土による行政的・文化的な統治にむりやり適応させるために、琉球住民の方言を禁じて、標準語を使わせようとしたのでした。琉球国の伝統的な社会のしくみや文化を、ニッポン本土の明治政府の革命政策に会わせるために強引に歪めた政策は、『琉球処分』という行政用語で呼ばれていたわけですが、方言札は“琉球人のことばを滅ぼす”ための決定打だったのですよ。しかもこの“方言札”という精神的体罰は、南西諸島だけでなく、九州や東北でも、標準語を教え込む手段としてさかんに使われていたのです」
花子おばさん 「ところで野田国義議員はどこの出身でしたっけ?」
金玉一先生 「九州は福岡県の南の奥にある八女(やめ)市で生まれ育った人ですが、興味ぶかいことに八女市は古代遺跡の宝庫で、邪馬台国があったといわれる有力な候補地なのです。そういう場所で生まれ育ち、上京して大学にかよい卒業後しばらく政治家秘書をしていた“書生時代”は別として、あとはずっと地元で市長をしていた人ですから、そのような“邪馬台国”有力候補地の現場に密着して生きてきた人の言語感覚を、国会の場で封殺したというのは、あえて言うなら『邪馬台国処分』とさえ言えそうですな」
花子おばさん 「でも野田国義さんが釈明のなかで主張していたのは、『ねんごろ』のごく常識的な用法でしたわよ。むしろそれを一方的にセックスとか淫行と結びつけるほうが可笑しいじゃないの。東京永田町の国会議事堂という場所こそが、日本全土の常識的な言語感覚からかけ離れた、淫猥で邪悪な文化風土だってことでしょう?」
金玉一先生 「そういう意味では、自民党の日本語しらずの連中や、それに安易に迎合した野党民主党の日本語しらずの連中こそが、野田議員に“方言札”をかけたことによって、むしろ自(みづか)らの言語感覚の異常性・変態性を立証してしまった……ということになりますな(笑)」
花子おばさん 「おそるべきは国会方言ってことになりますね(笑)」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。なにせ国会は“猥褻脳”の吹きだまりですからね(笑)」

★          ★          ★

花子おばさん 「自民党の人たち、『ねんごろな関係』発言に異常に興奮して、ケシカランなんて言ってますけど、その自民党だってけっこう懇親会とかやっているんでしょ?」
金玉一先生 「彼らは『懇ろ』がケシカランと怒りまくってるわけですから、彼ら自身の懇親会も、じつは世間に公開できないような猥褻なものかもしれませんよ」
花子おばさん 「にわかには考えがたいことだわ」
金玉一先生 「ここに2枚の写真がありますが、私もにわかには信じられないようなものが写っているんですよ。ごらんあれ……」


自民党の定義によれば「懇ろ」は「性的な関係」を意味する
のだという。その自民党が全国のあちこちで「懇親会」を
開いているが、それは乱交パーティーのようなものだ、と
みずから認めたことになる。たとえばこの「自民党懇親会」
では、安倍総理と影武者そっくり軍団たちが仲間内に裸踊り
を披露しているが、たぶんこういうことをしているのだろう。



今回の「山谷えり子と在特会の“懇ろな関係”騒動」を
通じて、自民党の大臣閣僚たちは「懇ろ=性的関係」だと
断定した。すると自民党の「新年懇親会」はこういうもの
なのだろうな……。現行ちんぽうに不満な自民党は「かえせぃ」
を党是としているから、女子党員たちがチンポコ御輿をかつぐ
のは祈願成就の儀式なのであろう。この光景がいつのものか
時期不明だが、おそらく“かなまら”さんが政界のドンだった
頃の懇親会だろう。


花子おばさん 「まあ! すごい!」
金玉一先生 「1枚目の写真なんて、安倍さんの影武者まで総出で裸踊りをおどっていますからね(笑)」
花子おばさん 「2枚目の写真はまるでお祭りみたいだわ。日本中のエッチなお祭りをぜんぶもってきたような乱痴気騒ぎだわね(笑)」
★          ★          ★

金玉一先生 「今回、自民党のおエラがたは『ねんごろ』という言葉は猥褻だからケシカランと騒いだわけですが、全国各地には、標準語で言ったらワイセツだと決めつけられてしまうような言葉がかならず存在するわけです」
花子おばさん 「具体的にはどんなものですか?」
金玉一先生 「どんな社会でも子供を産み育てていかねば存続できません。だから生殖にかかわる言葉はかならずある。それをワイセツかどうか決めつけるのは、木っ端役人の卑劣な精神だけなのですよ」
花子おばさん 「つまり生殖器の呼び名……とかですか?」
金玉一先生 「そのとおり。たとえば女性器ですが、地域によって呼び名がはっきりとちがう(http://www.geocities.co.jp/Bookend/3317/onna.html )。関東一円では『おまんこ』ですが、北海道の小樽では『よしこ』、津軽弁では『えべ』、横浜では『あびちょん』、石川県七尾市では『ちゃん』、宮崎県や鹿児島県では『まんじゅう』と呼んできたのです。男性器の呼び名は、女性器よりもはるかに単調で、全国の大部分で『チンコ』とか『ちんぽ』とか呼ばれていますが、それでも青森県の『ハド』、沖縄県の『タニ』など、独特の呼び方をする地域が存在しています(http://c.m-space.jp/child.php?ID=041104&serial=93491 )」
花子おばさん 「国会の議場で、あからさまに生殖器の名前を呼べないのであれば、桜井よしこさんはこの先、参考人として国会証言するのは無理でしょうし、将来国会議員になるなんて望むべくもないですわね」
金玉一先生 「作家とかジャーナリストってのは、ものが書けなくなると政治家になって権力に近づきたくなるという、街灯にあつまる虫みたいな習性がありますが、たしかに改名でもしなきゃ難しいでしょうな(笑)」
花子おばさん 「安倍総理も『エベちゃん!』とか『アビちょん!』なんて呼ばれたら国会にはいられませんね(笑)」
金玉一先生 「自民党幹事長の谷垣さんも、沖縄で仕事をするときは名前を変える必要があるでしょうな。『皆さまこんにちわ!タニガキでございます!』って挨拶しても、『チンコ坊やでございます!』って言ってるようなもんですから(笑)」
花子おばさん 「九州南部じゃ女性器のことを『まんじゅう』って言うのですね……」
金玉一先生 「小泉総理以来、その時々の政権党の顔役たちをマンガ似顔絵にして饅頭にして売ってきた、西日暮里の大藤っていうお菓子屋さんがあるのですが、そこの一番のヒット商品が安倍晋三をメインキャラクターにすえた“晋ちゃんまんじゅう”シリーズなのですよ。これは議員会館や靖国神社で販売されてるのですが、自民党が今回、国会で言葉狩りを始めましたから、もう議員会館では販売できないかもしれませんな。なにせ自民党の物差しで判断したら“晋ちゃんまんじゅう”は猥褻物になってしまいますから(笑)」


西日暮里のお菓子屋さん(株)大藤は、2001年に「ガンバレ純ちゃんの
好景気まんじゅう」を発売して以来、その時々の有名政治家キャラの
まんじゅうを売り出して人気を博している(http://www.omiyage-daito.com/)。
2009年に自民党が選挙で惨敗して下野した時は、谷垣禎一(さだかず)総裁
をメインキャラに立てた「よみがえれ!自民闘栗まんじゅう」で谷垣自民党
を応援した。当時“首相になれない総裁”の苦境に耐えていた谷垣氏にとって、
これはありがたい応援だったにちがいない。……しかし国会が「ねんごろ」を
猥褻方言として禁じた今、九州南部で「女陰」を意味する「まんじゅう」は
もはや禁制語である。大藤の政治家まんじゅうは議員会館や靖国神社で
売っているが、もう「まんじゅう」の名前では議員会館に置けないかも
知れない。


民主党が2012年暮れの選挙で惨敗し安倍自民党が政権を奪還して以来、
大藤さんは安倍政権を応援する「まんじゅう」を次々と発売してきた。
「晋ちゃんまんじゅう」シリーズは首相就任の2007年発売以来、55万個
も売ってきた大藤さんの“稼ぎがしら”なのだ。だが「まんじゅう」は
九州じゃ「女陰」を意味する“猥褻方言”ゆえ、自民党が党首や閣僚を
キャラクターに立てて“猥褻物”を売るのは、今後は難しくなりそうだ。
(写真はいずれも市販品「晋ちゃんまんじゅう」包装紙だが、「まん
じゅう」の文字が墨塗りで消されて禁制印が押されている)


花子おばさん 「“まんじゅう”がダメでも餡(あん)パンがありますよ。『晋ちゃんアンパン』シリーズでも売り出せば、アンパンが大好きな暴走族の皆さんが買うんじゃないかしら?」
金玉一先生 「そっちのアンパンは、パン生地で餡を包んだものじゃないですよ。ポリ袋にシンナーを入れたものですから(笑)」
花子おばさん 「でもそういう『晋ちゃんアンパン』を吸ってれば、浮き世を忘れて“美しい日本のわたし”をトリモロスこともできるでしょうね」
金玉一先生 「コレコレ! 子供が聞いている番組で、シンナー吸引を推奨するような発言はおやめなさい!」
花子おばさん 「こりゃまった~失礼い・た・し・ま・し・たっ! ドン!」

*:-.,_,.-:*’“’*:-.,_,.-:*’“’*:-.,_,.-:*’“’*:-.,_,.-:*


「ねんごろ」の意味と語源

PDF文書版の上記資料をダウンロードできます
http://www.rokusaisha.com/wp/wp-content/uploads/2014/10/74d75f542c55c164154113ce6ef20e771.pdf


きょうはこれでおしまい。
また今度、お話しましょうね。
では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

 

 

 

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5228から引用》
と明記して下さい。)

学園祭はその大学の学風や個性を知るのによい機会だ。模擬店で軽食を売る光景はどこの大学でも見られるが、時に目を疑うような光景に出くわすことがある。

私が勤務していた当時、その大学にはなんと年に2回学園祭があり、業界では「知る人ぞ知る」存在であった。学園祭期間中、大学内の統治は実質的に「学園祭実行委員会」に委ねられ、私たち職員は万が一の事故や怪我、事件備えて事務室で待機していた。「待機」といえば聞こえはいいが、1名飲酒しない職員を確保して、その他の職員は昼間から学生ともども酒を食らっていた。

とはいえ、学園祭の前には事故や近隣住民と問題を起こさない為に「学園祭実行委員会」と我々大学側でかなり細密な打ち合わせを行っていた。進行の全体像は毎年の蓄積があるので双方さして異論はないが、一番の焦点になったのがメインステージで行われるイベントの内容だ。学生側はそれまで行われた企画を超えようと、さらにインパクトのある(危険であったり、ワイセツギリギリであったり)企画を準備してくる。大学としては物理的に明らかに危険が予知されるものは許可するわけにはいかないので、押し問答となる。

実際それまで学園祭で前例のなかった、3メートル超の高さから、じゃんけんで負けた方が飛び下りる、という企画を事前会議で提案された際、「この高さから飛び降りると、地面はコンクリートだから骨折の可能性がある。下にマットを2重に敷いて2メートルから君たちが実験して、危険がなければ」との条件を付けて認めたが、学生どもはその検証実験を行わなかった為に、じゃんけん敗戦者が飛び降りると大声をあげて痛みを訴える者が続出。中には脛から骨が飛び出している者まで出る始末。当日私は運悪く「飲酒禁止」の当番にあたっていたので、3人の学生を次々と病院に搬送する羽目となる。

模擬店や教室を利用しての企画ものは事前申込制で「学園祭実行委員会」が全て把握していたが、その枠を無視して多数俄作りの建物が出現する。学生の腕と工夫は見上げたものだった。学内的にも「規則違反」なのだが、建設現場で使う足場と発電機、さらには数十種類の洋酒を揃えた本格的なバー。周りを囲んで男女誰でもが順番に利用できるように作られた「五右衛門風呂」。そして極めつけは100人以上は収容できようかという複雑な建築様式で?「規則違反」をもろともせずに立てられた「SM小屋」だ。

◆「アバンギャルド」といえば、そうともいえる

学生が「SMショー」をゲリラ的に行うという噂は事前に入っていた。当日私は幸い飲酒禁止の当番ではなかったので、後にその大学で学長を勤めることになる教員の責任者と一緒に昼からいい気分になっていた。

「○○さん(教員の名前)、学生がSMショーやりよるって聞いてはります」
「知ってるで、うちの専攻の学生やわ。その子はMで女王様を東京から呼んでるらしいで」
「SMって、まさか女の子が裸になって、本当にやるんじゃないですよね」
「いや、やるみたいやで」
「どうします?フェミニズムの教員から後でたたかれたら厄介ですよ。それに裸といっても一体どこまで・・・」
「うん。見に行かなあかんな!職務として」
「ただのスケベ職員やて、いわれへんかなー」
「いや、芸術か、単なるワイセツかを見極めるのは極めて重大な大学の任務や」
「そ、そうですね」

というわけで「SMショー」が行われる「芝居小屋」に向かった。入り口には学生が列をなし、我々も入場料を徴収される。確か1000円だった。「職務権限」で押し切りはいることは無論可能なのだが、列をなしている学生の手前、またこれから始まる「ショー」が一体どんなものなのかという興味と不安で自然に入場料を支払ってしまう。

「先生、来てくれはったん!」と赤い皮の衣装を身に着けた女子学生がこちらに寄ってきた。同行している教員の教え子がこの子らしい。身に着けている皮の衣装はかなりきわどいが、幼い顔をしている。

「観客できたんちゃうで、? 勘違いせんといてや!」
「嘘や!先生私の喘ぐ姿見に着たくせに」
「いや、大学としての責任があるからな。何があるか見届けなならんし」

こんなすっ飛んだ会話、日本の大学ではもう100%ないだろう。牧歌的といえば牧歌的。アバンギャルドといえばそうも言える光景だった。

狭い舞台の上では小さなメガホンを握って、これまた怪しい風体の男子学生が素人とは思えない慣れた節回しで観客を誘導し、舞台開始までの間をつなぐ。そしていよいよ「女王様」の登場だ。170センチくらいある20代後半の女性が黒いムチを持って現れた。

やわらムチを地面に叩き付ける。「ビシッ!」
思いがけず大きな音に観客から「おおお」と声が上がる。
先ほどの赤い皮を着た学生が登場する。
あれ! すでに上半身は服を着ていない!
床に寝ころぶと女王様が彼女の腹部にムチを打ち付ける。
「あ、ああ」

「○○さん、これええんやろうか・・」
私は本来の職務を思い出し、教員に語り掛ける。
「今のところ、芸術や。問題あらへん」
「どこで、区別すんのよ。芸術とワイセツと」
「ワイセツが悪ではないで」
「え!なら何しても黙認するん?」
「黙認ちゃうがな、見ながら確認するんや」

このおっさん、酔ってるのか正気なのかわからない。
舞台の上のMの子は既に全裸だ。女王様の道具がムチから蝋燭に代わっている。
いかがわしい語り口の小さいメガホンが絶妙な合いの手と解説を入れる。
こいつら大学来ていったい何やっとんじゃ!と思いながらもその完成度に見入る自分が優ってしまう。

最後にMの子が悦楽に果て、ショーは終わった。
「冷や冷やもんでしたね」
「あそこまでやるとは、ワシ思わんかった」
「あれ、芸術ですか?ワイセツですか?」
「うーん・・・」

芝居小屋出る長蛇の列に並んでいるとまた赤い服をまとった学生が寄ってきた。
「先生、どうやった?私今日はホンマにすごかったでしょ」
「うんうん、よかったで」

何が「よかった」のか。芸術だったのか、ワイセツだったのか。
学園祭後も学内で特に「SMショー」が問題にされることはなかった。
現場にいた教職員はたぶん我々2人だけだったのだろう。と安心していたら、
「田所さん!学園祭でSMショーやってたん、知ってはります」と学生がやってきた。
「そんなん知らんけど」ととぼけると、
「フライデーに出てますよ。ほら」
なんと、事前にフライデーの記者が「学園祭でSMショー」を察知して、わざわざ東京から取材に来ていたのだ!

扱い自体は小さいが大学名も入ってるし、写真はあらわな学生の裸体を載せている。
「知らんかったわー。これ知ってたら早く教えてくれな」
「僕も知らんかったんです。後で噂聞いて。見に行きたかったなー」
「あほ。来年からこんなん禁止じゃ」

ヒヤヒヤモノであった。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策
《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて
《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実
《大学異論09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事
《大学異論10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私
《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!
《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち

『紙の爆弾』は毎月7日発売です!

 

 

『週刊大衆』(1987年12月21日号)に「太田プロ関係者」の次のような談話が紹介されている。

「いまから四年前、たけしさんは独立するつもりで自分の側近に声をかけ、密かにスタッフ集めまで始めていたんです。そのときは、結局ウヤムヤに終わってしまいましたがね」

86年度の太田プロの申告所得は、3億5000万円で、芸能プロダクション全体で3位にランクインするほどだった。その稼ぎの大半はたけし絡みだとされていた。当然、太田プロとしては稼ぎ頭のたけしの独立を認めるはずはない。もし、たけしの独立がスムーズに行なわれれば、片岡鶴太郎や山田邦子など他の所属タレントにも追随の動きが出てくる可能性もある。

太田プロが加盟する芸能プロダクションの業界団体、日本音楽事業者協会ではタレントの引き抜き禁止、独立阻止で一致団結している。たけしが独立を強行すれば、業界全体から干される可能性が高いのである。たけしが4年前に独立を断念したのは、そうした芸能界の政治力学が分かったためであろう。

米『TIME』誌アジア版の表紙を飾ったビートたけし(2001年2月12日)

◆「オイラは紳助と違う」

では、なぜたけしは、88年2月にオフィス北野を立ち上げて独立を果たせたのか。これも芸能界の政治力学が大きく絡んでいると考えられる。

『アサヒ芸能』(88年3月10日号)が「ビートたけし『オレはハメられた!』巨額“独立御礼金”の計算違い」と題する記事を掲載している。

記事によれば、日本青年社とたけしの手打ちを実現するためにかかった7000万円は、たけしの借金という形で残り、さらにお世話になった芸能関係者それぞれに対し、独立後の3ヶ月間毎月200万円支払うという話もあった。日本青年社との和解工作で動いた関係者は15人ほどと言われていたから、9000万円程度の費用となるから、先の7000万円と合せて1億6000万円の借金を抱えることとなったというのである。

そして、たけしは元所属事務所の太田プロにも解決金を支払うことで合意したという。たけしは、独立と同時に巨額の負債を抱えることとなった。たけしが「オレはハメられた!」と言うのは、成り行きで借金を抱えることになったのではなく、最初からシナリオができていたのではないのか、という疑念があったからだろう。

『週刊文春』(2011年9月29日号)で、島田紳助が暴力団関係者との交際を理由として引退を表明したのを受けて、たけしが日本青年社との手打ちの真相について次のように明かしている。

「これまで何度も右翼団体から街宣活動をかけられたことがあったけど、オイラは紳助と違う。ヤクザに仲介なんて頼んだことない。最初はフライデー事件の後、日本青年社に『復帰が早すぎる』と街宣をかけられたときだな。一人で住吉の堀さん(政夫氏、当時・住吉連合会会長)のところに行って、土下座して謝ったの。その後、右翼の幹部にも会って、それで終わりだよ」

「オイラの行くとこ、行くとこ、街宣がかけられているのに、当時の事務所は何も動いてくれないから、『自分で話をつける』って全部、一人で回ったんだよ。えれぇ、おっかなかったけど。堀さんに謝ったら、小林さん(初代日本青年社会長)と衛藤さん(豊久氏、二代目日本青年社会長)のところへ行けって。それで二人の前で『芸能界辞めます』って言ったら、『まだもったいないだろう』という話になった。街宣をやめる条件は、当時の事務所を辞めるってこと。『お前は生意気だって噂もあるから、気を付けろ』って怒られて、赤坂でスッポンをご馳走になって帰ってきた。そのとき、色んなヤクザから助けてやろうかって言ってきて、それを断るのも大変だったよ」

タレントであるたけしは、立場上、直接的にも間接的にもヤクザや右翼にカネを払ったとは言えない。ここで重要なのは、日本青年社側が街宣中止の条件として、たけしに太田プロを辞めることを要求してきたということだ。

太田プロも所属する業界団体、日本音楽事業者協会(音事協)では、加盟プロダクション同士でタレントの引き抜きを禁じている。たけしが他のプロダクションに移籍することは基本的にできないから、独立せざるを得なくなったのである。

◆なぜ日本青年社はたけしに独立を迫ったのか?

では、なぜ日本青年社はたけしに独立を迫ったのか。それは、たけしの独立が日本青年社の利益になるからだろう。そこで、浮上するのが、マッチポンプの疑惑だ。つまり、日本青年社と仲介役となった芸能関係者らが最初から結託し、たけしに独立を迫り、たけし利権を太田プロから横取りすることを狙った、事実上の引き抜きだったのではないかということだ。

では、誰が絵図を書いたのだろうか。そのヒントとなると思うのが、日本青年社とたけしの和解工作をしたとされ、オフィス北野が設立された当初から、取締役に就任していたライジングプロダクションの平哲夫社長の存在だ。

後にライジングプロは、バーニングプロダクションとの関係を深め、「バーニング系」と言われるようになったが、バーニングプロダクションの周防郁雄社長も和解工作をしていたとされる。

だが、独立したたけしは、バーニング系と目されることはなく、バーニング系のタレントとの共演も特に目立つということもなかった。

実は、オフィス北野の設立と同時にバーニングに対し批判的な報道で知られる芸能ジャーナリストのA氏がたけしの顧問のような形で入っているのである。

A氏とたけしの親密ぶりは業界では有名だ。A氏はたけしの撮影現場にしばしば出入りし、A氏が地元で飲んでいるときに、フラリとたけしが現れることさえあるという。

また、A氏はたけし関係の記事を執筆することも多い。たけしのコメントが『東京スポーツ』で大きく掲載されるとき、このA氏が記事を執筆し、高額の原稿料が支払わるルールになっているが、『東京スポーツ』関係者は「Aさんがライターじゃないとダメだと、オフィス北野が指定してくるんです。なぜなのかは分からないけれども、昔からそうなっています」と言う。

A氏は、なぜ、たけしと関係が深いのかについて多くを語らないが、「オレは芸能界に功績があるんだ」とだけ言う。

あくまで筆者の仮説だが、たけしにとってのA氏の存在意義は、バーニングに対する防波堤のような役割なのではないだろうか。

仮にたけしが太田プロからの独立でバーニング系となったとしたら、どうなっていただろうか。たけしの番組にバーニング系のタレントが氾濫したり、映画のキャスティング権をバーニングに握られるというような事態も考えられる。

だが、現実にはそうはならず、たけしは、多くの国際映画賞や外国の勲章が授与され、国際的スターの座を手に入れた。その陰にはバーニングの介入から守るA氏の存在があったのではないか。そうであれば、確かにA氏には「オレは芸能界に功績がある」と言えるだけの資格があるだろう。

▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

芸能界の真実をえぐる!『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

 

 

大阪市長の橋下徹が在特会(在日特権を許さない市民の会)会長の桜井誠と10月20日、「面会」した。報道によると両者は「お前!」「お前と呼ぶな!」など罵倒に終始し小競り合いにSPが止めに入るなど、大した内容もなく10分で「面会」を終了したと報じられているが、その10分間に交わされた会話を子細に見ると、これは単なる怒鳴りあいではない。

まず、橋下は面会に先立って先週行われた会見で「在特会もだいぶまともになったんじゃないですかね。今日の主張なんか見てると問題ない範囲ですよ」と述べている。

何が問題ない範囲だ! 橋下にとって問題ない範囲は差別に対しては「無限大」。だから奴の尺度で判断されること自体が的外れだ。在特会が繰り返す「朝鮮人は国に帰れ」、「在日はゴキブリ」という表現に問題はないという大阪市長。温度も冷え込んできたからそろそろ道頓堀にでも飛び込んで頭を冷やしてはいかがか?

◆同じ穴の狢(むじな)

「会談」当時の内容も一見単なる怒鳴りあいに見えて、子細に見ると内容の上で双方が合致している。

橋下:大阪でな。大阪でもうそういう発言を止めろって言ってるんだ。
桜井:どういう発言かって聞いてるんだよ!
橋下:民族とか国籍を一括りにしてな、評価をするようなそういう発言は止めろって言ってるんだ。
桜井:朝鮮人を批判するってことがいけないって言ってるわけ?
橋下:お前な……(笑)。

ここで桜井が朝鮮人を批判するのがいけないのか、と聞いているのに対し、橋下は「お前な・・・(笑)」と朝鮮人差別を否定していない。また、

橋下:お前、国会議員に言え。
桜井:は?
橋下:お前の主張は国会議員に言えって言ってるんだ。
桜井:あんたの友達の国会議員に言ってるよ。
橋下:おう言えよ。
桜井:おう言ってるよ。
橋下:どんどん言えよ。
桜井:うん。それで終わりじゃねえか話は。
橋下:参政権を持ってない在日韓国人に言ってもお前、しょうがねえだろ。
桜井:その参政権を求めてるだろ彼らは。

と桜井は地方参政権を求めていることがあたかも「悪」のように断言しているが、それへの橋下の回答は、

橋下:強い者に言えよ。そんな弱い者いじめばっかりするんじゃなくて。

と極めてあいまいに逃げており、決して差別を否定していない。また、

橋下:……だからもうそういうな、在日の特定永住者制度とかそういうことに文句があるんだったら、それを作った国会議員に言えって言ってんだ。
桜井:言ってるんだよ! そして何よりもね、特別永住者制度なくしたらどうなるかくらい、わかるだろ?
橋下:だから、国会議員に言え。
桜井:言ってるって言ってるだろ。
橋下:特定の個人をな、ルール違反のことをやってる特定の個人がいるんだったら、刑事告発しろ。民族をまとめて、国籍をまとめて、それについて評価を下したり、ああいう下劣な発言は止めろ。

橋下は「特定永住者制度文句があるんだったらそれを作った国会議員に言えって言ってるんだ」と発言している。橋下自体が「特定永住者」制度に異議があるとも受け止められる発言だ。しかも制度に異議があるのならば政治家に言えというのは、逃げの発言だ。自分が桜井と「面会」を承諾しておきながら自分では何も責任を取る発言をしていない。

それはそうだろう。奴らは二人とも「同じ穴の狢(むじな)」なのだから。極めつけは次のやり取りだ。

橋下:もうとにかく、大阪ではお前みたいな活動はいらないから、ちゃんと政治的な主張……
桜井:私がいつそういう主張を大阪でやったんだって聞いてるんだよ。
橋下:政治的な主張と、通常の主張を、ちゃんと表現の自由に収まる範囲に変えろって言ってるんだ。
桜井:お前に、この間なんか見たけど、「在特会はおとなしくなった」とかなんとか言ってたろ? ああいうデモしか我々はやったことないんだよ! それ以外でね、あんたがいうヘイトだなんだっていうデモがあったんだったら、ちょっと日付言ってくれるか?

橋下は「大阪ではお前らみたいな活動はいらないから」と発言している。逆に言えば「大阪以外のことは知らない」ということだ。ちょっと待て橋下!
お前は大阪市長でもあるが、国会議員を擁する「維新の党」の共同代表ではないのか? 野党とはいえ一定数の国会議員を抱える政党の責任者が、「国会議員に言え」、「大阪ではやるな」など無責任にもほどがある。これでは「桜井と俺はちょっと立場が違うけど基本的に考えは変わらないよ」と発言しているも同然だ。

◆在特会を世間に広める効果

来年4月の統一地方選で、元在特会の人間が維新の党から選挙に出馬することが判明した。元在特会といっても、思想がそう簡単に変わるものではない。そのことについて大阪維新の会の松井大阪知事は「もう考えは変わっているから問題ない」と発言した。当人の思想点検やったのか? アホぬかせだ!

「弁護士タレント時代」にテレビで無責任な差別発言を連発して以来、橋下は確信的な差別者である。しかもこいつは、決定的にずるい。光市母子殺人事件の弁護団懲戒をテレビで呼びかけながら、自分自身は「それに時間を割く価値を感じなかった」と厚顔にも発言した。さすがにこの行為は大阪弁護士会で問題とされ懲戒処分を受けている。テレビでの懲戒呼びかけに日頃から「騙され続けている」人々が大挙参加し、弁護士としてごく当たり前の仕事をこなしている弁護団が、あたかも「悪人」のように報じられた。

テレビ報道で今回桜井を初めて知った方々には桜井が酷い物言いをする人間との印象が残っただろう。が、同時に橋下が同じレベルで話をしていた内容の危険さに気づいた人は少ないのではないか。私は今回の「面談」は両者の間で最初からストーリーが決められていた、猿芝居に思える。そうでなければ、言葉の上では喧嘩をしているように見えて、在特会の認知を世間に広める効果を持っただけだ。

断じておこう。橋下、桜井は同種の人間であり、橋下流に言えば「お前ら二人とも日本にはいらない!!」

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

『紙の爆弾』11月号絶賛発売中!

 

小渕優子経産相、松島みどり法相が10月20日、辞任に追い込まれた。ざーまーみさらせ! だが、まだ足りない。女性大臣として任命された輩のうち高市、三谷、有村はまだ平然と職にとどまっている。高市は初めて国政選挙に出馬する前から統一教会(原理研=勝共連合)からの支援があからさまで、極右の人物として知られていたが、山谷、有村は、今をときめく「在特会」(在日特権を許さない市民の会)の支援者であり、山谷は外国人記者クラブでその件を質問された際、あわあわ、回答に窮していた。

首相が安倍なので側近がこのような極右女性大臣というのはお似合いではあるが、山谷が国家公安委員長とは悪い冗談にもならない。「在特会」の暴力、暴言を放置して、それに反対する市民をどんどん逮捕するだろう。だって、山谷自身が「在特会」と仲良しなんだから。因みに安倍自身も統一教会からの献金・支援を長年に渡り受けており、こいつを支持する「在特会」の心情は摩訶不思議である。

◆過激な「差別思想」の持ち主で固めた第二次安倍内閣の閣僚たち

女性政治家だからといって、男性よりも子供思いだとか、心優しいなどと、まさか信じている読者は少なかろうが、第二次安倍内閣で大臣に就任した女性政治家は以前から過激ともいる「差別思想」の持ち主が多数だ(小渕はボケているから幾分ましであったという見方はある)。

安倍すらが参拝を見送くった(実際は「玉ぐし料」という実質「賽銭」を姑息に行っているので卑怯極まりないが)、靖国神社にはしゃいで参拝するような連中である。早晩叩き潰されてしかるべきなのだ。政教分離の建前から「国家神道」の延長線上にある「靖国神社」を大臣が崇拝することは憲法違反が明確だ。

裁判所の判断などいらないし、関係ない。憲法を文字通り読めばそうなのだ。立憲政治において「文言の判断」など子供だましの言い訳である。戦前からの「国家神道」を未だに、いや、この時代であるからこそ参拝によって、衆愚政治を推し進めようとする大臣どもは万死に値する。

安倍は前回総理就任した際にも多数の閣僚不祥事から辞任を経て、自滅していった経験を持つ。中には在任中に自殺した人物さえいた。

弱者をいじめて、周辺アジア諸国を馬鹿にして、原発再稼働賛成の論陣を張っていた『週刊新潮』が今回は小渕のスキャンダルを取り上げた。新潮、久しぶりに仕事したやないかと、一応褒めておこう。

しかし、私が知るだけでも高市、山谷、安倍に対する直接、間接の「在特会」勢力からの献金は少ない額ではない。多数の記者を抱える週刊誌、まだまだ本気になれば取れる玉があるだろうが!

◆言論の逆境──『創』の危機

ところで、月刊『創』の経営が窮地に立たされているという噂を耳にした。巻頭写真ページを持っていた柳美里が原稿料の不払いをを理由に掲載をストップしているのが主因らしい。

『創』はマスコミ批判を柱に、『マスコミ就職読本』などで財政的には安泰と思っていたが、聞くところによると最近は『紙の爆弾』よりも実売数が下回っているという。鹿砦社の松岡社長には失礼ながら『創』には顕名でかなり名の知れた執筆陣が毎号寄稿しており、まさかそんな苦境に陥っているとは想像しなかった。『紙の爆弾』とは無縁な大企業の広告も掲載されているし、「柳美里氏は怖いので原稿料を払っているが他のライターは原稿料なし」というのが業界での常識だった。

私自身も何度か『創』には寄稿したが、原稿料をもらったことはない。社員数が極端に少ない『創』にいったい何が起こっているのであろうか?

ともあれ、路線や戦い方は異なっても多様な言論を確保するうえで、『創』の奮起を期待したい。余計かもしれないが、佐藤優のような「モサドから金をもらっている」という人間に誌面を提供することを止めるところから立て直しを図ってはいかがだろうか。そして安倍反動内閣や「在特会」へ本気で批判を浴びせば、読者は戻るだろう。

大きな書店には「月刊誌」、「総合誌」のコーナーがある。文庫新刊書をブラブラ見ながら好きな作家の新刊を漁って、最後に「総合誌」、「月刊誌」のコーナーへ行くのがかつての彷徨ルートだった。が、『噂の真相』、『月刊現代』が廃刊になり、手に取りたいと思う雑誌が激減し、リベラル・左翼系の月刊誌は探し出すのが一苦労だ。代わりに『WILL』や『新潮+45』、それだけではなく「嫌韓」、「日本の誇り」なる低俗唾棄すべき紙の無駄使いが山積みされている。

もう「月刊誌」、「総合誌」のコーナーは苦痛の場所だ。だから東電の広告を掲載していた『創』。執筆者に原稿料を払わなかった『創』、社員を苛酷に使いすぎるとの噂のある『創』、編集長の性格が難しい『創』であっても奮起を期待したい。

言論の領域がどんどん狭窄になる今日、『創』の存在は貴重である(もち上げ過ぎか?)。

(田所敏夫)

タブーなき『紙の爆弾』話題の11月号発売中!

 

前の記事を読む »