◆新設学部の入学定員超過で「Beyond Borders」

更に追い打ちをかけたのが2008年に起きた「入学時転籍」問題だ。新設の「生命科学部」の合格者を多く出し過ぎてしまった立命館大学は、合格者に「貴方は優秀だから生命科学部以外にも入れますよ。理工学部へはいりませんか?」といった誘導を行ったのである。

受験生からすれば青天の霹靂だ。自分が受験したのは「生命科学部」であって、その合格通知を手にしたところ「ほかの学部はいかがですか?」と大学が聞いてくることなど想像を超えている。なぜ、このような転籍を強行しなければならなかったのか?

その理由は文科省による補助金である。大学は入学定員が決まっており、その1.3倍(この数字は時代により変動するので今日の正確な基準は異なっているかもしれない)以内であれば問題はない。だが、入学者(あるいは同一学部学科の総員)が定員の1.3倍を超えると補助金を削減されるというルールがある。

志願者が多く、競合大学が多彩な大学にとって、合格者を何名にするかの決定は極めて神経を使う作業である。特に受験日が重なったり、新規の同内容学部が他大学に新設された年などは、それまでの経験則やある種の「勘」が役に立たないことがある。まさに、その失敗を「生命科学部」は犯してしまった。合格者を出しすぎてしまったのだ。

文科省も一度限りの定員超過について厳罰は課さず、注意程度に収める場合が多いが、その後に新しい学部の新設や大学院の設置を予定している場合にはそれに悪影響を及ぼす。
立命館大学は当時、更なる学部新設を計画していたことから「生命科学部」の入学者定員大幅超過は何としても避けたかった。そこで他学部への「入学時転籍」という荒業に手を染めたのだ。

◆岐阜の公立高校買収でも「Beyond Borders」!

更に立命館大学の快進撃(?)は続く。立命館大学は岐阜県の「市立岐阜商業高校」買収を水面下で進めていたのだ。この報道を新聞紙面で目にしたとき、私は「おいおい、いくらなんでもそれはないやろ」と腰を抜かしかけた。

何と「岐阜県」にある「公立高校」の買収に本気で取り組んでいたのである。大学校地が全国に広がる日本大学、東海大学といった経営方針の大学ならば、新たに「出店」を開業することにさしたる驚きもない。だが、立命館大学はAPU(立命館アジア太平洋大学)を大分県に持っているとはいえ、実質的にはあくまで「京都」中心の大学である。関西とは文化園の異なる岐阜県の、しかも公立高校を買収にかかるとは、いったい何を考えているのか? そんな話がうまくまとまるのか?と注目していたが、案の定、岐阜市議会で猛烈な反対を喰らい、この買収計画は失敗に終わる。

◆びわこ草津キャンパスでは爆発未遂事故で「Beyond Borders」!

また、立命館大学びわこ草津キャンパス(BKC)では昨年、「火災による水素ボンベ爆発未遂事故」(!)が起きている。BKC校舎内でボヤが発生し、実験用の水素ボンベに引火の危険性が生じたため、ボンベから半径200mからの避難を指示が出された。

ところがボンベから半径200mは大学の敷地のみならず、近隣の住宅街にも及ぶ。学生だけではなく当然、近隣住民にも避難の指示が伝えられるべきところ、連絡は何と自治会長にのみ伝えられた。自治会長一人で当該地域の住民全員に迅速な連絡ができるはずはなく、後日、大学と自治会、草津市役所も含めて検証の場が持たれ、地元からは強い不安と不満の声が上がったという。これは物理的に極めて危険性の高かった「Beyond Borders」といえよう。

◆大阪「茨木」校地開設では関西大と「Beyond Borders」!

そして、極め付けは「茨木」校地建設だ。茨木と言えば関西になじみの深い方には容易に位置を認識していただけようが、関西地域以外の方には少々説明しておいた方がよいだろう。

茨木市は大阪府に位置する。JR、阪急電車などで大阪駅へのアクセスも良いため、古くからのベットタウンでもある。参考までに茨木市の北東(茨木市より京都寄り)は高槻市である。JR高槻駅前には関西大学の校舎が建っており、高槻市には高橋大輔や織田信也などの有名アイススケート選手を産み出した関西大学のスケートリンクもある。

関西大学のメインキャンパスはこれまた茨木市より大阪寄りの吹田市である。つまり地理的には立命館大の茨木校地は関西大学のメインキャンパスと高槻キャンパスに挟まれる場所に来年3月開設に向けて現在急ピッチで校舎建設が進んでいる。

この「茨木」校地建設問題について詳述しだすと紙数がいくらあっても足りないが、その危うさを示す立命館大学職員のコメントを紹介しておこう。
「茨木校地を建設すれば、いずれ財政的に立ち行かなくなる」
ある現職財務担当職員の見解だ。

現在の理事長、執行部は「関西大学との戦いに勝つために」と茨木校地開設の意義を語っているという。おいおい! 立命館大学のライバルは同志社大学ではなかったのか? 「京都のりっちゃん(立命館大の愛称)が大阪に足伸ばしてどないすんねん。イメージ崩れるで」と言うのが多くの大阪人の見方だ。

同じ関西エリアといっても、京都と大阪では文化も気質も大きく異なる。この茨木校地設立こそ、立命館大学が選択した究極の「Beyond Borders」といえよう。

◆「ボーダー越えすぎ」で見えてきた「ゲームオーバー」

大学業界人の多くは「茨木校地開設はひょっとすると株式会社立命館の終わりの始まりになるかもしれない」と考えている。ゼネコンに莫大な利益もたらすことはあっても、立命館大学がまとまった校地を茨木市に開設する積極的な理由は見当たらない。

大学は企業と異なり、経営状態が多少悪化しても即座に「倒産」とはならない。立命館クラスの大規模大学になれば尚更だ。但し「貧すれば窮す」で経営ミスや財務状況の悪化は教学内容(教員、学生の質など)を直撃する。大学内での無用の雑務や対立も起きてくるだろう。

立命館大学が越えてきた数々の「Borders」。
その選択が妥当であったか否かそう遠くない将来、回答が出るだろう。
私の直観ではズバリ、アウトだ。

(田所敏夫)