◆三里塚で52年ぶりの強制執行

52年ぶりに、三里塚(成田空港周辺)で強制執行があった。来年で開港から45年、空港反対運動が連綿とつづいてきたことに、愕いた人たちも多いことだろう。

反対運動は83年に反対同盟が分裂し、その後も再分裂や部落単位の移転など、反対運動のスタンスも変化した。絶対反対から騒音問題の条件闘争まで、獲得目標も分化している。

とはいえ、80年代に政府が空港建設過程の強引さを一部の反対同盟(熱田派)に謝罪し、「空港建設に強制的な手段は用いない」という和解協議は、反対運動全体の成果として準用されるべきであろう。

日本の国際空港は、国際基準の第一種だけで4つ(羽田・関西・中部・成田)ある。仙台・佐賀・福岡も運営会社は「国際空港」であり、国際路線をもっている空港は18もある。羽田に代わる国際空港(ハブ空港)として期待された成田空港は、旅客数では羽田の半分となってしまっている。

今後も反対運動が止むことはないと思われるが、そうであれば地域との共生や農業活性化と観光旅行を結びつけるなどの、新しい資源活用がもとめられるのではないか。いまも三里塚・芝山の山林と農地は美しい。

生きている三里塚闘争 52年ぶりの強制収用(2023年2月18日)

◆工藤会館跡地を「希望のまち」に

工藤會幹部の裁判方針(控訴審)に変化があった。死刑判決を受けた野村総裁を庇うように、田上会長が自分の判断で犯行を指示した、と教唆犯として罪をかぶろうというものだ。本人たちの言葉を引用して、その方針変更を確認しておこう。

野村被告と田上被告は一審の弁護士を全員解任し、公判方針も変えている。田上被告が「自分が野村に相談することなく、独断で事件の犯行を指示した」と、つまり野村悟の死刑判決を回避するために、罪をかぶることを宣言したのである。

主張を変えた契機は「弁護士から被害者のこと、私の指示で長い懲役に行った(組員の)ことに向き合うことが本当ではないかと言われました。もう本当のことを話そうと思って、決めました」であると述べた(9月27日・控訴審の田上被告人質問)。

そのうえで、「(被害者に)本当に悪かったと思います」と謝罪し、獄死は覚悟していると述べた。

野村被告は「襲撃の指示もしていないし、事前に襲撃する報告も受けていない」と、改めて事件への関与を否定した。

当初、弁護団のなかでも「無罪は確実」とされてきた。共同謀議の具体的な証拠・証言がなく、工藤會の親分子分の絶対的な関係から、推論して指示があったに違いない。あるいは子分が慮る関係が、共同謀議とみなせるというものだった。

一般社会に当てはめると、社員の犯罪はすべて指揮関係にある上長の責任、ひいては社長の責任とする論理の飛躍は明らかなが、それが昨今の暴力団裁判なのである。

田上会長が「獄死は覚悟している」と述べているとおり、この裁判で無罪が得られることはなく、出獄(保釈)も無理であろう。かつて、溝下秀男総裁時代に取材した者として、ある意味で歴史的な判例となるこの裁判を見守っていきたい。

《工藤會レポート》最高幹部裁判の方針変更 工藤会館跡地を「希望のまち」に(2023年10月11日 )

◆鹿砦社の広告(『人権と利権』)の掲載を『週刊金曜日』が拒否

デジタル鹿砦社通信で、筆者が編集長を務めていた『情況』誌の紹介をさせていただいた(謝)。さて、その中で強調したかったのは、広告掲載でした。すなわち、鹿砦社の広告(『人権と利権』)の掲載を『週刊金曜日』が拒否したことについて、掲載拒否が結果として差別につながると指摘しました。その核心部を、すこし長くなりますが、引用しておきます。

『情況』は鹿砦社様の広告を表3(巻末)に定期掲載しています。『週刊金曜日』が当該者(団体)の抗議で、鹿砦社の広告を拒否した契機となった『人権と利権』も掲載しています。当然のことです。ご出稿いただいていることに、あらためて感謝するものです。

明らかに差別や人権侵害を目的とした刊行物でないかぎり、その表現や主張に、結果として差別的な内容・人権侵害的な内容が含まれていたとしても、誌上で批判・反批判をするべきです。そこにこそ、イデオロギー闘争としての「反差別」「人権擁護」が成立すると考えるからです。

したがって、今回の『週刊金曜日』の措置は、ファシストの焚書行為に相当するものと、わたしは考えます。『人権と利権』は運動内部に存在する「利権」を暴き出し、健全な反差別運動の発展をめざす視点から編集されていると、一読してわかるものです。

内容に誤りがあり、あるいは不十分であると考えるならば、批判の論攷を書けば良いのであって、人の眼に触れさせないのは矛盾の隠ぺい、自由な批判を抑圧するものにほかなりません。

反差別運動の基本は、現代社会が資本主義の景気循環において相対的過剰人口を生み出し、そこにレイシズムの歴史的ファクター(差別意識)が結合することで、差別を再生産する社会であること。この基本認識があれば、差別を排除するのではなく俎上にあげて、分析・批判することを通じて、差別意識を変革していくことが求められるのです。

差別は個人・組織が起こすものですが、差別社会にこそ原因があることを忘れるならば、差別者のキャンセル、排除によって変革を放棄し、結果的に差別を温存することになります。すなわち『週刊金曜日』の今回の措置(広告拒否)こそが、差別を温存・助長するものにほかならないのです。

《書評》変革のための総合誌『情況』2023年夏号 新しい論壇誌のスタイルへ 鹿砦社の広告への反応にもご注目(2023年8月30日)
 
◆重信母娘を「テロリスト」と呼んだ駐日イスラエル大使

ウクライナ戦争が継続する中で、またひとつ苛烈な戦争が拡大した。パレスチナ紛争における、イスラエル軍のガザ侵攻である。

イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使が、「報道1930」(TBS)にジャーナリストの重信メイ氏が出演したことを問題視したことについて、パレスチナ紛争を筆者なりに解説した。

重信母娘を「テロリスト」と呼ぶイスラエルの侵略者 ── ウクライナ戦争と比べてみれば、侵略者の傲岸な様相がわかる(2023年10月24日)

ウクライナ戦争と比較してみれば、わかりやすく読み解けるはずだ。イスラエルは軍隊の力で入植地を拡大し、膨大なパレスチナ人が「難民」として郷土から追い出されているのが、パレスチナ紛争の歴史であり実態である。

重信房子は当初はボランティアとして、のちにはPFLPを支援する義勇兵(日本赤軍)としてパレスチナで活動した。これをウクライナに当てはめてみると、ウクライナ軍に参加、あるいは提携しているポーランドやロシア(反プーチン)の義勇兵と同じである、いま、プーチンはこれらの義勇兵たちを「テロリスト」と呼ぶ。イスラエル駐日大使の「テロリスト」呼ばわりは、まさにプーチンと同じなのである。

記事ではあまり問題にしなかったが、「『殺人者やテロリストの一族に発言の場を与えるべきではない』(駐日大使)というのであれば、犯罪者の子供は許さないの(犯罪者差別)と同じである。目下、重信房子の『パレスチナ解放闘争全史』を編集中。

重信房子『はたちの時代』編集後記 ── 読書子への感謝に代えて(2023年8月12日)

◆最後に

ウクライナ戦争もパレスチナ戦争も、いっこうに先行きが見えない。国内では自民党各派閥(とくに安倍派)のパーティー券キックバック問題が浮上してきた。自民党は総裁選を控えて、いっそう混乱することだろうが、再生力のある党でもある。来年も熱い一年になるであろう。みなさま、よいお年を。(完)

◎横山茂彦-2023年を顧みる〈全3回〉
〈1〉ウクライナ戦争の現実に、世界史を目撃する
〈2〉過激なまでに右派シフトしても自民党支持者に不人気だった岸田政権
〈3〉ウクライナ戦争もパレスチナ戦争もこの国も、いっこうに先行きが見えない

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年冬号

このところテレビで大活躍している知識人らが次々とフェイスブックの広告に登場して、株式投資などを奨励している。たとえばジャーナリストの池上彰氏は、「リタイア層は現在ある資金を減らさずに運用することが最優先です」と呼びかけ、森永卓郎氏は「私は株で十分なお金を稼ぎ、父を最高の老人ホームに送り、そこで残りの人生を過ごしました」と自慢話を披露し、落合陽一氏は、「新しい時代に磨くべき能力とは何でしょうか。それは、ポートフォリオマネジメントと金融的投資能力です」と露骨に投資を呼び掛けている。

左から池上彰氏、森永卓郎氏、落合陽一氏

これらの人々による指南は、投資を活性化するという政府の金融政策と完全に一致している。自分の老後資金は、年金よりも自己責任で確保すべきだとする新自由主義の自己責任論の反映にほかならない。

識者を通じて投資がPRされる背景には、社会福祉制度が崩壊に近づいている事情がある。投資に消極的な人は、いずれ行き場を失いかねないという恐怖を喚起して投資に走らせる目的があるようだ。これはわたしに言わせれば、悪質なセールスと同じである。

それをテレビの常連が、ジャーナリストや評論家の肩書で展開しているのである。投資に走らなくても、安心して老後が送れる社会を構築するために自らの職能を活用しようという視点は何も感じられない。日本の社会制度の中に埋没しているのだ。

投資に失敗して、露頭に迷う層が出現する状況は、カジノにのめり込んで自殺に追い込まれる層が現れる状況に類似している。

◆「中国による謀略論」の愚

日本のテレビには、良識のある識者が登場することは根本的にはありえない。福島原発の汚染水問題にしても、真面目な顔で中国の陰謀論を展開する連中が後を絶たない。政治的な意図があって、中国は日本の水産物の輸入を全面的に禁止したのだと。そんなことを評論家の肩書で、真面目な顔をして言っているのだ。

しかし、汚染水の問題を考える際の大前提になるのは、汚染水そのものが人体に及ぼす影響である。放射性物質が海のプランクトンを汚染し、そのプランクトンを魚が食べ、さらにそれが人間の体内に入った場合にリスクがあるのかどうかが、議論の中心にならなくてはいけないのに、汚染水の「安全」を大前提にして、中国謀略論が前面に出ているのだ。

海水をくみ上げて放射性物質を測定するのも、愚の絶頂である。海水ではなく海底の土壌を調査しなければ何の意味もない。

先日、筆者は遺伝子について詳しいある識者と話す機会があった。この人は、原発反対運動に参加しているわけではないが、物事を純粋に評価するので、わたしは客観的な意見を知りたいときに指導を仰ぐ。汚染水については、次のようなコメントを頂いた。

「危険に決まっているでしょう。テレビに出ている人たちは、本当のアホですわ。何も分かっていない。中国が日本の魚を買おうが買うまいが、そんなことは中国の自由でしょう」

◆軍事大国・米国の裏の顔

ウクライナ戦争の報道についても、慶応義塾大学の廣瀬陽子氏らを筆頭にウクライナが善でロシアが悪という構図での評論が主流になっている。しかし、海外では決してそうではない。

むしろ米国主導のNATOによる東方への勢力拡張やウクライナ政府による人権侵害を問題にしているケースが多い。少なくとも非西側メディアはその傾向が強い。

わたしはウクライナの戦地を取材するまでもなく、この戦争は米国による他国への内政干渉の結果である可能性が高いと推測している。次に示すのは、太平洋戦争の後における米国によるラテンアメリカへの軍事介入とクーデターを示した地図である。

太平洋戦争の後における米国によるラテンアメリカ諸国への軍事介入とクーデターの発生年を示した地図

この地図を見るだけで、戦争国家としての米国の性質が理解できる。そこから米国が主導するウクライナ戦争の性質も推測できるのである。

日本のテレビがジャーナリズムとして機能しなくなって久しいが、このところ識者たちが、テレビを通じて国策に全面的に協力する傾向は一層露骨になっている。わたしは、最近、テレビよりもユーチューブの番組の方が相対的にレベルが高いように感じる。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉のタブーなき最新刊!『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

デジタル鹿砦社通信の小島卓編集長から、『情況』8月発売号の紹介をしてみてはいかが、というお誘いをいただきました。ありがたくお受けしたいと思います。

過日、『情況』第6期にご注目を、という記事をアップしたことがあります。おかげさまで、第6期『情況』誌は3号をかさね、11月発売号が出れば晴れて「3号雑誌」(勢いよく刊行したものの、3回で休刊)の誹りをまぬがれるわけです。読者の皆さまのご購読、ご支援に感謝いたします。

◆新しい論壇誌のスタイル

 

変革のための総合誌『情況』2023年夏号[第6期3号]【特集】音楽

さて、新左翼系の老舗雑誌と『情況』は呼ばれてきました。しかし、新左翼そのものが衰退、解体している昨今、その存続意義はあるのかという問いが生まれます。
じじつ、新左翼的な記事はほとんどなくなり(かつては、三里塚闘争や安保闘争、狭山闘争などが誌面を埋めた)、唯一果敢に闘われている沖縄反基地闘争(辺野古基地反対運動)も、新左翼特有の実力闘争ではなく、不服従の抗議闘争というのが実態だと思います。

運動誌・理論(学術)誌・オピニオン誌と、3つの性格を併せ持ってきた『情況』ですが、いまも有効なのはおそらく研究者にとっての論文発表の場、なのではないでしょうか。全国の大学図書館に70冊ほど、しかし岩波の『思想』、青土社の『現代思想』には遠く及びません。そして何よりも、学術誌は売れないのです。

もうひとつはオピニオン誌(論壇誌)としての性格で、第5期はここに比重を置いてきました。できればワンテーマこそが、クオリティマガジンとしてのステータスを高めるものになるはずですが、編集部をオープンにした結果、ごった煮の雑誌となったわけです。あれもこれも載せてくれと、ぶ厚い雑誌になりました。

雑誌というものは雑なものの集合体、いろんなファクターを入れた大船ですから、それはそれでいいのですが、いまひとつテーマの掘り下げに苦しんできたのが実態でした。

新しい編集部(第6期・塩野谷編集長)は、ヘンに背伸びをせず(難しいテーマを抱え込まず)、身近なテーマを掘り下げるところに特長があります。創刊号は「宗教」、2号目は「動物」、今回は「音楽」でした。

「音楽」は鹿砦社通信でもたびたび取り上げられていますが、時代性とテーマをその中にふくんでいます。プロテストソングを80人以上のアンケートで実施、特集の記事も20本と多彩なものになっています。政治と音楽(芸術)というテーマそれ自体、メッセージや音楽性の相関、扇動性、快楽といったかなり広い論軸を持っているものです。

その意味で、政治的なテーマや経済論評、政治経済の提言や批評がやや有効性をうしなっている(論壇誌で残存しているのは『文藝春秋』『世界』『中央公論』ほどしかない)現状では、人間にとって切実な「動物=食物」「音楽=日常に接する音」から人間を掘り下げる。これはなかなか良い手法だと思います。次号は「メンタルヘルス」だそうで、やはり切実なテーマだなと思います。

◆鹿砦社の広告について

ところで、『情況』は鹿砦社様の広告を表3(巻末)に定期掲載しています。『週刊金曜日』が当該者(団体)の抗議で、鹿砦社の広告を拒否した契機となった『人権と利権』も掲載しています。当然のことです。ご出稿いただいていることに、あらためて感謝するものです。

明らかに差別や人権侵害を目的とした刊行物でないかぎり、その表現や主張に、結果として差別的な内容・人権侵害的な内容が含まれていたとしても、誌上で批判・反批判をするべきです。そこにこそ、イデオロギー闘争としての「反差別」「人権擁護」が成立すると考えるからです。

したがって、今回の『週刊金曜日』の措置は、ファシストの焚書行為に相当するものと、わたしは考えます。『人権と利権』は運動内部に存在する「利権」を暴き出し、健全な反差別運動の発展をめざす視点から編集されていると、一読してわかるものです。

内容に誤りがあり、あるいは不十分であると考えるならば、批判の論攷を書けば良いのであって、人の眼に触れさせないのは矛盾の隠ぺい、自由な批判を抑圧するものにほかなりません。

『情況』も、昨年の4月刊で「キャンセルカルチャー特集」を組みました。2021年の呉座勇一さん(日本中世史・『応仁の乱』が50万部のベストセラー)のツイッターアカウントをめぐり、女性蔑視とするネット上の論争が起きた件をめぐり、執筆者から「情況の不買運動」を呼びかける論攷も掲載しました。

反差別運動の基本は、現代社会が資本主義の景気循環において相対的過剰人口を生み出し、そこにレイシズムの歴史的ファクター(差別意識)が結合することで、差別を再生産する社会であること。この基本認識があれば、差別を排除するのではなく俎上にあげて、分析・批判することを通じて、差別意識を変革していくことが求められるのです。

差別は個人・組織が起こすものですが、差別社会にこそ原因があることを忘れるならば、差別者のキャンセル、排除によって変革を放棄し、結果的に差別を温存することになります。すなわち『週刊金曜日』の今回の措置(広告拒否)こそが、差別を温存・助長するものにほかならないのです。

◆共産同首都圏委の逃亡

「排除」といえば、本通信でも何度か取り上げてきた、共産同首都圏委のウクライナ帝間戦争論について、8月発売号の「ウクライナ戦争論争」(本誌特別解説班)で結論を書きました。

首都圏委は人づてに聞いたところ「横山と論争をしないことに組織決定した」というのです。「排除」いや「逃亡」です。もう笑うしかありませんが、かれらは書き散らした論旨改ざん(論文不正)、誤読・誤記、引用文献の版元の間違いなど、恥ずかしいばかりの誤報の後始末もしないままなのです。そこでわれわれが彼らに代わって、訂正とお詫びを誌面に書きました(苦笑)。

また、新たな論敵として労働者共産党(元赤軍派の松平直彦氏が代表)の批判も全面展開しています。同世代の元活動家、研究者たちから「メチャメチャ面白い」の連絡をいただいています。

紹介と論軸の提起が長くなりました。今後とも、鹿砦社の出版物とともに『情況』をよろしくお願いいたします。(筆者敬白)

変革のための総合誌『情況』2023年夏号[第6期3号]【特集】音楽

『情況』HP http://jokyo.org/
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CDJ84P4J/
模索舎 https://mosakusha.com/?p=6153 

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』 最寄りの書店でお買い求めください

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』
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今回の問題は、「カウンター大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」)に対する、私たち鹿砦社による被害者支援と真相究明に陰ながら不快感を持っていた『週刊金曜日』編集部内の日本共産党としばき隊につらなる人たちによって画策されたものと推察いたします。くだんのリンチ事件の加害者側代理人と植村社長の慰安婦訴訟の代理人兼事務局長は同じ神原元弁護士ですしね。

この非人間的なリンチ事件に関わり始めてから、これについての取材と支援、訴訟などの内容を2016年以来6冊の本にし出版、同時に『金曜日』にもその都度巻末広告を出広してきました。それ以前にも広告は定期的に出広してきましたが、一度たりとも抗議などありませんでした。『金曜日』に抗議がなされ始めたのは、これ以降だと思われます。

これが問題の広告。たった4分の1の小さな広告で大騒ぎする輩と、これに簡単に屈した『週刊金曜日』

北村肇さんによれば、『金曜日』の定期購読者は3つに分かれていて、(1)日本共産党支持者、(2)社民党支持者、(3)無党派だということですが(今はれいわ新選組なども出来たので少し変わったかもしれませんが)、(2)の一部と(3)の読者が鹿砦社の読者と重なるそうです。また、小さな会社なのに組合も3つあり、なにかあればいちいち3つの組合と団交しないといけないそうで疲れるとこぼされていました。北村さんの命を縮めた一因は組合だということは元社員からも聞きました。誤解ないように私たちは組合の存在と活動を否定しているわけではありません。

生前の北村肇前社長。太っ腹な方だった

今回の鹿砦社に対する「ヘイト出版社」扱い、森奈津子編『人権と利権』に対する「差別本」呼ばわりで私たち鹿砦社も、まさに「名誉毀損」に遭っているというほかありません。植村隆社長ら『金曜日』の見解が一方的に喧伝され、特に重なる読者層の方々に誤解を生むことを懸念します。『金曜日』と鹿砦社の力関係は、マジョリティとマイノリティですから。鹿砦社の書籍や雑誌の広告が掲載できなくなることで、ますます私たちの出版活動の内容を外部に知らせる場が一つなくなりました。

今回の件で、『金曜日』に言論の多様性などなく、異論を簡単に排除する左翼教条主義的な組織に成り下がったことを実感しました。今後は「多様性」とか「表現の自由」とか言うなよ!

鹿砦社は「ヘイト出版社」? 森奈津子さんは「差別者」? 人の人権を顧みず、簡単に「ヘイト」だ、「差別」だと言う者こそ差別者だ!

以下、このかん寄せられた読者の皆様方からのご意見です(一部の方を除いてお名前を省いています)。畏敬するゲバリスタ(元・日大全共闘)、板坂剛さんからは11・2金曜日30周年集会へ「乗り込む」ことが提起されました。狂犬・板坂さん一人で乗り込ませるわけにはいかんでしょう。私も抗議のビラ撒きぐらいはやりたいと考えています。行動を共にしてもいいという方はご連絡ください。久しぶりに「老人行動隊」(古い!)を組みましょう! 情宣貫徹! 闘争勝利!

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◆板坂 剛 『マツオカ』へ 1       
 怒りと笑いが同時にこみあげる今回の『週刊金曜日』の広告拒否事件。鹿砦社の出版物に不適切な表現があったから、鹿砦社の広告を掲載するなと、多くの読者から脅迫的な要求があって、それで発行人が今後同誌に鹿砦社の出版物の広告を一切載せないことになったという。完全な倒錯である。
「文春砲」と揶揄され現実の巨悪を撃つ『週刊文春』の足元にも及ばない『週刊金曜日』の末路というべきか。文章で表現された内容に異議があるなら、文章で反論すればいい。
 百歩譲って鹿砦社の出版物の内容を否定するなら、鹿砦社に抗議するのが筋であろう。それを同業他社に広告の掲載を打ち切るように迫るなど卑怯の極み、昭和の右翼が好んで用いたヤクザまがいの手口だ。
『週刊金曜日』の読者がここまで低レベルであったことに驚くと共に、そんな姑息な言動に屈するのは出版人として自殺行為であることを自覚できない『週刊金曜日』の編集者には、もはやジャーナリスト失格であると言い渡しておこう。彼らには自分の仕事に対する意地も誇りもないのだ。今まで『週刊金曜日』を書店で購入したことは何度もあったが、もう二度と買わない。

◆板坂 剛 『マツオカ』へ 2       
 どうも腑に落ちない『週刊金曜日』の鹿砦社に対する広告打ち切り措置。事実上の絶縁宣言であるにもかかわらず「鹿砦社を否定するわけではありません」というヒラ社長のコメント。
「今回の『人権と利権』の広告問題で、『もう鹿砦社の広告をやめるべきだ』という読者の声がさらに強まりました。社内でも『広告取りやめやむなし』いう意見が大多数です」って、ヒラ社長よ「読者の声」「社内の意見」ではないあんたの本音を聞かせてくれと言いたい。
『人権と利権』のどこが問題なのか、自分の言葉で語った上で、今後一切鹿砦社の広告を取りやめる必然性があるのかを説明しない限り、鹿砦社の支持者=読者は納得しないだろう。説明責任を果たさないのは自民党だけで結構。
 11月2日木曜日に日本教育会館一ツ橋ホールで『週刊金曜日』創刊30周年記念大集会が行われるという。私はここに乗り込むつもりである。鹿砦社シンパ関西派の結集を望む。

◆黒薮 哲哉 わたしの新刊の広告も同じスペースで掲載された(週刊金曜日の)号なので、具体的にどのような事情があったのか、週刊金曜日と仁藤氏には説明してほしい。

◆週刊金曜日が鹿砦社の広告掲載を止めた、だけの理由ではなく積もり積もったもの(北村肇さんへの敬意を踏みにじられたことなど)もあり、定期購読を止めました。他人を排斥するなら、自分も排斥されることを知るべきです。

◆本日付の「デジタル鹿砦社通信」を読みました。 6月29日付の記事とあわせ、この間の事情がよくわかりました。松岡さんのおっしゃることは理路整然としており、賛同いたします。
『週刊金曜日』は長く定期購読してきた愛着のある雑誌であり、西宮ゼミでお会いした北村肇さんのお顔も浮かぶのですが、自ら省みることができないようなら区切りをつけるべきかと思案しております。
これに代わる週刊誌が今の日本に無いので困るのですが…。

◆創刊からの購読者でしたが、とっくにやめました。

◆ちょっとひどい ネ、中島氏はやめちゃうし、週刊金曜日にがっかりした。

◆(『週刊金曜日』の)7/7日号確認しました。「社会的には非正規雇用問題を批判しながら、社内に同じ問題を抱え込んでいる」とおっしゃってますが、今回の問題が決定的だったんでしょう。残念です。

◆本多勝一さんのような文章成金がうらやましいですよ。

◆特にというのも変だが2014年のブルデモやリンチ事件のことは今後も何かと付きまとうであろう…

◆週刊金曜日 8/11 1435号読書会から 植村社長鹿砦社決別宣言について さいたま読者から 仲良くしろよ。
と言あり、要は単なる喧嘩口喧嘩のレベルか?
できれば紙の爆弾読書会を開いてこの問題を討議できないだろうか?

◆金曜日に問う
週刊金曜日の植村さんは、自分への攻撃には敏感のようだが、その際の自分の反撃がどういう意味をもっているのかを判断する力は弱いようだ。
反ヘイトなどの運動体の中には、内包する問題を指摘されているところもある。それにつけこんで、誹謗中傷する輩もいる。
しかし、まともな疑問や批判に対しても、誹謗中傷あるいは差別だと逆にレッテル貼りをすることがないとはいえない。
その運動体が社会的にも、さらにさまざまな運動を支持しているひとたちにも、認知をされている場合、この団体が「虐められている」と声を挙げれば、その主張が受け入れられやすくなる。
しかし、大事なことは、事実関係をきちんと押さえ、そのことに歴史的にも理論的にも、正しい解釈をすることだ。感情に流されてはならない。
今回の記事だけでは、当該団体の詳細が分からないので、そのことには触れない。
ここで明らかにされているのは、週刊金曜日が、鹿砦社の出版物の広告を掲載したが、某団体のクレームを受けたら、鹿砦社とは何の話し合いをすることなく、自分が広告掲載を了承した本を「差別的だ」と決めつけたうえ、某団体への謝罪を表明した、ということだ。
右翼の脅迫を受けて、一度出していた会場使用許可を一方的に取り消す自治体の例を想起してしまう。
しかし今回は、ことなかれ主義の自治体が行ったのではなく、言論機関である。それも、一部のリベラル勢力が信頼を寄せているメディアである。
直ちにいい悪いの結論を出す必要はない。
何が問題点であるのか、議論を闘わせてほしい。特に、金曜日に寄稿している人々には、その論争に参加すべき義務がある。

◆「一番弱い所」として生け贄にされた「週刊金曜日」。
カウンター界隈に煽動されたColabo

◆一番の問題点は『金曜日』が鹿砦社を今後無視することだと思う。

◆公開討論を開催するべき案件。

◆「買ってはいけない」の非科学性を(もっと言えば「トンデモ」)を訴え続けた熊野寮OBたちの意見をガン無視し続けた段階で、『週刊金曜日』の購読をやめています。あそこ、サヨクの悪い所を煮詰めたようなところがありますね。

◆う~ん、『週刊金曜日』は左翼なのかなあ。私にはリベラルという認識しかないけど。

◆僕がカタカナで書くときは基本的に「リベサヨ」という、軽蔑的ニュアンスを込めています。

◆松岡さん応援しています。

◆言論弾圧に屈せずに、おかしいことにおかしいと言う松岡さんの姿勢断固支持します。
今日、八鹿高校事件の動画を見ていました。
汗水垂らして働く必要の無い特権階級どもが、デマや暴力で言説を封殺する。今も昔も全く変わらぬ構造に悔しさと虚しさが溢れてきます。
出身や性別や民族やセクシュアリテで括る左派が何故人民大衆に見放されたか。
それは貧しい者、所得の低い者、低賃金労働者を見殺しにし、差別問題や民族問題、LGBT問題にしかとりくまなかったからだ。
左派が被差別者と規定している者たちの中にも、富裕層や搾取収奪を繰り返してきた輩はたくさんいる。
持つ者と持たざるもので分けるべきところ、部落か否か、在日か否か、女性か否か、ゲイか否かで分ける。
こんなふざけたことを未だに続けている。
上記のどれにも当てはまらなくても、ギリギリの生活をしている者はたくさんいる。餓死する人も首括る人もいる。
多くの左派はそんなことなどおかまいなし。彼ら自身が富裕層だから。活動家も2世3世が多い。
労働組合を名のりながら、労働とは無縁の貴族ども。

浅野健一 松岡さんの投稿に賛同します。私が山口正紀さん(故人)、中嶋啓明さんの三人で担当していた「人権とメディア」連載を打ちきり、小林和子編集長(当時)が私を完全排除(植村社長の業務命令)したのも、もう1つのターニングポイントだったと思います。YМ子助教の私の週刊金曜日記事の盗用を不問にしたのも、縁故主義、編集の私物化でした。植村氏は、私に対しては絶縁宣言をしていません。

◆大内問題というタブーも抱えてしまった。タブ―なき雑誌を売りにしていたのにタブーだらけになっては魅力がなくなってしまう。タブーに挑戦する若さも勇気もなさすぎ。

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筆者は、8月10日、読売新聞大阪本社の柴田岳社長宛てに公開質問状を送付した。柴田社長は日経新聞によると、アメリカ総局長、国際部長、東京本社取締役編集局長、常務論説委員長などを務めた辣腕ジャーナリストである。

公開質問状の全文を読者に公開する前に、事件の概要を手短に説明しておこう。

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発端は今年の4月20日にさかのぼる。大阪地裁は、読売新聞を被告とする「押し紙」裁判の判決を下した。判決は、原告(元販売店主)の請求を棄却する内容だったが、読売新聞の取引方法の一部が独禁法違反に該当することを認定した。「押し紙」の存在を認めたのである。

このニュースを筆者は、デジタル鹿砦社と筆者の個人サイトで公表した。その際に、判決文もPDFで公開した。ところが6月1日に読売新聞大阪本社の神原康之氏(役員室法務部部長)から、判決文の公開を取り下げるよう求める「申し入れ書」が届いた。それによると判決文の削除を求める理由は、文中に読売社員のプライバシーや社の営業方針などにかかわる箇所が含まれていることに加えて、同社が裁判所に対して判決文の閲覧制限を申し立てているからというものだった。他の裁判資料の一部についても、読売新聞は同じ申し立てを行っていた。

確かに民事訴訟法92条2項は、閲覧制限の申し立てがあった場合は、「その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」と規定している。

そこで筆者は判決文を一旦削除した上で、裁判所の判決を待った。しかし、裁判所は読売新聞の申し立てを認めた。公開を制限する記述を黒塗りにして提示した。

筆者は、黒塗りになった判決文を公開することを検討した。そこで念のために神原部長に、この点に関する読売新聞の見解を示すように求めたが、明快で具体的な回答がない。「貴殿自身にて、弊社の営業秘密や個人のプライバシーを侵害しないように十分にご留意頂き、ご判断ください」(6月28日付けメール)などと述べている。読売側の真意がよく分からなかった。

そこで筆者は、読売新聞大阪本社の柴田岳社長に公開質問状を送付(EメールによるPDFの送付)したのである。公開質問状の全文は次の通りである。

《公開質問状の全文》

2023年8月10日

公開質問状

大阪府大阪市北区野崎町5-9
読売新聞大阪本社
柴田岳社長
CC: 読売新聞グループ本社広報部

発信者:黒薮哲哉(フリーランス・ジャーナリスト)
    電話:048-464-1413
    Eメール:xxxmwg240@ybb.ne.jp

貴社が2023年の4月21日、大阪地裁で手続きを行った訴訟記録の閲覧制限申し立て事件についてお尋ねします。

貴社から訴訟記録の閲覧制限の申立を受けた大阪地裁は、同年6月5日付で、当事者以外の者が、判決文を含む28通に及ぶ文書の内、貴社が公開を望まない部分についての閲覧・謄写、正本、謄本若しくは抄本の交付又はその複製を請求することを禁止する決定を言い渡しました。貴社が閲覧制限を求めたのは、貴社の残紙の規模を示す購読者数と仕入れ部数(定数)との誤差がわかる部数や、押し紙行為の実態が判明する取引現場における原告と販売局幹部や担当との生々しいやり取りが記録された箇所がメインです。

そこで、以下の点について質問させていただきます。

1,まず、判決理由中に、「実配数を2倍近く上回る定数」の新聞を貴社が原告対し注文部数として指示した事実が認められています。つまり、原告が経営していたYCでは、搬入される新聞の約50%が残紙であったことを裁判所が認めました。新聞ジャーナリズムの信用にかかわるこのような重大な司法の判断が下されたことに対し、貴社はどのように考えておられるでしょうか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を回答ください。

2,「押し紙」問題は1980年ごろから、その深刻な実態がクローズアップされてきました。販売店の残紙の性質が「押し紙」なのか、それとも「積み紙」なのかの議論は差し置き、貴社の発行部数の中には、膨大な量の残紙が存在してきたことは紛れもない事実です。貴社が閲覧制限の対象とした判決文にも、2012年4月時点で、定数の内、約半分が購読者のいない残紙であることが記載されています。わたしが、このような押し紙裁判史上画期的な司法判断を示した大阪地裁判決を、判断の資料となった当事者双方の主張書面や書証、引いては公開の法廷における証人尋問調書等を含めて公開することにより、貴社に、どのような不利益が生じるのかを具体的に教えてください。抽象論ではなく、具体的に教えてください。

3,わたしが、大阪地裁の画期的な司法判断を広く社会に報じるにあたり、裁判官の判断の裏付けとなった当事者の主張書面や証拠や判決文全部を読者に示す必要があります。つまりこの問題を報じる側に身を置かれた場合、貴社や貴殿は、黒塗りされた判決文と閲覧謄写が禁止された訴訟記録で、どのようにして読者に対し真実を正確に伝えることが出来るとお考えですか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を教えてください。

4,判決文を含む訴訟記録に閲覧制限をかけた場合、ジャーナリズムの取材活動や学術研究活動にも重大な支障が生じますが、押し紙裁判資料の公共性・歴史的意義についてどのようにお考えでしょうか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を教えてください。

5,貴社は今後、「押し紙」裁判の訴訟記録を閲覧制限が認められた箇所を含め、全部公開する意思がおありでしょうか。公開する予定があるとすれば、その時期を教えてください。それとも閲覧制限が認められた箇所は、永久に封印する方針なのでしょうか。

以上の5点をお尋ねします。回答は、2023年8月21日までにお願いします。

●公開質問状のPDF版
http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2023/08/cd7b0d845b82503a98a0b4d51deb4d18.pdf

●参考記事:読売新聞が「押し紙」裁判の判決文の閲覧制限を請求、筆者、「御社が削除を求める箇所を黒塗りに」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

『週刊金曜日』6月16日号に掲載した小社広告(別掲①)について、広告を出広した鹿砦社に抗議するのではなく、『金曜日』に抗議が殺到し困ったと同誌発行人(社長)の植村隆氏(別掲②)から先週末の6月23日にお電話がありました。何を抗議したのか分かりませんが『金曜日』に抗議した人たちに抗議します。文句があるなら広告元の鹿砦社に言え!

①『週刊金曜日』6月16日号に掲載した小社広告

②『週刊金曜日』発行人兼社長の植村隆氏(2019年12月7日、鹿砦社創業50周年の集いにて)

さて植村社長、来週(つまり6月26日~30日の週)に小社を訪問したいということでした。どこの中小企業でもそうでしょうが(『金曜日』は違う?)、月末は支払いなどで慌ただしく月明け(7月第1週)にしていただきました。

なので、商取引の常識においても、あるいは道義上、信義上、植村社長と話し合うまでは、本件を伏せておき発言も控えておくつもりでした。

しかし、植村社長は小社を差し置いて先行的にColabo仁藤夢乃代表を訪問し一方的に謝罪し「おわび」文(別掲③)を同誌6月30日号に掲載されたということです。これを植村社長から聞いたわけではなく、仁藤代表のSNS(別掲④)で知りました。まずは、商習慣上、あるいは道義上、信義上、まずは長年の取引先で出広元の小社と協議すべきではなかったのではないでしょうか。

[左]③『週刊金曜日』6月30日号に掲載されたという植村隆発行人兼社長による「おわび」文。[右]④Colabo仁藤夢乃代表のSNS(2023年6月27日付)

『金曜日』には前発行人(社長)の北村肇さん(故人)の時代から10年以上にわたり広告を出広してきました。北村さんとは同期(1970年大学入学)で、世代が同じということもあり妙にウマが合い懇意にさせていただきました。亡くなる直前には上京した私のために無理を押して長い時間を割いていただきました。当地(兵庫県西宮市)での講演や市民向けのゼミなどにも複数回お越しいただきました。

今、『金曜日』には小社以外に有料広告は入っていません(見過ごしであればご指摘ください)。「広告に依存しない」と言っておられるようですが、「依存」するもなにも広告が入らないのですから、やせ我慢でそう言っているにすぎません。

当事者(広告主)である小社と話し合う前に一方的に、Colabo仁藤代表に勝手に謝罪し「おわび」文を掲載することは道義上、信義上、いかがなものでしょうか?

月が明けて植村社長と協議し、本件についてあらためてご報告いたしますが、とりあえず本日の報告は手短にとどめておきます。

広告の上部に記しているように私たちの出版活動のモットーは「タブーなき言論」です。これを基本に創業から50年余り出版活動に勤しんでまいりました。本年創刊18年を迎えた月刊『紙の爆弾』もその具体的な営為です。『金曜日』には及ばないかもしれませんが、長年多くの読者に支えられてきました。ですから、2005年の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧で壊滅的打撃を受けた際も、また近年新型コロナで苦境に落とされた際も、少なからずの方々にご支援いただき「命拾い」(ある方の言葉)することができました。

また、『金曜日』と重なる読者もおられます。なので一方的に「差別、プライバシーの侵害など基本的人権を侵害するおそれのあるもの」(「おわび」文より。内規にもあるそうです)と断じられると小社への信用を毀損することにもなりかねません。おわかりですか?

くだんの『人権と利権』は、これまでメディアタブーとされてきた「Colabo」「LGBT」に対してタブーなしに採り上げ思い切った誌面づくりをいたしました。しばき隊界隈で飛び交う誹謗中傷や汚い言葉は排し、真正面から問題に向き合い公正な論評に努めたつもりです。私たちなりに自信を持って世に送り、左右問わず多方面の方々にお読みいただき大きな反響があり多くの方々のご賛同も得ることができました。

かつて『金曜日』には、「大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」)関係の出版物の広告を発行ごとに掲載させていただきました。そうした際に、『金曜日』編集部から咎められることも掲載拒否されることもありませんでした。さすがに『金曜日』、度量があることに感心した次第です。

ところが『金曜日』とあろうものが、今回は一体どうしたんですか!? あまりにも偏狭、北村肇さんも草葉の陰で泣いてますよ! メディアとしての自律性や主体性があれば、尚急に一方に謝罪するのではなく、意を尽くし公正に判断すべきではなかったでしょうか。

月末の慌ただしいさなか、こんなことに時間を割いている場合ではないのでしょうが、黙っているわけにはいかず一言呈させていただいた次第です。

株式会社 鹿砦社 代表
松岡利康

森奈津子編『人権と利権 「多様性」と排他性』 定価990円(税込)。最寄りの書店でお買い求めください

デジタル鹿砦社通信に掲載した記事、「読売新聞『押し紙』裁判〈2〉李信恵を勝訴させた池上尚子裁判長が再び不可解な判決、読売の独禁法違反を認定するも損害賠償責任は免責」(5月8日付け)(http://www.rokusaisha.com/blog.php?p=46605)を改編したので、改編部分とその理由を説明しておきたい。

この記事は、読売新聞を被告とする「押し紙」裁判(大阪地裁)の判決を解説したものである。判決は、原告の元販売店主の請求を棄却したが、商取引の一部分に関しては、読売による独禁法の新聞特殊指定違反を認定する内容だった。

今回改編したのは、判決文の取り扱いである。当初、原告の元店主の承諾を得た上で判決文を全面公開していた。ところが6月1日になってメールで、読売新聞大阪本社の役員室法務部部長・神原康之氏から、判決の公開を取り下げることを求める「申し入れ書」が届いた。その理由は、判決の中に読売社員のプライバシーや社の営業方針などにかかわる箇所が含まれていることに加えて、同社が裁判所に対して判決文の閲覧制限を申し立てているからというものだった。

確かに民事訴訟法92条2項は、閲覧制限の申し立てがあった場合は、「その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」と述べている。

裁判の審理が進んでいる中で、裁判所に提出された証拠類を含む書面に対して閲覧制限の申し立てが起こされ、裁判所がそれを認めることはよくあるが、判決に対して閲覧制限を請求した例は、わたしが知る限りでは過去に一件もない。判決文に対する閲覧制限は極めてまれだ。しかも、判決文は読売を勝訴させ、元店主の請求を棄却した内容である。

読売の神原氏が指摘するように、法律上では裁判所が判決を下すまでは判決文を公開できないルールになっている。それを理解した上で、わたしは削除に応じた。申し入れ書では削除の期限が6月5日の夕刻になっていたが、3日は削除を完了した。

しかし、裁判所が判決を下した後、判決内容によっては再度判決文を掲載する旨を伝えた。その際に読売が秘密扱を希望する記述を黒塗りにして、2週間を目途にわたしに提示するように求めた。次の回答書である。

 前略
貴殿の2023年6月1日付「申し入れ書」に対し、次のとおり回答します。
申し入れ書によると、御社は2023年4月21日付で、大阪地裁に対し判決文を含む訴訟記録の閲覧等の制限を申し立てられたとのことです。

それを前提に、その申立てがあった場合には、「その申立てについての裁判が確定するまで、第3者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」(民事訴訟法92条2項)との規定を根拠に、5月8日と30日に、インターネットサイト「MEDIA KOKUSYO」に掲載した、大阪地裁令和2年(ワ)第7369号等判決を、6月5日(月)午後5時までに、上記サイトからの削除を求めるとともに、その他媒体等での公開、頒布も控えるようにとの申し入れが為されました。

御社の担当者のプライバシーや御社の営業秘密に関する問題について、御社との間で無用な紛争に発展することは有害・無益と考えますので、当方は次の通り対応することと致します。

1 判決文のインターネットサイトからの削除について

申し入れどおり、6月5日(月)午後5時までに全文を削除することに同意します。

2 御社が求める削除箇所の特定について

本書面送達後、2週間を目処に、判決文のうち、御社が削除を求める箇所を黒塗りにした判決文をご呈示ください。なお、黒塗りにした部分について非開示を求める理由も、併せてご説明ください。

御社の非開示を求める部分が、裁判の公開原則や国民の知る権利を侵害しないかどうか、検討の上、今後の対応を決め、御社に御連絡することと致します。

なお、本書面到達後、2週間以内に前記2の回答をいただけない場合は、判決文全文の公開を了解されたものと判断させて戴きますので、あらかじめ御了解ください。

◆野村武範裁判長が判決予定

わたしは読売「押し紙」裁判の判決を書いた池上尚子裁判長が所属していた大阪地裁の民事24部に、読売が判決文に対して閲覧制限を申し立てていることが事実かどうかを確認した。対応した職員は、事実だと答えた。

「判決の時期はいつになりますか」

「おそらく来週には出ると思います」

「判決を下すのは、野村武範裁判長ですか」

「そうです」

野村武範裁判長とは、5月1日付けで東京地裁から大阪地裁へ異動して、民事24部に配属された裁判官である。池上裁判官から、この「押し紙」裁判を引き継ぎ、5月17日に、読売勝訴の判決を代読した人物である。東京地裁に在籍中は、産経新聞「押し紙」裁判を途中から担当して、産経新聞を勝訴させた人物でもある。そんな経緯があったので、わたしは野村判事が大阪地裁へ異動して読売「押し紙」裁判を担当したことを知ったとき、読売の勝訴を予測した。その予測は的中した。

その野村裁判長が今度は、読売が申し立てた判決文の閲覧制限を認めるかどうかの判決を下す。判決が下りしだいに結果を報告したい。

※野村武範裁判官と「押し紙」裁判については、6月7日発売の『紙の爆弾』(7月号)の「新聞の部数偽装 『押し紙』をめぐる密約疑惑」に詳しい。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年7月号

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◆ABC部数は数字自体に「押し紙」が含まれている

田所 ではABC部数はどうなのでしょう。ABC部数は新聞社が自己申告するのですよね。

 

黒薮哲哉さん

黒薮 ABC部数にも「押し紙」が含まれています。ABC部数が減っていることを捉えて「新聞が衰退している」と論じる人が多いのですが、正確ではありません。ABC部数は数字自体に「押し紙」が含まれているからです。「押し紙」を整理しなければABC部数は減りません。正しくは実売部数が減少しているかどうかで、「新聞が衰退している」かどうかを判断する必要があります。このような観点からすると、新聞社の経営は相当悪化しています。

田所 新聞は自分ではそのようなことを書きませんね。

◆販売店は奴隷のような扱いを受けている

黒薮 本当に販売店は奴隷のような扱いを受けています。たとえば販売主さんが、新聞社の担当社員の個人口座にお金を振り込まされたケースもあります。この事実については、店主さんの預金通帳の記録で確認しました。

田所 個人口座へですか。

黒薮 新聞社の口座に振り込むのであればいいけども、その店を担当している担当社員の個人口座に振り込んでいます。平成30年だけで少なくとも300万円ほど振り込まされています。それくらい無茶苦茶なことをされています。

田所 売り上げの全額ではないですね。一部を「私に寄こせ」と。

黒薮 証拠があるからその新聞社の広報部に資料を出して、内部調査するように言っているのですが、調査結果については現時点では何も言ってきていません。足元の問題には絶対に触れません。

◆新聞社の体質を変えなければ、今題は解決しない

 

田所敏夫さん

田所 逮捕されたら未決の人でも追っかけて報道するくせに、自分たちが取材されると逃げ回って答えない。不思議なことですが、私も同様の苦い経験があります。

黒薮 新聞社の人は、会社員としての意識しかないようです。それでは何のために記者になったのか意味がないと思います。後悔すると思いますよ。大問題があるのに黙ってしまったことに。記者を辞めて年を取ってから後悔すると思います。

田所 でも、後悔する人はまだ救われるでしょう。途中でそんなことたぶん考えなくなるのではないですか。メディア研究者の中にも「頑張っている記者を応援しましょう、ダメな記事には批判のメールや抗議をしましょう」という人は結構います。私にはそのような行為が有益だとは思えません。優秀な記者を応援して、ダメな記事を批判しても、新聞社の体質が変わるわけではないでしょう。「押し紙」を含め新聞社の体質を変えなければ、今題は解決しないと思います。

◆紙の新聞が無くなったから、自動的にネットのメディアが良くなるという訳ではない

田所 「新聞社の中ではそういう声は社内に広まるのです」という記者がいるのです。「新聞社は外部からの声にデリケートだ」という記者の人がいますが、私は嘘だと思っています。そんなことで良くなるのであれば、もっとましな新聞社になっているでしょう。経営構造の問題と「腰抜け」というか、そもそもジャーナリズムの意味が解っていない人、ジャーナリズムの仕事をしてはいけない見識・知識・問題解析能力・社会的態度を持ち合わせない人がたくさんその仕事に就いてしまっている。あるいは最初は志があっても挫けてしまう。これが合わさると日本の新聞には未来はない、ということですか。

黒薮 新聞に未来はないでしょうね。紙面内容もよくないし、「紙」という媒体も時代遅れです。これに対してインターネットは、賢明な人が使えば、使い方によっては強いメディアになるでしょう。

田所 ポイントは使い方ですね。情報量は膨大ですが使い方を知らないと、自分の趣味趣向のところに偏って、テレビのチャンネル位しか選択の幅がなくなってしまう性格もあります。問題意識と関心があれば発掘できるとても便利なものですが、意思がないと全く活かしきれない。たとえば動画投稿サイトなどは、一見自由に見えますが実はかなり細かい規制があったりする。決して自由な言語空間ではない。

黒薮 紙の新聞が無くなったから、自動的にネットのメディアが良くなるという訳ではない。そこもコントロールされて行きますからどうするかを考える必要があると思います。模範的な例としてはやはり、ウィキリークスがある。ああいうものが出てくると困るから設立者のジュリアン・アサンジンさんが逮捕され、懲役175年の刑を受ける可能性が浮上しているのでしょう。

◆2002年度の毎日新聞の「押し紙」は36%

田所 『週刊金曜日』の元発行人北村肇さんにかつてお話を伺いました。望ましいジャーナリズムの形は組織ジャーリストと中間規模のジャーナリズムとフリーランスが一緒になって、それぞれができることが違うのでチームを組めばよい成果を上げられるのではないかと指摘されました。ミニマムですが滋賀医大問題で元朝日新聞の出河雅彦さん、毎日放送、元読売新聞記者でのちにフリーライタに転身され昨年亡くなった山口正紀さん、そして黒薮さんに『名医の追放』(緑風出版)を書いていただき、私も少し加わりました。計画したわけではないですが自然の成り行きで、取材や取り組みができた例ではないかと思います。そのもっとダイナミックなことがインターネット上で実現できれば面白い展開ができる可能性がありますね。

黒薮 北村さんがその話をされたのは初めて聞きました。北村さんといえば毎日新聞の内部資料「朝刊 発証数の推移」を外部に流した方です。もう亡くなっているから言いますが、この資料を外部へ持ち出したのは間違いなく北村さんです。新聞の発証数(販売店が発行した新聞購読料の領収書の数)と新聞のABC部数を照合すると「押し紙」の割合が判明します。それによると2002年度の毎日新聞の「押し紙」は、36%でした。(【試算】毎日新聞、1日に144万部の「押し紙」を回収、「朝刊 発証数の推移」(2002年のデータ)に基づく試算 | MEDIA KOKUSYO)

田所 あの人だったらやると思います。

黒薮 毎日新聞の内部資料が外部へ流れたのは、北村さんがちょうど社長室にいらした時ですから、間違いなく北村さんでしょう。

田所 これは全然名誉毀損ではないですね。ジャーナリストとして北村さんへの尊敬の念ですね。

黒薮 その通りです。流出のルートもわかっています。最初は、さっきお話した滋賀県の沢田治さんに流しました。沢田さんから私のところに来て『Flash』や『My News Japan』などが記事にしてくれました。北村さんは自分の考えをそういう形で実践した人です。

田所 短い時間でもこちらが望む以上の答えをいつも頂けたのが北村さんでした。でも、あのように貴重な方から亡くなっていって。

黒薮 残念です。数少ない誠実な人です。(つづく)

◎遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫
〈01〉「スラップ訴訟」としての横浜副流煙事件裁判
〈02〉横浜副流煙事件裁判のその後 
〈03〉禁煙ファシズムの危険性 ── 喫煙者が減少したことで肺がん罹患者は減ったのか? 
〈04〉問題すり替えに過ぎない“SDGs”の欺瞞
〈05〉「押し紙」は新聞にとって致命的
〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る
〈07〉「押し紙」驚愕の実態 新聞社不正収入35年で30兆円以上
〈08〉新聞社社員個人への振り込みを強要されえた販売店主

▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

大阪地裁が4月20日に下した読売「押し紙」裁判の判決を解説する連載の3回目である。既報したように池上尚子裁判長は、読売による独禁法違反(「押し紙」行為)は認定したが、損害賠償請求については棄却した。

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読売が独禁法に抵触する行為に及んでいても、原告の元店主に対しては1円の損害賠償も必要ないと判断したのである。

連載3回目の今回は、「押し紙」の定義をめぐる争点を紹介しておこう。結論を先に言えば、この論争には2つの問題を孕んでいる。

①池上裁判長の「押し紙」の定義解釈が根本的に間違っている可能性である。

②かりに解釈が間違っていないとすれば、公正取引委員会と新聞業界の「密約」が交わされている可能性である。

◆新聞特殊指定の下での「押し紙」定義

一般的に「押し紙」とは、新聞社が販売店に買い取りを強制した新聞を意味する。たとえば新聞購読者が3000人しかいないのにもかかわらず、新聞4000部を搬入して、その卸代金を徴収すれば、差異の1000部が「押し紙」になる。(厳密に言えば、予備紙2%は認められている。)

しかし、販売店が、新聞社から押し売りを受けた証拠を提示できなければ、裁判所はこの1000部を「押し紙」とは認定しない。このような法理を逆手に取って、読売の代理人・喜田村洋一自由人権協会代表理事らは、これまで読売が「押し紙」をしたことは1度たりともないと主張してきた。

喜田村洋一自由人権協会代表理事(出典:自由人権協会HP)

これに対して原告側は、新聞の実配部数に2%の予備紙を加えた部数を「注文部数」と定義し、それを超えた部数は理由のいかんを問わず「押し紙」であると主張してきた。たとえば、新聞の発注書の「注文部数」欄に4000部と明記されていても、実配部数が3000部であれば、これに2%を加えた部数が新聞特殊指定の下で、特殊な意味を持たせた「注文部数」の定義であり、それを超過した部数は「押し紙」であると主張してきた。

この主張の根拠になっているのは、1964年に公正取引委員会が交付した新聞特殊指定の運用細目である。そこには新聞の商取引における「注文部数」の定義が次のように明記されている。

「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞購読部数(有代)に地区新聞公正取引協議会で定めた予備紙等(有代)を加えたものをいう。

当時、予備紙は搬入部数の2%に設定されていた。従って新聞特殊指定の下では、実配部数に2%の予備紙を加えた部数を「注文部数」と定義して、それを超える部数は理由のいかんを問わず「押し紙」とする解釈が成り立っていた。発注書に記入された注文部数を単純に解釈していたのでは、販売店が新聞社から指示された部数を記入するように強制された場合、「押し紙」の存在が水面下に隠れてしまうからだ。従って特殊な「押し紙」の定義を要したのだ。公正取引委員会は、「注文部数」の定義を特殊なものにすることで、「押し紙」を取り締まろうとしたのである。

1999年になって、公正取引委員会は新聞特殊指定を改訂した。改訂後の条文は、次のようになっている。読者は従来の「注文部数」という言葉が、「注文した部数」に変更されている点に着目してほしい。

3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。

一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。

二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

◆「押し紙」の定義の変更

 池上裁判長は、「押し紙」の定義について、改訂前の定義であれば、販売店側の主張する通りだと判断したが、改訂後の条文で、「注文部数」が「注文した部数」に変更されているので、「押し紙」の定義も従来通りではないと判断した。つまり
販売店が新聞の発注書に記入した外形的な数字が「注文部数」に該当するとする認定したのである。それを理由に、残紙の存在は認定していながら、それが「押し紙」に該当するとは認定しなかった。言葉を替えると、公正取引委員会が1964年に「押し紙」を取り締まるために定めた特殊指定の運用細目における「押し紙」の定義を無効としたのである。

※ただし連載(2)で述べたように、原告の元店主が販売店を開業した2012年4月については、「押し紙」の存在を認定した。

その主要な理由は「注文部数」と「注文した部数」では、意味が異なるからとしている。はたして実質的に「注文部数」と「注文した部数」に意味の違いがあるのだろうか。社会通念からすれば、これは言葉の綾の問題であってが、意味は同じである。

それに1999年の新聞特殊指定の改訂時に公正取引委員会は、新しい運用細目を設けていない。従って、運用細目に関しては変更されていないと見なすのが自然である。ところが池上裁判長は、1964年の運用細目は無効になっているとして、販売店が注文書に書き込んだ部数が注文部数にあたると認定したのである。

改めて言うまでもなく、新聞特殊指定の目的は、特殊な条項を設けることで、新聞の商取引を正常にすることである。独禁法の精神からしても、「押し紙」を放置するための法的根拠ではないはずだ。

販売店の店舗に積み上げられた「押し紙」

◆公取委と新聞協会の「密約」の疑惑

仮に池上裁判長の判断が正しいとすれば、1999年の新聞特殊指定改訂の際に、公正取引委員会は、新聞社がより「押し紙」をしやすいように特殊指定を改訂して便宜を図ったことになる。実際、その可能性も否定できない。と、言うのもその後、急激に「押し紙」が増えたからだ。今や搬入部数の50%が「押し紙」と言った実態も特に珍しくはない。

公正取引委員会が新聞特殊指定を改訂した1999年とはどのような時期だったのだろうか。当時にさかのぼってみよう。まず、前年の1998年に公正取引委員会は、北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を出した。その際に新聞協会に対しても、北國新聞だけではなく、多くの新聞社で「押し紙」政策が敷かれていることに注意を喚起している。

これを受けて新聞協会と公正取引委員会は、話し合いを持つようになった。わたしは、両者の間で何が話し合われたのかを知りたいと思い、議事録の情報公開を求めた。ところが開示された書面は、「押し紙」に関する部分がほとんど黒塗になっていた。「押し紙」に関して、外部へは公開できない内容の取り決めが行われた可能性が高い。

1999年の公正取引委員会が改訂した新聞特殊指定は、新聞社が「押し紙」政策を活発化させる上で、法的な支えになっていることも否定できない。池上裁判長が示した新しい新聞特殊指定の下における「押し紙」の定義が正しいとすれば、両者は話し合いにより「押し紙」の定義を1964年以前のものに戻すことにより、新聞社が自由に「押し紙」を出来る体制を構築したことになる。

しかし、それでは特殊指定の意味がない。特殊指定が存在する以上は、「押し紙」の定義も、それに即した解釈すべきではないか。

このように池上裁判長が示した新しい新聞特殊指定(1999年)の下における「押し紙」の定義をめぐる論考は、2つの問題を孕んでいるのである。(つづく)

読売新聞『押し紙』裁判
〈1〉元店主が敗訴、不可解な裁判官の交代劇、東京地裁から大阪地裁へ野村武範裁判官が異動
〈2〉李信恵を勝訴させた池上尚子裁判長が再び不可解な判決、読売の独禁法違反を認定するも損害賠償責任は免責
〈3〉「押し紙」の定義をめぐる公正取引委員会と新聞協会の密約疑惑

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

4月20日に大阪地裁が下した「押し紙」裁判の判決を解説しよう。前回の記事(「読売新聞『押し紙』裁判〈1〉元店主が敗訴、不可解な裁判官の交代劇、東京地裁から大阪地裁へ野村武範裁判官が異動」)で述べたように、判決は裁判を起こした元店主の請求を棄却し、逆に被告・読売新聞の「反訴」を認めて、元店主に約1000万円の支払いを求める内容だった。

5月1日、元店主は判決を不服として大阪高裁へ控訴した。

この判決を下したのは池上尚子裁判長である。池上裁判長は、カウンター運動のリーダー・李信恵と鹿砦社の裁判に、途中から裁判長として登場して、原告の鹿砦社を敗訴させ、被告・李信恵が起こした「反訴」で鹿砦社に165万円の支払い命令を下した人物である。幸いに高裁は、池上判決の一部誤りを認め、賠償額を110万円(+金利)に減額し、池上裁判長が認定しなかった李信恵らの暴力的言動の最重要部分を事実認定した。(※池上尚子裁判長が関わった鹿砦社対李信恵訴訟に関しては本記事文末の関連記事リンクを参照)

読売「押し紙」裁判の池上判決で最も問題なのは、読売による「押し紙」行為を独禁法違反と認定していながら、さまざまな理由付けをして、損害賠償責任を免責したことである。読売の「反訴」を全面的に認め、元店主の濱中勇志さんに約1000万円の支払いを命じた点である。読売の「押し紙」裁判では、「反訴」されるリスクがあることをアピールしたかったのだろうか。

池上判決のどこに問題があるのか、わたしの見解を公表しておこう。結論を先に言えば、木を見て森を見ない論理で貫かれており、商取引の異常さから環境問題、さらにはジャーナリズムの信用にもかかわる「押し紙」問題の重大さを見落としている点である。評価できる側面もあるが、わたしは公正な判決とは思わない。判決は間違っていると思う。

◆「押し紙」による独禁法違反を認定

既に述べたように判決は読売に「押し紙」があったことを認定した。

たとえば濱中さんがYCの経営をはじめた2012年4月の段階で、読売の社員らは新聞の搬入部数(定数)が1641部で、このうちの760部が残紙であることを濱中さんに知らせた。しかし、濱中さんは、

「新規の新聞購読者を獲得して残紙を有代紙に変えることで対応できるなどと考え、そのことを承知の上で本件販売店の経営を引き継いだ」(24P)。

この事実に基づいて、判決は次のように述べている。

「原告が本件販売店の経営を引き継ぐに当たり、本件販売店の定数にいついては、従前の定数を引き継ぐことを当然の前提とされていたものと推測され、定数に関する原告の自由な判断に基づく意向を反映する形で決定されたものであったとは考え難い」(33P)

つまり池上裁判長は、販売店には注文部数を自由に増減する権利が保障されていなかったと認定したのである。

また読売は、普段から販売店に対して「積み紙」(折込広告の水増しや補助金を目的とした部数の水増し)をしないように指導しており、それが守られない場合は販売店を強制改廃することができた。実際、わたしも「積み紙」を理由に販売店を改廃させられた店主らを知っている。「積み紙」を禁止することで、販売店を拡販活動に追い立てる構図があると言っても過言ではない。

こうした販売政策があるわけだから、濱中さんが「自ら、井田(注:読売の社員)が把握していた実配数の2倍近くの定数で被告に対して新聞を注文するようになったとは考え難」いというのが裁判所の判断だ。そして「被告(注:読売)があらかじめ定めた定数を前提に、(注:濱中さんが)新聞を注文するようになったと考えるのが合理的である」と結論づけた。それをふまえた上で、次のようにこの事実を認定している。(33P)

「以上からすると、被告が、原告に定数を指示して当該部数の新聞を注文させたことが推認され、この推認を覆すに足りる証拠は認められない。」(33P)

池上裁判長は、この行為が独禁法の新聞特殊指定(平成11年告示)の3項2に該当すると判断した。次の条項である。

3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。

二 販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

以上を前提として、池上裁判長は読売の独禁法違反を次のように認定した。

「前記のとおり、被告の指示した定数は本件販売店の実配数を2倍近く上回るものであったところ、そのような新聞の供給が正常な商慣習に照らして適当と認めるに足りる証拠はなく、被告の従業員も上記定数と実配数に照らして適当と認めるに足りる証拠はなく、被告の従業員も上記定数と実配数との乖離を認識していたのであるから、被告がその指示する部数を原告に注文させたことに正当かつ合理的な理由がないと認められる。また、被告は、上記のとおり実配数を2倍近く上回る部数の新聞を原告に有代で供給している以上、販売業者に不利益を与えたといわざるを得ない」(34P)

「よって、被告には、平成11年告示3項に違反する行為があったといえる。」(34P)

ただし独禁法違反があったと認定した期間は、2012年の引き継時だけで、その他の時期については認定しなかった。

◆損害賠償も公序良俗違反も認めず

さて、独禁法違反を認定したのであれば、それに対して何らかの制裁を課すのが社会の常識である。取引の実態そのものが異常を極め、しかも被害が広告主にも及び、さらには環境問題(資源の無駄づかい)も含んでいるわけだから、社会通念からすれば、少なくとも「押し紙」は明らかに公序良俗違反になるはずだ。

ところが池上裁判長は、読売に対する一切の損害賠償責任を免責にしたのだ。その理由は、濱中さんが補助金などの支給により、大きな経済的損害を受けていなかったうえに、「押し紙」を前提としたビジネスモデルを承知していたからというものだった。

こうした論法が認められるのであれば、たとえば窃盗で得た金銭が1円とか10円とか、少額であれば返済は不要だと言っているに等しい。商取引の通念からすれば、たとえ数字の誤りが1円でもあれば、返済するのが常識である。

さらに残紙により広告主らから不正に広告料を騙し取る行為-折込広告の水増し行為に関しては、池上裁判長は驚くべき見解を述べている。

「被告の行為が広告主や社会一般に対する詐欺に当たるという点については、仮に詐欺に当たると評価されるとしても、原告との関係において直接問題となるものではないから、被告の行為について、直ちに本件契約を公序良俗に反するものであるとするほどの違法性があることを根拠付けるものとはいない」(35P)

「押し紙」により広告主に被害を与えていても、販売店に対する被害は発生していから、公序良俗違反を適用するには及ばないと言っているのだ。巷では、折込広告(広報も含む)の水増しが社会問題になっているのだが。

◆折込広告の水増し問題も直視せず

池上判決が2012年の販売店開業時について、独禁法違反を認定していながら、その他の時期については認定しなかったのは論理の整合性に欠ける。他の時期についても大量の残紙が存在したことは判決で認定したわけだから、同じ「押し紙」を柱とした同じビジネスモデルの下で、商取引が行われたと解釈するのがより整合性があるはずだが、池上裁判長はなぜか2012年の引き継時だけに独禁法違反を限定したのである。木を見て森を見ない論理を露呈した。

◆「押し紙」を柱としたビジネスモデル

さらに判決は、濱中さんがショートメールで「押し紙」を断っていたことを認定しているが、これについてもあれこれと理由を付けて、読売を免責している。

減紙の要求を受け入れない読売に業を煮やした濱中さんは、ショートメールで「押し紙」を減らすように申し入れた。その記録は、裁判所へ提出されている。次のようなやり取りだ。

(社員)「いきなり整理(注:部数を減らすこと)できないので、次回の訪店でお話しましょ!お互いの妥協策をかんがえましょ。俺をとばしたいなら、そうしますか。」(29P)

(社員)「書面出したら、昨日言った通り、全て担当員のせいになります。俺の管理能力が問われるから、部長ではなく、俺が全て責任とらされます。」「明日から会社でるので、部長と相談するな。少し大人しくしててな。おれに一任しておくれ。」(29P)

(濱中)「溝口社長に話し聞いてもらわないと解決しないでしょう。このままでは」(29P)

(社員)「社長にそれをすると、俺が飛ぶって!どばしたかったらやってくれ!」(29P)

(濱中)「紙の整理どうします?」(29P)

これらのメールから「押し紙」制度の中で、社員が上司と販売店の板挟みになっていることが読み取れる。「俺が全て責任とらされ」るとまで言っているのだ。「押し紙」を柱としたビジネスモデルの中で、読売の社員も苦しんでいる様子が読み取れるのである。ある意味では、社員も「押し紙」制度の被害者なのである。

ところが池上裁判長は、メールの文面から、「押し紙」制度の被害が社員にまで及んでいる実態を読み取ることなく、切り捨てているのである。

たとえば、

「①原告は、被告の担当者とメールのやり取りすることもあったにもかかわらず、平成30年3月以前において原告が減紙を申し出る内容のメールを被告の担当者に送信したことを裏付けるメール等の証拠がないこと、②原告は、前記3(5)アのとおり被告の読者センターに対して苦情等を直接伝えるなどしていたのであるから、本件販売店を担当する被告の担当者に対して継続的に減紙を申し出ていたにもかかわらず一向に応じてもらえない状況にあったというのであれば、被告の本社に対して何らかの働き掛けを行うことが想定できるにもかかわらず、原告が被告の本社に直接減紙を求めたような事情が証拠上認められないこと、③前期3(5)オの平成30年4月の原告と梶原とのメールのやり取りには、『いきなり整理できない』などと、原告が急に減紙の話を持ち出したことがうかがわれる内容が含まれること」

などである。

ちなみに社員が記した「いきなり整理できない」という表現は、これまでの「押し紙」を柱とした商慣行を「いきなり」変えることはできないと、解釈するほうが自然だと、わたしは思う。

なお、日経新聞の「押し紙」裁判でも類似した司法判断(京都地裁、2022年)があった。原告の元店主が書面で20回以上も「押し紙」を断っていたにもかかわらず、販売店と新聞社がこれらの書面を前提に販売店と新聞社が話し合ったから、「押し紙」とは認定できないとする内容だった。判決の方向性を最初から新聞社の勝訴に決めているから、「押し紙」の決定的な証拠を突きつけられると、次々とブラックユーモアのような詭弁を持ち出してくるのである。裁判の公平性に疑問が残るのである。

◆控訴審で補助金制度の検証が必要

濱中さんに対して、約1000万円の支払いを命じた件に関しては、補助金の性質を池上裁判長がよく理解していないとしか言いようがない。濱中さんが補助金の架空請求をしていたので、それによって得た額を返済するように命じたのだが、新聞のビジネスモデルの全体像の中で補助金の役割を考える必要がある。

補助金というものは、ビジネスモデルの構図の中でみると、「押し紙」の負担を軽減すると同時にABC部数をかさ上げして、紙面広告の媒体価値を上げる役割がある。濱中さんの販売店には、常時大量の残紙があったわけだから、それに相応した補助金の額も大きかった。
 
読売裁判のケースは再検証する必要があるが、一般論で言えば、新聞社はさまざまな名目を付けて補助金を支給する。昔は、封筒に現金を入れてどんぶり勘定で支給したのである。従って領収書があるとは限らない。新聞社が開き直って販売店に「架空請求をしていた」と言えば、販売店は反論ができない。毎日新聞では、1986年に補助金制度を利用した裏金作りも発覚している。(『毎日新聞百年歴史』)

濱中さんのケースが、一般論に該当するのか、控訴審で再検証する必要がある。

改めて言うまでもなく裁判官には、人を裁くただならぬ特権が付与されている。従って公正な判決を故意に捻じ曲げた場合は、司法界から除籍されるべきだろう。(つづく)

※この裁判では、「押し紙」の定義も重要な争点となったが、若干内容が複雑なうえ、新聞業界と公正取引委員会の「密約」の疑惑も含めて、かなり重大な問題を孕んでいるので日を改めて解説する。「密約」の疑惑は、情報公開請求によってわたしが入手した黒塗り文書で浮上した。この点に関しては、筆者の新刊『新聞と公権力の暗部』(鹿砦社)でも言及している。

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▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

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