USAIDの内部資料で露呈した公権力とジャーナリズムの関係、だれがメディアに騙されてきたのか? 黒薮哲哉

トランプ大統領が、USAID(アメリカ国際開発庁)を閉鎖した件が、国境を超えて注目度の高いニュースになっている。USAIDは、原則的に非軍事のかたちで海外諸国へ各種援助を行う政府機関である。設立は1961年。日本の新聞・テレビは極力報道を避けているが、USAIDの援助には、メディアを通じて親米世論を形成すためのプロジェクトも多数含まれている。

実際、親米世論を育てることを目的に、おもに敵対する左派政権の国々のメディアや市民団体に接近し、俗にいう「民主化運動」で混乱と無秩序を引き起し、最後にクーデターを起こして、親米政権を樹立する手口を常套手段としてきた。そのためのプロジェクトが、USAIDの方針に組み込まれてきたのである。

USAIDの閉鎖後に公開された内部資料によると、助成金を受けていたメディアの中には、米国のニューヨークタイムスや英国のBBCも含まれていた。これらのメディアをジャーナリズムの模範と考えてきたメディア研究者にとっては、衝撃的な事実ではないかと思う。

Columbia Journalism Review誌の報道によると、USAIDは少なくとも30カ国で活動する6,000人を超えるジャーナリスト、約700の独立系メディア、さらに約300の市民運動体に助成金を提供してきた。

ウクライナでは、報道機関の90%がUSAIDの資金に依存しており、一部のメディア企業では、助成金の額がかなりの高額になっているという。

トランプ大統領がUSAIDを閉鎖した正確な理由は不明だが、「小さな政府」を構築すると同時に、事業を民営化する新自由主義政策の一端ではないかと推測される。

その役割を担って入閣したのが、イーロン・マスク氏である。従ってUSAIDが閉鎖されたとはいえ、今後は、従来とは異なった形で、経済的に西側メディアを支配する政策が取られる可能性が極めて高い。本当に資金支援を打ち切れば、西側世界はスケールの大きい世論誘導装置を失うからだ。

◆助成金の支出先がコミュニスト?

USAIDによる助成金に関するニュースの中には、間違った情報も含まれている。たとえば助成金の支出先は、「左派勢力」や「コミュニスト」であったというものだ。これはUSAIDの一方的な閉鎖を正当化するためのでたらめな報道にほかならない。

マスク氏自身も、Xの中で、USAIDを指して、「『非常に腐敗している』『悪だ』『アメリカを憎む急進左派マルクス主義者の巣窟』と表現している」。(Columbia Journalism Review誌)

なぜ、こんな根本的な誤りを犯しているのか? おそらくマスク氏にとって、左派やコミュニストとは、真正のマルクス主義者のことではなく、自分とは意見を異にする者のことである。マルクスやエンゲルスの著書を読んでいれば、こうした間違いはしない。だれがマルクス主義者で、だれがマルクス主義者ではないかも判別できる。

たとえ反トランプの陣営であっても、米国資本主義の枠内での改革を主張する者はマルクス主義者ではない。民主党のバーニー・サンダース氏がその典型例だ。米国共産党のように資本主義経済から、社会主義の目指す勢力がマルクス主義者である。USAIDに関する報道では、この点の区別において、大変な混乱が生じている。

◆NED(全米民主主義基金)の反共戦略

UASIDからの助成金を受け取ってきた個人や団体の大半は、「反共」の旗を掲げた右派勢力である。

たとえば、UASIDの下部組織にあたるNED(全米民主主義基金)を通じて提供された助成金の支払先は、同団体の年次報告書によると、香港の「独立」を目指す市民運動体やニカラグアの左派政権を転覆させよとしている市民運動体である。さらに同じ目的で、ベネズエラやキューバに関連した反共市民団体などである。いずれも左派勢力の転覆を目指す勢力である。

◎[関連リンク]NEDに関するメディア黒書の全記事 

◆日本における公権力によるメディア支援の構図

USAIDを閉鎖したことで図らずも、公的機関がメディアに経済的な援助を実施する構図が、国際的なレベルで判明した。日本のメディア企業やジャーナリスト個人が、助成金を受け取っているかどかは不明(一部は明らかになっている)だが、日本には、メディア会社の収益を劇的に増やす独自の手口もある。それがメディアのタブーとなってきた新聞社による「押し紙」制度である。USAIDの内情が暴露されたこの機会に、「押し紙」について考えることは、日本におけるメディアと公権力の関係を考える上で有益だ。

日本には、政府や公正取引委員会が新聞の「押し紙」制度を黙認することによって、新聞社に莫大な経済的利益をもたらす構造が存在する。わたしの取材によると、新聞業界全体で年間1000億円近い不正な資金が新聞社に流れ込んでいる。つまりUSAIDと世界のメディアの間にある癒着関係と類似した構図が、日本の公権力と新聞・テレビの間にも構築されているのだ。

これに関しては、次の3本の記事を参照にしてほしい。

◎「押し紙」問題がジャーナリズムの根源的な問題である理由と構図、年間932億円の不正な販売収入、公権力によるメディアコントロールの温床に

◎国策としての「押し紙」問題の放置と黙認、毎日新聞の内部資料「発証数の推移」から不正な販売収入を試算、年間で259億円に

◎1999年の新聞特殊指定の改訂、「押し紙」容認への道を開く「策略」

◆メディアリテラシーの欠落

改めて言うまでもなくメディア企業を運営するためには、資金が不可欠になる。この点を逆手に取ったのが、USAIDの助成金である。日本の場合は、「押し紙」制度である。「押し紙」の黙認が生む莫大な経済的メリットが、メディアと公権力の距離を縮める。この構図を把握することなしに、報道内容を批判しても、ジャーナリズムの質の向上にはつながらない。問題の解決にはならない。

USAIDの内幕が暴露されたのを機に、再度、メディアやジャーナリズムのあり方を考えてみる必要がある。だまされてきたのは、メディアリテラシーを身に付けていないわれわれ大衆なのである。メディア企業が成り立っている経済的な諸関係を理解した上で記事を解釈した方が良い。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年2月9日)掲載の同名記事
を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年3月号

西日本新聞押し紙裁判 控訴のお知らせ──モラル崩壊の元凶「押し紙」 江上武幸(弁護士)

2024年(令和6年)12月24日の西日本新聞押し紙訴訟の福岡地裁敗訴判決について、同月27日に福岡高裁に控訴したことをご報告します。本稿では、判決を一読した私の個人的感想を述べさせて頂きます。

なお、「弁護士ドットコム・押し紙」で検索して戴ければ、判決の内容が簡潔且つ的確に紹介されております

*弁護士ドットコムの読者の方の投稿に弁護士費用を心配されるむきがありますが、法テラスの弁護士費用立替制度なども用意されていますので、地元弁護士会等の無料法律相談窓口などを気軽に利用されることをお勧めします。

*別の合議体に係属中の西日本新聞押し紙訴訟(原告は佐賀県の販売店)は、証拠調べを残すだけになっております。

◆新聞社は、社会の木鐸(注:世の中を指導し、正すひと。多くの場合は、新聞記者を指している。)としての役割を果たすことを使命としており、民主主義社会にとってなくてはならない存在です。新聞社はそのような役割と期待を担っていますので、押し紙なるものはそもそもあってはならないものです。

西日本新聞社(以下「被告」と言います。)は、明治10年3月、西南の役で騒然とする九州の一角、現在の福岡市中央区天神に誕生した「筑紫新聞」を源流とする九州を代表するブロック紙であります。読売新聞が九州に進出してきたときは、これを真正面から迎え撃った歴史と伝統を有する創刊150年を迎えんとする新聞社です。しかし、昭和40年代に全国に先駆けて押し紙を解決した隣県の熊本日々新聞社の経営姿勢と比べると、押し紙をなくそうとする姿勢が見られませんので、なんとも残念です。

*被告の押し紙政策の問題点は、昨年10月15日の「西日本新聞押し紙訴訟判決期日のご報告」と12月26日の「西日本新聞福岡地裁敗訴判決のお知らせ」で紹介しております。

◆第1の問題は、被告が販売店からの注文は書面ではなく電話で受け付けていると主張している点です。

被告は、販売店に部数注文表をFAX送信するよう指示していますが、そこに記載された部数は参考にすぎず、正式な注文は電話で受け付けていると主張しています。

被告がそのような主張をするのは、部数注文表に記載された部数と実際の供給部数が一致していないからです。部数注文表に記載された部数が正式な注文部数であれば、実際に供給している部数と一致していない理由を説明する必要が出てきます。

被告は平成11年告示の押し紙禁止規定の「注文した部数」は文字通り販売店が注文した部数を意味するとの解釈をとっていますので、実際に供給した部数が、部数注文表記載の注文部数を超えれば、直ちに、独禁法違反の押し紙が成立します。

そこで、被告は部数注文表記載の部数は参考に過ぎず、電話による注文部数が正式な注文部数であると主張せざるを得なくなっているのです。

本件原告をはじめ被告の販売店は、注文部数を自由に決める権利は認められていないため、被告から指示された部数を仕入れざるを得ない弱い立場におかれています。

今回の押し紙裁判の提訴にあたり、佐賀県の販売店の店主が電話の会話を録音していることがわかり、録音データーを再生したところ、電話で部数を注文していないことを証明することが可能との結論に至りました。私どもは、本件裁判でも、佐賀県販売店の店主の録音データーとその反訳文を証拠として提出しました。ところが、被告は私どもが思いもつかない反論をしてきました。録音の最後の方に担当の声は聞こえないものの販売店主が「ハイ、ハイ」と答えている箇所があります。被告は、この箇所で担当が販売店主に対し、「注文部数は前月と同じでいいですか」という質問をしており、それに対し販売店主が「ハイ」と答えていると主張したのです。

裁判官は電話の向こうがわの担当の声が聞こえていないのに、「注文部数は前月と同じでいいですか」といった会話がなされているとの被告の主張をそのまま認めました。あらかじめ、結論ありきの判決だったことがわかります。

◆第2の問題は、「4・10増減」の問題です。本件では、4月と10月に普段より200部も多い新聞が供給されています。

被告は、原告が4月と10月に200部多い部数を注文したのは折込広告料と補助金を得るのが目的であるとして、被告には何の責任もないと主張しました。被告が原告に対し、4月と10月に普段の月より200部多い部数を注文させているのは、押し紙の仕入代金の赤字を折込広告収入で補填させるのが目的です。

郡部の販売店では、4月と10月の部数がその後半年間の折込広告部数決定の基準とされています。そのため、被告は子会社である折込広告会社が、原告販売店の4月と10月の部数について普段の月より200部多い部数を折込広告主に公表出来るようにしているのです。

この折込広告料詐欺のスキームは被告が独自に考えだしたものではなく、新聞業界全体で考案したスキームだと考えられます。

この問題については、黒薮さんが2021年7月28日の「元店主が西日本新聞社を『押し紙』で提訴、3050万円の損害賠償、はじめて『4・10増減』問題が法廷へ」という記事で詳しく紹介ておられます。是非、御一読ください。

押し紙と広告料の詐欺は、手段と目的の関係にあります。私ども押し紙裁判を担当している弁護士は、広告料の詐欺の主犯は新聞社であるとかねてより公言してきました。ネット社会が普及したおかげで、押し紙問題はもはや世界的にも知られるようになっていますので、新聞社が裁判でいくら責任を販売店に押し付けようとしても、社会的にはますます信用を失うだけです。

◆私は以前、「押し紙問題で本当に恐ろしいのは、新聞社が押し紙の存在を隠蔽して責任逃れすることより、裁判所が新聞社の味方をして販売店の権利救済に背を背けていることである。」という趣旨の意見を述べたことがあります。今でも、その考えに変わりはありません。

本件判決を言い渡した3人の裁判官は、2024年(令和4年)4月1日付で、裁判長は東京高裁から、右陪席は東京地裁から、左陪席は札幌地裁から転勤してきた裁判官です。高裁管轄をこえる人事異動ですので、この人事が最高裁事務総局の差配によることは明らかです。

以前の裁判官は、和解の可能性を打診したり、双方の主張を詳細に整理して検討を求めるなど、この押し紙裁判に熱心に取り組む姿勢を示しておられました。そのような裁判官が本件裁判の担当から離れ、遠方から新しい裁判官3人が転勤してきましたので、正直やられたと思いました。

というのも、これまで、販売店の勝訴が間違いないと思われていた裁判で、判決直前で裁判官が交代して敗訴判決が言い渡された例を見聞きしていたからです。

ご存じの通り、最高裁事務総局は司法行政の一環と称して日常的に下級裁判所の動向を調査・把握しています。その中でも、国政や外交の根幹にかかわる問題については一段と目を光らせています。

憲法と日米安保条約にかかわる問題、米軍基地と軍人・軍属にかかわる問題、原子力発電所や大規模公共工事にかかわる問題等については、最高裁は裁判官会同や合同研修会を招集し、審理の進め方や判断基準の統一をはかっているのではないかと言われています。

私は、最近の押し紙訴訟は販売店敗訴の判決が相次いでいることから、押し紙禁止規定の解釈や判断の枠組みについて、最高裁事務総局の意向があらかじめ担当裁判官に示されているのではないかという疑いをもっています。

黒薮さんは、令和6年12月31日の「1999年の新聞特殊指定の改定、『押し紙』容認への道を開く『策略』」と題する記事で、平成11年に押し紙禁止規定の改定で、それまでの「注文部数」という文言が「注文した部数」に変更された件について、その背後に、当時の公正取引委員長根来泰周氏(元東京高検検事長・後に日本プロ野球コミッショナー)と日本新聞協会長の読売新聞渡邉恒雄氏の存在があったのではないかと推測しておられます。私も同感です。

この文言の変更に隠された意図・目的が、渡邊恒雄氏側から何らかの経路を経て最高裁に伝えられたのではないかとの疑念を抱いています。といいますのも、渡邊恒雄氏が読売新聞1000万部の力(注:実際は張り子の虎にすぎないことは、これまで散々述べてきたとおりです。)をバックにして、政界中枢に大きな影響を与えてきたことは本人自身も認めています。

最高裁判所裁判官の指名権を有する内閣と渡邊恒雄氏の関係、読売新聞の代理人弁護士とTMI総合法律事務所の関係、TMI総合法律事務所と最高裁判事の関係など、疑えばきりがありません。

4・10増減の問題について、判決は被告主張のとおり、原告が折込み広告収入を得るために行ったもので、被告には責任はないとの判断を示しました。私どもは、押し紙は新聞社の広告主に対する詐欺であると批判してきましたが、今回の判決はすべての責任を販売店に押し付け被告の責任を不問にしました。

刑事問題と民事問題は違うからという言い訳をするのでしょが、それは法律関係者だけに通用する詭弁であって一般社会では通用しません。

◆東京地裁・最高裁判所に勤務したことのある元エリート裁判官の瀬木比呂志氏は、裁判所内部や裁判官のかかえる問題について多数の本を出版されており、外部から伺いしれない貴重な情報を社会に紹介して頂いています。2017年に新潮社から発行された『裁判所の正体-法服を着た役人たち-』の帯には、「忖度と統制で判決は下る!」・「裁判所には『正義』も『良心』もなかった!」との文字が踊っています。今回の敗訴判決を一読して、まったく瀬木裁判官のおっしゃる通りだと思いました。

最近体験した読売新聞押し紙裁判の控訴審判決の言渡し期日の出来事を紹介しておきます。判決を聞くために法廷に出向いた私は、前の事件の判決言い渡しが終わるのを傍聴席に座って待っていました。言い渡しが終わりましたので、おおもむろに傍聴席から立ち上がり、原告代理人席に移動していたところ、代理人席に着く前に、裁判長が控訴棄却の判決主文を読み上げさっさと後ろの扉から法廷を出ていきました。

私は唖然として言葉も出ませんでした。社会常識に反する裁判官にあるまじき行動と言わざるを得ません。そこまでして新聞販売店側に嫌がらせをしようとする裁判官の子供じみた行動は、まさに瀬木裁判官のいう「法服を着た役人」そのままでした。

昔話になって恐縮ですが、以前は書記官より裁判官の方がふさわしいと思わせる方たちが、裁判所にはたくさんおられたように思います。しかし、最近は、裁判所全体の雰囲気がなんとなく暗い感じで、昔の自由闊達な空気感で仕事に励んでおられる書記官や事務官の姿が見られなくなったような気がします。

官僚の縦社会とはむごいものです。若い時代の資格試験の合否だけで人生が決まる世界で生きていかざるを得ない優秀な方たちが、人間性のかけらもないような上司の下で働かざるを得ないことで受けるストレスは、外部からは想像もつかない大きいものがあるのではないかと思います。(注:弁護士の世界も同じかもしれませんが……)

◆今回の判決を言渡した合議体の裁判長は、司法研修所の元民事裁判教官です。右陪席は元最高裁の行政・民事局付だった裁判官です。いずれもエリートコースを歩んできた裁判官で、裁判をしない裁判官あるいは判決を書かない裁判官ともいわれる裁判官です。

私どもは、西日本新聞社を相手方とする今回の押し紙裁判は、勝訴の見込みが十分あると考えて提訴しております。今回の判決を言い渡した裁判官の人事異動は最高裁事務局の差配であることは冒頭で述べた通りですので、予想された敗訴判決だったとも言えます。

裁判長と右陪席の経歴をみると、最高裁事務総局は押し紙訴訟では新聞社を絶対負けさせないとの強い決意でいることが伺えます。

しかし、裁判所の内部には、日本の裁判所は今のままではいけない、何とかしなければならないと考える人達が大勢おられると思います。最高裁なにするものぞという気概に満ちた九州モンロー主義と呼ばれた時代を蘇えらせる力が、福岡地裁や福岡高裁に残っていることを期待します。

古くは福島重雄裁判官・宮本康昭裁判官、最近では、瀬木比呂志裁判官・樋口英明裁判官・岡口基一裁判官(注:いずれも元裁判官)らが、裁判所改革の必要性を様々な方法で訴えておられます。現役の裁判官・書記官・事務官の中にも、憲法に基づき法と良心にのみ従って判決が書けるような裁判所であって欲しいと願っておられる方が多数おられると思います。

*読売新聞の渡邊恒雄氏は、昨年12月19日に98歳の生涯を閉じられました。渡邊氏の存命中に、読売新聞1000万部が虚構の部数であったことを社会に知らせる役割の一端を担うことは出来たと思っています。

*元毎日新聞社の取締役河内孝さんの「新聞社-破綻したビジネスモデル-」(新潮新書)や、黒薮さんの最新本『新聞と公権力の暗部-押し紙問題とメディアコントロール-』(鹿砦社)などの著作を裁判の資料として使わせていただいています。ありがとうございます。

*名古屋大学の林秀弥先生と鹿児島大学の宮下正昭先生には、貴重な意見書を作成して頂きありがとうございました。今後とも、先生方の研究成果を裁判官に伝えるよう努力を続けたいと思います。

私は押し紙問題と出会い、日本社会の成り立ちや現状および将来について少しは考えるようになりました。田舎で生活していてもネット社会の広がりによって、新聞・テレビ・週刊誌・本によってしか知りえなかった世界よりもっと広くて奥深い世界があることを知りました。ありがたいことであり、また、怖いことでもあります。情報に溺れるという言葉がありますが、今後、情報の選択がますます大事になってくると思います。

最後に、本件については控訴理由書が完成しましたら続報をお届けする予定です。今後ともご支援のほどをよろしくお願いします。

2025年(令和7年)1月15日
福岡・佐賀押し紙弁護団 弁護士 江上武幸(文責)

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年1月18日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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1999年の新聞特殊指定の改訂、「押し紙」容認への道を開く「策略」 黒薮哲哉

◆渡邉恒雄氏に関して、日本のマスコミが絶対にタッチしない一件

渡邉恒雄氏の死に際して、次から次へと追悼記事が掲載されている。ここまで夥しく提灯記事が現れるとさすがに吐き気がする。ナベツネに「チンチンをしない犬」はいないのかと言いたくなる。

渡邉氏に関して、日本のマスコミが絶対にタッチしない一件がある。それは1999年に日本新聞協会の会長の座にあった渡邉氏が、新聞特殊指定改訂で果たした負の「役割」である。日本の新聞社にとって、計り知れない「貢献」をしたのだ。それは残紙の合法化である。残紙により大規模にABC部数をかさ上げするウルトラCを切り開いたのである。

その2年前の1997年、公正取引委員会は北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を行った。同社は発行部数を3万部増やす計画を打ち出し、各新聞販売店にノルマを課したというのが排除勧告の概要である。

公取委は、日本新聞協会に対しても、北國新聞社と同様の販売政策を取っている新聞社があると通告した。公取委が「押し紙」対策に本腰を入れたのは、この時が最初である。

排除勧告を機として、日本新聞協会と公取委は、断続的に「押し紙」問題の解決策を話し合うようになった。その結論は、1999年の新聞特殊指定の改訂に至ったのである。しかし、驚くべきことに改訂の内容は、「押し紙」の量を際限なく拡大できるものになっていた。「押し紙」問題を解決するために話し合いを重ねたにもかかわらず、新聞特殊指定を骨抜きにして、合法的に「押し紙」を自由に出来る制度を整備したのである。

◆新聞特殊指定の「押し紙」の定義──改訂前と改訂後

具体的な改訂の中味を記述しておこう。次に示すのは、改訂前と改訂後の新聞特殊指定の「押し紙」の定義である。黒の太字の部分の変化に注視してほしい。結論を先に言えば、従来の「注文部数」という用語を、「注文した部数」とう用語に変更したのである。

【改訂前】新聞の発行を業とする者が,新聞の販売を業とする者に対し,その注文部数をこえて,新聞を供給すること。

【改正後】販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)。

具体的に何が異なるのか?「注文部数」と「注文した部数」では、どのように「押し紙」の定義が異なるのか?

実は、改訂前の新聞特殊指定には「運用細則」があり、その中で「注文部数」の定義が提示されている。それによると、ここで言う「注文部数」とは、販売店が伝票で注文した部数ではなく、新聞の「実売部数に2%の予備紙を加えた部数」のことである。たとえば読者が1000人の販売店であれば、「実売部数1000部+予備紙20部」、つまり1020部ことである。これが特殊指定でいう注文部数であって、それを超える部数は理由のいかんを問わず「押し紙」と定義される。北國新聞社に対する「押し紙」の排除勧告は、この定義に基づいて行われたのである。

既に述べたようにこの「注文部数」という用語は、1999年の新聞特殊指定改訂で廃止された。改訂後に採用された新用語は「注文した部数」だった。これは、文字通り販売店が書面で注文した部数を意味する。その中に「押し紙」が含まれていても、独禁法には抵触しない。

◆新聞の発行部数に関するギネスブックの記録も、再検証する必要がある

この用語の変更に連動して、「注文部数」を定義していた従来の「運用細則」も廃止された。さらに予備紙2%の規定も廃止した。その結果、販売店が新聞社から命じられたノルマを含む部数を新聞の発注書に書き込めば、その中にいくら「押し紙」が含まれていても、合法的な予備紙と見なされるようになったのである。その結果、残紙が大量に発生するようになったのである。

ちなみに「押し紙」問題でよく指摘されるのは、新聞社が販売店に対して仕入れる部数を指示する行為である。たとえば実売部数が1000部しかないのに、新聞の発注書には、1500部と書き込むように指示する。このような行為は、改訂前の新聞特殊指定であれば、特殊指定が定義する「注文部数」を超えているわけだから「押し紙」行為と見なされていた。

ところが改訂後は、販売店が「注文した部数」という解釈になり、「押し紙」の定義から外れる。

改訂後の新聞特殊指定で、「押し紙」と判断するためには、「注文した部数」をさらに超えた部数が搬入され、しかも、それが新聞社からの強制によって発生したものであることを販売店が立証しなければならない。

1999年の新聞特殊指定の改訂は、従来にも増して「押し紙」政策への大道を開いたのである。実際、今世紀に入ってから、「押し紙」の割合が、搬入部数の40%とか50%といったケースが報告されるようになった。

「押し紙」問題を解決するために始めた話し合いで、「押し紙」をより容易にする道を開いたのである。奇妙な話ではないか?

特殊指定改訂当時の新聞協会会長は、読売新聞社の渡邉恒雄氏だった。また、公取委の委員長は根来泰周氏だった。根来氏はその後、なぜか日本野球機構コミッショナーに就任している。

新聞の発行部数に関するギネスブックの記録も、再検証する必要がある。ギネスブックが騙されている可能性が高い。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月31日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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西日本新聞福岡地裁「押し紙」裁判敗訴判決のお知らせ ── モラル崩壊の元凶「押し紙」 江上武幸(弁護士)

◆裁判官全員が同時に交代した裁判──最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題

12月24日午後1時15分から、福岡地裁本庁903号法廷で、西日本新聞販売店(長崎県)の押し紙裁判の判決が言い渡されました。傍聴席には西日本新聞社関係者が10名程度ばらばらに座っていましたが、相手方弁護士席には誰もいないので、一瞬、原告のSさんと「ひょっとしたら」という思いに囚われましたが、予期した通り敗訴判決でした。判決文は入手できていませんので、とりあえず結果を報告します。

合議体の三名の裁判官は、昨年4月1日にそれぞれ東京高裁・東京地裁・札幌地裁から福岡地裁に転勤してきた裁判官で、裁判長は司法研修所教官、右陪席は最高裁の局付の経歴の持ち主であり、いわゆるエリートコースを歩んできた裁判官達です。

合議体の裁判官全員が同時に交代する裁判を経験したのは弁護士生活48年で初めてであり、他の弁護士・弁護団が担当している各地の押し紙裁判でも、奇妙な裁判官人事が行われていることは承知していましたので、敗訴判決の危険性は常に感じながら訴訟を進行してきました。

最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題については、福島重雄裁判官、宮本康昭裁判官、最近では瀬木比呂志裁判官、樋口英明裁判官、岡口基一裁判官ら(注・いずれも元裁判官)、多数の裁判官が著作を出版されており、最高裁事務総局内部の様々な動きを知ることができます。大変、ありがたいことです。

私は、司法研修所29期(昭和52年〔1977年〕の卒業であり、同期には最高裁長官や高裁長官になった裁判官もいます。当時の研修所の雰囲気は、青法協弾圧の嵐は一応過ぎ去っており、教官の自宅を訪問するときは手土産を持参するようにとの指導が行われても反発するような雰囲気になることはありませんでした。実社会の経験のない世間知らずの私は、司法修習生になるとそのような礼儀作法を身につけることまで教育の一部だというくらいに受け止めていました。研修所当局による従順な修習生教育の一環であるといったうがった考えは浮かんできませんでした。

◆裁判官は法と良心のみに拘束される

ところで、瀬木比呂志裁判官の著書『裁判所の正体』(新潮社2017年/共著者=清水潔)によると、29期で最高裁長官に就任した裁判官は、青法協加入の裁判官の弾圧をはじめた石田和外長官、後任のミスター最高裁と呼ばれた矢口恭一長官、司法反動の完成者と評されている竹崎博充長官の人脈に連なる人物であると書いてありました。瀬木裁判官ら最高裁中枢にいた裁判官でなければ知りえないエリート裁判官達の人脈に関する記載であり、外部のものが知りえない貴重な情報です。

私たちの期の人間は、そろそろ鬼界を控えていますので、最高裁長官や高裁長官経験者の人たちには、裁判官生活の記録を人事問題を含め後世のために残しておいてほしいものです。

特に、最高裁事務総局に対する「報告事件」なるものが存在すること自体は、明らかになっていますが、報告事件の中身と報告事件の処理ついては一切明らかにされていません。私個人として、「押し紙事件」が報告事件に指定されているか否かは是非とも知りたいところです。

日本の憲法は、裁判官の独立を保障しています。裁判官は法と良心のみに拘束され、他から干渉を受けることはありません。裁判官の判断は判決が全てであり、審理の途中で最高裁事務総局から担当書記官あるいは担当裁判官に対して、特定の事件について、その内容・審理の状況を報告させる仕組みは、裁判官の独立を侵すものであってはなりません。そのような制度は、裁判官・書記官だけでなく事務官を含めてその事実をしる裁判関係者のモラルの崩壊、士気の低下を招くことにつながると思います。

◆最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由

最高裁は違憲立法審査権を有しており、日本の最終国家意思を形成することができる機関です。戦後、冷戦の始まりと朝鮮戦争の勃発という国際情勢の変化により、戦前の支配体制がそのまま維持されることになりました。裁判官も戦前の問題を追及されることなく、戦後も従前通りの地位を保持することが許されました。

矢部宏治氏や吉田敏浩氏らの著作やネット情報によって、日本の政治は、在日米軍の高級将校と日本の官僚のトップで構成される日米合同委員会によって決定されているのではないかとの疑いが、広く国民に認識されるようになってきているようです。安保条約と憲法の関係について、戦後、最高裁長官とアメリカ大使が内密に協議していた事実も知られるようになっています。

最高裁は日本の最高法規である憲法の上に日米安保条約を置き、米軍基地と軍人・軍属に派生する問題については、基本的には違憲・合憲の司法判断はしないという統治行為論なる理論を生み出しています。それと、今大問題となっている「企業・団体献金」の合憲性についても、私は、最高裁の法的判断というよりむしろ高度な政治的判断によるものではないかとの疑念を抱いています。

三菱重工による「企業・団体献金」の合憲性について最高裁が合憲と判断したことに、どうしても納得できず、違和感を抱えてきました。国の政治は主権者である国民一人一人が参加して決定するもので、主権者でもない企業や団体に政治活動の自由を認め、支持する政党への献金も許されるとの判断にどうしても納得できないできました。

ところが、この問題について、最近のネット情報等により設立当初の自民党の政治資金がCIAから提供されていたことがわかり、すべての疑問が氷解しました。つまり、アメリカとしては早々に自民党の活動資金の支援を打ち切り、日本人にその肩代わりをしてもらう必要があったのです。

CIAに代わる資金の提供者が「企業・団体」であると考えれば、最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由が理解できます。企業・団体献金についてはその弊害が問題となり、「政党助成金」が支払われるようになりましたが、その後も自民党は企業団体献金を廃止しようとはしません。

◆三人の裁判官は、どのような法的判断の枠組みで西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導いたのか

本件押し紙訴訟の最大の特徴は、4月と10月の定数(西日本新聞社の原告に対する新聞の供給部数)が前後の月より200部も多いことです。西日本新聞が4月と10月に、前後の月より200部も多い新聞を販売店に供給するのは、販売店の折込収入を増やすのが目的です。つまり、販売店の押し紙の仕入代金の赤字を折込広告料で補填するためにそのような措置を講じているのです。

※注釈:折込広告の販売店への定数(供給枚数)は、4月と10月の新聞の部数で決まる。4月の定数は、6月から11月の広告営業のデータとして使われ、10月の定数は12月から翌年5月の広告営業のデータとして使われる。それゆえに新聞社は、4月と10月に押し紙を増やす場合がある。このような販売政策を、販売店は、「4・10(よんじゅう)増減」と呼んでいる。

仮に、西日本新聞社の折込広告詐欺を裁判所が認めた場合、西日本新聞社に限らず押し紙問題を解決していない他の新聞社に判決の与える影響は想像もつきません。新聞を始めテレビ・ラジオなどのマスメディアに対する国民の信頼は、完全に失われる危険があります。

新聞・テレビ・ラジオ等のマスメディアに対する国民の信頼が失われれば、マスメディアによる国民世論の形成や統一は不可能となるでしょう。そのような事態を招くことを最高裁が容認することは、最高裁の政治的性格からして考えられません。

本件押し紙裁判の判決を書いた三人の裁判官が、西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導くために、どのような法的判断の枠組みを考えだしているのか、その判決理由を知りたいものです。

後日、判決を入手後、この問題については検討の上、報告させていただくことにしますので、しばらくお待ちください。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月25日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

「押し紙」関連資料の閲覧制限、問われる弁護士の職業倫理、黒塗り書面は墓場へ持参しろ 黒薮哲哉

「押し紙」裁判を取材するなかで、わたしは裁判書面に目を通す機会に接してきた。弁護士から直接書面を入手したり、あるいは裁判所の閲覧室へ足を運んで、訴状や準備書面、それに判決などの閲覧を請求し、その内容を確認してきた。

しかし、最近は、新聞社が書面に閲覧制限をかけていることが多い。書面の一部が黒塗りになっているのだ。

「押し紙」についての新聞社の主張は、昔から一貫していて、「自分たちは販売店に対して新聞の押し売りをしたことは一度もなく、販売店で過剰になっている新聞は、販売店が自分の意思で注文したものだから、『押し紙』には該当しない」というものである。それはまた日本新聞協会の主張でもある。

新聞業界は、今だに「押し紙」は1部たりとも存在しないという事実とはかけ離れた主張を貫いているのだ。試みに読者は日本新聞協会に対して、「押し紙」について問い合わせてみるといい。誠意ある答えは返ってこない。答弁できなくなると、乱暴に電話を切るのがこれまでの対応である。

「押し紙」は1部も存在しないという新聞業界の主張が堂々とまかり通ってきた背景には、新聞社の弁護士たちの支援があるのは言うまでもない。とりわけ人権派の評価がある弁護士が代理人になっている場合、彼らの信頼度が髙いので、彼らが上段に掲げてきたデタラメに、多くの人々がそれに騙されてしまうことがある。

ネット上に「押し紙」回収の現場を撮影した写真や動画が次々と投稿されるに至っても、彼は絶対に主張を変えない。社会正義の実現という弁護士の使命を捨て、腐った金に飛びついているのである。

「押し紙」が客観的な事実であることを認めた上で、その背景にやむを得ない事情があるとする論理で弁護活動をするのであれば、職業倫理を逸脱していないが、彼らは客観的に「押し紙」が存在することを否定しているわけだから論外である。良心のかけらもない。

しかし、裁判書面は保存すれば、永久の残るわけだから、彼らが軽々しく黒塗りした書面を、10年後、あるいは20年後に公開されたとき、そのダメージは大きい。自分が書いた書面は、納棺してもらい忘れずにあの世に持参してもらいたい。嘘は絶対に書かないのが鉄則である。

本稿は『メディア黒書』(2024年12月16日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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国策としての「押し紙」問題の放置と黙認、毎日新聞の内部資料「発証数の推移」から不正な販売収入を試算、年間で259億円に 黒薮哲哉

インターネットのポータルサイトにニュースが溢れている。衆院選挙後の政界の動きから大谷翔平選手の活躍まで話題が尽きない。これらのニュースを、メディアリテラシーを知らない人々は、鵜呑みにしている。その情報が脳に蓄積して、個々人の価値観や世界観を形成する。人間の意識は、体内の分泌物ではないので、外かいから入ってくる情報が意識を形成する上で決定的に左右する。

その意味で、メディアを支配することは人間の意識をコントロールすることに外ならない。国家を牛耳っている層が、それを効果的に行う最良の方法は、新聞社(とテレビ局)を権力構造の歯車に組み入れることである。実際、公権力を持つ層は、新聞社に経済的な優遇措置を施すことで、新聞ジャーナリズムを世論誘導の道具に変質させている。

「押し紙」が生み出す不正な販売収入が業界全体で年間に、少なくとも932億円になる試算は、9月27日付けのメディア黒書で報じたとおりである。

※「押し紙」問題がジャーナリズムの根源的な問題である理由と構図、年間932億円の不正な販売収入、公権力によるメディアコントロールの温床に

前出の試算と同じ観点から、今回は毎日新聞社のケースをクローズアップしてみよう。幸いにわたしはそのための格好の内部資料を所有している。

毎日新聞社の社長室から外部へ漏れた「朝刊・発証数の推移」と題する内部資料によると、2002年10月の時点における毎日新聞の公式部数は、395万3,466部である。これに対して、新聞販売店が読者に発行した領収書の数(発証数)は、250万9,139枚である。差異にあたる144万(部)が、一日あたりに全国で発生していた毎日新聞の「押し紙」という計算になる。

※厳密に言えば、販売店に搬入される新聞の2%は予備紙で、「押し紙」の定義には入らない。

「押し紙」1部の卸代金を1,500円として試算すると、「押し紙」による販売収入は、月額で21億6,000万円になる。年間では259億円となる。「押し紙」は独禁法の新聞特殊指定に抵触するので、公正取引委員会が毎日新聞社にメスを入れれば、同社は年間で259億円の販売収入を失うことになる。「押し紙」を買い取るために販売店へ支出する補助金が相当な額にのぼるとしても、不正な販売収入の規模は尋常ではない。

※朝刊 発証数の推移(赤印に着目)

公権力機関は、新聞社による「押し紙」の汚点を把握することで、新聞社をみずからの「広報部」に組み込め、情報をコントロールすることが可能になる。「押し紙」による収入が少なければ、「押し紙」制度は、メディアコントロールの道具として機能しないが、毎日新聞社の例に見るように金額が莫大なので、公権力は「押し紙」の摘発をほのめかすことで、紙面に介入できるのだ。

恐ろしい制度と言わざるを得ないが、実はこれと類似した構図が戦前にもあった。それは新聞用紙の配給制度である。新聞社が自由に新聞用紙を調達できない状況の下で、政府が新聞社に新聞用紙を配給することで、新聞社を「広報部」へ変質させていのである。

日本の新聞ジャーナリズムが機能しないのは、新聞記者の職能が劣っているからではない。それ以前の問題として、「押し紙」制度と連動したメディアコントロールの政策があると考えるのが妥当である。繰り返しになるが、それが可能なのは、「押し紙」が生み出す販売収入が莫大な額になるからにほかならない。特に中央紙には、このような構図が当てはまる。発行部数が多く、それに連動して「押し紙」

による不正な販売収入の額で尋常ではないからだ。

「押し紙」問題は、単に新聞の商取引の問題ではない。ジャーナリズムの問題なのである。この点を度外視すると、いくらジャーナリズムの堕落を嘆き、新聞記者を批判しても、解決策は何も出てこない。

本稿は『メディア黒書』(2024年11月2日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

モラル崩壊の元凶 ─ 押し紙 ─ 西日本新聞押し紙訴訟判決期日決定のご報告  江上武幸(弁護士)

◆はじめに

西日本新聞社を被告とする2つの押し紙裁判が終盤に差し掛かっています。

長崎県の西日本新聞販売店経営者(Aさん)が、2021年7月に、金3051万円の損害賠償を求めて福岡地方裁判所に提訴した押し紙裁判の判決言い渡し期日は、来る12月24日(火)午後1時15分からと決まりました。

また、2022年11月に5718万円の支払いを求めて福岡地裁に提訴した佐賀県の西日本新聞販売店主(Bさん)の裁判は証人尋問を残すだけとなっており、来春には判決言い渡しの予定です。

これら二つの裁判を通じて、私どもは西日本新聞社の押し紙の全体像をほぼ解明できたと考えております。

(注:「押し紙」一般については、グーグルやユーチューブで「押し紙」や「新聞販売店」を検索ください。様々な情報を得ることができます。個人的には、ウイキペディアの「新聞販売店」の検索をおすすめします。)

 
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◆押し紙とは

新聞販売店は新聞社から独立した自営業者ですので、販売店の経営に必要な部数は自分で自由に決定する権利があります。他の商品の場合、初めから売れないとわかっている商品を仕入れることはありませんので当然のことです。しかし、新聞社は発行部数の維持拡大を目指して他紙と熾烈な部数競争を繰り広げており、しばしば契約上の優越的地位を利用して販売店に「目標数〇〇万部」などと過大なノルマを設定し、実際にその部数の仕入れを求めます。

新聞社が発行部数にこだわるのは、紙面広告の料金が発行部数に比例して決定する基本原則があるためです。部数をかさ上げすることで、広告収入の維持・増加を図るためです。販売店は新聞社に対して従属的な地位にありますので、新聞社の要求を拒めば契約の解除を暗にほのめかされるなど、不利な状況に追い込まれかねません。そのため、新聞社が示した部数を自爆営業で受け入れざるを得ないのです。

新聞社は販売店に目標部数を売り上げた時点で利益を計上することが出来ますが、販売店は売れ残った新聞の仕入れ代金を新聞社に支払い続けなければなりません。顧問税理士や銀行の担当者から無駄な新聞の仕入れをなくすように指示や指導を受けても、仕入れ部数を自由に減らすことは出来ないのです。その結果、廃業に追い込まれる販売店経営者もいます。

昭和20年代半ば以降、新聞統制の解除に伴い中央紙の地方進出が始まりました。それに連動した乱売合戦に巻き込まれた地方紙は、中央紙の戦略的な武器となっている押し紙禁止規定の制定を国に求めました。

昭和30年に公正取引員会は独占禁止法に基づく新聞特殊指定を制定し、新聞業界特有の優越的地位濫用行為である「押し紙」を不公正な取引方法に指定しました。それから70年が経過しようとしていますが未だに押し紙はなくなっていません。このことから、押し紙問題がいかに根深いものであるかをお分かりいただけると思います。

◆西日本新聞の押し紙政策の特徴

[1]自由増減の権利の否定

西日本新聞社(以下、「被告」と言います。)も販売店に対し注文部数を自由に決める権利(以下、「自由増減の権利」といいます。)を認めていません。注文部数(定数)を何部にするかは、被告が決めています。

(注:押し紙を抱えている新聞社はいずれも「自由増減の権利」を認めていません。私の知る限り、唯一、熊本日日新聞社と新潟日報社の2社が昭和40年代に押し紙をやめ、販売店に自由増減の権利を認めています。なお、鹿児島の南日本新聞の販売店主が余った新聞と折込広告を本社の玄関先に置いて帰るユーチューブの動画は必見です。)

[2]注文部数の指示

被告は新聞業界全体の動きや会社経営の状況をにらみながら、販売店の定数(注文部数=送付部数)を決定しています。しかし、訴訟においては、そのような事実を認めることはできません。販売店の注文部数はあくまでも販売店が自主的に決定していると主張する必要があります。

多くの新聞社は、FAXやメールで実配数や予備紙等の部数を報告させ、販売店が自己の経営判断で部数を注文しているとの主張ができるようにしていますが、被告は実配数と増減部数(入り止め部数)の報告は記録に残らないように電話で受け、そのあとに注文表に記載する注文部数を指示する方法をとっています。

[3]外形的注文行為の虚構

被告は販売店に注文部数を指示していますが、注文はあくまでも販売店が自主的に行っているようにと見せるため、「注文表による注文行為」と「電話による注文行為」の二種類の虚構の注文行為を用意しています。

(1)電話による注文行為

原告ら販売店は自由増減の権利がないため、被告に自らの意思で決定した注文部数を注文することはありません。電話で注文を受けていたとの被告の主張は虚構です。被告が電話で注文を受けていたと主張するのは、「電話による注文」であれば、客観的証拠が残らないからです。 過去の押し紙裁判でも、被告は販売店の注文は電話で受けつけていたと主張し続け、最終的に販売店敗訴の判決を受けています。その成功体験が背景にあるからと思いますが、FAXやメールの通信機器発達した現在でも、電話で注文を受けているとの主張を続けています。しかし、本件訴訟では、別件訴訟の原告の元佐賀県販売店経営のBさんが電話の会話を録音してくれていたおかげで、販売店からは電話で部数の注文はしていなかった事を証明することが出来ました。

(2)注文表のFAX送信指示

被告は原告に対し、電話で指示した注文部数を注文表に記載してFAX送信するよう指示しています。原告は指示された部数を注文表の注文部数欄に記入して、その日の内にFAX送信しています。被告は裁判では、「注文表記載の注文部数は参考に過ぎず、電話による注文部数が正式な注文部数である。」と主張していますので、電話による注文で足りるのに、何故、注文表のFAX送信を指示しているのかという問題が生じます。この点について、被告は次に述べるように、「注文表記載の注文部数は参考にすぎない。」と答えるだけで明確な説明はしていません。

なお、佐賀県販売店経営のBさんは注文表をFAXすれば、そこに記載した注文部数が自分の意思で注文した部数とみなされることを警戒していたことから、FAX送信を途中からやめておられます。

(注:被告の場合、注文表には「注文部数」の記載欄があるだけで実配数や予備紙の記載欄はありません。メールによる報告システムも構築されていません。)

◆注文表は参考に過ぎないとの主張

被告は本件裁判では、注文表記載の注文部数は参考に過ぎず電話による注文部数が真の注文部数であると主張しています。常識的に考えれば書面による注文部数が正式な注文部数であると主張する方が自然です。しかし、被告は当初から一貫して正式な注文部数は電話による注文部数であると主張し続けています。

被告が、何故そのような不合理で奇妙な主張を行うのか?

その理由は、原告が注文表に記載した注文部数よりも実際は多い部数を供給したり、注文部数が記載されていない白紙の注文表がFAX送信されたりしているため、被告は注文表記載の注文部数が注文を受けていたとの主張が出来なくなっているからだと思われます。

しかし、電話で注文した部数を注文表に記載してFAXするように指示しているのに、何故、電話の注文部数と注文表記載の注文部数が違うのか、あるいは、注文表の注文部数が白紙でFAXされていのに、何故、新聞の供給ができるのかといった素朴な疑問がわいてきます。

被告は、注文表のFAX送信は必ずしも電話報告の「後」になされるだけではなく、電話報告の「前」になされることもあると微妙に説明を変化させています。そうすれば、タイムラグの関係で、電話報告の前に注文表に記載した注文部数と、そのあとで電話で注文した部数に違いが出ることはありえるとの主張が可能となるからと推測しています。しかし、注文表の注文部数が白紙のまま送信された月の分については、そのような説明は通用しません。

そもそも電話による注文行為なるものは、被告が考えだした虚構の注文行為ですから、被告は無理に無理を重ねた嘘の説明を続けざるを得なくなっているとみています。

押し紙問題のバブル(聖書)ともいうべき毎日新聞社の元常務取締役河内孝氏の著作「新聞社 破綻したビジネスモデル」(2007年3月・新潮新書)のまえがきに次のような見識に満ちた一文が掲載されていますので、長くなりますが紹介します。

「バブル崩壊の過程で、私たちは名だたる大企業が市場から撤退を迫られたケースを何度も目の当たりにしました。こうした崩壊劇にはひとつの特徴があります。最初は、いつも小さな嘘から始まります。しかし、その嘘を隠すためにより大きな嘘が必要になり、最後は組織全体が嘘の拡大再生産機関となってしまう。そしてついに法権力、あるいは市場のルール、なによりも消費者の手によって退場を迫られるのです。社会正義を標榜する新聞産業には、大きな嘘に発展しかねない『小さな嘘』があるのか。それとも、すでに取返しのつかない『大きな嘘』になってしまったのでしょうか……。」

 
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◆4・10増減

黒薮さんの調査によれば、4月と10月は全国的にABC部数が前後の月より多くなっているとのことです(注:この現象は、販売店経営者の間では「4・10増減」と呼ばれているそうです)。とりわけ2000年代にその傾向が顕著に確認できるとのことです。

「4・10増減」は、押し紙により4月と10月にABC部数をかさ上げさせる販売政策です。

ABC部数が、新聞の広告効果を判断する重要な基準のひとつになっていることから、広告営業のデータとして採用させる4月部数(6月~11月の広告営業に使われる)と10月部数(12月~翌年5月)を、その前後の月よりもかさ上げしていると考えられます。折込広告代理店を通じて公表される販売店毎ごとの発行部数も、原則的にABC部数に準じているために、「4・10増減」は、不正な折込広告収入や紙面広告収入を生みます。

本件裁判のAさんの場合、4月と10月の定数が前後の月より約200部も多くなっている点が特に注目されます。この4月と10月の部数を被告はABC協会と西日本オリコミに報告していることを認めています。

被告は200部を上乗せした販売収入を原告から即座に得ることが出来ます。また、それにより年間を通じて、紙面広告料の単価と広告代理店の手数料を増やすことが出来ます。さらに、販売店の折込収入を増やすことで、押し紙の仕入代金の赤字の補助を減額することも出来ます。

しかし、被告が自己の利益のために、4月と10月に普段より200部も多い部数を販売店に注文させていることが社員に知れ渡れば、深刻なモラル崩壊が発生することが避けられません。このような取引方法を行うのは広告主に対する明らかな詐欺行為となりますから、自社がこのような重大な法律違反をしていることを知ったら、まともな常識を備えて社員は絶えられないでしょう。最近、嫌気がさした若手の販売局員が次々に転職している新聞社が出てきているとの話も伝わっています。

新聞社が詐欺行為をしている事が外部に知れれば、報道機関としての新聞社の信頼が地に落ちるだけでなく、警察・検察・国税等の国家権力の介入も避けられません。そのような危険があるにもかかわらず、新聞社は、何故、押し紙をいつまでも続けてこられるか? 単にマスメデイア業界の新聞・テレビ等が報道しないからというだけのことなのか、あるいは業界全体に、押し紙問題については国家権力の介入はないとの暗黙の確信があるのか、疑問は尽きません。

この問題には深い闇が隠れているように思われますので、黒藪さんの最新著「新聞と公権力の暗部-押し紙問題とメディアコントロール」(2023年5月・鹿砦社発行)を是非とも一読されることをお勧めします。

◆実配部数の秘匿

[1]被告の実配数の秘匿

被告は販売店の実配部数は知らない、あるいは知り得ないと主張してきました。しかし、被告のこの主張も虚偽であることが明らかになりました。

本件裁判のBさんが、内部告発者から平成21年(2009年)8月度の佐賀県地区部数表(販売店ごとに部数内訳を記録した一覧表)の提供を受けていたのです。それにより、私たち弁護団も、被告が販売店ごとの実配部数と定数(=送付部数)を一覧表に整理して保管している事を知りました。本件裁判で、被告側証人の若い担当員が長崎県地区でも、佐賀県地区部数表と同じタイプの部数表を作成していることを正直に証言してくれました。

ところで驚いたことに被告は、この地区部数表を特定の幹部しか知り得ないよう厳重に管理していることを認めた上で、裁判官に対して部数表の閲覧禁止を求めました。これは、販売店の実配部数が外部に漏れれば、広告主から広告料の損害賠償を求められることを被告が極度に恐れていることを自ら認めたも同然と言えるでしょう。また、ABC協会への新聞部数の虚偽報告の問題も無視できません。

こうした問題が派生するので、新聞社は自社の実配部数が外部に知れなることを恐れています。

[2]積み紙禁止文言と4・10増減

被告は、毎月の請求書に次のような文言を記載しています。

                記 

「貴店が新聞部数を注文する際は、購読部数(有代)に予備紙等(有代)を加えたものを超えて注文しないで下さい。本社は、貴店の注文部数を超えて新聞を供給することはいたしません。」

これと同じ文言は、他の新聞社の請求書にも記載されています。この文 言がいつから記載されるようになったのか正確には知りませんが、平成9年(1997年)に公正取引委員会が北國新聞社の押し紙事件の調査を行った時期ではないかと推測します。この調査を通じて、他の新聞社も押し紙を行っている事実が判明しました。

公正取引委員会は日本新聞協会を通じて加盟新聞各社に対して、新聞の取引方法を改善するよう求めました。私は、その時に各新聞社が足並みをそろえて上記の文言を請求書に記載するようにしたのではないかとみています。

被告も請求書に「積み紙禁止文言」を記載していますので、仮に原告が4月と10月の注文部数を前後の月より200部も多く注文すれば、被告は当然その理由を聞きただす必要と義務があります。というのも、4月と10月だけ、200部のかさ上げが必要となる理由は一般に想定されないからです。

被告は、「販売店が注文した部数をそのまま供給する販売店契約上の義務があるため、注文部数通りの部数を送付したにすぎない。」と説明するだけで、肝心の積み紙禁止の文言との関係については一切説明しようとしません。

しかし、先に述べたように、被告の内部から流出した佐賀県地区部数表の存在により、被告が販売店ごとの実配数を毎月正確に把握し、一覧表にまとめ、一部の幹部社員した閲覧できない状態で厳重に保管していること判明しました。従って、被告が実配数を200部も超過する部数の注文が積み紙っであることは容易に認識可能なため、被告の上記のような主張も通用しません。

 
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◆判決の見通し

以上述べたように、私ども弁護団は被告の押し紙責任の立証は充分に出来たと考えております。しかし、これまでの裁判例をみますと、殆どの裁判は販売店側の敗訴に終わっているので楽観することはできません。

販売店を敗訴させた過去の判決の論理構造をみると、平成11年(1999年)の新聞特殊指定の改定の際に、公正取引委員会が、昭和39年の押し紙禁止規定の「注文部数」という文言を「注文した部数」という文言に変更したことが、その後の裁判官の判断に影響を及ぼしているように思われます。

具体的に説明しますと、昭和39年(1964年)の新聞特殊指定の押し紙禁止規程は、「注文部数を超えて新聞を供給する行為」を押し紙と定め、「注文部数」については、実配部数にその2%程度の予備紙を加えた部数であるとの解釈を採用していました。これは公正取引委員会と新聞業界が共通に採用していた解釈でした。

しかし、平成11年(1999年)の改定で、「注文部数」という文言が「注文した部数」と変更されたことから、、裁判官はたとえ50%を超えるような大量の残紙を含む注文であってもその部数が、外形上、販売店が「注文した部数」となっておれば押し紙には該当しないと判断するようになったのです。

ちなみに、私が押し紙問題に首を突っ込むようになったのは、平成13年(2001年)5月に、福岡県の読売新聞販売店経営者であった真村久三さん夫婦から強制改廃の相談を受けた時からです。

当時、予備紙の上限を実配部数の2%とする業界の自主規制は平成10年にすでに撤廃にされており、平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の改正でかつての「注文部数」の文言も「注文した部数」に変更されていました。その結果、新聞社は販売店が「注文した部数」を超える部数を供給しなければ「押し紙」でないという解釈に基づき、押し紙を利用した公然たる部数拡張競争を公然と繰り広げる状況が発生していました。全国的に、実際には販売していない新聞をABC部数として計上・公表するいびつな状況が生まれていたのです。

真村裁判の勝訴判決を機に、押し紙に関する相談が次々と持ち込まれるようになりましたが、多くのケースで押し紙率は、新聞業界自身が定めた上限2%どころか40%~50%にも及んでいました。

公正取引委員会は、平成9年(1997年)の北國新聞社の押し紙事件を機に、それまでの押し紙禁止規定の新聞業界による自主規制の方針を変更し、直接取り締まることを宣言します。その結果、新聞社は上限2%の制約から解放されます。さらに、平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の「注文部数」の文言が「注文した部数」に改定されたため、新聞社は販売店が注文した部数を超えなければ押し紙ではないという身勝手な解釈に基づき、発行部数を際限なく増やしていきました。

北國新聞事件を機に押し紙はむしろ増大していったのです。押し紙を直接取り締まることを宣言した公正取引委員会も北國新聞社事件以降はまともな取り締まりを行うこともなく、サボタージュしたまま現在に至っています。

最近、国会で押し紙問題が再び取り上げられるようになっていますが、国会の質疑をみても公正取引委員会からは押し紙を積極的になくそういう熱意は伝わってきません。

ちなみに平成9年(1997年)の北國新聞事件の当時と平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の「注文部数」の「注文した部数」への文言の改定当時の公正取引委員会委員長は、後に日本プロ野球連盟のコミッショナーに就任する、元東京高等検察庁長官の根来泰周氏でした。

根来氏が公正取引委員会委員長として、当時、押し紙問題にどのようにかかわってきたのか、読売新聞社の渡邉恒雄氏との関係を含め今後の解明が待たれるところです。

(注:根来氏は2013年11月に死去されています。)

話は変わりますが、静岡県清水市の味噌製造会社の専務一家4人が殺害された強盗殺人・放火事件の犯人として死刑判決が確定していた元プロボクサーの袴田巌さんの無罪が、この度の再審無罪判決によりようやく確定しました。静岡大学で青年期を過ごした私には、袴田事件ともう一つの再審事件の島田事件は忘れられない冤罪事件です。

当時、大学の先輩弁護士たちが、私たち学生に現地学習会への参加を呼び掛けていました。証拠の捏造までして袴田さんの人生を踏みにじった警察・検察のみならず、無罪を進言する同僚裁判官の意見を無視して死刑の有罪判決をくだした裁判官に対する国民の不信感は極めて大きなものがあります。司法の信頼を取り戻すために、弁護士を含め司法関係者の再発防止のための真剣な努力が求められています。

西日本新聞社を被告とする本件押し紙裁判は、当初、若手裁判官の単独事件として受理され、早々に和解が打診されました。押し紙裁判として異例な対応です。ほどなくして3人の裁判官による合議体に審理は移行しましたが、そこでも裁判官は、これまでの見られなかったような詳細な争点整理表を作成し、原告・被告の双方の代理人弁護士に検討を求めるなど、押し紙問題の解決に向けて熱心に取り組む姿勢を示されました。

そのような正常な流れを辿っていたにもかかわらず、昨年4月1日付で三名の新たな裁判官が福岡地裁に転任され、この押し紙裁判を担当されるようになりました。

私どもは、押し紙裁判で担当裁判官の奇妙な人事異動が行われるケースを経験しておりますので、本件の担当裁判官3名全員の交代にはいささか懸念を覚えております。しかし、この3名の裁判官が、原告本人と被告側の証人の証言を法廷で直接聞いておられますので、私どもの主張に十分耳を傾けた判断を示してくれることを期待しているところです。

ネット社会のすみずみまでの普及と歩調を合わせるように、紙の新聞の衰退が急速に進んでいます。そのような時代背景の中で、本件押し紙裁判の判決がどのような結論になるのか、また、その理由はどのようなものになるのか、福岡地裁の判断を皆様と一緒に見届けたいと思います。

今後も、裁判の進捗状況は逐一報告し続けたいと思いますので、皆様のご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。

本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年10月15日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

「押し紙」問題がジャーナリズムの根源的な問題である理由と構図、年間932億円の不正な販売収入、公権力によるメディアコントロールの温床に 黒薮哲哉

読売新聞社会部(大阪)が、情報提供を呼び掛けている。インターネット上の「あなたの情報が社会を動かします」というキャッチフレーズに続いて、次のように社会部への内部告発を奨励している。

「不正が行われている」「おかしい」「被害にあっている」こうした情報が、重大な問題を報道するきっかけになります。読売新聞は情報提供や内部告発をもとに取材します。具体的な情報をお持ちの方はお寄せください。情報提供者の秘密は必ず守ります。

この機会に全国の新聞販売店は、「押し紙」の実態を内部告発すべきではないか。読売社会部が「押し紙」を調査して報道する可能性はほとんどないが、同社のジャーナリズムがどの程度のレベルなのかを知るための指標になる。

◆年間932億円の不正販売収入を生み出す「押し紙」

数年前、わたしはNHKに対して「押し紙」に関する資料を提起しようとしたことがある。結論を先に言えば、この時は門前払いされた。NHKの職員は、資料の受け取りを拒否したのである。その理由は、NHKには部署が多いので、たとえ資料を受取っても行方が分からなくなる可能性があるというものだった。(電話での会話)

他の大メディアに「押し紙」の資料を提供しても、取材対象にはならない公算が強い。「押し紙」問題を報道することが、自分たちの小市民としての経済基盤を崩壊させかねない懸念があるからだ。

しかし、「押し紙」問題は、新聞ジャーナリズムを考える上で最も根本的な着目的である。と、いうのも「押し紙」が生み出す不正な販売収入の額が尋常ではないからだ。この汚点に、公正取引委員会や警察などの公権力が着目すれば、「押し紙」の摘発をほのめかすだけで、暗黙裡に新聞の紙面内容に介入することが可能になる。わたしの試算ででは、新聞業界全体で年間932億円の不正な販売収入が発生している。これは過少に試算した数字である。

試算の詳細については、『新聞と公権力の暗部』(鹿砦社)に詳しいが、概要は次の通りである。2021年度の全国の朝刊発行部数は約2590万部だった。このうちの20%にあたる518万部が「押し紙」と仮定する。また、新聞1部の「押し紙」代金を月額1500円をと仮定する。「押し紙」による販売収入は、次の計算式で導きだせる。

518万部×1500円×12カ月=年間932億円

新聞は「朝刊単独版」と「朝夕セット版」の2種類があるが、誇張を避けるために、すべての新聞が価格がより安い「朝刊単独版」として計算した。

それにもかかわらず「押し紙」による販売収入は、932億円になるのだ。この数字がいかに異常かは、たとえば次のデータと比較すると分かりやすい。

(1)統一教会の霊感商法による被害額は、全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、35年間で1237億円である。年間に換算するとたった3億5000万円程度である。

マスコミは、鈴木エイト氏の後追い取材のかたちで、霊感商法の問題を大きく取り上げた。しかし、それよりも被害が深刻なのは、「押し紙」代金の取り立てである。

(2)しんぶん赤旗(2020年9月15日)によると、自民党から電通に支出された広告費は、19年間で100億円超である。年間に換算すると5000万円強である。この広告費は、倫理的な問題を孕んでいるが、不法行為ではない。これに対して「押し紙」による販売収入は、不法行為である。しかし、しんぶん赤旗もこの問題は避けている。暴露した場合の「反共攻撃」が予測されるからではないか。あるいは新聞記者の生活を守ることを優先するからではないか。

「押し紙」が生み出す不正収入が莫大な額であるからこそ、公権力によるメディアコントロールの温床になり得るのだ。公権力の側も、この点を熟知しているから、「押し紙」問題は黙認しているのだ。裁判所は、サラ金の武富士にはメスを入れても、新聞社に対しては、メスを入れない。

実はこのような構図は、戦前・戦中にも存在した。政府が新聞用紙の配給の権限を握ることで、新聞社を大本営の広報部に変質させていった歴史がある。かつては新聞用紙の配給制度がメディアコントロールの装置として機能し、戦後は「押し紙」制度が公権力による世論誘導の装置として定着したのである。この点を認識することなしに、日本の新聞ジャーナリズムの本質を捉えることはできない。

◆新聞ジャーナリズムの衰退を生み出す「押し紙」

新聞ジャーナリズムの衰退について考える時、大別して2つの視点がある。ひとつは精神的なもの(記者魂の欠落や勉強不足)にその原因を求める論法である。もうひとつは物質的なもの(記者クラブ制度、税制の優遇措置、「押し紙」問題など)にその原因を求める論法である。哲学上の言葉を使うと、観念論の論法と唯物論の論法の違いということになる。

前者の典型としては、「望月記者と共に歩む会」である。このグループは、それぞれの記者が東京新聞の望月記者のような積極性を発揮すれば、ジャーナリズムはよくなるという考えのようだ。新聞ジャーナリズムに対する手厳しい批判は、わたしが調べた限りでは、1960年代には始まっているが、現在まで、その評論の大半が観念論に基づいたものである。結果、ほとんど何も変わっていない。

これに対して後者の例としては、既に述べたように、記者クラブ制度、税制の優遇措置、「押し紙」問題などがある。これらの中で最も問題なのは「押し紙」である。と、いうのも「押し紙」問題は、不正な金銭がらみで、しかもその金額が尋常ではないからだ。

◆販売店主の自殺者などを生み出す「押し紙」

新聞社による「押し紙」代金の回収は、販売店主の自殺者などを引き起している。かつてサラリーマン金融や商工ローンの取り立てが大きな問題になったことがあるが、その比ではない。しかも、問題の中心にいるのが、「社会の木鐸」である新聞社であることに、大きな問題がある。

出版社も、そのほとんどが「押し紙」問題を扱わない。新聞の書評欄から、自社の書籍が締め出されると、大きな打撃を受けるからだ。

読売新聞社会部(大阪)は、内部告発を奨励することで、そのジャーナリズム性をPRしているようだが、こうした戦略を読者はどう考えるだろうか?

 

本稿は『メディア黒書』(2024年09月27日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

訴状を公開! 毎日新聞の「押し紙」裁判、約1億2000万円を請求、前近代的な新聞の発注方法で被害が拡大 黒薮哲哉

福岡・佐賀押し紙弁護団は、10月1日、毎日新聞の元店主Aさんが大阪地裁へ提起した「押し紙」裁判の訴状(3月20日付け)を公開した。

それによると請求額は、1億3823万円。その内訳は、預託金返還請求金が623万円で、販売店経営譲渡代金が1033万円、それに「押し紙」の仕入れ代金が1億2167万円である。

訴状の全文(P01-P02)

訴状の全文(P03-P04)

訴状の全文(P05-P06)

◎訴状の全文(下記からダウンロード可能)
http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2024/10/MDK241001.doc

預託金とは、広義の保証金のことである。身近な例としては、不動産賃貸の敷金の類いである。新聞販売店を開業するに際して、新しい店主は新聞社に預託金を預ける。Aさんの場合は623万円だった。

経営譲渡代金というのは、販売店を廃業して後継者に営業権を譲渡する際に、前任店主が受け取ることが出来る営業譲渡金のことである。新聞部数に連動して金額が異なる。Aさんのケースでは、1033万円だった。

しかし、Aさんは預託金も経営譲渡代金も受け取ることが出来なった。毎日新聞社が「押し紙」によるAさんの未払い金額から、これらの金額を相殺したからである。

今回、提起された「押し紙」裁判のひとつの特徴は、販売店に搬入する新聞の部数の決定方法である。訴状によると、「新聞販売店の注文は、FAXやメール等により行われるのが普通であるが」、Aさんの場合は、担当員の訪店時に部数の増減を報告するだけで、販売店に搬入する新聞の部数は毎日新聞社が決定していた。注文方法そのものが、前近代的なものだった。

ちなみに大半の新聞社は、販売店に送付する新聞代金の請求書に、「新聞部数を注文する際は、購読部数に予備紙等を加えたものを超えないでください」という注意書きを記している。毎日新聞社の場合も例外ではなかった。

しかし、逆説的に見ると、この注意書きは新聞社が俗に言う「積み紙」をも禁止していることを意味する。言葉を替えると、販売店に搬入される新聞の部数のうち、販売店経営に真に必要な部数(実配部数+予備紙)を超えた部数は、違法な部数である。独禁法の新聞特殊指定に抵触する。

メディア黒書は、今後、Aさんの「押し紙」裁判を報じていく。

本稿は『メディア黒書』(2024年10月2日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

「押し紙」裁判をどうみるか? モラル崩壊の元凶「押し紙」── 毎日新聞押し紙裁判提訴のお知らせ 江上武幸(弁護士)

 
 

◆「押し紙」の実態

兵庫県で毎日新聞販売店を経営してきたA氏を原告とする1億3823万円の支払いを求める押し紙裁判を大阪地裁に提訴しました。

請求金額の内訳は、預託金返還請求金が623万円、販売店経営譲渡代金が1033万円、押し紙仕入れ代金が1億2167万円です。

この事案の特徴は、Aさんが廃業後の生活に予定していた預託金623万円と販売店譲渡代金1033万円の計1656万円を受け取れないまま、無一文の状態で廃業に追い込まれた点にあります。

これまで、銀行負債を抱えたまま廃業せざるを得なくなった販売店は多数見聞きしてきましたが、信認金(預託金)や販売店譲渡代金を一円も受け取れないまま廃業に追い込まれたケースは初めてです。

販売店経営者は、廃業せざるを得なくなった場合でも、信認金や販売店の譲渡代金があれば、当面の生活費に充てたり、自己破産の弁護士費用に充てることができていました。しかし、Aさんの場合は、蓄えもなく銀行負債を抱えたままで経営が続けられなくされたうえに、信認金や販売店譲渡代金も新聞の仕入代金に充当され、翌日の生活費も残らない状態で廃業させられました。

幸い、Aさんは単身者だったため、経営者仲間の協力でアルバイトをしながら生活を維持することが出来ています。今年の熱い夏、毎日汗水を流しながら新聞配達とオリコミ広告のポスティングをしているAさんには頭が下がります。

しかし、Aさんに奥さんや子供さんがいたとしたら、その生活はどうなっていたでしょうか。考えるだけで恐ろしくなります。

◆新聞社のモラル崩壊

月刊誌『ZAITEN』の5月号に、廃業を申し出た読売新聞の販売店主が本社から廃業を再三慰留されてやむなく経営を続けていたところ、大雪に見舞われ欠配しないように店に泊り込みしたことから体調を崩し、数日、店を休み電話にもでなかったところ、販売店継続意思の放棄であるとして読売から販売店契約を強制解除され、販売店譲渡代金が支払われなくなった記事が掲載されていました。

また、私共が担当した広島県福山市の濱中さんに対しても、読売は補助金の不正受給を理由として大阪高裁が1000万円を超える損害賠償を認めた判決に基づき、浜中さんの預金を差し押さえる状況が生まれています。

共存共栄をうたい文句に販売店経営者に莫大な押し紙仕入代金の支払いを続けさせておきながら、廃業した途端、販売店主に残されたわずかな生活資金まで取り上げてしまう新聞社の非道な仕打ちには言葉も出ません。新聞社のモラル崩壊もついにここに極まれりという感じがしています。

大手新聞社ですら、販売店経営者の最後の命綱ともいうべき営業保証金や販売店経営譲渡金まであてにしなければならないほど危機的な経営状況にあることを示しているのかもしれません。

ABC部数の減少がこのままのペースで進むと、新聞社の経営は10年も持たないのではないかと危惧するむきもあります。

そうなれば、新聞の消滅と共に押し紙もいずれなくなります。長い間、「押し紙」は新聞業界の最大のタブーとして国民の目から隠し続けられてきましたが、ネットの普及によって「押し紙」を検索すればおびただしい情報があふれており、もはやタブーでもなんでもありません。失われた30年を経た現在、日本の現状をみると新聞社のモラルの崩壊がシロアリが巣食うように全国津々浦々にまで及んでおり、もはや日本人の美徳であったモラルの取り戻しは絶望的なようにも感じております。

最後のよりどころというべき裁判所が、この問題にどのような姿勢をしめすのか、これからも押し紙裁判の行方に関心を寄せて頂くようお願いして、毎日新聞押し紙訴訟提起の報告と致します。

*福岡地裁の西日本新聞の2件の押し紙訴訟の内1件は、来る10月1日に結審予定です。最終準備書面を提出しますので、その内容は次に報告させて頂くことにします。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長。綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年09月21日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

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