1978年7月13日に安西マリア事件の公判がスタートし、関係者の新証言に注目が集まった。8月7日の第2回公判では、安西が証言台に立ったが、2月3日に竹野が衣籏を殴った後で、安西と母親を呼び出した際、竹野の言い放った脅し文句について検事の質問に答えて次のように詳細の説明した。

「ワシは前科24犯だ、人を殺すことなどなんとも思わん。警察もこわくはない。背中のイレズミをなんだと思ってるか、これを使ってホリプロとのもめごとと解決すしたんだって。こなると広島から若いものを連れてこなくちゃならんな、などといわれて、私は泣き出してしまいました」

安西は竹野エージェンシーに所属する前、ホリプロ傘下のプロダクションにいたが、安西をスカウトした人間が800万円の借金をつくった。それが移籍の際、問題となり、違約金として請求されたが、竹野は背中のイレズミを見せることでチャラにしたのだった。

つまり、大手芸能プロダクションであるホリプロからタレントを奪うのに背中のイレズミがモノを言ったというのだ。

「あなたに敗けそう」(1975年3月20日東芝EMI 作詞=なかにし礼 作曲=井上忠夫)

◆「社長と寝た方がいい」

これまで何度も述べている通り、芸能界には多くの大手芸能事務所が加盟する日本音楽事業者協会という業界団体があり、タレントの引き抜きを禁じ、独立阻止で一致団結している。だが、この芸能界の秩序は、暴力によって時にねじ曲がるというのである。

これは、なぜ暴力団関係者が芸能事務所を経営しているのかということに1つの答えが見出されると思う。暴力は芸能事務所の経営に役立つツールなのだ。

さらに、安西の証言は続く。安西は検事から「竹野社長が、前科24犯とか、広島から若い者を呼ぶといったのはまちがいありませんね」と訊かれ、「はい。ワシを裏切ったらどうなるかわかっとるのか。殺すことなんかなんでもないし、おまえと寝ようと思えば寝られるんだって……」と答え、嗚咽を漏らした。

そして、安西は、新しい契約書にサインをしてから、新曲の作詞家から「社長と仲が悪いのはまずい、社長と寝た方がいいんじゃないか」などと言われたという。これを聞いた安西は「竹野社長は私と関係しようとしていると感じました」という。

4月8日、安西は失踪したが、その理由は「社長に、コンクリートづめにして海に沈めなければわからないなどといわれたので、逃げ出してしまいました」と説明している。

◆加害者社長はほどなく復帰、被害者マリアは引退へ

年が明けた79年1月19日、東京地裁で竹野に懲役10ヶ月、執行猶予3年の有罪判決が言い渡された。だが、当時の週刊誌は、「私はマリアに脅迫、強要をした事実はありません。私が期待していた判決ではありません」「私も許されるならば、芸能界の仕事をしたいのですが……」といった竹野のコメントを紹介し、擁護し、にこやかに笑う竹野の写真も掲載している。そして、判決が出た1年後の80年に竹野は奥村チヨの所属事務所としてフェニックス・ミュージックを設立し、芸能界に復帰した。

一方、事務所に謀反を起こし、芸能界の暗部を告発した安西の方は、引退を余儀なくされた。長らく日本を逃げるようにしてハワイに移住していたが、失踪事件から22年後の2000年に芸能界に復帰した。なお、所属事務所は、バーニング系と言われる10-POINTだった。
安西は復帰後しばらく芸能活動をしたが、テレビ番組で2013年に鬱病を告白し、2014年3月15日、急性心筋梗塞で他界した。

▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

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