前回は、選り好みさえしなければ大学に入学することは極めて簡単な時代になっている(数字的には大学受験者よりも大学の入学定員の方が多く実質的には既に「希望者全入」状態なのだ)ことを述べた。

他方、学校教育への不信感からか、小学生で猛烈な塾通いをする児童が増加している現象にも言及した。どちらにせよかつてのように東大を頂点とする「超硬化した学歴社会」は、かなり緩和されたものの、未だに学歴(大学名)への信仰は揺るぎのないものとして、保護者や社会に依然共有されている。

その学歴(大学名)信仰は、大学の入試難易度(偏差値)にほぼ並行し信頼度が上がり、そこにこれまでのイメージが加わり総合評価が構成される。実際偏差値の高い大学にはよく勉強のできる学生が集まり入試倍率も高く、偏差値の低い大学には定員割れを起こしているところが多い。

ただし、大学は生き物だ。各大学を取り巻く状況や教鞭を取る専任教員の力量、経営方針などによって5年も経てば、内実が激変する。

◆同志社大学社会学部メディア学科は教授陣の質に疑問あり!

例えば、同志社大学社会学部メディア学科は、かつての文学部新聞専攻を出自としており、西日本の私学の中でもトップクラスの偏差値の高さである。

だが、在籍している専任教員はとてもではないが、学生のレベルにふさわしい人材とは言い難い。メディア学とは何の関係もない江戸時代の遊女の研究を主としている者、メディア学を教えていながら本人がメディアを悪用し、名誉棄損で2度も民事裁判で敗訴している者、単著が一本も無い者、強制的に学生を割り振らないと一人もゼミ生が集まらないほど人格自体が嫌悪されている者……。

このような内実は受験生が知る由もない。大学難易度を示す偏差値の数字と、過去に多くの有名教員が在籍していたことや「同志社大学」というブランドで入学してくるのだ。大学業界を長年ウオッチしている者からすると、現在の在学生には気の毒だが、決して受験生にはお勧めできない受験先である。

◆他大買収で凋落した南山大学のブランドイメージ

逆もまた真である。愛知県にある中京大学と言えば、言葉は悪いがかつては決して学業面で評価の高い大学ではなかった。スポーツでのみ全国区に名前の知れた大学であったと言っても過言ではない。

愛知県には多数の大学が乱立していることと、この地域の特性として、成績上位生徒以外が県外の大学に進学することは珍しい。公立高校で平均以下のレベルの学校からは大学進学で県外進学者がゼロという学校も珍しくない。

そんな愛知県で長年私学のトップに君臨していたのは南山大学だった。しかし、南山大学は瀬戸市にある聖霊大学を1995年に買収したあと、急激な凋落に陥る。

それまで決して競争の相手にすらならなかった中京大学とさえ、現在では学部により偏差値で肩を並べるというところまで下降している。偏差値以上に南山大学のイメージ低下は愛知県の中で顕著だ。

こうやって見てくると、大学選択の意味がさらに困難に感じられてくる。学歴を重視する向きには尚更だろう。今、好評を得ている大学が将来もその「誇り」を保持させてくれる保証はないのだ。

「学歴を将来のステータスに」と考えている方には、このような変動が(良い方向にも、悪い方向にも)生じる可能性があることを知っておいて損はない。

(田所敏夫)

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