(屁世〔へいせい〕26年10月26日)

「ねんごろ」なんて方言は使うな!

国会で「邪馬台国」処分発動!方言札が復活……の巻

全国の大きなお友だちのかたがた、ごきげんよう。
屁世滑稽新聞のお時間です。

きょうは国語学者の金玉一腫彦(はれひこ)先生をお迎えして、このごろの
言葉づかいの問題について、お話しをうかがいたいと思います。

国語学者・金玉一腫彦先生と
児童文学翻訳家・花子先生との会話

花子おばさん 「いらっしゃいませ、金玉一先生。お会いできてまことに光栄です。」
金玉一先生 「ごきげんよう、お話しのおばさん。こちらこそ、よろしくお願いします。……この“ごきげんよう”という挨拶(あいさつ)の言葉は、相手への思いやりと、温かくてこまやかな心づかいが感じられて、とても素敵な日本語ですよね」
花子おばさん 「わたしの“お株”をとられちゃいましたが、まったく先生のおっしゃるとおりですの。わたくしは女学校でこの挨拶を、文字どおり“身につけた”のですが、すばらしい教育と礼儀の心に出会うことができて、学校にも親にも、そして学友たちにも感謝しておりますわ」
金玉一先生 「ことばは心のかがみです。心が乱れておると、おのずから言葉が乱れます。逆もまた真ナリで、乱れた言葉づかいをしていると、心が自然と荒(すさ)んでしまいます」
花子おばさん 「おっしゃるとおりです。わたくし、子供のための読み物を書いてきたものですから、昨今の大人の社会の言葉の乱れが、子供の言葉と心を乱してしまい、これからの日本が恐ろしい退廃と混乱に向かうのではないかと、本当に心配しておりますのよ」
金玉一先生 「きょうお話ししたいのは、まさにそういう、大人の社会の、言葉の乱れの問題です」
花子おばさん 「では先生、お願いいたします」

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金玉一先生 「花子先生、ご出身は山梨県でしたよね? お国ことばには……“方言”とも申しますが……通じていらっしゃるでしょう?」
花子おばさん 「あたりまえジャンか! もしも方言がなかったら世の中のことばも人情も、ずいぶんと寂(さび)しいものになるズラ。国語学者の金玉一先生なら、この気持ち、理解してクンロ!」
金玉一先生 「ワレも方言の大切さはガギ(=子供)のころから知っとったっタ。そんなわけで還暦すぎた今になっても全国の方言の勉強しとっケ。はぁ~どんどはれ! ところで花子センセイ、昼メシいっしょにアベっ!」」
花子おばさん 「あたし先生のこと、江戸っ子だと思っていましたが、かなりハードな方言をお使いになるのね」
金玉一先生 「は~ぁ、ワレの祖父は盛岡人だったッタから、岩手のお国言葉になじんできたっケ」
花子おばさん 「まあ!そうでしたの。ところで“いっしょにアベっ!”って何ですの? 安倍総理を詣(もう)でる義理なんか、あたしには無くってよ」
金玉一先生 「ええっと、標準語に戻って説明しますと、“アベ”ってのは“行こう”という意味です」
花子おばさん 「あらまぁ、そうなんですか? だったら自民党の選挙演説会なんかで、安倍さんのファンが当選を記念して『行け行けガンバレ!』ってな意味で『アベっ!アベっ!』なんて方言丸出しで叫んだら、単に罵倒(ばとう)しているみたいに誤解されて、お巡(まわ)りさんにつまみ出されちゃうワね(笑)」
金玉一先生 「とかく方言は誤解をうけやすい。標準語は、さまざまなお国言葉が入り交じる都会では、“共通語”として使うのに、たしかに都合がいいわけです。都会に流れてきた人々がそれぞれに使うお国言葉の多様性を切り捨てて、単純化できるわけですから。ちょうど江戸時代に新吉原の遊廓(ゆうかく)で使われていた“廓(くるわ)ことば”のようにね。全国各地から売られてきた遊女の、生まれ育った土地で身につけた“お国言葉”を消毒して、遊廓のなかだけで通用する“標準語”を女の子たちに使わせた。標準語というのは、そういうたぐいの、一種の経済的な必要性から発展してきたわけです」
花子おばさん 「いわゆる“花魁(おいらん)ことば”のことですね? “アリンスことば”とも呼ばれていますよね」
金玉一先生 「さようでありんす」

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花子おばさん 「ところで地方の方言のなかには、大昔に首都でつかわれていた主流言語が、ほとんどそのまま廃(すた)れずに保存されたような言葉もありますわよね?」
金玉一先生 「これは私の持論なのですが『言葉は時代とともに絶えず動いて変化する』のですよ。そしてあちこちの田舎から多くの人が集まってくる都市ほど、それも大都市ほど、そこで使われる言葉は移り変わりが激しいわけでして……。そういうわけで、中央政権から離れたいわゆる“辺鄙(へんぴ)”な地方ほど、かつて中央の都会で使われていた言葉が、あまり損(そこ)なわれずに今もずっと残っていたりするわけです」
花子おばさん 「そのお話から私がいま連想したのは、中国から伝来して日本文化の基礎をかたちづくることになった、仏教思想とか漢字のことですのよ。仏教はインドで起こって仏典も“梵語(ぼんご)”すなわちサンスクリットで書かれていたけれど、それが中国に伝わって、中国では梵語から漢文に翻訳されて、こんどはその漢訳の仏典が、日本に伝来しました。そして今や仏教の教えや考え方は、日本人の精神文化の土台になっているわけですけど、その中国では千数百年があいだにあまりにも激しく社会が変わりつづけたから、漢訳仏教の真髄がほとんど残っていませんものね。それらを損なわずに保存してきたのは、地理的には東アジアのどん詰まりで、しかも四方を海に囲まれている島国ニッポンの、お寺である場合が多い……」
金玉一先生 「おっしゃるとおりですね」
花子おばさん 「漢字だってそうですワ。たとえば現代日本では、『明』という漢字の音読みには、呉(ご)音の『ミョウ』と、漢音の『メイ』と、唐(とう)音の『ミン』の三種類がありますもの」
金玉一先生 「あらためて復習しておきましょう。
“漢音”は7~8世紀に遣唐使や留学僧らがシナから持ちこんだ唐の首都・長安の発音でした。“呉音”は“漢音”が導入される以前に日本に定着していた発音でして、大陸シナの南方から直接に、あるいは朝鮮半島の百済(くだら)を経由して日本に伝わったというのが通説になっています。いっぽう“唐音”は、鎌倉時代以降に、禅宗の留学僧や貿易商人らが日本に持ち込んだ“漢字の読み方”なのです。……これらは日本に持ち込まれた結果、現地の正確な発音でなく、使い手の日本人による“訛(なまり)”を帯びることになりましたから、『当時のシナ現地の発音を音声学的に正確に再現している』とまでは言えないでしょう。とはいえ、もちろん現代中国ではこんな大昔の言葉は使われていないわけですから、シナのむかしの言葉が“絶海の島国”ニッポンでみごとに保存されてきた、と言えるわけです」
花子おばさん 「アジア大陸のシナ文明でかつて使われていた言語が、アジアの辺境の、絶海の日本列島で現在まで保存されていた……というのは、なんだかロマンあふれるお話しですわね。この構図を日本に当てはめてみると、たとえばニッポン本土と、沖縄に代表される琉球列島の関係になりますわね」
金玉一先生 「さすが花子センセイ、ズバリそのとおりです。現代の琉球方言には、千年前のむかしの日本の政都で用いられていた言語が、そのまま“凍結保存”されているといってもよいのです。このあたりの詳しい研究成果は、先年逝去(せいきょ)された沖縄の言語学者である外間守善(ほかま・しゅぜん)さんが数多くの書物をのこしておられるので、たとえば中公文庫の『沖縄の言葉と歴史』あたりからお勉強されるとよいと思います」
花子おばさん 「沖縄といえば“めんそーれ沖縄”ですよね?」
金玉一先生 「まさに、この沖縄方言として一番よく知られた挨拶の言葉が、じつに日本の古語の“凍結保存”だと考えられています。“めんそーれ”というのは“いらっしゃいませ”という意味ですが、“いらっしゃいませ”という意味の日本の古語である“参(まい)り候(そうら)え”が凍結保存されたものだと考えられているのですよ。現代にいたって少しばかり言い方は変わったけれども、“マイリソーラエ”が“メンソーレ”になったというわけ」
花子おばさん 「ニッポン本土の大昔のみやこで使われていた古語が、沖縄に伝わり、かの地で“凍結保存”されて、現代でも方言として残っているわけですね。“めんそーれ”の他に、どんなものがありますか?」
金玉一先生 「たとえば沖縄方言で、昆虫の“とんぼ”のことを『あけじゅ』といいますが、これは万葉集や日本書紀の時代に“とんぼ”を指す言葉として使われていた『阿岐豆・秋津羽(あきづ)』という古語が、現代にそのまま生きのびた言葉です。“愛(いと)おしい”という感情を沖縄方言で『かなさん』といいますが、これも“いとおしい”を意味する日本の古語『かなし』が、ほぼそのまんまの形で現代に生きのびたものです。こういう事例はざらにあるのですよ」
花子おばさん 「ニッポン本土に住んでいる我々は、沖縄を“日本文化からかけ離れた異郷”のように考えがちですけど、じつはそれは大まちがいで、現実には古来の日本がもっていた豊かな精神文化をそのまま保存している“日本のふるさと”みたいな存在になっている、ということですね」
金玉一先生 「おっしゃるとおり。非常に興味ぶかいことですが、当世では、ニッポン本土よりも古来の日本の伝統を忠実に受け継いできたのが、沖縄のような琉球の島々だということになります」
花子おばさん 「東京に住んでいる私たちこそ“ニッポン”の代表格だ、という世間常識が、ガラガラと音をたてて崩れていく感じがしますわ」
金玉一先生 「歴史を長い目でみた場合、現在の“東京首都圏”すなわち武蔵国(むさしのくに)が日本の中心だ、という現代人の通念なんて、ホントに例外的で一時的なものにすぎないでしょう。そういう考えはチッポケだってことですよ。福島原発災害のせいで首都圏一帯が本来なら居住不能な放射能汚染地域に成りはてた……という特殊な事情もありますけれども、この先いつまでも日本の首都が“江戸”東京にあり続けるわけじゃないでしょうからね。首都が数百年ごとに大きく変わってきたのは、日本の歴史上の、動かしがたい事実なのですから」
花子おばさん 「たしかに、このままじゃ済まない、という危機感はひしひしと感じておりますわ」
金玉一先生 「言葉についていえば、日本のハシッコの異郷だと思われてきた琉球の国ぐにこそが、古来の日本の言語文化を忠実に保存してきて、“日本文化のひな型”になっているのです。これは現在の日本の首都東京にすむ我々にとっては、まったく予想外の“逆転の発想”……ということになるでしょうが、しかしこの逆転現象は沖縄だけではないのです」
花子おばさん 「日本の伝統的な言葉づかいが、首都圏からむしろ離れた場所で、生き続けているということですね?」
金玉一先生 「さようでありんす」
花子おばさん 「先生いつから遊女になったの?」
金玉一先生 「いやいや、ほんの冗談(笑)」

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花子おばさん 「金玉一先生がこのところ憤慨しておられる事柄というのは、いまうかがったお話しと関係があるのですね?」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。先日、最暗黒の東京は永田町の国会議事堂内で起きた『ねんごろな関係』という表現をめぐる“方言札”事件に、わたしは心の底から怒りを覚えておるのですよ」
花子おばさん 「国会動物園のことですね? わたくしは児童文学がらみで、アソコで吠(ほ)えている奇妙な動物たちの様子にしか目をむけてこなかったので、『ねんごろ』事件については疎(うと)いのですが……。チョックラご説明してクンロ(笑)」
金玉一先生 「ご存じのように、9月はじめの“第二次大戦降伏記念日”の翌日に、安倍改造内閣が発足して5人の女性議員が大臣になりました。……が、ほどなく、そのうちの何人かが、国際的には決して容認されないネオナチ党とか“在特会”と称して排外主義の実力行使を行なっているならずもの集団と、親密な関係であることが世に知れわたりました」
花子おばさん 「それって日本の報道機関、ジャーナリズムが“調査報道”を行なった成果ですよね?」
金玉一先生 「ウウン、そうじゃネェじぇ! 実際はそうはイガネガッタノス。実際はネオナチ党の党首やら在特会の幹部やらが、議員と会ったことをインターネットの自分のブログで宣伝して、得意満面になっていたわけでした。つまりネオナチやら排外主義団体が、ときの政権との“ねんごろ”ぶりを自(みづか)ら公然と発表してきたわけで、そういう不特定多数の世界の人々にむけて、何年も前から公表されてきたものが、ネットの世界で“くちコミ”で知れわたり、マスコミが今ごろになって、それに飛びついたにすぎません」
花子おばさん 「マスコミの長所は“速報性”だって宣伝されてきたけど、現実は大ちがいなのね?」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。今や現実には、ネットで無数の“名無しさん”が何処(どこ)かからスクープ情報を見つけてきて、それを“2ちゃんねる”掲示板なんかに晒(さら)して、まずは雑食性ハイエナの週刊新潮とか週刊文春のような低俗週刊誌がそれをそのまんま使って記事にして、それで騒ぎが大きくなると大新聞がようやく書き立て始め、テレビのワイドショーが騒ぎ出し、そうやって世間で大騒ぎになったことを最終認知するかたちで、ようやく民放テレビのニュース報道になり、それを見計らってNHKもニュースで報じる……という仕組みになっておるのです」
花子おばさん 「まあひどい! それじゃマスコミの“速報性”なんて大嘘だわね。正しくいうと“遅報性”ってことね」
金玉一先生 「さよう。もぅひとつ言えば“痴呆性”でもありんす(笑)」
花子おばさん 「漫然と新聞なんか読んでたら、文字どおり“知恵おくれ”になっちゃうわ」
金玉一先生 「しんぶんや てれびを頼れば 馬鹿になる。罵笑……(笑)」

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花子おばさん 「で……“ねんごろ騒動”の話ですけど……」
金玉一先生 「あんれ!忘れるとこだっケ! ときは先般十月七日、ところは国会議事堂で、ハァ~ベンベン!」
花子おばさん 「おやまあ! 浄瑠璃(じょうるり)の義太夫節みたいになってきましたわ。さすが当世随一の国語学者の先生ですわネ。伝統的な大衆芸能にふかい造詣(ぞうけい)をお持ちでいらっしゃる……」
金玉一先生 「いいえ……ちょっと囓(かじ)ってるだけですから(笑)」
花子おばさん 「おぉっと! “ミカンのようで~ミカンでないベンベン、ダイダイのようで~ダイダイでないベンベン♪”で有名な落語『豊竹屋』のオチがいきなりキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」(https://www.youtube.com/watch?v=w17YjaZ0EIU
金玉一先生 「某巨大ネット掲示板みたいなご反応に、ワレびっくりこいたっケ~!。とにかく話を進めますが……(笑)。10月7日の参議院予算委員会で、民主党の小川敏夫議員が、山谷えり子国家公安委員長を相手に、“在日特権を許さない市民の会”通称『在特会』の連中と写真撮影したほどの親密ぶりを追及していたわけです。5年まえ、すでに山谷えり子は、国会議員として“在特会”の活動を支援していましたが、“竹島の日”に現地で講演をするため松山市を訪れた際、“在特会”関西支部の増木重夫支部長らが山谷議員の宿泊先のホテルを訪れて、増木支部長の日記によれば『少々遅い“夜明けのコーヒー”を飲みながら午前中を過ごした』のだそうです」
花子おばさん 「いかにも中途半端に年配の人が書きそうな文章ですわね。『夜明けのコーヒー』というのは1968年に大ヒットしたピンキーとキラーズの『恋の季節』のなかの有名なフレーズだわ。“夜明けのコォヒィ~♪ ふ~たりで飲もうと~♪ あ~の人が言ったぁ~♪ こぉ~いのきせ~つよ~♪”(http://www.youtube.com/watch?v=fr3VNZmO8dY) 作詞家・岩谷時子先生の、当時とすればとってもホットな歌詞でした」
金玉一先生 「この当時は“夜明け”という言葉には今とちがって特別な思い入れがありましたからねえ……」
花子おばさん 「そういえば岸洋子さんも、あの頃、“夜明けのうた”(http://www.youtube.com/watch?v=7LL-Atpsuec )という名曲を歌っていたわ。日が昇る前後の“夜明け”というのは、澄みきった涼しい外気に包まれながら、お天道さまの登場を迎えるという、なんとも厳粛な瞬間ですよね」
金玉一先生 「岸洋子さんの“夜明けのうた”はちょうど今から50年前の、1964年の秋に発表された歌なんですよ。これも作詞岩谷時子・作曲はいずみたくという、ピンキラの“恋の季節”と同じコンビが作った歌で、9月に岸洋子さんがSPレコードが出て、
翌10月に坂本九ちゃんが歌ったやつが出たんです」
花子おばさん 「まあ!ずいぶんとお詳しいのね」
金玉一先生 「わたしが流行歌ずきの学生の時分でしたから。それにちょうど東京オリンピックの開催時期と重なっていたんですよ。……これは私の邪推なんですけどね、東京オリンピックには、戦争で徹底的にぶちのめされて奈落の底に転落したニッポンが庶民社会のレベルで国際的に再浮上して“完全復興のお披露目”を行なう、という重大な意味がありました。だから“日がまた昇る”ことへの厳粛な期待感をうたった歌だったんじゃないかと、私には思えるのです」
花子おばさん 「つまり50年まえの日本では、“夜明け”というのは“日の本の国ニッポン”がふたたび世の中に顔を出す、という、国民を元気にするような隠れた意味があった、ということですか。聖徳太子が1400年まえに中国の“隋”帝国皇帝に送った外交挨拶状の『日出(いづ)る処の天子、書を日没する処の天子に致す』を、思い起こすご指摘ですわね」
金玉一先生 「繰り返しで恐縮ながら……さようでありんす(笑)。1960年代、わたしが青年だったころは『夜明け』というのは、人であれ、われらが日本という国家であれ、親に庇護(ひご)されてきた子供の時代を脱して、広く大きな社会に登場する直前の、身が引き締まるような緊張感と期待感、夢と希望、厳粛な気持ちを、象徴するものだったんですよ。たとえば東京オリンピックから2年後の1966年、昭和41年には、フジテレビが『若者たち』という連続ドラマの放映を始めたのですが、青春ドラマの先駆けというべきこの番組の主題歌『若者たち』は、黒澤明監督の息子さんの黒澤久雄が中心となって結成されたフォークグループ“ザ・ブロードサイド・フォー”が歌っていました」
花子おばさん 「お詳しいのね。あなたの青春だったのね……」
金玉一先生 「黒澤ジュニアは、当時は“黒パン”なんて呼ばれて、流行の最先端をいく“ナウなヤング”でした(笑)」
花子おばさん 「いまの若い人たちには到底理解できないことよ。ぜんぜん感覚が違いますもの。“黒パン”って、当時インテリのかたがたがカブレていたソ連の主食のライ麦パンのことでしょ?」
金玉一先生 「なるほどねぇ……。でもそうじゃない。黒澤久雄は昭和20年、戦争が終わった年に生まれたんですよ。ちなみに吉永小百合さんや、おすぎとピーコさん、サックス奏者の坂田明さん、ロックの世界ではエリック・クラプトンや絶叫ボーカルの時代を切りひらいたディープパープルのイアン・ギラン、それにタモリさんなんかが、この年に生まれています」
花子おばさん 「あゝそうですか。だ~からタモリは、坂田明や3ヶ年上の山下洋輔なんかとツルんで“全日本冷やし中華愛好連盟”の結党とか、“ソバヤソバ~ヤ♪”(https://www.youtube.com/watch?v=Xx8mNJLIwbU )みたいなワールドミュージックを作るなどの華々しいご活躍ができたのね。戦後日本の文化をいろどりを与えたあのかたがたが、同年代だったというのは興味ぶかいわ」
金玉一先生 「“黒パン”の話に戻りますが、黒澤久雄さんにそんなアダ名がついたのは、ロシアとは関係なかったみたいですよ。終戦直後の物資欠乏の混乱した時代に、幼い久雄ちゃんだけは、洋風の白いブリーフをはいていたので、友だちから『や~い! 男のくせに女の子のパンツはいてるぞ~! 黒澤のパンツや~い! 黒パン黒パン!』と冷やかされて、それがあだ名の由来だそうです」
花子おばさん 「ご家庭がわりあいに裕福でモダンだったということね。お父さまが当時絶頂のエンターテインメント産業にいたおかげだったのね」

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金玉一先生 「なんだか話が大脱線してしまいましたが、“在特会”関西支部長が山谷えり子の宿泊先をたずねて『少々遅い“夜明けのコーヒー”を飲みながら午前中を過ごした』という話でしたね。話をそこに戻しましょう」
花子おばさん 「それは秘密の逢い引きじゃなかったんでしょ?」
金玉一先生 「もちろん。だって在特会の増木支部長が自分のウェブサイトで得意げに公表していたのですから。こんなふうに、ほら!」

今やあまりにも有名な「山谷えり子議員と関西“在特会”連中との
記念写真。平成21(2009)年2月21日、当時の「在特会」関西支部長
(同年4月、兵庫県西宮の小学校長を脅し暴力行為法違反で逮捕され
支部長を解任された)増木重夫ら在特会一行が「竹島の日」講演会
のため松江を訪れた山谷えり子を、宿泊先のホテルに「押しかけ」、
「少々遅い『夜明けのコーヒー』」を飲みながら午前中を過ごした、と
増木自身がブログで報告している。


「在特会」関西支部長として山谷えり子の宿泊先ホテルに「押しかけた」
増木重夫の報告(下記の彼のブログから、引用者が日記部分を画像コピー
し、動画部分を《中略》して該当箇所のみ黄色でマーキングした。
http://mid.parfe.jp/gyouji/H21/2-21-hirosima-matue/top.htm
……野田国義議員が国会で追及したのは、すでに公表されている
山谷議員と在特会との、この親密な関係についてだったのだが、
安倍総理はじめ自民党の幹部連中は血相を変えて野田氏の「懇ろな
関係」発言を、あたかも性的関係のように歪曲宣伝して反撃した。
なぜか? 写真にあるように、安倍総理自身も在特会と「懇意の仲」
だったからだ。

花子おばさん 「ここまであからさまに公表していたら、否定しようがないですわね」
金玉一先生 「ところが自民党としては、いまや国際的に悪名が高い排外主義団体と、安倍現政権の国家公安委員長である山谷えり子が、長年親密な関係を続けてきたことが世間にバレると本当にヤバい、と恐れを成したのでしょう。この追及問答のさなかに外野席の議員が『宿泊先まで知っているというのは懇(ねんご)ろの関係じゃないのか?』とヤジを飛ばすや、すぐにそっちに矛先(ほこさき)を変えて反撃に転じた」
花子おばさん 「“話の腰を折った”わけですね」
金玉一先生 「そのとおり。自民党は自分らへの追及をかわすために、ヤジをはさんだ第三者にタックルをかけて、この無関係なヤジ男を新しい攻撃標的に仕立てて逃げたわけです。ちなみにこうやって図々しく批判の矛先を変えて、論争の被告席から逃げ果(おお)せるという手口を、アメリカなどの政界用語で『スピン(spin)』と言います」
花子おばさん 「スピンって“回転させる”って意味でしょ?」
金玉一先生 「元々はテニス試合あたりから転用された言葉らしいですよ。つまり相手が強烈な決めダマで攻めてきたときに、ラケットでボールに回転を与えて打ち返すと、返球は相手が想定外の場所に飛んでいくから、形勢不利を一転して優勢に変えることが出来る。自民党はそのテクニックを使って逃げ果(おお)せたわけです」
花子おばさん 「児童文学ばかりやってきたから、さすがの私も、そういう種類の英語には疎くなっておりました。……ということは、『ねんごろな関係じゃないか?』とヤジった議員が、哀(あわ)れ自民党のラケットでぶん殴られて、回転しながら民主党席に飛んでいった……ということになりますわね」

国家公安委員長・山谷えり子が、国際的に悪名高い人種差別団体「在特会」
(正式名称・在日外国人の特権を許さない市民の会)と昵懇(じっこん)の関係
であるという問題を、10月7日の参院予算委員会で民主党の小川敏夫議員が
追及していたが、その質疑応答中に、「宿泊先まで知っているというのは
懇(ねんご)ろの関係じゃないのか」とヤジが起きた。するとたちまち自民党
からは、自民党副総裁の高村正彦などが「女性閣僚に対して極めて下品な
ヤジが飛んだのは大変残念なことです」などと、あたかも山谷えり子が
在特会関係者と肉体関係があるかのように“曲解(スピン)宣伝”されて、
この問題はウヤムヤにされてしまった。
【参考動画】
●「名乗り出よ」山谷大臣へのヤジ問題で高村副総裁(14/10/08)
https://www.youtube.com/watch?v=1LESrFPUGjo
●「懇ろ関係じゃないのか」やじで議員名乗り出る(14/10/08)
https://www.youtube.com/watch?v=axZ3N4o-sgc

金玉一先生 「さようでありんす(笑)。その不運なボール役に選ばれたのが、あのタイミングでヤジを飛ばした民主党の野田国義議員だったというわけです」
花子おばさん 「まるで強盗犯が警察から追われて街なかで大捕物が行なわれているときに、自転車に乗った小学生がとつぜん路地から飛び出してきて、それを見つけた強盗犯が小学生をその場で人質にとって、警官が人質に気を取られているすきにまんまと逃げおおせた……という展開ですね」
金玉一先生 「先般の国会や地方議会で、自民党議員のセクハラ野次が大問題になったんで、自民党も政敵からのヤジに噛みついて反撃しようと、虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたんでしょう。そんな殺気立った場所でうかつにヤジを飛ばした野田という議員に、ハイエナどもが飛びついた……という構図です」
花子おばさん 「金玉一先生、ずいぶんと野田議員に同情的なのね?」
金玉一先生 「そんなことは全然ないのですよ。第一、わたしは野田国義っていう議員をまったく知らなかった。ニュースで『野田議員』という名前を聞いて、野田聖子かな? そうじゃなきゃ、いつのまにやら勝手に民主党時代の総理大臣になった野田さんかな?……って思ったくらいですから。選挙もしないで総理になった野田さんのほうは、私はいまだに苗字だけしか知りませんし(笑)。……しかし自民党のスピン工作の手口があまりに卑劣だったし、なによりも方言を猥褻だと貶(おと)める悪意と、日本語に対する無知がひどすぎるので、それで職業柄、この事件に注目するはめになったのです」
花子おばさん 「自民党は血相をかえて、野田議員を悪者に仕立てましたが、それほど無茶苦茶にあせる理由なんてあったのかなぁ?」
金玉一先生 「ヒントは“在特会”関西支部長の自慢げなブログに見いだすことができるでしょうね。5年まえの2009年、2月下旬に増木支部長は山谷えり子の松江宿泊中のホテルを訪れた。その時の日記も写真もずっと公表していた。その2ヵ月後に兵庫県西宮市の学校を襲ったことで逮捕され、在特会の支部長を解任されています。しかし支部長職を解かれたとはいえ、その後もますます盛んに在特会の運動をやりつづけ、同年8月には大阪での自民党候補の選挙運動を“勝手連”と名乗っていました。このときに東京から安倍晋三を呼んで会ってるんです。安倍さんはすでに下痢で総理のポストを投げ出し、当時は議員だったけれど“浪人中”でした。その安倍晋三とのツーショット写真も、増木氏は自分のブログで得意げに公表していたんです。その写真には『マスキクンのことを覚えてくれてました』などと自慢げな添え書きまで付けてあったんですよ。……ところが最近、その写真だけ除去してしまった……」


「在特会」の増木重夫関西支部長らが平成21(2009)年8月17日に
大阪7区の自民党候補(とかしきなおみ)を勝手連で応援した際に
安倍晋三(当時は官邸から逃げ出して「総理浪人」だった)を呼んだ。
その時の街宣報告が増木氏のブログで出ているが、注目すべきは
安倍とのツーショット写真に「マスキクンのこと覚えてくれてました」
のコメントが添えてあることだ。なお、安倍と在特会の「ねんごろな
関係」が世間に知られるのを恐れてか、このブログは現在では
安倍と増木のツーショットだけ消されている。自分の都合の悪い
画像を消すなんて、北朝鮮とか中国の独裁政権のやることだ(笑)。

(引用元:【1】増木サイト(いまは不都合写真を削除済み)
http://mid.parfe.jp/gyouji/H21/8-17-abe/top.htm
【2】不都合なツーショットが消されるまえのオリジナルがこれ。
http://megalodon.jp/2014-0919-1405-51/mid.parfe.jp/gyouji/H21/8-17-abe/top.htm


花子おばさん 「排外主義を信条にしていて『在日特権を許さない』増木さんなのですから、“在日特権”の権化みたいな安倍晋三を排除したってことでしょ?」
金玉一先生 「ウウン……と、そうじゃネェじぇ。世界から注目を浴びている“在特会”が、安倍政権の閣僚のうちの、あまり重要じゃないメンバーと“ねんごろ”だとバレたくらいなら、トカゲの尻尾切りでなんとでもゴマカせる。けれども安倍総理本人と“ねんごろ”だったなんてバレたら、自民党はバカな国民は騙(だま)せても、世界の国々から相手にされなくなりますからね。だから安倍さん自身に追及がおよぶまえに、自民党への追及の矛先をかわしてスキャンダルつぶしをする必要があった……ということでしょうな」

★          ★          ★

花子おばさん 「先生さきほど、今回の騒動では自民党の、方言を猥褻だと貶(おと)める悪意と日本語に対する無知がひどすぎる、と憤慨しておられましたが、どういうことですの?」
金玉一先生 「野田議員がヤジって、自民党が即座に問題視したのは、『ねんごろな関係』という言い回しでした。自民党の連中、たとえば副総裁の高村正彦なんて、『女性閣僚に対して極めて下品なヤジが飛んだのは大変残念なことです』なんて公言しとるわけですよ。……それをみて私は、『あゝ、自民党の奴らって、日本古来のことばを猥褻な意味にしかとらえることができない、日本語しらずの卑猥(ワイセツ)な連中だなあ』と痛感したのです」
花子おばさん 「たしかに『ねんごろ』という言葉は元来、猥褻とはほど遠いですよね。『ねんごろ』は漢字で書けば“懇親会の懇”という字ですし。懇親会って猥褻な乱交パーティーじゃないわけですから」
金玉一先生 「おっしゃるとおり。そもそも『ねんごろ』という言葉がどういう起源から生まれ、大昔から現在にいたるまでどんな意味で使われてきたか? それを簡単にまとめたメモ書きを、今回のお話しのために用意してきたんですが、棒読みしても味気ないものなので、この対話の末尾に掲載することにいたしましょう。それをご覧になればただちにわかることですが、『ねんごろ』という言葉に猥褻な意味ばかり見いだす態度こそが異常であるし、そうした態度こそが猥褻なのですよ。じっさい学校なんてPTAの懇親会がざらにあるわけですが、乱交とかセックスなんて無関係な場所ですから(笑)」
花子おばさん 「ところが自民党のエラい先生たちは『ねんごろな関係』をそういう意味でしか理解できないみたいだわ。そういう“ワイセツ脳”ならば、教師が『PTA懇親会』で生徒の親たちと乱交してるにちがいない……て思い込むのでしょう。あのようなかたがたが、いまだに日教組を攻撃しているのは、そういう有らぬ妄想から生じた嫉妬(しっと)心のせいかもしれないわね(笑)」
金玉一先生 「山谷大臣にむかって『ねんごろな関係じゃないか?』というヤジが出て、自民党がケシカランと怒りだし、ヤジの犯人さがしが始まって、おかげで山谷えり子と在特会の“ねんごろな関係”の追及が吹き飛んでしまった。これで審議が中断し、自民党の憤慨ぶりに恐れをなして、野党側の筆頭理事の蓮舫(れんほう)が、ヤジを飛ばしたのは『明らかに我々の側だった』といってすぐに予算委員長に謝罪したんです。蓮舫が謝罪した瞬間に、野田議員の『ねんごろな関係じゃないのか?』という追及の矛先そのものが“謝罪すべき非行”だと断罪されて、民主党みずからの手でポッキリと折られてしまった……。自民党の連中は日本語知らずの破廉恥(ハレンチ)野郎だけれども、台湾生まれとはいえ幼少時からずっと日本で育ってきた蓮舫さんも、やはり日本語についての理解が浅かったことが、暴(あば)き出されたといえるでしょう」
花子おばさん 「そうやってヤジが大騒動に発展したのは野田議員の本意ではなかったでしょうね。野田さんはすぐに名乗り出て、『誤解を与えたことは反省するけれど、自分が言ったのは思想的な“ねんごろ”という意味で、男女関係の意味ではない』と釈明もしましたが、マスコミも自民党に同調して、彼が騒ぎの元凶だという扱いで一件落着して、ついに在特会と山谷国家公安委員長との“腐れ縁”についての追及はあいまいになっちゃった……」
金玉一先生 「野田議員は、単に“親しい”という意味で“ねんごろ”という言葉を『九州じゃあ、よく使うんよ』と言いました。九州どころか、通常はまさに彼がいう意味で“ねんごろ”は全国的に使われているわけです。……ところが麻生太郎が即座にこれを否定した。九州じゃそんな言葉は使わないぞ、とね。麻生太郎はもともと日本語をあまりよく知らない人ですから、そういう日本語知らずが“九州人の代表格”みたいな顔をして、曲がった口先で曲がったことを言うのは、国語学者としてちょっと許しがたいわけですワ(笑)」
花子おばさん 「でも結局、野田議員のその釈明は、つぶされてしまいましたよね」
金玉一先生 「野田氏が『九州じゃあ、よく使うんよ』と釈明したら、ネットでは『ボクはワタシは九州人だけどそんな言葉は使いません』という書き込みが殺到したんです。ふつうに生活している人たちは、わざわざそんなことを書き込んだりしませんよ。ヒマにまかせてネット掲示板に張り付いている所謂(いわゆる)“ネトウヨ”のゴロツキ連中とか、自民党がインターネット世論対策で組織した、会員数公表1万人の“自民党ネットサポーターズクラブ”の連中でしょうね。……ちなみに私はこの連中を“自民党サポチン”と呼んでおります。なにしろ奴ら、座敷犬の狆(ちん)みたいに卑屈で小うるさく吠える。このサポチン連中のせいで、日本のインターネットは全体的に生産性の低い、劣悪な内容に成り果ててしまった……。ネットでウジウジと落書きをしているだけの、インポテンツなサポチンどもですわ(笑)」
花子おばさん 「……わたしは女ですからサポチンは着けませんけど、おっしゃることはよくわかりますわ。自民サポチンのほかに、インターネットを使って政治活動をしている右翼勢力といえば、問題の在特会や、カルト集団の統一教会とか“降伏の科学”もありますよね。そういう連中も暗躍したのかも……」
金玉一先生 「いま“降伏の科学”とおっしゃたが、ひょっとして“幸福の科学”の間違いでは? まあとにかく、片っ端から相手をかえてイタコもどきを行なってる下品なカルト団体には相違ない。津軽の恐山で口寄せをしている本業のイタコのかたがたが、あのカルト集団のサーカスまがいの演芸を鼻で嗤(わら)っていますからね。……それはともかく、この騒動の結果、野田議員は“口枷(くちかせ)”をはめられてしまった。もう大臣閣僚の連中と、在特会との“ねんごろな関係”について国会で語ることはできなくなった。いわば野田議員の首に“方言札(ほうげんふだ)”が掛けられてしまったわけです」


「ねんごろ」は殊更に性的な愛情関係を指す言葉ではない。
むしろ「心が通い合って懇意になる」意味で日本の社会一般
で使われている。なのに野田議員がその趣旨を述べて「九州
では普通の意味で使っている」と釈明するや、福岡生まれの
“江戸っ子”麻生太郎から「そんな方言はない!」と頭ごなし
に否定され、九州方言そのものへの攻撃へとすり替えられた。
あげくのはてに野田議員が一方的に謝罪するはめになり、まるで
彼が「九州方言を乱用してセクハラ発言」をした、みたいな
印象で終わってしまった。一般常識的な用法であり、もちろん
九州でも普通に使われている「ねんごろ=懇意」という意味
での「ねんごろ」の使用を、野田議員は国会与党の圧力で禁じ
られてしまった。かつて沖縄などで強制された「方言札」が
国会で復活したのであった……。


花子おばさん 「方言札ですか……。琉球国が日本の統治下に入って以来、沖縄など南西諸島の学校でさかんに行なわれた“ことばの体罰”でしたよね」
金玉一先生 「古来、琉球国は独自の文化をもった島国だったわけですが、明治政府がクーデタで幕藩体制をひっくり返して西洋流の“近代国家”を作ろうとし始めたときに、南西諸島にひろがる琉球国を吸収しようとして、焦(あせ)って事を進めたわけです。そして強引に琉球国ならではの文化的な独自性(アイデンティティー)を消し去って、ニッポン本土による行政的・文化的な統治にむりやり適応させるために、琉球住民の方言を禁じて、標準語を使わせようとしたのでした。琉球国の伝統的な社会のしくみや文化を、ニッポン本土の明治政府の革命政策に会わせるために強引に歪めた政策は、『琉球処分』という行政用語で呼ばれていたわけですが、方言札は“琉球人のことばを滅ぼす”ための決定打だったのですよ。しかもこの“方言札”という精神的体罰は、南西諸島だけでなく、九州や東北でも、標準語を教え込む手段としてさかんに使われていたのです」
花子おばさん 「ところで野田国義議員はどこの出身でしたっけ?」
金玉一先生 「九州は福岡県の南の奥にある八女(やめ)市で生まれ育った人ですが、興味ぶかいことに八女市は古代遺跡の宝庫で、邪馬台国があったといわれる有力な候補地なのです。そういう場所で生まれ育ち、上京して大学にかよい卒業後しばらく政治家秘書をしていた“書生時代”は別として、あとはずっと地元で市長をしていた人ですから、そのような“邪馬台国”有力候補地の現場に密着して生きてきた人の言語感覚を、国会の場で封殺したというのは、あえて言うなら『邪馬台国処分』とさえ言えそうですな」
花子おばさん 「でも野田国義さんが釈明のなかで主張していたのは、『ねんごろ』のごく常識的な用法でしたわよ。むしろそれを一方的にセックスとか淫行と結びつけるほうが可笑しいじゃないの。東京永田町の国会議事堂という場所こそが、日本全土の常識的な言語感覚からかけ離れた、淫猥で邪悪な文化風土だってことでしょう?」
金玉一先生 「そういう意味では、自民党の日本語しらずの連中や、それに安易に迎合した野党民主党の日本語しらずの連中こそが、野田議員に“方言札”をかけたことによって、むしろ自(みづか)らの言語感覚の異常性・変態性を立証してしまった……ということになりますな(笑)」
花子おばさん 「おそるべきは国会方言ってことになりますね(笑)」
金玉一先生 「さようでありんす(笑)。なにせ国会は“猥褻脳”の吹きだまりですからね(笑)」

★          ★          ★

花子おばさん 「自民党の人たち、『ねんごろな関係』発言に異常に興奮して、ケシカランなんて言ってますけど、その自民党だってけっこう懇親会とかやっているんでしょ?」
金玉一先生 「彼らは『懇ろ』がケシカランと怒りまくってるわけですから、彼ら自身の懇親会も、じつは世間に公開できないような猥褻なものかもしれませんよ」
花子おばさん 「にわかには考えがたいことだわ」
金玉一先生 「ここに2枚の写真がありますが、私もにわかには信じられないようなものが写っているんですよ。ごらんあれ……」


自民党の定義によれば「懇ろ」は「性的な関係」を意味する
のだという。その自民党が全国のあちこちで「懇親会」を
開いているが、それは乱交パーティーのようなものだ、と
みずから認めたことになる。たとえばこの「自民党懇親会」
では、安倍総理と影武者そっくり軍団たちが仲間内に裸踊り
を披露しているが、たぶんこういうことをしているのだろう。



今回の「山谷えり子と在特会の“懇ろな関係”騒動」を
通じて、自民党の大臣閣僚たちは「懇ろ=性的関係」だと
断定した。すると自民党の「新年懇親会」はこういうもの
なのだろうな……。現行ちんぽうに不満な自民党は「かえせぃ」
を党是としているから、女子党員たちがチンポコ御輿をかつぐ
のは祈願成就の儀式なのであろう。この光景がいつのものか
時期不明だが、おそらく“かなまら”さんが政界のドンだった
頃の懇親会だろう。


花子おばさん 「まあ! すごい!」
金玉一先生 「1枚目の写真なんて、安倍さんの影武者まで総出で裸踊りをおどっていますからね(笑)」
花子おばさん 「2枚目の写真はまるでお祭りみたいだわ。日本中のエッチなお祭りをぜんぶもってきたような乱痴気騒ぎだわね(笑)」
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金玉一先生 「今回、自民党のおエラがたは『ねんごろ』という言葉は猥褻だからケシカランと騒いだわけですが、全国各地には、標準語で言ったらワイセツだと決めつけられてしまうような言葉がかならず存在するわけです」
花子おばさん 「具体的にはどんなものですか?」
金玉一先生 「どんな社会でも子供を産み育てていかねば存続できません。だから生殖にかかわる言葉はかならずある。それをワイセツかどうか決めつけるのは、木っ端役人の卑劣な精神だけなのですよ」
花子おばさん 「つまり生殖器の呼び名……とかですか?」
金玉一先生 「そのとおり。たとえば女性器ですが、地域によって呼び名がはっきりとちがう(http://www.geocities.co.jp/Bookend/3317/onna.html )。関東一円では『おまんこ』ですが、北海道の小樽では『よしこ』、津軽弁では『えべ』、横浜では『あびちょん』、石川県七尾市では『ちゃん』、宮崎県や鹿児島県では『まんじゅう』と呼んできたのです。男性器の呼び名は、女性器よりもはるかに単調で、全国の大部分で『チンコ』とか『ちんぽ』とか呼ばれていますが、それでも青森県の『ハド』、沖縄県の『タニ』など、独特の呼び方をする地域が存在しています(http://c.m-space.jp/child.php?ID=041104&serial=93491 )」
花子おばさん 「国会の議場で、あからさまに生殖器の名前を呼べないのであれば、桜井よしこさんはこの先、参考人として国会証言するのは無理でしょうし、将来国会議員になるなんて望むべくもないですわね」
金玉一先生 「作家とかジャーナリストってのは、ものが書けなくなると政治家になって権力に近づきたくなるという、街灯にあつまる虫みたいな習性がありますが、たしかに改名でもしなきゃ難しいでしょうな(笑)」
花子おばさん 「安倍総理も『エベちゃん!』とか『アビちょん!』なんて呼ばれたら国会にはいられませんね(笑)」
金玉一先生 「自民党幹事長の谷垣さんも、沖縄で仕事をするときは名前を変える必要があるでしょうな。『皆さまこんにちわ!タニガキでございます!』って挨拶しても、『チンコ坊やでございます!』って言ってるようなもんですから(笑)」
花子おばさん 「九州南部じゃ女性器のことを『まんじゅう』って言うのですね……」
金玉一先生 「小泉総理以来、その時々の政権党の顔役たちをマンガ似顔絵にして饅頭にして売ってきた、西日暮里の大藤っていうお菓子屋さんがあるのですが、そこの一番のヒット商品が安倍晋三をメインキャラクターにすえた“晋ちゃんまんじゅう”シリーズなのですよ。これは議員会館や靖国神社で販売されてるのですが、自民党が今回、国会で言葉狩りを始めましたから、もう議員会館では販売できないかもしれませんな。なにせ自民党の物差しで判断したら“晋ちゃんまんじゅう”は猥褻物になってしまいますから(笑)」


西日暮里のお菓子屋さん(株)大藤は、2001年に「ガンバレ純ちゃんの
好景気まんじゅう」を発売して以来、その時々の有名政治家キャラの
まんじゅうを売り出して人気を博している(http://www.omiyage-daito.com/)。
2009年に自民党が選挙で惨敗して下野した時は、谷垣禎一(さだかず)総裁
をメインキャラに立てた「よみがえれ!自民闘栗まんじゅう」で谷垣自民党
を応援した。当時“首相になれない総裁”の苦境に耐えていた谷垣氏にとって、
これはありがたい応援だったにちがいない。……しかし国会が「ねんごろ」を
猥褻方言として禁じた今、九州南部で「女陰」を意味する「まんじゅう」は
もはや禁制語である。大藤の政治家まんじゅうは議員会館や靖国神社で
売っているが、もう「まんじゅう」の名前では議員会館に置けないかも
知れない。


民主党が2012年暮れの選挙で惨敗し安倍自民党が政権を奪還して以来、
大藤さんは安倍政権を応援する「まんじゅう」を次々と発売してきた。
「晋ちゃんまんじゅう」シリーズは首相就任の2007年発売以来、55万個
も売ってきた大藤さんの“稼ぎがしら”なのだ。だが「まんじゅう」は
九州じゃ「女陰」を意味する“猥褻方言”ゆえ、自民党が党首や閣僚を
キャラクターに立てて“猥褻物”を売るのは、今後は難しくなりそうだ。
(写真はいずれも市販品「晋ちゃんまんじゅう」包装紙だが、「まん
じゅう」の文字が墨塗りで消されて禁制印が押されている)


花子おばさん 「“まんじゅう”がダメでも餡(あん)パンがありますよ。『晋ちゃんアンパン』シリーズでも売り出せば、アンパンが大好きな暴走族の皆さんが買うんじゃないかしら?」
金玉一先生 「そっちのアンパンは、パン生地で餡を包んだものじゃないですよ。ポリ袋にシンナーを入れたものですから(笑)」
花子おばさん 「でもそういう『晋ちゃんアンパン』を吸ってれば、浮き世を忘れて“美しい日本のわたし”をトリモロスこともできるでしょうね」
金玉一先生 「コレコレ! 子供が聞いている番組で、シンナー吸引を推奨するような発言はおやめなさい!」
花子おばさん 「こりゃまった~失礼い・た・し・ま・し・たっ! ドン!」

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「ねんごろ」の意味と語源

PDF文書版の上記資料をダウンロードできます
http://www.rokusaisha.com/wp/wp-content/uploads/2014/10/74d75f542c55c164154113ce6ef20e771.pdf


きょうはこれでおしまい。
また今度、お話しましょうね。
では皆さん、ごきげんよう。 さようなら。

 

 

 

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞http://www.rokusaisha.com/wp/?p=5228から引用》
と明記して下さい。)