1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で味噌製造会社の男性専務とその家族3人が惨殺された「袴田事件」。強盗殺人罪などに問われた元プロボクサーの袴田巌さん(77)は1980年に死刑判決が確定したが、世間では冤罪とみる人が多く、今春にも再審開始の可否が決まる見通しの第2次再審請求の行方に対する注目度が日増しに高まっている。

そんな袴田事件の初期報道を調べていたら、強く関心をひかれる新聞記事に出くわした。袴田さんがこの事件の容疑者として警察に連行された際、重大事件の容疑者らしからぬ「笑顔」だった様子を伝えた毎日新聞(縮刷版)1966年8月18日付け夕刊9面の記事である。

ここに、その紙面を撮影した写真を掲載したが、「不敵なうす笑い」という見出しは明らかに袴田さんを犯人扱いしたものだ。袴田さんの無実を信じる人たちにとっては不快な紙面だろう。しかし、筆者はこれを袴田さんの潔白を示す資料だと受け取った。袴田さんが本当に犯人なら、4人も惨殺された重大事件の容疑で連行されながら、こんな「余裕の笑み」を浮かべられるはずがないように思うからである。

筆者の取材経験上、冤罪被害者はえてして「楽観的」だ。自分はやってないから、証拠が出てくるわけがないし、そのうち濡れ衣は晴れるだろうと多くの冤罪被害者が最初は思っている。しかし実際の捜査、裁判では、やってない犯行の証拠はいくらでも出てくるし、証拠がなくてもいくらでも有罪判決は出る。最初は自分の未来を楽観していた冤罪被害者たちは多くの場合、いつかはこの受け入れがたい現実に気づき、絶望することになる。約半世紀前、笑顔で連行された袴田さんもその道をたどったのだろうと筆者は思うのだ。

ちなみに、筆者がこれまでに冤罪の疑いを抱いて取材した事件の中にも、笑顔で警察に連行された容疑者や、公判中にニコニコ笑っていた被告人が死刑判決を受けた事件が3件ある。うち2件は死刑判決が確定して再審請求中で、残り1件はまだ裁判中だが、読者はこの3件がどの事件のことか、想像がつくだろうか? ここでは、あえて答えは明かさないが、筆者が当欄に寄稿した過去の記事や、今後寄稿する記事を見て頂けば、答えはおのずとわかって頂けるはずである。

(片岡健)