日本史の一大事件として有名な二・二六事件は、78年前の1936年2月26日に起きた。学生の頃勉強した当時の教科書を開くと、国家改造・軍部内閣樹立を目指すクーデターで、その後軍部が政治介入するきっかけとなり、高橋是清、斎藤実元首相と渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害されたとある。

私には、明治生まれで100歳まで生きた祖母がいた。4年前に他界したが、亡くなる直前まで元気で、孫、曾孫達に昔話を聞かせるのを楽しみとしていた。その祖母から聞かされた二・二六事件は、教科書で学んだものとは少し違う。

祖母は当時20代半ばで結婚しており、子供はまだいなかった。世田谷に住んでいたがその頃の世田谷は今のような住宅街ではなく、片田舎の様相を残していた。事件前日までは、特に何も変わった様子もなく、平穏な毎日だったという。

事件は突然起こる。雪の降る夜、突然軍部が首都中心部を封鎖し、何人も通さなくなった。近所の噂話でそれを知った祖母は家で1人、祖父の帰りを待つ。祖父は丸の内まで勤めに出ており、軍部に封鎖されたため帰ることができなくなったのだ。その晩、祖父は帰らず、祖母は不安な夜を過ごす。次の日も祖父は帰って来ず、3日目にようやく封鎖が解かれ、帰宅する。祖母の不安をよそに、祖父は思いの外元気だったという。

祖母の不安はただ祖父が帰って来ないということであり、その時はクーデターが起きたことも、内閣の重臣が殺害されたことも知らなかった。その後70数年経った晩年になっても、詳細は知らない様子だった。「何だか大変なことが起きている」とは思ったとしても、市井の人にとっては具体的なことまではわからない。後世の人が知っているのは、それを学校で教えるからだ。あとは、今も昔も信用できないメディアが当時、どれだけ真実を伝えたのかどうか。と言ってもテレビもない時代だから、情報源も限られていただろう。

単に祖母が時勢に疎かったのかもしれない。しかし事件後、祖父も無事ですぐにまた通勤するようになると、祖母もまたいつもの生活に戻り、それで事件の話は終わりになる。どんな事件で何が起きていたのかなど、自分の生活が戻ってくればあまり関心が無い問題になる。「おじいちゃん、早く帰ってきてって、食事もせずに祈ってたわ」祖母の思いは、この一言にすべてが集約している。

あと50年も経ったら、私も存命しているかわからない老齢になる。その頃には(居るかわからないが)孫達に今の時代のことを聞かせるのだろうか。
「東日本大震災の時はね、コンビニから商品が無くなって、電車も全部止まって何時間もかけて歩いて家まで帰ったものだ」などと語る言葉を考えておくべきか。

(戸次義継)