冤罪犠牲者の青木恵子さん、大阪高裁にホンダに対する損害賠償請求の再審を申し立て 尾﨑美代子

東住吉事件の冤罪犠牲者青木恵子さんが、1月24日午前中、大阪高裁に自動車メーカー本田技研工業株式会社(以下、ホンダ)に対する損害賠償請求の再審を申し立てました(民事での再審申し立ては大変珍しいとのこと)。

◎[参考動画]【独自】火災で女児死亡の冤罪事件 無期懲役で一時服役の母親が賠償求め自動車メーカーに「再審」申し立て(関西テレビ2025/01/24)

30年前自宅で発生した火災事故で娘を失った青木さん。しかも青木さんと同居男性が保険金目当てで娘を焼死させたとして逮捕、起訴され、無期懲役が確定し服役した。

その後、再審で火災は当時青木さん宅にあったホンダの車からガソリンが漏れ、それが車庫に隣接する風呂場の種火に引火し、火災を引き起こしたことがわかり、青木さんらに無罪判決が下された。

青木さんはその後、ホンダに損害賠償を求める国賠訴訟も訴えていた。しかし、こちらは、不法行為から20年経過すると損害賠償を求める権利が失われるとする「排斥期間」が経過したからとの理由で認められなかった。

いやいや、警察、検察、裁判所は誤って青木さんを犯人にして、獄中につないでいた。和歌山刑務所に服役していた青木さんは、亡くなった娘に対する損害賠償の請求権をもっておらず、裁判したくても訴えられなかったのだ!裁判できなくさせていたのは、警察、検察、裁判所だろう。

そんななか、青木さんの刑事裁判弁護団に関わっていたお1人の弁護士の方が、昨年7月に判決が下された旧優生保護法の国賠訴訟で「排斥期間の適用は容認できない」との判決が出たことを報道で知った。「排斥期間」は1989年に最高裁がこれを決めて以降多くの裁判で適用されてきた。青木さんのホンダ国賠もそうだった。

「排斥期間」の適用を容認できない」との情報を知った弁護士は、これは青木さんにも適用出来るのではと考え、今回の申し立てに至った。

青木さんから「カンテレで5時20分に短いニュースで出るらしいから見れたら見てね」と連絡がきたので、お客様と見ていた。それから10数分したら、青木さん本人が店に入ってきた。みんなで「おめでとう!」と言いました。今日は青木さんの誕生日でもあります。

青木さん「お金の問題じゃないの。ホンダにはメグちゃん(娘さん)にひとこと謝罪して欲しい」。

この願いを叶えてやるために、皆さんもこの裁判にご注目を!

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

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大阪・関西万博開催まで三か月を切り、維新は「機運」を「醸成」しろと言うが…… 尾﨑美代子

◆年末の紅白でも全く取り上げられなかった国家プロジェクト

4月13日の万博開催まで三か月を切ったが全く盛り上がらない。先日関東在住の方とZOOM会議を行った際「万博っていつからですか?」と聞かれた。今日は京都在住の方からも同じことを聞かれた。国家プロジェクトなのに、年末の紅白でも全く取り上げられなかった。

なんというか、この状態、全校生徒からシカトされている、超いじめ状態にあっているようなもの。虐めは虐められる側にも問題があるという人がいるが、私は確実に虐める側に問題があると思う。

しかし万博に関しては、このご時世に万博やろうとブチ挙げた維新の会に大いに問題があると考える。チケットは全く売れてない。企業が買った(買わされた)分が、そのうち大安売りで出てくるだろう。

維新のやることは全てそうだ。大阪城公園の樹木をバッサバッサと切り倒して作られた劇場「KEREN」が開演するとき、ある人から「吉本のお偉いさんに怒られるのでチケット、ただで貰って」とメールがきたね。

新今宮駅北側に星野リゾートが開業したと同時に高架下に造られた「新今宮屋台村」、当初は営業していたが今は閉まったまま。地元で有名なホルモン屋を立ち退かせてまで作った割にはどうなってるんだ。ていうか、カラ家賃、今誰が払ってるんだ。

◆40億円近くかけた「機運醸成キャンペーン」の愚

万博が全く盛り上がらないなか、焦った連中が始めたのが40億円近くかけた「機運醸成(きうんじょうせい)キャンペーン」。昭和どころか、大正、明治なおっさんらがひねり出したこのネーミング。「三者凡退」の世界だな。若い連中で「おっさん、あっすみません。部長、こんなネーミング、ダメダメですよ」という人がいなかったのか?それが一番怖い。こんなネーミングで機運が醸成するかよ! 

「今回はだめだけど、70年万博は良かったね」という声もあるが、そうだろうか。私の住む釜ヶ崎は、先の70年大阪万博開催のため、労働者を大量に集めるために作られた地域だ。釜ヶ崎の研究を続ける原口剛さん(神戸大准教授)によれば、70年万博の工事では、尻無川水門事故で11名が生き埋め死亡、会場造成工事で17人が死亡、開幕後の地下鉄天神橋筋六丁目の建設工事で、ガス爆発で79名死亡、420名重軽傷の犠牲を出すなど、多くの労働者が犠牲になっている。

◆「カジノで儲けて福祉に回す」

工事が遅れに遅れ、開演時に完成してるパビリオンはわずか3ケ国だという。今後突貫工事が必至だろうが、そんな工事現場でさらに犠牲者は増えるだろう。わずか184日間(4月13日~10月13日)の万博のために、多くの労働者が犠牲になり、私たち府民・市民が赤字を背負う羽目になる万博にはやる意味があるのか? しかも、万博開催のために、昨年12月1日、釜ヶ崎のセンター周辺に野宿する人たちがいきなり強制排除された。釜ヶ崎からこそ万博に反対していかなくてはならない。なのに、仲間と作った万博反対のチラシを、釜ヶ崎の越冬闘争の現場で多くのちに読んでもらおうとまいたら、「(公園の)外でまけ」とどやされたそうだ。なぜ?

万博開催の目的は、そのあとに予定するIR・カジノをやるためだ。カジノ(ばくち場)建設のために道路や鉄道を整備の整備費用に税金を使ったら、さすがにまずいと考えた維新は、まずはその前の万博のために道路や鉄道を整備しましたと口実につかった。

元市長の松井は「カジノで儲けて福祉に回す」とのたまった。「父ちゃん、ボートで取ったら、お前らに美味しいモノ食わせてやっからよ」の世界だ。「父ちゃん、住ノ江(ボート)行くのやめて、今日の夕飯のコメ買って」と父ちゃんの足元に縋りつくところだろうよ。

吉村、松井よ! 生活保護のおっちゃんらが月末頼りにしていた激安スーパー玉出のひと玉19円のうどんもなくなったんだぞ。万博、IR・カジノにつぎ込む金は、いますぐ生活に困窮した人たちの生活費用に回せ!

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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尾﨑美代子著『日本の冤罪』(鹿砦社)
尾﨑美代子著『日本の冤罪』(鹿砦社)
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年2月号

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能登地震から一年……。福島の事故からずっと 「おめでとう」が言えない正月が続いている 尾﨑美代子

能登半島地震から1月1日で1年、多くの報道番組が輪島や珠洲市から中継を行った。とくに珠洲市は過去に原発の建設を住民らが反対して中止に追い込んだ町。ここに原発があったならば、どうなっていたのだろう。

◆珠洲市制50周年記念冊子にも記されていない「珠洲原発」という「黒歴史」

私はその珠洲市を去年、5月に訪れた。石川県では、井戸弁護士が裁判長時代に運転差し止めの判決を下した志賀原発については知っていたが、正直、珠洲原発は名前を知っている程度だった。何度もいうが、もし珠洲原発があったならば、福島の原発事故以上の大惨事になっていただろう。

そんな思いから、珠洲原発建設を止めさせた闘いを知りたくて、地元で長く原発反対運動に関わってきた北野進さんを訪ねたのだった。北野さんのお話で驚いたのは、29年間原発建設反対運動で地元住民が二分され、結果、珠洲原発は建設凍結(解凍する術がないから実質中止)に追い込まれたにも拘わらず、建設を進める行政側が全く反省しようとしていなかったことだった。それは北野進さん著書「珠洲原発・阻止への歩み」の「はじめに」に書かれている以下の内容だ。

珠洲市の寺家と高谷に建設が予定されていた珠洲原発は、2003年12月5日、関西電力、中部電力、北陸電力の3社が市長に計画の凍結を伝えたことで幕を閉じた。計画の浮上から29年、それ以前の水面下の動きを含めると35年以上の長い闘いだった。
実はその翌年2004年、珠洲市は市制50周年を迎えた。そこで50周年を記念して「珠洲市勢要覧2004」という冊子が発行されたが、そのなかで珠洲原発についての記載が一切なかったというのだ。珠洲市にとって珠洲原発問題は、俗にいう「黒歴史」だったのだろうか。北野氏はこれに対して「長年にわたる原発誘致一辺倒の行政も許しがたいが、これは(歴史からの抹消)は市民に対する二重の意味での重大な背信行為である」と書いている。

◆失敗を反省しない日本

珠洲市だけではない。日本はいたるところで反省することがない。

鹿砦社の反原発誌「季節」の最新号で特集したが、日本の原発立地自治体で作る避難計画は、どこでも「絵に描いた餅」状態だ。何度地震おきても、いつまでたっても寒い体育館で段ボール敷いての避難生活を余儀なくされている。食料が足りない、水がでない。何よりトイレが足りない。トイレを我慢するために水分を採らず体調を悪くさせる。関連死が増える…何度も同じことを繰り返す。

イタリアでは、1980年、2700人以上が犠牲になったイリピニア地震の反省から災害対策を担う国の機関「市民保護局」が設立された。それにより「ベッド、トイレ、キッチン」が地震発災から24時間以内に設営される。日常的にプロをも含めたボランティアが訓練を受けている。2700人が犠牲になった地震を反省するイタリアに比べ、何万人が犠牲になろうが、何も反省していない日本という国。

同じ昨年7月に花蓮で大きな地震がおきた台湾も、過去の地震の反省から地震対策を充実させている。地震発災から1時間で市や自治体がグループを立ち上げ、情報収集を開始、2時間後にはテントが設置され、3時間後には被災者を受け入れ、4時間後には設備が整うという。「どの避難所でも安全、衛生的、プライバシー、食事の確保が出来ており、生活に困らないレベルが確保されている」という。

しかも、倒壊の危険性が高いと判断された建物は、3ケ月後には解体・撤去作業が終了し、現地で工事関係者の姿をみることはなくなるという。それに比べ、能登半島はどうだ? 昨日見た番組では、解体が進まず、そのままの建物が見えた。もう、1年だぞ。

台湾は地震対策だけではない。再審法もどんどん変えている。ある事件で無実の人を逮捕してしまったことがきっかけだ。その人を実況見分に連れていった際、その人が飛び降り自殺してしまった。その後、真犯人が逮捕された。無実の人を死に追いやったことを猛反省し、台湾ではその後再審法がどんどん変えられていった。

話を戻すと、日本はすべてが遅れているのは、失敗を反省しないからだ。しかもそれを謝罪することもない。言い訳ばかりだ。奥能登の復興が遅れているのは、奥能登は交通の便が悪く、建設機材や重機、そして作業員を送るのも大変だ……と。それこそ、重機と人材は夢洲から奥能登へもってけ!私は万博、カジノには断固反対だが、賛成の人も賛成の議員も、万博は1年延期で、重機と人材はすべて能登の復興へ回せくらい言えないのか?

福島の事故からずっとこっち、「おめでとう」が言えない正月が続いている。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号

裁判で何が裁かれ、何が裁かれなかったか? 尾﨑美代子

ここ数日、ちょっと驚く裁判の記事が目につく。大阪高検の検事正だった男性が、検事時代、酔いつぶれた部下の女性検事に性加害を与えた件で逮捕・起訴されたが、当初加害を認め謝罪していたものの、弁護人を変えて一転無罪を主張した件、無罪を主張する会見で発言する弁護士は見たことがあると思ったら、以前取材した冤罪事件の主任弁護士だった。その事件で実際取材したのは別の若手弁護士だったが、数日後、なんとその若手弁護士が、別の性加害事件の控訴審を担当し、大阪高裁で逆転無罪判決をとったというのだ。この事件では、無罪判決を出した裁判長への抗議行動にまで発展している。

「何が真実なのか?」とどんよりしていたが、ふと以前買って読めずにいた『殺人者はいかに誕生したか』を読み始め、あるヒントを得た。私は拙著『日本の冤罪』の「はじめに」でも書いているが、もともと凶悪事件に関心をもっている。凶悪事件を起こした人だって、もともと凶悪犯に生まれたわけではない。オギャーと生まれたときには、誰でもごく普通の子供だった。それがのちに凶悪な事件の犯人となっていく。そのあいだに何があったのかが気になるのだ。

長谷川博一著『殺人者はいかに誕生したか』(新潮文庫)

「殺人者はいかに誕生したか」の著者は臨床心理士の長谷川博一さん。そのなかで、こんな一文をみつけた。

「裁判が真実を明らかにする場ではないことは、私の知る複数の弁護士から重ねて聞かされているところです。裁判は、検察と弁護人の闘い、駆け引きの場にすぎません。裁判所は『真実解明がその使命ではない』という事実を、社会が誤解しないよう公言してもらいたいと思います」。

長谷川さんは、多くの凶悪事件の犯人たちに面談や文通を続け、彼らがなぜ凶悪事件を起こすに至ったかについて、裁判では明らかにされていない、いわゆる「心の闇」と解明していく。そこからは幼少期の壮絶な家庭環境や学校での虐めなどがうかびあがってくる。池田小学校殺傷事件の宅間死刑囚や、秋葉原無差別殺傷事件の加藤死刑囚については幼少期の家庭環境、家族関係に問題があったことは少しは知っていた。

しかし、秋田連続児童殺害事件の畠山鈴香さんのことはあまり知らなかった。彼女は自身の娘と近所に住む男児の二人を殺害したとして逮捕・起訴され、無期懲役が下された。彼女について印象に残っているのは、家をとりまくメディアにきつい口調、目つきで怒鳴っている姿だった。黒い服装を好み、ぼさぼさ気味の長髪を一つに束ね、全体的にその姿は暗いイメージだった。

長谷川さんは面談を通じて、彼女について「意図的に嘘をつかない。かえって自分に不利な言動をとる。相手の意向にあわせる、いわゆる迎合性が強い。相手の示唆を信じ込む被暗示性が強い。自尊心が低い。他人の心を知ろうとする傾向が乏しいなどの特徴があった」と分析している。

さらに彼女は、精神鑑定で解離性健忘が認定されている。これはもともと彼女が持つパニックに陥りやすいという特性の中でおきたものだという。そこには、彼女が幼少期に実の父親から受けたDVや、学校での虐めなどによるトラウマが複雑に絡み合って、心を防衛するための乖離をおこしやすい状態にあったという。健忘というのは、その記憶をもつことが、本人にとって重大な心理的危機を招くときに生じるという。

鈴香さんのトラウマは小学生時の給食時間にはじまった。当時は(今も?)給食を絶対残さず食べされることに熱心な教師がいた。曰く「食べ物を粗末にしたらいけない」「食べれない子もいる」「作った人への感謝を忘れず」等々理由をつけて、全部食べ終えるまで机に縛り付けるようなしつけをする教師だ。

彼女は担任にそれをやられた。彼女の場合、好き嫌いが激しいというのではなく、人前で食べることができないのだ。業を煮やした担任が「手を出して」といい、彼女の手のひらに給食を入れていく、汁物まで……。「全部食べて」という担任の前で、手のひらに顔を埋めるようにして食べようとする彼女……その姿を見て同級生は「犬みたい」「汚い」「ばい菌」とはやし立てる。

彼女のこうした行為の背景に父親の暴力があった。最初は平手、それから拳骨に。
「こういうときは、ただ時間が過ぎるのを待つしかありません。修羅場の中をなにもしないで待つことの耐え難さ。心は苦痛から逃れるために『感じない』ようにし、そして『抵抗しない』という防護策が選ばれることになるのです」

そんな家庭での食事は最も「気を使わなくてはならない」空間だった。ささいなことで父親が暴れるので、父親を怒らせないことに全神経を集中させるため、食べ物の味もわからず、口にいれたものを思うように呑み込めない。飢えを癒すため、誰もいない時にお菓子などを食べていたという。

彼女の娘が亡くなった時、警察は事故死と公表したが、それに納得できない彼女は、警察に再捜査を懇願し、自分でチラシを作り、犯人を捜して欲しいと訴えていた。自分で殺したなら「事故死」のままにしておけばいいのに。橋の欄干に座らせたのちの記憶が彼女にはないのだ。その原因について、事件から18年の今年、ノンフィクションライターの小野一光さんが取材し、当時彼女が抗うつ剤や睡眠導入剤などを大量に摂取するオーバードーズを繰り返していたことを明らかにしている。そのため、一時的に意識が乖離することがあったようだ。

残虐な事件が起き、尊い命が奪われたのち、罪を償うということは、二度と同じような犯罪が起きないよう、何をすればよいかを考えていくことが必要だ。しかし、臨床心理士・長谷川さんもいうように、畠山鈴香さんの裁判では、その任務はしっかり果たせなかったようだ。本当に残念だ。

裁判で何が裁かれ、何が裁かれなかったかを、じっくり見ていく必要があるのではないか(などと評論家風に〆てしまい、超恥ずかしいが…)。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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ドンファン事件に「無罪」判決! 「疑わしきは罰せず」が貫徹された判決だった! 尾﨑美代子

◆確かにセンセーショナルな事件だった!

紀州のドンファンとよばれた男性が覚醒剤中毒て死亡した件で、逮捕された元妻の女性の裁判員裁判で、女性に無罪判決がでた。孫ほど歳下の女性との結婚で話題になったうえ、最後は覚せい剤で死亡したということで、メディアはさんざん騒いできた。

これが有罪ならば、「やっぱりね。あの女、怪しかったもんね」と騒ぎ続けただろう。しかし、結果は無罪。何故かそれ以降、メディアは全体トーンダウンしたと思うが、そう思うのは私だけか? 結構深堀りする番組もあるが、羽鳥慎一モーニングショーなんか「はい、あの事件で無罪判決がでました」と事実に触れた程度、「〇〇動物園のカピバラのお風呂に、昨日ゆずがプレゼントされました」と似たような扱いだった。

確かにセンセーショナルな事件だった。裁判は長期に渡り、28人もの証人が証言した。中には覚醒剤の売人もいた。男は「職業」を聞かれ、「(覚せい剤の)売人」と答えたという。

そんなことあんのか? 無職か、別の職業をあげ、その後「被告を知ってるか?」と問われ、「以前覚醒剤の売人をやっていた頃、その女性と接触したことがあります」と答えるのが普通ではないか? 男性の姿は衝立などで遮られ、顔など分からない方法で行われたのだろうが、それにしても法廷で「売人です」と堂々と証言し、証人の顔をみることができた裁判員らは、さぞかし驚いただろう?

◆「疑わしきは罰せず」が貫徹された判決だった!

この判決、「疑わしきは罰せず」という、刑事裁判の基本中の基本をズバリと見せてくれただけでも見ていてスカッとした。基本中の基本とはいえ、あまりに守られていない鉄則だったからね。

でも、ここで花開いたのだぞ。福島恵子裁判長がバシッと「ほら見ろよ」と出してくれたんだぞ。モーニングショーの羽鳥さん、玉川さんなんかにコメントさせてよ。玉川さんはしゃべりたいことがやまほどあったはず。しかし、それすらしなかった。局でよほどこの件に関しては何気なくスルーしようと決まっていたと思うほど。 

◆TVメディアは男性中心過ぎないか?

これまでいろんな冤罪事件をみているが、とりわけ女性が犯人とされた場合、男性中心のメディアは、こんな扱いだということがよくわかったね。のちに事件ではなかったことが判明した青木恵子さんの東住吉事件、西山美香さんの湖東記念病院事件もそうだった。「同居男性が娘に性的虐待!被告女性との三角関係か?」「警察官に恋した被告女性とは?」とおもしろおかしく書き立ててたね。そこじゃないやろ! 

それはさておき、判決後、裁判員の一人だった20代の男性が、被告の女性は裁判に非常に真摯に向き合っていたと思うとか、メディアで言われる内容と実際の裁判はまったく違っていたとか話していた。私もその通りだと思う。

今回の彼女にしても、たまたまおじいさんほど年上のお金持ちの男性に好かれ、「お金もらえるなら」と結婚に応じた。遺産相続、完全犯罪など怪しい検索履歴が話題となったが、それがどうしたといいたい。

◆福島恵子裁判長もカッコよかった!

しかも、今どきの若い女性は日々のニュースなど見ていて、警察が消去した検索履歴でも復活させることができることを知っていただろう。私が宝くじで当選したら、まずは「億ション」とか「海外旅行」とか検索するだろう。そのうち、調子こいて「高齢者の婚活」とか、さらに調子こいて「全身美容整形」とか検索するだろう。

彼女が何かよからぬことを企み、それらを検索していたとしても、それを実行にうつせてはいないことが今回分かったのだ。致死量の大量の覚せい剤をドンファンに飲ませることができなかったのだ。そこが重要。

「うちの旦那、憎たらしいな」「不慮の事故で死ねばいいな」と毎日毎日思っていても、それを実行にうつしてなければ、ある意味、問題ないのだ。女性は、一生、旦那を殺したいほど憎んで終わるんだな、とある意味辛くなるが……。

福島恵子裁判長もカッコよかった。裁判官らがあの黒い服の下を着ているかは知らないが、あの福島恵子裁判長は、(テレビで見る限り)正直ごく普通のカジュアルな服だった。それは例えば、私が玉出スーパーに大根をを買いに行くときのような服装だった。そんな福島裁判長が、きっぱりと「疑わしきは罰せず」をやってくれたのだ。弁護団がいうように「グレーをいくら重ねても黒にはならないのだ」。

◆腐った検察どもは、なんでもやりかねない!

検察はもちろんこのままではいないだろう。必ず控訴するだろう。しかし、どうやって大量の覚せい剤を飲ませたか、そこが解明されなければ、有罪にはできないだろう。

あるいはもうひとつ、覚せい剤の売人の一人が「女性に売ったのは氷砂糖」と証言した件だ。和田アキ子まで参戦して、「覚せい剤と氷砂糖は全く違う」とか言ってたらしい。ここで新たな展開として、「氷砂糖を売った」という証人について、控訴審で元締めが出てきて「あいつは売人として嘘をついた。うちの組織は彼を破門にした」などと言い、破門状や下手すりゃ男がけじめをつけた証拠として切断された小指などを証拠提出するかもしれない。

腐った検察どもは、なんでもやりかねないからね。今後も注目していきたい。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く〈6〉飯塚事件再審 ── 日本の再審制度を変えていかなければいけない 尾﨑美代子

 

ハンセン病、薬害エイズ被害患者の救済から飯塚事件などの冤罪訴訟まで、常に弱者の立場に立ち、法廷で声なき声を代弁してきた徳田靖之(とくだ・やすゆき)弁護士 ──。「6・5 飯塚事件『不当決定』を許さない」と題された9月14日大阪講演の記録を全6回連載で報告する。(企画・構成=尾﨑美代子)

◆飯塚事件の再審を勝ち取ることの意義

私たちは今、福岡高裁で即日抗告審を闘っています。ここで今、Оさんの初期供述をだせという証拠開示の闘いを挑んでいるわけですが、これまでの闘いで私たちが体験していることからいうと、真犯人を特定しない限り再審の扉は開かないのではないかと思っています。

そういう私たちに、実は、ある刑務所で服役している人から、彼が以前の事件で服役中に、同房になった男から「自分が飯塚事件をやってしまった」という告白を聞いたという情報が寄せられています。これはまだ私たちがその証言の信用性を固めていくということをやっていかなくてはならない。しかし、なかなか固めるということは難しいという、そういうレベルの段階ですが。

ただ、私たちがこの飯塚事件をやっていて確信に近い思いをもっているのは、私たちが一生懸命闘っている過程に、新しい証拠、新しい道がどんどん開いていくわけです。第一次再審請求がだめだったときに、木村さんが現れる、Оさんが現れる、そして第二次再審の壁が塞がれたとき、新たな道が開かれている。つまりこの飯塚事件というのは、時間が経てば経つほど、久間さんが犯人でないという確信を、この事件にかかわる人たちにもたらせている、そんなようになるわけです。

飯塚事件こそ、死刑制度の根幹を改めて問うという、飯塚事件の罪の深さを改めて私たちが考えるときにおいても、この飯塚事件の再審を勝ち取ることは、とても大きな意義があるのではないかと考えています。

◆再審法の規定を変えなくてはならない

その飯塚事件の再審を勝ち取るためにも、何を今一番にやらなければならないと思っているか。それは、再審法の規定を変えなくてはならないということです。日本の再審法は大正11年(1922年)に作られた旧刑事訴訟法の規定がそのまま残されています。戦後、変えられたのはたった一点、検察官には再審請求権がない、この一点だけです。

戦後、刑事訴訟法は改定されましたが、時間がなかったからという理由で、再審規定だけはそのままだった。いずれ改めて検討するという国会での議事録が残されていますが、手つかずのままでした。

それが何をもたらしているかというと、特に2つの大きな害悪をもたらしている。1つは証拠開示規定がないということです。刑事訴訟法は改正されましたので、今は、検察官は手持ちの証拠を開示しなくてはならないとなっている。

しかし、再審事件に関してはこの規定がありません。ですから検察官は、再審請求に関して、本当は真犯人ではないかという証拠があっても出す義務がないんです。捜査というのは、誰が犯人だろうかということで、いろんな証拠を集めていくわけです。その人を犯人にしていくための証拠と、その人が犯人でないという証拠をふりわけていくわけです。その人が犯人だという証拠だけを集めて裁判に提出するというのが捜査のやり方です。だから、彼が犯人でないという証拠は眠っているわけです。再審請求では、その眠っている証拠を出させることがとても大事なわけです。

でも日本の刑事訴訟法には、再審請求のときは証拠開示権が提示されていない。これを何が何でもかえなくてはならない。大崎事件でも狭山事件でも、隠されていた証拠が少しずつ開示されていくなかで、無実が明らかになっていくという経過をたどっています。飯塚事件で新証拠が開示されれば、間違いなく久間さんは無実だと明らかになると確信しています。

もう一つ、日本の再審制度で決定的に問題なのは、再審開始決定がでたあとに、検察官が不服申し立てできることです。このために、袴田さんは何十年も苦労してきた。大崎事件もそうです。何度も再審開始決定がでたが、検察官が即時抗告し、また再審開始が取り消されるということがおこっている。

この2つの問題を早急に改めさせることが急務になっています。まもなく袴田さんの再審無罪判決がでます。これをきっかけに、私たちは全力をあげて、日本の再審制度を変えていかなければいけないと思っていますし、それが変われば飯塚事件は死刑執行という厚い壁をこえて、間違いなく再審開始になるだろうと私たちは確信をしております。

すみません。お話しするたびに怒りが沸いてきまして、とりとめのない話になってしまいましたが、以上で私からのご報告とさせていただきたいと思います。どうぞ、これからも飯塚事件にご支援をお願いしたいと思います。ありがとうございました。(完)

◎徳田靖之弁護士講演会 6月5日飯塚事件「不当決定」を許さない(2024年9月14日 大阪浪速区大国 社会福祉法人ピースクラブにて)

◎《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く ── 飯塚事件再審[全6回連載](構成=尾﨑美代子)
〈1〉弁護士として、自ら犯してしまった過ちをいかに一人の人間としてどう償うのか
〈2〉失われていた物証と証拠の改竄
〈3〉無実の人を殺してしまった日本の裁判所
〈4〉死刑判決の理由は、全部間違いだった
〈5〉裁判官は、「エリート」であればあるほど最高裁に「忖度」する
〈6〉日本の再審制度を変えていかなければいけない

▼徳田靖之(とくだ・やすゆき)
弁護士。1944年4月大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒。1969年弁護士登録。大分県弁護士会所属。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表、ハンセン病市民学会共同代表、薬害エイズ九州訴訟共同代表。飯塚事件弁護団共同代表

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く〈5〉飯塚事件再審 ── 裁判官は、「エリート」であればあるほど最高裁に「忖度」する 尾﨑美代子

 

ハンセン病、薬害エイズ被害患者の救済から飯塚事件などの冤罪訴訟まで、常に弱者の立場に立ち、法廷で声なき声を代弁してきた徳田靖之(とくだ・やすゆき)弁護士 ──。「6・5 飯塚事件『不当決定』を許さない」と題された9月14日大阪講演の記録を全6回連載で報告する。(企画・構成=尾﨑美代子)

◆第二次再審での争点

私たちはそのOさんの古い供述と新しい供述について、裁判所がどちらが正しいか判断するとしたら、Oさんが言っていたように、女の子を見たのは別の日だが、警察官にむりやり事件当日だとされたということを明確にするには、Oさんが最初に警察から取り調べを受けたときの捜査記録を出したら、Oさんが今言っていることが正しいかどうか一目瞭然ではないかと考えます。

Oさんが最初に警察に調べをうけたときの捜査メモ、捜査報告書があるはずだから、これらを出すように裁判所に要求しました。じつは遺留品発見現場で久間さんの車と似た車を見たという人の最初の捜査報告書は残されているんです。そこには何が書いてあるかというと「紺色のワゴン車をみた」「そこから一人の男がおりてきた」という言葉が捜査報告書に残されているんですね。だとしたら、Oさんの警察での最初の初期供述が残されていないはずはないんですよ。

だから私たちはそれを出すようにと要求してきた。しかし、検察官は「ない」というんですよ。こういうとき検察官はなんというかというと「存在しない」とは言わない。「不見当」、見当たらないというのです。なぜか? これはあらゆる冤罪事件で検察官はそういいます。あとからできたときに説明ができるように「不見当」、見当たらないというのです。

今回の飯塚事件も、木村さん、Oさんが最初に警察に呼ばれた時の初期供述を出せというと「不見当」だというのです。私たちは「そんなことはありえない」と裁判官に強くいいました。裁判官は検察官に「そうだとしたら、警察から検察に証拠が送られてきたときの目録はあるのか?」と聞きました。すると検察官は、ちょっとうかつだったと思いますが「ある」といったのです。

裁判所は「その証拠の目録をだしなさい」と勧告しました。私たちはこの目録が出てくれば、Oさんが最初に警察に聞かれたときの捜査報告書が目録に必ず記載されているはずだと確信していました。

裁判所から検察官に勧告がだされ、検察官が何といったと思いますか? 「目録がある」と答えてしまっているわけですから、もう「不見当」とは言えない。そうしますと検察官は「裁判所がそのような勧告をする法律的根拠がない。したがって我々は勧告に従わない」と言ったのです。

日本の検察官は自分たちは「公益の代表」などと言っていますが、彼らは真実を発見しようという気が全くない。本当に彼らが飯塚事件に関して、久間さんが犯人と確信しているのなら、目録を出してくればいいじゃないですか。あるのだから。でも出せない。なぜか? 目録にはOさんの初期供述が残っているからです。目録をだしたら「不見当」といっていたOさんの初期供述を出さなければならなくなる。だから「裁判官がそのような勧告をする法的根拠がない」という理屈をつけて拒否したわけです。

◆警察、検察官は、遺留品発見現場での目撃証言を強引に誘導して、事実と違う供述をつくった

このようなことをされたら、裁判官は普通どうすると思いますか? 自分たちの勧告を拒否したのだから、普通の裁判官だったら「出せ!」と命令するでしょう。検察官は「ある」といった上で、出さない理由として裁判所に勧告する権限はない」と言っているのですから。あらゆる再審事件で「証拠を開示しろ」という勧告をすべての裁判でやっています。「法的根拠がない」という理由で拒否したのは、今回がはじめてです。

私たちは「命令を出せ」と裁判所に言った。しかし裁判所は「命令は出さない」といった。命令を出せないといったから、我々はそれをどう受け止めたか。裁判官は、検察官が勧告を拒否したことで、その目録の中にOさんの初期供述があると確認したはずだ。目録を出さないといったことは、検察官はOさんの初期供述を表に出したら、すべてが明らかになる、これを何とかして拒むために勧告を拒否したと裁判所は判断したと、私たちは思ったわけですよ。

しかし、蓋を開けてみたら、Oさんの新しい証言は信用できない、古い証言の方が信用できると言った。ふざけんなよ! そんな判断をするなら、古い供述の前の初期供述を出せといえばいいではないか、それをしないでOさんの古い証言の方が信用できるとは……よくそんなことが言えるものだなと思いました。

◆裁判所は、事実に目をふさいで、再審請求を認めなかった

警察、検察官は飯塚事件に関しては、これだけのことをやっているわけです。DNA型鑑定の写真を改ざんしました、遺留品発見現場での目撃証言を強引に誘導して、事実と違う供述をつくった。そのうえで、裁判所の勧告を無視して、Oさんの供述が正しかどうかを徹底的に明らかにするはずの証拠の目録の提出を拒んだ。

これだけのことをしたのに、裁判所は事実に目をふさいで、再審請求を認めなかった。なぜ裁判所はそんなことをするのか? 私に言わせると、少なくとも証拠目録を開示しないと言われたら、その理由はどこにあるのかを裁判官は考える義務があるはずだ。なぜなら、裁判所は怪しいと思ったわけですよ。Oさんの初期供述は「不見当だ」といった。それを怪しいと思ったから裁判所は「目録はないか?」と聞いた。すると検察官は「ある」といったので、裁判所はそれを出せと勧告をした。怪しいと思ったからですよ。いや、少なくとも目録がでてくれば、検察官が言っている「不見当」が信用できるかどうかの判断ができると考えたから勧告したのです。

そこまでしておきながら、なぜ命令をせずに、そのうえで「古い供述のほうが信用できる」などと判断したのか。皆さん、どう思われますか? 結局裁判所は怯えたのですね。再審開始をしてしまうということにです。Оさんの新しい供述が信用できると言ってしまったら、再審開始することになってしまう。そうなると、久間さんという無実の人を裁判所が殺してしまったことになる、そうなることに裁判所は怯えたのだと思います。

そこから今度私たちは、ではどうして裁判所は証拠開示の勧告をしたんだろうか、と考えました。そんな結論を下すなら、なぜ証拠開示の勧告をしたのだろうか。その証拠開示の勧告をしたあとに、裁判長の次に経験のある右陪席が交代したんです。

エリート裁判官でした。証拠開示の勧告をした裁判体と、再審請求を棄却したときの裁判体では、一人構成が代わっていたんです。その人は経歴的にはエリート裁判官です。私らはこの裁判官の交代が、証拠開示の勧告をしながら、再審請求を棄却する決定をするという矛盾を示す、ひとつのカギを握っているのではないかとみています。

似たようなことが、実は、第一次再審請求のときにも、もっと露骨に起こったのです。第一次再審請求の時の裁判長は、科警研のDNA型鑑定がいかさまだと早くに察知しました。彼はそこで、自分が定年退官する前に再審請求の判断をすると、私たちに明らかにした。その裁判官の定年が8月に予定されていたので、私たちは7月中に決定がでると思っていた。

ところが、決定がでないまま、裁判長は定年退官をしてしまった。そのあとに新たな裁判長が赴任したのです。この人もまた超エリート裁判官。この裁判長が半年後に再審請求を棄却する決定を書いたのです。第一次再審請求の時も、そういう裁判官の交代という事実が、再審を認めないという決定に影響したのではないかと、私たちは思っていた。

そのことが第二次再審請求でも繰り返された。エリート裁判官という言い方をしていますが、こういう経歴の人というのは、最高裁にいわば「忖度」傾向が極めて強い人たちです。

私たちは、飯塚事件の再審請について正々堂々と闘っている。私たち弁護団や支援者の多くは、常識的な意味で、これだけの証拠をだせば、必ず再審の扉が開くと思っていますが、このレベルの闘いでは扉が開かない。もう「この人が真犯人だ」というような新しい証拠を出さない限りは、再審の扉が開かないくらいになっているということです。死刑を執行してしまっているからです。(つづく)

◎徳田靖之弁護士講演会 6月5日飯塚事件「不当決定」を許さない(2024年9月14日 大阪浪速区大国 社会福祉法人ピースクラブにて)

◎《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く ── 飯塚事件再審[全6回連載](構成=尾﨑美代子)
〈1〉弁護士として、自ら犯してしまった過ちをいかに一人の人間としてどう償うのか
〈2〉失われていた物証と証拠の改竄
〈3〉無実の人を殺してしまった日本の裁判所
〈4〉死刑判決の理由は、全部間違いだった
〈5〉裁判官は、「エリート」であればあるほど最高裁に「忖度」する

▼徳田靖之(とくだ・やすゆき)
弁護士。1944年4月大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒。1969年弁護士登録。大分県弁護士会所属。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表、ハンセン病市民学会共同代表、薬害エイズ九州訴訟共同代表。飯塚事件弁護団共同代表

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

11月10日大阪「15年目の矢島祥子さんとともに歩む集い 真実は消えない、つなげる未来」報告 あらためて問う あの日、何があったのか? 尾﨑美代子

11月10日(日)大国町ピースクラブで「15年目の矢島祥子さんとともに歩む集い 真実は消えない、つなげる未来」が開催された。会場は満席、ここ数年新しい方の参加者が多いため、私は追悼メッセージの代わりに「あの日何があったのか」を少しお話させていただいた。以下はそのレジュメから。

 

◆あの日、何があったのか?

2009年11月13日 19時45分頃 祥子さんは最後の患者を診終える。

20時過ぎにB職員が、22時頃にC職員と黒川所長が診療所を退出「祥子さんは奥の部屋でパソコン作業をしていた」(C職員)。

23時18分から37分の間、祥子さんが診療所を退室・入室をしていることが、祥子さん名義の警備会社のセキュリティカードの履歴からわかる。

11月14日 4時15分頃 電子カルテがバックアップされる。

4時16分に退出が記録されている。その際、セキュリティカードに誤作動が生じた。それまでも誤作動が生じる場合があったが、その都度祥子さんから警備会社に電話がいくか、警備会社からの電話に祥子さんが出ていた。しかし、その日、祥子さんが電話をかけることも電話に出ることもなかった。そのため、警備会社が緊急出動したが、すでに30分も経過していたため、診療所に問題なしと報告されていた。 同じ頃、祥子さんの携帯から翌日会う約束だった友人Ⅹさんに予定をキャンセルするメールが送信。のちにXさんが遺族と診療所へ報告した祥子さんからのメールの着信時刻が違っていたため、遺族が正確な時刻を確認したいとⅩさんに申し出たが、携帯が壊れたとの理由で確認は出来なかった。 

14日10時過ぎ、出勤しない祥子さんを心配して、診療所の看護師Dさんが徒歩10分ほどの祥子さんの部屋を訪ねた。祥子さんは不在で、施錠されていなかったため中を覗くと、室内は整然としていた。その後も職員らが何度か祥子さんの携帯に連絡をいれたが繋がらず、午後13時10分過ぎ、黒川所長とD看護師が再び祥子さんの部屋を訪ねたが変わりはなかった。翌15日になっても祥子さんが出勤しなかったため、黒川所長らが西成署に相談。捜索願いは親族から提出する必要があるといわれたため、黒川所長は初めて群馬の実家に電話をかけた。

16日深夜、西成区の木津川で祥子さんの水死体が発見される。
  

 

◆祥子さんの死因について

司法解剖した大阪市立大学・前田均教授(当時)は、直接の死因を溺死とした。その結果をうけて西成署は、死因を「溺死」とし「自殺の可能性が高い」と遺族に説明した。 一方、霊安室で祥子さんの遺体と対面した家族は、その目で祥子さんの首に左右対称にできた赤黒い線状の傷や、頭部のたんこぶを確認した。そのため祥子さんの母校・群馬大学医学部付属病院に再度司法解剖を依頼。西成署に対しては「殺人」と「死体遺棄」で捜査するよう要請した。

3ケ月後、遺族が前田教授と面談した際に、前田教授は、後頭部の傷は生前のもの。首の傷は『生前・死後の判別不能』と説明された。(注・後頭部の傷(たんこぶ)について、西成署は川から祥子さんの遺体を引き上げた釣り人が頭部を固いものにぶつけ、たんこぶができたと説明していた)。

12年8月22日 遺族は「殺人」と「死体遺棄」の容疑で西成署に告訴状を提出、受理された。しかし、死体遺棄については同年11月16日時効が成立。 

 
『日本の未解決事件 100の聖域』(宝島社)フリー・ジャーナリストの寺澤有さんが「大阪・西成女医変死事件」を執筆

◆「自殺説」の背景

祥子さんの死亡後、釜ヶ崎の界隈では祥子さん自死説が流れたそうだ。当時、祥子さんを知らなかった私も、そうした説をさんざんきかされた。その背景に何があったかを考えてみた。

①生前、祥子さんとひそかに交際していたという男性Mさんに届いた14日消印の絵ハガキ。そこには「出会えたことを心から感謝しています。釜のおじさんたちのために元気で長生きしてください」と書かれていた。Mさんは西成署にハガキを提出していた。父・祥吉さんによれば「警察は手紙を根拠に過労による自殺の可能性もある」と説明したという。 

2018年、フリー・ジャーナリスト寺澤有さんが『日本の未解決事件 100の聖域』(宝島社)に「大阪・西成女医変死事件」を執筆。釜ヶ崎を訪れた寺澤さんがMさんにアポなし取材を行った。Mさんは祥子さんの死について「自殺だと確信しているが、とくに根拠はない」と、絵葉書について「確かに警察に見せたが、それが遺書で自殺の根拠だと主張したわけではない。あとで警察が知って『どうして隠していたんだ』と追及されるからだ」と述べていた。

②群馬の家族との不仲説 祥子さんのご両親はともに医師で群馬県で病院を経営している。4人兄妹で唯一医師になった祥子さんに病院で継いで欲しいと願った時期もあったそうだが、その後は、祥子さんの釜ヶ崎のおっちゃんらのために働きたいという意思が尊重された。当時この説もさんざん聞かされた。

その後、両親と不仲でないことが様々な形で明らかにされていったが、先日、当時の「不仲説」をいまだに主張する方とあった。彼はあるドキュメンタリー映画を鑑賞したそうだ。両親がともに医師、学者だという両親に育てられた娘がある日突然統合失調症を発症させるという内容だ。彼は、医師など優秀な良心に育てられた子供は様々な葛藤、悩み、生きづらさを抱えるという例として「矢島祥子さんと両親」の例をあげていた。正直私は「まだそんなこと言っているのか」と呆れてしまった。

※こうした「不仲説」を利用する例として、冤罪・東住吉事件がある。青木恵子さんと同居男性、そして娘、息子と暮らしていた家で火災が発生、娘が焼死した。火災の原因を調べているさなか、保険金目的で娘を焼死させたとして青木さんと同居男性が逮捕された。捜査段階で同居男性が娘に性的暴行を働いていた事実が判明。警察は、青木さんに「娘と男性をとりあう三角関係で、娘が邪魔になったのだろう」などと不仲説を煽り、マスコミもまたそのデマに乗り2人の犯行と断定していった。

③証拠の捏造 「矢島祥子さんは自死されたのですが……」から始まる調書 当時、釜ヶ崎では多くの関係者が取り調べを受けたそうだ。その一人、過去に同僚だった女性から数年前の集いでお聞きした。彼女は警察で「矢島祥子さんは自死されたのですが……」から始まる調書を取られたという。彼女はそう考えてなかったため彼女は頑なに否定するが、何度も呼び出されるが調書作成が進まず、最後は仕方なくその調書にサインしたという。母・晶子さんによればほとんどの関係者がそのような調書を取られたという。

※警察が関係者の調書を捏造する。これは先日、再審開始が決定した「福井女子中学生殺人事件」などでも行われている。38年前女子中学生が殺害された事件で、前川彰司さんが逮捕された。決めては複数の関係者の「血をつけた前川を見た」との証言だった。しかしその一人の男性は、第二次再審請求審で弁護側の証人として「血をつけた前川を見たとの証言はうそだった。自分の事件を見逃してもらうかわりに、警察に虚偽証言をさせられた」と証言した。これだけなら「言った、言わない」にもなるが、男性はウソ証言したのちに、担当刑事に結婚祝いを貰ったといい、刑事の名前の入った祝儀袋を証拠提出した。

以上、昨年亡くなった桜井昌司さん(布川事件冤罪犠牲者)が、祥子さんの事件を「逆冤罪だ!」と訴えていたので、今回祥子さんの事件について、実際の冤罪事件で警察、検察が行う虚偽調書の作成、捏造など許しがたい蛮行を当てはめてみた。

大山勝男著『さっちゃんの聴診器 釜ヶ崎に寄り添った医師・矢島祥子』(アメージング出版)

 

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く〈4〉飯塚事件再審 ── 死刑判決の理由は、全部間違いだった 尾﨑美代子

 

ハンセン病、薬害エイズ被害患者の救済から飯塚事件などの冤罪訴訟まで、常に弱者の立場に立ち、法廷で声なき声を代弁してきた徳田靖之(とくだ・やすゆき)弁護士 ──。「6・5 飯塚事件『不当決定』を許さない」と題された9月14日大阪講演の記録を全6回連載で報告する。(企画・構成=尾﨑美代子)

◆第二次再審の新証拠 ── 警察は貴重な証言の記録を怠っていた

そうした形で第一次再審が棄却されてしまったあとに、いや、正確にいうと、最終的に最高裁が私たちの特別抗告を棄却するまえに、新たに2人の人が私たちに連絡をしてくれました。

一人は木村さんという男性です。この方は誘拐が起こった直後に付近のバイパスで車の後部座席に女の子2人を乗せた男性の車を追い越したといいます。1人の女の子は横になり、もう一人の女の子はこちらをうらめしそうな顔でみていたそうです。

木村さんが見たその車を運転する男性の特徴は、色白で丸刈りで、久間さんとは別人だといっていました。ニュースで誘拐事件と知ったので、すぐに飯塚署に「犯人らしき人をみた」「バイパスには料金所があり、そこに監視カメラがあるから、その不審な車が映ってないか確認してほしい」と通報していた。

それから10日後に警察が木村さんのところに来たので、木村さんは自分が目撃したことを詳細に説明したというのです。警察は木村さんが話した内容をメモしていたが、木村さんが見た車が軽貨物だったという話をした途端に、メモをやめたというのです。そうして警察は木村さんに「車は紺色ではなかったか? ワゴン車ではなかったか?」と聞き、木村さんが「そうじゃない、白の軽貨物だった」といった途端にメモをやめたと話してくれました。

木村さんは、単に警察にそういっただけでなく、たまたま久間さんの第一回公判を傍聴して、法廷で久間さんをみて「この人とは全然ちがう」ということに気がついていた。でもニュースなどでDNA型鑑定が一致したと聞いたので、「じゃあ、(自分が見た人は)別人だったのか」と思っていた。

しかし、その後弁護士たちが再審請求をしていることを知ったために、矢も楯もたまられない思いから、新聞社に連絡をしたということです。木村さんの新証言で私たちが注目したのは、運転していた人は30代で、女の子2人が乗っていた。土曜日でもない平日の午前中の時間帯でランドセルを背負っているという極めて特異な状況であるのに、話を聞きにきた警察が、その車が白の軽貨物だったということを聞いた途端メモすることを止めたということです。

その時点で警察は、犯人は久間さんだから、久間さんの車と違っていたと聞いた途端に、その貴重な証言を記録に残すということを怠っていたということなんです。これが今、私たちが第二次再審請求で新証拠として裁判所に出している証拠であります。

◆死刑判決の第3の柱 しかし、再審請求は棄却された ── Oさんの供述

もうひとつは、死刑判決の第3の柱だった、誘拐された女の子たちを最後に目撃したとされていた方の証言です。この方をOさんとします。彼女が私の事務所に電話をかけてきたわけです。「再審請求が棄却されたという新聞報道をみました。じつは私が女の子たちを見たのは誘拐された当日ではない。その日ではないと私は何度も警察にいったが、事件当日だとされてしまったんです」と言ってきた。

自分の証言のせいで久間さんは死刑になってしまったのではないかとずっと気にしながら生きてきて、再審が開始されればいいなと思っていたところ、再審開始の道が閉ざされたという報道をみたので、あっちこっち調べて電話したと言いました。

このOさんの供述調書を新証拠として提出しました。我々からすると第一の柱であるDNA型鑑定は改ざんされていたということで証拠から外された。遺留品の発見現場付近で不審な車をみたという目撃供述は警察官の誘導によるものであるということで排除された。

そして第三の柱である被害者が最後に目撃されたという方の証言が、じつは事件当日のものではなかった、つまり誘拐現場が違ったということが明らかになったために、死刑判決の理由が全部間違いだったとなった。

ですから私たちは、6月5日は福岡地裁で間違いなく再審開始となるだろうと思っていた。しかし、再審請求は棄却されました。

裁判長は何をいったか? まず木村さんについて、「木村さんが目撃した車両が犯行に使われたかどうかは特定できない。事件と関係ない可能性がある。目撃したその人物が犯人かどうかは特定できない。新証拠としての明白性がない」といいました。

Oさんについて裁判所はどういったか。「26年前の古い話だから、記憶はあいまいだ。古い調書の供述の方が具体的だ。26年後にそんな古い話について新たな証拠とすることは信用できない」。こういう理由で再審請求を棄却しました。

私たちはこの6月5日の決定に一番憤りを感じたのは、Oさんの証言を26年も経っているということで排斥したことです。皆さんにぜひわかっていただきたいことは、このOさんがどういう思いで、26年前の自分の供述が実はつくられたんだということ、本当の体験ではないんだということを新たに供述したかということです。

これは、自分があいまいな態度で、警察に誘導されるままに供述をしてしまったがために、久間さんを死刑にしてしまったという良心の呵責、自分のあいまいな供述が人の命を奪ったかもしれないという人間としての呵責を感じたがゆえに、わざわざ私たち弁護士事務所の電話番号を探して連絡をしてきてくれたわけです。

そんなことをせずに黙っていてもいいわけでしょう。30年もの年月を経て新証拠を証言しようと考えるにいたった、そのОさんの気持ちを全く顧みることなく、ただ古いというだけで切り捨ててしまう。そして警察がわざわざOさんの証言を事件当日なのに誘導する必要性はみあたらないというような理由をつけて排斥をしてしまう。

普通だったら、Oさんが言う通りだったらどうなるだろうかということで、前の供述と新しい供述を単に比較するだけではなく、これが事実ならどうなるのかと、DNA型鑑定や後ろのタイヤがダブルタイヤだったということについて、もう一度証拠を洗いなおしてみるはずだが、ここに入ってしまったら全部壊れてしまうので、入口で再審請求に蓋をするしかない。

木村さんやOさんの証言が信用できないと切ってしまうしかない。そんな判断ではないかと理解するしかありません。(つづく)

◎徳田靖之弁護士講演会 6月5日飯塚事件「不当決定」を許さない(2024年9月14日 大阪浪速区大国 社会福祉法人ピースクラブにて)

◎《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く ── 飯塚事件再審[全6回連載](構成=尾﨑美代子)
〈1〉弁護士として、自ら犯してしまった過ちをいかに一人の人間としてどう償うのか
〈2〉失われていた物証と証拠の改竄
〈3〉無実の人を殺してしまった日本の裁判所
〈4〉死刑判決の理由は、全部間違いだった

▼徳田靖之(とくだ・やすゆき)
弁護士。1944年4月大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒。1969年弁護士登録。大分県弁護士会所属。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表、ハンセン病市民学会共同代表、薬害エイズ九州訴訟共同代表。飯塚事件弁護団共同代表

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

1986年の「福井女子中学生殺人事件」── 名古屋高裁金沢支部が再審開始を決定 尾﨑美代子

38年前に起きた「福井女子中学生殺人事件」で10月23日、名古屋高裁金沢支部は再審開始の決定を出した。この事件は、確定審の一審で無罪判決、その後の控訴審で逆転有罪判決がくだされ、被告の前川彰司さん(現在59歳)は7年間服役、その後、第一次再審請求審でも再審開始が決定したのち、検察が異議申し立てを行い、その後決定が棄却された。今回の第二次再審請求審でも再審開始の決定が下されたが、検察がどうでるかが注目されていた。そして10月28日、検察は異議申し立てを断念し、再審開始が決定した。

ある意味、事件で被告となった前川さんは2回無罪となり、今回で3度目の無罪判決を下されたようなもの。ここまで38年かかった。

これまでの経緯を調べてみると、前川さんのお父さん、亡くなったお母さんも息子の無実を信じずっと一緒に闘ってきた。お父さんが言っているように、事件のあったその日、まさにお父さんらは前川さんと一緒にいたのだもの……。

◎[参考動画]無実の証明へ決意新た 前川彰司さんが施設入所の父親に再審決定を報告(FBC福井放送2024年10月24日配信

◎[参考動画]【福井女子中学生殺人】「38年…長すぎた」と91歳父 前川彰司さん再審確定を報告(福井テレビ10月29日配信

事件当時、地元のシンナーなど吸っている不良仲間も多数取り調べられ、そこには前川さんも入っていた。しかし、前川さんはすぐに容疑者からはずされた。両親が一緒にいたという強固で完璧なアリバイがあったからだ。しかし、福井警察署は、容疑者逮捕にいたらず、世間の非難をあびるなか、勾留中のヤクザの組員のうその供述をきっかけに、前川さんを犯人にしたてていった。

事件当日、衣類や身体に血のついている前川さんを見たという関係者をつくりあげ、前川さんを包囲していった。主要関係者のほとんどは、シンナーや覚せい剤事件に関わっていたりするうえ、20歳前後の若く社会的にも弱い立場であり、警察のいうがままに、前川さんが犯人だとのうその供述を述べていった。いや、警察で言わされていった。その際、先の家族が一緒にいたとのアリバイは「家族のいうことだから信用できない」と否定されていった。お父さん、どんなに悔しかったろうか。

再審開始の決定を聞かされ、前川さんのお父さんは「馬鹿にされた」と号泣していた。調べてみると、お父さんは福井市の職員で、福井市長候補にまでなったような人のようだ。前川さんにお父さんのお話をお聞きした。前川さんが逮捕されたのちは、お父さんは職場でも四面楚歌状態だったという。そりゃ、そうだ。息子が殺人犯とされたのだ。それでもお父さんは職を辞さず働き、その後徐々にお父さんを信じ、お父さんとともに闘うという人たちが増えてきたという。

このお父さんに読んで欲しいと思い、拙著『日本の冤罪』を前川さんに送った。施設に入っているお父さんに届けますと前川さん。

お父さんがいうように、本当に警察、検察は前川さんらを馬鹿にしてきた。再審(裁判のやり直し)をやるためには、これまでなかった新しい証拠を裁判で提出しなければならない。関係者が犯行後に前川さんが乗った車には、血がべったりついていたと証言したが、ルミノール反応は陰性だった。これに対して、検察は関係者がヤバいと思ってめっちゃ丁寧に拭いたと証言していた。これに対して弁護団は「いやいや、どんなに丁寧に拭いても絶対反応は陽性になるよ」という鑑定を行い、それを含めた新たな証拠を提出していた。

しかし、驚くことに今回明らかになった証拠があった。それは「前川が犯人だ」と供述した関係者が事件のあった当日、「夜のヒットスタジオ」を見ていたが、そこでアン・ルイスの後ろで吉川晃司が腰を振る非常にいやらしいダンスを踊っていたと供述していた。

あんな場面を見た日だから、その日のことは良く覚えていると。しかし、今回、検察が新たに開示した証拠の中に、そのいやらしい場面が放送されたのは事件のあった19日ではなく、翌週26日だったこと、事件のあった19日アン・ルイスが歌ったのは「ああ無常」で、26日にいやらしいパフォーマンスで歌ったのが「六本木心中」だったことがわかった。

当時のこの番組を知らない人はピンとこないかもしれない。「夜のヒットスタジオ」は当時ヒット曲を出した歌手が毎週でている。アン・ルイスも吉川晃司も当時ヒット曲があったのだろう。だから毎週のように出ていたのだろう。私はこの二人が共演した非常にいやらしいパフォーマンスは覚えていないが、当時あの番組はバブル前夜ということもあり、セットなどにも非常に金をかけて凝った豪華な演出をしていた。

しかも警察、検察は、このいやらしい場面が放送されたのは事件当日の翌週であることを知っていた。それをずっと隠していた。関係者には当日の新聞の番組欄を見せ「ほら、ここにアン・ルイス、吉川晃司と書いてある。この日だろう?」と確認していた。でも、放送日の動画を取り寄せ視聴していた警察、検察は、アン・ルイスと吉川があんなにいやらしい、今では絶対放送できないであろう場面を放送していたのは、事件の翌週という事実を知っていたのだ。

「あの日ではないが、間違っているが黙っていよう。隠しておこう」と裁判でもその場面について証人尋問を回避した検察官は、そのことを今、どう思っているのだろう。恥ずかしくないのか。

まもなく始まる福井女子中学生殺人事件の再審裁判に注目していただきたい。


◎[参考動画]袴田ひで子さん「励まし合ってきた。とても喜んでいる」 殺人事件で有罪が確定した前川さんの再審開始決定】(テレビ静岡2024年10月23日配信)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』