◆民事提訴とその判決

昨日の工藤會裁判(刑事)につづき、民事についても触れておこう。

その前に、今回の裁判の弁護団のひとりに感想をいただいたので、簡単に触れておこう。「予想外の判決だった。死刑はないだろうという予想だった」ということである。

昨日の記事で「想定どおり」としたのは、ある意味では訳知りのミスリードになるかのかもしれない。事実吟味のない、とんでも判決であることは論証したとおりだ。メディアの反応も「組織のトップに初めての死刑判決」というものだが、こちらは事実を伝えているにすぎない。

さて、民事についても裁判所は「親分」に厳しい。歯科医師は野村悟ら4人に対し、総額約8400万円の損害賠償を求める訴訟を福岡地裁に起こし、2020年2月に和解している。和解金は明らかにされていないが、山口組や稲川会の事件の判例から考えて、請求の6割前後であろう。

元警部の民事事件では、3000万円の訴訟にたいして、1600万円の判決(福岡高裁)だった。工藤會側は控訴をしていない。

元漁協組合長殺害事件の遺族も「損害賠償命令制度」を利用し、総額7800万円の支払いを求める申し立てをしている。

この損害賠償命令制度が一般にも広がっているのは、暴力団追放センター(警察OBが天下る)による代理訴訟制度が完備したからである。

そしてここが、注視しなければならない問題である。暴追センターの権益が拡大することで、警察官の天下り(民間企業の警備員)が横行するのだ。そしてその利権は、掛声とは裏腹にヤクザ組織の温存へと結果すると指摘しておこう。

工藤會の頂上作戦が始まって足掛け7年になるが、元暴対本部長がその著書で明かしているように、工藤會は解体どころかその端緒についたに過ぎない。それというのも、地元採用の警察官たちは水面下で工藤會と結びつき、幹部たちも壊滅に追いやる気がないからだ。かれらにとって、工藤會は飯のタネなのだから。

◆上納金の課税問題

工藤會をめぐっては、上納金の扱いにもメスが入れられた。ヤクザの法人格は「任意組織」であり、国税が介入しないこともあって、事実上の「非課税」とされてきたものだ。つまりヤクザ組織とは、学会や会費制の同好会と同じなのである。指定暴力団である以上、国家がその存在を公認してもいる。

経済規模で一兆とも二兆円とも推定される、ヤクザ資金に国税の網を掛けるために、財務省と警察庁は試行錯誤してきた。

ところが肝心の国税職員が、ヤクザの事務所を訪ねられない。怖いからである。いっぽうでヤクザ組織の経理の透明化をもとめれば、ヤクザの合法性、存在意義を確固たるものにしてしまう。その意味でヤクザへの課税は、当局にとってアンビバレンツな課題だったのである。

そして、暴対法および暴排条例に盛り込まれなかったヤクザへの課税が、今回の工藤會裁判(別件)で問われることになったのだ。

すなわち、個人への課税である。上納金(本家運営費)を個人口座に入れていたことで、野村被告の「個人所得」としたのだ。以下は、判決内容である。

「特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)の上納金をめぐり、約3億2000万円を脱税したとして所得税法違反罪に問われた同会総裁野村悟被告(74)について、最高裁第3小法廷(宮崎裕子裁判長)は18日までに、被告側の上告を棄却する決定をした。16日付。懲役3年、罰金8000万円とした一、二審判決が確定する。」(新聞記事)。


◎[参考動画]工藤会トップ“死刑判決” 裁判長に「後悔するぞ」(ANN 2021年8月25日)

◆ヤクザは壊滅するべきなのか?

さて、今回の工藤會裁判を機に、論壇でも暴力団政策をどうするのか、朝日新聞「オピニオン・フォーラム 耕論 消えゆくヤクザ」で福岡県暴追センター(警察OB)とアウトロー系のジャーナリスト、映画監督らがそれぞれの思うところを語っている。ひきつづき、工藤會裁判との関係で諸論を紹介、批評していきたい。

このうち「犯罪組織は壊滅すべきだ」とインタビューに応じているのは、藪正孝という元県警幹部(暴力団対策副部長・暴力団追放センター専務理事)である。
藪は地元採用組で、いわば叩き上げの刑事あがりである。つまり、キャリア組ではない。

この「犯罪組織」を数十年前の「過激派組織」「極左暴力集団」に置き換えてみれば、藪が言う警察権力の恣意性は明らかだ。ヤクザには犯罪者が多いが、警察官にも犯罪者は多いから、警察もヤクザと同じ「犯罪組織」だ、とわれわれは言うことも不可能ではない。いまは、それは措いておこう。

藪が専務をつとめる「暴力団追放センター」は、年間事業費7000万円という、税金からの補助金を柱にした資産18億の公益財団法人である。警察官から天下った専務理事の給料が、なんと月額48万円もの高額なのである。

つまり藪正孝という人物は、福岡県警から暴追センターに天下り、現役警察官時代以上の高給を得ているわけだ。そしてそういう人物が、公然と「工藤會は壊滅しない」と著書で語るところに、その相互依存関係は明白というべきかもしれない。追放運動を本気でやるのなら、税金を食い扶持にするのではなく、ぜひともボランティアでやってもらいたいものだ。

いっぽう、ヤクザ関連の著書が多い末広登(龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員)は、暴力団離脱後の受け皿がないと指摘する。ここ9年間に組織を抜けた5453人のうち、就職者数は165人にとどまり、3%の元組員しか就職できていないというのだ。元暴5年条項というものがあり、組をやめても5年間は銀行口座、アパートを借りるなど、社会生活を送ることもままならないのだ。

ところが、上述の藪正孝は「希望する職種に就けないことはあっても、就職できなかった人はいません」という。どっちが本当なのだろうか。

映画「ヤクザと家族 The Family」を撮った河村光庸は、不寛容な社会が憲法に保障された基本的人権を軽んじている、と指摘する。

末広が指摘する「離脱後の検挙人数が、一般に比べて60倍以上」(警察庁)から考えれば、あるいは「元暴アウトロー」が特殊詐欺や覚せい剤事件に関与していることを考えるならば、ヤクザ組織の壊滅こそがヤバいのではないだろうか。組織の箍(たが)をはずれた元暴犯罪者を再選産しているのだから。

藪はヤクザが覚せい剤事件に関与するというが、ヤクザは公式には覚せい剤はご法度である。山口組が政界人・文化人とともに、覚せい剤撲滅運動に取り組んだ歴史(麻薬追放国土浄化同盟)を、藪が知らないわけではないだろう。

このように、暴力団(ヤクザはこの名称を名乗らない)と、われわれの社会がどう向き合っていくのか。その「解体・壊滅」はどのような道筋を辿るべきなのか、まだまだ一筋縄ではいかない課題なのである。

すくなくとも、凶悪犯罪の共謀の事実関係をなおざりにした判決が、極刑としてくだされた事実を刻んでおくべきであろう。


◎[参考動画]暴力団「工藤会壊滅」カギは”離脱・就労支援” 福岡県警(RKB毎日放送2021年8月25日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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◆予想どおりの判決だが――

8月24日、五代目工藤會の最高幹部(野村悟総裁・田上不美夫会長)に対する判決が下りた。予想どおり極刑であった。福岡地裁足立勉裁判長は事件全てに関与を認定し、野村総裁に求刑通り死刑、田上会長に無期懲役(求刑無期懲役、罰金2000万円)を言い渡した。

弁護側は「証拠に基づかない、憶測による求刑を追認したもの」として、判決を批判している。ヤクザの場合は組織を離脱・現役引退がなければ仮釈放がないので、無期刑は終身刑と同義である。

罪名にかかる事件は、後述する4つである。

警察・検察と裁判所が「反社」というキーワードで連携した、裁判の判決そのもの評価にはさして意味がない。90年代の暴対法、2011年以降の排除条例いらい、暴力団裁判における重刑の流れは決まっている。

◎[関連記事]横山茂彦「工藤會野村悟総裁に極刑を求刑 証拠なしの裁判がいよいよ結審に」(2021年1月19日)

明確な指示や命令をしていなくても、子分の犯行に親分は責任を問われる。この強引な法的根拠は、民法の使用者責任である。

第715条(使用者等の責任)
1.ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2.使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
3.前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

この場合の「事業」とは、暴力団抗争や不法行為全般と認定されている(判例=?平成16(受)230 損害賠償請求事件、平成16年11月12日)。

上記1項の但し書きにある「使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をした」としても、暴力団特有の親分子分の絶対服従の関係で、子分はその意向を無視できない。ということになるのだ。

かなり曲解をしないと無理だが、とにかく暴力団裁判ではこう推認される。親分にその意志があれば、子分はそれを忖度して犯行におよぶ。よって、犯行は親分の責任であると。

ヤクザ排除の背後に警察利権、たとえばヤクザからシノギを奪い、警察OBの再就職警備業務を民間に拡大する思惑があるとしても、暴力団排除は時代の趨勢である。

上記のような曲解にもとづく裁判が行なわれるのも、警察権力に唯々諾々としたがう裁判所の倣いであろう。そして国民はそれを支持する。伝統的な任侠道それ自体が、もはや過去の遺産なのだといえよう。

ヤクザの存在が過去のものと感じるのは、われわれ戦後世代にとって暴力は身近にあるものだったが、すでにそれは過去のものなのであろう。

父親や教師はふつうに体罰を用いたし、それは昭和の社会に是認されてもきた。いまや、口でつよく叱っただけでモラルハラスメント、パワーハラスメントの社会なのだから。

問題なのはメディアが警察の反社キャンペーンに迎合し、裁判にかかる極端な法運用に無批判なことである。使用者責任が一般の企業に適用された場合、経営者は事業にかかる被害の発生責任を、すべて負わなければならなくなる。あるいは政治的、恣意的な捜査が行なわれた場合、法律の歯止めが利かなくなる。これでは法治国家とは言えないだろう。

そしてジャーナリズムにおいては、事件の背景を知らないものがきわめて多い。警察当局の発表を鵜呑みに、暴力団対市民社会という構図でとらえがちである。実態は必ずしもそうではない。


◎[参考動画]北九州市の暴力団・工藤会トップらに判決「主文後回し」厳刑へ(福岡TNCニュース 2021年8月24日)

◆被害者は元山口組親分

まずは、個々の事件から解説しておこう。

1998年2月の元漁協組合長射殺事件
2012年4月の福岡県警元警部銃撃事件
2013年1月の看護師刺傷事件
2014年5月の歯科医刺傷事件

このうち1998年の被害者の「元漁協組合長」とは、元山口組梶原組組長の梶原国弘なのである。

じつは2013年12月にも、梶原の実弟の上野忠義(漁協組合長)が自宅前で殺害されている。そして2014年の歯科医死傷事件の被害者は梶原国弘の孫で、父親が現職の漁協組合長なのである。

つまり梶原家と工藤會の漁協の利権をめぐる紛争が、事件の背景にあったのだ。梶原国弘は山口組の代紋を降ろしたとはいえ、工藤會との関係では「ヤクザ同士」のシノギの関係にあり、孫の歯科医は「敵の弱い環を叩く」工藤會特有の戦術の犠牲者といえよう。

被害者の歯科医は一般市民だが、2014年には親族の会社社長が中学生を脅し、丸刈りを強いたとして強要容疑で逮捕されている。この親族の自宅から工藤會幹部の封書などが発見され、公共工事からの暴力団排除を目的に、親族が経営する建設会社名は公表されている。

この親族は前記漁協の理事でもあったが、この工藤會との交際が明らかになったことで辞任した。そして中学生を脅した席に、容疑者の親戚で北九州市議が同席していたことが、捜査関係者への取材でわかっている。何ともスリリングで危険な一族ではないか。およそ「一般市民」とは言えまい。

北九州の事件で、暴力団と一般市民という構造が紙面におどる背景には、この地域に特有の暴力的な体質がある。

18歳まで北九州市で育ったわたしの証言として、ふつうの市民がヤクザのように暴力をふるう。かつてはそういう土地柄であったことを知っておいて欲しい。たとえば2003年、工藤會組員が小倉堺町の「倶楽部ぼうるど」を手りゅう弾で襲撃したときは、複数の客が現場で組員を殺害している。過剰防衛と思われるこの殺害で、訴追された者はいない。客がヤクザよりも喧嘩に強く、殺されたのはヤクザだったのだ。


◎[参考動画]工藤会 最高幹部に判決へ(4) 求刑は死刑と無期懲役 4つの市民襲撃事件に福岡地裁の判断は?(福岡TNCニュース 2021年8月23日)

◆71年前の地元抗争と58年前の紫川事件

梶原組と工藤會の因縁は、じつに70年以上も前にさかのぼる。戦後混乱期の1950年のことである。草野一家(工藤組系)草野高明組長の実弟が、梶原組の組員に刺殺される事件が起きているのだ。この抗争は手打ちが成立せず、梶原組と草野一家の対立はつづいた。

1963年になると、梶原組が三代目山口組(田岡一雄組長)の傘下にはいる。このとき、小倉の安藤組と長畠組が、梶原組とともに山菱の代紋を受けている。北九州に山口組が進出したのである。

同じ年、山口組内菅谷組の菅谷政雄が北九州小倉に芦原興行社を設立し、工藤組の前田プロダクションの興行(北原謙二=歌手)に、力道山のプロレスをぶつけてきた。菅谷組の北九州進出は、山口組の若頭である地道行雄との権力争いがあったとされているが、いずれにしても山口組の枝の組織が大手を振って小倉を歩くのを、工藤組が看過するはずはなかった。

両者のいさかいは抗争事件に発展し、菅谷組が工藤組の前田国政(前田プロ)を射殺、工藤組の組員が山口組内安藤組の組員を拉致殺害し、紫川に放置するという事件に発展する。

事態を重くみた山口組田岡三代目が収拾に乗り出し、九州ヤクザの大物である大野鶴吉の仲介を頼んで手打ちとなった。のちに博多で起きた「夜桜銀次事件」で山口組と工藤組(および九州連合)が抗争寸前の事態となるが、このときも地道政雄の仕切りで和解している。以降、山口組は北九州から撤退する。梶原国弘がヤクザの看板を下ろしたのは、このような流れの中である。

※工藤會は工藤組から工藤連合草野一家(1987年)となり、現在の工藤會(1990年)と改称した。

◆元警部銃撃事件と看護師傷害事件

2012年の元警部銃撃事件は、もともと工藤會担当の刑事だった人物が病院の警備員に天下りし、これを組員が襲ったものだ。

実行犯の組員は検察側の証人尋問で、事件の約2週間後、指示役の工藤会系組幹部から北九州市小倉北区の組事務所で、現金50万円入りの封筒を渡されたと述べている。

同人は「こんなんもらうためにやったんじゃありません」と一度は返したが、組幹部は「いいから」と胸ポケットに入れてきたという。この事件の実行犯(元組員中田好信)の判決は懲役30年(事件3件)である。

2013年の看護師襲撃事件は、その背景がちょっと恥ずかしい。野村悟総裁が局部の外科手術を受けたさいに、看護師の軽口に腹を立てて組員たちに不満を述べたところ、それをおもんぱかった組員が犯行に及んだのだ。この事件については「女の娘(おんなのこ)を襲撃するとか、極道のすることやないです」と、工藤會幹部があきれた口調で語ったものだ。

先代の溝下秀男三代目は、芸能人や作家の局部増大手術を請け負った人である。なぜ生前にやってもらわなかったのか、事件の深層は奈辺にありそうだ。溝下が残した極政組の組長ほかふたりの幹部が、溝下没後に殺害されたのは誰のさしがねだったのか……。溝下のユーモアや深謀遠慮は敬称されず、過激な武闘路線のみが生きのこったのだ。(つづく)


◎[参考動画]【注目裁判の焦点】暴力団「工藤会」”死刑求刑”のトップに24日判決 福岡(RKB毎日放送 2021年8月23日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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2014年9月に福岡県警が特定危険指定暴力団「工藤会」の壊滅作戦に乗り出してからまもなく7年。4つの市民襲撃事件で殺人などの罪に問われた同会の総裁・野村悟被告と会長・田上不美夫被告に対する判決が8月24日、福岡地裁で宣告される。野村被告は死刑、田上被告は無期懲役を求刑されながら、ともに全事件で無罪を主張しており、どんな判決が出ようとも大きく報道されることだろう。

かくいう私は今年3月、福岡地裁で弁護側が最終弁論を行った野村、田上両被告の公判を傍聴した。それを聞く限り、捜査や検察側の有罪立証にはあまり報じられていない問題も色々あり、両被告の無罪主張も無下に否定できないように思えた。この場でそのことを少し紹介してみたい。

◆総裁は「隠居」、会長は「象徴」

野村、田上両被告が裁判で罪を問われている事件は、(1)1998年2月の元漁協組合長射殺事件、(2)2012年4月の福岡県警元警部銃撃事件、(3) 2013年1月の看護師刺傷事件、(4) 2014年5月の歯科医刺傷事件――の計4件。検察はすべての事件について、両被告の指示や了承のもと、工藤会の組員が実行した組織的な犯行だと主張しており、対する両被告はすべての事件について関与を否定する構図となっている。

もっとも、裁判では、少なくとも(2)(3)(4)の3件は工藤会の組員が実行したことに争いはない。したがって、同会の最高幹部である野村、田上両被告は道義的な責任を免れないだろう。ただ、両被告が刑事責任まで負わねばならないかはあくまで別の話だ。そして事実関係を見る限り、4つの事件で両被告から実行犯に対し、犯行の指示や了承が本当にあったかというと極めて微妙な印象なのだ。

まず疑問なのは、そもそも野村、田上両被告が事件当時、工藤会の組員らに重大な犯行を実行させるほどの権限を本当に有していたのか、ということだ。

というのも、野村、田上両被告の主張によると、工藤会では、総裁は「隠居」、会長は「象徴」という立場であり、会の運営は部下でつくる「執行部」が担っていたという。そして実際、両被告のこの主張を支持する証言も存在する。裁判に証人出廷した当時の工藤会幹部で、対立関係にあった別の幹部を殺害した罪により無期懲役刑に服する木村博受刑者が「(両被告は)口を出したりすることはなかった」と証言し、両被告の主張を裏づけているのである。

田上被告は福岡県警元警部の銃撃事件について、「元警察官を銃撃すれば、警察が全力を挙げて工藤会の壊滅に動くのはわかる。そんな愚かなことはしない」と主張していたが、この主張にも特段おかしなところはない。犯行を主導していたのは執行部であり、「隠居」や「象徴」という立場の両被告が執行部の犯行を止められなかったのが組織の内実だという可能性も充分にありえるように思われた。

野村、田上両被告の裁判が行われている福岡地裁

◆10年以上前に不起訴になった事件で改めて逮捕、起訴

1つ1つの事件に関する弁護側の主張を聞いていると、そもそも警察、検察の捜査に無理があったように思える点も散見された。

とくに1998年2月の漁協組合長射殺事件については、田上被告は2002年に一度、実行犯とされる3人と一緒に逮捕されながら不起訴になっている。それにもかかわらず、10年以上経ってから福岡県警が工藤会の壊滅作戦に着手した際、田上被告は同じ事件の容疑で改めて逮捕され、起訴されたのだ。

弁護側はそのような事実を指摘し、「検察官が起訴したこと自体が違法だ」と主張していたが、確かにこのような警察、検察のやり方は相手が工藤会だということで無理をした感が否めない。

誤解なきようにことわっておくが、工藤会が一般市民を襲撃する凶悪事件を繰り返していたことは確かで、私はそれを「なかった話」にしたいわけではない。そもそも、そんなことをしても私にメリットは何も無い。被告人が誰であろうと、事実は事実として正確に伝えたいと思うだけである。

ということで、今後も当欄では、この裁判について適時、取り上げていきたいと思う。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』9月号

GW前から注目を集め続けている紀州のドン・ファン事件。そんな中、この事件は1998年の「和歌山カレー事件」と捜査のやり方が似ていると指摘する報道が散見されるが、実は似ている事件がもう1つある。

1999年に注目を集めた「本庄保険金殺人事件」がそれだ。この事件とドン・ファン事件を比較すると、「あること」が見えてくる。

◆本庄保険金殺人事件の被害者たちは「覚せい剤中毒」だった

 

八木死刑囚の弁護団の著書『偽りの記憶「本庄保険金殺人事件」の真相』。弁護側の無罪主張が詳細に綴られている

埼玉県本庄市で金融業を営んでいた八木茂死刑囚が債務者たちに保険をかけ、殺害していたとされる本庄保険金殺人事件。逮捕前に連日、「有料記者会見」を開いて話題になった八木死刑囚は一貫して無実を訴えたが、裁判では2008年に最高裁で死刑が確定した。

確定判決によると、八木死刑囚は愛人女性3人と共謀のうえ、95年に工員の佐藤修一さんにトリカブトを食べさせて殺害し、保険金約3億円を詐取。さらに98~99年にかけて連日、多額の保険をかけた元パチンコ店店員の森田昭さんと元塗装工の川村富士美さんに大量の風邪薬を飲ませ、その結果、森田さんを殺害し、川村さんに急性肝障害などの傷害を負わせたとされる。

そんな本庄保険金殺人事件とドン・ファン事件が似ていることは2つある。

1つ目は、「被害者」とされる男性が覚せい剤を摂取していたことだ。ドン・ファン事件では、周知のように須藤早貴容疑者(25)が元夫で資産家の野崎幸助さん(享年77)に致死量の覚せい剤を飲ませ、殺害した疑いをかけられている。一方、本庄保険金殺人事件でも、八木死刑囚らに大量の風邪薬を飲まされていたとされる森田さん、川村さんの2人が実は覚せい剤中毒だったことが判明しているのだ。

実は八木死刑囚の裁判では、弁護側が多数の医学的根拠に基づいて、森田さんの死と川村さんの傷害は風邪薬が原因ではないと主張し、2人の症状が実は覚せい剤の接種によるものである可能性も浮上していた。しかし、森田さん、川村さんが覚せい剤中毒だったこと自体がほとんど報じられていないので、そのことを知る人は世間にほとんどいないだろう。

◆報道されなかった「ニコチンコーヒー」の酷い味

本庄保険金殺人事件がドン・ファン事件と似ていることのもう1点は、被疑者が死亡した男性に「味が酷いもの」を経口摂取させた可能性が疑われていることだ。

まず、ドン・ファン事件。須藤容疑者は野崎さんに口から覚せい剤を摂取させた疑いをかけられているが、複数のメディアが覚せい剤は強烈に苦く、口から飲ませるのは難しいと指摘している。一方、本庄保険金殺人事件でも、八木死刑囚らは佐藤さんをトリカブトで殺害する前に連日、タバコの葉とコーヒー豆を煮出して作った「ニコチンコーヒー」なるものを飲ませていたとされている。

このニコチンコーヒーの味に関しては、今日にいたるまで疑問を指摘した報道を見かけない。しかし、筆者がこれを実際に作ってみたところ、臭いが凄い上、口に含むだけで吐き気をもよおすほど強烈な味だった。こんなものを本当に飲ませることができたのか…と疑問を禁じ得なかった。

このニコチンコーヒーを佐藤さんに飲ませる役目を務めたとされる八木死刑囚の愛人女性は、容疑を認めているが、過酷な取り調べで「偽りの記憶」を植えつけられた可能性が心理学者から指摘されている。実際、ニコチンコーヒーを作ってみると、この心理学者の見解に信ぴょう性があるように思われた。

こうしてみると、本庄保険金殺人事件と比べ、ドン・ファン事件では、捜査の筋書きに疑問を抱かせる情報が多少なりとも報道されている。本庄保険金殺人事件の頃以降、20余年の間にインターネットが普及し、裁判員裁判も始まり、重大な冤罪が次々に明らかになったりしているので、事件報道も昔ほどは捜査機関にベッタリではなくなったのだろう。2つの事件を比べると、そういうメディアの変容が見えてくる。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

◆「『買収』が支える安倍晋三王国・山口」(横田一)と「森喜朗の偉大なる足跡」(編集部)
 
まったくもって、異常としか言いようのない事態がスクープされた。公選法を知らないのだろうか? いや、無法地帯というべきなのであろう。安倍晋三元総理の地盤、山口県下関市で起きた「事件」である。

 

タブーなき注目記事満載!月刊『紙の爆弾』5月号

「桜を見る会」への招待、および前夜祭への費用補填で、利益供与(事前買収)あいた有権者たちを前に、安倍元総理は市長候補への「投票を依頼」したのである。

本誌グラビアでは、下関市長二期目をめざす前田晋太郎とともに、シュプレヒコールの拳をあげる安倍元総理のすがたが活写されている。記事は「『買収』が支える安倍晋三王国・山口」(横田一)である。

今回の下関市長選挙は、安倍派と対立関係にある保守の林芳正派(宏池会)が分裂を回避し、連合山口までが前田候補の応援に回った。にもかかわらず、無党派ともいえる田辺よし子候補が、2万2,774票を獲得した(前田候補は5万7,291票)。田辺氏は市議選でせいぜい2,000~3,000票の地盤であるから、今回の大健闘は、ほぼ安倍批判票だといえよう。

それにしても、下関における安倍利権の凄まじさには閉口する。ここは北朝鮮ではないのかと思うほどだ。横田一ならではの、現場直撃質問も本文を読んでほしい。すくなくとも、ひきつった安倍の表情がうかがえる。

「森喜朗の偉大なる足跡」(本誌編集部)は圧巻だ。ほとんどダメ政治家でありながら、総理の座を射止めた男の軌跡。そこには「なりたくてもなれないのが総理総裁」という格言が、逆に「正統性のなさ」ゆえに政治というものの不可思議さを、われわれに教えてくれる。サメの脳みそ、ノミの心臓、でも下半身はオットセイと揶揄されても気にしない感性のなさこそが、森を政治家たらしめた核心部なのかもしれない。

◆強力な連載陣──岡本萬尋、マッド・アマノ、西本頑司

今回は連載にも注目してみたい。「ニッポン・ノワール」を上梓したばかりの岡本萬尋の連載「ニュースノワール」は、袴田事件の帰趨を解読している。いま、再審の争点になっている味噌タンクから一年後に発見された「5点の衣類」(袴田さんとはサイズが合わないうえ、血痕の色の変化)のほか、凶器のクリ小刀など、袴田さんの無罪を立証する証拠調べにはそれほど苦労しない。にもかかわらず、東京高裁が再審決定を却下するなど、裁判所の「メンツ」へのこだわりは酷すぎる。差し戻し審の三者協議の進行が待たれる。

マッド・アマノの「世界を裏から見てみよう」は、有刺鉄線の歴史だ。戦争が政治の異なる手段をもってする延長(クラウゼビッツ)だとして、兵器は総力戦の時代において、政治をも規定するものとなった。有刺鉄線はまさに、総力戦の「時代に移行した戦術、塹壕戦の立役者であろう。炸裂弾による兵士の消耗をふせぐために、第一次大戦は700キロをこえる西部戦線に塹壕を張り巡らせ、戦車が登場するまで有刺鉄線こそが戦場の立役者だった。

そしてその歴史は、アメリカの西部開拓史抜きには語れないという。開拓者たちの有刺鉄線はカウボーイたちの自由放牧と、真っ向から対立した。さらには白人の開拓史が、6500万頭のバッファローを絶滅させた。ここでも「武器」は文明のあり方を変えてきたのだ。

「権力者たちのバトルロイヤル」(西本頑司)は、退陣するアンゲラ・メルケル独首相の偉業をたどる。そして再び到来するかもしれない「ベルリンの壁の崩壊」に言及する。その意味は、ドイツの孤立である。

◆冤罪事件から部落差別問題まで

「シリーズ 日本の冤罪」は、尾崎美代子取材による「滋賀バラバラ殺人事件」である。逮捕時68歳だった杠共芳(ゆずりはともよし)さんが、13個に切断された殺人事件で懲役25年の判決を受けたものだ。

「犯行に至った動機・経緯について不明な部分が残る」という、信じられないほど杜撰な判決である。杠さんが一貫して犯行を否認したにもかかわらず、高裁では証拠調べをすべて却下した一回廷の判決だったという。そして今年の2月に最高裁は被告の上告を棄却した。

レポートでは、杠さんがむしろ被害者を親身になって面倒を見てきた立場であり、被害者の預金(銀行融資)から約70万円を引き出した(この別件逮捕が捜査の糸口となった)のも、信用貸しで被害者に貸していたカネだったという。別件で起きたバラバラ殺人事件とともに、事件の真相を明らかにするためにも、杠さんの再審がもとめられる。

「【検証】『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか?」(第7回)は鹿砦社編集部による、士農工商の存否(身分制か職階か)をめぐる問題だ。

「士農工商」が江戸時代には「職階」にすぎず、明治に入ってから「身分制度」としての認識が醸成された。したがって、江戸時代には身分制度がなかった、との歴史解釈には極めて大きな違和感がある、というものだ。これには少なからぬ誤認があるので指摘しておこう。

「部落史における士農工商 そんなものは江戸時代には『なかった』」(横山茂彦 2021年3月27日)でも明らかにしたとおり、「江戸時代の文書・史料には、一般的な表記として『士農工商』はあるものの、それらはおおむね職分(職業)を巡るもので、幕府および領主の行政文書にはない。したがって、行政上の身分制度としての『士農工商』は、なかったと結論付けられる。むしろ『四民平等』という『解放令』を発した明治政府において、『士農工商』が身分制度であったかのように布告された。すなわち江戸時代の身分制が、歴史として創出されたのである。」

つまり、江戸時代の「士農工商」は行政上の身分制度ではなく「職分」(職階=職業上の資格や階級ではない)であり、北大路家康が、「『士農工商』、もう教科書にその言葉はありません」と語り、図版アニメの『士農工商』図は、士とその他に変形した。江戸時代に武士階級とその他しかなかった身分制度を表現したとおり、士分(武士)と一般民の身分差は厳然とあった。身分制度は存在したのである。

すなわち、士分と一般民、そして身分外の身分として、天皇や公家、医師、非人(穢多などをふくむ)が存在し、江戸時代はまさに身分制社会だったといえる。

中世前期の自由闊達な交通社会とは異なり、百姓の大多数が定住を強制された排外的、かつ差別的な社会だったのは、疑いのない史実である。

豊臣政権と江戸幕府が「政策的に」差別構造をつくったのだとしたら、兵農分離・検地による定住政策こそが起点といえよう。中世的な流動層が定住するには、もはや劣悪な土地と職業しか残されていなかったからだ。

にもかかわらず、それをもって政策的・行政的に「士農工商」という身分制度があったとは言えない。行政文書に「士農工商」という文言が存在しないからだ。これが史料批判を第一義に置く、文献史学の原則なのである。

そして「四民平等」の「解放令」において、部落民を「新平民」とした明治政府がさらに、天皇・皇族・華族・士族・平民・新平民という新たな身分制を再生産し、かつそれが「解放令反対一揆」にみられるように、庶民の中に根強い差別意識が存在したことを歴史が教えてくれる。

つまり江戸時代においても、穢多・非人に対する差別は、為政者においてではなく庶民のなかに旺盛だったのである。この論点こそが、こんにち「士農工商」が差別の根拠としての身分制ではなく、江戸庶民の意識の中にこそ身分差別があった。そして明治以降も、差別は支配者の政策ではなく、一般民の意識の中にある、とするものなのだ。その差別意識は、われわれの中に潜んでいる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

1月14日に工藤會トップ2人への論告求刑が行なわれ、野村総裁には極刑が求刑された。西日本新聞から引用しよう。

「市民襲撃4事件に関与したとして、殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)の罪に問われた特定危険指定暴力団工藤会トップで総裁の野村悟被告(74)と、ナンバー2で会長の田上不美夫被告(64)の公判が14日、福岡地裁(足立勉裁判長)であり、検察側は「危険な人命軽視の姿勢に貫かれた工藤会が、組織的に行った類例のない悪質な犯行」として野村被告に死刑を求刑。田上被告には元漁協組合長射殺事件で無期懲役、他の3事件で無期懲役と罰金2千万円を求刑した。両被告は一貫して無罪を主張しており、3月11日に弁護側が最終弁論して結審する。」(2021年1月14日西日本新聞)

ほぼ予想された死刑求刑だったが、現実のものになると感慨深いものがある。近年の暴力団裁判の審判例から考えて、野村総裁への死刑求刑はそのまま判決に反映されるであろう。田上会長への無期刑もしかり。ヤクザの場合は組織離脱(引退)をもって「改悛の情」をしめさない限り、無期懲役刑での仮釈放はありえない。したがって、無期判決は終身刑を意味するのだ。


◎[参考動画]工藤会トップに死刑求刑 福岡地裁 (福岡TNCュース2021年1月14日)

◆直性証拠がないまま、元構成員の証言を採用か?

両被告が起訴されたのは、元漁協組合長射殺事件、元福岡県警警部銃撃事件、看護師刺傷事件、歯科医師刺傷事件の4事件である。いずれも両被告の関与を示す直接証拠がない中で、実行犯組員たちへの指揮命令の有無が最大の争点となっている。弁護団は証拠なしの検察「立証」に猛反発している。

「両被告の弁護側は公判終了後、『証拠が無いでたらめな立証だ』と強く批判した。」(前出記事)

物的証拠や命令などの直接証拠がないまま、組を離脱した実行犯のいわば司法取引にひとしい自白証拠で、事件を決着させようというのである。

検察側は論告求刑において、工藤會には上意下達の厳格な組織性があると強調した。4つの事件は計画的、組織的に行なわれており「最上位者である野村被告の意思決定が工藤會の意思決定だった」と言及している。田上被告については「野村被告とともに工藤會の首領を担い、相互に意思疎通して重要事項を決定していた」と位置づけた。

肝心の「意志決定」とその「命令」や「伝達」は明確になされていない。親分の意志をおもんぱかって「実行」するのがヤクザの原則だというのならば、民法の使用者責任での立証ということになるはずだが、この論法での検察側敗訴は少なくない。判決が注目されるところだ。

◆警察官僚の狙いは壊滅ではない

トップに対する極刑求刑のなかで、工藤會の実態はどうなっているのだろうか。じつは筆者が編集長をつとめる雑誌『情況』最新号(本日1月19日発売)において、久々に工藤會幹部のコメントがとれた。

筆者は先代(溝下総裁)の時代から取材をさせてもらい、警察の一方的な「反社キャンペーン」を批判する、事実に基づいた報道に努めてきたつもりである。

ヤクザ報道がマスメディアにおいて「反社勢力キャンペーン」としてしか行なわれず、ヤクザの言い分は封じられてきたのは事実である。

そしてヤクザの親分衆を称賛するような記事は、書店のとりわけコンビニ系から忌避されてきた。福岡県においては、条例でヤクザ系雑誌を排除することも行なわれ、老舗雑誌は休刊を余儀なくされた。(「『反社会勢力』という虚構〈1〉警察がヤクザを潰滅できない本当の理由」2019年10月9日

国民的な議論をぬきに、反社というレッテル(かつて、日本の青年学生運動は、過激派・極左暴力集団とレッテルを貼られてきた)で社会的に排除する。それは官僚の価値観のもとに統制する、ファシズムに近い統治形態をもたらすものと言わざるを得ない。

そしてヤクザの側も、警察との古き良き関係を再度築こうと、反社キャンペーンには「沈黙」(山口組山健組のスローガン「団結・報復・沈黙」)してきたのが実態である。したがって、暴対法下のヤクザ取材はきわめて厳しいものがある。

幹部の下獄や長期拘留で、なかなかインタビューも難しくなっていたところ、「(横山)先生。わたしもこれで、またパクられるかもしれんですが」と言いつつ、応じてくれたインタビュー(独白形式)である。じつは右翼特集のときに、工藤會が親戚付き合いのある住吉会をつうじて、日本青年社の任侠系幹部に取材しようとしたところ、なかなか話が通じず(伝手の物故者が多かった)、その穴埋めとしてインタビューに応じてもらったのである。

『情況』最新号(1月19日発売)より

『情況』2021年01月号からすこし引用しておこう。

「福岡県警には警察庁から暴対専門の本部長が送り込まれて、もうこれで工藤會は潰されるなと、誰もが思うたことでしょう。なにしろ、全国で唯一の「特定危険指定暴力団」ですからね。」

「それから十年になりますけど、工藤會は潰れておりません。暴排条例はヤクザと付き合うな、経済的なことで付き合うたら、その者も処罰すると。公共事業から締め出すという条例です。うちと付き合いのある業者も、一時的には身動きがとれんことになりました。しかし、工藤會は潰れていません。元暴対本部の者が自著に書いております。『工藤會は弱体化したといえるだろうが、まだまだ壊滅にはほど遠い状況である』(『県警VS暴力団』)。

なぜかというと、わたしたちには生きた人間関係があるからです。カネで結びついとるだけでしたら、うちは本当に孤立して社会から締め出されたかもしれませんが、そうやない。絆(きずな)というものがあるんです。社会というものは人と人の付き合いです。いくら条例で縛り上げても、それを断ち切ることはできんのではないでしょうか。社会というのは、けっきょく人間なんです。憲法違反の条例で無理やり引き離そうとしても、それはうまくいきませんよ。」

「警察庁は沖縄をのぞく全国から警察官を北九州に動員して、一二年から工藤會壊滅作戦を実行しました。これの本当の狙いは、警察庁による予算の確保やないでしょうか。」

として、工藤會の幹部は「暴力団追放センター」が年間事業費7000万円という税金からの補助金を柱にした、資産18億の公益財団法人であること。警察官から天下った専務理事の給料が、なんと月額48万円もの高額であることを明らかにしている。

◆本部跡地の売却金が被害者側へ

工藤會は事務所機能がほぼ停止し、幹部会のほかの組織的な活動は実質的に自粛しているという。逮捕は構成員の数をこえる延べ数百人におよび、いまも三桁の組員が拘留ないしは刑に服している。

二次団体以下、傘下の各組においても代紋を出さないのはもちろん、組を名乗らずに一般企業としての活動に専念しているようだ。この場合、大きなフロント企業ではなく、家族が経営する飲食店などである。本部跡地の売却も順調に終えたという。ふたたび西日本新聞からである。

「北九州市などは(12月)18日、特定危険指定暴力団工藤会の本部事務所跡地(北九州市小倉北区)の売却で工藤会が得た売却益約4千万円が、同会が関与したとされる襲撃事件の被害者側に賠償金として支払われたと発表した。」

経過については、「故溝下秀男名誉顧問の導きではないか 九州小倉の不思議な機縁 工藤會会館の跡地がホームレスの自立支援の拠点に」(2020年2月19日)を参照されたい。

ヤクザの将来を占うといわれている工藤會への頂上作戦とその結果(判決)、およびそれを通じて変化する組織のありよう。今後も注視していきたい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

◆神戸山口組、二度目の分裂

神戸山口組の分裂が進んでいる。それも井上邦雄組長の出身母体である山健組およびその傘下の組が、そろって離脱するというのだ。すでに6月段階で獄中の中田浩司山健組組長から、離脱するとの意向がもたらされていたものだ。

この7月22日には、兵庫県高砂市内の喫茶店を借り切って、山健組の会合が開かれ、約二時間の話し合いののち「方向性が決まった」(参加した組長)となったという。参加者は20団体の組長で、それぞれが「一本独鈷(いっぽんどっこ)でやっていく」方向性だとされる。

織田絆誠(金禎紀)をはじめとする若手組長が、任侠山口組(現在は「絆會」)として離脱していらい、神戸山口組は二度目の分裂となりそうだ。離脱の理由は、任侠山口組のときと同じく、会費(上納金)をめぐってと観測されている。

◆高い会費がネックに

神戸山口組が六代目山口組から分裂したとき、100万円ちかい会費(上納金)と日用品の(本部からの)強制購入が負担になっているという理由だった。

分裂後の神戸山口組は、直参で月40万円から60万円とされていたという。コロナ禍でシノギもままならない中、会費以外にも盆暮れやイベントごとに支出を求められる。傘下組織にはかなりの負担になっていたようだ。そこで中田組長が会費減額を決めたところ、これに井上組長が異を唱えたのが実相だという。

ヤクザのシノギをめぐる、当局の締めつけは厳しい。フロント企業の公共事業からの締め出し。繁華街での用心棒代はもとより、組員直営の店への排除(暴力団お断りの店ステッカーなど、客への店の選別強要)も露骨なものがあった。さらにコロナ禍による繁華街の不況は組織の収益を直撃し、個々の組織の財政状態が組織離脱を決定的なものにしたようだ。

ところで、肝心の中田浩司山健組五代目は、昨年8月に起きた六代目山口組弘道会系の幹部銃撃に関与したとして、現在も拘留中の身だ。

警察関係者によると、「山健のトップ自らヒットマンとして報復に動いたと暴力団関係者は仰天しましたが、中田氏は否認を貫いています。本人は無罪を勝ち取り、数年で復帰できると自信を持っており、獄中から弁護士を通じて離脱の指示を出したとみられます」(文春オンライン、8月1日)だという。

◆「一本独鈷」という選択肢

山健組傘下の三次団体だとはいえ、約20団体がそろって離脱であれば、事実上の分裂ということになるが、関係者は「あくまでも個別の離脱です」と強調する。じつは「一本独鈷」というキーワードが事態を説明してくれそうだ。

というのも、暴排条例が施行されてから10年、指定暴力団は経済活動のみならず、組織運営でも身動きがとれない状態になっているからだ。そこで、一本独鈷(独立組織)となって指定から逃れる方法もないではない、という考えではないか。じっさいに、独立組織で非指定団体は少なくない。上部団体が指定を受けても、下部団体が独自に活動することも不可能ではない。

暴排条例の集中攻撃を受けた、北九州の工藤會の例で説明しよう。

本家およびその母体組織(田中組)の幹部(ナンバー3まで)が獄中に囚われ、実質的に本部機能が崩壊(工藤会館の売却など)し、傘下の組の事務所ものきなみに閉鎖命令。幹部会も公然とは開けない状態になっている。にもかかわらず、傘下の各組織は独自に活動を続けているのだ。

「個々バラバラですが、みんな元気にやっております。会議やら減ったぶんだけ、楽になっておりますね」(工藤會の二次団体の組長)という現状だ。

新たな抗争事件さえ起こさなければ、上部団体から離脱した組織が公然と活動できると、ヤクザ関係の弁護士は云う。非指定団体になる道だ。

工藤會の場合、事務所を使わずに活動継続できるのは、PCとスマホを駆使した活動方法を早くから取り入れていた(溝下三代目時代)からだという。

ただし、野村総裁・田上会長ら獄中幹部の公判は始まったものの、法曹関係者によると「元ヤクザが相手でも、一般人を対象にした殺傷事犯ですから、長期刑は避けられない」との観測である。えん罪事件の上高謙一組長が実刑だったこともあり、獄中の最高幹部が社会不在のままの状態は、ながく続きそうだ。

いずれにしても、改正暴対法・暴排条例のもとでのヤクザ組織の在りようは、昔ながらの一本独鈷というスタイルになりそうな気配だ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

衝撃的なニュース。いや、予期されていた大型百貨店の閉店である。

2020年5月20日付西日本新聞

【北九州市八幡西区の百貨店「井筒屋黒崎店」が入居する商業ビルを運営する「メイト黒崎」が、東京地裁から破産手続き開始決定を受けたことが20日、分かった。決定は11日付。破産管財人の弁護士によると、負債総額は約25億2600万円。井筒屋黒崎店は同じビル内の専門店街「クロサキメイト」(約80店)とともに8月に閉店する。】(西日本新聞・5月20日)

「北九州市の衰亡」とでも表現しておこう。2000年の小倉そごう、2001年の門司山城屋、2002年の小倉玉屋の閉店につづき、北九州からまたひとつ、商業・情報発信の拠点がうしなわれたことになる。

いっぽう、福岡市(博多)はこの5月に人口が160万を超えた。政令指定都市の中で160万人をこえるのは、横浜市・大阪市・名古屋市・札幌市についで5番目だという。福岡市の年間移入者数は1万4千人あまりで、じつにその8割が15歳から24歳である。つまり、高校・大学進学と就職の両面で、地方における一極集中が加速しているのだ。

2020年5月20日付西日本新聞

北海道における札幌市、東北における仙台市、中国地方における広島市と、ミニ東京への人口集中が、その他の地方の衰亡を招いている。そんな中でも、北九州市の衰亡は昭和型工業都市の凋落、福岡市は商業都市の隆盛として典型的であろう。

◆重厚長大産業の崩壊

北九州の凋落と福岡市の隆盛は、まさに戦後の日本の歩みを象徴しているといえよう。もともと福岡市(博多)は黒田52万石の城下町で、戦国時代いらいの博多商人の商業地でもあったのは史実である。

しかし、わたしが北九州に生まれた昭和30年代には、博多は単なる地方の商業都市にすぎなかった。というのも、北九州が五市合併(小倉・八幡・門司・若松・戸畑)で沸き立ち、県庁所在地(福岡市)を圧倒するいきおいで人口が増えていたからである。東京都の向こうを張って「西京市」という新市名が検討されたほどである。なぜ博多(福岡市)のように地味な町に県庁があるのか、子供ごころに不思議だと思っていたものだ。

合併のなった昭和38年に、三大都市圏(京浜・阪神・中京)以外では、初の政令指定都市となった。世に言う「日本四大工業地帯」のひとつでもある。すごいのは工業だけではなかった。門司鉄道総局とその機関区は九州の国鉄の司令部であり、西鉄の路面電車は80年代に全国最長を誇った。3大新聞の西部本社が存在するという意味でも、北九州市は博多(福岡市)を圧倒していたのだ。※松本清張は朝日新聞社の嘱託だった。

だが、その産業構造は石炭(炭田)と鉄(八幡製鉄)・セメント(石灰石産地)・化学工場(三菱・住友)・窯業(TOTO・黒崎播磨)など、重厚長大そのものであった。※佐木隆三は八幡製鉄、草刈正雄は東洋陶器の社員だった。

♪天に炎をあぐる山 鉄の雄叫び洞海に

わが母校の校歌の一節である。炎をあげている山は筑豊炭鉱(炭田)のぼた山、洞海湾にとどろく鉄の雄たけびは、いうまでもなく八幡製鉄である。なんともワイルドで、高度成長下の昭和を感じさせる歌詞ではないか。じっさいに校舎の近くには石炭列車の引き込み線があり、教室の窓から洞海湾が望めたものだ。

往時の八幡製鉄は2交代制勤務で、八幡の山沿いに住んでいる労働者たちは、リポビタンDを早朝・深夜営業の薬局でもとめ、ゾロゾロと工場の門に吸い込まれていた。また、小倉の繁華街では明け方まで、夜勤の新聞印刷労働者たちが酒を酌み交わしていたという。

若松港や門司港は、火野葦平の父親・玉井金五郎親分の時代から、港湾労働者(沖仲士)のメッカでもあり、喧嘩っぱやい気質は「北九モン」(北九州者)と、他県の人々から怖れられていたものだ。その地に仕事をもとめて、日豊線・筑豊線・日田彦山線・山陽線からの労働力が集中したのである。

だがその重厚長大な産業構造は、高度成長の限界とともに下降線を描くことになる。博多(福岡市)にくらべて、土地の狭隘さも仇となった。北九州市は海に面しているとはいえ、旧五市の中心地が山に遮られた盆地のような形状なのだ。住宅地は山裾に貼りつき、風光明媚な風景の反面で住みにくい町でもあった。

工業地帯としての凋落は、八幡製鉄と富士製鉄の合併(新日本製鐵・昭和45年)から始まった。このとき、多くの鉄鋼労働者家族が千葉県の君津(新日鉄君津工場)に移住し、北九州市の100万都市「崩壊」がはじまった。オイルショックのさなか、八幡製鉄所の溶鉱炉が消える。いよいよジリ貧である。

現在では、ネットのまとめサイト(Wiki)によると、工業地帯(地域)としての産業規模も凋落している。

【京浜工業地帯約55兆円、中京工業地帯約48兆円、阪神工業地帯約30兆円、北関東工業地域約25兆円、瀬戸内工業地域約24兆円、東海工業地域約16兆円、北陸工業地域約13兆円、北九州工業地帯約7兆円となり、工業地帯とは大きな差が開き、5工業地域との比較でも最少の北陸工業地域の半数程度まで低下した。】

ちなみに、現在の北九州市は自動車産業(郊外に工場誘致)が主要な産業だという。都市特有のドーナツ現象で、小倉魚町いがいの商店街はシャッター通りと化している。

北九州市観光情報サイトより

◆天神というブランド

北九州市の凋落のいっぽうで、博多(福岡市)は広大な筑紫平野とアジアへの航路を背景に、商業都市としての発展をとげてきた。天神は東京・横浜発の流行情報を真っ先に取り入れ、中洲は歓楽・観光拠点として全国に知られるようになった。

凋落の始まった北九州が、パンチパーマとノーパン喫茶、競輪発祥の地として、社会の仇花のような名を売っていた時期である。六本木とそん色のない天神の繁華街、プロ野球ダイエーホークスの誘致によって、両者の勝負は決定的なものになった。かたや旧100万工業都市、かたやアジア経済の拠点である。

もともと、黒田52万石時代に旧領の中津などから移住がおこなわれ、とくに美女を集めたといわれている。この事情は、佐竹氏(茨城→秋田)が美女を新領地の秋田に移住させたとする説「秋田美人」と重なる、いわゆる「博多美人」である。北九州の女性の「ケバさ(関西風の厚化粧)」にくらべて、いかにも東京風に洗練されている。このあたりも一因となって、若者の北九州離れ、博多流入が加速されたとみていいだろう。

いまや北九州は全国の政令指定都市のなかで、老齢化率ナンバーワンとなって久しい。じっさいに小倉や黒崎の街を歩くと、お婆さん率の高さに驚かされる。

そんな北九州市が生き残る方法は、もはや観光しかないのだ。門司港(レトロ地区)を中心に、映画のロケ誘致、古い倉庫群の保存などが、ようやく実を結びつつあるものの、広大な市域が不均等な発展、すなわちスラム化をもたらしている。その結果が、今回の黒崎井筒屋の閉店であろう。

あまりにも希望がなさすぎるので、宣伝用に観光広告を貼らせていただく。どうか、衰亡いちじるしい北九州市をよろしく。

◎北九州市観光情報サイト https://www.gururich-kitaq.com/
◎門司港レトロ http://www.mojiko.info/


◎[参考動画]わたしの北九州 ~近代産業発祥の地に刻まれた近現代建築を訪ねて ~(北九州市観光情報ぐるリッチ北九州)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る

特定危険指定暴力団工藤會本部事務所・工藤会館(北九州市小倉北区)の跡地の利用計画が決まったという(西日本新聞2月6日)。工藤会館は暴対法による使用禁止処分により、事実上の封鎖状態になっていたところ、北九州市のあっせんで民間業者が買い取っていたものだ。

工藤会館

四階建て鉄筋づくりの白亜のビルは、二階が事務所と応接機能、三階に広間、四階に会長室(ラウンジ仕様)があった。落成したのは80年代なかばのことになるが、当時すでに暴力団には会場を貸さないという行政指導が行なわれ、ヤクザは早晩、盃事の場所にも困ると考えられていた。当時の溝下秀男若頭が他に先んじて自前の施設をつくったのが、工藤会館なのである。

四代目工藤會継承式(溝下秀男から野村悟へ)の動画があるので、興味のある方は参照されたい。司会の玉井金芳氏は作家火野葦平の未子、先般アフガンで亡くなられた中村哲医師の叔父にあたる。


◎[参考動画]四代目工藤會 継承式1

西の隣が小倉競輪場(メディアドーム)で、わたしが取材していた当時は東側がラブホテルという立地なので、落ち着いた場所とは言えなかったかもしれない。事務所番に入る若い者たちは、なぜかウキウキしていたと、上高謙一秘書室長が語っていたものだ。

その理由とは、組織内ではほぼ御法度(溝下が賭け事を嫌った)の競輪ではなく、ラブホの窓が開いていれば部屋の天井がミラーになっているので、恋人たちのあられもない肢体が見えるというものだった。

◆不思議な機縁

さて、その跡地を業者から買い取ったのが、奥田知志氏が理事長をつとめる「抱樸(ほうぼく)」というホームレス支援のNPO法人なのである。同法人が生活困窮者の就労支援や子ども食堂といった弱者支援の施設を建設して「総合的な福祉拠点」を目指すという。資金は寄付金による。奥田理事長は「(工藤会本部事務所跡地に)新しいものを造る必要がある。北九州市の未来のため、重い歴史を、明るい歴史にしたい」と話した(西日本新聞)。

周知のとおり、奥田氏はシールズの奥田愛基さんの父親である。わたしは直接の知己はないが、奥田父は関西学院大学神学部の出身で、学生時代は釜ヶ崎支援の活動を行なっていた。

じつはわたしも、関西学院の成全寮に宿泊したことがある。関西学院から釜ヶ崎を支援するのは、ブント系某派の拠点活動でもあったのだ。

とはいえ、神学部の活動家は入学の頃から牧師になるのを志望しているので、釜の活動家になるという雰囲気ではなかったのではないか。新たに入信する牧師志望は、同志社の神学部(プロテスタント)か関学(カトリック)かという選択肢だったときく。牧師志望の関学の学生たちと、解放の神学(第三世界でのキリスト教の民衆運動)の研究会をやった記憶がある。

それにしても、工藤會の跡地がホームレス支援の拠点になるというのは、運命的なものを感じさせる。工藤會中興の祖というべきか、工藤組と草野一家を再統合した立役者というべきか。いずれにしても工藤會を九州一の組織に発展させたのが溝下秀男である。

工藤會を九州一の組織に発展させた溝下秀男名誉顧問

◆孤児院への支援

その溝下は、筑豊の孤児だったのである。溝下の幼少期は、ちょうど酒田に記念館がある土門拳が「筑豊の子供たち」という写真で筑豊を紹介し、観光客たちが写真を撮りに訪れるという、筑豊炭鉱の全盛時代であった。

幼い溝下にとっては、見世物にされることへの反発から観光客を追い返したこともあった。幼い妹たちを養うために、狸掘りという盗掘方法(本坑の横から狭い穴を50メートルほど掘って、夜間に石炭を盗掘する)で糊口をしのいだという。中学の時には会社をつくり、子分を従えていたという。

やがて門司の大長組をへて極政会を結成し、独立独鈷で一家をなす。ボクサーを志して上京ののち、田中六助(自民党幹事長・通産大臣など)に政治の世界に誘われるも、31歳での稼業入り(草野高明と親子盃)だった。

その溝下が心掛けたのが、孤児院への寄付や支援だった。北九州一円はもとより、遠くはドイツの孤児施設まで支援はおよんだ。前述した上高氏は「暑い中ですねぇ、鉄棒やらジャングルジムを組み立ててですね。たいへんな思いをしましたけど、子供たちが喜んでくれてですね」と語っていたものだ。

溝下氏と宮崎学氏の「任侠事始め」、上高氏と宮崎学氏の「小倉の極道冤罪事件」「極楽記」(いずれも太田出版)をわたしが編集したのは、もう20年近く前のことになる。2008年に溝下秀男が他界し、工藤會は急速に求心力をうしなう。

現在は中央機関(本家)がなくなり、情報交換のために幹部会がひらかれる程度だという。獄中の野村悟総裁の手記を見つけたので、興味のある向きはご覧ください。

◎工藤會 野村悟総裁「独占獄中手記」【前編】(2019年10月29日付週刊実話)

みずからの来歴と工藤會の歩みはそれなりに描かれているが、溝下没後に起きた粛清劇については何も書かれていない。全国のヤクザはおろか、警察のなかにも畏敬する信者がいた先代溝下にくらべて、野村氏の治世はあまりにも情けないと評しておこう。わたしもまもなく溝下の齢をこえる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◆政治組織への業態変化で生き延びる

三代目山口組の組織拡大が、変化する時代のニーズに合致した組織経営にあったのは、それでも例外的な成功であった。大半の極道組織は大規模な組織に系列として吸収されるか、地場にとどまって今日でも小規模な生業を維持している。

戦後の極道組織が山口組のような組織体質の刷新もなく、それでも今日まで生き延びてきた理由は、くり返しになるが政治組織への業態変化をあげておく必要があるだろう。極道業界の今後の命運を暗示するキイワードでもある。

三代目山口組が近代的な産業組織を胎内に熟成させつつあったころ、日本は高度経済成長前夜の動乱期にあったことはすでにこの連載で書いたとおり。社会的な混乱の要因は、共産主義革命の胎動である。1950年代の共産党武装闘争を経験した中には、軍隊経験のある人は当時の火炎瓶闘争や拳銃での武装を述懐して、あんなチャチな武器を使った戦争ごっこで、圧倒的な米軍に支えられた国家権力が転覆するとは、どうしても思えなかったと言う人もいるが、本気だった人も大勢いたのである。

◆鉄道雪だるま闘争──武装蜂起して九州を極東革命の拠点にする

九州で鉄道雪だるま闘争を経験した老練な左翼活動家の話によれば、朝鮮戦争が勃発したときは本気で革命が起きると思っていたのだという。マッカーサーの仁川上陸で中国の義勇軍が参加する前のことだが、やがて朝鮮半島から駆逐されたアメリカ軍が小倉に逃げてきて、それを追って金日成の人民軍が九州に渡ってくる。まるで古代大和政権の時代にもどったような戦争観だが、考えているほうは本気なのである。

そうなれば在日朝鮮人をふくむ日本の共産主義勢力は国際共産主義者の任務として、九州で武装蜂起して極東革命の拠点にする、などということが数カ月後には確実にやってくると、本気で計画されていたらしい。

このときおこなわれた鉄道雪だるま闘争というのは、ストライキの拠点に列車に乗ったオルグ団を派遣し、そこで入れ代わりに運転士を貨車に乗せて、次々と拠点を確保していく戦術で、中津や門司、鳥栖の各機関区をそうなめにして列車ストを拡大するのである。今ほど道路が整備されていないので、当時は鉄路を支配する力がものを言う。

◆極道組織を日米安保賛成の「国民運動」に参加させた政治家たち

このほかにも集団で警察署を襲い(菅生事件のようなデッチあげとされるものも多い))、署長以下をつるしあげて一般刑事犯をふくめた拘置されている人を解放する、とかの戦術も盛んだった。港湾労働者や炭鉱労働者も例外ではなくて、三代目山口組の組織する労働組合が革命に対抗する勢力として期待された理由がここにある。

鉄道関係ではのちに下山事件(国鉄総裁の轢死事件)や三鷹事件(無人列車の暴走)などの謀略で、組合員が大量に処分されたり共産党関係者が逮捕されたりということもあったが、GHQと日本政府にとっては60年安保にいたる過程は国家存亡の危機と感じられていた時代である。

そこで、政治家たちは左翼の暴力に対抗する手段として、極道組織を日米安保賛成の国民運動に参加させたのである。国民運動といえば聞こえはよいが、その実態は全学連のデモ隊に武器を満載したトラックで突っ込むだとか、労働者や市民の集会を攪乱するなどの手段であって、各所で流血の武装衝突も起こっている。

極道の各組織が神棚の天照大神、八幡大菩薩、春日大明神などの御符のほかに、国家主義のスローガンを掲げるようになったのは、じつはこれが四度目である。最初は明治の初期に身分制度が攪乱された騒擾の時期で、これは士族の不満分子を背景に藩閥政府への反乱(自由民権運動)や、いっぽうでは明治政府にしたがう勢力も少なくなかった(清水の次郎長)。

大正期の一時期にモダニズムの流行に乗って政治的右翼に看板替えをした、今日の生業の原型ともいうべき総会屋ふうのヤクザ組織があらわれたのが第二の時期。第三は、太平洋戦争にさいして大日本国粋会に組織されたときである。

もともと、お上の傍若無人な言動や弾圧には靡かない反権力を体質としていた任侠道の気風は、これで半分骨を失ったことになる。だが、今回は前の三度のゆきががりとは明らかに違う。戦後世界はすでに、米ソという国際的な体制間の矛盾を背景にした政治世界である。国家の庇護と要請にもとづいて、左右の衝突の渦中に身を晒すことになったのだった。いらい、極道と右翼は同じ名刺に印刷された二足の草鞋を履くことになるのである。

◆国家は民間暴力を承認しない

しかしながら、極道が国家体制の内側にいる時期は、それほど長くは続かなかった。

大資本や政治家としても、戦後の混乱期には極道の暴力を利用してきたが、高度成長が軌道にのり市民社会が成熟してくると、いつまでも凶暴な番犬を飼っているわけにはいかない。大衆消費社会が社会の隅々まで浸透して、あまねく家庭に冷蔵庫や洗濯機、電話、テレビをもたらし、アメリカ風の生活をもとめる富裕層はマイカーやエアコン、カラーテレビまで持っている時代がやって来た。もはや民衆が飢えて闇市をさまよった戦後ではない。

いつもワシントンの意向を気にしているとはいえ、すでに独立国家として軍隊なのかそれとも違うのかよくわからないが、とにかく国家防衛のための武装組織も拡充し、治安警察力にいたっては世界に誇るものがあるという時代に、独自の論理で好き勝手なことをする連中がいては困るのである。

1960年代後半から70年代の左翼の過激派壊滅作戦と同時平行しておこなわれたのが、暴力団壊滅のための頂上作戦だった。爾来、ヤクザは蛇蝎のごとく排斥される。いわく、ヤクザは市民の敵、極道は人間のクズ。いっぽうで東映の任侠映画で人気を博しながらも、任侠団体が暴力団という蔑称でさげすまれるようになったのもこの時期である。

◆「反社会勢力」なる虚構は、自民党を崩壊させる序曲である

話は急転するが、山口組の後継をめぐる組織同士の抗争もあって、いよいよ先進国としての体裁を考える為政者は断をくだした。恐喝や脅しをすればすぐにパクる(逮捕する)という暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が1991年(平成3年)に成立。1999年(平成11年)にはオウム真理教の破壊活動防止法適用に失敗したあとを受けて、組織犯罪処罰法(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律)という新法が成立した。これも極道組織への適用を射程にいれてのものである。

法の整備と同時に、新たな頂上作戦がこのところ極道組織を襲っている。五代目山口組の宅見勝若頭が殺害された事件(1997年8月)ころから、組幹部を護衛する組員の携帯している拳銃を理由に、これまで左翼組織にしか適用してこなかった共謀共同正犯を罪状として、若頭補佐クラスの幹部をたてつづけに検挙・指名手配して動きを封じようとしている。さらには民法上の使用者責任。そして2011年から各自治体で施行された暴排条例において、反社会的勢力としてのヤクザの排除は法的な完成をきわめた。それを完成と呼ぶのは、ほとんど憲法違反の条例だからである。これ以上の法の逸脱は限界であろう。

過去がどうであれ何であれ、自分たちの存立のために邪魔なものは切り捨てるのが国家の持つ、唯一性の原理なのだ。それは安倍総理の「ケチって火炎瓶事件」などに顕著である。しかしながら、政治家とヤクザは切っても切れない関係にある。選挙という膨大な民衆を相手にする以上、清濁併せ呑む度量がなければ政権は握れない。その意味では自民党が政権与党である根源的な理由(ヤクザとの付き合い)を破棄しようとする「反社会勢力」なる虚構は、自民党を崩壊させる序曲だと指摘しておこう。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

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