「貧困のデパート」と自ら称する渡辺てる子氏は、2019年参院選と2021年衆院選に、れいわ新選組から出馬し落選した。その後も活動を続けていたが、立憲民主党から声をかけられ、最終的には、れいわ新選組の山本太郎代表とも話し合い、4月17日投開票の練馬区議補欠選挙に立憲民主党公認で出馬することに決まった。

その渡辺てる子氏の半生を描いた拙著「渡辺てる子の放浪記」(同時代社刊)の出版を記念する会で、本人が講演(2021年11月29日)した。

その第4回(最終回)では、困窮者を泥沼に沈める魔の言葉=自己責任を取り除き、怒りをパワーに! という主張をお伝えする。(構成=林克明)

 

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

◆自己責任という魔の言葉

「自己責任」は、最近の言葉ではないですか。イラクで日本人が人質になったときに、国を挙げて彼らを守るべきなのに、「危ない場所だと分かっていて、そんなところに行った人間を私たちの税金で助けるのはおかしい。自己責任じゃないじゃないか」ということを当時の首相すら言いましたね。小泉純一郎さんですが。

国家の役割は、そこに生きる人々の生命と財産を守ることです。それを放棄した言葉が自己責任という言葉です。自己責任とは、権力者がわれわれに対して向ける攻撃的で否定的な言葉です。

自己責任と言った時点で、政治をつかさどる人は自分の責任を放棄したことになります。政治家失格だと思って間違いない。

「あの人は今」になってしまった菅義偉さんが一年前に言ったのは、自助・共助があって初めて公助。あれも政治家失格、責任放棄の言葉ですが、自己責任と言った時点で思考停止になってしまいます。

あなたが悪いんだから、あなたが自分勝手にどうにかしなさい、と。自己責任を負っている人間以外は、あなたの問題を考える必要はない、解決する必要はないんだ、生きようが死のうが私には関係ないんだ、勝手におやりなさいというのが自己責任という言葉です。

つまり一方的なものです。強い者から、恵まれた者から社会的に弱い人に向けて声を上げるなと言っている。政策的、政治的、抑圧的な意味合いを持っているのです。

◆自己卑下すると居心地よく、声を上げるとバッシング

ところがいま自己責任が内面化されてしまっている。ワーキングプア―の多くの人々が、「自分が貧しいのは自分の努力が足りなかったからです、あのとき、もうちょっとああしていれば、頑張りが足りなかった、努力が足りなかった、自分には能力がないんです」って言っています。

これが、政治を劣化させている要因の一つだと思っています。政治家を甘やかす言葉になっています。

こうした自己責任の内面化を取っ払うには、自己尊重感、自分は権利を持つ人間なんだ、権利を行使すべき人間なんだという自覚だと思います。これがないと、自己責任だ、自分が悪いんだ、自分は社会保障を受ける分際ではないんだ、というふうに思ってしまうのです。

申し訳ないけれど、これは謙虚を通り越して自己卑下の最たるものです。でも、そのように自己卑下するほうが居心地のいいようにさせられてしまっています。これも洗脳の悪い成果のひとつですよね。

一方で声を上げる人間をみんなでよってたかってバッシングします。私もバッシングされました。

◆個人的な恨みつらみを一段上に進化させる

派遣労働者を一方的に雇止めするのはおかしいじゃないかと主張したことがあります。れいわ新選組の候補者になる2年前のことでした。

そうしたら、いろいろなマスコミが取り上げてくれました。なぜなら、そこまで明確に声を上げたのは、派遣労働者の中にいなかったからです。途中で私も実名を出したと思います。私のようなケースは珍しくないんですよ、もっと大変な人はたくさんいたんです。

でも、なぜ私がマスコミに取り上げられたのか。理由は二つあると思います。まずは、実名を挙げて顔を出したということ。もう一つは、なぜ自分はこういう目にあったかを、法律をチェックし、法律と現場の乖離を検証し、法律を批判的にとらえて、それから会社の仕組みやその業界の仕組みをとらえる。さらには、日本の労働行政・雇用行政はどういうものであるかまで検証して述べたからです。

つまり、第三者が理解できる根拠を示したわけです。言い換えれば、私の派遣労働の問題である個人的な恨みつらみ、ルサンチマンの客観化を試みたのです。

ですけれども、声を上げることに対してバッシングすると、声を上げる人はその行動を躊躇してしまい、結果的に学習して言語化する機会そのものが奪われてしまうことになります。私はたまたま活動していたから、声を上げることが活動のスタートなんだと思って声をあげました。 

でも99%の人はできない。他の人が声を上げて叩かれるのを見てわかっちゃったからです。見せしめのように他の人がひどい目に遭っているからです。そこまでして声を上げるメリットは、通常考えたらありません。

だから、声を上げたくても上げないという判断は常識的には正しいんですよ。リーズナブルですよ。

でも私はノーを突き付けました。当時、派遣だとわかっていたのに文句言うのはおかしい、派遣でも17年間勤められたんだから会社に感謝しろ、派遣だとわかっているなら次のキャリアプランを考えないのは怠慢だ、とまことしやかに言われました。

私が怠慢だとかそういうことではなく、それは構造的に無理なのです。個人でどうこうできる問題ではないからです。社会構造を変えなければならない。法律的システムもそうです。労働者派遣法という法律がダイレクトに働く人に影響を及ぼします。だから、明確に私は政治に進みたいと思ったわけです。

その結果、れいわ新選組の山本太郎との出会いがあったわけです。

◆すべての差別の根底に女性差別がある

れいわ新選組は、2019年の4月に政治団体として設立されました。それ以前にワーキングプアを直接受け止めるプラットフォーム的な野党があったのか否かの検証が必要だと思います。

なかったと思います。当時の立憲民主党、共産党、非常に優秀な方々がいっぱいいます。元弁護士とか元マスコミ、ジャーナリズムの第一線で活躍した方々が立候補者になったり議員になったりした、本当に頭のいいエリートの方々ですよね。

そういう人たちは一方でお金も持っているわけですよ。私たち庶民の生活の苦しみというものを具体的なことは知らないで済んでいる方々です。だからこそ、ああいう高学歴で、第一線で活躍できるわけです。

でも、国会議員は「代議士」ですから、いろいろな階層、いろいろな状況を抱えている人の代表者とするならば、非常に偏りがあります。一番の偏りは男女比率で、あまりにも女性の比率が少ない。今回の衆院選では女性議員が10%いません。

日本だけです、こんなにジェンダーギャップのあるのは。企業内でも女性管理者がまだまだ少ないですが、日本の女性が劣っているのでは決してなく、女性はこうあるべきだという女性に対してより強固に課せられる社会的な役割があるからです。それで社会的進出が阻まれているということがあるわけですよね。

当事者性でいうなら「女性」という当事者意識が私には強くあります。たとえば、れいわ新選組は障碍者の当事者が2名います。参院選の特定枠で男女一人ずつ当選できました。木村英子さんとは仲がいいですが、障碍者のなかでも特に女性障碍者は、男性障碍者とは別の差別を受ける、と。障碍者としての差別と女性としての差別を二重に受けると言っていました。

旦那さんや子供の面倒を見られないのに結婚する資格あるの?と言われる。障碍者の中でも女性の役割分担を強く言われる。男性がこのような言われ方をすることはそんなにないですよ。子供の面倒みなくていいの? なんて言われない。

男性と女性で扱いがまるで違うことが、男女の非対称性とかジェンダーギャップ、ジェンダーバイアスとかいろいろな表現で言われます。世の中にはいろいろな差別がありますが、女性差別はそのすべてに横たわっている。だから女性差別は普遍的な差別だと思っています。

このことが世の中ではまだ理解されておらず、男性はもとより女性でも理解している方は本当に少なく、日々の対話を通し、どうやったら伝わるだろうかと、精進というか研鑽を積むことを迫られています。

◆怒りの街宣はロックだ

当事者性に加えて、「共感」も大事にしたい。その二つを貫くには自己責任論をどう克服するかですね。それには「怒り」「怒ること」が社会的に容認されるべきだと訴え続けています。

私の街頭演説は、ちょっと激しいと言うか、よく言ってもらうとロック的な演説だと言ってもらっていますが、ロックとは体制に対してノーを突き付ける音楽ですよね。宮廷音楽とか教会音楽などは、パトロンがいてお金や権威を持っている方からオファーを受けてつくったもので、クラシックの原型です。

ところがロックというのは、そういうものとは無縁で、あるいはそういうものに異議申し立てする、権威に盾を突くという姿勢がロック。怒りは上等、怒りをもつことは正当なんだと。喜怒哀楽のなかで、なぜ怒りだけを皆さん認めてくれないんだろうと思います。

私が批判されるときに被害者意識を持っているからダメなんだと言われます。被害者なら被害者意識をもつのが当たり前じゃないですか。なぜそれが批判されるのか私には不思議でなりません。

もっと平たい言葉で言うならば、痛いことを痛いと言ってなぜいけないんでしょうか。それを2019年の参議院選挙で私はアピールしましたつもりです。そうしたらみんなが、そうだと言ってくれました。とどのつまり、被害者意識は持って当然だ、当たり前だと。

被害者意識の感情としては喜怒哀楽のうちの「怒」。怒りですね。なぜか不思議なことに怒り以外の感情はすんなり受け入れられる。喜ぶ、楽しむ、ポジティブだからいいよねと。それから悲しむことは相手の同情や共感をかいます。ところが、怒りに対して共感を得ることは非常にむずかしいのです。

◆怒りを表す芸(高等テクニック)も必要だ

でも、怒りは悲しみにも通じます。なぜ自分はこんな理不尽で悲しい目に遭わなければならないんだろうというのが怒りの端緒です。怒りは攻撃性を帯びるからいけないんだと思いますが、攻撃するのはどっちなんだと。何もないところからいきなり人間が攻撃することはありません。

自分の身を守るために、防御のために攻撃せざるをえないのですから。そうならば攻撃する主体はいったい誰なんだと。それが権力であり権威であり社会的強者だったりするわけです。そういう人たちが私たちの存在を蔑ろにしている。それに対してノーと言うことが怒りなのです。

怒りをパワーに! と私が言っているのはそういう意味があり、裏付けがあったのです。その怒りを言語化するためには、平たい言葉で言うか、客観的に言うか、普遍的に言うか、俯瞰して言うか。場合によって使い分ける必要もありましょうが。

だから怒りをパワーにするには芸も必要ですよ。直接的な怒りで、たとえばこん畜生! と言ってこのテーブルをひっくり返し椅子を投げるような、暴力性のある怒りじゃダメなんですね。

ある意味洗練されて怒りにしていかないと怒りを社会化することができない。理性的に怒らなければならないということなんです。怒りを正当化するためには、先ほど言ったようなあらゆる根拠を用意しなければなりません。

そのひとつの例が、裁判に訴えることです。しかし裁判には、お金も年月も非常にかかり、自分の生活を犠牲にしなければならない部分もあります。労働者も裁判を起こせばいいと、いろいろな人が簡単に言いますけれど、裁判すら起こせなくて泣き寝入りしている人がたくさんいます。

日本の裁判はあまりにもお金と時間がかかりすぎることが、労働者としてのあるいは人間としての基本的人権を奪っています。そうはいってもなぜ裁判が尊いかというと、怒りを社会的に訴えることになるからです。

◆これからも活動は決して止めない

一昨日、ドキュメンタリーの巨匠の原一男監督とのライブトークがありました。最新作の『水俣曼荼羅』が一昨日から上映が始まっています。その原一男監督との出会いは、『れいわ一揆』とうドキュメンタリー撮影のときです。

これは2019年夏の参議院選挙にれいわ新選組から立候補した女装の活動家・東大教授の安冨歩さんを主人公にした映画での出会いでした。そこで安冨さんはロゴス・理性の人、渡辺てる子はパトス・情念の人という分かりやすい対立概念で描いてくださっています。

そうは言っても、感じたままに言ってはいるのですが、自分で自分のことを言っているようで誰かに突き動かされて言葉を発しているような感覚がありました。

当時のれいわ新選組を応援する方々の熱気がすごかったし、その人たちは、自分には政治も選挙も関係ないと思っていた。でも、当事者のてるちゃんが出るんなら話をききたい、応援したいという人が集まってくれました。

そのパワーに突き動かされて言葉が出てきたわけです。そうやって響き合うものがあったからですね。

選挙というのは、そういう究極の人間のパワーを引き出す力、なにかマジックがあると思うんですね。すごく意義があると思いますが、いかんせん日本の選挙はお金がかかりすぎます。

比例区に出るには供託金ひとり600万円。これはワーキングプアーの年収の3年分。こんな供託金がかかる国はほかにはないそうです。

基本的人権である被選挙権を、そうやってあらかじめ制限しハードルを課す。これ自体もおかしいので変えなければならない。そのためにはまず選挙に勝って変革する主体にならなければならないわけです。

しかし、どういう形であれ活動を止めることはないでしょう。そして私のポリシー、キーワードは、「当事者性」そして「共感」「怒りをパワーに変える」です。

そのためには「自己尊重感」を持つことです。自分を大事にできない人間は、他者を尊重できるわけがないのですから。私は、自己尊重感を持つために日々研鑽し、自己責任の内面化を否定し克服するように努めようと思います。

それがあって初めて政治を変え社会を変えることになるのではないかと。ただし、それができないと政治活動や社会活動ができないわけではありません。手探りで試行錯誤しながら、いま言ったようなことがどういう人にも獲得できるのだと思います。

私もその一人です。ですから私はこの歩みを止めることはありません。これからもどんどん進んでいきたいと思います。(了)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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れいわ新選組から2019年参院選、2021年衆院選に出馬して落選した渡辺てる子氏は、2022年4月17日投開票の練馬区議補欠選挙に立憲民主党公認で出馬予定だ。

所属政党は変わっても従来からの主張には変わりなく、派遣労働者・格差社会改善・シングルマザー問題の改善などを目指し、模索しながら活動を続けている。

その渡辺てる子氏の講演会記録(21年11月29日)の第3回は、ホームレス状態で2人の子を出産し、ホームレス脱出後もつづいた苦難を経験したことから、「とことん話を聞いてくれる人、他人の話をとことん聞くこと」の重要性について訴える。(構成=林克明)

 

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

◆ホームレス脱出後の地獄

失踪という形で5年近くを過ごしたわけですが、家に帰ったらさらに地獄が待っていました。親は、私を騙して方々連れまわして、子供二人まで産ませた男を罰しなければならないと。

それから、しょうもない男の子供だからろくなもんじゃないということで、親からは家から出ていけとか死ねとか言われました。

親子心中から逃れてやっと自分が生まれ育った実家に戻れたのだから安息の場があると思いました。そこでシングルマザーとして再起を図ろうと思ったら、今度は、一番守ってほしい家族から刃のような言葉を突き付けられて、家の中にいることが針のムシロでした。

食べ物の味もわからなくなったし、夜も眠れませんでした。そういう中で家事をやり、仕事に行くようになりましたが、そこでやっぱりシングルマザーがいかに生きづらいかということを一番ひどい形で体験せざるを得ませんでした。そこで私は活動を始めたわけです。

その原点は、大学のときに活動したこと。当時はフェミニズムという言葉はまだ広まっていませんでしたが、女性が人間として尊重され生きやすくなるというポリシーが私を支えました。

誰も私を慰めることも励ますことも、どうしてあなたはそういう目に遭ったんだと聞いてくれる人も誰一人としていなかったです。

家族ですらそうだったのですから、そんなことを聞いてくれる人がいようはずもありません。でも私は子どもを育てなければいけない、生き延びなければならない。なぜなら、出産に至るまでの経緯は不本意であっても、生んだのは自分だから、私の責任において。

それから、私とは別の人格が二人いるのだったら、その人格を私がどうこうするのは傲慢なんだと思い、自殺をあきらめました。だから、高らかに誇らしく生きてきたわけじゃないですよ。死なないで生きてきているってことです。

でも人生一度だから、少しでも生きやすくしたいということで、いろいろな活動に係わってきました。その延長線で派遣労働やシングルマザーの問題があったわけです。

そこで、当事者が尊重されないという欺瞞に気づいてしまった。だからといって私は活動から離れはしませんでした。むしろ活動を通して、社会を変えると同時に、活動自体を変えようと思ったのです。そして当事者が大切なんだといろいろな形で述べてきたつもりです。

それを大事にしたいと考えているのが、れいわ新選組だったわけです。誘われたから私がれいわ新選組の考え方に合わせているわけではありません。こう言ってはおこがましいですが、私が考えたりやってきたことが、結果的にれいわ新選組とフィットしたということに他なりません。

◆とことん話を聞いてくれる人はいるか?

衆院選で3名当選し、参議院とあわせて合計5名の議員を抱える政党になりました。党勢拡大がこれ以降の大きな目的になりました。

初めての国政選挙だった2019年の参院選は、当事者性がメインになりました。今回は必ずしもそうではないという方向転換を余儀なくされた側面があります。別に山本太郎代表が政治的に変節をしたというようなことではなく、政党として成長するには逃れられない必然的な理由だと思います。

政党の方向性などは別として、私個人としては、当事者であることを貫いていこうと思っています。今日もこの会場に向かう前に支持者の方からお電話いただきました。

「てる子さん、あなたをどうしても国会におくりたい」と。「あなたは、私の、私たちの代表だから」と。「当事者が国会に行ける可能性を持つのは、あなたなんだ」と。「だから絶対に国会に行ってほしい」というお電話を直接いただきました。

これまでも多くの方から、そういうご支援をいただいてきました。昨日(2021年11月28日)は鎌倉に行きました。「てるちゃんを応援したいと言う方が集まっています」ということで講演させていただき、楽しく充実した時を過ごさせていただきました。

こんな凡庸な私でも、そこかしこに共感の輪、ご支援の輪が広がっています。身に余る光栄だと思っています。

そうした人々の期待で政治の場に立つ理由があるとすれば、ホームレスで食うや食わずどころか寝泊まりする場所すら定まらぬ究極状況の中で生き延びてきたからこそ、皆さんの不安とか苦しさ、つらさというものを少しは共感できるから、想像できるからではないかな、というふうに思います。

よく政治に無関心だ、投票率が低いと言われますけど、悲惨な状況を私に訴えてくる方々と接すると、政治以前なんですよ。まず自分がどうやって生き延びることができるか、人間として認められることができるのか、と皆さんは訴えているわけです。ぎりぎりで生きている人たち声に誰も耳を傾けてくれないんですよ。

今日この講演を聞きに来てくださる方いろいろいらっしゃいます。ご苦労を重ね、いろいろな経験を重ねている方もいますけれど、とことん自分の経験について他人に聞いてもらったことがある人は、いないのではないでしょうか。そういうことに気づくようになりました。

自分のことをしっかり聞いてくれる人に出会わなかったら、何が問題なのかわからないし、自分の感情を受け止めてくれる人もいないことに気づいたんですよね。

よく人とのつながりを持ちましょうと言われますが、「繋がり」ってあまりにもほあんとした言葉なので、なんとなくいい言葉だと思ってしまいます。でも、もう少し具体的に言うと、私としてはこういうところに行きつきました。

自分の感情を評価されることなく、ありのままに「あなたはつらいのね、不安なのね、頑張ってきたね、そうなんだ、そうなんだね」と言ってくれる人がいるかどうか。自分も相手に対して「そうか、あなたこんなに大変なめにあってきたんだね、つらかったんだね、そうか、ほんと大変だったですね。よかったですね、今こうしてお目にかかれて」と言える人がいるかどうか。

その両者があいまって「繋がり」ということが成立するのだな、とこの歳になってようやっと気づきました。それがないと、次の段階の政治をどうするかとか社会問題にどう向き合うかという段階に進めないんだと思います。そこを蔑ろにしているから、政治に向き合うことができないのだと思います。

そのために取っ払わなければならない最大の障害物は、「自己責任」という言葉ですね。(つづく)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年5月号!

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

れいわ新選組から2019年参院選、2021年衆院選に出馬して落選した渡辺てる子氏は、2022年4月17日投開票の練馬区議補欠選挙に立憲民主党公認で出馬予定だ。

所属政党は変わっても従来からの主張には変わりなく、派遣労働者・格差社会改善・シングルマザー問題の改善などを目指し、模索しながら活動を続けている。

その渡辺てる子氏の講演会記録(21年11月29日)の第2回は、ホームレス状態で2人の子を出産した後の苦悩の日々を赤裸々に語ってくれた。(構成=林克明)

 

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

◆貧困のデパート
 
2019年夏の参院選、2021秋の衆院選に、れいわ新選組から立候補しましたが、敗れて現在に至っています。しかし、もう後戻りできません。進んでいくしか私の道はないと思います。本質的にやりたいことがあるからです。

つい先だって山本太郎代表にあらためてこう申し上げました。活動することが、私が生きることであると。大上段に構えるのではなく、活動するのが当たり前なんです。ご飯を食べること以上に当たり前なのが、私にとっての活動です。

今回の衆院選挙では人から整えてもらった環境のなかで活動をしましたけど、どんな状況になっても私は活動を続けることになると思います。そうでなかったら私は私ではない、渡辺てる子ではない。

誰から言われたわけでもなく頼まれたわけでもなく、たった一度の人生ですから、活動は続けたいのです。

活動で何を訴えるか。社会的属性としては、私は貧困のデパート。女性、シングルマザー、派遣労働という非正規労働のワーキングプア―であること、さらには高齢の母を介護していたこと、そして息子はロスジェネ世代の最後の年代でワーキングプア―。

正社員になれない派遣労働者の子どもを抱える母親でもあります。そういうことをすべてひっくるめて、貧困のデパートということです。これが私の当事者性です。

ですけれど、私固有の問題ではないという確信があります。選挙に出たこともあって、モットーはなんですか、座右の銘はなんですかと何度となく問われました。私は迷わずこう答えます。「個人的なことは社会的なことだ」と。

つまり、個人の問題で固有の問題だと自分では思っているかもしれないけれど、人間は社会と切り離されて独立して生きていることはできない。必ず社会構造の中に組み込まれて社会の影響を受け、社会とつながって生きていくしかないのだから社会的な存在なんだと。

だとするならば、自分の抱えている問題が個人的な問題に見えて、実は社会的な問題なのだと。あなたが悪いんじゃない、あなただけの問題じゃない、普遍的な問題なんだ、だからいたずらに自分を責めることはしなくてよいのだと。そういう意味を込めての、個人的なことは社会的なことだと、先だって面談したときに山本太郎代表の前で語りました。

この言葉は、ウーマンリブが華やかなりしころのラディカルフェミニストのシュラミス・ファイアーストーンという女性が言った言葉とされています。この言葉に出会ったのは、私が大学生のときでした。

◆ホームレス出産への批判

当時、自分の生きづらさのルーツを探っていたら、どうやら男女差別だということがわかり、以来私は自分が自分らしくあるために、フェミニズムがないと生き延びてこられなかったということがあります。

今ここにいるほとんどの方が購入して読んでいただいているであろう『渡辺てる子の放浪記』(同時代社刊)の中に、私の生きる原点としてホームレスの状態で子どもを産んだことが書かれています。

そのことだけをもって、いろいろな方々から無責任だ、そんな状態で子どもを産んでどうするんだ! と言われました。さらには、ホームレスで子どもを産まないで、しかるべきところに相談するなり援助を求めるなりをなぜしなかったのか、と。このようにご批判を受けることがあります。

それに対しては反論をさせていただきたいと思います。まず、望まない妊娠であったということ。批判する人は、そういう状態で子どもを生むリスクを負っているわけではいですよね。いったいどういう見地からして母親を責めるんでしょうか。

話は少しずれますが、やむなく子どもを産んで死なせてしまった母親がいます。母親が妊娠したことをだれにも相談できず病院にも行けず、子供を産み落として嬰児遺棄で刑法に問われることがある。

あるいは捨て子をしなければならない状況に陥った母親を、法的にも責めてるし、心理的にも道義的にも責める人がたくさんいます。

しかし、妊娠・出産だけでも女性は非常にリスクを抱えています。病院にかかったとしてもそれで生命を落とす人もいます。大きなおなかを十月十日抱えているだけでも大変なのに、出産した女性をなんで責めるんですかね。責めていいことがあるんですか?

しかも相手の男性がいるはずですよね。その男性を責めず女性だけを責める。これひとつもっても、いかに日本は女性を不当に差別し抑圧している意地汚い社会か、だと思います。皆さんの周りに、いま言ったようなことで女性を責める人がいたら、おかしいんじゃないですか、と言っていただきたいです。

◆厳粛に受け止めた出産

いずれにせよ、私がそういう中の一人であったことは事実です。が、おかげさまで出産自体は非常に安産でした。それまでホームレスをやりながら真冬の氷点下、寒さが骨の髄まで刃のように突き刺さる厳寒の夜、流産も覚悟し、死産も覚悟していた中で安産だったことだけでも私はありがたいと思っていました。そこに生命の強さを感じました。

自分の体を通して一人の人間が、一個の人格がこの世に出現しただけで私が特別な存在であったり母親ではないんだ、というむしろ普遍的な思いで出産を厳粛に受け止めました。これが私の生命の尊重の原点になったのです。

そうは言ってもあまりにつらいし、いつまでも子どもを連れてホームレスの状態でいることは、子どもをかわいそうな目に遭わせてしまう。でも子どもと離れるのはいやで親子心中を考えたこともありました。

車の中の二酸化炭素中毒で一家が死ぬやり方が当時はやっていたので、それが一番いいなと思いました。私のあこがれの自殺のスタイルだったんですよ。でも、ホームレスなので車がないから、その方法はそもそも無理なんですよね。

睡眠薬も、親子三人が致死量に至るまで飲むのは相当な量だし、小ちゃい子はまず飲まないだろう、タブレットだからそれも無理だろうと思って。

あとは富士の樹海に行くことだけれど、子供二人連れて交通費もないし……。ヒッチハイクで乗っけてもらおうとしても、自殺とわかってしまうから、絶対にそこまで乗っけて行ってもらえないなと。

一番確実な方法はビルの屋上から飛び降りることだったんですね。実際、子供二人連れて飛び降りたお母さんもいたんですよ。これなら実例があるから、成功例があるからできると思いました。

いざ実際にやってみようと思うと、一般の人が屋上まで行けるのはデパートぐらいしかない。でも金網がかなり高いところまで張り巡らされているので、子供二人連れて乗り越えることは物理的にできなかったんですね。

一人だけならおんぶして金網を登れるかもしれなかったですが二人一緒だと無理。一回しか飛び降りられないから二人を一度に連れて行かなけりゃならない。それも無理で、親子心中をあきらめたんです。

別にたいそうな思想があって生き延びたわけではなく、そういったいろいろな巡りあわせで死なないでこれただけに過ぎません。(つづく)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

◆れいわ新選組から立憲民主党へ

2019年7月の参院選、2021年10月の衆院選の二つの選挙に、れいわ新選組から立候補した渡辺てる子氏は、その熱烈な演説で多くの人々をひきつけた。結果は落選だったが、その後も非正規労働者・格差社会・シングルマザーなどの、当事者として活動を続けてきた。
 
衆院選後は彼女の去就が注目されていたが、年が明けて2022年2月15日、立憲民主党公認で4月17日投開票の練馬区議補選に出馬することを発表した。

 

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

昨秋の衆院選挙後も活動を続け、支援者からは時期参院選出馬を望む声も上がってきた。しかし、れいわ新選組の規約では、現職の議員と立候補予定者以外は党の「構成員」からはずれる。そうなると党からの支援は受けられず、選挙で仕事も辞め、わずかな財産もほぼ使い果たしている「落選者」は、非常に厳しい状況に追い込まれる。

そのような状況で渡辺てる子氏に声をかけたのが立憲民主党だった。その後、関係者が水面下でことを進め、最終的には、山本太郎れいわ新選組代表と渡辺てる子氏が直接会談し、4月17日投開票の練馬区議補欠選挙で立憲民主党から出馬することが合意されたのである。

どの政党から選挙に出ようが、当事者として庶民による庶民のための政治実現を目指し活動してくことには全く変わりないだろう。

そうした彼女の基本姿勢がわかるのが、総選挙から一か月近く経過した昨年11月29日に行われた講演である。

その講演とは、彼女の半生をダイジェストでつづった拙著『渡辺てる子の放浪記』(同時代社刊)の出版記念講演会のことだ。

最初に選挙に出た経緯から衆院選の心境に至るまでを語った講演内容は、日本社会への大きな問題提起が含まれているので、4回にわたり報告する。(構成=林克明)

◆「次の選挙出ませんか」と山本太郎がひと言

皆さんからみれば、およそ考えられない、ある意味奇妙キテレツな半生だったのですが、そのダイジェストが林克明さん執筆の『渡辺てる子の放浪記』(同時代社)です。

私がこれまでたどったプロセスもさることながら、私の意識や思いはどういうものだったか。そういう私がなぜ活動を続けていこうと思っているかお話をしたいと思います。

私はいま62歳なのですが、2017年末に17年近く勤めていた派遣先を一方的に雇止めされました。それに対して再就職を求め、あるいは派遣先紹介を求めて団体交渉をしてもらちがあきませんでした。

このような私自身の体験もありますが、従前から派遣労働者の権利向上の活動もしていました。

雇止めされた後は、糊口をしのぐために次から次へとバイトやパートなどの仕事を知り合いから紹介され、食いつないでいきました。

そして2019年7月1日、東京のある区の非常勤職員採用の辞令をいただいたのです。
その翌日の夜、知り合いから山本太郎さんから電話が来るのでよろしくと電話があり、すぐに山本さんご本人から電話がかかりました。

「次の選挙に出ませんか」とストレートに言われ、私も1秒以下の反射神経で、「いいですよ」と答えました。すごい決断ですねと皆さんから言われるのですが、人から頼まれるといやと言えない性分が幸いしたのか不幸なのか。で、「ハイ」と言ってしまった。

活動しないよりする方を選ぶ私の当たり前の判断があったのですが、実はピンと来なかったんです。なんの事前説明も面談もなく、とつぜん携帯に電話がかかってきてというのは、社会常識的に欠ける(笑い)。太郎さんもいきなりだけど、それを受ける私もなんだという話しです。

選挙ボランティアという頭が思い込みであり、気軽に受けて、翌日どうしてくださいという話がありました。

◆その夜、母親が狭心症の発作で倒れる

で、家に帰ったら母が狭心症の発作で倒れてしまい、夜を徹してその看病をしていました。

朝早く病院に連れて行ったのですが、病院から母を家に連れ戻すと約束の時間に間に合わない。そこで、デイサービスの職員の方にお願いして、太郎さんから指定された会場に急ぎました。

そこで手続きやなにやらします、と言うんですよ。写真も撮るというのですが、ボランティアのIDカードか何かの写真を撮るのかなと思いました。

徹夜の看病明けでシャツ1枚の姿でペロっと会場にたどり着いていたわけです。写真撮影とはいっても、IDカード用か何かなんだから、首から上だけなので、とりあえず襟付きのシャツならいいやと。

そうしたら、何の説明もなくメイクをしましょうと言われたんです。細長いテーブルに紅筆とかお化粧道具が並べてあって。さすが元俳優の山本太郎だけあって、念入りにお化粧をボランティア一人ひとりのもするのだな、と。

ビジュアルにこだわるのはさすがだよねって思いました。俳優っていうのはこうじゃなければと思って。

でも徹夜の看病明けだし、お化粧をする習慣もないもので、いやいやお化粧をしてもらいました。写真も3分間写真で済むと思ったら、どうやらポーズをつけなきゃならない。首から上の写真でポーズを付けるってどうやるんだろう? 手で頬杖をつくようなかっこうをするんだろうか? なんて思ったんですけどね。

何の説明もないんですよ。れいわ新選組は人がいないもんで。

で、れいわ新選組がどういうものかもよくは分かっていない段階で記者会見になだれ込んでしまいました。そして皆さんの前でお披露目をし、次の日が選挙公示日。どれだけ私はうすぼんやりなのか。

そのとき、無名の私を皆さんに分かっていただくために、元派遣労働者、シングルマザー、そしてホームレスを5年経験していました、と伝えました。

そして渡辺てる子という名前はとても平凡なので、どうぞてるちゃんと呼んでくださいとダメ元で言ったら、皆さんから気軽にてるちゃん、てるちゃんと呼んでいただけるようになりました。

こうして2019年7月から私を取り巻く状況は劇的に変化しました。

◆当事者の労働者がなぜ発言できないのか?

あわただしく選挙に突入しましたが、れいわ新選組の政策やポリシーに関しては、なんら違和感はありませんでした。それまで私が活動を通して伝えたかったことがそっくりそのまま重なるからです。

私はシングルマザーとして、派遣労働者として活動してきましたが、そこに通底するものは「当事者」であることですね。

ところが、労働組合が主体になって進める労働運動は、労働者が主体でありながら、実際は労働者が主体じゃない、労働者ファーストではないということに気が付いたんです。

国会議事堂の向かい側に国会議員の事務所がある議員会館がありますが、その大講堂で行なわれる院内集会によく行っていました。発言する側としても、勉強する側としても行っていましたが、派遣労働者の実体を訴えるために発言の時間をもらう場合でも、他の登壇者よりずっと割り当て時間が少なかったのです。

労働運動の集会でいちばん長時間話すのは、だいたい労働法の権威の方なのです。たとえば名誉教授が基調講演を1時間くらい。その次が弁護士の方、その次に労働組合の専従の方が活動実態を述べます。最後に裁判を起こしている当該主体者ということで、やっと5分くらい当事者の労働者が時間をもらえればいい方だなと。

そういう状況を何度も目にしたし、労働者として時間をもらって話をしたこともたびたびありました。普通に考えておかしいんじゃないかと思います。労働者が困っているから労働運動があるにもかかわらず、なぜ当事者以外の人の発言時間のほうがはるかに多いんだ、と。

運動の欺瞞性をそこで感じたんですね。でも、労働運動ってそういうフォーマットがテンプレート的に確定してしまっているのです。そのフォーマットをなかなか崩せないという忸怩たる思いがありました。

◆自民議員が居眠りする厚生労働委員会で発言

そういう労働運動の在り方を変えることを個人ではできなかったのですが、国会議員に直接、派遣労働がいかにおかしな働き方かを訴えるチャンスが訪れました。2015年に労働者派遣法が改悪されたときに、改悪されないように国会議員の方々にロビー活動をしたのです。

そのときも労働組合の人に一緒にロビー活動してくれませんかと依頼しても、同行してくれる人はほとんどいませんでした。「私は運動してます、してます」と言っていますが、実は一匹狼で運動をしてきたんですね。

労働運動の限界を感じ、労働組合の人に対する不信感もあっていいはずなのに、運動・活動を止める理由にはならなかったんです。なぜか。問題を解決したいのは私だから。

よくも悪くも一人でやっていることが目にとまり、記者会見も何度もやらせてもらいましたし、当時は民主党が頑張っていたときだったので、民主党主催の勉強会に何回も行って実態を訴えました。

そうした姿に厚労省の官僚の方が目を付けて、この人間なら派遣労働者の当事者として国会で発言させてもいいんじゃないかということで、2015年8月、参議院の厚生労働委員会で登壇することができました。

そのとき派遣労働について訴える人が4人いました。経営側の弁護士と派遣の協会の理事が経営側。こちら側は、労働問題を引き受ける弁護士の方、そして当事者の私です。こうして2対2で厚生労働委員会の議員に訴えました。

三原じゅん子さんとか自民党の議員が多かったです。議長は丸川珠代さんでした。来ている議員たちは、視線を合わせられる距離で対面していました。事前に読んでもらう論文も配布していました。

私は基本的なことを述べて、その後質疑応答に入りましたが、自民党の方々は一切、興味関心を示さないのです。たぶん勉強してなかったんでしょう。私の論文も読んでくれなかったのだと思います。

ですから一切質問がこなかった。実は私は期待していたんですよ。派遣労働はこんなにすばらしいのになんであなたは文句を言うの? くらいの質問がくることは覚悟していたのですが、それすらありませんでした。

代わりに自民党の方々は何をやっていたか。まあ、仮眠してました。それから関係ない本を読んでいる。隣の人とぼそぼそしゃべりをしている。人に話を聞く態度ではないですね。学校でいったら学級崩壊の状況ですよ。

かたや立憲民主党(当時は民主党)、共産党、その他の野党の方々はそれなりに勉強してくださって、とてもいい質問をしてくれました。いい質問というのは、私の言葉から派遣の問題や矛盾を引き出すような質問ということなのですが。

明らかに与党と野党の熱量の違い、勤勉さ、誠実さ、常識のあるなしが目の当たりにしてわかりました。自民党の候補に票を入れる方々、その状況を見てください。みんなの税金使って自民党の議員は内職したり仮眠してるんですよ。そのためにみなさん、なけなしの税金を払ってるんですよね。

そのことだけをもってして、十分に怒る理由になると思います。同時に変えなければならないというモチベーションをさらに掻き立てられることになりました。

その後も派遣の体験を重ねたり、様々な状況を目の当たりにして発信していきました。たぶん山本太郎代表はその姿をいろんな形で見てくれていたのだと思います。それによるリクルートだったのです。

そんなわけで、いきなりマイクをもって街宣車に乗り込み、選挙戦に突入していきました。しかしもう後戻りできません。進んでいくしか私の道はないと思います。
(つづく)

『渡辺てる子の放浪記』(林克明著、同時代社)

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

ふだんテレビをほとんど観ない私だが、たまには強くお薦めしたい番組がある。たとえば10月21日(木)20:00~21:54に放映予定のフジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』だ。

スペシャル版でいくつかのテーマが取り上げられるが、そのひとつが「築地市場国賠事件」である。

2007年10月、新宿区内ですし店を経営する二本松進氏(当時59歳)が築地市場で仕入れを終えて帰ろうとしたときに築地警察書の警察官に絡まれた挙句、公務執行妨害罪で現行犯逮捕されてしまった事件を同番組で取り上げる。

 

林克明『不当逮捕 築地警察交通取締りの罠』(同時代社刊)

二本松氏が築地市場内で買い物中、妻が乗用車に乗ったまま路上で待っていた。当時の築地市場周辺の道路は、仕入れの車が並列駐車するのは当たり前で、そうしなければ仕入れ作業が成り立たないために暗黙の了解で駐停車が認められていた。

仕入れを終えて車に戻った二本松氏が乗車しやすいように、妻がエンジンをかけてハンドルを右に切って動き出そうとした瞬間、警察官が車の前に仁王立ちになり、「法定(駐車)禁止エリアだ」とひとこと言った。

これをきっかけに、警察官と言い争いになり、警察官は「暴行、暴行、暴行を受けています」と緊急通報。まもなく警察車両が複数現場に到着し、二本松氏を後ろ手にして手錠をはめ、公務執行妨害の現行犯として逮捕してしまったのである。

交通違反(偽装だが)を巡る言い争いなのだから、連れていかれるとしても本来は交通課のはずだが、連行された先は組織犯罪を扱う部署だった。ここで19日間勾留され、不起訴になった。不起訴といっても「起訴猶予処分」であり、前歴がつく。

納得しなかった二本松夫妻は国賠訴訟を起こし、東京高裁の勝利判決(確定判決)まで、事件発生から9年1か月を要したた。その一部始終を描いたのが拙著『不当逮捕 築地警察交通取締りの罠』(同時代社刊)である。

警察相手の国賠訴訟で勝利した稀な事例といえよう。

◆NHK『逆転人生』やテレビ東京『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー』でも放映

実は、過去にもこの事件はテレビ番組でいくつか取り上げられた。通常、政治問題や社会問題がテレビで放映されるときに私が危惧することがある。ひとつは、オリジナルの記事や書籍が権力を批判する内容だった場合、かなり薄められる恐れがあること。二つ目には、膨大な視聴者のために「面白おかし過ぎる」構成になること。三つ目には、分かりやすさを追求するあまり、話を単純化して詳細な事実関係がうやむやになること。

もちろん、面白くて興味深く分かりやすい番組にするのは大切だとはいえ、以上の三つを心配していた。結果、この「NHK逆転人生」は、きわめて正確だったので驚いた。しかも、かなり細かく複雑な話を分かりやすい流れにし、見ていて面白かった。

翌2020年3月に放映されたテレビ東京『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー』は、前者よりエンターテイメント性は高かったが、これまた実態からずれるような内容ではなく、もちろん正確であった。このような経過があるため、10月21日(木)20時から放送予定のフジテレビ『奇跡体験! アンビリバボー』にも、かすかな期待を寄せているのだ。

◆なぜ3回もテレビに取り上げられるのか

交通取締りをめぐって車の所有者が逮捕された、言ってみれば歴史上の冤罪事件にくらべれば「地味」な事件が、なぜ3度もテレビ番組の題材になるのだろうか。

まず、二本松夫妻が国賠訴訟で完全勝利していることがあげられる。判決内容では、警察官の証言はまったく認められなかった。言い換えれば、警察官の証言もその供述調書も嘘だといわんばかりの明解な認定だったのである。また、殺人事件や強盗事件など重罪だと制作側も被害者も視聴者にも「重く」のしかかる。それにくらべ交通違反(駐車禁止)にまつわる事件だから、第三者にとっては気が楽(被害者にはとっては重大)だということもある。また、ドライバーや車の所有者にとって「明日は我が身」という身近な点も重要だろう。

さらに重要なのは、この事件は「起訴猶予」という実質有罪処分を受けた冤罪被害者が国賠訴訟で勝利した戦後初の事件の可能性があることだ。ふつうは起訴か不起訴に二分される。しかし不起訴といっても、「嫌疑なし」,「嫌疑不十分」,「起訴猶予」の3種類に分類されている。二本松氏は「起訴猶予」処分だった。

「起訴猶予」とは、有罪の証明が可能でも,被疑者の境遇や犯罪の軽重などを鑑みて検察官の裁量によって不起訴とするもの。ひらたく言えば「有罪だけど、立件して裁判所にもっていうほどでもない」ということである。起訴はされなかったものの、検察段階の有罪処分にされた者が国賠訴訟に勝ったのだ。

では、明白に無罪判決が出た冤罪被害者が国賠訴訟を起こした場合はどうか。最近では今年8月27、「布川事件」の冤罪被害者・桜井昌司氏(74歳)が提起した国賠訴訟で東京高裁は原告勝利判決を下し、9月10日には確定した。

茨城県利根町布川(ふかわ)で1967年に起きた強盗殺人事件で桜井氏は無期懲役が確定し29年間収監され、再審の結果、2011年に無罪となった。2012年、その被害者たる桜井氏が冤罪の責任追及のため国と茨城県を訴えた。そのときから9年もたってようやっと国による賠償が認められたのである。

若い時に逮捕されて29年間も収監され、釈放から15年(逮捕から34年)も経った2011年に再審で無罪確定。その翌年に国賠訴訟を起こして9年。事件発生から実に54年間を擁して国家賠償が確定した。

無罪判決が確定した冤罪被害者の国賠訴訟がこのありさまだった。それに比べ二本松氏の場合、起訴猶予という実質有罪処分で国家賠償請求訴訟(訴訟提起から7年)に勝利したのはめずらしい。

そんなことを思い浮かべながら、10月21日(木)フジテレビ『奇跡体験! アンビリバボー』を観ていただければと思う。

▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』11月号!

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◆一般人の非英雄的反体制的言論活動

昔も今も、人間が考えたりやることは同じなのだなぁ……。あらためてそう思わされたのが、高井ホアン著「戦前不敬発言大全」(合同会社パブリブ刊・2019年)である。

国民を監視して弾圧し続けた特高警察(特別高等警察)による「特高月報」に掲載されている、一般市民による天皇批判や反戦的言動の記録をまとめた本だ。

日中全面戦争が始まった1937(昭和12)年から太平洋戦争末期の1944(昭和19)年まで、つまり戦前というよりは戦中の庶民のホンネがのぞける。

本書の帯には、「天皇の批判を投書や怪文書でコッソリ表明……犠牲を顧みる一般市民の非英雄的反体制的言論活動」とあるように、一般人の不敬表現や反戦表現をチェックした記録だ。

特高による監視弾圧活動は、たとえば共産党や宗教団体や労働運動にかかわる人に関しては、ある程度記録され、書籍等にもなっている。

ところが、組織とのかかわりが不明か、あるいは無関係の一般人・普通人の言動が記録されているのは珍しい。

◆戦中の“匿名掲示板”を見る思い

どんな言論表現活動かというと……。

「早く米国の基地にしてほしい」
「天皇陛下はユダヤ財閥の傀儡だぞ」
「実力のある者をドシドシ天皇にすべきだ」

などというありさまだ。なんだか今はやりの謀略論的な内容も記載されている。もう少し見てみよう。

《五月二十三日大阪市南区鰻谷中之町(心斎橋筋)の公衆便所内壁窓横手に鉛筆を以て「戦争反対」「天皇ヲ殺セ」と落書きしあるを発見す(捜査中)》特高月報 昭和13年5月号

あまりにストレートな表現だ。

《昭和15年12月 大阪市東成区北生野町一ノ五六 浜野三五郎(36)(中略)「何んだ天皇陛下も我々も一緒じゃないか機関銃でパチパチやってしまえ」と不敬言辞を弄す。(二月十九日不敬罪として検事局へ送致》(特高月報 昭和16年2月号)

住所氏名年齢などが記載されて送致されたりしている事件も記載されているが、匿名の落書きもまた多い。

《五月十三日南海鉄道高野線北野田駅構内便所に鉛筆にて「生めよ殖やせよ陛下のように 下手な鉄砲数打ちゃあたる」と落書きしあるを発見す。(大阪府)(捜査中)》(特高月報 昭和16年5月号)

ちなみに本書は第1巻であり、第2巻『戦前反戦発言大全』と合わせ1184ページに約1000の発言が収録されている。

全般を通してみると、まるで巨大掲示板のようだ。あるいは、ツイッター、フェイスブック、匿名ユーチューバーを彷彿させるところもあり、遠い昔のこととは思えない。

およそ80年前の庶民と現代に生きるわれわれとの時間の隔たりが感じられず、つい最近の出来事のかのような錯覚にさえ陥る。

高井ホアンさんの著書『戦前不敬発言大全』(左)と『戦前反戦発言大全』(右)(共にパブリブ刊)

◆希望と絶望が同時に

現在でも、政権批判やマスコミ批判、御用文化人などを揶揄したり、SNSが普及したことによってさまざまな試みが見られる。

かつても、素朴な怒りや疑問を表現した膨大な人々がいる。本書のページをめくっていくと、人々の息遣いや温かみすら感じてくる。

ひどい時代でも、まっとうで反骨心ある人々が少なからずいたことに希望を持てる。しかし彼らは組織化されず、その言論は広がることはなかった。

では、現在のSNSの言論表現はどうだろうか。何かを生み出すことはできているだろうか。もちろん、戦前戦中に比べれば直接的な弾圧法規は激減しているし、インターネットの発達により量的拡大はしているが……。

本書に描かれた戦中巨大掲示板を知ることで、現在とこれからの社会をどう考えればいいのだろう?

高井ホアンさん

◆25歳で本書を著わした高井ホアンとは?

著者の経歴を知って驚いた。

高井ホアンは1994年生まれの27歳。本書を世に出したのは、まだ25歳だった。

著者プロフィールによれば、日本人とパラグアイ人とのハーフで、「小学校時代より『社会』『歴史』科目しか取り柄のない非国民ハーフとして育つ」とある。

彼がどのような思いで本書を執筆し、SNS全盛の現代をどうとらえているのだろうか。本人を招いて講演会を企画した。

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◎第139回草の実アカデミー◎
2021年9月18日(土)
「消されなかった戦中の“匿名掲示板”から今を考える」
講師:高井ホアン氏(作家・ライター)
日時:9月18日(土)
13時30分開場、14時開始、16時30分終了
場所:雑司ヶ谷地域文化創造館 第3会議室
https://www.mapion.co.jp/m2/35.71971291,139.71364947,16/poi=21330448165
交通:JR目白駅徒歩10分、東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」2番出口直結
資料代:500円
主催:草の実アカデミー
【申し込み】(定員18名)
フルネームと「9月18日参加」と書いて下記のメールアドレスに送信してください。
kusanomi@notnet.jp

★★★感染防止対策にご協力を★★★
・受付の名簿に必要事項をお書きください。
・会場入りの際は手洗いかアルコール消毒をお願いします。
・会場内ではマスク着用をお願いします。
・暑くても窓を開けて換気をするのでご了承ください。

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▼林 克明(はやし まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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◆静かに、重くのしかかるメンタリストDaiGoのホームレス蔑視発言

日本列島は連日の豪雨による災害が各地で発生し危険な状態だ。例年なら猛暑のお盆の東京は、異常ともいえる低温が続いている。

いま、主にネット上で炎上している「メンタリストDaiGo差別発言事件」は、炎上という文字から感じられる熱さはなく、冷たい霧雨に纏わりつかれるように、静かに重くのしかかってくる。淀んだ空気に包まれる日本の姿を現しているからである。

“発言”の背景にあるものは何か。

2人の子を連れてホームレスを経験し、長らく派遣労働者として働き派遣切りの経験もある渡辺てる子さん(れいわ新選組衆院東京10区総支部長)が、この問題の構造的な問題を8月21日に東京都内で講演する。

まず、今回の事件の経緯を振り返ってみよう。

◆「俺は処刑される側の人間なんだ」と筆者に思わせた発言

問題発言は8月7日、メンタリストのDaiGoさんのYouTube番組で公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=bMHPk…
(8月14日夕方時点で動画は非公開)
(発言の切り抜き)8月7日
https://www.youtube.com/watch?v=6k6hDVD5Emc

私は公開された翌日くらいに視聴して驚いた。まず生活保護受給者についての発言。

「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救って欲しいと僕は思うんで。生活保護の人、生きていても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで」

というような内容の発言をし、さらにホームレスにつてもおよそ次のように語った。

メンタリストDaiGoYouTube番組(2021年8月14日)

「言っちゃ悪いけど、どちらかというホームレスっていない方がよくない? 正直。 邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん」

「もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている。犯罪者を殺すのだって同じ」と、貧困者と犯罪者を同一視点するかのように述べた。

この動画が公開された前日の8月6日、私は経産省の月次支援金を申し込むための資料収集と書類作成を始めた。

月次支援金とは、新型コロナウイルス対策として緊急事態宣言等の影響を受けて収入を50%以上減らした法人や個人事業主を支援する制度である。

常日頃、講演会、シンポジウム、イベントなどを取材したり、直接会ってインタビューする仕事が多い私は、外出やイベント自粛に影響されて収入は激減している。

藁をもすがる思いで、この月次支援金に申し込もうとしていたのだ。その作業を始めた翌日にタイミングよく? かの発言があった。

これを聞いて、「俺は処刑される側の人間なんだな」と思った。通常であればこの種の発言を聞いたなら、「ふざけるんじゃない! 何バカなことになって言ってるんだ」と私は怒るはずだ。

ところが、なぜか激しい怒りの感情は湧かず、霧雨が降る中で静かに沈んでいくかのような感覚に襲われたのである。そこにこの発言を生んだ社会の深刻さがある。

かろうじて私には住む家がある。しかし、住む家がなく、あるいは家はあっても生活保護水準以下で生活する膨大な人たちの中には、排除されたり、誹謗中傷されたり、貶められても、怒る気力さえなく、ただ沈み込んでいく人も多いのではないか。

さすがに、今回の発言に対しては批判が巻き起こったが、DaiGoさんは、次のように反論した。

「自分は税金をめちゃくちゃ払っているから、ホームレスとか生活保護の人たちに貢献している。叩いている人たちは、ホームレスに寄付したんですか? 継続して炊き出しとかして助けてるんですか?」
https://www.youtube.com/watch?v=SfWuC3edFZw&t=28s
(この動画も非公開になった)

火に油を注ぐことになり、8月13日の夜には、一転して発言を謝罪する動画をアップした。
https://www.youtube.com/watch?v=rShG_1-tzSE (現在非公開)

それでも批判は収まらず、逆に本当に理解していない、という新たな批判も起き始めた。そして翌14日には、いつもとは違う白い壁を背景にしてスーツ姿で現れたDaiGoさんは、再び謝罪した。前日の謝罪動画は取り消し非公開とした。

この謝罪は、それまでの動画のように弁明はなく、ひたすら反省と謝罪を述べる内容になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=Eai84ynVtko

◆寒気がするほどマニュアル化された「謝罪動画」

このスーツ姿の謝罪動画を見て、私は恐ろしくなった。完璧な謝罪のしかただったからだ。しかも、数日前には批判されても開き直っていた人間が、わずかな時間で真に反省と謝罪を公にすることに疑問が残る。

完全にマニュアル化された謝罪の方法であり、彼自身がこれまでに「心理学的に見て正しい謝罪の仕方」とでも言うべき動画を何本かアップロードしており、その内容そのままの謝罪になっている。

分かりやすいのは、「正しい謝罪の仕方」という動画だ。


◎[参考動画]正しい謝罪の仕方【メンタリストDaiGo切り抜き】「謝罪 ミスると地獄」2021年6月22日

修正版:正しい謝罪の仕方【メンタリストDaiGo切り抜き】

この動画では、「どういう謝罪が社会的に納得されやすいか」に関する大学の研究調査結果を紹介している。そのポイントは次のとおり。

「やってはいけない謝罪」
① 言い訳をする。行動の正当化をする。
② 他人を責める。
③ 自分の抱えている問題やトラブルについて説明する。
④ 自分の発言や行動が起こした問題を矮小化する。

「やるべき謝罪」
① 自分を被害者の立場に置いてどんな言葉を聞きたいか考えて発言。
② 常に被害者に向けて言葉を発し、罪を認め許しを請う。
③ 可能であれば、賠償と共生の手段を申し出る。
④ 自分の行動と発言を謝罪し、決して自分が誤解されている部分については触れない。

スーツを着て折り目正しく真摯な姿勢で謝罪する姿は、上記の動画を機械的にコピペしたようである。

◆ホームレス経験者は何を考えたか

今回の発言の背景は相当根深い問題が存在しているのは間違いない。DaiGoさんが謝罪し、彼を批判しただけでは収まらない、深く重い何かがある。

そう考えたときに思い浮かんだ人物が、渡辺てる子さんだ。幼い子供を連れてホームレスを経験し、その後も派遣労働者として働き雇止めにあい、貧困問題解決を日々訴えている。その彼女を一緒にこの問題を考えることにした。

自身が貧困の当時者として長年過ごし、いまは政治家として変革しようと日夜活動している人物と話し合うことは、大切なことではないだろうか。

以下、講演概要。

2021年8月21日(土)開催!元ホームレス渡辺てる子さんと一緒に考える「メンタリストDaiGo 生活保護受給者&ホームレス蔑視発言」

◎第138回草の実アカデミー◎
2021年8月21日(土)
元ホームレス渡辺てる子さんと一緒に考える
「メンタリストDaiGo 生活保護受給者&ホームレス蔑視発言」

講師:渡辺てる子氏(れいわ新選組衆院東京10区総支部長)
   元ホームレス、シングルマザー、元派遣労働者
日時:2021年8月21日(土)
13:30時開場、14時00分開始、16:30終了
場所:雑司ヶ谷地域文化創造館 第2会議室
https://www.mapion.co.jp/m2/35.71971291,139.71364947,16/poi=21330448165
交通:JR目白駅徒歩10分、東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」2番出口直結
資料代:500円 【申し込み】(定員18名)
フルネームと「8月21日参加」と書いて下記のメールアドレスに送信してください。
kusanomi@notnet.jp

★★★感染防止対策にご協力を★★★
・受付の名簿に必要事項をお書きください。
・会場入りの際は手洗いかアルコール消毒をお願いします。
・会場内ではマスク着用をお願いします。
・暑くても窓を開けて換気をするのでご了承ください。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』9月号

◆憲法記念日の菅首相のブラックジョーク

憲法記念日の5月3日、笑えないジョークを言い放った菅義偉首相は、政府と自民党の危険性をあらためて国民に知らせてくれた。

改憲派のオンライン集会に宛てたビデオメッセージで、「新型コロナウイルス感染拡大などを踏まえ、『緊急時に国民の命と安全を守るため、国家や国民の役割を憲法に位置付けることは極めて重く、大切な課題だ』と述べ、緊急事態条項の必要性を強調した」(時事ドットコム5月3日17時46分)のだ。


◎[参考動画]令和3年5月3日、菅義偉自民党総裁メッセージ(公開憲法フォーラム)

「国民の命と安全」を危機にさらしているのはどこのどなたなのか? コロナ対策では、基本となるPCR検査を拡充させることもなく、病床の急増も実現できず、補償をともなった休業要請措置も講じられず、ワクチン接種も異様な遅さである。方向性を示せず、そのつど何らかの政策らしきものを実行して成果を出せず、また何かをして成果が表れず失敗。その繰り返しだ。

2021年4月末時点で感染者率の人口比は、アメリカの9.8%、フランスの8.3%、イギリスの6.7%に比べ、日本の感染者率は0.45%と格段に低い。(2021年4月末)

その日本の医療がひっ迫している。単純に考えて、欧米なみに感染したら医療崩壊どころか社会崩壊状態になるだろう。そのような危機をもたらしたのは、純粋に医学的科学的問題より政治である。その責任は政府や与党にあるのに、「緊急事態条項」を憲法に導入して国民の自由や権利をはく奪しようという考えは、まったく倒錯している。

◆政府の暴走に歯止めない自民党憲法草案
 
冒頭の首相発言の根底には、2012年の自民党憲法草案がある。おそらく最大の問題点は、草案に組み込まれている「緊急事態条項」の新設である。

第98条(緊急事態の宣言)
1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

第99条(緊急事態の宣言の効果)
1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

総理大臣が緊急事態だと判断すれば、内閣が実質法律を制定でき、地方自治もなくなり、三権分立もなくなる。
 
第99条4項では「基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」と示されているので、うっかりすると安心してしまう。しかし、これが落とし穴だ。「基本的人権に関する規定を犯してはならない」と言う禁止事項ではなく、努力目標。独裁権力を握った勢力が、尊重などするはずがなく、政府の思うままである。

宣言発出の要件があいまいで歯止めがほとんどないに等しいのは、異常な憲法草案である。この自民党2012年憲法草案は、「ナチス憲法」と言われ、大批判を浴びた。かつてのドイツでヒトラーが完全に独裁権力を握るまでの事実経過をたどれば、批判は正当だ。


◎[参考動画]「誤解招いた」麻生副総理”ナチス憲法”発言を撤回(ANN 2013年8月1日)


◎[参考動画]ヒトラーの金融政策「正しい」発言 日銀委員が謝罪(ANN 2017年7月4日)

◆自民党憲法草案はナチスドイツをモデルに?

ヒトラーやナチ党について書かれた本は膨大にあるが、比較的わかりやすく面白いのは『ヒトラー 独裁への道~ワイマール共和国崩壊まで』(ハインツ・ヘーネ著、五十嵐智友訳、朝日選書1992年)。同書をもとに、独裁確立までの劇的なプロセスを確認したい。

ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)は、選挙で勝利を積み重ね、今度こそ絶対多数を獲得しようと勝負をかけた1932年11月6日(ヒトラー首相誕生の2か月半前)の国会選挙で、敗北してしまった。

ナチ党は得票率を4.18%減らし33.09%へ、得票数も約200万票減らし、230議席から196議席(全議席584)に後退。第一党の座は保ったものの、直前までの飛ぶ鳥を落とす勢いからすれば敗北といえるだろう。

第二党は、社会民主党121議席、第三党は共産党100議席だった。共産党は、毎回選挙で着実に議席を伸ばし、この選挙では首都ベルリンで得票率30%超を得て単独トップに躍り出た。

この選挙後に、右翼系・保守系の政治家や政党の複雑な駆け引きや党利党略もあり、翌1933年1月30日、ヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命した。権力を握ったいま選挙を実施すれば今度こそ絶対多数を獲得できる、と目論んだヒトラーは即座に国会解散を決め、投票は3月5日に設定された。

2月4日、憲法に定められた緊急時の大統領権限を利用し、「ドイツ国民の保護に関する大統領緊急令」を大統領に出させた。これにより、公共の安寧が脅威にさらされると当局が判断すれば、ストライキ、政治集会、デモ、印刷物の配布禁止と押収などが可能になった。

社会民主党や共産党は選挙キャンペーンどころか日常活動もままならなくなった。同時に全土でナチ突撃隊が反対勢力に対するテロをエスカレートさせていった。混乱の最中の2月27日、国会議事堂放火という事件が起きた。証拠もないのに共産党の陰謀だとデマ宣伝し、翌2月28日に、いわゆる「国会炎上緊急令」を布告。この緊急令を根拠に、共産党の国会議員、地方議員、共産党幹部の逮捕、全支部の閉鎖、共産党系出版物の発行禁止などがなされた。

こうして3月5日に国会議員選挙の投票日を迎え、ナチ党は得票率が43.9%に上昇し、647議席中288議席を獲得する大勝利を収めた。


◎[参考動画]憲法改正 議論進まぬ中 今週動きが……(FNN 2021年5月3日)

駄目押しは、国会に諮らず政府が法律を制定できる「全権委任法」の成立である。国会機能が無くなるのだから独裁が完成する。しかしこの全権委任法を成立させるには3分の2以上の国会議員の賛成が必要だった。本来なら可決できないはずだが、100名を超える共産党国会議員や社会民主党議員を逮捕(一部は国外に亡命)して討議にも投票にも参加させず、1933年3月23日に「非合法的に」成立した。

緊急事態だとして「大統領令」が二度出され、反対威力をテロで大弾圧した。これは自民党憲法の総理大臣による「緊急事態宣言」(草案98条)に通じる。

そしてドイツの「全権委任法」は、自民党憲法の「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」(草案99条)にならないのか。

緊急事態宣言を発令する要件があいまいで、ほとんど歯止めがない。あきれるのは、期間の延長をする場合の証人方法は書かれていても、期間の定めがないところも致命的だ。したがって、自民党憲法が実現化すれば、「ナチス日本」を誕生させかねない。このような憲法草案を未だに捨てていない自民党は、一部の人による支持で暴走している。

直近の5回の国政選挙(すべて第二次安倍内閣時代)において、比例代表で自民党と書いた人は、全有権者の16.7%から18.9%。選挙区で自民系候補に投票した人は、18.9%から25.0%。

少数者に支えられた自民党が、多数派を支配する悪夢が続いている。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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「街灯を除き、全ての明かりを消すように徹底していきたい」

4月23日の記者会見で東京都の小池百合子知事はこう語った。夜間の外出を抑えるために、夜8時以降は、看板照明、ネオン、イルミネーションなどを消灯せよ、というのだ。

まさに戦時中の「灯火管制」だが、この小池知事の発言にあきれる声もある一方、支持する意見もある。そこに、医学や科学を超えた“疾病”=コロナ病の危険を感じざるを得ない。


◎[参考動画]小池知事「午後8時以降 看板、ネオン消灯を」(ANN 2021年4月23日)

多くの人々は、素朴な疑問をもつだろう。けた外れに感染者と死者が多いアメリカやヨーロッパ諸国が意外に持ちこたえ、はるかに少ない日本が、なぜ大阪のように医療が崩壊し、なぜ3回も緊急事態宣言を出し、経済や社会が崩れてかけているのだろうか、と。

少なくとも2021年4月末の時点では、このような素朴かつ重大な疑問が沸き上がるのは当然だ。

読売新聞オンラインの報道によると、2021年4月27日にまでの集計で、人口比に占める感染者の割合(カッコ内は感染者数)は次のようになっている。

・アメリカ 9.82%(3,212万4千人)
・フランス 8.31%( 556万5千人)
・イギリス 6.65%( 442万3千人)
・日本   0.45%( 57万2千人)
 
21年4月末日時点の日本の状況を考えれば、上にあげた米仏英などは、経済も医療も完全に崩壊しているはずである。反対にはるかに感染者数の少ない日本が今日の事態に陥ったのは、1年3ヶ月の間に政府が有効な対策を実行してこなかったからである。

感染症重傷者を治療できる設備を持つ大学病院や国立病院、地域の中核病院の病床や集中治療室を大幅に増やし、それに伴う人員増員と補償する予算措置を明確に実行しなかったのが大きな原因だ。

1年数カ月前に感染症や大規模災害に対応する医療システムの計画を策定し実行していれば、状況はまるで違っていたはずだろう。

つまり、いま私たちが直面しているコロナ危機は、医学的・科学的危機以上に政治危機(人災)の側面が大きいと見なければならないのではないか。


◎「参考動画」コロナによる国内の死者4687人 中国本土を上回る(ANN 2021年1月20日)

◆上と下からの圧力が人と社会を殺す

人災によってコロナ禍が増していくと同時に、マスク警察、自粛警察、通報、など戦中の隣組的発想が増長し、リアルの警察も去年のうちからマスクを付けない若者を交番に連行したり、繁華街で警棒を振り回して歩くなど社会の空気も悪化している。

国家総動員的な空気が蔓延する中で、小池都知事による灯火管制発言が出たわけだ。人々に恐怖を与えれば強権的な言動をとっても、大衆は従う(どころか、従わない人を攻撃もしくは通報)する性質を熟知してのことであろう。

灯火管制発言から週が明けたら、さっそくテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』では、コメンテーターの玉川徹氏と司会の羽鳥慎一氏が、灯火管制に対する批判も「感情的にはわかるが」としながらも、人が集まらないようにするうえで有効であると、灯火管制に賛意を示していた。

灯火管制は、合理的なコロナ対策とは言えず、かつて日中全面戦争勃発後に展開された国民精神総動員運動のスローガンのようなものだろう。メディアが厳しく批判的に報じない限り、政治家の強権的発言や人権を制限する政策が下から支持されやすくなる。


◎[参考動画]燈火管制《前編》昭和15年 内務省製作映画

◆医療システムを脆弱化させた維新と吉村大阪府知事

東京から大阪に目をうつすと、似たような危険がある。大阪では「維新政治」が始まってから、無駄を省き、公務員を削減し、医療をはじめとする公共サービスを低下させてきた。

2020年12月20日付の『長周新聞』(電子版)が分かりやすく伝えている

《医療や衛生部門の職員数も大幅に減少した【表参照】。保健所の統合も進め、07年には748人いた大阪府の保健所職員は、19年には506人となり、12年間で3割以上削減されたことになる。

公的医療の根幹を担っていた府立病院と市立病院を統合して独立行政法人(民営化)へ移行させたことも背景にある。国の方針を先取りして病床数削減も進め、大阪府の病床数(病院)は07年の11万840床から18年の10万6920床と3920床減り、10万人あたりの総病床数は1197床であり、全国平均の1212.1床を下回っている【表参照】。》(引用終わり)

日本医師会の地域医療情報システムによると、コロナが始まる前の2018年11月時点で「結核・感染症」の10万人あたりの病床数は4・18床で全国平均の4・46床を下回る。

今回のような感染症対策に可能な保健師数は、人口10万人当たり25.9人で全国平均41.9人の6割しかおらず、全国ワースト2だ(2018年度)。

つまり、コロナ禍が始まるまでに医療システムが弱体化させられていた。その政策を推進してきた大阪維新の会の吉村洋文知事の言動は迷走している。

象徴的なのは、イソジン吉村のニックネームをつけられたように、昨年夏、うがい薬に含まれるイソジンがコロナ感染の重症化抑止に効果があるなどと発言した。そして「あごかけマスク」によるマスク会食を推奨するなど、その場その場でテレビ受け、一部大衆受けする言動を繰り返してきた。その挙句、3月7日が期限だった2回目の緊急事態宣言を大阪については解除するよう吉村は政府に要請し、2月末に解除された。

あるいは、感染を抑えすぎたから次の波が到来したなどという発言もしていた。極め付きは3度目の緊急事態宣言が決められた4月23日、「社会危機が生じた時に、個人の自由を大きく制限する場合があると国会の場で決めていくことが重要だ」と吉村知事は述べたのである。

これに対し兵庫県明石市の泉房穂視聴は、「大阪府知事は有害だ。自分が病床確保をしていないのに、それを国民に転嫁して私権制限するとは、まさに政治家の責任放棄だ。あの人こそ辞めてほしい」と正論を述べた。

これまで医療体制を脆弱化させてきた維新に所属し、その場限りの言動を繰り返してきた人間が「私権の制限」で国民の自由を奪うなど、犯罪者が被害者を抑圧するがごとき妄言である。


◎「参考動画」協力防空戦(焼夷弾の種類や対処を教育するためのアニメーション)

◆大阪吉村、東京小池はともに有害

話を東京に戻せば、小池知事も昨年、東京オリンピックの延期が決定された翌日から。突然コロナは大変だと騒ぎ始めたのは周知のとおり。前の日までは危機感を表す言動はなかったのに。

「オーバーシュート」「東京アラート」「ウィズコロナ」などというカタカナ語をまき散らし、「夜の街」などという言葉もはやらせた。レインボーブリッジや東京スカイツリーの電飾を操作して、言葉遊びをして「やってる感」を演出してきた。カタカナ標語の乱発やスカイツリー電飾操作は、「欲しがりません勝つまでは」、「一億一心」「撃ちてし止まん」(敵を打ち砕いたあとに戦いを止めよう)の思考回路に通じる。

それはエスカレートし、今回の「灯火管制」発言につながった。日中戦争開始の1937年に始まった国民精神総動員運動の再開をほうふつとさせる。いったい何様のつもりなのか。

基本的には、大阪の知事と同じだ。とくに吉村府知事は、過ちを認めない、誤らないという維新系政治家の特徴をよく表している。このような人たちが国民の自由を大幅に制限せよと息巻き、あるいは灯火管制で国民精神総動員まがいのことをしているのは、一種の倒錯であり危ない。

コロナ対策は急がれるが、東と西の知事を一刻も早くまともな人物に代えることも喫緊の課題だと私は考える。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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◆法律にもとづかない「お願い」

《スポーツジムの時間短縮営業は、本当に危険だ。3日ほど前から近所のジムが夜8時で閉まるようになった。閉まる直前に人が集中し、ほとんどコロナ前と同じ感じ。夜11時まで営業のときは、人が分散してまばらだった。なぜ人が密になるようなことをするのか。夜8時まで営業という同調圧力のせいだろう》

これは、新型コロナウイルスに感染リスクを心配した筆者が1月17日にFacebookに投稿した内容である。

2月2日、栃木県を除く10都府県を対象に緊急事態宣言を1か月延長すると政府は決めた。1月7日に11都府県に緊急事態宣言が出され、2月7日まで昼も夜も外出自粛を要請し、飲食店を中心に営業を夜8時までに短縮するように要請してきた。

なぜ、8時で営業を止めると感染者が減り、それ以降営業していると感染者が減らないのか。「なるほど」と納得するような根拠がわからない。

時短営業の対象者は主として飲食業である。とくに酒類を提供する事業者は夜7時にアルコール提供を止め、8時には店を閉めろという要請内容だ。

このほか、スポーツジムやパチンコ店、雀荘、映画館等にも営業時間短縮の「お願い」をしている。しかし、こうした業種に対しては、法律に基づかない「お願い」なので、協力金などの補償は出さない。

だから、飲食店ばかりか、広範囲のサービス業従事者が相当な打撃を受けるだろう。肉体的には生存していても、社会的・精神的に死ぬ人は膨大になると思う。


◎[参考動画]緊急事態宣言延長で分科会 「対策強化」提言(TBS 2021年2月2日)

◆8時営業停止でスポーツジムは人が密集

「8時以降の営業中止」に疑問を感じていた1月11日か12日の18時50分ころ、筆者は近くのスポーツジムに行った。受付で熱を測り会員カードチェックを経て館内に入ったとたん、いつものと違うとすぐ気づいた。

ロビーに人が多いのである。ロッカールームに行くとさらに驚いた。空いているロッカーをすぐ探せなかったのである。

というのは、感染拡大防止策として、一つおきにロッカーを封鎖し、隣どおしで利用できないようにしてあるからだ。空いている場所がほとんどなく、一番隅にある不便な場所のロッカーをようやく確保した。

トレーニングマシンやスタジオ、フリーウエイトのスペースがある階に行ってみると「いつもと景色が違う」とハッとした。

ランニングマシーンは、9割がた人で埋まっており、エアロバイクも空いているのは一つか二つ。

ダンベルやバーベルを使用するフリーウエイト・ゾーンに行くと人が多く、ダンベルなどを扱っているとほかの人にぶつかりそうで危ない。

ウエイトトレーニング・マシーンも、機械が空くのを待っている人がいる。

これは完全にコロナ以前の日常風景だ。というより、筆者が通っている時間帯に関しては、コロナ以前より混んでいる。いまこの時期にはありえない“幻影”を見ているようだ。

運動を終えて風呂に行ってみると「ああ、ダメだ」と思わず声に出しそうになった。カランは全く空いていないし、サウナの前には次に入ろうとする人が待っている。

浴槽も入るスペースがない(詰めて入れば可能ではあるが)。腰かけることもできず、浴槽にも入れない数人が、ただ立っている。

翌日以降も、同じような状態だった。政府や自治体の要請にしたがって営業時間短縮を実施したことで、感染リスクは高まったのだ。これは、他のスポーツジムでも同じだろう。

◆夕方5時から8時に顧客が集中

どの施設でもそうだと思うが、筆者が通っているジム(東急スポーツオアシス)では、新型コロナウイルス感染拡大のため、大変な努力をしてきた。

冬でも数か所の窓を開けて換気するのに加え、機械を使って室内の空気を外に出す。ロッカーは一つおきにしか使えない。あらゆる場所にアルコールとペーパータオルが用意され、スタッフや会員が頻繁に使用した器具や場所を吹いてウイルスを除去するようになっている。

もちろん、ランニングマシーンやエアロバイクは透明のパーテーションで区切ってある。スタジオを利用したレッスンも時間帯や人数を制限は当然のこととして行われてきた。風呂場には風呂内のマスクなしでの会話禁止を訴えるノボリも。

定期的に館内放送で、感染拡大防止のための具体的な行動を呼びかけ、利用者もこれに応じてきた。

せっかく、スタッフと利用者ともども創意工夫と努力を重ねてきたのに、8時営業終了によって、どう考えても感染リスクが高まってしまったのである。

おかしいと思っていたら、1月27日、スポーツジムから会員向けメールが届いた。2月1日から7日までを通常営業に戻すという内容である。

《ご利用状況を調査した結果、特に17時以降の利用率が顕著に高くなっておりました。 社内で検討した結果、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、混雑緩和へ向けた取り組みとして、ジム、プール、ロッカー、浴室のご利用を通常営業時間に変更させていただきます》(送信されたメールより抜粋)

きわめて妥当な判断だろう。日経電子版(1月8日付)によれば、スポーツジム大手のコナミスポーツ、ティップネス、セントラルスポーツ、RIZAPグループなども夜8時までの営業時間短縮を実施するとされていた。

スポーツジムにおける営業時間短縮は、経済的被害を拡大さるばかりか、感染拡大防止の観点からも誤りだったとみていいだろう。さっそく各社は方針転換をはかるべきではないか。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

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