【緊急訴訟報告】対エル金(しばき隊/男組)訴訟、上告棄却の不当決定! 損害賠償11万円+利息等が確定! 大学院生リンチ事件で被害者М君に瀕死の重傷を負わせた徒輩が「プライバシー侵害」とは嗤わせる!

鹿砦社代表 松岡利康

2016年に始まった対しばき隊関係訴訟はまだ続いていましたが、くだんのリンチ事件で主たる暴力行使者・エル金こと金(本田)良平が、犯歴をバクロされたとして「プライバシー侵害」を理由に鹿砦社と作家・森奈津子さんを訴えた訴訟の上告審、最高裁第二小法廷は私たちの上告を棄却する決定を下しました。決定日付は7月10日。別掲の通り簡素なものです。これで、すべての対しばき隊関連訴訟が終結したことになります。まさに“10年戦争”でした。

7月10日付け最高裁の決定書

◆将来を嘱望された大学院生(当時)М君の人生を狂わせた徒輩を許せない!

この集団リンチ事件の当事者の中で、加害者側の5人、このうち李信恵は相変わらず講演三昧、伊藤大介は複数の暴力事件を起こし有罪判決が確定しオモテから離れました。1発殴り罰金刑(刑事)と賠償金を課された凡(ハンドルネーム)もオモテから離れました。残りの松本英一はまだ運動に足を突っ込んでいるようですが、詳しい最近の動向は伝わってきません(雑魚にはさほど興味もありません)。

リンチ直前の加害者ら。左から李信恵、金良平、伊藤大介

今回の訴訟の原告、エル金こと金良平は、一時行方不明になったり突然オモテに出たりしながら、住所不明(訴状では代理人の神原元弁護士の事務所を住所としています)、職業不詳です。彼は数十発、М君に激しい暴行を加え、刑事では罰金40万円、民事では賠償金120万円余の判決を受け、なんとかカネを集め支払っています。合計で160万円余り、個人で払うには決して少額ではありません。これに懲りて反省し、もう暴力的行為はしないとけついしたらいいのですが、その後も、一触即発の場面に先頭になって参加しています。

一方の被害者M君は、酷いリンチによるPTSDで、博士課程は修了したものの研究職に就くことができず、肉体労働に近い職業で日々働き暮らしています。本来なら今頃、若い学生に囲まれ学究生活に入っていただろうに……。これを思うと不憫です。

М君は、金良平らによる直接的暴力、「反差別」運動の旗手とマスメディアが喧伝する李信恵らによる集団リンチ、さらには彼らの支持者によるセカンド・リンチにより人生を狂わされました。私や森さんが、一審判決11万円という少額賠償金にかかわらず、控訴審、上告審と最後まで闘ったのは、人生を狂わされたМ君への血の通った人間としての同情心と、金良平らリンチの加害者らや、これに付和雷同してM君にセカンド・リンチを加えた徒輩を許せなかったからです。

リンチ前と後

◆10年経って社会運動から暴力はなくなったのか?

かつて激動の時代60年代後半から70年代にかけて、世界的なベトナム反戦運動の高揚、国内的には、それに加え安保─沖縄闘争、全国学園闘争、三里塚闘争(成田空港反対闘争)などをメルクマールに、学生運動、反戦運動、社会運動全般が盛り上がったことは歴史的事です。

しかし、運動内部では軋轢、対立、分裂が進行し、これが暴力を伴い、「内ゲバ」と総称されるような問題も同時に起きました。問題は、累々たる死者をも出し、これも大きな要因として運動全般が衰退していったことは私ごときが言うまでもありません。

そうしたこともあって、心ある人たちの努力により、わが国の社会運動から次第に暴力はなくなっていったはずでした。私もそう思っていました。

そのかん、私の先輩、後輩らも暴力の場面に遭遇しました。なにより私も病院送りにされましたし、ついこの前に一緒にビラ撒きしていた某党派の活動家が夜間急襲され仲間と共に殺されるというニュースには驚きました。多くの先輩方から対立党派ながら真面目な方と聞き、なんとも言えない気持ちになったことを今でも忘れることができません。

それから連合赤軍事件、内ゲバの激化などが続き、わが国の社会運動にとって大打撃となり、かつて社会運動の拠点となっていたキャンパスから抵抗の声は次第に聞かれなくなりました。かつては林立していた立看も今では見られなくなりました。立看を出しただけで即撤去、処分されたり、裁判になったりする時代です。時折訪れる母校でも、今や綺麗なキャンパスになりました。少なくとも立看、ビラ撒きぐらいは表現の自由の観点から制限なく規制しなくてもいいのではないか、と思います。

キャンパスから暴力的場面がなくなり、同時に立看やビラ撒きも見られなくなりましたが、これを突然打ち消したのが、金良平、李信恵らによるM君リンチ事件だったのです。社会運動の一つ「反差別」運動には根深い暴力が残っていたのです。「反差別」運動における暴力の問題として、本件と共に八鹿(youka)高校事件と併せ、やはり捉え直しが必要ではないかと思います。ちなみに八鹿高校事件では、部落解放同盟と日本共産党の争いもあり、兵庫県の山間の田舎都市での対立以上に大きな問題で、両者は本当にこれを教訓化したのか疑問です。この事件では、私の先輩も巻き込まれ、元々ブント系ノンセクトの活動家でしたから、共産党には批判的で、解放同盟に特段批判的でもないのに暴行を受けています。いまだにネットに流れている裁判記録に先輩の名を発見した時には胸が破裂しそうでした。

このリンチ事件を持ち込まれた際に、私はその先輩の姿を想起しました。金良平、李信恵ら加害者5人は、さんざんM君に暴行を加えた後、瀕死の重傷を負ったМ君を放置し逃げ去ったとのことで、M君はやっとの想いでタクシーを拾い自宅に帰ったのです。なにかを察知した運転手の方は料金を受け取らなかったそうです。

これには、さすがの裁判所も、「最後は、負傷したМの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。」として、「日頃から人権尊重を標榜していながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」(大阪高裁、令和3年7月27日判決言渡)と批判したのです。

2016年の初めに、この大学院生リンチ事件を、リンチ直後の被害者の顔写真、リンチの最中の音声データ、その他の資料に接して知った時には、本当に驚き、瞬間湯沸かし器の私は即動き始めたのです。

◆事件後の加害者らの動き──当初反省、謝罪、活動自粛を約束しつつも、しばらくして反故

リンチ事件後、在日の親睦、協力の目的で設立された「コリアNGOセンター」を中心として事態収拾に動き、加害者、被害者双方への事情聴取が行われ、加害者5人のうち直接手を出したとされる金良平、李信恵、凡の3名が「謝罪文」を被害者M君に送り、反省、謝罪、活動自粛を約束していますが、のちにこれを反故、M君を苦しめることになります。約束を反故にし活動再開した理由としては、師岡康子弁護士が金展克さんに送った、いわゆる「師岡メール」に現れています。当時、彼らが当面の目的としていたヘイトスピーチ解消法成立の運動に利にならないとの思惑からだと思われます。研究者として将来を嘱望されたM君一人の人権よりも在日の利益を図ることのほうが重要だとの考えからでしょうが、人ひとりの人権を蔑ろにして、なにをかいわんやです。なので、師岡はじめ、この事件で名が出てくる者らを私は決して許すことができません。

金良平の謝罪文(全文1枚目)
金良平の謝罪文(全文2枚目)
辛淑玉文書の1ページ目。この時は深刻だったと思われるが、その後、この文書も否定

特に、岸政彦、彼は「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長を務め、このリンチ事件ではコリアNGOセンターが行った事情聴取にも立ち合っています。本来なら、積極的に問題解決に奔走すべき立場です。しかし彼は、私たちが送った質問状にも答えず、馬耳東風のスタンスを貫くつもりだったようなので研究室に直撃取材をかけたのです。李信恵が裁判で述べたところによれば、このあと同会の事務局長を辞任したとのこと、これも、岸の一片の良心を信じていたМ君を苦しめることになります。その後岸は、当時龍谷大学教授から立命館大学教授、そして今や京都大学教授へと上り詰めていくのです。M君を犠牲にして──。岸は芥川賞の候補にもなりましたが、こういう世渡りのうまい人間こそ唾棄すべき人種です。岸よ、恥を知れ、恥を!

われわれの直撃に必死に逃げ回る岸政彦

一方的に活動再開した後、李信恵は講演三昧、彼女の自宅前を通った人によれば、自宅の車庫にベンツが停めてあったとのこと、行政などからの髙い講演料で買ったのかと勘繰ります。彼女は高価なブランド物も好きなようで、集会にどこかのブランドバッグを持って現れたのを見たという人もいました。果たして彼女に人間としての反省はあるのか⁉ 普通に考えて大いに疑問です。罪は逃れても、リンチの場にいて、金良平の激しい暴力を制止もせず、悠然とワインを飲んでいたとは、人間として信じられません。

金良平、伊藤大介らはますますアグレッシブに活動し、伊藤に至ってはネトウヨ活動家に対する暴行容疑で有罪判決を受け、経営する不動産会社の宅建免許取り消しを怖れ自社の代表を辞しています。凡のみが結婚し活動を辞めたようです。正解です。

◆金良平らリンチ加害者は本当に反省したのか? 関係者らは、このリンチ事件の〈負〉の面をいかに教訓化し運動の糧にしたのか?

この問いに、結論から言えば、なんの反省もしていませんし、教訓化もしていません。現在のしばき隊の現状、共産党の苦慮を見れば一目瞭然です。共産党が今、しばき隊との関係を切る、切らないで苦慮しているのは、10年余り前に、このリンチ事件に対して真っ向から取り組まなかった故です。その時のツケが今回ってきていると言えるでしょう。

金良平について言えば、真っ昼間からSNSに相当の時間を費やし、生業に就いているのかどうか疑問で、さらには被告とされた森さんの自宅圏内の関東地方に移住し、彼女に恐怖を与えていました。広義のしばき隊に繋がる者らと思しき者から、彼らを批判しただけで激しい嫌がらせを受けた人たちがいます。森さんもそうですが、自宅の周囲を何者かに徘徊されたこともありました。

私は、このリンチ事件の被害者М君支援、真相究明に関わってきて、いわゆるしばき隊やカウンターといわれる運動を批判した人たちが激しい嫌がらせを受けたことを知りました。2、3例を挙げますと、公立病院に勤める、ある在日の医師は病院に多数の嫌がらせ電話をかけられSNSを閉じられました。人の命に係わる病院にですよ。絶対にやってはいけないことです。小菅信子山梨学院大学教授は、大学に電話攻撃を受けると共に、愛猫が殺されています。作家の室井佑月さんは自宅前に汚物を撒かれました。なぜか、どれも実行犯は逮捕されていません。

本件訴訟の原因ともなっている金良平が森さんに絡んできて日に日にバッシングが激しくなり、危機感を持ち、障碍者の夫と共に暮らす森さんの身を案じ、金良平の犯歴を晒してでも自分の身を守れとアドバイスしたことで、私のアドバイスを受けた森さんは金良平の犯歴=M君へのリンチ事件の有罪判決(罰金刑)の前科を晒したのです。他人の身は他人が守ってくれるわけではありませんから。どのような手段を使ってでも自分の身は自分で守れ、と。その後、森さんには、反LGBT運動の仲間でありオウム信者に殺されかけた滝本太郎弁護士と共に殺人予告もありました。

金良平の犯歴を晒したというが、金良平の犯歴は鹿砦社の一連の出版物で〈公知の事実〉となっており、今更どうこう言うことでもありません。私に言わせれば、将来を嘱望された大学院生М君の将来をぶち壊した徒輩に「プライバシー侵害」などと嗤(わら)わせてくれるな、ということです。

このかん金良平は、Xも長く配信を止め、最近になってぼちぼち動き出してきたようですが、「反差別」運動にとって彼はもはや不要の人物であり厄介者にさえなっています。

今回の最高裁決定で、10年戦争を続けてきた大学院生リンチ事件関係訴訟はすべて終結いたしました。この10年間、私(たち)なりに被害者М君支援、真相究明に努めてまいりました。この過程で「反差別」運動のウラの面を垣間見、なぜ多くの識者がこれに対して声を挙げないのか? また、マスメディアはなぜ、李信恵らを持ち上げるだけで、その暗部を採り上げ批判しないのか、疑問です。

「反差別」が利権であってはならないことはすでに周知のことになっています。差別に反対するという崇高な営為が、どこかで倒錯していないか? 少なくとも真剣に考えても無駄ではないでしょう。いや、前記した大阪高裁判決で、リンチがあったこと、李信恵、金良平らが係わったことは確定しています。「リンチはなかった」だって⁉ 私やМ君の前で言ってみろ!

師岡康子弁護士と、金良平の代理人・神原元弁護士

リンチはあったのです。これを認めた上で、これに真摯に向き合い、「反差別」運動を主体的に切開し、改善すべきは改善し、今後の運動に主体的に取り込んでいくべきではないのか、大学院生リンチ事件に10年関わり、お金もそれなりに使い、私なりに一所懸命に取り組んできました。故・山口正紀さん(ジャーナリスト)や野田正彰さん(精神科医)、先輩の矢谷暢一郎さん(ニューヨーク州立大学アルフレッド校心理学名誉教授)、寺澤有さん(ジャーナリスト)、黒薮哲哉さん(同)、故・北村肇さん(『週刊金曜日』発行人)、今回鹿砦社と共に被告とされた森奈津子さん(作家)ら、決して多くはない心ある方々にご理解いただき、最後まで協力、支援賜りました。感謝申し上げます。

特に山口さんにつきましては、末期ガンで死の直前まで命を削り準備書面をお読みいただき添削も行ってくださいました。

訴訟上は、ヒラメ裁判官ばかりで、М君も賠償金は、決して満足のいく金額ではありませんでしたが、治療費程度は獲得できました。内容的にも満足のいくものではありませんでした。それでも勝訴は勝訴です、私たちは、М君を裏切ることなく最後まで共に頑張りました。

歪曲された反差別運動の犠牲者М君の想いをご理解いただき、このリンチ事件を、今からでも注目され真剣に再検証いただき、反差別運き動を含む社会運動における暴力の問題を考えていただきたいと切に希望いたします。

この大学院生リンチ事件については、言いたいことがまだまだあります。機会を見て、これまで収集した資料を元に総括的にまとめていきたいと考えています。

最後に、本件訴訟は当初、1996年以来、東京での訴訟事を一手に引き受けていただいていた内藤隆弁護士に受任いただきましたが急逝され、慌ただしく清井礼司弁護士が引き受けられました。急なことながら、短期間でリンチ事件の全貌を理解され最後まで、私たちの意を汲み闘っていただきました。心より感謝いたします。

※大学院生リンチ事件については、これまで刊行した6冊の本、これ以降については、「デジタル鹿砦社通信」の「しばき隊リンチ事件」の項私のFBをご覧ください。

われわれが総力で記録化した大学院生リンチ関係書籍。必読!

しばき隊リンチ事件 https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

しばき隊と日本共産党の決別

黒薮哲哉

しばき隊と日本共産党の決別は歓迎すべきことだ。共産党を離党した家登氏(右)としばき隊の関係を証拠付ける写真を昨日入手した。

Ⅹ上で公開されていたものだ。写真の中央は、しばき隊の女性リーダー、ジャーナリスト、人権派の李信恵氏。

共産党はなぜ重大な判断ミスを犯したのだろうか。おそらく事実が正確に伝わっていなかたのでは? マスコミ情報を過信したことも裏目に出た。情報の分析があまいのではないか?

※黒薮哲哉FB「メディア黒書」、日本メディアの構造的腐敗を読み解く 2026年7月15日付けより転載

《追記》松岡利康(鹿砦社代表)2026年7月16日記

しばき隊と日本共産党との癒着は、私たちが総力で取り組んだカウンター大学院生リンチ事件、いわゆる「しばき隊リンチ事件」の頃から公然と関係を誇示していました。大学院生リンチ事件は、神原元弁護士をはじめとするしばき隊系の者らが「リンチはなかった」との開き直りとデマを吹聴しても消せない歴史的事実です。

共産党が、今頃になってしばき隊を縁を切ると言っても遅いと言わざるをえないし、おそらく水面下では関係は続くものと考えています。

もし本当に共産党がしばき隊との関係にケリをつけようと思うのならば、まずは歴史を溯り、くだんの大学院生リンチ事件の総括を行うべきでしょう。ちなみに、上記写真の左は、しばき隊と行動を共にする福島恵美鶴ヶ島市議。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

「M君暴行事件」の事実は、共産党へ届いていたのだろうか?何者かが、「事件はなかった」とウソをついていた可能性も

黒薮哲哉

日本共産党が「反動政権、排外主義に反対する運動のあり方について」と題する声明を発表し、その中で、暴力を誘発しかねない運動のあり方について自己批判したことが、SNS上でも話題になっている。この声明をおおむね評価する声は少なくない。

しかし、私はいくつか留意すべき点があると考えている。その一つは、2014年12月16日深夜に、しばき隊が大阪・北新地で起こした「M君暴行事件」について、日本共産党の田村智子委員長らが、どこまで実態を把握していたのかという問題である。

鹿砦社取材班は、共産党関係者への取材を行い、さらに事件を記録した書籍も送付していたという。したがって、党が事件について全く知らなかったとは考えにくい。しかし、党が運動方針の誤りを認めるまでには、10年以上の歳月を要した。なぜ、これほど時間がかかったのだろうか。

私の推測になるが、事件に関係した人々や、その後の対応に携わった人々が、「事件は鹿砦社が作り上げたフェイクニュースであり、事件そのものが存在しなかった」というウソを党側に伝えていた可能性はないだろうか。

実際に、しばき隊側の代理人を務め、自由法曹団常任幹事でもある神原元弁護士は、「事件はなかった」と堂々と繰り返し主張してきた。また、諸岡康子弁護士は、事件の隠蔽を促す趣旨とも受け取れるメールを知人に送信している。

「その人(黒薮注・M君)は、今は怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかも知れませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たち(黒薮注・李信恵氏ら)を権力に売った人、法制化(黒薮注・ヘイトスピーチ規制法)のチャンスをつぶした人という重い十字架を背負い続けることになります」

ちなみに、このメールの存在は、受信者が鹿砦社へ情報提供したことで明らかになった。

主要メディアも、この事件について申し合わせたかのように報道を控えた。鹿砦社は司法記者クラブでの記者会見からも締め出され、事件について継続的に情報発信していた媒体は、事実上、鹿砦社以外にほとんど存在しなかった。このような状況であれば、日本共産党にも事件の実態が十分伝わっていなかった可能性は否定できない。

左から、神原元弁護士、師岡康子弁護士、有田芳生衆院議員。出典:東京新聞

◆部落解放同盟からしばき隊へ

共産党の田村委員長らが、「M君暴行事件」を検証したうえで、今回の暴力路線に関する反省声明を発表したのかどうかは明らかではない。しかし、事件から声明の発表まで10年以上を要したことや、その声明の内容を踏まえると、事件そのものについて十分な検証が行われたとは考えにくい。この事件が、カウンター運動の問題点を考える上での原点なのだが。

共産党は、「事件はなかった」という説明を信じていた可能性が高いのではないか。

私の推測が当たっているとすれば、日本共産党が部落解放同盟による暴力には対峙しながら、しばき隊による暴力については問題視しなかった理由も、一応の説明がつくのである。

◆飲酒を続け、最後は……

2014年12月16日深夜に発生した「M君暴行事件」については、大阪高等裁判所も、その際に激しい暴力行為があったことを事実認定している。以下、高裁判決を紹介しよう。

第1審(大阪地裁)も第2審(大阪高裁)も、判決の方向性は同じである。李氏がM君を殴った事実はなく、共謀性も認められないというものだった。ただ、高裁の判決は、事件当日の李氏の言動をより詳細に認定している。「殴った」とする鹿砦社報道は事実ではないとしながらも、はからずもこの事件の性質を浮彫にした。どのような状況の下で、Aが暴行に及んだのかが、事実に即して司法認定されたのである。

たとえば次の新しい事実認定である。

【引用】「被控訴人(注:李氏)は、Mが本件店舗に到着した際、最初にその胸倉を掴み、AとMが本件店舗の外に出た後、聞こえてきた物音から喧嘩になっている可能性を認識しながら、飲酒を続け、本件店舗に戻ってきたMがAからの暴行を受けて相当程度負傷していることを確認した後、「殺されるなら入ったらいいんちゃう。」と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。

この間、BやCはAに対し暴力を振るわないよう求める発言をしているが、被控訴人が暴力を否定するような発言をしたことは一度もなく、被控訴人は遅くともMが本件店舗内に戻った時点では、MがAから暴行を受けた事実を認識していながら、殺されなければよいという態度を示しただけで、本件店舗外に出てAの暴行を制止し、又は他人に依頼して制止させようとすることもなく、本件店舗内で飲食を続けていた。

このような被控訴人の言動は、当時、被控訴人が金による暴行を容認していたことを推認させるものであるということができる。」(略)(控訴審判決、7P、裁判所の判断)

さらに高裁は、李氏による次の言動も新たに認定している。

【引用】「被控訴人は、Cと話をしていたが、カウンター席の奥でAとMが立ち上がり言い争いになり、Bが間に入って止めたことや、AとMが本件店舗から出て行くことを見ていた。被控訴人は本件店舗内に残ったBに対して「ぼんちゃんは座って」などと声をかけていた。」(控訴審判決、5P、裁判所の判断)

BはAによる暴行を止めようとしていたのである。そのBの行動を李氏が制止したことが、控訴審判決で新たに認定されたのだ。

さらにAによる暴行の後、店舗を立ち去る場面に関して、控訴審判決は新しい認定を行った。1審判決では、李氏、C、それにDの3人が、AとBに「帰るで」と声をかけたと認定していたが、高裁判決はそれを取り消し、李氏が「帰るで」と声をかけたと認定した。次のくだりである。

【引用】「被控訴人(注:李氏)が、AとBに対し、「帰るで」と告げて、C及びDと共に、負傷しているMの側を通り過ぎて……」(控訴審判決、5P、裁判所の判断)

この記述から李氏がカウンター運動のリーダーであったことが推測できる。これらの認定を踏まえて、大阪高裁は賠償額を50万円減額した。その理由を次のように控訴審判決の中で集約した。

【引用】被控訴人(注:李氏)は、本件傷害事件と全く関係がなかったのに控訴人により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。

本件において控訴人の被控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道徳的批判を免れない性質のものである。」(控訴審判決、10P、裁判所の判断)

繰り返しになるが、M君暴行事件が、カウンター運動のあり方を考えるための原点なのである。避けて通れない事件なのだ。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月7日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

《追記》松岡利康(鹿砦社代表)2026年7月8日記

リンチ事件から1年余り、上記写真の3人はじめ加害者に連携する者らの必死の隠蔽工作により事件はなかったもののように表面化しませんでした。何よりも関西にいる私たちも知りませんでした。実は社内に入り込みスパイ活動を行っていた者さえいたという、笑い話にもならない笑止千万な事実もありました(詳しくはリンチ関連本や「デジタル鹿砦社通信」内の「しばき隊リンチ事件」の項を参照してください)。それほど隠蔽工作は徹底していました。

M君に近づいた大手メディア関係者もいましたが弄ばれただけでした。万策尽きようとしたところで、鹿砦社主催の市民向けゼミナールに時折参加していたОさんが、M君の心情を察し私たちのところに持ち込んできて、私たちの知るところとなりました。事件があったのが2014年師走、Оさんが私たちのところに来たのが翌々年の1月、1年余りも経っていました。

この1年余りの間の被害者М君の心情には今でも心が痛みます。驚いた私たちは即座に行動を開始、特別取材班を結成し、M君らが持ち込んだ資料の精査から始め事実関係の調査・取材をスタートした次第です。

この件、話し始めたら長くなりますので、かいつまんで申し述べるに留めますが、メディア・出版関係者で関心を持ち私たちに理解を示してくれたのは黒薮さんや山口正紀さん(故人。元読売記者。裁判所に意見書提出)、野田正彰先生(精神医。裁判所にM君の精神鑑定書を提出)、寺澤有さん(ジャーナリスト)、森奈津子さん(作家)ら数少なかったです。ある公立病院の在日の医師は、その正義感から、みずからのSNSで公然と被害者擁護、加害者(に与する者ら)批判を繰り広げるや病院に嫌がらせの電話が殺到したりで、病院に迷惑を掛けれないとSNSを閉じられました。

おそらく声を挙げたくても挙げれなかった人も少なくはないと思われます。当時のしばき隊、あるいは親しばき隊を中心とする加害者側人脈は元気過ぎるほど元気でした。黒薮さんも仰っているように、この事件は、社会運動と暴力の問題を考える場合、試金石といえるもので、けっして避けては通れない重要な問題です。いくら口先で「暴力反対」と言っても、現実に身近で暴力事件が起きた際に、いかに真剣に対応するのか、このリンチ事件は、このことをリアルに突き付けていると思います。

1970年代初めから幾多の暴力の場面に遭遇し、みずからもその被害を被り病院送りにされ、そうして新左翼間、あるいは新左翼と共産党(この学生・青年組織「民青」)間の、いわゆる「内ゲバ」の時代を迎え社会運動は壊滅的な打撃を被りました。この反省から、この国の社会運動から暴力はなくなっていったものと思っていましたが、M君リンチ事件で〈悪夢〉が甦りました。私は、いてもたってもおれず被害者M君支援、これを裏打ちする真相究明に当たることにした次第です。

ちなみに、現在、M君は、博士課程は何とか修了しましたが、集団リンチのPTSDに苛まれ学究の道を諦め、ブルーカラーに近い給与所得者として生活しています。小出版社の非力を思い知ると共に、加害者を援護し被害者に力を貸さなかったマスメディアの皆さん方の非情さを遺憾に思う次第です。マスメディアの方々は何を迷ったのか!? 加害者らに一切の理はありません!

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

リンチ被害者М君の心情に寄り添い、地を這う取材を元に編纂、出版したリンチ関連本。【第一弾】鹿砦社特別取材班編著『ヘイトと暴力の連鎖 反原連‐SEALDs-しばき隊-カウンター』/【第二弾】同『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』/【第三弾】同『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』/【第四弾】同『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』/【第五弾】同『暴力・暴言型社会運動の終焉 検証 カウンター大学院生リンチ事件』/【第六弾】同『真実の暴力の隠蔽 カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

共産党を名乗る人々は本当に共産党員だったのか、「反差別運動」についての共産党の見解

黒薮哲哉

日本共産党は、7月2日、機関紙『しんぶん赤旗』で、「反動政権、排外主義に反対する運動のあり方について」と題する声明を発表した。これは、共産党員とされる一部の人々が、インターネット上で共産党を名乗り、「レイシスト」や「差別者」を品位を欠く言葉で糾弾する行為について、党として公式見解を示したものである。見解の表明は、あまりにも遅きに失した感を免れないが、過去の過ちを認めたこと自体は評価できる。

声明は、「日本共産党員が『暴力行為を連想させるようなパフォーマンス』を行ったり、それを支持したりすることは、わが党綱領、党規約および中央委員会総会の決定と相いれないものであり、また、わが党に対する信頼を傷つける」と結論づけている。

実は、「レイシスト」や「差別者」を探し出してインターネット上で誹謗中傷する行為は、私が調べた限りでは、少なくとも2014年ごろには始まっていた。同年12月の深夜、しばき隊のメンバーが大阪市・北新地で大学院生に殴る蹴るの暴行を加え、瀕死の重傷を負わせた。数年後、私がこの事件の取材を始めたところ、私の名前も「レイシスト」としてSNS上で公開された。そして、「今夜もレイシストをやっつけて、酒がうまい」といった投稿がなされた。

大学院生に暴力を振るったメンバーが共産党員だったかどうかは知らない。しかし、共産党の池内沙織衆院議員(当時)がしばき隊と親密な関係にあったことは、鹿砦社取材班の取材によって明らかになっている。また、小池晃議員が、しばき隊のTシャツを着て演説している写真も存在する。

私は、この状況に強い違和感を覚えた。かつて共産党は、部落解放同盟による暴力に対して毅然とした態度で臨んでいたからである。

その後、取材を重ねるにつれ、しばき隊と共産党との関係は、客観的な事実として認識せざるを得なくなった。

◆共産党を名乗る人々による「反差別運動」

ただ、共産党を名乗る人々による「反差別運動」を見るにつけ、私はある疑念を抱くようになった。その発端となったのは、ある人物から聞いた話である。

その人物によれば、保守界隈では過激な「反差別運動」を歓迎する向きがあるという。選挙現場やSNS上で「炎上」を引き起こすことで共産党のイメージダウンを図ることができ、その反作用として保守陣営の支持率向上につながる、というのである。

この話を聞いたとき、共産党員を名乗って暴言を吐く行為は、何者かが意図的に仕組んだ共産党攻撃のイメージ戦略ではないかと考えるようになった。そして、共産党内部に相当数のスパイが潜入している可能性も疑うようになった。

共産党は公安警察の監視対象となっている組織である。そのため、組織内部にスパイを潜入さて、内部から党を崩壊させる戦略が実行されていても不自然ではない。

◆イメージによる世論誘導

仮に共産党が民主集中制を採用していなければ、「反動政権、排外主義に反対する運動のあり方について」と題する声明も発表されなかったのではないか。このまま腐敗へと突き進み、終焉を迎えていた可能性が高い。

民主集中制に対する批判は少なくない。しかし、政党が一つの理念を実現するための組織である以上、一定の規律を維持する制度として民主集中制には合理性がある。党の理念に賛同できないのであれば、党を離れて新党を結成すればよい。それだけの話だ。学校などの公共組織に民主集中制を導入すれば「独裁」となりかねないが、政党という任意団体では事情が異なるだろう。

共産党の支持率が低下してきた背景には、SNS上などで「共産党員」を名乗る人々が作り出したイメージに、有権者が幻滅したことがあるのではないか。ウクライナや中国、ベネズエラ、それにパレスチナ(特にハマスの評価)などについての共産党の見解は完全に間違っていると思うが、国内の時事問題についての見解は、おおむね正しい。それにもかかわらずイメージによる世論誘導の前には、ほとんど対策がない。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月4日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

《追記》松岡利康(鹿砦社代表)

いわゆる「しばき隊リンチ事件」は、私たちに、いろいろな教訓を与えました。当時、黒薮さんが指摘するまでもなく「しばき隊」と共産党は強く連携していました。証拠の画像は多々あります。また、当時、多くの知識人やジャーナリストらに質問状を送り、共産党関係では、しばき隊とのつながりが強いとされた池内さおりと志位和夫に出し、回答がないので両事務所に電話で催告をしたところ、「党の判断で答えない」という回答を得ました。共産党は今頃、しばき隊との関係を切ると言っていますが、遅いと言わざるをえません。М君リンチ事件について、真摯に取り組むべきでした。

また、黒薮さんが引き合いに出されている事件(「八鹿高校事件」)で、私の先輩も巻き込まれ(解放同盟に批判的ではない人でしたが)暴行を受けていますので他人事ではありません。この事件もМ君リンチ事件も、「反差別」運動を考える場合、どうしても避けて通れない問題です。なお、黒薮さんとは認識が異なるのですが、当時、共産党が暴力に立ち向かったというのは事実ではなく、「あかつき部隊」という暴力部隊を組織していたように、今では考えられないほど暴力的でした。

あるノーベル賞受賞者の甥っ子の先輩は師走の酷寒の中、激しいリンチを受け、一時は医者も見放すほどでした(奇跡的に回復)。さらには、当の私自身、早朝ビラ巻きを始めようとしたところ集団で襲われ、一緒にビラ巻きしようとしていた仲間と共にリンチを受け病院送りにされ数日入院を余儀なくされました。

いずれも1970年代の昔話ですが、こうしたことの反省から、わが国の社会運動から暴力はなくなったと思っていたところ、М君リンチ事件を知り、義憤で長年係ることになりましたが、10年経っても何も変わっていないということでしょうか。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

「ヘイトにNO」運動の師岡康子弁護士は、なぜ「しばき隊リンチ事件」に口を閉ざすのか

鹿砦社代表 松岡利康

黒薮哲哉さんの6月20日付けXを転載します。

 添付したのは【しんぶん赤旗】の記事である。ヘイトスピーチを止めさせる運動が大切なのはいうまでもない。しかし、わたしが問題にしているのは、たとえば記事に登場する師岡康子弁護士が2014年にしばき隊が、大阪北新地で起こしたM君暴行事件で隠蔽工作を行った事実である。100%の立証を可能にする証拠もある。さらにその後、M君事件の検証も謝罪もしていない。
 また具体的にだれがどこで、どのようなヘイトスピーチを行なったのか、「運動体」の報道ではよく分からない。「運動」が先行しているのでは?

◇     ◇     ◇     ◇

ここで挙げられた事件は、俗に「しばき隊リンチ事件」といわれるものです。黒薮さんの「メディア黒書」では画像が掲載されていませんが、ここに引き合いに出されているのは、俗に「師岡メール」(下に画像掲載)といわれるもので、師岡弁護士が、リンチ被害者М君の友人・金展克氏に充てたもので、本事件を解く上でのA級資料の一つです。師岡弁護士の著書『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)は、いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」成立の論拠とされていますが、よく読めば危険極まりないものです。

また、師岡は、私たちの取材に、電話には出ましたがすぐに逃亡、いろいろな案件の記者会見にはよく登場しますが、このリンチ事件の取材からは一切逃亡しています。詳しくは『暴力・暴言型社会運動の終焉──検証 カウンター大学院生リンチ事件』中の黒薮、松岡の記事を参照してください。

なお、この事件は、師岡ら加害者側の周囲の人物らによって1年余り隠蔽されましたが、ようやく私たちに相談があり、「これは酷い!」とすぐに被害者支援、真相究明に起ち上がり、6冊の出版物、2冊の関連書籍などにして世に問うた次第です。

一定の成果(リンチがあったことが多くの証拠で明らかになり裁判所も認定した等々)はありつつも、多勢に無勢で私たちの非力により被害者М君の納得のいく形での決着には及びませんでした。

さらに追記ですが、浅野さんが講演で招き選挙で応援演説までした金正則なる人物は加害者側を応援しています。

リンチ被害者М君の心情に寄り添い、地を這う取材を元に編纂、出版したリンチ関連本。【第一弾】鹿砦社特別取材班編著『ヘイトと暴力の連鎖 反原連‐SEALDs-しばき隊-カウンター』/【第二弾】同『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』/【第三弾】同『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』/【第四弾】同『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』/【第五弾】同『暴力・暴言型社会運動の終焉 検証 カウンター大学院生リンチ事件』/【第六弾】同『真実の暴力の隠蔽 カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

《しばき隊リンチ事件》関連記事
https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

山上徹也公判記録本をめぐる紛争について、あらためて思う──

浅野健一さんは、あけび書房本著者・辻井彩子さんに対するネットリンチ攻撃を即刻やめてください!
今後の出版界に悪弊となる危険性がある「出版禁止仮処分申請」を即取り下げてください!
当事者双方は、お互いに「盗用」を言い合い罵り合うのではなく、証拠を提示し読者にわかりやすく説明してください!

鹿砦社代表 松岡利康

このかんの山上徹也公判記録本をめぐっては、浅野健一/三一書房vsあけび書房/辻井彩子間の諍いが、沈静化するどころか激しくなってきています。

あけび/辻井側が具体的な「盗用」箇所を指摘し、一件落着するかと思ったところ、これまで傍観者的立場を取っていた三一書房があけび書房に「申入」書を弁護士名で送り(5月19日)、あけびvs三一間での非難の応酬が勃発、これまで声高にあけび/辻井側を非難していた浅野さんも相変わらず吠えておられ、泥沼に入りつつあるかのような感がします。

◆辻井彩子さんが孤立しないように支えよう!

あけび本の著者・辻井さんはひとり、その都度コメントをされていますが、日々の生業もあってか、他の方々とは違う位相に在るようです。

しかし、出版の「素人」(浅野言)である辻井さんは、まさか地元で起きた事件について、みずからの宗教三世としての体験と山上さんの心情を重ね合わせ書き連ねた「私記」が、これほどまでに大きな騒ぎとなり、あろうことか、みずからも「出版禁止仮処分」の「債務者」として提訴されたり、さらに本訴を提起されようとは、思ってもいなかったでしょう。本訴となれば、2年、3年の月日を費やさざるをえませんが、おそらく娘さんと必死に日々の生活を生きる市井の一私人として不安と恐怖の日々を送っておられるものと察します。

加えて、浅野さんからネットリンチともいえる激しい攻撃を受け精神的にも厳しい情況のようです。同情を禁じえません。本件紛争の内容は別として、私は辻井さんを応援します。このまま、善意で山上さんの事件への想いを綴ったにすぎない一私人を孤立させてはなりません。私は、2つの本をめぐって、どちらが「盗用」したしないの問題以上に、辻井さんの精神状態が気がかりです。みなで辻井さんを支えましょう!

◆大学院生リンチ事件との共通点

私(たち)は、10年前、俗に「しばき隊リンチ事件」といわれる、大学院生リンチ事件について、今回のように偶然に、激しいリンチを受けた被害者の大学院生(当時、某国立大学大学院博士課程在学)が、どこに行っても相手にされず、人を介し私の元に尋ねて来て、最小限の資料を呈示し事件の内容を説明し支援を要請されました。私は彼の言を信じ、気軽に支援を引き受けましたが、それが今に至るまで続いています(1件が最高裁の判断待ち)。私の元に来るまで彼は、多くの人たちや、メディア、弁護士などにアプローチしましたが、まったく相手にされず、絶望的に途方に暮れていました。私は、彼の言葉に嘘はないと信じ(嘘があったら即撤退)、支援を約束し、真相究明の調査・取材を開始しました。損害賠償請求の訴訟も手伝い、「鹿砦社、つぶれたらいいな」とか「ヘイト出版社」とかバッシングされたり返り血も浴びました。しかし、後悔はありません。そのまま被害者を放置していたら、絶望して自死をも懸念され、一人の大学院生を救っただけでもよかったと思ってきました。

ちなみに、浅野さんは、その時に加害者側に付いた金正則という男をみずからの講座に講師として招き、さらには金正則が選挙に出るや、応援演説を買って出ています。呆れます。

この事件は、日頃「暴力反対」とか言っていた人たちが、現実に集団リンチという暴力に接するや、いかに対処するかという問題を突き付けました。何かを怖れ、多くの人たちが、逃げたり口をつぐんだりしましたが、山口正紀さん(元読売記者。かつての浅野さんの仲間。浅野さんが文春のセクハラ報道にショックを受けた際には、浅野さんの部屋に数日泊まり込んで叱咤激励され、浅野さんとの共著も数冊あります。温厚な中にも、内にひと方ならぬ正義感を持っておられる方でしたが、のちに浅野さんと決別され、今でも時折浅野さんは山口さんを非難されています。くだんのリンチ関係の裁判で山口さんは、裁判所に長文の意見書を提出され、末期がんを押して死の直前まで準備書面の添削を手伝ってくださいました)、黒薮哲哉さん、森奈津子さん(作家)、北村肇さん(故人。元『週刊金曜日』発行人)らが、被害者や私たちの声に耳を傾け応援してくださいました。今でも山口さんや北村さんがご存命であれば……と思うことがあります。

弱い者(ここでは辻井さん)いじめに対しては、言い分がどうあれ、弱い者の側に付くのが私の信条です。先の大学院生リンチ事件と同じく──。

◆浅野さんの唯我独尊の態度に多くの方が離れました

私たちの出版社・鹿砦社が21年間発行している月刊『紙の爆弾』に、みずからの唯我独尊的な態度で、ほとんどのメディアからパージされた浅野さんにも、昨年4月までは寄稿のページを割いてきました。昨年4月、ある記事で強い抗議があり、浅野さんが真正面から対応しなかったことを機に、浅野さんの寄稿はご遠慮いただいています。これを浅野さんは、このかんの彼のFBで「雑誌の私物化」などと仰っていますが、なにをかいわんやです。

これに至るまでに、多くの方(名前を出せば浅野さんがショックを受ける方々)から「いいかげん浅野を切り、若手を起用したほうがいい」といったお声がありました。私は、山口さんとの一件がありつつも、編集長の中川が浅野さんの寄稿を続けることには異議を唱えませんでしたが、昨年の事件で、多くの方々のお声に従うことにしました。これらの方々は、かつては浅野さんと懇意で共著がある方もおられます。今回のことについても、みなさん私を支持してくださっています。

上記の大学院生リンチ事件では、多くのメディア人、知識人らに厳しい質問書を送り、リンチをどう考えるのかと問い詰めたことで、少なからずの方と疎遠にもなりましたが、私は間違ってはいないと確信しています。

10年間のサラリーマン生活を辞め、人よりも遅れて出版の世界に入った私の出版人生も、山あり谷ありで、そろそろフェイドアウトしようかと思ってもいたところ、旧知の浅野さんが出版差し止め仮処分を申し立てるというので「諫め」の文を書きましたが、ここまで深入りするとは思ってもいませんでした。

この間に、浅野さんは私、および浅野さんに異議を唱える方々に対し激しい非難中傷を行ってきていることはご存知の通りです。非難される方々、特に辻井さんらの人権への配慮など浅野さんにはあるのでしょうか?

◆トラブルの元は何か?

この件でトラブルの元になっているのは何でしょうか? それは、黒薮さんも指摘しておられますが、雑な原稿や資料をゴーストライターや編集者に渡せば、なんとか本にしてくれるだろうといった浅野さんの安直な考えと態度ではないでしょうか。

私も、バカはバカなりに40年余り出版人としてやって来て、いろいろな方の原稿や校正紙を見てきましたが、やはりしっかりした方の原稿や校正紙もしっかりしているな、ということを常々感じてきました。

一例を挙げれば、反原発情報誌『季節』昨年夏・秋合併号で、私たちの世代のカリスマ・山本義隆さんの講演録を掲載させていただきましたが、その校正紙に編集長は「まさに芸術品、家宝にします」と言っていました。

畢竟、浅野さんが、他人任せにせず、ご自分でしっかり記述し、しっかりした完全原稿を入れておけば、こういう問題は起きなかったのではないかと思います。

いずれにしろ、偶然ながら乗りかかった舟、これもなにかの縁、本件の推移を見続けていきたいと思っています。また、子連れで頑張る辻井さんが孤立しないように微力ながら勝手連的に応援していきたいと考えていますので、読者の皆様、よろしくお願いいたします!

(5月23日記)

山上徹也公判記録書籍問題 https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=137

資料で見る「カウンター大学院生リンチ事件(別称『しばき隊リンチ事件』)」〈3〉村八分、セカンド・リンチ、支援者への恫喝・誹謗中傷

鹿砦社代表 松岡利康

この大学院生リンチ事件の推移を見てくると、いろいろなことが感じられます。社会運動とか反差別運動といわれる運動の内部における暴力の問題は、かつて内ゲバとか内部粛清で多数の死者をも出し、運動は解体状態に陥り、私たちは痛苦な反省をしたはずでした。よって、運動内部の暴力は、ほとんどなくなっていたと思い込んでいましたが、とんだ思い違いでした。このリンチ事件を知った時、水面下では「まだこんなことをやっているのか」と時代が逆戻りしたと思いました。

これに対して、「反差別」や「人権」など耳障りのいい言葉を遣い、マスコミも持て囃し、その裏ではこんな凄惨な集団リンチなどやっているとは……。それも、著名な作家やジャーナリストらは知っていて隠蔽に加担していました。この中には、私たちが講演に呼んだ安田浩一、池田香代子らもいました。

これは「知らなかった」ではすまされないと思いました。すぐに被害者支援、真相究明にあたることにしました。それが、加害者につながる者らが言うように「デマ」だったら、すぐに自己批判、謝罪し撤退するつもりでした。

しかし、リンチは事実でした。そして、こぞって被害者M君に対する村八分(排除)とセカンド・リンチを浴びせていました。私たちの元に被害者が駆け込んでくるまで1年余り、彼は心ある少数の支援者と共に激しい攻撃を浴び続け孤立していました。趙博や阿久沢悦子(当時、大阪朝日社会部記者)ら裏切者も現れ、精神的にもかなりきつかったと推認できました。おそらく、僭越ながら私たちが支援‐反撃しなければ、この事件は「十三ベース事件」などという都市伝説として語られるにとどまり世間に明るみに出なかったでしょう。

私たちがこの件に関わり始めてちょうど10年、最後の訴訟(対リンチの主要実行犯エル金こと金良平との訴訟上告審)が最終局面にある現在、この事件を整理─総括する作業の一環として、この連載を始めましたが、振り返れば振り返るほど酷い話です。

この事件に対し、私たちは複数回、多くの「知識人」といわれる作家、メディア人、ジャーナリスト、弁護士らに質問書を送りましたが、それなりに回答してきた者はわずかで、ほとんどが〈見ざる、言わざる、聞かざる〉の態度に終始しました。いつも言っている「暴力反対」とは何ですか? 私たちが地を這うような調査・取材を元に編集・発行した6冊のムック本、さらに一時は私たちと共同歩調を取りながらも義絶した田中宏和の2冊の著書(『SEALsの真実──SEALDsとしばき隊の分析と解剖』『しばき隊の真実──左翼の劣化と暴力化』。両書共絶版)、その都度その都度私たちの意見や主張を申し述べて来た「デジタル鹿砦社通信」などで可能な限り発信してきました。こうしたことによって、それまで闇の中にあったリンチ事件の真実への針の一穴、二穴が開けてきたと認識しています。僭越ながら、このような私たちの言論・出版活動によって、少なくとも我が国の社会運動、反差別運動の最大の汚点となった大学院生リンチ事件が、隠蔽から解き放たれたと考えています。リンチの最中の音声データや直後の被害者の変形した顔写真、この連載でも掲載しているような数々の資料などによって、いまだに「デマ」だと言うしか能がない者らの、人間としての良心を疑わざるを得ません。

私たちが当初から何度も言っているように、事実は事実と認め、きちんと社会的に謝罪し、被害者への最低限の保障をすべきで、そうであれば、将来への糧になると考えてきました。特に在日コリアンの連絡組織「コリアNGOセンター」が絡み、本来ならこれがヘゲモニーを持って責任ある対処をすべきなのに、この体たらく、こうした非常事態に何の役に立たないことが証明されました。

前置きが長くなりましたが、このまで2回の連載で、リンチ発生からの混乱、「謝罪」、活動自粛を経て、被害者を無視しての突然の「活動再開」後、加害者と、これに繋がる者らは、被害者側の支援者の力が弱く、マスメディアも抑え込んだ自信からか、被害者への村八分(村八分は差別です!)、セカンド・リンチ、支援者(鹿砦社含む)への恫喝や誹謗中傷を、四方八方から行います。これを見てM君に同情的だった人たちも沈黙を強いられ、表だって加害者らに心ある忠告も批判も抑え込まれます。

表立って、名を出して異議を申し立てた人は、山口正紀(元読売社会部記者。故人)、黒薮哲哉(ジャーナリスト)、寺澤有(ジャーナリスト)、尾﨑美代子(西成で居酒屋経営の傍ら冤罪問題に取り組む)、森奈津子(作家)、合田夏樹(会社経営者)ら少数でした。特に合田に対する攻撃は激しく、会社経営と障害児を持つという弱みを衝いて会社や自宅への直接的攻撃の的となりました。それも現職の国会議員の車を使ってです。

以下、代表的なものとして挙げておきます。  (敬称略)

◇    ◇     ◇     ◇     ◇

【18】「エル金は友達」祭り

【18】「エル金は友達」祭り-1
【18】「エル金は友達」祭り-2
【18】「エル金は友達」祭り-3

まず村八分として挙げられるもので、M君もこれには精神的にかなり参ったと言っていました。開始の音頭を執ったのは、当時「カウンター」「しばき隊」のたむろ場所になっていた「あらい商店」(その後閉店。現ピンナ食堂)の朴敏用です。まさに寄ってたかってМ君を排除し村八分にするという作戦です。ここに名が出ている者らに対しては、今でもこのリンチ事件について問い質していきたいぐらいです。

【19】リンチ被害者M君へのセカンド・リンチ

【19】リンチ被害者M君へのセカンド・リンチ-1
【19】リンチ被害者M君へのセカンド・リンチ-2
【19】リンチ被害者M君へのセカンド・リンチ-3

幾つか挙げておきます。いちいち解説は不要でしょう。
なお、金明秀は関西学院大学教授で、他にも暴力事件を起こしています(和解)。このツイートもあって、M君の彼女は去っていきました。

【20】加害者・李信恵、金良平によるM君に同情的な者や支援者に対する攻撃

【20】加害者・李信恵、金良平によるM君に同情的な者や支援者に対する攻撃

凄いの一言です。これも解説不要。

【21】リンチの場に連座した伊藤大介によるM君支援者・合田夏樹への攻撃

【21】リンチの場に連座した伊藤大介によるM君支援者・合田夏樹への攻撃

これも解説不要でしょうが、重要なのは、現職の国会議員(有田芳生)の車を使って攻撃を行ったということでしょう。リンチ本第2弾『反差別と暴力の正体』に寺澤有が詳しくレポートしていますので、ぜひご一読ください。

【22】同じく伊藤大介による鹿砦社への恫喝、誹謗中傷

【22】同じく伊藤大介による鹿砦社への恫喝、誹謗中傷

私(松岡)が「諸悪の根源」だって! 伊藤はその後、深夜右翼活動家を呼び出し襲撃し、傷害事件を起こし有罪判決が確定しますが、M君リンチ事件と併せ、この男こそ、反差別運動、社会運動にとって「諸悪の根源」でしょう。

【23】呉光現による鹿砦社への誹謗

【23】呉光現による鹿砦社への誹謗

当時、鹿砦社は創業50周年を前にしていましたが、それなりの歴史を持つ出版社に対する許しがたい発言です。「文句あったら言ってこいやあ」なんて言うから、当然、私たちは直接本人を問い質し、しどろもどろし、根性なしの彼はすぐ撤回、おそらく我が身が可愛かったということでしょう。撤回しなければ、次は彼が所属する聖公会に取材に行こうと思ったほどです。

呉光現という人物は、「在日本済州四・三犠牲者遺族会会長」「聖公会生野センター総主事」の肩書を持ち、韓国政府から勲章までもらっています。在日コリアンの中でも、それなりの位置に在る人物です。

また、彼はキリスト教徒ということですが、ならば、人ひとりが傷つき苦しんでいるわけですから、もっと人間らしい対応ができなかったのでしょうか。

【24】lenyこと鈴木伸哉による日々膨大な誹謗中傷

【24】lenyこと鈴木伸哉による日々膨大な誹謗中傷-1
【24】lenyこと鈴木伸哉による日々膨大な誹謗中傷-2
【24】lenyこと鈴木伸哉による日々膨大な誹謗中傷-3

鈴木は、ビアンコジャパン(本社・京都)という優良企業に所属し役員でもありましたが、加害者らと昵懇の関係ということからか、被害者や支援者らに口汚い誹謗中傷を浴びせています。ここではリンチ本第5弾『真実と暴力の隠蔽』に掲載されたものを転載させていただきます。

あまりにも取材対象者が膨大だったこともあって、鈴木への取材が後回しになっていましたが、ようやく2022年になって取材の機会を得ました。これは「デジタル鹿砦社通信」2022年6月7日号6月9日号6月14日号をご参照ください。

鈴木によれば鹿砦社は「極左崩れの企業ゴロ」「反社出版社」ということらしいですが、現代社会において、はっきりした証拠もなしに「反社」を規定するのは明確な名誉毀損です。「反社」という言葉の持つ意味を考えろ!

今鈴木は、あれだけ頻繁に行っていたSNSでの発信がここ1年以上休止し、またビアンコジャパンの役員欄からも名が消えました。同社のHPを見ると立派な会社です。彼は、誰憚ることなく堂々と日々名誉毀損、人格破壊のSNSを発信していましたので、経営陣からすれば、会社が立派であればあるほど、目障りだったはずです。おそらく解任されたのではないでしょうか。どなたか鈴木の消息をご存知の方はお知らせください。

◇    ◇     ◇     ◇     ◇

今回挙げた資料(村八分、セカンド・リンチ、恫喝・誹謗中傷)は、ほんの一部ですが、採り上げた人物の言動は、どこか倒錯していると思います。人としていかがでしょうか? みなさんはどう思われますか? 本来なら、人間的に優れた人物がヘゲモニーを持って事態の収拾、解決にあたるべきところ、そうした人物がいなかったことは悲劇でした。

この意味で、特にコリアNGOセンターの当時の事務局長・金光敏や、「李信恵さんの裁判を支援する会」事務局長の岸政彦(当時龍谷大学教授。その後、立命館大学教授を経て現京都大学教授。岸は、加害者・李信恵、金良平、凡に対するコリアNGOセンターの事情聴取に立ち会っているが、私たちの直撃取材後同会事務局長を辞し、うまく立ち振る舞い現在の地位を獲得、一方のМ君はいまだPTSDに苦しみ研究活動を再開できずにいることに反省はないのか!?)、野間易通(しばき隊ボス)、中沢けい(作家)、辛淑玉(コンサルタント)、上瀧浩子(弁護士)、師岡康子(同)らの責任は極めて重いと言わざるをえません。彼らが、事件の隠蔽や被害者、支援者らに対するセカンド・リンチ、恫喝、誹謗中傷を行ったエネルギーを、人間の心を持って被害者を慮り、事件の本質的解決に向けておれば、もっと良い方向に進んだのではないかと思いますし、彼らの社会的評価も格段にアップしたでしょう。事件直後の対応に、どこかで“ボタンの掛け違え”があったのではないですか? その“ボタンの掛け違え”によって、在日コリアンに対する見方が悪化したのではないですか? 

思うに、人間、ここぞという時に、どういう態度をとるのかに、その人の人間性が現れます。このリンチ事件では、普段立派なことを口にする者が、集団リンチという場面に直面し、これを知っておきながら、日和見的な態度をとり逃げたり沈黙に終始したりしました。呆れ果てます。M君の無念を顧みると満腔の怒りを禁じえません。

今回、資料を整理していく過程で、ますます怒りが込み上げてきましたので、今回はこれでひとまずお終いにいたします。(了)

リンチ被害者М君の心情に寄り添い、地を這う取材を元に編纂、出版したリンチ関連本。【第一弾】鹿砦社特別取材班編著『ヘイトと暴力の連鎖 反原連‐SEALDs-しばき隊-カウンター』/【第二弾】同『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』/【第三弾】同『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』/【第四弾】同『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』/【第五弾】同『暴力・暴言型社会運動の終焉 検証 カウンター大学院生リンチ事件』/【第六弾】同『真実の暴力の隠蔽 カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

《しばき隊リンチ事件》https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

資料で見る「カウンター大学院生リンチ事件(別称『しばき隊リンチ事件』)」〈2〉隠蔽工作、開き直り(一方的活動再開-謝罪反故)、事実の捏造

鹿砦社代表 松岡利康

大学院生М君リンチ事件は、2014年師走、関西屈指の歓楽街・北新地にて起きました。これ以降、「カウンター」とか「しばき隊」とかいわれる集団の内部と周囲、在日の社会、「反差別運動」などの社会運動内部にあっては、水面下で(表沙汰にはならないように)混乱が生じます。当然でしょう。

しかし、それは、真摯に反省し主体的に公的に謝罪し、将来への痛苦の教訓とするのではなく、遺憾ながら逆の方向に向かいます。曲がりなりにも「人権派」とか「リベラル」とかいわれ、内実はともかく「反差別」を謳う運動としては疑問と言わざるをえません。

まずは、隠蔽工作です。私たち社会運動に理解を示し支持する者も、1年余りも知らなかったように隠蔽は成功します。これに気をよくし、次に彼ら、つまり加害者らを支える者(ブレーン)らは開き直り、被害者を蔑ろにし突然一方的に活動再開―謝罪反故に至ります。これに被害者M君は非常にショックを受けます。当然でしょう。

さらに加害者とこれを支持する者らは、事実の捏造を次々と行っていきます。到底許せないことです。ここでは、それらのうち、このリンチ事件で蠢いた主な人物の言動を挙げておきます。まったく酷い話で、リンチでさえ酷いのに、さらにこれに二重、三重に輪をかけたセカンド・リンチ、トリプル・リンチといえるでしょう。 (以下、敬称略)

◇     ◇     ◇     ◇     ◇

【10】「師岡メール」

【10】「師岡メール」

師岡康子弁護士は『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)という著書もある人物で、日本で「ヘイト・スピーチ」という言葉を根づかせた、この問題の第一人者といわれます。父親は共同通信の幹部で、彼女の経歴を見ると、華々しいエリートそのものです。こんなお嬢様育ちのエリートが考えることは、時にトンデモないこともあるということでしょうか。

その師岡弁護士が、「人権派」の名に悖るようなメールを、M君と昵懇の金展克に送り、ささやかれていた刑事告訴を断念させるように「説得」して欲しいというのです。このメールの存在は噂されていましたが、諸事情があったのか、金展克は公開を躊躇っていました。時はヘイトスピーチ規制法制化の気運が高まり、おそらく、これが公開された時の運動内外における波紋を案じてのことと思われます。私が金展克の立場だったら、同様に悩み苦しみ公開を躊躇ったでしょう。このまま公開されないんじゃないかと思っていた矢先、ようやく金展克は、決意を込め公開に至ります。彼の内心での葛藤は相当なものだったと察します。その内容は想像以上のものでした。

リンチ被害者のМ君が信用毀損罪にあたり、「これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たちを権力に売った人、法制化のチャンスをつぶした人という重い批判を背負いつづけることになります」と、反吐が出るような倒錯した決め付けを行い、M君に告訴断念を「説得」するように金展克へ要求しています。また「人権派」であろうがなかろうが、弁護士以前に人間としていかがなものでしょうか?

「反レイシズム運動の破壊者」は、泥酔して深夜M君を呼び出し凄絶な集団リンチを行った李信恵、金良平らではないのか、誰にでもわかることです。

私たちは師岡に電話取材を試みましたが、即切られました。これだけの持論を語り、隠蔽工作をしながら、きちんと釈明していただきたかったということは言うまでもありません。いつもはまことしやかなことを記者会見などの場で宣うのであれば、きちんと答えるべきでしょう。

また、ここでは師岡の著書『ヘイト・スピーチとは何か』については述べませんが、一般の評価に反し、その内容は実に危険なものです(リンチ本第6弾『暴力・暴言型社会運動の終焉』にてジャーナリストの黒薮哲哉が詳述していますので、こちらを参照してください)。

【11】「声かけリスト」

【11】「声かけリスト」

加害者らに連なるITOKENこと伊藤健一郎(当時立命館大学大学院生)が作成した、カウンター/しばき隊周辺のオルグリスト。「リンチはなかった」との意思統一をするために作成。カウンター/しばき隊の活動家の藤井正美は、3年間、鹿砦社に勤めスパイ活動を行い、その全貌は彼女が退社を余儀なくされ、その後、会社が彼女に貸与したパソコンを整理した中で、偶然明るみになりました。明るみになったのは、これだけではありません。まさに“情報の宝庫”といえるほど、カウンター/しばき隊内部の蠢きが詳細に判明しました。鹿砦社は当然、彼女に対し損害賠償請求の民事訴訟を起こしました。あろうことか、結果裁判所は鹿砦社の主張を認められませんでした(この件については過去の「デジタル鹿砦社通信」をご覧ください)。

【12】「説明テンプレ」

「説明テンプレ」

これも伊藤健一郎が作成。リンチ事件の経緯や内容、M君を「異常」とし、歪曲された記述で、前出「声かけリスト」に挙げられた者らに「説明」するというマニュアルです。

【13】活動再開宣言

【13】活動再開宣言

曲がりなりにもリンチ事件に連座した5人のうち手を下した3人は謝罪文を出し、活動自粛を約束しましたが、活動を再開するというものです。同時に、謝罪も反故にされます。被害者の「人権」を蔑ろにするものと言わざるをえません。この頃はまだ、リンチ事件が起き、その後の動きについても私たちはまったく知りませんでしたが、水面下では、こういう動きが繰り広げられていたのです。

【14】トンデモ李信恵メール

【14】トンデモ李信恵メール

このツイートの日はМ君が李信恵らリンチ加害者5人を提訴した民事訴訟の本人尋問の日でした。実はまだ李信恵を一度も見たことも会ったこともありませんでした。この意味で、ある意味“楽しみ”ではあったのですが、裁判の前に、ここに記されているような事実はありません。喫茶店で私と李信恵が遭遇したの? どこで? 店の名は? 見え透いた嘘もほどほどにせんかい!

【15】第二弾の辛淑玉文書

【15】第二弾の辛淑玉文書

リンチ直後に配布された「辛淑玉文書」は衝撃的でした。「これはリンチです。まごうことなき犯罪です」という文言は悲痛なもので、この時点では、辛淑玉にもまだ一片の良心が残っていたのでしょう。しかし、この第二弾の文書は、それを全否定するものです。リンチに阿鼻叫喚の悲鳴を上げるМ君に対する李信恵の「恐怖を覚えた『笑い声』」を、「その場を何とか明るく盛り上げようと必死になっていた李信恵さんの声だったのです」だと? 笑わせてはいけません。

【16】リンチの阿鼻叫喚を、「リンチがなかった」証明と無理やり強弁する三百代言

【16】リンチの阿鼻叫喚を、「リンチがなかった」証明と無理やり強弁する三百代言

開き直りも、ここまで来ると、狂ったとしか言えません。リンチ被害者M君は、1時間近くに及ぶリンチに阿鼻叫喚し、このことで、誰にも相手にされず、私たちと出会い闘いつつも司法にも裏切られ(一部勝訴とはいえ)、今に至るもリンチのPTSDに苦しみ、一流国立大学博士課程を修了しながら研究者の道を断念させられ人生を狂わされたのに、ここまで言うか! これが世に「人権派」といわれる弁護士の言うことか! 弁護士を別名「三百代言」というそうですが、まさにこの言葉がピッタリの神原三百代言です。

【17】被害者(原告)M君が訴訟記録閲覧制限の申請を出したとする悪意のデマ

【17】被害者(原告)M君が訴訟記録閲覧制限の申請を出したとする悪意のデマ

神原弁護士がなぜ、こんなツイートをしたのか理解できませんが、被害者M君やこれを支援する私たちは、訴訟の内容を「閲覧」することに「難色」など示してはいません。逆にどんどん広めたいぐらいです。この神原弁護士のツイートに呼応し、「あらまー」というしばき隊活動家が閲覧を申請したところ閲覧制限で見れなかったとし、「あらまー」は、閲覧制限をしたのは「おそらく原告(M君)」としています。なお、神原弁護士のツイートにある「主水」はМ君のこと。

しかし、閲覧制限の申請をしたのはМ君ではなく、加害者の一人、「凡」こと李普鉉だったという通知が裁判所から届きました。なんということでしょうか、笑うに笑えないオチです。弄ばれ濡れ衣を着せられたM君はたまったものではありません。下手な三文芝居はやめていただきたいものです。

※この連載は、適宜投稿し、最低あと3回は続ける予定です。よろしくご一読お願いいたします。

(つづく)

リンチ被害者М君の心情に寄り添い、地を這う取材を元に編纂、出版したリンチ関連本。【第一弾】鹿砦社特別取材班編著『ヘイトと暴力の連鎖 反原連‐SEALDs-しばき隊-カウンター』/【第二弾】同『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』/【第三弾】同『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』/【第四弾】同『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』/【第五弾】同『暴力・暴言型社会運動の終焉 検証 カウンター大学院生リンチ事件』/【第六弾】同『真実の暴力の隠蔽 カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

資料で見る「カウンター大学院生リンチ事件(別称『しばき隊リンチ事件』)」〈1〉リンチ事件前後

鹿砦社代表 松岡利康

最近、「しばき隊」と自他称される徒輩の横暴と跳梁が話題になっています。ここで想起されるのは、かつてその一味が犯した「カウンター大学院生リンチ事件」、俗にいう「しばき隊リンチ事件」です。

私たちは、事件後1年余り経ち、被害者の大学院生(当時)М君からの必死の要請で支援と真相究明に関わり始めました。ちょうど10年ほど前の2016年のはじめのことです。事件が起きたのは2014年の師走、大阪屈指の歓楽街・北新地のワインバーでのことでした。実は、この隣のビルに、私の同郷の中年女性が経営していたラウンジがあり、同郷人の集まる場所になっていました。なので、当時の雰囲気、空気がよく想像できます。

私たちの元に被害者に連なる人物が、それ以前に5年ほど隔月でやっていた、いわゆる「西宮ゼミ」に時折参加していたよしみで、「相談したいことがあります」と私の事務所に現われ、事件直後の写真や音声データはじめ資料を持ち、事件のあらましを説明してくれました。事件から1年余り経っていました。M君とわずかな支援者らが、他にもメディアや弁護士らに相談してきたということですが、ことごとく相手にされなかったということでした。ここにもメディア関係者や弁護士らが在日に対する忖度が感じられます。「こんなリンチ事件が起きていたのか」と驚き、それが1年余りも、私が知らないほど隠蔽されていたこと、それに、この事件に李信恵という、いわゆる「反差別」運動で名のある人物が中心的に関わっていたことに仰天しました。ここから、私たちが会社の業績にも影響するほど時間的にも労力的にも深入りしていくわけですが、この主要暴行実行犯、「エル金」こと金(本田)良平とは、このかん係争中で、実に10年ほど、この問題に関わってきたことになります。

何事も10年関わると、思うことも多々あり、この国の反差別運動、社会運動に、このリンチ事件が与えた悪影響を、きちんと教訓化しないと、人生を台無しにされたМ君も浮かばれないと考えて来ました。M君の現在を想うと、やるせない気持ちです。

ということで、ここでは、基本的な資料を挙げ、簡単にコメントを付け、このリンチ事件の実像を伝えたいと思います。

最も重要な資料は、リンチの最中、M君が衣服に付けて隠し録りした音声データ(55分)ですが、これはリンチ関連本第4弾『カウンターと暴力の病理』に付録としてCDを付けていますので、こちらをお聴きください。活字にリライトもしていますが、あまりに膨大にわたりますので、ここでは掲載できません(なんらかの形で公にしたいとは思っています)。

私たちが地を這うような取材と調査で収集した資料、多くの方々から寄せられた資料から、その一部を以下に挙げます。

◇     ◇     ◇     ◇     ◇

【1】金良平とネトウヨ活動家とのやり取り

【1】金良平とネトウヨ活動家とのやり取り

この事件は、M君が2013年4月に、金良平とネトウヨ団体「愛国矜持会」「中監会」を主宰する竹井信一が名刺交換する場面を目撃し、さらにリンチ事件以前にネトウヨ活動家2名が竹井と通じている者がいると暴露され、このやり取りにあるように昵懇な関係にあり金銭の授受があるのではないかと、リンチに連座した「凡」こと李普鉉に相談したことによります。これ以前にも、他の運動仲間から竹井との付き合いを諫められていたそうで、それを凡が金良平らに伝えたことで、金良平の怒りを買いリンチに繋がっていくのです。人間、真実を衝かれると逆切れすると言いますが、私見は、おそらく金銭の授受があったと推察されても致し方ない、ということです。

【2】リンチ直前の金良平、李信恵ら

【2】リンチ直前の金良平、李信恵ら

えらく楽しそうですね。これ以後に悲劇が起こります。彼らは一夜で5軒の飲食店を回り泥酔して事に及ぶわけですが、いちいちツイートしています。

【3】リンチの最中の李信恵のツイート

【3】リンチの最中の李信恵のツイート

所はワインバー、リンチの最中にも、悠長にツイートしています。李信恵の無慈悲な人間性が判るツイートです。いみじくも、彼女が、まともに差別問題や人権など考えていないことを象徴するツイートです。

【4】無防備にリンチ当夜を振り返る李信恵のツイート

【4】無防備にリンチ当夜を振り返る李信恵のツイート

5軒も飲み屋を回って一升も呑んで泥酔状態でリンチに及んだことを吐露、呆れます。この事件で被害者M君は人生を台無しにされたのに……。

【5】事件直後のしばき隊(男組)関係者のLINE

【5】事件直後のしばき隊(男組)関係者のLINE

事件直後のうろたえた彼らの情況がよく判るLINEです。混乱した中で、このような資料がどんどん外部に漏れています。

【6】事件当日、あらい商店に現われた有田芳生(当時、参議院議員)

【6】事件当日、あらい商店に現われた有田芳生(当時、参議院議員)

リンチが行われたのは2014年12月17日未明ですが、その日のうちに、しばき隊系国会議員・有田芳生が、リンチに至る飲み会の1軒目の大阪・十三(じゅうそう)に在る「あらい商店(現ピンナ食堂)」を訪れ情報収集に努めています。有田のツイートによれば、有田の前にソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が訪れています。それから5軒の飲食店を回り、5軒目のワインバーで事件は起きます。

【7】李信恵の「謝罪文」

【7】李信恵の「謝罪文」

全7枚ですが、最初のページと最後のページのみを挙げておきます。全文は『暴力・暴言型社会運動の終焉』に掲載されています。周囲(特に「コリアNGセンター」)から叱責されて書いたものでしょうが、少なくともこの時点ではヌエ的ながらも反省の姿勢は窺いしれます。

【8】リンチに連座しM君を一発殴った李普鉉の「謝罪文」

【8】リンチに連座しM君を一発殴った李普鉉の「謝罪文」

全4枚と長文ですが、いわば“脇役”ですので、最初の1ページだけを掲載するにとどめます。最近、この男の情報が伝わりませんが、おそらく活動をやめたのでしょう。

【9】良心的在日コリアンのツイート

【9】良心的在日コリアンのツイート

金良平や李信恵らを不良在日コリアンとすれば、遙かに良心的な在日コリアンです。おそらくほとんどの在日コリアンは、黙っていても、この方のような方が多数だと信じますが、このような方の声が活かされなかったことも、本件では重要だったと思います。   

(つづく)

リンチ被害者М君の心情に寄り添い、地を這う取材を元に編纂、出版したリンチ関連本。【第一弾】鹿砦社特別取材班編著『ヘイトと暴力の連鎖 反原連‐SEALDs-しばき隊-カウンター』/【第二弾】同『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』/【第三弾】同『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』/【第四弾】同『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』/【第五弾】同『暴力・暴言型社会運動の終焉 検証 カウンター大学院生リンチ事件』/【第六弾】同『真実の暴力の隠蔽 カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

《対エル金訴訟報告 続》鹿砦社の出版物は「ミニコミ」? 金良平とこの代理人で元祖しばき隊・神原元弁護士の悪意ある決め付けに簡単に騙された裁判所の見識を問う!

上告人=鹿砦社代表 松岡利康

金良平(一審原告。被上告人)とこの代理人・神原元弁護士は、鹿砦社の出版物を「ミニコミ誌に近いローカル雑誌であり、読者はほとんどいないから、極めて少数」(控訴理由書)と嘲笑しています。

これに対して私たちは「悪意ある決め付け」と批判し、また、神原弁護士による、まさにこうしたレトリックに騙された一審、控訴審の裁判官を上告理由書では「この程度のことが見抜けないような原審裁判所は、被上告人訴訟代理人弁護士のレトリックにまんまと乗せられた、世間知らずの無能な裁判官、というしかない」と厳しく弾劾しました。

神原弁護士による冒頭に挙げた文言は、金良平の暴行が厳然たる事実で、これは既に鹿砦社の出版物(6冊のリンチ関連書)などによって事実や情報が拡散され「公知の事実」として広く知られていると主張したことに対してのものですが、「公知の事実」ではないと主張するために、言うに事欠いてそう強弁するしかなかったのでしょう。

リンチ被害者М君の心情に寄り添い、地を這う取材を元に編纂、出版したリンチ関連本。【第一弾】鹿砦社特別取材班編著『ヘイトと暴力の連鎖 反原連‐SEALDs-しばき隊-カウンター』/【第二弾】同『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』/【第三弾】同『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』/【第四弾】同『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』/【第五弾】同『暴力・暴言型社会運動の終焉 検証 カウンター大学院生リンチ事件』/【第六弾】同『真実の暴力の隠蔽 カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

しかし問題は、神原弁護士による、そうしたレトリックに一審裁判所も控訴審東京高裁も、まんまと騙され、次のように判示しています。

「6冊の書籍には、本件事件に関する記載があることは認められるものの、上記書籍が広く読まれていると認められるに足りる証拠はなく、その内容等に照らしても、本件投稿の時点において、原告(注・金良平)の本件事件係る犯罪歴が広く認識されていたと認めることはできない。」

果たしてそうでしょうか? 本件リンチ事件についての情報、主たる暴力行使者・金良平らの存在は、在日の社会や反差別運動、社会運動の内部や周辺で「広く認識されていた」のは確固たる事実です。だからこそ、国会議員や名の有る「知識人」らを先頭に隠蔽工作に走ったわけでしょう。確かに私たちが被害者から相談を受け支援と真相究明に乗り出すまでの一年余りは隠蔽に成功しました。

鹿砦社が出版している月刊『紙の爆弾』は昨年4月、創刊20周年を迎え、広く多くの読者に支持されてきました。何事も20年も続けることは大変なことです。書き手も著名なジャーナリストらが多士済々名を連ねて、出版界に確固たる地位を占めてきています。

リンチ関連本は、リンチの際の阿鼻叫喚の音声データ(CD)を付けたものを除き(これは製作費が嵩み限定版としました)、上記の『紙の爆弾』の増刊号として発行されてきましたが、ほとんどが本誌よりも部数が多く、中には増刷をしているものもあります。

『紙の爆弾』の実売は、出版界の老舗業界紙『新文化』に月一掲載のランキング表を私のFBに転載している通りですが、この2年分のコピーも、上告理由書に添付しました。時として書店によれば、『中央公論』や『潮』といった大手出版社の雑誌よりも売れています。鹿砦社の雑誌が「ミニコミ」なら、『中央公論』や『潮』も「ミニコミ」ということになります。『中央公論』や『潮』を「ミニコミ」と言う人は、まずいません。

さらに、大手取次会社、トーハンと日販から最新の『紙の爆弾』の全国書店への配本リストを取り寄せ、これも添付しました。北は北海道から南は沖縄まで全国津々浦々の書店に配本されていることが一目瞭然です。これは、「ミニコミ」にできることではありません。

ところで、神原弁護士の言う「ミニコミ」とは何なんでしょうか? 普通「ミニコミ」とは50部、100部から、せいぜい500部程度の発行で、雑誌コードや書籍コードも付かずに、仲間内で配布したり、例えば東京の模索舎とかミニコミを扱う少数の書店に置くものだと思われます。みなさん、そうではないですか?

金良平は、リンチ被害者M君に対する激しい暴行により、刑事事件としては罰金40万円を課せられています(大阪簡裁 平成28年3月1日。金良平は、この「略式命令」書を晒したことが「プライバシー侵害」だと言うわけです)。民事訴訟では賠償金113万円余を課せられました(大阪高裁 平成30年10月19日)。これらはまさに「公知の事実」として知る人ぞ知る事実です。これだけでも神原弁護士が主唱する「リンチはなかった」という言説が悪意あるデマであることがわかります。「リンチがなかった」のなら刑事で40万、別途民事で117万円余(プラス利息)を課せられることはないわけです。こんな単純なことも、判っているのかいないのか(おそらく判ってはいるのでしょうが)、「リンチはなかった」と強弁するのは、いかがなものでしょうか? いくら弁護士が三百代言だとはいえ、度が過ぎます。まさにトロツキー流に言えば「偽造するスターリン学派」の物言いです。それは、金良平を主要暴力行使者による被害者M君への冒瀆であり、M君の人権を蔑ろにするものと断ぜざるをえません。

リンチ被害者M君は、事件以来いまだに凄絶な暴力に対するPTSDに苦しめられ、かつ一流国立大学大学院博士課程を修了しながら、研究者としての道を閉ざされ人生を狂わされたのです。まったく不憫でなりません。

こら、金良平、わかっているのか!? 事件後一度は「謝罪」文を出し活動自粛を約束しながら、のちにこれを一方的に反故にした金良平自身の良心を厳しく問いたいと思います。同時に、金良平と共にリンチに連座した李信恵らの良心と人権感覚も厳しく問うことも言うまでもありません。

また、私たちが相談を受け本格的にM君支援の真相究明、裁判闘争に乗り出すまでの一年余りも誠実にことに対処するのではなく、故意に事件を隠蔽した徒輩、セカンドリンチに手を染めた者ら、本件は、リンチに直接連座した金良平、李信恵ら5名、隠蔽に関わった者、公然と加害者を支持し被害者М君を苦しめた者、「見ざる言わざる聞かざる」を貫いた者ら……その人、一人ひとりの人権感覚、人間性を厳しく問う事件だと考えてきました。

私は、相談を受け、資料を一瞥し、即M君支援を決断しました。以来、いまだに訴訟を続けているわけで、しんどくないと言えば嘘になりますが、その時の決断、M君支援と真相究明を続けてきたことは、おのれの一片の良心に誓って間違いではなかった、まったく正しかったと信じてきましたし、今も信じています。

私たちの問いかけに逃げた者の一人に池田香代子という作家がいます。彼女はフランクルの名著『夜と霧』の新訳を上梓しています。言葉の上ではなく、現実に「夜と霧」的場面に遭遇した時に、人間として、どう対処するか、ということです。そうではないでしょうか? 私の言っていることは間違っていますか?

私は学生時代、『夜と霧』に強い衝撃を受けました。金良平らによるリンチ事件にも、同様の衝撃を受けました。前述しましたように、瞬時に、これは見棄ておけないと思いました。すぐにアクションを起こしたということは言うまでもありません。万が一、M君の言うことが嘘だったり、「リンチはなかった」りしたら、すぐに撤退するつもりでした。実際はそうではなく、加えて金良平、李信恵ら加害者や、これをヘルプする者らの非人間的な態度が続き、私(たち)も硬化していかざるをえなくなりました。正直のところ、私は、加害者らが公に真摯に謝罪し被害者M君にそれ相応の治療費や賠償金を支払って和解することを望んでいましたが(それは、私の強い言葉の端々に記しています)、そうはならず、逆にセカンドリンチや罵詈雑言が、M君は勿論、私(たち)に向けられ泥沼化していきました。私の会社の中にも3年間勤めスパイがいたこともショックでした。

本件リンチ事件は、多くの教訓を残しました。普段、暴力反対と声高に叫ぶ者が、実際に凄絶な暴力を目の当たりにした際にどう振る舞うのか?──多くは逃げました。逆に開き直り、被害者M君に対して口汚く罵倒し、いわばセカンドリンチに手を染めた者もいます。

いい機会なので、これから断続的に、リンチ事件についての基本的資料を呈示し、それらについてコメントしていきたいと思います。なお、資料は膨大にわたりますので、抄録(以下の「辛淑玉文書」のように7枚の内2枚とか長いものは一部)になります。

まずは今回、リンチ事件からしばらくして金良平がリンチ被害者M君に渡した「謝罪」文(全2枚)と、「辛淑玉文書」(全7枚の内の2枚)をアップします。

少なくともこの時点では、当該リンチ事件に対する反省の念や、しっかり対応するとのスタンスが見られます。問題は、こののち、二人ともこれらの文書を反故に開き直ったことでしょう。こうしたことによって、当該リンチ事件への対応は混乱し、このこと一つとっても、在日コリアンに対する誤解や疑問が増幅されたことは否めません。逆に、しっかり人間らしい対応をしていれば、いわれなき差別と偏見を浴びながら日本社会に生きる在日コリアンへの畏敬の念が上がったのではないか、と残念でなりません。