《8月のことば》広島・長崎の青い空を見上げる……

鹿砦社代表 松岡利康

《8月のことば》広島・長崎の青い空を見上げる……(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

本年、8・6広島、8・9長崎の原爆投下、そして8・15敗戦からそれぞれ80年が経ちます。また、その後のベトナム戦争終結から50年です。歴史的にもエポック・メーキングの年です。

残念ながら、ウクライナ、ガザではまだ戦争が続いています。

私たち戦後生まれの世代は、もちろん戦争を知らずに生きてきましたが、私たちの青春時代にはベトナム戦争が激しく、そのベトナムへの米軍の出撃拠点となっていた沖縄の現実にも目を向け、ベトナム反戦の集会やデモに連日参加しました。それが当たり前のキャンパスの風景でした。

私が転がり込んだ寮では、戦中、学徒出陣で出征する寮生を母子で見送った寮母さんは反戦意識が強く、集会やデモの日に寮でくすぶっていると「何をしとん、早く行け!」と叱るような人でした。今はそんな寮母さんなどいません。

べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)など参加しやすい運動もありました。もっとラディカルな運動もあり、みずからの意志でどれにも参加できる環境でした。

今はどうか? 多様な運動自体がなくなり、参加しようにもできない状況です。私のいた大学は当時(1960年代から70年代にかけて)全国的にも中心となったところでしたが、その後、混乱と低迷の時代に入り学生みずから学友会(全学自治会)を解散するという前代未聞のことをやらかしました。

今、キャンパスは静かで綺麗です。戦争反対を謳う立看一つ立てれません。私たちが日夜切磋琢磨の拠点としていた学生会館も取り壊され、どでかい近代的な建物に変わっています。果たしてこれでいいのでしょうか? 建物は綺麗でも、なにか無味乾燥です。

8月は鎮魂の季節であると共に、私たちの心の中に<反戦>の火をふたたび燃やす季節にしなくてはなりません。

近く発売になる『季節』夏・秋合併号には、かつて東大全共闘代表を務めた山本義隆さんの長大な講演録が掲載されます。山本さんは学問の世界でも優秀な方で、京大の湯川秀樹教授の研究室で学んでいたところ、母校東大で学生運動が燃えてきたということで去りましたが、湯川教授は泣いて止めたという逸話があります。さらには、研究室を戦場にしてまでベトナムに連帯して闘うというようなことも仰っています。

かつての学生運動で、東大といえば日大ですが、日大全共闘代表は秋田明大さんです。あまり知られていないようですが、広島出身の秋田さんは被爆二世です。毎年、8月6日の集会にはいつも、こっそりと呼びかけ人に名を連ねられています。ご存知でしたか? その後の無骨な秋田さんの人生が想像されます。山本さんの次は秋田さんに登場いただきたいですね。

1970年の8月6日、この年の4月に大学に入学、帰省の際、広島で途中下車し広島大学の寮に泊めてもらい、反戦集会に参加したことが思い出されます。18歳の夏のことでした──。

(松岡利康)