度々ご報告している通り、広島県教育長は腐りきっていますが、広島市教育委員会も暴走が止まりません。

ひとつは、「はだしのゲン」を小学生の平和教育の教材から削除するということです。

もうひとつは、同じように中学生の平和教育の教材から「第五福竜丸」を削除するということです。

 

故・中沢啓治さん(写真右、2011年8月6日撮影)

◆はだしのゲン削除強行

はだしのゲンは故・中沢啓治さんの不朽の名作です。現状では、広島市では小学校三年生の平和教材として使われています。これに対して、広島市教委は削除をすることを決定してしまいました。これに対して、被爆者団体からは相次いで削除に対して抗議の声が上がりました。

広島市教委も、結局、被爆者団体に対して、子どもたちがいつでも読めるようにするという趣旨の回答をせざるを得ない状況に追い込まれました。しかし、平和教材から削除されたのは残念です。

他人の池の鯉を盗むシーンについても、戦争というものが人々の暮らしを壊してしまうということをよく伝えていると思います。そのあたりは、きちんと先生が説明すれば、子どもたちが誤解するということはないと思います。

◆「はだしのゲン」削除は、教育委員会の暴走だった

平和教材の変更は、有識者による改訂会議を経てされた、とされています。しかし、真相は違うようです。日本共産党の近松議員は「有識者の改訂会議の議事録を読んだだけでは、はだしのゲンを削除する理由はみあたらない」と質問(13:21から)。しかし、13:50からの当局は、「教育委員会職務権限で決めた」と答弁しています。有識者の議論ではなく、当局が一方的に提案し、一方的に決めたのです。

◆第五福竜丸抜きには反核平和運動の歴史は語れぬ

1954年3月1日にアメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で多数の船舶や地元住民がヒバク。特に第五福竜丸の乗組員の久保山愛吉さんが亡くなったことで当時の日本人に衝撃を与えました。杉並区の主婦らの運動を契機に原水爆禁止運動が盛り上がり、1955年8月6日の第一回原水爆禁世界大会につながっていきます。

もちろん、ヒバクしたのは第五福竜丸だけではなく、高知県など多くの漁船がヒバクしました。そして、地元住民も多数ヒバクしました。従って、この水爆実験を第五福竜丸事件と呼んでしまうのは筆者にはためらわれますし、反核平和運動でも「ビキニデー」という言い方をします。だが、だからといって、第五福竜丸を削除してしまっては、反核平和運動の歴史の流れが意味不明になってしまいます。たとえは不適切かもしれませんが徳川家康の名前を知らないで江戸時代の歴史を学ぶのと同じような話です。

◆第五福竜丸も有識者会議とは全く相容れぬ

筆者の友人が入手した「第2回平和教育プログラム改訂会議 構成員発言内容概要」(2021年2月19日)の会議録には、次のような発言が載っています。この発言内容と、「削除」は、まったく相容れないのではないでしょうか。

▼中学校長の発言
「第五福竜丸の部分なのですが、単に被爆したということだけが載っています。さらに、指導案の方にも、被爆した、としか書かれていません。生徒にとっては、そんなことがあったのかということがピンとくるのか、こないのか、よくわからないところがあります。そこで、当時の船の記録が残っていると思うのですが、指導案の方にも、そういった資料を少しでも載せておけば、授業される先生方にとってよいのかなと思います。もちろん、本文に入ればよいのですが、難しいのであれば、補助資料として指導資料の方に載せておいてほしいと思います」

▼事務局説明(中学校)
「ありがとうございます。検討します」

▼(名前・肩書は黒塗り)
「第五福竜丸のことは歴史的に見ると他のいろいろなことに影響を及ばしたことなので、そういったことも入れながら、ということも検討していただきたいと思います」

このようなやりとりの結果が、なぜ「削除」という結論になるのでしょうか。さっぱりわかりません。

◆対米従属で暴走・迷走する総理への忖度か?

筆者は、市教委はどうも、地元選出の岸田総理に忖度しているのではないか?と思ってしまいます。実際に、知事の湯崎さんも市長の松井さんも地元選出の総理には忖度しまくりの雰囲気がビンビンに伝わってくるからです。

いま、地元選出の岸田総理の暴走・迷走が全国の皆様にご迷惑をおかけしています。このことを心からお詫び申し上げます。ロシアのウクライナ侵略に悪乗りした軍事費倍増・そのための大増税への暴走。そして、安全保障環境が危ないと言いながら有事に標的になりかねない原発は増やすという。低すぎる食料自給率にもほとんど無策。そんな迷走。

地元・広島でのG7サミットを目前に控えた岸田総理。アメリカの下請けをすることで、いわば「名誉白人」扱いしてもらっていい気になっているだけのようにも思えます。この点では、イランなどとの外交もそれなりに重視していた安倍晋三さんよりも酷いのです。

増やした軍事費で買った武器も実際には、アメリカに指揮権が実質的にはあるという有様。こうした中で、広島湾では、初めて、アメリカ軍の大型艦を使った大規模な米日共同軍事演習が行われました。

そのタイミングでの「はだしのゲン」「第五福竜丸」削除です。アメリカに都合が悪いことを削ろうというのではないか?

しかし、もし、筆者の危惧するような忖度だとしたら、逆に、その意図とは逆に、「はだしのゲン」や「第五福竜丸」に注目を集めてしまったのではないかとも思うのです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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国際化の波が日本にも押し寄せている。ビジネスの世界でも政治の世界でも、国境の感覚が薄れ始めている。その中で浮上しているのが、コミュニケーションの問題である。世界の人口80億人のうち、日本語を話す人口はわずかに1億3000万人程度である。日本語は、グローバル化の中で生き残ることできるのか。

語学教育はどうあるべきなのか。国際化にどう対処すべきなのか。海外で長年にわたって日本語教育に取り組み、牧師でもある江原有輝子氏に、異文化とコミュニケーションの体験について話をうかがった。[聞き手・構成=黒薮哲哉]

◆世界の5か国で日本語を指導

── 海外で日本語を教えるようになるまでの経歴を教えてください。

 

江原有輝子(えはら・ゆきこ)氏

江原 わたしは早稲田大学の文学部を卒業した後、福武書店に入社して教育教材などの編集の仕事に就きました。しかし当時は、女性は結婚したら退職は当然というような社風があり、「この会社には長くはいられない」と思いました。そこで転職を考え、当時、国際交流基金と日本語教育学会がタイアップして設置していた日本語教師養成講座を受講するようになりました。1年目は日本語教育の基礎を学び、2年目には大使館の外国人職員などを対象とした教育実習を行いました。そして1988年に国際交流基金から派遣されて、メキシコシティーへ行きました。

希望する渡航先をきかれ、わたしは「どの国でもいい」と答えました。するとメキシコシティーへ行くように言われたのです。同市にある日墨文化学院(Instituto Cultural Mexicano Japones)で1991年まで日本語教育に従事し、いろいろなレベルのクラスを教えました。これが日本語教師としてのキャリアの始まりです。

── メキシコはスペイン語圏ですが、スペイン語は話せたのでしょうか。

江原 話せませんでした。最初は、午前中はメキシコ国立自治大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexico)にある外国人のためのスペイン語講座に通い、午後から夜の9時まで日墨文化学院で仕事をしました。ハードな日程が裏目にでて途中で体調を崩したりもしました。

── 91年にメキシコから日本に帰国された後はどうされましたか?

 

メキシコ大学院大学(出典:ウィキペディア)

江原 お茶の水女子大学の修士課程(日本言語文化専攻)に入学しました。そこで第二言語習得の観点から日本語教育を学びました。在学中にメキシコ外務省の奨学金を得て、1年間メキシコシティーにあるメキシコ大学院大学(El Colegio de Mexico)に留学しました。この大学院で、自分が研究対象にしていたメキシコ人による日本語に関するデータを収集しました。たとえばどのようなレベルの日本語学習者がどのような語学上の誤りを犯す傾向があるかといったことを調べるために、外国人が書いた日本語の作文などを資料として収集しました。

日本語も教えました。日本研究をしている大学院生が7、8人いて、そのうちのひとりはコロンビアの人でした。もうひとりは確かキューバの人だったと思います。ラテンアメリカで修士レベルの日本研究ができるのは、おそらくメキシコ大学院大学だけでした。

── メキシコの次はどの国で日本語を教えましたか?

江原 お茶の水女子大学の修士課程を終えた後、国際交流基金の派遣で今度はドイツへ行きました。さらにその後、ニュージーランドとオーストラリアへ赴任し、政府機関で日本語アドバイザーとして働きました。さらに2019年5月からパラグアイへ行きました。これは国際交流基金の派遣ではなく、日本基督教団の宣教師として派遣されました。ピラポという日本人移住地にある教会の牧師として赴任したのです。日本語は、1年間だけピラポ日本語学校で教えました。

◆言語の違いと異文化

── 江原さんは外国語でコミュニケーションをされてきた期間が長いわけですが、それが自分の日本語力にどのような影響を及ぼしましたか?

江原 わたしの場合、メキシコへ行って初めてスペイン語を学んだわけです。その後、日本に帰ってきた時に、友人たちから以前に比べて話し方が分かりやすくなったと言われました。メキシコへ行く前、日本語でコミュニケーションしているときは、はっきりと要件や主張を伝えなくても分かってもらえる部分がありました。このあたりまで伝えれば相手は、わたしが言いたいことを察してくれると。

しかし、スペイン語はわたしにとっては外国語ですから、限られた語彙や表現で、相手に自分の意図を正確に伝える必要性が生じました。たとえば、水道屋さんに「水が漏れているから修理してほしい」という意思を伝える場合、はっきりと要件を言って、自分が相手に希望することが実現するように、説明しなければなりません。限られたボキャブラリーで、どう言えば相手が分かってくれるかということをいつも考えながら、話していました。その結果、日本語で話すときも、「こういったら分かってくれる」とか、「こういう言い方をした方がいいかも知れない」ということを常に考えながら話すようになりました。

外国人に日本語を教えるときも、限られた語彙で、どう表現すれば相手を理解させることができるかを考えなければなりません。普通の日本人を相手にするように話しても通じません。どういう言い方をすれば、相手は理解できるかを常に考えました。

◆幼児に対する外国語教育、指導者側の問題

── 早期からの外国語教育についてどう思いますか? 幼児期から英語を教えるべきだという考えと、まずは国語を十分に勉強すべきだという考えがありますが。

 

早期英語教育をPRするウェブサイト

江原 中途半端に英語を勉強した日本人の先生が、小学校で英語を教えるのはやめたほうがいいと思います。本当に子どもをバイリンガルにしたいのであれば、外国にいるような環境を準備する必要があります。日常生活の半分ぐらいを英語にする必要があります。それができるのであれば、幼時から子供を英語の環境に置いたほうがいいと思います。

日本語は特殊な言語なので、英語をちゃんと身に着けておくことは大切ですが、だからといって小学生を相手に不正確な発音で、「one, two, threeとか、red, white, yellow」などとやるぐらいなら、むしろなにもしない方がいいと思います。誤った発音を覚えてしまうと、矯正するのにかえって時間と苦労が必要になるからです。

この問題は日本以外の国にもあります。たとえばニュージーランドは、日本と違って小学校とセカンダリー(中学+高校)の教育制度になっており、セカンダリーでは外国語を教えるのが普通です。わたしが2000年にウェリントンに赴任したころは、生徒には5つの外国語の選択肢がありました。日本語、中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語です。ひとつの学校で全部を教えることはできないので、学校によって教える外国語が異なります。生徒も、自分が選択を希望する外国語のクラスがあるセカンダリーに進学します。

当時、ニュージーランドでは、教育省が小学校からの外国語教育を奨励していました。しかし、特に日本語の場合は教師の資質の問題がありました。フランス語とドイツ語はもともと学校で教えていた言語なので、ある程度、レベルの高い先生がいます。日本語がブームになってきたので、教育省は教える方針を打ち出しましたが、学生時代に日本語を勉強した教師はいませんでした。そこで、「日本語なんか分からなくても教えられるわよ」というような考えの人が、小学校教師を対象とした教え方の教材を制作したのです。

その教材は、「ひらがな」は難しいので、教えなくてもいいことになっていました。ローマ字で代用すればいいとされていました。それが教育省の方針だったのです。そこでわたしと、もう一人の日本人アドバイザーが、「こういうやり方ではだめです」とアドバイスしました。

限りなく日本語の知識がゼロに近い先生が、学校で「イチ、ニイ、サン」とか、「ワタシノ ナマエハ……」といったことをやるわけです。これは日本でよくある幼児を対象にした英語教室とよく似ています。

小学校でこうした教え方をしていると、「変な発音」や「変な表現」が身についてしまうので、本格的に言語の習得を始めたとき、それを矯正するのが大変です。その役割を担うセカンダリーの日本語教師にとっては迷惑なことです。

こうした観点から考えると、日本の小学校で中途半端に英語を教えるのはよくないと思います。不正確な発音や自己流の表現で、たとえばゲームをやるとそれが身についてしまい却ってマイナスになる。後年、矯正するのに大変な手間がかかります。

── 外国語を学ぶときは、最初が肝心だということでしょうか?

江原 はい。わたしはメキシコへ行くまでは、スペイン語をまったく勉強したことがありませんでした。ゼロだったわけです。そしてゼロからメキシコ人にスペイン語を習った。そうするとある時から、同じスペイン語でも、メキシコ人が話すスペイン語と、それ以外のスペイン語国圏の人が話すスペイン語との違いがはっきりと分かるようになりました。

ところが、英語に関しては、わたしは英語圏で7、8年生活しましたが、最初は米語と英語の違いを聞き分けられなかった。その原因は、日本の学校で受けた英語教育により、わたしの耳が「つぶれていた」からだと思うのです。間違った発音を身に付けていたからだと思います。

◆言語の背景にある文化的な土台の衰弱

── パラグアイの日系2世、3世の日本語はどんなレベルなのでしょうか?

江原 パラグアイのピラポへの移住は約60年前に始まりました。1世は今70代から80代です。1世は日本語しか話しません。家の中では、孫とも日本語だけで話します。ですから2世、3世の日本語力は、非常に高いレベルの人が多いです。わたしはそこで1年間、日本語を教えましたが、3分の2ぐらいの生徒は日本の義務教育で使われている国語の教科書をそれぞれの学年で教えることができるレベルでした。

子供たちは、月曜日から金曜日までは、現地の学校へ通学してスペイン語で学び、土曜日には日本語学校にきて日本語を勉強します。日本語学校では、当然、すべての場で日本語を使います。職員会議も日本語でやる。先生は2世と3世の日系人で、日本人はわたしだけでした。

多くの日系人がかなり高いレベルの日本語を使うことができます。しかし、日本文化についての知識は十分ではありません。たとえば森鴎外や夏目漱石は知っているが、太宰治などは名前すら知らない。日本文化のある部分が欠落しているのです。もちろん古文などは読んでいません。そこに何か欠落したものを感じました。教科書を使って問題なく日本語を教えることはできますが、言葉の背景となっている部分の知識が浅くなっているように感じました。

これに対して、日本で育った日本人は、日本についての十分な知識があり、その土台の上に言語が乗っています。ピラポでは、その土台の部分が浅くなっているのではないかと思います。2世、3世の方々ですから当然といえば当然ですが、世代を重ねるごとに土台の部分がさらに脆弱になり、日本語力も徐々に落ちていくのではないかと推測します。そして最後には、現地の公用語であるスペイン語だけになるのだと思います。日本語は消えるわけです。それが他国の日系人に起こったことです。隣国ブラジルには150万人の日系人がいると言われていますが、日本語を話す人はほとんどいません。

◆国際言語ではない日本語

── 日本語の普及は必要だと思いますか?

江原 わたしは、日本語はあまり役に立たない言語だと感じています。日本語を教える仕事は楽しいですが、もしわたしが日本人でなかったら、日本語を勉強しなかったと思います。第一に漢字の習得が大変です。数が多い上に、読み方がたくさんある。音読みと訓読みがあり、それを組み合わせると読み方も変化します。こうしたことを全部覚えて、本を読むのは大変なことです。日本語は、話すことに関してはそれほど難しくはありませんが、読み書きで日本人並みのレベルになるのはとても大変です。学習する外国語としては、非常にハードルが高いのが実態です。趣味でできるような言語ではありません。

これに対して、たとえば英語やスペイン語は、熱心に勉強すれば1年ぐらいで新聞が読めるようになります。頑張れば大学へも入学できます。少なくとも一定のレベルまでは到達できます。しかし、英語を母語とする人が、日本語の授業を聞いてノートを取り、日本語の参考文献を読むのは大変なことです。

── 海外へ出るとすれば、どの国を勧めますか?

江原 あえて言えばメキシコを勧めます。わたしは、自分が最初にメキシコへ行ったことは、非常に幸運だったと思っています。メキシコには、自分の想像とは異なった世界がありました。メキシコでは休日になると、かならず親族が集まってきて、一緒に時間を過ごします。日本にいる時には、「外国では大きくなると独立して親と別居する」と教えられましたが、「外国」と言っても、ラテンアメリカではそれは当てはまりません。

日本との文化の落差が大きな国へ行くと目が開かれて、学びが多いと思います。人生が大きく変わります。実際、わたしの人生はメキシコで変わりました。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

「文春砲」を契機に、ご出身地・京都のNPO法人「パンゲア」との官製談合事件が発覚。ご自身が外部の弁護士に依頼した調査でも、地方自治法違反、官製談合防止法違反が認定された広島県の平川理恵・教育長。

その後、大阪の「キャリアリンク」や、児童文学評論家の赤木かん子さんとの不適切な取引など、疑惑のデパート状態となっていました。
※参照記事 http://www.rokusaisha.com/blog.php?p=45815

その平川教育長は、2月21日(火)、部下の当時課長級だった職員を不適切な契約に関与したとして戒告処分としました。そして、ご自身は給料3割を2か月返納することを表明し、教育長を続投することを表明しました。
 
◆図書館リニューアル、違法性はないが図書館の自由に関する宣言違反だ

この日、県教委が公表した内部調査結果では、県立学校の図書館リニューアル事業の指導を依頼している児童文学評論家の赤木かん子氏(東京)との取引に「違法性はない」と結論付けました。

ただ、赤木さんが関わった15校で、改装に伴い11万冊余りの蔵書を廃棄しています。

高校の先生などからは、廃棄した図書の代わりに小学生向けの赤木氏の著書を購入させられたなどといった不満の声が出ています。それはそうです。高校生が利用する図書館で、小学生向けの本を入れられても困ります。

赤木さんとの契約は、表面上は、法律違反では無いのかもしれません。しかし、全ての図書館の基礎となる「図書館の自由に関する宣言」には違反しています。

第1の2の(4)個人・組織・団体からの圧力や干渉によって収集の自由を放棄したり、紛糾をおそれて自己規制したりはしない。

まさに、県教委という組織、あるいは教育長とその腹心の圧力や干渉によって県立学校の学校図書館の図書館としての在り方を覆したわけです。

「人手がいなくて学校図書館自体のメンテナンスが進んでいない。傷んだ本も放置されていた。だから、図書館のリニューアルは必要だった」と教育長を擁護する方もおられます。

しかし、それなら、学校司書を例えば正規雇用で充実させるなどすれば良いのではないでしょうか?パンゲア、キャリアリンク、赤木かん子さんなど、県外にお金を渡すよりも、学校司書という形で県内に雇用を増やした方が、全国ワーストワンを記録し続ける広島の人口流出阻止にも資するわけです。

◆春闘の一環で教育委員会に申し入れ

2月24日、筆者らは、「ヒロシマ地域総行動」の一環として、広島県教委にも申し入れを行いました。このヒロシマ地域総行動は、毎年2月下旬くらいのこの時期、筆者も所属する広島県労連を含む県内の労働組合や市民団体などがいわゆる「春闘」の一環として、街頭で労働者・市民にアピールしたり、役所や企業、経営者団体と交渉したりするものです。

筆者は、この日は、「県教委『官製談合疑惑』をただす市民の会」の今谷賢二さんらと一緒に、県教委に向かいました。

県庁OBとして、平川教育長の横暴が許せないからです。もう一つは、平川教育長のまるで後醍醐帝のような横暴に振り回されている現場の先生や県教委の職員の皆様のことも、心配だからです。

対応されたのは、広島県教育委員会事務局管理部総務課秘書広報室長でした。

筆者らが2月24日に広島県教委に提出した申し入れ書

 

県教委の入っているビルの案内板

まず、教職員組合の方からは「少人数学級を早く拡大してほしい。広島県はいまや全国に後れをおっている」「先生の負担が増えないよう、ICT専門スタッフを拡充してほしい」「病休、介護休、産育休で教育に穴が開くことがないよう、代員を迅速に配置してほしい」などの切実な要望が出されました。

また、受験生の娘を抱える女性団体の方は「県立高校を安易に統廃合するのではなく、地元で安心して学べるよう存続を。」と訴えました。

筆者は、教育長の不正について要望。

「パンゲアの問題では不適切な契約に関与したとして部下が処分されたが、これは平川教育長の名前でされている。一番問題な人の名前でされている。」

「高校の先生がこの間、盗撮などで何人か懲戒免職になっているが、これも平川教育長の名前で処分されている。しかし、こんな問題を起こした人から処分されても締まらないのではないか?」

「赤木かん子さんとの取引は違法ではないと、県教委の報告書では言っておられる。しかし、11万冊も図書を廃棄させ、かわりに赤木かん子さんの本を買わせるとは、図書館の自由に関する宣言には違反している。違法でなければ何をしてもいいというわけではなかろう。」

「今の教育長のやっていることは後醍醐帝と一緒だ。現場を振り回しているだけで現場の先生もあなた方県教委の職員もしんどいのではないか?あなた方も、後醍醐帝に振り回された挙句、討ち死にした新田義貞や楠木正成のようにならないか、わたしは、県庁OBとして心配している。」
などと申し上げました。

元教員でもあり、教職員組合幹部を長年務められた今谷さんからも、
「教育長に不満があるから、それなりに責任ある立場の人から週刊誌などにリークがあるのではないか?」
「教育行政とはいったいどういうあるべきものか?ここに立ち返るべきだ。教育行政とは、現場が教育をやりやすいように、条件を整備していくことではないのか?上から教育の内容についてあれこれ指図をするものではないはずだ。」
「指導主事が何十人もいるのに、わざわざ外部の講師ばかり呼んでくるのもおかしいのではないか?士気が低下するのではないか?」
と畳みかけました。

また、今谷さんからは、今年から県立高校入試に導入された「自己表現」についても、
「プレゼンテーションを入試でやらせるのが、15歳という発達段階にあったものなのか?18歳の大学生がやっているからといって15歳でそれも入試の評価対象としてやらせるのは違うと思う。」
と苦言を呈し、筆者からも、
「広島の学校では、【寒い日でもジャンパーを着てくるな】という教育をずっとやっていたと先日ニュースで知りびっくりしている。そんな教育をずっと受けてきた子どもたちにいきなり、アメリカンなプレゼンテーションをさせる、というのは無理があるのではないか?」
と訴えました。

室長も、終始恐縮をされていました。

◆これで教育長を放免してはいけない

残念ながら、教育長も知事も、一連の事件についてこれで幕引きを図ろうとしています。本来ならば、教育長自ら同じビルの県警に自首すべき案件です。あるいは、知事が教育長を罷免した上で刑事告発するべき案件です。

また、自民、公明、立憲、国民などのいわゆる知事与党の県議も、表面上は教育長を批判しながらも、教育長の退陣までは求めていません。他の自治体では、教育長に問責決議を出した例もあります。(発議第四号 徳山順子教育長に対する問責決議について

だが、広島県議会ではそういう動きも見られません。

今後とも、筆者は、「現代広島の後醍醐帝」と化した平川教育長の退陣と事件の全容解明を求めていきます。そして、知事の湯崎英彦さんによる任命責任を追及していきます。

その上で、教育行政の在り方を、現場に上からあれこれ弄りまわすのではなく、現場がやりやすいように支援していくものに切り替えるよう提言していきます。また、県議選2023で当選した場合には、当然、議会で上記の方向でがんばっていきます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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月刊『紙の爆弾』2023年3月号

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ご自身が懇意にしておられたNPO法人「パンゲア」への委託契約を巡り地方自治法違反、官製談合防止法違反が、県教委が外部に委託した弁護士による調査(以下、外部調査と略します)で明らかになった平川理恵・広島県教育長。

 

広島県教育委員会

平川教育長を巡ってはその後も、ご自宅にご自身が懇意にしておられた大阪の女性会社社長を宿泊させるなど、疑惑が噴出しています。そして、2022年12月21日、市民団体「県教委『官製談合疑惑』をただす市民の会」により広島地検に告発されました。しかしながら、平川教育長は2023年2月14日現在、居座っておられます。

◆調査結果を全面公開せず、3000万円近く県費投入

おまけに平川教育長は、弁護士による調査の内容も全面公開はしていません。県費を使って行ったにもかかわらずです。「公文書とは政府や官庁、地方公共団体の公務員が職務上作成した文書であるから今回の調査は公文書ではない」という理屈は成り立ちますが、県民感覚からはかけはなれています。

現在は、その県費を使った調査に3000万円近くかかったことが報道され、県議会でも、これまで知事や教育長を持ち上げてきた自民多数派や立憲民主党系の会派の議員からも批判されています。

◆お友達により教育行政私物化の限り

「市民の会」の今谷賢二さんによると、違法と認定された事業は今年度も契約が続いているそうです。しかも、外部調査は、100万円以下の契約は対象外でした。

情報公開で今谷さんが入手した資料でこれまで文春で取り上げられていない事業ではオンラインで問題のNPO法人を講師とした協議会があるそうです。これについては、県教委で協議して事業の方向が議論され事業化するならこの法人との間で随意契約に近い形でやる、という仕組みができているようにうかがわれるそうです。

福山市中心の公立学校図書館のリニューアルについても、パンゲアとは別の教育長のお友達が一手に引き受けているそうです。

教員に対する研修も、せっかく指導主事が公務員として県教委に多数いるのに、民間企業に委託して県費を使用しておられます。まさに、平川教育長とそのお友達が広島の教育行政を私物化しておられます。

◆非正規教員の正規化は「予算がない」と拒否

一方で、広島県内には県教委管轄で1000人以上、公立学校の非正規教員がおられます。そのために、授業が成り立たない学校も少なくありません。この非正規教員の正規化については、一部の保守系の議員からも正規化を求める声が上がっています。しかし、その質問に対して平川教育長の答弁は「予算がない」という木で鼻を括るものです。

お友達に仕事をさせるためには湯水のように県費を使うのに、子どもたちの教育環境を整えるために非正規の先生を正規にすることには県費がないという。平川教育長のこれまでやってこられた「改革」とは一体何なのでしょうか?

◆超権威主義の広島で高校入試にアメリカンな「自己表現」導入で混乱

平川教育長は、2023年の県立高校入試から「自己表現」を導入しました。自己表現は,「広島県の15歳の生徒に身に付けさせたい力」である「自己を認識し,自分の人生を選択し,表現することができる力」がどのくらい身に付いているかをみるために実施されるそうです。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kyouiku/jikohyougen-mokuji.html

しかし、そもそも、これまで、入試を受ける中学生も、テストする先生=大人も、権威主義的な教育を受けて権威主義的な風土の中で育ってきたのです。

 

2023年1月25日、広島市に大雪が降った日(写真、筆者の自宅近く)

つい最近も、2023年1月25日、広島市に大雪が降った日にジャンパーを制服の上に着て登校した市立中学生にジャンパーを着てくるな、と先生が指導。その生徒はジャンパーを脱いで下校して翌日発熱するという事件が起きました。

結局、2月になって制服の上に上着を着るなというルールは見直されました。だが、そもそも、子どもに熱を出させるようでは何のためのルールかさっぱりわかりません。しかし、ルールを漫然と疑問に思わない雰囲気の中で、大人も子どもも育ってきたのです。平川教育長はアメリカンな教育を理想としておられるようですが、現状の日本にいきなり導入しても混乱を招くだけです。

まずは、「ジャンパーを着てくるな」事件のようなことが起きないようになり、ルールもみんなで見直そう、という気風にしていく方が先でしょう。入試に自己表現など、そもそもなじまないと筆者は考えますが、広島や日本の社会の権威主義がもっと解消してから導入の是非を検討しても遅くないのではないでしょうか?

◆一蓮托生? 必死で教育長を庇う知事

そもそもこんな教育長を任命したのは知事の湯崎英彦さんです。教育長と言えば、普通は県教委からの内部昇格か、1990年代末から広島でも慣例化していた文科省からのいわゆる「天下り」かが「慣例」です。

それが良いかどうかは別として、それをあえて破って、民間校長だった平川さんをわざわざ神奈川県から連れてきたのは湯崎さんです。その意味では任命責任は重いのです。

その湯崎さんは、2月13日の広島県議会2月定例会で外部調査経費について「必要な費用だった」と答弁しました。さらに、2021年に平川教育長を再任した判断についても「間違っていなかった」と開き直っておられます。

そもそも、平川教育長が「あんなこと」をしなければ不要な費用です。湯崎さんはどこまで教育長を庇うつもりなのでしょうか?非正規の先生を正規にするのについては「予算がない」と教育長が拒否しておられたのはなんだったのでしょうか?
否、庇わなければご自身にも任命責任が問われるからそれだけ必死になるのでしょう。まさに一蓮托生です。

◆「建武の新政」後醍醐帝にそっくりの両者、甘やかす自公・立憲の県議たち

それにしても、平川教育長・湯崎知事の両者を見て思い出すのは、「建武の新政」で悪名高い(?)後醍醐帝です。後醍醐帝は政策的には時代を先取りしすぎた(逆に言えば足利幕府も模倣した政策も多い)とされています。人事面では、宋の皇帝独裁を模倣し、摂関や幕府は廃止。通常は形式的な帝による役人(公武両方)の人事権をフル行使し、光厳帝の人事をすべてキャンセルした。両者により混乱を招いた。1991年の東大入試の日本史でも、腹心の北畠親房にさえ神皇正統記で強く批判されたことが紹介されています。

平川教育長は日本、それも全国でも最も保守的な部類の広島の風土に唐突なアメリカンな政策、例えば高校入試の自己表現などをいきなり導入した。一方で、人事権をフル行使した点も両者は後醍醐帝に似ている。湯崎さんは平川教育長を任命し、平川教育長は、自分のお友達に委託する事業ばかりにご執心で、指導主事など既存の仕組みを軽んじておられます。

そして、そんな「現代広島の後醍醐帝」ともいえる教育長や知事を甘やかしてきたのが自民、公明、立憲などの「知事与党」県議たちです。今頃になって、統一地方選が近いからかどうかわかりませんが、知事や教育長を批判しても、しらけます。北畠親房ですら、神皇正統記で後醍醐帝を批判しているのですから。しかし、北畠親房も後醍醐帝の生前にはちゃっかり取り入って、出世栄達しており、呆れたものです。

「知事与党」として散々知事や教育長を甘やかして、今頃になって批判するポーズをとる自公立国の県議と北畠親房は、うり二つです。統一地方選で厳しい審判が必要です。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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月刊『紙の爆弾』2023年3月号

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筆者の元職場・広島県庁を「文春砲」が直撃した平川理恵・県教育長による官製談合疑惑。このたび、県教委が依頼した第三者の弁護士らの調査結果が出ました。教育長のご親友が運営されている京都府のNPO法人「パンゲア」との契約について、2件について地方自治法違反、官製談合防止法違反があった、という結果になりました。12月6日、平川教育長がこれを受け、「再発防止に努めたい」と県議会委員会で陳謝しました。


◎[参考動画]県の事業が官製談合の疑い 教育長の知り合いのNPO法人(広島ホームテレビ)

しかし、筆者は、教育長にこう申し上げたい。

「あなたが主導しての法律違反が明らかになった以上、腹を切る(辞任する)のが当然ではないでしょうか?さもなければ、教員も職員も、法令遵守も公務員倫理を守ることもばかばかしくなってしまいますよ。」

知事の湯崎英彦さんにもこう申し上げます。

「湯崎さん。こんな教育長をなんとかしないなら、あなたには、知事部局の職員を指導する資格もない。」

県議会の自民、公明、立憲、国民のいわゆるオール与党の議員にも申し上げたい。

「あなた方がずっと知事与党の姿勢をとってきたことで、教育長も図に乗ってこのようなことになったのではないのか? 行政監視という議会の機能を果たすつもりがないなら、そこをおどきなさい。」

◆これまでの経緯と調査結果の概要

2022年8月。まず、週刊文春が二度にわたって、平川教育長とパンゲアの理事長が一緒に会食をするなど親密だったこと、女子高生のホームページ作成指導を同法人に委託していたことなどを暴露。「官製談合」ではないか、と指摘しました。

当初、教育長は「問題はない」と開き直っておられましたが、世論の批判を受けてさすがに内部調査を行いました。その結果、パンゲアが2020~22年度に受注した6事業計2645万円のうち複数の事業で入札公告前に予算額や事業内容をパンゲア側と県教委職員がやりとりするメールが発見されています。そして、強調しなければいけないのは、県教委の職員に対して、平川教育長はご自身の意向を押し通すような方だったことです。もちろん、そうした個性の強さが、忖度しなければ大変なことになったということは容易に想像できます。

結局、教育長は外部の弁護士に調査を委託。二か月以上たった今、結果が明らかになったのです。

今回の調査結果では2021年9月に契約した高校の枠を超えた生徒の探究活動についての事業が官製談合防止法違反や地方自治法違反と認定されました。県教委は入札前に、パンゲアとの契約を前提に各県立高の校長に生徒募集を求めるなどしたのです。

また、2020年9月に契約したグローバル人材の育成を目指す事業も地方自治法違反とされました。県教委は委託先の比較検討をせずに随意契約していました。

◆仕事熱心でも公務員向きではない教育長

公務員はいうまでもなく、全体の奉仕者でなければなりません。そのことは、本当に大変なことなのです。

教育長が仕事熱心なのは認めます。広島に限らず、日本の教育の在り方がいろいろと、アップデートが必要なのも事実でしょう。特に広島の行政というのは古いというのは、筆者自身、県庁職員でしたから熟知しています。

しかし、だからといって、民間時代の感覚と同じことを公務員になってからもやってしまうと、それは公務員として相応しくないこと、場合によっては今回のような違法になることもあるのです。平川教育長に申し上げたい。以上のことがお分かりになれないなら、公務員をされないことです。民間で頑張ってください、としか申し上げようがありません。

◆公務員倫理規程・規範はなぜ必要か

筆者自身も、現役の県庁職員時代、男女共同参画を軸にボランティア活動をプライベートでさせていただいていました。

その時の上司は、「お前、相手は、お前の肩書に近づいているのではないのか?気を付けたまえ。」とご忠告くださっていました。

「俺は純粋な気持ちで正しいと思うことをやっている。何を硬いことを言っているのだ。この人は。」と筆者は反発したものです。

しかし、あることで、上司の忠告に納得しました。忠告からほどなく、当時筆者が男女共同参画のある分野で心酔していた県外のある方が、セカンドレイプになりかねないご発言という形で馬脚を現したのです。もし彼女に何か、あのまま、県関係のイベントの講師などお願いしていたら筆者は大恥をかいたでしょう。

平川教育長のケースと違い、事業を委託するわけではないが、あのまま人権教育系の講師を彼女にお願いしていたらヤバかった、と今でも冷や汗が出ます。

熱意は大事だが、一方で、慎重に行動する必要があるのです。そのために、公務員には倫理規程、要綱、あるいは大臣なら大臣規範などがあるのです(所属する組織により名称は多少異なるが趣旨は一緒)。 これらは熱意の暴走、あるいは、誤った方向での熱意を防ぐ効果もあるのです。

◆トップは倫理を守って当然だから規程がないだけ

こうした公務員倫理に伴う規程や要綱は広島県の場合、教育長など特別職にはない。国の場合、故・安倍晋三さんのような総理大臣には大臣規範は適用されません。

しかし、それは、トップが公務員倫理を先頭に立って守るのは、言わずもがなだからです。

逆に言えば、トップは倫理が守れないなら、退陣しか選択はありません。倫理どころか法律を破った今、教育長が取るべき道は、退陣しかありません。そして、検察や警察にきちんとしらべてもらうことです。刑事や民事の責任を取らないで逃げてはいけません。

◆脚光浴びた「新しさ」、本質は「新自由主義」

さて、平川教育長に期待された県民も多いのも事実です。筆者も、広島県で初の女性教育長ということもあり、全く期待しなかったと言えばうそになります。筆者でさえそうですからマスコミは言うに及びません。NHKも含めて教育長を持ち上げまくっていた時代がありました。

だが、就任から4年余り。彼女の本質は新自由主義であることは明らかではないでしょうか?例えば非正規の教員の問題です。広島県内には県教委管轄で1000人以上の臨時採用の教員がいます。しかし、1000人以上もいて臨時というのも異常です。ある保守系の県議も見かねて、正規で採用するよう求めたのですが、教育長側の答弁は「予算がない」でした。

ところが、グローバルエリートを育てるという中高一貫の広島叡智学園新設には、69億円も投入したのです。足元の問題は放置して、エリートに公教育の資源を振り向ける。これを新自由主義と言わずしてなんというのか?

また、2023年春から、県立高校のいわゆる推薦入試がなくなり、3月実施のものに一本化されます。これだと、滑り止めに私立高校を2月に受けざるをえなくなる人も増えます。その分、受験料などの負担も増えます。また、その入試ですが、プレゼンテーションを重視するという。この類のものは、学科の勉強よりも貧富の差に左右されやすいと言われています。結局、金をかけて対策をやる裕福な家庭の子が有利になるのです。これも新自由主義的と言えば新自由主義です。もちろん、日本人は、自己主張が下手というのは一般的には言われている。ただ、官民問わず、上に忖度させるような風通しの悪い職場風土は相変わらずです。などを放置して、昔に比べても労働組合なども弱くなっている。そういう社会で学校時代だけプレゼンテーションをやらせてもどれほどの効果があるのでしょうか?大変疑問です。権威主義的な大人社会の改革とセットでやらないと意味がないでしょう。

このように、平川教育長には、教育行政の中身にも問題は多いのです。

さらに言えば、先日は、平川教育長が、100km以上離れた福山市までタクシーで移動していたという信じられないニュースもありました。福山であれば広島から新幹線で30分弱ですし、低コストです。タクシー利用は意味不明です。

◆検察・警察は捜査、議会は百条委員会で徹底追及を

繰り返します。平川教育長は退陣あるのみです。そして、検察や警察にもきちんと調べてもらうことです。県議会は100条委員会等で徹底究明することです。さもなければ、大げさな話ではなく、県行政は崩壊してしまいます。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
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7日発売!タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

高度情報化、グローバル化時代を担うグローバル人材育成を目的とする教育改革のもと、今年、4月から新教科書が使われ、新しい教育としてスタートした。

歴史教育は、「歴史総合」という新科目が、高校の必修となった。戦後の歴史教育の大きな転換になる可能性を秘めていると言われるこの科目は、これまでとは全く違う学び方という意味では、歴史教育の基本となる科目だ。

教科書の執筆者の一人である歴史学者の成田氏は、このように言われている。

「これまで世界史と日本史に分かれていた歴史科目を、18世紀以降の近代史として、『総合』した形として学ぶ新科目です」また「これまでの日本史の教科書のような、一国だけの歴史(ナショナルヒストリー)ではない。日本と世界をグローバルヒストリーとして学ぶことに主眼がある」そして「世界的な相互関係のダイナミズムから歴史をとらえます」と。

すなわち、「歴史総合」新科目は、歴史を日本史としては教えず、18世紀以降からの世界史として、「近代化」「国際秩序の変化」、「大衆化」、「グローバル化」の3編からなるテーマ史として教えるようになっている。

ここで問題は、歴史を日本史としてではなく、世界史としてとらえていることである。

言い換えれば、歴史を日本と世界の歴史、グローバルヒストリーとしてとらえると言いながら、その基軸を、どこまでも日本ではなく、世界に求めているということだ。

現在、「米中新冷戦」体制下にある日本に求められているのは、米国との「統合」である。そして、そのための教育改革が推進されているなかにあって、「歴史総合」科目は、自分の国を基本にして見る歴史を、世界を基軸にみる歴史にとらえ直して、教える教科だと言っているが、この意味するものは、何なのだろうか。

日本の歴史を日本独自の歴史ではなく、世界史の一環として見るというこの見方は、日本の独自の歴史、日本の歴史事実をなくしてしまうということではないのだろうか。教科書検定において、過去、日本がアジアで犯した植民地支配という行為に対して、その歴史事実を歪曲する教科書を合格させ、隣国、アジアに対する蔑視と軽視の立場を教科書に載せた。ちなみに欧米は、自己の植民地支配の歴史を全く総括していない。このことをとっても、歴史教育改革とは、何であるかが示されているのではないだろうか。それは、歴史の基軸を自国に置かず、とくに、欧米、近代史に置くことにより、日本の歴史、「日本史」を欧米史のなかに溶解させ、自分の国という観点を持たない人材、そういうグローバル人材育成のための歴史教育だと言えると思う。

すなわち、これが、日本を米国に「統合」するための教育改革だと言える。「英語とIT技術」を身に付けるだけでなく、日本人としての帰属意識やアイデンテイテイを持たない人材、無国籍のグローバル人材を育て、日本人の内面的側面をも溶解させアメリカ化するというではないだろうか。

 

森 順子『いつまでも田宮高麿とともに』(2002年7月鹿砦社)

新科目「歴史総合」は、「戦後の歴史教育の大きな転換の可能性を秘める」と言っているが、まさに、こういうことかもしれない。

20年以上続けてきた、グローバリズム、新自由主義によって、日本の教育はどうなったのか。一番、憂慮されることは、若者が自分の国を語れず、日本人としてのアイデンテイテイを失いつつあると言われていることだ。日本人という概念があいまい化され、日本の将来に対する不安を広げ、自己肯定感のない自分に自信が持てず、そういう社会、そういう自分の国を語れなくなっているということだと思う。

自国の歴史を知らなければ、自分の国を語れずと言うが、「日米統合」のための教育改革とは、グローバリズム、新自由主義をもう一度,蘇えさせるための「統合」だということができる。それゆえ、グローバリズム、新自由主義の全面化、徹底化であり、日本の教育のアメリカ化である。そして、それは、日本人をグローバル人間に、米国人への改造だと言えるかもしれない。こんなふうになれば、真の意味で日本人はいなくなり、日本人がいなくなれば、国が無くなってしまうというしかない。これが、「日米統合」のための教育改革の核となる重要な問題として提起されているように思う。

▼森 順子(もり・よりこ)さん
1953年5月12日、神奈川県川崎市で生まれる。法政女子高等学校卒業。1978年に田宮高麿と結婚。ピョンヤン在住。「アジアの内の日本の会」会員

7日発売 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

世間は猛暑とコロナ第7波で大騒ぎしているさなかの7月18日、ある未知の後輩学生から突然に長文のメールがあった。

私が2017年に垣沼真一さん(京都大学OB)と共に出版した『遙かなる一九七〇年代‐京都』を読んだという。今時、学生でこんな本を読む者もいるのだと感心し長文のメールを読んだ。まずは、長文だが、以下そのまま掲載しておこう。──

◇    ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

松岡利康 様

はじめまして。私は現同志社大学文学部英文学科五回生のO・Sと申します。御社関西編集室宛のメールアドレスに、御社代表個人へのメールをお送りする非礼をお詫びいたします。

まず、端的にご用件をお伝えいたします。

京都にて、我々現役の大学生とどうかお話頂けないでしょうか?

なぜ今回私が松岡様にこのようなお願いをするに至ったのか、少々長くなりますがお話いたします。

私は2017年の春、同志社大学文学部に入学いたしました。自由さ、待ち受けているであろう混沌さ、知的な雰囲気に胸を膨らませ門をくぐりました。

しかし、私はすぐに失望させられました。同志社大学の現状はそうした私の希望を打ち砕いて余りあるものでした。

一例を挙げると、同志社大学今出川キャンパスでは、現在自転車に乗って入構することも許されません。乗って入ろうものなら、構内に数多く、過剰に配備された警備員に怒鳴られ、制止され、そして酷いときには応援を呼ばれ取り囲まれます。今の同志社ではまず、身体の管理が徹底されているのです。自主的に自転車を降り、規則を内面化し歩く。「自分の身体=大学の定めたナンセンスな規則。」こうした等式を背負い、同志社生はキャンパスを歩いているのです。自ら主体性を放棄している、とも言えます。

また、大量の警備員の配備による抑圧的な管理もますます進行しています。ビラを配るとそそくさとやってきて内容を確認され、貼れば5分もしないうちに剥がされ、そして職員へ通報が行われます。私もキャンパスの建物に大量にビラを貼っていたのですが、貼ったところから剥がされ、職員を呼ばれ、またしても取り囲まれました。キャンパスという学生のための空間でありながら、何をしても「目」としての警備員が監視の目を光らせ、大学当局への通報が行われる。ある意味「自浄」作用が高度に機能していると言えるでしょう。そこには同志社の掲げる良心教育など見る影もありません。

私はそうした現状は間違っていると思ってきました。烏丸キャンパス横には交番が隣接しています。隣接というのは不正確で、なんと同志社大学が警察に敷地を貸与しているのです。もう、自由な大学など見る影もありません。あるのは、無味乾燥な抜け殻のような学生と、退廃した精神だけです。そして、これは同志社大学に限った話ではありません。

(京都府警察本部への同志社大学用地(烏丸キャンパス)一部貸与について;https://www.doshisha.ac.jp/information/overview/president/question/answer43.html

隣の京大においても事態は深刻です。私が入学した2017年当時はまだ百万遍に立て看板があったのですが、2018年頃から京都市の景観条例を理由に、大学当局による撤去が始まりました。そして歴史と由緒ある自治寮たる吉田寮も廃寮の危機に立たされています。毎年行われていた時計台占拠という催し(学生が時計台に登るというイベント)も当局による弾圧で中止になりました。学生が時計台に登るだけであるのに、事前に情報を察知していた大学側が機動隊まで呼んでおり、上空には警察のヘリまで飛んでいた、というほどです。

私も最初は自転車から降りず、禁止されていた原付での乗り入れを行おうとしたり、ビラを貼ったり、封鎖されたドアをこじ開けようとしましたが、結局今は嫌々ながらもチャリから降り、ビラを貼ったりせずおかしいと思うことがあってもやり過ごすようになってしまいました。もう少しで卒業することだし、目を瞑ろう。息を止めてやり過ごせば、そのうち忘れて楽になる。そう、自分を騙していました。そう、つまりヘタレなのです。

しかし、やはり私は今の大学、特に同志社大学の形は間違っていると思います。そして学生の手によって、徐々に変えられるべきだと思います。ただ、私も含め、何かを変えようとサークルを作ったり、運動をしたりしている学生の多くは、「どうやって運動すればいいのか分からない」「周りに共感してくれる仲間がいない」というの想いを、少なからず抱えているものだと思います。私はこのまま終わっていく大学を見ていられません。このまま見てみぬ振りをして卒業なぞしたくない。どうにかしたい。そう思っていたときに私は、やはり先輩方から学ぶのが一番良いであろうと思い、色々と調べていくうちに松岡様の『遥かなる一九七〇年代ー京都 学生運動解体期の物語と記憶』に出会いました。衝撃でした。学生の魂の熱がこんなにも渦巻いていた時代があったのかと。こんなにも、社会を本気で変えようとしていたのかと。そして、今は死にかけている同志社大学がこんなにも激動の渦の中にあったのかと。熱気と狂気と、そして魂。松岡様は2004年の「甲子園村だより」にて、何度も75年以降の後輩の方々の不始末を嘆いておられました。2022年の我々など松岡様の目にどのように映るのであろうか、恐縮の極みでございますが、70年代の空気、歴史、運動、そしてその精神をどうか学ばせていただきたく存じます。

グレーゾーンが廃され、拠点が失われ、学生の身体から離れてしまった、大学。それを我々の手の内に取り戻したいのです。私も大学内に拠点を造ることは一旦諦めてしまったのですが、学外にそうした場を造ることはできました。京都市北区紫野南舟岡町85-2 2階にある元スナックの居抜きを借りて「デカい穴」という場所を造りました。イベントスペース兼バーのような場所です。そこでは夜な夜な学生が自由に集まり、闊達に日々色々な話をしています。私は、この場所からもっと波を広げたい。松岡様には「デカい穴」にお越し頂き、そこに集まった学生とお話し頂きたいのです。

前置きが長くなりましたが、今回はそうした想いでこうしたメールをお送りいたしました。

往復の交通費、飲食代(料理は無いので中華の出前になります)は当方が負担させていただきます。また謝礼として僅かではございますが金1万5000円をお支払いいたします。その他、もしご要望等ございましたらご遠慮なくお申し付けください。形式は座談会を予定しており、はじめに松岡様に自己紹介と70年代の様子、ご自身の活動歴をお話いただき、その後学生達とお話頂ければ、と思います。時間は開店時間の19時から、長くはありますが23時頃までを予定いたしております。もし終電の都合等で早めに切り上げられたい場合は仰っしゃてください。またご宿泊をご希望の場合は近隣のホテルを手配いたしますのでお申しつけください。

再三とはなりますが、私は心より、強く、松岡様とお話することを望んでおります。そして松岡様と現役の学生が言葉を交わすことには大いなる意義があると、そう確信いたしております。このままではもう本当に大学と、若者文化は終焉を迎えるように思います。我々学生と松岡様との出会いがそうした現状を打破する契機となれば、と願っております。

ご検討いただけますと幸いです。

◇    ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

O・S君からのメールには心打たれたので、その全文そのまま掲載した。なにか胸が熱くなった。私も学生の頃、不躾にも、名のある知識人に突然手紙を書いて講演をお願いしたことが少なからずあった。当時は、多くの知識人が、こうした学生からの依頼には、交通費+薄謝で喜んで応じた時代でもあった。今はどうだろうか?

多くの先生方が応じてくださった。一番印象的だったのは、在野の哲学者・田中吉六先生だった。田中先生は、初期マルクス、とりわけ主体性論の研究で有名で、岩波文庫版のマルクス『経哲草稿』を東大の城塚登教授と訳したり、『主体的唯物論への途』『史的唯物論の成立』などの名著を遺しておられる。学費値上げ阻止闘争や、沖縄、三里塚闘争の後、その闘いの総括作業に呻吟していた過程でそれら2冊の本に出会い感銘を受け講演をお願いしたのである。

田中先生は、東京・清瀬の古びた市営住宅に一人暮らしし、肉体労働をしながら独自の哲学を極められていた。「この人こそ真の知識人だ」と感じた。京都から何度も伺い、ようやく承諾していただいた時の喜びは今でも忘れることはできない。当時の学生会館ホールに多くの学生らが参集してくれた。このことを思い出した。ちなみに残念ながら『主体的唯物論への途』は現在では入手困難だが、『史的唯物論の成立』はなぜかこぶし書房から復刻され購読できる。

それにしてもだ、私がいた時代から50年経ち、リベラルな学風で鳴らした同志社の体たらくは一体何だ! 私たちはこんな大学にするために身を挺して闘ったのではない。詰まるところ、1960年代後半から爆発した学園闘争で提起された大学改革は、この真意が捻じ曲げられ、悪い方向に改悪されたといってもいいだろう。

「産学共同」もそうだ。当時は「産学共同」とは、学問(大学)が産業と「共同」するとはなにごとか、と悪いイメージで批判されたが、今では大学と産業界が「共同」することが当たり前のように語られている。企業が大学に施設を寄付することも多くなった。大学の真の価値は、キャンパスが綺麗だとか施設がいいということではない。今の同志社のキャンパスを歩くと、確かに綺麗だし施設も整っているようだ。だが、違和感がある。かつてのキャンパスの生きた学生臭さといったものは希薄な感がした。

私は知識人などではないが、出版した本を読んで長いメールをくれ、当時の話をしてほしいという。それも同志社の後輩学生だ──嬉しいではないか。「いいですよ、ただし学生諸君から謝礼や交通費をもらうつもりはないよ」と、『大暗黒時代の大学』の著書もある田所敏夫さんと共に8月11日、伺うことにした。

O・S君が開いたお店は、時代を忘れるような雰囲気だった。かつては、こんな店がどこかしこにあったよなあ。「時代遅れの酒場」といった雰囲気だ。夏休みでお盆前ということもあり、それでも10数人が集まってくれた。

O・S君が読んでくれた『遙かなる一九七〇年代‐京都──学生運動解体期の物語と記憶』(現在品切れ)

私たちが『遙かなる一九七〇年代─京都』以来、1年に1冊のペースで出してきた『一九七〇年 端境期の時代』など数冊を送り、事前に読んでおくように伝えておいたが、私の話はこれに沿ったものだ。自覚はなかったが、みずからの体験を中心に2時間近く話したようだ。

私は、「抵抗するということ」について、私が1970年に同志社に入学し、当時の同志社は抵抗、反戦、反権力の空気が満ち溢れ、その砦だった。その同志社で活動したこと、同志社は、60年、70年の二つの安保闘争の中心を担い、その後、私たちの時代になって学費闘争、三里塚闘争、沖縄闘争でも果敢に闘ったことを、体験を交え話した。75年3月に京都を離れ、大阪の小さな会社に勤め、学費闘争の裁判を抱え、御堂筋の四季の移ろいを眺めながら悶々とした日々を過ごしたこと、そうした中で友人と自らの闘いを総括するために『季節』という小冊子を始め、これがのちに出版の世界に入るきっかけになったことなどを話した。

しかし、私が同志社を去って以後の70年代後半、私たちの時代には和気藹々だった同志社も、私が参加していた全学闘(全学闘争委員会)が放逐されたり、私たちの拠点で藤本敏夫さん(故人)もいた寮が深夜に襲われ寮生がリンチされたりして退職直前の寮母さん(故人。学費闘争で逮捕された私の身元引受人。戦前から母子で務め学徒出陣の学生を見送ったりした)を苦しめたり、遂には、その戦闘性で全国的にも有名だった学友会の解散に至った。こうしたことが私を苦しめた。それは同志社のみならず、社会情勢もそうで、混沌の時代に入って行き、私たちの時代の連合赤軍事件、そうして多くの優秀な活動家を死に至らしめた内ゲバなどで学生運動・反戦運動が解体していったことは痛苦に反省すべきだ、と述べ、ひとまず私の話を終えた。

こののち参加者の学生諸君と忌憚のない座談会となった。とても初めて会った者同士とは思えないような和やかな雰囲気だった。気分が乗った私たちは、田所さんが飲み代として1万円、私が中華料理代として1万円をカンパした。当初は、飲食代は学生諸君が負担するということだったが、なんのことはない、私と田所さんがカンパすることになった(苦笑)。そうして真夏の京都の夜はふけていったのである──。

2022年8月11日,京都「デカい穴」で

*お店の名は「デカい穴」で、所在地等は次の通りです。
「デカい穴」
〒603-8225 京都市北区紫野南舟岡町85-2 2階
080-9125-7050 太田さん
webサイト https://kissadekaiana.wixsite.com/-site
位置情報  https://goo.gl/maps/zUXjbqxyyx3ySkr97

田所敏夫著『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社刊。発売中)

2022年は沖縄返還50年ですが、もっと遡ると、日本の近代史における「黒歴史」ともいえる事件から90年、そして80年となります。5・15事件から90年。そしていわゆる翼賛選挙、そして京大助教授らによる「近代の超克」から80年です。そして、軍部を「日本維新の会」(維新)や安倍晋三さんら自民党右派に、立憲政友会系を岸田総理ら自民党主流派に、立憲民政党系を立憲民主党に、京大助教授らを一時期の成功体験から卒業できない企業や広島県内の大手労働組合に置き換えると、まさに、いま、戦中が繰り返されているということが言えると思うのです。

◆5・15事件90年 政党の腐敗を追い風に昔は軍部・今は維新の人気が高まる

まず、5・15事件から90年。満州事変の翌年の1932年5月15日。海軍の青年将校が犬養毅総理を「問答無用!」と暗殺。政党政治はここで終了しました。しかし、政党政治の腐敗の不満から軍部への国民の期待が高まる中で、被疑者への甘い処分をもとめる民意が高揚。被疑者は軽い罰しか科せられず、1936年の2・26事件へとつながっていきます。既成政党のだらしなさへの憤りのいきおいあまって、「維新」への期待が高まってしまう。維新が少々の不祥事をやっても維新の支持率は下がらない。そういう現在の状況に似ていませんか?

◆翼賛選挙80年 軍国主義者が「革新」と持ち上げられる状況、現在に酷似

そして、今年はいわゆる翼賛選挙80年です。1942年4月執行の衆院選は、いわゆる翼賛選挙と呼ばれました。大政翼賛会系の候補には選挙資金が陸軍の機密費から出る、大政翼賛会に批判的な候補は政府により選挙妨害をうける。こういう選挙でした。当時はユダヤ人への今風にいえばヘイトスピーチで有名な四王天延孝中将ら、軍国主義者が「革新的」と持ち上げられて大量得票しました。これは、「維新」や「安倍晋三さん」がとくに若者から「革新的」とみなされている状況に似ていませんか?

ただし、この翼賛選挙を前に、腐っている、古くさいと指弾された既成政党、それも立憲政友会(立ち位置が今の自民党に近かった)よりはリベラルとされた立憲民政党(立ち位置が今の立憲民主党に近かった)も結局大政翼賛会に参加していたことも確認しておかなければいけません。

◆自民党と「国民ファースト維新の会」による「大政翼賛会」が迫っている

現代では、大政翼賛会一本に収斂されるまではひどくない、と思われるかもしれません。しかし、現代では擬似的な二大政党による翼賛体制がいままさに、構築されようとしているのではないでしょうか?自民党と補完勢力、いわゆる「ゆ党」による擬似二大政党制が起きようとしているのではないでしょうか?

すでに、衆院選2021で、連合の芳野会長は野党共闘を解体するほうへ、解体するほうへと動きました。こうした中で連合を基盤とする国民民主党は予算に賛成して事実上の与党に。一方で、国民民主党は参院選京都選挙区で維新と共闘をしています。

このままだと、参院選後にも、たとえば国民民主党、小池ファースト、吉村維新が合併した新自由主義政党、改憲推進政党「国民ファースト維新の会」誕生の公算が大きいでしょう。維新の支持層も連合の組合員も大手企業中堅以上のサラリーマンが多いという点で重なっています。維新が公務員を叩いてきたことで連合にも維新への反発はあります。しかし、公務員の組合が推薦した立憲民主党でも、公務員ボーナスカットには賛成してしまいました。「まあ、維新でもいいか」と思ってしまう組合員もすくなくないと思います。従って「国民ファースト維新の会」実現への障壁はそう高くはないでしょう。

◆野党第一党や組合がふがいない広島、平和都市なのに大政翼賛会化の先頭

一方で、立憲民主党も広島をふくむいくつかの選挙区では国民民主党と野合しています。広島はこのままでは、まさに、自民党の高級官僚出身世襲現職と、立憲・国民の野合にかつがれた元タレント新人による、「与党と補完勢力による独占」になりかねない情勢です。というか、そもそも、広島は、自民党と野党を自称した補完勢力による2議席独占がずっと続いていたといっても過言ではありません。

広島では野党といっても、原発や武器製造の大手企業の組合だのみなのが立憲民主党さんです。自民党系の知事でさえ進める脱炭素に懸念を表明したり、原発に対するスタンスを曖昧にしたりする参院議員がおられるのが広島の立憲民主党さんです。自民党官僚市長の提案する議案に、自民党系の一部の会派の議員以上に賛成してネオリベ市政を支えているのが立憲民主党の市議の皆様です。そして、再選挙2021で筆者が立候補した際、「俺の地域に出入りするな」と脅してこられた党員がおられるのが広島の立憲民主党さんです。中央の立憲民主党からも想像がつかぬような「補完勢力」ぶりです。広島のこのような大政翼賛会ぶりは、日本の大政翼賛会化を先取りしているといえるでしょう。

◆「近代の超克」と大差ないお笑い「日本すごい」

さらに翼賛選挙の年に「近代の超克」というスローガンが、当時の京都大学の哲学科の助教授らから出され、人々にウケていたことにも言及しなければなりません。「近代の超克」は、大ざっぱに申し上げると「日本は近代のチャンピオンである米英などを乗り越えた!」という趣旨の言説です。確かに、第一次世界大戦を契機に西洋の没落ということも言われてはいました。しかし、一方で、アメリカと日本の国力の差は歴然としたものがありました。日本はアメリカを乗り越えたどころか、コテンパンにやっつけられてしまうのです。この悲劇は日露戦争で勝利したことの成功体験から卒業できていないこととも関係あるのでしょう。

いま、日本は、また大いなる勘違いを繰り返そうとしています。「日本すごい」です。そのすごいはずの日本ですが、いまや、介護用手袋もマレーシアの企業に勉強にいかないと作れません。ひとりあたりGDP購買力平価では、韓国や台湾などに抜かれました。いわゆる失敗国家をのぞけば唯一といっていいほど、この30年間で給料が上がっていません。男尊女卑や報道の自由度の低下もさんたんたるものがあります。

広島県内でも結局、原発製造をふくむ重厚長大産業でひとりあたり県民所得(GDP)が全国3位だった1975年ころの成功体験から、企業ももちろん、行政、与野党の大多数も卒業できず、今日に至っています。

◆街頭や挨拶回りでも実感する大政翼賛会化

筆者は参院選を前に県内全域の有権者の皆様と対話しています。また、れいわ新選組チーム広島は街頭で憲法についてのアンケートにとりくんでいます(写真)。

 

その中で「いま、まさに、戦中が繰り返されている」と強く感じています。ありていに申し上げれば、筆者に対して男性有権者の方からは、「維新から立候補したほうがいいのでは?」とのお言葉をいただき、女性有権者の方からは、「自民から立候補したほうがいいのでは?」とのお言葉をいただく機会も以前より劇的に増えています。

また、れいわ新選組チーム広島による憲法についてのアンケートでも、「ロシアやコロナがこわいから憲法を変えたほうがいい」という趣旨のご回答がめだちます。一方で自民党の改憲案については、ご存じない方がほとんど、という状況があります。かくたる根拠はないが、なんとなく、ながされていく。これも実は戦中の日本に酷似しているといえるでしょう。

◆まずは冷静に考えていただくことだ

しかし、ここで陥ってはいけないのは、有権者を見下すような議論です。「改憲すればコロナ対策は安心」「ウクライナは核兵器をもっていないからロシアにやられた。だから日本はもつべき」などの有権者の思考回路もきちんと分析する必要がある。その上で有権者の皆様に以下のことを考えていただくことではないでしょうか?

自民党や補完勢力がいうような緊急事態条項で総理に権限を集中させる形で憲法を変えたらコロナ対策がうまくいくのか?

ソバや小麦などをウクライナとロシアで多くをつくっている中で、国内でろくにつくれない日本が軍備だけ増やして意味があるのか?

ウクライナ以外にも大国に対抗して核兵器を持ち出す国が次々現れたら核戦争のリスクは増えるのでは?

今までの原発製造ふくむ重厚長大産業に過度に期待する産業政策で広島の将来は大丈夫なのか?

正直、現時点の広島では、頭ごなしに正論をぶっても反感だけがのこると感じます。まずは冷静に考えていただく。そういう作業の積み重ねがいまは大事なように思います。

こういう二大政党による大政翼賛会化の背景には小選挙区制もあります。筆者は小選挙区制の廃止も公約していますが、まずは、いまのピンチを切り抜けないといけません。

もちろん、筆者としても、参院選立候補へ向けた準備は続けますが、他方で広島県選挙区において、自民党と補完勢力による独占をふせぐため、最大限の努力もしていまいります。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

50年前の今頃、私は同志社大学の学費値上げ阻止闘争のバリケードの中にいた。それは、それまでに盛り上がった学園闘争などに比べると小さなものではあったが、私たちにとっては全身全霊を懸けた〈決戦〉だった。

 

全学無期限封鎖に入ったことを知らせる立て看板

決戦は2月1日だったが、1月13日の全学学生大会で無期限封鎖を決議し、来るべき決戦に備え意志統一し緊張感のある日々だった。

少なくとも私は、この50年間、時にだらけたり時に絶望したり、いろいろなことがあったが、その闘いを貫徹できた矜持を持って生きてきたつもりだ。

学費闘争、あるいはその前後の沖縄─三里塚闘争、連合赤軍事件については、先般発行し現在発売中の『抵抗と絶望の狭間──一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾増刊)に長く拙い文章を綴り、詳しくはこちらをご覧いただきたいが、想起すれば、いまだに頭の中が錯綜する。連合赤軍事件が表面化したのも、逮捕され獄中に在ったさなかだった。

60年代後半から始まった全国学園闘争の波も引き、前年71年の沖縄─三里塚闘争も多数の逮捕者を出し、喧伝された「激動の70年代」も出鼻を挫かれた恰好だ。しかし、このことは上記書でも強調しているが、71年の闘いは地味で霞んでいるように思われているが、決してそうではなく、現在に比べれば、遙かに盛り上がったことを、あらためて申し述べておきたい。

全国の私立大学、また国立大学の学費大幅値上げに対する抗議と抵抗も一定の盛り上がりを見せたが、いつのまにか萎え、最後まで闘いを持続していたのは、さほどなかった。

しかし、ここを何としても体を張って阻止しなければ、学費値上げはどんどん拡大するという認識だったが、これが当たったことは、その後の私立、国公立問わず学費値上げの事実を見れば歴然だろう。信じがたいかもしれないが、当時国立大学の学費は年間1万2千円、つまりひと月千円であるが、物価の水準も上っているとはいえ、その50倍ほどになっている。

私立大学にしても、現在年間100万円ほどにまで膨れている。私が入学した1970年、入学金3万円、施設費3万円、学費6万5千円、計12万5千円だったが、こちらも10倍ほどに上っている。

しかし、68年の中央大学では学費値上げの白紙撤回を勝ち取っている。私たちは、これを見て、学費値上げは必ず阻止できると信じ、身を粉にして闘った。つまり、私たちが「革命的敗北主義」「敗北における勝利」の信念のもと先頭になって闘いを貫徹すれば、たとえ私たちが一時的に敗北したとしても、必ずや私たちの闘いに触発された学友が続くであろうと信じてやまなかった(が、時代はもう変わっていて、逆に運動は脆弱化し、その中から政治ゴロや簒奪者らの介入や跳梁を許すことになった)。

弾圧を報じる京都新聞72年2月1日夕刊

あれからあと数日で50年になろうとしている。──

2月1日に、かつての学生会館(今は取り壊され寒梅館となっている)前に結集し、この50年に各自どのように生きてきたか語り合いたい。私の人望のなさのせいで何人集まるか判らないが、人数の問題ではない、あの闘いを共に貫徹した誇りを甦らそうではないか!

蛇足ながら、1969年に創業した鹿砦社は、その前日の72年1月31日に設立(株式会社化)している。この時のメンバーは『日本読書新聞』(現在廃刊)にいた天野洋一(故人)、前田和男(『続 全共闘白書』編集人)らである。

◎2月1日当日の概要は別途掲載の案内をご覧ください。締め切りは過ぎていますが、参加希望の方は今からでも私にご一報ください。(松岡利康)

2・1学費決戦50周年の集い案内

大手のマスコミが社会の木鐸としてきちんと機能し、いままで埋もれていた問題に光を当てて政府や自治体を大きく動かした。最近、こういう例は少ないように思えます。

 

毎日新聞取材班『ヤングケアラー 介護する子どもたち』毎日新聞出版

しかし、その例外といえるのが、今回ご紹介する、「ヤングケアラー」問題における毎日新聞取材班の活躍ではないでしょうか? 今回の書籍のもととなった、毎日新聞連載「ヤングケアラー幼き介護」は第25回新聞労連ジャーナリズム大賞を受賞しています。

◆統計さえなかったヤングケアラー

ヤングケアラーは法令上の定義はありませんが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされています。

ケアの負担が重くなると、学業や友人関係、就職などにも悪影響を及ぼし、時にはその子の人生を大きく左右してしまうケースもあります。いっぽうで、「親孝行な子」「きょうだいの仲がいい」などと言われて「支援の対象」とは認識されなかった面があります。しかし、毎日新聞取材班が取材を始めるまでは、統計さえなかったのです。

統計を目的の数字を得るために、調査票レベルから再集計してもらうオーダーメイド統計という制度があります。取材班はこれを活用して、就業構造基本調査を再集計してもらい、2017年に3万7000人の15-19歳のヤングケアラーがいる、ということをつかみ、2020年3月に報道しました。

◆知事と議会がねじれの埼玉県が先行、そして国も動き出す

取材班のねばりつよい報道の中で、国も重い腰を上げて調査に乗り出します。2021年4月に公表された調査では中2の5.7%、高2の4.1%が世話をしている家族がいる、と回答しています。これにもとづき、政府も支援策を打ちだしはじめました。(※ヤングケアラーについて

いっぽう、埼玉県では国より一歩先に調査を行いました。回収率86.5%のアンケートで高2の4.1%がヤングケアラーであることがわかりました。なお、これは、国と違って、「(疾病や障害のない)きょうだい」のケアを抜いた数字です。きょうだいのケアでも負担が過重になれば学業などに問題が出てきます。

ちなみにこの埼玉県では家族を介護する人を支援するケアラー支援条例が野党共闘推薦の大野知事に対する野党・自民党(県議会では多数派)の提案により2020年3月議会で成立しました。知事に対する独自性を見せようとする埼玉自民党の戦略ではあります。しかし、こういう議会と知事のねじれの状況だからこそ、施策が進んだということは興味深く感じました。

◆当事者の想いも多種多様 受容の上できめ細かな対応を

ここで、気をつけたいのは、当事者の想いも多種多様であるということです。埼玉県の調査でもヤングケアラー該当者の38.2%が必要な支援は「特にない」ということです。「本当に大変な人はそっとしておいてほしい」という自由記入がそれを物語っています。

大人といえば、学校の先生を筆頭に、「上から管理」してくるもの。いわゆるブラック校則などを背景にそういう認識が日本の子どもの間で強いのは当たり前です。大人を警戒してしまう気持ちもわかります。

これまで、「家族のケアを理由に遅刻・欠席しても、先生に怒られるだけだった」という人。他方できょうだいをケアすることで「えらいね」とほめられた経験が強い人。いろいろいらっしゃいます。急にいまさら「大変だ」と大人に騒がれても白けてしまう気持ちはわかります。

また、本書にもありましたが、精神疾患を持つ親族をケアしている場合は、とくに支援をもとめにくい状況があります。精神疾患は恥ずかしいことではない、という文化を根付かせていくことも大事であると痛感しました。わたしたち介護・福祉職も高齢者やおとなの障害者相手なら「受容」(まず話を聞いて受け入れる)よう叩き込まれていても、子ども相手ではついつい上から目線になってしまいがちかもしれない。

イギリスは家族を介護する人を大人も子ども関係なく支援する仕組みが充実している国です。そのイギリスでは、ヤングケアラーのイベントがあり、医療・福祉行政担当者に直接要望する場があるそうです。

まずは、話を聞いてもらいやすい環境を整えた上で、教育や医療・福祉関係者が連携しての個人にあわせたきめ細かな支援ではないでしょうか?

◆10年前以上前からケアラー支援法は筆者の公約

わたくし・さとうしゅういちは、2011年、県庁を退職してあの河井案里さんと対決するため、立候補した県議選でイギリスの介護者支援法を参考に「家族を介護する人を応援する基本条例(基本法)」制定をおそらく、広島県内の候補者でははじめて公約としました。

まず、基本法をつくり、高齢者や障害者など要介護者だけでなく、家族を介護する人も支援するような福祉サービスのあり方をつくっていく。気軽に相談しやすい仕組みをつくっていく。こうしたことを構想していましたし、今後も政府の施策の改善点の提案を中心に取り組んでいきたいと思います。

◆ケア負担を家族に過剰に抱え込ませる新自由主義の打破を

介護保険制度を担当する広島県庁マンだった時代から、ケアに対する社会的評価が低いこと、それと連動して、家族で抱え込んでしまう傾向が強いことに危機感を覚えていました。

子育てから介護まで「嫁」(現役世代女性)に全てを抱え込ませることを前提としてきたといっても過言ではありません。それと連動して、介護や保育などの労働者は「女の仕事」として低賃金に据え置かれてきました。

最近では、諸外国にくらべればまだまだとはいえ、男女平等も進んできています。また、家族の人数も減少している。そういう中で、「嫁(母親)にすべてを抱え込ませる」状況は崩れている。しかし、妻を介護する側に回った男性が悩んだあげくに妻を殺してしまう事件は当時から広島市内でも頻発しています。あるいは、母親もハードワークせざるを得ない低所得者層を中心に、子どもにしわ寄せがいく例も多くなっていると推察されます。

昔は、大手企業男性正社員世帯主を前提に嫁・妻・母親たる現役世代女性にケアをすべて抱え込ませる家族の在り方を前提に家族に過剰にケアを抱え込ませる社会の仕組みでした。そういうあり方がたちゆかなくなっていることからこの20-30年近く、目をそらし、家族に過剰に抱え込ませるような仕組みを温存してきたことが、男性介護者による妻殺害やヤングケアラー問題として噴出しているとも感じます。

なお、「大阪維新」の政治家などの中には旧来型政治への批判を装い、「日本はシルバー民主主義でけしからん! 高齢者サービスを削って若者優先を!」という趣旨の扇動で一定程度成功している方もおられます。しかし、高齢者サービスを削ることは、逆に高齢者の家族であるところの若者を追い込んでしまうのです。維新の世代間闘争に見せかけた家族への過剰なケア負担の押し付けは岸田自民党以上に危険です。

当面は、財政出動によるサービス充実、そして中長期には、コロナ災害の下でも過去最高益を出しているような超大手企業や超大金持ちの方々に適切にご負担いただくことでサービスを増強するよりないでしょう。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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