国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

2人目は菊池則明氏。2018年6月11日、その4年前に静岡地裁(村山浩昭裁判長、大村陽一裁判官、満田智彦裁判官)が認めた袴田さんの再審を取り消す決定を出した東京高裁(裁判長は大島隆明氏)の裁判官の一人だ。

現在は新潟家裁の所長をしている菊池則明氏(裁判所のwebサイトより)

◆「菊池氏の略歴」と「菊池氏への質問」

菊池氏は1959年5月13日生まれ、茨城県出身。大島裁判長らと共に袴田さんの再審を取り消す決定を出した約10か月後の2019年4月1日に千葉家裁に異動し、2021年9月20日から新潟家裁の所長を務めている。

なお、裁判所のウェブサイト上の新潟家裁のページでは、菊池氏が同家裁の所長として以下のような挨拶をしている。

家庭裁判所は、令和元年に70周年を迎えました。発足から現在までの間に社会経済状況は著しく変化し、家族形態の変容、個人の権利意識の高揚、少子高齢化の進行等を背景に家族内紛争の様相も大きく変わっています。また、件数こそ減少傾向にあるとはいうものの、少年の非行問題は複雑化し、より困難な事例も後を絶ちません。このような諸問題に取り組み、家庭内の紛争や悩みを解決し、未来を担う少年の健全育成をはかるという家庭裁判所の役割に対する国民の皆さんのご期待はますます高まっているといえましょう。

新潟家庭裁判所が、このような皆さまのご期待に十分応えることで信頼を寄せていただけるような存在になりますよう、所長として精一杯力を尽くしていきたいと考えています。よろしくお願い申し上げます。

そんな菊池氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、新潟家裁に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。菊池様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

裁判所のwebサイト上の新潟家裁のページでは、菊池様が同家裁の所長として以下のような挨拶をされています。

〈家庭裁判所は、令和元年に70周年を迎えました。発足から現在までの間に社会経済状況は著しく変化し、家族形態の変容、個人の権利意識の高揚、少子高齢化の進行等を背景に家族内紛争の様相も大きく変わっています。また、件数こそ減少傾向にあるとはいうものの、少年の非行問題は複雑化し、より困難な事例も後を絶ちません。このような諸問題に取り組み、家庭内の紛争や悩みを解決し、未来を担う少年の健全育成をはかるという家庭裁判所の役割に対する国民の皆さんのご期待はますます高まっているといえましょう。

新潟家庭裁判所が、このような皆さまのご期待に十分応えることで信頼を寄せていただけるような存在になりますよう、所長として精一杯力を尽くしていきたいと考えています。よろしくお願い申し上げます。〉

菊池様は、袴田さんの再審を取り消した決定について、国民の期待に十分応える決定だと思われますか? また、東京高裁がこの決定により国民から信頼を寄せられる存在になったと思われますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※菊池氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

1人目は、大島隆明氏。2018年6月11日、その4年前に静岡地裁(村山浩昭裁判長、大村陽一裁判官、満田智彦裁判官)が認めた袴田さんの再審を取り消す決定を出した東京高裁の裁判長だ。

現在は弁護士と大学院の教授をしている大島隆明氏。大学院では「人気教員」らしい(『スタディサプリ社会人大学・大学院』より)

◆「大島氏の略歴」と「大島氏への質問」

大島氏は1954年7月28日生まれ、東京都出身。袴田さんの再審を取り消す決定を出した約2か月後の2018年8月3日付けで依願退官。現在は、東京都港区南青山にある『西綜合法律事務所』に弁護士として所属しつつ、日本大学大学院法務研究科の教授を務め、学生たちに刑事訴訟などを教えている。

なお、リクルートが運営する『スタディサプリ社会人大学・大学院』というサイトでは、大島氏が日本大学大学院法務研究科の教授という立場で受けたインタビューをまとめた記事(URLはhttps://shingakunet.com/syakaijin/0001763189/0001867405.html)が、〈【インタビュー】人気教員は社会人をどのように指導しているのか?〉という見出しを付されたうえで配信されている。

そんな大島氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、『西綜合法律事務所』に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。大島様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

リクルートが運営する『スタディサプリ社会人大学・大学院』というサイトにおいて、大島様が日本大学大学院法務研究科の教授という立場で受けられたインタビューをまとめた記事(URLはhttps://shingakunet.com/syakaijin/0001763189/0001867405.html)が、〈【インタビュー】人気教員は社会人をどのように指導しているのか?〉という見出しを付されたうえで配信されていることに関して、質問させて頂きます。

日本大学大学院法務研究科では、大島様が袴田さんの再審を取り消す決定を出した裁判長であるという事実は、学生の方々に周知されていないのでしょうか? それとも、学生の方々にその事実が周知されていてもなお、大島様は学生の方々から人気があるのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※大島氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成二十八年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

今月号では、私たちの個人情報に関する問題をテーマのひとつに置きました。マイナンバーカードは「令和4年度末までに、ほぼ全国民に行き渡ることを目指す」と閣議決定(2021年6月)されています。国民の利便性を高めるためならば、取得したい人が取得すればいいのであり、この目標自体に、政府の側にメリットがあることが見えてきます。国家が国民の個人情報を一元化し、独占すること。その先にあるのが「超監視社会」ですが、それがどのようなものなのかに、私たちの想像力が試されているようです。

 

本日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年3月号

これまで連続して本誌で採り上げてきたコロナワクチン薬害の問題は、昨年暮れごろから週刊誌でも次々と報じられるようになっています。接種開始から日を追うごとに被害者が増加するなか当然ともいえますが、時期を同じくして、テレビではファイザー社のCMがバンバンと流されています。本誌今月号では初代ワクチン担当大臣として日本国内の接種拡大を牽引、その手腕をマイナンバーカード普及に活かすことを期待されて、現在はデジタル大臣を務める河野太郎氏の手法に注目しました。

「安保3文書」改訂をめぐる問題も、このところ本誌で重点的に論じてきたひとつです。東京新聞が情報開示した防衛省内の検討過程の議事録は黒塗り。それでも、その内容は、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えた程度の生易しいものではなく、自衛隊が他国の領土内を攻撃できるということ。そのための体制づくりが今、猛スピードで進められています。これについて、岸田政権は安倍政権よりひどい、という言い方が聞かれますが、安倍政権の解釈改憲が、いまの流れの前提にあります。まさに「戦争法」だったわけで、私たちはその先を考える必要があります。

その自衛隊では人材確保がかねてからの課題とされており、アニメ作品とコラボしたポスターを制作するなどして、隊員募集に勤しんできました。その際には災害支援が前面に押し出されてきましたが、米軍の下請けとして海外の戦地へ派遣される機会が増加するのは確実です。そんな自衛隊の隊員募集においてもっとも重要なのが、募集対象者の個人情報を集めること。今月号では福岡市民の若者の個人情報が、実質的に無断で自衛隊に提供されている事実をレポートしました。マイナンバー制度においても、銀行口座等の紐づけは、個別に意志を確認することなく行なわれる方針とされています。マイナンバーカードの普及では、税金を原資としたポイント還元で国民を釣る手法が成功を収めているようですが、私たちは警戒し、拒否の意思を示していかなければなりません。

広島拘置所から本誌で連載してきた上田美由紀さんが、1月14日に亡くなりました。死因について「誤嚥による窒息」と発表されているものの、拘置所内の体制に不備がなかったか、厳密な調査が行なわれるべきでしょう。今月号では刑務所・留置場等で相次ぐ死亡事件について、検証を行なっています。いわゆる「ルフィ」事件でフィリピンの刑務所が「悪人の楽園」などと流布されていますが、一方で日本の刑事施設が収容者の人権をどのように扱っているかも、この機会にこそ問われるべきだと考えています。「紙の爆弾」は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

「紙の爆弾」編集長 中川志大

本日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年3月号

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0BTHJ72PM/

個別具体的な冤罪事件について、冤罪であることをしっかり伝える記事を書こうと思えば、当事者に対するセカンドレイプ的なことも書かざるをえない場合が多い。こんな話をすると、被害を訴える女性の事実誤認で生まれることが多いと言われる痴漢冤罪を思い浮かべる人が多そうだが、私の経験では、何より殺人事件にそういうケースが多い。

◆被害女性が売春をしていたことが冤罪報道に欠かせなかった東電OL事件

たとえば、無期懲役刑に服した無実のネパール人男性が2012年に再審で無罪判決を受けた東電OL殺害事件(発生は1997年)はその最たる例だ。

副業で売春をしていた東京電力の会社員の女性が、副業の接客に使っていた渋谷の賃貸アパートの一室で他殺体となって見つかったこの事件では、様々なメディアが競うように女性のプライバシーを暴き立てた。そのため、被害者へのセカンドレイプ的な報道が行われた顕著な事例として語り継がれている。

だが一方、ネパール人男性が犯人と誤認された原因は、現場アパートの一室で被害女性を買春し、使用済みのコンドームを残していたことだった。そのため、男性が冤罪であることを伝える報道をしようと思えば、被害女性が副業で売春をしており、現場の部屋は接客用に使っていたという事実を前提として伝えることが欠かせなかった。

また、2016年に再審で無罪判決が出た東住吉女児焼死事件(発生は1995年)も同様のケースだ。民家の火災で小学生の女の子が焼死したこの事件で、母親と内縁の夫の2人が保険金目的の放火殺人を行ったと誤認され、無期懲役判決を受けた原因の1つは、女の子の遺体に内縁の夫から性被害を受けた痕跡があったことだった。つまり、冤罪の原因をしっかり報道するには、まだ小学生だった女の子の性被害の情報まで伝える必要があるわけだ。

◆冤罪被害者を傷つけかねない情報が冤罪報道に欠かせない場合も……

一方、2020年に再審で無罪判決が出た湖東記念病院事件(発生は2003年)は、冤罪であることを報道するために冤罪被害者を傷つけかねない情報を伝える必要があったケースだ。看護助手をしていた冤罪被害者の女性は、入院患者の男性が病気など何らかの事情で亡くなったことについて、「人工呼吸器のチューブを外して殺害した」という虚偽の自白をし、懲役12年の判決を受けたが、虚偽の自白をした原因は取り調べ担当の男性刑事に恋心を寄せたことだった。

実は他ならぬ私自身が、この事件の再審が始まる前、女性が虚偽の自白をした原因が上記のようなことだと言及する記事を某ネットメディアで書いたところ、コメント欄に女性を誹謗する声が多数寄せられる想定外の事態となった。女性はそのことで私を悪くは言わなかったが、私は自分自身がセカンドレイプの原因にったように思え、しばらく心が重たかった。

このほかにも、殺人の冤罪には、当事者に対するセカンドレイプ的な情報も伝えなければ冤罪だと説明できない事件は枚挙にいとまがない。それに加え、私は自分自身が上記の湖東記念病院事件のような苦い経験があるため、セカンドレイプ的な内容に批判が集まる事件報道を見ても、無下に否定できないでる。

◎[過去記事リンク]片岡健の「言論」論 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=111

※著者のメールアドレスはkataken@able.ocn.ne.jpです。本記事に異論・反論がある方は著者まで直接ご連絡ください。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

YouTube配信サイトであるニューソク通信は、1月8日、診断書の不正交付をめぐる問題をクローズアップした。タイトルは、「内部告発で医療界に激震!! 安易な診断書交付が悲劇を生む!! 化学物質過敏症の深い闇!! 横浜副流煙裁判との共通点とは…?」。

番組のキャスターはジャーナリストの須田慎一郎さんで、出演者は舩越典子(典子エンジェルクリニック、大阪府堺市)医師と筆者(黒薮)の2名だった。

周知のように横浜副流煙裁判では、日本禁煙学会の作田学医師が原告のために交付した診断書が問題になった。客観的な事実とは異なる所見が記された診断書が争点のひとつに浮上した。しかも、その診断書を根拠に、被告に対して原告が4500万円を請求したのである。

この裁判では、宮田幹夫・北里大学名誉教授(そよ風クリニック)も、原告のために診断書を交付していた。それは「化学物質過敏症」の病名を付したものであった。

この診断書自体に何か問題があるわけではないが、昨年の暮れごろから、舩越典子医師が、宮田医師の診断書交付行為そのものを疑問視する声を上げた。

「化学物質過敏症」の病名を付した診断書を容易に交付しているというのである。筆者も、このような宮田医師に対する評価は、取材先でよく聞いていた。

「宮田先生のところへ行けば、診断書を交付してもれる」
 と、言うのである。

◆そよ風クリニックへ患者を送れ

発端は、舩越医師の外来を受診した女性患者だった。舩越医師は、問診や眼球の動きをみる検査などを実施した。検査結果の評価については、外部の専門家にも相談した。その上で化学物質過敏症とは診断しなかった。それでも念のために患者を宮田医師に紹介した。宮田医師はこの患者を診察して、化学物質過敏症の病名を付した診断書を交付した。

患者に対する所見は医師によって異なるのが普通だから、最初、舩越医師は宮田医師による診断を疑問視することはなかった。ただ、宮田医師が実施した検査の結果を知りたいと思ったという。

ところがその後、宮田医師が舩越医師に対して書簡を送付し、その中で前出の患者について、精神疾患か化学物質過敏症かを判断できないまま、「化学物質過敏症」の病名を付した診断書を交付した旨を伝えてきたのである。しかも、今後、舩越医師が化学物質過敏症の診断に迷う時は、患者を自分のクリニックへ送るように言ってきたのである。検査結果は添付されていなかった。

昨年末、筆者は現場に足を運びそよ風クリニックを確認した。左の建物の2階がクリニックで、右の1階がコインランドリー

◆顔出し・実名による内部告発
 
わたしは、横浜副流煙裁判(反訴)の原告・藤井敦子さんを通じて舩越医師と面識を得た。藤井さんは、不正な診断書交付により被害を受けたこともあって、この診断書の不正交付には敏感だった。そこでニューソク通信にネタを持ち込んだ。

ニューソク通信は、宮田医師の診断書交付をテーマとしたYouTubeを制作することを決めた。最初は筆者がひとりで津田信一郎さんのインタビューを受ける予定になっていた。と、いうのも舩越医師が顔出し・実名による内部告発を嫌ったからだ。

しかし、藤井さんが、実名で告発するように舩越医師に強く勧めた。それに応じて、舩越医師がカメラの前で実名を名乗り、事件の詳細を語ることを決意したのである。

◆日本の言論の自由度

いつの時代からか、メディアに登場する際には、顔と実名を隠すのが半ば当たり前になってしまった。ドキュメンタリーの原則が無くなっていた。その悪しき影響をわたしも受けていたのか、最初、舩越医師の名前を匿名にすることに疑問をさしはさむことはなかった。

しかし、冷静に考えてみると、特別な事情がある場合は別として、実名で顔をだして内部告発するのが常識なのである。何も悪いことはしていないうえに、他人を批判するときは、自身の責任を伴うからだ。

ちなみに横浜副流煙裁判(反訴)の原告・藤井夫妻は最初から実名主義を貫いている。それが功を奏して、裁判を通じて禁煙ファシズムに対する批判はどんどん拡散している。強い説得力を発揮している。

舩越医師が藤井さんとコンタクトを取れたのも、実名を名乗り素顔を出していたからにほかならない。こんな当たり前のことが困難に張っている背景に、日本の言論の自由度が現れていないか。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

日本で唯一の冤罪ラジオ番組を企画制作しながら、冤罪犠牲者の会事務局長を務めておられるなつし聡さん。インディーズレーベル「アルファミュージックデザイン/ユメミノ音泉村」を主宰しながら音楽活動をしていたなつしさんに、冤罪問題にかかわり始めたきっかけ、現在放送している「塀の中の白い花~ほんとに何もやっていません」で取り上げた事件についての思い出、冤罪をなくす、減らすために、私たちはどうしたらよいかなどについて語っていただいた。[聞き手・構成=尾崎美代子]

── なつし聡さんは、えん罪ラジオ番組「塀の中の白い花~ほんとに何もやっていません」をやっておりますが、そもそも何がきっかけで冤罪に関心をもたれたのでしょうか?

なつし その番組は2017年8月より続いていて、丸5年を過ぎたところです。私は元々音楽関係の仕事をしていまして、音楽編集の技術があったので、それがそのまま番組編集に役立ち、ラジオ番組の企画制作をやるようになりました。若いころから冤罪には関心があったので、集会やイベントには時々出かけていました。

約10年前「SAYAMA~見えない手錠をはずすまで」という狭山事件の石川一雄さんご夫妻に密着した映画のイベントに行きました。ゲストに来ていたのが布川事件の桜井昌司さん、一緒に逮捕された杉山卓男さん、足利事件の菅家利和さんでで、映画監督の金聖雄さんが「それでは獄友の皆さんをご紹介します」とゲストが紹介しました。皆さん、獄中にいたとは思えない爆笑トークで、主に笑いをとるのは桜井さんなんですが、「俺たち、立候補しますよ!ムショ族で」とか。杉山さんが「やっと真人間になりました」というと、すかさず桜井さんが「なってない、なってない!」と釘を刺す。プロのコメディアンみたいに絶妙の間を持っていました。

獄友トークが終わると、桜井さんが2曲ほど歌うというので、一応音楽家の私は「参ったなあ。このオッサン、ここで歌うの?」と思ったのです。カラオケが流れてきて、1曲目に「闇の中に」という、獄中で作ったという歌、房の中から小さな窓の向こうに見える闇を眺めながら、少年時代の自分や両親への想いを切々と歌っている曲でした。私の好きな音楽とは全く違う曲調ですが、歌詞の言葉がどんどん私の中に入ってきて、謳われている情景が鮮明に脳裏に浮かびました。「これはすごい歌を聴いてしまったな」というのが率直な感想で、イベント終了後に桜井さんのCDを買い、数日間聴きこみました。

彼を番組にゲストで呼びたいなあと思いましたが、私がそのとき持っていたのは音楽番組です。「音楽番組に冤罪当事者を呼んでもなあ。そうだ、彼をシンガーソングライターとして呼ぼう!」と思いつき、金監督に連絡を取って貰いました。私の事務所兼倉庫で収録を行いました。驚いたことに桜井さんはラジオDJみたいに喋りがお上手なのです。ラジオというのは目の前にリスナーがいません。マイクに向かって喋る人は沢山いますが、リスナーに向かって喋れる人は多くいません。しかし、桜井さんは最初からリスナーに向かって喋っていました。

「そんなに喋りが得意なら、ラジオ番組やったらどうです?」と訊くと、間髪入れずに「やりたい!」という返事が返ってきました。「今まで、いろいろなことを自由にできなかったので、なんでも挑戦したいんです!」

「分かりました!では私が段取りつけるので、お金(電波使用料)とゲスト集めてください」

それから数か月後に始まったのが『桜井昌司の言いたい放題!人生って何だ!!』という番組です。

インタビューを受ける桜井昌司さん。奇しくも50数年前のこの日は、桜井さんがラジオで布川事件を知った日だった

── では冤罪ラジオ番組というのは、最初は桜井さんと何度かやって、それ以降いろんな方にお話を聞いていくという形になったのですね。これまでどれ位の方々に放送を行っているのでしょうか?

なつし 最初の『桜井昌司の言いたい放題!人生って何だ!!』という番組は、毎週放送でしたので、週に一度桜井さんにお会いしました。1回の収録で2週分の収録をするようになり、番組制作を通じて冤罪の世界にどんどん近づいていきました。しかし、毎週放送だと、放送したと思ったら、すぐに収録するという繰り返しで、放送日に追われて生きている感じになり、

少しゆっくりとした時間が欲しいということになり、この番組は1年半で終了します。

しかし冤罪ラジオ番組は日本でたったひとつだし、番組には使命があると感じていたので、新しい番組を作ることを考えていました。それが現在放送中の『塀の中の白い花~ほんとに何もやってません』です。これまでもう120人くらいインタビューしたと思います。2022年11月7日の放送が第142回放送でした。コロナの前は対面で収録していましたが、コロナ以降はオンラインや電話収録も取り入れています。放送予定に穴を開けられないので、収録はこの日までに終わらせるというスケジュールが必然的に出来てきます。ゲストの方とスケジュールが合わず、オンライン収録をする機会も増えてきました。ですが、なるべく同じ空間で録音するのが音質的にもベターです。

── HPに「暗い」「重たい」イメージの冤罪事件をわかりやすく伝えたいとあります。私も京都の平野義幸さんの事件で出演しましたが、なつしさんには、非常に話しやすく、話を引き出してもらいました。お話を聞く際、どんなことに気を付けてやっておりますでしょうか?

なつし 例えば司法の専門家が話すと、どうしても難しい専門用語、一般人には理解できない部分が多々できてしまいます。なるべく専門的にならないよう、普通の言葉で、話をするよう心がけています。毎回流れている番組のオープニングでは「この番組は冤罪が誰の身にも起こりうる身近な問題であることをお伝えし、一緒に考えていただくことを目指している番組です」というナレーションが入ります。この姿勢を忘れないようにしたいと思っています。

出演して頂いた時に、話しやすいと感じて頂けていたなら光栄なことです。お招きするゲストは事件の当事者の他、当事者に近い所にいらっしゃる方々です。私は質問をしながら、いろいろ教えていただく立場でいようと思っています。

── これまでとくに印象に残っている方やお話などありますでしょうか?

なつし やはり冤罪の世界に足を踏み入れるきっかけとなってくれたのは桜井昌司さんです。『桜井昌司の言いたい放題!人生って何だ!!』のエンディングでは、彼が「皆さん、親孝行してくださいよ」と毎週言っていたのを思い出します。その番組ではDJが桜井さん、私は録音編集係。ヘッドフォンをしながら、彼の「皆さん、親孝行してくださいよ。生きているうちしか親孝行出来ませんから」という声を耳元で毎回聴いたわけです。親に対する姿勢を変えてくれた言葉です。

あと青木惠子さんが初めて無罪判決を聴く場面の話は強烈に印象に残っています。彼女はいろんなことを思い出していて、裁判官の声が聞こえなかったそうです。しかし、裁判官が退廷する際、青木さんのほうを振り返って、まるで「もう大丈夫」というかのように頷いたそうなのです。青木さんはその瞬間に「ああ、無罪だ。すべて終わったんだ」と初めて理解したそうです。それを聞いたらもう泣けて泣けて、涙が止まらなくなって、録音を停止しました(苦笑)。

ナビゲーターのなつし聡。取り調べの苛酷さに驚きを隠せない

── なつしさんは冤罪犠牲者の方の面会や差し入れも行ってますね?

なつし 面会に行っているのはまだ2人なんです。1人は私が支援団体の会報を作っている鈴鹿殺人事件の加藤映次さん。彼とは主に会報の打ち合わせがメインの話題です。冤罪犠牲者の会に送られてくる手紙は私が最初に開封するので、私が返事を書けば文通が始まることになります。冤罪犠牲者の会の会員で、なおかつ獄中で無実を叫んでいる人は約20人いまして、このほぼ全員と文通したり、本や冊子を送ったりしています。

── やはりHPに、このラジオ番組を初めて以降、えん罪は減るどころか増えていると書かれていました。私もそう感じています。青木恵子さんが支援している杠さん(滋賀県バラバラ殺人事件)のように、本人がえん罪犠牲者と自覚できてなくて、「何故こんなことが起きたのか?」と考えていたら、ジャーナリストの今井さんが「冤罪ではないか」と面会され、えん罪だとわかったような事件もあると思います。多分、そういう方は多数おられると思います。

なつし 事件も事故もないのに容疑者になってしまう、そんなケースまであることを、私も知り、ショックを受けました。冤罪を作っているのは警察と検察です。中には正義感に燃えている(燃えていた?)人もいると思いますが、彼らは「正義より組織」という価値判断で動きます。若い頃に抱いた志は忘れてしまうのか、過ちは絶対に認めないし、謝罪もしません。権力を持っている分、ヤクザより悪質です。あ、興奮してきてしまいました。

ある日突然、事件に巻き込まれ、「え? 何? 俺が殺人犯? なんで?」と思っている人は何人もいます。日本の司法制度は中世並みと言われて久しいですが、このままでは本当に世界中の笑いものです。

インタビューの合間に将棋に興じるふたり。桜井さんは千葉刑務所の将棋大会でも敵なしのチャンピオンだった

── このラジオ番組のほかに、なつしさんは「冤罪犠牲者の会」の事務局も務めておられます。会はどういう目的で作られ、どういう活動を行っているのでしょうか?

なつし 「冤罪犠牲者の会」は、2019年3月2日に結成総会が行われました。桜井昌司さんが発起人となり、全国各地で冤罪犠牲者がバラバラに上げていた小さな声を束ねて、大きな声にしていこうという目的で結成され、5つの実現目標を掲げています。

①裁判当事者への証拠閲覧権付与
②再審決定後の検察上訴権廃止
③国会における冤罪原因調査委員会設置
④捜査関係者・裁判関係者(証拠のねつ造・改ざんに関与した者)の責任追及
⑤再審審査会の設立と証拠管理の厳格化(再審判断を第三者の手に委ねる)です。

現在、「冤罪犠牲者の会」と「再審法改正をめざす市民の会」の合同で、再審法改正の必要性を訴えるため国会議員会館の全議員事務所をまわる要請行動を実施中です。再審法を改正してもらうためには国会議員の51%以上の賛成が必要だし、その前に超党派の議員連盟を作っていただかなくてはならない。それを訴えるための地道な陳情行動です。なにせ衆院の定数は465もあります。2日かけて衆院第1議員会館が終了、第2議員会館は半分残ってしまいました。続きは後日。参加した全員が腰痛になりました。しかし、これはやらなくてはいけません!

── 確かにそうですね!そしてラジオ番組が2年前海外メディアから取材を受けた件で、今回「カンヌ コーポレート メディア & テレビ アワード」の政治問題ドキュメンタリー部門の最高賞「金イルカ賞」を受賞されたということですが。

なつし 受賞したのは制作者で、私は出演者の一人にすぎません。この賞「カンヌ コーポレートメディア & テレビアワード」は、企業映画、オンラインメディア、テレビ制作に特化した国際フェスティバルで、毎年10月にフランスのカンヌで開催されています。カンヌは映画祭で有名ですが、これはメディア業界で最も重要なフェスティバルのひとつと位置付けられているようです。

最初、私はラジオDJとしてインタビューを受けたり、桜井さんや袴田ひで子さんにインタビューしたり、撮影に協力していましたが、いつの間にか、私を番組のナビゲーター的な立ち位置で描いた編集がなされ、私自身かなり照れくさいと言いますか、驚いています。撮影スタッフは1人の日本人女性を除いて、すべて外国人。しかし、彼らは日本の「人質司法」を良く調べていて、設定した目標に向かって着実に仕事をしている、そんな印象を受けました。とても貴重な体験をさせていただきました。

制作チームのASHI FILMS

── 読者の皆さんにもぜひ視聴して頂きたいですね。最後に「再審法改正」問題含め、今後の抱負などお話下さい。

なつし はい。日本は、国連人権理事会にあるUPR(普遍的定期的審査)から218項目もの改善勧告を受けていながら、ずっとこれを無視してきました。女性の地位が低い、女性の社会進出が難しいなどジェンダー平等に関する問題から、死刑制度存置まで、様々な人権問題が未解決だと指摘されています。世界から見れば、日本は人権後進国です。例を挙げればきりがないですが、統一教会に対して解散命令が出せない現状、被害者救済が遅れている現状、すべて人権に関係があります。海外では小学校から人権教育と主権者教育を行っているそうです。小学校から人権とは何かを教え、国の主、主権者は一般市民なんだと教える。政治家をセンセーなどと呼んでいる時点で日本は遅れています。道徳を必須科目から外して、人権教育と主権者教育を入れるべきだと思っています。そういった疑問点に気づいていただけるよう、問題提起の道具としてラジオを使っていきたいと考えています。

── 今日はどうもありがとうございました。

◎[関連リンク]えん罪ラジオ番組「塀の中の白い花~ほんとに何もやっていません」

◎[関連リンク]なつし聡 オフィシャルサイト

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

2014年に起きた「川崎老人ホーム連続転落死事件」では、同施設の介護職員だった今井隼人被告(29)が勤務中、80~90代の入所者3人を各居室のベランダから転落させ、殺害したとして一、二審共に死刑判決を受けた。しかし、無実を訴える今井被告は、現在も逆転無罪を諦めておらず、最高裁に上告中だ。

今井被告は本当にこの事件の犯人なのか。前編に引き続き、筆者が東京拘置所で今井被告と面会し、本人から聞き取った無実の訴えについて、事実関係に照らしながら紹介する。

◆自白が嘘なら、なぜ客観的事実に整合したのか?

今井被告の裁判の最大の争点は、捜査段階の自白が信用できるか否かということだ。

前編では、自白した理由に関する今井被告の説明には、とりあえず合理性があることをお伝えした。だが一方で、今井被告が自白した取り調べは録音録画されており、しかもその自白内容は客観的事実とよく整合している。

たとえば、仲川さんの事件について、今井被告は「仲川さんの部屋にあったパイプ椅子をベランダに持ち出し、その上に仲川さんを立たせたうえで転落させました」と自白しているが、実際に4階のベランダにはパイプ椅子が転がっていた。今井被告が本人の主張するように本当に無実なのであれば、なぜ、このような客観的事実と整合する自白ができたのか。

筆者がその点を質すと、今井被告は指を2本立て、「このような自白になった理由は2つあります」と言い、こう説明した。

「1つは、勤務中に仲川さんの部屋に入ることもあり、室内にパイプ椅子があったのを覚えていたことです。そしてもう1つは、仲川さんが亡くなった際に第一発見者に呼ばれ、ベランダに行って下を見た時、視界に“椅子っぽい物体”が入っていたことです。それで、取り調べでは最初、『仲川さんを“茶色い木の椅子”に立たせました』と供述したのですが、刑事に誘導され、最終的に『黒っぽいパイプ椅子に立たせました』と供述したのです」

この今井被告の説明については、納得しかねる読者もいるだろう。しかし、無実の被疑者がやってもいない容疑を自白する場合、自分が知っている情報をもとに「自分が犯人だったらどうするか」と想像しながら、やってもいない犯行を供述するのが一般的だ。今井被告の話は、冤罪における虚偽自白でいかにもありそうな話ではある。

一方、1人目の被害者・丑沢さんについて、今井被告は「丑沢さんを転落させた際には、丑沢さんの手を持ち、ベランダの柵に手をかけさせた」と自白している。そして実際、ベランダの柵には丑沢さんの指掌紋が付着しており、自白の内容がやはり客観的事実に裏づけられた形となっている。

今井被告はこの点について、こう説明した。

「僕は、丑沢さんが亡くなった時、警察の人たちが現場を調べていたのを見ていたのです。その時、『捜一』という腕章をした人がベランダの柵にポンポンと白い粉をつけていたので、丑沢さんの指掌紋がベランダの柵についていることがわかりました。それに合わせて、そういう自白をしたのです」

さらに今井被告はこう説明した。

「僕の自白は、犯人でなければ知りえない秘密の暴露はなく、供述心理学者の鑑定でも『犯行を体験していない可能性が高い』と判定されています。僕の自白は、あの施設の介護職員なら誰でも語れる内容なのです」

実際、一、二審判決を見ても、今井被告の自白の中に「秘密の暴露」にあたる供述があったとは示されていない。今井被告の話には、無下に否定しがたい説得力があるのは確かだ。

今井被告が収容されている東京拘置所

◆犯行予告のような発言をしたされる件の真相

ただ、裁判では、今井被告について、他にも怪しげな事実が示されている。

1人目の被害者・丑沢さんが亡くなった後、今井被告が同僚に対し、2人目の被害者・仲川さんや3人目の被害者・浅見さんが亡くなることを予見するような発言をしていたというのだ。

今井被告はこの点について、こう説明した。

「丑沢さんが亡くなった後、僕は再発防止のため、ベランダに防犯カメラをつけたり、柵を高くしたりすることを提案しました。それと共に自殺願望のようなことを口にしている危ない入所者の名前を4、5人挙げ、対策が必要だと言っていたのです。そのように名前を挙げた中に仲川さんと浅見さんもいたのです」

この今井被告の主張については、にわかに信じがたい読者もいると思われる。だが、よくよく考えると、仮に今井被告が犯人だとすれば、事前に犯行を予告するようなことを言い、疑われるリスクを高めるほうがむしろ変な話だ。

実際、一、二審判決を見ると、今井被告の主張を裏づける事実も示されている。浅見さんは事件前に「もう死にたい」「早く殺して」と口走っていたことが判明しており、丑沢さんも転落死する前、帰宅願望が高まり、「家に帰りたい」と言っていたというのだ。

これらの事実は、今井被告の主張を裏づけるのみならず、被害者たちが自ら転落死した可能性があることを示しているようにも思われる。

◆家族にも自白したのはなぜか?

もっとも、今井被告には、他にもまだ不利な事実がある。それは、警察に犯行を自白後、母親と妹にも罪を認める発言をしていることだ。

この点について、今井被告はこう説明した。

「母と妹に罪を認めたのは、取り調べの延長線上でのことです。警察で自白後、刑事から取り調べで話したことを母と妹にも話すように言われ、『やっていない』とは言えなかったのです。『やっていない』と言えば、刑事が機嫌を損ね、マスコミから守ってもらえなくなり、取り調べも元に戻ってしまうと思ったからです」

前編で既述した通り、今井被告は逮捕前からマスコミに追いかけ回され、「疑惑職員」と報じられたりもした。そして今井被告によると、刑事から「警察がマスコミから母ちゃんと妹を守ってやるから」と言われ、迎合してしまったことが、身に覚えのない罪を自白した理由の1つであるとのことだった。とりあえず、説明の辻褄は合っている。

だが、自白したら死刑などの重い罪になることはわからなかったのか? そう質すと、今井被告は、こう答えた。

「自白した時は、そこまで深く考えられませんでした。死刑とか、そういうことは思い浮かばなかったのです」

では、今井被告にとって、母親と妹はどのような存在だったのか?

「大切な存在です。うちは父親がいなかったので、僕は自分が家の長として2人を守らなければいけないと思っていました」

◆窃盗事件の被害者への思い

最後に、今井被告本人が聞かれたくないだろうことを突っ込んで、聞いてみた。

―― 今井さんは、どんな思いで介護の仕事をしていたのですか?

「僕が介護職員になったのは、祖父母を介護した経験が役に立つと思ったからです。実際、仕事は大変でしたが、人に感謝される仕事なので、やりがいはありました。被害者の方が亡くなった時はショックで、もうこういうことがないようにしたいと思っていました」

―― ただ、今井さんは、入所者から現金や貴金属を盗んでいた。そして、その盗んだ金で同僚におごったりしていたそうですが、なぜ、そんなことを?

「見栄を張りたかったんだと思います」

―― 窃盗の被害者の人たちへに対して、今、どんな思いを抱いていますか?

「申し訳ないことをしたと思います。示談が成立した人もいますが、人の気持ちはお金で買えません。取り返しがつかないことをしたと思っています」

終始堂々としていた今井被告だが、この時は殊勝な面持ちだった。ただ、答えをはぐらかすような様子はなく、正直に話している印象を受けた。

今井被告の冤罪の可能性については、今後も検証を続け、当欄でも報告させて頂きたいと思う。(完)

◎冤罪を訴え、最高裁に上告中 ──「川崎老人ホーム連続転落死事件」死刑被告人との対話
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44047
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44051

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[電子書籍版]─冤罪死刑囚八人の書画集─」(片岡健編/鹿砦社)

党綱領を自ら否定した自民党は即時解散せよ 岸田内閣改造人事の真相 月刊『紙の爆弾』2022年10月号

2014年に起きた「川崎老人ホーム連続転落死事件」では、同施設の介護職員だった今井隼人被告(29)が殺人罪に問われ、一、二審共に死刑判決を受けた。しかし、無実を訴える今井被告は、現在も逆転無罪を諦めず、最高裁に上告中だ。

筆者は、今井被告が本当にこの事件の犯人なのか疑問を抱き、今年の春頃から検証を始め、今井被告本人とも東京拘置所で計4回面会し、手紙のやりとりをしてきた。この取材を通じ、今井被告の冤罪の可能性は無下には否定できないと思うに至った。

前後編2回に分け、事実関係に照らしながら今井被告の無実の訴えを紹介したい。

◆事件のあらましと今井被告の第一印象

まず、事件の経緯を簡単に整理しておく。

事件が最初に世間の耳目を集めたのは2015年9月のことだった。前年(2014年)11、12月、川崎市の有料老人ホーム『Sアミーユ川崎幸町』で80~90代の入所者3人が4階と6階のベランダから転落死し、神奈川県警が捜査していると報道されたことによる。

それに伴い、同施設では、職員が入所者を虐待する事件や、職員が入所者から現金や貴金属を盗む事件が起きていたことも表面化。そのうち、盗みをはたらいた職員は、当時から転落死事件との関連を疑われてマスコミに追いかけ回され、週刊誌に「疑惑職員」と報じられたりもした。それが、当時23歳の今井被告だった。

翌2016年2月、神奈川県警は今井被告を殺人の容疑で逮捕。その決め手は、県警の任意調べに対し、今井被告が「被害者たちをベランダから投げ落とした」と“自白”したことだった。

その後、今井被告は裁判で自白を撤回し、無実を主張した。しかし、2018年3月、横浜地裁の裁判員裁判で入所者の丑沢民雄さん(事件当時87)、 仲川智恵子さん(同86)、浅見布子さん(同96)の3人を各居室のベランダから転落させ、殺害したとして死刑判決を受ける。そして、二審・東京高裁でも無実の訴えを退けられ、現在は最高裁に上告中という状況だ。

筆者が今井被告と初めて東京拘置所で面会したのは、今年4月初旬のことだった。今井被告はこの日、深緑色の長袖Tシャツを着た姿で面会室に現れた。

「頂戴したお手紙は届いています。同封されていた雑誌の記事のコピー、郵便書簡もありがとうございます」

今井被告は、落ち着いた口調でそう言った。坊主頭で、セルフレームの眼鏡をかけており、風貌は真面目そうな印象だ。体格は報道のイメージより大柄に感じられ、年齢のわりに物腰は堂々としていた。

◆取り調べで自白した理由

事前に取材の趣旨は手紙で伝えてあったので、筆者は今井被告に対し、単刀直入に質問した。

「本当に無実なら、なぜ一度、自白したのですか?」

今井被告は指を2本立て、「僕が自白した理由は大きく2つあります」と言い、以下のように説明した。

「1つは、マスコミから守って欲しかったということです。当時、僕と母、妹はマスコミに追いかけ回され、40人くらいに路上で囲まれたこともありました。カメラでパシャパシャ撮られ、『何もしていません』と答えても、『関与しているんでしょう』『本当はどうなんですか』と延々と言われ続けました。取り調べの刑事に『警察がマスコミから母ちゃんと妹を守ってやるから』と言われ、僕は刑事に迎合してしまったのです」

実際、今井被告が逮捕前からマスコミに追いかけ回され、「疑惑職員」と報じられたことは前記した通りだ。「マスコミから守って欲しかった」という主張は、とりあえず客観的事実に整合している。

逮捕前から「疑惑職員」と報じられた今井被告(週刊文春2015年9月24日号)※記事本文は一部修正した

では、自白したもう1つの理由は何か。今井被告はこう続けた。

「認めなければ、取調室をいつ出られるかわからない状態だったことです。取調室から早く出たい。逃げ出したい。そんな思いから自白したのです。自白後の取り調べは録音録画されていますが、自白に至るまでの経緯や取調室の状況は録音録画されていません。録音録画される前は、刑事からネチネチと取り調べを受けていて、その状態に戻りたくなかったのです」

この話を聞き、「無実の人間がその程度の理由で、やってもいない重大事件の罪を自白することがあえりるのか?」と疑問に思う人もいるかもしれない。しかし実際には、無実の人間のほうがむしろ、身に覚えのない罪を簡単に自白しやすいというのは供述心理学の定説だ。無実の人間は、自分が刑罰を受ける未来をリアルに想像できないので、取り調べの苦しみから逃れたくて、安易に自白してしまうのだ。

今井被告が語る「自白した理由」には、とりあえず合理性があると言える。

◆裁判で犯行動機が不明とされている事情

そもそも、今井被告はなぜ、疑われたのか。それは、『Sアミーユ川崎』で3件の転落死があった日にすべて出勤していた唯一の職員だったことだ。

そういう状況であれば、疑われても当然だ。だが、逆の視点から見ると、「そのような疑われるのが自明の状況で犯行に及ぶだろうか?」という疑問も浮かぶ。その点に水を向けると、今井被告はこう答えた。

「僕が3件の現場にいたから犯人だというのは逆におかしいというのは、一般論的に言えばそうだと思います。我々も一、二審で当然、『犯人であれば、普通はそういう状況でやらない』と主張しています」

自分自身のことを“一般論的に言えば”と語る今井被告。無実を主張する被告人は、裁判が進むにつれ、自分自身の行動などを客観的に語るようになることがよくある。今井被告もそのパターンかもしれない。

では、裁判で犯行動機はどう認定されているのか。実はこの事件で動機は、真相を見極めるための大きなポイントだ。

一、二審判決によると、1人目の被害者・丑沢さんについては、今井被告は介護業務中、認知症だった丑沢さんから暴言や暴力行為を受け、うっぷんを募らせ、転落死させたとされる。一方、2人目の被害者・仲川さんと3人目の被害者・浅見さんについては、実は今井被告が犯行に及んだ動機が裁判でも特定されていない。

今井被告はその点について、こう説明した。

「丑沢さんは正直、大変な人でしたので、僕は丑沢さんの事件で(嘘の)自白をした際、動機は『ストレスが溜まっていたからだ』ということにしました。しかし、仲川さんと浅見さんの件については、僕は動機を供述できなかったのです」

無実の被疑者は、身に覚えのない犯行を自白する際、事件について知っている情報をもとに、「犯人はどうやったんだろう?」と想像しながら犯行を供述する。今井被告は、仲川さんの件については、もっともらしい動機を想像で供述できたが、仲川さんと浅見さんの件については、もっともらしい動機を思いつかなかったというわけだ。

実を言うと、今井被告は裁判前、精神鑑定を受けている。そして一審判決では、その鑑定医の証言に基づき、今井被告は仲川さんと浅見さんについて、「心臓マッサージを行っているところを他人から見られるなどして周囲から評価されたい」と考え、犯行に及んだように認定されていた。しかし、二審判決でこの認定が否定され、動機は不明のままなのだ。

一般的に言えば、動機が不明というのは、冤罪事件の判決でよくあることだ。犯人ではない人間を犯人と認定すると、どうしても辻褄が合わないところが出てくるためだ。加えて、自白した理由についても、今井被告の説明はとりあえず合理性があると言えるのは既述した通りだ。

次回も引き続き、事件の検証結果を報告する。(つづく)

◎冤罪を訴え、最高裁に上告中 ──「川崎老人ホーム連続転落死事件」死刑被告人との対話
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44047
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44051

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[電子書籍版]─冤罪死刑囚八人の書画集─」(片岡健編/鹿砦社)

党綱領を自ら否定した自民党は即時解散せよ 岸田内閣改造人事の真相 月刊『紙の爆弾』2022年10月号

今回紹介する米子ラブホテル支配人殺害事件は、被告人の石田美実さん(65)の裁判が今日までに極めて特異な経過をたどってきた事件だ。

強盗殺人罪などに問われた石田さんは、2016年に鳥取地裁の裁判員裁判で懲役18年の判決を受けたが、2017年に広島高裁松江支部の控訴審で逆転無罪判決を勝ち取った。しかしその後、(1)最高裁で無罪判決を破棄されて控訴審に差し戻し、(2)広島高裁の第2次控訴審で裁判員裁判に差し戻し、(3)鳥取地裁の第2次裁判員裁判で無期懲役判決、(4)広島高裁松江支部の第3次控訴審で控訴棄却――という経過をたどり、現在は松江刑務所に勾留されながら最高裁に上告している。

つまり、石田さんは今日までに6度の裁判を受けながら、いまだに裁判が終結していないことになる。

私は2016年の最初の裁判員裁判の頃からこの事件を継続的に取材し、石田さんのことを冤罪だと確信するに至った。それゆえに私としては、一度は無罪判決を受けた石田さんが再び有罪とされたうえ、延々と被告人という立場に留め置かれ、身柄も拘束され続けていることが気の毒でならない。

ここでは、まず、この事件の概略と問題点を説明したうえ、石田さんの雪冤のために必要と思われる情報を募らせて頂きたい。

◆石田さんが有罪とされ続けている理由

事件が起きたのは、今から13年前に遡る。2009年9月29日夜10時過ぎ、米子市郊外のラブホテル「ぴーかんぱりぱり」の事務所で支配人の男性(当時54)が頭から血を流して倒れているのを従業員の女性が発見。支配人は病院に搬送されたが、頭部を激しく攻撃されていたほか、ヒモのようなもので首を絞められていた。そして一度も意識が戻らないまま、約6年に及ぶ入院生活を送り、2015年9月27日に息を引き取った。

警察の調べによると、現場の事務所では、金庫の中などの金が事件前より減っており、犯人は支配人の首を絞める際、事務所にあった電話線かLANケーブルを使ったと推定された。警察は支配人が事務所に入った際、金目的で侵入していた犯人に襲われたとみて、捜査を展開した。

しかし、警察の捜査は難航し、なかなか容疑者の検挙に至らなかった。捜査の結果、事件発生当時にこのホテルで店長をしていた石田さんが逮捕されたが、それは事件から4年半も経過してからのことだった。

石田さんは逮捕前の任意捜査の段階から一貫して容疑を否認。今日に至るまで無実を訴え続けてきた。そんな石田さんが裁判で有罪とされているのは、一見怪しげな事実が色々揃っていたからだ。

たとえば、石田さんは、事件翌日に230枚の千円札を自分の銀行口座に入金しており、さらにこの日から車で大阪に行くなどして1カ月以上も家をあけ、警察からの再三の事情聴取の呼び出しにも応じなかった。有罪率が極めて高い日本の刑事裁判では、被告人にこの程度の怪しげな事実が揃っていれば、いとも簡単に有罪とされてしまいだがちだが、現実に石田さんはそうなってしまっているわけだ。

実際には、銀行口座に入金していた230枚の千円札は、ホテルの店長だった石田さんが営業に必要な千円札が足りなくなった場合に備え、1万円札の両替用にストックしておいたものだった。石田さんは「あのお金が盗んだものなら、銀行口座に入金したりしませんよ」と言っていたが、たしかに犯人ならそんなアシのつくような真似はしない。

また、石田さんは元々、長距離トラックの運転手だったため、長期間に渡って家をあけることはよくあったし、仕事とは関係なく大阪で車上生活をしたこともあった。つまり、事件翌日から1カ月以上に渡って家をあけたことも、石田さんにとっては特別な行動ではなかった。裁判で有罪の根拠とされた石田さんの一見怪しげな事実は、本来、およそ有罪の根拠にはなりえないものだった。

現場のホテルの建物。現在は「ぴーかんぱりぱり」とは別のホテルに ※写真は一部修正

◆雪冤のために解消すべき疑問 ── 石田さんが犯人でなければ、一体誰が犯人なのか

もっとも、この事件では、石田さんが犯人でなければ、一体誰が犯人なのか――という疑問が残っている。というのも、事件が起きた現場のラブホテル「ぴーかんぱりぱり」は米子市郊外のひとけのない場所にあり、このホテルと無関係の人間がふらりと強盗目的で訪れることは考えにくい。そんな状況下、このホテルの店長だった石田さんは事件が起きた時間帯、現場のホテル内に居合わせていたことは確かだ。

このような構図の事件では、裁判で被告人を犯人と認めるには辻褄の合わない事実が色々判明しても、「被告人が犯人でなければ、一体誰が犯人なのか」という疑問が解消されないと、結局は有罪という結果になりがちだ。石田さんの裁判でも、事件発生時に現場にいた従業員たちの中に真犯人だと断定できるほどの人物が具体的に見当たらなかったため、石田さんが犯人にされてしまっている感がある。

ただし、一方で石田さんの裁判では、事件発生直後に現場に臨場した警察官たちの捜査が極めてずさんだったことが明らかになっており、別の真犯人の侵入や逃走の形跡が見過ごされていた可能性が浮上している。そこで、今回はこの事件について、「石田さんが犯人でなければ、一体誰が犯人なのか」という疑問の解消につながる情報を募りたい。

たとえば、事件が起きた2009年9月29日以前に現場のホテル「ぴーかんぱりぱり」に仕事で出入りするなどしてホテルの内情を知りえた人物で、かつ、その当時に不審な言動が見受けられた人物をご存じの読者はおられないだろうか。そのような「真犯人の要件を満たす人物」をご存じの方は、私のメールアドレス(katakenアットマークable.ocn.ne.jp)までご一報頂きたい。

※メールで連絡をくださる人は、アットマークを@に変えてください。
※この事件については、私は『冤罪File』(希の樹出版)No.26、No.28、 No.32でも詳しくレポートしている。No.32は現在も同誌の公式ホームページでバックナンバーを販売中のようなので、関心のある方は、ご参照頂きたい。
詳細はhttp://enzaifile.com/publist/shosai/12.html

▼片岡健(かたおか けん)
ジャーナリスト。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[電子書籍版]─冤罪死刑囚八人の書画集─」(片岡健編/鹿砦社)

党綱領を自ら否定した自民党は即時解散せよ 岸田内閣改造人事の真相 月刊『紙の爆弾』2022年10月号

今回取り上げる米原汚水タンク女性殺害事件は、10年余り前の事件発生時、センセーショナルに報道され、社会の耳目を集めた。だが、この事件について、冤罪の疑いを指摘する報道はこれまでにほとんどなかった。それゆえ、この事件をここで取り上げることに違和感を覚える人もいるかもしれない。

だが、この事件の犯人とされている森田繁成氏という男性は、まぎれもなく冤罪だ。今回もまず、事件のあらましを説明したうえ、この事件を解決するための情報を募りたい。

◆センセーショナルに報道された事件

事件は2009年6月12日の朝、滋賀県米原市の農道脇に設置された汚水タンクから女性の遺体が見つかり、発覚した。女性は小川典子さん、当時28歳。小川さんは長浜市で両親と暮らし、大手ガラスメーカーの工場で派遣社員として働いていたが、2日前から行方不明になっていた。

遺体の発見者は汚水の運搬業者である。汚水を回収しようとタンクのフタをあけた際、中から作業服姿の小川さんの遺体が出てきたという。解剖の結果、小川さんは鈍器で頭部や顔面を乱打されて瀕死の状態に陥り、最後はタンクに落とされ、汚水を吸い込んで窒息死したと判定された。被害者がこのような悲惨な最期を遂げたことは、この事件が当時センセーショナルに報道された理由の1つだ。

そして事件発覚から1週間が過ぎた6月19日、滋賀県警の捜査本部は1人の男性を殺人の容疑で逮捕した。この男性が森田氏だ。当時40歳だった森田氏は、小川さんが働いていた大手ガラスメーカーの工場に正社員として勤務していた。妻子ある身でありながら、職場の部下にあたる小川さんと交際しており、このことが何より事件に関するセンセーショナルな報道を巻き起こしたのだった。

当時の報道では、森田氏は近所で「子煩悩な父親」という評判がある一方、普段から交際相手の小川さんに暴力をふるっていたように伝えられた。さらに森田氏の車のフロントガラスにひびが入っていた事実が判明すると、森田氏が犯行時に小川さんと争った痕跡であるかのように報道されたりもした。こうした犯人視報道が大々的に繰り広げられる中、森田氏はおのずとクロのイメージになっていた。

一方、森田氏本人は捜査段階から一貫して無実を訴えていたが、裁判では2013年2月、最高裁で懲役17年の判決が確定。この間、森田氏の犯人性に疑問を投げかけるような報道はほとんど見当たらなかった。そのため、裁判の結果に疑問を抱く人が世間にほとんどいないのも当然といえば当然だ。

被害者の小川さんは、手前のマンホールの下にある汚水タンクに落とされ、亡くなった

◆報道のイメージと異なる事件の実相

しかし、この事件の実相は報道のイメージと随分異なっている。

たとえば、森田氏が逮捕された当初、小川さんが事件前に「森田氏から暴力を振るわれている」と同僚に相談していたという話がよく報じられていた。森田氏が普段から小川さんに暴力をふるっていたかのように伝えられた根拠がそれだった。

しかし裁判では、森田氏と小川さんのメールの履歴から、むしろ小川さんのほうが森田氏に対して積極的に不満を伝えていることが判明し、一方で森田氏が小川さんに暴力を振るっていたことを窺わせる文面は見当たらなかった。確定判決はこうした事実関係に基づき、小川さんが「森田氏から暴力を振るわれている」と同僚に相談していたのは「誇張」した話であった可能性があると判断していた。

また、森田氏の逮捕当初、犯行の痕跡であるように報じられていた森田氏の車のフロントガラスのひびについては、「事件以前」に生じたものだったことが裁判で明らかになっていた。要するにこれが犯行の痕跡だと示唆した報道は「誤報」だったわけである。

さらに裁判では、小川さんの遺体の状況から犯人が返り血を浴びていることが濃厚であるにもかかわらず、森田氏が犯行時に乗っていたとされる車の運転席周辺から血液が一切検出されていないことも判明していた。このようにむしろ、森田氏の犯人性を否定する事情も存在したわけだ。

一方、確定判決では、有罪の根拠として、森田氏の事件後の行動が色々挙げられている。

たとえば、(1)小川さんの失踪を知っても安否を気づかうような行動をとっていなかった、(2)自動車修理工場の代表者に電話をかけ、小川さんとの交際を口外しないように依頼していた、(3)小川さんとの間で交わされたメールを含む携帯電話のデータを削除していた──などだ。要するにこのような「被害者とのつながりを隠す行動」が不自然であり、犯人であることを示す事実だと判断されたわけである。

しかし、そもそも森田氏が小川さんと不倫関係にあったことを思えば、小川さんが失踪したことや殺害されたことを知った後、小川さんとのつながりを隠す行動をとっても決して不自然とは言えない。このような森田氏の行動について、犯人であることを示す事実だと判断するというのは、むしろ裁判官や裁判員が森田氏に対して予断や偏見を抱き、審理に臨んでいたことを窺わせる事情である。

事件発生当時、滋賀県警の捜査本部が置かれた米原署

◆インターネットの掲示板に多数あった「被害者を誹謗中傷する書き込み」

実を言うと森田氏の裁判の控訴審では、弁護側が「森田氏とは別の犯人」が存在する可能性を示す事実があるとして、次のようなことも主張している。

「事件以前からインターネットの掲示板には、被害者を誹謗中傷する書き込みが多数あった。犯人はその中に存在する可能性も考えられる」

この弁護側の主張は裁判官に退けられたが、事件発生当時、インターネット上の掲示板にそのような書き込みが散見されたことについては事実関係に争いはない。ただ、残念なのは現在、この掲示板が見当たらなくなっており、追跡調査ができないことだ。

そこで今回は、この掲示板への書き込みをはじめとして被害者の小川さんのことを敵視していた人物に関する情報を募りたい。情報をお持ちの方は、私のメールアドレス(katakenアットマークable.ocn.ne.jp)までご一報ください。

※メールで連絡をくださる人は、アットマークを@に変えてください。
※この事件については、私が取材班の一員を務めた記事が2011年発行の『冤罪File』No.12(希の樹出版)に掲載されている。バックナンバーは現在も購入可能のようなので、関心のある方はご参照頂きたい。詳細はhttp://enzaifile.com/publist/shosai/12.html

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ─冤罪死刑囚八人の書画集─』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]─冤罪死刑囚八人の書画集─」(片岡健編/鹿砦社)

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