現代社会で最も普及している文明の利器は、スマートフォンである。電話会社は、スマートフォンの普及を押し進め、それに連動して通信基地局をアメーバ状に拡大している。総務省も全面的に電話会社の事業を支援し,マスコミは広告主である電話会社に配慮して、電磁波問題の報道を控えている。大学の研究者も、企業や国策をさかなでする電磁波による人体影響を研究テーマに選ぼうとはしない。巨大な相手を敵に回したくないからだ。電磁波問題はタブーなのである。

 

マーティンン・ブランク『携帯電話と脳腫瘍の関係』(近藤隆文訳、飛鳥新社2015年)

こうした風潮に逆行するかのように、『携帯電話と脳腫瘍の関係』(マーティン・ブランク、飛鳥新社)は、電磁波による人体影響を容赦なく指摘している。電磁波に関する欧米での研究成果を分かりやすく紹介している。

著者のマーティン・ブランクが最も懸念しているのは、電磁波が原因と推測される癌の増加である。従来、レントゲンのX線や原発のガンマ線は発癌を促す原因として認識されてきたが、それ意外の電磁波は安全とする考えが定説となっていた。たとえば日本の総務省は、この考えに基づいて1990年に、現在の電波防護指針を定めた。それを根拠として電話会社の携帯ビジネスにお墨付きを与えてきたのである。

ところがその後、特に欧米で電磁波の毒性に関する研究が前進し、現在ではエネルギーが高いX線やガンマ線だけではなく、マイクロ波や超低周波電磁波(送電線や家電からもれる電磁波)にもDNAを傷つけて発癌を促すリスクがあることが明らかになってきたのだ。それに伴い、たとえば欧州評議会は、日本の電波防護指針よりも1万倍も厳しい勧告値を設けた。電磁波による人体影響に関する従来の認識を大幅に改めたのである。

たとえば本書では、次のように通信基地局と発癌の関係に警鐘を鳴らしている。

「ブラジルでの研究でも同様の結果が報告されている。そこでがんの累積症例数がもっとも多かったのは、40.78μW/c㎡という高い電力密度の放射に曝露した人々だった。その発がん率は1000人当たり5.38件。より遠方に暮らし、曝露の電力密度が0.04μW/c㎡の人々は、がん発生率がもっと低く、1000当たり2.05人だった。こうした研究は、基地局が携帯電話に関連したリスクの大きな要素であることを示している」

 

コンビニの上に設置された通信基地局

この疫学調査は、通信基地局に近い住民ほど癌になるリスクが高いことを示している。同じような類型の疫学調査は、他にも複数ある。「予防原則」という観点からすれば、住居の近くには通信基地局を設置してはいけない。禁止すべきなのである。ところが日本の電話会社は、電磁波による人体影響を示す医学的根拠が解明されていないことを理由に、自宅の直近やマンションの屋上に通信基地局を設置している。大半の住民はそのリスクをまったく知らない。

本書は、他にも電磁波による人体影響として、アルツハイマー病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、パーキンソン病、男性不妊、うつ病なども指摘している。

スマートフォンの使用はなるべく控えるのが懸命だ。マンションの屋上や自宅直近に通信基地局がある場合は、電話会社に対して撤去を求めるのが懸命だ。Wi-Fiは使わないときは、「OFF」にすることが推奨される。国は、電話会社に対して携帯電話を販売する際、顧客にリスクを伝えるルールを制定すべきだろう。マスコミは、携帯電話の広告を自粛すべきではないか。

本書の冒頭で著者のマーティン・ブランクは言う。

「制限を課すことをめぐって議論がもちあがった際、企業の後ろ盾を得た人たちが発するお決まりの台詞がある。『危険であるという確証はない』だ。私はそうではないと示すためにこの本を書いた。このハイテク世界の副産物である電磁放射(EMF)が私たちの身体に多種多様な影響を与えることを示す、確かな科学の体系がある。そろそろきまり文句の『危険であるという確証はない』に代えて、『危険を認めて対処すべき時期だ』と言ったほうがいい」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

日本では2011年3月11日にまだ生まれていなかった子どもたちが既に小学校に通っています。同時に大地震の頻発、原発事故からCOVID-19(新型コロナウイルス)のパンデミック、そして20世紀に最大限懸念された「核」戦争の危機に、今日全人類は直面しています。

 

『季節』2022年春号(『NO NUKES voice』改題 通巻31号)3月11日発売開始

ロシアのウクライナ侵略へ、国際社会が強い非難を浴びせていますが、日本国内では「こんなことになるから核武装をしなければならない」、「憲法9条で国は守れない」、「米国と核兵器をシェアーしよう」などと、火事場泥棒的な猛烈に無茶苦茶極まる発言が元総理安倍晋三や維新の松井一郎代表などから聞かれます。

私たちはこれらの暴論を「ふざけるな」と踏みつぶします。今次のロシアによるウクライナ侵略は、細部にデリケートな要因があるにせよ、間違いなく暴挙です。そしてロシアが侵略後、いち早く「原子力発電危機の象徴」である「チェルノブイリ原発」を支配したのは、「原発」が持つ危険性と、国際紛争にあっては「兵器」として機能する危険な存在であることを示した、と理解すべきではないでしょうか。

このような侵略行為が始まれば「核による抑止力」などは一切通用せず、「原発」が核兵器同様に扱われることが、侵略者ロシアによって明確に示されました。これまで本誌を愛読していただいた皆さんも「まさか21世紀にこんな戦争が起こるなんて」と驚いている方が多くいらっしゃることでしょう。私たちも同様です。ロシアによるウクライナへの全面侵略などは、正直予想できませんでした。

◆戦争がなくても「原発」は危険だ

ただし、私たちは平時においても「原発が核兵器同様に危険である」ことは創刊以来感じていましたし、これまで原稿を寄せていただいた、多くの皆さんに指摘していただいた通りです。福島第一原発の大事故により、290名を超える若者が甲状腺がんに罹患してしまいました。政府・福島県や無恥な政党(自民党・維新・国民民主党)はこの明確な健康被害に、「風評被害」とトンデモない言いがかりで応じていますが、僅か10年ほど前の事実すら理解できない、これらの人々に政治を任せるわけにはいきません。

◆なぜ『季節』と誌名を変えたのか

『季節』と誌名を変更した理由については、本日発売の誌面の中で詳述しております。是非手に取ってお読みください。そしてお知り合い、ご友人に広めてください。

少しだけ誌名変更のエッセンスをご紹介しましょう。世界の多くの国には「季節」が廻り、なかでも日本には四季があります。春夏秋冬、落葉樹はそのいでたちを変えながら次の年を迎えます。冬眠する動物もいます。私たち人間の生は長くとも100年程度ですが、私たちが生まれてくる遙か昔から、いま生をうけた私たち全員がこの世から消えた未来にも、過去と変わらずに春夏秋冬は廻ることでしょう。

このような長大な歴史の中で、人間が地球史的にはごく短時間に、犯してしまった間違いの象徴が「原発」だといえるのではないでしょうか。人間みずからの存続はもとより、生態系を破壊するほどの暴走を、原発(核)は持っている、このことを再度肝に銘じたいと思います。残念ながら原発(核)の廃絶には、その汚染物質の処理を考慮に入れれば、最も希望的な観測に基づいても、現在科学の力では数十万年を要します。

私たちは日本だけでなく、世界中の原発の即時停止、廃炉を求めるものですが、仮にその夢が叶ったとして汚染物質の処理には、気が遠くなるような時間が必要です。その間にも「季節」は幾たびも廻るでしょう。今次の侵略戦争での侵略者による「原発」の扱われ方は、そのことへの再度の警鐘です。

2014年の創刊から8年、『季節』は「原発」を絶えまなく凝視しながら、時代・文明の病・欺瞞を突く総合誌への発展を目指し、本日再出発します。ご支援をお願いいたします。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の脱原発季刊誌
季節 2022年春号
『NO NUKES voice』改題 通巻31号
紙の爆弾2022年4月増刊

2022年3月11日発売
A5判 132頁(巻頭カラー4頁+本文128頁)
定価 770円(本体700円+税)

事故はいまも続いている
福島第一原発・現場の真実

《グラビア》福島第一原発現地取材(写真・文=おしどりマコ&ケン

《グラビア》希釈されない疑念の渦 それでも海に流すのか?(写真・文=鈴木博喜

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
原子力は即刻廃絶すべきもの

樋口英明(元裁判官)
原発問題はエネルギー問題なのか

中村敦夫(俳優/作家)
表現者は歩き続ける

井戸謙一(弁護士)
被ばく問題の重要性

《インタビュー》片山夏子(東京新聞福島特別支局長)
人を追い続けたい、声を聞き続けたい
[聞き手・構成=尾崎美代子

おしどりマコ(漫才師/記者)
事故はいまも続いている
福島第一原発・現場の真実

和田央子(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
犠牲のシステム 数兆円の除染ビジネスと搾取される労働者

森松明希子(東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream〈サンドリ〉代表)
「いつまで避難者といってるのか?」という人に問いかけたい
「あなたは避難者になれますか?」と

鈴木博喜(『民の声新聞』発行人)
沈黙と叫び 汚染水海洋放出と漁師たち

伊達信夫(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈最終回〉
語られなかったものは何か

《講演》広瀬 隆(作家)
地球温暖化説は根拠のないデマである〈前編〉

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
原発は「気候変動」の解決策にはならない

細谷修平(メディア研究者)
《新連載》シュウくんの反核・反戦映画日誌〈1〉
真の暴力を行使するとき――『人魚伝説』を観る

三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
機を見るに敏なんて美徳でも何でもない

板坂 剛(作家/舞踏家)
大村紀行──キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い!
 
佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
“騙(かた)り”の国から“語り部(かたりべ)”の国へ
絶望を希望に転じるために いまこそ疑似「民主国」ニッポンの主客転換を!

山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈15〉
森友学園国有地売却公文書 改ざん国賠・『認諾』への考察

再稼働阻止全国ネットワーク
国政選挙で原発を重要争点に押し上げよう
7月参議院選挙で「老朽原発阻止」を野党共通公約へ
《全国》柳田 真(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会世話人)
《全国》石鍋 誠(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)
《六ヶ所》中道雅史(「4・9反核燃の日」全国集会実行委員会)
《東海第二》野口 修(東海第二原発の再稼働を止める会)
《反原発自治体》反原発自治体議員・市民連盟
《東海第2》披田信一郎(東海第2原発の再稼働を止める会)
《東京》佐々木敏彦(東電本店合同抗議行動実行委員会)
《志賀原発》藤岡彰弘(「命のネットワーク」)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
《伊方原発》秦 左子(伊方から原発をなくす会)
《規制委・経産省》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク/経産省前テントひろば)
《読書案内》天野恵一(再稼動阻止全国ネットワーク事務局)

《反原発川柳》乱鬼龍

季節編集委員会
我々はなぜ『季節』へ誌名を変更したのか

私たちは唯一の脱原発情報誌『季節』を応援しています!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09TN1SL8X/

 

鈴木さんが自費出版した詩集「棄民の疼き」

「ふるさとの復興」
大平山霊園 災害公営住宅建設
「道の駅なみえ」オープン 請戸漁港再建
常磐線全線開通 世界最大水素工場や
県最大酪農牧場計画策定等々
視える確かな復興事業
中には待ち焦がれる帰還を疎外する施策も

2万1000人の町民
避難指示解除4年で帰還者7%
創生小中学校開校
1700人程の児童生徒は26人に
小中学校誰しも抱く心の拠り所
請戸小学校は震災遺構で保存決定
5つの小中学校は
閉校式もなく解体決定
住民意向調査の結果
「帰還しない」は54・9% 過半数を超えた
「要介護認定率」は郡内最大の増加23%超

住んでいない避難町民からも固定資産税や住民税を徴収
まるで核災がなかったかのよう…
余にも理不尽な政府の圧政・収奪
更にコロナ禍での生活困窮
「被災者に寄り添う」?
喜びより恨めしさがつのる
ふるさとの復興
(初出2021年3月「コールサック」第105号)

原発事故発生から間もなく丸11年。確かに浪江町役場周辺の景色は一変した。立派な道の駅が完成し、イオンもできた。常磐線が全線開通した。海側では、津波で壊滅的な被害を受けた請戸漁港が再建され、町立請戸小学校は震災遺構として残された。では、原発事故は「終わった」のだろうか。もはや「過去の出来事」なのだろうか。

自らを含む原発事故の被害者を「核災棄民」と名付けた鈴木さん。2019年5月の第1回口頭弁論では、法廷での意見陳述でこう訴えた。

「福島第一原発の事故は、巨大な人災です。核の人災です。加えて、浪江町は原発隣接地であるにもかかわらず、町民にはバスなどの避難手段も汚染の情報も国から提供されませんでした。浪江町民は皆、国から見棄てられた『棄民』です」

原告団長として先頭に立って国や東電と闘っている鈴木さん(右)。「浪江町民は国から見捨てられた『棄民』だ」と訴える

原発事故後の「棄民政策」は、町のシンボルでもある学校までをも奪う。

詩で触れられている「5つの小中学校は閉校式もなく解体決定」とは、大堀、苅野、幾世橋、浪江の4小学校と浪江中学校のこと。

卒業生から「希望者全員が参加出来るよう校舎見学会と閉校式を行ってください。それまで、校舎の解体を延期してください」と求められたが町は拒否。現在はすっかり取り壊された。背景には、環境省が国費での解体申請に期限を設けたことがあった。原発事故がなければ閉校する必要などなかったのに、加害当事者(国策として原子力発電を推進してきた)である国が「解体費用を出したくなかったら、さっさと解体を決めて申請しろ」と町に迫り、町もそれに従った。そこには原発事故に翻弄された卒業生たちの想いなどなかった。東京五輪の聖火リレーで出発地となった浪江小学校では、解体番号が書かれた看板が一時的に取り外され、復興の〝演出〟が終わるとあっという間に解体された。

2018年11月27日の提訴から今秋で4年。これまでの弁論期日では書面のやり取りばかりで、原告からは「判決はいつになりそうなのか」など、いら立ちとも中だるみとも言える言葉が出てくる。高齢であればなおさら「のんびりと裁判している時間などない」と考えてもやむを得ない面もある。このタイミングで詩集を配る背景には、改めて原告みんなで団結して裁判に臨みたいとの想いがある。

「『4年経っても、ちっとも前に進まないじゃないか』と考えている原告もいると思います。でも、今年は大きなヤマ場を迎えます。原告一人一人の本人尋問が始まります。5月には、現地進行協議という名目で裁判官が浪江町を視察します。その山に向かって、みんなでもう一度心をひとつにして闘いましょうという想いも詩集にはこめられているのです」

詩集の最後のページに収められたのは「歩み固かれ 目は遠く」という詩だ。

「性差別とか人種差別とか、世界中にいろいろな運動がありますよね。われわれの闘いもそれらに含まれるんだよと。われわれの裁判闘争にも希望を持っていただきたいということなんです。『歩み固かれ』というのは、みんなでしっかり団結して一歩ずつ前に進んで行こうという意味です。『目は遠く』というのは、勝利は遠く向こうにあるけれども、しっかり歩いて行けば自分たちの手に入れることができるということ。この言葉は、土井晩翠が作詞した県立双葉高校校歌の4番の一番最後の歌詞なんです。われわれも一歩ずつしっかり裁判を積み重ねて、そして勝利を目指してがんばろう。世界中で多くの人々がこういう運動をやっているんだよ、われわれだけじゃないよという希望をこめて書いたんです」

詩「歩み固かれ 目は遠く」には「浪江町民の闘いも世界中のさまざまな社会運動の1つ。闘っているのは私たちだけじゃない」という原告たちへのメッセージが込められている

60代で震災・原発事故に被災した鈴木さんも71歳になった。

「6月28日で72歳になります。年男です。前町長の馬場有さんは私の誕生日の前日に亡くなったんだよね。詩集を11月27日に発行したのは、提訴日だからです。では、なぜ11月27日に提訴したかというと、馬場さんの月命日に提訴したいという弁護団の想いがあったからなんです。弁護団は馬場さんとずっと一緒に集団ADRをやってきましたからね。それで月命日に提訴しようということになった。馬場さんの奥さんにも『墓前に供えてください』と詩集を贈りました。ちょっとした言葉や数字にも、私なりの想いがこめられているんですよ」

印刷代など全て自費。200部印刷し、弁論期日に駆け付けた原告などに無償で配っている。

「書店などで一般に販売しているものではなくて、個人的に200部印刷して持っているわけですから、電話をいただければ私から直接、送ります。無料で郵送しますよ」

詩集の希望者は鈴木正一さんの携帯電話090(8927)5640まで。

◎鈴木博喜「浪江町民の鈴木正一さんが詩で綴る〝原発事故棄民のリアル〟」
〈上〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=41937
〈下〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=41944

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09MFZVBRM/
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000689

福島県双葉郡浪江町民が申し立てた集団ADR(裁判外紛争解決)での和解案(慰謝料一律増額)を東京電力が6回にわたって拒否し続けた問題。国や東電を相手取って起こした「浪江原発訴訟」の原告団長として721人の先頭に立って闘っている鈴木正一さん(71)が昨年11月27日、詩集「棄民の疼き」を自費出版した。原発事故で国や東電に棄てられた人々のリアルな怒りが哀しみを言葉で紡いだ背景には、4年前に亡くなった前町長の想いや長引く裁判闘争で疲弊する原告たちの団結を願う気持ちがあった。

 

鈴木さんが自費出版した詩集「棄民の疼き」

「お買い得物件」
東電の社長さん!
お勧め物件のご案内です
廃炉指揮の社宅として
私の終わりの住処いかがですか?

2年以上も前に避難指示は解除
続いて内閣府の行政指導で今年度から固定資産税が課税
よくご存知ですよね
第一原発から10㎞未満の近さ
これからの原発事故にもすぐ駆けつけて行けます
放射線量は原発管理区域の1・5倍
あなた達が言う安全なところです
放射線被曝も毎日体験できますよ
世界の中でもここにしかないお買い得物件です
いかがですか?
(初出2019年9月「腹の虫」第10号)

強烈な皮肉がこめられた風刺詩。

「私の家を買えるかって。安全だと言っているけれど買えないでしょう。そういう想いでつくった風刺詩なんですよ。汚染水の海洋放出問題もありますしね」

避難元自宅のある地域は福島第一原発から北西約9キロメートル。事故後に居住制限区域に指定され、南相馬市内に新たな住まいを確保した。2017年3月末で政府の避難指示が解除され鈴木さんは自宅を修繕して戻った。

「一昨年に改築を始めたんです。亡くなった馬場有町長が『まさかずさん、あそこ(自宅前のため池)を除染したら帰って来てくれるかい?』と言うから、私は『そのつもりでお願いしているんだよ』と答えました。で、汚染も酷かったこともあって一番最初にやってくれた。馬場町長は2018年6月27日に帰らぬ人となってしまったけれど、私は自宅に戻りました。実は、馬場町長がこの裁判の原告団長になるという話もあったんですよ」

浪江の自宅と娘の暮らす南相馬を行き来する生活。浪江で生活する時間が多くなったが、それは馬場町長との約束があったから。被曝リスクへの懸念はある。自宅の庭は3度にわたって除染されたが、3回目の除染後に行われた環境省による測定でも空間線量は毎時1.8マイクロシーベルトに達した。これが、詩で言う「あなた達が言う安全なところ」の現実。2019年5月の第1回口頭弁論で意見陳述した鈴木さんは、こう述べている。

「放射線管理区域の基準である年5.2mSvを上回るのに、国から『年20mSvが基準だ』と説明されて避難指示が解除された。しかも先日、固定資産税の納税通知書が届きました。放射能に汚染されたままで利用出来ない土地や家屋にも、情け容赦なく課税されていくのです。原発事故被害の実態を見ようともしない、政府の非情な政治判断の一例です。これが『被災者に寄り添う』と言っている者の真の姿です」

昨年末の時点で「浪江町に住んでいる人」として町役場が公表しているのは1788人だが、この数字には除染や復興事業の作業員なども含まれている。震災・原発事故発生時に町内で暮らしていて戻った「町民」は1200人を上回る程度。一方、町に戻れていないにもかかわらず、土地や建物へ固定資産税を課されている町民は少なくない。

浪江だけではない。富岡町から神奈川県内に避難した男性も「福島原発かながわ訴訟」の控訴審で同じような意見陳述をしている。各種減免措置の終了は、避難指示区域からの〝強制避難者〟に重くのしかかっているのだ。男性は、法廷で次のような趣旨の意見を述べた。

「原発事故後は減免されていましたが、今年度から満額の固定資産税を請求されるようになりました。評価額が低いから固定資産税といっても年1万円にならない程度だけれど、死ぬまで払い続けなければなりません。本当は処分したいですが、買い手などつきません。売りたくても売れないんです。年齢や放射線量を考えると、改めて自宅を新築するなど難しい。結局、処分できない土地と固定資産税だけが残ったのです…」

国や東電による原発事故後の「棄民」に対する怒りを綴った鈴木正一さん

鈴木さんは「東電に払わせるべきだ」と語気を強める。

「土地を持っていると、浪江に住んでいなくて固定資産税を払っている人もいるわけですよ。本来であれば東電に払わせるべきだと思います。避難しているにもかかわらず浪江で暮らしているかのように税金もとられるようになっていく。これから国保税などの減免もなくなる可能性もあるのです。まったく『被災者に寄り添う』なんて良く言いますよね」

そもそも裁判など起こさなくても良かったのだ。東電が原発事故被害者と誠実に向き合ってさえいれば…。

浪江町民が2013年5月に申し立てた集団ADR(精神的損害に関する賠償の増額など)で、東電は原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)が提示した和解案を実に6回も拒否した。ADRセンターが再三にわたって受諾を勧告しても東電の姿勢は変わらなかった。

東電は「3つの誓い」の中で「最後の一人が新しい生活を迎えることが出来るまで、被害者の方々に寄り添い賠償を貫徹する」、「原子力損害賠償紛争解決センターから提示された和解仲介案を尊重するとともに、手続きの迅速化に引き続き取り組む」と〝宣言〟している。しかし和解仲介案に対する振る舞いは、自らが立てた「誓い」からはほど遠いものだった。加害者意識に乏しいと言わざるを得ない東電の態度。2018年3月26日にも東電が受諾を拒否したため、同年4月5日をもって集団ADRは打ち切られた。鈴木さんたち109人は馬場前町長が亡くなってから5カ月後の2018年11月27日、福島地裁に提訴した。国や東電に慰謝料の支払いを求めている。今年は原告本人尋問が始まる。

馬場前町長の命日が6月27日、提訴日が11月27日。そして、詩集の発行日も11月27日。詩集には、集団ADRの先頭に立ち続け、志半ばで逝った馬場有さんの想いも詰まっていた。(つづく)

「憂える帰還」では、汚染水の海洋放出計画に疑問を投げかけている

◎鈴木博喜「浪江町民の鈴木正一さんが詩で綴る〝原発事故棄民のリアル〟」
〈上〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=41937
〈下〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=41944

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09MFZVBRM/
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000689

◆「医療問題」とは、言葉にしずらい日常的な関心事

健康状態が良好なときには、関心を持つこのと少ない「医療問題」。本人や家族が疾病や怪我で、医療機関にかかった際に、運が悪いと直面する。「医療問題」とまで大上段に構えずとも、医師や病院の信頼性や態度は、健康状態を悪化させている本人や家族にとって言葉にはしにくいものの、日常的な関心事だ。

人間はいずれ生命を全うする。その最終局面を医療機関(病院)で迎えることは今日常態化しているといってもいいだろう。医師や看護師の手厚く心のこもった治療姿勢の後に最期遂げる。その遺族は、医療機関が「業務」として提供したサービスであっても、悲しみの中「お世話になりました。本当にありがとうございました」と感謝の念を抱く。不幸の中にあってもこのような姿は、遺族にとっては一縷の救いとなり、感謝の気持ちで病院を後にする。

◆事件の経緯から裁判資料まで、医師と患者の間に横たわる諸問題を詳述

 

出河雅彦『事例検証 臨床研究と患者の人権』(2021年11月 医薬経済社)

ところが医療機関(病院)や医師の行為から不信感を抱かされると、患者の困難がはじまる。仮に命には別条のない施術や治療であっても、医師から納得のいく説明を受けることが出来なかったり、あるいは説明もなく治療を行われ、その予後が思わしくないと、患者には不信感が残る。病院を選ぶことのできる環境に生活する人であれば、病院を変えることができようが、そうではない患者にとって「不信感」をもって医者にかかることは、極めてフラストレーションの高い不健康な状態である。

さらに、病院(医師)の判断・行為で命を落とされたり、本来は避けられる副作用で苦しむことになったらどうであろうか。医師と患者の「絶対的服従関係」はインフォームドコンセントが常識化した今日、過去に比べればかなり改善されたといえようが、その陰には多くの患者・遺族そして医師自身の苦悩や闘いがあったことを、わたしたちは充分には知らない。出河雅彦氏の手になる『事例検証 臨床研究と患者の人権』(2021年、医薬経済社)は医師と患者の間に相変わらず横たわる問題の中でも、極めてデリケートな「臨床研究」と治療の問題について、発生した事件の詳細から裁判資料までを紹介する重厚な書物である。

◆6つの「医療事件」をめぐる緻密で膨大な調査報道

出河氏は、医師が適切な手順で患者を治療したか(プロトコール違反はなかったのか)? 臨床試験に「同意」は存在したか? なぜ日本では「人体実験」と区別のつかない「臨床研究」があとを絶たないのか? などを着目点に「当事者がどのような主張を行い、どのような結末に至ったのか」を詳述する。

6つの事件(愛知県がんセンター、金沢大学病院[2件]、東京女子医科大学、群馬大学病院、東大医科研病院)を追った出河氏の報告は「調査報道」に分類することも可能かもしれないが、当事者に取材し膨大な準備書面を提示する手法は、法律家の技に近いともいえる。

しかし出河氏がこのように緻密で膨大な資料を示した理由はわたしにも推測できる。一般の民事裁判とは異なり、「医療事件」は病院サイドが圧倒的に多くの情報を握っているために、内部告発者でもいない限り患者(遺族)側が対等な条件で闘うことが、極めて難しいからではないだろうか(実際に第二章「同意なき臨床試験」金沢大学病院では金沢大学の医師が「告発者」として活躍した事実が紹介されている)。また「プロトコール違反」、「臨床試験」といった基本的な概念の理解にすら、医師によってかなりのばらつきがあることも読者は学ぶことになる。

◆読者はまるで陪審員(裁判員)、裁判官の立場に置かれたかのような錯覚を抱く

「これでもか、これでもか」と叩き付けられるような証拠の山に、読者は陪審員(裁判員)あるいは裁判官の立場に置かれたかのような錯覚を抱くかもしれない。「良い」、「悪い」という単純な善悪二分法では解決することができない、しかしながら解決しなければ患者の人権擁護を確立することのできない、極めて困難な設問に出河氏は事例報告だけではなく、生命倫理研究者橳島次郎氏との対談で法制度の未整備について率直な指摘を展開している。

昨年まで朝日新聞の記者として、現場を飛び回っていた出河氏は最前線の記者だった。それにしては、文体が一般の新聞記者のように硬直していない。極めて入り組んだ医療最前線の問題を長年地道に取材し、新聞紙面では一部しか紹介できなかった取材成果を醸造、その成果の一部を纏めたのが本書といえよう。

余談ながら金沢地裁で争われた金沢大学(国)を訴えた遺族が提起した裁判の裁判長として、現在原発差し止め訴訟などで著名な井戸謙一弁護士も登場する。出河氏と井戸弁護士はその後、滋賀医大病院における説明義務違反訴訟で取材者と原告弁護団長の立場で再会を果たすことになったのは、本書とは関係ないが偶然とは思われない。

病院と無関係で一生を終えられるひとはいない。いま医療現場で問題になっている最先端の問題(最先端医療ではない)は何なのか、を知っておくことは、誰にとっても有益なことだろう。600頁を超える大著から学ぶことは多い。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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大手のマスコミが社会の木鐸としてきちんと機能し、いままで埋もれていた問題に光を当てて政府や自治体を大きく動かした。最近、こういう例は少ないように思えます。

 

毎日新聞取材班『ヤングケアラー 介護する子どもたち』毎日新聞出版

しかし、その例外といえるのが、今回ご紹介する、「ヤングケアラー」問題における毎日新聞取材班の活躍ではないでしょうか? 今回の書籍のもととなった、毎日新聞連載「ヤングケアラー幼き介護」は第25回新聞労連ジャーナリズム大賞を受賞しています。

◆統計さえなかったヤングケアラー

ヤングケアラーは法令上の定義はありませんが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされています。

ケアの負担が重くなると、学業や友人関係、就職などにも悪影響を及ぼし、時にはその子の人生を大きく左右してしまうケースもあります。いっぽうで、「親孝行な子」「きょうだいの仲がいい」などと言われて「支援の対象」とは認識されなかった面があります。しかし、毎日新聞取材班が取材を始めるまでは、統計さえなかったのです。

統計を目的の数字を得るために、調査票レベルから再集計してもらうオーダーメイド統計という制度があります。取材班はこれを活用して、就業構造基本調査を再集計してもらい、2017年に3万7000人の15-19歳のヤングケアラーがいる、ということをつかみ、2020年3月に報道しました。

◆知事と議会がねじれの埼玉県が先行、そして国も動き出す

取材班のねばりつよい報道の中で、国も重い腰を上げて調査に乗り出します。2021年4月に公表された調査では中2の5.7%、高2の4.1%が世話をしている家族がいる、と回答しています。これにもとづき、政府も支援策を打ちだしはじめました。(※ヤングケアラーについて

いっぽう、埼玉県では国より一歩先に調査を行いました。回収率86.5%のアンケートで高2の4.1%がヤングケアラーであることがわかりました。なお、これは、国と違って、「(疾病や障害のない)きょうだい」のケアを抜いた数字です。きょうだいのケアでも負担が過重になれば学業などに問題が出てきます。

ちなみにこの埼玉県では家族を介護する人を支援するケアラー支援条例が野党共闘推薦の大野知事に対する野党・自民党(県議会では多数派)の提案により2020年3月議会で成立しました。知事に対する独自性を見せようとする埼玉自民党の戦略ではあります。しかし、こういう議会と知事のねじれの状況だからこそ、施策が進んだということは興味深く感じました。

◆当事者の想いも多種多様 受容の上できめ細かな対応を

ここで、気をつけたいのは、当事者の想いも多種多様であるということです。埼玉県の調査でもヤングケアラー該当者の38.2%が必要な支援は「特にない」ということです。「本当に大変な人はそっとしておいてほしい」という自由記入がそれを物語っています。

大人といえば、学校の先生を筆頭に、「上から管理」してくるもの。いわゆるブラック校則などを背景にそういう認識が日本の子どもの間で強いのは当たり前です。大人を警戒してしまう気持ちもわかります。

これまで、「家族のケアを理由に遅刻・欠席しても、先生に怒られるだけだった」という人。他方できょうだいをケアすることで「えらいね」とほめられた経験が強い人。いろいろいらっしゃいます。急にいまさら「大変だ」と大人に騒がれても白けてしまう気持ちはわかります。

また、本書にもありましたが、精神疾患を持つ親族をケアしている場合は、とくに支援をもとめにくい状況があります。精神疾患は恥ずかしいことではない、という文化を根付かせていくことも大事であると痛感しました。わたしたち介護・福祉職も高齢者やおとなの障害者相手なら「受容」(まず話を聞いて受け入れる)よう叩き込まれていても、子ども相手ではついつい上から目線になってしまいがちかもしれない。

イギリスは家族を介護する人を大人も子ども関係なく支援する仕組みが充実している国です。そのイギリスでは、ヤングケアラーのイベントがあり、医療・福祉行政担当者に直接要望する場があるそうです。

まずは、話を聞いてもらいやすい環境を整えた上で、教育や医療・福祉関係者が連携しての個人にあわせたきめ細かな支援ではないでしょうか?

◆10年前以上前からケアラー支援法は筆者の公約

わたくし・さとうしゅういちは、2011年、県庁を退職してあの河井案里さんと対決するため、立候補した県議選でイギリスの介護者支援法を参考に「家族を介護する人を応援する基本条例(基本法)」制定をおそらく、広島県内の候補者でははじめて公約としました。

まず、基本法をつくり、高齢者や障害者など要介護者だけでなく、家族を介護する人も支援するような福祉サービスのあり方をつくっていく。気軽に相談しやすい仕組みをつくっていく。こうしたことを構想していましたし、今後も政府の施策の改善点の提案を中心に取り組んでいきたいと思います。

◆ケア負担を家族に過剰に抱え込ませる新自由主義の打破を

介護保険制度を担当する広島県庁マンだった時代から、ケアに対する社会的評価が低いこと、それと連動して、家族で抱え込んでしまう傾向が強いことに危機感を覚えていました。

子育てから介護まで「嫁」(現役世代女性)に全てを抱え込ませることを前提としてきたといっても過言ではありません。それと連動して、介護や保育などの労働者は「女の仕事」として低賃金に据え置かれてきました。

最近では、諸外国にくらべればまだまだとはいえ、男女平等も進んできています。また、家族の人数も減少している。そういう中で、「嫁(母親)にすべてを抱え込ませる」状況は崩れている。しかし、妻を介護する側に回った男性が悩んだあげくに妻を殺してしまう事件は当時から広島市内でも頻発しています。あるいは、母親もハードワークせざるを得ない低所得者層を中心に、子どもにしわ寄せがいく例も多くなっていると推察されます。

昔は、大手企業男性正社員世帯主を前提に嫁・妻・母親たる現役世代女性にケアをすべて抱え込ませる家族の在り方を前提に家族に過剰にケアを抱え込ませる社会の仕組みでした。そういうあり方がたちゆかなくなっていることからこの20-30年近く、目をそらし、家族に過剰に抱え込ませるような仕組みを温存してきたことが、男性介護者による妻殺害やヤングケアラー問題として噴出しているとも感じます。

なお、「大阪維新」の政治家などの中には旧来型政治への批判を装い、「日本はシルバー民主主義でけしからん! 高齢者サービスを削って若者優先を!」という趣旨の扇動で一定程度成功している方もおられます。しかし、高齢者サービスを削ることは、逆に高齢者の家族であるところの若者を追い込んでしまうのです。維新の世代間闘争に見せかけた家族への過剰なケア負担の押し付けは岸田自民党以上に危険です。

当面は、財政出動によるサービス充実、そして中長期には、コロナ災害の下でも過去最高益を出しているような超大手企業や超大金持ちの方々に適切にご負担いただくことでサービスを増強するよりないでしょう。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

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◆維新の会が躍進した「秘密」にせまる

年末ということもあり、総選挙を総括する記事が重なった。とくに維新の会の躍進をどう分析するか。

これはもっぱら、大阪に足のある評者にお願いしたいと思っていたところ、西谷文和の「維新一人勝ちの謎を解く」が掲載された。まさに時宜にかなった、しかも正鵠を得た内容だった。最新号のキャッチは「維新“一人勝ち”の謎を解く」である。

西谷文和は、総選挙全体の野党共闘の「敗北」の原因を、①1万票以内で競り負けた31選挙区、②立民枝野代表の「また裂き」、③自民党総裁選挙のメディア過剰、であるとする。これらは要点を得て、うなずけるものがある。

それ以上に、唸らされたのは維新の会の組織力の分析である。大阪府の過去2回の住民投票、19年の参院選挙の選挙結果。このふたつの投票率と得票数をもとに、維新の会が持っているのが140万票。および140万票を、70万票に二分する組織力が分析できる。その分析手法はあざやかで、一読にあたいする。

さらには、200におよぶ維新の地方議員のドブ板選挙。この記事で維新の会の躍進の「謎」「秘密」が解明するのである。お見事! 西谷文和は吹田市役所勤務経験のあるジャーナリストだ。

◆野党共闘が勝つ「方法」とは?

西谷文和は自・公・維新を倒す方法として、「5:3:2」の法則を挙げ、棄権5割のうち2割が投票行動をすれば、選挙には勝てるという。それを可能にするのは、野党共闘がさらに3%の得票率を獲得できるよう、ドブ板的な活動量、有権者にひびく言葉を投げかけることだと。

横田一も「野党共闘の成果と課題――岸田文雄『長老忖度政権』と闘う方法」において、東京8区の教訓を挙げている。周知のとおり、東京8区は野党候補が錯綜し、山本太郎(れいわ新選組代表)がいったん出馬を表明しながら撤回するという事態があった。

その後の山本のパフォーマンスが、吉田晴美候補の当選につながったと評価する。北海道4区、大阪10区では自民が最終段階でひっくり返し、ぎゃくに神奈川13区では野党共闘が甘利明自民党幹事長を敗北させた。れいわは5議席を獲得し、NHK出演の政党要件(5名)を満たしたのである。これら選挙パフォーマンスにおいて、立民党の枝野代表の動き、発信はいかにも緩慢であり、有権者に届かないものだった、と横田は批判する。けだし当然であろう。立民の新しい執行部が、山本太郎並みの発信力を身につけ、本気の野党共闘をつくり出すことが、勝つ「方法」の核心だとする。

◆安倍晋三に何が起こっているのか

山田厚俊は「大安倍派誕生も 自民党の変容と安倍晋三の終わり」として、安倍晋三が早期に引退するのではないかと指摘する。というのも、キングメーカーとして君臨するつもりだったが、急速に求心力が低下しているというのだ。安倍晋三に何が起こっているのか? その原因は、派閥のいびつな構造にあるという。

清和会(安部派)93名は、自民党の圧倒的多数はである。にもかかわらず、いやそうであるがゆえに、一枚岩ではないのだ。福田閥、安倍晋太郎閥、小泉閥、晋三閥を抱えている。それゆえに、総裁候補を出しにくい構造にあり、それが自民党全体のなかでは派閥のバランスに配慮しなければならない主流派ゆえに、派閥内には不満が渦巻いているという。

そして、徐々にカタチを顕わしつつある「対安倍包囲網」。それは山口3区で衆院入りした林芳正の外相抜擢にあらわれていると、山田は指摘する。林が安倍を仇敵であり、外相抜擢が将来の総理候補であるからだ。

このあたりは、やや視点は違うが本通信の記事を参照して欲しい。安倍派の内部抗争に注目だ。

[関連記事]「安倍派の誕生 ── 息づく「院政」という伝統」2021年11月12日

◆公明党の危機とは?

大山友樹「『10万円給付』の裏に公明・創価の狙い」NEWSレスQが、葛飾区区議選での公明党議席減に、公明党の危機を指摘している。前々回(11議席)から3つの議席をうしなったことになる。公明党にとって、参院東京区と地方議員は絶対当選の要件である。得票率は700万票(09年は805万票)を切るか切らないかに低減している。大山が指摘するのは連立政権の中で、自民党抜きには選挙にも勝てなくなっている現実、そして自民党並みの腐敗。すなわち遠山清彦元代議士の「闇献金」問題によって、大波が押し寄せていることだ。

すこし横道に逸れるが、NEWSレスQには気になる情報が載っている。マリエの「枕営業」(相手は島田紳助)と日大理事藪本(被告)の愛人情報だ。このあたりのスキャンダルを、もっとワイドかつディープに取り組むジャーナリストはいないものか。

◆メディアの「選挙協力」

浅野健一は「『反共』『壊憲』扇動の大本営発表」として、朝日新聞をはじめとする記者クラブ、内閣記者会の問題点を指摘する。

立民党の代表選挙が、自民党総裁選挙よりも「知性・品格もはるかに優れていると感じた。経歴・党歴も様々で、今後、日本をこう変えたいという理念や情念がよく伝わった」(記者クラブ主催の討論会)にもかかわらず、「キシャクラブ」の報道は「共産党との共闘の今後」が争点になったと、勝手に報じたと批判する。

朝日「天声人語」の筆者を山中季広論説委員と特定して、そのバランスを欠いた書き飛ばしを批判する。その歯に衣着せぬ批判は、いつもながら痛快である。問題なのは「岸田演説に日当五千円動員」(茨城6区、国光文乃議員選挙)である。告発のゆくえが注目される。

◆選挙制度の欠陥

「権力の腐敗はなぜチェックされないのか――総選挙と西東京市長選に見る選挙制度の悪用」(青木泰)は、虚偽事項を満載した怪文書が「法定ビラ」として大量に撒かれた事件のその後である。東京高裁は違法性(公選法違反)を指摘しつつ、当選無効の判断はしなかった。現在の司法には無理であろう。

青木は今回の総選挙で、森友事件を追及してきた立民の川内博史(鹿児島1区)、辻元清美(大阪10区)、今井雅人(岐阜4区)、黒岩宇洋(新潟3区)らが、ことごとく落選した背景に、自民党が長期間をかけて落選させる準備をしてきたと指摘する。だとすれば、自民党の周到な計画がどのようなものなのか。そんなレポートを期待したい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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◆7.6事件 ブントの分裂

7.6事件といっても、一般の方には何のことなのか、ほとんどわからないであろう。新左翼の一派(第二次共産主義者同盟)の分裂騒動にすぎないのだが、のちの赤軍派および連合赤軍事件、日本赤軍の原点がここにあるといえば、その影響力の大きさが計り知れるかもしれない。

ブント(共産主義者同盟)の分裂という意味では、日本の学生運動のみならず、社会運動全体の混乱がここに発生し、集約されているのだともいえる。

なぜならば、死者100人以上を殺した内ゲバの中核派や革マル派も、その指導部の多くがブント(第一次共産主義者同盟)の出身であり、その他の新左翼党派も安保ブント、二次ブントに大きな影響を受けているからだ。

尊大な言いかただが、日本階級闘争の混乱は、ブントの混乱なのである。などと、70年代のブント系の活動家たちは云いなしたものだ。逆にいえば、その責任は大きいものがある。

そのブントの末裔の一員であり、7.6事件の舞台となった明大の出身者であるわたしに、7.6事件の謎解きの入り口までご案内させていただきたい。社会運動史研究である以上に、それがミステリーの世界であるからだ。

望月さんの死を伝える当時の新聞記事

◆記憶の迷宮

7.6事件は、今日もその全容が不明瞭な「謎の事件」である。

昨年の『一九七〇 端境期の時代』に掲載された「7.6事件に思うこと」(中島慎介)について、重信房子さんが書評をリベラシオン社のサイトに寄稿し、中島さんの「記憶違い」を指摘した。今回はそれへの反論となっている。※重信さんの当該の書評も収録されている。

その要点は、重信さんが7.6まで中島氏と面識がなかったこと。したがって、現場で言葉を交わすはずがない。この事件後に望月上史さんが中大に拉致された時間帯の違い、あるいは事件後に重信さんが京都に行ったとき、遠山美枝子さんを同道していたかどうか。重信さんと中島氏の主張(記憶)は大きく食い違っている。

重信さんも中島さんも、意図的に嘘をつくような人物ではない。どこかで記憶違いが生じたのであろう。

 

掲載されなかった『追想にあらず』

そればかりでない。中島慎介さんは、旧赤軍派の人たちが一昨年に発行した本に寄稿しようとしたところ、編集サイドが彼の原稿を「ズタズタにしたり、削除した」というのである。これも事件の事実関係をめぐってであろう。

謎はまず、事件が起きた時間帯である。

当時の新聞によると、赤軍派フラクがブントの会議が行なわれる明大和泉校舎に殴り込みをかけた(衝突)のは、9時25分頃で、その後二度目の衝突が1時間後に起きた、とされている。

対する中島氏の主張は、深夜に偵察行動をおこない、6時頃に侵入したというものだ。この時間差が「誰の創作か分かりませんが、警察か『7.2ブント通達』を発行したグループではないか」と、中島氏は指摘するのだ。

※9時半ごろといえば、明大和泉校舎を撤収した赤軍派フラクが、御茶ノ水の東京医科歯科大で中大ブントの逆襲をうけ、主要部隊が拉致されている時間帯である。この衝突を、記者が誤認して書いた可能性があるかもしれない。

そしてここが重要なのだが、そもそも赤軍派フラクの明大侵入は、自分たちを除名するかもしれない会議を開かせないように、明大学館を内側からバリケード封鎖するというものだったのだ(中島氏)。それが仏議長をはじめとする中間左派へのリンチ事件になってしまった。これは果たして偶発的なものか、何者かが意図したものか。

いっぽう、赤軍派の公式記録ともいえる2冊の本『赤軍派始末記』(塩見孝也)『世界革命戦争への飛翔』(共産主義者同盟赤軍派編)は、2時頃の明大和泉校舎侵入である。

中島氏は「この『四時間の空白』が、その後、赤軍派を含めたブント内各派の“秘め事”を生み出している」「研究中でもあります」と云う。なぜ事実関係がいい加減なのか、隠されていることがあるとすれば何なのか? 事件はミステリー、それも陰謀的な謎に覆われているかのようだ。

『毎日新聞』1969年7月7日朝刊

◆指は潰されていたのか?

論点となった「謎」はもうひとつある。

『遥かなる一九七〇年代──京都』において、松岡利康編集長が7.6事件(新左翼最初の内ゲバによる死者)に触れたところ、中大ブントを「代表する」神津陽さんらによって「リンチはなかった」「指は潰していない」という批判が起きた。

『一九六九年 混沌と狂騒の時代』に掲載された「死者を出した『7.6事件』は内ゲバではないのか?『7.6事件』考」をもって、鹿砦社編集部のこの謎にたいする検証が始まったのである。

監禁された中大本館(法学部)4階からの転落事故が原因で、亡くなった望月上史さんをはじめ、赤軍派の4人は本当に「指を潰されていた」のか。

この「指を潰された」は通説となっていたが、中島氏によれば塩見さんが「生爪を剥がされていた」ということになる。上記のごとく、中大派(叛旗派)は、「リンチはなかった」という立場である。

塩見さんの『赤軍派始末記』によれば、中大の地下室で素っ裸にされて殴られた。とあるので、リンチ(暴行)はあったのだろう。そもそも、暴行抜きで拉致・監禁できるはずがない。

指を痛めつけられていた、というのは殴り合いではよく起きるものだ。相手を殴るだけで拳を痛めるので、単3電池を握れとか、50円玉(エッヂが丸っこい)を握って、しっかりした拳で殴れ、などとゲバルトの時にはよく「指導」されたものだ。

『聞書き〈ブント〉一代 』(石井英禧・市田良彦)には、赤軍派フラクを拉致したのは、情況派系の医学連指導部だったとある。ここでも「指を潰す」ようなリンチはなかった、という証言である。

※中島氏は『情況』2008年6月号(130~131頁)に「指を潰した」とある、としているが、神津陽さんの当該の文章は、若松孝二監督の『実録・連合赤軍』に描かれた指を潰すエピソードが「嘘である」との批判なのである。ここは明らかに中島氏の誤読である。しかし、塩見さんの生爪が「回復は順調のようで、薄いけど新しいツメが生えて来ていました」(中島氏『端境期』)と現認しているので、こちらも説得力がある。真実はどっちなのだろう。

 

1969年9・5全国全共闘結成集会にてブント連合派とゲバルト

◆事件をめぐる暗い影

さて、今回『世界革命戦争への飛翔』が部分的に再録されたので、気づいたことがある。4.28(沖縄デー)から6.9のアスパック闘争の過程で、赤軍派フラクが形成されたわけだが、とくに右派からの「リンチ事件」があったという記述に注目しておきたい。

二次ブントは統一ブントとも呼ばれ、統一した集会の後のデモ出発では、党内各派が竹竿でゲバルトをするという、連合党だったのである。7個師団とも呼ばれたものだ。それぞれが地区委員会ごとに機関紙を出し、フラクションとして活動していた。党内派閥や党内党が、公然と存在していたのである。まるでかつての自民党みたいだ(笑)。

●最左派  赤軍派フラク(京大・同志社)
●左派   関西地方委員会(烽火編集委員会)
●中間左派 神奈川・東京南部・専修大(鉄の戦線編集委員会)
●中間右派 戦旗編集部・主流派(早大・明大・北海道・九州)
●右派   叛旗派(中大・三多摩地区)・情況派(明大)

したがって赤軍派フラクからの7.6事件までの経緯は、いわば反右派闘争(ブントの党内闘争)なのである。分派闘争になったのは、その後のブント中央委員会での赤軍フラク除名決議によるものだ。8回大会(68年12月)で主導権を握れなかった関西派が、69年4月以降党内闘争に打って出たのが、7.6事件の全体的な位置づけといえよう。

だが、その前後には、じつに奇怪な事件が起きている。

 

赤軍派結成後の政治集会

6月末に赤軍フラクの藤本敏夫(加藤登紀子と獄中結婚)が何者かに拉致され、数日間行方不明だったのだ。この事件は藤本さんが何も語らなかったことから、いまも「謎の失踪」とされている。おなじく赤軍派フラクの森恒夫(のちに連合赤軍の委員長)が、6月末にテロられているという(大阪市大の西浦隆雄氏の証言)。

定説では森恒夫(故人)が7.6前に赤軍派フラクから脱落し、負い目を感じていた事件であるとされている。花園紀男(早稲田の赤軍派)の証言では、森が「黒ヘルに追いかけられたので」ブントの集会に参加できなかった、と言い訳をしたが、ありえないとしている(『連合赤軍とオウム』)。だが、この「ありえない」は推論にすぎないであろう。藤本と森を襲ったのは何者なのか?

「当日の技術的・軍事的作業を遂行した人物が、一度も表面に出ることなく、消えてしまった」(中島氏)のは、なぜか?

神田氏が中島氏に語った「同日・同時刻・同じ場所で」「もうひとつの7.6事件」があったこと。そして「聞かなかったことにしてください」という言葉が気になる。何としても当事者たちによる、全容の解明が必要である。(おわり)

赤軍派結成直後の大弾圧、1969年11・5大菩薩峠事件

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。3月横堀要塞戦元被告。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』
紙の爆弾12月号増刊
2021年11月29日発売 鹿砦社編集部=編 
A5判/240ページ/定価990円(税込)

沖縄返還の前年、成田空港がまだ開港していない〈一九七一年〉──
歴史の狭間に埋もれている感があるが、実はいろいろなことが起きた年でもあった。
抵抗はまだ続いていた。

その一九七一年に何が起きたのか、
それから五十年が経ち歴史となった中で、どのような意味を持つのか?
さらに、年が明けるや人々を絶望のどん底に落とした連合赤軍事件……
一九七一年から七二年にかけての時期は抵抗と絶望の狭間だった。
当時、若くして時代の荒波に、もがき闘った者らによる証言をまとめた。

一九七一年全般、そして続く連合赤軍についての詳細な年表を付し、
抵抗と絶望の狭間にあった時代を検証する──。

【内 容】
中村敦夫 ひとりで闘い続けた──俳優座叛乱、『木枯し紋次郎』の頃
眞志喜朝一 本土復帰でも僕たちの加害者性は残ったままだ
──そして、また沖縄が本土とアメリカの犠牲になるのは拒否する
松尾 眞 破防法から五十年、いま、思うこと
椎野礼仁 ある党派活動家の一九七一年
極私的戦旗派の記憶 内内ゲバ勝利と分派への過渡
芝田勝茂 或ル若者ノ一九七一年
小林達志 幻野 一九七一年 三里塚
田所敏夫 ヒロシマと佐藤栄作──一九七一年八月六日の抵抗に想う
山口研一郎 地方大学の一九七一年
──個別・政治闘争の質が問われた長崎大学の闘い
板坂 剛 一九七一年の転換
高部 務 一九七一年 新宿
松岡利康 私にとって〈一九七一年〉という年は、いかなる意味を持つのか?
板坂 剛 民青活動家との五十年目の対話
長崎 浩 連合赤軍事件 何が何だか分からないうちに
重信房子 遠山美枝子さんへの手紙
【年表】一九七一年に何が起きたのか?
【年表】連合赤軍の軌跡

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09LWPCR7Y/
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&bookid=000687

◆重信房子さんの「遠山美枝子さんへの手紙」

『抵抗と絶望の狭間』には、重信房子さんの「遠山美枝子さんへの手紙」が収録されている。書下ろしの力作である。

手紙のあてさきの遠山美枝子さんは、連合赤軍事件で亡くなられた女性活動家で、重信さんの明治大学での親友でもあった。いい文章だと思う。わたしは明るく華やかな、そして内省のある重信さんの文体が好きだ。今回の文章にもその一端はあるものの、やはり哀しみをもって読むしかない。

 

日活花の十代3人娘(別冊『近代映画』1964年6月上旬号)

あまり知られていないことだが、当時の明大の二部文学部には女優の松原智恵子さんが在籍していて、やはり学生運動に参加していた。

その松原智恵子は、吉永小百合、和泉雅子と合わせて「日活三人娘」と呼ばれ、中でもブロマイドの売り上げは1位だったという。明治大学では重信房子、遠山美枝子とあわせて「明大ブント三人娘」ということになるが、ビラの受け取りも断トツだったという(重信さんの友人談)。学生運動に参加していたのは、おそらく西郷輝彦と交際していた時期とかさなる。

亡くなった人はどこか美化されるもので、遠山美枝子も美人活動家だったと言われている。一般に流布しているのは、バセドー氏病が持病の永田洋子に責め殺されたというイメージがつよい。それも山に指輪(夫のT氏からではなく、母親から渡されたもので、困ったときはそれをおカネに替えて帰宅できるように着けていた)をしてきたことを批判されたことで、美人だから殺されたという印象になっているのではないか。

じっさいには「素敵な女性だったけど、重信房子の引き立て役みたいなものだった」というのが、加藤登紀子事務所の女性秘書の個人的な感想だ。今回、彼女の学生時代の写真(一般にネットで拾えるものは、警察の逮捕写真)を見て、素敵な女性という印象がえられた。

◆共産同赤軍派と日本共産党革命左派

さて、その連合赤軍である。今年で結成から50年となる。結論的な部分から、簡単に解説しておこう。まずは赤軍派である。本書の副読本として予習的に読んでいただければ幸いである。

69年7月6日の明大和泉校舎で起きたブント(共産主義者同盟)の党内クーデターによって、赤軍フラクは中央委員会で除名処分を受けた。※この7.6事件については、書評(その4)で詳しく触れることにしたい。

除名されて共産同の分派となった赤軍派は、秋の大阪戦争・東京戦争の不発後、公安当局の猛烈な弾圧をうける。そこで、国際根拠地論(政治亡命)が検討されるいっぽう、本格的な武装闘争(爆弾闘争)に着手する。幹部の一部が70年3月に日航機(よど号)をハイジャックして北朝鮮に、その他の幹部もあいついで逮捕される。そして71年2月に、重信房子がアラブへ飛ぶ。

じつはこれも、あまり知られていないことだが、赤軍派の国際根拠地はキューバへの渡航、およびアメリカでブラックパンサーなどの左翼と合流して、世界革命戦争を「攻撃的につくり出す」ことだった。じっさいキューバには、ボランティアをふくむ多くの学生が渡っている(のちに強制送還)。元赤軍フラクの藤本敏夫が関与していたキューバ協会がその窓口だった。

主要な活動家が海外に出て、獄中に捕らわれるか指名手配となった赤軍派は、日共革命左派(京浜安保共闘)と接触するようになる。そのとき、赤軍派の指導者は森恒夫、革命左派の指導者は永田洋子となっていた。二人とも、組織の指導経験はきわめて浅い。

革命左派は、ブントML派とマル戦派の元幹部がつくった「警鐘」グループが、日本共産党左派神奈川県委員会(毛沢東派)と合同し、その後分裂した組織である。革命左派は70年12月に交番を襲撃し、一名が射殺されている。その後、銃砲店に押し入って猟銃を強奪する(71年2月)。

いっぽう、赤軍派は複数の銀行強盗によって、多額の資金を獲得していた。銃を手に入れた革命左派、資金を手にした赤軍派は、相互の利害から武装闘争という一点で、結びつきを強めることになるのだ。

そして革命左派が、山岳ベースからの脱落者2名を処刑する。これもあまり知られていないことだが、それ以前に革命左派は内部の論争からスパイではないかとされる女性労働者(実際にはスパイではなかった)の処刑を検討していた。脱落者2名の処刑は、ある意味で必然的な成りゆきだったのだ。

いっぽう、赤軍派はM作戦の部隊に帯同していた女性シンパの処刑を決定したものの、成し遂げないまま組織から追放するにとどまっていた。この時点では指導者の森恒夫は、女性シンパを殺さなかったことにホッとし、革命左派の処刑に憤っていた。だが、それが彼の負い目となるのだ。

◆山岳ベース事件

ほぼ全員が指名手配され、山岳を拠点にするしかなくなった赤軍派と革命左派は、獄中指導部の反対を押し切って組織合同をはかる。ここに赤軍派の爆弾と資金、革命左派の銃が結びついた。連合赤軍の結成である。

山を拠点に武装訓練をかさね、爆弾闘争では果たせない「敵を銃でせん滅する」戦いをめざす。

だが、その訓練の過程で「兵士と銃の高次な結合」すなわち「共産主義化」が課題とされた。その方法は、自分の活動を総括(反省)し、共産主義の兵士へと高めるというものだった。しかし総括は告白(告解)であり、総括が成しとげられる規準は、指導者の森恒夫と永田洋子による恣意的なものにすぎないのだ。

ある者は総括の態度を批判され、ささいな過去の瑕疵を「総括できていない」と批判された。そして「総括を支援」する暴力が行使される。

もちろん疑問を抱く者もいた。
「こんなことをやってもいいのか?」(植垣康博)
「党建設のためだ。しかたがないだろう」(坂東国男)
この党建設、軍建設という呪縛が、連合赤軍を奈落へと導くのだ。

リンチのすえに、酷寒のなかで食事を与えられず、餓死もしくは凍死した者は「敗北死」とされた。殺人ではなく「総括できずに敗北した」と、政治的に評価された。かくして、12名の同志が山中で殺されたのである。その後の銃撃戦(あさま山荘事件)は国民の注目を集め、平均視聴率50%(最大90%)を記録した。銃撃戦によって、警官に2名の殉職者、民間人1名が犠牲となった。

毎日新聞(1972年2月28日夕刊)

 

毎日新聞(1972年3月10日夕刊)

◆長崎浩さんの視点──左翼反対派からの脱却

この連合赤軍問題を、ふたつの論攷から読み解いていこう。

「『何が何だかわからないうちに(小熊英二)』彼ら全員を追い立てていたものがあった。私はここであえて連合赤軍と事件の政治的な過去物語を提示しておきたい。彼らの上に跳梁していたのは党という観念であった」

連合赤軍を呪縛したものが「党」であると、「連合赤軍事件──何が何だか分からないうちに」で長崎浩さんは云う。

まずは、長崎さんの妖艶なともいうべき文体を愉しみながら、政治的論理の山脈に分け入るのがよい。

上記の「過去物語」とは、共産主義者同盟(再建準備委員会=情況派)の自己批判にまつわることである。その自己批判とは「連合赤軍派事件に対する共産主義者同盟の自己批判──暴力・党・粛清について」(ローテ第14号)なのだ。当時、ブント右派とされた情況派が、その機関紙上で連合赤軍事件を「自己批判」したのだ。これが「党の態度」なのであろうか。

その要旨は、大衆の暴力に依拠する事業である革命を、連合赤軍は武器と兵士の問題に矮小化した。党と革命を二重写し(混同)する組織論・革命論の伝統が、リンチ(共産党・革マル派・連合赤軍)をもたらした。というものだ。

唯銃主義・党共同体主義と批判された論調の、きわめてラディカルなものであろう。そして新左翼運動の終焉を告げるものでもあったとする。ほどなく、長崎浩とその同志たちは、ブントを解消して地方党へと越境する(「遠方から」)。

私党論をベースにした長崎さんの党概念は、初めて読む人には難解かもしれないので、簡単に解説しておこう。

新左翼(ブント)は、共産党と社民にたいする左翼反対派であるとともに、大衆運動の担い手であった。この左翼反対派とは、社共に代わる革命党建設である。いっぽう、大衆運動の担い手としてのブントは、組織建設に拘泥しない。いわば大衆運動がすべて、ということになる。このブントの伝統が掘り崩された(大衆を裏切った)以上、新左翼は終焉しなければならないというのである。

いっぽう、社共に対する左翼反対派だった新左翼が、唯一の党として立ち現れてくるのが70・71年だった。内ゲバの時代の始まりである。長崎さん流にいえば、多重の左翼反対派の「革命の独占と孤独」である。いまなお革命(批評)家である長崎さんは、その出口をもしめしている。

「左翼反対派の革命の独占と孤独とを、叛乱の大衆政治同盟の同志たちを媒介にして、叛乱へと解放しなければならない」この「大衆政治同盟」とは、任意の固有の党であり、「同志たち」とは大衆のことである。フロイトの『文化への不満』からの引用(連赤事件への適用)がじつに秀逸なのだが、本書を買ってからのお楽しみにしてください。

◆党至上主義と批判の自由

「破防法から五十年、いま、思うこと」の松尾眞さんは、わたしが大学に入った当時の中核派の全学連委員長である。

すでに全共闘世代としてベテランの活動家で、71年の沖縄決戦で「機動隊の命はあと三日!」と劇画的なアジテーションをして、破防法で逮捕されたのは有名な話だ。当時の風貌は黒縁メガネに端正な顔で、いまの白井聡さんによく似ていた。白井さんと初めて会ったとき、おっ、松尾眞さん。と思ったものだ。

とにかくアジテーションがうまくて、全学連委員長の座を堀内日出光さんに譲ったあとは、北小路敏さんに代わって、革共同代表として演説をすることが多かった。破防法で下獄の後、学究活動に入られ、大学教員をへて現在は地方議員である。

ちなみに、当時の革マル派全学連委員長は長谷さんという東大の方で、こちらも指導者としては迫力があった。京大同学会の委員長が市田良彦(神戸大教授)、浅田彰(ニューアカの先駆者)と、優秀な人たちが学生運動の指導部にいた時代である。

さてその松尾さんが、自分の経歴と共に「党組織至上性」を、内ゲバが発生する問題点として抽出されている。もともと無党派の活動家で、京大全共闘の指導部になっていたことは、森毅さんの『ボクの京大物語』で知っていたが、中核派にオルグされる経緯は意外だった。一本釣りなのである。

その松尾さんが、獄中で何を考え、どういう契機から学究活動に入られたのかは知らない。京都精華大学の人文修士課程の論文は「非権力志向連帯社会」だったという。

山村暮らしから得られたエコロジーと地域復興へのこころみ。そして議員活動をつうじて痛感した、批判の自由・言論の自由。じつに面白く読んだ。

関西の革共同の分派のひとたちが、レーニン主義(本多延嘉さん=中核派書記長)の路線から決別したという。ブント系では荒岱介さんの系譜の組織が、ネットワークとして存続しつつも、事実上の党派解散をしている。党に代わる何ものかの組織形態を、発見する世紀に入っているのだといえよう。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。3月横堀要塞戦元被告。

いよいよ29日(月曜日)発売!

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』
紙の爆弾12月号増刊
2021年11月29日発売 鹿砦社編集部=編 
A5判/240ページ/定価990円(税込)

沖縄返還の前年、成田空港がまだ開港していない〈一九七一年〉──
歴史の狭間に埋もれている感があるが、実はいろいろなことが起きた年でもあった。
抵抗はまだ続いていた。

その一九七一年に何が起きたのか、
それから五十年が経ち歴史となった中で、どのような意味を持つのか?
さらに、年が明けるや人々を絶望のどん底に落とした連合赤軍事件……
一九七一年から七二年にかけての時期は抵抗と絶望の狭間だった。
当時、若くして時代の荒波に、もがき闘った者らによる証言をまとめた。

一九七一年全般、そして続く連合赤軍についての詳細な年表を付し、
抵抗と絶望の狭間にあった時代を検証する──。

【内 容】
中村敦夫 ひとりで闘い続けた──俳優座叛乱、『木枯し紋次郎』の頃
眞志喜朝一 本土復帰でも僕たちの加害者性は残ったままだ
──そして、また沖縄が本土とアメリカの犠牲になるのは拒否する
松尾 眞 破防法から五十年、いま、思うこと
椎野礼仁 ある党派活動家の一九七一年
極私的戦旗派の記憶 内内ゲバ勝利と分派への過渡
芝田勝茂 或ル若者ノ一九七一年
小林達志 幻野 一九七一年 三里塚
田所敏夫 ヒロシマと佐藤栄作──一九七一年八月六日の抵抗に想う
山口研一郎 地方大学の一九七一年
──個別・政治闘争の質が問われた長崎大学の闘い
板坂 剛 一九七一年の転換
高部 務 一九七一年 新宿
松岡利康 私にとって〈一九七一年〉という年は、いかなる意味を持つのか?
板坂 剛 民青活動家との五十年目の対話
長崎 浩 連合赤軍事件 何が何だか分からないうちに
重信房子 遠山美枝子さんへの手紙
【年表】一九七一年に何が起きたのか?
【年表】連合赤軍の軌跡

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◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&bookid=000687

『抵抗と絶望の狭間』(鹿砦社)の書評の第二弾である。

71年は学園闘争の残り火、爆弾闘争の季節であると同時に、東映と日活がポルノ路線へと舵を切った年でもあった。

高部務さんの「一九七一年 新宿」(作家・ノンフィクションライター。著書に『馬鹿な奴ら──ベトナム戦争と新宿』)によれば、東映が7月に『温泉みみず芸者』(鈴木則文監督)でピンク映画へ路線転換した。主演女優は、のちに東映スケバン映画で一世を風靡する池玲子である。

それから四カ月遅れて、日活がロマンポルノ路線をスタートさせる。第一弾は『団地妻 昼下がりの情事』(西村昭五郎監督、主演女優白川和子)と『色暦大奥秘話』(林功監督、主演女優小川節子)である。

左から『温泉みみず芸者』(鈴木則文監督、主演女優池玲子)、『団地妻 昼下がりの情事』(西村昭五郎監督、主演女優白川和子)、『色暦大奥秘話』(林功監督、主演女優小川節子)

高部さんの記事には、70年代のピンク映画、ポルノ映画の裏舞台があますところなく紹介されている。

爾来、ポルノ映画はレンタルのアダルトビデオが普及する80年代初期まで、エロス文化の王道として君臨したものだ。やはり71年は戦後文化の転換点だったといえるのだろう。

わたしの記憶では、『イージー・ライダー』の日本公開が70年で、その洋画ブームの時期にスクリーンでバストの露出がOKになったと思う。ついでフランス製の性風俗ドキュメント映画『パリエロチカNo.1』の公開があって、思春期のわれわれはフランスのエロスに驚いたものだ。そして海外ポルノの浸食。

その意味では海外作品によって、71年のポルノ路線は道がひらけていたというべきであろう。68年公開の『卒業』(ダスティン・ホフマン主演)では、アン・バンクロフト(恋人の母親)の色っぽいシーンがコラージュのようになっていたものだ。

引用したのはDVDのパッケージだが、映画館のポスターや看板(手描き)はバスト露出がなく、公序良俗が守られていたようだ。

◆SM小説の黎明

板坂剛さんの「一九七一年の転換」によれば、三島由紀夫が団鬼六の『花と蛇』を絶賛したという。覆面作家沼昭三の『家畜人ヤプー』を激賞した三島なら、当然の評価であろう。羞恥と悦楽に苦悶する美女、緊縛という肉刑は三島にとってど真ん中の素材であっただろう。

 

団鬼六『花と蛇』(主演女優谷ナオミ)

その団鬼六は教員時代に、63年ごろからSM小説を書きはじめ、70年には芳賀書店から『天保女草紙耽美館』を、71年には同じく芳賀書店から『団鬼六SM映画作品集 1-2 耽美館』を出版している。ちなみに芳賀書店は、小山弘健やいいだもも、滝田修ら新左翼系の書籍を出版していた版元で、新左翼とエロスの親和性の高さを、何となく反映しているような気がする。

したがって団鬼六は、もう71年には谷ナオミ主演映画の原作者として、確固たる地位を占めていたことになる。じつは谷ナオミのデビュー前から、彼女を買っていたという。

その谷ナオミと吉永小百合を、板坂さんは「この時代の二大女優」だと評している。わたしもそれには賛成だ。ちなみに、谷ナオミの芸名は、谷崎潤一郎の「谷」と彼の作品『痴人の愛』のヒロイン「ナオミ」との組み合わせとされる。いかにも60・70年代らしい、文芸エロスである。

板坂さんによれば、全共闘世代の大半がサユリスト(吉永小百合ファン)だったという。三島は『潮騒』に出演した吉永小百合を「清純なピチピチした生活美の発見」と評し、戦前の薄幸な肺病型の美人との対比を強調している(本文での引用)。ここに板坂さんは「一九七一年の転換」をみるのだが、非常に興味深いのは、吉永小百合と谷ナオミの類似点である。それは女優としては陽と陰でありながら、純真無垢な目つき顔つきだという。

 

吉永小百合

なるほど、吉永小百合の清廉な健康美にたいして、谷ナオミは大きな乳房に象徴される肉体美であろう。そして純真無垢というのはおそらく「穢される美」なのではないだろうか。

吉永小百合を穢すものは、スクリーンに描かれる社会的かつ日常生活の困難であり、谷ナオミを穢すのはサディズムとマゾヒズムの凌辱である。

とくに谷ナオミの場合、高貴な財閥夫人が凌辱される被虐の美は、いかにも戦後的なロマンだが、そこに若々しい戦後日本の欲望と活力を見ることができる。ハードなSM小説が読まれなくなり、男たちがむき出しの欲望をなくした今は、日本の衰退期なのかもしれない。むしろコロナ禍の不況は吉永小百合的な、日常生活の困難があたらしい女優をもとめるのかもしれない。

ところで、吉永小百合と谷ナオミの両者を分けるのは、バストの大きさだと板坂さんは指摘する(笑)。女優でありながら早稲田の文学部を卒業した知性派の吉永小百合と、肉体派という表現が最もふさわしい谷ナオミのどちらが、みなさんは記憶に残っているでありましょうか。また、若い人たちはどう感じますか?

◆炸裂する板坂節

前回の書評が長くなりすぎた関係で、扱えなかった板坂剛さんの対談シリーズは今回も健在だ。

『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の日大闘争左右対決は、両者が高校時代の同窓生だったこともあって「話はもういいから、外に出て決着をつけようか」など、とくに秀逸だったが、今回は相手が民青だった人である。面白さ爆裂にならないはずがない。

この元民青氏は6.11(最初の右翼との激突)の現場にいて、全共闘のバリケードづくりをともに担いながら、なぜか闘争の渦中に民青に転じるという異例の経歴をもっている。しかも父親の会社を継いで、社長として人生を乗りきってきたという。

マジメな話もしている。ちょっと引用しよう。

S 「僕の価値観からすれば、日大全共闘は正しいと評価するけど、東大全共闘は間違っていたと評価する。従って日大が東大に行ったことは間違っていたという方程式が、僕の頭の中では成立しているんだ」
板坂「一応筋は通っているね。もう今後は日大も東大もひっくるめて『全共闘運動はああだったこうだった』っていう論じ方はやめて欲しい」

視点はともかく、これはわたしも正しいと思う。雑誌で日大闘争の特集をやったさいに、元日大生から言われたものだ。「三派系の学生は六大学が主流だから、地方出身者が多いでしょう。日大全共闘は、そうじゃないんです。日大は東京の学生が多いですからね、慶応や一橋、東京四大学の入試で落ちた人たちが、日大全共闘には多いんですよ」

おそらく地方出身者(六大学+中大)には、この「東京四大学」が何のことなのか、わからないであろう。旧制7年制高校、もしくは財閥系の大学。ということになる。具体的には、武蔵大学(東武財閥)、成蹊大学(三菱財閥)、成城大学(地元財閥)、そして学習院大学(旧華族系)の四大学である。この四大学は野球にかぎらず、年に一度の体育会の対抗戦をやっている。※関西では甲南大学が旧制7年制で、東京四大学と提携した学生募集活動を行なっている。

この四大学には入れなかったが、すこし裕福な家庭の子弟が入学したのが日本大学なのである。そして、そのあまりにもマスプロで劣悪な教育施設(教室に募集人員が入りきれない)に愕き、憤懣をかかえていたところに、不正問題(使途不明金)が発覚したのだ。

最初はひとにぎりの活動家たちの蹶起に、ふつうの学生が賛同してこれに参加した。どちらかというと、秩序派のむしろ右翼的な発想を持っていた学生たちが参加したからこそ、地をゆるがす巨万のデモが実現されたのである。

いっぽう、東大闘争の発端は医学部の処分問題であり、医学部の主流派はブント(社学同)。駒場はフロント(社会主義学生戦線)が教養部自治会の執行部、そして文学部自治会が革マル派。駒場反帝学評(社青同解放派)も勢力を持っていた。ようするに、最初から党派活動家による闘いだったのだ。

全共闘運動は全国に波及したが、バリケード闘争は日大闘争と東大闘争の真似事にすぎない。したがって、雑誌のキャッチを「全共闘運動とは日大闘争のことである」に決めたのだった。その位相は、板坂さんとSさんの論調にも顕われているといえよう。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
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『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』
紙の爆弾12月号増刊
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A5判/240ページ/定価990円(税込)

沖縄返還の前年、成田空港がまだ開港していない〈一九七一年〉──
歴史の狭間に埋もれている感があるが、実はいろいろなことが起きた年でもあった。
抵抗はまだ続いていた。

その一九七一年に何が起きたのか、
それから五十年が経ち歴史となった中で、どのような意味を持つのか?
さらに、年が明けるや人々を絶望のどん底に落とした連合赤軍事件……
一九七一年から七二年にかけての時期は抵抗と絶望の狭間だった。
当時、若くして時代の荒波に、もがき闘った者らによる証言をまとめた。

一九七一年全般、そして続く連合赤軍についての詳細な年表を付し、
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【内 容】
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──そして、また沖縄が本土とアメリカの犠牲になるのは拒否する
松尾 眞 破防法から五十年、いま、思うこと
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田所敏夫 ヒロシマと佐藤栄作──一九七一年八月六日の抵抗に想う
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重信房子 遠山美枝子さんへの手紙
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