【緊急訴訟報告】対エル金(しばき隊/男組)訴訟、上告棄却の不当決定! 損害賠償11万円+利息等が確定! 大学院生リンチ事件で被害者М君に瀕死の重傷を負わせた徒輩が「プライバシー侵害」とは嗤わせる!

鹿砦社代表 松岡利康

2016年に始まった対しばき隊関係訴訟はまだ続いていましたが、くだんのリンチ事件で主たる暴力行使者・エル金こと金(本田)良平が、犯歴をバクロされたとして「プライバシー侵害」を理由に鹿砦社と作家・森奈津子さんを訴えた訴訟の上告審、最高裁第二小法廷は私たちの上告を棄却する決定を下しました。決定日付は7月10日。別掲の通り簡素なものです。これで、すべての対しばき隊関連訴訟が終結したことになります。まさに“10年戦争”でした。

7月10日付け最高裁の決定書

◆将来を嘱望された大学院生(当時)М君の人生を狂わせた徒輩を許せない!

この集団リンチ事件の当事者の中で、加害者側の5人、このうち李信恵は相変わらず講演三昧、伊藤大介は複数の暴力事件を起こし有罪判決が確定しオモテから離れました。1発殴り罰金刑(刑事)と賠償金を課された凡(ハンドルネーム)もオモテから離れました。残りの松本英一はまだ運動に足を突っ込んでいるようですが、詳しい最近の動向は伝わってきません(雑魚にはさほど興味もありません)。

リンチ直前の加害者ら。左から李信恵、金良平、伊藤大介

今回の訴訟の原告、エル金こと金良平は、一時行方不明になったり突然オモテに出たりしながら、住所不明(訴状では代理人の神原元弁護士の事務所を住所としています)、職業不詳です。彼は数十発、М君に激しい暴行を加え、刑事では罰金40万円、民事では賠償金120万円余の判決を受け、なんとかカネを集め支払っています。合計で160万円余り、個人で払うには決して少額ではありません。これに懲りて反省し、もう暴力的行為はしないとけついしたらいいのですが、その後も、一触即発の場面に先頭になって参加しています。

一方の被害者M君は、酷いリンチによるPTSDで、博士課程は修了したものの研究職に就くことができず、肉体労働に近い職業で日々働き暮らしています。本来なら今頃、若い学生に囲まれ学究生活に入っていただろうに……。これを思うと不憫です。

М君は、金良平らによる直接的暴力、「反差別」運動の旗手とマスメディアが喧伝する李信恵らによる集団リンチ、さらには彼らの支持者によるセカンド・リンチにより人生を狂わされました。私や森さんが、一審判決11万円という少額賠償金にかかわらず、控訴審、上告審と最後まで闘ったのは、人生を狂わされたМ君への血の通った人間としての同情心と、金良平らリンチの加害者らや、これに付和雷同してM君にセカンド・リンチを加えた徒輩を許せなかったからです。

リンチ前と後

◆10年経って社会運動から暴力はなくなったのか?

かつて激動の時代60年代後半から70年代にかけて、世界的なベトナム反戦運動の高揚、国内的には、それに加え安保─沖縄闘争、全国学園闘争、三里塚闘争(成田空港反対闘争)などをメルクマールに、学生運動、反戦運動、社会運動全般が盛り上がったことは歴史的事です。

しかし、運動内部では軋轢、対立、分裂が進行し、これが暴力を伴い、「内ゲバ」と総称されるような問題も同時に起きました。問題は、累々たる死者をも出し、これも大きな要因として運動全般が衰退していったことは私ごときが言うまでもありません。

そうしたこともあって、心ある人たちの努力により、わが国の社会運動から次第に暴力はなくなっていったはずでした。私もそう思っていました。

そのかん、私の先輩、後輩らも暴力の場面に遭遇しました。なにより私も病院送りにされましたし、ついこの前に一緒にビラ撒きしていた某党派の活動家が夜間急襲され仲間と共に殺されるというニュースには驚きました。多くの先輩方から対立党派ながら真面目な方と聞き、なんとも言えない気持ちになったことを今でも忘れることができません。

それから連合赤軍事件、内ゲバの激化などが続き、わが国の社会運動にとって大打撃となり、かつて社会運動の拠点となっていたキャンパスから抵抗の声は次第に聞かれなくなりました。かつては林立していた立看も今では見られなくなりました。立看を出しただけで即撤去、処分されたり、裁判になったりする時代です。時折訪れる母校でも、今や綺麗なキャンパスになりました。少なくとも立看、ビラ撒きぐらいは表現の自由の観点から制限なく規制しなくてもいいのではないか、と思います。

キャンパスから暴力的場面がなくなり、同時に立看やビラ撒きも見られなくなりましたが、これを突然打ち消したのが、金良平、李信恵らによるM君リンチ事件だったのです。社会運動の一つ「反差別」運動には根深い暴力が残っていたのです。「反差別」運動における暴力の問題として、本件と共に八鹿(youka)高校事件と併せ、やはり捉え直しが必要ではないかと思います。ちなみに八鹿高校事件では、部落解放同盟と日本共産党の争いもあり、兵庫県の山間の田舎都市での対立以上に大きな問題で、両者は本当にこれを教訓化したのか疑問です。この事件では、私の先輩も巻き込まれ、元々ブント系ノンセクトの活動家でしたから、共産党には批判的で、解放同盟に特段批判的でもないのに暴行を受けています。いまだにネットに流れている裁判記録に先輩の名を発見した時には胸が破裂しそうでした。

このリンチ事件を持ち込まれた際に、私はその先輩の姿を想起しました。金良平、李信恵ら加害者5人は、さんざんM君に暴行を加えた後、瀕死の重傷を負ったМ君を放置し逃げ去ったとのことで、M君はやっとの想いでタクシーを拾い自宅に帰ったのです。なにかを察知した運転手の方は料金を受け取らなかったそうです。

これには、さすがの裁判所も、「最後は、負傷したМの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。」として、「日頃から人権尊重を標榜していながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」(大阪高裁、令和3年7月27日判決言渡)と批判したのです。

2016年の初めに、この大学院生リンチ事件を、リンチ直後の被害者の顔写真、リンチの最中の音声データ、その他の資料に接して知った時には、本当に驚き、瞬間湯沸かし器の私は即動き始めたのです。

◆事件後の加害者らの動き──当初反省、謝罪、活動自粛を約束しつつも、しばらくして反故

リンチ事件後、在日の親睦、協力の目的で設立された「コリアNGOセンター」を中心として事態収拾に動き、加害者、被害者双方への事情聴取が行われ、加害者5人のうち直接手を出したとされる金良平、李信恵、凡の3名が「謝罪文」を被害者M君に送り、反省、謝罪、活動自粛を約束していますが、のちにこれを反故、M君を苦しめることになります。約束を反故にし活動再開した理由としては、師岡康子弁護士が金展克さんに送った、いわゆる「師岡メール」に現れています。当時、彼らが当面の目的としていたヘイトスピーチ解消法成立の運動に利にならないとの思惑からだと思われます。研究者として将来を嘱望されたM君一人の人権よりも在日の利益を図ることのほうが重要だとの考えからでしょうが、人ひとりの人権を蔑ろにして、なにをかいわんやです。なので、師岡はじめ、この事件で名が出てくる者らを私は決して許すことができません。

金良平の謝罪文(全文1枚目)
金良平の謝罪文(全文2枚目)
辛淑玉文書の1ページ目。この時は深刻だったと思われるが、その後、この文書も否定

特に、岸政彦、彼は「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長を務め、このリンチ事件ではコリアNGOセンターが行った事情聴取にも立ち合っています。本来なら、積極的に問題解決に奔走すべき立場です。しかし彼は、私たちが送った質問状にも答えず、馬耳東風のスタンスを貫くつもりだったようなので研究室に直撃取材をかけたのです。李信恵が裁判で述べたところによれば、このあと同会の事務局長を辞任したとのこと、これも、岸の一片の良心を信じていたМ君を苦しめることになります。その後岸は、当時龍谷大学教授から立命館大学教授、そして今や京都大学教授へと上り詰めていくのです。M君を犠牲にして──。岸は芥川賞の候補にもなりましたが、こういう世渡りのうまい人間こそ唾棄すべき人種です。岸よ、恥を知れ、恥を!

われわれの直撃に必死に逃げ回る岸政彦

一方的に活動再開した後、李信恵は講演三昧、彼女の自宅前を通った人によれば、自宅の車庫にベンツが停めてあったとのこと、行政などからの髙い講演料で買ったのかと勘繰ります。彼女は高価なブランド物も好きなようで、集会にどこかのブランドバッグを持って現れたのを見たという人もいました。果たして彼女に人間としての反省はあるのか⁉ 普通に考えて大いに疑問です。罪は逃れても、リンチの場にいて、金良平の激しい暴力を制止もせず、悠然とワインを飲んでいたとは、人間として信じられません。

金良平、伊藤大介らはますますアグレッシブに活動し、伊藤に至ってはネトウヨ活動家に対する暴行容疑で有罪判決を受け、経営する不動産会社の宅建免許取り消しを怖れ自社の代表を辞しています。凡のみが結婚し活動を辞めたようです。正解です。

◆金良平らリンチ加害者は本当に反省したのか? 関係者らは、このリンチ事件の〈負〉の面をいかに教訓化し運動の糧にしたのか?

この問いに、結論から言えば、なんの反省もしていませんし、教訓化もしていません。現在のしばき隊の現状、共産党の苦慮を見れば一目瞭然です。共産党が今、しばき隊との関係を切る、切らないで苦慮しているのは、10年余り前に、このリンチ事件に対して真っ向から取り組まなかった故です。その時のツケが今回ってきていると言えるでしょう。

金良平について言えば、真っ昼間からSNSに相当の時間を費やし、生業に就いているのかどうか疑問で、さらには被告とされた森さんの自宅圏内の関東地方に移住し、彼女に恐怖を与えていました。広義のしばき隊に繋がる者らと思しき者から、彼らを批判しただけで激しい嫌がらせを受けた人たちがいます。森さんもそうですが、自宅の周囲を何者かに徘徊されたこともありました。

私は、このリンチ事件の被害者М君支援、真相究明に関わってきて、いわゆるしばき隊やカウンターといわれる運動を批判した人たちが激しい嫌がらせを受けたことを知りました。2、3例を挙げますと、公立病院に勤める、ある在日の医師は病院に多数の嫌がらせ電話をかけられSNSを閉じられました。人の命に係わる病院にですよ。絶対にやってはいけないことです。小菅信子山梨学院大学教授は、大学に電話攻撃を受けると共に、愛猫が殺されています。作家の室井佑月さんは自宅前に汚物を撒かれました。なぜか、どれも実行犯は逮捕されていません。

本件訴訟の原因ともなっている金良平が森さんに絡んできて日に日にバッシングが激しくなり、危機感を持ち、障碍者の夫と共に暮らす森さんの身を案じ、金良平の犯歴を晒してでも自分の身を守れとアドバイスしたことで、私のアドバイスを受けた森さんは金良平の犯歴=M君へのリンチ事件の有罪判決(罰金刑)の前科を晒したのです。他人の身は他人が守ってくれるわけではありませんから。どのような手段を使ってでも自分の身は自分で守れ、と。その後、森さんには、反LGBT運動の仲間でありオウム信者に殺されかけた滝本太郎弁護士と共に殺人予告もありました。

金良平の犯歴を晒したというが、金良平の犯歴は鹿砦社の一連の出版物で〈公知の事実〉となっており、今更どうこう言うことでもありません。私に言わせれば、将来を嘱望された大学院生М君の将来をぶち壊した徒輩に「プライバシー侵害」などと嗤(わら)わせてくれるな、ということです。

このかん金良平は、Xも長く配信を止め、最近になってぼちぼち動き出してきたようですが、「反差別」運動にとって彼はもはや不要の人物であり厄介者にさえなっています。

今回の最高裁決定で、10年戦争を続けてきた大学院生リンチ事件関係訴訟はすべて終結いたしました。この10年間、私(たち)なりに被害者М君支援、真相究明に努めてまいりました。この過程で「反差別」運動のウラの面を垣間見、なぜ多くの識者がこれに対して声を挙げないのか? また、マスメディアはなぜ、李信恵らを持ち上げるだけで、その暗部を採り上げ批判しないのか、疑問です。

「反差別」が利権であってはならないことはすでに周知のことになっています。差別に反対するという崇高な営為が、どこかで倒錯していないか? 少なくとも真剣に考えても無駄ではないでしょう。いや、前記した大阪高裁判決で、リンチがあったこと、李信恵、金良平らが係わったことは確定しています。「リンチはなかった」だって⁉ 私やМ君の前で言ってみろ!

師岡康子弁護士と、金良平の代理人・神原元弁護士

リンチはあったのです。これを認めた上で、これに真摯に向き合い、「反差別」運動を主体的に切開し、改善すべきは改善し、今後の運動に主体的に取り込んでいくべきではないのか、大学院生リンチ事件に10年関わり、お金もそれなりに使い、私なりに一所懸命に取り組んできました。故・山口正紀さん(ジャーナリスト)や野田正彰さん(精神科医)、先輩の矢谷暢一郎さん(ニューヨーク州立大学アルフレッド校心理学名誉教授)、寺澤有さん(ジャーナリスト)、黒薮哲哉さん(同)、故・北村肇さん(『週刊金曜日』発行人)、今回鹿砦社と共に被告とされた森奈津子さん(作家)ら、決して多くはない心ある方々にご理解いただき、最後まで協力、支援賜りました。感謝申し上げます。

特に山口さんにつきましては、末期ガンで死の直前まで命を削り準備書面をお読みいただき添削も行ってくださいました。

訴訟上は、ヒラメ裁判官ばかりで、М君も賠償金は、決して満足のいく金額ではありませんでしたが、治療費程度は獲得できました。内容的にも満足のいくものではありませんでした。それでも勝訴は勝訴です、私たちは、М君を裏切ることなく最後まで共に頑張りました。

歪曲された反差別運動の犠牲者М君の想いをご理解いただき、このリンチ事件を、今からでも注目され真剣に再検証いただき、反差別運き動を含む社会運動における暴力の問題を考えていただきたいと切に希望いたします。

この大学院生リンチ事件については、言いたいことがまだまだあります。機会を見て、これまで収集した資料を元に総括的にまとめていきたいと考えています。

最後に、本件訴訟は当初、1996年以来、東京での訴訟事を一手に引き受けていただいていた内藤隆弁護士に受任いただきましたが急逝され、慌ただしく清井礼司弁護士が引き受けられました。急なことながら、短期間でリンチ事件の全貌を理解され最後まで、私たちの意を汲み闘っていただきました。心より感謝いたします。

※大学院生リンチ事件については、これまで刊行した6冊の本、これ以降については、「デジタル鹿砦社通信」の「しばき隊リンチ事件」の項私のFBをご覧ください。

われわれが総力で記録化した大学院生リンチ関係書籍。必読!

しばき隊リンチ事件 https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

しばき隊と日本共産党の決別

黒薮哲哉

しばき隊と日本共産党の決別は歓迎すべきことだ。共産党を離党した家登氏(右)としばき隊の関係を証拠付ける写真を昨日入手した。

Ⅹ上で公開されていたものだ。写真の中央は、しばき隊の女性リーダー、ジャーナリスト、人権派の李信恵氏。

共産党はなぜ重大な判断ミスを犯したのだろうか。おそらく事実が正確に伝わっていなかたのでは? マスコミ情報を過信したことも裏目に出た。情報の分析があまいのではないか?

※黒薮哲哉FB「メディア黒書」、日本メディアの構造的腐敗を読み解く 2026年7月15日付けより転載

《追記》松岡利康(鹿砦社代表)2026年7月16日記

しばき隊と日本共産党との癒着は、私たちが総力で取り組んだカウンター大学院生リンチ事件、いわゆる「しばき隊リンチ事件」の頃から公然と関係を誇示していました。大学院生リンチ事件は、神原元弁護士をはじめとするしばき隊系の者らが「リンチはなかった」との開き直りとデマを吹聴しても消せない歴史的事実です。

共産党が、今頃になってしばき隊を縁を切ると言っても遅いと言わざるをえないし、おそらく水面下では関係は続くものと考えています。

もし本当に共産党がしばき隊との関係にケリをつけようと思うのならば、まずは歴史を溯り、くだんの大学院生リンチ事件の総括を行うべきでしょう。ちなみに、上記写真の左は、しばき隊と行動を共にする福島恵美鶴ヶ島市議。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

「頑張れ、龍一郎!」と叫びたい!

鹿砦社代表 松岡利康

15年近くに渡り鹿砦社のカレンダーを揮毫してくれた、大学の後輩で魂の書家・龍一郎の著書『ゲルニカ事件』の書評↓です。

浅野健一さんの出版差し止め問題にこの2カ月余りエネルギーを費やしてきましたが、そんな中、爽やかな、しかし怒りを想起させる物語です。

龍一郎は昨年来、肺がんを患い療養中ですが、「頑張れ、龍一郎!」と叫びたい! 

◇     ◇     ◇     ◇

6月13日付けMichiko MoriさんのFacebookより転載。

1987~88年のことである。福岡市立長尾小に赴任してきた井上龍一郎教諭は、いじめなどで荒れている6年3組の担任になった。そこで、井上先生は諦めなかった。

いじめのボスと、授業を投げ出しクラスでサッカーに興じたり、クラスの旗「ナウシカ」を皆で創ったり、いつでもお母さんたちを授業参観に招いた。子どもたちはどんどん落ち着きを取り戻す。3学期には、卒業式に向けて、ピカソの「ゲルニカ」を学んで、旗を皆で創った。

しかし、体育館のステージの正面に飾られるはずの「ゲルニカ」は、当日席の後ろに移されて、正面のステージは、日の丸に変わっていた。リハーサルにはなかった国歌斉唱も、教頭、校長の教育委員会への忖度で、加えられていた。子どもたちも井上先生も起立しなかった。子どもたちの気持ちを踏み躙って、卒業式は終わった。

いわゆる「ゲルニカ事件」である。以降、井上教諭の処分、卒業式で堂々と意見を述べた生徒(何と12歳の少女に向かって、来賓席の大のおとなたちがヤジを飛ばしたという)は、新聞などで報道され、一部の人たちから批判されたという。この事件が、今こそ映画化されることを、望む。径書房の「前がき」にあるように、ほんとの教育とは何かを、改めて考えたい。

6/11の天声人語には、大岡昇平氏のことが書かれていた。「国旗を大切に思う国民感情」を守るためという国旗損壊罪とは、一体何だ?

◇     ◇     ◇     ◇

書家・龍一郎(本名・井上龍一郎)の話が出てきたついでに、彼の作品の一部を紹介させてください。

①彼の作品の中で私が一番好きなものです。
②極真会館中村道場のシンボル「誠」旗。伝説の空手家・中村誠総帥主宰。偶然に鹿砦社のイベントで揮毫したものを中村総帥が気に入られ旗、会員証などに使われています。
③龍一郎は福岡在住ですが、同じ福岡に本部を持つ中村哲(故人)医師が創設された「ペシャワール会」の活動にも関与しています。写真は、中村医師のお別れ会の看板を揮毫。左が龍一郎。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0H6W3YJ7D/

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0GZZQWL9T/

21年前の7月12日に何があったのか? ── 「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧を想起する

鹿砦社代表 松岡利康

今から21年前の2005年7月12日(以下、7・12と記します)のことは終生忘れられない ── それはそうでしょう、早朝から検察(神戸地検特別刑事部)の一群に自宅を襲われ逮捕、半年以上も幽閉されることになったのですから。それも自分の逮捕を、その日、配達されたばかりの新聞で知るという、何とも言えない経験でした。
21年前の4月7日、この日は悲願の月刊『紙の爆弾』を創刊(編集長・中川志大)し、4号発行した直後の7・12に事件は起きたのでした。神戸地検特別刑事部長・大坪弘道検事に指揮された同主任検事・宮本健志検事(地元・西宮東高出身)と朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者との周到な連携によって……。

◆1 前史 

昨年4月、『紙の爆弾』創刊20周年に際し東京日比谷・日本プレスセンターに多くの皆様方にお集まりいただき、祝っていただくと共に叱咤激励賜りました。さらに7・12には弾圧の舞台・西宮にて弾圧20年を忘れないという意味で、こちらにも多くの方々にお集まりいただき、この弾圧の悔しさと意味を忘れないことを共有いたしました。そして鹿砦社も、〈小さくても毒を持った出版社〉として在り続けることも、あらためて決意したのでした。1969年に創業した鹿砦社は、すでに50年余りの激闘の時代を潜り抜けてきましたが、くだんの「名誉毀損」に名を借りた弾圧はじめ山あり谷ありの社史を綴ってまいりました。

私は創業者ではなく実は三代目で、創業時のスタッフは、いまだに老いても気を吐いている前田和男(『続 全共闘白書』編集責任者)を残すのみで初代代表・天野洋一はじめほぼ鬼籍に入っています。最初の出版、中村丈夫編『マルクス主義軍事論』の名に象徴されるように、ロシア革命の問い直しを中心としてバリバリの硬派の出版社でしたが、私が引き継いだ1980年代も後半になると時代も変わり、そうした路線ではやっていけなくなり、偶然に芸能スキャンダル問題に遭遇し、いわゆる「暴露本」路線をも採り入れることになり、二代目社長の石川次郎からは「オレの顔にクソを塗った」と詰られたこともありました。

この転換は功を奏し、一挙に売上10億円達成、国税に特別調査されるというオチまでつきました。この衝撃は内外に大きかったようで、鹿砦社=暴露本出版社というイメージが今でも強いようです。

ちなみに、神田に芳賀書店というアダルト書店がありますが、創業者はゴリゴリの左派出版人で、たとえば滝田修・著『ならずもの暴力宣言』などを刊行する左翼系の硬派の出版社だったことを知る人はほとんどいなくなりました。滝田修(本名・竹本信弘)は、われわれの時代のカリスマで、一昨年亡くなりましたが、この名を知る人も少なくなりました。芳賀書店の転換は、時代の変化をいち早く感じた二代目がやったと思いますが、当時私たちを驚かせたものでした。

◆2 路線転換は一度は成功したものの……

鹿砦社の転換は1994年秋から始まり、翌年の阪神大震災で、逆に「地震で自信をつけた」などと嘯き顰蹙を買いながらも“遅れて来たバブル”を謳歌しましたが、鹿砦社バブルは長くは続きませんでした。それでも、暴露本ブームが去っても、ジャニーズ問題はじめ硬軟織り交ぜスキャンダル本は刊行し続けていました。

そうした中、かの『噂の眞相』が事実上廃刊し、特段後継雑誌でもありませんでしたが、取次会社がそう誤認し雑誌コードを出してくれ『紙の爆弾』創刊に至った次第です。

2005年、意気揚々と『紙の爆弾』を創刊し、さあこれからという時に起きたのが、くだんの弾圧事件でした。

『朝日新聞』2005年7月12日朝刊(大阪本社版)
『朝日新聞』2005年7月12日夕刊

『噂の眞相』も創刊直後、「名誉毀損」による刑事事件で立件され、その後、在宅起訴、有罪判決を受けています。私のように逮捕されることもなく微罪ですが、出版物で立件、起訴され有罪判決を受けたこと自体が問題であり、これが後に身柄拘束(逮捕→起訴)、長期勾留、より重い有罪判決(幸いに実刑は免れ執行猶予付きでした)に繋がっていきました。

逮捕の元となったアルゼ告発シリーズ
一審判決報道テレビ報道より画撮
この事件では外国特派員の関心も強く、要請を受け外国人記者クラブにて会見

◆3 21年経って思うこと 

21年経ち、思うことは多々ありますが、激しい表現はあったにせよ〈表現の自由〉の範囲内で不当だという想いは消えません。それは、この事件に関わった者らがことごとく不幸な目に遭っていることからも解ります。「因果応報」という言葉がありますが、「人をハメたものは、みずからもハメられる」ということでしょうか。

事件を指揮した大坪弘道神戸地検特別刑事部長は、その後、東京地検特捜部長に栄転し、厚労省郵便不正事件証拠隠滅に加担し逮捕→検事失職→有罪、主任検事の宮本健志検事は、その後徳島地検次席検事に栄転しながらも持ち前の酒癖の悪さから深夜泥酔し暴れ一般市民の車を傷つけ検挙、和解したことで失職は免れたものの平検事に降格処分を受けています。しかし、これは軽いもので、彼にとっては実弟が起こしたストーカー殺人事件(懲役20年が確定)ほうが深刻でしょう。宮本は検察を退官し今、滋賀県で公証人をやっています。

当時、神戸地検特別刑事部長として事件を指揮した大坪弘道検事逮捕!(朝日新聞2010年10月2日朝刊)

まだまだ不幸は続きます。私を告訴した警察癒着企業「アルゼ」(現ユニバーサルエンターテインメント)創業者の岡田和生は、パチンコ・ゲーム業界の雄として、当時はまだ公表されていた高額所得者名簿の総合トップにもなった男で、フィリピンでカジノホテル事業を開拓する過程で政府高官へ賄賂を贈るなどの不正で逮捕、それでもカジノはオープンさせつつも、実子や子飼いの社長、後妻らによってクーデターを起こされ、みずからが興し育てた巨大企業から放逐されカジノホテルも乗っ取られるという悲劇に遇っています。

遂にアルゼ創業者・岡田逮捕!(2018年8月6日付けロイター配信)。これに至るまでには水面下で資料を提供したり協力、記者はたびたび西宮まで来社した
かつての栄華はどこへやら……みずからが創業し育てた会社から放逐されたことを語った『週刊ポスト』2019年3月22日号
神戸地検と結託し「風を吹かせた」朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者

なんという“素晴らしい人たち”、これを見るだけでも、鹿砦社弾圧事件が、どす黒い野望で仕組まれたものであるかが垣間見れるでしょう。これに乗ったのが、わが朝日新聞大阪社会部の平賀拓哉記者なのです。一応は朝日独占スクープでしょうが、神戸地検の口車に乗った“官製スクープ”といえるでしょう。検察の裏金を告発して逮捕された元大阪高検公安部長の要職にあった故・三井環氏によれば、こういうのを「風を吹かせる」というようです。検察─マスコミ連携芝居ということです。

平賀記者は一時中国瀋陽支局に勤め、その後大阪社会部に戻り、新聞記事でこのことを知った私は何度となく会見を申し込みましたが、朝日大阪本社広報部からたった一行のメールで断られました。私は当事者も当事者ですよ、この事件で人生を変えられたんですよ。私から言葉巧みに資料も受け取り、神戸地検と連携し一面トップで大きく「スクープ」したわけでしょう。20年近く経って、恩讐を越えて話を聞きたかっただけです。逃げなくてもいいでしょう、私は奥崎謙三ではありません(苦笑)。

◆4 人質司法について

このところ「人質司法」という言葉が語られています。これはオリンピック関係の不祥事で逮捕─勾留された角川歴彦が記者会見したり本を出版したりしたことで話題になりましたが、すでに21年も前に私は機会あるごとに訴えています。角川のような大手出版社グループのトップが言えば問題になり、私のような地方小出版社のしがない社長が言っても話題になりませんでした。

むしろ、「鹿砦社なら仕方がない」といった見棄て感が支配しました。

この問題については聴くことが多々あるので、対談、もしくはインタビューを申し込みましたが返事さえありません。これも相手によって態度を変えるということでしょうか。

私は192日間、角川歴彦は226日でしたが、確かに長期間幽閉されると、日々、精神状態は二転三転します。経験したものにしか解りません。

再三にわたる保釈請求にもかかわらず「証拠隠滅」を理由として保釈はことごとく却下され、長期勾留となりました。私は小なりと雖も会社経営者であり、取引先やライターさんらとの長年の付き合いから、また証拠は多く押収されていて証拠隠滅も逃亡もできるわけがありませんし必要もありません。長期間拘置所に閉じ込め精神的にも肉体的にも痛めつける人質司法は即刻やめるべきです。

◆5 〈7・12〉について今思うこと

7・12の出来事は、私の人生も会社の運命も変えました。一時は私も会社も壊滅的打撃を被り、再起不能とまで、私や会社を知るほとんどの人たちが思ったに違いありません。

そのまま会社を畳み、出版の仕事をやめ日々の食い扶持を求めて賃労働に勤しむ選択肢もありましたが、不器用な私は、そうたやすく転身できませんでした。

こういう時に人となりが解ります。さっと去っていった人もいましたが、これは責められません。ほとんどの取引先、ライターさんらが支援しサポートしていただき、精神的にも持ちこたえることができました。

一審報道についての故・山口正紀さんの記事(『週刊金曜日』2026年7月14日号)。山口さんは公判のたびに自費で来阪され最後(最高裁決定)まで報告記事を記述された

そうこうしているうちに、偶然にヒットが続きました。これは、目的意識的に狙ったわけではなく、まったく奇跡と言わざるをえません。ここを持ちこたえることができたことが、その後、新型コロナによる急激な落ち込みに遭っても、何とか凌いでいけているのだと思います。

2005年7・12で逮捕されてからブレイクのきっかけとなった2009年秋までの期間は、正直、楽ではありませんでした。一時は事務所もなくなり、東京はしばらくの間ジプシー生活を余儀なくされました。本社も、本格的に出版事業に入る際に借り、その後書庫にしていた1ルームマンションを片付け再出発しました。

何とか50万円を都合し、知人の不動産屋に無理を頼み東京の今のビルの5坪の部屋を借りて再出発したのでした。

多くのことが去来します。 ──

ここに記述したのは、この事件のほんの一部でしかありません。事件後、7・12前後に、思いつくことを書き綴ってきました。同じようなことを繰り返しているかもしれませんが、混乱しつつも、心の奥底から込み上げてくるものを書き留めてきました。まとまとりがついているわけでもありません。

その後、出版やメディアをめぐる情況はどうでしょうか? 悪くはなっていませんか? 良くなっていますか? 皆様、どうですか? 

簡単に言われる「表現の自由」は、イメージではありません。〈現実〉です。私たちのやり方が良かった悪かったという問題もあるでしょう。これはこれとして、批判は批判としてなされ、日々培っていくことでしか、守ることはできないと思います。

もう私のような犠牲者を出してはいけません。破綻したとはいえ、このかん議論になっている浅野健一さんによる出版差し止め仮処分など、メディア規制を司法権力の手を借りて行うなど、ジャーナリストや書き手がみずから手を染めてはいけません。だから私は精一杯異議を挙げたわけです。

2005年7・12から21年 ── あと何年、出版の仕事を続けれるか解かりませんが、皆様方のお力をお借りし、精一杯一冊でも二冊でも「一、二年で忘れ去られることのない本」(クラウゼヴィッツ)を作っていく所存です。もうしばらくお付き合いください。

「M君暴行事件」の事実は、共産党へ届いていたのだろうか?何者かが、「事件はなかった」とウソをついていた可能性も

黒薮哲哉

日本共産党が「反動政権、排外主義に反対する運動のあり方について」と題する声明を発表し、その中で、暴力を誘発しかねない運動のあり方について自己批判したことが、SNS上でも話題になっている。この声明をおおむね評価する声は少なくない。

しかし、私はいくつか留意すべき点があると考えている。その一つは、2014年12月16日深夜に、しばき隊が大阪・北新地で起こした「M君暴行事件」について、日本共産党の田村智子委員長らが、どこまで実態を把握していたのかという問題である。

鹿砦社取材班は、共産党関係者への取材を行い、さらに事件を記録した書籍も送付していたという。したがって、党が事件について全く知らなかったとは考えにくい。しかし、党が運動方針の誤りを認めるまでには、10年以上の歳月を要した。なぜ、これほど時間がかかったのだろうか。

私の推測になるが、事件に関係した人々や、その後の対応に携わった人々が、「事件は鹿砦社が作り上げたフェイクニュースであり、事件そのものが存在しなかった」というウソを党側に伝えていた可能性はないだろうか。

実際に、しばき隊側の代理人を務め、自由法曹団常任幹事でもある神原元弁護士は、「事件はなかった」と堂々と繰り返し主張してきた。また、諸岡康子弁護士は、事件の隠蔽を促す趣旨とも受け取れるメールを知人に送信している。

「その人(黒薮注・M君)は、今は怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかも知れませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たち(黒薮注・李信恵氏ら)を権力に売った人、法制化(黒薮注・ヘイトスピーチ規制法)のチャンスをつぶした人という重い十字架を背負い続けることになります」

ちなみに、このメールの存在は、受信者が鹿砦社へ情報提供したことで明らかになった。

主要メディアも、この事件について申し合わせたかのように報道を控えた。鹿砦社は司法記者クラブでの記者会見からも締め出され、事件について継続的に情報発信していた媒体は、事実上、鹿砦社以外にほとんど存在しなかった。このような状況であれば、日本共産党にも事件の実態が十分伝わっていなかった可能性は否定できない。

左から、神原元弁護士、師岡康子弁護士、有田芳生衆院議員。出典:東京新聞

◆部落解放同盟からしばき隊へ

共産党の田村委員長らが、「M君暴行事件」を検証したうえで、今回の暴力路線に関する反省声明を発表したのかどうかは明らかではない。しかし、事件から声明の発表まで10年以上を要したことや、その声明の内容を踏まえると、事件そのものについて十分な検証が行われたとは考えにくい。この事件が、カウンター運動の問題点を考える上での原点なのだが。

共産党は、「事件はなかった」という説明を信じていた可能性が高いのではないか。

私の推測が当たっているとすれば、日本共産党が部落解放同盟による暴力には対峙しながら、しばき隊による暴力については問題視しなかった理由も、一応の説明がつくのである。

◆飲酒を続け、最後は……

2014年12月16日深夜に発生した「M君暴行事件」については、大阪高等裁判所も、その際に激しい暴力行為があったことを事実認定している。以下、高裁判決を紹介しよう。

第1審(大阪地裁)も第2審(大阪高裁)も、判決の方向性は同じである。李氏がM君を殴った事実はなく、共謀性も認められないというものだった。ただ、高裁の判決は、事件当日の李氏の言動をより詳細に認定している。「殴った」とする鹿砦社報道は事実ではないとしながらも、はからずもこの事件の性質を浮彫にした。どのような状況の下で、Aが暴行に及んだのかが、事実に即して司法認定されたのである。

たとえば次の新しい事実認定である。

【引用】「被控訴人(注:李氏)は、Mが本件店舗に到着した際、最初にその胸倉を掴み、AとMが本件店舗の外に出た後、聞こえてきた物音から喧嘩になっている可能性を認識しながら、飲酒を続け、本件店舗に戻ってきたMがAからの暴行を受けて相当程度負傷していることを確認した後、「殺されるなら入ったらいいんちゃう。」と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。

この間、BやCはAに対し暴力を振るわないよう求める発言をしているが、被控訴人が暴力を否定するような発言をしたことは一度もなく、被控訴人は遅くともMが本件店舗内に戻った時点では、MがAから暴行を受けた事実を認識していながら、殺されなければよいという態度を示しただけで、本件店舗外に出てAの暴行を制止し、又は他人に依頼して制止させようとすることもなく、本件店舗内で飲食を続けていた。

このような被控訴人の言動は、当時、被控訴人が金による暴行を容認していたことを推認させるものであるということができる。」(略)(控訴審判決、7P、裁判所の判断)

さらに高裁は、李氏による次の言動も新たに認定している。

【引用】「被控訴人は、Cと話をしていたが、カウンター席の奥でAとMが立ち上がり言い争いになり、Bが間に入って止めたことや、AとMが本件店舗から出て行くことを見ていた。被控訴人は本件店舗内に残ったBに対して「ぼんちゃんは座って」などと声をかけていた。」(控訴審判決、5P、裁判所の判断)

BはAによる暴行を止めようとしていたのである。そのBの行動を李氏が制止したことが、控訴審判決で新たに認定されたのだ。

さらにAによる暴行の後、店舗を立ち去る場面に関して、控訴審判決は新しい認定を行った。1審判決では、李氏、C、それにDの3人が、AとBに「帰るで」と声をかけたと認定していたが、高裁判決はそれを取り消し、李氏が「帰るで」と声をかけたと認定した。次のくだりである。

【引用】「被控訴人(注:李氏)が、AとBに対し、「帰るで」と告げて、C及びDと共に、負傷しているMの側を通り過ぎて……」(控訴審判決、5P、裁判所の判断)

この記述から李氏がカウンター運動のリーダーであったことが推測できる。これらの認定を踏まえて、大阪高裁は賠償額を50万円減額した。その理由を次のように控訴審判決の中で集約した。

【引用】被控訴人(注:李氏)は、本件傷害事件と全く関係がなかったのに控訴人により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。

本件において控訴人の被控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道徳的批判を免れない性質のものである。」(控訴審判決、10P、裁判所の判断)

繰り返しになるが、M君暴行事件が、カウンター運動のあり方を考えるための原点なのである。避けて通れない事件なのだ。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月7日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

《追記》松岡利康(鹿砦社代表)2026年7月8日記

リンチ事件から1年余り、上記写真の3人はじめ加害者に連携する者らの必死の隠蔽工作により事件はなかったもののように表面化しませんでした。何よりも関西にいる私たちも知りませんでした。実は社内に入り込みスパイ活動を行っていた者さえいたという、笑い話にもならない笑止千万な事実もありました(詳しくはリンチ関連本や「デジタル鹿砦社通信」内の「しばき隊リンチ事件」の項を参照してください)。それほど隠蔽工作は徹底していました。

M君に近づいた大手メディア関係者もいましたが弄ばれただけでした。万策尽きようとしたところで、鹿砦社主催の市民向けゼミナールに時折参加していたОさんが、M君の心情を察し私たちのところに持ち込んできて、私たちの知るところとなりました。事件があったのが2014年師走、Оさんが私たちのところに来たのが翌々年の1月、1年余りも経っていました。

この1年余りの間の被害者М君の心情には今でも心が痛みます。驚いた私たちは即座に行動を開始、特別取材班を結成し、M君らが持ち込んだ資料の精査から始め事実関係の調査・取材をスタートした次第です。

この件、話し始めたら長くなりますので、かいつまんで申し述べるに留めますが、メディア・出版関係者で関心を持ち私たちに理解を示してくれたのは黒薮さんや山口正紀さん(故人。元読売記者。裁判所に意見書提出)、野田正彰先生(精神医。裁判所にM君の精神鑑定書を提出)、寺澤有さん(ジャーナリスト)、森奈津子さん(作家)ら数少なかったです。ある公立病院の在日の医師は、その正義感から、みずからのSNSで公然と被害者擁護、加害者(に与する者ら)批判を繰り広げるや病院に嫌がらせの電話が殺到したりで、病院に迷惑を掛けれないとSNSを閉じられました。

おそらく声を挙げたくても挙げれなかった人も少なくはないと思われます。当時のしばき隊、あるいは親しばき隊を中心とする加害者側人脈は元気過ぎるほど元気でした。黒薮さんも仰っているように、この事件は、社会運動と暴力の問題を考える場合、試金石といえるもので、けっして避けては通れない重要な問題です。いくら口先で「暴力反対」と言っても、現実に身近で暴力事件が起きた際に、いかに真剣に対応するのか、このリンチ事件は、このことをリアルに突き付けていると思います。

1970年代初めから幾多の暴力の場面に遭遇し、みずからもその被害を被り病院送りにされ、そうして新左翼間、あるいは新左翼と共産党(この学生・青年組織「民青」)間の、いわゆる「内ゲバ」の時代を迎え社会運動は壊滅的な打撃を被りました。この反省から、この国の社会運動から暴力はなくなっていったものと思っていましたが、M君リンチ事件で〈悪夢〉が甦りました。私は、いてもたってもおれず被害者M君支援、これを裏打ちする真相究明に当たることにした次第です。

ちなみに、現在、M君は、博士課程は何とか修了しましたが、集団リンチのPTSDに苛まれ学究の道を諦め、ブルーカラーに近い給与所得者として生活しています。小出版社の非力を思い知ると共に、加害者を援護し被害者に力を貸さなかったマスメディアの皆さん方の非情さを遺憾に思う次第です。マスメディアの方々は何を迷ったのか!? 加害者らに一切の理はありません!

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

リンチ被害者М君の心情に寄り添い、地を這う取材を元に編纂、出版したリンチ関連本。【第一弾】鹿砦社特別取材班編著『ヘイトと暴力の連鎖 反原連‐SEALDs-しばき隊-カウンター』/【第二弾】同『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』/【第三弾】同『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』/【第四弾】同『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』/【第五弾】同『暴力・暴言型社会運動の終焉 検証 カウンター大学院生リンチ事件』/【第六弾】同『真実の暴力の隠蔽 カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

浅野健一さんの “一人芝居” ── [私的総括]破綻した出版差し止め仮処分問題

鹿砦社代表 松岡利康

既報のように、浅野健一さんが企図した辻井彩子・著『石ころの慟哭 山上徹也・奈良地裁裁判の私記』(あけび書房・刊)に対する出版差し止め(浅野さんの仮処分申請書では「出版禁止」)仮処分申し立てが破綻いたしました。これについて、このかん私見を述べて来た身として、私なりの「総括」を行っておきたいと思います。

左が浅野健一・著『石ころを石礫に』(三一書房・刊)、右が辻井彩子・著『石ころの慟哭』(あけび書房・刊)

〈1〉簡単な経緯

去る4月3日、普段はあまり見ない浅野さんのFacebook(以下FBと略記)を偶然見て、浅野さんがあけび書房刊行の書籍に対し出版差し止め仮処分を行うということを知り仰天し、翌々日の4月5日の私のFBでこのことについて私見を述べました。このこと、つまり「出版差し止め仮処分」という言葉に目が留まり驚いたのは、おそらく私ぐらいでしょう。この理由は後述します。

そうして、私事になりますが、4月13日に同居する高齢の母親が急逝し、同18日に葬儀、精神的にも混乱し葬儀の準備に追われていた中、浅野さんが意気揚々と東京地裁に出版差し止めの仮処分を申し立てたのは4月16日のことでした。浅野さんは狂喜乱舞し仮処分申請書のコピーをメディア関係者らに配布したり、まだ差し止めが認容されたわけでもないのに出版取次会社に販売を止めるように伝えたり(まさに出版妨害!)大騒ぎされました。私にとっては私的にも大変な時期でしたが、出版差し止め仮処分という大事な問題ですので、そうした中にあっても私見を書き続けて来ました。

外部ウォッチャーとしては、いつ裁判所から債務者(あけび書房と著者・辻井彩子さん)に特別送達が届き、審尋(しんじん)と称する意見聴取の呼び出しがあるのかと心待ちにしていました。ところが待てど暮らせど届きませんでした。出版差し止め仮処分とは、〈強度の緊急性〉と〈高度の違法性〉がある時に申し立て、ほぼ一度の審尋にて認容するのか却下するのかが決定いたします。

おそらく何度も出版差し止めを受けた出版社は他にはないと察しますが、5度も出版差し止めを受けた私(正確に言えば、私が経営する鹿砦社)の経験からして、審尋から決定までの日にちは短かったですし、即日決定したこともありました。もし仮処分で差し止めが決定されたら、今度は本訴に行きます。今回も、順当に行けばそうなると思っていました。これは何としても、多くの皆様に出版差し止め仮処分の危険性を訴えご理解いただき阻止しないといけません。仮処分には罰則はありませんから、そのまま販売しておくことも可能ですが、そうすると本訴になって不利になり書店さんのイメージも悪化するので、ほとんどの場合、販売を取り止めることになります。

浅野さんが6月27日にみずからのFBに短く「仮処分申し立ては本の販売が始まったため取下げ」と記載されたことに気づき申し立てを取下げたことを知り私のFBに「緊急NEWS!」として書き込みました。このことに当事者のあけび書房・岡林社長も驚き、翌日裁判所に確認することになります。また、私の「緊急NEWS!」を浅野さんに“進言”(これを普通は「チクる」と言います)した者がいたことで、浅野さんは翌日長い弁解記事を書き連ねることになります。

これによれば、4月16日(木)午後5時前に代理人(山下幸夫弁護士)が東京地裁に申請書を提出、土日を挟んで週明け20日(月)に、東京地裁から代理人に電話があり、取下げを勧められたということです。具体的な取下げ期日は判りませんが、取下げたことは、浅野さん本人が認め、また前記したように債務者(民事訴訟の被告と同義)とされた当事者のあけび書房・岡林信一社長が直に東京地裁に電話を入れ確認したので事実です。4月16日に意気揚々と仮処分申請書を東京地裁に提出しながらも、出鼻を挫く体のいい“門前払い”といえるでしょう。

それにしても浅野さんは、あれだけ大騒ぎして申し立てた出版差し止め仮処分が、裁判所に門前払いされ取下げをやむなくされたことを黙って(秘匿して)いたのでしょうか? 不満なら裁判所の「不当性」を訴えたらいいでしょう。裁判所の勧告を受け入れるのであれば、それならそうとみなさんに表明したらいいだけのことです。みなさん、浅野さんに与する人もそうでない人も浅野さんの言動を注目しているわけですから、事実をそのまま報告すべきでしょう。浅野さんのプライドとしてバツが悪かったのかもしれません。

しかし、多くの人たちを巻き込み、特に辻井さんに対しては精神を壊す直前まで強く誹謗中傷、罵倒を続けたことを真摯に反省すべきで、今からでも辻井さんに謝罪すべきでしょう。そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか?

浅野さんは「ジャーナリスト」である前に、人権意識を持った一人の人間であってほしいと願います。

〈2〉出版差し止め仮処分申し立ての危険性 ── 私の経験から思い返す

浅野さんは、大騒ぎして出した仮処分申請書を取下げた理由を「本の販売が始まったため」と仰っています。私の会社・鹿砦社は5度出版差し止めをなされていますが、内4度は販売が始まってからでしたので、理由になりません。まことしやかな虚偽発言です。この中には、初版2万部が品切れ状態になり増刷を準備し追加注文が1万部余り溜まっていたところ出版差し止め仮処分が決定したことで、泣く泣く増刷を取り止めた次第です。このまま増刷を強行し販売しても罰則はないのでできないことはありませんでしたが、「仮」の処分と雖も、裁判所の決定ですので、無視していると本訴になって不利になるので増刷も販売も取り止めました。

その後、4度差し止めを食らったのですが、だんだん裁判所の審理は速くなり、翌日、即日決定になって行きました。裁判所が、申立人(債権者)が煽り立てるので、「高度の違法性」「強度の緊急性」があるものと認識(誤認)し、差し止めを決定されました。つくづくこの国には「言論・出版の自由」がないことを実感しました。5度目の差し止めは、パチスロ大手「アルゼ」(現ユニバーサルエンターテインメント)からのもので、差し止めに続き損害賠償請求3億円(一審300万円、控訴審で倍額の600万円の判決、不当と最高裁に上告しつつも棄却で確定)の本訴と、刑事訴追を受け逮捕→192日の勾留→懲役1年2月の有罪判決(執行猶予4年)が確定、さらには相手方は執行猶予に不満で実刑を求め再告訴までされました(これは不起訴。思い起こせば、私の逮捕事件を指揮した大坪弘道元神戸地検特別刑事部長の厚労省郵便不正証拠隠滅事件に関連し神戸地検が最高検に家宅捜索されるという前代未聞の事態が起き、こうした中で、さすがに私を起訴するわけにもいかなかったのかもしれません)。

このように、出版差し止め仮処分は、実に怖いもので、問題のある制度です。考えようによっては、2年、3年と、日にちをかけて審理する本訴以上に危険な制度と言わざるをえません。だから私は、4月3日のFBで浅野さんが出版差し止め仮処分を申し立てるというので、慌てふためき抗議の声を挙げたのでした。普通の民事訴訟なら声を挙げることもなかったでしょう。私は浅野さんに対する私怨を募らせて声を挙げたわけでは決してありません。このかん浅野さんは、あけび書房・岡林社長、著者の辻井彩子さん、帯を書かれた鈴木エイトさん、私同様疑問を持たれ発言を続けられている黒薮哲哉さんと共に、浅野さんを陥れるために「5人組」を結成し、私が「主犯」であるかのように述べられていますが、ここまで妄想も膨らむと冗談ではすみません。

特に、当該書籍の著者・辻井彩子さんは、プロの作家でもなく、地元で起きた事件で宗教三世のみずからの身と心情を重ね合わせ関心を寄せ、いても立ってもおれない心情を「私記」として書き連ねましたが、彼女に対する浅野さんによる誹謗中傷、ネットリンチ攻撃は凄まじく、精神的にかなり追い詰められるところまで来ています。本の評価以前に、人間として、これはやっていけないことです。

〈3〉本件の教訓として

本件は、裁判所が最後の「良心」を発揮して出版差し止め仮処分申請を取下げるよう勧めたため大事にはなりませんでした。万が一、浅野さんの企図に裁判所が従い、『石ころの慟哭』の出版差し止めが認容されていたら、のちのち言論・出版活動にとって、悪い影響を与えたでしょうし、ちょっとしたことで気に食わない出版物の販売を差し止める(禁止する)ことが可能になるという悪弊を残すことになったでしょう。

心ある出版に関わる人たち、浅野さんや代理人の山下幸夫弁護士、浅野本の発行元「三一書房」の代理人としてあけび書房とやり取りされ、浅野さんに代理人を依頼されたという大口昭彦弁護士らが関わる「救援連絡センター」の方々、そして心ある多くの方々に、今回の問題を深刻に受け止め、軽々に司法権力の手を借りて言論・出版を差し止めるなどということを考えるべきではない、と強く訴えておきたいと思います。

それにしても、伝説の出版社・三一書房や救援連絡センターの方々や浅野さんの周囲の方々に、「出版差し止め仮処分などバカなことはやめよ」と諫める人はいなかったのでしょうか?

特に、救援連絡センターについては、私もその活動を支持し、こういうことがあっても、月刊『紙の爆弾』には変わらずセンター代表の足立昌勝先生の寄稿を続けています。だからこそ、この問題を、単に浅野さんとこれに追随する人たちの私的な個別問題とするのではなく、センターに関わる一人ひとりの問題として深刻に受け止めていただきたいと強く願っています。

さらには、私が学生時代にかなりの数の本を読み込み思想形成の源になったと言っていい三一書房の方々も、辻井さんが浅野さんの著書を受け取りお礼兼ねて長い手紙を一所懸命に書いて送った時も無視し(この時、きちんと誠実に対応しておれば、問題の泥沼化は防げたかもしれないと思っています)、このかんのあけび書房とのやり取りにも、なにか違和感があります。伝説の出版社らしく、ダメなことはダメと浅野さんを諫めないと。少なくとも浅野さんが辻井さんに長きに渡りやっている異常な誹謗中傷、ネットリンチ攻撃は、誰が見てもやってはいけないことであり、版元だからと無視していてはいけないでしょう。三一の対応には、いささかガッカリです。

浅野さんによる出版差し止め仮処分申し立ての取下げを勧めた裁判所の意図は判りませんが、さすがに憲法21条に謳われた言論・出版の自由、表現の自由に抵触しかねないこと、出版差し止め仮処分申し立てに悪意が感じられたことなどがあるものと私なりに推察しています。

それなりに長い付き合いがあった浅野さんも、仮処分の企図が破綻したとはいえ、まだまだあけび書房と著者・辻井さんに対する「著作権侵害」についての本訴に執念を燃やし、さらに加え、鈴木エイトさん、黒薮哲哉さん、そして私の「5人組」(浅野言)に対する民事訴訟や刑事告訴も準備されているとの由、まさに訴権の濫用で「老醜を晒すようなバカなことはやめなさい!」と、あらためて諫めます。

このたびの出版差し止め仮処分は破綻しましたが、これで浅野さんの“一人芝居”は終わるのか? それとも続くのか? ── 今回の問題の要因の一つにもなっている雑で不十分な原稿を編集者に送りつけるという態度を改め、しっかりした完全原稿を版元や編集者に届けるという、ジャーナリストや物書きとして最低限のルールや道義を遵守することから始めたら何も問題は生じなかったわけですから、まずはこうしたことから改めるべきではないでしょうか。

それから、自分の意に沿わない人には、人ひとりの人権などお構いなしに続けているファナティックな誹謗中傷、ネットリンチ攻撃を真摯に反省し、攻撃の対象になり精神的に追い詰められた辻井彩子さんに心から謝罪されるべきですし、浅野さんに強く求めます。

ひとまず、浅野さんによる出版差し止め仮処分問題は、裁判所の勧めにより、やむなく浅野さん自身がこれを取下げたことで幕が降りましたので、以上の記述をもって、この問題について私なりの「総括」といたします。

浅野さんの言質によれば、あけび書房刊『石ころの慟哭』に対する「著作権侵害」訴訟(本訴)は続くとのこと、さらには別途「5人組」に対する法的措置もご準備ということですので、“浅野一人芝居”の第二幕が開くかもしれません。私としては「バカなことはやめなさい」と諫め続けるしかありませんが、大口弁護士や足立先生ら、浅野さん周囲の心ある方々にも、軽々に司法権力の力を借りるべきではないと浅野さんを諫めていただくよう強く要望いたします。

とはいえ、出版差し止め仮処分問題は終わったとはいえ、私も乗り掛かった船、“浅野一人芝居”の行く末をしかと見続けていく所存です。

最後に、これをお読みの皆様、私の言っていることが間違っているかどうか、忌憚のないご意見などいただければ幸いです。

(2026年7月8日、安倍晋三元首相銃撃事件4年の日に記す)

共産党を名乗る人々は本当に共産党員だったのか、「反差別運動」についての共産党の見解

黒薮哲哉

日本共産党は、7月2日、機関紙『しんぶん赤旗』で、「反動政権、排外主義に反対する運動のあり方について」と題する声明を発表した。これは、共産党員とされる一部の人々が、インターネット上で共産党を名乗り、「レイシスト」や「差別者」を品位を欠く言葉で糾弾する行為について、党として公式見解を示したものである。見解の表明は、あまりにも遅きに失した感を免れないが、過去の過ちを認めたこと自体は評価できる。

声明は、「日本共産党員が『暴力行為を連想させるようなパフォーマンス』を行ったり、それを支持したりすることは、わが党綱領、党規約および中央委員会総会の決定と相いれないものであり、また、わが党に対する信頼を傷つける」と結論づけている。

実は、「レイシスト」や「差別者」を探し出してインターネット上で誹謗中傷する行為は、私が調べた限りでは、少なくとも2014年ごろには始まっていた。同年12月の深夜、しばき隊のメンバーが大阪市・北新地で大学院生に殴る蹴るの暴行を加え、瀕死の重傷を負わせた。数年後、私がこの事件の取材を始めたところ、私の名前も「レイシスト」としてSNS上で公開された。そして、「今夜もレイシストをやっつけて、酒がうまい」といった投稿がなされた。

大学院生に暴力を振るったメンバーが共産党員だったかどうかは知らない。しかし、共産党の池内沙織衆院議員(当時)がしばき隊と親密な関係にあったことは、鹿砦社取材班の取材によって明らかになっている。また、小池晃議員が、しばき隊のTシャツを着て演説している写真も存在する。

私は、この状況に強い違和感を覚えた。かつて共産党は、部落解放同盟による暴力に対して毅然とした態度で臨んでいたからである。

その後、取材を重ねるにつれ、しばき隊と共産党との関係は、客観的な事実として認識せざるを得なくなった。

◆共産党を名乗る人々による「反差別運動」

ただ、共産党を名乗る人々による「反差別運動」を見るにつけ、私はある疑念を抱くようになった。その発端となったのは、ある人物から聞いた話である。

その人物によれば、保守界隈では過激な「反差別運動」を歓迎する向きがあるという。選挙現場やSNS上で「炎上」を引き起こすことで共産党のイメージダウンを図ることができ、その反作用として保守陣営の支持率向上につながる、というのである。

この話を聞いたとき、共産党員を名乗って暴言を吐く行為は、何者かが意図的に仕組んだ共産党攻撃のイメージ戦略ではないかと考えるようになった。そして、共産党内部に相当数のスパイが潜入している可能性も疑うようになった。

共産党は公安警察の監視対象となっている組織である。そのため、組織内部にスパイを潜入さて、内部から党を崩壊させる戦略が実行されていても不自然ではない。

◆イメージによる世論誘導

仮に共産党が民主集中制を採用していなければ、「反動政権、排外主義に反対する運動のあり方について」と題する声明も発表されなかったのではないか。このまま腐敗へと突き進み、終焉を迎えていた可能性が高い。

民主集中制に対する批判は少なくない。しかし、政党が一つの理念を実現するための組織である以上、一定の規律を維持する制度として民主集中制には合理性がある。党の理念に賛同できないのであれば、党を離れて新党を結成すればよい。それだけの話だ。学校などの公共組織に民主集中制を導入すれば「独裁」となりかねないが、政党という任意団体では事情が異なるだろう。

共産党の支持率が低下してきた背景には、SNS上などで「共産党員」を名乗る人々が作り出したイメージに、有権者が幻滅したことがあるのではないか。ウクライナや中国、ベネズエラ、それにパレスチナ(特にハマスの評価)などについての共産党の見解は完全に間違っていると思うが、国内の時事問題についての見解は、おおむね正しい。それにもかかわらずイメージによる世論誘導の前には、ほとんど対策がない。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月4日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

《追記》松岡利康(鹿砦社代表)

いわゆる「しばき隊リンチ事件」は、私たちに、いろいろな教訓を与えました。当時、黒薮さんが指摘するまでもなく「しばき隊」と共産党は強く連携していました。証拠の画像は多々あります。また、当時、多くの知識人やジャーナリストらに質問状を送り、共産党関係では、しばき隊とのつながりが強いとされた池内さおりと志位和夫に出し、回答がないので両事務所に電話で催告をしたところ、「党の判断で答えない」という回答を得ました。共産党は今頃、しばき隊との関係を切ると言っていますが、遅いと言わざるをえません。М君リンチ事件について、真摯に取り組むべきでした。

また、黒薮さんが引き合いに出されている事件(「八鹿高校事件」)で、私の先輩も巻き込まれ(解放同盟に批判的ではない人でしたが)暴行を受けていますので他人事ではありません。この事件もМ君リンチ事件も、「反差別」運動を考える場合、どうしても避けて通れない問題です。なお、黒薮さんとは認識が異なるのですが、当時、共産党が暴力に立ち向かったというのは事実ではなく、「あかつき部隊」という暴力部隊を組織していたように、今では考えられないほど暴力的でした。

あるノーベル賞受賞者の甥っ子の先輩は師走の酷寒の中、激しいリンチを受け、一時は医者も見放すほどでした(奇跡的に回復)。さらには、当の私自身、早朝ビラ巻きを始めようとしたところ集団で襲われ、一緒にビラ巻きしようとしていた仲間と共にリンチを受け病院送りにされ数日入院を余儀なくされました。

いずれも1970年代の昔話ですが、こうしたことの反省から、わが国の社会運動から暴力はなくなったと思っていたところ、М君リンチ事件を知り、義憤で長年係ることになりましたが、10年経っても何も変わっていないということでしょうか。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

「われわれの出版の目的は、一、二年で忘れ去られることのない本を作ることである」(クラウゼヴィッツ) われわれの出版の〈原点〉に立ち帰り、わが出版人生最終コーナーに差し掛かるにあたって

株式会社鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の言論・出版活動を支持される皆様!

週明けに『紙の爆弾』最新号をお届けいたしますが、このかん少なからずの方々より、同誌がレベルアップしたとのお声をいただいております。これは創刊号以来編集長を任せた中川志大の経験と力によるものです。

実際、完成した同誌を見て、レベルアップしたとの過分な評価を喜びつつも、老婆心ながら、さらなる飛躍の余地はないか、昨年4月に創刊20周年を迎え東京と関西で皆様方に祝っていただき次の10年に向かって歩み始めましたが果たして創刊30周年は大丈夫か(その頃、おそらく私はいないか活動不能になっているでしょうから)、等々と日々思慮しているところです。

また、主に私が担当する分野の書籍についても、出版人生最終コーナー(9月で後期高齢者に。泣)に達した中で、のちのちに残るような本をどう作るか、考えあぐんでいます。

これまで何度か述べていますが、私が10年間のサラリーマン生活を辞め(直接的には会社整理のため)、みずからの資質、能力、経験などを一顧だにせず、まさに“清水の舞台”から飛び降りる覚悟で本格的に出版の世界に飛び込む際に、歴史家の小山弘健先生に教えていただいた、冒頭に挙げた、『戦争論』という畢生の書を著したクラウゼヴィッツの言葉をたびたび想起しています。「果たして私は、どれほど一、二年で忘れ去られることのない本を作ってきたのだろうか?」と。『戦争論』ほどの名著ではないにしても、のちのちに残る本を作りたい! と願いつつも、先が見えているので焦燥感に苛まれています。もっと早く小山先生に教えていただいたクラウゼヴィッツの言葉を真剣に、かつ真摯に考えて実行に移していればよかったな、と悔いが残ります。

今回、時々定期購読者や会員の皆様方にご提案している「特別セット直販」を新たにご提案させていただいています。このリストの本は、これまで私たちが出版してきた本の一部ですが、このほとんどは私が企画・編集したもので、果たして「一、二年で忘れ去られることのない本」があるのか、皆様、いかがでしょうか? 古い本も新しい本もあり、また左右硬軟雑多に渡りますが、お目に留まった本がございましたら、この機会にぜひ(何冊でも)ご購読お願いいたします。(詳しくは『紙の爆弾』8月号に同封している案内をご覧ください)

予想される猛暑を乗り越え、清々しい気分で秋を迎えましょう!

(7月2日記。別掲写真は小山弘健先生と遺稿『戦前日本マルクス主義と軍事科学』。『紙の爆弾』8月号に同封している文章から)

『紙の爆弾』2026年8月号
A5判 130頁 定価880円(税込み)
2026年7月7日発売

護憲のための理論武装「自衛隊明記」改憲で現実に起きること 伊藤真
選挙違反の政権が憲法を壊す 戦後最悪の宰相を生んだ日本政治の根本欠陥 門脇翔平
防衛費倍増で防衛産業は衰退する 日本の「防衛強化」は机上の空論 清谷信一
検察官が関与する政府案 再審法改正は「誰のため」か 足立昌勝
誰もが知っていて、語らない 米AI企業に主権を明け渡した日本 昼間たかし
巨人・阿部慎之助逮捕事件に見た児童相談所「虐待対応」の現実 たかさん
自民党議員が「中傷動画問題」に沈黙する理由 片岡亮
植草一秀インタビュー「冤罪の真実」前編 警察はなぜ冤罪を創作できるのか
世界を牛耳る超富裕層を倒す11の方法 エマニュエル・パストリッチ
米国新植民地主義を超克する極東の安全保障を確立せよ 木村三浩
LGBT問題の現在 転向療法禁止政策が抱える「観点差別」三浦俊彦
米中で相次ぐ科学者の死亡・失踪事件 早見慶子
成年後見制度という宿痾 高齢者よ高貴たれ、後期高齢者よ不屈たれ! 鈴木愼哉
痛快伝奇説話 吏犯之太子(りぼんのたいし) 本折竿長

〈連載〉
例の現場
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け:西田健
「格差」を読む:中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座:東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER:Kダブシャイン
「絶望ニッポン」の近未来史:西本頑司
芸能界 深層解剖

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0H6W3YJ7D/

浅野健一さん、出版禁止仮処分申請を取り下げたことを2か月以上も非公開! ずるいんじゃないでしょうか!?

鹿砦社代表 松岡利康

下記画像は、知人が送ってくれた浅野さんのFBの一部で、ここで仮処分を取り下げたことを初めて記載しています。それも、小さく……。私以外に気づいた人はいなかったようです。それもむべなるかなで、出版差し止めを5度も食らった私だからこそ、これに敏感になって気づいた次第です。

6月29日付けの岡林信一あけび書房代表のfacebookから以下転載します。

◇     ◇     ◇     ◇

《岡林信一あけび書房代表の6月29日付けfacebook》

昨日もお伝えしましたが、浅野健一氏が『石ころの慟哭』の出版差止仮処分申立は取り下げていることを、本日、東京地裁知的財産部に電話で確認しました。 浅野氏の本日のFacebook投稿によると、すでに4月20日に地裁から取り下げを求められていたそうです。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100022241222173

つまり、4月16日に申立を提出してわずか4日で地裁から取り下げを求めらて、いつ取り下げたのか不明ですが、2か月以上たった今になって取り下げたことを明らかにしているわけです。

その間、あけび書房と著者辻井さんへの精神的苦痛を与え、「著作権侵害」「盗作本」だという名誉棄損と出版妨害を執拗に続けているわけです。

今日にいたっても。

そもそも、著作権侵害がありえないことは、詳しくは、あけび書房の反論文であきらかにしているとおり、浅野氏の『石ころを石礫に』を出した三一書房の代理人弁護士も、「江差追分事件判決」で宣明された法理を引き合いに出して認めているわけです。

〈この観点からするならば、全公判を直接に傍聴した浅野氏の著作にも、少なくとも公判の事実経過に関する部分については著作権は発生しません〉と。

それゆえに、浅野氏の本の〈公判の事実経過に関する部分〉から、辻井さん提供のデータや辻井さんのゲラとコピペのように酷似した100か所以上を引用して資料として公開しているのです。
https://cdn.shopify.com/…/d2bb79a369189b6f0719c520a6d67…

出版差止仮処分の申立て自体が取り下げられている中、浅野氏に著作権がないにもかかわらず「著作権侵害」「盗作本」と公言していることは、名誉棄損である根拠をいっそう強めるものでありますが、相変わらず裁判すると公言しているそうですが。

浅野氏が今日Facebookで公表した該当箇所は以下の通りです。(他に長文で虚偽で私を誹謗中傷していますが割愛)

〈仮処分は、辻井氏本が販売されたので、意味がなくなったので、著作権法違反・本裁判に切り替えるようにという東京地裁知的財産部の裁判官の勧めで、いま、訴状を作成中です。岡林信一・あけび書房社長と辻井彩子氏が被告。〉

〈山下弁護士が4月16日午後5時前、東京地裁知的財産権部に、辻井氏本の出版等禁止仮処分を行い、司法記者クラブ幹事社・朝日新聞社社会部の根岸記者に広報しました。

4月20日月曜日の午前10時過ぎ、担当裁判官の東京地方裁判所民事第40部の裁判官(左陪席)から山下弁護士に電話があり、対象となる書籍が出版されたので「保全の必要性」を認めるのは難しい(名誉毀損の書籍の場合には、出版後の販売を禁止のための仮処分は、人格権侵害ということで保全の必要性は認められるが、著作権は財産権であるため、事後的な損害賠償でも回復可能と考えられるので仮処分としての保全の必要性は認めにくい)という裁判所の見解でした。そのため取り下げを求められました。

山下弁護士によりますと、知的財産部は3つの部があるので、訴訟を提起した場合にこの裁判官らが担当するかどうかは分かりません(今回は仮処分というイレギュラーな事件の担当のため)。

私は裁判所の勧めに従い、仮処分を取り下げて、本裁判を提起するため、弁護団を強化して、準備中です。完璧な訴状と証拠を提出します。民事裁判はすべてオンライン提訴となり、辻井氏と岡林氏の共謀による著作権侵害、盗用の全貌を明らかにします。表現者の権利に関わる裁判ですから、完勝を目指します。〉

◇     ◇     ◇     ◇

《追記:松岡利康》

偶然に浅野さんのFBを見て、仮処分を取り下げたことを知ったわけですが、それが申請後週末を挟んですぐだったことに驚きました。2か月以上も非公開だったわけです。仮処分申請書のコピーをメディア関係者に配布したり大騒ぎし、都合が悪くなると非公開……いかがなものでしょうか。

出版差し止め(浅野さんの仮処分申請書では「出版禁止」)が、出版社(者)にとってどれだけ深刻なものか、浅野さんともあろう方が知らないはずがありません。だからこそ私は、声を挙げたのです。

私事にわたりますが、浅野さんの代理人が仮処分申請書を裁判所に提出したのが4月16日、その直前の4月13日に母親が急逝し、個人的にしんどい時期でしたが、これに対して批判し続けてきました。出版差し止めの危険性については、5度も食らった私だからこそ解ることがありますので、いきおい強く批判してきたわけです。

本訴はともかく、出版社(人)にとって出版差し止め仮処分ほど危険なものはありませんし、一度これが認容されると、ちょっとしたことで頻発されかねません。取り下げは裁判所からの要請だということですが、さすがに裁判所も、憲法問題にも触れかねない問題、慎重になったのでしょうか。裁判所の意図は判りませんが、浅野さんが、こうした重大問題に2か月以上も黙っていたことに問題はないでしょうか?

《7月のことば》限界を越えろ

鹿砦社代表 松岡利康

《7月のことば》限界を越えろ(鹿砦社カレンダー2026より。龍一郎揮毫)

7月になりました ── 今年も半分が過ぎた恰好です。
本当に月日の経つのは速いです。
うかうかしていると木枯らしの季節になりかねません。

さてさて、「限界」とは何でしょうか。
勝手に自分で決めてしまっているかもしれません。
限界を、どう越えるか?

というよりか、限界がどうのこうのというよりも、がむしゃらに直面する一つ一つ難関を越えていき、結果、気づいたら限界を越えていたということではないでしょうか。

今年の夏も、例年通り猛暑のようです。まずはこの暑さを越えないといけません。

この夏、新しい挑戦として「成年後見制度」の悪弊といかに闘い、これをいかに突破するか ── があります。世の中にこんな酷い制度があるとは思ってもいませんでした。みずからの不明を恥じるばかりです。発行されたばかりの鈴木愼哉・編著『悪法「成年後見制度」は法に非ず』をぜひお読みください。

鈴木愼哉・編著『悪法「成年後見制度」は法に非ず』
A5判 本文118ページ 定価800円(税込み)
紙の爆弾8月号増刊  6月29日発売

緊急出版!! 社会問題化する成年後見制度の深刻な現実を、
被害者が満身の怒りを込めて喝破!
バブル崩壊後、士業(弁護士、司法書士)救済の目的で制定された制度の問題点、
食い物にされる被後見人、「改正」法案の問題点、
後見人の言いなりで人の人生を台無しにする裁判官……
25万被後見人の埋もれた声を聴け!

【内容】

三上道恵 
おてんとうさまは見ている ── 制度の中で見えなくなった夫婦の時間
はったり半蔵 
後見制度脱出から見えた対抗策
さくら 
成年後見制度の改正に関する要望書
尾﨑美代子 
成年後見制度の悲劇 ── 冤罪事件の視点から
鈴木愼哉 
「成年後見制度」という宿痾
鈴木愼哉 
成年後見制度に狂わされた私と妻の晩年 ── 怒り、悲しみ、想うことあれこれ

https://www.amazon.co.jp/dp/B0H2CGNX2L/