「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧から20年 ── 今、静かな怒りを込めて振り返る

鹿砦社代表 松岡利康

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊。松岡はこれを見てみずからの逮捕を知った。

しばらくして神戸地検の一団が家宅捜索─松岡連行にやって来た。 次々頁は、同 夕刊。神戸地検と朝日大阪社会部が連携し周到に準備されたスクープだった。

朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

私たちにとって〈7・12〉という日は、決して忘れることができない屈辱のメモリアル・デーだ。もう20年が経ったのか……想いの一端を書き記す。

◆2005年〈7・12〉に何が起きたのか? 

2005年7月12日、野球開催時以外は閑静な兵庫県西宮市甲子園の住宅街が突然、早朝から大騒ぎとなった。配達されたばかりの朝日新聞を持って母親が血相を変えて階段を上ってきて私を起こし、「あんたが逮捕されるよ」と叫んだ。朝日新聞(大阪本社版)の一面トップ、この時点ではまだ会社名と私の名は出されてはいないが、「出版社」が鹿砦社で「社長」が私だとすぐに判る。自分の逮捕を新聞報道で知るという奇妙な体験をした。

この日は朝から東京出張の日だった。このことは前週事情聴取の際に主任検事の宮本健志検事(現在は退官し滋賀県で公証人)には言っていたので、これを見越して早朝から検察は動いた。やがて神戸地検の一団がピンポンと呼び鈴を鳴らす。「シャワーぐらい浴びさせろ」と言うほど少しは落ち着いていた。

自宅の家宅捜索が始まった。すでに多くのマスコミ記者とカメラマンらが自宅、会社を取り囲むように集まってきた。次いで近くの事務所に同行、事務所の家宅捜索が始まった。検察が持ってきた箱が足りなくて事務所にあった宅急便用の袋まで使うほど多くの資料等を押収していった。

1972年の会社設立関係の貴重な資料も押収され、今に至るまで出てこない。家宅捜索の途中で神戸地検に連行され、そこで逮捕を宣告され手錠を掛けられた。手錠を掛けたのは主任検事、宮本健志。 地元・西宮東高校から早稲田に進み検事になった男だ。事務所の家宅捜索の最中に会社関係者も駆けつけ、終了のサインをしたのは近くに住む経理の女性だった(今も勤めている)。経理の責任者は、会社に来る途中で事件を知り自宅に引き返したという。

同じ頃、東京支社にも家宅捜索が入った。家宅捜索は他の関係先にも及び、さらに事情聴取は大株主(当時)、製本所、倉庫会社にも、そしてトーハン、日販、大阪屋(現楽天)など大手取次3社にも及び、これ3社は簡単に応じ取引資料を提出している。日頃「言論・出版の自由」を守れと嘯くのなら断固拒絶して欲しかった。

そうして、昼前には神戸拘置所に移送、全裸にされケツの穴まで見られる“身体検査”後に独房に入れられた。今度は、くだんの逮捕劇をラジオ放送で聴いた ── 。

松岡逮捕後急遽発行された『紙の爆弾』2005年9月号
警察癒着企業アルゼを告発し弾圧の元になった4冊の本

この時点では、すぐに釈放されると安易に考え、まさか以後192日間も勾留されるとは思ってもいなかった。

山口組の本拠・神戸だが、当時の神戸拘置所にはヤクザの有名人はおらず、私の逮捕のニュースは拘置所内に広まったようで、風呂などで私の房を通るクリカラモンモンの入った人に「頑張ってや」と激励されたこともあった。

『週刊朝日』2005年7月29日号。スキャンダリズムの大先輩、『噂の眞相』岡留安則編集長が怒りを込めて検察の横暴を弾劾!
松岡が勾留された神戸拘置所の在る神戸市北区ひよどりの紹介をした朝日新聞2005年10月31日付け記事。偶然にも勾留中に掲載された。
保釈され、神戸拘置所の前に立つ(2006年1月20日夜)

◆朝日・平賀拓哉記者は逃げずに私と会え!

朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者は、この前に数度取材に訪れ、資料や本などを多く持ち帰った。オモテはわれわれの出版活動を「理解」しているかのように振る舞い、ウラでは神戸地検特別刑事部・宮本検事と連携し、いや“結託”と言ってもいいだろう、密に連絡を取り合い「官製スクープ」をものにした。

こういうことを、大阪高検公安部長の要職にあり検察の裏金を告発し逮捕された三井環氏によれば「風を吹かせる」というとのことだ。その後、平賀記者は中国瀋陽支局勤務となり連絡が取れなくなったが、ある冤罪事件の記事を署名入りで寄稿していたことを見つけ、数年前に大阪に戻ってきたことがわかり、恩讐を越えて何度も面談を申し入れたが、本人からではなく広報部からそっけない拒絶のメールがあった。

こちらは人生一変したんだ、わかっとるのか!? メディア人として以前に一人の血の通った人間として対応すべきではないのか? 逃げ回らず出てきて話そうぜ!

神戸地検と連携して”官製スクープ”を仕組んだ朝日新聞大阪社会部・平賀拓哉記者。逃げ回らずに出てこい! 

この事件では、刑事裁判(神戸地裁‐大阪高裁)では懲役1年2月、執行猶予4年が確定、また民事訴訟では約600万円の賠償金が確定した。いずれも最高裁まで争ったが遺憾な結果になった。特に民事訴訟では、一審(東京地裁)300万円が控訴審(東京高裁)では倍額600万円になり最高裁で確定した。

一審判決を報じるテレビ画像
一審判決を傍聴した山口正紀さんのレポート(『週刊金曜日』2006年7月14日号)
言論弾圧は、日本で活動する外国人記者にも衝撃を与え記者会見に招かれた(2007年2月14日。東京有楽町・外国人記者クラブにて)

◆私を嵌めた者らに起きた“不幸”

この事件に蠢いた輩には、不思議なことに、のちに「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄されるように相次いで“不幸”が訪れている。

まずは、私を刑事告訴したパチスロメーカー大手「アルゼ」(現ユニバーサルエンタテインメント)の当時の雇われ社長の警察キャリア・阿南一成、耐震偽装企業との不適切な関係により辞任に追い込まれている。

弾圧当時のアルゼ社長・阿南一成が耐震不正企業との不適切関係により辞任(朝日新聞2006年1月19日朝刊)。阿南は元中国管区警察局長→参議院議員を経てアルゼ社長に天下り、公判でも出廷し告発本による「被害」について述べた。

私に手錠を掛けた主任検事・宮本健志は、徳島地検次席検事として栄転していたが、深夜泥酔して暴れ降格、懲戒処分されている。さらに、最近身内の衝撃的な事件に巻き込まれていることが発覚。宮本は現在、検事(最終任地は大阪高検)を退官し滋賀県で公証人に就いているということだが、某国立大学の工学部を卒業し一流企業に勤めていた実弟が凄惨なストーカー殺人事件を起こし懲役20年で服役中だという。裏付けを取ったが事実である。みずからが起こしたものではないとはいえ、宮本にとっては、深夜に泥酔して暴れたことどころか、人生最大の汚点である。おそらく在阪マスコミも知っていると思うが、事件が起きたのが四年前の2021年、このかん全く報じられていない。ふだん芸能人や著名人であれば、メディはこぞって大騒ぎするだろう。検事本人が起こした事件ではないとはいえ、宮本らにいたぶられた私としては不快感を覚える。

松岡に手錠を掛けた、地元出身の主任検事・宮本健志検事が、昇任にして赴任した徳島で泥酔して暴れ降格懲戒処分になった事件を報じる徳島新聞(2008年3月26日付け)

神戸地検特別刑事部長として事件を指揮した大坪弘道は、厚労省郵便不正証拠隠滅事件で逮捕・失職している。しばらく浮浪人だったが、今は弁護士として活動しているという。加入を認めた大阪弁護士会の見識を疑う。

弾圧を指揮した大坪弘道検事逮捕を報じる朝日新聞(2012年10月2日付け朝刊)

そうして、アルゼ(現ユニバーサル)の創業者オーナーだった岡田和生、海外で逮捕され、みずからが作り育てた会社から放逐されている。一時は高額納税者総合1位だったこともあるパチスロ長者だったが、今は実子らに裏切られ風前の灯だ。

岡田逮捕を報じるロイター通信電子版(2018年8月6日付け)

事件の関係者に次々と不幸が訪れながら、事件10周年にはまだ岡田は逮捕も追放もされていなかったが、やはり悪いことはできないな。フィリピンで政府高官に賄賂を贈ったりしてカジノホテル開業に向け精力的に活動している間に、東京の本社では息子や子飼いの雇われ社長、そして、あろうことか後妻らによってクーデターが画策され岡田は放逐される。

カジノ建設を狙うユニバーサル(旧アルゼ)による比高官接待を報じる朝日新聞(2012年12月30日付け)
クーデターによって、みずから育てた会社から放逐され愚痴る岡田(『週刊ポスト』2019年3月22日号)

こうしたことから思うに、人を嵌めた者はみずからも嵌められるということだろう。お天道様は見ている。「因果応報」とはよく言ったものだ。

一方私たちは、このかんは新型コロナで苦闘しているが、彼らが不幸に遭っている間にみなさん方と共に奇跡の復活を遂げた。誰もがもう復活はないとささやいていたそうだが、愚直に本業に取り組んでいれば、必ず浮かぶ瀬がある ── 20年前の弾圧以上の事件は滅多にないだろうから、これを乗り越えた私たちは、どのような困難をも乗り越えることができると信じている。勾留中は電話一本、メール一本、ファックス一枚もできなかったが、今はそれらは勿論できるし、自由に動き回ることができる。

[左上]弾圧10周年記念集会(2015年7月12日。地元・兵庫県西宮市)。[左下]弾圧10周年集会二次会。西宮冷蔵・水谷洋一社長が手配してくれた。[右]弾圧10周年記念集会に大学の後輩にして書家・龍一郎が贈ってくれた書

◆寄り添っていただいた、ジャーナリスト・山口正紀さん、主任弁護人・中道武美弁護士、民事訴訟を担当してくださった内藤隆弁護士らの死を悼む ──

この事件に対しては多くの方々に支えていただいた。特に、公判のたびに毎回東京から自費で傍聴に来られ秀逸な記事を最高裁決定が出るまで連続して『週刊金曜日』に書かれた山口正紀さん、主任弁護人を務めていただいた中道武美弁護士、対アルゼ民事訴訟を担当していただいた内藤隆弁護士が、いずれも20周年を待たずして相次いで亡くなられた。内藤弁護士は、なんと本年正月早々に亡くなられた。約四半世紀、東京での訴訟関係をお世話になった。

私も、山口さんや中道弁護士、内藤弁護士が亡くなられた歳を過ぎたり過ぎようとしている。思うところも多い。事件から20周年を共にすることができなかったことに、寂しさが募る。慎んでご冥福を祈り生前のご厚誼に感謝を申し上げたい。と同時にお三方のご遺志を汲み、私が、先の逮捕事件をはじめ長年の裁判闘争で身をもって培った、私にしか解らない生きた教訓を後世に遺していく作業に着手したいと考えている。合掌

【お知らせ】関係書籍として、一部品切れの本がありますが、『紙の爆弾2005年9月号』『パチンコ業界のアブナい実態』『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』『アルゼ王国はスキャンダルの総合商社』『アルゼ王国の崩壊』『アルゼ王国 地獄への道』は僅かながら在庫あります。当時の雰囲気や弾圧の実態を知っていただきたく、ぜひご購読お願いいたします。

出版弾圧事件を記録した本、『パチンコ業界のアブナい実態』と、この続編『パチンコ業界 タブーと闇の彼方』

間近に迫った7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」に圧倒的に結集し、共に語り合い、共に苦境を突破しようではありませんか!! 参加できない方は、カンパでご支援ください!

鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の出版活動を支持、支援される皆様──いよいよ7・12が間近に迫ってまいりました。

コロナ以前、私たちは、今回の集いの会場となるカフェ・インティライミにおいて、幾度となく、こうした集いを開催してまいりました。今回招くPaix2さんのライブを初めて行ったのも、『紙爆』10周年の集まりも、鹿砦社創業50周年の集まりも、インティライミでした。それが新型コロナによって休止を余儀なくされ、コロナ以降は開催できなくなってまいりました。加えて鹿砦社の経営苦境も重なりました。

しかし、それは世の中の多くの企業、個人もそうだったわけで、私たちだけではありません。それでも多くの企業、個人の経営者は頑張っておられます。私たちも、決してコロナのせいにするのではなく、前を見据え反転攻勢を勝ち取らなければなりません。かつて、落ち込んだり浮上したりしてきた私たちは、必ずや勝機を掴み復活する気概と自信はあります。

鹿砦社の出版活動を支持、支援される関西の皆様はぜひ、圧倒的に総結集し、やむなく参加できない場合は、カンパやご祝儀などでご支援ください。

鹿砦社創業50有余年、私たちは幾多の困難を乗り越えてまいりました。今、多くの皆様方のご支援により復活の緒に就きました。7・12の集いを成功させ、共に大道に躍り出ようではありませんか!

関西在住の多くの皆様方のご参加と、ご支持、ご支援をお願い申し上げます!

2025年7月8日
株式会社鹿砦社代表兼集い実行委員長 松岡利康

【追記】
直前となりましたので、今後の参加申込は、
まず「参加申込書」をファックスかメール(チラシに表記)にて送ってください。
会費は、当日払いとなります。

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まで、1週間足らずとなりました。圧倒的なご参加、ご支援を重ね重ねお願い申し上げます!

鹿砦社代表 松岡利康

月日の過ぎるのは速いもので、今から20年前の2005年、『紙の爆弾』創刊から3カ月後、「名誉毀損」に名を借りて大坪弘道検事(彼は厚労省郵便不正事件により逮捕、検事失職)率いる神戸地検特別刑事部は、朝日新聞と連携し、松岡逮捕→鹿砦社潰しの挙に出ました。実際に、私の逮捕―長期勾留により、私は肉体的にも精神的にもずたずたにされ、私たちの出版社=鹿砦社は壊滅的打撃を受けました。誰もがこのまま沈むものと思っていたことでしょう。

ところがどっこい、自分で言うのも僭越ですが、瀬戸際にある時に強いのが鹿砦社です。多くの方々のご支援により復活することができました。逮捕から4年余り費やしましたが……。この時、取引先やライターさんらのご支援、ご協力がなければ、復活はできなかったでしょう。

復活したのは2009年秋、かの事件から4年余り経っていました。その後、勢いは加速し、逮捕前よりも良くなりました。実験的1000部ほど出した限定豪華本が即日完売、限定版なので増刷はできず、普及版(特別装丁版)を出したところ、これがブレイク、実売3万部以上のヒットとなりました。

以降、快進撃は続きました。コロナが襲来するまでは……。

新型コロナ以降、他の出版社や書店同様、再び奈落の底に落とされました。しかし、私たちはぺしゃんこにされてもへこたれません。「捨てる神あり、拾う神あり」で、熱心な読者の方々のお力で、青色吐息で生き残り、ふたたびの復活を目指しています。私たちは潰れません! 鹿砦社55年余りの歴史、『紙の爆弾』20年、『季節』10年の実績を踏まえ、必ずや復活を誓います!

そうした想いで、4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」(東京・日本プレスセンター)を開催し、年度初めの慌ただしい中でも、100人超の方々が結集し叱咤激励をしてくださいました。

それを踏まえ、やはりホームグラウンドのある関西でもやるべしという皆様方からの強い要請で開催することにしたのです。

来る7・12、20年前のこの日、私は逮捕され、そして1週間後の7・12に「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」を開催いたします。圧倒的なご参加、ご支持、ご支援をお願い申し上げます! 

本年4・5からコロナ苦境にありましたが、7・12を目指し多くの熱心な読者、支持者のお力をお借りし頑張り、ようやく復活への突破口を開こうとしています!
私たちはくたばりません! 必ずや復活いたします!

《7月のことば》禍福は糾える縄の如し

松岡利康

《7月のことば》禍福は糾える縄の如し(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

本日から7月、1年の半分が過ぎました。

今月の言葉「禍福は糾(あざな)える縄の如し」──これまでの私や鹿砦社の浮き沈みを言い得ている言葉で元々は『史記』にあります。

幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくるという意味です。すなわち、災いだと思っていたことが幸運の原因になることもある。成功したと思ったら失敗する、失敗したと思ったら成功することもある。たとえて言うならば、より合わせた縄のようだ、という使われ方をされています。

私は20年前、「名誉毀損」に名を借りて逮捕され、会社は壊滅的打撃を受けました。しかし、その後、勝機を掴み復活しました。

ところが、私の人生に安穏はないようで、それはまた次の不幸の始まりでした。新型コロナの襲来によって今は塗炭の苦しみに喘いでいます。ここを切り抜けると必ずや何度も味わった栄光がやってくると信じたい。

さすがに龍一郎、うまい言葉を持ってきやがったな。

◇      ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

今月は〈7・12〉がもうすぐです。時の流れは速いものです。2005年7月12日の、晴天の霹靂の逮捕から20年です。皆様方と共に語り合い、有意義に過ごしたいと考えています。関西在住の方は、今からでもすぐに参加申し込みをお願いいたします。参加できない方はカンパやご祝儀などでご支援ください。

(松岡利康)

月刊『紙の爆弾』創刊20周年/唯一の反原発情報誌『季節』創刊10周年7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まであと2週間に迫りました。圧倒的なご参加とご支援をお願いいたします!

鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の出版活動を支援されるすべての皆様 ── 本格的な猛暑が襲来しました。平素は私たちの出版活動に多大のご理解とご厚誼、ご支援を賜り有り難うございます。 

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まであと2週間に迫りました。

私たちは、月刊『紙の爆弾』創刊20周年/『季節』創刊10周年に際し、去る4月5日東京日比谷の、わが国メディアの象徴である日本プレスセンターにて「鹿砦社反転攻勢の集い」を開き多くの方々にご参集いただき圧倒的な成功を収めました。これもひとえに皆様方のご支援があったからこそです。あらためてお礼申し上げます。

その成功を踏まえ、それに参加できなかった関西在住の支援者の皆様からの強い要望で急遽関西でも集いを開催することになり、目下総力を挙げて、7・12関西の集いの準備に取り組んでいます。関西在住の方はぜひご参加をお願いいたします。東京に負けず関西の意地と底力を見せつけようではありませんか!

これら2つの集いを機にコロナ禍以来の低迷状態を打破し再びベクトルを上向かせなければなりません。20年前の7月12日、『紙の爆弾』創刊から3カ月余りのち、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧で松岡の逮捕─長期勾留によって鹿砦社は壊滅的打撃を被り、それでも多くの方々のご支援により勝機を掴み復活することができましたので、今回も復活は優に可能だと信じています。

大きな節目を迎えた『紙の爆弾』『季節』ですが、今後の現実は厳しく、遺憾ながら両誌の版元の鹿砦社は、20周年、10周年を、新型コロナの波に飲まれた苦境の中で迎えなければなりませんでした。一時は巻き返したこともありましたが、私たちの非力と見通しの甘さで浮き沈みを繰り返しています。これまでご支援をいただいた皆様方には本当に申し訳なくお詫び申し上げます。

『紙爆』にしろ『季節』にしろ、このかん皆様方のご支援を賜り一号一号綱渡り状態で発行してまいりました。そうして迎えた4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」は大成功を収めることができました。予想は厳しかったですが、皆様方のご支援でなんとかクリアできました。

そして迎える7・12 ── 財政問題はじめ、まだまだ当面する喫緊の諸問題を乗り越えないといけません。関西在住の方はなにとぞご参集ください。また、カンパやご祝儀などのご支援もよろしくお願いできれば幸甚です。現在好評裡に販売中の「セット直販」もお願いいたします。至急多くの浄財を集中的にお寄せください!

ことは急を告げています。非礼を承知でこのたびも皆様方に甘えてしまいますが、何卒事情ご賢察のうえご参加と、早急なご支援のほどよろしくお願い申し上げます。 

暑さ厳しき折り、皆様方のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。 

梓加依・著『広島の追憶』が広島市読書感想文コンクールの課題図書に選定!

鹿砦社代表 松岡利康

著者の梓さんとは古くから細く長い付き合いになります。娘さんが一時当社で働いたこともあります。

かつて長崎青海の名で『豊かさの扉の向う側』という本を初めて出版、1992年のことです。30年以上も前になります。それが偶然に書店で教育委員会の方の目に留まり、それで講演会に招かれ、その後、ある国立大学の講師の職に就くまでになりました。

長崎生まれ、広島育ち、戦後の被爆地の様子を見て育ち、その体験から何冊か本を出されています。本書『広島の追憶』もそうです。

もともとは高卒で大阪に就職で出てきて結婚、図書館でアルバイトをしながら平凡な生活を送っていました。

もう30年年以上も前、兵庫県川西市が汚職で問題になり、主婦の方々が立ち上がり「あしたを開く女性の会」を結成、2人が選挙に出馬、2人とも見事当選、それを記録しようと知り合いました。現在、『季節』編集長の小島卓君が丸ごと編集し『主婦の手づくり選挙入門』を出版しました。いい本で、今でも役立つと思いますが、残念ながら絶版です。会も分裂し、今はないと思います。議員のうちお一人の方が交通事故に遭ったとのニュースに接したことを思い出します。

その後、向学心に富む梓さんは、某大学で通信教育を受け学位を取得、それから神戸大学大学院に進み修士課程を修了されています。

これを機会に、一人でも多くの子ども、いや大人にも読まれることを望みます。

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

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梓加依・著『広島の追憶』(鹿砦社 2023年)

図書紹介 〈広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれぞれの物語〉
広島瀬戸内新聞ニュース 2024年12月21日

2023年鹿砦社から刊行
被団協ノーベル平和賞受賞、
被爆80周年になろうとしているいまこそ。
https://www.amazon.co.jp/d/4846315258/
https://www.rokusaisha.com/wp/?p=48020

1944年にナガサキに生まれ、小学校から高校までヒロシマで過ごした著者による「明日へと生きる若い人たち」への物語です。著者は「長崎青海」というペンネームで鹿砦社から松岡社長の編集で「豊かさの扉の向こう側」という本というより小冊子を著したことを契機に、大学非常勤講師や家裁の調停委員なども務めることになり、一念発起。図書館のアルバイト職員から大学に入学して司書資格を取得、修士課程も修了したという努力家でもあります。今回、30年ぶりに松岡社長の編集でまた本書を出されることになったそうです。

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本書は、『はだしのゲン』など従来の本と比べれば具体的な被爆シーンなどはなく、ソフトな描き方ではありますが、人が次々と亡くなっていくという恐怖、そして、それが自分自身もそうなるかもしれないとずっと背負い続ける恐怖。これらをリアルに描き出すことに成功しています。はだしのゲンなど従来の本は大事にしつつ、本書も広げていきたい。

被爆から78年たった今となっては、大人も広島でこういうことがあったことを、頭では勉強していても、きちんと認識している人は少ないと思われるからです。

それも広島においてさえも、です。和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(下写真=広島市南区的場町)。でも原爆からの復興で建てられた建物はもちろん、その後建て替えられたモダンなビルもまた壊され、ポストモダンな高層建築物がニョキニョキとそびえています。ついつい忘れてしまうことがある。だけど、忘れてはいけないことがある。筆者自身には子どもはいませんが、その分、周りの大人に伝えていきたいと思います。

同志社大学此春寮歌音源の完成に協力いただいたグリークラブへの募金について 此春寮OB会発起人(馬場徹、小西桂、川島繁)

鹿砦社代表 松岡利康

久しぶりに爽やかな話題を紹介します。過日の同志社大学此春寮(ししゅんりょう)の先輩・前田良典さんの著書『野の人』の刊行を予告する記事で、関連して少し同寮のことを書き記しましたが、さらもこれに関連する記事です。ぜひご一読、できればご協力お願いいたします。(松岡利康)

寮歌揮毫は書家・龍一郎

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物語は昨年12月に小生(川島)の拙いHPを見た同志社大学グリークラブ員からの問い合わせのメールから始まる。「同志社にまつわる歌の楽譜を調べており此春寮の楽譜はありませんか」と言うものだった。作詞・作曲者は分かっているものの楽譜は誰もその所在を知らない。1977年寮史編纂の時も同窓一同に問い合わせを試みたようだが譜面に行き当たることはできなかった。又、現在寮歌は現役の此春寮生の間でもど歌い継がれていないという。

この寮歌はかつての寮母砂野文枝さん(2010年1月死去)の追悼歌でもある。今でも決まって毎年1月には彼女が眠る深草の共同墓地にOBが集まり彼女を偲び寮歌を歌っているのだ。このままでは此春寮から同志社から寮歌が消える。こんな恐れが頭をよぎる、そんな時に一通の電子メールが寄せられた。これは何かの啓示ではないかと考えた。同窓でも55才 あまりも離れた現役生からメールをもらうことなどまず考えられないこと、しかし伝統の系譜なのか Doshisya college songには、和訳すればこんな一節がある。

「親愛なる母校よ、同志社の学徒はぶどうの枝のごとくつながりゆくことだろう」
つまりこれは寮歌を復元せよということなのだと解釈する。

この思いが伝わり小西桂君が家族の協力も得て譜面を起こしてくれた。そしてこれがグリークラブの皆さんに伝わり、19名のクラブ員が此春寮のために、手弁当で力強く量感あふれる若い声で寮歌の音源を完成してくれました。“人生意気に感ず”とはこのことだろうか! 今まで誰もなしえなかったことです。私たちOBも後輩達のこのボランティア精神溢れる行為に何らかの返答をしなければならないだろう。これは通り一遍のお礼文書でことを済ますことは出来ない。

同志社グリークラブは本年創立120周年である。コロナ禍の活動自粛により19年より合唱コンクールの全国大会から遠ざかり23年春では4年生団員はゼロと危機的な状況を迎えていた。

しかし24年には見事に復活し、大学ユースの部で関西では関学を押さえて一位金賞、更に全国大会では三位金賞に輝いた。東西大学合唱演奏会、全同志社合唱祭など自身の創立120周年記念演奏会を含め多忙な活動を行っている。全国にまたがる活動がために相当な活動資金が入ることは明らかだ。

そこで此春寮OBとして、音源完成への感謝の意を込め、部活動を支える応援を下記のように提案し、皆さんの協力をお願いしたい。

文中の受賞記事の様子(同志社大学グリークラブHPより)

  1. 全国各地で行われるグリークラブの演奏会を機会があれば鑑賞する
  2. 今回の音源作成に協力いただいたグリークラブの活動を支えるため、募金を募り集まった資金は大学募金課を通じてグリークラブへ寄進

・一口以上 5,000円
・募金目標 100,000円
・募金方法郵貯銀行からの振込(6月30日締切り)
(受取人)川島繁(カワシマシゲル)
(記号)14370
(番号)94558181
(備考)此春寮
※振込手数料(5万円未満)は、窓口 203円 ATM 152円

同志社大学グリークラブHP
http://www.gleeclub.jp/index.html

◆     ◆     ◆     ◆     ◆

此春寮 寮歌
金田義国 作詞
西田晃 作曲

1)遍く地より 集い来て
神を見上ぐる 若人の
その意気高く 谺せん
ああ 我が同志社 此春寮

2)互いに努め いそしみて
友と交わり 喜びの
心に満ちて 進みゆかん
ああ 我が同志社 此春寮

3)憂い苦しみ 分かち合い
共にいたわり 祈りつく
正しく強く 生き抜かん
ああ 我が同志社 此春寮

10・8山﨑博昭プロジェクト2025夏の関西集会のお知らせ~今こそあらゆる戦争をなくすために~

鹿砦社代表 松岡利康

10・8山﨑博昭プロジェクト2025年夏の関西集会は、来たる6月21日(土)14:00から「エル・おおさか」5階視聴覚室で開催します。

現在、大阪・関西万博が各種の問題をかかえながら開催中ですが、前回の大阪万博の前年1969年には、大阪城公園において、当時のベ平連を中心として、「ハンパク(反戦のための万国博)」が開催されました。

今回の関西集会では、ハンパクをテーマに研究を続けてこられた大野光明さんと実際にハンパク協会事務局においてハンパクの開催に尽力された植野芳雄さんにおいでいただき、ハンパクの意義と今日的意味を語っていただきます。

講演1『「反戦のための万国博(ハンパク)」とは何か?』
大野光明(滋賀県立大学教員.『社会運動史研究』編集委員会)

講演2『ハンパクに集まった人たち』
植野芳雄(元ハンパク協会事務局)

10・8山﨑博昭プロジェクト
https://yamazakiproject.com/from_secretariat/2025/05/24/7102

4・5東京に続き、7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」の成功と次のステップへ向けて 「セット直販」でのご支援のお願い! 鹿砦社の既刊本、希少本を買ってご支援ください! HELP US!

鹿砦社代表 松岡利康

『紙の爆弾』をはじめとする鹿砦社の出版活動を支持される皆様方──平素のご厚誼、ご支援、まことに有り難く心より感謝申し上げます。

月刊『紙の爆弾』は、お陰様で去る4月7日発行の5月号で創刊20周年を迎えました。

また、その増刊号で、わが国唯一の脱(反)原発情報誌『季節』(旧『NO NUKES voice』)も、昨年8月で創刊10周年を迎えました。

そうして、それを祝うと共に反転攻勢を図る意図で、去る4月5日、わが国メディアの中枢=東京日比谷・日本プレスセンターにおきまして、「鹿砦社反転攻勢の集い」を開催し、多くの皆様にご参集いただき成功裡に終了いたしました。

当初は現状を鑑み、関西の集いは予定していませんでしたが、4・5は東京中心だったことで、関西在住の皆様方から、これまで10周年や鹿砦社創業50周年の際は東京、関西双方で集いを催してまいりましたので、当然今回も関西でも開催するものだとの熱い要望があり、20年前、松岡が「名誉毀損」容疑で逮捕された運命の日=7月12日に、10周年と同じ会場にて開催することになりました。4・5に関西からの参加者は3人にとどまったこともあります。

しかし、当初予定していなかったことで、7・12にはまだご支援が少なく困っています。ここは、恥を忍んで皆様方に緊急のご支援をお願いし、何としても7・12を成功させ、まさに反転攻勢のステップ台とさせてください。

ところで、鹿砦社は、年に1,2度、『紙爆』『季節』定期購読者、会員、支援者を対象に、希少本、新刊織り交ぜて「セット直販」を行ってまいりました。

このたび、これまで書庫(書類置き場)としていた2室を整理、解約する過程で、これまで在庫がないと思っていた貴重な希少本が出てきました。まさに「掘り出し物」ですが放出いたします。

申し込んでくれた方々の一部は、それに気づいておられるようです。

また、「奇妙な情熱」と揶揄された『季節』5号(安保ブントの崩壊と関西ブントの思想。A5判556ページ大冊!)、6号(総特集=現代史における二つの安保闘争の意義。B5判442ページの大冊!)など、今では到底できない仕事です。在庫切れだと思っていたところ、多くはありませんが、そこそこ出てきました。

皆様にもぜひ1セット(いや、2セットでも3セットでも)お買い上げいただきたく思います。

さらに、知人、ご友人の方々らにも、拡販をお願いできれば、と強く希望いたします。10セットほどとりまとめてほしいところです(笑)。

特に今回お薦めの領域は、「学生運動、反戦運動」「『季節』(旧。思想誌の時期)」「レコジャケOTAKARAファイル」等です。すでに在庫がなくなり幻の本と思っていた本が出てきましたので。

◆下の画像は、左2つはレコジャケOTAKAファイルのPANTAとゴダイゴのもの、右2つが『季節』5号と6号)です。

※ご関心のある方は、直接メールにて私までご連絡ください。matsuoka@rokusaisha.com

折り返し詳しい案内(今回163点のリスト)を送ります。

(松岡利康)

同志社大学・此春寮先輩の前田良典さんが著書『野の人』を出版

鹿砦社代表 松岡利康

私たちの尊敬する先輩の前田良典(1962年度生)さんが、おそらくその人生において最初で最後の著書『野の人』を出版されることになり、僭越ながら編集・制作・発行を任せていただくことになりました。目次と前田さんの抱負は別記をご参照ください。

前田良典さんと言っても、一般的には無名に近いですが、1960年代、60年安保と70年安保の、いわゆる<二つの安保闘争>の端境期の時代の同志社大学の学生運動を支えた方です。

四六判、240ページほどで、非売品ですが、ご希望の方には郵送料プラスカンパ程度で私のほうから送らせていただきますので、お知らせください。8月末から9月頃の完成予定です。

【追記】前田さんや私、それに、かの藤本敏夫さんがいた寮は此春寮(ししゅんりょう)と言って、定員20数名の小さな寮です。同志社大学今出川キャンパスの近く、相国寺の裏に今でも在ります。

寮母の砂野(いさの)文枝さんは母親の代から寮母を勤め、学徒出陣を見送ったことで極めて反戦意識の強い方で、デモの日に寮にいたら叱られたほどです。

画像は、寮母さんの退職を視野に入れて刊行された寮誌『プロテスト群像――此春寮三〇年史』(1977年刊、B5変形判、306ページ,上製,箱入り)です。砂野さんは本書刊行を見届け1979年3月に退職されました。(松岡利康)

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関係者OB・OGの方々へ近日発刊のお知らせ

エゾフクロウ

前田良典小論選集
『野の人』(同大此春寮30年史のその後) 
                    

今までに後輩から何度か要請されても、私は「大義いなぁ」とその気にならなかったのですが今回改めての此春寮後輩からの要請で本を発刊することになりました。今まで「紙つぶて」のように出して来た私のバラバラの文章をつながるように後輩たちが何とか直して編集してくれて出版の運びになりました。これまでの文章には70年以降身辺に起きることへの対処と同時に「69年」への無念と不遜ながら原因と責任を書いて来ました。出版に当たってはそれを追悼文に集約しました。ここで私の根拠・拠点はやはり同大此春寮・同大学友会であり京都地方「地域労組(反帝労組)」だと改めて噛み締めました。90年頃までのものは引っ越しで捨てたりパソコンを買い替えてなくなっていましたが、辛うじてフロッピーやCDやUSBメモリーを掘り返したりしたら時代評論や歴史を含めると350頁どころか1000頁を超える文章を書いていました。それを350頁くらいに選定しました。田所追悼は既に発刊済ですので、内容は①藤本(同大)・大森(市大)・堂山(同大)・バラ均(京大)追悼②同大ブント③此春寮④東北大震災⑤書評⑥歴史です。

本のタイトル「野の人」は序文からの採用で9月頃出版です。       
(非売品・出版費と送料へのカンパ自由・拒否も可)
(カンパ振込用の「野の人」刊行会の口座は以下の通り)  
(京都中央信用金庫百万遍支店(010)総合 1083146 前田良典 です) 

2025年6月11日 前田良典

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野の人 目次   

(序)野の人 「前田良典小論選集」作成にあたり                  
第一章 追悼集
① 藤本敏夫氏 個と共同 (2003年)
② 大森昌也氏 追悼(2016年)
③ 堂山道生氏 思い出ボロボロ (2021年)
④ 中島・望月・片山氏 同志社の先輩達(2024年)
⑤ 境毅氏 ばら均さん追悼(1)(2)(2024年)

第二章 同志社ブント記
① 同志社大学学生運動私記(1960年代の記憶)(2003年)
② 同志社ブント黎明期(2011年)
③ 1969年ブントに何があったのか(2019年)

第三章 同志社此春寮(砂野寮母と寮生)
① 砂野ママ葬送一周年(2011年)
② 同志社リベラル(2013年)
③ 深草墓参(2013年)
④ 此春寮OB会で思い出すこと(2014年)
⑤ 館山君への手紙1、2、3 

第四章 書評
① 吉本「マチウ書試論」について(2003年)
② 私達は前近代を活きている(デカルト・スピノザ)1、2(2019)
③ 斎藤幸平「人新世」について(2021年)
④ 上間陽子「海をあげる」書評(2021年)
⑤ 柄谷行人「力と交換様式について」(2023年)

第五章 時代論評
① 時代は回る (2010年)
② 3,11大地震・津波・原発被災(2011年)
③ 南相馬への旅(2012年)
④ 「反原連運動(しばき隊)はスピリチュアル運動か(2015)
⑤ 「慰安婦と非正規労働」問題(2016)
⑥ 原発・沖縄・天皇・障碍者(2016)
⑦ 年頭にあたって(2017)
⑧ 安倍総理が国難である(2017)
⑨ 2018年年頭の思い(2018)
⑩ 「2018年お金と政治の流れ」(2018)
⑪ 擬態国家の頓挫1,2(2022)ウ古代史のこと(2014)
⑫ 小林古代史は単なる夢物語か(2016
⑬ 長州政治は「闇討ち」と「神隠し」の連続である(2016)
⑭ 「明治六年の政変」=近代日本の骨格(2018)
⑮ 藤原さんへ1.2(2020)

編集後記に付して