株式会社 鹿砦社 現代表取締役(10月31日まで)
松岡利康
1988年以来長いか、年務めてまいりました鹿砦社代表ですが、いよいよあと10日ほどになりました。
以下は、これまで書き連ねてきたことと一部重複いたしますが、現在の私の想いを申し述べます。
これは、去る16日に会員さんらコアな支持・支援の方々に送ったものに加筆したものです。




株式会社 鹿砦社 現代表取締役(10月31日まで)
松岡利康
1988年以来長いか、年務めてまいりました鹿砦社代表ですが、いよいよあと10日ほどになりました。
以下は、これまで書き連ねてきたことと一部重複いたしますが、現在の私の想いを申し述べます。
これは、去る16日に会員さんらコアな支持・支援の方々に送ったものに加筆したものです。




松岡利康
7月の熊本地震につきまして、私が代表を務めている高校の同窓会「紫紺会関西支部」(熊本学園大学付属高校同窓会)でも、これが所属する「関西熊本県人会連絡協議会」(46団体+個人会員16名)明珍しず江会長からの呼びかけに応じ義援金を募集しておりましたが、10月9日で締め切り、同13日に集計し、146,500円の浄財をお寄せいただきました。
さっそく同14日に県人会本部口座に送金いたしましたのでご報告いたします。有り難うございました。
なお、県人会全体としての金額は、来る11月14日の総会(熊本金民の集い)にて発表されるとのことで、発表されましたらまたこの欄にてお知らせいたします。
以下、県人会本部・明珍会長からのお礼のお言葉です。
紫紺会関西支部
事務局 宮﨑 様
いつもお世話になっております。
ご連絡ありがとうございました。
確かにお振込み確認致しております。
ご協力いただき有難うございました。
会長様はじめ皆様にくれぐれもよろしくお伝えください。
関西熊本県人会連絡協議会
会長 明珍しず江
※復旧・復興の営みはこれからも続きます。引き続きご支援のほど、よろしくお願いいたします。総会にて今後の義援金募集はじめ支援の方法について審議、決定があると思いますので、あらためてお知らせし、継続的なご支援をお願いいたします。(松岡)

松岡利康
これから適宜、これまでに私がやってきたことについて書き連ねていきたいと思います。何卒ご笑読ください。
すでに何度も申し述べていますが、2005年の弾圧後、会社は壊滅的打撃を被りました。しかし、読者の皆様方、ライターやデザイナーさん、取引先などのご支援により2009年秋、ついに勝機を掴みブレイク! 2010年には悲願の甲子園復帰を果たし、同時に「西宮ゼミ」を開始します。それを手始めに幾つかの企画に乗り出します。
ここでは、高校の同級生・東濱弘憲君(故人)が、みずからの出自を自覚し始めたライフワーク、島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」(於・熊本)について述べましょう。
東濱君は父親が沖縄・与那国島出身、戦後ほどなくして熊本に移住し、東濱君は熊本で生まれ育ちます。熊本は沖縄から疎開したり移住されてきた方が多く約30万人ともいわれ「熊本節」という島唄があるほどです。高校の3年生の時に同じクラスでした。
彼は高校卒業後、ファッション業界を志し、桑原デザイン研究所に入りますが中退、その後、職を転々とし、マグロ船にまで乗ったということです。
やがて熊本に戻りブティックを開店、その際にデパート勤務していたのを辞めさせ引っ張ってきたのが、奇縁というか私の中学の同級生だった有田正博君で、有田君はのちに、今や世界的ブランドとなったPaul Smithを初めて日本に持ってきたことで有名です。有田君については以前に少し述べていますので、ここでは省きます。
この店もすぐに頓挫、東濱君はみずからの出自を悟り沖縄料理店を開き、ここでミニライブをやっているうちに大きなイベントをやる夢を持ち、大阪で開催された「琉球フェスティバル」を観て奮起し、ようやく開始したのが「琉球の風」というわけです。彼はこれをライフワークとし、沖縄民謡のレジェンド知名定男先生を総合プロデユーサーとして開始します。詳しくは、この記録『島唄よ、風になれ!~「琉球の風」と東濱弘憲」をご一読ください。


第1回、2回は大赤字、満を持してBeginや宇崎龍童さんを招いた第3回になってようやく黒字化、しかし財政は安定しません。側で見てひやひやしていました。宇崎さんは、「ギャラを振り込みたいので銀行口座を教えて欲しい」と電話を入れたところ、事情を知った宇崎さんは教えてくれなかったということです。これぞ男宇崎! この話を聞いた私は宇崎さんの人間性を垣間見た気がし感激しました。


東濱君の志に感銘を受けた私は、会社も再興し資金的余裕が出来たこともあり、一枚噛むことにいたしました。広告宣伝費として毎回300万円を出し、プログラムを入れるため先着1千名に特製エコバッグを提供することにしました。今では到底できませんが、当時は太っ腹でした。


しかし東濱君はガンに侵され志途上の2012年4月24日、60歳の若さで亡くなりました。「10年は続けたい」という彼の遺言に従い、その後も続き、第10回を最後に幕を閉じました(第10回は台風のためやむなく屋内でミュージシャンと一部観客で開催)。
こんなイベントは、現実問題、もうできないでしょう。この記録も第5回までで、以後の回のものは出来ていません。残念です。いつかまた、儲け出すことがあれば、ぜひまとめて上梓できれば、と望みます。
![『[特別限定保存版]島唄よ、風になれ!』](http://www.rokusaisha.com/wp/wp-content/uploads/2026/10/07-ryukyu-751x1024.jpg)
Ж『[特別限定保存版]島唄よ、風になれ!~「琉球の風」と東濱弘憲』はA5判・上製240ページ、DVD付き、定価2640円(税込み)です。ぜひご購読お願いいたします。
https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000356
ЖЖ「琉球の風」の際の画像を数点掲載しておきます。もう一度でいいからまたやりたいです。
中川志大新代表を中心に若返りを図り、心機一転、心ある人たちに支えられた〈独立メディア〉として『紙の爆弾』を更に拡大、発展させよう! 半世紀余り幾多の困難を乗り越えてきた鹿砦社を、堅忍不抜の〈言論の砦〉に鍛えよう! 苦境を突破し勝機を掴み“第三の奇跡”を勝ち取ろう! 中川新体制に圧倒的なご祝儀を贈ってください! 心ある皆様のご支援で新生鹿砦社の新たな船出を祝おう!
株式会社 鹿砦社 現代表取締役(10月31日まで)
松岡利康
『紙の爆弾』を愛し鹿砦社の言論・出版活動を支持・支援される皆様!
先の中川の爽やかな抱負は多くの皆様の共感を得たようですが、これに比して以下の私の文は、いささかどろどろしたリアルな話になることをあらかじめご承知おきください。
中川の文、これに先立ち『紙の爆弾』11・12月合併号において公表しましたように、私たちは重大な決意をもって11月1日付けで鹿砦社の代表交替を決定いたしました。
そして、新たな態勢の元、若返りを図り、苦境を突破し、現在ほぼ見なくなった〈独立メディア〉として貴重な存在になった『紙の爆弾』の拡大・発展を図りましょう! 更に、1969年の創業以来半世紀余り数多の困難を乗り越えてきた鹿砦社を、心ある皆様方のお力をお借りし、その力で支えられ、いかなる権威・権力に屈しない〈言論の砦〉に鍛え上げましょう!
私松岡は去る9月25日で75歳、いわゆる後期高齢者になったのを機に、決算が終わる10月31日付けで鹿砦社の代表取締役を辞し、21年前の「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧でも、ただ一人残り会社を守ってくれた中川志大(もとひろ)に代表を禅譲し、心機一転、若返りを図り、若い発想で必ずや新型コロナによってもたらされた苦境を突破してくれるものと信じています。
だからといって、私は逃げるのではなく、日々午前8時には出社し、抱えていたり残っている仕事もかなりありますので、これまでと変わらず実務を続けます。背後から中川を支え、彼を「前門の虎」とすれは、私は、いわば「後門の狼」として後押しします。平取締役兼大株主としては当面残り“老人力”を発揮し、中川を防衛します。
世代交代は、いつかはやらなければならない課題で、どこの会社も直面し後継者不足に悩んでいます。皆様に祝っていただいた創業50周年の2019年から念頭にありましたが、その後新型コロナが襲来し、この対策に追われ手付かずでした。しかし、75歳を一つの区切りとして行うことを決断しました。
鹿砦社、また『紙の爆弾』のような〈独立メディア〉にとっては、広告も入らず巨大なバックがいるわけでもなく、頼りは読者の皆様方のご支援、浄財です。読者の皆様こそ最大のスポンサーです。
クラウドファンディングで資金を集めたらいいではないか、という声もよくあります。あまり知られていませんが、クラウドファンディングは、手続きは面倒で、集まったお金から、相当の手数料を引かれます。1円でも皆様方のご支援を出版活動に使いたい私たちには向いていないようです。
代表取締役として私の最後の仕事は、皆様方にご支援を請い、浄財をお寄せいただくことをお願いし当面の運転資金を集め後任の中川が自由に活動できる基盤を用意することです。先月からご支援をお願いしていますが、本年残りの3カ月は年末にもかかり、かなり厳しい情況を迎えます。なんとしても、ここを乗り切らねばなりません。
私たちはこれまで、当地を襲った阪神大震災前後の混乱の中、逆にこれをバネとして年間売上10億円を達成した1994年から97年はじめの頃を“第一の奇跡”とすれば、本誌『紙の爆弾』創刊直後、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧で壊滅的打撃を被ったにもかかわらず、皆様方のご支援で再起した2009年から2010年にかけての時期が“第二の奇跡”と見なしています。
これでもう大丈夫かなと思ったところ、神はみたび私たちに試練を与えました。新型コロナの襲来です。正直、これを舐めていました。再興を果たし、せっかくの蓄えもすべて溶かしてしまいました。一時は絶望的になりましたが、心ある皆様方の叱咤激励により、なんとしても会社を維持し、本誌『紙の爆弾』、また唯一の反原発情報誌『季節』の発行を継続させ、半世紀余り続く鹿砦社の言論・出版活動を継続することを決意しました。しかし、遺憾ながら、なかなか苦境を脱しえないまま現在に至っています。
後継者不在に悩む経営者は多いですが、当社には幸い、『紙の爆弾』創刊直後の弾圧で私が逮捕・勾留された後、不在中もただ一人会社を守ってきた本誌編集長・中川がおります。彼は新卒で入社し、本誌の編集長のみならず当社全体の編集長、また東京事務所の責任者として、さらに取締役として獅子奮迅に頑張ってきました。
まだ50歳にも達せず経営トップとしては未熟ですが(私が鹿砦社を引き継いだ時は30代。ずいぶん試行錯誤し失敗ばかりしました)、何卒皆様方に可愛がっていただき叱咤激励のほどよろしくお願い申し上げる次第です。私の代で“第三の奇跡”を成しえなかったことには忸怩たる想いがしますが、それを彼に託します。
私は鹿砦社の代表としての最後の仕事を、当面を乗り切り、よしんば余裕を持って中川が采配を振るえるように資金を集めることに決め、ここに皆様方にご支援、資金援助を切にお願い申し上げる次第です。
ご支援はお一人おひとりのお考えやご事情などから、無理のないところで行ってください。例えば、新態勢にご祝儀を贈る、普通にカンパ(寄付)する、『紙の爆弾』、あるいは唯一の反原発雑誌『季節』を定期購読する、すでに定期購読中の方は前倒しで更新する、会員になる、すでに会員の方は会員のランクアップをする、等々です。
事情ご賢察の上、何卒よろしくお願い申し上げます! 心ある皆様のご支援で新代表・中川体制による新たな船出を祝ってください!
※ご祝儀、会費、ご支援金は以下のどちらかにご入金お願いいたします。
① 郵便振替 01100-9-48334 株式会社鹿砦社
また、『紙の爆弾』『季節』に挟み込みの「払込取扱票」にてご送金くだされば、送金費用かからず簡便です。
② 銀行振込 三井住友銀行 甲子園支店 カ)ロクサイシャ
普通口座 4304399 ㈱鹿砦社
(お振り込みの後にお名前、ご住所をメールかファックスにてお知らせください。メールj-info@rokusaisha.com ファックス0798-49―5309.匿名寄付の方は結構です)
■上の文は『紙の爆弾』11月/12月合併号を、定期購読者・会員の皆様方らへ送る際に同封した文に加筆したものです。
■下の写真は、2020年1月18日、手弁当で全国の刑務所・少年院を回りプリズン・コンサートを続けている女性デュオ「Paix2(ぺぺ)」、その500回目(於・横浜刑務所)の後で記念品を渡しました。こののち、新型コロナ旋風が吹き荒れ、私たちを翻弄することになります。
Paix2は昨年4月、『紙の爆弾』創刊20周年の「反転攻勢の集い」(東京・日本プレスセンター)にて司会を務めてくれ、また私が逮捕されたメモリアルデー7・12の同集い・関西(西宮・カフェインティライミ)では魂を込めたミニライブを行ってくれました。Paix2はもっと社会的に認められてしかるべきだと思っています。



松岡利康
すでに鹿砦社の代表交替を公表し、おおむね受け入れられたと思っています。ふと、若い頃に馴染んだ吉田拓郎のアルバムのタイトルを想起いたしました。
「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」
これは広島から東京に出て自費出版した吉田拓郎のアルバム(LP)のタイトルです。「古い船」=創業57年になる鹿砦社、「古い水夫」=私松岡です。このアルバムを若き拓郎は自費出版し、次いでこの中から、私も好きな『イメージの詩』をシングルカットします。あまり知られていませんが、若き拓郎のデビュー曲です。拓郎はその後『結婚しようよ』『旅の宿』などがヒットし、これらがデビュー曲のように誤認されますが、そうではありません。
『イメージの歌』は長い曲です。拓郎の前に「フォークの神様」といわれた岡林信康の曲『それで自由になったのかい』も長い曲です。どちらも若い頃から好きな曲です。
『イメージの詩』には、
「闘い続ける人の心を誰もがわかっているのなら、闘い続ける人の心はあんなには燃えないだろう」
という歌詞があり、涙が出る想いです。
ちなみに、『イメージの詩』は拓郎の作詞・作曲ですが、初期の拓郎を支えたのは、レコード大賞受賞曲『襟裳岬』を作詞した作詞家・岡本おさみです。岡本と組んで、『襟裳岬』はじめ数々の楽曲を出します。『旅の宿』『落陽』……。思い出すなあ。
さらに、岡本おさみはネーネーズの『黄金(こがね)の花』『山河、今は遠く』(いずれも作曲は知名定男)も作詞しています。これらも私の好きな曲です。こういう話をすれば止まりません(苦笑)。
「黄金で心を捨てないで 黄金の花はいつか散る」



株式会社鹿砦社 新代表取締役(11月1日より)
『紙の爆弾』編集長 中川志大
現在発売中の『紙の爆弾』11月/12月合併号の誌面にも記載のとおり、本年11月1日より株式会社鹿砦社の代表取締役社長に就任します。
現代表・松岡も述べていますとおり、出版業界、特に小規模出版社にとって苦境の中で舵取りを交代するわけで、必ずしも“目出度い”とは言い切れないのが正直な心情です。いままで出版実務面は多くを担ってきたものの、経営はまったく違うもので、現代表に教えを請いつつ、試行錯誤を新たに始めることになります。また、経営の立て直しから着手することになるため、実際には1年ほどは、移行期間のような形です。とはいえ、徐々にでも、私のカラーをにじませていければと思っていますので、本誌とともにぜひご注目ください。
私・中川というと、本誌では現代表から、2005年の鹿砦社出版弾圧事件で、ただ一人残った社員として紹介されますが、一度立場を決めたらそこで最大限の努力をするという精神(旗を立てたら動くな)は、当時から変わっていません。こと言論を扱う身としては、目先の利益を追いかけ立場を変えるのを「合理的」と呼ぶような社会にあっても、異論を投げかけ続けることが、この社会に違和感を持つ人にとっての励みになるのではないか。そこにこそ、鹿砦社や『紙の爆弾』の存在意義を持ちたいというのが、私の考えです。
それが具体化できつつあるのか、本誌は大手誌が休刊する中で、相対的に売上を伸ばしています。そして、ここ数年、「『紙の爆弾』が面白くなった」という声をたびたびいただきます。「本を出版する」ということが本当に難しくなっている中で、小出版社が生き残る道は、そういった声を大事にしていくことだと思います。なかなか展望が開けない社会にあっても、「まだ、鹿砦社がある」と思っていただけるような出版社を目指します。今後とも激励とご支援を、よろしくお願いいたします。

※この挨拶文は、『紙の爆弾』11月/12月合併号を定期購読者/会員の皆様らへ送る際に同封した挨拶文を、表題を替えて転載したものです。


鹿砦社代表 松岡利康

「暑さ、寒さも彼岸まで」といわれるように、猛暑、酷暑も、彼岸を過ぎると徐々に涼しくなっていくようです。日本の四季は不思議なものです。今年の夏は、大地震、豪雨、台風と、自然災害に見舞われ大変な季節でした。あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
そして、あっというまに10月、今年も4分の3が過ぎ、残すところ4分の1(3カ月)となりました。いつも申し上げているように、時の経つのは速い、速い。
ようやく秋風が吹き始めました。暑さの中にも秋の訪れが確かにやってきたようです。あと2カ月もすると、これが木枯らしに変わります。こんな季節の移り変わりを幾度となく経験してきました。まさに「風はどこからか吹いてきて流れ去ってゆく」です。いい「風」も、そうでない「風」も……。どこからか吹いてきた悪い「風」も、どこかへ「流れ去ってゆく」ことを祈りたいと思います。
すでに申し述べていますように、個人的には、つい先ごろ、75歳=後期高齢者になって節目の時機を迎え、少なからず思うところあり、新たな出立を告げられた感があります。
ふと、「断絶を知りてしまいし私にもはや出立は告げられている」(岸上大作)という句を思い出しました。新たな「出立」の秋にしたいと気持ちを引き締めています。
長年続いてきた、大学の後輩で魂の書家・龍一郎による鹿砦社カレンダーも、今月入れてあと3枚となりました。すでにお知らせしていますように、龍一郎は昨夏、肺がんの大手術をし、体力的に1年分のカレンダーを揮毫する力がなくなり、あと3枚が鹿砦社カレンダー最後の3枚となります。実に長く、魂と意志のこもったカレンダーを揮毫してくれました。私含め、これに勇気づけられた方も多いようです。共に感謝したいと思います。「ありがとう」を言うのはもう少しあとです。
熊本地震、豪雨、そして台風と、次々と大きな自然災害がやって来ますが、どこかへ「流れ去ってゆく」ことを心より祈りましょう!
鹿砦社代表 松岡利康
本日9月25日で75歳になりました。いわゆる後期高齢者になったということです。かつて若い頃は30歳以降の人生は見えませんでした。それが齢を重ね75歳──思い返せば、いろいろあった人生でした。自分で言うのも僭越ながら浮き沈みの激しい人生だったな。もう何も起きず、少しは業績をアップさせ、あとはやり残した仕事を編纂して形に遺しフェイドアウトしたいと思っています。このままあと5年ほどは何とか生きるとして、1年に1冊、まとめることができれば、と考えています。どのテーマも、それなりに適宜書いてきているので、それらを丹念に整理して書き連ねていきたい。
知人に高部務という人がいます。彼は私より1つ上ですが、トップ屋として、この業界に入ったのは10年余りも先でした。私はと言えば、10年間、出版とは何も関係のない業種でサラリーマン生活を経て、円安のあおりで会社整理するということで、後先考えず、「えいっ!」とばかりこの業界に入りました。これで良かれ悪しかれ人生が変わりました。
幸い、府川充男という人が手取り足取り編集スキルを教えてくれました。板坂剛さんと知り合ったのもこの少し後で、当時2人は対立していたとのことですが、こういうことに無頓着な私は等距離で付き合っていて、今もそうです。お二人とも人一番過激な方だったということですが、板坂さんなど、かの『噂の眞相』を廃刊の危機に追い込んだ「皇室ポルノ事件」を起こしています。
その後、ひょんなことで鹿砦社は路線転換をするわけですが、そして知り合ったのが高部さんでした。その頃にはこの業界で成功していて、府川さんや板坂さんとは違う内容を教えていただきました。このことでブレイクするわけで高部さんには感謝しています。90年代半ばの頃でした。
そして今、高部さんは時代小説の分野に関心を持たれ、これに専念されています。鹿砦社からも2冊上梓しています。3冊目ももうすぐ出ます。みずからが関心を持った課題に、わざわざ地方の役場を尋ねると、真剣に資料を探したり望外の協力をしてくれるということです。私も高部さんを見習わないと……。
私の前後の世代は、多くが学生運動に関わり、その人たちの友人に内ゲバで命を落とした人も多いです。高部さん然り、大学の先輩でアメリカに在住の矢谷暢一郎さん(ニューヨーク州立大学名誉教授)もそうです、これは2人とも表立って書いているので言ってもいいでしょう。また、私が学生の頃、学費値上げ阻止闘争で逮捕・起訴された際に弁護人になってくれた弁護士は、弁護士1年目で私たちの弁護人に就いてくれましたが、彼は一緒に生協活動をやった後輩を連合赤軍事件で亡くしています。当時はこんなことがよくありました。身近な友人を内ゲバで亡くし、その後どう生きてこられたのでしょうか、おそらく他人には言えないものがあると思います。
私の場合、友人ではありませんが、時々ビラ撒きで一緒になった中核派の活動家が、ある日突然、内ゲバで殺されたという報に接した時はショックでした。真面目な方だったということです。ビラ撒きでも、そんな雰囲気を感じさせる方でした。
思い出すことも多いですが、やはり学生時代にくだんの学費値上げ阻止闘争で逮捕されたこと(72年2月1日)と、「名誉毀損」容疑で逮捕されたこと(2005年7月12日)が特に記憶に残ります。当たり前ですよね。


まあ、それにしても、これまでよく生きてきました。人間、生きてりゃ何とかなるということでしょうか。あとしばらくお付き合いください。
今、想うのは、いい時も、地獄のような時もありましたが、「人生に無駄なものなど なにひとつない」ということでしょうか。

鹿砦社代表 松岡利康

『沖縄意見広告運動 16年の歩み 2010-2025
もう二度と沖縄を、本土を戦場にさせない!』
A5判/256ページ DVD付き
定価2750円(税込) 9月10日発売
「16年の歩み」刊行委員会編
発行:沖縄意見広告運動 発売:鹿砦社
「沖縄意見広告運動」は、沖縄の米軍基地負担や辺野古新基地建設への反対、平和への希求を新聞の全面広告で訴える市民運動です。
2010年の開始から16年間にわたり、沖縄地元紙(琉球新報・沖縄タイムス)や全国紙に賛同者の名前を連ねる形で継続的に意見広告を掲載し、国際世論へも訴えを展開してきました。
その歩みを、意見広告(アメリカ紙含む)の全記録、全国世話人の寄稿とともにとりまとめた1冊です。
【付録DVDにも全広告と各期の全賛同者を収録】
安次富浩(ヘリ基地反対協議会顧問)/高里鈴代(オール沖縄共同代表 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)/土屋源太郎(伊達判決を生かす会共同代表)/大野和興(農業ジャーナリスト・日刊ベリタ編集長)/上原公子(元国立市長)/田中優子(法政大学 名誉教授・元総長)/野平晋作(ピースボート共同代表)/武建一(近畿労働者協同組合理事長/中小企業組合総合研究所代表)/特別寄稿 伊波洋一(参議院議員・会派 沖縄の風)
■編集プロダクション経営の大学の先輩からの要請で、上記書の発売元を引き受けることにしました。沖縄問題が脚光を浴びる昨今、注目の一冊です。ぜひご購読お願いいたします。すでに残部少数です。
ご注文は直接当社sales@rokusaisha.com かネット書店に。(松岡)
amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846316041
ヨドバシ https://www.yodobashi.com/product/100000009004274207/
鹿砦社代表 松岡利康
救援連絡センター発行の『救援』最新号が届きました。ここでも浅野健一氏が、ありもしないことを記載しています。これまでもみずからのFacebook(以下FBと略記)においては言いたい放題でしたが、かつては浅野氏の近くにいながら今は距離を置いている方の「相手にしないのが一番ですよ」というアドバイスもあり、あえて黙過していました。しかし、みずからのFB内ならともかく、小さくとも他のメディアに記載されると、ちょっと違うんじゃないかと思い、今春の出版差し止め騒動の総括記事も書かなければいけないし、反論記事を書いておくことにいたしました。


本年4月から6月にかけて、ちょっとした騒ぎになり、ことは表現の自由の問題に抵触することで、私なりに熱を入れて対処したのが、浅野健一氏による出版差し止め仮処分問題です。
4月3日、浅野氏のFBで、浅野氏があけび書房刊行予定の辻井彩子・著『石ころの慟哭──山上徹也・奈良地裁裁判の私記』に対し出版差し止め仮処分を申し立てる旨を公言したことを知り、出版差し止めを5度も甘受し、その一つはのちに逮捕・勾留に繋がった経験を持つ私としては大問題であり、これを批判、直ちにやめるように警告しました。この経過は、この欄でもさんざん申し述べておりますので端折ります。
その後、浅野氏は、公言通り4月16日(木)に東京地裁に同書に対する「出版禁止仮処分」(浅野氏による書面の表題)を申し立てます。しかし、これは週明け同月20日(月)に裁判所より取下げを要請(事実上の棄却)され、浅野氏はこれに従います。
ところが、仮処分申請書のコピーをメディア関係者に配布したり、差し止め仮処分が決定もされていないのに取次会社に同書を取り扱わないよう要望したり、同書著者を精神的に追い詰めるまで連日ネットリンチしたり、挙句、岡林信一あけび書房代表、同書著者・辻井彩子さんに加え、同書の帯を書いた鈴木エイト氏、途中から浅野氏の言動に疑問を抱き漸次コメントをした黒薮哲哉氏、それに私の5名に対し「5人組」と命名、今に至るまでさんざん誹謗中傷を加えて来ました。
しかし、6月27日、浅野氏のFBの1行から仮処分を取下げたことを察知した私は、これを私のFBにて指摘、遂に浅野氏もこれを認めつらつらと弁解をされ認め、また同月29日、岡林氏も裁判所に確認し、懸念された仮処分決定は回避されました。もし、ここで出版差し止め仮処分が決定されたら、逆に浅野氏は出版を妨害、弾圧した張本人として出版人から糾弾され出版史に記載されるかもしれません。
ここで問題なのは、仮処分を裁判所に一蹴されたにも関わらず2カ月以上も秘匿していたことです。そのかん、浅野氏は、やんややんやと大騒ぎし、これだけならまだしも、あけび書房本著者・辻井さんに対して、激しいネットリンチを掛けています。まさに人権侵害と言えます。ふだん「人権」がどうのこうの声高に叫んでいる御仁が、みずからの考えに反する人には、平気で人権侵害をするというのはいかがなものでしょうか? かつて『犯罪報道の犯罪』で匿名報道の必要性を問い、颯爽と論壇に登場した浅野氏も落ちたものです。
そうして浅野氏は、「本裁判を提起するため、弁護団を強化して、準備中です。完璧な訴状と証拠を提出します。民事裁判はすべてオンライン提訴となり、辻井氏と岡林氏の共謀による著作権侵害、盗用の全貌を明らかにします。表現者の権利に関わる裁判ですから、完勝を目指します。」と“捨て台詞”を吐き、以来、訴訟について言わなくなりました。もう9月も下旬ですよ、速く「弁護団を強化して」「完璧な訴状と証拠を提出し」「完勝」を目指していただきたいものです。
◆出版差し止めと共に沖縄でも問題発生!
一方で出版差し止めで大騒ぎをし、浅野さんは沖縄でも問題を起こしています。同志社国際高校の学生らが亡くなった忌まわしい辺野古の事故後のデリケートな時期に不用意な発言をし遺族の反発を買います。この事件については、学生時代から返還協定調印→批准阻止闘争を必死で闘い、ずっと反基地の立場を堅持し、侵略前線基地化に反対してきた私としては、浅野氏を含めた基地反対派やリベラル・左派の態度に強い違和感を覚え私見もありますので、稿を改めたいと思いますが、最も遺族の感情に配慮し遺族に寄り添うことを第一義にしないといけないことは分かり切った話なのに、逆に遺族の感情を逆撫でするとは、浅野氏らしいと言えば浅野氏らしい言動です。ここに浅野氏の人間性が表われています。人間、こういう時に、その人の人間性が表われます。
これに関連し、浅野氏は「人権と報道・連絡会」(代表世話人・浅野健一氏)主催で沖縄現地で集会を開きます。

この宣伝チラシで、連絡先を「宮川元一」という方の住所、電話、Fax等が記載されています。このことで宮川氏の元には抗議や誹謗中傷の声が多数寄せられ、音(ね)を上げます。当然です。これを察知したメディアの一つ『さくらフィナンシャルニュース』(浅野氏によれば日本会議系サイト)がこれを採り上げ、「正式なお問い合わせ先」として浅野氏の自宅の住所、電話番号等を記載して報じています。私がこれを見たのはマスキングされた状態のもので、正確に何々が記載されているのかは知りません。

ところが浅野氏は、それ(浅野氏の住所等が記載された記事)を私が「リツィート」し「全世界に晒した」と仰るのです。「リツィート」も何も、私はしていません。していると仰るのであれば、証拠を出してください。出せるわけがありません、私は「リツィート」もしてませんし、このサイトにコメントを書き込んだりもしてませんから。
ただ、浅野氏の支持者の中尾進氏という方が5月30日付けのFBに於いて、私について言及しておられますので、中尾氏のFBにひとことコメントを書き込んでいます。
これは以下再録しておきます。たったこれだけです。
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「Toshiyasu Matsuoka
中尾進さんに非難されている鹿砦社・松岡です。コレ、もともと人権と報道・連絡会の案内に宮川元一氏の住所が連絡先として記載され、宮川氏が迷惑を被り、人権と報道・連絡会と浅野さんに抗議し、それをさくらフィナンシャルニュースが、以前に人権と報道・連絡会の連絡先とされていたのを、変更されたものと気づかず浅野さんの自宅住所を記載し、それを岡林さんがそのままリポストしたにすぎないわけでしょう。浅野さんが代表の人権と報道・連絡会が当初から宮川さんの住所を連絡先に記載しなければよかったわけでしょう? なにか責任を、なんでもかんでも岡林さんが悪いと岡林さんに責任転嫁してはいませんか?」
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このかん浅野氏はみずからのFBにて、この件について再三再四私を詰っておられます。前述した、かつては浅野氏の身近にいて今は距離を置いている方の、浅野氏を「相手にしないのが一番ですよ」という忠告もあり、また浅野氏のFBに留まっている限りは無視しとこうと、あえて黙過していましたが、このたび、小さなメディアとはいえ、私も大なり小なり関わったり広告を出したりして支援したこともある救援連絡センターの機関紙『救援』に、またしても私に対する、事実と異なる誹謗中傷記事が掲載されました。初めて他紙に掲載されたわけで、ここで黙っていれば今後さらに拡大しかねないと思い、救援連絡センターと、その代表・足立昌勝氏、同代表弁護士・大口昭彦弁護士、連載を持ち浅野氏の出版差し止め仮処分申し立ての代理人・山下幸夫弁護士らにもCCでメールにて抗議したわけです。同センターにはこれまで、仮処分問題では、何度となくメールを送っており、6月11日には長文の「要望書」も送っています。私なりに力を入れて書きました。にもかかわらず、これに対して、同センターからも、足立、大口、山下氏らからも何らの回答やコメントもありませんでした。大口弁護士とは、この「要望書」についてではなく、これ以前に別途メールのやり取りはありましたが…。大口弁護士は、私の世代にとっては、まさにカリスマ的存在で、かの「名誉毀損」逮捕事件では弁護人にも名を連ねていただきましたし、昨年4月の『紙の爆弾』創刊20周年反転攻勢の集いに際しては多額のカンパもいただきました。その野武士的な生き方を尊敬し、ならば浅野氏がこのかんなさっていることに対してはガツンと叱責いただきたいものです。
私事にわたりますが、4月13日に高齢の母が急逝し、6月20日故郷熊本のお寺に納骨、4月から6月は精神的にもきつかった時期ですが、それでも出版差し止め仮処分という問題は、体験的にも重大問題でしたので、私なりに真っ正面から対峙し、適宜コメントしてきました。差し止め問題が一段落したと思ったら再びの大地震……イオンモールで生身の人間が目の前で焼死することに絶望的な気持ちになります。
◆足立昌勝救援連絡センター代表から返信! 浅野氏と松岡の「個人的問題」とする見解に「う~む」
このたびの私の抗議について、救援連絡センター足立昌勝代表から返信がありました。足立代表には、これまで何度もメールしてきましたが、初めての返信です。
以下、やり取りです。
《1》9月17日付け、松岡から救援連絡センターへのメール
救援連絡センターの皆様
鹿砦社・松岡です。本メールは極めて重要ですので、必ずセンターに関わる全員に回覧していただきたく強く要望いたします。
御紙『救援』9月10日号拝受いたしました。
そこに浅野健一氏の「人権とメディア」に「日本会議系のサイトが私(注・浅野氏)の自宅の郵便番号、住所、固定電話と携帯電話の番号、メールアドレスを世界中に晒した。また、その違法投稿を、あけび書房・岡林信一社長、鹿砦社・松岡利康社長らがリツィートした。」と記載されておりますが、これは事実無根で私松岡はリツィートしてはおりません。私がリツィートしたと強弁する文を掲載したのであれば、御紙次号において「証拠」を公開してください。そういう事実がないわけですから「証拠」を公開できるわけがありません。もともとくだんの「日本会議系のサイト」上の浅野氏の住所等個人情報が記載された画面を私は見ておりません。私が見たサイトが「日本会議系のサイト」かどうかわかりかせんが、私が見た時にはその箇所はマスキングされていました。
もっとも、私はX(旧ツィッター)をやっていませんので「リツィート」などできませんが……。
今春から浅野氏は、出版人にとっては生命線ともいえる出版差し止めを企てたり、あけび書房刊行出版物の女性著者に対し精神を病むほどまでに激しいネットリンチを繰り返したり、異常なまでに大騒ぎされました。遺憾なことです。言葉の上では「人権」を口にされながらも実際は人ひとりの人権などおかまいなしです。本来なら、浅野さんが女性著者に対する人権侵害行為をやっていることは私たちが幾度となく批判してきていましたのでご存知だと察しますが、それなら御紙の中心人物がそういうことをやっていることを厳しく叱責すべきではなかったでしょうか。
このかん浅野氏はみずからのFacebookにおいても私松岡に対し、この件はじめ激しい誹謗中傷を続けておられます。正当な批判とは到底思えません。
それはまだ浅野氏のFB上のことなので我慢しておりましたが、他の媒体(つまり御紙)に記載するとなると問題は別となります。
あらためて正式な抗議文書を送らせていただきますが、とりいそぎ強く抗議の念を表明いたします。
なお、浅野氏は、私に対しやFBやメールをブロックされているとのことですので、このメールは送っておりません。
私はセンターとの関係を悪化させたくありませんし、毎月『紙の爆弾』に寄稿いただいている足立先生の寄稿も継続したく思っておりますので、よろしく御高配のほどお願い申し上げます。
《2》9月18日付け、足立代表からの返信メール
松岡様
抗議の文章を読みました。
この件は、松岡さんと浅野さんの個人的問題であり、救援連絡センターとのまったく関係ありません。浅野さんが救援に書いた文章に反論があれば、ぜひ救援誌上で反論権を行使し、反論の文章を書かれてはいかがでしょうか。
抗議文には、次の一文があります。
「私はセンターとの関係を悪化させたくありませんし、毎月『紙の爆弾』に寄稿いただいている足立先生の寄稿も継続したく思っておりますので、よろしく御高配のほどお願い申し上げます。」
このような形で私の名前を出されることは、非常に迷惑です。このようなことが続けば、私の紙の爆弾への寄稿があたかも非難されているように海(ママ)けられざるを得ません。
前回の抗議文にも名前が出されていました。
ぜひ、このような私の名誉にかかわることをやめていただきたいと思います。
先にも述べたとおり、もし反論があるならば、救援誌上で反論を述べていただきたいと思います。
なお、救援連絡センターでは、救援に関する検閲は行なってはいません。
浅野さんの文章は、本人の責任で書かれたことであり、救援とは全く無関係です。
以上、よろしくお願いします。
《3》9月18日付け、松岡から足立代表への再返信メール
足立先生
拝復 今回初めて先生のご意見を伺いました。
まず、浅野さんによる出版差し止め仮処分問題、山下弁護士や大口弁護士ら、浅野さんも含めセンターの中心人物3人も関わっておられます。
それに浅野さんは、あけび書房本の女性著者、それもプロのジャーナリストでもライターでもない人に対する激しい人格攻撃など、「人権」を語る人がやるべきことではないし、これは私も何度となく批判していることですが、果たして先生らは浅野さんに叱責されたのでしょうか。いくら「人権」だなんだと言っても身近の人物が身近で起こしている人権侵害を黙っているのでしょうか。
こういうことを私は6月11日付けの貴センターへの「要望書」はじめ何度も申し述べてきました。しかし貴センターからのリアクションはありませんでした。再度その「要望書」をお読みいただきたいと思います。私なりに力と時間をかけて書いた「要望書」です。何のリアクションもないというのも寂しいものです。
本件、私と浅野さんとの「個人的問題」ではありません。センターの内部の方で情報を寄越してくれる方もおられますが、センターではそう処理しようということのように感じられます。
そうではありません。浅野さんが「5人組」と非難されるように、鈴木エイト氏はじめ社会的に名のある方も複数関わっておりますし、また浅野、大口、山下氏らセンターに深く関わる方々もおられるわけですから、常識的に見て、私と浅野さんの「個人的問題」ではないでしょう?
それに、先生はセンターの代表でしょう? こういう問題が起きた場合、責任を持って対応するのが「代表」ではないのですか? あくまでも私と浅野さんの「個人的問題」として処理されるわけですか?
また、「浅野さんが救援に書いた文章に反論があれば、ぜひ救援誌上で反論権を行使し、反論の文章を書かれてはいかがでしょうか。」ということですから、ぜひ「反論権を行使」させてください。
尊敬する足立先生や大口弁護士らに異を唱えることには忸怩たる想いですが、浅野さんがあけび書房の出版物に対して出版差し止め仮処分を公にされて以降私は一貫して、いやしくもジャーナリストが、みずからの意に沿わない出版物を差し止めることはダメだと主張してき、また貴センターにも申し述べてきました。これも私と浅野さんの「個人的問題」で片付けようとなさるわけでしょうか?
出版差し止め、とりわけこの仮処分は、出版や表現に関わる者にとって重大な問題です。私たちの出版社・鹿砦社は過去に5度も出版差し止めを受け、このうち1件は、その後、私の逮捕→192日間の勾留にまでつながりました。出版差し止めは、憲法21条に謳われた表現の自由、言論・出版の自由にとって最大の敵です。みずからの体験からもそう断言できます。
大先輩に対して遠慮のない不躾な文を返信させていただきました。私はこういう文しか書けませんので、何卒ご容赦ください。 敬具
《4》相談した、あるジャーナリストの意見
松岡様
お世話になります。
足立さんの文章には呆れて言葉がありません。浅野さんと松岡さんの個人的な問題であれば、機関紙上で松岡さんに対する個人攻撃を容認してはいけません。紙面を提供した以上、書かれていることの責任を取るのは当たり前です。それを放棄して、言い訳をしているわけですから大きな問題でしょう。名誉教授として、恥ずかしいことだと思います。