『3・11の彼方から 「季節」(「NO NUKES voice」)セレクション集vol.1』をお届けするにあたって

『季節』編集委員会

私たちの出版活動、特に『季節』をご支援、ご支持される皆様──

『3・11の彼方から 「季節」(「NO NUKES voice」)セレクション集vol.1』がようやく完成いたしました。当初の目論見に反し編集に苦戦、発行が遅れ、ご心配をおかけしました。

印刷所から届いたばかりの『3・11の彼方から』

予想以上に難産でした。しかし、後々に残る立派な本になりました。

本書は、わが国唯一の脱(反)原発情報誌『季節』(前身の『NO NUKES voice』含む)創刊10周年記念事業として企画されました。

当初一巻本として、約400ページで出版する予定でしたが、編集の過程で、収録し後世に残したいものが数多あり、結局608ページで、それも三巻に分けて出版することになりました。史料としての価値も大いにあるものと自負しております。

『季節』は、『NO NUKES voice』の名で2014年8月に創刊いたしました。当初編集長は発案者の鹿砦社代表・松岡が務め、その後、小島卓が引き継ぎ、また誌名も『季節』に改題し現在に至っています。

創刊時、まだ3・11から年月もさほど経っておらず脱(反)原発の機運が盛り上がり国会周辺には多くの人々が結集し抗議の声を挙げていましたが、徐々に減っていき、今はほぼなくなりました。

また、創刊号から小出裕章氏ら錚々たる方々にご協力、ご寄稿賜りながら、私たちの営業力不足で実売的には苦戦し、残念ながらいまだに黒字に転じていません。当初は鹿砦社の景気も好況で、本書の赤字は会社の利益で消していましたのでよかったのですが、多くの企業のように新型コロナ以降、一転不況になり、そうもいかなくなりました。

新型コロナというパンデミックの襲来もありましたが、福島の悲劇の記憶はなしくずし的に風化しようとしています。遺憾なことです。

『季節』の今後につきまして、気分的には発行継続の方針ですが、現実問題としては資金的に困難な情況であることを隠しません。皆様方のご支援をお願いする次第です。まずは本書を一冊買ってご支援ください!

そして、どうか紐解いていただき、気に入れば周囲の知人、友人の方々にもご購読をお薦めいただければ幸いです。

本書vol.2は来年前半、vol.3は来年後半の刊行予定です。ご予約を入れておいていただければ助かります。

まずは『3・11の彼方から』完成のご挨拶にて失礼いたします。今後共『季節』、及び鹿砦社の出版活動をご支援、ご支持お願いいたします。

[A5判、本文608ページ、カバー装、限定500部、定価4950円(税込み)]

Ж お申し込みは、Amazonなどネット書店、最寄りの書店、または直接鹿砦社
本社 j-info@rokusaisha.com まで。

鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=new&bookid=0

2025年9月  
『季節』編集委員会  
株式会社 鹿砦社

「われわれの出版の目的は、一、二年で忘れ去られることのない本を作ることである。」──

鹿砦社代表 松岡利康

本年4・5東京、7・12関西での二つの「鹿砦社反転攻勢の集い」の成功を踏まえ、ご参集された皆様方、全国各地からご支援金を送り支持された皆様方に叱咤激励され、私たちは多くのメディアが権力のポチ化する中にあって、私たちにしかできない出版をやり切るという理想を、あらためて高く堅持し、『紙の爆弾』、およびこの増刊号『季節』の発行継続、鹿砦社の出版活動の継続を決意しました! 私たちは諦めてはいません。更に圧倒的かつ継続的なご支援をお願いいたします!

本誌『紙の爆弾』ご愛読者の皆様! 本誌をはじめ鹿砦社の出版活動を支持される皆様!

9月になりました。本年も早3分の2が過ぎたことになります。会社としてはいまだ苦境を脱してはいませんが、4・5、7・12の二つの反転攻勢の集いの成功により、この苦境にあっても私たちの出版活動を支持される方がおられることに勇気づけられ、苦境にある鹿砦社の現状を突破し創刊20周年を経た『紙の爆弾』、創刊10周年を経た『季節』の発行継続、創業55年を経た鹿砦社の出版活動の継続と更なる発展を目指します。

ことあるごとに支援をお願いし忸怩たる想いですが、皆様方お一人おひとりのできる範囲で、どうかご協力お願いいたします。鹿砦社は、いやしくも本を発行する出版社ですから、本を買っていただくことを基本とし、見返りを求めないカンパには消極的でしたが、今は悠長なことは言っておれませんので、この危機を突破するために当面カンパもお願いする次第です。応じていただける方は、振込の際「カンパ」とお書き添えください。金額は問いません。皆様方のお志で千円からいくらでも結構です。

◆多くの皆様方のご厚意と叱咤激励に感謝し、一日も速く苦境脱出に努めます!

20年前、『紙の爆弾』創刊からわずか3カ月後、突如として「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧により私たち鹿砦社は壊滅的打撃を受けました。多くの出版関係者やメディア人らによっては、「鹿砦社なら仕方がない」「マツオカはやり過ぎた」等々の冷ややかな対応がなされ、いやしくも出版人が逮捕、半年余りの長期勾留、有罪判決、高額賠償金(600万円余)されたことの本当の意味がいまだに理解されているとはいえず遺憾です。例えば最近「人質司法」が批判されていますが、このことは松岡が半年余り勾留された当時から私たちは批判していたところです。しかし、私たちの主張は蔑ろにされ、昨今KADOKAWAの会長がみずからの体験から批判するようになって脚光を浴びるようになりましたが、遅いです。20年遅れで、この間にも司法の反動化は進んでしまいました。名の有る大手出版社の偉いさんが記事にし、当社のような零細出版社の無名社長が必死に言っても無視するのか!? 

それでも20年前の当時、今よりも格段に少ないながらも心ある皆様方にご支援、サポートいただき、これを力として、事件から5年後には復活を果たし甲子園に本社を再設置することができました。この時は本当に嬉しかったです。今は、例えば4・5、7・12に見られるように多くの皆様方に支えられています。20年前の比ではありません。今、『紙の爆弾』や『季節』の発行、これを中心とする出版活動をやめれば、苦境にあってもご支援、ご支持される皆様方のお志を台無しにしてしまいます。塩を舐めてでも頑張るしかありません。

もっと言わせていだければ、ジャニー喜多川による未成年性虐待問題も1995年以来弾劾してきていましたし、中居正広らジャニーズタレントによる性犯罪や社会問題化したスキャンダル、宝塚歌劇団内のいじめ問題などにも先頭に立って弾劾してきました。しかし私たちの力は微力で広く社会問題として拡がることができませんでした。「ジャニーさん、ありがとう」(ジャニー喜多川逝去直後の『週刊朝日』の表紙の宣伝文)などに体現されるのが、英国BBCが告発する一昨年までの大手メディアの総体的な態度でした。

原発問題もそうで、3・11後、国会周辺はじめ全国津々浦々で展開された脱(反)原発の声もなし崩し的に小さくなってきています。しかし、私たちはこれに対し『季節』によってささやかな抵抗の声を挙げ続けてきています。 

このことについては、この11年間、一度も黒字にならずとも発行を継続してきたにもかかわらず、なかなか拡がりません。創刊号は当時の鹿砦社の勢いもあってドン・キホーテ的に2万部! 今は4千部の発行ですが、4千部でも厳しいです。

原発問題についてはいろいろなご意見があるかと思いますが、少なくとも私たちのスタンスはシンプルで、即時稼働ストップ、永久廃炉、再稼働阻止、一部に蠢いている新設阻止です。いささかナショナリズム的な物言いにはなりますが、自然豊かな美しい日本の風景、国土を原発ごときで汚すべきではありません。3・11後の展開、特に荒廃しきった福島の現状を見ればわかるように、人を不幸にし国土を荒廃させる原発は即刻やめるべきです。『季節』夏・秋合併号に魂の書家・龍一郎が揮毫したように、〈「もう一度、原発が破裂したら、日本人は生きていけない。」と大江健三郎さんは言った。〉です。

日本で唯一の脱(反)原発情報誌『季節』夏・秋合併号(現在発売中の号)を紐解いていただければ、かの山本義隆さん、小出裕章さん、樋口英明さんら錚々たる方々が寄稿されています。これまでの『季節』のひとつの到達点ともいえるでしょう。これに鼓舞され、あらためて『季節』続刊を決意するものです。

いずれにせよ、月刊『紙の爆弾』にしても、この増刊号で子誌の『季節』にしても、どちらも類誌がありませんので、やりようによってはチャンスはあります。妙案があればお知らせください。皆様方の圧倒的なご支援を賜り、両誌の発行継続を心から望んでいます。

季節2025年夏・秋合併号 https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJXW1RPD/

◆『紙の爆弾』の発行継続のために早急に皆様方にお願いしたいこと

具体的に皆様方にお願いしたいのは、次の通りで、皆様方お一人おひとりのできる範囲内で結構ですので、ご支援よろしくお願いいたします。私たちのスポンサーは読者の皆様方です。これまで幾度となく助けていただき感謝いたします。言いにくいですが、もうしばらくご支援お願いいたします!

① 最新刊の『季節』春・夏合併号、本誌発売直後に完成予定の『3・11の彼方から 「季節」(NO NUKES voice)セレクション集vol.1』、野田正彰・著『流行精神病の時代』など、最新刊の書籍のご購読をお願いいたします! 特に『3・11の彼方から』は歴史的史料として重要です。

『3・11の彼方から 「季節」(NO NUKES voice)セレクション集vol.1』
 https://www.amazon.co.jp/dp/4846315878/

野田正彰『流行精神病の時代』https://www.amazon.co.jp/dp/4846315827/

② 「セット直販」などで鹿砦社発行書籍のまとめ買いでご支援ください!
会員・定期購読者・社債引受者の方向けに行っている「セット直販」は9月1日終了予定でしたが、好評につき、あと1カ月(9月30日まで)続けますので、特に古い稀少本のお買い求めをお勧めします。リストはすでにお送りしていますが、失くされた方はお電話、ファックス、メール(matsuoka@rokusaisha.com)などで本社までご連絡いただければ送ります。申し込まれた方で気づかれた方もありますが、今ではけっこう貴重な書籍、古書価が高価になっている書籍なども少なからず混ざっています。

③ 本誌の定期購読、及び拡販をお願いいたします!
基本は本誌の定期購読・会員の拡販にあります。知人・友人に本誌の定期購読をお薦めください! また、皆様方も、できれば前倒しで複数年の定期購読をお願いし、できれば上級会員になって下さい。

④ 本誌のバックナンバーのご購読をお願いいたします!
20年余り発行してきた本誌『紙の爆弾』ですが、その号を発行した時代の情況を見るためにもバックナンバーは参考になります。こちらもまとめてご購読をよろしくお願いします。

『紙の爆弾』 https://www.amazon.co.jp/dp/B0FM7C16TC/

⑤ 本誌定期購読者、会員、社債承諾者の皆様方には、どれでも一度に1万円以上のまとめ買いにつきましては、新たに割引制を導入することにしました。具体的には本社まで。

⑥ 圧倒的なカンパをお願いいたします! 金額は問いません。1万円以上のカンパでご住所をお知らせいただいた方にはお礼状と粗品を差し上げますが、今回はそれぐらいでご容赦ください。

今回、反転攻勢の集い同様、一口10万円、5万円の特別カンパもお願い申し上げます! 10万円カンパの方が100人おられたら1千万円で、一気に形勢逆転します。

◎振込先は、三井住友銀行 甲子園支店 普通 4304399 か 郵便振替01100-9-48334(『紙の爆弾』「季節」に挟み込んである振替用紙を使ってくだされば振込手数料は無料)
口座名は、いずれも「株式会社鹿砦社」です。

◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

思い返せば、20年前の「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧で壊滅的打撃を受けつつも、諦めずに頑張ったことで奇跡ともいえる復活を遂げることができたと信じています。実際に業界では、そう言われていました。情況は今よりも格段に悪かったと思います。それでも復活できました。新型コロナを直接的躓きの石としつつ苦境に落ちましたが、諦めさえしなければ、奇跡は二度起き再度復活できると信じています。私たちは諦めません。奇跡が起きるまで、青色吐息でも頑張ります! 苦境にあっても私たちは諦めずに頑張ります!  圧倒的なご支援をお願い申し上げます! 

※冒頭の言葉は『戦争論』で有名なクラウゼヴィッツの言葉です。私が本格的に出版の世界に入る1985年に歴史家の小山弘健先生の最期の著作『戦前日本マルクス主義と軍事科学』を出版しましたが、その際小山弘健先生に教えていただきました。40年経ちましたが、果たして「一、二年で忘れ去られることのない本」を作ったのか、作ったとして何冊作ったのか、汗顔の至りです。

小山先生の『戦前日本マルクス主義と軍事科学』は、品切れと思っていたところ、先般、書類置き場としていた古家を整理した際に30冊ほど出てきました。ぜひご購読お願いいたします。

ちなみに、本書を出版した1985年前後には他に、長崎浩著『革命の問いとマルクス主義─階級、自然、国家そしてコミューン』、高橋順一対談集『現代思想の境位』(対談相手=吉本隆明、廣松渉、柄谷行人)、松岡利康編『敗北における勝利──樺美智子の死から唐牛健太郎の死へ』(寄稿者・=小山弘健、笠井潔、長崎浩、冨岡倍雄、佐藤粂吉、加藤一夫、高野澄、三上治、橋田淳)、季節編集委員会編『未完の意志──資料・六〇年安保闘争と第一次ブント』などを出版しており、いろいろな想いが過ります。

《9月のことば》誠一途 初志貫徹

鹿砦社代表 松岡利康

《9月のことば》誠一途 初志貫徹(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

9月になりました。1年の3分の2が過ぎ、今年は残り3カ月となりました。
この夏も、いろいろな意味で暑かったです。

今年の前半は、『紙の爆弾』創刊20周年、『季節』創刊10周年を迎え4・5東京、7・12関西と二つの「反転攻勢の集い」に多くの皆様方のご参集を得、また多大のご支援を賜り、成功裡に終了、次の10年に向け出発することができました。

私たちは、あくまでも「誠一途」「初志貫徹」の気概を堅持し突き進まなければなりません。たとえ今は苦境に晒されても、たとえ塩を舐めながらも「誠一途」「初志貫徹」の精神で、もうひと頑張りもふた頑張りもせねばなりません。頑張らなければならない時に頑張れないなら、私たちの今後はありません。言うは易し、行うは難しですが、悠長なことも言ってはおれません。

◇     ◇     ◇     ◇     ◇

◎すでにお知らせしていますように、8月に発刊した『季節』夏・秋合併号、野田正彰著『流行精神病の時代』が好評です。前者に掲載の山本義隆さんの、23ページわたる長大な講演録が白眉の出来です。一つの雑誌に23ページを割くという暴挙(!?)です。

また、『季節』創刊10周年事業として企画された『3・11の彼方から 「季節」(NO NUKES voice)セレクション集vol.1』が、すでに校了し9月10日前後に完成いたします。608ページの堂々たるものです。

これら3点のご購読をお願いする次第です。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315827/

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJXW1RPD/

『季節』夏・秋合併号、野田正彰・著『流行精神病の時代』、好評発売中です!

鹿砦社代表 松岡利康

この夏、私たちが心血を注いで編集した2点の新刊が発売になりました。『季節』はお盆前に、『流行精神病の時代』はお盆明け20日に、それぞれ発売になりました。

詳しい説明は省きますが、下記の詳細な内容をご覧になれば、これら2点の新刊に、私たちがいかに力を入れたかがわかるでしょう。

『季節』では、なんと言ってもわれわれの世代のカリスマ、山本義隆さんの23ページにわたる力の入った講演録は必読です。これだけで一冊のブックレットになるほどの分量です(悪徳商法=岩波ブックレットがいかにボッているか)。

『流行精神病の時代』は、『紙の爆弾』『季節』に折に触れ寄稿したものを中心に現代の病理を衝いています。

土日は書店に足を運びお買い求めになるか、あるいはAmazonなどのネット書店、また鹿砦社HPなどでご購入下さい! よろしくお願い申し上げます。

『季節』2025年夏・秋合併号
(NO NUKES voice改題 通巻43号)

A5判 164ページ(巻頭カラーグラビア4ページ+本文160ページ) 

定価 990円(税込み) 紙の爆弾増刊 8月8日発売 

《特集》核兵器と原発を廃絶するために

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
[報告]国と洗脳

山本義隆(科学史家)
[講演]核発電の根本問題 核ナショナリズムがもたらしたもの

まさのあつこ(ジャーナリスト)
[報告]原子力ムラ・無責任の実態 事故処理の「責任者」は誰なのか

樋口英明(元福井地裁裁判長)
[報告]本当に「司法が原発を止める」ために 井戸謙一さんとの新刊対談本を語る

後藤秀典(ジャーナリスト)
[報告]東電株主訴訟 損害賠償一三兆円の一審判決が覆された理由

後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
[報告]原発の技術的特性と裁判の論理〔1〕 原発回帰への国策に対抗する道

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
[報告]柏崎刈羽原発に迫る危機 地震と津波で「原発震災」が起きる

星野幸彦(柏崎市議会議員)
[報告]《第三弾》避難対策は全国どこでも「絵に描いた餅」
 再稼働に前のめりの柏崎刈羽原発 避難計画ではなく被ばく計画ではないのか

村田三郎(医師)
[インタビュー]弱者の側に立ち、反核・反原発を闘う[前編]

水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
[報告]台湾「原発ゼロ」達成の夜、台北で二度泣いた

豊田直己(フォトジャーナリスト)
[報告]ガザからフクシマへ

北村敏泰(ジャーナリスト)
[報告]十五年目に入った福島第一原発事故被害地から
 欺瞞の“復興”による被災者の分断と抑圧

田口 茂(UNSCEAR 2020/21報告書検証ネットワーク・世話人)
[報告]隠蔽された被ばくと甲状腺がんの真相
 原子力災害伝承館は真実を伝えよ

森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
[報告]避難者と住民票

佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
[報告]《屁世滑稽新聞からの警告》
 火山の近所の原発再稼動で「地方早世」……の巻

板坂 剛(作家/舞踊家)
[報告]米田哲也 万引き逮捕の衝撃

平宮康広(元技術者)
[報告]大型原発vs大型石炭火力発電、および小型原発vs小型石炭火力発電〈1〉

原田弘三(翻訳者)
[報告]脱炭素の罠 「脱炭素マインド」刷り込みによる原発推進の企み

大今 歩(高校講師・農業)
[報告]原発「最大限活用」でいいのか 第七次エネルギー基本計画を問う

再稼働阻止全国ネットワーク
原発再稼働の逆流に抗して 全国各地の創意ある活動
《福島》鴨下美和(福島原発被害東京訴訟原告)
《柏崎刈羽》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟 事務局長)
《東京電力》中井はるみ(忘れまい3・11!反戦・反原発の会/千葉)
《東京電力》佐々木敏彦(東京電力本店合同抗議実行委員会)
《東京電力》柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
《柏崎刈羽》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《中東和平》斎藤なぎさ(たんぽぽ舎運営委員)
《書評》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク)
[反原発川柳]乱鬼龍選

松岡利康 今後の『季節』について

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJXW1RPD/

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『流行精神病の時代』
野田正彰(精神科医)著

四六判 カバー装 本文248ページ  

定価1980円(税込み)8月20日発売  

「発達障害」と「精神病遺伝説」
──精神科医、製薬会社、NHK、学校の病気創りによって、無数の子どもが犠牲になっている。
日本で「精神医療」と呼ばれているものの実相とは。

目次

第一章 「優生保護法」は日本精神医学の常識
 一・一 現代に息づく優生保護法の思想
 一・二 業界による隠蔽
 一・三 優生保護法をめぐるお祭り訴訟

第二章 教科書と「精神疾患」
 二・一 精神病遺伝説を常識とした学校教育
 二・二 偏見に加担する教科書と法
 二・三 偏見改まらぬ教科書
 二・四 開かれた精神医療をめざして
 二・五 地域精神医学の現状

第三章 旭川少女殺人事件と「発達障害」
 三・一 「発達障害」という流行精神病の作り方
 三・二 旭川女子中学生いじめ凍死事件 雪の少女へのレクイエム
 三・三 雪の少女の哀しみ
 三・四 隠蔽のための「再調査」

第四章 事件と映画に思う
 四・一 自死とは世界の消去なのか 大阪放火事件に思う
 四・二 映画『どうすればよかったか?』を観た人へ

第五章 原発事故被害者の精神鑑定
 五・一 原発被害者が死ぬ前に見た景観
     [精神鑑定書1]菅野重清さん  
     [精神鑑定書2]大久保文雄さん
     [精神鑑定書3]Aさん
 五・二 原子炉との深夜の対話

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315827/

朝日新聞はリンチ事件に対して明確に態度を示せ! 広島・広陵高校のリンチ事件について思う

鹿砦社代表 松岡利康

ここ甲子園(松岡自宅、事務所所在)では夏の高校野球が開催中で賑わっています。今、甲子園は日本の中心と言っても過言ではありません。私は毎朝甲子園球場の周りを散歩して出社していますが、全国から応援や観戦に来られている人たちを見ると、こちらも何か嬉しいです。

今年は、例えば松坂大輔クラスのビッグスターがいないこともあるのか、一番話題になっているのが広島・広陵高校野球部内におけるリンチ(私刑)事件です。当初出て来た1件のみならず複数に渡るようです。今後のメディアの取材に期待します。

ところで、この高校野球の主催者はどこか? 日本高野連と朝日新聞です。このリンチ事件に対して、朝日新聞は頑ななほど沈黙しています。大会が終わったら、特集でも組むためにネタを仕込んでいるのでしょうか──不可解です。

広陵高校のリンチ事件は、すでに同校OBの元プロ野球選手・金本知憲(広島カープ→阪神タイガース。阪神では監督も経験)の時代からあることを、金本自身が著書で明らかにしています。

《ある日、ぼくはふだん以上にはげしい「説教」を受けた。気がつくと、ぼくは正座をしたまま、一瞬気をうしなっていた。二、三人がかりで、なぐられ、けられたのだ》

《先輩のだれかが、スパイクをはいたまま、ぼくの太ももをふみつけた。スパイクには金属製のつめがついている。そのつめがぼくの太ももの肉をえぐり、血が出た》(金本著『心が折れても、あきらめるな』2009年)

金本については他にも差別されたりイジメられていたようです。おそらく金本が在日であるからだと推認されます。

なのに、これまで放置されてきました。金本が先の著書で明らかにした時点で何らかの方策を取るべきでした、

高野連は果たして知らなかったのか? 朝日は知らなかったのか? 高野連、朝日とも主催者ですから厳しく対処すべきです。また、朝日と競合する他の大手各紙はどうか? この際、徹底して膿を出すべきだし、場合によっては、来年1年ぐらい中止してでも、解体的に出直すべきでしょう。古くは怪童・尾崎行雄、池永正明、太田幸司以来の高校野球ファンである私としては、本件に対しては地元・甲子園で大変怒っています。朝日よ、しっかりしろ!

さて、リンチ事件と言えば、私(たち)が長年一所懸命に取り組んだ、「カウンター大学院生リンチ事件」、事件が起きた場所に因んで「北新地リンチ事件」と呼ぶ人もいますが、「俗称「しばき隊リンチ事件」を思い出さざるをえません。加害者は、「反差別」を金看板にそのジャンヌ・ダルクのようにメディアが崇める李信恵、主要暴行犯・エル金こと金良平ら5名で、当時、某国立大学博士課程在学中のМ君に対し壮絶なリンチ(私刑)を加えました。М君が体に忍ばせていたICレコーダーの録音や事件直後に撮った写真が明らかになり、加害者らも降参するかと思いきや、「デマ」「でっち上げ」「街角の小さな喧嘩」「リンチはなかった」などと開き直りました(現在でもそうです)。人間としていかがものでしょうか?

この事件は発生から1年余り隠蔽され世間には知らされませんでした。朝日はじめメディアは知っていたはずです。М君は朝日の記者にも相談していますから。私たちがこれを知ったのは事件から1年余り経ってからでした。それほど隠蔽工作は徹底して行われました。隠蔽工作の証拠も明らかになっています。

私たちは被害者の大学院生から相談があって以来彼を全力で支援しました。また、裁判闘争を裏付けるために徹底して取材し、多くの資料を入手したり多くのことが判りました。それはこれまでに6冊の出版物として世に問いました(まだ書くことは残っていますが)。

しかし、小出版社たる私たちの力では、広く社会に知らしめることはできませんでした。残念です。

いま、しばき隊(もしくはこの界隈の輩)が各所で暴れ、その傍若無人な様が出て来て、心ある方々から批判され、関連して皮肉にも10年余り前の大学院生М君に対するリンチ事件も語られています。私たちがまとめた6冊のムック本、これらに収めきれなかったことは私のFBや「デジタル鹿砦社通信」をご覧になり、今につながる問題であることを感じ取っていただきたいと熱望いたします。

M君は、その後、何とか博士課程は修了したものの、失意のうちに研究者の途を諦め普通の市井人(給与所得者)として働いています。さらにはリンチのPTSDに苦しみながら生きています。リンチ事件によって人生を狂わされたと断じることができます。胸が詰まります。

このように、暴力は、受けた人の人生を狂わせます。広陵高校野球部でのリンチの被害者も、思い描いた広陵での野球生活を断念し転校を強いられたりしています。おそらくリンチを受けたことは悪夢として忘れられない傷跡を残していることは容易に察することができます。

このМ君リンチ事件でも、被害者М君が朝日新聞(他のメディアにも)などに必死に訴えたにも関わらず、彼ら記者連中は、まさに若い研究者の卵を弄ぶばかりで冷ややかな態度を取り、加害者らの隠蔽工作に加担したと断言いたします。М君や私たちの度々の記者会見要請にも応じませんでした。逆に加害者らを持ち上げ、記者会見は開くわ、賛美記事はどしどし掲載するわ、呆れてものが言えませんが、このこともМ君を苦しめました。彼ら大手メディアであることの変なプライドがあるのか、私たちの取材にも応じませんでした。

高校野球の主催者で日本を代表するマスメディアの朝日新聞は、今こそ<暴力>の問題について、社を挙げて徹底して取り組むことを強く願ってやみません。でないのなら、甲子園に出場した高校がこれまで犯してきた過ちを黙認した加害者として糾弾されても致し方ないでしょう。

【追記】古い話ですが、私は学生時代(1971年)、日本共産党=民青(みんせい)のゲバルト部隊(「ゲバ民」と言います)に襲われ病院送りにされました。また、身近の先輩らで、ゲバ民や敵対党派に襲われ亡くなったり傷ついた人は少なくありません。〈暴力〉の問題については、みずからも襲撃されて傷ついた体験から、その被害者の心身にわたる後遺症がどれほどのものか、機会を見て記述したいと思っています。

※別掲画像は8月17日の甲子園球場(撮影者:松岡)

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

私の故郷熊本が集中豪雨に襲われました

鹿砦社代表 松岡利康

先ごろ私の故郷熊本が集中豪雨に襲われました。テレビでも報じられているように市内の中心部を直撃しました。私の先祖代々のお寺も所在していますが、幸い無事でした。熊本地震では江戸時代からの本堂や山門など全壊する被害を受けましたが、今回は大丈夫でした。

……っと、NHKのニュースをよく観ると、知人の星原克也君の店が映っていました。星原君は地元・熊日新聞の記者でしたが、彼なりの事情で辞め数年前から熊本産の焼酎を集めた小さな店を始めました。店を開くときに、熊本に数多くの焼酎が存在することを知って驚きました。帰郷するたびに立ち寄っています。結構有名人も、その存在を知り尋ねるほどの名店になりつつありました。店が地下にあるため大被害を受けたようです。さっそく現金書留を持って郵便局に走ったのは言うまでもありません。

彼とはもう10数年前、高校の同級生の東濱弘憲君(故人)がライフワークとして始めた島唄野外イベント『琉球の風』の記録本を作る過程で知り合い、その本に名前が出てくることでピンと来た、中学の同級生・有田正博君が、若い頃一時期東濱君が開いたブティックで働いていたことを知り引き合わせてもらいました。有田君と会うのは中学を卒業(1967年)以来40年ぶりでした。有田君は、今や世界的ブランド「Paul Smith」を日本に初めて持ってきたことで知られ、一時は熊本市内で3つのビルを持つほど大儲けしました。Paul Smithさんが若くて無名の頃、アメリカの見本市で出会ったということです。本年初め、惜しまれながら店を閉じました。私の先祖代々の墓が近くに在ったことから、その後、帰郷するたびに立ち寄って会っていました。

星原君は今、不屈の根性(肥後もっこす)を持って、さっそく再開に向けて立ち上がりました。以下は最近のFBの記述です。

◆     ◆     ◆     ◆     ◆

ホシハラ カツヤ
36分
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数日に渡りテレビジョンに登場したため、多くの人に69spiritsの濡れ鼠っぷりが知れ渡りました。

https://www.tku.co.jp/news/?news_id=20250813-00000011

常連さん、同級生、先輩後輩、遠方からご来店いただくお客さま方。先ほどは先隣にお住まいの方からもお見舞いいただきました。いただく激励のメールや電話、励みになります。開き直ってお願いした69spirits AIDにもたくさんのご賛同いただき感謝感激です。
ありがとうございます。

復旧に向けて全力を尽くしています(休み休みですが)。盆明けに清掃の見積もり、被害総額の確定などやることは盛りだくさんなのですが、皆さまのお心遣いを糧に、来月中の再開店をめざしています。

今日も夕方から被災焼酎の頒布を行います。まったり一人でうだうだしてますので、冷やかしにどうぞ。エアコンは動いてますが、冷蔵庫や冷凍庫は水損で稼働していません。手ぶらでどうぞ。

すべての作業を終え、無事に69spiritsが再開したときに…
ありがとうございました
と、笑顔で言えるように。

(松岡利康)

梓加依・著『広島の追憶』(鹿砦社 2023年)

戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2025年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える〈3〉ある無名教師の記録

鹿砦社代表 松岡利康(龍一郎 揮毫、竹内護画)

祈り(龍一郎 揮毫)

先日、母親から古びた文集のコピーをもらいました。3年前に亡くなった従兄の竹内護(まもる)さんが書いたものでした。護さんは長年宮崎県下で小学校の教師をし、これを全うされました。

護さんが終戦後朝鮮半島から命からがら栄養失調の状態で帰還されたことは生前聞いていました。

「先の大戦では、国民のみんなが何等かの形で戦争の悲惨さを味わったと思います。
わたしの体験も六才で孤児となり祖国日本へ向けて朝鮮半島を縦断するというありふれたものです。しかし、一面では特異なものかも知れません。」

こうしたことが「ありふれたもの」だった時代、護さんも幼くして戦争に巻き込まれます。

1943年(昭和18年)、護さんが4歳の時、一家3人は住み慣れた熊本の地より北朝鮮に渡ったそうです。北朝鮮で父は人造石油会社の社員として比較的裕福で「幸福に暮らしていました」。

「そんなわたしたちの家族に不幸が訪れたのは、昭和二十年の八月でした。」

「そして、八月十四日、会社の方より『明日から一晩泊りで社員ピクニックを催す』との連絡がありました。」

「何も知らないわたしたちは歌など歌いすっかりピクニック気分にひたっていました。
それが、八月十五日のことでした。ところが、社宅より相当離れた所まで来た翌朝、会社の幹部の人より『ピクニックに参加した人たちに話があります。』と告げられ、みんながやがや言いながらも一か所に集まりました。
その時の話は、『実は日本は、昨日戦争に負けました。そこで、これから日本へ向けて避難します。』と言う意味のことでした。
話を聞いたみんなはびっくりしました。楽しいピクニック気分も一度にふっとんでしまいました。」

そうして、日本へ向けて「避難」が開始されます。

長い逃避行の中で、身重だった母と、突然閉鎖された鉄橋で離ればなれになってしまいます。その後、母はなんとか故郷・熊本へ辿り着いたということです。

父と二人で逃避行を続け、興南で引揚船が出るというデマに乗って興南に行くと、そこは収容所でした。

収容所では強制労働の日々で、そのうち父は酷い凍傷にかかり、ますます酷くなり父は自殺を図り亡くなりました。

祖国への逃避行

収容所では、時折軍用トラックがやって来て、
「髪の長い人、つまり女の人を連れ去って行くのでした。女の人の悲鳴がいつも聞こえました。このようにして連れて行かれた女の人たちは、二度と帰って来ませんでした。」

「母と離別し、父とは死別して名実ともに孤児になったわたしは、お年寄りのグループに入れてもらい、収容所をぬけ出し再び祖国日本に向けて南下の旅を始めました。」

そうして何度も三十八度線を越えることを試みるも失敗を繰り返しますが、
「おとしよりたちが、色のついた大きな紙のお金を何枚か漁師に渡し」
「ヤミルートを通して、やっとのことで三十八度線を越えることができたわけです。」

一方、離別した母親は、身重だったところ途中で産気づき、双子の女の子(つまり護さんの妹)を山の中で生みましたが、1人はすぐに亡くなり、もう1人は1カ月ほど生きて亡くなったそうです。

「そんな時、母は心の中で、『たとえこの子が死んでも護は必ず生きて帰る』と信じて疑わなかったそうです。母のこの願いで、わたしは生きて帰れたのかもしれません。」

そうして、三十八度線を越えた護さんらはソウルの孤児院に入れられ、院での粗末な食事では耐えられず、時々街に物乞いに出たそうです。

物乞いは「子供心にも、みじめで恥ずかしい気持ちになったものです。」

「そんな中で、時々、夜になると孤児を慰問に来てくれるアメリカ軍の将校さんに会うのが、唯一の楽しみでした。
なぜかと言うと、チューインガムやチョコレートなどの美味しいお菓子やおもちゃを持って来てくれるからです。」

「地獄に仏」ということでしょうか。──

収容所にて

そうして、なんとか引揚船に乗ることができ、「なつかしの祖国日本の山々を見ることができ」たのです。

時に昭和21年6月11日のことでした。すでに終戦から10カ月も経っていました。

引揚船が博多港に着くと、孤児らは本籍地別に分けられ、両親の名前と本籍地を言うと熊本行きとして送られることになり、熊本に着いたらまた孤児院に入れられました。

「熊本市は、両親の出身地だし、母は元気で帰国したことを知っていましたので、母にはすぐ再開できると思っていました。
しかし、敗戦の混乱のせいかなかなか会えませんでした。」

ある子供のいない学校の先生が護さんを養子にもらいたいという申し出があり、この期限の日の昼すぎに母が孤児院にやって来たのです。実に11カ月ぶりの再会でした。

「思えば苦しい旅でしたが、そんな中で、私が無事帰国できたのも、名も知らぬ多くの人々の善意のおかげだと思います。」

そうして、

「敗戦という未曽有の混乱のさなか、人間の醜さを嫌という程に見せつけられた中で、きらりと光った同胞愛と人間性を、これら恩人たちのためにも知ってもらいたく、また、一人の一人の子どもが受けた戦争の悲惨な体験をも知ってもらいたく、そして、二度と再びこのような事が起こらないように念じペンをとった次第です。」

その後、護さんは鹿児島大学に進み、卒業後は宮崎で小学校の教師となります。在学中に60年安保闘争のデモにも参加したと聞いています。それは、

「これから先は戦争そのものは勿論、それにつながることへも常に反対し、教え子たちには、ずっと私の体験を語り継いでいきたいと思います。
それが、残留孤児として親探しもせず、幸せに暮らしているわたしの義務だと思うからです。」

正直、護さんがここまで苦労されたとは知りませんでした。この文集のコピーで初めて知った次第です。貴重な戦争の記録です。生前もっといろいろ聞いておけばよかったと悔いています。

私ごとになりますが、1972年夏、この年の2月に学費値上げ反対闘争で逮捕・起訴され、私なりに将来に向け苦悩していたところ宮崎の護さんを訪ねました。「お母さんも心配しとらしたぞ」と言って、宮崎の観光地をあちこち連れて行ってくれました。護さんなりの激励だったかもしれません。途中サボテン公園に行くと父兄が声を掛けてきました。朝も早くから子供らが家に来て騒いでいました。父兄や子供らに慕われた先生だったようです。

なお、護さんは昭和14年4月生まれ、同18年北朝鮮阿吾地に渡り、同21年帰国。同38年鹿児島大学卒業、以後宮崎県下で小学校教師を務める。この文集は戦後39年の1984年(昭和59年)に作成されました。

(松岡利康)

※本稿は昨年同月同日付けの原稿に一部加筆、修正したものです。

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

リベラシオン社・岩田吾郎さんの死を悼みます!

鹿砦社代表 松岡利康

ブント系を中心とした新左翼学生運動の資料収集のサイトで有名な「リベラシオン社」主宰・岩田吾郎さんが急逝されました。社会運動の研究者にも有名な膨大なサイトです。まだサイトはそのままになっていますので、ご関心のある方は一部でもコピーされたらいいでしょう。趣味の山歩きの途上での事故死ということですが、詳しい情報はまだ入ってきていません。岩田さんがボランティアで手伝っていた『人民新聞』の追悼記事をアップさせていただきましたので、ご一読ください。

『人民新聞』の追悼記事(2025年8月5日付)

岩田さんとは、20年余り前、『田原芳論文集プロレタリア独裁への道』を編纂・出版したいと、先輩Hさん(故人)を介して知り合い手伝いました。完成直前で私が「名誉毀損」容疑で逮捕―勾留され中断しましたが、岩田さんを中心に周囲の方が作業を継続され勾留中に完成しました。手元にある当該書には神戸拘置所の「閲読許可証」が貼られています。保釈後、出版記念会が開催され発言させられた記憶があります。この本はⅡ巻も刊行され、60年安保闘争以来全国に名を馳せた同志社の学生運動を育てた理論家・田原芳さんの貴重な記録となっています。

また、岩田さんは、勾留中の神戸拘置所まで面会に来られ、さらには公判にも毎回傍聴に来られました。その後も細く長い付き合いが続いていました。私が最初に逮捕された72年2・1学費決戦50周年の集いにもお越しいただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌

(松岡利康)

戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2025年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える〈2〉

鹿砦社代表 松岡利康(龍一郎 揮毫)

ここ甲子園では、今年も夏の高校野球が始まりました。私は毎日甲子園球場の周りを散歩していますが、日本中から多くの人たちが駆け付け賑わっています。ウクライナやガザでは日々人々が亡くなり悲惨な状況だというのに、地球の遙か遠くの戦火がまるで嘘のような平和な風景です。

一昨年、古くからの知人で児童文学・子どもの生活文化研究家の梓加依さんの著書『広島の追憶 ―― 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』を出版いたしました。梓さんとは不思議な因縁で1992年、『豊かさの扉の向こう側』(長崎青海名義)を出版して以来、一時期娘さんが当社で働いたり、細く長い付き合いです。1992年と言いますから、実に30年余り経っていますが、これもまた何かの縁です。

先の『豊かさの扉の向こう側』を偶然に教育委員会の方が読まれ県下の図書館に置きたいということであるだけ持って行ったり、また、ある国立大学の非常勤講師の話があったりし、もともと勤勉な方で、近畿大学の夜間課程に入学、さらには神戸大学の大学院修士を修了されました。

梓さんは終戦前年の長崎生まれ、その後広島に移住、高校を卒業するまで住まわれていました。戦後の長崎、広島の悲惨な風景に日々接していたはずです。

そうしたことを自著の中で述べてこられました。当社が昨年出した『広島の追憶』は、その体験に基づいたノンフィクション・ノベルで、ぜひご一読いただきたい一冊です。

そして梓さんは、この最後に、
「……そして、戦後八十年に届く日が過ぎた。でも、地球から核の脅威はなくならない。戦争もなくならない。風よ、届けてほしい。被爆地ヒロシマから世界中の子どもたちへ。この八十年の物語が、子どもたちの未来、いいえ、近い将来の物語にならないように……。」
と書き記しておられます。

一見平和な今の甲子園周辺の風景 ―― これはいつまで続くのか? いまや年老いた多くの先達たちが、時に血を流し闘いながら守って来た〈平和〉、ここで挫けることがあってはなりません。改憲の蠢動は断固粉砕しなくてはなりません。

8月6日に続き、再び〈反戦歌〉2曲、加筆し再掲載させていただきます。これらに表現された平和への想いを感じ取って欲しい。

◆ザ・フォーク・クルセダーズ『戦争は知らない』

よく『戦争を知らない子供たち』と間違えられますが、違います。『戦争は知らない』は、それよりも先にベトナム戦争真っ盛りの1967年にシングルカットされ、発売されています。作詞は、演劇の世界に新たな境地を開拓した劇団『天井桟敷』主宰の寺山修司、歌は『たそがれの御堂筋』で有名な坂本スミ子。意外な組み合わせです。

寺山修司は、いわゆるアングラ演劇の教祖ともされる人物ですが、彼がこのように純な歌詞を書いたのも意外ですし、また坂本スミ子に歌わせたのも意外、歌謡曲として売り出そうとしたのでしょうか。

その後、ザ・フォーク・クルセダーズ(略称フォークル)が歌いますが、こちらがポピュラーです。いわば「反戦フォーク」として知られています。私は坂本スミ子が歌ったのを知りませんでしたが、フォークルのメンバーだった端田宣彦(はしだのりひこ。故人)さんに生前インタビューする機会があり(かつて私が編集した『この人に聞きたい青春時代〈2〉』)この際に端田さんから直接お聞きしました。

誰にも口ずさめる歌ですので、みなで歌うことがあれば、ぜひ歌ってください。私たちも先日、コロナの感染で長らくイベントを休んでいましたが、20年余り全国の刑務所・少年院を回り獄内ライブ(プリズン・コンサート)を行っている女性デュオ「Paix2(ペペ)」のライブを行いました。そこでもみなで歌いましたPaix2のPaixとはフランス語で「平和」という意味で、これが2人なのでPaix2ということです。

だったら、今こそ、この曲を歌って欲しいという願いからでした。

◎[参考動画]ザ・フォーク・クルセダーズ 戦争は知らない (1968年11月10日発売/東芝Capitol CP-1035)作詞:寺山修司/作曲:加藤ヒロシ/編曲:青木望

♪野に咲く花の 名前は知らない 

だけど 野に咲く花が好き

帽子にいっぱい 摘みゆけば 

なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を 何も知らない 

だけど私に 父はいない

父を想えば あゝ荒野に 

赤い夕陽が 夕陽が沈む

戦さで死んだ 悲しい父さん 

私は あなたの娘です

20年後の この故郷で 

明日お嫁に お嫁に行くの

見ていてください 遙かな父さん 

いわし雲飛ぶ 空の下 

戦さ知らずに 20歳になって 

嫁いで母に 母になるの

野に咲く花の 名前は知らない 

だけど 野に咲く花が好き

帽子にいっぱい 摘みゆけば 

なぜか涙が 涙が出るの

◆ネーネーズ『平和の流歌』

先に反戦歌として『戦争は知らない』について記述したところ予想以上の反響がありました。私たちの世代は若い頃、日常的に反戦歌に触れてきました。なので反戦歌といってもべつに違和感はありません。最近の若い人たちにとっては、なにかしら説教くさいように感じられるかもしれませんが……。

今回は、この記事を書いた年が沖縄返還(併合)50年ということで、沖縄についての反戦歌を採り上げてみました。

沖縄が、先の大戦の最終決戦の場で、大きな犠牲を強いられたこともあるからか、戦後、沖縄戦の真相や、戦後も続くアメリカ支配は歴然で、それを真剣に学んだ、主に「本土」のミュージシャンによって反戦・非戦の想いを込めた名曲が多く作られました。すぐに思い出すだけでも、宮沢和史『島唄』、森山良子『さとうきび畑』、森山が作詞した『涙そうそう』、阿木耀子作詞・宇崎竜童作曲『沖縄ベイ・ブルース』『余所(よそ)の人』……。

森山良子など、デビューの頃は「日本のジョーン・バエズ」などと言われながら、当時は、レコード会社の営業策もあったのか、いわゆる「カレッジ・フォーク」で、反戦歌などは歌っていなかった印象が強いです(が、前記の『さとうきび畑』を1969年発売のアルバムに収録していますが、当時は知りませんでした)。

『沖縄ベイ・ブルース』『余所の人』はネーネーズが歌っていますが、ネーネーズの師匠である知名定男先生と宇崎竜童さんとの交友から楽曲の提供を受けたものと(私なりに)推察しています。知名先生に再会する機会があれば聞いてみたいと思います。

それは以前、高校の同級生・東濱弘憲君(出生と育ちは熊本ですが親御さんは与那国島出身)がライフワークとして熊本で始めた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」に宇崎さんは知名先生の電話一本で快く何度も来演いただいたことからもわかります。熊本は沖縄との繋がりが強く『熊本節』という島歌があるほどです。一時は30万人余りの沖縄人が熊本にいたとも聞きました。それにしても、沖縄民謡の大家・知名先生とロック界の大御所・宇崎さんとの意外な関係、人と人の縁とは不思議なものです。

ところで、ネーネーズが歌っている楽曲に『平和の琉歌』があります。これは、なんとサザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲しています(1996年)。前出の『戦争は知らない』の作詞がアングラ演劇の嚆矢・寺山修司で、これを最初に歌ったのが『たそがれの御堂筋』という歌謡曲で有名な坂本スミ子だったのと同様に意外です。しかし桑田の父親は満州戦線で戦い帰還、日頃からその体験を桑田に語っていたそうで、桑田の非戦意識はそこで培われたのかもしれません。

この曲は、在りし日の筑紫哲也の『NEWS23』のエンディングソングとして流されていたものです。筑紫哲也は沖縄フリークとして知られ、他にもネーネーズの代表作『黄金(こがね)の花』(岡本おさみ作詞、知名定男作曲)も流しています。

岡本おさみは、森進一が歌いレコード大賞を獲った『襟裳岬』も作詞しデビュー間もない頃の吉田拓郎に多く詞を提供しています。岡本おさみは他にも『山河、今は遠く』という曲もネーネーズに提供しており、これも知名先生が作曲し知名先生は「団塊世代への応援歌」と仰っています。いい歌です。ネーネーズには、そうしたいい歌が多いのに、一般にはさほど評価されていないことは残念です。

さらに意外なことに、一番、二番は桑田が作詞していますが、三番を知名先生が作詞されています。

サザンは、最初に歌ったイベントの映像と共にアルバムに収録し、シングルカットもしているそうですが、全く記憶にないので、さほどヒットはしていないと思われます。サザン版では一番、二番のみで三番はありません。ここでは一番~三番までをフルで掲載しておきます。

【画像のメンバーは現在、上原渚以外は入れ替わっています。現在のメンバーでの『平和の琉歌』は未見です。】

◎[参考動画]『平和への琉歌』 ネーネーズ『Live in TOKYO~月に歌う』ライブDigest

一 

この国が平和だとだれが決めたの

人の涙も渇かぬうちに

アメリカの傘の下 

夢も見ました民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに

蒼いお月様が泣いております

忘れられないこともあります

愛を植えましょう この島へ

傷の癒えない人々へ

語り継がれていくために

二 

この国が平和だと誰が決めたの

汚れ我が身の罪ほろぼしに

人として生きるのを何故にこばむの

隣り合わせの軍人さんよ

蒼いお月様が泣いております

未だ終わらぬ過去があります

愛を植えましょう この島へ

歌を忘れぬ人々へ

いつか花咲くその日まで

三 

御月前たり泣ちや呉みそな

やがて笑ゆる節んあいびさ

情け知らさな この島の

歌やこの島の暮らしさみ

いつか咲かする愛の花

[読み方]うちちょーめーたりなちやくぃみそな やがてぃわらゆるしちんあいびさ なさきしらさなくぬしまぬ  うたやくぬしまぬくらしさみ ‘いちかさかする あいぬはな

ネーネーズの熱いファンと思われる長澤靖浩さんという方は次のように「大和ことば」に訳されています。

「お月様よ もしもし 泣くのはやめてください やがて笑える季節がきっとありますよ 情けをしらせたいものだ この島の 歌こそこの島の暮らしなのだ いつか咲かせよう 愛の花を」

(松岡利康)

※昨年同日に掲載のものを一部修正。

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

2025年8月4日付け神戸新聞

日本で唯一の脱(反)原発情報誌『季節』2025夏・秋合併号が8月8日発売です! 

鹿砦社代表 松岡利康

すでにご報告させていただいている通り、本誌反(脱)原発情報誌『季節』創刊10周年/月刊『紙の爆弾』創刊20周年にあたり、4・5東京、7・12関西と二つの「鹿砦社反転攻勢の集い」は、お陰様で盛況裡に終了いたしました。

新型コロナによって厳しい経営環境の下での集いでしたが、当社の出版活動を支持される多くの皆様のご参加、ご支援にて次のステージへ再出発することができました。皆様方のご参加、ご支援、本当にありがとうございました。皆様方のご支援に応え、必ず復活いたします。この件につきましては、すでにご報告させていただいていますので、これに留めます。

そして、明日8月8日にお届けする『季節』夏・秋合併号ですが、合併号ということもありかなり増ページとなりました。とりわけ今号では、5月7日に衆議院第一議員会館にて行われた、われわれの世代のカリスマ、元東大全共闘代表で物理学者の山本義隆さんの長大な講演録が入りました。必読です!

また、本誌創刊10周年記念出版とし昨秋刊行予定だった、季節編集委員会・編『3.11の彼方から──「季節」(NO NUKES voice)セレクション集』ですが、前回お知らせしましたように、ようやく完成の目途が立ち、9月初め発売予定で急ピッチで編集作業を進めています。大幅に遅れての刊行となったことをお詫びいたします。

ところで、これも前回申し述べましたが、実際に編集作業に入ってみると、当初想定した以上にページ数が嵩み、一冊では収まり切れなくなりました。そこで3分冊に分けて出版することにしました。今回は、前身の『NO NUKES voice』創刊号から14号までから選りすぐり収録いたしました。ご予約よろしくお願い申し上げます ! 

なお、ページ数の大幅増により定価アップとなりますが、以前にご注文された方は、当時予告した金額のままで結構です。

(松岡利康)

amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJXW1RPD/

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