戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2025年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える〈2〉

鹿砦社代表 松岡利康(龍一郎 揮毫)

ここ甲子園では、今年も夏の高校野球が始まりました。私は毎日甲子園球場の周りを散歩していますが、日本中から多くの人たちが駆け付け賑わっています。ウクライナやガザでは日々人々が亡くなり悲惨な状況だというのに、地球の遙か遠くの戦火がまるで嘘のような平和な風景です。

一昨年、古くからの知人で児童文学・子どもの生活文化研究家の梓加依さんの著書『広島の追憶 ―― 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』を出版いたしました。梓さんとは不思議な因縁で1992年、『豊かさの扉の向こう側』(長崎青海名義)を出版して以来、一時期娘さんが当社で働いたり、細く長い付き合いです。1992年と言いますから、実に30年余り経っていますが、これもまた何かの縁です。

先の『豊かさの扉の向こう側』を偶然に教育委員会の方が読まれ県下の図書館に置きたいということであるだけ持って行ったり、また、ある国立大学の非常勤講師の話があったりし、もともと勤勉な方で、近畿大学の夜間課程に入学、さらには神戸大学の大学院修士を修了されました。

梓さんは終戦前年の長崎生まれ、その後広島に移住、高校を卒業するまで住まわれていました。戦後の長崎、広島の悲惨な風景に日々接していたはずです。

そうしたことを自著の中で述べてこられました。当社が昨年出した『広島の追憶』は、その体験に基づいたノンフィクション・ノベルで、ぜひご一読いただきたい一冊です。

そして梓さんは、この最後に、
「……そして、戦後八十年に届く日が過ぎた。でも、地球から核の脅威はなくならない。戦争もなくならない。風よ、届けてほしい。被爆地ヒロシマから世界中の子どもたちへ。この八十年の物語が、子どもたちの未来、いいえ、近い将来の物語にならないように……。」
と書き記しておられます。

一見平和な今の甲子園周辺の風景 ―― これはいつまで続くのか? いまや年老いた多くの先達たちが、時に血を流し闘いながら守って来た〈平和〉、ここで挫けることがあってはなりません。改憲の蠢動は断固粉砕しなくてはなりません。

8月6日に続き、再び〈反戦歌〉2曲、加筆し再掲載させていただきます。これらに表現された平和への想いを感じ取って欲しい。

◆ザ・フォーク・クルセダーズ『戦争は知らない』

よく『戦争を知らない子供たち』と間違えられますが、違います。『戦争は知らない』は、それよりも先にベトナム戦争真っ盛りの1967年にシングルカットされ、発売されています。作詞は、演劇の世界に新たな境地を開拓した劇団『天井桟敷』主宰の寺山修司、歌は『たそがれの御堂筋』で有名な坂本スミ子。意外な組み合わせです。

寺山修司は、いわゆるアングラ演劇の教祖ともされる人物ですが、彼がこのように純な歌詞を書いたのも意外ですし、また坂本スミ子に歌わせたのも意外、歌謡曲として売り出そうとしたのでしょうか。

その後、ザ・フォーク・クルセダーズ(略称フォークル)が歌いますが、こちらがポピュラーです。いわば「反戦フォーク」として知られています。私は坂本スミ子が歌ったのを知りませんでしたが、フォークルのメンバーだった端田宣彦(はしだのりひこ。故人)さんに生前インタビューする機会があり(かつて私が編集した『この人に聞きたい青春時代〈2〉』)この際に端田さんから直接お聞きしました。

誰にも口ずさめる歌ですので、みなで歌うことがあれば、ぜひ歌ってください。私たちも先日、コロナの感染で長らくイベントを休んでいましたが、20年余り全国の刑務所・少年院を回り獄内ライブ(プリズン・コンサート)を行っている女性デュオ「Paix2(ペペ)」のライブを行いました。そこでもみなで歌いましたPaix2のPaixとはフランス語で「平和」という意味で、これが2人なのでPaix2ということです。

だったら、今こそ、この曲を歌って欲しいという願いからでした。

◎[参考動画]ザ・フォーク・クルセダーズ 戦争は知らない (1968年11月10日発売/東芝Capitol CP-1035)作詞:寺山修司/作曲:加藤ヒロシ/編曲:青木望

♪野に咲く花の 名前は知らない 

だけど 野に咲く花が好き

帽子にいっぱい 摘みゆけば 

なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を 何も知らない 

だけど私に 父はいない

父を想えば あゝ荒野に 

赤い夕陽が 夕陽が沈む

戦さで死んだ 悲しい父さん 

私は あなたの娘です

20年後の この故郷で 

明日お嫁に お嫁に行くの

見ていてください 遙かな父さん 

いわし雲飛ぶ 空の下 

戦さ知らずに 20歳になって 

嫁いで母に 母になるの

野に咲く花の 名前は知らない 

だけど 野に咲く花が好き

帽子にいっぱい 摘みゆけば 

なぜか涙が 涙が出るの

◆ネーネーズ『平和の流歌』

先に反戦歌として『戦争は知らない』について記述したところ予想以上の反響がありました。私たちの世代は若い頃、日常的に反戦歌に触れてきました。なので反戦歌といってもべつに違和感はありません。最近の若い人たちにとっては、なにかしら説教くさいように感じられるかもしれませんが……。

今回は、この記事を書いた年が沖縄返還(併合)50年ということで、沖縄についての反戦歌を採り上げてみました。

沖縄が、先の大戦の最終決戦の場で、大きな犠牲を強いられたこともあるからか、戦後、沖縄戦の真相や、戦後も続くアメリカ支配は歴然で、それを真剣に学んだ、主に「本土」のミュージシャンによって反戦・非戦の想いを込めた名曲が多く作られました。すぐに思い出すだけでも、宮沢和史『島唄』、森山良子『さとうきび畑』、森山が作詞した『涙そうそう』、阿木耀子作詞・宇崎竜童作曲『沖縄ベイ・ブルース』『余所(よそ)の人』……。

森山良子など、デビューの頃は「日本のジョーン・バエズ」などと言われながら、当時は、レコード会社の営業策もあったのか、いわゆる「カレッジ・フォーク」で、反戦歌などは歌っていなかった印象が強いです(が、前記の『さとうきび畑』を1969年発売のアルバムに収録していますが、当時は知りませんでした)。

『沖縄ベイ・ブルース』『余所の人』はネーネーズが歌っていますが、ネーネーズの師匠である知名定男先生と宇崎竜童さんとの交友から楽曲の提供を受けたものと(私なりに)推察しています。知名先生に再会する機会があれば聞いてみたいと思います。

それは以前、高校の同級生・東濱弘憲君(出生と育ちは熊本ですが親御さんは与那国島出身)がライフワークとして熊本で始めた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」に宇崎さんは知名先生の電話一本で快く何度も来演いただいたことからもわかります。熊本は沖縄との繋がりが強く『熊本節』という島歌があるほどです。一時は30万人余りの沖縄人が熊本にいたとも聞きました。それにしても、沖縄民謡の大家・知名先生とロック界の大御所・宇崎さんとの意外な関係、人と人の縁とは不思議なものです。

ところで、ネーネーズが歌っている楽曲に『平和の琉歌』があります。これは、なんとサザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲しています(1996年)。前出の『戦争は知らない』の作詞がアングラ演劇の嚆矢・寺山修司で、これを最初に歌ったのが『たそがれの御堂筋』という歌謡曲で有名な坂本スミ子だったのと同様に意外です。しかし桑田の父親は満州戦線で戦い帰還、日頃からその体験を桑田に語っていたそうで、桑田の非戦意識はそこで培われたのかもしれません。

この曲は、在りし日の筑紫哲也の『NEWS23』のエンディングソングとして流されていたものです。筑紫哲也は沖縄フリークとして知られ、他にもネーネーズの代表作『黄金(こがね)の花』(岡本おさみ作詞、知名定男作曲)も流しています。

岡本おさみは、森進一が歌いレコード大賞を獲った『襟裳岬』も作詞しデビュー間もない頃の吉田拓郎に多く詞を提供しています。岡本おさみは他にも『山河、今は遠く』という曲もネーネーズに提供しており、これも知名先生が作曲し知名先生は「団塊世代への応援歌」と仰っています。いい歌です。ネーネーズには、そうしたいい歌が多いのに、一般にはさほど評価されていないことは残念です。

さらに意外なことに、一番、二番は桑田が作詞していますが、三番を知名先生が作詞されています。

サザンは、最初に歌ったイベントの映像と共にアルバムに収録し、シングルカットもしているそうですが、全く記憶にないので、さほどヒットはしていないと思われます。サザン版では一番、二番のみで三番はありません。ここでは一番~三番までをフルで掲載しておきます。

【画像のメンバーは現在、上原渚以外は入れ替わっています。現在のメンバーでの『平和の琉歌』は未見です。】

◎[参考動画]『平和への琉歌』 ネーネーズ『Live in TOKYO~月に歌う』ライブDigest

一 

この国が平和だとだれが決めたの

人の涙も渇かぬうちに

アメリカの傘の下 

夢も見ました民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに

蒼いお月様が泣いております

忘れられないこともあります

愛を植えましょう この島へ

傷の癒えない人々へ

語り継がれていくために

二 

この国が平和だと誰が決めたの

汚れ我が身の罪ほろぼしに

人として生きるのを何故にこばむの

隣り合わせの軍人さんよ

蒼いお月様が泣いております

未だ終わらぬ過去があります

愛を植えましょう この島へ

歌を忘れぬ人々へ

いつか花咲くその日まで

三 

御月前たり泣ちや呉みそな

やがて笑ゆる節んあいびさ

情け知らさな この島の

歌やこの島の暮らしさみ

いつか咲かする愛の花

[読み方]うちちょーめーたりなちやくぃみそな やがてぃわらゆるしちんあいびさ なさきしらさなくぬしまぬ  うたやくぬしまぬくらしさみ ‘いちかさかする あいぬはな

ネーネーズの熱いファンと思われる長澤靖浩さんという方は次のように「大和ことば」に訳されています。

「お月様よ もしもし 泣くのはやめてください やがて笑える季節がきっとありますよ 情けをしらせたいものだ この島の 歌こそこの島の暮らしなのだ いつか咲かせよう 愛の花を」

(松岡利康)

※昨年同日に掲載のものを一部修正。

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

2025年8月4日付け神戸新聞

戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2025年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える〈1〉

鹿砦社代表 松岡利康(龍一郎 揮毫)

八月の空は悲しい(龍一郎 揮毫)

今年も8月6日がやって来ました。── ここ甲子園では平和の象徴ともいえる夏の高校野球が始まりました。

今年は、ウクライナでの戦火に加えパレスチナでもイスラエルによる無慈悲な攻撃により戦火は収まるどころか拡大しています。日本にあっても、もはや‟対岸の火事”ではありません。解決の糸口はあるのでしょうか、絶望的になります。ほとんどの日本人にとっては今に至るも?対岸の火事”のように感じられます。果たしてこれでいいのでしょうか?

かつて1960年代後半から70年代にかけて(75年のベトナム戦争終結まで)全世界にベトナム反戦運動が拡がりました。これが和平への後押しになったことはいうまでもありません。今はどうか?

8月1日付けの本通信でも記しましたが、戦後79年、日本が曲りなりとも平和を維持できたのは、先の戦争の反省から、歴史の曲がり角にあった60年、70年の〈二つの安保闘争〉を中心として、これ以後も地道な抵抗運動があったからだと考えています。8月15日付けの本通信にて採り上げますが、私の従兄は異国で終戦を迎え必死で故郷熊本に戻り、その後大学生時代に60年安保闘争に参加しています。三里塚闘争はいまだに続いています。

異論もあろうかと思いますが、半世紀余り、時にみずから血を流し闘い、半世紀余り自分なりに社会の動向、反戦運動や社会運動の推移を見てきた上での感慨です。決して机上での平和談議ではありません。日本は、曲がりなりにも民主主義社会です(この規定にも異論はあるでしょうが、少なくとも独裁国家や専制国家ではありません)。まだ声は挙げれます。

大学に入った1970年、帰省の途中で広島に立ち寄りました。これまで長崎には何度か行っていましたが広島を訪れたのは初めてでした。8月6日に毎年広島で行われる抗議活動に参加し、その日は広島大学の寮に泊めていただきました。翌日は京都からやって来たべ平連の人たちと岩国の基地反対運動にも参加し右翼からの攻撃に広島大学の学生(中核派やね)らと一緒に対峙したことが、ついきのうのことのように蘇ります。もう55年かあ。この半世紀余りの間、日本の、そして世界の、言葉の真の意味での平和は維持されたのでしょうか ── もう50年余り前の若き日の記憶から思うところを書き記してみました。

翌年1971年の8・6は歴代首相で初めて当時の佐藤栄作首相が広島の慰霊祭に出席するということで荒れました。いまだに記憶に残るのは、ある女子大生が体当たりで佐藤首相に抗議したことです。これは報道写真でも残っています。この年の夏は三里塚闘争で仲間が逮捕されたり9月に予定されている第二次強制収容阻止闘争や沖縄返還協定批准阻止闘争の準備などで広島には行けませんでしたが、報道で観て非常に感銘を受けました。

1971年8月6日の広島平和公園に来た佐藤栄作首相(当時)に抗議の体当たりをする女子学生

今回は、3年前にウクライナ危機に触発されて、若き日に接した反戦歌について書き記した文章に加筆し、この3年間、状況がまったく変わらず、それどころかますます泥沼化し悲劇が拡大している中で、あらためて加筆、再掲載してみました。ぜひお読みいただければ幸いです。

◆矢沢永吉 『FLASH IN JAPAN』

私はこの曲を聴いて大変ショックを受けました。今こそみなさんに聴いて欲しい一曲です。日本のロック界のスーパースター矢沢永吉は広島被爆二世です。これも意外と知られていません。ご存知でしたか? 父親を被爆治療の途上で亡くしています。矢沢がまだ若い頃(1987年)、『FLASH IN JAPAN』という曲を英語で歌い、その映像(ミュージックビデオ)を原爆ドームの前で撮影し、これを全米で発売するという大胆不敵なことをしでかしています。


◎[参考動画]Longlost Music Video: Eikichi Yazawa “Flash in Japan” 1987

5万枚といいますから矢沢のレコードとしては少ないのでしょうが、矢沢にすれば原爆を人間の頭の上に落としたアメリカ人よ、よく聴け! といったところでしょうか。いかにも矢沢らしい話です。このエネルギーが、部下による35億円もの巨額詐欺事件に遇ってもへこたれず、みずから働き全額弁済し復活したといえるでしょう。やはりこの人、スケールが違います。私より2歳しか違いませんが、私のような凡人とは異なり超人としか言いようがありません。

ちなみに私たちの世代にはカリスマ的存在である秋田明大(日大全共闘代表)さんも被爆二世で、毎年8月6日に開かれる抗議集会には必ず実行委員に名を務められたり参加されています。

アメリカで発売されたこの曲に正式な日本語訳はないようですが、ファンの方が訳されていますので以下に掲載しておきます(英文は割愛。藤井敦子補訳)。私も時間を見つけて、あらためて訳してみたいと思います。

俺たちは学んだのか
 治せるのか
 俺たちは皆あの光を見たのか
 雷みたいに落ちてきて 世界を変えちまった
 稜線を照らし 視界を消し去った
 戦争は終わらないんだよ 誰かが負けるまでは
 人々の群れが塔をなぎ倒し
 敵がどこに隠れているのか知っている
 兄妹たちは炎の中をはいつくばったが
 出口に届くことはなかった
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 彼らに何と言えばよいのか
 子供たちよ聞いてくれ
 俺たちが全てを吹き飛ばしてしまったが
 君たちは再出発してくれ
 朝なのに今は夜のようで 夜は冬のようだが
 いくつか変わったこともある
 いつも忘れないでいてほしい
 戦争は終わらない 誰かが負けるまでは
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか

◆忌野清志郎『花はどこへ行った』/ PP&M『Where Have All the Flowers Gone?』

当初電撃戦で一瞬にしてロシアの勝利と思われたウクライナ戦争が長引いています。電撃戦どころか、ウクライナの予想外の抵抗により(ウクライナとロシアの歴史を見れば、決して「予想外」ではないかもしれません)、もう3年半も続き、解決の糸口は見つからず、さらに長期化する兆しです。ウクライナの予想外の抵抗でロシア軍はなりふり構わず攻撃しウクライナの都市や大地を焦土化し泥沼化しています。かつてのベトナム戦争のように──。

1955年から20年続いたベトナム戦争は60年代には泥沼化し、同時に米国のみならず全世界的なベトナム反戦運動が拡がりました。あの頃の話が「遠い昔の物語」(忌野清志郎の詞)ではなかったことが今になって甦ってきました。ベトナム戦争は、私が幼少の頃に始まり、終わったのは大学を出る頃(1975年)でした。時の経過と生活に追われ長らく忘れていた悲惨な記憶が甦ってきました。

ベトナム反戦の叫びは多くのメッセージソングを生み出しました。

ピート・シーガーが作った『花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone ?)』もその代表作の一つでした。ベトナム戦争が始まった1955年に作られ、1962年にPP&M(Peter, Paul & Mary)が歌い大ヒットします。日本ではPP&M版が一番ポピュラーのようですが、このほか、キングストン・トリオ、ブラザーズフォー、ジョーン・バエズらが歌っています。曲の遠源はウクライナ民謡(子守唄)ともいわれますが、なにか因縁を感じさせます。

しばらくして日本にも輸入され、「反戦フォーク」として当時の若者の間でヒットし耳にタコが出来るほど聴き歌いました。私もそうでした。また、私と同じ歳の忌野清志郎(故人)もそうだったのでしょう、みずから意訳し歌っています。激動の時代を共に過ごし、時に原発問題とか社会問題にコミットする清志郎の想いがわかるような気がします。

今、ウクナイナでの戦火に触発され加藤登紀子、MISIAらが、この曲を歌い始めました。加藤登紀子はともかく、ライブで『君が代』を歌うようなMISHAがこの歌を歌うのには違和感がありますが……。登紀子さんには、この際、今は全くと言っていいほど歌わなくなった『牢獄の炎』とか『ゲバラ・アーミオ』とかも歌ってほしいですけどね。

つい先日(2024年7月8日)、京都のキエフ(登紀子さんの実家経営)で、私がいた大学の学生運動、および寮の大先輩・藤本敏夫さんの23回忌が開かれました。私とは世代が全く異なり直接の面識はなかったので迷ったのですが、先輩に勧められ、資料コピー係(この世代の常として紙の資料が多いんです)を務め出席させていただきました。

その際、登紀子さんに「今はなぜ『牢獄の炎』を歌わないのですか?」と尋ねましたところ、「あなた、なぜこの曲を知っているの?」と驚かれました。「大学に入ってすぐに先輩に勧められ買いました。私に言わせれば『百万本のバラ』もいいが、『牢獄の炎』や、さらには『美しき五月のパリ』も復活させていただきたく熱望します。

ちなみに藤本敏夫さんは、ここ甲子園の出身です(甲子園三番町。鹿砦社は八番町)。

さて、『花はどこへ行った』は、日本でも多くの歌手がカバーしていますが、異色なところでは、古くはザ・ピーナッツ』や、今ではミスチルら、数年前、フォーククルセダーズが再結成された際のコンサートでは、わがネーネーズも一緒に歌っています。

ベトナム戦争が始まってから70年近く経ち、終わってからも50年近く経ちますが、ウクライナやパレスチナに見られるように、残念ながら、決して「遠い昔の物語」ではなくなりました。この曲は、ベトナム戦争終結とともに次第に歌われなくなっていきました。今後ウクライナ戦争のような戦争が起きるたびに歌われる名曲でしょうが、ウクライナやパレスチナに一日も早く平和が戻り、「遠い昔の物語」として、この曲が歌われなくなることを心より祈ります。


◎[参考動画]ピーター・ポール&マリー(PP&M)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)

『Where Have All the Flowers Gone?』
作詞・作曲:Pete Seeger、Joe Hickerson

Where have all the flowers gone
Long time passing?
Where have all the flowers gone
Long time ago?
Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the young girls gone
Long time passing?
Where have all the young girls gone
Long time ago?
Where have all the young girls gone?
Gone for husbands everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the husbands gone
Long time passing?
Where have all the husbands gone
Long time ago?
Where have all the husbands gone?
Gone for soldiers everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the soldiers gone
Long time passing?
Where have all the soldiers gone
Long time ago?
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?


◎[参考動画]花はどこへ行った~トランジスタラジオ 忌野清志郎

『花はどこへ行った』
忌野清志郎詞、ピート・シーガー作曲

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

可愛い少女は どこへ行った
遠い昔の物語
可愛い少女は 大人になって
恋もして ある若者に抱かれていた

その若者は どこへ行った
遠い昔の物語
その若者は 兵隊にとられて
戦場の炎に抱かれてしまった

その若者は どうなった
その戦場で どうなった
その若者は死んでしまった
小さなお墓に埋められた

小さなお墓は どうなった
長い月日が 流れた
お墓のまわりに花が咲いて
そっと優しく抱かれていた

その咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
その咲く花は 少女の胸に
そっと優しく 抱かれていた

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

※昨年同日に掲載のものを一部修正。

(松岡利康)

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」をPaix2(ぺぺ)と共に祝い歌い語り合おう!

鹿砦社代表 松岡利康

これまで節目の集いにはPaix2に来ていただき共に祝い歌い語り合ってきました。今回もそうです。

奇しくも今年はPaix2結成25周年を迎えました。「プリズン・コンサート」と称する、全国の刑務所、少年院などでの獄内ライブも500回も越え、北は網走から南は沖縄のすべての刑務所を踏破、凄いです。もっと社会的に評価されるべきです。

4・5東京の集いでは、会場で歌うことはできないということで司会を務めていただきましたが、7・12はミニライブを行っていただきます。

7・12、多くの皆様方と共に、西宮インティ・ライミに結集し、共に有意義な時間を過ごそうではありませんか!

本年4・5の東京の集いで
鹿砦社創業50周年でも歌ってくれた
鹿砦社主催のライブで(大阪)
新聞記事
新聞記事

NJKF 6月の戦い KING OF CHALLENGER、WBCムエタイ世界戦開催!

堀田春樹

大田拓真が技と駆引きで優ったノックアウトでWBCムエタイ世界王座奪取。
星拓海が嵐にノックアウト勝利の番狂わせで王座獲得。
繋那が落ち着いた攻防で藤井昴を倒したTKOで王座獲得。
オープンフィンガーグローブの吉田凛汰朗vs健太は壮絶な打ち合いの末、無判定引分け。

◎KING OF CHALLENGER / 6月8日(日)後楽園ホール17:15~21:26
主催:オフィス超合金 / 認定:NJKF、WBCムエタイバンコク本部
放送:U-NEXT

この記事では最初の試合を第1とし、ナンバーはプログラムと異なっています。

◆第9試合 WBCムエタイ世界フェザー級タイトルマッチ 5回戦

選手権者.アントニオ・オルデン(1991.10.14スペイン・マドリード出身/ 56.95kg)
51戦43勝(7KO)7敗1分
          VS
挑戦者9位.大田拓真(新興ムエタイ/1999.6.21神奈川県出身/ 56.95kg)
42戦32勝(11KO)8敗2分
勝者:大田拓真 / KO 3ラウンド 1分49秒
スーパーバイザー:山根千抄(日本)
主審:パリン・ハンタナブーン(タイ)
副審:テーチャカリン・チューワタナ(タイ)、中山宏美(日本)、宮沢誠(日本)

両者の蹴りの距離からパンチに入る牽制の様子見。徐々に大田拓真の良い動きで組み合ってもウェイト乗せた攻防は優っていく印象。狙って打つ蹴る大田がリズム掴み、アントニオ・オルデンも初回から手数あるが大田を圧せない中、第3ラウンドには大田がオルデンをニュートラルコーナーに追い込む流れで右前蹴りとなる三ヶ月蹴りを蹴り込むと、オルデンは苦しそうにノックダウン。レフェリーのパリン氏はカウント6で試合をストップした。

大田拓真がアントニオ・オルデンを追い込んでいく中、この後三ヶ月蹴りが入る
三ヶ月蹴りを喰らって一瞬の間を置いて蹲ったアントニオ・オルデン

大田拓真はリング上のコメントで「世界一の実感はないですけど、とにかく嬉しいです。まだ僕はこれからも、もっと上を目指していきます。」と語った。

連盟代表で新興ムエタイジムの坂上顕二会長は「世界戦は実力だけじゃ獲れなくて、いろいろな壁を乗り越えていく中で、しっかり作戦どおり力出してくれたので、もうおめでとうと言いたいだけですね。」

「最後の三ヶ月蹴りは、あれで絶対嫌がると思うからいろいろな攻撃パターンが生まれる中で、大体作戦がハマっていたところでしたね。」

獲りたかったWBCムエタイ世界のベルト、まだ先の挑戦は続く大田拓真

防衛戦については「WBCムエタイ本部から指名して来るので、アントニオ・オルデンの奪還戦になるか、他の海外の選手になるか、そして日本でやるかスペインでやるか、いずれも倒してしまえば文句無いのでどこでやろうと防衛戦はしっかりやっていきたいですね。」と語られました。

アントニオ・オルデン陣営の通訳されました川久保悠(伊原プロモーション)氏は「オルデン選手は試合はコントロール出来ていたので、あの三ヶ月蹴り貰ったのは凄く勿体無かったと言い、第4~5ラウンドに進んでいれば、そこでの展開は自信があった様子で、奪還戦についてはぜひ挑戦したいと言っていました。」ということでした。

◆第8試合 第9代WBCムエタイ日本バンタム級王座決定戦 5回戦

1位.嵐(=坂本嵐/KING/2005.4.26東京都出身/ 53.45kg)19戦13勝(6KO)4敗2分
VS
3位.星拓海(IDEAL/2005.7.26東京都出身/ 53.5kg)11戦8勝(3KO)2敗1分
勝者:星拓海 / KO 3ラウンド 2分22秒
主審: 宮沢誠

ローキックでの探り合いからミドルキックへ繋ぐ嵐。星拓海は焦りも怯みも無く蹴り返していく。第1ラウンド終盤に嵐が攻勢掛けたのはマストシステムでの印象点掴む戦略もあっただろう。

第2ラウンドも嵐から上下変化掛けながら蹴って出ても、星拓海もダメージ無く蹴り返す展開。徐々にリズムに乗って来たのは星拓海。飛びヒザ蹴りも繰り出し、第3ラウンドには三ヶ月蹴りと言われる前蹴りで嵐は蹲ってしまった。そのまま苦しそうにテンカウントを聞いた嵐。トップに立つと常勝は難しくなる壁でもあるだろう。

嵐にプレッシャーを掛ける星拓海、意外と強く下がらない攻防を続けた
星拓海が三ヶ月蹴りをヒットさせた後、嵐は崩れ落ちた

星拓海は「ボディーブローが効いた様子が有ったので三ヶ月蹴りで追い打ちを掛けました。」と語った。更に防衛戦は重ねて行きたいと言う。そこから大田拓真のように上位へのチャンスも生まれるだろう。

まだ日本タイトルながら、このまま大田拓真に続けるか

◆第7試合 オープンフィンガーグローブマッチ スーパーライト級3回戦(延長2R)

NJKFスーパーライト級チャンピオン.吉田凜汰朗(VERTEX/2000.1.31茨城県出身/ 63.2kg)
29戦13勝(3KO)10敗6分
       VS
健太(=山田健太/E.S.G/元・WBCMウェルター級Champ/1987.6.26群馬県出身/ 63.3kg)
125戦68勝(21KO)49敗8分 
裁定は「無判定引分け」延長2ラウンド、計5ラウンドまで経過
主審:中山宏美

凄惨な試合となった。正攻法な二人だけに乱戦にはならないが、薄いグローブの影響は現れて行った。アゴにヒットして脳震盪を起こさなければ倒れないであろう中、健太の方の顔がボコボコになっていき、額を切り、鼻血を流し、口の中も切った流血も酷くなる流れ。ヒザ蹴りもタイミングよくボディーヒットさせた吉田凛汰朗。3回戦制ではあったが、判定されたとしたら吉田凛汰朗の優勢だろうか。KO決着の為、延長戦、再延長戦と進むも吉田凛汰朗がやや優勢の中、無判定引分けとなった。

吉田凛汰朗の指が健太の鼻の穴へ、サミングも起きやすいオープンフィンガーグローブ
血みどろの戦い、両者我慢強いからボコボコになりながら最後まで倒れなかった

健太は「もう僕はトップを目指せません。そしてもう目指してもいません。」と宣言。

「この試合が最後か分からないですけれど、人間はブレるので“辞めます詐欺”するかもしれないですけれど、その時は悪しからず。」と引退を匂わせながら現役継続とも取れるコメントを残した。

◆宮越慶二郎引退式

宮越慶二郎は過去NJKFライト級、WBCムエタイ・ライト級、WBCムエタイ・インターナショナル・ライト級王座を獲得。46戦29勝14敗3分。この戦績を通じて人生を教えて貰いましたという想いを語り、キックボクシングに僕なりの恩返しをしたいと思います。第二の人生に御期待ください」と挨拶し、テンカウントゴングに送られました。

◆第6試合 第11代NJKFスーパーバンタム級王座決定戦 5回戦

2位.繁那(R.S/2004.1.28京都府出身/ 55.3kg)17戦13勝(8KO)2敗2分
VS
3位藤井昴(KING/東京都江戸川区出身19歳/ 55.0kg)前戦含む6戦3勝(1KO)1敗2分
勝者:繁那 / TKO 1ラウンド 1分30秒
主審:宮沢誠

両者は2024年11月10日に対戦し引分けている中での再戦となる王座決定戦。

ローキックで藤井昴の脚を攻めバランス崩させる繁那。藤井がローキックを返すと繁那は左ストレート打ち込む。すでに繋那の圧力が活かされている展開。藤井の動きは悪くないが、繋那の距離感に嵌っている中、繋那は右ジャブから左ストレートでノックダウンを奪った。

繋那は冷静に試合を進め、左ストレートをヒットさせた

再開後、すぐに向かわなかった繋那。藤井の出方を窺い、出て来る藤井に左ストレートを打ち込み二度目のノックダウンを奪い、立ってもフラ付く藤井をレフェリーはカウント中にストップを掛けた。

NJKF王座獲得となった繋那は次なる王座はWBCムエタイ、日本と世界か

◆第5試合 52.0kg契約3回戦

NJKFフライ級チャンピオン.西田光汰(西田/2001.2.13愛知県出身/ 52.0kg)
13戦8勝(1KO)4敗1分 
VS
NJKFフライ級6位.明夢(新興ムエタイ/ 51.75kg)14戦5勝(1KO)6敗3分
勝者:明夢 / 判定0-2
主審:児島真人
副審:梅下29-30. テーチャカリン29-30. 宮沢29-29

西田光汰は当初、永井雷智との初防衛戦が決まっていたが、永井の負傷欠場により、明夢とノンタイトル戦となった。

西田光汰の蹴りパンチ攻勢に明夢が劣らず着いていく展開。蹴り合っても首相撲となっても引けを取らない明夢。互角に蹴りパンチが続き、西田のコンビネーションブローの見せ場もある中、明夢の表情が強気に見えた。際どい採点ながら明夢が番狂わせを起こす判定勝利となった。西田はこのリングでは(正確にはマット生地)滑り易いのか、蹴っても滑って転ぶシーンが目立った。

◆第4試合 バンタム級3回戦(EX1)

山脇飛翼(K-1ジム心斎橋チームレパード/2001.10.31大阪府八尾市出身/ 53.3kg)
14戦 9勝(4KO) 4敗 1分
VS
サンチャイ・テッペンジム(元・ラジャダムナン系ミニマム級Champ/1988.5.30タイ国ソンクラー県出身/ 53.0kg)295戦222勝(89KO)70敗3分
勝者:山脇飛翼 / KO 3ラウンド 29秒
主審:中山宏美

山脇飛翼は4月27日に嵐に判定負けも、ローキックで嵐を苦しめた強気の展開。その勢いでサンチャイをローキックでジワジワ攻め、ヒザ蹴りやミドルキックも加えて最後はローキックでサンチャイを倒し切り、テンカウントを聞かせた。

◆第3試合 スーパーバンタム級3回戦(EX1)

NJKFスーパーバンタム級6位.王清志(新興ムエタイ/ 55.1kg)24戦10勝(3KO)13敗1分
VS
NJKFスーパーバンタム級7位.中島大翔(GETOVER/ 55.3kg)12戦5勝(1KO)5敗2分
勝者:中島大翔 / 判定0-3 (27-30. 28-29. 28-30)

◆第2試合 女子ミネルヴァ48.5kg契約3回戦(2分制)

山崎希恵(クロスポイント吉祥寺/28歳/ 48.25kg)4戦2勝1敗1分
      VS
あゆな(笹羅/22歳/ 47.9kg)2戦1敗1分
引分け 1-0 (29-29. 29-28. 29-29)

◆第1試合 フェザー級3回戦

陽平(TAKEDA/15歳/ 56.6kg)1戦1勝(1KO)
     VS
高嶋隆一(PIT/25歳/ 55.6kg)1戦1敗
勝者:陽平 / TKO 1ラウンド 2分28秒

高嶋隆一がアグレッシブな猛攻だったが、距離感掴んだ陽平が蹴り返し、ヒザ蹴りやパンチ連打で高嶋を追い込み、顔面ヒザ蹴りで圧倒すると高嶋はノックダウンとなってカウント中にレフェリーストップとなった。

《取材戦記》

戦績は前回興行結果と今回のプログラムを参照し、この日の結果を加えています。プログラムに曖昧な部分が発生しており、正確さには欠けますが参考まで。

今回、繁那に敗れた藤井昴は4月21日のトーナメント準決勝での中島凛太郎との対戦で、股間ローブローによる試合続行不可能となり、「判定2-1で負傷判定勝利」とアナウンスがありました。公式記録も確認しましたが、そのとおり。私どもは藤井昴の負傷判定勝利と記載しました。

しかし、後のNJKFからのリリースで試合結果は、「ノーコンテスト。トーナメントの為、1R途中までの採点となり藤井が 2-0 で勝利」という発表がありました。

すでにこのリリースに矛盾した部分はあり、気が付く人は解り、解らない人は解らないままと思いますが、諸事情で敢えて突っ込みはしませんが御容赦ください。2-1が2-0になっている部分だけはNJKF側の誤記かと思います。マストシステムですから。

なお、今回のプログラムに藤井昴だけ戦績が更新されていない様子でした。記載忘れでなく以上の結果を考慮したものと考えられます。

“ノーコンテスト(無効試合)”という裁定を戦績に含むか含まないかは、いろいろな解釈があると思います。

「原因に係わらず試合していないのと同じという意味で戦績に含まない。」

「天変地異など災害によるノーコンテストは戦績に含まない。試合中の偶然のアクシデントによるものは戦績に含む。」などなど。

吉田凛汰朗vs健太戦は2月2日のタイトルマッチを行ない、吉田が僅差で勝利し初防衛しましたが、不可解な判定の疑念が残り、今回、ノンタイトル戦、オープンフィンガーグローブ使用で再戦。過去1勝1敗の決着戦となったが、KO決着のみの無判定試合と制定されました。これは法の下で活動する本場ムエタイ式に言えばカテゴリー外れ(違法ではないが)。プロボクシングJBC管轄下に例えれば認められないグローブ。キックボクシングはプロモーター主体の競技で規制無く実行出来てしまいます。

試合中、「死ぬまでやらせるのか!」といった野次も飛び交ったという。白いマットが鮮血で染まっていくオープンフィンガーグローブ使用の試合は、サミングも起こり易く、今後も行なわれるのか疑問が残るルールです。

大田拓真のWBCムエタイ世界王座獲得としては、2014年11月15日の大和哲也と梅野源治以来となりました。まだ世界の頂点という実感は無いと言う中、今後も防衛戦やONEでの参戦で結果を残しながらと世界の頂点を極めていく心構えである。

NJKF次回本興行は9月28日(日)に後楽園ホールに於いて武田幸三主宰CHALLENGERシリーズが行われます。

関西版は7月20日には大阪府堺市で誠至会興行「NJKF 2025 west 3rd」が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

4・5東京に続き、7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」の成功と次のステップへ向けて 「セット直販」でのご支援のお願い! 鹿砦社の既刊本、希少本を買ってご支援ください! HELP US!

鹿砦社代表 松岡利康

『紙の爆弾』をはじめとする鹿砦社の出版活動を支持される皆様方──平素のご厚誼、ご支援、まことに有り難く心より感謝申し上げます。

月刊『紙の爆弾』は、お陰様で去る4月7日発行の5月号で創刊20周年を迎えました。

また、その増刊号で、わが国唯一の脱(反)原発情報誌『季節』(旧『NO NUKES voice』)も、昨年8月で創刊10周年を迎えました。

そうして、それを祝うと共に反転攻勢を図る意図で、去る4月5日、わが国メディアの中枢=東京日比谷・日本プレスセンターにおきまして、「鹿砦社反転攻勢の集い」を開催し、多くの皆様にご参集いただき成功裡に終了いたしました。

当初は現状を鑑み、関西の集いは予定していませんでしたが、4・5は東京中心だったことで、関西在住の皆様方から、これまで10周年や鹿砦社創業50周年の際は東京、関西双方で集いを催してまいりましたので、当然今回も関西でも開催するものだとの熱い要望があり、20年前、松岡が「名誉毀損」容疑で逮捕された運命の日=7月12日に、10周年と同じ会場にて開催することになりました。4・5に関西からの参加者は3人にとどまったこともあります。

しかし、当初予定していなかったことで、7・12にはまだご支援が少なく困っています。ここは、恥を忍んで皆様方に緊急のご支援をお願いし、何としても7・12を成功させ、まさに反転攻勢のステップ台とさせてください。

ところで、鹿砦社は、年に1,2度、『紙爆』『季節』定期購読者、会員、支援者を対象に、希少本、新刊織り交ぜて「セット直販」を行ってまいりました。

このたび、これまで書庫(書類置き場)としていた2室を整理、解約する過程で、これまで在庫がないと思っていた貴重な希少本が出てきました。まさに「掘り出し物」ですが放出いたします。

申し込んでくれた方々の一部は、それに気づいておられるようです。

また、「奇妙な情熱」と揶揄された『季節』5号(安保ブントの崩壊と関西ブントの思想。A5判556ページ大冊!)、6号(総特集=現代史における二つの安保闘争の意義。B5判442ページの大冊!)など、今では到底できない仕事です。在庫切れだと思っていたところ、多くはありませんが、そこそこ出てきました。

皆様にもぜひ1セット(いや、2セットでも3セットでも)お買い上げいただきたく思います。

さらに、知人、ご友人の方々らにも、拡販をお願いできれば、と強く希望いたします。10セットほどとりまとめてほしいところです(笑)。

特に今回お薦めの領域は、「学生運動、反戦運動」「『季節』(旧。思想誌の時期)」「レコジャケOTAKARAファイル」等です。すでに在庫がなくなり幻の本と思っていた本が出てきましたので。

◆下の画像は、左2つはレコジャケOTAKAファイルのPANTAとゴダイゴのもの、右2つが『季節』5号と6号)です。

※ご関心のある方は、直接メールにて私までご連絡ください。matsuoka@rokusaisha.com

折り返し詳しい案内(今回163点のリスト)を送ります。

(松岡利康)

『紙の爆弾』6月号に寄せて

『紙の爆弾』編集長 中川志大

さて、6月号では前号に続きウクライナ戦争の裏側を解説。前号では戦争を勃発させ、終わらせない勢力について分析。今月号では“利権”に焦点を当てました。米国トランプ大統領が主導する停戦交渉ではウクライナ国内の地下資源がカギとして取り沙汰されていますが、それらに開戦前から手を付けていたのが米国巨大投資ファンド。そこでゼレンスキー大統領が果たした“役割”など、この戦争の実態と停戦の行方を考えるうえで不可欠な情報をお伝えします。

また、自公政権でもこれみよがしに減税論が取り沙汰されている消費税をめぐっては、マスコミで報じられないもう一つの側面である「輸出還付金」について解説。前号では政治経済学者の植草一秀氏が、高額療養費制度改悪について、「十分な医療」を富裕層だけが受けられるものとする制度改変だと指摘しましたが、消費税もまた、その逆進性だけでなく、輸出大企業優遇のシステムを内包しています。そうである以上、いまの減税論と関連報道も、“本質隠し”の側面があることに留意する必要があります。

そして、世界を揺るがせているトランプ関税。「格下も格下」の日米関係を正常化するために、「地位協定は変えられる」そして「日米安保は破棄できる」という事実を確認しました。それらはいずれも単なる理念ではなく、むしろ日本の安全保障と世界の平和・安定に寄与するものです。とくに元外務省国際情報局長の孫崎享氏は、日米地位協定改定のための具体的な方法を提示。さらに、国際的に異常な日米安保を正当化するデタラメな中国脅威論がなぜこれほどまでに日本中を覆っているのか。その“犯人”と“目的”を明快に指摘しています。

必然的に、誌面で米国トランプ大統領に関する話題が多くなっています。両面での分析が必要ですが、いずれにおいても結論は、日本の自立が必要だということ。4月号・5月号をはじめ、本誌はこれまで戦争を勃発させる勢力・工作について指摘してきました。また新たな戦争が起きるとしても同じこと。それに与しないために、日本の再独立が求められています。

フジテレビ問題が、少しずつ動きを見せはじめています。もっとも注目すべきはフジHDの外国人株主、米国ファンドの動きです。原因はフジにあるにせよ、スポンサー離れのきっかけはダルトン社の書簡だったと報じられています。そして、取締役候補にジャニーズ瓦解後を引き継いだスタート社社長。ジャニーズ問題にしてもフジ問題にしても、「外圧」が日本を健全化するかの楽観的な報道が目立ちますが、“黒船”が日本に何をもたらしたのかをおさらいする必要があります。

大阪・関西万博が開幕し、形だけは批判することもあったマスコミは予定通り大本営化しました。すると俄然、勢いづいているのが万博推進派。開催意義、中抜き、危険性など、指摘されていた問題が何ひとつ解決されていないにもかかわらず、なぜか勝ち誇ったような振る舞いを続けています。事態の本質は「公金収奪のカジノ万博」です。

ほか、麻生太郎・自民党最高顧問の「参院選事前運動疑惑」、「無所属の会」を立ち上げた内海聡医師が語る「日本の医療と政治の関係」、警察による違法な「架空名義口座」開設など、今月号も必読のレポートの数々をお届けします。前号で創刊20周年を迎えた『紙の爆弾』は、全国書店で発売中です。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年6月号

『紙の爆弾』2025年 6月号
A5判 130頁 定価700円(税込み)
2025年5月7日発売

アメリカ巨大投資ファンドが蠢くトランプ「相互関税」とウクライナ戦争 浜田和幸
“中国脅威論”をばらまく犯人は誰か「日米地位協定」は変えられる 孫崎享
「石破おろし」「玉木首相擁立」計画 麻生太郎 参院選事前運動疑惑 横田一
マスコミが報じない大企業への“8兆円補助金”消費税「輸出還付金」を廃止せよ! 青山みつお
内海聡医師インタビュー 権力の奴隷にならないために「政治と医療」を考える
際限なき権限拡大 警察が「架空名義口座」開設 足立昌勝
山形県上山市清掃工場 重金属汚染による健康被害 青木泰
人気女優を襲ったいくつもの“悩み”広末涼子「事件」の背景 本誌芸能取材班
会社分割で「外資の草刈り場」と化すのか フジテレビ解体 片岡亮
在日米軍を撤退させ日本が軍縮を主導すべし 木村三浩
不戦国家・日本がなぜ「停戦」に無関心なのか 青柳貞一郎
劣化した現代政治をAIは見下し嘲笑する 愚劣なトランプ外交と古い地政学の克服 藤原肇
「ラジオ英会話」という名の奴隷生産教程 佐藤雅彦
ミャンマーで日本が展開中「現代版インパール作戦」 平宮康広
教職員への処分取消第五次訴訟「“君が代”強制」めぐる教育現場の現在 永野厚男
シリーズ 日本の冤罪 三崎事件 片岡健
5月号記事「伊藤詩織監督映画上映妨害は言論弾圧だ」に反論します 佃克彦
[ご報告]『紙の爆弾』創刊20年『季節』10年 4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」

〈連載〉
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER Kダブシャイン
「ニッポン崩壊」の近現代史 西本頑司

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0F74HJ262/

「福井女子中学生殺人事件」再審結審 再審無罪を前に自信を取り戻していく冤罪犠牲者の前川さん 尾﨑美代子

39年前に福井で起こった「福井女子中学生殺人事件」の再審が、3月6日結審した。判決は7月18日、午後4時より、名古屋高裁金沢支部で言い渡される。 

事件の詳細は『紙の爆弾』(鹿砦社)2月号に寄稿しているので、ぜひ読んで欲しい。亡くなった桜井昌司さんから「前川(冤罪犠牲者の前川彰司さん)の事件も書いてや」と頼まれてたが、資料を読み始め、何度も諦めていた。関係者が余りに多く、その関係も複雑だからだった。

読み始めあきらめ、読み始めあきらめていたところ、まもなく再審開始の可否がでるとのことで慌てて読み始めた。そして昨年12月、再審開始の決定。決定書を見ると、それまでの資料になかった内容が書かれていた。

弁護団長の吉村弁護士も会見で「想定外でした」と話していた内容、そこには「夜のヒットスタジオ」「アン・ルイス」「吉川晃司」の文字が……。再審請求審で初めて明らかにされた証拠だった。一体、何があったのか? 詳細を知りたい方はぜひ「紙の爆弾」を読んで欲しい。  

この事件、全体をみると、福井県のいわゆる地方都市で、地元警察が、地元のワル、不良、ヤクザになった若者を、うまくあやつり協力者に仕立てていくような構図がみてとれる。

先日、北海道旭川市で女性2人が被害女性を深夜、川の橋の欄干に座らせ、川に落とし殺害した事件で、片方の被告に懲役25年が求刑された。この事件では、もう一人の女性が、事件を捜索する旭川中央署の刑事と不倫関係にあったことが報じられた。もともと互いに出入りしてた地元のスナックで仲良くなったようだ。その容疑者がどんな女性だったかは良くわからないが、刑事を後ろ盾にすることで、一層怖いものなしの強気になれたことは容易に想像できる。

福井の事件で登場する大勢の関係者もまだ若く、社会的経験も少ない。そして不良、ヤクザなど脛に傷持つ者ばかりだ。その弱みに刑事がつけこみ、事件を解決しようと、あらぬストーリーを作っていったのだ。

女子中学生は、実際極めて凄惨な方法で殺害されていた。不良グループと付き合っていたことからリンチと思われた。だが捜査は難航し、犯人逮捕に至らず、捜査機関は焦る。

そんなとき、別の覚醒剤で逮捕され取調べられていたヤクザの斎藤(仮名)が、刑事に「犯人しらないか」と聞かれる。犯人は斎藤周辺のワル仲間とみているのだろう。捜査機関は、犯人を教えたら、あるいはヒントをくれたら、刑を軽くするみたいにほのめかす。斎藤は知人に「犯人知らんか?」と手紙を書く。そう、斎藤も犯人を知らないのだ。しかし、斎藤は自分の刑を軽くしたくて、「犯人は後輩の前川だ」と刑事に告げる。

さらに、車で前川を犯行現場に送った人間、斎藤をゲーセンに送った人間、犯行後困った前川を斎藤がいるゲーセンに連れてきた人間、その際前川の服に血がついてるのを見た人間、ひと晩前川を匿った人間など、次々と関係者を登場させる。しかし、うそのストーリーだから、斎藤の話はコロコロ変わる。

ここまで読んで、「刑事もばかだね。斎藤のいうことが違っていたら、諦めればいいやん」と思う人もいるだろう。違う、違う。刑事が斎藤らワルたちを利用しようとしているのだ。

刑事は、斎藤が刑務所に送られる際「おい、何か土産を置いてけや」とか、「まだ知ってることがあるんじゃないか」とか、斎藤やその周辺の人間を使って、自分たちのストーリーを作ろうと必死なのだ。「関係者」を担わされた若者も、みな、脛に傷があるため、刑事の言いなりにストーリーを合わせてしまう。  

しかし、彼らも成人になり家庭を持つようになると、「なんと馬鹿なことしたのか」と反省し、本当のことを言うようになる。前川さんを犯人とする証言をした男性は、刑事にウソの証言を強いられ、代わりの自分の覚せい剤事件をチャラにしてもらったと再審の場で証言した。前に嘘の証言した夜は、刑事に食事やスナックを奢られ、あげく結婚祝いに5000円包まれた祝儀袋を貰ったと証言。刑事の名前がばっちり書かれた祝儀袋を証拠提出した。本当に酷い話だ。

以前私も支援した石川県の盛一国賠という裁判があった。この盛一君も若い時、刑事に目をつけられ「S」にされた。どんなに覚せい剤をやっても絶対捕まらない。その代り、刑事に言われるがままに、薬をやっている知人や先輩を逮捕させるような工作を刑事としていく。そんななか亡くなった知人もいた。

盛一君も成人し、家庭をもち、「馬鹿なことをした」と猛省し、刑事らとの関係をきっぱり絶った。そして、そんな刑事と不倫で付き合う女性友達に「あんな連中とつきあわんほうがいい」と忠告する。

しかし、この女性は、盛一君のその言葉を刑事に伝える。そのため、盛一君がやってもいない覚せい剤事件で逮捕される。「これ以上余計なこと言うな」という脅しだ。その証拠に盛一が連れていかれた取調室に、以前盛一君が良く飲食をともにした刑事が顔を出し、盛一君に一言「バーカ」と言って消えたという。

多くの冤罪を作っているのは、警察、検察、そして裁判所だ。もちろん刑事という後ろ盾が出来て強気になって、犯罪を犯した人たちも悪い。しかし、北海道の事件も、盛一君の事件も、そして前川さんの事件で関係者とされた人たちも、勝手なストーリーの「駒」に使われ、最後はポイと捨てられた。本当に酷いやつらだ。

前川さんには昨日の朝電話した。桜井さんに紹介され、初めて連絡してから2年半。その間何度か電話で話したり、うちの店にも来てくれたり。最初はボソリ、ボソリとひとこと、ふたこと話すだけだった前川さんだが、その声は、再審開始が決まって以降、どんどん自信を取り戻しているような気がする。

《酒井隆史さん釜ヶ崎トークショーのご案内》

3月30日(日)、酒井隆史さんのトークショーを行います。釜ヶ崎の問題にも取り組んでおられる酒井さんには、2019年「はな」でお話をして頂いたのが最後なのでとても久しぶりです。なお、そのお話は冊子「ジェントリフィケーションへの抵抗を解体しようとする者たち」にまとめており、非常に多くの方々に読んで頂きました。

今回はちょっと大上段に構えたテーマになっていますが、様々な問題をその場で質問したり、議論出来るような形にしたいと思いますので、40人ほど限定、要予約でお願い致します。

メール、携帯、そしてメッセンジャーでも受け付けております。宜しくお願い致します!!

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

『紙の爆弾』2025年4月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

おかげさまで『紙の爆弾』は、次号2025年5月号で創刊20周年を迎えます。姉妹誌の反原発情報誌『季節』は昨年創刊10周年を迎えました。それらを記念し、2025年4月5日(土)に東京で読者の集いを開催します。一回限りの全力イベントです。発売中の4月号でご案内を掲載しておりますので、ぜひご参加をお願いいたします。

今月号では「USAIDとは何か」を徹底解説。米国トランプ政権の「USAID廃止」がインターネットを中心にこれほど盛り上がったのは、そもそも「メディアがおかしい」という意識が、人々の中にあったからです。日本でも「マスゴミ」という言葉は昔からあり、権力監視の一環としてのマスコミ監視は、本誌のようなメディアの普遍的なテーマでもあります。ただし、単なる「ゴミ」ではなく、むしろ権力機関の一部として、その役割を積極的に果たしてきたことに、今注目が集まっているわけです。「政官業米電(電波)利権複合体」は植草一秀氏の指摘です。しかし、USAIDやNED(全米民主化基金)がなくなればいいのかというと、ことはそう単純ではありません。その点が、既存マスコミはもちろん、インターネットでもほとんど触れられていない点だと思われます。新たな形による「支配」にこそ、私たちは警戒しなければなりません。

USAIDを資金源とするNEDやCIA(米国中央情報局)に限らず、諜報や工作が歴史を動かしてきたことは、指摘するまでもない事実です。今月号ではいくつかの事例とともに、元外交官の孫崎享氏が解説。私たちが日々接しているニュースが、それらの結果にすぎないということは、頭に入れておかなければなりません。そして、諜報・工作のメインターゲットは、外国政府だけではなく、その国の「世論操作」です。ウクライナ・ゼレンスキー大統領とトランプ大統領の会談「決裂」に、3月号登場の鳩山友紀夫元首相は「問題はプーチンを悪者で敵だとする考えに染まっていては、戦争は終わらない。日本だけでもトランプに協力して戦争を止めたらどうだ」とXでコメント。踊らされない視点こそ、重要です。

昨年11月号に続き、鈴木宣弘・東京大学大学院教授が、「食と農の危機」を再び解説。コメをはじめ食料価格の高騰が続く中、「農業の憲法」といわれる食料・農業・農村基本法の大改悪に伴い4月1日に施行される「食料供給困難事態対策法」で、日本の農業はどうなるのか。そして、この危機に立ち向かうために私たちができることは何なのか。まさに今読むべき内容です。

また、2月13日に東京・広島・大阪・熊本・中央・武蔵美大の大学生たちが中心となって集会を開いた「学費値上げ反対運動」を取材。これがなぜ「新しい形の学生運動」といえるのか、レポートをぜひお読みください。学生たちのnoteもぜひご参照を。(https://note.com/no_raise_ut/n/n2caa621385ee

ほか、4月号では、オンラインカジノ摘発と大阪カジノ万博の関係、再び注目される「フジテレビ・日枝久とジャニーズ」、世界に跋扈する「現代版ノストラダムス」など、各分野で真相に迫る多彩なレポートをお届けします。全国書店で発売中です。ぜひご一読をお願いします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

『紙の爆弾』2025年 4月号
A5判 130頁 定価700円(税込み)
2025年3月7日発売

戦争勃発させ国を壊す「西側工作」米ロ「諜報戦」の実相 孫崎享
4月施行 食と農と命を殺す「食料供給困難事態対策法」 鈴木宣弘
イスラエル暴虐の行方 トランプとネタニヤフを結ぶ「ガザ2035」構想 広岡裕児
世界マスコミ「沈黙」の真相 USAID廃止に潜むイーロン・マスクの野望 西本頑司
日本を蝕む「2+2」を破棄せよ 日米安保第四条の闇 木村三浩
「警察・自衛隊の外国攻撃」と「秘密保護強化」能動的サイバー防御法案は戦争推進法である 足立昌勝
「LGBT問題」「トランスジェンダー神話」刊行にあたって 反「性自認至上主義・クイア思想」の宣言 滝本太郎
自衛隊改組と日本永世中立化 日本から始まる新時代の地政学 藤原肇
吉本芸人に相次ぐ「見せしめ聴取」オンラインカジノ摘発 警察と政府の目的 片岡亮
「学費値上げ反対」と「103万円の壁」問題 「大学学費ゼロ」が世界の常識である 浅野健一
フジテレビと芸能プロの関係史 再び注目される「日枝久とジャニーズ」 本誌芸能取材班
世界各地を席巻する「現代版ノストラダムス」たちの予言をひもとく 浜田和幸
「総裁選公約」はどこに消えた? 石破茂「無策」の理由 山田厚俊
NHKへの最後通牒――「さらば“波”だ!」と言おう 佐藤雅彦
日本政治の衰退と世代間分断の根本原因 上條影虎
鎌倉名物カフェ立ち退き問題「小泉政権のキングメーカー」の死 青山みつお
シリーズ日本の冤罪 養女強姦虚偽告訴事件 片岡健
「カウンター大学院生リンチ事件」から十年(下) 松岡利康

〈連載〉
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER Kダブシャイン
「ニッポン崩壊」の近現代史 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/

キックボクシング 2024年を振り返る 堀田春樹

2024年もキックボクシング界の話題は豊富でした。選手の活躍も各々ありましたが、各団体単位でも時代の流れと共に諸々の動きがありました。世間一般には注目されない小さな出来事でも、振り返っておきたい2024年の話題を纏めました。

◆全日本キックボクシング協会の初陣興行

2023年春に新日本キックボクシング協会から離脱した稲城ジム栗芝貴代表が同年8月1日、全日本キックボクシング協会を設立。原点回帰を掲げ、今年(2024年)3月16日に初陣興行を行ないました。12月28日までに計4回の興行では大半が新人戦で、正に一から始まった新団体でした。

1月20日の設立記者会見で栗芝貴代表は、「三年で全日本キックボクシング協会の名前を全国に轟かせる。三年でスター選手作る。後楽園ホールを満員にして、この三年で作り上げていくのが僕の責任と思っています。」と語りました。

デビュー戦からメインイベンターを目指す自覚を持たせ、試合をアグレッシブな展開に導いて新人にも大きい成長も見られました。

9月6日には初のタイトルマッチ、全日本スーパーフェザー級王座決定戦を行ない、瀬川琉(稲城)が仁琉丸(ウルブズスクワッド)を倒して最初のチャンピオン誕生となりました。二人はすでに新日本キックボクシング協会での戦歴ある選手でしたが、今後は各階級で全日本キックボクシング協会からデビューした選手らが王座を争っていくことでしょう。

2025年は設立から3年目。初陣興行から2年目。まだ全国どころか格闘技界にも存在感は薄い現在。2025年はどこまで浮上することが出来るか、まだまだ険しい道程が続きます。

令和の全日本キックボクシング協会初陣興行出場選手と栗芝貴代表(2024.1.20)

◆新日本キックボクシング協会の変化と江幡塁引退

新日本キックボクシング協会の一時代を担った江幡ツインズの塁が、前年2月に患った脳腫瘍の影響からドクターストップによる引退に踏み切りました。

選手として引退も、「新日本キックボクシング協会から世界を獲れるような強さ、そして自覚を持った選手を輩出していけるように力を尽くしていきます!」と昨年10月のリング上で語ったとおり、後進の指導には今後も続けて行く模様。

その一年前の時点では、「選手を諦めていない」という語りから、復帰して現役続行かと期待しましたが今後、願わくばプロモーターとして興行を担っていけば、また新日本キックボクシング協会の再浮上もあるかもしれない僅かな可能性も期待したいものです。

その新日本キックボクシング協会は選手層の薄さが表れる中、外国人選手によるメインイベンター起用や、Mixed Martial Arts(MMA)の試合もテスト的に開催されました。

今後、どのように進展していくかは未定ながら動向が注目されます。

江幡塁、清々しい引退式にて、愛娘と一緒に(2024.10.6)

◆武田幸三の一年

2023年10月にニュージャパンキックボクシング連盟に加盟し、主力プロモーターとして団体を率いる存在となった武田幸三氏。「NJKFをトップ団体に引き上げる」と宣言し、以前から掲げていた“CHALLENGER”というコンセプトの下、ここまで計6度の興行を前日計量と記者会見から盛り上げ、それまでのNJKF色をすっかり変えてしまい、以前のNJKFに無いインパクトある興行が続きました。

「本気でトップ狙って本気でトップの団体にしようと思っています。」と語った武田幸三氏。一年を経過した今後、更に世間にどれだけ選手の存在感、NJKFの存在感が訴えらるかが期待されるところでしょう。

武田幸三、NJKFでの所信表明演説(2023.11.12)

◆長江国政さん永眠

昭和の全日本キックボクシング協会隆盛期で、一時代を築いた長江国政さんが6月11日に肺癌の為、永眠されました。すでに述べた部分ではありますが、2018年頃から神経性の難病との戦いが続いていましたが、難病の悪化とは直接の関係は無い模様で、煙草を吸う姿を何度も見たことありますが、こんな影響もあったのかもしれません。

キックボクシングの主力関係者の訃報が聞かれること多くなった近年、それまではキックボクシング生誕から関わって来た選手、興行関係者が若かったことに尽きるでしょう。競技そのものが新興格闘技だった為、二十代で活躍した名選手らも今や七十代以降に突入している時代です。でもその七十代でジム復興や立ち上げも計画している若々しいレジェンドも居て、今後もどう展開するか注目したいところです。

長江国政メモリー、会場での展示にて(2024.7.28)

◆2025年に何を期待するか

各団体の興行の少なさ。ランキングの層の薄さが見られる各団体。過去には統一に向けた動きや、団体統一は目指さなくても、一定の団体が集まる統一チャンピオン制定がありました。

現在のNKBも初期は4団体が集まったものでした。WBCムエタイ日本統一ランキングも立ち上げから活発だった時期もありました。いずれも現在も継続されていますが、キックボクシング界を先頭切って率いるほどの注目度はありません。

近年の選手が目指すものはONE Championnship、KNOCK OUT、RIZINといったリングで勝負することへ方向転換されている現在です。本来の活性化した日本タイトルには至らないのか。そこに既存の団体の纏まりに希望を持ちたいところで、武田幸三氏や全日本キックボクシング協会の飛躍に期待が掛かります。

私が関わる独断による団体編の纏まりの無い語りとなり、他にも日本キックボクシング連盟やジャパンキックボクシング協会の活動もありますが、次回は選手編で2024年に勝ち負け関係無く、各団体の目立った選手の動向を拾ってみようと思います。

令和の全日本キックボクシング協会最初のチャンピオンは瀬川琉(2024.9.6)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

中学の同級生・有田正博君のこと  鹿砦社代表 松岡利康

中学校の同級生、有田正博君が11月いっぱいで店を閉め引退するという地元紙・熊本日日新聞の記事を、同紙の元記者のH君が送ってくれた。実際には諸事情で延期、12月15日に閉店した。

店を閉めることは、今年初め同窓会で帰郷した際に本人から聞いていた。その時は10月いっぱいで、ということだった。前出熊本日日新聞で1カ月インタビュー記事を連載するなど地元熊本ではちょっとした有名人だ。

熊本日日新聞2024年11月20日

有田君とは、中学3年の時に転校してきて一緒だった。卒業してからずっと別の人生を送り音信が途絶えていたが、偶然に、こちらは高校の同級生で、ライフワークとして島唄野外ライブ「琉球の風」を始めた東濱弘憲君(故人)の追悼本『島唄よ、風になれ! ── 東濱弘憲と「琉球の風」』(鹿砦社刊)の校正の過程で「有田正博」という名が出て来てピンときて前出H君(当時熊本日日新聞記者)に調べてもらったところ中学の同級生の有田君その人だった。

有田君は一時東濱君のブティックで働いていて、これが閉店するや、その後独立し海外に行ったりしてファッションの勉強をして名を挙げた。一番有名なのは、まだ無名だったPaul Smith(ポール・スミス)と出会い、日本に持ってきたことだろう。Paul Smithは今や世界的ブランドとなった。

熊本日日新聞2016年6月8日

H君の取り計らいで、実に40数年ぶりに再会した。……

その後、有田君の店が私の一族の墓が近くに在るということもあり帰郷するごとに立ち寄って歓談したり食事と共にしてきた。

有田君(左)らと旧交をあたためる

それにしても、中学の同級生と高校の同級生との関係と私との関係など因縁を感じる。

Paul Smithさんは義理堅い男のようで、このライセンスを日本に上陸するや有田君に渡した。このライセンスもあり有田君は一時ビル3つ所有し釣り三昧の日々を送ったという。そんなこともあり妻子から三行半を突きつけられ離婚、ビル3つとPaul Smithのライセンスを潔く渡し、ゼロから出発したという。一時は東京の青山にも店を出したこともあった。

中学校の時にはそんな大それた男とは思わなかったが、引退かあ、本来なら私もその予定だったが、コロナのお蔭でもうひと踏ん張りしないといけなくなった。
時は過ぎ行く ── 人は老いていく。

閉店後電話した。「お疲れ様! よか人生だったね」と言い、「祝 人生勝利!」の文字の刻印を入れたクリスタル置き時計を贈った。

(松岡利康)