「10・8山﨑プロジェクト」

さて、上野千鶴子とはなにものだろうか。わたしは「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」と感じている。京都大学の大学院時代から上野先生は広告代理店のようなシンクタンクに一時かかわっていたと聞いている。そのあと平安女学院短期大学を皮切りに上野先生の教員時代が花開くのであるが、まだ彼女を上野先生と呼ぶにふさわしくない、京都大学の学部生時代に彼女が最初に付き合った男性は、のちに破防法の個人適用で逮捕されることになるある党派全学連委員長だった、との噂は知る人ぞ知る情報だ。「10・8山﨑プロジェクト」の発起人に名を連ねているのも、そんな関係があってのことだろう(彼女が付き合っていた相手が山﨑博昭さんという意味ではない)。

◆「土井たかこさんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」

 

『atプラス26』(2015年太田出版)

上野先生が京大に在籍したのは、1960年代後半から70年代中盤だ。70年安保の真っただ中で、彼女も学生運動の端くれにはいたのだろうが、その後上野先生の発信からは70年安保を体感したかおりは、まったくうかがえない。むしろわたしの知る限り、上野先生はある時はマルクスを利用しながらも、独自の世界を流転してこられた印象がある。

上野先生の名が世に知らしめられたのは、なんといっても「フェミニズム」の旗手としてだ。80年代立て続けに「フェミニズム」関連の書籍や論文を発表し、一躍時代の人となる。「フェミニズム」はそれ以前の「ウーマンリブ」運動を拡大し論理化する潮流が主流だったように感じる。この国の封建制を女性の立場から批判し、平等を訴える主張には原則的に正当性があるとわたしも感じた。だが、ある時期大学職員を対象とした研修会では講師が「女性差別をしたことのない男性などいない。女性が不快と感じればそれはすべて女性差別だ」などと、無茶な主張をする現象も招いた。

上野先生は、土井たか子が社会党の党首に就任したときコメントを求められ「土井さんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」旨の発言をしていた。男権主義の社会構造のなかで女性が当時最大野党の党首になっても、「たいした意味はない」と上野先生は言い放ったわけだ。そうかな?と当時のわたしは納得できなかった。土井たか子は男勝りの押しの強い性格のようだ。男に媚を売って党内で力をつけてきたとは考えにくい。政治家としての自力が彼女に党首の席をあたえたのではないだろうか。

 

『おひとりさまvs.ひとりの哲学』(2018年朝日新書)

◆「フェミニズム」から「おひとり様」へ

そう言い放つ上野先生ご自身が思い描く「あるべき女性像」がどのようなものなのか、は知らない(あまり興味がないので)。上野先生だって前述のように所属していた小さな大学が大学院を作ろうと必死になっている中、「権威の象徴」東京大学へ移籍するという経歴の持ち主だ。あの行為は男女を軸に判断されるべき問題ではないだろうが、常識的な感覚からは考えられない背信行為だと私は感じた。東大に移籍するならするで構わないけども、それならば「大学院設置準備委員会」のメンバーに就任すべきではなかったのではないか。あるいは「委員会」が始まってから東大移籍が決まったのであれば、即時そのことを「委員会」で報告すべきだったろう。

そういった意味で上野先生は、「わがまま」と言われても仕方ない側面を持つ方だと言えよう。「フェミニズム」で輝いていた上野先生は、ある時期を境に「当事者」という言葉をキーワードに使うようになる。講演などでもしきりに「当事者性」を語っていたけれども、これは「フェミニズム」ほどのインパクトを社会に与えはしなかった。

正確な時期は分からないが上野先生にはある時期まで同居男性がいた。その男性との同居が終わったからなのか、それとは無関係なのか、上野先生は「おひとり様」にキーワードを変える。これは結構受けた。特に高齢者の域に差し掛かっている上野先生が、自身の弱みを認めながら生活してゆくことを語る講演には、高齢者を中心に高い評価を受けていた。

◆「憲法9条改憲」を主張するSEALDsさえも支持する「使い分け」

 

『世代の痛み ― 団塊ジュニアから団塊への質問状』(2017年中公新書ラクレ)

さらに、安保法制で国会前が騒然とするとSEALDsの集会にも足を運び、何度もスピーチをしていた。けれども、学生がツイッターに書いた文章に「フェミニズム」の立場からコメントすると、総叩きにあうという痛い目にもあっている。SEALDsに幻想を抱き、集会に足を運ぶあたりで、上野先生が学生時代どの程度学生運動とかかわっていたかが推測できる。あんなちゃちな主張をする子供たちを持ち上げた学者たちは、わたしの目から見たら全員「インチキ」だ。よくぞ恥ずかしげもなく、あんな場所で発言できるものだなぁと呆れた。

SEALDsは安保法制に反対しながら「憲法9条改憲」を主張する、矛盾に満ちた思考停止学生の集まりだった。それに乗っかかった大人たちは、もっと「どうかしている」人たちと言わねばならないだろう。その中に上野先生の姿があっても、「ああ、またやってる」とわたしにはまったく不思議ではなかった。

こうやって見てくると、上野先生は時代に合わせて提供する課題(ターム)を巧みに使い分け、世渡り上手に人生を過ごしてきた人だということが言えるだろう。でも、上野先生ご活躍の陰で、泣かされてきた人(教員などではなく弱者)が居ることをわたしは知っている。2018年2月。いまはかつて自明であったことがそうではなくなり、「反権威」、「反権力」を指向していた人たちが、なんの説明や総括もなく逆の立場に転じる「裏切りの時代」であるように感じる。

「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」を体現する上野先生。学生指導には非常に熱心だったが、権威主義から抜けきれられない人なのだろう。(未完)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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