滋賀県で1984年に起きた日野町事件、あまり聞きなれなかったこの事件のことを聞いたのも亡くなられた桜井昌司さんからだった。「あれもひでえ事件だよな。証拠の写真がすり替えられてるんだからさ」。
この事件も「日本の冤罪」で取り上げた。伊賀興一弁護団長を取材すると、開口一番こう言われた。
「この事件はいつどこでどんな事件だったかという事件性の中身がいまだに明らかにされていません。これがこの事件の最大の特徴です」。
私は一瞬何のことか?と耳を疑いながら、限られた時間内で事件の全体を知ろうと、そのまま伊賀弁護士のお話を聞き続けた。殺害されたのは小さな酒店の女店主、犯人とされたのは店の常連客だった阪原弘さん。逮捕までの間、連日取り調べをうけた弘さんは、警察から戻ると、「入れ歯の金具が不具合を起こすほど殴られた」と家族に告げた。そんな暴行より我慢できなかったのは、もうすぐ嫁に行く娘の嫁ぎ先にいき「ガタガタにしてやる」と言われたことだった。それだけは避けたいと、「酒を飲む金欲しさ」に店主を殺害、遺体と金庫を別々の場所に捨てたと嘘の供述をさせられた。
じつは、その日、弘さんは知り合いの家で飲み、そのままそこで寝てしまっていた。そのアリバイを証明する知り合いも、警察に脅されたのか、一時期は「泊まってない」という様になった
一方、女店主はその日、店を閉めたあと知り合いと食事をしていた、銭湯で見たなどの証言もあった。店の奥で寝ていた家族も、何かゴタゴタガあったとは言っていなかった。女店主は、その日は普通に店を閉め、用事で出かけていたのだ。翌日は別の従業員が店をあけたようだ。店が開くのを外で待っていた客もいた。つまり鍵はかかっていたわけで、阪原弘さんの「自白」、「店の鍵を閉めなかった」は虚偽になる。そうか、これが冒頭、伊賀弁護士の話した言葉につながるんだ。この事件は阪原弘さんを犯人に仕立てたことで、どんな事件だったかが、42年経っても不明のままなのだ。

桜井昌司さんがいう「証拠の写真が入れ替わっている」について、伊賀弁護士にお聞きした箇所が以下の部分だ。
── 以下「日本の冤罪」より引用
一九八八年三月に行われた引き当て捜査で阪原さんは、警察車両を停めた道路から一〇分ほどの、草が生い茂り、倒木が横たわるような「道なき道」を、捜査官を従えて発見現場に到達したとされた。実況見分調書には、阪原さんが先頭に立ち、後ろに着いてくる警官らに進んで発見現場を案内したとする写真と写真の説明文で、一九枚の写真は「往路」「復路」の順番に添付されており、写真ごとに「(阪原さんが)ここでこう説明した」などの説明文がつけられていた
しかし弁護団が、これらの写真のネガの番号を調べたところ、順番が全く間違っていることが判明した。しかもネガには、発見現場に行く「往路」の写真はほとんどなく、金庫の発見現場である到達点から、警察車両に戻ってくる「復路」で撮った写真ばかりだった。そもそも阪原さんが犯人で現場を知っているならば、現場に向かう「往路」の写真だけ撮れば十分なのに、「何故往路の写真が撮られてないのか?」。弁護団に疑問が湧いてきた。さらに調べると、現場に行く際撮ったとされた写真の何枚かが、現場からの帰り道に撮られたものであることも判明した。本当ならば警察車両に向かって戻ってくるはずの「復路」の場所で、阪原さんが反対側を向かされ写真を撮られていた。捜査官が復路で撮った写真を往路の写真としてネガを入れ替えていたのだ。── 引用終わり
「これだけでももう再審開始だよ」と桜井さんは力強く言ってたのに。あれからだって相当な年月が過ぎている。桜井さんはこの嬉しい決定、そして再審無罪判決を聞くことはできない。どんだけ、時間が経っているんだ。それもこれも、検察が負けとわかっているのに、控訴、上告を続けるからだ。ただただメンツのために。どんだけつまらんメンツなんだ。絶対許せん。再審法は、検察の控訴、上告も禁止する「議連案」でやるしかないんだよ! ねえ、桜井さん。

◎本日2月28日(土)午前10時~大東市の野崎人権文化センターにて尾﨑美代子さん講師による人権講演会「冤罪はこうしてつくられる」開催されます。参加費無料
問い合わせは野村さん(090-2283-6932)まで。https://nozaki-jinbun.net/

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58
