2018年6月24日付け読売新聞

〈政府は、北朝鮮の非核化工程で人的な貢献をする方向で検討を始めた。複数の政府関係者が明らかにした。原子炉の廃炉に関わる民間の技術者や専門家らの派遣を想定している。東京電力福島第一原子力発電所の事故対応などで蓄積された知見を役立てたい考えだ。〉(2018年6月24日付け読売新聞

だそうだ。「制裁!」、「制裁!」ばかり叫んでいて、まさか本当に米朝首脳会談が行われるなどと、予想も予見も、さらに言えば独自ルートでの情報収集もできなかったのがこの島国の政府と、その外交能力である。トランプには電話で「拉致問題を話題にしてくれ」と頼み、何の証拠もないのに「拉致についての言及があった」と一人よがりしているのが、安倍晋三という男であり、その恥ずかしい姿を頂くのに痛痒を感じないのが、外務官僚の低能ぶりだ。

米国にとっては「どーでもいい」日本の拉致問題をたった40数分の会談の中でトランプと金正恩が議論した、などと信じている人はまずいまい。初対面の休戦国(米国と朝鮮はいまだに「戦争状態」であり「休戦」が続いているに過ぎない)首脳同士の会談で、他国の問題を議論する余地などあるはずがないだろう。

米朝首脳会談前に、この島国ではことさら「拉致問題」を新聞は大きく取り上げ、さらには「北朝鮮への制裁足並みに乱れはでないか?」と底意地が悪く、恥ずかしいほど的はずれで、短射程のコメントが飛び交った。それらをのうのうと口にした「識者」は今でも同様のだらしないコメントを垂れ流しているけれども、状況は世界屈指の外交音痴の安倍ですらが、冒頭紹介したように「朝鮮非核化に人的貢献を検討する」と発言せざるを得ないところまで来ているのだ。

6月21日朝日新聞は、
〈政府は、北朝鮮の弾道ミサイル発射を想定して今年度中に全国各地で予定していた住民避難訓練を中止する方針を固めた。米朝首脳会談が開かれるなど対話ムードが高まる中、北朝鮮によるミサイル発射の可能性は低いと判断した。21日、政府関係者が明らかにした。政府関係者によると、訓練を中止するのは宮城、栃木、新潟、富山、石川、奈良、徳島、香川、熊本の9県。総務省が近く通知を出し、正式に伝える方向だ。
 訓練は政府や自治体が主催し、ミサイル発射を全国瞬時警報システム(Jアラート)や防災行政無線で伝え、住民らが学校や公共施設に避難するもの。昨年3月以降、25都道県で計29回行い、12日の米朝首脳会談の直前にも群馬と福岡の各県で実施した。〉と報じた。(2018年6月21日付け朝日新聞

国民の危機意識を扇動し、「北朝鮮憎し」の世論を高め、軍事膨張の隠れ蓑に利用していた「まったく意味のない訓練」を中止すると発表した。この訓練のバカさ加減を証明するのには多言を要しない。例えば朝日新聞に掲載された下の写真だ。

東京都23区内の多くの小学校の防災(主として地震)訓練では、ヘルメットや防空頭巾が登場する。2011年3月11日、東日本大震災の日にも集団下校する小学生は、防空頭巾をかぶっていた。私は本物の防空頭巾を目にするのは初めてで、小学生の姿に驚いたが、地震後の集団下校にはふさわしい防御具だと言えるので、その準備の良さに感心した記憶がある。

 

2018年6月21日付け朝日新聞

それに対してこの写真である。こんな無意味な訓練をさせる行政や、何の問題も感じずに記事化する朝日新聞のトボけた感覚には、もうあらゆる論評をする気力も失せかける。それにしても仮に「ミサイル」が飛来したときに「倉庫の中で頭を守る」行為がなにを意味するか、誰か思案する人はいないのだろうか。

「ミサイル」は通常火薬や爆発物質(時には核爆弾)を搭載して攻撃に利用する。それに対して「倉庫の中で頭に手をのせたら」何らかの防御になると、考えている人がいるのであれば、私にその根拠を教えて頂きたい。メールアドレスは本文の下に明記してある。

ガラスの破片や屋根瓦の落下を頭部に受ければ、深刻は怪我が予想される。だから集団下校する小学生が、防空頭巾をかぶっていたのは理にかなった防御策だといえる。他方直撃を受ければ、建物そのものが破壊(消えてしまう)される「ミサイル」飛来に対して、この姿は何を意味するか。

そもそも朝鮮の危機を煽るだけでなく、「対話と圧力」と言っていたはずの姿勢が、一方的に「制裁!」、「制裁!」と狂信的にエスカレートし、「世界で一番悪い国」のように政府が国民を洗脳し、また外交政策上も各国にそのような方向を牽引する方向でのみにあくせくしていたから、緊張が高まったのではないのか。そして誰にでもわかるが、今回の米朝首脳会談実現に、日本政府は「まったく」寄与していない。むしろ婉曲な妨害を画策していたのではないと、思われるほど「意地悪」を貫徹していたし、今でもそうである。

まったくの「他力」で実現した結果としての緊張緩和によって、無意味な「訓練」が中止になったのは結構なことであるが、もうこの島国の国民は、こんなにも無意味で、害悪でしかない「国民総動員」を企図する訓練に参加することを、なんとも思わなくなっていることに薄気味悪さを感じる。

そして、冒頭の「朝鮮非核化への人的貢献」である。私は日本にその資格はないと考える。その理由は記事中にもある通り、「東京電力福島第一原子力発電所の事故対応などで蓄積された知見を役立てたい」が理由とされているからだ。

通常の原子炉の廃炉作業は多くの、原発保有国に経験がある。この国にもある。しかし「東京電力福島第一原子力発電所の事故対応などで蓄積された知見」とはなんだ。原子炉冷却のため、ひたすら水を入れ続け、汚染水が溜まり続けたら「希釈して海に流す」という。こんな知識を「知見」と呼べるか? 世界初の原子炉4機連続爆発を防げなかった国に、どうしてわざわざ核関連施設の解体作業を依頼する理由があるのだ?

最近の出来事を目にするたびに、「私の頭はずいぶん狂っている」ような気がする。でもひょっとしたら、私以上に政府や社会がとんでもないのかもしれないとも穿っている。どなたか教えて下さらないものであろうか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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