久しぶりの講演に会場は満員!
「共謀罪」が政治過程に上る中、
「名誉毀損」に名を借りた自らの逮捕・勾留事件の体験を話す!

松岡利康=鹿砦社代表

4月15日(土)夕刻、東京・水道橋の「たんぽぽ舎」が運営する会議室「スペースたんぽぽ」に多くの方々に集まっていただきました。久しぶりに私が12年近く前(2005年7月12日)の自らの逮捕・勾留事件について話す機会を与えていただいたからです。会場は、予想を越えて90名近くの方々で満員、熱気溢れる講座でした。菅直人元首相の講演以来の盛況だったとのこと、当初用意したレジメ・資料30セットでは足りずに、慌てて増刷りをしたほどでした。

この集まりは、たんぽぽ舎が3・11以来適宜継続的に行っている講座の一環で、実に今回が460回目だということです。今回は「浅野健一が選ぶ講師による『人権とメディア連続講座』」の第8回で、テーマは「表現の自由弾圧事件--懲罰としての逮捕、長期勾留」。私は「私が巻き込まれた、『名誉毀損』に名を借りた出版弾圧事件」について自らの体験と、逮捕以来12年近く思ってきたことを話させていただきました。

単なる地方小出版社の経営者にすぎない私の話になぜ多くの方々が関心を抱き参加されたかというと、「共謀罪」なる稀代の悪法が政治過程に上り国会審議が始まったからだと思われます。主催のたんぽぽ舎や浅野健一さんの狙いもここにあるのでしょうか。

つまり、私が逮捕・勾留された当時は、これに至るには刑事告訴→検察(あるいは警察)受理→捜査という一定のプロセスを経るわけで、それなりの日数もかかりますが、「共謀罪」が制定されれば、法的なお墨付きが出来るわけですから、そのプロセスは必要なく、すぐに逮捕することが可能になります。参加者が多かったのは、この危機感をみなさんが感じ取られていたからでしょうか。

◆「表現の自由」「言論・出版の自由」は〈生きた現実〉の中で語るべきだ

講座の内容は、追ってYou Tubeでも配信されるということですから、詳しく知りたい方はそれをご覧になっていただきたいと思いますが、私の話の概要は次の通りです。

一 事件の経緯、二 人権上問題となること、三「表現の自由」「言論・出版の自由」とは何か?、四「表現の自由」「言論・出版の自由」上の問題
ということでした。

私が最も言いたかったことは、憲法21条に高らかに謳われながらも形骸化、空洞化しつつある「表現の自由」「言論・出版の自由」──耳障りの良いこれらの言葉を机上でこねくりまわすのは簡単ですが、それではまさに〈死んだ教条〉になってしまいます。「共謀罪」や権力弾圧がリアルに〈生きた現実〉として迫っているのですから、私たちも〈生きた現実〉として語らなければならないということです。

事件の経緯を振り返れば、事件の一因となった書籍を刊行したのが2002年4月、それから出版差止仮処分、刑事告訴、逮捕→勾留、有罪判決(懲役1年2カ月、執行猶予4年)と民事訴訟での高額賠償金(600万円+利息)、控訴審、上告審を経て確定、執行猶予を不服とする再告訴、これが不起訴となる2011年6月まで9年間の月日が掛かり苦しめられました。本当にきつかった。これは体験した者でないとわかりません。

この間に、私が経営する出版社「鹿砦社」は壊滅的打撃を蒙り、いちどは地獄に堕ちました。正直「もうあかん」と思いましたし、弁護士もそう思ったとのことでした。しかしながら多くの方々のご支援により運良く再起できました。私も「このままでは終われない」と死に物狂いで働き運良く再起できましたが、普通は死に物狂いにもがいて地獄に堕ちたままでしょう。

「こいつはイジメたらんといかん」と警察・検察・権力に目をつけられたら、それは凄まじいものです。当時「ペンのテロリスト」を自称し、「巨悪に立ち向かう」と豪語、これが当時警察キャリアを社長に据えていた警察癒着企業や警察・検察を刺激し、警察のメンツにかけて本気にさせてしまったようです。

今でも「われわれにタブーはない!」をモットーとする私たちの出版活動に対しては批判も少なからずありますが、私たちを批判する人たちの多くは、自らは〈安全地帯〉にいてのものです。果たしてどれだけ体を張った言論を行っているのか!? 私は半年余り(192日間)ですが、1カ月でも2カ月でも拘置所に幽閉されたらキツいぞっ!

◆心ある方々のご支援で奇跡的再起を果たした私たちは〝支援する側〟に回ります

私、および私の出版社「鹿砦社」は、奇跡的ともいえる再起を果たすことができました。私も死に物狂いに働きましたが、保釈後挨拶に出向き塩でも撒かれ追い返されるかと思いきや高級すし屋に招いてくれ、「人生にはいろんなことがあります。私は支援しますので頑張ってください」と激励し仕事を受けてくださった印刷所の社長(当時)はじめライター、デザイナーさんら多くの方々のご支援の賜物と言わざるをえません。私の能力など、出版業界では並で、大したことはありませんから。本当に有り難い話で、事件から12年近く経ち、あらためて感謝する次第です。

私たちは今、再建なった中で、3・11以降、たんぽぽ舎はじめ幾つかの脱原発の運動グループを継続して些少ながら支援しています。いちどは壊滅的打撃を蒙りながら地獄から這い上がってこれたことへの〝恩返し〟です。かつて支援された側が、今度は支援する側に回ります。もう支援される側には戻りたくありません。

また、私たち鹿砦社は脱原発を今後の出版方針の一つとして定め、たんぽぽ舎のお力を借りて脱原発情報マガジン『NO NUKES voice』を創刊し、すでに11号を数えました。脱原発の老舗市民グループ・たんぽぽ舎はもう30年近くになるということですが、脱原発をライフワークとされる柳田・鈴木両共同代表はじめスタッフの方々のピュアな想いにも励まされ、齢65になった私の今後の方針も見えてきました。鹿砦社東京編集室の〝隣組〟ということもありますが、今後共、最大限共同歩調を取っていきたいと思います。

最後になりましたが、今回の講座で東京で久しぶりに、くだんの「名誉毀損」逮捕事件について話す機会を与えてくださったたんぽぽ舎のみなさん、及び逮捕直後から支援され今回も自身の連続講座の一つに組み入れてくださった浅野健一さんに感謝いたします。 

(鹿砦社代表・松岡利康)

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!

『NO NUKES voice』11号

自民党憲法改正草案表紙

この世の中は誰が支配しているのだろう。神か、国際金融か、各国においてはその政府か。地域社会においては何の肩書も持たないけれども、世襲的に力を持つ地域ボスであろうか。市長や村長、地方行政か、それとも……。

◆自民党「改憲草案」前文に表れたこの島国の支配者

自民党の改憲草案の前文をご覧になったことがあるだろうか。この中には自民党の望む国家像が描かれている。支配権力を縛るはずの憲法の前文の書き出しが「日本国は」で始まるなど、現行憲法の精神とは全く異なるトーンは明確だが、この極め付きの悪文の中には、誰がこの島国を支配しているか、支配したいのかを知るのヒントがある。

【自民党憲法改正草案前文】http://constitution.jimin.jp/draft/

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

自民党憲法改正草案(上段が改正草案、下段が現行憲法)

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

◆国民の権利や幸福より「経済成長」を重視する自民党「改憲草案」前文の意味

将来到達しようとする国家像がいかに貧弱で、おそまつな発想にとどまっているかは現行憲法の前文と比較すれば明らかである。それはともかく、ここでは、「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」に注目をする。

この期に及んで「経済活動を通じて国を成長させる」という文言は、その到達目標の低さや、即物性剥き出しの格調の低さもさることながら、現体制、自民党の本音を語っているといえよう。つまり国民の権利や幸福よりも「経済成長」を憲法前文で謳うほどに重視しているということである。

自民党憲法改正草案(上段が改正草案、下段が現行憲法)

国の形や到達目標を掲げる憲法前文で、一内閣の施政方針演説ではあるまいに「経済成長」など、文言にしても、まったく格調の低い言葉が用いられているが、これが現在の支配実態を示すものであり、さらなる「経済による国民支配」を目指していること示していると理解できる。

◆歴代経団連会長の思想と行動

そこで、いまこの島国の経済に強い力を持っているのはどのような勢力か、人物かを点検してみようという動機が湧く。全国的には経団連や日経連といった企業の集まりが政府に対して相当強い発言力を有していることは、周知の事実だ。歴代経団連の会長の顔ぶれを振り返ってみよう。

初 代  石川一郎(日産化学工業社長)
2代目  石坂泰三(東京芝浦電気社長)
3代目  植村甲午郎(経団連事務局)
4代目  土光敏夫(東京芝浦電気会長)
5代目  稲山嘉寛(新日本製鐵会長)
6代目  斎藤英四朗(新日本製鐵会長)
7代目  平岩外四(東京電力会長)
8代目  豊田章一郎(トヨタ自動車会長)
9代目  今井敬(新日本製鐵社長)
10代目  奥田碩(トヨタ自動車会長)
11代目  御手洗冨士夫(キャノン会長)
12代目  米倉弘昌(住友化学会長)
13代目  榊原定征(東レ会長)

ざっと見渡すと重厚長大産業からの会長輩出が多いことに気が付くが、東京芝浦電気=東芝関連の石坂と土光が会長の座にあったのは、東芝破たんを目の前にした現在からは隔世の感がある。経団連には会長に次ぐ評議員会議長、審議員会議長のポストがあり、そこへ名を連ねているのも重工業関連者中心であるが、東京電力関係者の名前も散見される。平岩は第7代会長(1990年12月21日~1994年5月27日)の座におり、菅礼之助、那須翔の二人も幹部の中に見つけることができる。平岩は2002年の原発トラブル隠し事件に関与した人物で、菅礼之助は鉱山畑を歩んできた人間、那須翔は平岩同様2002年の原発トラブル隠し事件に関与し、東電会長を辞任した人物だ。

◆地方経済界の電力会社ヘゲモニー

経団連の会長はその人物の個性にもよるが、常に政権に対して財界からの要求を突き付ける役割は発足以来一貫している。時に政権に取り入り(土光が臨調に重用されたように)、時には大企業の利益確保のために政権に圧力をかける。御手洗や米倉の業つくぶりはまだ読者の印象にも残っているかも知れないが、経団連は常に政権に対する最大ともいえる圧力団体として君臨し続けている。

しかし、「さすがに3・11後の経済団体の重要な役職に電気事業者が名を連ねることは難しくなった」とスラスラ筆を進めることができるのが当たり前なのだけれども、実は地方においては、電力会社の地域経済界支配は、まったく揺らいではいない。2011年3月11日時点で、全国の経済連合会の会長は全員が電力会社の社長もしくは会長だった。現在はどうだろう。本年3月末時点で以下の通りだ。

北海道経済連合会 会長=髙橋賢友(北電興業取締役会長) 
  ※筆者注:北電興行は北海道電力の関連会社

東北経済連合会 会長=海輪誠(東北電力会長)

中部経済連合会 会長=豊田鐵郎(豊田自動織機会長)
  副会長=水野明久(中部電力会長)

北陸経済連合会 会長=久和進(北陸電力会長)

関西経済連合会 会長=森詳介(関西電力相談役)

四国経済連合会 会長=千葉昭(四国電力会長)

九州経済連合会 会長=麻生泰(麻生セメント会長)  
  副会長=貫正義(九州電力会長) 石嶺伝一郎(沖縄電力会長)

中部と九州を除いて、相変わらず電力会社の人間が会長の座にある。中部と九州にしても副会長には、しっかりと中部電力と九州電力の会長が居座る。各地方の「電力会社の経済界支配」はまったくといってよいほど変化していない実態が明らかだ。

これでは、「新電力会社」が参入しようにも、有形無形で既存勢力からの牽制や、新たなハードルが待ち受けることは想像に難くない。新電力に原発事故の処理代金を電気代に上乗せして、電気料金の高止まりを強いているのもこのような勢力図の影響が波及していると容易に想像できる。

「経済に理性を求めること自体が愚かである」とある著名な経済学者から聞かされたことがある。こうした顔ぶれを見るにつけ、「人間に理性を求めること自体が愚かである」と言い換えなければならいのか、とすら感じさせられる。私の知る少なくない数の理性のある方々はどうお感じになるであろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

山口組が分裂した2015年8月以降、「任侠」という言葉は暴排の彼方に消えかかっているが、ヤクザ映画の古典を見ると、なるほどヤクザがメンツのために殺しをいとわない生き物だというのがよくわかってくる。

ヤクザ映画の大部分は、組織を逸脱せざるを得ない存在がアウトローとしてどのように現実に立ち向かうか、ということが描写の課題となっている。アウトローとして生きることを志向し続けていくのであれば、組織とのつながりが感じられる。しかし暴力を行使すれば組織という概念が吹き飛んで、残るのは「暴力を行使した一個人」だけとなる。最終的に組織から離れてしまう主人公の姿が描かれるのが『博奕打ち 総長賭博』(1968年東映 山下耕作監督)である。鶴田浩二を主演に据えた『博奕打ち』シリーズの第四作。作家・三島由紀夫も絶賛したという作品だ。

昭和の初めの東京が舞台で、有力ヤクザの一つである天竜一家の総長・荒川が倒れ、後継の総長を決める必要が生じた。主人公・中井信次郎(鶴田浩二)は総長の跡目に推されるも元々は外様という立場ゆえ辞退、兄弟分で服役中の松田鉄男(若山富三郎)を総長に推薦する。しかし荒川の兄弟分である仙波多三郎(金子信雄)は天竜一家に跡目争いを起こして混乱させ組を乗っ取ってしまおうと画策していたので、松田が総長となることを承知せずに、中井や松田より格下の石戸幸平(名和宏)を推挙し総長とした。

松田は、石戸が正式に新総長と決まった後に出所した。松田は自分より格下の石戸が総長となることに不満を爆発させ、松田と石戸には険悪な空気が漂う。中井は、仙波が天竜一家で跡目争いが起きるように仕掛けている張本人であることを察知していたので、争いをやめるよう松田を説得したが、松田は石戸と対立してしまう。対立抗争に巻き込まれて中井の妻・つや子(桜町弘子)は死ぬ。

一方仙波は跡目争いが進行していくのを見てほくそ笑んでいた。仙波は石戸の新総長襲名披露の日、刺客を石戸に放ち暗殺する。次いで中井に「石戸を暗殺したのは松田だから始末しろ」と命じる。中井は兄弟分である松田をかばい切れず殺害した後、一連の事件の黒幕である仙波を斬る。

中井には天竜一家の構成員それぞれの思惑で板挟みにならざるを得ない辛さ、兄弟分である松田を斬らなければならない悲哀、仙波を除こうという確固たる意志、が感じられる。冷静な中井に対して松田は激情家で、格下にも関わらず総長の跡目を継いだ石戸を斬りに行こうとする程である。キャラクターの違う二人に加えて、命を狙われても新総長として現実に立ち向かおうとする石戸、どこまでもあざとい仙波、という四人が描き出す人間模様が物語の核となっている。

ヤクザ映画では「組織」と「暴力」が重要なキーワードとして提示されている。組織の中にいるヤクザが境遇について葛藤し、最後には暴力で敵を倒していくところが観客の胸を打っていた。しかし本作は違う。本作での組織は「天竜一家」であるが、中井が松田や仙波を殺害する背景に天竜一家の影響は見られない。中井個人の勝手な振舞いによって松田や仙波が消されていくのだ。中井自身が組織の一員だから、松田や仙波を殺したのではなく、あくまで中井個人の始末のつけ方として描かれるのである。

もっとも、はじめから中井は自分の意志によって動いているわけではない。跡目が石戸だと知って激高する松田をなだめ、仙波が組を乗っ取る算段を立てていると知っても事を荒立てないよう行動する。組織のためであり組織の一員である自覚が中井にあるからこその行動である。実際に中井は序盤で以下のように言っている。

「一家として決まったことをのむのが渡世人の仁義だ。白いもんでも黒いと言わなくちゃあならねぇ」

これは中井に天竜一家のヤクザとして組織を背景に生きているという自負がある段階での台詞だ。

中井は仙波を殺害するラストシーンで非常に印象深いセリフを吐く。叔父貴分にあたる仙波に「俺を殺すのか、お前の任侠道はそんなものなのか」と毒づかれたとき、「任侠道、そんなもんは俺にはねぇ。俺はただの人殺しだ」と言うのだ。過去に組織を慮って行動していた人間とは思えぬ発言である。中井から組織の影響が見られなくなった転換点は仙波から松田殺しを命じられた時だろう。中井は松田と仙波を殺害することのみ考え始め、組織の中で生きていくという志向は失われてしまっている。任侠道が見えなくなり、中井に残ったのは人殺しというアイデンティティだけである。終幕で中井に見ることができるのは本人の意志で暴力を行使し、組織と完全に解離してしまった一人の男であるということだ。

そして、本作には「切なさ」という要素も絡んでくる。中井は組織の為に奔走した。暴れ馬のような松田と跡目を継いだ石戸をなんとかなだめようとする。松田と石戸への説得はうまくいかず、つや子は総長の跡目争いに巻き込まれて死に、石戸は暗殺される。結果として中井は松田を殺さなくてはならなくなる。最終的に中井が黒幕の仙波を殺すことで溜飲が下がるかといえば全くそんなことは無い。本作の登場人物全員に救いが無い点はなんとも悲劇的である。組織と暴力に翻弄されるヤクザの姿を描いた作品は数多いが、登場人物の心の揺れを描き出したものは少ない。

主人公・中井信次郎の組織から離れていってしまう際の心の揺れ動きは、抑圧された境遇に泣く現代人にも理解できる点があり、1968年の公開から半世紀近くが過ぎた今日でも、共感を得られる作品となっている。

かくして、この時代からヤクザは本質は変わっていない。今年もまた、小さな利権を求めて日本のどこかで音が鳴る(発砲される)のだろう。

(伊東北斗)


◎[参考動画]博奕打ち 総長賭博(予告編)1968年東映 山下耕作監督 笠原和夫脚本 鶴田浩二主演

 

大高宏雄『復刻新版 仁義なき映画列伝』

社会人になり、編集プロダクションに入ったときの最初の先輩が、のちにミステリー作家になる北森鴻氏だった。1991年3月に入社して数日後、「呑みに行こう」と連れて行ってもらった先は、なんと路上の屋台だった。

「好きなもの、食っていいぞ」という北森先輩はその夜はとても饒舌で、「俺はいつか作家になる。おまえが先に売れれば俺はだいぶ楽になるなあ」と酔いがまわり、いくぶん上機嫌でいくつかのミステリー小説のプロットを語ってくれた(もちろんのちに作品になるものがたくさんあった)。

雑誌やスポーツ新聞や受験雑誌にスポーツや芸能、受験情報やイベント情報などの記事を書き散らしている編集プロダクションにあって、北森氏の才能は群を抜いていた。

北森氏は原稿を当時、シャープペンで書いていたが、400字10枚を20分足らずで書き上げる速さ。僕はひそかに「ジェットの執筆」と呼んで尊敬していた。だがお互いの信頼関係は少しずつヒビが入り始める。

なぜかといえば、「作家になる」と宣言していた北森先生は編集者としてもライターとしても恐ろしいほど才能がありながらも、編プロでの仕事を少しずつ減らしつつあり、嘱託のような生活をし始めた。会社も「作家になりたいのだ」と主張する北森氏に配慮して、仕事量を調節していた。

いっぽうで僕は編集プロダクションで手前みそだが、のしあがりつつあり、中心的存在へと確実にステップアップしていった。この編プロは編集と執筆が同時に求められるタイプの会社で、読者がおもに小学生や中学生の雑誌だったから、とにかく「わかりやすく書く」ことが求められていた。北森氏ものちに「編プロ時代のライター修行が作家になってから役にたった」となにかで書いていた。今、小説の文体を読み返していて、僕もそう思う。

「会社からフェイドアウトしていくのに、北森氏は優遇されすぎている」と感じた僕は、ことあるごとに北森氏とぶつかり合い、ある日を境にそれきり北森氏の飲み会にはまったく誘われなくなった。

心が狭い僕は、会社が行う北森氏の送別会にわざと長時間の取材を入れて、 これみよがしに送別会に欠席した。今から思えば、やっていることはまるでガキで、これから何年も出席しておけばよかったと悔いることになる。それが95年のことだ。
このとき、明らかに僕は北森氏が「狂乱廿四孝」で第6回鮎川哲也賞を受賞した現実に打ちのめされていた。

北森氏は、それまでつちかった取材でのデータエッセンスを執筆につぎこんで、何度読み返してもおもしろい話を書き上げていた。仕事は受賞して2年ほどがスケジュールが埋まり、明らかに僕より何十歩も先をいっていた。

「朝型」で朝7時ごろ出社して夕方5時には帰るという生活をしていた北森氏は、「夜型」の僕とはよく仕事がゆきちがい、何度も北森氏の自宅に電話して取材をどう進めるかという指示をあおいだ。その電話番号を、僕はいまだに忘れることができない。

これは今年になってはじめて知ることになるのだが、北森氏は、僕が要領が悪くて、なかなか仕事ができない時代に、よく僕のことをかばってくれたそうだ。そうした状況を無頓着ながら知らず、何度もできが悪い原稿でよく北森氏に罵倒されていたものだから、とっくに嫌われていると思っていた。

北森氏とつぎに話したのは、だいぶ間があいて、2005年。その編プロが20周年のパーティを開いたときだ。

相変わらず饒舌に過去のライター時代の話をおもしろおかしく周囲にしている北森氏に挨拶しつつ、当時、編集者として竹書房という会社に流れ着いた僕は、過去のことを一切忘れて挨拶するや否や反射的に「うちにも書いてください」と言ってしまった。

北森氏はビールをつぐ手を震わせていた。うまくつげなくてジョッキから泡がこぼれ出てきた。ビール瓶をテーブルに置くと北森氏は口を開いた。
「お前とはまだ早いだろう」
それが上下関係にあったとはいえ、過去に同じ会社でしのぎを削った元編集者兼ライターだからしばらく「編集者ー作家」という関係になるのは時間をおこう、という意味だったのか、それとも「時間がたったからもう少しお互いを理解してからにしょう。だいぶ間があいたことだし」という意味で言っていたのかは今となってはわからない。
北森氏は2010年1月25日、山口市内の病院であまりにも唐突に亡くなってしまったからだ。享年48歳。

北森氏が言ったことで忘れられない言葉がある。

「ばれなければ何やってもいい。ただし、ばれたときの責任はお前がぜんぶとれ」と。仕事上のアドバイスだ。北森氏は、会社をやめ際に僕がかけた言葉をきちんと覚えていた。

「おまえ『食えなくなったら出版社に営業して、仕事をとってあげる』って俺に言ってくれたよな」

北森氏は、僕のこの何気ない一言に、最後まで感謝していたそうだ。もちろん、北森氏が食えないとなれば、さんざんぱら出版社を秘書的にまわって営業する覚悟が僕にはあった。だが、悲しいかな、もう伝えることはできない。

作家・北森鴻氏が学生時代にアルバイトしていた居酒屋「味とめ」

北森氏が急に旅立たれてから、もう7年がすぎようとしている。

僕らがいた編プロは「中二時代」「中一時代」「中学三年生」という旺文社の雑誌を作っていた。そこのモデルだった女性がプロゴルファーになったときに、「もと雑誌モデルだった美人ゴルファー」として写真を週刊誌にもちこんだことがある。もちろん、本人に了承を得て、だ。

このとき「昔お世話になったモデルの過去の写真を週刊誌に売るのはどうか」とスタッフの中でただひとり反対したのが北森氏だ。

北森氏はよく「僕らは情報の被害者だ。僕らは情報の〝加害者〟にならないといけない。発信する側になって、その場所に居続けないとならないんだ」と強く言ってた。今僕は「記者」という立場でさまざまな取材をしているが、北森氏に見せても恥ずかしくない原稿を書きたいと思う。

そして今、北森氏に原稿のアドバイスをもらっていた僕は「僥倖」としかいえない時代をすごしていたのだとせつに思う。

北森氏にこう謝罪したい。

「嫉妬からあなたと距離をとってしまい、すみませんでした」と。

そして僕は、北森氏が学生時代からバイトしていたおいしい三軒茶屋の名店「味とめ」にこれからも何度も行き、北森氏の「生き証人」である女将さんから何度も彼の話を聞いて、うまい酒を呑むだろう。

それが僕にできる贖罪ですよ、北森先輩。先輩、またどこかで会いましょう。

生まれかわって、また仕事で組むことがあったら、今度は必ず「送別会」に出ますから(笑)。あのときの心が矮小だった僕を許してくださいね。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン!

苦戦したものの喜入衆がパンチで仕留めて平野将志は立てず

平野将志vs喜入衆。右ストレートをヒットさせた喜入衆(右)

ムエタイオープン・ウェルター級タイトルマッチは喜入衆が3度目の防衛。前半は平野のパンチの距離に苦戦しヒジで切られる劣勢も、4ラウンドに右ストレートパンチで逆転に導くダウン奪って、ラストラウンドに打ち合いに誘って右ストレートパンチで倒す劇的KOでした。

貴センチャイジムは十代の注目株選手に苦戦する試合が多いところ、ムエタイ技術での攻防はベテランの渋さが目立つも、大田拓真に瞬間勝負の右ストレートで倒されてしまいました。

太田拓真(右)の蹴りもしなやかに貴センチャイを攻め、技の切り替えが速かった

太田拓真17歳の勝利

ムエタイランカー馬木愛里(左)がアローンを圧倒

藤原あらしは左ミドルキックで一発KO、戦略を練ってのボディー狙いは見事でした。

◎MuayThaiOpen.38 / 4月2日(日)新宿フェイス16:30~20:05
主催:センチャイジム / 認定:ルンピニージャパン(LBSJ)

◆MuayThaiOpenウエルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.喜入衆(フォルティス渋谷/神奈川県出身37歳/66.5kg)
vs
1位.平野将志(インスパイヤードM/神奈川県出身32歳/66.45kg)
勝者:喜入衆 / TKO 5R 1:00 / カウント中のレフェリーストップ
主審:北尻俊介

◆52.6kg契約 5回戦(ルンピニージャパンランキング査定戦)  

LBSJスーパーフライ級チャンピオン.貴センチャイジム(32歳/52.55kg)
vs
大田拓真(新興ムエタイ/17歳/52.6kg)
勝者:大田拓真 / TKO 4R 0:58 / カウント中のレフェリーストップ
主審:河原聡一

◆52.5kg契約3回戦(ルンピニージャパンランキング査定戦)

藤原あらし(バンゲリングベイS/38歳/52.3kg)
vs
ラーチャシー・ノーナクシン(タイ/24歳/52.15kg)
勝者:藤原あらし / TKO 3R 1:04 / カウント中のレフェリーストップ
主審:蔵満誠

◆女子51.0kg契約3回戦(2分制)

小林愛三(NEXTLEVEL渋谷/21歳/50.7kg)
vs
加藤みどり(エイワスポーツ/32歳/50.55kg)
勝者:小林愛三 / 3-0
主審:リカ・トーンクライセーン
副審:北尻30-27. 河原30-27. 蔵満30-27 

◆スーパーライト級超3回戦(計量時68.0kg契約に変更)

アローン・エスジム(タイ/68.0kg)
vs
タイ・ルンピニー系スーパーライト級7位.馬木愛里(岡山・闘我塾/16歳/68.0kg)
勝者:馬木愛里 / TKO 2R終了 / アローンの負傷による棄権
主審:桜井一秀 

年の差12歳、13戦の実方拓海(左)が60戦の中尾満に勝利

◆64.0kg契約3回戦

実方拓海(TSK・Japan/21歳/63.9kg)
vs
中尾満(エイワスポーツ/33歳/63.7kg)
勝者:実方拓海 / 3-0
主審:北尻俊介
副審:リカ30-29. 桜井30-28. 蔵満30-28

◆スーパーバンタム級3回戦
  
丸吉伴幸(クラミツ/23歳/55.2kg)
vs
木村昂(米子/33歳/55.0kg)
勝者:丸吉伴幸 / TKO 1R 1:47
ヒジ打ちによるカットでドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審:河原聡一 

◆バンタム級3回戦 

44・ユウ・リバイバル(リバイバル/17歳/53.3kg)
vs
渡邊亮(武風庵/29歳/52.95kg)
勝者:44・ユウ・リバイバル / TKO 1R 1:54
ヒジ打ちによるカットでドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審:桜井一秀

◆50kg以下級3回戦           

新井皓太(キックボクシング&フィットネスOZ/16歳/49.45kg)
vs
平松侑(岡山・水島/14歳/49.65kg)
勝者:平松侑 / 0-3
主審:蔵満誠
副審:桜井28-30. 北尻28-30. 河原28-30 

◆ルンピニージャパンU-15. ペーパー級(-40kg)3回戦(2分制)

三谷魁(HIDE/14歳/37.5kg)vs 平松弥(岡山・水島/12歳/38.0kg)
勝者:平松弥 / 0-3
主審:リカ・トーンクライセーン
副審:桜井29-30. 蔵満28-30. 河原29-30

藤原あらしvsラーチャシー。狙った左ミドルキックがボディをえぐって倒した藤原あらし(左)

加藤みどりvs小林愛三。最終的には左ハイキックだったが、多彩に使った小林愛三(右)

4人の子供をリングに上げた藤原あらし

◆取材戦記

4人の子をリングに上げた藤原あらし、昨年7月、ルンピニージャパン・バンタム級王座奪取したリング上で「もうすぐ4人目が産まれます」と語った言葉が思い出された4人目を抱いた姿、頑張る父親の姿を現役中に、成長した子供に見せる機会も増えたものです。

藤原あらしは昨年12月に佐々木雄汰(尚武会/16歳)に同王座を僅差で奪われたばかりながら、モチベーションが全く落ちない元気の源は4人の子供たちかもしれません。「あと20年やります」と言った王座奪取の日から見ても、38歳になってもまだまだ引退は見えない勢いでした。

アローン・エスジムと対戦した馬木愛里は前日までの点滴を打つほどの体調不良でウェイトは落とせず計量は68.75kg。対戦相手だったコンゲンチャイが63.75kg。常識的には試合中止にすべきところ、元々の出場予定が怪我で欠場だったアローンがやっぱり出場というややこしい展開があったようです。こんなところが私的団体の都合のいい興行です。しかし不調箇所が悪化したか、アローンが2ラウンド終了時のインターバルで棄権を申し出て終了。

ベテランの中尾満は元・日本ライト級暫定チャンピオン。エイワスポーツジムに移籍後は数々の興行に出場しています。パンチ打たれても蹴り返す中尾の踏ん張り、敗れても“キックボクサー”らしさがあった試合でした。

敗れた中尾満と女子で勝った小林愛三は、5月10日の渋谷TSUTAYAO-EASTに於いて行なわれる「ROAD TO KNOCK OUT.1」に出場が決まっています。

幾つかある国内タイトルの中、国名、地域名を含まず、キャッチフレーズ的独自のタイトルが7つほどあります。

MuayThaiOpenは 2007年頃から自主興行を定期的に主催も、2014年7月に母体であったニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)を脱退、独自の興行を続け、反対意見もある中、MuayThaiOpenをタイトル化しました。その後、2015年8月にはルンピニー・ボクシング・スタジアム・ジャパン(LBSJ)設立を発表。本場ルンピニースタジアムの公認の下で作られた日本タイトル化ですが、この王座を奪取すれば本場ルンピニースタジアムランキングに反映されるという画期的ながら、増え過ぎと先行きが不透明な国内王座に懸念がありました。

一年掛かりの昨年7月17日に3階級の王座決定戦を実施も、独自興行でしかやらないルンピニージャパンの王座戦、1年以内にどれだけ活動できるかと先を見据えても、各団体等が独自のタイトルを持っている為、他団体やフリージムがここだけを目指してくることは考え難く、こういうことも想定出来たはずの2年前の始動です。

今回の興行の裏側で「徐々に活動を増やしていきます」と語ってくれたセンチャイ氏。荒波の中、ルンピニージャパンタイトルの活動が増えていくか、また新たなイベントを展開していくか、過去には2011年に有明コロシアムで「タイファイト・エクストリーム」を開催、昨年はディファ有明で「TOYOTA CUP」を開催するなどタイ側プロモーターとの連携も可能なセンチャイ氏の技量で「KNOCK OUT」を越えるビッグイベントを期待したいところです。

喜入衆、3度目の防衛。ラウンドガールとセンチャイ会長と勝利の撮影に収まる

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』タブーなし!の愚直なスキャンダルマガジン

当欄で昨年12月28日と今年2月17日に紹介した「知られざる冤罪」米子ラブホテル支配人殺害事件の控訴審で被告人の石田美実さん(59)に対する判決公判が先月27日に広島高裁松江支部であり、栂村明剛(つがむら・あきよし)裁判長は懲役18年の一審・鳥取地裁判決を破棄し、石田さんに無罪判決を宣告した。

3月10日に最高裁で逆転無罪判決を受けた広島の元アナウンサー・煙石博さん(70)に続き、これまで当欄で伝えてきた冤罪事件で月に2度も逆転無罪判決が出たわけだ。有罪率99.9%の日本の刑事裁判において、極めて珍しい幸福の連鎖と言えるが、この2つの冤罪事件には「知られざる共通点」がある。

石田さんに逆転無罪が宣告された広島高裁松江支部

◆妥当な無罪判決

「原判決のうち、有罪部分を破棄する。被告人は無罪」

改修工事が終わったばかりで、まだ建物が真新しい広島高裁松江支部の第200号法廷。午後1時30分から始まった判決公判で、栂村裁判長がそう宣告すると、傍聴席の記者たちが一斉に席を立ち、法廷の外に駆け出した。「逆転無罪判決」が出たことを速報するためである。

事件の内容については、すでに当欄では詳述したので、ここでは省略する(そこから知りたい人は後掲の関連記事を読んで欲しい)。判決内容についても、まだ判決文を入手できていないので、細かい論評は控えたい。ただ、栂村裁判長の判決朗読を聴いていた限りでは、無罪推定の原則に従った妥当な判決だと思えた。「~の可能性もある」「~とは断定できない」などという言い方で、一審判決の有罪認定をことごとく否定していたからだ。

日本の刑事裁判では、無罪推定の原則はお題目と化しており、否認事件の判決では、「~の可能性もある」「~とは断定できない」などという曖昧な言い方で、被告人に不利な事実認定がなされて有罪と結論されることが非常に多いのが現実だ。栂村裁判長がこれまでにどのような裁判をしてきたかを私は知らないが、普段からこういう判決を出してきたのなら、かなり良い裁判官と言える。

被告人席で判決の朗読を聴いていた石田さんは無表情で、手放しで喜んでいるような様子ではなかった。「自分は元々無実なのだから、無罪判決が出て当たり前」という思いなのではないかと想像させられた。一方、捜査段階から弁護人を務めてきた2人の担当弁護士は、弁護人席でたまにうなずいたり、目のあたりを手で押さえたりしており、胸に熱いものがこみ上げているのではないかと思われた。

いずれにしても、無実の人に無罪判決が宣告されるのは喜ばしいことである。


◎[参考動画]元従業員に逆転無罪判決 米子のホテル支配人死亡で(ミドpomピカット2017年3月27日公開)

◆月に2度も冤罪を暴かれた裁判長と検察官

では、この事件と3月10日に最高裁で逆転無罪判決が出た煙石博さんの事件の「知られざる共通点」とは何か。

それは第1に、裁判官である。というのも、石田さんに対し、一審の裁判員裁判で懲役18年の冤罪判決を宣告した鳥取地裁の辛島明裁判長は、広島高裁であった煙石博さんの控訴審で右陪席の裁判官だった。広島高裁から鳥取地裁に異動し、今度は裁判長として再び無実の人を冤罪に貶めたわけである。

「知られざる共通点」の2点目は、検察官である。というのも、石田氏の控訴審判決公判に立ち会った2人の検事のうち、中澤康夫検事は、広島高裁であった煙石さんの控訴審でも公判を担当していた。その頃からずっと広島高検にいたのかと思いきや、調べたところ、煙石さんの控訴審が終わった後、高松高検に異動になっており、今年1月に広島高検に戻ってきて、石田さんの控訴審の公判を担当したらしい。

この中澤検事は煙石さんの控訴審では、控訴棄却の判決を受けた煙石さんが怒りの声をあげているのをニヤニヤしながら見つめていたのをはじめ、公判中に不遜で、いやみったらしい態度が目についた。そんな検事がひと月に2度も担当した事件で逆転無罪判決を受けたことには、正直、胸がすく思いだった。

冤罪問題に関心のある人には、この機会にぜひ、辛島明裁判長と中澤康夫検事の名前を覚えておいてもらいたい。そして、この2人が他でも何か重大な冤罪事件に関与しているようであれば、ぜひ情報提供をお願いしたい。


◎[参考動画]元アナウンサーに逆転無罪 最高裁「重大な事実誤認」(共同通信社2017年03月10日公開)

〈追記〉
なお、私はこの事件について、6月8日発売の冤罪専門誌「冤罪File」でもより詳細にレポートする予定なので、関心のある方はぜひご覧頂きたい。

【関連記事】
◎2016年の冤罪判決──再審無罪も出た一方で裁判員裁判で新たに2件の冤罪判決(2016年12月28日)

◎鳥取の「知られざる冤罪」──米子ラブホテル支配人殺害事件、控訴審も結審(2016年2月17日)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン

「ふるさと納税」制度がスタートしてから9年弱。2017年2月24日に開かれた記者会見で、菅義偉官房長官は「ふるさと納税で多くの地域が活性化した」と述べ、また「2016年度のふるさと納税の寄付額が前年度の2倍になる」との見通しを明らかにした。2015年度の寄付総額は約1653億円であるから、今年度の寄付総額は3000億円を超えるだろうということだ。

2008年4月30日に交付された「地方税法等の一部を改正する法律」により、個人住民税の制度の一つとして同年5月よりスタートした「ふるさと納税」。制度が始まった2008年度の寄付総額は約81億円だったが、各自治体が高級肉や家電などの返礼品を用意したことが話題になり、利用が拡大。2014年度は約389億円。2015年度はその約4倍と寄付額は急増していた。

2016年度上半期の町別寄付額ランキングで1位になった佐賀県上峰町。人気の的となっている「佐賀牛」を中心に、野菜や果物といった自慢の農産物を多くの人に知ってもらおうというイベントが品川の「QUEEN’S ISETAN」にて催されていたので立ち寄ってみた。

しっかりとデザインされたチラシとイベント用に用意したと思われるポップやユニフォーム。会場内に5箇所あるコーナーで試食をすると、チラシにシールを貼ってくれる。シールを3枚集めれば抽選会に参加でき、特産品の「天衝米」などが当たる。こんなスタンプラリーも行われていた。

都道府県別寄付額第1位である北海道をはじめ、多くの自治体でその制度が評価されている「ふるさと納税」だが、自治体間の競争が過熱し、返礼品にかかる費用の負担が重くなるなどの弊害も出ている。自治体の税収に関わることなのだから、こういった議論は絶えないだろう。絶やす必要もない。しかし、寄付額ランキングで上位であることを看板に掲げて「QUEEN’S ISETAN」などというプチブルスーパーマケットでキャンペーンを展開できるのだから、税制としては異例にポップである。その点を僕は面白いと思うし、法や制度というものが極めて身近なものだということを知るきっかけとしても有効なのでは、なんてことも考えてしまう。

余談だが、帰宅して佐賀県上峰町の寄付額を調べてみると2016年度上半期の市町村別ランキングでは7位となっている。あら、と思ったが、よく見ると上峰町が1位と謳っているのは“市町村”別ではなく“町”別ランキングなのであった。市や村は除き、日本の町の中で1番です、と言っているのだ。なるほど、“過去最高”や“歴代新記録”が量産されるように、1位を獲得する方法も様々である。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
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『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン!

脱原発は多数派だ!『NO NUKES voice』11号


◎[参考動画]映画『遺言 原発さえなければ』 2017年劇場用予告編(映画『遺言』プロジェクト)

東日本大震災が起こった2011年3月12日から福島第一原発の事故に際して取材に駆けつけたフォトジャーナリスト二人が、3年にわたり記録し続けてきた250時間の映像をまとめたドキュメンタリー映画『遺言 原発さえなければ』(監督/豊田直巳、野田雅也)。総時間225分に渡り、全5章。「第一章 汚染 取り残された住民たち」「第二章 決断 酪農家人生の崩壊」「第三章 避難 ご先祖さまを残して」「第四章 故郷 つなぐ想い」「第五章 遺言 原発さえなければ」だ。

 

『遺言 原発さえなければ』

それぞれの章を紹介しよう。第一章では、原発から約30キロ離れた飯舘村が、京都大学の今中哲二助教が強い放射能に汚染されていることを村に報告する。何も知らされていなかった村民だったが、徐々に村全体が汚染されていることを知り……。
第二章は酪農家たちのドキュメンタリーだ。飯舘村計画的避難区域に指定され、酪農家たちも避難を余儀なくされる。だが酪農家にとって避難は牛を捨てての廃業を意味する。苦悩にさいなまれる酪農家たちだったが、人の命には変えられないと悩んだ末に決断を下す……。

第三章は飯舘村から避難する住民に焦点を当てている。福島市内から山形、横浜まで避難する人もいる。原発によって家族がバラバラになってゆく姿をみて、原発事故が奪っていったものを知っていく……。

第四章は、お盆に合わせて飯館村に帰郷してきた各地に避難している村民たちの記録だ。バラバラになってしまった村民たちだが、久しぶりに会ったことからか皆の顔に笑顔が浮かんでいる。バーベキューをしながら近況報告をする人たちの中には涙を浮かべる人たちもいて……。

そしてラストの第五章だ。この映画のタイトルにも関連する言葉「原発さえなければ」がテーマになっている。この言葉は酪農家が自ら命を絶った際に、堆肥小屋の壁にチョークで書き残したもの。「残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」という遺言を守るために酪農家たちは新しい生活を続けるが、故郷の汚染は続いていて……。

グリーンイメージ国際環境映画祭大賞、江古田映画祭グランプリ受賞。現在第二弾を6年経った飯舘村で撮影している。バラバラになった村民たちのかねてから懸念されていた帰村は始まるのだろうか。

現在日本の脱原発運動は危機にあるといってもいい。一部の人たちは精力的に活動しているものの、かつてのような国民運動的な勢いが原発運動にはなくなってきてしまっている。それは忘れやすい、水に流すという文化がある日本人ならではないのだろうか。イタリアにおける原発再開の中止、ウェスチングハウスの倒産、アメリカも原発から撤退傾向にあるなど一部の国を除いて世界は脱原発に流れつつある。

事故当時の思いを忘れないためにも、この映画を見て、原発事故直後の飯舘村で暮らす人々に思いを馳せてもらいたいものだ。

◎『遺言 原発さえなければ』HP http://yuigon-fukushima.com/
◎『遺言 原発さえなければ』facebook https://www.facebook.com/yuigon.fukushima

(渋谷三七十)

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』11号

辺野古キャンプシュワブ

沖縄に向けられる視線から、基地問題を除外することは難しい。2020年には海兵隊の主力をグアムに移す、とするロードマップはまだ破棄されたわけではないのだから、基地の縮小・撤去は当然にしても、新たな基地建設はロードマップに矛盾するし、何よりも「もう基地は要らない」と何度も選挙で示された沖縄の民意と相いれない。知事選などの選挙はともかく、小選挙区制が導入された国政選挙の選挙区で野党が議席を得るのは容易ではないがここ数回の国政選挙、沖縄では比例での復活当選はあっても、自民党は選挙区では1議席も獲得できていない。

◆「基地は要らない」が沖縄の民意

繰り返すまでもなく、沖縄の民意は「基地は要らない」である。しかし現実はなかなか動かない。政府は選挙結果など横目に見ることすらせず、ひたすら米国の意向を「忖度」し、時に米国が基地を引き上げようと持ち掛けたら「とどまってくれ」と懇願したことさえあるほどに、「自主的な従属」姿勢に拘泥している。第二次対戦で「鬼畜米英」と罵(ののしり)、「1億玉砕」とまで狂気に満ちて敵に回した米国に、どうしてここまでへつらえるようになるのであろうか。誠に主体性なき、不思議な心象をこの国の政府や多数の国民は有していると言わざるを得ない。

辺野古キャンプシュワブゲート前

◆ゲート前に座り込む人たち──お握りを勧める行為に「優しさ」以外のどのような感情があるのか?

しかし、そんな観念論はともかく、沖縄の基地建設現場には現実がある。工事が再開された辺野古キャンプシュワブゲート前には基地建設に反対する人々が毎日集い、工事車両の基地への資材搬入に座り込みで抵抗したり、海上ではカヌーやカヤックで工事に対する抗議が連日行われている。3月14日現地を訪れた際には抗議の座り込みが983日に達していた。ゲート前にはテントが張られ、読書する人や歓談する人の姿が見られたが、いざ工事車両接近となれば、皆がゲート前に座り込む。

3月14日現地を訪れた際には抗議の座り込みが983日に達していた

米国人の若者(学生)と思われる集団がキャンプシュワブゲート入口近くにやって来た

海兵隊員たち

われわれが現地を訪れたのは昼過ぎで、座り込みをしている方々も昼食を採っている時間だった。「お握りありますよ、食べますか」と勧めていただいたが、直前に昼食は済ませていたのでご厚意は辞退した。

右翼たちはこのような「助け合い」行為の上げ足を取り、現地では「日当をもらった人間が妨害をしている」などと吹聴するが、実態はこのような「助け合い」が行われているのであり、なんら批判されるような行為ではない。初対面の人間にも空腹を心配してお握りを勧める行為に「優しさ」以外のどのような感情があるだろうか。

◆迷彩服を着た屈強な海兵隊員たち

しばらくゲート周辺を観察していると。米国人の若者(学生)と思われる集団がキャンプシュワブゲート入口近くにやって来た。彼らは米国流の「平和学習」をしに来たのだろうか。残念ながら話を聞くチャンスがなかったが不思議な光景であった。

さらに立ち並ぶゲート向かいのテントを取材していると私にぶつかりそうになりながら、一人の海兵隊員が重たい荷物を背負い駆け抜けていった。おそらく訓練であろうが、自動小銃こそ持たないものの、迷彩服を着た屈強な兵士にぶつかられそうになるだけで、ひやっとする。

少し間をおいて今度は2人の兵士が息をあげながら近づいていた。テントの中にいた人たちからは「なんでこんなところでこれ見よがしに訓練をするんだ!」、「帰れ!」の声が飛ぶ。この「訓練」は取りようによっては米軍によるある種の「挑発行為」とも感じられる。基地建設反対行動をしている人がいる場所を、わざわざ選んで兵士を走り抜かせる必要があるのか。基地内には膨大な敷地があるのだ。なぜ彼らはテント前を走り抜けねばならないのか。

なぜ彼らはテント前を走り抜けねばならないのか

◆沖縄平和運動センター事務局長の大城悟さんに聞く

沖縄平和運動センター事務局長の大城悟さん

沖縄平和運動センター事務局長で山城博治さん逮捕後に、現場での指揮を執る一人大城悟さんに伺った。

―― 新たな埋め立てを政府は、県への認可をせずに強行しようとしています。
大城 もうね。三権分立とか法治国家とか無茶苦茶ですね。
―― まだあの地域の漁業権は放棄されていませんね。
大城 そうです。もう法律や裁判所を信じる気持ちが無くなってきています。先の最高判断もそうですが、やりたい放題ですね。山城さんの逮捕勾留もそうです。私たちはここで頑張ります。

 

◆沖縄の日常の一断面

ゲート前を去って、数キロ離れた公道の脇に米軍車両が2両駐車されているのが目についた。辺野古の建設現場から遠くないので何らかの監視をしているのだろうか。せっかくだから兵士に話を聞こうと近づいた。

椅子に座って黙っている兵士に、「ここでの任務はなんですか」と聞くと視線だけをこちらに向け、口は開かない。

「ここは日本の敷地なので条約や法律には詳しくないが、あなたたちが物騒な格好で、こうやって監視のようなことをしているのが不思議なのだが」と聞くと、もう1両止められていた車両の中の兵士が無線連絡を取り始めた。

頬を緑色に塗っている白人兵士にも尋ねた。「ここでに任務は何ですか」、すると車両から出てきたほかの兵士が「うるさい!立ち去れ」という。相手は兵隊なので、恐怖心もありそれ以上の質問は諦めた。こんな光景も沖縄の日常の一断面なのだろう。

 

(鹿砦社沖縄取材班)

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン!

在庫僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

在庫僅少『ヘイトと暴力の連鎖 反原連-SEALDs-しばき隊-カウンター』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

新小学1年生とおぼしき子供たちが真新しいランドセルを背負って登下校する姿を見かけ、微笑ましい思いにさせられる今日この頃。そんな「はじまりの季節」に私は、ある痛ましい事件を思い出す。2015年に世を騒がせた愛媛県八幡浜市の乳児5死体遺棄事件だ。犯人の女はすでに懲役7年の判決が確定して服役しているが、あまり報道されなかった裁判では、思った以上にむごたらしい事件の内実が明らかになっていた――。

◆いつのまにか終結していた裁判

「臨月のように大きかったお腹がへこんだのに、子供の姿が見えないんです」

事件は近隣住民のそんな通報から発覚したという。2015年7月、愛媛県警は八幡浜市の無職、W(当時34、女性)を死体遺棄容疑で逮捕した。Wが実父や弟、中学生の息子と一緒に暮らす家の物置などから赤ちゃん5人の死体が見つかり、Wは相次いで子供を産み、殺害した疑いがあるとされた。

事件は注目を集め、「実父との近親相姦で出来た子供を殺していたのではないか」などの憶測が飛び交った。だがその後、松山地裁であったWの裁判員裁判はあまり報道されなかった。2016年1月、懲役7年の判決が出て、Wの裁判は終結していたのだが、そのことを知っている人はマレだろう。

新聞報道によると、赤ちゃん5人の死体が見つかりながら、Wが起訴されたのは1人の女児に対する殺人罪だけで、他の4人に対する殺人罪は嫌疑不十分で不起訴になったという。それ自体が不可解だが、そもそも赤ちゃんたちの父親は誰だったのか。私は取材を進め、裁判員裁判の判決を入手したが、それを読み、思わずため息をついてしまった。

Wが逮捕された当初、メディアは事件を一斉に報道したが、続報はあまりなかった

◆次々に妊娠していた本当の理由

〈被告人(筆者注・Wのこと)は、平成18年(2006年)頃に元夫と離婚し、父、弟及び長男と同居するようになったが、家計を支えるため、短時間で日払いの高収入が得られ、苦手な人付き合いも少ない仕事として風俗店で勤務するようになり、平成20年頃風俗店での収入が減少すると、出会い系サイトを利用しての売春もするようになった。被告人は、より高い料金を得られることなどから避妊せずに売春したことで同年頃妊娠し、一旦中絶の予約もしたが、代金が高いため手術を受けることなく早産し、その後も避妊せずに売春したことで妊娠出産してはその死体を自宅物置きに置くことを何度か繰り返しながらも、避妊せずに売春を続けていた〉(Wに対する判決より)

つまり、Wは家計を支えるために否認せずに売春を重ね、妊娠を繰り返していたのだが、驚くのは「ピルで避妊する」という発想すらなかったことである。私はWに対し、生命の尊さをわかっているのか否かということ以前に、知的能力に相当な問題があったのではないかと思わざるを得なかった。

唯一立件された2015年7月に女児を殺害した件については、Wは自宅の風呂場でこの女児を出産し、すぐに口と鼻を手でふさいで窒息死させたという。判決はこの事件について、こう批判している。

〈家族や行政機関への相談の道もありながら何ら相談することなくむしろ拒絶し、結局本件に至ったのであるから、その意思決定は厳しく非難されるのが当然である〉(同前)

この批判はもっともだが、Wがなぜ、家族にすら相談しなかったのかも不思議だ。Wは40代前半で社会復帰することになるが、出所後は真っ当に働き、真っ当に生きていけるのか、他人事ながら心配だ。

Wの子供として生まれ、生きることを許されなかった乳児たちは順調に成長していれば、今ごろはランドセルを背負って、小学校に通い、楽しい学校生活を送っていたかもしれない。取り返しのつかない罪を犯したWには、せめてきちんと社会復帰して欲しい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン

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