「パレスチナ国家承認」の真実

広岡裕児(紙の爆弾2025年11月号掲載)

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◆「二国共存」とは何か

漆黒の闇にそびえたつエッフェル塔に、平和の鳩を真ん中にパレスチナとイスラエルの国旗が映し出された。ニューヨークの国連本部でのマクロン大統領のパレスチナ承認演説へのパリ市のエールだ。もっとも、イダルゴ市長が土壇場になってマクロンがビビらないように釘を刺したともいえる。

この9月21・22日、新たに、フランス・英国・ポルトガル・アンドラ・オーストラリア・ベルギー・カナダ・ルクセンブルグ・マルタ・サンマリノがパレスチナ国家を承認した。日本は、承認を見送った。

岩屋毅外相は9月19日の記者会見で、日本が「二国家解決」を一貫して支持するとの姿勢を改めて強調した。そのうえで、今はそのタイミングではない、と判断したのだという。

1988年11月15日、パレスチナ独立宣言が亡命先のアルジェで出されたが、そこには「この決議こそが、依然としてパレスチナのアラブ人民の主権と国家独立の権利を保証する国際的な正当性の条件を提供している」と記されている。「この決議」とは、1947年11月29日に国連総会で採択された、英国の委任統治領だったパレスチナを分割しユダヤ人国家とアラブ人国家をつくるという決議181号(Ⅱ)である。

承認されたパレスチナは、一部でプロパガンダされているような、イスラエルをこの世から抹消しようとするものではない。二国共存である。

ユダヤ人にとってイスラエルの地はユダヤ民族の揺籃の地である。だが、そこには、昔から別の人たちが生活していた。ユダヤ人がそこに戻るということは、彼らを追い出すということだった。そこで、イスラエルが建国されると何度も戦争が起きた。そして40年、おそらく世代交代もあるだろう、ついに、追放されたパレスチナ人は故郷の半分以上を諦めることに同意した。

一方、イスラエルも独立の時からこの決議181号(Ⅱ)によって建国が可能になったことを認めていた。1948年には、パレスチナ難民の帰還や補償について定めた決議194号(Ⅲ)が出されたが、イスラエルは国連に加盟する際、この両方を実行すると約束している。ところが、これを守らず、これ以降に出された国連決議もことごとく無視した。戦争に勝ったという事実だけをもって本来パレスチナ国家となるべき地域を占拠した。

しかし、パレスチナ人の二国共存受諾に引き続いて、イスラエルでも二国共存を認める勢力が政権をとった。アメリカも後押しした。こうして1993年にオスロ合意が成立したのである。

ところが、この動きはイスラエルの内部から崩壊し、パレスチナ国家を認めない連中が政権を牛耳るようになった。パレスチナ国家となるべき地域に植民が続き、パレスチナ人の反抗を理由に自治政府の長も軟禁された。そして、いつのまにか国連決議によってイスラエルは建国されたのではなく、近隣アラブ諸国との苦しい独立戦争によって建国されたのだというストーリーに替わっていった。現在では、イスラエルはパレスチナのテロの犠牲者で、ガザの連中はその代償を払っているにすぎないという言論がまかり通っている。

パレスチナ人の間でも、外部の支援もあって、イスラエル国家を認めない勢力が台頭した。それがハマスである。現在のイスラエル・ハマス戦争はともに、両国の二国間共存を認めない勢力同士の争いである。

国際社会は、パレスチナを承認して二国の並立を事実とすることでこの勢力に対抗するのである。パレスチナ国家承認は、強烈なハマス攻撃でもある。

9月19日の会見で、岩屋外相は「国際社会が直面しているパレスチナの情勢は、『二国家解決』の前提を崩しかねないものになっております」という。だからこそ、今なのである。

◆フランスが動いた意図

パレスチナ自治政府は、発言もできる国際連合総会オブザーバーの資格を持っている。だが、アメリカ政府は、マフムード・アッバス大統領らの総会出席を阻止するために、ビザを発給しなかった。ルビオ国務長官は、和平努力を妨害し、「仮定上のパレスチナ国家の一方的な承認」を求めていると非難して正当化した。嘘だ。今回パレスチナ承認に踏み切った国々はイスラエルも承認している。この承認によって「二国間解決」しかないと内外に示したのである。

岩屋外相は「イスラエルが『二国家解決』実現への道を閉ざすさらなる行動をとる場合には、我が国として、新たな対応をとることになります」ともいう。

9月11日、ネタニヤフ首相は、ヨルダン川西岸地区の大規模入植地建設計画E1の調印式で、「我々は約束を守る。パレスチナ国家は存在せず、この地は我々のものとなる」と演説した。スモトリッチ財務兼国防省付大臣は「パレスチナ国家は、スローガンではなく行動によって消滅させられつつあるのだ」と述べた(ル・パリジャン9月11日付)。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/n5f1ebe9f2ee2

「万博成功」のはずが離党ドミノ 維新「副首都構想」の目的 

吉富有治(紙の爆弾2025年11月号掲載)

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◆万博成功アピールの裏

激動が続く2025年。昨年10月に石破茂政権が誕生してわずか1年の間に、自民党は衆院選と参院選で大敗。その責任をとる形で石破首相は退陣に追い込まれた。もっとも、首相に辞任を迫ったのは旧安倍派の裏金議員たちだ。石破政権で冷や飯を食わされた政治家たちが、自分たちの利権を取り戻そうと“石破おろし”に躍起となったのは間違いない。この原稿を書いている時点で新首相の顔は不明だが、誰になっても日本はしばらく、混沌とした政治状況は続くだろう。

私が住む大阪もまた、激動と混乱の年だった。4月には「2025大阪・関西万博」が開催され、10月13日に閉幕した。

大阪は万博で悲喜こもごもの年だった。万博効果で大阪がお祭りムードに酔っている印象を受けるかもしれないが、それは一面的な見方にすぎない。すべての大阪人が両手を挙げて万博を賛美しているわけではない。白けた目で眺めている人も少なくなかった。

人々の間でも万博が話題になることはあまり多くない。はしゃいでいるのは吉村洋文大阪府知事と大阪維新の政治家、そしてマスコミくらいではなかったか。これまで私が会った人の中で、「万博、行った?」「あのパビリオン、良かったね」と熱く語る人は不思議とお目にかかったことがない。逆に「つまらなかった」「二度と行かない」と文句を言う人は何人かいた。

ちなみに、私は取材を兼ねて万博へは2度行った。ただ、1970年の「大阪万博」を知っている私にすれば、まるで物足りない。まず、入場には予約が必要で、これがあまりにも雑なシステムだった。前回の万博では、米国館が「月の石」や「アポロ宇宙船」を展示し、ソ連館では「ソユーズ宇宙船」を来場者に見せて国力を誇示した。民間パビリオンでも、当時は珍しかった大型コンピューターや、また携帯電話の元祖となる無線式の電話を展示し、見る者が度肝を抜かれた。だが、今回の万博では各国のパビリオンにしても映像が主体の展示ばかりで、驚嘆するものは少ない。小国が集まるパビリオンなどは、地方の物産展かと目を疑うような内容ばかりだった。1970年の万博以降、私は国内で開かれる国際博や国内博を数多く取材してきたが、今回ほどショボいと落胆したものはなかった。

開幕前から疑問視されていた収支はどうか。目標とする入場者数に達したとして、万博協会は一応「大成功」をアピールするだろう。チケット販売も採算ラインをクリアしたようで、なんとか運営費は黒字になりそうである。だが、パビリオンの建設工事に参加した下請け業者に工事代金が支払われていないなど、裏に回れば胡散臭い話ばかりが聞こえてくる。代金の踏み倒し問題を含めて、閉幕後に、これまでのツケが回ってきそうだ。

まず交通。万博会場で2030年代に開業予定の統合型リゾート(カジノ・IR)までは、莫大な予算を投資した地下鉄は空気を運ぶことになりそうである。万博のシンボルである全長20キロの「大屋根リング」については、その一部分を大阪市が「市営公園」として整備することが、9月16日に関係者の検討会で正式決定された。だが、大阪市が管理するなら新たな税負担を強いられる。これでは市民の反発を受けるだろう。万博後に残るものは「レガシー」ではなく、虚しさと税負担の二重苦だと予想している。

◆維新を襲う自業自得の離党ドミノ

その万博を推進した大阪維新も新勢力の参政党にお株を奪われて、これまでの勢いは見られない。昨年の衆院選で、小選挙区で当選したのは大阪・京都・広島・福岡の西日本だけで、東京をはじめとする東日本は全滅という有り様だ。7月の参院選にしても、選挙区の当選者は大阪(定数4で2議席)と京都の3人だけ。全国政党を掲げても、実態は大阪のローカル政党のままである。

維新から抜け出す議員も後を絶たない。大半は地方議員だが、維新の地元である大阪市議会でも今年に入って3人が離れ、それぞれが1人会派として活動を続けている。各市議が離党した理由は不明だが、聞くところでは維新に愛想が尽きたか、嫌気が差したのは間違いなさそうだ。この離党ドミノは、おそらく今後も続くだろう。
同じ離党でもインパクトがあったのは、日本維新の守島正衆院議員(大阪2区)だ。守島氏は9月8日、党本部にほかの2人と離党届を提出した。離党の理由について本人は、「結党当初の理念との乖離が大きくなった。今の国会議員団に同調できない」と話しているという。やや漠然とした言い方だが、維新の国会議員団は与党病や大臣病を患っていると言いたいのだろう。

守島氏は2011年4月の統一地方選挙で大阪市議に初当選した、いわゆる「橋下チルドレン」の1期生である。同期に吉村知事らがおり、大阪都構想の制度設計を担うなど、維新内部でも若手のホープと見られていた。国政に転身してからは日本維新の執行部で活動し、それだけに同氏の離党は党内外に大きな波紋を広げた。守島氏に対して吉村代表は「彼らしくない」と首を傾げ、党に残るよう説得した。それでも本人の意思は変わらないと見たのか、その後は「離党ではなく議員辞職が筋」と強硬な態度に出て、9月17日付で除名処分を下した。

守島氏が離党した理由については様々な憶測が飛び交っている。彼は、ときどき突拍子もないことをやらかして周囲を慌てさせるとの噂があって、そのキャラクターが原因だという意見もあるが、たぶん違う。原因は、連立与党に加わりたい維新議員と、それに反対する議員との確執である。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/ne13b2005e92f

公取委、「押し紙」の謎、1999年「新聞特殊指定」改定をめぐる交渉記録の存在を認める

黒薮哲哉

公正取引委員会は、1999年の新聞特殊指定の改定をめぐって、公正取引協議会(日本新聞協会の新聞販売担当部門)との間で行った新聞特殊指定(「押し紙」や新聞拡販に関する法律)に関する交渉記録が、多数存在することを認めた。

既報したように筆者は、1999年の新聞特殊指定の改定に関する交渉記録の全部を開示することを求めて、情報公開請求を行った。ところが公正取引委員会が公開したのは、1998年10年3月 3日付け「新聞業の景品規制の見直しについて」と、それに付随した「(新聞協作成記録用メモ)」の1件だった。

※だたし、開示された文書の大半は黒塗りになっていた。

そこで筆者は、公正取引委員会に対して異議を申し立てた。公正取引員会と新聞公正取引協議会が交渉を行った日付けを具体的に明記して、全部を公表するように求めたのである。具体的な日付けは、次の通りである。

1998年:10月8日、12月1日

1999年:2月9日、3月5日、3月18日、4月21日、4月28日、5月12日、5月13日、5月17日、5月27日、8月9日

なぜ、これらの日付けを特定できたかと言えば、新聞公正取引協議会の事務局が置かれている日本新聞協会の雑誌『新聞経営』に、交渉の経緯が記録されているからだ。当時、交渉のリーダーを務めていた読売新聞の滝鼻太郎氏らが、この件に関して記事を投稿している。

筆者からの異議申し立てを受けて、公正取引委員会は、9月22日付けの文書、「行政文書開示決定通知書(公取取第60号)に対する異議申立てについて」で、情報を開示を検討する旨を通知してきた。

なぜ、最初から全文書の開示に応じなかったのかについては、次のように説明している。

(わたしが情報公開請求の際に提出した)開示請求書には「……公取委と新聞公正取引協議会の間で……」と記載されており、「日本新聞協会」との文言はありませんでした。

新聞公正取引協議会と日本新聞協会は別の組織であるから、「公取委と新聞公正取引協議会の間で」行われた話し合いは、限定的であるというのだ。たしかに厳密な法律的観点からいえばその通りだが、新聞公正取引協議会と日本新聞協会は、一体化しているというのが、通念となっているのだから、最初に筆者が情報公開請求を行った段階で、補正することはできたはずだ。公正取引委員会からの回答は、次の通りである。

◎公正取引委員会からの回答
https://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2025/09/250926a.pdf

今後、筆者は1999年の新聞特殊指定における「押し紙」関連の全文書を開示させるための諸手続きに入る。

【参考記事】読売の滝鼻広報部長からの抗議文に対する反論、真村訴訟の福岡高裁判決が「押し紙」を認定したと判例解釈した理由
 

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年9月26日)掲載の同名記事
を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

NKB爆発シリーズvol.5は期待の勇志がメインイベンター!

堀田春樹

勇志はムエタイの壁を破れずも成長見せた攻防の技。
どん冷え貴哉が挑戦権獲得。チャンピオンのカズ・ジャンジラと真摯に対峙。
小磯哲史が52歳でTKO勝利。大月慎也を圧倒。

◎爆発シリーズvol.5 / 10月18日(土)後楽園ホール17:15~20:50
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

戦績はプログラムを参照し、この日の結果を加えています(オート以外)。

◆第12試合 58.0kg契約3回戦

NKBフェザー級チャンピオン.勇志(テツ/2000.4.28大阪府出身/ 57.9kg)
16戦11勝(5KO)3敗2分
        VS
オート・ノーナクシン(元・ラジャダムナン系バンタム級5位/2001.3.28タイ国出身/ 57.85kg)
100戦70勝25敗5分(推定)
勝者:オート・ノーナクシン / 判定0-2
主審:前田仁
副審:高谷30-30. 鈴木29-30. 笹谷27-30

メインイベンター勇志は去年12月、NKBフェザー級王座決定戦で、鎌田政興(ケーアクティブ)に判定勝利し王座獲得。オート・ノーナクシンは右ミドルキック、右ストレートが得意で日本トップクラスの選手と多く対戦しており、勇志にとってはなかなかの強敵となった。

初回、ミドルキック中心の蹴りの攻防は、勇志が強く蹴ると、オートが上回るスピードとしなやかさで圧力掛けて来た。互角の蹴り合いと言いたいところだが、ややオートの返しが優る攻防となった。

蹴りで対抗した勇志。ムエタイの壁は厚かったか

第2ラウンドもより攻防が激しくなり、勇志が左ストレート打っても躱したオートがヒザ蹴りに出てニュートラルコーナーに追い詰めると勇志がバランス崩してしゃがみ込み、ノックダウンかと思われたがスリップ扱いで救われた。勇志は左ハイキック出してもブロック。全く怯まず直ぐ蹴り返す落ち着きのオート。勇志は強く蹴り返す勢いでは意地を見せて攻めて出た。

スリーパーホールドから後頭部へのヒジ打ちは反則。流れの中の一瞬のシーン

第3ラウンドはその勢いでややオートを下がらせたが、主導権奪うに至らない展開の勇志だった。見方によって失点無しの引分けからオートのフルマークとなる大差まで、差が開く判定となった。勇志は悔しい判定負け。

オートが判定勝利。勇志は悔しい結果の瞬間

勇志は喋りたくないであろう言葉を振り絞って出してくれた声は、「オートは強かった。負けは負けです。また頑張ります。」とだけ応えた。

テツジム大阪の一生(=イッセイ)会長は「ジャッジ一人はフルマークだったから納得いかないですね!」と不満な言葉。

広報担当している木村充利氏は、「勇志はパンチで行くのかなと思っていたら、蹴りで対抗したのでオートの術中に嵌ったのかなと。でも惜しかったですね。勇志も強い蹴り出していたし良い試合でした。ジャッジはオートの蹴りのインパクトが印象に残ったんでしょうね」という回答をされました。

◆第11試合 NKBウェルター級次期挑戦者決定戦3回戦

NKBウェルター級3位.どん冷え貴哉(TOKYO KICK WORKS/1988.10.15滋賀県出/ 66.4kg)
50戦27勝(6KO)21敗2分
        VS
NKBウェルター級5位.健吾(BIG MOOSE/1993.10.10千葉県出身/ 66.15kg)
8戦5勝(1KO)2敗1分
勝者:どん冷え貴哉 / 判定3-0
主審:笹谷淳
副審:高谷30-29. 鈴木30-29. 前田30-29

来年2月21日での、チャンピオンCAZ JANJIRA(Team JANJIRA)への挑戦権を懸けた、どん冷え貴哉vs健吾戦。

パンチと蹴りの様子見からすぐ組み合う展開へ移り、ヒザ蹴りの互角の攻防が続く。第3ラウンドにどん冷え貴哉がヒジ打ちで健吾の右眉尻をカットし、リズム掴んだ貴哉が首相撲で攻勢を維持。時間の無い中、健吾もパンチで倒しに掛かる猛攻を見せるが、冷静に躱し切った貴哉が判定勝利した。

どん冷え貴哉の蹴りと健吾のバックハンドブローが交錯。健吾の流血が円を描く

試合後、リングに現れたチャンピオンのカズ・ジャンジラが「来年4月に引退します。」と宣言し、どん冷え貴哉に対し、「今回勝てないともうリベンジ出来ないですよ!」と促した。

どん冷え貴哉は、「カズさんとは3回目の試合で、しかもタイトルマッチという最高の舞台となりました。前回は今年の2月に僕が喧嘩売っといて負けたんですけど、また精一杯頑張ってカズ選手の目の前まで辿り着きました。今度は絶対勝つんで有終の美は飾らせないと思ってます。」と宣言した。

カズ・ジャンジラと対峙して健闘を誓い合う。有終の美を飾らせない。いや飾る!

◆第10試合 59.0kg契約3回戦

NKBフェザー級3位.矢吹翔太(team BRAVE FIST/1986.8.2沖縄県出身/ 58.5kg)
18戦11勝4敗3分
        VS
NKBフェザー級5位.半澤信也(Team arco iris/1981.4.28長野県出身/ 59.0kg)
35戦11勝(4KO)19敗5分
勝者:矢吹翔太 / 負傷判定3-0 / テクニカルデジションタイム 第3ラウンド 58秒
主審:鈴木義和
副審:前田30-28. 関30-29. 笹谷30-29

39歳と44歳の戦い。矢吹翔太がローキックから首相撲。離れても矢吹が先手打って蹴りからパンチ、そして首相撲に掴まえる。

第2ラウンド以降も首相撲に繋がる展開が続き、第3ラウンドに矢吹のパンチヒットでフラ付いた半澤信也を追って倒しに掛かったところで偶然のバッティングが起こった。負傷したのは矢吹の方。左瞼がパックリと割れ、ドクター勧告で試合はストップ。攻めて出たところでのアクシデントで負傷判定となって矢吹翔太が勝利した。

矢吹翔太のパンチヒットでグラついたが追って出てバッティングが起きてしまう

◆第9試合 66.0kg契約3回戦

小磯哲史(元・J-NETWORKライト級Champ/テッサイ/1973.8.8神奈川県出身/ 65.85kg)
55戦20勝(7KO)30敗5分
           VS
大月慎也(Team arco iris/1986.6.19埼玉県出身/ 66.0kg)27戦11勝(5KO)12敗4分
勝者:小磯哲史 / TKO 2ラウンド 2分7秒
主審:高谷秀幸

初回か先手打つ小礒哲史が蹴りからパンチ、ハイキックと繋げ、大月慎也を後退させた。大月はミドルキックを返しても流れを変えられない。

第2ラウンドも小礒がペース崩さず前進。右ハイキックでコーナーに追い詰め、更に右ハイキックでアゴを打ち抜きノックダウンを奪った。大月は立ち上がるも効いている様子で、小礒がパンチラッシュで大月をコーナーに追い込み、連打したところでレフェリーストップとなった。

小磯哲史の右ハイキックが大月慎也を襲った

◆第8試合 バンタム級3回戦

NKBバンタム級5位.兵庫志門(テツ/1996.4.14兵庫県出身/ 53.3kg)20戦8勝(2KO)9敗3分
          VS
涌井大嵩(アルン/1997.3.2新潟県出身/ 53.3kg)5戦3勝(1KO)2敗
勝者:兵庫志門 / TKO 2ラウンド 2分29秒
主審:鈴木義和

パンチと蹴りのスピーディーな攻防。涌井大嵩の前蹴り躱した兵庫志門が右フックか、ノックダウンを奪った。第2ラウンドに入ってもダメージ回復には至らない涌井だったが、ローキックで踏ん張って時間稼ぐも、兵庫志門が右ストレートで2度のノックダウン奪ったところでレフェリーストップが掛かった。

兵庫志門の右フックが涌井大嵩にヒット。勝利を大きく導いた

◆第7試合 63.0kg契約3回戦

利根川仁(TOKYO KICK WORKS/2003.1.24東京都出身/ 62.7kg)8戦7勝(1KO)1敗
          VS
ちさとkiss Me!!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/ 62.9kg)44戦7勝(3KO)33敗4分
勝者:利根川仁 / 判定3-0
主審:高谷秀幸
副審:関30-28. 前田29-28. 鈴木30-28

利根川仁が蹴りとパンチの圧力で優るが、ちさとはまともに食わないのが上手さか。攻勢続ける利根川だが、ラストラウンド残り30秒でラッシュ掛けたちさとはパンチで圧し、ロープ際でヒザ蹴り、上からヒジ落とす技も使ってコーナーに追い詰めたところで終了。利根川がこの終盤以外に終始攻勢を続けた結果の判定勝利。

利根川仁の右ストレートと、ちさとのローキックの交錯。勝てないが倒されないちさと

◆第6試合 フェザー級3回戦

JKIフェザー8位.仁虎(BOXFIGHT/2009.4.1富山県出身/ 56.65kg)7戦4勝(1KO)3敗
          VS
シオチャイ・FJ KICK ASS(FJ KICK ASS/2007.11.13神奈川県出身/ 56.7kg)
6戦3勝(1KO)3敗
勝者:シオチャイ・FJ KICK ASS / 判定0-2
主審:笹谷淳
副審:鈴木29-29. 前田29-30. 高谷29-30

シオチャイがパンチと蹴りから組み付きに行きヒザ蹴りが徐々に攻勢維持した流れ。両者の蹴りと打ち合いもアグレッシブで、仁虎もフック系パンチがあったが、巻き返すには至らず終了。僅差ながらシオチャイが判定勝利。

シオチャイが首相撲からのヒザ蹴りで主導権支配。僅差となったがヒザ蹴りはインパクトがあった

◆第5試合 ライト級3回戦

リョウヤ・ハリケーン(テツ/2002.10.20兵庫県出身/ 60.9kg)5戦3勝(2KO)2分
          VS
魔娑屋(SLACK/1991.2.4岩手県出身/ 61.05kg)8戦3勝(3KO)5敗
勝者:リョウヤ・ハリケーン / 判定3-0
主審:関勝
副審:高谷30-28. 鈴木30-28. 笹谷30-28

リョウヤは二度の股間ローブローを受けてインターバルが与えられた。魔娑屋に注意警告。更に偶然のバッティングも起こり、リョウヤの戦力落ち気味も、ラストラウンド残り10秒で右ストレートヒットし魔娑屋がノックダウン。大きなポイントを拾ったリョウヤが判定勝利。

◆第4試合 女子50.5kg契約3回戦(2分制)

みずほ有刺鉄線(テツ/1989.5.24東京都出身/ 50.4kg)1戦1敗
          VS
実穂(クロスポイント大泉/1985.3.25静岡県出身/ 50.05kg)2戦1勝1敗
勝者:実穂 / 判定0-3
主審:前田仁
副審:高谷28-30. 鈴木29-30. 笹谷28-30

アグレッシブに蹴りとパンチで打ち合う中、実穂が徐々に打ち優る勢いが目立った。みずほも手を休めず攻め返し好ファイトとなった。

◆第3試合 ライト級3回戦

猪ノ川海(大塚道場/2005.9.30茨城県出身/ 61.1kg)6戦3勝(2KO)2敗1分
          VS
津田宗弥(クロスポイント吉祥寺/1980.1.8神奈川県出身/ 60.75kg)4戦1勝(1KO)3敗
勝者:猪ノ川海 / 判定3-0
主審:関勝
副審:笹谷30-28. 鈴木30-28. 前田30-27

蹴りからパンチの多彩な攻防は猪ノ川海のヒットが優っていく展開。津田宗弥も踏ん張って打ち返し、見極め難い中、ジャッジ三者が揃ったのは第1ラウンドのみだったが、猪ノ川海が順当に判定勝利した。

◆第2試合 フェザー級3回戦

岡部惇(アント/1993.10.20岡山県出身/ 56.95kg)5戦1勝(1KO)4敗
          VS
加藤宙(神武館/2008.11.26埼玉県出身/ 56.75kg)1戦1勝(1KO)
勝者:加藤宙 / TKO 1ラウンド 1分0秒
主審:高谷秀幸

加藤宙が接近戦で振り回した左ヒジ打ちヒットで岡部惇の右眉尻をカットし、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ。

◆プロ第1試合 ライト級3回戦

大森利己(T-GYM/1998.11.30山梨県出身/ 60.15kg)3戦2勝1敗
          VS
小池奨太(Bushi-Do~武士道~/1988.7.14新潟県出身/ 59.75kg)3戦2敗1分
勝者:大森利己 / 判定2-0
主審:前田仁     
副審:鈴木29-29. 笹谷30-28. 関30-27

両者の蹴りとパンチの攻防の中、大森利己のカーフキックが効果を現し判定勝利。

◆アマチュア第3試合 『問答無用』東西対抗戦41.0kg契約 2回戦(2分制/延長1R)

41kg関東王者.田中春翔(WIVERN/ 40.75kg)vs41kg関西王者.高橋海翔(NK/ 40.8kg)
勝者:高橋海翔 / 判定1-2 (20-19. 19-20. 18-20)

◆アマチュア第2試合 『問答無用』東西対抗戦37.0kg契約2回戦(2分制/延長1R)

37kg関東王者.太陽(D-BLAZE/ 36.75kg)vs37kg中四国王者.北山義(岡山/ 36.25kg)
勝者:太陽 / 判定2-0 (20-18. 20-19. 20-20)

◆アマチュア第1試合 『問答無用』東西対抗戦35.0kg契約2回戦(2分制/延長1R)

DBS、UIZIN35kg王者.KANON(問答無用 関東推薦選手/ 35.0kg)
        VS
中四国33kg王者.滑飛夢乃(テツジム滑飛一家/ 34.95kg)
勝者:滑飛夢乃 / 判定0-3 (18-20. 18-20. 19-20)

《取材戦記》

あるジム関係者の声。「挑戦者決定戦は5回戦にすべきですね。タイトルマッチに準ずる試合が3回戦はおかしい!」。

3回戦とは本来キャリアの浅い新人戦の枠組みである。「本来の5回戦に戻る日は来るのだろうか」という意見は一定数有るのも事実である。

勇志の試合については、「勇志の試合は30-27が物語っているんじゃないですかね」とフルマークも妥当と見た意見だった。試合終了した時点で、忖度があるならば引分けかという空気が流れたのも事実だろう。勇志も攻め倦む中、全力で向かった強い蹴りも多かったので、巻き返したとも見れる流れ。でも僅差判定負けが妥当なところだろう。団体の代表的エース格として、また成長を見せねばならない課題多き勇志である。

今年のメインイベンターは、2月に棚橋賢二郎vs乱牙(=蘭賀大介)に始まり、4月、皆川裕哉vs山本太一、6月、釼田昌弘vs TOMO・JANJIRA、そして勇志vsオート・ノーナクシンと繋がって来ました。乱牙はチャンピオンとなった次戦で敗れ、山本太一も皆川裕哉に倒され、剱田昌弘は勝ったが引退。期待の勇志もムエタイに跳ね返された。そんな中での次回、日本キックボクシング連盟爆発シリーズvol.6は、12月13日(土)に後楽園ホールに於いて開催予定です。不振を覆す締め括りに期待したいものですが、メインカードが決まっていないのも寂しいところです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

同志社大学学友会倶楽部より皆様へ

同志社大学学友会倶楽部 ホームカミングデーの集い実行委員会 松岡利康

ご存知の方もおありかと察しますが、私たちは同志社大学の学生時代、全学自治会「学友会」、及びこの傘下の各学部自治会、また学術団、文連に属する各サークル、放送局、新聞局などで活動し、大学を離れ、特に21世紀に入り学友会が解散して以降、当時の志を忘れず、また親睦を図る目的で「学友会倶楽部」を作り、時に親睦を深める集まりや資料集編纂などに取り組んできました、

特に2013年からは大学のホームカミングデーの日に講演会やライブを行ってまいりました。昨年で当初の予定の10回となり、本年から新たに出発することになりました。

その第1回目として、今回は、かつて1960年代から70年代はじめにかけて、<二つの安保闘争>をメルクマールとして、その戦闘性で全国の学生運動を領導した学生運動を中心に語り合いたいと考え、「1960年代 同志社ラジカリズムとは何だったのか?」というテーマを設定いたしました。

当時学生運動に、サークル活動に活発に活動された皆様にぜひともご参加いただきたくご案内させていただきました。

ところで今夏私たちは、猛暑のさなか、当時活動された前田良典(1962年同大入学)さんの小論選集『野の人』を編集、製作いたしました(非売品)。生き証人として60年代から70年代にかけての当時の学内外の様子やみずからの活動などが記述されています。その製作過程で前田さんは病に倒れ現在闘病中ですが、体調の許す限りご参加、ご発言をいただきたいと思っています。(同書は11.9ホームカミングデーの集いに参加された方には参考資料として無料で贈呈いたします。また、すでにお持ちの方には本企画の担当者・松岡が経営する出版社が発行する雑誌・書籍から1冊を贈呈いたします)

当時同志社大学で学生時代を過ごされ活発に活動された皆様にもぜひご参加いただき、あの熱かった時代のことを忌憚なく発言していただきたく希望いたします。もちろん京都、関西の他大学ОBの方々、あるいは若いみなさんのご参加も大歓迎です。当時私たちは悲惨なベトナム戦争に対して異議申し立てをしましたが、老いても私たちは、半世紀余り経った現在もパレスチナ、ウクライナでの戦火に対し異議申し立てをしなければなりません。

毎年行ってきたホームカミングデーの集い(講演会、ライブなど)ですが、本年から私松岡が担当することになりました。まだ態勢が固まらず人手不足で、当日お手伝いいただける方を募集しています。お手伝いいただける方は松岡までご連絡をお願いいたします。さらには今後も積極的に関わっていきたいという方も大募集いたしますので、よろしくお願いいたします。

では、11・9ホームカミングデーの集いにぜひご参集を!

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【応援ミニライブ】カオリンズ
夫婦デュオ。主に中川五郎(2018年ゲスト)らと共に釜ヶ崎を中心にライブ活動をしている。メンバーのうっちいこと内村育弘は同志社大学文学部社会学科産業関係学専攻(当時)1984年入学。「先輩の松岡さんを応援したく駆け付けます」との言。

◆刊行された前田良典小論選集『野の人』
(四六判、上製、本文240ページ 非売品)
【主な内容】
第一章 友人・先輩への追悼集  
    個と共同(藤本敏夫追悼) 
    同大の先輩たち(中島鎮夫さんら)
    「境毅(バラ均)さん追悼」走り書き
第二章 同志社ブント・関西ブント記  
    六〇年代同志社学生運動私記 
    「同志社学生運動」編纂について(コメントひとつ) 
    一九六九年ブントに何があったのか 
第三章 同志社此春寮(砂野文枝寮母と寮生)  
    砂野寮母の生誕と葬送 
    同志社リベラル 
第四章 洛南反戦と地域労組
第五章 書 評  
第六章 時代論評  
第七章 古代史  

前田良典(まえだ・よしのり)
1962年同志社大学入学。在学中、同大学友会書記長、京都府学連副委員長を歴任。故・塩見孝也氏とは同期、故・藤本敏夫氏は寮の1年後輩。
※本書は「非売品」で書店では発売しておりません。

総力で月刊『紙の爆弾』の発行継続を勝ち取ろう! 今こそ集中して圧倒的なご支援をお寄せください!

まずは鹿砦社の書籍を買って応援してください!
まだ未購読の書籍がありましたら、直ちにご注文お願いいたします!
たとえ“便所紙”を使ってでも私たちはタブーなきリトルマガジン『紙の爆弾』の旗を死守します!

『紙の爆弾』編集長 中川志大 鹿砦社代表 松岡利康

月刊『紙の爆弾』を愛し支持される皆様!

このかんたびたび繰り返し申し述べているように、私たちは、常に休刊の危機に喘ぐ月刊『紙の爆弾』の発行継続を図るために呻吟しています。

ご承知のように月刊『紙の爆弾』は2005年の創刊から幾多の苦難を乗り越えて本年4月で20周年に至り、多くの皆様方に祝っていただき、また叱咤激励も受けました。少なくとも4・5、7・12の東西2つの「反転攻勢の集い」に参加された計150名余の方々は『紙爆』に対して大きな期待を持っておられることが直に判り感銘いたしました。おそらく多くの雑誌が権力のポチ化し、『紙爆』のようにタブーを恐れない雑誌がなくなったからでしょう。以後私たちは、次の10年に向けて歩み始めていますが、なかなか財政問題をクリアできず、いまだ苦境にあります。

ちなみに、ここに来て老舗の芸能雑誌が続々と休刊になっています。領域は異なりますが、雑誌を毎月発行していくことが困難になってきた時代を象徴することだと実感しています。

これから年末に向かう中で、今こそ皆様方に圧倒的なご支援をいただきたくお願いいたします!

◆基本は本を買ってご支援!

いやしくも私たちは本や雑誌を出す出版社ですから、本を買ってご支援いただくことが基本です。まずもって『紙爆』に広告を掲載している書籍からご購読お願いいたします! 下に掲載の書籍は比較的最近(コロナ以降)のものですが、お買い漏れの書籍がございましたらぜひご注文ください!

そうして、これまで発行した既刊本や『紙の爆弾』のバックナンバー(一部の方々にはお知らせしていますが倉庫代軽減のため年内で断裁処分せざるをえなくなりました)などのご購読(できればまとめ買い)を早急にお願いいたします。既刊本の内容につきましては、鹿砦社HPをご覧になってください。また、HPに掲載していない書籍のリストは本社にご請求ください。そうして、ここ数カ月続けて来た「セット直販」もお願いいたします(年内いっぱい受け付けます)。

さらに金額は問いませんのでご支援カンパもお願いします。余裕がある方には1口5万円(以上)の特別カンパを、正念場である今こそ集中してお願いいたします!
例えば、お一人2口10万円、100人いらっしゃれば1千万円で一気に資金的蓄積もでき、支払いや資金繰りの計画も円滑にできます。

◆月刊『紙の爆弾』の拡販にご協力ください!

さらに『紙の爆弾』の発行継続には、この拡販が必須となります。ある方は、「振替用紙をまとめて送ってくれ」と言われ、指示通り送ったら、たちまち10人ほどの定期購読を獲得してくださいました。このようにして定期購読を増やしていければ、と思います。皆様の身近な方々に『紙爆』をお薦めください。

さらに、定期購読の新規申込や更新の際に、鹿砦社の本を1~2冊一緒にご購読いただけるようにお取り計らいください。小さなことですが、これもまとまれば大きな力になります。よろしくお願いいたします。

―――――――――――――――――――――

◎ご注文、ご支援金は、下記のようにお願いいたします。送料は不要です。定価(税込み)の合計のみをご送金ください。

① 郵便振替(『紙爆』に挟み込みの用紙をご使用ください。送金手数料無料)、もしくは、

② 銀行振込(三井住友銀行甲子園支店 普通 4304399(株)鹿砦社) (ご送金後、ファックスかメールにてお名前、ご住所、お電話番号、書籍名をお知らせください。)

鹿砦社新刊情報 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=new

メキシコの主要紙、ノーベル平和賞受賞者マリア・コリーナ・マチャドがネタニアフ首相に送付した書簡を公開、自国への軍事介入を要請

黒薮哲哉

メキシコの主要紙 EL Univarsalが、今月ノーベル平和賞を受賞したベネズエラの政治家、マリア・コリーナ・マチャドがイスラエルのネタニアフ首相とアルゼンチンのマウリシオ・マクリ前大統領に送付していた書簡を公開した。記事のタイトルは、「マチャドがネタニヤフにベネズエラへの軍事介入を要請」。自国への内政干渉を要請し、それを「力と影響力」の行使と位置付けるマチャドのスタンスを暴露した。

書簡の日付けは、2018年12月4日。「力」とは軍事介入を意味し、「影響力」とは、イスラエルとアルゼンチンの国際的な影響力を意味する。 以下、書簡の全文である。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇

ベンジャミン・ネタニヤフ閣下
イスラエル国首相
3 Kaplan St. Hakirya
91950 エルサレム、イスラエル

ベネズエラ国民は、現政権によって加えられている広範かつ体系的な攻撃から国際的保護を必要としています。このことは、2018年5月29日に米州機構が国際刑事裁判所に提出した報告書によっても示されています。これは、アルゼンチンを含む9か国が同じ国際機関において同政権を告発する根拠となりました。私たちはこの取り組みに深く感謝しており、それが悲劇を終わらせる決定的要素になると信じています。

ここで強調すべきは、この広範かつ体系的な攻撃に苦しんでいるのは私たちの国民だけではないという点です。その犯罪的な性質は麻薬取引やテロリズムと密接に結びついており、他国、特にイスラエルにとって現実的な脅威となっています。現政権はベネズエラ国民の自由を奪い、イランや過激派組織と密接な協力関係を示しており、これはイスラエルに対して存在的な脅威をもたらし、アルゼンチン国内にまで広がっています。1994年にAMIAで起きた反ユダヤ主義による悲劇は今もなお大陸全体にこだまし、その影響は私たちの国にまで及んでいます。

私は国際社会が「保護する責任」の原則に基づき、ベネズエラ国民に対して必要な支援を提供し、政権交代を促すべきであると強く確信しています。これにより国家的・国際的安全保障が回復されるからです。このため私は、世界の主要国の指導者たちに働きかけ、国連安全保障理事会においてベネズエラ国民を保護するための有効な措置を採択するよう求めました。これは必然的に国際安全保障の強化を伴います。本日、イスラエルとアルゼンチンに、専門知識と影響力を活用して、安保理において迅速かつ緊急の決定が下されるよう尽力していただきたいのです。

これらの措置は不可欠です。なぜなら、現政権がもたらすものは大陸規模の安全保障上の焦点であり、難民問題を引き起こしているからです。国連難民高等弁務官事務所や国際移住機関は、現在のベネズエラからの難民危機がアメリカ大陸史上最大であることを確認しています。数百万の人々が避難し、その大部分が近隣諸国に押し寄せています。私たちは彼らを常に受け入れ、支援していますが、政権交代が実現しない限り、地域的・大陸的・世界的な安全は危機にさらされ続けます。

さらに重要なのは、イスラエルとの長年にわたる関係です。私たちはその協力、同盟、貢献に深い感謝と尊敬を抱いています。イスラエルは最近、数多くの国際的支援活動において特別な役割を果たしました。ベネズエラは、イスラエル建国決議(国連総会決議181号、1947年11月29日)に賛成した国の一つでした。1948年5月14日のイスラエル独立後、私たちは誇りをもってその友好関係を維持してきました。

この困難な時期を乗り越え、自由、民主主義、そして繁栄を取り戻すことができれば、イスラエルとの歴史的な関係はさらに強化されることでしょう。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年10月14日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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なぜ福島県知事が狙われたのか?──「『知事抹殺』の真実」と東京地検特捜部の犯罪

尾﨑美代子

10月11日、茨木市で「『知事抹殺』の真実」を鑑賞した。2000年、福島県佐藤栄佐久知事(当時)と実弟が、収賄罪で逮捕・起訴され、有罪判決を受けた事件が何だったか検証した映画だ。結論からいうと、この事件は冤罪だった。しかし、知事は辞職に追い込まれた。

私は次の用事があったので途中で席を立った。ちょうどその時、何かのトラブルで上映が止まっており、後で聞けば最後の20分位が上映できなかったという。とはいえ、私が最後に見た段階でも、あの事件が十分冤罪であることは明確だった。

この事件は、東京地検特捜部が担当した。収賄事件とは、政治家らが社会的・政治的な地位を利用して、他者から特別な便宜を受ける汚職だ。佐藤知事が違法に賄賂を受け取ったということだが、一審有罪判決後、控訴した東京高裁・二審で、控訴棄却で知事と実弟との収賄罪は認めたものの、追徴金はゼロ、つまり「賄賂の金額はゼロ」と認定したのだ。「だったら賄賂は何だったんだ」と誰でも不思議に思うだろう。痴漢で逮捕されたが、痴漢された人はいません、みたいなものだ。映画の中にでてくるが、知事はとにかく企業や市民の贈り物などについて、賄賂と受け取られかねないものは決して受け取らないように注意してきた。ある時高級な鮮魚を貰った知事は、その日のうちに相手に返してきなさいと秘書に頼んだという。

だから、逮捕は晴天の霹靂だった。その後、関係者が多数逮捕されたり、事情聴取を受けた。関係者も全く身に覚えがないのに、東京地検特捜部の取り調べは犯罪者扱いだ。関係者は、福島から特捜部のある東京に呼ばれ、慣れない、きつい取り調べをうけ、へとへとで帰ってくる。その間、自殺(未遂)者が何人もでた。ある関係者は、東京から福島に帰る新幹線から飛び降り自殺しようと考えた人もいた。そんな状況を知った知事は「嘘の供述をして早くこの事件を終わらせなくては……」と考えた。しかし、裁判が始まると、特捜部の酷い取り調べの実態が明らかになった。ある建設会社の社長Mさんは「知事への賄賂で弟の会社の土地を買った」と虚偽供述をさせられていた。

特捜部の仕事は東京でも名古屋でも大阪でも同じで、警察を介さず、贈収賄や脱税、企業犯罪など、政治家や企業が関わるような重大事件を独自に捜査する。政治家や大企業の社長が逮捕される日、段ボールを抱えて颯爽とビルに入っていく連中、どいつもこいつも「ザ・エリート」という面構えで、テレビに映るため、髪から靴の先まで整えてきました、みたいな顔をしている。

しかし、東京地検特捜部は、大阪の村木事件、プレサンス元社長事件と同じで、実際は大失敗だった。しかも知事の事件に、村木事件で、フロッピーディスクのプロパティを改ざんし、逮捕・起訴され、有罪判決を受けた大阪地検特捜部・前田恒彦検事が関わっていた。前田は、知事の事件で先のMさんを取り調べ、取り引きをもちかけ、嘘の供述をとった人物だ。Mさんは裁判で「(前田)検事との取り引きでそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ」と証言した。(ちなみの先週この前田の事件を暴いた『証拠改竄 特捜検事の犯罪」』(朝日新聞出版)を2日で読み終えたところだ)。 

しかし、なぜ知事が狙われたのか? 知事は在任中、東電福島第一原発、第二原発の事故やトラブル隠しや、国や電力会社のそうした体質に厳しく対峙していたという。福島県民を守るためだ。それが国や東電には気に食わなかったのだろう。実際、実弟を取り調べた検事がこう言ったそうだ。「知事はなぜ原発が嫌いなのか。知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」と。

似たような事件が過去に福井県高浜原発のある高浜町でも起こった。高浜原発では日本で初めて獰猛犬を「警備犬」として使っていた警備会社「ダイニチ」があった。関電の幹部K(本では実名が出ていたような)が ダイニチの男性2人に、高浜町の今井理一町長の喉を警備犬に噛み切らせ、殺害しろと持ちかけた。「犬に殺らせたら証拠は残らん」と。今井町長は当時高浜で進められたプルサーマル計画に反対していたからだ。計画は実際のところは頓挫した。その後、男性2人は、Kとトラブったかで怖くなり、自ら顔出し・本名で、ある週刊誌に殺害計画の全貌を告白した。それを一冊にまとめたのが、ジャーナリスト・斎藤真氏の「関西電力 反原発町長暗殺指令」だ。告白した男性2人は、その後恐喝か何かで逮捕された。どの程度か知らないが、恐喝事件は実際あったようだ。やつらは「悪事を働いたような奴の言うことを信用できるか」といつもの手を使いたいのだろうが、そういう悪事を働いたからと言って、2人の告白が虚偽だったとはいえない。

それにしても、関電、東電、政府ら原発を動かしたい連中は、人を殺害してまで、あるいは逮捕、取り調べで多くの人たちを苦しませ、自殺(未遂)に追い込ませても平気だ。「知事抹殺の真実」、私が見た最後のシーン、知事がある集会で支援者の前で、事件当時を思い出し、嗚咽がとまらないシーンだった。私も泣けた。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「『化学物質過敏症』の原因は、本当に化学物質だけなのか──見落とされる別の病因」、『週刊金曜日』の加藤やすこ氏の記事について

黒薮哲哉

『週刊金曜日』(9月26日付)が、「化学物質だらけで医療や介護が受かられません」と題する記事を掲載している。執筆者は環境ジャーナリストの加藤やすこ氏で、化学物質や電磁波による人体影響に詳しく、市民運動も組織している人物である。

この記事は、化学物質過敏症を考える際の重大な視点が欠落しているので、指摘しておく。なお、私は環境問題を取材してきた立場ではあるが専門家ではない。したがって、以下に述べることは、私が取材を通じて学んだ考察であることを付記しておく。

加藤氏は記事の中で、化学物質過敏症が原因で介護や医療を受けることに支障を来している人の事例をいくつか紹介している。医療や介護の現場にはさまざまな化学物質があふれており、そのために医療機関を利用できなかったり、介護士との接触が困難になっているという。例えば次のような事例である。

【小林さんのケース】
「小林さんは化学物質過敏症と電磁波過敏症を併発しており、ごく微量の化学物質や電磁波で頭痛や目まいに苦しむ。以前は症状を理解し、香料や化学物質を身につけない看護師がいたが、退職したため介護を受けられなくなった」

「(略)介護士には家に入る直前に下着や靴下を交換してもらい、小林さんはようやく介護を受けられる状態になる。」

【Aさんのケース】
「愛知県に住むAさん(58歳)も、介護士を見つけるのに苦労した。10年前に脳神経疾患を発症し、焼けるような痛みやひどいめまいに襲われるようになった」

「その後、柔軟剤やシャンプーなどの香りに敏感になり、介護士や看護師の制服の香料など、さまざまな化学物質や電磁波に反応するようになった。そして、化学物質過敏症と電磁波過敏症だと診断された」

◆加藤氏が紹介した2人の症状は、おそらく客観的な事実であるが……

加藤氏が紹介した2人の症状は、おそらく客観的な事実である。本人には加藤氏が描写したような症状が実際に現れている可能性が高い。

ただし問題は、こうした症状の原因を単純に化学物質や電磁波に結び付けている点である。たとえばAさんの場合、「10年前に脳神経疾患を発症し、焼けるような痛みやひどいめまいに襲われるようになった」経緯がある。したがって体調不良の原因は脳神経疾患にある可能性の方がはるかに高い。

この点について、化学物質過敏症に詳しい舩越典子医師は、何らかの原因で神経が傷つくことで、加藤氏が指摘するような症状が現れるケースがあると指摘している。従って、傷ついた神経を修復すれば症状は改善する。従来、化学物質過敏症は「不治の病」とされてきたが、必ずしもそうではないという考えである。実際、舩越医師は、化学物質過敏症と自己診断していた患者を根治した症例も報告している。

【参考記事】化学物質過敏症は不治の病気ではない。舩越典子医師インタビュー

◆舩越医師の理論を裏付ける公的文書

舩越医師の理論を裏付ける公的文書も存在する。東海大学医学部の坂部貢医師(写真)は、「平成27年度 環境中の微量な化学物質による健康影響に関する調査研究業務」と題する報告書の中で、化学物質過敏症と同じ症状を示す患者には精神疾患の症状が見られる場合があると述べている。精神疾患との併症率はなんと80%にも達するという。

この報告書が公表されたのは平成27年、すなわち2015年である。つまり9年前にはすでに、化学物質過敏症の伝統的な解釈に疑問が提起されていたのである。

◆体調不良の原因を安易に化学物質過敏症に結び付けることには問題がある

私の取材経験からすると、微量な化学物質や電磁波に反応する人は確かに存在するが、その割合は少ない。少ないからといって無視できる問題ではないが、電磁波過敏症を訴える人の中には、実際には別の病気に罹患している人もいるのだ。不可解な症状を訴える人に対して、安易に化学物質過敏症の診断を下し、他の治療を避けてしまうと、悲劇的な結果になりかねない。

加藤氏が指摘するように、化学物質が有害であり、日本政府による規制が欧米に比べて緩いのは事実である。しかし、それを理由にアンケートなどを実施して、体調不良の原因を安易に化学物質過敏症に結び付けることには問題がある。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年9月29日)掲載の同名記事
を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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《新刊案内》髙見元博=著『ミッシングリンク 日本左派運動の失環』

髙見元博=著『ミッシングリンク 日本左派運動の失環』
四六判 128ページ ソフトカバー装 
定価1210円(税込み)10月17日発売!

私たちはどこで間違えたのか──
なぜ日本では左派は衰退し続けるのか。
日本左派の混迷の中に光明はあるのか。
半世紀余り、左派の高揚期から
低迷期を体験してきた著者が
左派復活のカギを提案する!
“彼らは本気だ、しかし、われわれも本気だ”

【もくじ】
植民地主義── 許されざるガザのジェノサイド── ふたつの世界への分裂 
「自己責任論」と小泉反動 
労働運動解体と再興── 全日建関生支部 
乗りこえの運動としての新左翼=「マルクス・レーニン主義」の誤り=【ガラパゴス日本左翼】 
エセ「マルクス主義者」たちにマルクスは激怒した 
ロシアのエセ「マルクス主義者」たち 
「人民の意志党」を継いだ「社会革命党(エスエル党)」 
左翼エスエル党とボリシェヴィキ── 誰がマルクスを継承したのか 

《革命と民主主義》
 【もっとも民主的な「ソビエト」の樹立と、ボリシェヴィキの一党独裁による空洞化・形骸化】 
第二回全露労働者・兵士代表ソビエト議会 
農民代表ソビエト全ロシア大会
憲法制定議会 
第三回全ロシア労働者・兵士・農民代表ソビエト大会 
「ボリシェヴィキ」の反民主主義性はどこにあるのか 
ブレスト・リトフスク条約 
第四回全露ソビエト大会── ブレスト・リトフスク条約の承認 
マフノ軍(ウクライナ革命反乱軍) 
ボリシェヴィキと農民との内戦の開始 
穀物徴発
貧農委員会(Kombed) 
第五回ソビエト大会── 民主的ソビエトからボリシェヴィキ一党独裁への変質 
「左翼エスエル党」の反乱 
タンボフ農民反乱 
ボリシェヴィキの残虐 
現代に引き継がれた一党独裁主義=理性なき「内ゲバ」主義 

著者について
髙見元博(たかみもとひろ)
1951年生まれ。1960年代高校造叛学園闘争を闘う。甲南大学卒。反戦青年委員会(ベトナム戦争に反対するため「総評」が作った青年労働者の大衆組織)に加入。大学生協職員などを経て1977年郵政省職員。全逓信労働組合に加盟し、1978年年賀状配達を止めた越年順法闘争を闘い1979年より支部青年部副部長(分会青年部長)を2期務める。1991年職業病である頚肩腕症候群を原因とする精神障害により免職。解雇撤回を争い1999年神戸地裁で解雇取消しの勝訴、2000年大阪高裁で逆転敗訴、同年最高裁で敗訴確定。1994年兵庫県精神障害者連絡会結成に加わり、現在代表を務める。1995年まで「全国『精神病』者集団」の執行委員である「事務局員」を勤めた。
共著書として、『生きている!殺すな!』(山吹書店)『重度精神障害を生きる』(批評社)。

※予約申し込みは、
鹿砦社販売部 sales@rokusaisha.com
②Amazonなどネット書店 https://www.amazon.co.jp/dp/4846315916/
③最寄りの書店にお願いいたします。