MAGNUM.41 江幡塁と重森陽太と高橋勝次のそれぞれの奮起!

5月29日、ラジャダムナンスタジアムで敗れた江幡塁と重森陽太の二人が、本場の経験を活かして、それぞれの奮起。江幡塁はローキックとパンチを主体に相手の出方を窺いながらの素早い切れ味良い攻めはより進化あり。ローキックは次第に効いていき、ペットクラピーは心折れるように倒れ込みました。立ち上がるも陣営よりタオルが投げられた棄権により江幡塁のKO勝利。

江幡塁の左ハイキック
重森の右ローキック

重森陽太も初の本場リングに立った自信から多彩な攻めが力強く感じられました。右の蹴りも威力が増した感じ。重森の圧力に下がり気味のカターテープは手数が追いつかないまま重森の右ハイキックが頭部に命中。一発で仕留めました。

日本ライト級タイトルマッチ、勝次(高橋勝次/藤本)vs 永澤サムエル聖光(ビクトリー)の昨年3月の王座決定戦以来の再戦で、勝次が判定勝利で2度目の防衛。2ラウンド目の永澤のローキックが当たりだし、勝次の印象が悪いが、3ラウンド目には勝次のパンチ蹴りの盛り返しでそのペースを持続。5ラウンドには顔面打ち合いの激しさが増すスリリングな展開のまま終了し小差ながら判定勝利。

勝次の左飛ヒザ蹴り

渡辺健司が昨年引分けている松岡力に、ベテランの技を見せつけた青コーナー寄りでのカウンターのパンチでダウンを奪い、更にヒジ打ちで松岡の額を切る攻勢。反撃の松岡のパンチラッシュもかわして余裕の勝利。挑戦者決定戦で政斗に引分けつつ敗者扱いで後退した松岡の再浮上の野望を打ち砕きました。

松岡の巻き返し狙う懸命の右後蹴り

新チャンピオンになって初戦の泰史は、チャンピオンの重圧を感じているような、じれったい苦戦。現・元ランカーとも第一線級ムエタイボクサーとは今後も当たらなければならない地位で攻める姿勢は見せるものの、ティンリーに有効打を無に返される展開で辛うじて引分け。

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◎MAGNUM.41 / 7月3日(日) 後楽園ホール17:00~20:57
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

ペットクラピーに最後の一撃の塁

-主要6試合-

◆56.0kg契約 5回戦

WKBA世界スーパーバンタム級チャンピオン.江幡塁(伊原/55.9kg)
.vs
ペットクラビー・ペットプームムエタイ(タイ/55.6kg)
勝者:江幡塁 / KO 3R 1:53 / カウント中のタオル投入 / 主審 少白竜

永澤も懸命に逆転を狙った連打のひとつ

◆日本ライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.勝次(藤本/61.1kg)vs 1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー61.0kg)
勝者:勝次
3-0 (主審 椎名利一 / 桜井 49-48. 少白竜 49-48. 仲 49-48)

勝次、勝者の雄叫び

◆57.5kg契約3回戦 

日本フェザー級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/57.35kg)vs カターテープ・ポー・アリパーイ(タイ/57.0kg)
勝者:重森陽太 / TKO 3R 0:39 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 桜井一秀

重森が右ハイキックを放った後、喰らったカターテープが崩れ落ちる

◆68.0kg契約3回戦 

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城/67.75kg)vs 同級1位.松岡力(藤本/68.0kg)
勝者:渡辺健司 / 3-0 (30-27. 28-27. 30-28)

◆52.0kg契約3回戦 

日本フライ級チャンピオン.泰史(伊原/51.95kg)vs ティンリー・リバイバル(元・ラジャダムナン系F級C/タイ/51.2kg)
引分け / 0-1 (29-29. 29-30. 29-29)

◆70.0kg契約3回戦

喜多村誠(前・日本M級C/伊原新潟/69.8kg)vs ナ・スンイル(韓国/69.2kg)
引分け / 三者三様 (30-29. 29-30. 29-29)

◆他、7試合

5月29日(日)タイ国ラジャダムナンスタジアム

123 LBS 5回戦  
セーンピチット・STDトランスポート(タイ)vs 江幡塁(伊原)
勝者:セーンピチット / 判定

127 LBS 5回戦  
タレーグン・ポー・アーウタレーバーンサレー(タイ)vs 重森陽太(伊原稲城)
勝者:タレーグン / 判定

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江幡ツインズや重森陽太をはじめ今すべてのチャンピオンたちはデビューした時から“ランカー3回戦世代”です。その為、王座挑戦試合から5回戦を経験しても1ラウンドから飛ばし気味の傾向があるように感じます。それでも全5ラウンドをスタミナ切れずに乗り切るので凄いことですが、プロボクシングシステムにある「各ラウンドは独立したラウンドで、前のラウンドの印象を後のラウンドの採点に影響を与えてはならない」という基準はキックボクシングには正式な文言は無くとも、その基準で競技運営されてきましたが、本場ムエタイにその基準は無く、後半に進むにつれ、勝負を懸けてより攻勢に行かねばならない駆け引きに、日本の選手は3回戦慣れからくる短期決戦に体幹的に導かれ、主導権を奪われてしまうのかと感じます(素人考えですが)。

またそういう後半勝負重視の採点基準の為、ムエタイでは偶然のバッティングなどの負傷による試合続行不可能になった場合、負傷判定が無くTKO負けになります。
昔の名チャンピオンで、スロースターターだった須田康徳や松本聖が3回戦で試合してたら引分けが多かったろうなと思いますが、石井宏樹も後半勝負が多く、2004年の5回戦から3回戦に短縮された当初は引分けが多かったですね。

勝次は2014年5月に翔栄(治政館)との日本ライト級王座決定戦に判定で敗れ、その翔栄が返上した王座を昨年3月、永澤サムエル聖光と争い判定勝利で王座獲得。12月には春樹(横須賀太賀)に判定勝利で初防衛。そして迎えた今回の防衛戦で永澤サムエル聖光を返り討ちで2度目の防衛。12月には3度目の防衛戦を希望し、来年には殿堂ラジャダムナン王座挑戦を夢描いています。

旧目黒ジムである藤本ジムは「防衛してこそ真のチャンピオン」と言われる先代会長の名言があり、「防衛を重ねることは名チャンピオンの証」であることも含まれるでしょう。早々に返上したチャンピオンもいましたが、怪我など諸々事情もあるようです。今の時代に於いて勝次は比較的早いペースで防衛戦をこなしているので好感が持てます。

新日本キックボクシング協会、興行予定は8月28日(日)ディファ有明に於いてWINNERS 2016.3rd、9月18日(日)後楽園ホールTITANS NEOS.20、10月23日(日)後楽園ホールMAGNUM.42と続きます。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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NO KICK NO LIFE 最終章──そして次回、進化の変貌へ!

「今回でNO KICK NO LIFEは終了となります」と言っても、小野寺力氏がイベント開催を撤退することなど1000%在る訳がなく、「“キックなくして我人生なし” は1ミリもブレずに何十倍にも大きくなって帰って参ります」と語った小野寺力氏。9月14日に渋谷TSUTAYA O-EASTに於いて公開記者会見(発表会)が行われます。観覧(観戦)自由ということですが、開始時刻等詳細は後日発表です。

対戦を前に全員集合。イベント参加者としては個々複雑な想いがあるでしょう

◎NO KICK, NO LIFE~THE FINAL~
6月24日(金)渋谷TSUTAYA O-EAST.19:00~21:55 主催:RIKIXジム / 放映:フジテレビオンデマンド
7月3日(日)22:00~スカパー『Fighting TV サムライ』でも放映

◆60.5kg契約 5回戦

WBCムエタイ世界スーパーフェザー級チャンピオン.梅野源治(PHOENIX/60.4kg)
VS
ヨードワンディー・ニッティサムイ(ヨーペットから改名/タイ/60.3kg)
引分け / 1-0 (主審 大成敦 / 北尻 48-48. 玉川 50-47. 大村 48-48)

ハイキックでヨードワンディーを弾き飛ばす梅野
梅野源治vsヨードワンディー。効果あった梅野の伸びる右ストレート

梅野源治の右ストレートでヨードワンディーがノックダウンしましたが、「梅野のパンチは当たっていたか?」という疑問が試合後、あるジムの会長より聞かれました。ヨードワンディーすぐ立ち上がり、“ダウンではない”というしぐさを示しましたが裁定は当然ながら覆らず。実際は額に当たっていたようです。

最近のレフェリー組織によっては「フラッシュダウンは取らない」という傾向もあるキックボクシングですが、これは裁くレフェリー陣の経験や、古いキックと今時のムエタイの視点の置き方などの違いがあります。インパクトは軽くても見た目は当たって倒れ、ノックダウン扱いとなったら、それに従うしかありません。

梅野はやや劣勢になる展開もありつつ、的確なヒットもあり、完全に取られたラウンドがあったかは難しい見極めでした。ヨードワンディーを含め、日本選手にもタイ選手にも研究される立場の中、トップクラスと激闘続く梅野は、またも引分けでも評価は落ちないでしょう。

◆59.5kg契約 5回戦

全日本スーパーフェザー級チャンピオン.森井洋介(ゴールデングローブ/59.3kg)
VS
チャオ・ロブート(元ルンピニー系フライ級C/タイ/59.0kg)
勝者:森井洋介 / 3-0 (主審 北尻俊介 / 大成 49-47. 玉川 50-46. 大村 50-47)

劣勢気味のチャオも実質負けてはいない互角の蹴り合い
冷静に狙っていたチャオのハイキック。油断ならない展開が続く

森井洋介は多彩なパンチとローキックを武器に、左のボディブローが度々強烈にヒット。怯まないチャオは下がらずローキックやパンチで軽く様子を見ながら時折強烈なハイキックやヒジ打ちを繰り出しました。終始、森井の手数が多く主導権は譲らず2~4ポイント差で安定した勝利。

◆57.3kg契約 5回戦

WBCムエタイ・インターナショナル・スーパーバンタム級チャンピオン.宮元啓介(橋本/57.0kg)
VS
北薗翔大(元KOSフェザー級チャンピオン/田畑/57.2kg)
勝者:宮元啓介 / 3-0 (主審 大村勝巳 / 大成 49-48. 玉川 50-49. 北尻 49-47)

後半は宮元が主導権を握った展開

北薗翔大は元KOSフェザー級チャンピオンの経歴を持ち、テクニックはしっかり備えた選手で宮元に負けないせめぎ合いを続けましたが、後半はテクニックと経験値で優る宮元が主導権を握り、飛び技を出す余裕で小差ながら判定勝利を導きました。

◆65.0kg契約3回戦

中尾満(エイワスポーツ/64.5kg)vs 前田将貴(RIKIX/65.0kg)
勝者:前田将貴 / 0-3 (主審 北尻俊介 / 大成 28-30. 玉川 28-30. 大村 29-30)

◆ライト級3回戦

雅駿介(PHOENIX/61.23kg)vs 錦和道(ゴールデングローブ/61.0kg)
勝者:雅駿介
TKO 3R 0:22 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 玉川英俊

結果は引分け

◆スーパーフェザー級3回戦

浦林幹(フリー/58.3kg)vs 藤野伸哉(RIKIX/58.9kg)
勝者:藤野伸哉
TKO 3R 2:01 / レフェリーストップ / 主審 大成敦

◆スーパーフェザー級3回戦

井上将吾(白山/58.4kg)vs 旭野穂(ゴールデングローブ/58.5kg)
引分け / 0-0 (主審 玉川英俊 / 大成 29-29. 北尻 29-29. 大村 29-29)

17歳とは思えぬ風格の那須川天心

◆毎回期待を裏切らないNO KICK NO LIFE

今回の開催時間は約3時間掛かりましたが、全7試合は手頃な試合数でした。
アトラクションとして、話題の17歳天才キックボクサー、那須川天心がミット蹴りを披露しました。素早さ、バランスの良さ、力強さ、これは確かに、天才と言われる素質に納得です。

前半4試合は、前日計量のルールミーティングで忠告された「小野寺力氏がコンセプトとする“キックボクシングの魅力を世間に伝える”ことを意識に持つこと」を促されていて積極的に打ち合いに出るファイトが目立ちました。後半3試合は、ベテランの経験値を活かした攻防に判定結果ながらファンを魅了していました。

いろいろな団体、各プロモーション単位の興行は増えましたが、NO KICK NO LIFEも毎度期待を裏切らない5回戦のこだわりと豪華さがありました。次回、リニューアルスタートを切る小野寺力氏自身の思想は、原点が純粋なキックボクシングの老舗だっただけに、間違った方向に行かないのは確かなところでしょう。単に新たなキックのイベントでなく、キックの魅力を世間に伝える為、どんな再スタートを切るか期待が掛かります。

負傷した選手、会場を後にした選手等を除いて、お疲れ様集合写真で締め括る

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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高橋三兄弟、復帰の岡田清治、翔・センチャイジム出場の多彩なファイター出場!

大和知也の右ストレートが翔太の接近を防御
大和知也、無念の負傷敗北
センチャイジム陣営、アウェイで勝利

武士シリーズVol.3 / 6月19日(日)後楽園ホール17:30~21:20
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆61.5kg契約 5回戦

NKBライト級チャンピオン.大和知也(SQUARE-UP/61.2kg)
VS
WMC日本ライト級チャンピオン.翔・センチャイジム(佐藤翔太/センチャイ/61.5kg)
勝者:翔センチャイジム / TKO 3R 0:48 / 左腕骨折の疑いでタオル投入による棄権。
主審 川上伸

古いキックスタイルの大和知也と今時のムエタイスタイルの翔・センチャイジムという全く違うタイプの対戦はパンチヒジ打ち、ミドルキック、ヒザ蹴りなど、離れてよし、接近してよしの翔太が有利な技を持ち、1Rには早くもパンチで大和知也からダウンを奪う。

大和も伸びる右ストレートとローキックが翔太のムエタイ戦法を封じる動きだが、翔太の距離を詰めつつある動きに、大和が練習で痛めた左ヒジに翔太のヒザ蹴りが当たると大和の動きが鈍くなる。左腕が使えないような下がった状態。セコンドがタオルを投げ試合を終了させました。大和知也はメインイベンターとして強行出場ながら、練習での怪我が多いのが気になるところです。

チャンピオンになっても守りに入らない積極的前進の安田一平
強打同士も圧力で2度のダウン奪って仕留める
勝利の瞬間、最高の気分の時

◆67.0kg契約 5回戦

NKBウェルター級チャンピオン.安田一平(SQUARE-UP/66.6kg)
. VS
同級5位.マサ・オオヤ(八王子FSG/66.7kg)
勝者:安田一平 / KO 1R 1:49 / カウント中のタオル投入による棄権。
主審 鈴木義和

王座獲得後、初戦となった安田一平は守りに入らず、打ち合い覚悟の左右パンチで2度ダウンを奪い豪快にKO。

◆ミドル級 3回戦

NKBミドル級6位.西村清吾(TEAM-KOK/72.5kg) VS 釼田昌弘(テツ/72.1kg)
勝者:西村清吾
判定2-0 (主審 前田仁 / 佐藤 30-29. 川上 30-29. 鈴木 30-30)

◆ウェルター級 3回戦

NKBウェルター級7位.岡田拳(大塚/66.5kg) VS 上温湯航(渡邉/66.4kg)
勝者:岡田拳(岡田清治/元同級C)
判定3-0 (主審 馳大輔 / 佐藤 30-27. 川上 29-27. 前田 30-27)

元NKBウェルター級チャンピオンの岡田清治(大塚)が岡田拳とリングネーム改名し3年ぶりに復帰。デビュー1年ながら、前に出る圧力ある上温湯航(うわぬゆ・こう/渡辺)と対戦。上温湯が予想どおりヒザ蹴りハイキックで圧力かけるも、元チャンピオン岡田はやや劣勢の中、冷静に試合勘を取り戻すように様子を見る。次第に岡田のローキックが効きだして上温湯の圧力が弱まり、ダウン奪って逆転判定勝利。

◆55.0kg契約 3回戦

NKBバンタム級1位.松永亮(拳心館/54.7kg) VS 町野秀和(八王子FSG/54.8kg)
勝者:町野秀和
判定0-3 (主審 鈴木義和 / 前田 28-29. 佐藤 28-29. 馳 28-29)

◆59.0kg契約 3回戦

NKBフェザー級2位.優介(真門/58.5kg) VS 竜坊(BIBLE/59.0kg)
勝者:優介
判定3-0 (主審 川上伸 / 馳 30-28. 佐藤 30-28. 鈴木 30-29)

柔軟なハイキックが冴える高橋聖人
ヒジヒザも有効に使う高橋聖人

◆フェザー級 3回戦

NKBフェザー級4位.KAZUYA(JKKG/57.15kg) VS 高橋聖人(真門/57.1kg)
勝者:高橋聖人 / TKO 3R 2:10 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 前田仁

高橋三兄弟三男の聖人はようやくデビュー一年が過ぎたところ、デビュー戦以来のKO勝利を飾り、4戦3勝(2KO)1分となりました。三兄弟としては次男・亮が昨年12月に王座獲得、長男・一眞が4月に王座奪取失敗、聖人は2月に引分けと、まずまずながら、期待が掛かる次期エースの立場としては停滞している感が強い。そんな中、次男・亮が7月3日ディファ有明でのBOM興行(バトルオブムエタイ)に出場します。キョウヘイ・ゴールドライフ(ゴールドライフ)と対戦予定。高橋三兄弟の、進化と明確な実力の披露に、好感度アップと勝利の期待が掛かります。

デビュー戦以来のKO勝利、ランキング入りは確実の高橋聖人

◆他3回戦6試合

4月16日の興行で7戦7敗の岩田行央(大塚)が豪快なKO勝利を飾り、初勝利を挙げました。その興行最優秀選手として6月19日のリング上で表彰されました。デビューが2009年ですでに30歳でしたが、「勝つまでやめられない」と頑張ってきたようです。惜しい展開もありつつ、なかなか勝利を挙げられないまま8戦目を迎えることも難しいものです。

しかし、ここでもうひとつレベルアップを図ろうと高橋三兄弟三男の聖人との対戦を熱望しました。話の成り行きが先行している状況のようで正式決定はしていませんが、アトラクションやパフォーマンスも充実してきた同興行に於いて、リングアナウンサーのような正装でリングに上がった岩田選手。表彰とインタビューを受ける姿はインパクトありました。ここからチャンピオンになったら凄い話題になりますね、日本を越えるほどの王座まで狙って欲しいところです。

6月26日 (日)新宿フェース17:30開始のJ-NETWORK 興行ではメインイベントで、NKBバンタム級6位の佐藤勇士(拳心館)がJ-NETWORKバンタム級6位の金基勲(キムギフン/韓国/STRUGGLE)と対戦予定。高橋亮も7月3日のBOM興行出場と、他団体(フリープロモーション興行含め)出場も緩やかに増えて、更なる団体交流に期待が掛かります。

司会は元NKBウェルター級チャンピオン.武村哲、岩田行央、高橋聖人の次期対戦候補の顔合わせ

次回興行、武士シリーズvol.4は10月2日(日)の開催ですが、NKBバンタム級からウェルター級までの4階級のチャンピオンが出場。タイトルマッチの発表はまだないですが、活性化に繋がる争奪戦に期待したいところです。

[撮影・文]堀田春樹

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リオ五輪逃した男子バレー清水邦広──それでも妻・中島美嘉の愛は本物だった

〝格差婚〟ながらもラブラブで暮らす、そんな秘訣がこのカップルにありそうだ。
バレーボールのリオデジャネイロ五輪世界最終予選兼アジア予選男子大会第5日が6月2日、東京体育館で行われ、世界ランキング14位の日本は同13位のオーストラリアに0-3でボロ負け。ついにロンドン五輪に続いてリオ五輪に出場を逃した。

中島美嘉『ずっと好きだった~ALL MY COVERS~』(2014年ソニーミュージックエンタテインメント)

「エースの清水邦広(パナソニック)がサーブやアタックを止められすぎて、A級戦犯扱い。妻の中島美嘉が『もう責任とって引退して解説業になりなさい』とぶち切れたようです。しかしその真意はまたちがうところにあるようです」(スポーツ紙記者)

確かに、オーストラリア戦での清水の出来は悪かった。平均して身長が15センチ高い相手に対して、ブロックの手にあててはじき飛ばしたり、ブロックに吸い込むスパイクを狙って14得点を叩き出した。だが1セット目でサーブをふかしてアウトにしたり、パワースイングできるボールをフェイントにして相手に拾われたりして、いつもの冴えはなかった。

「応援に来れば勝率8割を超える〝勝利の女神〟中島が会場にいなかったのもあるが。普通の調子なら1試合20得点はとる清水の不調は、若いエース、20才の石川祐希(中央大学)や柳田将洋(サントリー)が怪我で不調なのをさしひいて考えても、あまりにも痛かった」(同)

そして2011年に「ひとめ惚れして、会場に駆けつけて清水にプロポーズした」というほど情熱ある愛を清水にふりそそぐ中島としては「自分はツアーなどで忙しいし、清水も遠征などでいっしょにいられるのは月に2、3日という中『これで一緒にいる時間が増える』として引退を勧めたという話だ。

〝ゴリ〟と呼ばれるごつい男、清水と中島は『格差婚』もしくは「美女と野獣」などと揶揄された。だが一緒に暮らすうちに、清水は「中島にふさわしい男」に見えてくるから不思議。
「清水は、引退を勧められて『まだ燃え尽きていない。つぎの東京五輪をめざす』と答えたようです。そのとき、清水は33歳とベテランの域に入っているのですが、自分が出場していた中、2大会連続で五輪に出場出来ないのは悔しいでしょうね」(同)

さて、その中島は「まったくファッションに興味がない」という清水の髪型やファッションまでもプロデュース。銀のペンダントをつけて試合に臨んでいるが、これも中島の申し出で「磁気が健康にいい」と言われてつけているが、清水は「ルールには違反しないとはいえ、アタックを打つときは邪魔でしょうがない」とチーム仲間に愚痴っていたほど。

勝利の女神が言うなら、清水も渋々従っていたようだが、問題は、スターの中島が『むさいバレーボール少年』にすぎない清水に対して飽きてきたときだ。
「その心配はないでしょう。ライブ前に励ましたり、夫婦生活をテーマに中島が曲を書いているほどで、お互いになくてはならない存在になっているのです」(同)
五輪の道は絶たれたが、清水のバレーボール人生はまだ終わっていない。
「予選はまだ試合がある。この状況でも中島が応援に来たら、愛は本ものでしょう」(同)

はたして、中島は五輪予選の6月5日、最終日のフランス戦に姿を見せた。やはり愛はホンモノだったんだと思う。

(伊東北斗)

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夢と希望に満ちたジム入門の前に《後編》──理想のジムと出会うために

◆一般的なジムの選び方

ジムに入門する場合の一般的なジムの選び方は、まず家から近いこと、職場仲間といっしょにやれること、練習費が安いこと、更には有名選手が所属している、元・有名選手が経営している、女性用設備が充実している、タイ人トレーナーが常在している、などでしょう。

日本で最初のジム。藤本ジムに名は変わったが、目黒ジムを引き継いで盟友が集う。目黒藤本ジム落成懇親会(2005.4.17)

もう一歩、踏み込んで考えるならば、多少家から遠くても、練習費が少しだけ高くても、引越の際に賃貸物件を幾つか見て回るように、ジム見学を幾つかしてみた方がよく、また斉藤京二氏の例のような、団体が乱立していることを知らない少年たち、業界の組織図のようなものを理解してから、どこのジムに行けば目指す方向が近いのか、自分との相性も含め、何か感じ取れれば、後の後悔があっても小さくて済むかもしれません。ただし、プロデビューを目指すなら、どこのジムも厳しい練習があることだけは変わりません。

同・落成懇親会。元・東洋ウェルター級チャンピオン.斉藤元助、伊原信一現・協会代表、元・日本ヘビー級チャンピオン.池野興信。創生期の荒くれたジムを知る名チャンピオンたち(2005.4.17)

練習生としてジム入会諸々の手続きを経て練習開始し、基礎体力、基礎技術習得しプロライセンス制度が有る団体では取得後プロデビュー、そのジム所属としてプロ選手生活が始まります。大雑把に言えば、伸び悩んで方向転換する(引退、転向など)といった選手が多い中、チャンピオンやランカーなど、地道に勝ち上がっても、その地位を維持するだけで必死の努力で、入門者数のほんの一握りになっていきます。

◆稀に移籍トラブルが発生

そして稀に移籍トラブルが発生します。ジム会長と選手間で、主にはファイトマネーが絡む問題。またはその他の待遇に関するもの、進む方向に関わるもの、練習環境の問題などありますが、転勤や家族の事情で遠地に移る場合を除き、移籍はそう簡単なものではありません。送り出す側のジムと受入れる側のジムが対話で円満に解決してくれればいいですが、有力選手になると、そうはいかない場合もあり、行き場を無くし引退を余儀なくされる場合もあるようです。

藤本勲会長。ジム前でポーズ。日本で放映されたキックボクシングの最初の人(2006.1.5)

「移籍金100万円払ったのに、1戦しただけで姿消された」という話も昔聞いたことがありますが、円満に移籍してもその先で挫折する、過去にそんなパターンもありました。

円満に移籍できなかった場合、密かに海外、タイなどで試合するという例はあるようです。選手とのトラブルがあってもすべての所属選手が会長を嫌っていることは少なく、そこは個人間の相性でしょうか。国内では聞いたことはありませんが、本気で所属選手全員に嫌われては、そのジムは試合出場が無くなり閉鎖に追い込まれるかもしれません。タイでは、あるジムから選手全員夜逃げの撤退が起こったことがありました。その後、新しい選手が入ってもジムに活気無く閉鎖に繋がりました。

◆心温かい名古屋の大和ジム

斉藤京二氏の例は決して失敗例ではなく、逆にその目白ジム(後の黒崎道場)は昭和50年代のキック低迷期であっても比較的試合出場に恵まれて、そこで頑張った先には、日本人初のムエタイチャンピオン、同門の先輩・藤原敏男にKO勝利する驚きの結果を導いたスターとなって、その後怪我もありましたが、期待どおりMA日本ライト級チャンピオンに就き、復興した全日本キック連盟に移っても引退までエース格を務めました。

チームワークが良いジムメイト、大和ジムの守永光義会長、大和大地。右は連盟代表理事・斉藤京二氏

心温かいジムと言えば、名古屋の大和ジムでは会長と選手のコミュニケーションがしっかりとれているジムと言われます。守永光義会長が選手誘って一緒に呑んでバカなこと言って溶け込んでお互いをしっかり知る、そんなところから選手を見て育てる方針には理解出来る部分があります。昭和の市原ジム(玉村哲勇会長)では、練習後、選手みんなでジム近くの焼き鳥屋で食事し、時には会長宅に押し掛け大宴会をやるといった、玉村会長自身が自由奔放な指導者だった為、日々みんなが計画せずも自然と集まる輪がありました。

石井宏樹引退セレモニーで挨拶、デビューから19年の想いを語る。ここまで来れたのは、すべて周りへの感謝

温かみあるジムはそれぞれの個性を持って他にもいろいろあると思いますが、移籍問題に発展するトラブルは少ないでしょう。
選手が引退式の中でのスピーチで、会長やトレーナー、選手仲間など周囲への感謝を述べていく挨拶があります。引退式に向けて話す内容を前もって考えてくることで、綺麗ごとを並べている部分もあるかもしれませんが、周囲への感謝は本音でしょう。周囲の協力が無ければ練習も充実せず、マッチメイクも決まらないことに繋がっていきます。

ミット持ったり持って貰ったり、スパーリングパートナーになったりなってもらったり、また先輩の試合も後輩の試合も、控室で身体にタイオイルを塗るマッサージや準備、試合中のセコンドでフォローすることなどのチームワークも学び、コミュニケーション能力が増していきます。

そんな触れ合いから教わった想い出が感謝と涙に変わるのは自然なことで、1戦でもプロ公式戦を経験させて貰えたならば、どれだけの人たちがフォローに周ってくれたかを自覚し感謝していくことは他の職場では味わえない大切な人生経験となるでしょう。どこのジムへ入っても、最後は感謝の気持ちを持って引退できる環境で戦って欲しいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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夢と希望に満ちたジム入門の前に《前編》──キックボクシングジム今昔物語

ジム選びは慎重に決めないと入門後、後悔する場合が稀にあります。赤い糸で結ばれていたかのような理想のジムと出逢うことも理想的ながら難しい出逢いです。

路地で練習していた頃、お巡りさんに「近所から苦情が来ている」と中止させられ、物件を探し、雑居ビルにジムを構えた頃の西川ジム。練習生も入らず、閑散としていた時代(1983.1.6)

—「目黒ジムの次に強いジムはどこだ?」
・・・「目白ジムです!」
—「よし、そこに決めた!!」

◆2団体制を知らずに対抗団体に行った斉藤京二氏

沢村忠(目黒)と対戦したくて最初のジム選び、上京して入門。ところが沢村忠が所属する目黒ジムは日本系、目白ジムは全日本系で団体が違い、通常対戦の機会は無いと、後になって知ったのは後の全日本ライト級チャンピオン、現NJKF代表理事の斉藤京二氏でした。

同様に閑散としていた頃の市原ジム。トタン屋根の板張りの床、男の汗臭い昔ながらのジム。一般の女性では絶対入ろうとしない空間(1983.6.11)

日本でキックボクシングが発祥した最初のジムは目黒ジムで最初はここひとつのみ。藤本勲vs木下尊義の、キックボクシング放映最初の試合は同門対決からの始まりでしたが、ジムはここしかないので同門ばかり、入門は目黒ジムに溢れるほどでした。

やがて目黒ジムに対抗する、あらゆる個性や方針のあるジムが誕生していき、キックボクサーに憧れ、「俺の方が強いぞ」「俺もチャンピオンになりたい」「有名になって稼ぎたい」「沢村忠と対戦して勝ちたい」「目黒ジムに負けるな、追い付き追い越せ」創生期はそんな目標が多かったかと思います。

市原ジムにて、長浜勇のミット蹴り。プレハブ小屋のこんな風情あるジムは今や少ない

ジムは殺伐としたもので、サンドバッグの取り合いなど、何か些細なことでも先を争う事態があれば喧嘩になるのは日常茶飯事。どこのジムもそんな感じだったと言われます。ちょっと気の弱い少年だったら見学もできない、そんな近寄り難い存在だったでしょう。

◆低迷期の80年代からジムの雰囲気が様変わり

大きく風向きが変わったのはキックボクシングが一旦衰退し、低迷期を彷徨った頃の、1980年代から、業界も変わり世代も変わり、殺伐とした雰囲気が無くなった頃でしょう。どこのジムも閑散として誰もいないことも珍しくなく、時代も変わって「いじめに勝ちたくて」そんな目標を持ってヒョロッとした喧嘩に弱そうな中学生が勇気を出して入門してきたという、そんな光景も方々のジムで結構あったのではと思います。

女性の入門生も多くなった近代的設備が充実した現代風のジム(2011.4.11)

その後の時代は徐々に進化し、2000年代には、ムエタイ修行受入れ態勢のタイ側のジムが進化したように、冷暖房完備、リング、サンドバッグ、ウェイトトレーニング機器、タイ人トレーナーの常在。入門というと厳しさ漂う修行寺のような感覚ですが、女性がボクササイズ感覚で“入会”し、ダイエットなど、また目標も大きく変わった時代でした。

藤原敏男を破った斉藤京二。その後5年掛かったが、MA日本ライト級チャンピオンになった頃(1987.1.25)

男女とも周囲の影響を受けて、アマチュアからプロ転向まで志次第で進む選手も多いと思います。実際に女性の入門生増加の影響で、プロデビューに至る女子選手が増え、女性用シャワールーム、女子更衣室が用意されるのは大半のジムになり、定期興行を打つジムの数も首都圏においてはプロボクシングのその数に迫るほど増えたかもしれません。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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第6回前田日明ゼミは受刑者のアイドル、Paix2(ペペ)をゲストに迎え大盛況!

 
 
 
 
 
 

6月18日「都ホテルニューアルカイック尼崎」で第6回「前田日明ゼミ」が約90名の聴衆を集め開催された。この日の演題は「受刑者のアイドルという生き方 プリズンコンサート400回への道」でゲストはPaix2(ペペ)だ。

ゼミ開始に先立ち松岡社長挨拶に立ち「2010年9月から始めた『西宮ゼミは今回で30回を迎え、一区切り休みに入ります』と西宮ゼミが一応の休止に入る事を宣言した。続いて前田日明氏が、「『受刑者』『プリズン』と聞くと自分に近く感じる。若いころから周りに元気のある人間が多かったので『アイツはもうすぐ出て来る』とか『ヤツは今入っている』という話をしょっちょう耳にしていた。最近は罪を犯した人の出所後の人生が気になっている。昔は出所後の人を受け入れる経営者も多数いたが、今の社会では『コンプライアンス』が声高に語られ、そういう経営者は減っているのではないか」との問題意識を明らかにした。

そしてゲストPaix2が登場し「逢えたらいいな」など6曲を約1時間にわたって披露した。

休憩をはさんで前田氏とPaix2お二人の対談が始まった。個人的には前田氏のズケズケとした質問が際立っていて大変面白かった。「ストーカーみたいなのにはあったことはありませんか?」、「こんな事聞いていいのか解らないけど、お金どうやっているんですか?」、「デビュー前に仕事なさってたんですね、と言う事は活動が16年だからお年は……」など、やらせ一切なしを証明する「アイドルには聞いてはいけない」質問に会場が湧いた。

しかし対談では前田氏とPaix2お二人の経験から、どうして犯罪を起こしてしまうのか、現代社会に見られる犯罪者を生み出してしまう構造の問題点などが真剣に議論された。熱を帯びた対談はまだまだ続きそうだったが、会場の都合上16時30分で散会となった。

ゼミ終了後は場所を移しての懇親会が行われ、約70名が参加した。常連の参加者のみならず、「格闘家」前田氏のファンの姿も多く、恒例となったサインを求める長蛇の列が今回も見られた。

2010年に鈴木邦男氏をホストとして始まった「西宮ゼミ」シリーズは、足掛け7年、30回の開催で一区切りとなる。常連の参加者からは「いつも楽しみにしていたのでこれからも続けてほしい」、「東京や大阪ではなく、西宮や尼崎で知識人の討論を聞くことが出来る貴重な機会だった。再開を強く求めます」、「なんで止めるの? まだやってよ」など継続を求める声が多数聞かれた。松岡社法への「直訴」も相当な数にのぼった。この熱烈「継続希望」を受けて、今後果たしてどのような展開をみせるであろうか。
 
ともあれ一段落である。ここで過去ゲストとして登場頂いた方々を振り返ってみよう。

鈴木邦男ゼミ(第1期):飛松五男(元警察官、現コメンテーター)さん、水谷洋一(西宮冷蔵社長)さん、浅野健一(当時・同志社大学教授)さん、 Paix2(ぺぺ。歌手)さん、野田正彰(精神科医。当時・関西学院大学教授)さん、山田悦子(甲山事件冤罪被害者)さん。

鈴木邦男ゼミ(第2期):本山美彦(経済学者。当時・京都大学名誉教授、大阪産業大学学長)さん、寺脇研(元・文部次官。京都造形芸術大学教授)さん、北村肇(『週刊金曜日』発行人)さん / Paix 2(ぺぺ。歌手)さん、重信メイ(国際ジャーナリスト)さん、田原総一朗(ジャーナリスト)さん、池田香代子(翻訳家、作家)さん

鈴木邦男ゼミ(第3期):上祐史浩(宗教家)さん、神田香織(講談師、ふくしま支援・人と文化ネットワーク代表)さん、湯浅誠(反貧困社会運動家。元・内閣参与)さん、前田日明(格闘家、思想家)さん、青木理(ジャーナリスト)さん、内田樹(思想家、武闘家。当時・神戸女学院大学名誉教授)さん。

浅野健一ゼミ:山田悦子(甲山事件冤罪被害者)さん、河野義行(松本サリン事件冤罪被害者)さん、北村肇(『週刊金曜日』発行人)さん、安田浩一(ジャーナリスト)さん、安田好弘(弁護士)さん、矢谷暢一郎(ニューヨーク州立大学教授)さん。

前田日明ゼミ:鈴木邦男(思想家、社会運動家)さん、孫崎享(国際ジャーナリスト)さん、田原総一朗(ジャーナリスト)さん、山口二郎(政治学者、法政大学教授)さん、木村草太(憲法学者、首都大学東京教授)さん、 Paix 2(歌手、保護司)さん

単に著名人が多く登場しているだけでなく、ホストとゲストの関係で語られるテーマがリレーのように繋がれてきていたのも、今から振り返れば「西宮ゼミ」の特徴と言えよう。一応の区切りに多数寄せられた「継続」を求める参加者の声に鹿砦社はどのように応えるか、注目が集まる所ではある。しかし「西宮ゼミ」開催にあたっては、参加者の増加に伴い、本社社員が全員休日総出で当って来られた事情もある。暫くは一息ついて休憩をして頂き、また鹿砦社らしい企画が再登場することを期待したい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

Paix2『逢えたらいいな―プリズン・コンサート300回達成への道のり』(鹿砦社2012年)
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投げても打ってもモンスター! 日本ハム大谷翔平選手の人智を超える二刀流野球

 

6月5日、デーゲームのプロ野球、巨人VS日本ハムを見た。はっきりいって目的は大谷翔平(日本ハム)の剛速球が見たいのと、14試合連続安打をマークしているその打撃だ。

1000円の立ち見席は、午後2時開始というのに、12時30分にはもうスペースが埋まっており、「モンスター・大谷」を見たさに多くの人がひしめいて、もはや芋あらい状態だ。立ち見には7列にできていては、野球なんか見れるわけない。

それでも、人と人の間から見る大谷が投げるボールは、あたかも重力に逆らっているようだ。ストレートはまるで地面に落ちる気配がなくビーンと延びていく。この日、4回1死満塁でクルーズを迎えたピンチでは、なんと163キロの急速をマークし、自己最高記録を更新した。

 

「それでも、大谷は急速に10キロほど体重を増やして、その体躯を使い切っていないように見えます。上から手投げだし、変化球でなんとかかわした印象です」(スポーツライター)

そうすると、5番に阿部慎之助帰ってきて交流戦負けなしだった巨人が2点しかとれない巨人の打線とはなんなのだろう.未完成の二刀流の大谷に手も足も出ない。

大谷は、スイングスピードもすさまじく、肉眼でその軌道を捉えるのは難しい。なにしろメジャーのスカウトたちも注目を始めており、「二刀流なら、打者が打席に立つナショナルリーグで」という声も上がりはじめた。
というわけで、初夏に最高のゲームを見た。

もちろん4万6239人と「立ち見を詰め込みすぎ」という運営はちょういとまずいと思うのだが、あいかわらず「12球団一、美人を集めている」といわれる東京ドームのビール売り子ガールに免じて許すとしよう。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。大本営発表のマスコミに背を向けて生きる。自称「ペンのテロリストの末席」にして自称「松岡イズム最後の後継者」。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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波乱万丈の人生を送った異色の名脇役、弾正勝物語

「早くからキック中心に修行していれば名チャンピオンになれた」と言われるほど惜しい存在だった昭和のキックボクサー、弾正勝(だんじょう・まさる)──。立嶋篤史選手が兄貴と慕うジムの先輩で、幼い頃から選手になっても続いた苦労と天性の才能には「弾正さんの人生を本にしてくださいよ」と言われたこともありました。

この弾正勝氏を記事として取り上げることにしたのは、先日、電話が掛かってきて、「今度、東京方面に行く用があるので、久々に逢いましょう」と誘われてのことでした。以前、ある出版物でのコラムで紹介した内容の再録の部分もありますが、更に細かく紹介したいと思います。

島津昇吾戦のリング上へ 1986.9.20

◆本業は左官工、実戦で力を培う一流選手

元・日本ウェルター級1位選手、弾正勝の生い立ちは、幼いまだ記憶にも残らぬ頃、両親が離婚。そして5歳の時、母親を交通事故で亡くし、母方の親戚に預けられて育った弾正勝は、貧乏な生活環境から中学卒業の翌日には左官工見習いとして働き出しました。

1973年に20歳でデビューしたのも、大金を稼ぐためでした。しかし次第に業界の在り方を知り、キックボクシングではチャンピオンになっても思うような大金は稼げないことを知ってからは、キックに集中することは無くなりました。生活を支える左官業に重点を置いて地道に稼ぎ、キックは副業と位置付けつつも、一旦キックに魅せらたら辞めることはできませんでした。

ロッキー武蔵戦での勝利のファイティングポーズ 1985.3.16

日々、左官の仕事がある中、試合日以外は休みなく毎日働き、試合中ダウンした時でさえ「明日の仕事に響く」という思いが頭を過ると、そのままテンカウントを聞いてしまうこともあったといいます。

弾正勝のデビュー戦は1973年(昭和48年)、ベンケイ藤倉ジムに所属し、後の全日本ライト級チャンピオンの大貫忍(相武)戦で判定負け。その当日は育ての親だった親戚の叔母さんが病気で亡くなり、告別式を終えての試合でした。

1977年には挙式と転居と共に高葉ジムに移籍。更に1981年には習志野ジムに移籍しました。本業と家庭の事情で通算5年のブランクを作りつつ、5回戦キックボクサーとしての実力は実戦で培っていく勝負勘を持つ一流選手でした。

◆30歳過ぎて強くなる異色の存在

転機となったのは1982年に葛城昇(後の日本フェザー級チャンピオン/MA日本キック連盟認定)が西川ジムから習志野ジムに移籍して来た時でした。それまでは他に練習生もいないキック低迷期で練習はいつもひとり。ほどほどにサンドバッグを蹴って帰ることが多かったところ、元々“鬼の黒崎道場”で鍛えられた葛城が来てそうはいかなくなりました。試合が近いにもかかわらず、仕事を終え自宅でビールを飲んでくつろいでいると、葛城がやって来て「試合近いのに何やってんですか!」と怒鳴られジムに引っ張り出されました。

千葉昌要戦でセコンドを務める鬼の継承者・葛城昇と

葛城がロードワークを兼ねて弾正宅に乗り込むのは、試合が決まってる時期はほぼ毎日。年齢もデビューも5年以上も後輩の葛城に引っ叩かれることもありました。酒の臭いをさせながらも「弾正さんにミット蹴らせると重い蹴り出すんだよ~!」とは葛城の弁。後々の試合で勝利を重ね、30歳過ぎて強くなる異色の存在の裏には葛城選手の存在があったことは運命の導きだったかもしれません。

◆極真出身の竹山晴友に立ちはだかる弾正勝

1986年4月に竹山晴友(大沢)が極真空手の実績を引提げキックデビューし、9戦9勝(9KO)の連勝を続ける中、1987年4月、弾正勝は竹山に立ちはだかる存在としての対戦。一部には竹山を “潰してやろう”精神が密かに浸透していたのも事実。

千葉昌要(目黒)戦

黙々と前に出て来る竹山から左ストレートで初のダウンを奪ったのは弾正勝でした。竹山は立ち上がろうとするも足にきていて、すぐには立ち上がれず、完全に効いた印象の悪いダウン。しかし竹山は立ち上がり、また黙々と前に出る。弾正勝の欠点は練習不足からくるスタミナ不足。竹山は毎月試合が組まれる看板選手で、黙々と練習をこなすスタミナ抜群の選手。次第に形勢逆転し、ボディブローに倒されたのは弾正勝でした。

同年6月、更に日本ウェルター級王座決定戦に起用された弾正勝は、こちらも竹山に対抗する看板選手だった鈴木秀男(花澤)と対戦。ムエタイスタイルが浸透し始めたこの時代、タイボクサーのようなしなる蹴りを持ち、パンチもあった鈴木秀男に倒され王座奪取は成らず。

ロッキー武蔵(千葉八戸)戦 1985.3.16

後に全日本系に移った弾正勝の所属する習志野ジムは、1989年1月、全日本ウェルター級チャンピオン.船木鷹虎(仙台青葉)に挑戦。しかしここでも肋骨を折られるKO負け。これがラストファイトとなりました。

ここに至る以前のトップクラスと当たった試合では1983年に1000万円オープントーナメント62kg級準々決勝で元・ラジャダムナン系ライト級チャンピオン.藤原敏男(黒崎)と対戦した試合がありました。デビュー以来、試合が“怖い”と思ったことは無かったという弾正勝が、唯一怖いと思った試合がこの藤原戦だったと言います。キックに対する向き合い方の違いに委縮したか、蹴り足を掴まれ、押し倒されること十数回。4R・TKO負けとなりながらも精一杯蹴り合った試合でした。

藤原敏男(黒崎)戦 1983.1.7

◆アルンサックにKO勝ちした唯一の日本人選手

弾正勝はチャンピオンには縁がなかったですが、ひとつだけ知られていないエピソードがありました。“日本”では 8戦負け知らずで、日本ミドル級チャンピオンの竹山晴友を子供扱いした、アルンサック・チャイバダン(タイ)にKO勝ちしている“日本人”は弾正勝氏だけでした。

アルンサックがまだ来日前の1982年に香港で対戦。技術的には優ったアルンサックが、ナメてかかってきたところを接近戦で弾正勝が蹴りとパンチの連打でKO勝利してしまいました。

1977年に子連れ結婚という形で所帯を持ち、その子供が1985年に結婚し、孫が生まれたことにより、おじいちゃんキックボクサーとしても話題になっていました。活力はそこにあり、当時「まだ辞めないよ」と控室で笑いながらグローブをはめる弾正勝の表情は生き生きしていました。その結婚式には、幼い頃に別れた父親とも再会していました。不憫な思いをさせたことを父親は謝りましたが、弾正は親を恨んではおらず、育ての親だった叔母さんに躾けられたのは、親が居たから自分が存在するという命を与えてくれたことへの感謝の気持ちを持つことと“明るか貧乏”で、その人格は弾正を立派に育てられていました。しかしそのお父さんまでもその2ヶ月後に病気で亡くなられる運命を辿ってしまいました。

現在の弾正勝氏 本名・内田康夫

現役選手を続けつつ、本業は社長として内田工業(株)を経営し、引退後は現在も左官業を経営。現役時代は当時あまりいない刺青を腕にしていて強面で、一見近付き難い存在でしたが、後輩に引っ叩かれても穏やかにこなしたジムワーク。最近も逢って話せば穏やかな口調は現役時代と変わらず、歳も取ってより優しくなった印象があります。

そして出てくる話は昔のキック。「日本系・全日本系の2団体時代は交流戦があって盛り上がったね。今もそうなればいいのに」とは昔の選手共通の願い。

後輩の立嶋篤史に「タイには若いうちに行った方がいい」と助言したのも弾正勝氏でした。キックにあまり力を注がず、タイにも修行に行けなかった後悔を立嶋篤史にはさせたくなかった想いがありました。懐かしい昔話はそれだけで楽しい時間が経ってしまいます。

昔懐かしい選手との再会をまた話題を変えつつ触れて行こうと思います。昭和のキックボクサーと年齢的に、お互いがそう長くない人生となっていくことを考えると、後悔しないようまた記事にすること目標にしていきたいものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
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視聴率低迷で実質打ち切り「OUR HOUSE」の救いはプロレスラー高山善廣の演技

芦田愛菜とシャーロット・ケイト・フォックスがダブル主演しているフジテレビ系連続ドラマ「OUR HOUSE」(日曜午後9時)の視聴率の苦戦が続き、ついに昨晩12日に実質打ち切りのようなかたちで最終回が放映された。

「2話を強引に1話にまとめたので、話がわからなくなった。亡くなった母親のいとこが登場して『私が母親になります』と言い出す始末。これは昭和初期から作られてきたドラマの焼きなおしにすぎません。いったい、脚本家は何をどうしたかったのか」(放送作家)

第7話(29日放送)の平均視聴率が4.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だった。これで第4話が3.8%と落ち込んでから、第5話で5.4%に回復も平均視聴率は3.9%だ。「動物の映像でも流したほうがよかったんじゃないか」と陰口も。

「ただひとつ、救いはあります。プロレスラーの高山善廣の素朴な演技がめちゃくちゃに評判いいんですよ。寡黙で、科白を言わなくても目で演技できるところがいいと演出家たちが声をそろえています」(制作会社スタッフ)

芦田さん演じる伴桜子の父親・奏太(山本耕史)の姉・赤尾琴音(松下由樹)の夫である救命士を案じているが、別居中の妻、琴音になんとかよりを戻そうとしてトライするも、行状の悪さをまくしたてられて引っ込む、という情けない役を見事にこなしているのだ。

「ふだんは、相手とディフェンスもまったく省みずにボコボコに殴り合う高山が、背中を丸めて情けない味を出している。これはもう演技力以外の何ものでもないでしょう。演出畑の仲間も注目し始めていますよ」(同)

かつてNHK大河ドラマ「功名が辻」をはじめ様々なドラマにゲスト出演してきた高山だが、初の連続ドラマにレギュラー出演で、「リング外」での活躍の場をゲットしたようだ。「ほかのテレビ局のドラマ制作演出部も、髙山に注目し始めたようです。髙山がオモチャ好きなのを知って、『よし、ひとつ超合金ロボでももって挨拶にいこうか。なんのオモチャを欲しがっているかリサーチしておけ』などという指示が飛び始めたようですね」(同)

しかし、プロレスラーとしての髙山にとって長時間拘束されるドラマの仕事は「体がなまるので格闘技としては積極的にすべきじゃない」と知人に漏らしている。

「残念だね。『戻ってきて』という手紙を妻本人に渡せずに、入口のところで『渡しておいてくれ』と頼むシーンは哀愁が出ていて泣けてきました。立っているだけで悲しみが表現できる役者だけに、1シーンでもいいから出て欲しい」(プロデューサー)

果たして、数年後のNHK大河ドラマに重要な役で起用される日も近い?!

(伊東北斗)

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