MAGNUM.41 江幡塁と重森陽太と高橋勝次のそれぞれの奮起!

5月29日、ラジャダムナンスタジアムで敗れた江幡塁と重森陽太の二人が、本場の経験を活かして、それぞれの奮起。江幡塁はローキックとパンチを主体に相手の出方を窺いながらの素早い切れ味良い攻めはより進化あり。ローキックは次第に効いていき、ペットクラピーは心折れるように倒れ込みました。立ち上がるも陣営よりタオルが投げられた棄権により江幡塁のKO勝利。

江幡塁の左ハイキック
重森の右ローキック

重森陽太も初の本場リングに立った自信から多彩な攻めが力強く感じられました。右の蹴りも威力が増した感じ。重森の圧力に下がり気味のカターテープは手数が追いつかないまま重森の右ハイキックが頭部に命中。一発で仕留めました。

日本ライト級タイトルマッチ、勝次(高橋勝次/藤本)vs 永澤サムエル聖光(ビクトリー)の昨年3月の王座決定戦以来の再戦で、勝次が判定勝利で2度目の防衛。2ラウンド目の永澤のローキックが当たりだし、勝次の印象が悪いが、3ラウンド目には勝次のパンチ蹴りの盛り返しでそのペースを持続。5ラウンドには顔面打ち合いの激しさが増すスリリングな展開のまま終了し小差ながら判定勝利。

勝次の左飛ヒザ蹴り

渡辺健司が昨年引分けている松岡力に、ベテランの技を見せつけた青コーナー寄りでのカウンターのパンチでダウンを奪い、更にヒジ打ちで松岡の額を切る攻勢。反撃の松岡のパンチラッシュもかわして余裕の勝利。挑戦者決定戦で政斗に引分けつつ敗者扱いで後退した松岡の再浮上の野望を打ち砕きました。

松岡の巻き返し狙う懸命の右後蹴り

新チャンピオンになって初戦の泰史は、チャンピオンの重圧を感じているような、じれったい苦戦。現・元ランカーとも第一線級ムエタイボクサーとは今後も当たらなければならない地位で攻める姿勢は見せるものの、ティンリーに有効打を無に返される展開で辛うじて引分け。

—————————-
◎MAGNUM.41 / 7月3日(日) 後楽園ホール17:00~20:57
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

ペットクラピーに最後の一撃の塁

-主要6試合-

◆56.0kg契約 5回戦

WKBA世界スーパーバンタム級チャンピオン.江幡塁(伊原/55.9kg)
.vs
ペットクラビー・ペットプームムエタイ(タイ/55.6kg)
勝者:江幡塁 / KO 3R 1:53 / カウント中のタオル投入 / 主審 少白竜

永澤も懸命に逆転を狙った連打のひとつ

◆日本ライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.勝次(藤本/61.1kg)vs 1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー61.0kg)
勝者:勝次
3-0 (主審 椎名利一 / 桜井 49-48. 少白竜 49-48. 仲 49-48)

勝次、勝者の雄叫び

◆57.5kg契約3回戦 

日本フェザー級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/57.35kg)vs カターテープ・ポー・アリパーイ(タイ/57.0kg)
勝者:重森陽太 / TKO 3R 0:39 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 桜井一秀

重森が右ハイキックを放った後、喰らったカターテープが崩れ落ちる

◆68.0kg契約3回戦 

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城/67.75kg)vs 同級1位.松岡力(藤本/68.0kg)
勝者:渡辺健司 / 3-0 (30-27. 28-27. 30-28)

◆52.0kg契約3回戦 

日本フライ級チャンピオン.泰史(伊原/51.95kg)vs ティンリー・リバイバル(元・ラジャダムナン系F級C/タイ/51.2kg)
引分け / 0-1 (29-29. 29-30. 29-29)

◆70.0kg契約3回戦

喜多村誠(前・日本M級C/伊原新潟/69.8kg)vs ナ・スンイル(韓国/69.2kg)
引分け / 三者三様 (30-29. 29-30. 29-29)

◆他、7試合

5月29日(日)タイ国ラジャダムナンスタジアム

123 LBS 5回戦  
セーンピチット・STDトランスポート(タイ)vs 江幡塁(伊原)
勝者:セーンピチット / 判定

127 LBS 5回戦  
タレーグン・ポー・アーウタレーバーンサレー(タイ)vs 重森陽太(伊原稲城)
勝者:タレーグン / 判定

—————————
江幡ツインズや重森陽太をはじめ今すべてのチャンピオンたちはデビューした時から“ランカー3回戦世代”です。その為、王座挑戦試合から5回戦を経験しても1ラウンドから飛ばし気味の傾向があるように感じます。それでも全5ラウンドをスタミナ切れずに乗り切るので凄いことですが、プロボクシングシステムにある「各ラウンドは独立したラウンドで、前のラウンドの印象を後のラウンドの採点に影響を与えてはならない」という基準はキックボクシングには正式な文言は無くとも、その基準で競技運営されてきましたが、本場ムエタイにその基準は無く、後半に進むにつれ、勝負を懸けてより攻勢に行かねばならない駆け引きに、日本の選手は3回戦慣れからくる短期決戦に体幹的に導かれ、主導権を奪われてしまうのかと感じます(素人考えですが)。

またそういう後半勝負重視の採点基準の為、ムエタイでは偶然のバッティングなどの負傷による試合続行不可能になった場合、負傷判定が無くTKO負けになります。
昔の名チャンピオンで、スロースターターだった須田康徳や松本聖が3回戦で試合してたら引分けが多かったろうなと思いますが、石井宏樹も後半勝負が多く、2004年の5回戦から3回戦に短縮された当初は引分けが多かったですね。

勝次は2014年5月に翔栄(治政館)との日本ライト級王座決定戦に判定で敗れ、その翔栄が返上した王座を昨年3月、永澤サムエル聖光と争い判定勝利で王座獲得。12月には春樹(横須賀太賀)に判定勝利で初防衛。そして迎えた今回の防衛戦で永澤サムエル聖光を返り討ちで2度目の防衛。12月には3度目の防衛戦を希望し、来年には殿堂ラジャダムナン王座挑戦を夢描いています。

旧目黒ジムである藤本ジムは「防衛してこそ真のチャンピオン」と言われる先代会長の名言があり、「防衛を重ねることは名チャンピオンの証」であることも含まれるでしょう。早々に返上したチャンピオンもいましたが、怪我など諸々事情もあるようです。今の時代に於いて勝次は比較的早いペースで防衛戦をこなしているので好感が持てます。

新日本キックボクシング協会、興行予定は8月28日(日)ディファ有明に於いてWINNERS 2016.3rd、9月18日(日)後楽園ホールTITANS NEOS.20、10月23日(日)後楽園ホールMAGNUM.42と続きます。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

 衝撃緊急出版!『紙の爆弾』増刊『ヘイトと暴力の連鎖』!
 「世に倦む日日」田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』
 タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』8月号!

NO KICK NO LIFE 最終章──そして次回、進化の変貌へ!

「今回でNO KICK NO LIFEは終了となります」と言っても、小野寺力氏がイベント開催を撤退することなど1000%在る訳がなく、「“キックなくして我人生なし” は1ミリもブレずに何十倍にも大きくなって帰って参ります」と語った小野寺力氏。9月14日に渋谷TSUTAYA O-EASTに於いて公開記者会見(発表会)が行われます。観覧(観戦)自由ということですが、開始時刻等詳細は後日発表です。

対戦を前に全員集合。イベント参加者としては個々複雑な想いがあるでしょう

◎NO KICK, NO LIFE~THE FINAL~
6月24日(金)渋谷TSUTAYA O-EAST.19:00~21:55 主催:RIKIXジム / 放映:フジテレビオンデマンド
7月3日(日)22:00~スカパー『Fighting TV サムライ』でも放映

◆60.5kg契約 5回戦

WBCムエタイ世界スーパーフェザー級チャンピオン.梅野源治(PHOENIX/60.4kg)
VS
ヨードワンディー・ニッティサムイ(ヨーペットから改名/タイ/60.3kg)
引分け / 1-0 (主審 大成敦 / 北尻 48-48. 玉川 50-47. 大村 48-48)

ハイキックでヨードワンディーを弾き飛ばす梅野
梅野源治vsヨードワンディー。効果あった梅野の伸びる右ストレート

梅野源治の右ストレートでヨードワンディーがノックダウンしましたが、「梅野のパンチは当たっていたか?」という疑問が試合後、あるジムの会長より聞かれました。ヨードワンディーすぐ立ち上がり、“ダウンではない”というしぐさを示しましたが裁定は当然ながら覆らず。実際は額に当たっていたようです。

最近のレフェリー組織によっては「フラッシュダウンは取らない」という傾向もあるキックボクシングですが、これは裁くレフェリー陣の経験や、古いキックと今時のムエタイの視点の置き方などの違いがあります。インパクトは軽くても見た目は当たって倒れ、ノックダウン扱いとなったら、それに従うしかありません。

梅野はやや劣勢になる展開もありつつ、的確なヒットもあり、完全に取られたラウンドがあったかは難しい見極めでした。ヨードワンディーを含め、日本選手にもタイ選手にも研究される立場の中、トップクラスと激闘続く梅野は、またも引分けでも評価は落ちないでしょう。

◆59.5kg契約 5回戦

全日本スーパーフェザー級チャンピオン.森井洋介(ゴールデングローブ/59.3kg)
VS
チャオ・ロブート(元ルンピニー系フライ級C/タイ/59.0kg)
勝者:森井洋介 / 3-0 (主審 北尻俊介 / 大成 49-47. 玉川 50-46. 大村 50-47)

劣勢気味のチャオも実質負けてはいない互角の蹴り合い
冷静に狙っていたチャオのハイキック。油断ならない展開が続く

森井洋介は多彩なパンチとローキックを武器に、左のボディブローが度々強烈にヒット。怯まないチャオは下がらずローキックやパンチで軽く様子を見ながら時折強烈なハイキックやヒジ打ちを繰り出しました。終始、森井の手数が多く主導権は譲らず2~4ポイント差で安定した勝利。

◆57.3kg契約 5回戦

WBCムエタイ・インターナショナル・スーパーバンタム級チャンピオン.宮元啓介(橋本/57.0kg)
VS
北薗翔大(元KOSフェザー級チャンピオン/田畑/57.2kg)
勝者:宮元啓介 / 3-0 (主審 大村勝巳 / 大成 49-48. 玉川 50-49. 北尻 49-47)

後半は宮元が主導権を握った展開

北薗翔大は元KOSフェザー級チャンピオンの経歴を持ち、テクニックはしっかり備えた選手で宮元に負けないせめぎ合いを続けましたが、後半はテクニックと経験値で優る宮元が主導権を握り、飛び技を出す余裕で小差ながら判定勝利を導きました。

◆65.0kg契約3回戦

中尾満(エイワスポーツ/64.5kg)vs 前田将貴(RIKIX/65.0kg)
勝者:前田将貴 / 0-3 (主審 北尻俊介 / 大成 28-30. 玉川 28-30. 大村 29-30)

◆ライト級3回戦

雅駿介(PHOENIX/61.23kg)vs 錦和道(ゴールデングローブ/61.0kg)
勝者:雅駿介
TKO 3R 0:22 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 玉川英俊

結果は引分け

◆スーパーフェザー級3回戦

浦林幹(フリー/58.3kg)vs 藤野伸哉(RIKIX/58.9kg)
勝者:藤野伸哉
TKO 3R 2:01 / レフェリーストップ / 主審 大成敦

◆スーパーフェザー級3回戦

井上将吾(白山/58.4kg)vs 旭野穂(ゴールデングローブ/58.5kg)
引分け / 0-0 (主審 玉川英俊 / 大成 29-29. 北尻 29-29. 大村 29-29)

17歳とは思えぬ風格の那須川天心

◆毎回期待を裏切らないNO KICK NO LIFE

今回の開催時間は約3時間掛かりましたが、全7試合は手頃な試合数でした。
アトラクションとして、話題の17歳天才キックボクサー、那須川天心がミット蹴りを披露しました。素早さ、バランスの良さ、力強さ、これは確かに、天才と言われる素質に納得です。

前半4試合は、前日計量のルールミーティングで忠告された「小野寺力氏がコンセプトとする“キックボクシングの魅力を世間に伝える”ことを意識に持つこと」を促されていて積極的に打ち合いに出るファイトが目立ちました。後半3試合は、ベテランの経験値を活かした攻防に判定結果ながらファンを魅了していました。

いろいろな団体、各プロモーション単位の興行は増えましたが、NO KICK NO LIFEも毎度期待を裏切らない5回戦のこだわりと豪華さがありました。次回、リニューアルスタートを切る小野寺力氏自身の思想は、原点が純粋なキックボクシングの老舗だっただけに、間違った方向に行かないのは確かなところでしょう。単に新たなキックのイベントでなく、キックの魅力を世間に伝える為、どんな再スタートを切るか期待が掛かります。

負傷した選手、会場を後にした選手等を除いて、お疲れ様集合写真で締め括る

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』8月号!

7月14日衝撃緊急出版!『ヘイトと暴力の連鎖』(『紙の爆弾』増刊)

7月14日衝撃緊急出版!『紙の爆弾』増刊『ヘイトと暴力の連鎖』!
『NO NUKES voice』08号【特集】分断される福島──権利のための闘争

高橋三兄弟、復帰の岡田清治、翔・センチャイジム出場の多彩なファイター出場!

大和知也の右ストレートが翔太の接近を防御
大和知也、無念の負傷敗北
センチャイジム陣営、アウェイで勝利

武士シリーズVol.3 / 6月19日(日)後楽園ホール17:30~21:20
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆61.5kg契約 5回戦

NKBライト級チャンピオン.大和知也(SQUARE-UP/61.2kg)
VS
WMC日本ライト級チャンピオン.翔・センチャイジム(佐藤翔太/センチャイ/61.5kg)
勝者:翔センチャイジム / TKO 3R 0:48 / 左腕骨折の疑いでタオル投入による棄権。
主審 川上伸

古いキックスタイルの大和知也と今時のムエタイスタイルの翔・センチャイジムという全く違うタイプの対戦はパンチヒジ打ち、ミドルキック、ヒザ蹴りなど、離れてよし、接近してよしの翔太が有利な技を持ち、1Rには早くもパンチで大和知也からダウンを奪う。

大和も伸びる右ストレートとローキックが翔太のムエタイ戦法を封じる動きだが、翔太の距離を詰めつつある動きに、大和が練習で痛めた左ヒジに翔太のヒザ蹴りが当たると大和の動きが鈍くなる。左腕が使えないような下がった状態。セコンドがタオルを投げ試合を終了させました。大和知也はメインイベンターとして強行出場ながら、練習での怪我が多いのが気になるところです。

チャンピオンになっても守りに入らない積極的前進の安田一平
強打同士も圧力で2度のダウン奪って仕留める
勝利の瞬間、最高の気分の時

◆67.0kg契約 5回戦

NKBウェルター級チャンピオン.安田一平(SQUARE-UP/66.6kg)
. VS
同級5位.マサ・オオヤ(八王子FSG/66.7kg)
勝者:安田一平 / KO 1R 1:49 / カウント中のタオル投入による棄権。
主審 鈴木義和

王座獲得後、初戦となった安田一平は守りに入らず、打ち合い覚悟の左右パンチで2度ダウンを奪い豪快にKO。

◆ミドル級 3回戦

NKBミドル級6位.西村清吾(TEAM-KOK/72.5kg) VS 釼田昌弘(テツ/72.1kg)
勝者:西村清吾
判定2-0 (主審 前田仁 / 佐藤 30-29. 川上 30-29. 鈴木 30-30)

◆ウェルター級 3回戦

NKBウェルター級7位.岡田拳(大塚/66.5kg) VS 上温湯航(渡邉/66.4kg)
勝者:岡田拳(岡田清治/元同級C)
判定3-0 (主審 馳大輔 / 佐藤 30-27. 川上 29-27. 前田 30-27)

元NKBウェルター級チャンピオンの岡田清治(大塚)が岡田拳とリングネーム改名し3年ぶりに復帰。デビュー1年ながら、前に出る圧力ある上温湯航(うわぬゆ・こう/渡辺)と対戦。上温湯が予想どおりヒザ蹴りハイキックで圧力かけるも、元チャンピオン岡田はやや劣勢の中、冷静に試合勘を取り戻すように様子を見る。次第に岡田のローキックが効きだして上温湯の圧力が弱まり、ダウン奪って逆転判定勝利。

◆55.0kg契約 3回戦

NKBバンタム級1位.松永亮(拳心館/54.7kg) VS 町野秀和(八王子FSG/54.8kg)
勝者:町野秀和
判定0-3 (主審 鈴木義和 / 前田 28-29. 佐藤 28-29. 馳 28-29)

◆59.0kg契約 3回戦

NKBフェザー級2位.優介(真門/58.5kg) VS 竜坊(BIBLE/59.0kg)
勝者:優介
判定3-0 (主審 川上伸 / 馳 30-28. 佐藤 30-28. 鈴木 30-29)

柔軟なハイキックが冴える高橋聖人
ヒジヒザも有効に使う高橋聖人

◆フェザー級 3回戦

NKBフェザー級4位.KAZUYA(JKKG/57.15kg) VS 高橋聖人(真門/57.1kg)
勝者:高橋聖人 / TKO 3R 2:10 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 前田仁

高橋三兄弟三男の聖人はようやくデビュー一年が過ぎたところ、デビュー戦以来のKO勝利を飾り、4戦3勝(2KO)1分となりました。三兄弟としては次男・亮が昨年12月に王座獲得、長男・一眞が4月に王座奪取失敗、聖人は2月に引分けと、まずまずながら、期待が掛かる次期エースの立場としては停滞している感が強い。そんな中、次男・亮が7月3日ディファ有明でのBOM興行(バトルオブムエタイ)に出場します。キョウヘイ・ゴールドライフ(ゴールドライフ)と対戦予定。高橋三兄弟の、進化と明確な実力の披露に、好感度アップと勝利の期待が掛かります。

デビュー戦以来のKO勝利、ランキング入りは確実の高橋聖人

◆他3回戦6試合

4月16日の興行で7戦7敗の岩田行央(大塚)が豪快なKO勝利を飾り、初勝利を挙げました。その興行最優秀選手として6月19日のリング上で表彰されました。デビューが2009年ですでに30歳でしたが、「勝つまでやめられない」と頑張ってきたようです。惜しい展開もありつつ、なかなか勝利を挙げられないまま8戦目を迎えることも難しいものです。

しかし、ここでもうひとつレベルアップを図ろうと高橋三兄弟三男の聖人との対戦を熱望しました。話の成り行きが先行している状況のようで正式決定はしていませんが、アトラクションやパフォーマンスも充実してきた同興行に於いて、リングアナウンサーのような正装でリングに上がった岩田選手。表彰とインタビューを受ける姿はインパクトありました。ここからチャンピオンになったら凄い話題になりますね、日本を越えるほどの王座まで狙って欲しいところです。

6月26日 (日)新宿フェース17:30開始のJ-NETWORK 興行ではメインイベントで、NKBバンタム級6位の佐藤勇士(拳心館)がJ-NETWORKバンタム級6位の金基勲(キムギフン/韓国/STRUGGLE)と対戦予定。高橋亮も7月3日のBOM興行出場と、他団体(フリープロモーション興行含め)出場も緩やかに増えて、更なる団体交流に期待が掛かります。

司会は元NKBウェルター級チャンピオン.武村哲、岩田行央、高橋聖人の次期対戦候補の顔合わせ

次回興行、武士シリーズvol.4は10月2日(日)の開催ですが、NKBバンタム級からウェルター級までの4階級のチャンピオンが出場。タイトルマッチの発表はまだないですが、活性化に繋がる争奪戦に期待したいところです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7日発売!

夢と希望に満ちたジム入門の前に《後編》──理想のジムと出会うために

◆一般的なジムの選び方

ジムに入門する場合の一般的なジムの選び方は、まず家から近いこと、職場仲間といっしょにやれること、練習費が安いこと、更には有名選手が所属している、元・有名選手が経営している、女性用設備が充実している、タイ人トレーナーが常在している、などでしょう。

日本で最初のジム。藤本ジムに名は変わったが、目黒ジムを引き継いで盟友が集う。目黒藤本ジム落成懇親会(2005.4.17)

もう一歩、踏み込んで考えるならば、多少家から遠くても、練習費が少しだけ高くても、引越の際に賃貸物件を幾つか見て回るように、ジム見学を幾つかしてみた方がよく、また斉藤京二氏の例のような、団体が乱立していることを知らない少年たち、業界の組織図のようなものを理解してから、どこのジムに行けば目指す方向が近いのか、自分との相性も含め、何か感じ取れれば、後の後悔があっても小さくて済むかもしれません。ただし、プロデビューを目指すなら、どこのジムも厳しい練習があることだけは変わりません。

同・落成懇親会。元・東洋ウェルター級チャンピオン.斉藤元助、伊原信一現・協会代表、元・日本ヘビー級チャンピオン.池野興信。創生期の荒くれたジムを知る名チャンピオンたち(2005.4.17)

練習生としてジム入会諸々の手続きを経て練習開始し、基礎体力、基礎技術習得しプロライセンス制度が有る団体では取得後プロデビュー、そのジム所属としてプロ選手生活が始まります。大雑把に言えば、伸び悩んで方向転換する(引退、転向など)といった選手が多い中、チャンピオンやランカーなど、地道に勝ち上がっても、その地位を維持するだけで必死の努力で、入門者数のほんの一握りになっていきます。

◆稀に移籍トラブルが発生

そして稀に移籍トラブルが発生します。ジム会長と選手間で、主にはファイトマネーが絡む問題。またはその他の待遇に関するもの、進む方向に関わるもの、練習環境の問題などありますが、転勤や家族の事情で遠地に移る場合を除き、移籍はそう簡単なものではありません。送り出す側のジムと受入れる側のジムが対話で円満に解決してくれればいいですが、有力選手になると、そうはいかない場合もあり、行き場を無くし引退を余儀なくされる場合もあるようです。

藤本勲会長。ジム前でポーズ。日本で放映されたキックボクシングの最初の人(2006.1.5)

「移籍金100万円払ったのに、1戦しただけで姿消された」という話も昔聞いたことがありますが、円満に移籍してもその先で挫折する、過去にそんなパターンもありました。

円満に移籍できなかった場合、密かに海外、タイなどで試合するという例はあるようです。選手とのトラブルがあってもすべての所属選手が会長を嫌っていることは少なく、そこは個人間の相性でしょうか。国内では聞いたことはありませんが、本気で所属選手全員に嫌われては、そのジムは試合出場が無くなり閉鎖に追い込まれるかもしれません。タイでは、あるジムから選手全員夜逃げの撤退が起こったことがありました。その後、新しい選手が入ってもジムに活気無く閉鎖に繋がりました。

◆心温かい名古屋の大和ジム

斉藤京二氏の例は決して失敗例ではなく、逆にその目白ジム(後の黒崎道場)は昭和50年代のキック低迷期であっても比較的試合出場に恵まれて、そこで頑張った先には、日本人初のムエタイチャンピオン、同門の先輩・藤原敏男にKO勝利する驚きの結果を導いたスターとなって、その後怪我もありましたが、期待どおりMA日本ライト級チャンピオンに就き、復興した全日本キック連盟に移っても引退までエース格を務めました。

チームワークが良いジムメイト、大和ジムの守永光義会長、大和大地。右は連盟代表理事・斉藤京二氏

心温かいジムと言えば、名古屋の大和ジムでは会長と選手のコミュニケーションがしっかりとれているジムと言われます。守永光義会長が選手誘って一緒に呑んでバカなこと言って溶け込んでお互いをしっかり知る、そんなところから選手を見て育てる方針には理解出来る部分があります。昭和の市原ジム(玉村哲勇会長)では、練習後、選手みんなでジム近くの焼き鳥屋で食事し、時には会長宅に押し掛け大宴会をやるといった、玉村会長自身が自由奔放な指導者だった為、日々みんなが計画せずも自然と集まる輪がありました。

石井宏樹引退セレモニーで挨拶、デビューから19年の想いを語る。ここまで来れたのは、すべて周りへの感謝

温かみあるジムはそれぞれの個性を持って他にもいろいろあると思いますが、移籍問題に発展するトラブルは少ないでしょう。
選手が引退式の中でのスピーチで、会長やトレーナー、選手仲間など周囲への感謝を述べていく挨拶があります。引退式に向けて話す内容を前もって考えてくることで、綺麗ごとを並べている部分もあるかもしれませんが、周囲への感謝は本音でしょう。周囲の協力が無ければ練習も充実せず、マッチメイクも決まらないことに繋がっていきます。

ミット持ったり持って貰ったり、スパーリングパートナーになったりなってもらったり、また先輩の試合も後輩の試合も、控室で身体にタイオイルを塗るマッサージや準備、試合中のセコンドでフォローすることなどのチームワークも学び、コミュニケーション能力が増していきます。

そんな触れ合いから教わった想い出が感謝と涙に変わるのは自然なことで、1戦でもプロ公式戦を経験させて貰えたならば、どれだけの人たちがフォローに周ってくれたかを自覚し感謝していくことは他の職場では味わえない大切な人生経験となるでしょう。どこのジムへ入っても、最後は感謝の気持ちを持って引退できる環境で戦って欲しいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』!
「世に倦む日日」主宰者による衝撃の書!田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

夢と希望に満ちたジム入門の前に《前編》──キックボクシングジム今昔物語

ジム選びは慎重に決めないと入門後、後悔する場合が稀にあります。赤い糸で結ばれていたかのような理想のジムと出逢うことも理想的ながら難しい出逢いです。

路地で練習していた頃、お巡りさんに「近所から苦情が来ている」と中止させられ、物件を探し、雑居ビルにジムを構えた頃の西川ジム。練習生も入らず、閑散としていた時代(1983.1.6)

—「目黒ジムの次に強いジムはどこだ?」
・・・「目白ジムです!」
—「よし、そこに決めた!!」

◆2団体制を知らずに対抗団体に行った斉藤京二氏

沢村忠(目黒)と対戦したくて最初のジム選び、上京して入門。ところが沢村忠が所属する目黒ジムは日本系、目白ジムは全日本系で団体が違い、通常対戦の機会は無いと、後になって知ったのは後の全日本ライト級チャンピオン、現NJKF代表理事の斉藤京二氏でした。

同様に閑散としていた頃の市原ジム。トタン屋根の板張りの床、男の汗臭い昔ながらのジム。一般の女性では絶対入ろうとしない空間(1983.6.11)

日本でキックボクシングが発祥した最初のジムは目黒ジムで最初はここひとつのみ。藤本勲vs木下尊義の、キックボクシング放映最初の試合は同門対決からの始まりでしたが、ジムはここしかないので同門ばかり、入門は目黒ジムに溢れるほどでした。

やがて目黒ジムに対抗する、あらゆる個性や方針のあるジムが誕生していき、キックボクサーに憧れ、「俺の方が強いぞ」「俺もチャンピオンになりたい」「有名になって稼ぎたい」「沢村忠と対戦して勝ちたい」「目黒ジムに負けるな、追い付き追い越せ」創生期はそんな目標が多かったかと思います。

市原ジムにて、長浜勇のミット蹴り。プレハブ小屋のこんな風情あるジムは今や少ない

ジムは殺伐としたもので、サンドバッグの取り合いなど、何か些細なことでも先を争う事態があれば喧嘩になるのは日常茶飯事。どこのジムもそんな感じだったと言われます。ちょっと気の弱い少年だったら見学もできない、そんな近寄り難い存在だったでしょう。

◆低迷期の80年代からジムの雰囲気が様変わり

大きく風向きが変わったのはキックボクシングが一旦衰退し、低迷期を彷徨った頃の、1980年代から、業界も変わり世代も変わり、殺伐とした雰囲気が無くなった頃でしょう。どこのジムも閑散として誰もいないことも珍しくなく、時代も変わって「いじめに勝ちたくて」そんな目標を持ってヒョロッとした喧嘩に弱そうな中学生が勇気を出して入門してきたという、そんな光景も方々のジムで結構あったのではと思います。

女性の入門生も多くなった近代的設備が充実した現代風のジム(2011.4.11)

その後の時代は徐々に進化し、2000年代には、ムエタイ修行受入れ態勢のタイ側のジムが進化したように、冷暖房完備、リング、サンドバッグ、ウェイトトレーニング機器、タイ人トレーナーの常在。入門というと厳しさ漂う修行寺のような感覚ですが、女性がボクササイズ感覚で“入会”し、ダイエットなど、また目標も大きく変わった時代でした。

藤原敏男を破った斉藤京二。その後5年掛かったが、MA日本ライト級チャンピオンになった頃(1987.1.25)

男女とも周囲の影響を受けて、アマチュアからプロ転向まで志次第で進む選手も多いと思います。実際に女性の入門生増加の影響で、プロデビューに至る女子選手が増え、女性用シャワールーム、女子更衣室が用意されるのは大半のジムになり、定期興行を打つジムの数も首都圏においてはプロボクシングのその数に迫るほど増えたかもしれません。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』!
「世に倦む日日」主宰者による衝撃の書!田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

波乱万丈の人生を送った異色の名脇役、弾正勝物語

「早くからキック中心に修行していれば名チャンピオンになれた」と言われるほど惜しい存在だった昭和のキックボクサー、弾正勝(だんじょう・まさる)──。立嶋篤史選手が兄貴と慕うジムの先輩で、幼い頃から選手になっても続いた苦労と天性の才能には「弾正さんの人生を本にしてくださいよ」と言われたこともありました。

この弾正勝氏を記事として取り上げることにしたのは、先日、電話が掛かってきて、「今度、東京方面に行く用があるので、久々に逢いましょう」と誘われてのことでした。以前、ある出版物でのコラムで紹介した内容の再録の部分もありますが、更に細かく紹介したいと思います。

島津昇吾戦のリング上へ 1986.9.20

◆本業は左官工、実戦で力を培う一流選手

元・日本ウェルター級1位選手、弾正勝の生い立ちは、幼いまだ記憶にも残らぬ頃、両親が離婚。そして5歳の時、母親を交通事故で亡くし、母方の親戚に預けられて育った弾正勝は、貧乏な生活環境から中学卒業の翌日には左官工見習いとして働き出しました。

1973年に20歳でデビューしたのも、大金を稼ぐためでした。しかし次第に業界の在り方を知り、キックボクシングではチャンピオンになっても思うような大金は稼げないことを知ってからは、キックに集中することは無くなりました。生活を支える左官業に重点を置いて地道に稼ぎ、キックは副業と位置付けつつも、一旦キックに魅せらたら辞めることはできませんでした。

ロッキー武蔵戦での勝利のファイティングポーズ 1985.3.16

日々、左官の仕事がある中、試合日以外は休みなく毎日働き、試合中ダウンした時でさえ「明日の仕事に響く」という思いが頭を過ると、そのままテンカウントを聞いてしまうこともあったといいます。

弾正勝のデビュー戦は1973年(昭和48年)、ベンケイ藤倉ジムに所属し、後の全日本ライト級チャンピオンの大貫忍(相武)戦で判定負け。その当日は育ての親だった親戚の叔母さんが病気で亡くなり、告別式を終えての試合でした。

1977年には挙式と転居と共に高葉ジムに移籍。更に1981年には習志野ジムに移籍しました。本業と家庭の事情で通算5年のブランクを作りつつ、5回戦キックボクサーとしての実力は実戦で培っていく勝負勘を持つ一流選手でした。

◆30歳過ぎて強くなる異色の存在

転機となったのは1982年に葛城昇(後の日本フェザー級チャンピオン/MA日本キック連盟認定)が西川ジムから習志野ジムに移籍して来た時でした。それまでは他に練習生もいないキック低迷期で練習はいつもひとり。ほどほどにサンドバッグを蹴って帰ることが多かったところ、元々“鬼の黒崎道場”で鍛えられた葛城が来てそうはいかなくなりました。試合が近いにもかかわらず、仕事を終え自宅でビールを飲んでくつろいでいると、葛城がやって来て「試合近いのに何やってんですか!」と怒鳴られジムに引っ張り出されました。

千葉昌要戦でセコンドを務める鬼の継承者・葛城昇と

葛城がロードワークを兼ねて弾正宅に乗り込むのは、試合が決まってる時期はほぼ毎日。年齢もデビューも5年以上も後輩の葛城に引っ叩かれることもありました。酒の臭いをさせながらも「弾正さんにミット蹴らせると重い蹴り出すんだよ~!」とは葛城の弁。後々の試合で勝利を重ね、30歳過ぎて強くなる異色の存在の裏には葛城選手の存在があったことは運命の導きだったかもしれません。

◆極真出身の竹山晴友に立ちはだかる弾正勝

1986年4月に竹山晴友(大沢)が極真空手の実績を引提げキックデビューし、9戦9勝(9KO)の連勝を続ける中、1987年4月、弾正勝は竹山に立ちはだかる存在としての対戦。一部には竹山を “潰してやろう”精神が密かに浸透していたのも事実。

千葉昌要(目黒)戦

黙々と前に出て来る竹山から左ストレートで初のダウンを奪ったのは弾正勝でした。竹山は立ち上がろうとするも足にきていて、すぐには立ち上がれず、完全に効いた印象の悪いダウン。しかし竹山は立ち上がり、また黙々と前に出る。弾正勝の欠点は練習不足からくるスタミナ不足。竹山は毎月試合が組まれる看板選手で、黙々と練習をこなすスタミナ抜群の選手。次第に形勢逆転し、ボディブローに倒されたのは弾正勝でした。

同年6月、更に日本ウェルター級王座決定戦に起用された弾正勝は、こちらも竹山に対抗する看板選手だった鈴木秀男(花澤)と対戦。ムエタイスタイルが浸透し始めたこの時代、タイボクサーのようなしなる蹴りを持ち、パンチもあった鈴木秀男に倒され王座奪取は成らず。

ロッキー武蔵(千葉八戸)戦 1985.3.16

後に全日本系に移った弾正勝の所属する習志野ジムは、1989年1月、全日本ウェルター級チャンピオン.船木鷹虎(仙台青葉)に挑戦。しかしここでも肋骨を折られるKO負け。これがラストファイトとなりました。

ここに至る以前のトップクラスと当たった試合では1983年に1000万円オープントーナメント62kg級準々決勝で元・ラジャダムナン系ライト級チャンピオン.藤原敏男(黒崎)と対戦した試合がありました。デビュー以来、試合が“怖い”と思ったことは無かったという弾正勝が、唯一怖いと思った試合がこの藤原戦だったと言います。キックに対する向き合い方の違いに委縮したか、蹴り足を掴まれ、押し倒されること十数回。4R・TKO負けとなりながらも精一杯蹴り合った試合でした。

藤原敏男(黒崎)戦 1983.1.7

◆アルンサックにKO勝ちした唯一の日本人選手

弾正勝はチャンピオンには縁がなかったですが、ひとつだけ知られていないエピソードがありました。“日本”では 8戦負け知らずで、日本ミドル級チャンピオンの竹山晴友を子供扱いした、アルンサック・チャイバダン(タイ)にKO勝ちしている“日本人”は弾正勝氏だけでした。

アルンサックがまだ来日前の1982年に香港で対戦。技術的には優ったアルンサックが、ナメてかかってきたところを接近戦で弾正勝が蹴りとパンチの連打でKO勝利してしまいました。

1977年に子連れ結婚という形で所帯を持ち、その子供が1985年に結婚し、孫が生まれたことにより、おじいちゃんキックボクサーとしても話題になっていました。活力はそこにあり、当時「まだ辞めないよ」と控室で笑いながらグローブをはめる弾正勝の表情は生き生きしていました。その結婚式には、幼い頃に別れた父親とも再会していました。不憫な思いをさせたことを父親は謝りましたが、弾正は親を恨んではおらず、育ての親だった叔母さんに躾けられたのは、親が居たから自分が存在するという命を与えてくれたことへの感謝の気持ちを持つことと“明るか貧乏”で、その人格は弾正を立派に育てられていました。しかしそのお父さんまでもその2ヶ月後に病気で亡くなられる運命を辿ってしまいました。

現在の弾正勝氏 本名・内田康夫

現役選手を続けつつ、本業は社長として内田工業(株)を経営し、引退後は現在も左官業を経営。現役時代は当時あまりいない刺青を腕にしていて強面で、一見近付き難い存在でしたが、後輩に引っ叩かれても穏やかにこなしたジムワーク。最近も逢って話せば穏やかな口調は現役時代と変わらず、歳も取ってより優しくなった印象があります。

そして出てくる話は昔のキック。「日本系・全日本系の2団体時代は交流戦があって盛り上がったね。今もそうなればいいのに」とは昔の選手共通の願い。

後輩の立嶋篤史に「タイには若いうちに行った方がいい」と助言したのも弾正勝氏でした。キックにあまり力を注がず、タイにも修行に行けなかった後悔を立嶋篤史にはさせたくなかった想いがありました。懐かしい昔話はそれだけで楽しい時間が経ってしまいます。

昔懐かしい選手との再会をまた話題を変えつつ触れて行こうと思います。昭和のキックボクサーと年齢的に、お互いがそう長くない人生となっていくことを考えると、後悔しないようまた記事にすること目標にしていきたいものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7月号絶賛発売中!
「世に倦む日日」主宰者による衝撃の書!田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』
『NO NUKES voice』衝撃の08号【特集】分断される福島──権利のための闘争

“王座”は誰のものか?──自然と自覚していく“チャンピオン”の重み

イメージ画像。認定者と新チャンピオンが並ぶ認定式。一人では獲れない王座の重みを感じる瞬間

「チャンピオンベルトは誰のものか?」というテーマではすでに一度、本ブログ記事で掲載されていますが、今回のテーマは“王座”そのものです。

「またアヤラとやります!」
1998年8月、WBC世界バンタム級タイトルマッチ、辰吉丈一郎の2度目の防衛戦で、ポーリー・アヤラ(米国)との探り合いの序盤を優勢に進めつつ、アヤラがやや調子を上げた中盤、偶然のバッティングで辰吉が試合続行不可能となり、負傷判定勝利となった不完全燃焼での終了の不甲斐なさに号泣し、マイクでアピール。次戦にアヤラとの再戦を希望したことにちょっとの疑問符が付きました。テレビで観たファンも「次もアヤラとやるんだってね、やっぱりはっきり決着つけないとね」と、辰吉のアピールを信じているかのような声もありました。

T-98(=今村卓也)WBCムエタイ日本ウェルター級タイトルを獲得、苦難もあったが、ここから始まったムエタイ王座ロード(2014.2.16)

今やプロボクシングの世界戦の常識的ルールも、お金の絡む交渉次第で指名試合を回避できたり、WBAではスーパーチャンピオンも暫定チャンピオンも同時に存在する、チャンピオンの定義も崩れた状況にありますが、当時の主要4団体はまだその権威が保たれていた時代でした。タイトルマッチに勝利して得たチャンピオンベルト(一時的借り物とはいえ)と認定証はリング上で物理的に受け取れますが、王座も認定されている間は紛れもなく、その勝者のものです。

◆王座防衛戦はチャンピオン一人で決められるものではない

では、「チャンピオンが自由に防衛戦ができるか」と言ったら、それはチャンピオン一人で決められるものではありません。

チャンピオンの座はその選手本人が勝ち獲ったのものですが、その舞台を整えたのは認定組織やビジネス的にプロモーターのお仕事となってきます。

世界戦ではタイトルマッチのオプション契約上、興行権が前チャンピオン側にあるうちは、新チャンピオン側プロモーターは自由には扱えませんが、それを解消すれば(通常2試合分)ようやく興行権が渡ってきて、プロモーターの思惑で、挑戦権有資格者となるランカーの中から自由に挑戦者を選びつつ、またファンの期待を裏切らない好カードにもしなければならない冒険も必要になり、また定期的にやってくる最強の挑戦者(1位)との指名試合もクリアーしつつ、そういう制約された中で防衛を重ねていくことが実績を積み上げていくことになります。チャンピオン本人の意向も考慮されるでしょうが、勝つ限り(ドロー防衛も含め)終り無き防衛ロードは常にプロモーターの支配下にあることは否めません。

高野人母美も置かれる立場も理解して目が覚めたような記者会見(2016.5.27)撮影=小林俊之

1998年の辰吉丈一郎氏の場合は、次に控えていた指名試合が予定通り進められ、同年12月に指名挑戦者・ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)と3度目の防衛戦へ繋がります。もしポーリー・アヤラと再戦する場合は、このウィラポン戦を防衛しなければならず、リング上で「次もアヤラと」と言っても辰吉氏個人で決められるものではありませんでした。

◆高野人母美の引退撤回騒動

先日、プロボクシング女子の東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン.高野人母美(協栄)が、所属する協栄ジムの金平会長が海外出張で不在中、無断で引退宣言しながら約1週間後に引退を撤回する騒動がありました。

「会長の居ぬ間に、新興格闘技で起こるような低次元な騒動をプロボクシングの伝統ある協栄ジムで起こすなよ」と思いましたが、仮にジム側に対し不服とする事情があっても、この場合も選手は会長を通さず引退宣言とか王座返上とか、対戦相手を決めるとか、何事も一人で決められる立場ではありません。

かつてキックボクシングで起こった例で、ある世界機構のチャンピオンがジムを脱会し、フリーとなって他の興行で防衛戦を計画しましたが、元所属のジムからクレームが入って王座は返上せざるを得なくなったという例がありました。事態が発生して初めて「王座は誰のもの?」と思ったファンや関係者がいましたが、この辺りはルールや常識が浸透していないキック業界の曖昧さがありました。

◆タイでの防衛戦を熱望するT-98(タクヤ)の想い

T-98(=今村卓也)vs アーウナーン・ギャットペーペー(タイ)、岡山で行われたWPMF世界ミドル級王座決定戦で判定勝利で王座奪取

また先日、6月1日の後楽園ホールで行われたREBELS興行でのムエタイ試合、タイ国ラジャダムナンスタジアム認定スーパーウェルター級タイトルマッチで、チャンピオン.ナーヴィー・イーグルムエタイ(タイ)に3-0の判定勝利で日本人5人目の殿堂ラジャダムナン王座を奪取したT-98(“タクヤ”と読む=本名.今村卓也/クロスポイント吉祥寺)も、「現地ラジャダムナンスタジアムで防衛してこそ本物」と宣言したようにタイでの防衛戦を希望していますが、確かに現地で防衛してこそ“快挙”と言えるでしょう。

新チャンピオンを抱えるクロスポイント吉祥寺ジムですが、ラジャダムナンスタジアムプロモートライセンスを持たなければ、同スタジアムでは興行を打てない現地のタイトルだけに、興行権は絶対的にタイ側プロモーターにあり、日本で防衛戦を行なう場合はタイ側プロモーターから興行権を譲り受ける形(売り興行)で、REBELSプロモーションと今村卓也選手と所属ジム陣営の意向も含めて検討されるでしょう。拘束が厳しくタイでやっても日本でやっても険しい防衛ロードですが、外国人(タイ側から見て)として新たな快挙を成し遂げてもらいたいものです。

ラジャダムナンスタジアムでチャンピオン獲得、防衛も果たしたのは初の外国人チャンピオン.ジョイシー・イングラムジム(ブラジル)、こんなチームワークで今村卓也(T-98)もジョイシーに続く快挙を成し遂げリング上で写真に収まることができるか(2015.6.28)(C)THAI TANIGUCHI SPORTS LIFE CO. LTD. 

◆チャンピオンの権利は自分だけではないことを自然と自覚する

「この重たいチャンピオンベルトは、自分ひとりの力で獲れたとは決して思っておりません・・・。」かつて1985年に、日本フェザー級チャンピオンとなった鹿島龍(目黒)がマイクで語った言葉の一部ですが、この後、連盟代表、ジム会長、コーチ各関係者へ感謝を述べ、すべてのチャンピオンは同じように心から思うことでしょう。チームワークで王座奪取し防衛を目指すもので、そのチャンピオンの権利は自分だけではないことを自然と自覚するものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7月号絶賛発売中!
『NO NUKES voice』衝撃の08号【特集】分断される福島──権利のための闘争
「世に倦む日日」主宰者による衝撃の書!田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

ダブルノックダウンをレフェリーはどう裁定してきたか? キックルールの試行錯誤

3ノックダウンルールがごく当たり前のキックボクシング。なぜこのルールが定着してしまったのでしょうね。このルールに於いて、1ラウンド中に青コーナー選手が2度ダウンし、その後ダブルノックダウンが起こりました。さてそこで、レフェリーはどういう対処をすべきと思いますか?

ちょっと前の3月9日に行われたREBELS興行での山口裕人(山口)vs中村広輝(赤雲會)戦で、第1ラウンドに中村広輝選手が2度ダウン後、ダブルノックダウン(両者ともダウン)が起きました。この試合は3ノックダウン制(1つのラウンド中に3度ダウンで自動的KO負け)でした。担当した山根正美レフェリーによると「以前から想定していた事態が起こりましたが、その対処を冷静に行ないました」という回答でした。

ダブルノックダウンというのは、プロボクシングに於いてもごく稀に起こる現象です。滅多に無いにしても、いつ起きてもおかしくない“打ち合い”は常にあります。

打ち合いのひとつ、パンチの交差はどちらが倒れるかの迫力あり。どちらも倒れることも稀にあり

◆1988年9月、須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦の場合

キックボクシングで過去実際に、一方が2度ダウンの後、ダブルノックダウンという稀な事態が起きたのは1988年(昭和63年)9月の須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦でした。1ラウンドに長浜選手が2度ダウンし、その後ダブルノックダウンが起こりました。レフェリーのリー・チャンゴン(李昌坤)氏はそこで3ノックダウン目となる長浜選手をストップ。須田選手のKO勝ちを宣告しました。後にこの裁定についてリー・チャンゴン氏に聞いてみましたが、3ノックダウンを優先するルールだったという当時のMA日本キック連盟でした。

そして更なる後に全日本キック連盟で当時審判部のサミー中村レフェリーにも、こんな場合の処置を聞きましたが、やはり3ノックダウンを優先するというものでした。

カウンターパンチャーはロープ際での攻防がチャンス
イメージ画像。単にもつれて倒れたカット。ダウンした側がすぐ立ち上がり、ダウン奪った側がスリップして転んだこともあり、観た目は不思議な光景もありました

◆10カウントは“完全”アウト、3ノックダウンは“自動的”アウト

そこで違和感を覚えるのは、3度ダウンした側がすぐ立ち上がり、1度のみのダウンとなる側が失神し倒れたままでも、その倒れた側が勝者になるのか? という複雑な状態。

こうなると参考資料となるのが伝統あるJBCルールでした。まず、ルールブック同項目冒頭は「双方または一方が『3ノックダウン』に該当する場合もカウントする」という文言があり、「双方が立ち上がった場合、双方が3ノックダウンに該当する場合は引分け。一方が該当する場合はこの選手をKO負けとする」とあります(双方が倒れたままの場合、カウントアウトされ引分け)。補足説明の記載は無い為、1996年に更に煮詰めに当時のJBC役員に聞いたことがあります。

そして「一方だけが立ち上がる場合はどうするのか」という質問に、「3度目のダウンとなる側が立ち上がり、1度目のダウンになる側が倒れたままの場合、3度目のダウンになる側でもKO勝ちになる」という回答でした。

ここで見えてくるのが、「10カウントは“完全”アウト、3ノックダウンは“自動的”アウト」という重みの差。それでカウントが優先される意味になってきます。
ここ最近もJBCのある役員に再度質問しましたが、JBCルールは今年からフリーノックダウン制に変更されているので、旧ルールでのあくまで稀な例ですが、回答は同じで「こんな想定も試合役員会では何度も確認していました」というアクシデントに対処できるシミュレーションはされているというものでした。

あくまでプロボクシングの基本ルールで、実際にこんなパターンが起きても、レフェリーの権限で危険な状態にある方を止めることも考えられます。

◆何度ダウンしても試合を続行するフリーノックダウン制

レフェリー歴20年の山根正美レフェリー。「まだまだ学ぶこと多き日々」と謙虚な姿勢

前述の山口裕人vs中村広輝戦はここに挙げた例とは若干違いますが、山根正美レフェリーはダブルノックダウン後、カウントを取り、1度ダウンの山口選手が立ち上がりましたが、3度ダウンの中村選手が立ち上がれない状況で、カウント途中で試合を止めた形でした。山口選手が立ち上がった続行可能の時点で、中村選手の3ノックダウンのみが成立するので、その裁定になりますが、この場合の止め方を見た場合、厳密にはレフェリーストップになります。周囲は「3度ダウンだろ止めろ!」と叫ぶ声が多かったようです。

REBELSルールでしたが、立会人のWPMF日本支局長のウィラサクレック氏が、その裁定に異議はなく擁護されたようでした。

この以前からこういう場合の質問を、いろいろな関係者に聞いても、誰もが「3ノックダウン側の負け」と答えられました。それでも各団体のキックボクシング(ムエタイ)ルールではそう明確に決められているのであれば問題ないのですが、実際こんな細部まで決められたルールブックが無いのが現状でしょう。また、WBCムエタイルールの「試合5ラウンド全体を通じて5度のダウンでKO負け」ではより複雑な結果を残す可能性もあるので想定外の結末にならないよう注意して欲しいところです。

昔の日本キックボクシング協会系(TBS系)ではフリーノックダウン制で、何度ダウンしても続行していました。現在ではちょっと考えられない危険なKOもありましたが、幸い大きな事故は無く、対抗した当時の全日本キックボクシング協会では3ノックダウン制でした。後の低迷期に起こった分裂後、統合団体となった日本キックボクシング連盟で、旧日本系・旧全日本系のルール各項目の適切な部分を取り上げて作られたルールが完成し、3ノックダウン制が採用されました。

その後、分裂したどの団体でも新たにルール改革することはなく、元居た団体のルールをそのまま使い、3ノックダウン制を躊躇いなく起用するようになってしまったようです。

タイ国ラジャダムナンスタジアム公認レフェリーのナロン・ルアムジット氏。公式ルールも熟知して、すべての権限を握って日本で開催のタイトルマッチを裁く(2015.3.15)

唯一フリーノックダウン制だったのは1987年(昭和62年)に短期間存在した日本ムエタイ連盟でしたが、真剣勝負ながら笑えるほど何度もダウンがあって、レフェリーに続いて観客も一斉にカウントに声を出していた試合もありましたが、当時では仕方ないながら、早めのストップを考慮しなければならない団体だったと思われます。

現在はキックでも最終権限はレフェリーにあるはずなので、危険な状態であればいつ止めても問題ないのですから、ややこしい事態が発生する前に、現在のJBCルールのように“フリーノックダウン制”でいいのではないかと思います。

◆最終権限はレフェリーにある

本場ムエタイでも明確な裁定があり、ここでも「最終権限はレフェリーにある」という解釈があり、JBCルールと同様に、どんな事態が発生しても対処できる解釈は存在し、確立したルールが出来上がっている競技であるということです。

日本でのキックルールは、裁く視点については試行錯誤を繰り返し改善されてきましたが、「こういう場合はどうなるの?」といった事態には細部まで明文化していない項目はまだまだあります。いざリング上で惑わない為にもそこまでこだわってルールブックを作り上げて欲しいものです。

仮に、効いて倒れるタイミングがズレた、“時間差ダブルノックダウン”が起きたら? ・・・想定外だと解答は難しいものです・・・!

[撮影・文]堀田春樹
※本稿で使われている画像はすべて、ダブルノックダウンが起きた試合とは無関係です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7日発売!
『NO NUKES voice』衝撃の08号【特集】分断される福島──権利のための闘争
「世に倦む日日」主宰者による衝撃の書!田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

WINNERS 2016 2nd──幾多の王座に絡むヤングやベテランたちの激しい展開!

1月10日にISKAムエタイ世界バンタム級王座決定戦を制し、チャンピオンとなった志朗がISKAムエタイ・ヨーロッパ同級チャンピオン. ライアン・シェーハンとのノンタイトル戦が行われました。見かけ弱そうな細身のライアンはムエタイ技を身に付けた強豪でした。志朗がボディブローやローキックでペースを掴みつつ、ヒジで切られてからムエタイ技のシェーハンの距離感に苦戦した流れでした。

ムエタイが世界に普及した現在、いろいろなタイプの選手が世界に散らばっている中で、特にヨーロッパ勢は昔から柔道でも学習能力が高く、また地続きの近隣の国々と交流が盛んになるので、競技人口も高く、成長度が高いと言われます。ムエタイ殿堂王座が世界最高峰であっても、強いのはタイだけではない、いろいろな国柄のタイプが拡散した方々の選手と対戦することが重要な時代かもしれません。今後、志朗は日本人選手とも対戦して欲しいところ、そこにファンの支持と評価が高まります。

日本バンタム級チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー)が長身を活かした右ジャブを有効に使い、2度の飛び膝蹴りで勝岡健(伊原稲城)を豪快にKO、2度目の防衛に成功と共に今興行ベストファイトとなる武田幸三賞を受賞。また、「ルンピニー王座を狙う」というマイクアピールに、挑戦への新たなルート展開を見せるのか、気になる宣言でありました。

2010年に石井宏樹を小腸断絶で病院送りにしたパッカオ・ダボンヌンガヌウン(タイ)を緑川創(藤本)がブッ倒し、敵討ち成功。ラジャダムナンランカーを倒したことで、緑川のランク入りも確実で、いよいよ殿堂王座挑戦が近づいて来たかの期待を持たせる印象。ヒジでパッカオの頬を腫れさせ、2R後半からパッカオの反撃激しく骨を砕くような打ち合いが続く中、緑川が左右パンチでダウンを奪い、最後はコーナーに詰め、ボディと顔面パンチで仕留める豪快にKO。激しさが長く続いた互いのぶつかり合いでは、瀧澤博人の試合を上回っていた印象があります。

麗也(20歳/治政館)と山田航輝(17歳/キングムエ)の、幼少期からアマチュアでムエタイ・キック系競技の経験を積んできたベテランの試合は、攻防の展開が速く、スタミナ切れない展開に会場が沸き、ムエタイ経験は山田航輝が上回る中、麗也のキックリズムの攻撃力が上回ったか、僅差の結果ながら麗也の勝利。これで対戦が遠退くのでなく、また再戦に向かって欲しい幼少期開始世代の対決でした。

主要クラス3試合の記者会見。左から麗也、緑川創、志朗、ライアン、パッカオ、山田航輝

◎WINNERS 2016 2nd / 2016.5.15後楽園ホール17:00~21:30
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会
前日計量:14日.ホテル東京ガーデンパレス(御茶ノ水)15:00~16:00

◆日本 vs アイルランド国際戦 56.0kg契約3回戦

蹴りの応酬だけでは負けないが、調子付かせたライアン(左)の蹴りが強い
パンチで弱そうなライアン(右)へのボディ打ちは効果はあるが、すぐ首相撲へ引き込む巧みさ
瀧澤博人の飛び膝蹴りが2度とも見事にヒット

ISKAムエタイ世界バンタム級チャンピオン.志朗(治政館/55.8kg)
vs
欧州ムエタイ・バンタム級チャンピオン.“アベンジャー”ライアン・シェーハン(アイルランド/55.7kg)
引分け / 1-0 (主審 椎名利一 / 少白竜 29-29. 桜井 29-29. 宮沢 30-28)

◆日本バンタム級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー/53.5kg) vs 1位.勝岡健(伊原稲城/53.25kg)
勝者:瀧澤博人 / TKO 2R 2:45 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 仲俊光

◆70.0kg契約 5回戦

緑川創(藤本/69.9kg) vs ラジャダムナン・スーパーウェルター級8位.パッカオ・ダポンヌンガヌウン(タイ/69.5kg)
勝者:緑川創 / KO 4R 2:32 / カウント中のタオル投入 / 主審 少白竜

パンチの距離で勝機を見出す緑川創(左)

◆52.5kg契約 5回戦

麗也(前・日本フライ級C/治政館/52.4kg) vs 山田航輝(キングムエ/52.2kg)
勝者:麗也 / 2-0 (48-48. 49-48. 49-48)

◆73.5kg契約 5回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg) vs イ・ジフン(韓国/72.25kg)
勝者:斗吾 / 3-0 (30-26. 30-26. 30-26)

◆59.0kg契約3回戦

内田雅之(前・日本Fe級C/藤本/58.7kg) vs デンサヤーム・ウィラサクレック(元ルンピニー・B級C/タイ/58.5kg)
勝者:デンサヤーム / TKO 2R 3:05(場内アナウンス) / レフェリーストップ

反撃の麗也(左)も譲らない攻勢

◆ライト級3回戦

日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/61.0kg) vs 日本ライト級2位.直闘(治政館/61.23kg)
引分け / 三者三様(29-28. 29-30. 29-29)

◆他の6試合

昔から、試合へ向けた記者会見というのはビッグマッチの際にありましたが、ここ数年、それほど大きくない興行でも、記者会見は増えてきた様子はあります。特に公開計量というのは、毎度やって欲しい気がします。各社記者さんにとっては記者会見の方が重要と思われるでしょうが、計量や試合結果記録などは公式に開示して欲しいものなのです。

蘇我英樹(市原)が後楽園ホールでも引退式を披露。先月、市原臨海体育館で大月晴明とラストファイトを行ない、壮絶KO負けを喫した蘇我英樹はその試合後、ダメージ引きずる中、引退式を行ないましたが、改めて後楽園ホールの殿堂で、市原だけでない多くのファンが集まる中、引退式を行ないました。市原では報道陣もほとんど居なかったので、仕方ないところ、後楽園ホールでの開催を1本に、豪華にやった方がよかったように思います。しかしいずれも「長き激闘にお疲れ様でした」という声が多い引退式でした。

3月にキックボクシング創始者・野口修氏が逝去されました。近親者のみの密葬の形で見送られたようで、4月に入っても報道はされていなかったようです。これで良くも悪くも長き時代のひと区切りが終わったという印象ですが、野口修氏の影響で個々のキック人生が続いている多くの業界人が今後もキックボクシングを引率していくことでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『NO NUKES voice』衝撃の08号【特集】分断される福島──権利のための闘争
「世に倦む日日」主宰者による衝撃の書!田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』

〈鬼神〉羅紗陀、ここに復活!──NJKF2016.2nd

調印式と記者会見に臨むメインイベント出場の羅紗陀(右端)とヤスユキ(左端)─

ニュージャパンキックボクシング連盟が4月1日より一般社団法人に認可されました。前日公開計量も恒例となったNJKF興行。話題の中心は2年ぶりの復帰となる羅紗陀(キング)の復調ぶりと、昨年の最優秀試合となった健太(ESG)vs 大和侑也(大和)戦の再戦。WPMFで世界を獲った一戸総太(WSR池袋)とWMAFで世界を獲った駿太がWBCムエタイ世界をも制覇へ乗り出し、その第一歩、WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン. MOMOTARO(OGUNI)への挑戦権を争います。

NJKF 2016.2nd / 5月8日(日)後楽園ホール17:00~21:30
主催:NJKF / 認定:NJKF、WBCムエタイ日本実行委員会
前日公開計量、調印式:5月7日後楽園ホール5F 展示場14:00~15:00

◆61.0kg契約3回戦

羅紗陀(キング/60.85kg)vs ヤスユキ(Dropout/61.0kg)
勝者:羅紗陀 / 3-0 (主審 山根正美 / 竹村 30-29. 和田 30-29. 小林 30-29)

2年前に折ったスネでキックも問題なしの羅紗陀

2014年2月の中嶋平八(誠至会)戦で右スネを骨折した羅紗陀が復帰し、話題のヤスユキに激しい攻防の中、羅紗陀の我武者羅な攻めの、一発の破壊力を持つパンチも決め手に成らずも僅差の判定勝利。羅紗陀は右スネを蹴られる場面もあるも、ブロックも蹴って出ても問題ない動きで、駆け引きの緊迫感ある展開の中、終了。5回戦でやるべきカードだった。

◆WBCムエタイ日本ウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.大和侑也(大和/66.5kg)vs 健太(前チャンピオン/E.S.G/66.35kg)
勝者:健太 / 0-3 (主審 多賀谷敏郎 / 竹村 47-49. 和田 47-49. 小林 46-48)

日本人キラーだったゴンナパーからダウン奪ったハイキックも多様した健太
一発貰えば敗北の危機は昨年同様。大和侑也も諦めないラッシュ

健太が昨年のベストバウトとなった大和侑也戦で敗れた試合の雪辱戦に勝利して王座奪回し、第6代チャンピオンとなる。3Rに右フックでダウンを奪い、ポイントを守りきる。

一発貰えば敗北に繋がる緊張の攻防。一戸総太のパンチ

◆WBCムエタイ日本フェザー級挑戦者決定戦(58.0kg契約) 5回戦

WPMF世界フェザー級チャンピオン.一戸総太(WSR池袋/57.76kg)vs 駿太(谷山/58.0kg)
勝者:一戸総太 / 3-0 (主審 竹村光一 / 多賀谷 50-48. 和田 50-48. 山根 49-47)
一戸総太が的確差で優り勝利を掴み、MOMOTAROへの挑戦権を獲得。

◆66.0kg契約3回戦 

WBCムエタイ日本スーパーライト級チャンピオン.テヨン(キング/65.8kg)vs 喜入衆(フォルテス渋谷/65.85kg)
勝者:テヨン / TKO 1R 1:32 / 主審 小林利典

パワーあるハイキックで距離感を掴んでいくテヨン

テヨン(キング)がベテランの喜入衆(フォルテス渋谷)を左ストレート一発で倒す、カウント中のレフリーストップ。

◆NJKFスーパーバンタム級王座決定戦 5回戦 

次回興行のタイトルマッチで対戦するチャンピオン.MOMOTAROと挑戦権獲得した一戸総太

1位.金子貴幸(GANGA/55.26kg)vs 2位.雄一(TRASH/55.05kg) 
勝者:金子貴幸 / 3-0 (主審 和田良覚 / 多賀谷 50-46. 竹村 50-46. 小林 50-47)

金子貴幸(GANGA)が雄一(TRASH)に距離感を支配し、ダウン奪って判定勝利、NJKFスーパーバンタム級王座決定戦を制し、第5代チャンピオンとなる。

◆67.0kg契約3回戦

NJKFウェルター級チャンピオン.浅瀬石真司(東京町田金子/67.0kg)vs 栄基(MTOONG/66.78kg) 
勝者:栄基 / 0-3 (主審 山根正美 / 和田 28-30. 小林 28-30. 竹村 28-30)

若武者会主催のDUELでのラウンドガールとNJKF興行でマスコットガールを務めるタレントの菜緒さんと勝利のツーショット

元NKBウェルター級チャンピオンで現J-NETWORKウェルター級チャンピオンの栄基が過去倒している浅瀬石を返り討ち。

◆NJKFスーパーライト級挑戦者決定戦3回戦

1位.嶋田裕介(Bombo Freely/63.35kg)vs 2位.一輝(OGUNI/63.65→63.5kg)
勝者:嶋田裕介 / 引分け1-0.延長戦2-1
(主審 多賀谷敏郎 / 和田29-29.9-10/ 小林29-28.10-9/ 山根29-29.10-9)

いつも終盤になると怒涛のラッシュを懸ける一輝、嶋田の蹴りの攻勢に傾いたか、微妙な見極めの結果。

◆その他3試合

主要カードを飾る名選手が多くなった時代で、突出した実力や個性が無いと、更なるこの時代のエース格に選ばれ難いところ、羅紗陀はその風格を持ちつつ、怪我による戦線離脱が長く、勿体ない時間を過ごしました。元・日本ウェルター級チャンピオンだった父親(向山鉄也)に似た風貌やファイトスタイルも強いインパクトを与えています。自らも国内王座奪取し、タイトル歴は父親に追いついたものの、まだ名勝負は少ないところ、それは今後に期待です。

首都圏での興行は7月3日(日)NJKF若武者会主催のDUEL.7が新宿フェースで開催。7月23日(土)はディファ有明の昼の部でWBCムエタイジュニアリーグ第2回全国大会、夜のプロの部でNJKF 2016.5thが行われます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

5月26日発売!「世に倦む日日」主宰者による衝撃の書!田中宏和『SEALDsの真実――SEALDsとしばき隊の分析と解剖』
5月25日発売!『NO NUKES voice』08号【特集】分断される福島──権利のための闘争