「観客を入れるか否か」の本末転倒な議論は止めて、今こそ「東京五輪」を中止せよ! 『NO NUKES voice』編集委員会

先月までは「東京五輪中止」の文字を時々メディアでも見かけたが、いつの間にか問題がすり替えられて「観客を入れるか・入れないか」との不毛テーマに議論が集中しているように感じられる。社風も誌面も主張も異なるはずの、新聞各紙のなかで、明確な「五輪中止」を掲げ続けるものはない(機関紙や個人発行のミニコミを除いて)。

これぞまさに、私たちが懸念してきた「大本営発表」状態の再来と言わねばならない。新聞記者はなにを見ているのだ? なにを取材している? 目の前でデルタ株が猛烈な勢いで広がっているのではないか。空港検疫はほぼ機能せず、「五輪」を錦の御旗にすれば、ほとんど海外からのひとびとは入国してくることができる。

通常時であれば、入管体制は煩くないのが良い。しかし今は特別な時ではないのか。全国各地に常時は発着している国際線航空機の8割以上は運航取りやめになっていて、一般人は日本に居住する人も、海外から来る人も日本を発着点にした「海外旅行」などはできない。

海外旅行どころではなく、東京など大都市をはじめとする飲食店の多くは長期間休業を余儀なくされ、しかしいまだに補償金を手にすることができず休業から、廃業に追い込まれる非常に厳しい状態の真っただなかに置かれている。大手のホテルでも都市部での休館や廃業は出始めており、コロナが仮に終息したとしても、この傷から人々が癒えるのにはどのくらいの時間と、お金が必要なのか想像すらできない。

蒸し暑い梅雨の時期にあっても、マスクをして街を歩く姿は普通であるし、多くの大学ではいまだに半数以上の講義をオンラインによってのみ実施している。つまり、政府が宣言を出そうが出すまいが、市民の(とりわけ都市部に居住したり通勤通学する人々)生活はこの2年ほど常に「非常事態」なのである。入学試験に合格したのに、2年も大学に通えない学生の群れなど今まで私たちは目にしてことがあっただろうか。

新型コロナは次々と変異を繰り返してゆき、どうやら「90%以上有効」とされていたファイザー社のワクチンも変異株の前にはそれほどの効果を発揮できないことが露呈されてきた。世界一接種スピードが速かったイスラエルで、デルタ株が急増しだし、イスラエル政府は解除していた屋外でのマスク着用義務だけではなく、屋内でのマスク着用を再び国民に命令したことから、この事実は伺い知ることができる。

議論を原点に戻そう。感染症に対する基本的な防御措置は「人の流れを止める」ことだ。東京だけではなく、日本のあらゆる都市は今、海外の人々との交流を我慢しなければいけない。

私たちが身勝手にそのように言っているのではなく、政府や各都道府県も相当額の広告費を使い、「感染予防の徹底」を宣伝しているではないか。ならどうして「国策」としてそれに真反対のことを強行しようとするのだ。私たちはことあるごとに「東京五輪」を1945年の日本に例えてきた。7月に入り「観客を入れるか・入れないか」との本末転倒した議論には、心底あきれ返り、再度「東京五輪」は絶対に中止すべきだと、繰り返す。

1945年8月6日、午前8時15分、広島の空は晴れ上がっていた。その後の地獄図絵など誰も想像できないくらい。しかし私たちは「地獄図絵」が予見できるのだ。ならばどこまで行っても「東京五輪反対」を叫び続けるしかない。「観客を入れるか・入れないか」の議論は前提からして間違っている。

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

『NO NUKES voice』Vol.28
紙の爆弾2021年7月号増刊 2021年6月11日発行

[グラビア]「樋口理論」で闘う最強布陣の「宗教者核燃裁判」に注目を!
コロナ禍の反原発闘争

総力特集 〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉

[対談]神田香織さん(講談師)×高橋哲哉さん(哲学者)
福島と原発 「犠牲のシステム」を終わらせる

[報告]宗教者核燃裁判原告団
「樋口理論」で闘う宗教者核燃裁判
中嶌哲演さん(原告団共同代表/福井県小浜市・明通寺住職)
井戸謙一さん(弁護士/弁護団団長)
片岡輝美さん(原告/日本基督教団若松栄町教会会員)
河合弘之さん(弁護士/弁護団団長)
樋口英明さん(元裁判官/元福井地裁裁判長)
大河内秀人さん(原告団 東京事務所/浄土宗見樹院住職)

[インタビュー]もず唱平さん(作詞家)
地球と世界はまったくちがう

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
タンクの敷地って本当にないの? 矛盾山積の「処理水」問題

[報告]牧野淳一郎さん(神戸大学大学院教授)
早野龍五東大名誉教授の「科学的」が孕む欺瞞と隠蔽

[報告]植松青児さん(「東電前アクション」「原発どうする!たまウォーク」メンバー)
反原連の運動を乗り越えるために〈前編〉

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
内堀雅雄福島県知事はなぜ、県民を裏切りつづけるのか

[報告]森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)
「処理水」「風評」「自主避難」〈言い換え話法〉──言論を手放さない

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈12〉
避難者の多様性を確認する(その2)

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈21〉
翼賛プロパガンダの完成型としての東京五輪

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
文明の転換点として捉える、五輪、原発、コロナ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
暴走する原子力行政

[報告]平宮康広さん(元技術者)
放射性廃棄物問題の考察〈前編〉

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
新・悪書追放シリーズ 第二弾
ケント・ギルバート著『日米開戦「最後」の真実』

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
五輪とコロナと汚染水の嘘

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈12〉
免田栄さんの死に際して思う日本司法の罪(上)

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
コロナ下でも自粛・萎縮せず-原発NO! 北海道から九州まで全国各地の闘い・方向
《北海道》瀬尾英幸さん(泊原発現地在住)
《東北電力》須田 剛さん(みやぎ脱原発・風の会)
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
《茨城》披田信一郎さん(東海第二原発の再稼働を止める会・差止め訴訟原告世話人)
《東京電力》小山芳樹さん(たんぽぽ舎ボランティア)、柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
《関西電力》木原壯林さん(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《四国電力》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
《九州電力》杉原 洋さん(ストップ川内原発 ! 3・11鹿児島実行委員会事務局長)
《トリチウム》柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表/再稼働阻止全国ネットワーク)
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク、経産省前テントひろば)
《反原発自治体》けしば誠一さん(杉並区議/反原発自治体議員・市民連盟事務局次長)
《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク事務局)

[反原発川柳]乱鬼龍さん選
「反原発川柳」のコーナーを新設し多くの皆さんの積極的な投句を募集します

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年月の渇きを越え私たちの志の〈原点〉を探る ── 6・26長崎浩講演会「樺美智子と私の60年代」に参加して 鹿砦社代表 松岡利康

しらじらと雨降る中の6・15 10年の負債かへしえぬまま (橋田淳「[創作]夕陽の部隊」より)

6月26日、旧知の長崎浩さんが来阪され「樺(かんば)美智子と私の60年代」の演題で講演をされるということで参加しました。主催は「山﨑博昭プロジェクト」。「山﨑博昭プロジェクト」というのは、1967年10月8日、佐藤訪ベト阻止闘争(第一次羽田闘争)で亡くなった京大生・山﨑博昭さんを偲び、没後50年に際し記録集編纂・出版、墓碑建立、各種イベント開催などを行う目的で、実兄の建夫さんを筆頭に、元東大全共闘代表で高校(大阪・大手前高校)の先輩にあたる山本義隆さん、高校の同級生で詩人の佐々木幹郎さんや作家・三田誠広さんらが発起人となって設立されたものです。私が16年前に「名誉毀損」容疑で逮捕された時に主任弁護人を務めてくれた中道武美弁護士も大手前高校の後輩ということで当初から賛同人に名を連ねておられます。

これまで分厚い記録集『かつて10・8羽田闘争があった』(全2巻)を出版、亡くなった現場の近くのお寺に墓碑を建立したり、山本義隆さんらを中心としてベトナムを訪問し親睦を深めたりしています。

本年、6月12日東京、同26日大阪で長崎浩さんの講演会を開催し激闘の時代・1960年代から70年代はじめにかけての学生運動や反戦運動、反安保闘争の歴史的意義、その過程で権力の弾圧で斃れた犠牲者を弔うと共にこの意味を探究しようということです。東京、大阪、どちらも100人近い参加者でした。私にとってはいまだに直立不動的存在の山本義隆さんも、わざわざ東京からみえられていました。

長崎浩さん(山﨑プロジェクトのサイトより。これは6・12講演会のもの)

◆60年安保闘争と第一次ブントとは? そして樺美智子さんの死

長く読み継がれてきた樺美智子遺稿集『人しれず微笑(ほほえ)まん』

長崎さんは、60年安保闘争ではリーダー格として闘い、その後東大闘争、70年安保闘争に至る歴史の証人として名著『叛乱論』はじめ多くの著書を上梓されています。1960年6月15日、国会前で機動隊に虐殺された樺美智子さんを「引率」(本人談)して共に闘っています。長崎さんはデモ指揮だったとのことです。冒頭に挙げた一句にある「6・15」とは1960年6月15日のことです。6・15は反日共系の全学連主流派に領導された闘争ですので、日本共産党の歴史には記載されていません。実際に当時の全学連主流派は、「全世界を獲得するために」とのスローガンを叫び日本共産党から脱党し結成したブント(共産主義者同盟)、日本共産党が憎しみを込めて言う、いわゆる「トロツキスト」で、「唯一の前衛党」を実戦的に乗り越えましたから、「唯一の前衛党」を自認する日本共産党としては、この歴史的闘いは認めることができないということでしょうか。

しかも、樺さんの葬儀は多くの団体で実行委員会を作り「国民葬」としてなされたということで、今では考えられません。

私たちが学生の頃は、この6・15から、沖縄戦の6・23を「6月闘争」として集会・デモをやったものです。日本共産党は6・23には記念集会・デモをやっても6・15はその歴史にはありませんから、なにかをやるということはしません。

6・15樺さんにしろ10・8山﨑さんにしろ、後続の私たちの世代にとっては、高貴な存在でした。「樺さん、山﨑さんの死を乗り越えて闘おう!」ということです。樺さんの遺稿集『人しれず微笑(ほほえ)まん』は読み継がれ、私たちにとっては必読書の一つでした。

その後、新左翼運動は、対権力闘争で少なからずの死者を出しましたが、遺憾ながら樺、山﨑さんの二人ほど長く高らかに語り伝えられる人はいません(こういうことで山﨑プロジェクトに続き69年安保決戦で機動隊に虐殺された糟谷孝幸さんの当時の仲間によって「糟谷孝幸プロジェクト」が作られ「山﨑プロジェクト」の協力と連携により記念出版がなされました)。私は、山﨑、糟谷両プロジェクトに、身がすくむ想いでささやかながら協力させていただきました。当然です。

樺さんの死亡と権力の暴虐を報じる『全学連通信』1960年6月25日号(全4ページのうち3ページを掲載)
同上

◆出版を本格的に始める際に、長崎浩さんの本を最初に出した!

やはり「山﨑プロジェクト」の発起人で、このかんは反原発雑誌『NO NUKES voice』でたびたびお世話になっている水戸喜世子さん(夫の水戸巌さんと共に救援連絡センターの創設に奔走されその初代事務局長)もお越しになっていてご挨拶すると「長崎さんをご存知だったんですか」と言われましたが、実は、長崎さんとの関係は古く、私が10年近い会社勤めを辞め出版を生業とする1984年、最初に出した書籍が『革命の問いとマルクス主義』で、その後対談集『70年代を過(よ)ぎる』(88年)を出しました(別掲案内参照)。東京の集会で、司会をされた佐々木幹郎さんとの対談も収録されており、このことに触れられたということでした。もう30数年も経ってしまったのか、と感慨深いものがあります。

前述したように、6・15樺さんにしろ10・8山﨑さんにしろ、後続の私たちの世代にとっては、忘れてはならない記念日であり人物でしたが、「トロツキスト」にことごとく敵対する「唯一の前衛党」を自認する日本共産党には存在しません。

私が出版を生業として始めた頃には、「第一次ブントに返れ!」との想いと、これを下敷きにみずからが関わった運動を検証・総括せんとの目的から、この60年安保闘争と第一次ブントについて性根を入れて研鑽、小冊誌『季節』にて連続して掲載したり、書籍も『敗北における勝利──樺美智子の死から唐牛健太郎の死へ』(85年)、『未完の意志──[資料]六〇年安保闘争と第一次ブント』(同)を上梓しました。あまり評価されませんでしたが、今、あらためて紐解くと、「なかなかいい本じゃないか」と心の中で自画自賛しています。

俗に「新左翼」と言いますが、この起点は、60年安保闘争の前夜、「唯一の前衛党」を自認する日本共産党のスターリン主義を否定し訣別、その内部から「共産主義者同盟(通称ブント)」の結成にあり、60年安保闘争は、僭越な言い方ですが、新左翼の急進主義の最初の派手なお披露目舞台だったといえるでしょう。

他方、主にトロツキーの生き様とこの理論をもって出発した太田竜、黒田寛一らの「日本トロツキスト連盟」、これが解体した後に結成された「革命的共産主義者同盟」(革共同)などがありますが少数派だったようです。その後、革共同から「第四インター」(四トロ)が独立、勢力を増やしていきます。日本共産党からは構造改革派などが除名、脱党し、その左派(「フロント」「プロ学同」)、また社会党から「社青同解放派」(「反帝学評」「革労協」)が出、それらは新左翼に合流していきます。10・8闘争を担った、いわゆる「三派全学連」の「三派」とは、「日本トロツキスト連盟」から出た革共同中核派、日本共産党から出たブント、社会党から出た社青同解放派ということで、10・8闘争は、違う三つの源流を持つ「三派」の勢力の共同闘争でした。構造改革左派(フロント、プロ学同)や四トロなども合流し、新左翼は、この周囲に膨大なノンセクト層も巻き込み60年代後半から70年代初頭にかけてのベトナム反戦運動、安保─沖縄闘争、大学闘争、三里塚闘争をラジカルに闘うことになります。

また、理論的にも水準は高く、長崎さんはじめ、姫岡玲治(ペンネーム)こと青木昌彦さん(故人。京都大学名誉教授)はノーベル経済学賞の候補になったり、哲学者の廣松渉さん(故人。東京大学教授)はマルクス研究、特に『ドイツ・イデオロギー』研究で世界的に評価されています。特に廣松さんには、私のような浅学の徒に対しても気安くお付き合いいただきましたが、廣松さんは左翼活動で福岡の伝習館高校を退学になり、大検で高卒の資格を取得し東大に入学、その後も学生運動に没頭し東大教授にまでなったという異色の経歴で、私たちなどとは別格の頭脳を持たれています。

長崎さんの『70年代を過ぎる』ほかの案内

◆「遅れてきた青年」だった私にも、振り返って語るべき時が来た!

私は、この時代の同伴者・大江健三郎の小説のタイトルを借りれば「遅れてきた青年」として1970年大学入学で、60年、70年の〈二つの安保闘争〉を追体験し、60年安保から10年ほどの間に、10・8はじめ発生した多くの歴史的な出来事を見てきました。そうして変革や革命を希求し、全力で闘い、しかし敗北、絶望感を味わいました。とはいえ、この〈二つの安保闘争〉をメルクマールとする時代は、この国の転換点だったと思います。

あれから半世紀余り──尊敬する先輩方も続々鬼籍に入られています(ちなみに先に名を出した廣松さんは、世界的に認められるような学問的業績を挙げていますが、なんと60歳で若くして亡くなられていることを、あらためて知りました)。私も、先輩らに比して、若い若いと思っていましたが、そうでもなくなり、当時を振り返ってもいい歳になりました。

こういうことを自分なりに悟り、みずからの非才を顧みず数年前から1年に1冊ですが、当時を振り返り語る本を出しています。『遙かなる一九七〇年代‐京都』(2017年)。『思い出そう!一九六八年を!!』(18年)、『一九六九年 混沌と狂騒の時代』(19年)、『一九七〇年 端境期の時代』(20年)で、今年も11月に続編『絶望と地獄の季節71~72年』(仮)を出す予定です。長崎さんも寄稿予定です。

「懐古趣味」だとか言われれば、それでも構いませんが、私(たち)も先がそう長くはありませんから、生来鈍愚、たとえ拙くてもみずからの言葉で書き綴り、自力で編纂していきたいと考えています。

冒頭に挙げた「橋田淳」さんは大学の先輩(全学闘争委員会を形成する文学部共闘会議)で、今は児童文学作家をされていますが、この「夕陽の部隊」は、彼にとっては特異な作品(短編小説)です。しかし私に言わせれば、彼の作品群の中で5本の指に入る秀作です。

「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だと言ったんだ、だってそうだろう、革命を戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」(「夕陽の部隊」より)

つまるところ、60年安保闘争から60年代、70年代の闘いの高揚と挫折を経て現在に至る〈生きた総括〉とは、そういうことだろうと思われます。

*「[創作]夕陽の部隊」は『季節』6号初出、その後『敗北における勝利』『遙かなる一九七〇年代‐京都』に再録されています。

68年~70年の総括シリーズの案内

発生35年・たけしフライデー襲撃事件 見過ごされた「不倫」と「報道」の深層

不倫の厳罰化が著しい今日この頃。週刊誌などで不倫を報じられた芸能人やスポーツ選手は社会的非難を浴び、仕事を失いかねないほど追い込まれることも珍しくない。

そんな光景を見やりながら、筆者が思い出さずにいられないのが、35年前に起きたビートたけし(74)のフライデー襲撃事件だ。

写真週刊誌フライデーがたけしの不倫相手の存在を報じたことをきっかけに勃発したこの事件。同誌の報道や取材、事後的な対応に激怒したたけしは1986年12月9日未明、たけし軍団とたけし軍団セピアの計11人を引き連れて同誌編集部に乗り込み、編集次長やデスクら5人に暴行し、1週間から1カ月のケガを負わせた。そして現行犯逮捕され、裁判では懲役6月・執行猶予2年の判決を受けたのだが…。

この事件が異例だったのは、加害者であるたけしより被害者であるフライデーが社会の批判を浴びたことだ。

フライデーの記者は事件前、たけしの不倫相手だった女性A子さんに強引な取材をし、けがをさせたうえ、売春婦呼ばわりまでしていた。さらに同誌はたけしの妻が4歳の娘に幼稚園入園の面接試験を受けさせる様子を隠し撮りし、その写真と記事を掲載していた。たけしがフライデー編集部を襲撃した背景にそんな出来事があったとわかったうえ、当時は写真週刊誌の過激報道が社会問題化していたこともあり、たけしに同情が集まったのだ。

そしてその後、たけしは謹慎期間を経て芸能活動を再開し、お笑い界のトップに返り咲くと共に、映画監督として世界的な名声を集めるようになった――。

とまあ、このようなコトの顛末は、多くの方がご存知だろう。だが、この事件をめぐっては、当時見過ごされた問題がある。

◆報道された当時は20歳だった不倫相手のA子さんだが…

それは、たけしの不倫相手A子さんの年齢だ。そのことを説明するうえでまず、フライデーがA子さんの存在を報じた1986年9月5日号の記事の見出しを見て頂こう。

〈ビートたけしの別宅へ通う「美女」あり 19歳の年齢差越え5年間続いたフシギ交際〉

5年間交際が続いたとのことだが、一方で本文を見ると、A子さんについて〈某国立大学の1年生としてデザインの勉強をしているこのA子さん(20)〉と書かれている。となると、A子さんがたけしと交際を始めた当初の年齢が気になるところだろう。

たけしの不倫を報じたフライデー1986年9月5日号。A子さん(黒いシャツの女性)の顔の修正は筆者(片岡健)による

そこで本文を見ていくと、末尾にこう書かれている。

〈15歳のときからの5年間は、A子さんにとって「大ファンのたけしさん」の身辺の世話をしてこれた“幸福な日々”だったのかも知れない〉

見ておわかりの通り、要するにフライデーの記事は、たけしの不倫を報じたというより、淫行疑惑を報じたような内容だったのだ。

この報道があった当時は不倫に対する社会の目が今ほど厳しくなかったのと同様に、淫行に対する社会の目も今ほどは厳しくなかった。だからこそ、まったく問題にならなかったのだろうが、当時も淫行が犯罪だったことに変わりはない。

記事では、たけしとA子さんの間に「不貞行為」があったとは書かれていないが、〈A子さん(20)がたけしの部屋に通う姿は、この夏休みの間、毎日のように目撃された〉と書かれており、2人の間に不貞行為があったと報じられているのも同然だ。仮に令和の今、有名芸能人に関してこのような記事が出れば、不倫問題というより淫行問題として騒がれ、その有名芸能人は当面、仕事ができなくなるだろう。

一方、仮に今、有名芸能人に関してこのような報道が出て、報道内容が事実ではなかった場合、芸能人側は名誉棄損訴訟を起こす可能性が高い。そして報じた側は巨額の賠償金を支払う羽目になるだろう。今はマスコミ報道に対する司法判断も当時よりずっと厳しくなっているからだ。

こうしてみると、たけしのフライデー襲撃事件とその原因になったフライデーの報道は、今ほどコンプライアンスにうるさくない昭和の時代らしい事件であり、報道だったと言えるだろう。

〈追記〉
たけしに下された東京地裁の判決文によると、A子さんは国立大学ではなく専門学校に通っていたとされている。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

オリパラ開催に反対の声をあげる女性たち 民の声新聞 鈴木博喜

7月21日から一部競技の開催が予定されている東京オリンピック・パラリンピックを中止させようと、女性たちが「抗議リレー」を毎週火曜日に行っている。医療従事者や弁護士、学者、在外ジャーナリストなど多くの女性たちがあきらめずに声をあげている。

なぜ五輪開催に反対するのか。五輪強行の何が問題なのか。「民の声新聞」では取り上げ切れなかった発言を軸に改めて考えたい。黙ってまま〝消極的容認〟で、あなたは本当に良いですか?

福島県福島市では野球・ソフトボールの試合が行われる予定。元から影の薄かった〝復興五輪〟だが、今や東京五輪と〝復興〟を結び付けて考える人はほとんどいるまい

「約15年間、貧困問題の取材と支援を続けていますが、この15年を足しても足りないくらい、この1年は濃密です。昨年4月にメールによる相談フォームを立ち上げました。今日に至るまで相談メールが毎日のように来ています。職を失ったとか、家賃滞納で追い出されそうだとか、既に追い出されてしまったとか、ネットカフェに寝泊まりしていたが路上生活になってしまったとか、そういうメールが700件届いています」

作家で「反貧困ネットワーク」世話人の雨宮処凜さんは、貧困問題の視点から五輪反対の想いを語った。SOSが寄せられると支援者が駆け付けて当座の現金を手渡し、公的支援につなげる。それが連日、繰り返される。まさに「五輪どころじゃない」のだ。

「まずここにお金を入れるべきだろうと思います。あと、住まいを失った人たちが入れるシェルター、住所があって身体を休めることができる場所が緊急に必要なんです。反貧困ネットワークでは緊急にシェルターを増やしていますが、すぐに満室になってしまいます」

リーマンショックの頃と比べて、女性の貧困問題が悪化しているという。

「この年末年始に『コロナ被害相談村』を3日間行ったら344人のうち62人が女性でした。18%です。13年前(『年越し派遣村』)1%だったのが18%にまで増えている。62人のうち29%が既に住まいがないホームレス状態で、21%が所持金が1000円以下。42%収入がゼロ円でした。きちんと実態調査をやれば大規模な女性のホームレス化が起きているというのは明らかだと思います。炊き出しにも若い女性や子連れの方とか、夫が失業して夫と子どもが家で待ってるから炊き出しを廻って家族の食糧を集めているという人もいます。そういうなかで、誰もオリンピックどころじゃないというか、まず生存、生きるということを保障しなくてはいけません。餓死か自殺かホームレスか刑務所かという究極の四択みたいな状況なんです。まずは死なせない。命や住まいを保障しないで路上に出しておいてオリンピックというのは通らないんじゃないかというのが率直な反対理由です」

毎週火曜の夜にリモート形式で行われている「女性たちの抗議リレー」

昭和大学病院泌尿器科の医師で、昨年5月まで日本女医会長を務めた前田佳子さん(国際婦人年連絡会共同代表)は「多くの病院では感染対策とコロナ患者の受け入れにたくさんの労力とコストが投入されていて、経済的にも労働力としても疲弊が続いています。それもこれも、オリパラ開催ありきで突き進んできた安倍菅政権による人災です。これ以上、大切な命が失われるようなことがあってはなりません」と語り、開業医で日本女医会理事の青木正美さんは「大会さえ始まってしまえば国民はテレビに釘付けなのですか?後は野となれ山となれなのですか?」、「このまま強引にオリパラが開催されてしまったら、消極的とはいえ認めたことになります。共犯ですよ」と厳しい言葉を並べた。

「五輪を機に来日する関係者などは20万人とも言われています。この人たちが真夏の東京で動き回るわけです。もし五輪を機に新たな変異株が出て多くの人が感染したら、本州全体をハードロックダウンしなければならなくなります。新たな変異株を選手が母国に持ち帰ったとしたら提訴されます。世界中から賠償金を払えと言われてしまいます」(青木医師)

関西大学の井谷聡子准教授は、スポーツとジェンダーをテーマに研究している立場から「行く先々で開発業者と政府が結託して、人々を土地から無理矢理引きはがす。そこに居る権利を奪う、環境を破壊するということが繰り返されてきたんです。人々の命を脅かすのが五輪。こういう長い歴史があるんだということを覚えていただきたい」と述べ、法政大学の上西充子教授は「五輪後の感染爆発に対して私たち自身が責任を負えないからこそ、当事者として止めなきゃいけないと考えています。『どうせ開催しちゃうんだよね』、『だったら何を言ってもしょうがない』と考えるのは責任放棄だと思います」と訴えた。

責任放棄などしない。だから、漫画家のぼうごなつこさんはこう強調した。

「散々言って来たことや、もう言わなくても当たり前でしょということも引っ込めないでどんどん表に出すのが良いと思います。少しでもあきらめずにくらいついて、引きずりおろしたいと思います。今年は総選挙もあるので、地元の議員に伝えてみたり。五輪を中止させるというと大それたことのように思えるけれど、小さなことでも多くの人がやれば大きな力になる。どんなことでもやらないことには始まらないと思います。最後の最後まであらゆることをしようと思います」

企画の中心となっている「フラワーデモ」の松尾亜紀子さんは「この抗議リレーの告知をしたら、ツイッター上で『お前らに止める権利はない』という声が、ものすごく飛んで来た」と明かした。

「女性たちに止められるはずがない、ということだと思うんですけど…。いえ、やっぱり止めなきゃいけないので、ここから続けていきたいと考えています」
「正直言って、私自身も含めて、海外が止めてくれるんじゃないかという期待があったと思います」と語った松尾さん。

「コロナ禍であぶり出されたように、五輪開催の犠牲を最も被るのは社会的に弱い立場にいる方たちです。貧困問題はジェンダーに大きく関係します。オリパラがはらむ性差別、ハラスメントなどのジェンダー問題も深刻です。これまで各国で抵抗運動に立ち上がる人たちの多くは女性でした。オリパラを何としても私たちの声で止めたいです」

◎FLOWER DEMO https://www.youtube.com/c/FLOWERDEMO/videos

東京保険医協会は先月、五輪中止をIOCに打診するよう求める意見書を菅首相などに提出している

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.28 《総力特集》〈当たり前の理論〉で実現させる〈原発なき社会〉
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小池都知事「入院」の真相と7月4日都議会選挙・混沌の行方 横山茂彦

◆自民躍進と大敗、両極の予想

6月25日告示、7月4日投開票の都議選挙のゆくえが混迷を深めている。6月中旬にマスコミ向けに発表された自民党調査によると、自民党は現有議席25を51まで回復するという。都民ファースト(以下、都ファ)は46議席から13議席と大敗の予測である。

これだけをみれば、データの詳細(ソース取得・分析方法)は不明ながら、自民党の逆襲という趨勢である。知事選における小池旋風に乗っかった(民進党も解党的に乗った――苦笑)、地盤もないポッと出の素人政党に、継続的な多数派支配が困難なのは誰の目にもわかる。

ところが、東京新聞・東京MXテレビ・JX通信社が5月22、23日に行なった調査では、都議選での投票先として自民党は19.3%だった。立憲民主党14.0%、共産党12.9%、都民ファ9.6%、公明党3.4%、日本維新の会3.4%である。

127議席の19%(自民)ということは、わずか24議席強で、現有議席とほぼ変わらない。ゆえに先月末の選挙展望は、自民ふたたび大敗、菅政権のコロナ対策の遅れの煽りを受けた、という分析が大半だった。

いずれにしても、都議選挙は総選挙(同年選挙)を占うものと云われている。民主党系(当時は民進党)が54議席(35議席↑)を獲得した2009年の都議選挙では、自民党が38議席(48議席↓)と大敗し、9月の総選挙で自民大敗・戦後二度目の政権交代となった。

当時は「消えた年金」という、国民生活にとってこのままの政権(官僚組織の監督)ではとんでもないことになる、凄まじい危機感があったのは事実である。ある意味では、2007年の安倍政権時の自民党政治のツケがイッキに政権交代となって顕われたのだった。


◎[参考動画]〈首都決戦2009〉 自民、逆風の中で総力戦(TOKYO MX 2009年6月23日)


◎[参考動画]〈首都決戦2009〉 一夜明けて(TOKYO MX 2009年7月14日)

◆君臨する小池知事の政治的な位置

それにくらべて、現在は対応遅れの人災的コロナ危機にあるとはいえ、国民が火急の生活的な危機感から、政権交代の投票行動に結実する情勢ではない。その危機がウイルスという天災的なものだからだ。

ひるがえって、政局的には今回の都議選は微妙な勢力図のなかにある。上述した自民党の支持率と都民ファという、前回の選挙で地滑り的に躍進した党派の帰趨である。そしてその求心力だった小池都知事が、今回は都政の権力者として、都民の批判の矢面に立っているからだ。

かつて、自民党東京都連の「ブラックボックス」「都政の伏魔殿」から疎んじられ、したがって都民の圧倒的な同情と支持を取り付けてきた立場とは違い、その専制的な政治態度がメディアの批判に晒されてもきた。

いわく「都政の女帝小池百合子は、東京五輪強行開催に批判的な国民の動静を読んで、オリンピック中止を都議選の公約に掲げるのでは?」「五輪中止を最大利用か?」と、その独特な政治判断、時流にのる政治センスが批判的に論じられてきた。だがこれは、ほとんどハズレの論点となった。世論の動向とは無関係に、五輪開催はIOCの存立にかかわる問題(唯一の収入源)であって、どんなことがあっても開催されると、本通信で指摘してきたところだ。開催が間違いない世界的なイベントに反対してみたところで、政治家は墓穴を掘るだけであろう。

したがって、その小池知事は、自民党内ではひそかな盟友と頼む二階俊博と軌を一にしつつ、反目の仲とされてきた菅義偉と密室対談ののち、東京五輪の開催に突き進んでいる。これが都議選および秋の総選挙の情勢を混とんとさせている、ひとつの軸心であろう。


◎小池勢力が過半数 東京都議選投開票(共同通信 2017年7月3日)


◎自民惨敗、過去最低 東京都議選投開票(共同通信 2017年7月3日)

◆小池百合子「入院」の真相

そんな小池知事が「入院」した。額面どおり「執務による過労」だとしても、その政治的な意図を探られるのが政治家の宿命である。オリンピック強硬開催といっこうに収まらないコロナ禍から身をかわし、併せて都議選挙からも目をそむけていたい。これが偽らざる心境ではないだろうか。その政治的思惑はともかく、ここは都知事のご快癒を祈りたい。

ところで、目をそむけたから政治の現実が変わる、というものではない。

「都ファを全面支援するのか、それとも中立で行くのか、小池知事はこの期に及んで、都議選にどう対応するか、態度を留保しています」と言うのは、都政関係者である(日刊ゲンダイ)

この関係者によると、選挙中に都ファ候補の応援に入るのかと聞かれても「改革派にはエールを送りたい」と、はぐらかし続けているという。

みずから特別顧問を務め、この4年間を二人三脚で都政運営してきたのだから、都ファを支援するのが当然であろう。それができないのは、自民党の選挙予測データを見て焦ったからではないかという。

惨敗必至の都ファに乗っかると、返り血を浴びかねないというものだ。みずからが創設に尽力した都ファにこだわらず、自民党と公明党に周波を送りつつ、全体として安定政権を維持したいというのが、機を見るに敏な小池知事の判断というべきかもしれない。


◎小池知事“今週静養”永田町から「これで都議選……」(ANN 2021年6月23日)

◆国政復帰は本当にあるのか

そして小池知事をめぐって、公然と囁かれているのが国政復帰である。総理への野心はあいかわらず、彼女の政治家としての意欲の根源にあると言われている。

うがった方同筋は、秋の衆院選挙への出馬まで言及している。

そして小池知事の国政復帰のネックは、衆院議員時代の東京10区(豊島区と練馬区の一部など)に帰れないことにあるという。現在の10区選出で自民党の鈴木隼人議員は、セガサミーHDの創業者里見治の娘婿だという。

そこで「里見氏と菅総理は横浜のカジノ誘致を巡り、切っても切れない仲。総理は天敵の小池さんが割って入るのは絶対に阻止する」(自民党関係者)という。


◎[参考動画]サトノダイヤモンド 里見治オーナー インタビュー【前半】(競馬ラボ予想チャンネル 2016年11月19日)


◎[参考動画]「次の10年 若手政治家に問う」(2)鈴木隼人・衆議院議員(自由民主党)(jnpc 2020年2月13日)

そのいっぽうで、東京9区からの出馬があるのではないか、との報道もある。選挙区内で現金などを配ったとして略式起訴された菅原一秀前経産相の刑が確定すれば、公民権停止で五輪後に予定される衆院選には出られない。東京9区は練馬区の大部分で、小池知事の地盤である東京10区のすぐ隣だ。小池知事の国政復帰には、おあつらえ向きの選挙区が空いたというのである。

「小池さんにとっては、願ってもない展開です。自民党も急な候補者選びに頭を抱える中、彼女が無所属で出馬すれば、黙認する可能性が高い。しかも東京9区はいわゆる『1票の格差』を巡り、いずれ区割り是正で『分区』となりそうなんです。菅原氏が公民権停止後に戻ってきても、選挙区をすみ分ければいい」(関係者)というのだが、あまり現実性は感じられない。ことほどかように、政局を騒がせる女帝、小池百合子は現在の日本政治には欠かせない政治家ということになるだろう。都議選挙に応援演説も何もせず、このまま様子見をするのか。都議選挙の見どころは、小池知事の動静に決まった。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

〈自由な言論の場〉として ―― 6月19日付け横山茂彦氏の論考にちなんで 鹿砦社編集部

6月19日付け「デジタル鹿砦社通信」に横山茂彦氏の【《書評》月刊『紙の爆弾』7月号〈後編〉「【検証】『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか」(第九回)での鹿砦社編集部への批判に答える 】が掲載されました。

 
〈タブーなき言論〉月刊『紙の爆弾』7月号

鹿砦社ならびに「デジタル鹿砦社通信」、また月刊『紙の爆弾』は〈タブーなき言論〉を目指し、意見の相違があろうとも様々な立場を尊重する姿勢を保つべく、努力しております。横山氏の記事は「鹿砦社編集部の筆者への批判に答える」と表題が示されている通り、現在部落解放同盟と鹿砦社の間で、交わされている表現についての問題について横山氏の意見表明です。

その原稿の元になっている記事は『紙の爆弾』7月号に掲載された、鹿砦社編集部の文章です。関心のある方はぜひ『紙の爆弾』7月号の《「士農工商」は「職階性」か「身分制度」か 再考》をご一読ください。そこでは、私たちの基本的な疑問を、素直に問いかけ、この問題をどのように考えればよいのか?を解放同盟や読者にも問いかけています。黒薮哲哉氏のご指摘もその中で引用させていただいております。

権力者ではない、また社会的に力を持たない誰かを傷つける内容でない限り、また差別を助長する表現ではない限り、広く意見表明を行っていただく場所として存在したい。「デジタル鹿砦社通信」は〈自由な言論の場〉でありたいと考えますし、それはこれまでも実践してきました。意見表明にも「過ち」はあり得ますので、事実関係の誤認や、間違った理解があれば、私たち自身がこれまでも訂正を行ってきました。

私たちがここ5年余り関わって来ている「カウンター大学院生リンチ事件」についても「私たちの言っていることに誤りがあれば指摘してほしい」と公言しています(が、言論での反論らしい反論はありません)。

そして、敢えて付言いたしますが、6月19日掲載の横山氏の意見は、私たちと同じではありません。しかし、活発な議論喚起のためと、〈自由な言論〉確保のために横山氏に訂正や修正を押し付けたりはしません。当然です。

以上、短いですが、言論と個々の意見表明について、私たちの基本的な考えを、表明いたします。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

29日に最高裁で判決 面会室で見た「後妻業」筧千佐子被告の実像 片岡 健

1、2審共に死刑判決を受けている「関西連続青酸殺人事件」の筧千佐子被告(74・大阪拘置所に収容中)の上告審で、最高裁第三小法廷は29日、判決を言い渡す。

結婚相談所で知り合った交際相手や結婚相手の男性ら計4人に青酸化合物を飲ませ、うち3人を殺害するなどしたとされる筧被告。被害男性らの遺産を次々に手にしていたことなどから、メディアに「後妻業」などと言われた。

上告審では、弁護側は筧被告が進行した認知症により訴訟能力が無いなどと主張し、審理を差し戻して精神鑑定を実施することを求めているそうだが、最高裁の性質からしてこのまま死刑が確定する公算が大きいだろう。

筆者は、これまで筧被告と収容先の拘置所で面会したり、手紙をやりとりするなどの取材を重ねてきた。裁判の終結が迫ったこの時期、取材で知った筧被告の実像を紹介しておきたい。

◆思った以上に重篤だった認知症

筆者が初めて筧被告に会ったのは2017年12月中旬のこと。筧被告が一審・京都地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた直後の時期だ。当時収容されていた京都拘置所の面会室に現れた彼女が最初に発した言葉は今も強く印象に残っている。

「あなたのこと憶えてるよ」

初対面の筆者に対し、そう言った筧被告はきょとんとした表情で、演技をしているようには見えなかった。本気で筆者のことを他の取材関係者と間違えたのだ。

裁判中、罪を認めたり否認したり、裁判員に食ってかかったりと認知症の影響で不規則な発言を繰り返していたことは聞いていたが、会ってみた印象として認知症は思った以上に重篤なようだった。

筧被告は逮捕前、疑惑を追及する報道陣の前に厚化粧で現れていたが、面会室ではすっぴんで、顔にはシワとシミが目立った。服装も上がニット、下は八分丈のジーンズというラフな感じで、「関西の普通のおばちゃん」というのが率直な第一印象だった。

死刑判決を受けた感想を尋ねても、「今さら、どうのこうの無いです。あす死刑になってもいいという気持ちです」と語る様子は実にサバサバしていた。

「私はたしかに人を殺しましたが、殺したのは筧さん(=逮捕時に婚姻関係にあった被害者の1人・筧勇夫さんのこと)だけです。そのことは声を大にして言います」

そんな筧被告の言葉は明らかに事実と異なっていたが、本人は真顔だった。本気で1人しか殺していないと思い込んでいる可能性も否めないように思われた。

筧被告が現在収容されている大阪拘置所

◆出生の複雑な事情

筧被告は北九州市の出身で、野球の強豪としても有名な地元屈指の進学校・東筑高校を卒業しているが、面会中の会話から母校への愛着が非常に強いことが窺えた。そこで、東筑高校が選抜の甲子園出場を決めた際、ネット上の関連記事を郵送で差し入れたところ、大変喜び、速達でお礼の葉書を届けてきた。

そんな様子からは決して悪い人物には感じられなかった筧被告だが、反面、何の罪もない男性たちを金目当てに次々に殺めてきたことへの罪の意識もまったく感じ取れなかった。月並みな言い方をすれば、サイコパス的な人物だとも思えたが、なぜ、そんな人格になったのか。その謎を解くキーポイントになると思われるのが出生の複雑な事情だ。

筧被告は、八幡製鉄の社員だった父と母に育てられたが、この両親とは血のつながりがなかった。しかし、本人は大人になるまでそのことを知らず、ある日突然、産みの親から手紙が届いたことにより自分の出生の事情を知ったという。

「産みの親には、育ての親が死んでから会いましたよ。向こうは喜んでましたね。私はシラけてましたけど」

淡々とそう振り返った筧被告だが、筆者が「やっぱり育ての親のほうが大事ですか?」と質すと、突然感情を昂らせた。「そうですね。育ての親が大事です。今でも…」と言いつつ、両目から涙をポロポロこぼし始めたのだ。

その様子からは、出生の複雑な事情を知ったことは筧被告にとって、人生で最大級のショッキングな出来事だったことが察せられた。筧被告が次々に金目当てに人を殺めるような人格になったのは、少なくともこの出来事と無関係ではないだろう。

ただ、筧被告本人は進行した認知症のせいで、今は自分がなぜ人を殺すようになったかを思い出すことすら無理だろう。それはすなわち、彼女の心の闇に光が当てられる日も永遠に訪れないだろうということだ。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号

【M君リンチ事件余話】 因果はめぐる糸車? 鹿砦社代表 松岡利康

先日、ミャンマー・サッカー選手が日本での試合を終え帰国の途につこうという直前で、これを拒否し日本政府に保護を求めるという事件が報道されました(画像1参照)。そして難民認定を求め申請しました(22日)。

[画像1]朝日新聞2021年6月17日夕刊
[画像2]共闘していた頃。1971年4・28沖縄闘争(戦旗257号 1971年5月15日号)

ここで中心的に動いたのが空野佳弘弁護士ということが新聞報道で名が出ていて、これを発見し驚きましたが、空野弁護士は、実は「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)被害者M君の父親と同期で同じグループ「京大C戦線」で1970年代初頭の学生運動に関わっていました。71年から72年前半には、「全京都学生連合会」(京学連)を結成し、私たち同志社大学全学闘と共闘していました(画像2)。

京大C戦線は、私たちと別れた後、ある中国派の党派と共に「マルクス主義青年同盟」(マル青同)を結成、全国党派を目指しますが、しばらくして破綻、空野弁護士は、ご自身から伺った話では、それまでに全く単位を取っておらずゼロから勉強し直し、遅くして司法試験に合格し弁護士になったそうです。弁護士登録が1985年ということですから、学生現役時代に合格した者に比べれば10年遅れています。さすがに“腐っても京大”です。同志社ではこうはいきませんが、元々頭の出来が違います(苦笑)。

この「京大C戦線」の指導者は、吉國恒雄さん(故人。ジンバブエ研究の第一人者。生前は専修大学教授)で、マル青同解体後アメリカ西海岸に逃れ研究生活に入ります。ほぼ同時期に活動した矢谷暢一郎さんと同様です(矢谷さんは東海岸)。

そうして68年6・28 ASPAC御堂筋突破闘争で、吉國さんも矢谷さんも逮捕・起訴されます。この闘争、同志社だけで約800名の部隊だったというから凄いです。その後私たちの頃になると、多い時でこの半分ぐらいでしたから。

そうして、71年10月8日、判決を迎えます。これを報じる新聞記事(画像3)には「寛刑」との文字が躍っていますが、軽かったのは判決だけでなく、検察の求刑も、その後、70年代後半以降に比べると、ずいぶん軽いイメージです。

[画像3]1968年ASPAC闘争の判決を報じる読売新聞1971年10月8日夕刊

71年、この年、裁判官に任官されたばかりの森野俊彦先生は、ASPAC闘争の裁判を担当し判決文を起案されたということです。この判決の記事を、当時学友会ボックスでみなで回覧し、あれこれ歓談したことを覚えています。

71年は、いわゆる「青法協」(青年法律家協会)問題が起き、同期の7名が任官されませんでした。この期(23期)には、私たち一般にも知られる方として、宇都宮健児、澤藤統一郎、梓澤和幸といった弁護士がおられます。森野先生も同期の仲間と共に7名の任官を求め闘いますが、森野先生は唯一裁判所の内部から変革を求めて「日本裁判官ネットワーク」を結成されたり定年まで闘い続けられます(画像4参照)。

定年後は、弁護士として活躍されていますが、ひょんなことから出会い私たち鹿砦社の代理人も務めていただいています。森野先生ら23期の方々が最近『司法はこれでいいのか』(現代書館刊)を上梓されましたので、詳しくはこの本をご覧ください。

[画像4]『週刊金曜日』(2021年5月21日号)の森野俊彦弁護士紹介記事

そうして、対李信恵訴訟控訴審、矢谷暢一郎さん(4月20日付けでニューヨーク州立大学名誉教授を拝命。画像5)が心理学者の立場から「意見書」を書いていただき裁判所(大阪高裁)に提出しました。

一方、森野先生には「控訴理由書」、同補充書などの書面作成にご尽力いただきました。大阪高裁の裁判官をも務められたこともあり、(元)裁判官の目から本件リンチ事件の本質を捉え、非常に有益でした。

ちょうど50年前の1971年に、裁く側と裁かれる側に在った、矢谷さんと森野先生が、50年の年月を超えて今、鹿砦社のために一肌抜いていただいたのです。さらには、「京大C戦線」で活動していた方々には、16年前の「名誉毀損」逮捕事件でも奔走いただき、今回の対李信恵訴訟控訴審でも「公平、公正、慎重な審理を求める要請書」にも重村達郎弁護士と赤川祥夫牧師に提出いただきました。

矢谷さんは、かつて学生運動に関わっていたという理由で1986年、ロンドンの学会から戻りニューヨーク・ケネディ空港に降り立ったとたんに突然逮捕され44日間勾留されますが、同僚教官やオノ・ヨーコさんらが奔走し無罪放免されます。そうして全米を動かした「ブラック・リスト抹消訴訟」、いわゆる「YATANI CASE」といわれ国際的にも司法、法曹関係では有名な事件です。この件は、古い本ですが『アメリカを訴えた日本人』(毎日新聞社刊)を(古書市場で求められるか図書館で借りるかして)お読みください。

[画像5]矢谷さんの講演会の後で加藤登紀子さんが労ってくれました。矢谷さん(左)、加藤さん(中央)、松岡(右)

この50年、矢谷さんは判決前後に大病を患い、これが治り夫婦で再起を期して渡米され、同志社は中退でしたので学士を修めるところからやり直し(この点は先の空野弁護士と同じです)、修士、博士号を取得、ニューヨーク州立大学講師の職も得、ようやく先が見えてきたところで突然逮捕されるなど苦難の人生だったことが窺われます。

一方、森野先生も、若い頃の青法協活動、その後「日本裁判官ネットワーク」の活動など、いわば“危険分子”と見なされていたようで、地方や家裁回りが多かったとのことです。

蛇足ながら私も、お二人に比べれば小さいですが、大波小波、いろいろありました。今では笑って話せますが、一時はもう再起不能と思い絶望の渕にありました。奇跡的と言っていいと思いますが、皆様方のご支援により再起することができました。

今からちょうど50年前の1971年、お二人が法廷で対峙していた年、私たちは、本土「復帰」直前の沖縄返還協定調印→批准阻止闘争、三里塚闘争、そして学費値上げ阻止闘争に走り回っていました。

目をつぶれば走馬灯のように50年前のいろいろな出来事が甦ってきます。もう過去を振り返ってもいい歳になりましたが、当時の初心を想起し、いつまでも社会的不正には怒りを込めて振り返ることを忘れないでいきたいと、あらためて思った次第です。

*鹿砦社からも矢谷さんの著書を出版しています。2014年秋の同志社大学学友会倶楽部主催講演会に間に合わせるために急遽製作しました。『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学——アメリカを訴えた日本人2』です。ぜひご購読お願いいたします。

矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学——アメリカを訴えた日本人2』

矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学——アメリカを訴えた日本人2』https://www.amazon.co.jp/dp/4846310299/

 

五輪・原発・コロナ社会の背理〈6〉 脱炭素社会の基幹エネルギーに水素を位置づけることは妥当なのか? 田所敏夫

◆水素エネルギーは脱炭素社会実現への切り札なのか?

読売新聞は、《【独自】全国125の主要港湾、脱炭素化を推進…船舶や荷役に水素を活用 政府は、横浜や神戸など全国125の主要な港湾で脱炭素に向けた計画の策定に乗り出す。燃焼時に二酸化炭素(CO2)を排出しない水素の利用拡大を柱として掲げる方向だ。政府目標である「2050年までに温室効果ガス排出量の実質ゼロ」達成への目玉政策にも位置づけ、脱炭素社会実現への切り札としたい考えだ。》(2021年5月10日読売新聞)と報じている。

「燃焼時に二酸化炭素を排出しない水素」を「脱炭素社会実現への切り札」としたいのだという。ここに書かれている内容は、自然科学的な観点から、間違いはないだろうか。

間違いがある。水素に対する根本的な解釈だ。以下は日本経済新聞からの引用である。

《▼水素製造 水素を製造する方法は主に、①石油や天然ガスに含まれるメタンなどの炭化水素を水蒸気と反応させて水素と二酸化炭素(CO2)に分離する、②石炭を蒸し焼きにして水素と一酸化炭素(CO)の混合物である石炭ガスをつくる、③水に電流を流して水素と酸素に分離する――の3つに大別される。現在、世界でつくられている水素のほとんどは①の天然ガス由来だ。》(2021年2月26日日本経済新聞)

「燃焼時に二酸化炭素を排出しない」は可能であろが、そもそも水素をつくりだすためには、石油、天然ガスを用いて「水素と二酸化炭素」に分離するか、石炭を蒸し焼きにして、「水素と一酸化炭素」をつくる。つまり「炭素」がつくりだされる(これらとは別にバイオマスから水素を作る方法もあるが、費用が高額で採算が合わないといわれている)。最後には水を電気分解するしか主たる方法はない。電気を使う時点で「では電気はどうやって作るのか」を問わねばならず、電気を使わなければ二酸化炭素や一酸化炭素を「原料(水素)作成時点」で発生させざるをえない。

このロジックは「原発は発電時に二酸化炭素を出さない」と同じような詭弁であることが、素人でも5分あれば調べられる。原発は運転時に二酸化炭素排出量が少ないが、福島第一原発事故現場で問題になっている汚染水のに含まれる、トリチウムを常時排出しているし、1秒に70トンの海水をもとの水温から7度温めて放出し続ける。こんな装置がどうして「地球温暖化」の解決策に寄与するだろうか。

さて、水素は空気中に漏れ出て4%以上になると、爆発の危険があるので、水素そのものを厳重に保管しなければならない。水素が燃料として使えることは間違いないが、着火しやすく、拡散しやすい性質の物質でまた金属劣化を進める性質ももつので、その性質を理解してから、広く導入するのが妥当かどうかの議論をすべきだろう。わたしはいたずらに水素を忌避したり、水素が悪だというつもりはまったくない。水素を製造するためには、上記の方法しかないことから「脱炭素社会」を指向するなら(「脱炭素社会」など実現できないし、無意味だと思うが)基幹エネルギーとして水素を位置づけることが、妥当かどうか、疑問をもつのだ。

実験室や工場で水素は、一般的に赤いタンクの中に納めるられていることが多く、火災が発生したりすれば当然爆発の危険性がある。拙宅の近所では数年前にボヤが発生し、水素タンクに引火の危険性が生じていたことが事後判明し、騒ぎになったことがある。

「港湾で脱炭素化を推進する」ことが、地球環境保全に繋がるのかどうか。大型・小型船舶の燃料はどうするつもりなのだろうか。港を水素で溢れさせても、長期航路を運航するタンカーなどの燃料を、水素でまかなえるだろうか。原子力船や原子力潜水艦のような危険を冒し、タンカーの船中に大型の「電気分解機」を積んで航行するのだろうか。あるいは液体水素はそんなに安価で製造できるものであろうか。

◆大量生産大量消費社会と「地球温暖化二酸化炭素犯人説」

基礎的な疑問だけ列挙しても、どうもおかしい。屁理屈が並べられているが「地球温暖化二酸化炭素犯人説」の根拠には、こんなふうに一見「ほー」と思わせながら、いちまい扉を開けるだけでボッタくりの店だとわかり「あ、ここ入ったらいけない場所だった」と気づかされ、帰ってこなきゃならないような、浅く狡い理屈が蔓延している。

だからといって、今日のようなエネルギー浪費型社会をわたしはまったく肯定しない。注目されるべきは、エネルギー過度消費に陥った社会ではないだろうか。エネルギーが化石燃料由来であろうが、再生可能エネルギーであろうが関係ない。「二酸化炭素」や「地球温暖化」に矮小化、あるいは恣意的に歪曲された議論では、突きつけられている本当の命題がぼやけてしまう。

世界的な政策設計者(「地球温暖化二酸化炭素犯人説」立案者)には、人間が生活に最低必要最低限なエネルギーをはるかに超えるエネルギーを日々膨大に消費して、大量生産大量消費を続ける社会の前提を崩す気はない。あの人たちは、いっけん環境主義者のように振舞うが、こんなにも地球を壊し、あげく人間自身を壊し、自然科学の基礎を無視した、訳の分からない論を声高に叫んで恥じない。「二酸化炭素地球温暖化犯人説」はまさに、これらの矛盾が凝縮され「問題と対策」がほぼ完全にゆがめられている。

炭素を減らしても何の解決にもならない。しかも、水素の製造過程では必然的に炭素が出てくる。この二つの不整合だけで論理の破綻は証明される。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』7月号
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《NO NUKES voice》原発避難者から住まいを奪うな〈5〉「出て行くな」の次は「戻って来い」 民の声新聞 鈴木博喜

そもそも、国も福島県も、避難指示区域以外からの住民避難に消極的だった。口では「避難者いじめはやめよう」などと言いながら、「避難の権利」を認めて来なかった。

福島県災害対策本部が2011年7月に発行した「今、子どもたちのためにできること~放射能から子どもたちの心身の健康を守るために~保護者の皆様へ」では、「地表には放射性セシウムが沈着していますが、空気中の放射性ヨウ素や放射性セシウムの心配はありませんので、風が強くほこりが舞うようなときを除いて、散歩、洗濯物の外干し、エアコンの使用、部屋の換気、半袖を着るなど、日常生活には影響ありません」と「安全安心」を説いた。

福島県広報誌「うつくしまゆめだより」特別号(2011年8月1日発行)には、こんな表現すらあった。

「今回、原発事故の被災地として『フクシマ』の名は世界中の人々の心に刻まれました。しかし、この災害を乗り越える姿は、被災したことと同じくらいの驚きで世界に受け止められるはずです。ピンチをチャンスに変え、世界に誇れるふくしまとなることを信じて、前を向いて歩んでいきましょう」

ピンチをチャンスに変える。つい最近も似たような言葉が政権内部から聞えて来たことがあった。中日新聞によると自民党の下村博文政調会長は5月3日、改憲派のウェブ会合で「日本は今、国難だ。コロナのピンチを逆にチャンスに変えるべきだ」と述べている。被曝リスクもパンデミックも、チャンスに変えるような事態ではないことは言うまでもない。

福島県は震災・原発事故から丸5年の2016年3月12日、全国で配られる朝刊に全面広告を出して、こうアピールした。

「避難区域以外のほとんどの地域は、日常を歩んでいます」

こうして、初めから「避難の権利」は否定され「出て行くな」と言われ続けて来た。福島県立いわき総合高校の石井路子さんは、雑誌「シアターアーツ」47号(2011年6月25日、国際演劇評論家協会日本センター発行)の中で、次のように綴っている。

「できることなら若い世代は福島から出て、放射線のない世界で生活するべきだと私は考えていた。けれどもそうはならなかった。保護者の仕事の関係、経済的な理由、離郷への拒否感、様々な理由で子どもたちは避難先からこの地へ戻ってきた」

「また、学校の早期再開が避難していた子どもたちを呼び寄せることになった。被曝のリスクを回避させたい。なのに毎日放射線の中を投稿させているジレンマ。国は『直ちに健康に影響はない』と言い続け、学校はその方針に従わざるを得ない。『安全だ』と繰り返されたことで、マスクもせず、雨にぬれることにも躊躇を示さない無防備さ。低線量被曝のリスクについて何の説明も受けていないのだから当然だろう」

避難当事者たちは何年にもわたって訴えているが、帰還一辺倒、避難者切り捨てにばかり注力する福島県の内堀雅雄知事はいまだに避難当事者と面会していない

この動きは福島県に限らず、隣接する宮城県丸森町も2011年3月22日の時点で「3月20日現在、宮城県内における空間放射線は、健康に影響を与えるレベルではありません」、「3月21日に東北大学が町内で測定した1・48μSv/hは、日常生活を行ううえで特に影響を与えるものではありません」と町民に周知している(「3月11日に発生した東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故に関する情報」より)。

「出て行くな」の次は「戻って来い」だ。福島県の職員は、区域外避難者への住宅無償提供打ち切りが決まった頃から「県内における除染が進み、帰還が可能な環境が整ってきている。そもそも大多数の県民が避難していない」と盛んに言いだした。瀬戸大作さんが述懐する。

「福島県議会の各会派を訪問したが、共産党と立憲民主党の一部を除いて、皆一様に『福島に帰ってくれば良いじゃないか』と言う。県議のほとんどが避難者支援継続に反対。福島県選出の野党系国会議員にも会いに行ったが、同行した区域外避難者に向かって『もう帰って良いっぺ』と。都議会の議員たちにも『福島県の県民感情を考えると、区域外避難者だけを支援するわけにはいかないんです』、『自力で国家公務員宿舎を退去した人たちとの公平性を考えたら駄目です』と言われた」

2018年7月11日の参議院「東日本大震災復興特別委員会」。参考人として出席した森松明希子さん(郡山市から大阪府に避難)は、石井苗子参院議員から「何があったら戻ろうかというお気持ちになっていただけますか」と問われ、こう答えた。

「何があったら戻ろうかという御質問自体が、戻ることが前提とした御質問だというふうに私は受け止めてしまう」

「先生の御質問は、何があったら帰ってくれるのかではなくて、どんな被曝防護を考えましょうかという御質問だったらうれしい」

福島県内の首長も「避難者を戻らせる」ことが前提だった。

前福島市長の小林香氏は当選直後、「自主的な避難による人口流出への対応として、県外に避難されている方々に対し、福島市からの情報提供をもっとこまめに行っていく必要がある」(「東北ジャーナル」2014年3月号)と述べ、2017年2月の毎日新聞インタビューでは「当然、自主避難者の方々には戻っていただきたいが、強制するわけにいかない」と語っている。

国も同じだ。「第三文明」2018年3月号に掲載された浜田昌良復興副大臣のインタビュー記事では、「故郷・福島へ戻る被災者にも、県外で自主避難を続ける被災者にも、私たちは引き続き支援を惜しみません」などの美辞麗句が並べられた。

「原発事故直後には放射線に関する十分な情報が届かなかったわけですし、当時の政権のあいまいな説明は人々に大きな不安を与えました。震災から6年以上も他の地域で暮らしていれば、福島に帰りにくい方がいるのもうなずけます」

「2015年8月に改定した『子ども被災者支援法』の基本方針で、福島県外へ自主避難している方々にも支援を続行することを決めました。公営住宅に円滑に入居できるように入居要件を緩和したり、一部の自治体では自主避難者への優先入居枠を設けています。福島県内外で民間賃貸住宅に入る人には、家賃補助制度も作られました」

だったらなぜ、いま〝追い出し訴訟〟などという事態になっているのだろう。「戻って来い」一辺倒で全く寄り添って来なかった結果では無いのか。(終わり)

2016年には19万筆を上回る署名が超党派の国会議員に提出された。しかし、原発避難者から住まいを奪う国や福島県の横暴は止まらない

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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