「実名報道」を希望した犯行時少年の死刑囚のこと 片岡 健

来年4月から民法の成人年齢が18歳になるのに伴い、少年法も改正されることになりそうだ。

法務省が20歳未満の少年のうち、18、19歳については「特定少年」と区分けしたうえ、従来より厳罰化し、起訴されたら成人と同様に実名報道できるようにする改正案を今の国会に提出する予定なのだという。

私はこのニュースに触れ、以前取材していた1人の死刑囚のことを思い出した。名前は千葉祐太郎。2009年に始まった裁判員裁判で唯一、犯行時に少年でありながら死刑判決を受けた人物だ。現在は29歳になっており、仙台拘置支所に確定死刑囚として収容されている。

◆報道やネット上の写真のイメージと異なった少年殺人犯の実像

筆者の面会取材が漫画になった『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】5話(笠倉出版社、作・塚原洋一)より

祐太郎が事件を起こしたのは今から11年前に遡る。2010年2月10日の早朝、当時18歳だった祐太郎は、石巻市にある元交際相手の女性A子さん(当時17)の家に上がり込み、家にいたA子さんの姉(同20)とA子さんの友人女性(同18)を持参した牛刀で刺殺。さらにA子さんの姉の知人男性(同20)に対しても胸を刺して重傷を負わせた。事件前、祐太郎はA子さんにDVを繰り返し、2人を引き離そうとするA子さんの姉らとトラブルになっており、事件はその延長線上で起こしたものだった。

そんな事件は例によって少年による凶悪事件として大きく報道された。そして、同年12月、祐太郎が仙台地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた時には、妥当な判決であるように伝えられた。かくいう私も本人を直接取材するまでは、祐太郎のことをいかにも凶悪そうな少年としてイメージしていた。それは、報じられた犯行内容もさることながら、ネット上に流布した祐太郎の顔写真などの影響が大きかったように思う。

現行の少年法では、事件を起こした少年の名前や容貌を推知できるような報道が禁じられている。しかし、ネット上では、少年法の定めに従わない人たちが、事件を起こした少年の名前や写真を流布させるのが恒例だ。祐太郎の場合もそうなっていた。ネット上に流布した写真を見ると、険しい顔つきをした祐太郎はいかにも暴力的な少年であるように思われた。

私がそんな先入観を抱きつつ、祐太郎と初めて仙台拘置支所で面会したのは、2014年8月のことだった。祐太郎はこの時、すでに第二審・仙台高裁でも死刑判決を支持する控訴棄却の判決を受けており、最高裁に上告中だった。アクリル板越しに向かい合うと、実際の祐太郎は顔つきも話し方も穏やかだった。それから2年ほど面会や手紙のやりとりを重ねたが、実際に付き合ってみても人なつっこく、何も知らなければ殺人犯には思えなそうな人物だった。

◆ほとんど知られていない事件の実相

そしてこの間、事件について意外なことがわかった。祐太郎は、「事件を起こした時の記憶がない」と言うのだ。

祐太郎は犯行時、A子さんを連れ出すため、A子さん宅に赴いた。牛刀を持参したのは、A子さんの姉らに邪魔されたら、脅かすためだったという。実際に人を刺すつもりはなかったのだ。

しかし、祐太郎はA子さんの姉に110番通報されたショックで「解離性障害」なるものを引き起こしてしまう。そのせいで意識や記憶を欠損し、自分で自分をコントロールできない状態に陥った。そして、その場にいた人たちを次々に牛刀で刺してしまったのである。それは、複数の情状鑑定で裏づけられていることだった。

解離性障害を引き起こす人物は、子供の頃に虐待を受けているケースが多いが、祐太郎もそうだった。幼少期に母親からネグレクトに遭っていたうえ、母親の再婚相手から頻繁に暴力を振るわれ、家の中で首輪をつけられていたこともあったという。事件前、元交際相手のA子さんにDVを繰り返していた件についても、2人はいわゆる「共依存」の関係にあり、A子さんが先に祐太郎を殴り、祐太郎がA子さんを殴り返すような関係だったという。

「俺は子供の頃、暴力が身近にあり過ぎたため、暴力に対する感覚が一般の人と違っていたんです。ビンタは3発目から暴力になるという感覚で、1発では暴力になると思っていなかったんですよ」

祐太郎は私にそう明かしたが、幼少期の熾烈な経験により認知が歪んでいたのだろう。

◆本人の意向も確認せず、「実名」「匿名」に関する見解を表明したメディア

さて、少年法改正の話題に関連づけ、知られざる「犯行時少年の死刑囚の素顔」のようなものを色々書いてきた。ここまで読み、少年犯罪者に対する同情を誘うような意図を記事から感じた人もいるだろう。しかし、私にそのような意図はない。

私が祐太郎のことを書いたのは、今回の少年法改正に関するニュースに触れ、祐太郎と面会室で交わした「あるやりとり」を思い出したからだ。それは、最高裁の判決公判が間近に迫り、いよいよ祐太郎の死刑が確定しようとしていた時期のことだった。

祐太郎に関する記事を書く際、名前の表記は実名と匿名、どちらを希望するかと尋ねたら、祐太郎は何ら躊躇せず、「実名で」と答えた。何の変哲も無い一言であるが、それは私にとって、たいへん印象深く感じられる言葉だった。

犯行時少年だった被告人が裁判で死刑確定すると、マスコミ各社は実名報道に切り替えるか、匿名報道を維持するかについて、いつも判断が分かれる。そして自社の判断の理由について、各社がわざわざ表明するのが恒例だ。

たとえば、実名報道に切り替える社は「社会復帰する可能性が事実上無くなった」「国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされるべきだ」などと言い、匿名報道を維持する社は「再審や恩赦が認められる可能性がある」などと言うのである。祐太郎が死刑確定した時もそうだった。

私はあの時、それを寒々しい思いで眺めていた。祐太郎本人から「実名報道」を希望する意向を直接聞いていたためだ。端的に言うと、「まずは本人の意向を聞いてみるべきだろう」と思ったのである。とくに「再審や恩赦が認められる可能性がある」などという理由で匿名報道した社については、何か立派な判断をしたような自負を感じたが、自己満足に浸っているだけであるように思われた。祐太郎本人が匿名報道されることを望んでいないからである。

少年法が実際に改正され、18、19歳の「特定少年」に関する報道の規定が変わると、またメディア各社はそれぞれ、もっともらしい見解を表明するだろう。現実を知らず、知ろうともしない人たちがまた例にとって、現実を踏まえない見解をもっともらしく発信したりするのだろうか…私はそんな光景を想像し、少し憂鬱な思いにとらわれた。その思いを吐き出すため、このような原稿を書いたのである。

千葉祐太郎が仙台拘置支所の獄中において、今回の少年法改正に関するニュースに触れているなら、一体どんな思いを抱いただろうか。実際に少年法の報道に関する規定が変わったら、マスコミの見解より、祐太郎の見解を聞いてみたい。

仙台拘置支所。千葉祐太郎は今もここで収容されている

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。著作『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

コミュニケーションが育む未来を伝える『きこえなかったあの日』 小林蓮実

最近、こちらでは新型コロナウイルスに関して書き続けてきたが、個人的に長期化への覚悟はできた(というのも妙な表現だが)。今回は、テーマを変更し、今村彩子監督ドキュメンタリー映画『きこえなかったあの日』を紹介しながら、災害時をはじめとする生活を背景に、人と人とのコミュニケーションについて改めて考えたい。

©2021 Studio AYA

◆「障害」とは何か

本作は、2011年の東日本大震災から幕を開ける。宮城県亘理郡亘理町に暮らす加藤褜男(えなお)さんは、津波の警報がきこえず、近所の人の車に乗せてもらって避難。菊地藤吉(とうきち)さんと信子(のぶこ)さんも、近所の人の声がけで高台に避難した。その後、加藤さんの家も菊地さんの家も津波で流されたのだ。

先日、ネット番組『Abema』で、障害者の兄弟姉妹である「きょうだい児」の特集が組まれた。そのなかでタレントが、「ある意味、障害は多かれ少なかれ誰にでもある」という旨の発言をする。それに対し、きょうだい児の方も、うなずいていた。

また近年、障害の「害」は「否定的で負のイメージが強い」との理由で、「障がい」という表記が見られるようになった。ただし、筆者の知る障害者団体メンバーの方は、「実際に生活していて『障害』がある。だから、『障害』と記すべき」という意見も聞いた。調べてみると、「東京青い芝の会」は邪魔・妨げを意味する「碍」の使用を提唱してきたが、ひらがなでは「『社会がカベを作っている』『カベに立ち向かう』という意味合いが出ない」と言う。

実際、社会は声が大きくなるマジョリティーに合わせて形成されている。そのため、マイノリティであればあるほど、生きづらくなっているのだ。実際、東日本大震災でも、本作によればいわゆる健常者の2倍障害者が亡くなっているそうで、これも朝日新聞の報道によれば「住民全体に占める死者・行方不明者は1%弱。障害者は2倍に上り、被害が際だっている。23日にあった障がい者制度改革推進会議で、内閣府が報告した。津波で大きな被害を受けた岩手・宮城・福島3県の沿岸37市町村に住む障害者は約15万人。内閣府が障害者関係の27団体に確認したところ、約9千人のうち2.5%にあたる約230人が死亡、または行方不明になっていた」という。

さらに、手話通訳のいない公共施設も多い。そこで、家族に同行してもらう必要があったりする。

©2021 Studio AYA

◆口話教育の問題と、それを超えていく加藤さんのコミュニケーション

『きこえなかったあの日』には、何人かのキーとなる人が登場する。その1人が前出の加藤さんで、彼は聾学校で口話の教育を受けたため、受けた教育全体としては大変不十分なものとなっていた。そのため、彼は読み書きもできなかった。口話教育の問題に関しては
《鼎談》排除の歴史と闘うための書籍『手話の歴史』/映画『ヴァンサンへの手紙』
〈1〉『手話の歴史』翻訳本誕生の背景
〈2〉手話を禁じた「ミラノ会議」の影響
〈3〉ろう者の人権尊重や本当の意味での「選択の自由」を求めて
で、触れさせていただいているので、ご参照願いたい。

ただし、加藤さんはかなり積極的で、愛嬌もあり、みんなに愛される。手話通訳士の岡崎佐枝子(さえこ)さんのもとにも足繁く通う。加藤さんはコミュニケーションを十分に取れる相手が限られるためにさびしいのかもしれないと、岡崎さんは感じている。

いっぽうで、13年の鳥取県を皮切りに手話言語条例が成立していく。手話言語条例とは、「〈1〉『手話の歴史』翻訳本誕生の背景」でご説明したように、「日本語と同等の言語として手話を認知させ、ろう者が手話言語による豊かな文化を享受できる社会を実現する」ことを目指すもの。プレスシートで全日本ろうあ連盟の石橋大吾さんは、「『福祉』の中でのみ語られてきた手話を、福祉という扱いではなく『言語』として扱う」「1人でも多くの方々に自分の身近にもきこえない人が暮らし、手話言語を必要としていることや、手話言語は音声言語と対等な言語であることを知っていただき、手話言語への理解が広まり、きこえない人の人権が尊重された共生社会の実現が私たちの願い」と語る。その必要性が高まっていったわけだ。

加藤さんのコミュニケーションは拡大していき、得意の大工仕事で人を助け、さまざまな集会所に顔を出す。独特の手話は手話を解する方にすら伝わりにくいようだが、身振り手振り、そして表情で、誰とでも交流する。

加藤さんの様子を目にしていると、これは手話に限らないということに気づく。外国語学習でも何でも本来は、相手とコミュニケーションを取りたい、だから相手の使用する言語表現を学ぶ。その際、不十分でも、やはり身振り手振り、表情などで補うことは可能どころかむしろ大変重要だということだ。伝え合いたいという意思が大切なのだろう。しかし、マイノリティほど当初の相手が限られる。そこをどうするのかということだろう。その後、加藤さんは、災害公営住宅へと移る。

©2021 Studio AYA

◆「震災後、いろんなことを考えた。いろんな思いが湧き出て、それらを教育に取り入れた」

2016年には熊本地震が発生。その際には、熊本県聴覚障害者情報提供センターや対策本部によって、筆談や絵によるコミュニケーションが準備され、手話が活用されて、聴覚障害者のためのポスターも掲示された。

また、18年の西日本豪雨では、一般社団法人広島県ろうあ連盟が聴覚障害者団体として全国で初めて、独自でボランティアセンター「西日本豪雨災害ろう者対策本部災害ボランティアセンター」を設立している。難聴でボランティアを断られてきた人が、受け入れてもらえることを喜び、盛んに活動する姿も映し出された。107日間で383名がボランティアに参加したという。

本作のラストでショックを受ける人もいるかもしれない。だが、それ以上に作品全体からは、事実のみならず希望を受け取ることができる。

今村彩子監督は、ろう者の立場から、コミュニケーションというものの本質を追求し続けているように感じた。それは、16年の自転車ロードムービー『Start Line(スタートライン)』も、月刊『紙の爆弾』に映画評を寄稿させてもらった「ASDときどき鬱」の友人との関係性を描く『友達やめた。』も同様だ。『きこえなかったあの日』のプレスで監督は、取材を通じて「遠慮や諦めから分かったふりをしてしまいがちなろう者にとって、分からないことをそのままにせず、根気よく尋ね返すことの大切さを再認識でき」、専門家にとっては「コミュニケーションをとる上での注意点を知ることができる」ということへの気づきにも触れた。宮城県立聴覚支援学校教諭の遠藤良博さんは、「震災後、いろんなことを考えた。いろんな思いが湧き出て、それらを教育に取り入れた。自分から周りに訴えられる人間になってほしい。手話が通じなくとも、メモ帳を持って行動してほしい。耳のきこえる仲間を作ってほしい」と記す。

わたしが移住した先の田舎には、自然災害によって完全に孤立するエリアがある。その行政区においては、高齢者や障害者もたくさんいるのだ。だが、区長さんが率先して防災の取り組みを進め、現在では全国でも屈指の事例を重ね、メディアの取材も多い。区長は「今こそ顔のみえる関係づくりを」と呼びかけている。

新型コロナウイルスの影響により、マスクで口元が見えなかったり手話通訳を呼びにくいなどの困難が聴覚障害者にとって立ちはだかっているという。人は1人では生きられず、そこには支え合いが必要だ。その際、さまざまな人との多様なコミュニケーションが大切で、日々の工夫、その積み重ねが、妨げがあった過去とは異なる未来を育むのだと思う。


◎[参考動画]予告編

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
フリーライター、労働・女性運動等アクティビスト。月刊『紙の爆弾』2月号の特集「2021年 日本のための7つの『正論」』に、「『弱者切り捨て』に反撃ののろしを上げよう」寄稿。現在では、オルタナティブの活動に注力。

森喜朗=東京オリ・パラ大会組織委員会会長の辞任劇 何が問われていたのか

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会は、12日に評議員会と理事会の臨時合同会議を開催し、森喜朗会長の発言の辞任。事実上の解任となった。

あらためて言うまでもなく、この女性差別発言は森個人の問題ではない。東京オリンピックの開催を左右する問題、すなわち五輪精神を蹂躙する発言であるがゆえに、わが国の外交政治やスポーツ文化のみならず、日本国およびわれわれ日本人の国際的評価がかかる問題だった。

森元総理はもともと「サメの脳みそ」と批評されてきた人物である。2005年の「日本の国は、まさに天皇を中心にしている神の国」(神道政治連盟国会議員懇談会)なる発言。あるいは「(選挙に関心のない有権者は)寝ていてくれればいい」(総選挙)、「イット革命」(IT革命のことを)という誤解発言。「ここはプライベートですよ」(20年前、えひめ号沈没事故のとき、ゴルフ場に取材に来た記者たちに=この結果、総理を辞職)。「あの子は、大事なときに必ずころぶんですよね」(ソチ五輪で、浅田美央選手の演技に)。「パラリンピックには行きたくない」(ソチ五輪)。

まさに枚挙にいとまがない「失言」のオンパレードだが、今回の「女性が多いと会議が長くなる」は、果たして「失言」だったのだろうか? そして「辞任」で解決するような問題なのだろうか。


◎[参考動画]【ノーカット】五輪組織委 森喜朗会長 会見(TBS 2021年2月4日)

◆確信犯的な差別は、永久追放に値する

結論からいえば、森喜朗の今回の発言は、確信犯的な女性差別であるということだ。確信犯森のために再録しておこう。

「女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る」

IOCの男女共同参画の目標にしたがい、大会組織委員会にも女性理事を拡充する。この方針をめぐっての評議員会での発言である。したがって、放言や失言というのは当たらない。言葉が過ぎたと感じたのか、以下は自分の発言を自己フォローする内容となっている。

「私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる」

そして、これらの発言の前提として「テレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を選ぶというのは文科省がうるさく言うんですよ」と断っている。テレビ報道を前提にした発言でもあったのだ。

ようするに森が言いたいことは、五輪大会が男女平等をスローガンとしていることに対して、組織委員会は女性が多くては困るから従えない。「女性の発言が多いのは、組織の恥である」「わきまえた女性なら、理事に加えてもよいのではないか」というのが本意であり「わきまえない女性を入れるのは反対だ」と、確信をもって議論を提起しているのだ。

この「わきまえない女」が「意見を言う女」であるのは明白だ。ようするに、会議を早く終えたい空気を読まずに、議論を長引かせる女は困るから排除したい。という差別発言。五輪憲章およびIOCがめざす男女平等に反対を表明したのである。

したがって、発言の撤回や会長辞任をもって「解決」とすることはできない。スポーツ界から永久追放するべきではないか。

五輪憲章およびIOCの女性参加者拡充(「オリンピック・アジェンダ2020」による)の手前、発言をなかったことにするのが今回の辞任であれば、東京五輪は「女性排除を内包した」「大会の組織委員会前会長が女性排除の意見をもっている大会」として、永遠に歴史に刻印されることになるのだ。

そして森発言をわらって聴いていた評議員たち、発言の撤回・辞任をもって何もなかったことにする理事会も同罪である。すなわち、女性排除の意見をもった組織ということになる。さきの森の弁明によれば「辞任するつもりだったが、引き留められた」というのだから。

開き直りともとれる逆ギレ会見を想起してみよ。まったく反省していないうえに、老害であれば掃き捨ててほしいと言ったのだ。お前たちに俺を排除できるのならば、やってみればいいと言い放ったのである。

それゆえに、抗議活動が全国で始まった。Twitterでは「#森喜朗氏は引退してください」というハッシュタグがトレンドとなり、森氏の大会組織委員長の辞任を求める声が続々と寄せられた。大会ボランティア8万人のうち、390人が抗議の辞任をした(2月8日)。聖火ランナーからもタレントの田村淳が「人気のあるタレントは、あまり人が集まらない田んぼを走ったらいい」などという森発言に抗議して、参加を取りやめている。

◆ジェンダー改革先進国からの批判

海外からの意見、抗議も紹介しておこう。

駐日欧州連合代表部やドイツ、フィンランドの大使館などが抗議ツイートを連投した。森を名指しこそしていないが、手を挙げる女性たちの写真に、「#男女平等」「#dontbesilent(黙ってはいけない)」とハッシュタグを付けてツイートしているという。五輪組織委員会および自民党の“森会長擁護”は、国際世論と大きくかけ離れてしまっているのだ。

烈しい批判もある。

フランスの欧州問題担当相を務めたナタリー・ロワゾー欧州議会議員は、自身のツイッターで「森さん、女性は簡潔に話せますよ。例えば、あなたにお答えするには『黙りなさい』で十分」と不快感を表明したのだった。

カナダのアイスホッケー女子五輪金メダリストでIOCのヘーリー・ウィッケンハイザー委員も、自身のツイッターに「この男を朝食のビュッフェ会場で絶対に追い詰める。東京で会いましょう」と投稿した。

国内では為末大の「森発言に黙っているのは同罪」というアピールが男性たちを覚醒させた。発言をしにくいアスリートたちからも批判の声はあがった。

このあまりにも激しい批判ゆえに、当初は「発言撤回で解決した」としていたIOCも、正式に「森会長の発言は、完全に不適切」と公式発表せざるを得なかったのだ。

◆差別とは何か?

森に「差別に関する知識がない」(大坂なおみ)そして、森みずから「老害」というのならば、基本的なことから始めなければならないであろう。

たとえば『紙の爆弾』の差別的な記述について、部落差別および部落解放運動を知らない人が思ったよりも多かったことからも、差別問題は基本的なことを踏まえる必要があるだろう。まさに「無知は差別」なのである。

まず、人類がみな平等で、尊重される存在である。という人権意識が前提である。森も形式的にはこれを承認するかもしれないが、本心にはないから差別発言をしてしまうのだ。じつはわれわれにも問い返されるのが、この差別意識である。それは水や空気のように存在する、と形容しておこう。

その自覚のうえで、差別問題とは「いわれなく、不当な扱いを受ける不利益」「不当に蔑視される不利益」「不当な除外と拒否行為」その結果「傷つけられること」である。そしてその本質は、今回の問題に引き付けていえば「女性蔑視」と「男尊女卑」の「ゆがめられた性文化(ジェンダー)」である。

そしてそれは、社会構造として厳然と存在する。社会的慣習として「女は控えよ」という封建的な思想だけではない。経済格差にも反映されているのだ。

女性の賃金は民間の給与調査で男性の半分におよばない。男性が530万円として、女性は250万円である。派遣やパートは圧倒的に女性が多く、その年収は正社員と同じ労働時間でも200万円に及ばない(時給1000円)。

役割分担はどうだろう。女性管理職は民間の課長クラス以上で7.5%、政治では閣僚が5~10%である。ようするに女性差別は、現実に根拠のある差別なのである。

それは家庭内分業や能力の反映だと、男尊主義者は言うかもしれない。だがたとい能力差があっても、男女共同参画を選んだのがわれわれの社会なのだ。平等な幸福権の追求、能力差をこえた参加型社会という理想を、日本社会もめざしているのだ。すくなくとも、能力に応じて得られる幸福は、不当な差別によって阻害されてはならないのである。

◆意外な自民党内の反応

そしてその現実に根拠のある差別(今回はジェンダー)は、感覚的に被差別者(今回の場合は女性)に不快感を与えるものだ。したがって男性は、ある程度の想像力をもって、これを感得しなければ理解できない。

自民党にとって不幸なのは、想像力のない人物が党の中枢にいることだろう。

二階俊博幹事長は、ボランティアの辞退が相次いでいることについて、

「落ち着いて静かになったら、その人たちの考えも変わるだろう」とした上で、「どうしてもお辞めになりたいということなら、新たなボランティアを追加することになる」と述べるにとどまった。事態の本質が想像できないのである。

「余人をもって代えがたい」

そう言って森会長の続投を支持したのは、世耕弘成参院幹事長である。

「(問題は)ここで収めて、五輪開催に向けて準備に邁進することが重要」と擁護してみせた。森の「功績」や「能力」と、今回の問題は別である。

「日刊ゲンダイ」によれば、「かつて、自民党の清和会を率いて首相まで経験した森会長の面倒見のよさは、永田町で有名です。多くの自民党議員が『森さんには世話になった』と思っている。要するに、森会長と『貸し借り』の関係が出来上がっているわけです。だから、“身内”である自民党議員の多くは、余計なことは言わないというわけです」(自民党関係者)という。

世界的な流れ、そして国内世論の流れが雪崩を打って森解任に向っていることすら、自民党村の村民たちは想像できなかったのである。

◆稲田朋美衆院議員の森批判

そんな中で、森会長に近いと見られている稲田朋美衆院議員が「私は『わきまえない女』でありたい」と、ツイッターで森批判をした。

稲田はみずからLGBT運動に参加するなど、保守派から愕かれる行動でも知られている。この人に政権を預けたら(かつては、安倍の後継構想だった)、まちがって戦争を始めてしまう(防衛省時代の管理能力不足)かもしれないと思われたものだが、ここでは信念をつらぬいた。

いっぽうで、これまで政界の男社会を批判し、女性の政治参画を訴えてきた自民党の野田聖子幹事長代行は、当初は森批判を封印してきた。おそらくポスト菅の隠し玉とされている(自民党関係者)ことで、男性議員を敵に回したくなかったのであろう。立憲民主党の女性議員たちが、婦人参政権運動にちなむ白いスーツで本会議と予算委に登場したのに対しても「わたしは言葉で政治をやります。白いスーツは着ません」と応じていた。

ところが10日になって、森発言を批判。辞任しか事態の収拾はありえないと会見したのである。

「今の時代の枠組みの中からすると、間違った発言だった」と指摘し「日本の国そのものがミスリードされることを懸念している。しっかりと多くの声を受け止め、自ら方向性を示していただければと願っている」

小池百合子東京都知事も、17日に予定されているIOC会長をふくめた四者会談への「欠席」を明言し、暗に森会長の辞任をせまった。これらは明らかな政治判断である。

ほかにも、早い段階で「邪魔です。出処進退は潔く」と森辞任を求めていた後藤田正純。さらには「国益を損なった森会長は辞任すべき」「この件でボイコットが行なわれたら、東京五輪は開催できなくなる」と、森元総理寄りの山本一太群馬県知事も退陣要求となった。ここに至って、森の命運は尽きたというべきであろう。

いずれにしても、森が会長職に執着し、周囲がそれを忖度していれば、東京オリンピックの開催そのものが危機に陥る事態となっていたのだ。そして自民党の総選挙での敗北も、この問題の処理に菅義偉が何ら態度を明確に出来なかった。そのことで、三度目の政権交代・自民党下野への機運がいっそう強まったと指摘しておこう。


◎[参考動画]Tokyo 2020 安倍マリオ(Al Jazeera Turk 2016年8月22日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)」控訴審へ準備着々! 司法がどのように奇妙な判決を下そうと決して屈しない! リンチ被害者を救済・支援しようとの言論が、逆に賠償金を課せられるという不条理 ── 地獄への道は善意で敷き詰められているのか? そして歴史は繰り返した! 「正義」は「暴走」した! 控訴審で逆転すべく決意を表明します! 鹿砦社代表 松岡利康

すでにお知らせしているように、去る1月28日、対李信恵第2訴訟において大阪地裁第24民事部(池上尚子裁判長)は鹿砦社に対し165万円の賠償金等を課す不当判決を下しました。

 
《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』

これに先立つ昨年11月25日未明(午前1時30分頃)、前日24日の本人尋問の傍聴に来ていた伊藤大介らは「正義」を「暴走」させ極右/ネトウヨ活動家・荒巻靖彦を呼び出し殴る蹴るの暴行を働き左手小指骨折、顔面打撲などの傷を負わせ、逆に返り討ちに遭い伊藤は全治10日の傷を負うという事件を起こしました。この事件では2人共逮捕されています。伊藤は大学院生M君リンチ事件にも連座しています(1審では賠償金を課せられましたが、控訴審では幸運にもこれを取り消されています)。

M君は「このままではまた同じような事件が起きますよ」と言い、私たちが地を這うような取材を基にして出版した5冊の本でさんざん警鐘を鳴らしてきたように同種の事件は起きました。M君加害に加担する者たちが、反省も学習も教訓化もしていなかったということです。残念至極ですが、私たちの警鐘は現実化してしまいました。今だから明かしますが、私たちはこの時期に生じた重大事件に鑑みて、大阪地裁に「弁論再開」の申し立てを行いました。

民事裁判では、証拠調べや証人尋問を終えると「結審」(以後原告被告双方からの主張は受け付けない)となり、あとは判決を待つことになります。昨年11月24日の法廷でも池上裁判長は、結審を宣言し判決の日時をを言い渡しました。ところが、その日の法廷では「私は直接取材を受けていない」とるす伊藤大介の陳述書についての扱いが審議され、神原元弁護士は「じゃあ撤回します」と裁判所に求めたものの、認められませんでした。そして当の伊藤大介が裁判後に事件を起こしたのです。この人たちの行動様式を理解するために、真実究明を行うために、裁判所は当然しかるべき配慮をすべきではなかったのではないでしょうか。

1月28日の判決に戻りますが、極めて偏頗なもので、M君がリンチの現場に居た李信恵ら5人を訴えた訴訟の判決同様、「〈M君の顔〉から目を逸らした」(山口正紀)と断ぜざるを得ません。本件訴訟も、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データがあるのに、M君の供述が曖昧(平手か手拳か、どちらかで殴られたか)ということで「信用ならない」とし、これを根拠に判決が組み立てられています。噴飯ものです。裁判所は、なぜここまで、このことに拘泥するのか? 何がなんでも加害者を免罪しようとしているとしか理解できません。むしろ、リンチ直後の写真とリンチの最中の音声データをこそ判断の根拠とすべきです。市民感覚からすればそうでしょう。

私や山口正紀さんは学生時代、対立するグループに襲撃され激しい暴行を受け、私は気づいた時は病院のベッドの上で5日ほど入院を余儀なくされました。暴行の最中の記憶は微かなもので、これを「平手か手拳か」などと問われても「どっちだったかな?」と答えるしかありません。加えて私も山口さんもM君も蹴られてもいますが、M君は混乱し顔面を蹴られたことを覚えていません。当然でしょう。1時間もの間、激しいリンチを受ければ、パニック状態になり記憶が飛んだりします。なんなら裁判官も暴行を受けてみたらどうでしょうか? 

加えて判決には重大な事実誤認(というよりも証拠の意図的見落とし)もあり、これで判断されたらたまったものではありません。あたかも最初に結論があって判決文を組み立てていった感がします。控訴審に於いては、こうした点を一つひとつ批判していき、必ずや執念で逆転を勝ち取る決意です。今後ともご支援、応援のほど、よろしくお願いいたします。

なお、訴訟については、適宜ご報告いたしますが、敵に手の内を見せないために黙っていることもあるやと思いますので、この点、ご承知おきください。

5年ほど前、このリンチ事件が私たちの元に持ち込まれた時、すでに1年余り経っていました。事件の翌年2015年は安保法制反対運動が盛り上がり、この声に掻き消されたかのようにリンチ被害者M君は孤立していました。リンチ加害者やこの界隈の者らには、隠蔽は成功したかのように見えたでしょう。

しかし、悪事を隠し通すことなどできません。

私たちの元にリンチの情報が寄せられるまで、M君の心中を察するに、筆舌に尽くし難いものを感じます。リンチを受けた悔しさと悲しみ、セカンドリンチや村八分を受け、にもかかわらずメディアも世間も知らぬふり……私だったら気が狂っていたでしょう。私たちの関連出版物で、この事件の一端を知ったあなただったらどうでしょうか?

今回も司法は、「〈M君の顔〉から目を逸らし」、いや、相も変わらず「平手か手拳か」が曖昧だということ拘泥し、だから「信用できない」などと言っています。上等です。司法の理論が市民感覚と大きく乖離しているのであれば、私たちは裁判所の決めたルールに則りながらも、それ以外の合法的戦術も展開する必要があるでしょう。裁判所は「ファシズムの出先機関」と言ったのはL.トロツキーでしたが、むべなるかなです。

まさか、壮絶なリンチを受けたM君に同情し、M君救済・支援に関わってきた私たちが過大な賠償金を課せられるとは……。

しかし、鹿砦社が鹿砦社たる所以は、こうした苦境にあってこそ、正々堂々と屈することなく反撃することであろうと、自負します。私たちを苛めてきた徒輩は不思議なことに「鹿砦社の祟り」に遭ってきました。裁判所の判断がどうであれ、私たちは信じる道を突き進み「正義」の衣を着た〈悪〉(といっても程度の低い連中ですが)と対決するだけです。人一倍の精神力で、「反差別」の仮面を被った徒輩の仮面を剥がねばなりません。この想いは、M君リンチ事件だけではなく、日本における差別問題に関わる、極めて重大な問題であるとの確信に基づきます。

久し振りに第6弾本『暴力・暴言型社会運動の終焉』を世に送り好評です。まだまだ〈弾〉は残っとる!──第7弾、8弾の“紙の爆弾”を投下する必要が出てくるかもしれません。私たちは望みませんが、「差別」問題がこのように歪められ、乱暴な発言や行動にすがるものが、あたかも「反差別」行動者である、との社会的誤解は、完全に払拭する必要があるでしょう。

私たちは、決してペンを折ることなく、あくまでも〈言論〉の旗を掲げ続けます。16年前『紙の爆弾』創刊号の巻頭を飾ったのは「〈ペンのテロリスト〉宣言」でしたが、あらためて再読し決意を固めています。ここに再び宣言します。私たちはふたたび〈ペンのテロリスト〉として甦る!と。私自身は今年で70歳になります。取材班には若者もいますが、支柱として動いてきた田所敏夫は、私よりもかなり年下で、彼の体調も思わしくありません。

しかし、この問題に関しては、フィデル・カストロの有名な言葉を引用し、私たちの気持ちを表します。

「歴史は彼ら・彼女らに有罪を宣告するだろう」と。このままでは終われませんし、終わりません!

炎上商法系とは一線を画する森喜朗氏&花田一族の「話題になり続ける力」

こんなに長いこと、よく飽きられないな……と、ふと思った。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗氏による女性蔑視発言、そして元貴乃花親方こと花田光司氏と長男の靴職人・優一氏の親子バトルが連日、メディアを席巻していることに関してだ。

森氏は2000年代初頭の首相在任中、「神の国」発言など様々な失言によりマスコミに「サメの脳みそ」と揶揄され、いじりまわされた。かたや、花田一族の人たちも2000年代初頭から光司氏の両親(先代貴ノ花と藤田紀子さん)の離婚、光司氏と兄の勝氏(元若乃花)の確執など度重なるお家騒動でマスコミに話題を提供し続けてきた。

私はそんな両者の過去の様々な騒動を思い出し、冒頭のような感想を抱いたわけだが、率直に言って、いつまでも「昔の人」にならず、世間の話題になり続ける森氏と花田一族の人たちは「すごい」と思う。

何しろ、ここ1年、マスコミはコロナの話題ばかり扱い、それ以外のニュースがコロナを押しのけて大きく報道されるのはよっぽどのことに限られていた。あの河井議員夫婦の裁判にしたって、現職の法務大臣の大がかりな選挙違反事件であるにもかかわらず、コロナのせいで報道は地味な扱いだ。そんな中、国民生活に重大な影響があるわけでもないのに、これほどメディアを席巻できる森氏と花田一族の人たちはやはり並大抵ではないと思うのだ。

彼らはなぜ、かくも世間の人たちに飽きられず、話題になり続けられるのか。私はこれまでの両者の歩みを見つめ直し、2つの共通点を見出した。

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会も公式HPで森氏の発言に関する釈明のコメントを出す羽目に……

◆一度だけの話題提供に終わらせず、必ず火に油を注ぐ

1つ目は、「一度だけの話題提供に終わらせず、必ず火に油を注ぐようなことをする」ということだ。

まず森氏だが、「女性が多いと会議が長引く」という発言を「女性蔑視」として叩かれたが、この程度の失言は通常、謝罪会見を一度すれば、それで幕引きだ。メディアはそれ以上いじりようがないし、メディアがいじらなければ、世間の人たちも忘れてしまうものだ。

ところが、森氏は謝罪会見でわざわざ逆ギレし、記者に逆質問したりして、メディアに再度、いじられるネタを提供した。そして騒動を大きくしたわけである。

かたや、花田一族の人たち。いま、光司氏と優一氏の親子バトルが注目を集めているきっかけは、光司氏が公の場で優一氏について、「勘当している」云々と言ったことだった。これで親子の確執が表面化すると、すかさず優一氏がメディア(週刊女性PRIME)で光司氏の酒に酔っての暴言やDVを告発し、火に油を注いだのである。

森氏が一人で話題を提供し続けているのに対し、花田一族は複数の人が次々に話題をかぶせているという違いはあるにせよ、「自ら火に油を注ぐ」というところは両者の共通点であるのは間違いない。

2月1日の『週刊女性PRIME』で父・花田光司氏のモラハラなどを告発した優一氏

◆森氏も花田一族の人たちも話題になりたいわけではない

そして、森氏と花田一族のもう1つの共通点だが、それは「狙っているわけではない」ということだ。つまり、両者は意図的に世間の話題になろうとしているわけではなく、本人たちにとっては自然な言動が結果的に世間の関心を集めているということだ。

それは説明するまでもないだろう。森氏は「女性蔑視」と叩かれたくて、「女性が多い会議は長引く」と言ったわけではないのは明らかだし、火に油を注ぐために謝罪会見で逆ギレしたわけでもないはずだ。花田一族の人たちだって、世間の注目を集めたくて、お家騒動を繰り返しているわけではないだろう。そんなことをしても何一つ得することはないからだ。

翻って、世間では今、「炎上商法」なるものが花盛りだ。とくにネット上では、あえて人に批判されるような言動をして炎上し、それを何らかの利益につなげようとしている人たちが増えている。その最たる存在がいわゆる「迷惑系YouTuber」だが、最近はタレントや政治家でも炎上商法に走る者が散見されるようになってきた。

もっとも、炎上商法系の人たちはおのずと「かまってちゃん」的な雰囲気が漂ってしまうため、世間の人たちも次第にかまうのがいやになり、相手にしなくなっていく。その点、森氏や花田一族の人たちはその特異な言動の裏に何か思惑があるわけではないので、「かまってちゃん」オーラが出ることもなく、世間の人たちは彼らの特異な言動がいつまでも気になり続けてしまうのだ。

良し悪しを置けば、あらゆるメディアが連日コロナのことばかり扱い、多くの人がこの話題に飽き飽きしていた中、森氏や花田一族の人たちが気を紛らわせてくれたことは確かだ。最近はあまり話題にならなくなっていた東京オリンピックについて、森氏の女性蔑視発言騒動により「そう言えば、まだ中止になっていなかったな」と思い出した人も多かったろう。

結局何が言いたいかというと、やはり「作り物」より「本物」のほうが面白い、ということに尽きる。そんな単純なことを書くために、これだけの長文を書いてしまった。最後まで読んでくれた人には感謝の思いしかない。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

《書評》『紙の爆弾』3月号特集 菅義偉「迷走・失政・泥船」政権という危機

季節のうつろいは早いもので、3月号の紹介ということはもう2月である。東北および北陸方面は豪雪に見舞われているというが、関東はいたって温暖な冬で、風雪に苦しむ人々には何だか申し訳ない気がする。

 
タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年3月号!

政権発足当時こそ、苦労人宰相(菅義偉)がお坊ちゃま総理の限界に取って代わった、という好意的な評価で高支持率をほこった菅政権も失速。あっと言う間に支持率40%を割るところまで、政権への国民的な支持は落ち込んだ。その大半は失政によるところだ。

したがって3月号は、実質的に菅政権批判特集となった。

「菅義偉・小池百合子のダブル失政が『第四波』を招く」(横田一)、「『菅迷走』の根本原因」(山田厚俊)、「泥船と化した自公野合政権の断末魔」(大山友樹)、「『自助』と『罰則』だけの菅コロナ政策に終止符を」(立憲民主党・杉尾秀哉参議院議員に聞く、青木泰)といったラインナップである。

◆菅の懐刀という人物が画策する「政権延命計画」とは?

横田は「最初のミスは、新政権発足から間もない10月1日にGo To トラベルの東京除外を解除したことだった」と指摘する。菅と小池が責任をなすりつけ合いながら、年末まで感染を加速度的に拡大し、1月7日の緊急事態宣言に至ったのは、まさに失政といえよう。知事が判断するべきだったのか、国が判断するべきだったのか。ここでの尾身会長(コロナ対策分科会)および都医師会の尾崎会長の証言は、歴史に刻まれるべきであろう。政治家は医師たちの提言を無視したばかりか、相互に対立(菅と小池の不和)することで、国民の犠牲者を出したのだ。

さて菅がGo To に固執する理由だが、インバウンド需要を頼みにせざるを得ない日本経済の現実とともに、二階俊博の観光業界利権があるのは明白である。この点でのファクトが欲しいところだ。表題の「第四波」とは、菅総理の懐刀とされる人物の「五輪選挙」である。この人物の言動に注意だ。

◆菅には資質がない

山田は菅義偉が師と仰ぐ梶山静六の事績を紹介し、菅の「政治家の覚悟」のなさを指摘する。とりわけ「批判の排除」という、菅の小心さのなかに梶山とは比べ物にならない、いや教訓を守らなかった決定的な違いが見いだせる。

そしてもうひとつ、菅が梶山静六の教えを守っていない「説明の大切さ」を指摘する。菅のポンコツ答弁は、官房長官時代は切って捨てるようなものでも事足りたが、総理となればそうはいかない。官房長官時代の「逃げ」や「拒否」など、総じて事務的な答弁では済まないのだから。

とりわけ、メモ頼みにもかかわらず「読み間違い」が多いのが致命的である。この点を山田は、ドイツのメルケル首相との対比で明らかにしている。メルケルといえば、極右ポピュリズム運動で政権そのものが不安定に晒されてきた。きわめて困難な政治基盤のなかで、しかしこのコロナ危機を国母のごとく国民をまとめてきた。その会見は「真っすぐに正面を見据え、時折声を震わせ、顔を歪ませながら、コロナ禍の猛威のなか必死に現状打開の策として過酷な制度を強いるリーダーの姿がそこにあった」(本文から)。

かたや、わが菅総理と云えば、メモを見るために顔はうつむき、目はしょぼしょぼと、しかもたびたび誤読する、そして口ごもる。およそ訴える力は皆無なのである。そもそも演説や答弁の不得手な人間が、なぜ政治家をこころざしたのか。資質に問題があるとしか思えない。政治が必要とするのは、鮮やかなまでのパフォーマンスであり、聴くものを圧倒する演説力なのである。

たとえば、国民を分断する極右思想で、しかも政治哲学といえば戦後政治(民主主義)の一掃という、およそバランスを欠いた内容にもかかわらず、立ち姿の好感度と音楽のような演説力で選挙に圧勝してきた、安倍晋三前総理。少なくとも政治家にもとめられることを、かの政治名家の御曹司は知っていた。ようするに、菅には資質がない、のである。

携帯電話料金やマイナンバーカードの徹底など、省庁レベルの施策の音頭はとれても、大局感のある政治哲学は語れない。しょせんは国家レベルの政策がない政治屋なのだ。

◆創価学会の焦りとは?

大山は「泥船と化した野合政権」のうち、公明党の危機に焦点をしぼった。記事によると、創価学会の池田大作会長はこの1月2日に、93歳になったのだという。健康問題で学会員の前には姿を見せられないものの、健在であるという。その日、創価大学は箱根駅伝で往路優勝、復路ものこり2キロまでトップをまもり、総合2位に輝いたのである。

しかし、菅政権の支持率低下とともに、学会は危機感に駆られているという。自民党との長期政権のなかで、公明党の支持層が先細ってきたからだ。いっぽうでは自公政権への批判票として、共産党の票が伸びるという事態も起きている。自公政権への危機感は、自公選挙提携の見直しにつながる。

焦点になるのは、河井克行元法相の衆院広島三区ということになる。公明党はここに斎藤鉄夫副代表を、中国ブロックから鞍替え出馬させる。大山は『第三文明』(創価学会系総合誌)における、斎藤候補と佐藤優(作家)の対談を紹介し、学会から自民党へのメッセージとしている。自民のいいとこ取りだった自公連立を、公明党の側から積極的に変えていく。それはある意味で、自公政権の崩壊の序曲にほかならない。

◆高騰する株価の謎

このコロナ禍で、人々が不思議に思っているのは株価の高騰であろう。この記事を書いている2月8日の正午現在、株価は30年ぶりの2万9000円を突破した。30年前といえば、バブル経済の時期である。

このバブル株価を、広岡裕児は「『コロナと株価』の深層――広がり続ける実体経済との乖離」として解説する。

実質GDPが0.9%減(1~3月期)、7.9%減(4~6月期)と、コロナ禍のもとで衰退に向かった日本経済の、どこに株価が急騰する要素があるのか。広岡によれば、そのひとつは海外投資家の日本買いであり、今後のワクチン効果を見込んだ投資だという。もうひとつは、ファイナンスマシーンと化した株取引のIT化である。実体経済とは無関係に、あたかもゲームのような取引が日常化しているというのだ。「社会と市場(マーケット)の分離」がもたらすものは、経済の空洞化ではないだろうか。

◆部落解放同盟の見解をもとめる

巻末には「『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか?」の連載検証第5回として、鹿砦社編集部(鹿砦社および「紙の爆弾」編集部)の中間報告が掲載されている。ここまで、鹿砦社側の見解(依頼ライターをふくむ)で検証が進められてきたが、部落解放同盟としての見解を求めていると明らかにしている。今後の議論に注目したい。(文中敬称略)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

新型コロナウイルス感染拡大の危険を孕むスポーツジムの時間短縮 林 克明

◆法律にもとづかない「お願い」

《スポーツジムの時間短縮営業は、本当に危険だ。3日ほど前から近所のジムが夜8時で閉まるようになった。閉まる直前に人が集中し、ほとんどコロナ前と同じ感じ。夜11時まで営業のときは、人が分散してまばらだった。なぜ人が密になるようなことをするのか。夜8時まで営業という同調圧力のせいだろう》

これは、新型コロナウイルスに感染リスクを心配した筆者が1月17日にFacebookに投稿した内容である。

2月2日、栃木県を除く10都府県を対象に緊急事態宣言を1か月延長すると政府は決めた。1月7日に11都府県に緊急事態宣言が出され、2月7日まで昼も夜も外出自粛を要請し、飲食店を中心に営業を夜8時までに短縮するように要請してきた。

なぜ、8時で営業を止めると感染者が減り、それ以降営業していると感染者が減らないのか。「なるほど」と納得するような根拠がわからない。

時短営業の対象者は主として飲食業である。とくに酒類を提供する事業者は夜7時にアルコール提供を止め、8時には店を閉めろという要請内容だ。

このほか、スポーツジムやパチンコ店、雀荘、映画館等にも営業時間短縮の「お願い」をしている。しかし、こうした業種に対しては、法律に基づかない「お願い」なので、協力金などの補償は出さない。

だから、飲食店ばかりか、広範囲のサービス業従事者が相当な打撃を受けるだろう。肉体的には生存していても、社会的・精神的に死ぬ人は膨大になると思う。


◎[参考動画]緊急事態宣言延長で分科会 「対策強化」提言(TBS 2021年2月2日)

◆8時営業停止でスポーツジムは人が密集

「8時以降の営業中止」に疑問を感じていた1月11日か12日の18時50分ころ、筆者は近くのスポーツジムに行った。受付で熱を測り会員カードチェックを経て館内に入ったとたん、いつものと違うとすぐ気づいた。

ロビーに人が多いのである。ロッカールームに行くとさらに驚いた。空いているロッカーをすぐ探せなかったのである。

というのは、感染拡大防止策として、一つおきにロッカーを封鎖し、隣どおしで利用できないようにしてあるからだ。空いている場所がほとんどなく、一番隅にある不便な場所のロッカーをようやく確保した。

トレーニングマシンやスタジオ、フリーウエイトのスペースがある階に行ってみると「いつもと景色が違う」とハッとした。

ランニングマシーンは、9割がた人で埋まっており、エアロバイクも空いているのは一つか二つ。

ダンベルやバーベルを使用するフリーウエイト・ゾーンに行くと人が多く、ダンベルなどを扱っているとほかの人にぶつかりそうで危ない。

ウエイトトレーニング・マシーンも、機械が空くのを待っている人がいる。

これは完全にコロナ以前の日常風景だ。というより、筆者が通っている時間帯に関しては、コロナ以前より混んでいる。いまこの時期にはありえない“幻影”を見ているようだ。

運動を終えて風呂に行ってみると「ああ、ダメだ」と思わず声に出しそうになった。カランは全く空いていないし、サウナの前には次に入ろうとする人が待っている。

浴槽も入るスペースがない(詰めて入れば可能ではあるが)。腰かけることもできず、浴槽にも入れない数人が、ただ立っている。

翌日以降も、同じような状態だった。政府や自治体の要請にしたがって営業時間短縮を実施したことで、感染リスクは高まったのだ。これは、他のスポーツジムでも同じだろう。

◆夕方5時から8時に顧客が集中

どの施設でもそうだと思うが、筆者が通っているジム(東急スポーツオアシス)では、新型コロナウイルス感染拡大のため、大変な努力をしてきた。

冬でも数か所の窓を開けて換気するのに加え、機械を使って室内の空気を外に出す。ロッカーは一つおきにしか使えない。あらゆる場所にアルコールとペーパータオルが用意され、スタッフや会員が頻繁に使用した器具や場所を吹いてウイルスを除去するようになっている。

もちろん、ランニングマシーンやエアロバイクは透明のパーテーションで区切ってある。スタジオを利用したレッスンも時間帯や人数を制限は当然のこととして行われてきた。風呂場には風呂内のマスクなしでの会話禁止を訴えるノボリも。

定期的に館内放送で、感染拡大防止のための具体的な行動を呼びかけ、利用者もこれに応じてきた。

せっかく、スタッフと利用者ともども創意工夫と努力を重ねてきたのに、8時営業終了によって、どう考えても感染リスクが高まってしまったのである。

おかしいと思っていたら、1月27日、スポーツジムから会員向けメールが届いた。2月1日から7日までを通常営業に戻すという内容である。

《ご利用状況を調査した結果、特に17時以降の利用率が顕著に高くなっておりました。 社内で検討した結果、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、混雑緩和へ向けた取り組みとして、ジム、プール、ロッカー、浴室のご利用を通常営業時間に変更させていただきます》(送信されたメールより抜粋)

きわめて妥当な判断だろう。日経電子版(1月8日付)によれば、スポーツジム大手のコナミスポーツ、ティップネス、セントラルスポーツ、RIZAPグループなども夜8時までの営業時間短縮を実施するとされていた。

スポーツジムにおける営業時間短縮は、経済的被害を拡大さるばかりか、感染拡大防止の観点からも誤りだったとみていいだろう。さっそく各社は方針転換をはかるべきではないか。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

2・4『暴力・暴言型社会運動の終焉 ── 検証 カウンター大学院生リンチ事件』(紙の爆弾3月号増刊)発行と、1・28対李信恵第2訴訟不当判決について 鹿砦社代表 松岡利康

私たちは2016年春先から「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「M君リンチ事件」)に関わり続けてまいりました。早いものでもう5年が経とうとしています。

 
2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!!

そうして昨年からその「検証と総括」の作業に努めてまいり、これはきちんと一冊にまとめ形のあるものとして残すことにしていました。こういう事件が再び起きないようにとの願いを込めてのことです。

想起すれば、5年近く前に本件が持ち込まれ、この被害者M君のリンチ直後の写真を見、リンチの最中の録音を聴いた際に、素朴に「これは酷い」と感じ、加えて被害者M君はリンチ後1年余りも、わずかな友人・知人を除いて孤立無援の状態にあったことも聞き、少なくとも人道上放置はできないと思い、本件に関わり続けて来ました。若い大学院生が、これだけの凄絶な集団リンチを加えられ、藁をも摑む気持ちで助けを求めているのに突き放すことは、私の性格からして到底できません。爾来、昨年広島原爆投下75年に際し被爆二世をカミングアウトした田所敏夫をキャップとして取材班と支援会を発足させ、微力ながら被害者救済・支援と真相究明に携わってきました。この選択は間違ってはいなかったと今でも思っています。

当初、M君に話を聞き、提供された資料を解読し、「今の成熟した民主社会の社会運動内に、いまだにこうした野蛮な暴力がはびこっているのか」と驚きました。しばらくは半信半疑で取材を進めましたが、仮にM君の話がデマや虚偽であったならばすぐに撤退するつもりでした。

リンチの加害者とされる李信恵ら5人には一面識もありませんでしたので、私怨や遺恨などありません。

しかし、取材を進めるうちに、いろいろな事実が判ってきました。李信恵という人が、この国の「反差別」運動の象徴的な人物として名が有ることは知っていましたが、こういう事件に多かれ少なかれ関わっていることに驚きました。ちょうど極右・ネトウヨ勢力によるヘイトスピーチ華やかりし頃で、いわゆる「ヘイトスピーチ解消法」制定も企図される頃でした。

「反差別」の錦の御旗を立て、極右・ネトウヨ勢力の跳梁跋扈を阻止しヘイトスピーチに反対するという大義名分の蔭で、このような悲惨な事件が起きていたことに驚きました。

かつて、私たちの世代は、反体制運動における「内ゲバ」や「連合赤軍事件」を知っています。これらにより一時は盛り上がった学生運動や反戦運動、社会運動が解体(自壊)していった歴史を見て来ています。実は私自身、早朝ビラ撒き中に対立勢力に襲われ激しい暴行を受け病院送りにされ5日ほど入院した経験があり、また、ジャーナリストの山口正紀さんも、M君の訴訟で大阪高裁に提出した「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』に収録)の中で、やはり学生時代に暴行を受けたことを記述されています。山口さんは重篤なガンで闘病中ながら、今回その「意見書」も含め長大な渾身の論考として寄稿いただきました。

M君リンチ事件の被害者支援と真相究明に関わり始めた当初、「この問題は奥が深いな」と感じたのが正直のところです。やはりその予想通りでした。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

M君リンチ事件関係では、関連の訴訟も含め5件の民事訴訟が争われました。M君が野間易通による暴言の数々を訴えた訴訟(M君勝訴)、M君が李信恵らリンチに連座した5人を訴えた訴訟(M君勝訴)、鹿砦社が李信恵による暴言を訴えた訴訟(鹿砦社勝訴)、そして李信恵がこの反訴として鹿砦社を訴えた訴訟(一審鹿砦社敗訴→これから控訴審)、それに「カウンター/しばき隊」の中心メンバーにして元鹿砦社社員を訴えた訴訟(係争中)です。上記3件、判決内容や賠償金額などに不満はあるものの当方(M君、鹿砦社)の勝訴で確定しています。神原弁護士は「正義は勝つ!」などと全てみずからの側の勝訴と嘯いていますが事実ではありません。

ちなみに「正義は勝つ!」というのであれば、神原弁護士が事務局長を務める『週刊金曜日』植村隆社長の訴訟では、確定判決で負けてしまったことをどのように言い訳なさるのでしょうか? 世の中、必ずしも「正義」が勝つとは限りません。ここに悲劇があったり喜劇があったり不条理があったりします。殊に、裁判所における「正義」はえてして市民感覚とは異なります。

ついでながら、植村社長は、一昨年(2019年)、鹿砦社創業50周年記念の集いにお越しいただきご挨拶賜りました。また、社長就任後に会食も共にしたこともあります。最近も「上京されたらご連絡ください」とお誘いを受けていますが、神原弁護士との関係に配慮し、あえて連絡をしないでいます。『週刊金曜日』今週号(2月5日発売)に『暴力・暴言型社会運動の終焉』の1ページ広告が掲載される予定です。

こうして、この5年間のM君リンチ事件に関わってきた「検証と総括」作業を進め書籍の編集過程にあった中で、突如起きたのが、M君リンチ事件にも連座した伊藤大介による暴行傷害事件です(昨年11月25日午前1時30分頃)。前日24日、今般判決のあった訴訟の本人(証人)尋問が終わり、深酔いし、複数で極右活動家・荒巻靖彦を呼び出し暴行に及んだところ、無抵抗だったM君とは違い逆襲に遭い刃物で刺され、双方負傷した事件です。この事件は、伊藤らが仕掛けたものですが、6年前のM君リンチ事件と同じパターン(裁判が終わり酔って相手を呼び出し暴行に及ぶ)です。「歴史は繰り返す」とはよく言ったものです。これが現在の「反差別」運動というのであれば、あまりに悲しいです。

この事件もあり、編集途上のところ、すでに原稿が届き編集も終わっていたものを中心に急遽まとめ発行したのが『暴力・暴言型社会運動の終焉』です。

これまでのM君リンチ事件に関する本は、M君対李信恵らとの訴訟のポイント、ポイントで発行されてきましたが、今回は関連訴訟(対李信恵第2訴訟)の判決直後の発行となりました。

一審判決は、残念な結果になりましたが、控訴審で、心機一転捲土重来を期します。一審判決には決定的な間違いが散見されます。一つ目についた箇所を挙げれば、当該の書籍にて取材した者のインタビューを記しているにも関わらず、その者に取材して確認していないなどと判断(誤判)していたり杜撰なものです。

李信恵は鹿砦社取材班の取材や書籍、「デジタル鹿砦社通信」などの記事で「苦しめられた」などと申し述べていますが、本件での最大の被害者は、言うまでもなくM君です。裁判所は、リンチ直後のM君の顔写真をしかと見よ! 1時間にもわたる凄絶なリンチの阿鼻叫喚を聴け! いまだにPTSDに苦しむM君の心身共にわたる苦しみに比べれば、さほどのことはないと言わねばなりません。

昨年11・24の本人尋問で、リンチ直後のM君の画像を李信恵に見せ、「これを見てあなたは人間としてどう思いますか?」と問い質す松岡。李信恵は沈黙を通した(赤木夏・画)

私たちの闘いはこれからも続きます。確かに一審は負け(今のところは)賠償金を背負うことになりましたが、M君がリンチによって負った傷に比べれば大したことはありません。

今後とも、更なるご支援をお願い申し上げます。M君訴訟では皆様方のカンパにより訴訟費用をまかないましたが、鹿砦社訴訟では自弁ですので、『紙の爆弾』や多種多様な書籍などを買ってご支援ください。

ちなみに、M君訴訟のカンパの約6割は在日コリアンの方々で、その他、情報収集や取材などにもご協力いただきました。これは明かしてもいいかと思いますが、第4弾書籍『カウンターと暴力の病理』でリンチの最中のCDを付けようとしたところ、これも「私に任せてください」と在日の方が韓国でプレスしてくださいました。さすがに日本国内ではやれませんから。そうした方々のご協力で、これまでやって来ましたが、これに報いるためにも私たちは挫折するわけにはいきません。

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《緊急出版》鹿砦社が明日投下する“紙の爆弾”『暴力・暴言型社会運動の終焉』 その“爆薬”の中身はこれだ!! 鹿砦社特別取材班

裁判期日が終わる→仲間と飲みに行く→散々飲んで気が大きくなる→気に入らない人間を呼び出す→暴行に及ぶ。

 
2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』明日4日発売!!

この定型式にどこかで既視感はないだろうか。鹿砦社がこれまで出版した「M君リンチ事件」に関する5冊の書籍をお読みいただいている方であれば、瞬時に気がつくことだろう。

そうだ。「M君リンチ事件」発生時とまったく同じ展開で、またしても暴行事件が発生したのだ。この日は、鹿砦社対李信恵第2訴訟の本人(証人)尋問の日だった。これが終わり、事件発生前には李信恵と、のちに逮捕される伊藤大介が、飲食を共にしている写真が、李信恵発信のツイッター、フェイスブックにより確認できる。時刻は11月24日18:30頃だ。

その後、日付が変わった25日深夜1時30分頃、この間、かなり飲み食いしたのだろうか、伊藤は酔った勢いで、極右活動家荒巻靖彦を呼びだした。どのようないきさつでもみあいになったのかまではわからないが、新聞報道によれば伊藤らが荒巻に殴り掛かり、荒巻は逆襲、刃物を持っており伊藤はその刃物によって、全治1週間の怪我をさせられている(一方荒巻は伊藤に顔面を殴る蹴るされており、左手小指を骨折している)。場所は大阪市北区堂山町。監視カメラが張り巡らされ、人目の多い場所でもある。怪我をした伊藤、もしくは周囲にいた人物が110番通報をした模様で、駆け付けた警察官に荒巻は現行犯逮捕されている。

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

刑事事件については、推定無罪を適用すべきだと、われわれは考えるので、荒巻並びに、伊藤の処分についての詳述は避ける(荒巻は罰金刑で、伊藤はこれから傷害容疑で公判にかかる模様である)。

しかしながら、伊藤自らが「しばき隊」であると公言しているので「しばき隊」特有の行動については本文の中で詳述した。「しばき隊」の人間は、どうしてこのように「混乱必至」な行為に及ぶのであろうか。暴力を振るい暴言を虚偽発信し、これを繰り返す「しばき隊」の行動パターン、とりわけこの日伊藤が事件に手を染める前の様子から、詳しいレポートをお届けする。取材班は法廷内の傍聴席でも伊藤らを包囲し(おそらく伊藤らはその存在には気づかなかったであろう)、注意深く伊藤の行動をも観察していたのだ!

そして、事件発生後しばらくの沈黙期間をおいて発表された伊藤擁護を企図したC.R.A.C.と「のりこえねっと」の「声明」の筋違いについても、徹底的に分析を行なった。どうして「しばき隊」は同じ間違いを繰り返すのか? どのような思考回路がそれを誘引するのか? 心理学専門家の意見も参考に、「しばき隊」のメンタリティー分析にも是非ご注目を!

『暴力・暴言型社会運動の終焉』には各方面からご寄稿も頂いた。ご自身が被害者となり、その後一時期はかなり熱心に「しばき隊」との言論戦(といってもかなり楽しそうではあったが)を繰り広げた合田夏樹さん。LGBT問題で「しばき隊」に絡まれ、仕方なく応戦した(今もしている)作家の森奈津子さん。このお二人は直接「しばき隊」と言論戦や法廷戦を闘われた方でもあるので、経験談を中心に原稿を書いていただいた。特に合田さんは直接に伊藤大介から脅迫を受けている。

 

尾﨑美代子さんには、「反原連」時代から連中が包含した根深い問題点を、体験と考察を元に分析していただいている。M君とも親しく、「反原連」の問題を知り尽くした尾﨑さんは、当初カウンター活動に参加を試みたこともあったが、やがてそのヘゲモニーが「しばき隊」に握られるようになることを察すると、手を引いたという。慧眼の持ち主はこの問題をどのように総括するのであろうか。

昨日の本通信でお伝えしたように、「M君リンチ事件」ならびに鹿砦社が李信恵を訴えた事件は、すべて司法記者クラブの手で握りつぶされた(記者会見開催を拒否された)。この問題については、フリーライターで大手新聞の「押し紙」問題に詳しい黒薮哲哉さんが、論考を寄せてくださった。

元読売新聞記者の山口正紀さんは、「M君リンチ事件」裁判における一審から控訴審、上告審までの判決の不当性について、精緻かつ長大な分析を頂いた。山口さんは「M君リンチ事件」裁判控訴審に「意見書」を提出いただいたこともあり、本事件に対して司法が果たした(果しえなかった)役割について、厳しい分析を展開してくださった。

 

松岡は「平気で嘘をつく人たち」と、黒薮さんとの合作で「危険なイデオローグ‐師岡康子弁護士」を執筆。そして「M君」自身が「リンチ事件から六年──私の総括」を寄稿した。

このように紹介すると総花的で、散漫なムック本(紙の爆弾増刊号)のようにお感じになる向きもあるかもしれないが、そうではない。現場からのレポートと、直接関係者の体験談、客観的な立場からの観察ならびに分析、2021年における「反差別」と「反差別運動」についての問題提起や方針を示したのが『暴力・暴言型社会運動の終焉』である。この本は、編集部が筆者に編集方針を伝え、それに沿うように原稿を依頼していない。完全に自由で制約のないご意見を異なる立場の方々から頂いた。その結果われわれが幸いであったのは、当初の予想以上に問題の本質に多角的な接近を実現することができたことである。

コロナ禍の中で、大切な問題が埋もれてしまいがちな日常にあり、しかしながら決して度外視することのできない人類の大命題に直接取り組んだ『暴力・暴言型社会運動の終焉』はどなたにとっても、示唆に富む内容であることをお約束する。

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

《緊急出版》2021年鹿砦社が最初に投下する爆弾!『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!! 鹿砦社特別取材班

〈差別〉に反対し〈暴力〉を嫌悪する、すべての読者の皆さん!鹿砦社特別取材班が「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」「M君リンチ事件」)の取材を開始し最初の出版物『ヘイトと暴力の連鎖』を出版したのが2016年7月。もちろん取材は出版前に開始したので、われわれがこの問題にかかわり、まもなく5年を迎える。

 
『暴力・暴言型社会運動の終焉』2月4日発売!!

「M君リンチ事件」は単に、ある集団内で発生した、偶発的な事件ではなかったことがのちに判明する。有田芳生参議院議員筆頭に、師岡康子、神原元、上瀧浩子ら弁護士。中沢けい、岸政彦、金明秀ら大学教員・研究者。安田浩一、西岡研介、朴順梨、秋山理央などフリーの発信者。そして中立を装い、事件を仲裁するように見せかけながら「M君」を地獄に突き落とした「コリアNGOセンター」の幹部ら。

数え上げればきりのないほどの著名人が寄ってたかって、事件隠蔽とM君に対するセカンドリンチと村八分に奔走した。「事件隠蔽加担者」は上記個人だけではなく、すべての大手マスコミ(~関係者)も参加して悪辣極まるものであった。

本通信をきょう読んでおられる方の中に、M君が「しばき隊」の実権者、野間易通を名誉毀損による損害賠償を求める裁判で訴え、勝訴した事実をご存知の方はどれくらいいるだろうか。M君は提訴の際、大阪地裁で勝訴した際、いずれも司法記者クラブ(大阪地裁・高裁の中にある記者クラブ)に記者会見の開催を申し入れたが、一度も実現したことがない。あれこれ理由にならない言い訳を並べたが、結局大手マスコミの記者連中は「M君リンチ事件」を闇に葬ろうとする勢力に加担したのであり、上記隠蔽加担者らと同等もしくは重い役割を進んで背負った。

松岡と裁判前に喫茶店で「偶然の遭遇」をしたという李信恵の虚偽のツイート

だから、本来であればテレビや新聞で大々的と言わぬまでも、報じられて当然のこのニュースが、事件発生後マスメディアで取り上げられることはなかったし、その事実に居座って、事件に関係した連中は、ついぞ反省をすることはなかった。M君と加害者が対峙した証人調べの際に、口頭で謝罪を述べた者はいたが、その後の行動を見れば到底反省したとはいえない。

M君支援と事件関連書籍の出版を進めるうちに、李信恵をはじめ多数の人物が鹿砦社を誹謗中傷し始めた。ただし、われわれは出版を重ねるにあたり、事実関係は徹底的調査し尽くし、関連人物への取材も可能な限り直接行ってきたので、誹謗中傷に熱を上げるものどもは、具体的な批判ができない。幼稚な表現で罵詈雑言を浴びせるか、連中お得意の「ありもしない事実」をでっちあげそれを拡散させる、という卑怯な手法が用いられた。

今日、振り返って痛感することの一つに、「Twitterは人を壊す」ことが挙げられる。限られた文字数に感情の発露と、偽りの「繋がり」や「絆」を求める行動は、エスカレートすることが多く、本件以外にも数々の災禍を引き起こしてきた。李信恵は鹿砦社に対して再現するのも憚られるような、幼稚で下劣な言葉を用いて、幾度も鹿砦社を攻撃してきた。当初われわれは顧問弁護士を通じて、「そのような書き込みを止めるように」警告したが、それでも李信恵のわれわれに対する罵倒は止まらなかった。致し方なく鹿砦社は李信恵に対して名誉毀損による損害賠償を求めた民事訴訟を提起し、裁判所は李信恵の不法行為を認め、われわれは全面勝訴した。

さて、それではどうしてこの時期にわれわれが「2021年最初の爆弾」を投下しなければならないのか。理由は明快である。われわれが取材、出版を続ける中で懸念していた「M君リンチ事件」のような暴力事件の再来──それが現実のものとなってしまったからだ! しかも鹿砦社と李信恵の裁判が行なわれたその翌日未明に!

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

大阪地裁では鹿砦社が全面勝利した(李信恵が全面敗訴した)裁判の最終盤で李信恵側から「反訴」の意向が示された。しかし裁判長はそれを認めなかったために、仕方なく李信恵は別の裁判を提起し鹿砦社に550万円の支払いと、あろうことか「出版の差し止め」を求めてきていた。2020年11月24日。大阪地裁では、原告・被告双方の本人(証人)尋問が行われていた。その模様についてはすでに本通信でお伝えしてあるのでご参照頂きたい。

事件はその日の裁判終了後に発生した(正確には日付が変わり25日午前1時30分頃)。裁判中には傍聴席にその姿があった「カウンター」の中心メンバー・伊藤大介が極右活動家・荒巻靖彦を深夜電話で呼び出し、双方負傷。伊藤が110番通報したことで荒巻は「殺人未遂」の現行犯で逮捕された。だが,衝撃はほどなくやってきた。伊藤大介が12月6日大阪府警に傷害容疑で逮捕されたのである。

われわれは、この事件発生直後から綿密な取材を開始し本年1月末か2月初頭の出版を目標に、正月返上で準備を進めてきた。しかし 『暴力・暴言型社会運動の終焉』出版については、本日まで完全部外秘とし、ごく一部の人間しかその情報を知りえなかったはずである。販売促進の観点からは、発売日が決まっていれば早い時期から広告を出したり、周知活動を行うのが定石であるが、われわれはあえてそうはしなかった。

 
 

連中はすでにカルト化している。というのがわれわれの見立てである。しかもその中には複数の弁護士もいる。連中が『暴力・暴言型社会運動の終焉』出版に対して出版差止めの仮処分を打たない保証はない(仮処分とは通常の裁判と異なり、緊急性を要する判断を裁判所に求めるものである。通常出版物の仮処分による「出版差止め」は元原稿(ゲラ)などの直接証拠がなければ認められることはないが、上記の通り民事訴訟の中で李信恵は「出版差止め」を求めている。われわれは記事内容には確実に自信を持っているが、それでもどんな主張を展開してくるのかわからないのが連中だからである)。

そうだ! 敵に隙を与えないためには、読者諸氏にも本日までお知らせすることができなかった。そういった理由であるので無礼をなにとぞお赦しいただきたい。書籍の内容? 下記の案内をご覧ください。鹿砦社(メールsales@rokusaisha.com、ファックス、HP)、もしくはアマゾン、書店などで、今すぐご予約を!

◆皆様方へのお願い!◆

M君リンチ事件、及び本件訴訟判決についてご意見(「デジタル鹿砦社通信」や次回本に掲載)、あるいは裁判所(大阪高裁)への「意見書」(今回の『暴力・暴言型社会運動の終焉』掲載の山口正紀さんのような)を執筆いただけるような方がおられましたら松岡までメール(matsuoka@rokusaisha.com)にてご連絡お願いいたします。

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62