五輪・原発・コロナ社会の背理〈6〉 脱炭素社会の基幹エネルギーに水素を位置づけることは妥当なのか? 田所敏夫

◆水素エネルギーは脱炭素社会実現への切り札なのか?

読売新聞は、《【独自】全国125の主要港湾、脱炭素化を推進…船舶や荷役に水素を活用 政府は、横浜や神戸など全国125の主要な港湾で脱炭素に向けた計画の策定に乗り出す。燃焼時に二酸化炭素(CO2)を排出しない水素の利用拡大を柱として掲げる方向だ。政府目標である「2050年までに温室効果ガス排出量の実質ゼロ」達成への目玉政策にも位置づけ、脱炭素社会実現への切り札としたい考えだ。》(2021年5月10日読売新聞)と報じている。

「燃焼時に二酸化炭素を排出しない水素」を「脱炭素社会実現への切り札」としたいのだという。ここに書かれている内容は、自然科学的な観点から、間違いはないだろうか。

間違いがある。水素に対する根本的な解釈だ。以下は日本経済新聞からの引用である。

《▼水素製造 水素を製造する方法は主に、①石油や天然ガスに含まれるメタンなどの炭化水素を水蒸気と反応させて水素と二酸化炭素(CO2)に分離する、②石炭を蒸し焼きにして水素と一酸化炭素(CO)の混合物である石炭ガスをつくる、③水に電流を流して水素と酸素に分離する――の3つに大別される。現在、世界でつくられている水素のほとんどは①の天然ガス由来だ。》(2021年2月26日日本経済新聞)

「燃焼時に二酸化炭素を排出しない」は可能であろが、そもそも水素をつくりだすためには、石油、天然ガスを用いて「水素と二酸化炭素」に分離するか、石炭を蒸し焼きにして、「水素と一酸化炭素」をつくる。つまり「炭素」がつくりだされる(これらとは別にバイオマスから水素を作る方法もあるが、費用が高額で採算が合わないといわれている)。最後には水を電気分解するしか主たる方法はない。電気を使う時点で「では電気はどうやって作るのか」を問わねばならず、電気を使わなければ二酸化炭素や一酸化炭素を「原料(水素)作成時点」で発生させざるをえない。

このロジックは「原発は発電時に二酸化炭素を出さない」と同じような詭弁であることが、素人でも5分あれば調べられる。原発は運転時に二酸化炭素排出量が少ないが、福島第一原発事故現場で問題になっている汚染水のに含まれる、トリチウムを常時排出しているし、1秒に70トンの海水をもとの水温から7度温めて放出し続ける。こんな装置がどうして「地球温暖化」の解決策に寄与するだろうか。

さて、水素は空気中に漏れ出て4%以上になると、爆発の危険があるので、水素そのものを厳重に保管しなければならない。水素が燃料として使えることは間違いないが、着火しやすく、拡散しやすい性質の物質でまた金属劣化を進める性質ももつので、その性質を理解してから、広く導入するのが妥当かどうかの議論をすべきだろう。わたしはいたずらに水素を忌避したり、水素が悪だというつもりはまったくない。水素を製造するためには、上記の方法しかないことから「脱炭素社会」を指向するなら(「脱炭素社会」など実現できないし、無意味だと思うが)基幹エネルギーとして水素を位置づけることが、妥当かどうか、疑問をもつのだ。

実験室や工場で水素は、一般的に赤いタンクの中に納めるられていることが多く、火災が発生したりすれば当然爆発の危険性がある。拙宅の近所では数年前にボヤが発生し、水素タンクに引火の危険性が生じていたことが事後判明し、騒ぎになったことがある。

「港湾で脱炭素化を推進する」ことが、地球環境保全に繋がるのかどうか。大型・小型船舶の燃料はどうするつもりなのだろうか。港を水素で溢れさせても、長期航路を運航するタンカーなどの燃料を、水素でまかなえるだろうか。原子力船や原子力潜水艦のような危険を冒し、タンカーの船中に大型の「電気分解機」を積んで航行するのだろうか。あるいは液体水素はそんなに安価で製造できるものであろうか。

◆大量生産大量消費社会と「地球温暖化二酸化炭素犯人説」

基礎的な疑問だけ列挙しても、どうもおかしい。屁理屈が並べられているが「地球温暖化二酸化炭素犯人説」の根拠には、こんなふうに一見「ほー」と思わせながら、いちまい扉を開けるだけでボッタくりの店だとわかり「あ、ここ入ったらいけない場所だった」と気づかされ、帰ってこなきゃならないような、浅く狡い理屈が蔓延している。

だからといって、今日のようなエネルギー浪費型社会をわたしはまったく肯定しない。注目されるべきは、エネルギー過度消費に陥った社会ではないだろうか。エネルギーが化石燃料由来であろうが、再生可能エネルギーであろうが関係ない。「二酸化炭素」や「地球温暖化」に矮小化、あるいは恣意的に歪曲された議論では、突きつけられている本当の命題がぼやけてしまう。

世界的な政策設計者(「地球温暖化二酸化炭素犯人説」立案者)には、人間が生活に最低必要最低限なエネルギーをはるかに超えるエネルギーを日々膨大に消費して、大量生産大量消費を続ける社会の前提を崩す気はない。あの人たちは、いっけん環境主義者のように振舞うが、こんなにも地球を壊し、あげく人間自身を壊し、自然科学の基礎を無視した、訳の分からない論を声高に叫んで恥じない。「二酸化炭素地球温暖化犯人説」はまさに、これらの矛盾が凝縮され「問題と対策」がほぼ完全にゆがめられている。

炭素を減らしても何の解決にもならない。しかも、水素の製造過程では必然的に炭素が出てくる。この二つの不整合だけで論理の破綻は証明される。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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