辿り着いた釜ヶ崎で……  尾﨑美代子

約ひと月前の早朝、店の近くで火災が発生。店が休みで私はいなかったが、いろんな人から「大丈夫」と連絡があった。翌月曜日、現場を見たが、ものの見事に焼け落ちていた。報道ではこの火災で2階に住んでいた40代女性が焼死したという。

「えっ、あそこ、人が住んでたの?」と私は驚いた。釜ヶ崎周辺、飛田当たりには、いわゆる昔「連れ込み宿」と呼ばれていたような建物がある。火災があった建物もてっきりそういう建物で、人は住んでないと思っていた。が、人は住んでいた、しかも40代の女性だという。

その火災の翌日、すぐ近くで更に大規模な火災がおこり、店舗10件ほどが被害にあった。そこは近年、この界隈で中国人の女の子をおくスナックで、火災現場もその一角だった。スナック街の経営者はここ20年で成功を収めた兄さんで、一軒目を始めるまでは建設作業員として働き、店の常連客と一緒にうちの店に来たこともあった。

彼が仕切る火災現場は、火災翌日にはもうチャチャチャと片付けが進んでた。現場には、スナック街を仕切る彼の不動産会社の名前が書かれたトラックが横付けされていた。

一方で、その前日の連れ込み宿みたいな建物の火災現場は、ひと月経った今でもそのままだ。つまり片付ける人がいないのだろう。ひと月経った今でも、煙の臭いが漂う。

そして、こちらの現場では、周辺の監視カメラなどから犯人が判明したとのニュースが。

それにしても、この建物に人が住んでいたことに驚かされる。誰がどのように管理し、しかも40代の焼死した女性を住まわせていたのだろうか? 釜ヶ崎にたどり着いた40代女性は、どのような経緯で、この建物に住んでいたのだろうか?

女性は名前も判ったために、家族などに連絡が行くだろう。

2016年9月、店の近くの安いドヤで若い男性の遺体がみつかる。腐敗が進んでいたが、自殺と考えられた。男性の部屋には2000万円の現金が残されていたが、男性の身元は判明していない。2000万円残して亡くなった男性が住んでいたのは、週4250円で住める界隈でも格安のドヤだった。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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