《本間龍13》各地で復活している「原発翼賛シンポジウム」

311以前、全国で展開されていた原発翼賛広告=原発広告は福島第一原発事故の発生で一斉に姿を消したが、2013年頃から福井(関電)、新潟(東電)、静岡(中電)、青森(原燃)の各県で復活して来た。いずれも県内に原発や関連施設があるためだが、それに従って、「原発翼賛シンポジウム」も復活して来ている。これは主に経産省や県、電力会社が主催し、原発ムラに所属する専門家やタレントがパネリストとして参加する。しかし、シンポジウムとはいえ反対意見の人間は一切呼ばれないから、実際はただの原発翼賛集会だ。従って集まる観客もムラ関係企業からの動員が大半で、まともな質問も出ない。NUMOが全国各地でやっている放射性廃棄物の地層処分を呼びかける講演会と同じである。

◆ローカルメディアのおいしい収入源

こうしたシンポジウムの開催は、各地のローカル新聞社やテレビ局にとって大変おいしい収入源になっている。開催が決まれば共催社となって数ヶ月前から開催告知広告を何度も掲載するが、当然その広告費は主催者から頂戴する。シンポジウム会場も新聞社が手配するが、その際の会場使用料、設営費や実施費も手に入る。そしてシンポジウム開催翌日にはそれを独占記事にする。

さらには、そのシンポの内容を10~15段の記事風広告にして、その制作費と掲載料も頂くこともある。また、資本関係にあるローカルテレビ局は開催告知スポットCMを放送し、その放送料を頂く。出演者の手配や進行は主催者側がやるから、自分たちは元手をかける必要がない、楽に稼げるシステムが確立しているのだ。

しかし、記事風広告はわざと記事と広告の境目を曖昧にした体裁だから、それを記事だと誤認して読んでしまう読者も多い。さらに記事やニュースとして扱うことにより、まるできちんとした議論が行われているかのような錯覚さえ与える。そうした危険性を百も承知でやっているのだから、協力するローカルメディアも非常に罪深い。

◆福井新聞に「記事」として紹介された「翼賛シンポ」

2016年12月12日付福井新聞より

そうしたシンポの典型例が、12月11日に福井で開催され、それが翌日の福井新聞に「記事」として紹介された。しかし、その論調は完全に推進側の発言のみで、広告と何ら変わらないひどさであったので、紹介しよう。
2016年12月12日付福井新聞より

同シンポは原発の40年を超す運転をテーマに、福井県環境・エネルギー懇話会主催、資源エネ庁と関電担当者が出席、参加者も交えたパネルディスカッションもおこなわれたという。資源エネ庁の多田次長が「全ての原子炉を運転開始から40年で廃炉とすると、エネルギー基本計画で定める原発比率「20~22%」をクリアできないと説明。

また関電関係者は、原発のソフト、ハード面の対策を強化し「40年超のプラントも、最新のプラントと同一の基準で安全性を確認している」などと語ったらしい。しかしこれは恐ろしい詭弁である。40年前に作ったものが最新の製品と全く同じ品質を保てるなど、科学的にあり得ない。もしそんなことが可能なら、原発の安全検査など必要ないではないか。こういうトンデモ発言に全く反論がないのが、こういうシンポの特徴でもある。

さらに、県内の経済界・消費者・立地自治体・若者(どのようなカテゴライズなのか不明)の代表者4人がパネルディスカッションを実施。原発の40年超運転について「分かりやすい情報に基づいて国民一人一人が問題を咀嚼(そしゃく)し、建設的な議論を」(鈴木早苗・県地球温暖化防止活動推進員)、「安全性向上のため事業者に努力してもらい、規制する側はしっかりと規制してほしい」(田中康隆・高浜町商工会会長)、「人口減少時代に全原発を40年で止めると、発電コストが上昇する一方だ」(進藤哲次・ネスティ社長)と発言した。

◆311以前と変わらぬ発言をデジャヴのように繰り返す

原発翼賛シンポならではの酷さだが、あの甚大な原発事故を経験したというのに、311以前と全く変わらぬ発言を並べる人々を見ると、昔のシンポ広告を見ているような既視感を覚える。「分かり易い情報に基づいて」などと言うが、原発ムラがそんなものを出したことは一度もないし、「国民一人一人が問題を咀嚼して議論を」などというのなら、直近の世論調査で国民の7割近くが原発に反対という結果が出ている。国民はとっくに咀嚼済みで結論を出しているのだ。また、安全性向上のために事業者が努力をするのは当たり前である。それでも福島の事故は起きたことを忘れてはならない。また、「しっかり規制」しなどしたら、日本では原発を動かすことなど出来はしない。

さらに最後のネスティ社長の発言など、昨今の原油安で殆どの原発が停止中にも関わらず、全ての電力会社が黒字になったのを知らないらしい。人口減少と原発停止による発電コストとは何の関係性もない。要するにどれもこれも、反論がないことを良いことに、自分たちに都合のいい発言をしているに過ぎない。

そして最後の若者?代表の発言には唖然とした。『福井大生の青山泰之・ふくい学生祭元実行委員長は「専門家が考え、決めたことは信じるしかない」』と発言したらしいが、大学生が自分で考えることを放棄して御用専門家を「信じるしかない」などと口にするとは、呆れを通り越して福井大のレベルが心配になる。その御用連中の言葉を信じたばかりに原発事故が起きたのを知らないのだろうか。利権にまみれた大人たちは既に手遅れだが、前途ある学生には、是非拙著や『NO NUKES voice』を読んで欲しいと願うものだ。

▼本間龍(ほんま りゅう)
1962年生まれ。著述家。博報堂で約18年間営業を担当し2006年に退職。著書に『原発プロパガンダ』(岩波新書2016年)『原発広告』(亜紀書房2013年)『電通と原発報道』(亜紀書房2012年)など。2015年2月より鹿砦社の脱原発雑誌『NO NUKES voice』にて「原発プロパガンダとは何か?」を連載中。

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