以前にも少し触れたが、最近の体罰問題はおかしい。なにがおかしいかって、問題になるほど暴力をふるい続ける教師もおかしいが、それをわかっていて通わなければならない生徒、さらに「何があろうと暴力はいけません」などという報道姿勢もおかしい。

社会問題となった桜宮高の生徒が書いた手紙が先日公開されたのを読んだ。「継続は力なり」という言葉があるが、これは体罰においても言える。何度注意しても改善が見られない子供の場合、止む無く一度の体罰はかまわない、と私は思っている。自分にも経験があるからだ。殴られて、初めて叱られた意味を知ったということは、一度はあるのではないだろうか。

これはいじめ問題にも繋がるが、継続される暴力は苦痛以外何物でもない。クラスメイトから、一度だけ殴られたり冷たくされた程度でいじめと思う人は少ないだろう。それが日常的になると誰であっても苦痛になる。いじめの問題点は年間を通してその苦痛が続いた結果、登校拒否になったり自殺を選んでしまう。大人の世界でも全く同じで、会社で毎日上司から怒られ続けていれば、精神を病んでしまうか休職、転職の道を選ぶことになる。会社で体罰に及ばないのは法的な問題もあるが、歳の取った上司と若さ溢れる部下が殴り合いになったら、若い部下が勝ってしまうからではないかと思っている。

桜宮高の生徒の手紙を読む限り、同じ印象を受けた。顧問より継続的な体罰で自殺にまで追い込まれてしまっている。体罰は暴力であり、教育現場で禁止されている、としたり顔で話す、教育関係者でもなんでもないニュースのコメンテーターがいるが、それができると現実的に思っているのだろうか。スポーツの強豪校、例えば甲子園出場の常連校のような野球の名門校で、一切体罰が無い学校など存在するのだろうか。一部を除いて問題にならないのは、全面的に否定するものではないからと考える。

問題のある教師というものは、加減を知らない。いじめと同じで、何度言ってもわからない、このままわからず学校を卒業していく方が問題だと思った時のみ、手を出すのは悪いことではないだろう。ただそのような問題行動が年に何度もあるとは思えない。継続的に体罰を続けている教師は、やはり咎められるべき理不尽な体罰を日常的に続けていたと考えるのが自然だ。

理不尽な体罰を受けるとわかっていて通う生徒も辛いだろう。部活を辞めたってかまわない、むしろ学校を辞めたってかまわないと、誰か教えてやれなかったのだろうか。この問題は、該当する教師を辞めさせればいいという話でもなく、暴力はいけませんと非現実的な題目を唱えればいいという問題でもない。

(戸次義継)