楽しみなエホバの証人の来訪

「エホバの証人」の信者が時々やってくる。
真面目に布教に歩いている彼らには悪いが、一人で原稿を書く合間の気分転換として使わせてもらっている。
話しているには、とても楽しい人々だ。

エホバの証人は聖書を教典とする宗教団体だが、1884年設立と、新興宗教としては歴史が古い。
戒律は厳しい。国旗敬礼、国家を賛美する国歌斉唱(国家の賛美)などは、偶像礼拝であるとして、禁止。
タバコ、医療目的外の麻薬、マスターベーションを禁じている。
兵役拒否の他、格闘技の習得も忌避する。
七夕や節分、ひな祭りなど、民間信仰の行事にも不参加が基本で、学校などで摩擦を起こすこともある。
輸血も禁止している。家族でエホバの証人を信仰している小学5年生の男児が交通事故に遭い、親が輸血を拒否したため、そのまま死亡する事件が1985年に起こった。
2008年には、信者の1歳男児が消化器の大量出血で輸血が必要になった。輸血を拒否する親に対して、家裁が児童虐待の一種の医療ネグレクトと判断し、親権の停止を行ったため、男児は輸血を受けることができ、命を取り留めた。
エホバの証人というのは、カルト宗教なのだ。
カルトというとオウム真理教を思い浮かべるが、あのように暴発してしまうのはカルトの失敗例だ。130年近くも続いているエホバの証人のほうがカルトらしいカルト。成功例と言えるだろう。
エホバの証人は布教でこんなことを言う。
あらゆる生物のDNAには、その生物の設計図が書き込まれている。設計図があるということは、それを書いた人がいるはずだ。人間のような精巧な生き物が偶然の積み重ねでできるはずはない。
それを私は、納得しながら聞く。
「その通りですね。人間のような精巧な生き物が勝手にできあがってくるわけがない。でも神は、もっと凄い存在なんですよね。神は誰がつくったんですか?」
そう言うと、「神は最初からおられたのです!」と憤然として帰ってしまう。
だったら最初から、DNAなど持ち出したりして、理詰めで来なくともいいのに。
私は神を信じている。宇宙そのものが、神だと思っている。
「災害は神が人間に与えた罰だと思いますか?」
最近来た信者は私にそう聞いた。
「宇宙である神は、天体を運行させていることを見てもとても凄い存在ですけれど、完璧ではないのです。数多くある惑星の一つに過ぎない地球を覆っている皮の辺りで起こっていることまで神は制御できませんよ。罰というよりは、人間に与えられた試練でしょう」
そう答えると、信者は言った。
「でもご安心ください。ハルマゲドンが来た後は地上に天国が現れて、災害はなくなります」
人間は老いず死なず、ライオンさえとも一緒に草原で暮らしている絵を見せてくれる。
「でも試練がないと、人間は成長しないじゃないですか。人生において、死や老いは多くの学びを与えてくれるものです。そのように人間を創ったところに神の思慮深さを私は感じるのですが、あなたがたは違うのですか」
そういうと彼らは、またすごすごと帰って行ってしまうのだ。
(F.Y)

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