2021年開幕戦から必見のNJKF! 堀田春樹

メインイベンター、健太は長らくNJKFのエース格を務めてきた90戦を超えるベテランだが、2019年6月の勝利以降2敗1分、高橋一眞は現在2連敗中と勝ち星から遠ざかった中での両者の対戦ではあるが、置かれた両団体でのエース格的立場として興味深いカードであった。

両者は5年前なら戦う運命には無かった階級から61.3kg契約で対戦するに至った。

NJKFスーパーフェザー級王座決定戦は過去、HIROが勝利している中での再戦は梅沢武彦が雪辱を果たした。

圧力かけて出る健太のハイキック

◎NJKF 2021.1st / 2月12日(金)後楽園ホール17:00~20:10
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:WBCムエタイ日本協会、NJKF

◆第9試合 61.3kg契約 5回戦

健太(=山田健太/E.S.G/1987.6.26群馬県出身/61.25kg)
    VS
高橋一眞(真門/1994.9.7大阪府出身/61.3kg)
勝者:健太 / 判定2-0
主審:宮本和俊
副審:竹村49-49. 中山49-48. 少白竜49-48

健太はNJKFでウェルター級、スーパーウェルター級で王座獲得や、WBCムエタイ日本ウェルター級王座獲得の実績あり。現在はWBCムエタイ日本スーパーライト級1位。高橋一眞はフェザー級でデビュー後、階級を上げNKBライト級チャンピオンとなる。

高橋一眞のローキックで健太の脚は傷だらけ

互いのローキック主体の攻めが主導権支配に流れそうな序盤、健太の脚は蹴られた跡がクッキリ残る。しかしどちらの戦略も主導権支配に至らない展開。

第4ラウンド終了時、「ヒジでカットしたでぇー!」とアピールした高橋一眞。健太の額からは薄っすらとした小さい流血。第5ラウンド、健太もヒジ打ちを出してくるがクリーンヒットは無い。しかし健太のパンチ、距離を詰めての猛攻にはやや押されてしまった高橋。これが運命を分け、健太が僅差で判定勝利。

「今回は勝ちに行くこと重点に倒しに行くことはあまり考えなかったです。また一からやり直しや!」と反省の高橋一眞。終盤に健太の圧力でロープを背負ってしまうのは勿体無い見映え悪さだった。

打ち合い避けたい高橋一眞だが、健太のパンチもヒットする
「ヒジでカットしたでぇー!」とアピールする4ラウンド終了時の高橋一眞

◆第8試合 60.0 kg契約3回戦

国崇(=藤原国崇/拳之会/1980.5.30岡山県倉敷市出身/59.6kg)
    VS
琢磨(=沼崎琢磨/東京町田金子/1992.8.25神奈川県愛甲郡愛川町出身/59.9kg)
勝者:琢磨 / TKO 2R 2:53 / カウント中のレフェリーストップ
主審:和田良覚

国崇は多くの王座獲得実績の中、ISKAムエタイとWKAムエタイの世界フェザー王座獲得実績有り。

琢磨はNJKFとWBCムエタイ日本のスーパーフェザー級王座獲得実績有り。現在WBC日本同級7位。

ベテランらしい攻防があった試合。小気味いい打ち合いを続けていく中、第2ラウンドには琢磨のパンチ攻勢が強まり国崇は下がり気味。琢磨が右ストレートをヒットさせ国崇からノックダウンを奪うと続けて連打から右ストレートで倒し、カウント中にレフェリーが止めた。

徐々に琢磨のパンチでダメージが溜まり、右ストレートで崩れる前の国崇
倒された国崇と立ちはだかる琢磨

◆第7試合 第9代NJKFスーパーフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.HIRO YAMATO(大和/2000.6.25名古屋市出身/58.96kg)
    VS
2位.梅沢武彦(東京町田金子/1993.8.12東京都町田市出身/58.85kg)
引分け 0-1 / 主審:少白竜
副審:竹村49-49(延長9-10). 和田48-49(延長9-10). 宮本49-49(延長9-10)
梅沢武彦が勝者扱いで王座獲得

どちらが的確なヒットの印象が優るかの差。上下の蹴りからパンチ、組み合えばヒザ蹴りと技がキレイだが、相手のスタミナを削るような追い込み、ダメージを与える緊迫感が無い。延長戦ではやや疲れがあったかHIRO。前に出て積極性がやや優った梅沢武彦の優勢ラウンドとなった。公式記録は引分け。

インパクト無い攻防も延長戦は勝ちに出た両者、梅沢武彦のハイキックヒット

◆第6試合 57.0kg契約3回戦

NJKFスーパーバンタム級3位.日下滉大(OGUNI/1994.9.30埼玉県出身/57.0kg)
    VS
獠太郎(DTS/57.0kg)
勝者:日下滉大 / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:少白竜30-29. 和田30-28. 宮本30-29

序盤、獠太郎の右ストレートがややヒットするも、日下の距離ではタイミング良い上下の蹴り、接近すればヒザ蹴りで優っていき、主導権を譲らなかった日下の判定勝ち。

獠太郎の積極性を上回った日下滉大の的確さ

◆第5試合 女子(ミネルヴァ)スーパーバンタム級3回戦(2分制)

2位.KAEDE(LEGEND/2003.8.13滋賀県出身/55.8→55.6kg)
    VS
櫻井梨華子(優弥/54.9kg)
勝者:KAEDE / 判定3-0
主審:宮本和俊
副審:竹村29-28. 和田29-27. 中山29-27. KAEDEに計量失格減点1を含む)

距離感がいいKAEDE。いい位置から蹴りパンチが当たる。バッティングによるものか櫻井は額に大きなコブを作ってしまうが影響は無さそう。的確差が優ったKAEDEが判定勝利。

KAEDEはウェイトオーバーながらもヒットを上回り勝利を導く

◆第4試合 NJKFバンタム級王座決定トーナメント3回戦

5位.鰤鰤左衛門(CORE/53.2kg)vs 6位.池上侑季(岩﨑/53.5kg)
勝者:池上侑季 / TKO 3R 2:09 / カウント中のレフェリーストップ
主審:竹村光一

◆第3試合 65.0㎏契約3回戦

JUN DA LION(E.S.G/1976.8.3埼玉県出身/64.8kg)
    VS
マリモー(キング/1985.3.8東京都出身/65.0kg)
勝者:マリモー / 判定0-2
主審:和田良覚
副審:竹村29-29. 少白竜29-30. 宮本28-30

◆第2試合 女子(ミネルヴァ)ライトフライ級3回戦(2分制)

3位.真美(team immortal/48.8kg)
    VS
6位.ERIKO(ファイティングラボ高田馬場/48.9kg)
勝者:真美 / 判定3-0 (29-28. 29-28. 29-28)

◆第1試合 女子(ミネルヴァ)スーパーフライ級3回戦(2分制)

3位.佐藤“魔王”応紀(PCK連闘会/52.0kg)
    VS
ルイ(クラミツ/52.16kg)
勝者:ルイ / 判定0-2 (29-30. 29-30. 29-29)

NJKFスーパーフェザー級新チャンピオンとなった梅沢武彦

《取材戦記》

ムエタイは判定に至る場合が多いが、主導権を奪って終わった方が勝つと言われている為、前半は飛ばさないし、負傷判定も無い。日本のキックボクシングにおいても、10-10が多い採点では、ほぼ互角と思える流れで迎えた最終ラウンドは主導権を奪って終わらなければ見映えが悪いだろう。健太はそんな最終ラウンドにラッシュを掛けてポイントを奪った展開。ベテランらしさが出た勝利だった。

国崇は99戦目、キャリア20年の大ベテラン。平成以降において100戦を超える選手が居なかった時代に100戦超えが近い選手が数名いる現在。同時に3回戦が主流の時代の中身も問われるが、100戦超えは今後、チャンピオンとは違ったステータスとなりそうである。

この日はリング上の照明が点かないまま第1試合が始まってしまうアクシデント。ルクス低い客席照明と廊下側から漏れる灯りの中、ゴング鳴る前に「ライト点いてないよ!」とは言わせて貰ったが、薄暗い中での第1ラウンドが進む。第2ラウンド前のインターバルで照明点いたが、こんな事態を見たのは初めてだった。

NJKF興行予定は2月21日(日)に大阪市住吉区民センターで関西版「NJKF 2021 west 1st」が開催されます。

6月13日(日)に大阪府堺市産業振興センターで「NJKF 2021 west 2st」、6月27日(日)に後楽園ホールに於いて「NJKF 2021.2nd」が開催予定。夜興行ですが、開場開始時刻は通常より変更される可能性があります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

東京五輪大会組織委員会会長の行方 川淵三郎の会長就任は、なぜ覆ったのか?

前回の記事では、森の「女がいると会議が長引く」発言が単に個人の失言ではなく、旧態のジェンダー観を背景にした一種のイデオロギー闘争であり、国際的な日本の評価につながる女性差別事件である、と指摘した。(「森喜朗=東京オリ・パラ大会組織委員会会長の辞任劇 何が問われていたのか」2021年2月13日)

そして当初の予測どおり、森の辞任(実質的な国内外の世論による解任)は休日の11日中に実行されたが、同時に森が後継を託した川淵三郎の会長就任が阻止されるという事態が生起した。

Jリーグ誕生、バスケットボール協会のゴタゴタ(競技団体が鼎立し、代表チームが選出できない)の解決など、実績と能力において誰しも認める川淵の会長就任が頓挫した。この事態に驚嘆した方も多いのではないか。

◆就任辞退は、官邸からの要請だった

もっとも「不祥事で辞任する会長に後継禅譲はふさわしくない」「密室人事であり、透明性がない」「爺爺交代では、国際的な評価が得られない」などの理由は、世論的には当然だと思われる。

だが、森が男泣きに川淵に「苦労」を打ち明けて後継を懇願し、川淵もまた家族の反対を押し切ってまで、大任を引き受けたのではなかったのか。川淵によれば、今回の件で批判を受けた森会長に「気の毒」「本当につらかっただろうなっていうんで、涙がなかなか止められなかった」などと「もらい泣き」したことを明かし、森氏に「相談役」就任要請を打診したことなどを明かしていたのだ。

「人生最後の大仕事」として、取材陣にこの人らしく上記の情報を開示しながら「引き受ける」と明言した決意が、見事にくつがえったのである。

川淵は会長を引き受けるにあたっては「(就任受諾の)外堀が埋められていた」とも語っている。ようするに大会関係者の推薦や了解が得られていたにもかかわらず、その翌日には当の本人が就任を辞退したのである。

これを驚天動地の展開と言わねば、なんと説明できるのだろう。本人は「流石に身体は綿のように疲れ切った感じです。偶には弱音を吐かせてください」(ツイッター)と、心身から疲れ切った心情を吐露している。相当の就任反対論、あるいは激しい批判があったものと推察できる。

川淵三郎2021年2月13日ツイッターより

そこで、いったい誰が森の密室禅譲路線をくつがえしたのかが、明らかにされなければならないであろう。森の禅譲も「密室劇」ならば、川淵の翻身も「密室」なのだから。

川淵が明かしたところでは、菅総理から「女性か若い人はいないのか」という主旨の発言があったことが知られている。これはのちに菅総理が明らかにしたとおり、間接的ながら森への苦言であった。IOCのバッハ会長も、女性の共同代表案を森に持ちかけたが、これも森が拒絶することで、最終的に川淵もふくめて国際的な孤立にいたる。あとは「透明な手続きを」という正論が通ったのだ。

このあまりにも当然の苦言には、しかし政界の暗闘、とりわけ自民党内のどす黒い派閥抗争という事情があった。すなわち政局だったのである。

◆加藤の乱に参画していた菅義偉

加藤の乱をおぼえておられるだろうか。

第二次森政権の2000年、自民党は森の神の国発言などで国民的な批判に晒されていた。森が党の顔では、選挙を戦えないというのが党内世論でもあった。

そもそも森政権は小渕恵三総理の脳梗塞による降板により、密室で選ばれた暫定政権である。

YKKトリオのうち、次期総裁にもっとも近かった加藤紘一は小渕派(旧竹下派)に担がれることを是とせず、イッキに派閥抗争に決着をつけようとした。すなわち、野党による森内閣不信任決議案に乗って、倒閣の党内クーデターを画策したのだ。これが加藤の乱である。周知のとおり、加藤の目論見は派内の一致もえられず、クーデターは事前に鎮圧。野中広務幹事長の党内引き締めによって、YKKは腰砕けになったのである。

じつはこのとき、加藤派の一員としてこのクーデター劇に参加していたのが、ほかならぬ菅義偉総理なのだ。このときの因縁は感情的なものではないにせよ、不透明な選出劇(森という政治家)を嫌う、ある意味では菅の潔癖さがみとめられる。

◆スポーツ長官就任を拒否された川淵三郎

じつは2015年のスポーツ庁設置のときにも、森はスポーツ庁長官に川淵三郎を据えようとしていた。大学の先輩後輩であり、涙をもって語り合ういわばホモソーシャルなコンビの策動は、しかし鈴木大地が長官に就任することで潰えたのだった。

このとき、官房長官として安倍政権の中枢にあり、川淵三郎のスポーツ庁長官就任に待ったをかけたのが、ほかならぬ菅義偉現総理なのである。

実績も手腕もじゅうぶんな川淵三郎がスポーツ長官に就任できなかった背景には、文部科学省の官僚たちが川淵を怖れていた、という指摘もある(二宮清純)。

というのも、川淵三郎が創出したJリーグシステムは、従来の学校スポーツ・企業スポーツの枠をこえて、地域と行政を動員した地域密着型の新生事物だったからだ。事なかれ主義の文科官僚たちにとって尺度がわからない、何をするかわからない人物というのが川淵三郎だったのである。

◆会長は誰になるのか?

現在、組織委員会は新任会長の選考委員会が組織され、新しい会長候補に橋本聖子五輪担当大臣、小谷実可子(五輪組織委員会スポーツディレクター・元シンクロナイズドスイミング選手)、山下泰裕(JOC会長)などの名が挙がり、橋本に一本化された(2月17日16時半現在)。今後は橋本を理事に入れ、そこから理事会で決定ということになるようだ。

橋本は政治家であるから、離党・大臣辞任・議員辞職が必要とされる。本人は固辞していると伝えられるので、政界(自民党)の橋本推薦をいったん受理して、橋本がさらに固辞した場合は、別の候補という流れになるのだろう。手続きを踏んだ、手堅い段取りと言えなくもないが、まだひと波乱ありそうな気配だ。


◎[参考動画]56歳橋本聖子大臣で一本化“ポスト森”18日午後選出へ(FNN 2021年2月17日)

しかしそれにしても、ふと気が付いて考えてみれば、スポーツと政治は親しくなり過ぎたようだ。

スポーツは資金を必要とするがゆえに、企業スポンサーを獲得し、税金を導きいれる政治の力をもとめてきた。これが森喜朗のスポーツ界における発言権、存在感(実権)の源泉であった。

◆政治とスポーツの一体化がもたらすもの

政治はスポーツを取り込むことで、国家主義的な国民意識の高揚、すなわち政治の求心力をもとめてきた。誰もが賛成するスポーツ振興、君が代日の丸の国民的普及、そしてナショナリズムである。

だが、一部の突出したスポーツ振興が、国民の健康に寄与するというのは錯誤であろう。

なるほど国際レベルでの日本選手の活躍は、一時的に国民のスポーツ熱をもたらすかもしれない。だが、外国人選手でかさ増ししたラグビー日本代表の活躍が観客増はもたらしても、ラグビーの普及に資していない現状があるという(日本協会関係者)。高校のラグビー部の低減、クラブチームの衰亡がそれだという。

野球やサッカーにおいても、学校スポーツとしては参加者が低迷している。スポーツのプロ化はそのいっぽうで、少年少女たちにスポーツ選手としての成功の難しさを明らかにし、やるスポーツから観るスポーツへと、国民の意識をぎゃくに後退させている現状があるのだ。国民の健康増進に寄与しないスポーツ振興は、たんなるショービジネスにすぎないことになる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

森喜朗=東京オリ・パラ大会組織委員会会長の辞任劇 何が問われていたのか

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会は、12日に評議員会と理事会の臨時合同会議を開催し、森喜朗会長の発言の辞任。事実上の解任となった。

あらためて言うまでもなく、この女性差別発言は森個人の問題ではない。東京オリンピックの開催を左右する問題、すなわち五輪精神を蹂躙する発言であるがゆえに、わが国の外交政治やスポーツ文化のみならず、日本国およびわれわれ日本人の国際的評価がかかる問題だった。

森元総理はもともと「サメの脳みそ」と批評されてきた人物である。2005年の「日本の国は、まさに天皇を中心にしている神の国」(神道政治連盟国会議員懇談会)なる発言。あるいは「(選挙に関心のない有権者は)寝ていてくれればいい」(総選挙)、「イット革命」(IT革命のことを)という誤解発言。「ここはプライベートですよ」(20年前、えひめ号沈没事故のとき、ゴルフ場に取材に来た記者たちに=この結果、総理を辞職)。「あの子は、大事なときに必ずころぶんですよね」(ソチ五輪で、浅田美央選手の演技に)。「パラリンピックには行きたくない」(ソチ五輪)。

まさに枚挙にいとまがない「失言」のオンパレードだが、今回の「女性が多いと会議が長くなる」は、果たして「失言」だったのだろうか? そして「辞任」で解決するような問題なのだろうか。


◎[参考動画]【ノーカット】五輪組織委 森喜朗会長 会見(TBS 2021年2月4日)

◆確信犯的な差別は、永久追放に値する

結論からいえば、森喜朗の今回の発言は、確信犯的な女性差別であるということだ。確信犯森のために再録しておこう。

「女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る」

IOCの男女共同参画の目標にしたがい、大会組織委員会にも女性理事を拡充する。この方針をめぐっての評議員会での発言である。したがって、放言や失言というのは当たらない。言葉が過ぎたと感じたのか、以下は自分の発言を自己フォローする内容となっている。

「私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる」

そして、これらの発言の前提として「テレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を選ぶというのは文科省がうるさく言うんですよ」と断っている。テレビ報道を前提にした発言でもあったのだ。

ようするに森が言いたいことは、五輪大会が男女平等をスローガンとしていることに対して、組織委員会は女性が多くては困るから従えない。「女性の発言が多いのは、組織の恥である」「わきまえた女性なら、理事に加えてもよいのではないか」というのが本意であり「わきまえない女性を入れるのは反対だ」と、確信をもって議論を提起しているのだ。

この「わきまえない女」が「意見を言う女」であるのは明白だ。ようするに、会議を早く終えたい空気を読まずに、議論を長引かせる女は困るから排除したい。という差別発言。五輪憲章およびIOCがめざす男女平等に反対を表明したのである。

したがって、発言の撤回や会長辞任をもって「解決」とすることはできない。スポーツ界から永久追放するべきではないか。

五輪憲章およびIOCの女性参加者拡充(「オリンピック・アジェンダ2020」による)の手前、発言をなかったことにするのが今回の辞任であれば、東京五輪は「女性排除を内包した」「大会の組織委員会前会長が女性排除の意見をもっている大会」として、永遠に歴史に刻印されることになるのだ。

そして森発言をわらって聴いていた評議員たち、発言の撤回・辞任をもって何もなかったことにする理事会も同罪である。すなわち、女性排除の意見をもった組織ということになる。さきの森の弁明によれば「辞任するつもりだったが、引き留められた」というのだから。

開き直りともとれる逆ギレ会見を想起してみよ。まったく反省していないうえに、老害であれば掃き捨ててほしいと言ったのだ。お前たちに俺を排除できるのならば、やってみればいいと言い放ったのである。

それゆえに、抗議活動が全国で始まった。Twitterでは「#森喜朗氏は引退してください」というハッシュタグがトレンドとなり、森氏の大会組織委員長の辞任を求める声が続々と寄せられた。大会ボランティア8万人のうち、390人が抗議の辞任をした(2月8日)。聖火ランナーからもタレントの田村淳が「人気のあるタレントは、あまり人が集まらない田んぼを走ったらいい」などという森発言に抗議して、参加を取りやめている。

◆ジェンダー改革先進国からの批判

海外からの意見、抗議も紹介しておこう。

駐日欧州連合代表部やドイツ、フィンランドの大使館などが抗議ツイートを連投した。森を名指しこそしていないが、手を挙げる女性たちの写真に、「#男女平等」「#dontbesilent(黙ってはいけない)」とハッシュタグを付けてツイートしているという。五輪組織委員会および自民党の“森会長擁護”は、国際世論と大きくかけ離れてしまっているのだ。

烈しい批判もある。

フランスの欧州問題担当相を務めたナタリー・ロワゾー欧州議会議員は、自身のツイッターで「森さん、女性は簡潔に話せますよ。例えば、あなたにお答えするには『黙りなさい』で十分」と不快感を表明したのだった。

カナダのアイスホッケー女子五輪金メダリストでIOCのヘーリー・ウィッケンハイザー委員も、自身のツイッターに「この男を朝食のビュッフェ会場で絶対に追い詰める。東京で会いましょう」と投稿した。

国内では為末大の「森発言に黙っているのは同罪」というアピールが男性たちを覚醒させた。発言をしにくいアスリートたちからも批判の声はあがった。

このあまりにも激しい批判ゆえに、当初は「発言撤回で解決した」としていたIOCも、正式に「森会長の発言は、完全に不適切」と公式発表せざるを得なかったのだ。

◆差別とは何か?

森に「差別に関する知識がない」(大坂なおみ)そして、森みずから「老害」というのならば、基本的なことから始めなければならないであろう。

たとえば『紙の爆弾』の差別的な記述について、部落差別および部落解放運動を知らない人が思ったよりも多かったことからも、差別問題は基本的なことを踏まえる必要があるだろう。まさに「無知は差別」なのである。

まず、人類がみな平等で、尊重される存在である。という人権意識が前提である。森も形式的にはこれを承認するかもしれないが、本心にはないから差別発言をしてしまうのだ。じつはわれわれにも問い返されるのが、この差別意識である。それは水や空気のように存在する、と形容しておこう。

その自覚のうえで、差別問題とは「いわれなく、不当な扱いを受ける不利益」「不当に蔑視される不利益」「不当な除外と拒否行為」その結果「傷つけられること」である。そしてその本質は、今回の問題に引き付けていえば「女性蔑視」と「男尊女卑」の「ゆがめられた性文化(ジェンダー)」である。

そしてそれは、社会構造として厳然と存在する。社会的慣習として「女は控えよ」という封建的な思想だけではない。経済格差にも反映されているのだ。

女性の賃金は民間の給与調査で男性の半分におよばない。男性が530万円として、女性は250万円である。派遣やパートは圧倒的に女性が多く、その年収は正社員と同じ労働時間でも200万円に及ばない(時給1000円)。

役割分担はどうだろう。女性管理職は民間の課長クラス以上で7.5%、政治では閣僚が5~10%である。ようするに女性差別は、現実に根拠のある差別なのである。

それは家庭内分業や能力の反映だと、男尊主義者は言うかもしれない。だがたとい能力差があっても、男女共同参画を選んだのがわれわれの社会なのだ。平等な幸福権の追求、能力差をこえた参加型社会という理想を、日本社会もめざしているのだ。すくなくとも、能力に応じて得られる幸福は、不当な差別によって阻害されてはならないのである。

◆意外な自民党内の反応

そしてその現実に根拠のある差別(今回はジェンダー)は、感覚的に被差別者(今回の場合は女性)に不快感を与えるものだ。したがって男性は、ある程度の想像力をもって、これを感得しなければ理解できない。

自民党にとって不幸なのは、想像力のない人物が党の中枢にいることだろう。

二階俊博幹事長は、ボランティアの辞退が相次いでいることについて、

「落ち着いて静かになったら、その人たちの考えも変わるだろう」とした上で、「どうしてもお辞めになりたいということなら、新たなボランティアを追加することになる」と述べるにとどまった。事態の本質が想像できないのである。

「余人をもって代えがたい」

そう言って森会長の続投を支持したのは、世耕弘成参院幹事長である。

「(問題は)ここで収めて、五輪開催に向けて準備に邁進することが重要」と擁護してみせた。森の「功績」や「能力」と、今回の問題は別である。

「日刊ゲンダイ」によれば、「かつて、自民党の清和会を率いて首相まで経験した森会長の面倒見のよさは、永田町で有名です。多くの自民党議員が『森さんには世話になった』と思っている。要するに、森会長と『貸し借り』の関係が出来上がっているわけです。だから、“身内”である自民党議員の多くは、余計なことは言わないというわけです」(自民党関係者)という。

世界的な流れ、そして国内世論の流れが雪崩を打って森解任に向っていることすら、自民党村の村民たちは想像できなかったのである。

◆稲田朋美衆院議員の森批判

そんな中で、森会長に近いと見られている稲田朋美衆院議員が「私は『わきまえない女』でありたい」と、ツイッターで森批判をした。

稲田はみずからLGBT運動に参加するなど、保守派から愕かれる行動でも知られている。この人に政権を預けたら(かつては、安倍の後継構想だった)、まちがって戦争を始めてしまう(防衛省時代の管理能力不足)かもしれないと思われたものだが、ここでは信念をつらぬいた。

いっぽうで、これまで政界の男社会を批判し、女性の政治参画を訴えてきた自民党の野田聖子幹事長代行は、当初は森批判を封印してきた。おそらくポスト菅の隠し玉とされている(自民党関係者)ことで、男性議員を敵に回したくなかったのであろう。立憲民主党の女性議員たちが、婦人参政権運動にちなむ白いスーツで本会議と予算委に登場したのに対しても「わたしは言葉で政治をやります。白いスーツは着ません」と応じていた。

ところが10日になって、森発言を批判。辞任しか事態の収拾はありえないと会見したのである。

「今の時代の枠組みの中からすると、間違った発言だった」と指摘し「日本の国そのものがミスリードされることを懸念している。しっかりと多くの声を受け止め、自ら方向性を示していただければと願っている」

小池百合子東京都知事も、17日に予定されているIOC会長をふくめた四者会談への「欠席」を明言し、暗に森会長の辞任をせまった。これらは明らかな政治判断である。

ほかにも、早い段階で「邪魔です。出処進退は潔く」と森辞任を求めていた後藤田正純。さらには「国益を損なった森会長は辞任すべき」「この件でボイコットが行なわれたら、東京五輪は開催できなくなる」と、森元総理寄りの山本一太群馬県知事も退陣要求となった。ここに至って、森の命運は尽きたというべきであろう。

いずれにしても、森が会長職に執着し、周囲がそれを忖度していれば、東京オリンピックの開催そのものが危機に陥る事態となっていたのだ。そして自民党の総選挙での敗北も、この問題の処理に菅義偉が何ら態度を明確に出来なかった。そのことで、三度目の政権交代・自民党下野への機運がいっそう強まったと指摘しておこう。


◎[参考動画]Tokyo 2020 安倍マリオ(Al Jazeera Turk 2016年8月22日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

試合用グローブの色分けは必要か? 堀田春樹

◆昔は同一色

試合で使われるボクシンググローブ、昔は赤色(赤茶色のような深い朱色)グローブが主流。古くはもっとドス黒い赤紫色もあった。日本製(Winning社製)グローブを使用する日本のプロボクシングやキックボクシングはそれが普通だった。それしか無かったとも言える。それが今や外国製で何色も揃い特注も可能、グローブもファッション化してきた時代である。

新日本キックでは主にタイトルマッチで黒vs黒を採用した
モノクロでは明暗差のみ。色は分からない

◆色分け、なぜ始まったか

22~23年程前、取材で訪れたプロレス系の異種格闘技マッチで、両選手のグローブが赤と青に振り分けられていた。このシステムはK-1から真似したものだろうとは推測。

両者を見分け易いなと思ったが、すぐに違和感を覚えた。打撃競技で直接相手の顔面をヒットさせるグローブが、両者の色が違っては公平性は保たれていないではないかと思った。それは色彩によって心理的影響があると思ったからである。

それまでにアメリカ製、メキシコ製といった外国製は何色もあったと思うが、両者のグローブの色の振り分けすることは殆ど無かった。それがK-1から始まり、後にキックボクシング各団体が採用し始めた。更には、後発のイベントものの真似はしないだろうと思っていたプロボクシングも遅れて始まった。そんな疑問を当時のJBC役員に聞いて見たことがあった。

当然、色彩的影響も把握しているというもので、当初は振り分けは行なわなかったが、やっぱり見分け易いという意見が大半で採用に至ったようであった。

実際の試合で選手がそんなグローブの色で有利不利があるかと言えば、色の好み自体はあるだろうが、ほとんどの選手が気にしない、意識しないのだろう。

1990年代までは赤vs赤が主流

最近、リングサイド関係者の意見を10数名に聞いて見たが、「観客や審判団が見てもグローブの色が違うと両者を見分け易いと思う。」と語り、反対意見は一人も居なかった。

選手側の意見では、「最近のWOWOWエキサイトマッチを見ると試合は勿論ですが、グローブの色とメーカーをチェックしてしまいます。」といった声や、「相手の動きを見て戦うので、試合中にグローブの色は意識したことはないですが、タイの先輩トレーナーが、黒のグローブはパンチが見え難いという意見を聞いたことがあります。」といった声を聞くことができた。

これは世界的にも定着し、ムエタイに於いても定着してきた色分けシステムである。
大方の意見も試合に与える不利な影響は無いと考えられるが、さすがに白と黒の振り分けは明暗差が大き過ぎるので止めた方がいいかもしれないとは思う。

◆違和感持つ選手、プロモーターもいる

それでも業界の中には色の影響を察する選手やプロモーターも居たのも事実である。派手な色と地味な色のグローブが同等の強さとヒット数があった場合、審判(副審)から見て派手な色に意識が働くのではないか。それは見た目の判断より、潜在意識からくる錯覚。

また照明やリングマットの色によってグローブの色にも心理的に影響するのではないかといった総合的な不平等性を鑑み、グローブの紐を縛る手首部分に赤と青のテープで振り分ける対処をする団体やプロモーターが現れた。

ある総合格闘技系の試合で、両者同意の下、2色の好きな方のグローブを選べるルールの試合では、色彩による影響を考える選手は「青いマットのリングでは青のグローブを選ぶ。」という選手が居た。対戦相手から見れば多少でも見難くなる心理作戦であった。

現在の主流、両陣営コーナー色
現在、NJKF興行で採用されている赤と青はDONKAIDEE製
黄金色もあるWinning社製(画像提供:TEAM KOK代表 大嶋剛)

◆全身カラフルな時代

昔はトランクスの色を義務付け両者が振り分けられていた。しっかり徹底されていた訳ではないが、赤コーナーは赤系統と白、青コーナーは青系統と黒。しかし、トランクスも選手の希望するデザインが流行りだしたことで、次第に強制し難くなり、グローブの色分けは止むを得ないと改訂されてきたことも否めない。

昔は名前が売れていない前座の新人選手に対し、「赤パンツ頑張れ、青パンツガード上げろ!」といった声援もあったものだ。今や名前の縫い取り部分以外は赤地や青地、白地や黒地一色のトランクスが懐かしい。

更には「最近の派手派手なグローブに合わせて御洒落を施したトランクスは、観ている方はテンション上がって楽しい。」という意見もある。

グローブについては品質向上により各メーカーも黄金色、迷彩柄、スポンサーのロゴ入りなどデザイン化され多彩に進化してきた。魅せるファッションも重視されるような時代になったものである。

20年以上前に問題継起(新聞のコラムにも掲載)したこのグローブの色分け問題はより一層不要のものとなってきた。

前回の計量後のリカバリーに於いて、選手にとっていかに体力回復させるかのコンディション調整が一番で、グローブの色など些細なこと過ぎてどうでもいい話だろう。遠めの観客席から見ても分かりやすく、テレビ映りも良く、審判団から見ても誤審に繋がらない等の最もな意見で賛成者多数。

キックボクシングにとってもう一つ御洒落に魅せることが出来るものにアンクルサポーターがある(プロボクシングに於いてはボクシングシューズ)。これも派手派手なカラフルな色で登場した選手が居るが、更に髪型も拘ることが出来るアイテムで、今後も茶髪にギンギン色トランクス、ギラギラ色アンクルで登場する選手はいるだろう。戦後のプロボクシングから見れば派手な時代(良く言えば進化)となってしまった。時代の流れとは、ロートルの意見では止められない勢いがあるものなのである。

昔懐かしい昭和のWinning社製グローブ

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

新型コロナウイルス感染拡大の危険を孕むスポーツジムの時間短縮 林 克明

◆法律にもとづかない「お願い」

《スポーツジムの時間短縮営業は、本当に危険だ。3日ほど前から近所のジムが夜8時で閉まるようになった。閉まる直前に人が集中し、ほとんどコロナ前と同じ感じ。夜11時まで営業のときは、人が分散してまばらだった。なぜ人が密になるようなことをするのか。夜8時まで営業という同調圧力のせいだろう》

これは、新型コロナウイルスに感染リスクを心配した筆者が1月17日にFacebookに投稿した内容である。

2月2日、栃木県を除く10都府県を対象に緊急事態宣言を1か月延長すると政府は決めた。1月7日に11都府県に緊急事態宣言が出され、2月7日まで昼も夜も外出自粛を要請し、飲食店を中心に営業を夜8時までに短縮するように要請してきた。

なぜ、8時で営業を止めると感染者が減り、それ以降営業していると感染者が減らないのか。「なるほど」と納得するような根拠がわからない。

時短営業の対象者は主として飲食業である。とくに酒類を提供する事業者は夜7時にアルコール提供を止め、8時には店を閉めろという要請内容だ。

このほか、スポーツジムやパチンコ店、雀荘、映画館等にも営業時間短縮の「お願い」をしている。しかし、こうした業種に対しては、法律に基づかない「お願い」なので、協力金などの補償は出さない。

だから、飲食店ばかりか、広範囲のサービス業従事者が相当な打撃を受けるだろう。肉体的には生存していても、社会的・精神的に死ぬ人は膨大になると思う。


◎[参考動画]緊急事態宣言延長で分科会 「対策強化」提言(TBS 2021年2月2日)

◆8時営業停止でスポーツジムは人が密集

「8時以降の営業中止」に疑問を感じていた1月11日か12日の18時50分ころ、筆者は近くのスポーツジムに行った。受付で熱を測り会員カードチェックを経て館内に入ったとたん、いつものと違うとすぐ気づいた。

ロビーに人が多いのである。ロッカールームに行くとさらに驚いた。空いているロッカーをすぐ探せなかったのである。

というのは、感染拡大防止策として、一つおきにロッカーを封鎖し、隣どおしで利用できないようにしてあるからだ。空いている場所がほとんどなく、一番隅にある不便な場所のロッカーをようやく確保した。

トレーニングマシンやスタジオ、フリーウエイトのスペースがある階に行ってみると「いつもと景色が違う」とハッとした。

ランニングマシーンは、9割がた人で埋まっており、エアロバイクも空いているのは一つか二つ。

ダンベルやバーベルを使用するフリーウエイト・ゾーンに行くと人が多く、ダンベルなどを扱っているとほかの人にぶつかりそうで危ない。

ウエイトトレーニング・マシーンも、機械が空くのを待っている人がいる。

これは完全にコロナ以前の日常風景だ。というより、筆者が通っている時間帯に関しては、コロナ以前より混んでいる。いまこの時期にはありえない“幻影”を見ているようだ。

運動を終えて風呂に行ってみると「ああ、ダメだ」と思わず声に出しそうになった。カランは全く空いていないし、サウナの前には次に入ろうとする人が待っている。

浴槽も入るスペースがない(詰めて入れば可能ではあるが)。腰かけることもできず、浴槽にも入れない数人が、ただ立っている。

翌日以降も、同じような状態だった。政府や自治体の要請にしたがって営業時間短縮を実施したことで、感染リスクは高まったのだ。これは、他のスポーツジムでも同じだろう。

◆夕方5時から8時に顧客が集中

どの施設でもそうだと思うが、筆者が通っているジム(東急スポーツオアシス)では、新型コロナウイルス感染拡大のため、大変な努力をしてきた。

冬でも数か所の窓を開けて換気するのに加え、機械を使って室内の空気を外に出す。ロッカーは一つおきにしか使えない。あらゆる場所にアルコールとペーパータオルが用意され、スタッフや会員が頻繁に使用した器具や場所を吹いてウイルスを除去するようになっている。

もちろん、ランニングマシーンやエアロバイクは透明のパーテーションで区切ってある。スタジオを利用したレッスンも時間帯や人数を制限は当然のこととして行われてきた。風呂場には風呂内のマスクなしでの会話禁止を訴えるノボリも。

定期的に館内放送で、感染拡大防止のための具体的な行動を呼びかけ、利用者もこれに応じてきた。

せっかく、スタッフと利用者ともども創意工夫と努力を重ねてきたのに、8時営業終了によって、どう考えても感染リスクが高まってしまったのである。

おかしいと思っていたら、1月27日、スポーツジムから会員向けメールが届いた。2月1日から7日までを通常営業に戻すという内容である。

《ご利用状況を調査した結果、特に17時以降の利用率が顕著に高くなっておりました。 社内で検討した結果、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、混雑緩和へ向けた取り組みとして、ジム、プール、ロッカー、浴室のご利用を通常営業時間に変更させていただきます》(送信されたメールより抜粋)

きわめて妥当な判断だろう。日経電子版(1月8日付)によれば、スポーツジム大手のコナミスポーツ、ティップネス、セントラルスポーツ、RIZAPグループなども夜8時までの営業時間短縮を実施するとされていた。

スポーツジムにおける営業時間短縮は、経済的被害を拡大さるばかりか、感染拡大防止の観点からも誤りだったとみていいだろう。さっそく各社は方針転換をはかるべきではないか。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

マー君復帰報道で浮き彫りになった楽天とカープの「歴史」の違い 片岡 健

プロ野球12球団のうち、楽天イーグルスと広島東洋カープはよく似たところがいくつかある。

まず、それぞれの本拠地である仙台と広島は、本州の端っこのほうにある地方都市で、両球団共に地元では圧倒的な人気がある。また、楽天は親会社の創業者である三木谷浩史氏、独立採算制のカープはオーナーの松田元氏がいずれも球団内で絶対的な存在であるところも似た点だ。

もっとも、両球団は球団としての歴史が大きく異なり、それゆえに文化や考え方も対照的だ。それが鮮明になったのが、先日、楽天の元エース「マー君」こと田中将大投手がMLBヤンキースから楽天に復帰が決まった時だった。

◆元エースの復帰を球団ホームページで発表した楽天に対し、カープは……

まず、楽天は田中投手が復帰するという情報をどのように発表したか。

球団ホームページで「マー君復帰」を発表した楽天

楽天は1月28日午後5時30分頃、この情報を球団ホームページで正式発表した。それをうけ、各メディアが次々に速報を配信した。球団の正式発表と共にヨーイドンで報道合戦が始まったわけだが、たちまち広まった「マー君が楽天に復帰」という情報は国内はもとより、米国の野球ファンたちにも驚きを与えていたようだ。

一方、カープでも6年余り前によく似たことがあった。かつてチームのエースだったMLBヤンキース黒田博樹投手の電撃復帰だ。MLBで5年連続二桁勝利を収め、複数球団から年俸20億円前後のオファーがあった中、年俸4億円の条件で愛着のある古巣に復帰した黒田投手の決断は「おとこ気」と言われ、社会的な関心事になったほどだった。

そんな黒田投手の復帰について、第一報を伝えたのは中国新聞だった。同紙は2014年12月27日、この情報を朝刊1面で〈黒田、カープ復帰へ〉と単独スクープしている。カープは同日、黒田投手のカープ復帰を正式発表したが、地元紙である同紙にだけは前日に情報を伝えていたわけだ。

田中投手の復帰を球団ホームページで発表した楽天の場合、特定メディアを特別扱いしなかったどころか、全世界に同時にこの情報を伝えたわけで、両球団の情報発信の仕方は好対照である。

黒田投手のカープ復帰を単独スクープした中国新聞(2014年12月27日朝刊1面)

◆元エース復帰の伝え方がなぜ、こうも違うのか

さて、私がここでしたいのは、楽天とカープのどちらが良くて、どちらが悪いという話ではない。

楽天の場合、親会社はオールドメディアに対抗する形で台頭してきたIT企業の代表格である。それが今回の「球団ホームページで全世界に一斉発表」という形になって現れたのだろう。

一方、カープは戦後間もない被爆地に市民球団として誕生して以来、地元の財界に支えられ、存続してきた歴史がある。他ならぬ中国新聞もカープを支えてきた地元有力企業の1つだ。それが「中国新聞は特別扱いして当たり前」という形になって現れたのだろう。

よく似たところがある2球団でよく似たことが起こり、それによって両球団の歴史の違いが鮮明になった。私は単純にそのことを興味深く感じたのである。

この両球団が今年の秋、日本シリーズで相まみえるようなことがあれば、田中投手が投げる日はぜひ、黒田氏にテレビ中継の解説をお願いしたい……と思ったりもしたが、両球団の戦力的に実現は難しかったりするだろうか?


◎[参考動画]田中将大投手が楽天復帰 背番号は「18」(TBS 2021年1月30日)

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。拙著『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

格闘群雄伝〈12〉北沢勝──ドラマーから異色の転向、隠れた素質、気合と根性でチャンピオンへ! 堀田春樹

◆バンドからダイエットへ

北沢勝(1968年10月10日、東京都大田区出身)は26歳でプロデビューし、あまり注目される存在ではなかったが、頑丈な体格とバンド時代からの得意技の気合と根性で日本ウェルター級チャンピオンに上り詰めた。

北沢勝は高校時代にコピーバンドを始め、後にSHELL SHOCKというバンドに誘われ、ドラマー担当をした。卒業後もアルバイトしながらスタジオでレコーディング。ライブをして全国をツアーするという生活だった。

「ライブが終わったら飲み会。そんな生活をしていたら太り始めて80kg超え。何かダイエットしなくてはと思いました。」という北沢は元々プロレスファンで、当時UWFに夢中だったが、テレビで安生洋二と対戦するチャンプア・ギアッソンリットのミット蹴りを見た衝撃でムエタイこそが最強と確信し、これがキックボクシングを始める切っ掛けとなった。

SHELL SHOCKのリリースされたCDの一枚、いちばん右側が北沢勝(提供:北沢勝)

◆ムエタイから学ぶ

1993年4月、ダイエットにはキックボクシングをと、家から近くのジムを探すと目黒ジムが見つかったが、そこは名門といった歴史は知らないまま入門。

それまでスポーツというスポーツはやったことは無かったという北沢は腹筋が割れるほどの筋肉質のダイエットに成功。こうなると目指すはプロデビュー。チャンプアの蹴りの影響から始まった本場ムエタイの体験を希望すると、先輩に勧められるがまま翌年2月、バンコクのソー・ケーッタリンチャンジム(後々ゲーオサムリットジムへ移行)での修行に向かった。バンドは我儘を言って辞めた後だったが、辞めた以上は強くならねば恰好がつかない追い詰められた立場でもあった。

渡タイ目的の一つはムエタイ観戦だった。週に三日は夕方の練習が終わると一人でスタジアムに向かって、出来る限り間近で一流の試合を観て、技を真似て練習で実践して、またそこで一流のトレーナーに修正してくれたことが後々役立っていった。

1994年11月25日、ライト級でデビューすると10戦目に日本ライト級1位の今井武士(治政館)に判定負けするまでは、一つの引分けを挟み8連勝(3KO)。26歳でデビューは年齢的には遅いデビューだが、ランキング上昇は努力と研究の賜物。身体が頑丈でコツコツ頑張る気持ちのある努力型という周囲の見方が多かった。

デビュー1ヶ月前のタイでの練習(1994年10月17日)
伊東マサル戦に備えた目黒ジムでの練習(1996年1月24日)
伊東マサル(トーエル)戦は判定勝ち(1996年2月9日)

1998年8月には元・ラジャダムナンスタジアム・ウェルター級チャンピオンだった第一線級から離れて間もないパヤックレック・ユッタキットと68.0kg契約で対戦の話が舞い込んだ。人生最大の危機……いやチャンス。これを逃せば悔いが残ると思うと断る理由は無かった。結果は重い蹴りを受け続けた判定負け。無事生きて帰れたと安堵するが、下がらぬ戦いに周囲の評価は高い。

北沢は身長が170センチには至らず、周囲から「ライト級でも低い方!」と言われたり、体格を活かす為にも1998年末まではライト級登録のままリミット超えの契約ウェイトで頑張ったが、鷹山真吾(尚武会)との日本ライト級挑戦者決定戦は、走っても利尿剤を使っても体重はリミットまで落ちず、ウェイトオーバーという屈辱的な失態は残酷な展開で判定負け。

後日、偶然前回対戦のパヤックレックと会うと、「アナタ、私と試合したのに何、この前の酷い試合は! 今後はウェルター級でやりなさい!」とダメ出しされ即答で承知。小野寺力先輩方にも諭されていたが、「後々思えば無理してライト級でなくてもよかった。ムエタイボクサーにもいろいろなタイプが居た。そこから背が低くてもその戦い方があるのだ」と悟った。「スーパーライト級があればいいのにね。」という声にも「ウェルター級では俺が一番強いからスーパーライト級なんて必要ないですよ。」と笑って返していた。

武田幸三から健闘を称え合う笑顔(2000年1月23日)
武田幸三(治政館)戦、アッパーが鼻をかすめる、棒立ちで次に繋げない(2000年1月23日)

◆チャンピオンへ上り詰める

北沢勝はウェルター級に上げ、適正階級となると3連勝し、2000年1月23日、日本ウェルター級タイトルマッチに挑んだ。チャンピオンはタイ・ラジャダムナンスタジアム王座に挑む前の武田幸三(治政館)。「武田を倒せばラジャダムナン王座挑戦権は俺のもの!」という図式は成り立たないが、全てを奪いに行く覚悟で挑むも、武田の蹴りは速くて上手かった。武田を苦しめ善戦はしたが「武田には負けると思っていたけど、よく頑張ったな!」と言われるのもそう思われるのも嫌いだった。

「あそこまでの引き出ししか無かった。もっと頭使って技を出していればと思います。アッパー当たっても棒立ち状態で、次に繋げていない。」と反省の弁は多いが、「やっぱり北沢は凄いよ!」という声は多かった。

2002年1月27日、次のチャンピオンとなっていた米田克盛(トーエル)から王座奪取。チャンピオンにはなったが、国内無敵の武田幸三を倒せなかったことが心残りも再戦は叶わなかった。

北沢は新日本キックボクシング協会が年一回行なっていたラジャダムナンスタジアム興行「Fight to MuayThai」にはチャンピオンとして2回出場。

2002年のラジャダムナンスタジアム初出場の際には「ビデオで見てた計量のシーンとかに自分が居る。感慨深いという言葉では表せないような舞い上がりでした。」という大舞台に立つ感想。

更に「相手のフェートサヤームはゴツゴツした腹筋は無く、三流のタイ人を連れて来たなと思っていたら、ゴングが鳴った瞬間に貰った蹴り、パンチのあまりの重さにイヤな予感がした瞬間にヒジ打ちを貰って流血。日本人観戦ツアーもいる中、もう死ねるもんなら死にたい、でもその前にお前を殺す。と立ち向かったタフネスさで、最後はフェートサヤームが諦めるように倒れ込んでKO勝ちはしたけど、誰が一番強かったかと言われたら、武田幸三でもパヤックレックでもなくフェートサヤームでした!」というラジャダムナンスタジアム初出場の感想だった。

[左写真]米田克盛(トーエル)から王座奪取(2002年1月27日)/[右写真]初のチャンピオンベルトを巻いた北沢勝(2002年1月27日)
庵谷鷹志(伊原)をKOし初防衛(2003年1月26日)

2003年1月26日、北沢は庵谷鷹志(伊原)にKO勝利で初防衛後、ヒジ関節を手術する時期はあったが、リハビリも順調に進み、ブランクを空けるつもりもなく試合出場の準備は整えていたが、出場停止でもないのに試合が組まれない時期が9ヶ月続いた。その間にランキング1位の米田克盛がムエタイ王座挑戦となれば、やりきれない気持ちになるのも当然だった。ブランク明けの外智博(治政館)とのノンタイトル戦は凡戦の引分け、2年目「Fight to MuayThai」は判定負け。翌2004年1月25日には米田克盛に判定負けで王座を奪回されてしまう。

最終試合が2004年5月8日、阿佐見義文(治政館)戦は1ラウンドKO負けで、不甲斐ない試合が続くに至ったと悟り、リングを去る決意をした。

◆ジム経営を任せられる

引退後は小野寺力氏のRIKIXジムや現役時代にお世話になったジムでトレーナーとしてお手伝いを続けていたが、現役時代のスポンサーで応援団長だった「がぜん」という全国規模の居酒屋チェーン店のオーナーからジム経営を任された。「まさか自分がジム経営なんて!」と戸惑う間もなくジム会長として、ジム名は幾つも候補が却下される中、西岡利晃が対戦したレンドール・ムンローの腹筋が6パック割れより凄いと言われていたことや、タイでは9がラッキーナンバーというこじつけが認可され“ナインパック”に決まり、2011年3月1日、足立区関原の東武伊勢崎線西新井駅から近い地域にオープンとなった。

キックボクシングはチャンピオンになっても生活が成り立たない職業。チケット売りながら将来のことも考えながら暮らしていたら勝てるものも勝てない。そんな苦労を経験した北沢は「毎日お酒を飲んでも腹筋は割れるよ!」という誰でも出来るダイエットや健康増進をモットーに、「プロで教わったパンチや蹴りの効果を教えて、会員さんが試合観ても技の解説できるような楽しめる教え方をしたい。」と語る。現在は会員数が150名ほど。入会が増えたと思っても退会も多かったり、関わってみてわかるが、経営は難しい部分が多いという。

ジムへ務める今はバンドのSHELL SHOCKからも復帰の声も掛かるという。新たな展開が見られるかもしれない北沢勝のバンドの活動にも進展があるならば注目したいものである。

ナインパックジム会長北沢勝 M-150(タイで有名、エナジードリンク)を持つ(2021年1月7日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

太平洋の荒波を行くがごとく、厳しい船出のJKA「CHALLENGER 1」

コロナ禍の緊急事態宣言再発令の中、ジャパンキックボクシング協会(JKA)3年目の新春興行は、元・ラジャダムナンスタジアム・ウェルター級チャンピオンの武田幸三氏がプロモーターとして開催する興行「CHALLENGER 1」

名付けたのも武田幸三氏。この時代の荒波を乗り越えるチャレンジがテーマ。将来的にはこの団体と、更に業界を支える一人となっていくであろう武田幸三氏です。

WMOインターナショナル王座は昨年11月22日、フェザー級王座決定戦で、瀧澤博人(ビクトリー)がジョムラウィー・レフィナスジムに僅差の判定勝利で王座獲得。今回はスーパーバンタム級で王座決定戦となり、馬渡亮太が倒せぬ消化不良も判定勝利で王座獲得。

この日、芸人レイザーラモンHGがいつものコスチュームで、セレモニーでの司会を務められた。オープニング宣言では素顔とスーツ姿でリングに立ったが、全く気付かない観衆。パフォーマンスでは武田幸三氏との絡みで、さすがにプロのトークをしっかり見せてくれました。

レイザーラモンHG御登場、武田幸三と“フォー”

◎CHALLENGER 1 / 1月10日(日)後楽園ホール 18:00~20:40
主催:治政館ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)、WMO

◆第7試合 WMOインターナショナル・スーパーバンタム級王座決定戦 5回戦

馬渡亮太(前・JKAバンタム級C/治政館/55.2kg)
    vs
クン・ナムイサン・ショウブカイ(元・MAXムエタイ55kg級C/タイ/55.34kg)
勝者:馬渡亮太 / 判定3-0
主審:チャンデー・ソー・パランタレー
副審:椎名49-48. アラビアン長谷川49-48. シンカーオ49-47
立会人:ナタポン・ナクシン(タイ)

馬渡亮太のタイミングいい左ハイキックでクン・ナムイサンの前進を止める

馬渡は様子見でハイキック、ヒザ蹴り、前蹴り等の鋭いけん制が引き立つ。クン・ナムイサンもテクニシャンで負けず劣らず応戦するが、馬渡のヒザ蹴りが徐々に効いてくると、第3ラウンド終了時には呼吸が荒い様子。

強気な様子は伺えるが次第にスタミナ切れ、最終ラウンドには馬渡の前蹴りをボディーに貰うと嫌な顔をして、間を取る横を向く素振り。それはレフェリーが認めていないが馬渡も遠慮気味に攻めない。

そんな前蹴りヒットによるダメージ誤魔化しが二度あったが、その後は距離をとったまま流して終わるようなムエタイの慣習をやってしまうと、観衆人数制限ある少ない観客からでも野次が飛ぶ。馬渡優勢の展開ではあったが、不完全燃焼の念が残る結末となってしまった。

馬渡は試合後、「もっと強くなって、次は倒せる選手になって帰ってきます」と語った。

馬渡亮太の左ハイキックが巻き付くようにクン・ナムイサンの首を捕える
新たなチャンピオンベルトを巻いた馬渡亮太、更なる上位を目指す
モトヤスックの右ミドルキックで野津良太を突き放す

◆第6試合 ウェルター級3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.モトヤスック(治政館/66.6kg)
    vs
NJKFウェルター級2位.野津良太(E.S.G/66.3kg)
勝者:モトヤスック / TKO 2R 2:36 / カウント中のレフェリーストップ
主審:少白竜

上背で上回るモトヤスックに野津良太は距離を縮めてパンチ、ヒジ打ち、蹴りで積極的に攻める。モトヤスックのスピードある蹴りが野津の脇腹にヒットすると赤く腫れだす。首相撲になればモトヤスックが圧し掛かるような技が優る。

第2ラウンドには右ストレートをヒットさせると一気にコーナーに詰めて連打するとほぼロープダウンの形でカウントを取られ、足下定まらない野津をレフェリーが止めた。

モトヤスックは全試合終了後にはこの日のMVPとなるの武田幸三賞が贈られた。

モトヤスックの右ストレートから連打に繋いで仕留める
この日のMVPはモトヤスック、武田幸三賞が贈呈された

◆第5試合 バンタム級3回戦

JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/53.2kg)
    vs
ジョムラウィー・ブレイブムエタイジム(タイ/53.0kg)
引分け 0-0
主審:椎名利一 / 副審:松田29-29. 仲29-29. 少白竜29-29

やや距離ある中でのローキック、前蹴り、パンチの攻防。石川にとって得意の首相撲には持ち込めない展開。互いの攻めは強烈なヒットは無いまま進むが、ジョムラウィーの蹴りの駆け引きがやや優る攻勢。石川はやや不利に進むも最終ラウンドには石川がパンチで攻めた積極性がやや有利に動いたか引分けに終わった。

(ジョムラウィーはレフィナスジムからブレイブムエタイジムに変更されています。)

ジョムラウィーを掴まえきれなかった石川直樹、パンチで攻勢をかけた

◆第4試合 70.0kg契約3回戦

JKAミドル級1位.光成(ROCK ON/69.5kg)vs JKAウェルター級1位.政斗(治政館/69.5kg)
勝者:政斗 / 判定0-3
主審:桜井一秀
副審:椎名28-30. 仲28-30. 少白竜 29-30

光成は手数は少なめ。圧力をかけ前進するのは政斗。強いヒットは無いまま進むが、最終ラウンド終盤、組み合ったところで政斗のヒジ打ちがヒットし光成の額が切れ、攻勢を保った政斗が判定勝利。

光成vs 政斗。政斗のヒジ打ちが光成にヒット

◆第3試合 バンタム級3回戦

義由亜JSK(治政館/53.0kg)vs 景悟(LEGEND/52.9kg)
勝者:景悟 / 判定0-3
主審:松田利彦
副審:椎名27-29. 桜井28-30. 少白竜28-29

景悟は新鋭ながら昨年10月に元・日本フライ級チャンピオン.泰史(伊原)と引分ける実力を見せている。両者の攻防は幼い頃から始めたアマチュア(ジュニアキック)の技が冴え、最終ラウンドに景悟が右のパンチでノックダウンを奪い、残り時間少ないところで再度のパンチで義由亜JSKの腰が落ちかけるもそのまま終了に至り景悟の判定勝利。

義由亜JSK vs 景悟。景悟の高く上がる脚、ハイキックで義由亜を攻める

◆第2試合 フライ級3回戦

空明(治政館/50.5kg)vs 吏亜夢(ZERO/50.4kg)
勝者:吏亜夢=リアム / KO 2R 2:50 / テンカウント
主審:仲俊光

◆第1試合 55.0kg契約3回戦

樹(治政館/54.0kg)vs 猪野晃生(ZEEK/54.5kg)
勝者:樹 / TKO 1R 2:00 / カウント中のレフェリーストップ
主審:椎名利一

※55.0kg契約3回戦  西原茉生(チームチトク)vs 中島大翔(GET OVER)は西原茉生の練習中の右手骨折の負傷により中止

《取材戦記》

大会場でテレビ生中継されるビッグイベントと違い、こじんまりした昔ながらの後楽園ホール興行。これはこれで昭和の雰囲気があっていいものです。新春興行としては寂しい内容でしたが、コロナ禍では仕方無いところでもあります。

手に痛々しい包帯が巻かれた負傷欠場した選手に対し、「俺は試合三日前にスパーリングで右拳骨折したけど試合に出たぞ!」と言った某レフェリー。昭和の時代は会長が「そんなもんで休むんじゃねえ!俺らの頃は……!」とまた更に前の時代を引き出して厳しいこと言われたらしい。「今時の若いモンは!」とはこの業界でも言い伝えられていくようです。

義由亜JSK(治政館)にノックダウンを奪って判定勝利した景悟(LEGEND)は17歳で、5戦4勝(1KO)1分となった。両者は将来タイトルマッチに絡んでくる期待される存在と言われている。楽しそうに戦っている雰囲気があった景悟は今後どんな成長を見せるか。「今時の若いモンは!」と言われない成長を魅せて貰いたい。

アルコールと次亜塩素酸水によるリング上の消毒が1試合ごとに行われました。これはコロナウィルス対策だけでなく、毎度の興行、試合ごとにやればいいのではと思います。

昔、1990年代前半頃、リングスかUWFだったか、1試合ごとに若手レスラー2名がリング上を拭いていたのを見たことありますが、以前からリング上は土足で上がる関係者がほとんどで、出血した選手の血が落ちている場合もあります。ノックダウンした選手はマットに倒れ込み、マウスピースは落とすと、プロボクシングでは一旦洗われてから口に戻されますが、キックでは以前どおり、その場でレフェリーが拾って口に戻す場合が多く、衛生的には良くないものでした。このコロナ禍を期に毎回行えばいいなと思うところであります。

次回、ジャパンキックボクシング協会興行は3月28日(日)に新宿フェースで開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

1月27日から開催される「愛知国体」に反対する 田所敏夫

あまりご存じのかたは多くはないであろうが、今月27日から31日まで「冬季国体」が開催される予定である。愛知県名古屋市でフィギュアスケート、ショートトラック、長久手市と豊橋市でアイスホッケー、岐阜県恵那市でスピードスケート競技が実施されようと準備が進んでいる。


◎[参考動画]2021冬季国体は無観客開催に 愛知フィギュア・岐阜スピードスケートなど(CBCニュース 2021年1月14日)

わたしは、政府が発している「緊急事態宣言」の危険性(私権の制約、強制性、同調圧力など)に警戒感を感じながら、特にこの「愛知国体」開催に強い疑念と矛盾を感じる。

その理由は少なくはない。まずは政府の「緊急事態宣言」があろうがなかろうが(愛知県には現在「緊急事態宣言」が出されている)、愛知県ならびに愛知県知事が「昼間でも不要な外出の自粛」、「県をまたぐ移動の自粛」を県民に要請していることと「国体開催」が矛盾することである。例年冬季国体には全国各地から2000人近くの選手、監督や役員が訪れ、審判などの競技役員も数百人にのぼる。冬季の国体では、過去大会開催中に季節性のインフルエンザが流行したこともある。大村知事は愛知県民に「これまでとは違った生活を」と日々訴えながら、片方では2000人以上が全国からやってくる国体中止を一向に決断する様子はない。

国体の実施や中止に関しては、主催者が複数であることも理由には上げられよう。文科省や日本スポーツ協会、日本スケート連盟、日本アイスホッケー連盟、実施県(今回であれば愛知県)などが主催者として横並び(実際の権限はおそらく文科省、あるいは国にあるのであろうが)に位置されており、主催者に問い合わせたところで「うちだけで決められることではないので」と日本人お得意の責任転嫁の回答しか返ってこない。

わたしは元来「国体」という名前の、前近代的な大会はもう不要であると考えてきたが、競技者にとってはそれでも活躍の場であるので強い反対の意を示したことはなかった。しかし今回の「愛知国体」実施は正気の沙汰ではない。愛知県医師会長はすでに「現在愛知県の医療は災害医療の状態である」と表明しているし、19日、愛知県内では247人が新たに感染している(その中で名古屋市は94人)。入院患者数は720人で過去最多を更新し、重症者数も60人で過去最多を更新している。


◎[参考動画]新型コロナ死者相次ぐ 愛知7人、岐阜4人…東海3県の新たな感染者は計333人(メ〜テレニュース 2021年1月19日)

わたしは愛知県に医師の知り合いがいる。直接尋ねたところ、「救急外来だけではなく、新型コロナ以外の入院患者の手術にも遅滞をきたしており、医療は『崩壊』といってよい状態だ」との回答を得た。つまり「冬季国体」があろうがなかろうが、すでに愛知県の医療は「限界状態」にあるのだ。

そのような状態の中で「氷上の格闘技」と呼ばれるアイスホッケーや、111.12 mという小さなトラックで勝負を競うショートトラックなどを実施することが、感染抑止とどうして矛盾しないのか。私にはまったく理解できない。片方では大仰に「自粛」や「テレワーク」などを要請しながら、同時に感染拡大の可能性が極めて高い「国体」を実施する。あー日本的だなぁと、普段であれば呆れて眺めているだけであろう。だが、現在わたしは愛知県には居住していないものの、複数の疾病に罹患しており、定期的に複数診断科の診察を受けなければならない。医療崩壊は他人ごとではなく、わたしの居住地でもその兆候は見られるし、「医療崩壊」が本格化すれば、わたしがこの先本通信に原稿を書くことすら能わなくなる。

いったい、なにがたいせつなのだろうか?人間の世界で優先順位はどのように決められるべきなのであろうか?日本国には最高法規である「日本国憲法」があり、その25条では《すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。》と謳われている。けれども憲法の解釈は「閣議決定」で変更できることを、安倍晋三は証明したし、どこからどう読んでも軍備を持てないはずの日本には自衛隊が、当たり前のような顔をして存在している。

つまり、「法による支配」や「人命尊重の思想」が日本には備わっていないのだ。新型コロナウイルスの感染拡大は、つまるところ、資本主義成立後の「文明」に対して、根底的な変化を迫っている。対処療法的にワクチンが開発され命が救われることは望ましいし、早期に収束してほしいとわたしも切に願うが、早期から専門家のあいだでは予想されていた変異株の出現など、極めて困難度の高い状況に全世界が直面している。

あすの資金繰りに頭を悩ませる企業経営者、1年近くも旅行はおろか外食も、帰宅もほとんど叶わない専門医など、想像を絶する生活に踏みとどまっている人々の存在を度外視して「冬季国体」など、どのような思考経路の人間が加担・推進するのであろうか。

昨年の大晦日、本通信にわたしは《書籍に記録は残っていても、今を生きる人類の誰一人経験したことのない世界的感染拡大の中で、平時には気づくことが難しい特定集団の持つ、行動様式や思考傾向が表出している。むしろその中にこそ分析や研究の対象とすべき「核」のようなものがあるのではないだろうか。2020年われわれが得たものがあるとすればそれに尽きるような気がする。》と記した。その回答の一例をご紹介しよう。国体主催団体の一つである公益財団法人日本スポーツ協会は、問い合わせのサイト(https://www.japan-sports.or.jp/inquiry/tabid61.html)に《※現在、新型コロナウイルス対応によるテレワーク勤務併用としているため、留守メッセージの設定になっている場合があります。お問い合わせの際は、NEWSのお知らせに記載のメールアドレスもご利用ください。》と厚顔無恥にも平然と記載している。国体は実施しながら「自分たちはテレワーク」というわけだ。なんたる不見識、無責任の極みであろうか。

こういった、道義的には犯罪と表現してもおかしくはない無責任を、日本人は、結局敗戦後も反省・総括できず、こんにちまで至っている。それが大晦日にわたし自身が設定した問いへの回答として、予想以上のむごたらしさで突きつけられているのである。

昨年実施が予定されていた、東京五輪開催が決定した直後から、わたしは本通信や鹿砦社が出版する『NO NUKES voice』において、極めて強いトーンでその欺瞞と開催に反対してきた。おそらく、新型コロナウイルスの感染以前には7割以上のかたに、わたしの主張は理解いただけなかった感触が残っているが、いまや東京五輪開催に賛成する方の比率は、当時と完全に逆転している。その理由が新型コロナウイルスであったことは残念至極であるが、東京五輪実施の本質を多くの人々が理解するきっかけにはなった。

ここにきて、第二次大戦末期の「インパール作戦」同様の「愛知国体」開催策動をわたしが知って、黙していることは、東京五輪開催に強く反対の意を唱えてきたものとしては、一貫した姿勢とはいいがたい。関係者の誰でもよい。勇気をもって、なにも果実をもたらさない、災禍しか招かない「愛知国体」中止の声を上げるべきである。わたしは「愛知国体」開催に絶対反対の意を明確に表明する。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

リング上でタトゥー露出はタブーか? キックボクシング界の入れ墨ルール

◆大晦日の井岡一翔の“タトゥー”をきっかけに

大晦日のWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチで、井岡一翔の左腕と脇腹に見られた“タトゥー”について賛否両論の意見が交わされました(刺青、入れ墨、タトゥーは慣習的には示すものが違うかもしれませんが、ほぼ同じ意味らしいです)。

日本ボクシングコミッションルールの欠格事由に「入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者」は試合に出場できないというルールがありますが、ファンデーション等で隠すなど表面から一時的にも消す場合は出場許可される場合が多いようです。

入れ墨をドーランで隠す配慮ある石川直樹(2020年1月5日)
大月晴選手は胸に小さな☆マーク。可愛いもんである(2019年4月13日)

こういうルールがあること、賛否を議論されることは、それだけメジャーな競技である証明でもあり、更に細分化した部分で問題が起きているのが今回の入れ墨問題。その入れ墨はどこで線引きをするかは難しい問題でもあります。

以下、4つに分けると、

(1)どんな小さな入れ墨でもダメ。
(2)全身大部分の入れ墨や暴力団組員を表すもの、それを連想させるものでなければOK。
(3)身体の一部分で、デザイン化した絵柄、お守り的意味合いならOK。
(4)海外はOKなんだから日本も海外に合わせないと時代遅れ、どんな入れ墨もOK。

ルール的に(1)~(4)のどこで線引きするかとなると“ちょっとならOK”としたら、その線引きが難しくなります。

“大晦日の井岡一翔の場合まではOK”となる線引きするとしたら、その境界線で「井岡のより小さいのにダメなの?」や、「井岡のより大きくてガラ悪いのにOKになった!」といった損する選手、得する選手が出てくる僅差の判定に起こりがちの不可解感が生まれ、抗議殺到の可能性が高いでしょう。だから今は、従来通りのルールでいくしかないプロボクシング。それでも寛大に、ファンデーションで隠すならOKとされているのでしょう。

年代や育った環境にもよるので、意見が纏まらずに落としどころが難しい問題です。

一方で「ボクシングを健全な競技、スポーツとするのであれば、入れ墨は小さくてもダメ。“テレビに出る=世間一般への影響力”を考慮しなければならない。」という意見や、「日本では昔から“入れ墨=反社会勢力”という印象が強過ぎるせいで、未だに良くないという印象が根強く、ヒーロー的な選手が入れ墨を彫ると、それに憧れる子供が真似をする影響からダメ。」等の意見もあるのも事実。また、「皮膚移植して入れ墨を消してでもやりたいボクシング。」という選手も居た魅力あるスポーツでもあるのです。

JBCの入れ墨に関わるルールを変えたいなら、それなりの署名運動や嘆願書など諸々の手続きを取ればいいところ、井岡一翔の行動で問題提起の良いきっかけにはなったことでしょう。

弾正勝vsロッキー武蔵。昔のキックボクサーはサポーターで入れ墨を隠した(1985年3月16日)

◆キックボクシングでは入れ墨OK?

マイナー競技としての年月を経たキックボクシングは、創生期からルールが大雑把なため、テレビ局から対応を求められる以外は規制が緩い部分が多い。

昔のキックボクシングでは腕や太腿に入れ墨していた選手がサポーターを着けて試合出場していた選手がいました。腕や脚をダメージから保護してしまう不平等性があるのではないかという意見もありながら、細かいことの規制はありませんでした。

TBSテレビ放映時代の日本ヘビー級チャンピオン,ジミー・ジョンソン(横須賀中央)は横須賀米軍基地勤務からアメリカへ帰り、再び日本のリングに立った時は、腕から胸に厳つい入れ墨が大きく彫ってあったものでしたが、これも何も問題にならない昭和の時代でした。

現在も入れ墨がある選手が試合出場していますが、団体やフリーのプロモーター興行によってルールや出場条件はやや違いがあるようで、全身に近い彫りものでも隠さず出場したり、ある程度はファンデーションで隠す配慮をする選手やジムの意向、団体の規律がある興行も存在します。

もう入れ墨には慣れっ子になってしまった我々以下の世代。何といっても普段は一般人らしく礼儀正しく振舞う選手が多く、反社会勢力的存在ではないことは分かります。しかし、初めてキックボクシングを観たという一般人からは怖く見えるものということを考慮した方がいいかもしれません。

首にかけて阿涅塞と彫ってあるような字はイタリアのオリビア・ロベルト(2020年2月16日)
左腕も厳つい絵柄のオリビア・ロベルト。海外では珍しくない入れ墨である(2020年2月16日)

◆タイの国技・ムエタイでは

ムエタイが国技のタイ国では、昔からサックヤーン(タイ仏教が関連する伝統タトゥー)が普通にありますが、やはり一般的に中流以上のタイ人は入れ墨はしておらず、身体に彫るのはやはりチンピラ気質の輩や、ムエタイ選手、トレーナー、運転手、アーティスト、水商売系が多いようです。刑務所に服役する者は、やっぱり厳つい入れ墨が入ってる連中ばかりであるようです。

昔のムエタイジムでも、子供の頃に彫ったのだろうと思える、手の甲や腕にサックヤーンが入っていたのを何人も見たことがありますが、お守りとして彫る文化としては仕方無いものの、日本では教育現場で大問題となるでしょう。

タイのお坊さんも慣習的に入れ墨は多い(2003年3月15日ワット・ポムケーウ)

◆入れ墨問題の今後

キックボクシングは今後、統括する組織が出来上がる時代が来れば、入れ墨問題も提起されることでしょう。今でも「ボクシングが入れ墨ダメなんだからキックボクシングでもダメだろう」と思っている選手も居るらしい。

競技は別物でも、他競技にも影響を与える歴史と伝統あるプロボクシングは、あらゆるルールやシステムがキックボクシング界に真似されてきた経緯があり、お手本となる存在でもあるのです。今回の“井岡一翔のタトゥー問題”は物議を醸しながら何らかの進展は見られるはずで、他人事ながらそこはしっかり見守って、いずれキックボクシング界でも活かして欲しいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他