【速報!! 対李信恵訴訟控訴審】5・25控訴審開始、一回(即日)で結審! 渾身の闘いの後半総括として 鹿砦社特別取材班

◆闘いは高裁で「即日結審」

これまで重ね重ねお伝えしてきた、「M君リンチ事件」から派生した、鹿砦社と李信恵(元は鹿砦社が原告であったが、それを不服として李信恵が反訴も、裁判所に求められず別訴)の大阪地裁における不当判決を受けて、鹿砦社が控訴した大阪高裁における初回にして、結果的には最終期日となった弁論が本日(5月25日)10時から大阪高裁で開かれた。

 
闘いの舞台・大阪高裁

詳細はあすの本通信で松岡が述べることとなろう。

日本は「3審制」だといわれている。けれども「司法改革」以降、民事訴訟の控訴審での「即日結審」割合は8割を超えている。どういうことかといえば、地裁判決に不服があって、控訴しても、高等裁判所はその8割以上を書面だけで判決に結び付け、2回、3回、あるいはそれ以上の弁論が行われることは、非常に少ないということである。

このような司法の現状にわれわれは、無知であったわけではなく、「即日結審」の可能性も大いにありうると思慮し、しかし、そういった場合でも最大限大阪地裁から下された「間違いだらけ」の判決は、取り消してもらわなければ、法治国家の体をなさない、と考え全知全能を控訴審に傾けてきた。

結果は冒頭で述べた通り、「即日結審」であった。だからといって、われわれの主張が控訴審判決に、反映されないという決断が下されたわけではまったくない。大阪地裁と大阪高裁は、異なる価値観や判断を持ちうるし、相互は基本的に「不干渉」の間柄であるはずだ。

そして、われわれは、司法の場に判断を委ねはしたもの、かりに勝とうが負けようが、それが、本質的な価値基準であるとは考えてはいない。これまで繰り返し述べてきたが、裁判所の判断は、いわば法務省(さらには国そして「国家」)傘下での現行法というルールに沿っての争いであり、そこではわれわれが肉感する本質的な「真実」が必ずしも正当に評価されない史例は枚挙にいとまがないからだ。このことは自明だ。

であるから、われわれは、判断の一基準として司法に「この真実をいかに裁くか」を問うたのである。

[左]これを見て、まともな人間なら絶句するだろう/[右]加害者・李信恵と金良平

◆われわれは「正義」に立脚していない!

相手方代理人は「正義だ!」との旨を自身のTwitterでたびたび発信して、ためらわない御仁である。

ここがわれわれと、相手方の決定的な違いなのだ。

[左]「正義だ」「正義だ」とやかましいわい!/[右]「正義」の裏で暴力! 「正義の暴走」は許されない!
 
事件当夜「日本酒に換算して一升近く飲んでいた」と臆面もなくツイート

われわれは、みずからが「正義」であるなどとは、まったく思ってはいない。「正義」は立場により多義的、多様であり、人間界に「絶対正義」などありうるはずがないし、「自分が正義だ!」とある力や立場を持った人間が、妄信、暴走したとききに「歴史の不幸」が必ずおきているからだ。歴史の反転、価値の止揚は想像を超えて多義的であり、「正義」は軽々しく口にすべき概念ではない、とわれわれは認識する。

「M君リンチ事件」は、あまりにも酷い。被害者「M君」のおかれていた境遇は、どう考えても理不尽だ。そして「反差別」を標榜する人たちのあいだで、このような行為が是認されるのであれば、それはあたかも今日的に例えるのであれば「コロナ禍で御託を並べて五輪を強行する」にも似た、人倫に照らして断じて許せない行為だとの直感から生じたのが、われわれの営為であった。そしてその根本には絶対に譲ることのできないわれわれの「反差別」が横たわっていたことを、再度宣言する。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

少数者に支えられた自民党が多数派を支配し続け、コロナ禍の果てに「緊急事態条項」が新設され、日本にヒトラーが生まれる 林 克明

◆憲法記念日の菅首相のブラックジョーク

憲法記念日の5月3日、笑えないジョークを言い放った菅義偉首相は、政府と自民党の危険性をあらためて国民に知らせてくれた。

改憲派のオンライン集会に宛てたビデオメッセージで、「新型コロナウイルス感染拡大などを踏まえ、『緊急時に国民の命と安全を守るため、国家や国民の役割を憲法に位置付けることは極めて重く、大切な課題だ』と述べ、緊急事態条項の必要性を強調した」(時事ドットコム5月3日17時46分)のだ。


◎[参考動画]令和3年5月3日、菅義偉自民党総裁メッセージ(公開憲法フォーラム)

「国民の命と安全」を危機にさらしているのはどこのどなたなのか? コロナ対策では、基本となるPCR検査を拡充させることもなく、病床の急増も実現できず、補償をともなった休業要請措置も講じられず、ワクチン接種も異様な遅さである。方向性を示せず、そのつど何らかの政策らしきものを実行して成果を出せず、また何かをして成果が表れず失敗。その繰り返しだ。

2021年4月末時点で感染者率の人口比は、アメリカの9.8%、フランスの8.3%、イギリスの6.7%に比べ、日本の感染者率は0.45%と格段に低い。(2021年4月末)

その日本の医療がひっ迫している。単純に考えて、欧米なみに感染したら医療崩壊どころか社会崩壊状態になるだろう。そのような危機をもたらしたのは、純粋に医学的科学的問題より政治である。その責任は政府や与党にあるのに、「緊急事態条項」を憲法に導入して国民の自由や権利をはく奪しようという考えは、まったく倒錯している。

◆政府の暴走に歯止めない自民党憲法草案
 
冒頭の首相発言の根底には、2012年の自民党憲法草案がある。おそらく最大の問題点は、草案に組み込まれている「緊急事態条項」の新設である。

第98条(緊急事態の宣言)
1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

第99条(緊急事態の宣言の効果)
1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

総理大臣が緊急事態だと判断すれば、内閣が実質法律を制定でき、地方自治もなくなり、三権分立もなくなる。
 
第99条4項では「基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」と示されているので、うっかりすると安心してしまう。しかし、これが落とし穴だ。「基本的人権に関する規定を犯してはならない」と言う禁止事項ではなく、努力目標。独裁権力を握った勢力が、尊重などするはずがなく、政府の思うままである。

宣言発出の要件があいまいで歯止めがほとんどないに等しいのは、異常な憲法草案である。この自民党2012年憲法草案は、「ナチス憲法」と言われ、大批判を浴びた。かつてのドイツでヒトラーが完全に独裁権力を握るまでの事実経過をたどれば、批判は正当だ。


◎[参考動画]「誤解招いた」麻生副総理”ナチス憲法”発言を撤回(ANN 2013年8月1日)


◎[参考動画]ヒトラーの金融政策「正しい」発言 日銀委員が謝罪(ANN 2017年7月4日)

◆自民党憲法草案はナチスドイツをモデルに?

ヒトラーやナチ党について書かれた本は膨大にあるが、比較的わかりやすく面白いのは『ヒトラー 独裁への道~ワイマール共和国崩壊まで』(ハインツ・ヘーネ著、五十嵐智友訳、朝日選書1992年)。同書をもとに、独裁確立までの劇的なプロセスを確認したい。

ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)は、選挙で勝利を積み重ね、今度こそ絶対多数を獲得しようと勝負をかけた1932年11月6日(ヒトラー首相誕生の2か月半前)の国会選挙で、敗北してしまった。

ナチ党は得票率を4.18%減らし33.09%へ、得票数も約200万票減らし、230議席から196議席(全議席584)に後退。第一党の座は保ったものの、直前までの飛ぶ鳥を落とす勢いからすれば敗北といえるだろう。

第二党は、社会民主党121議席、第三党は共産党100議席だった。共産党は、毎回選挙で着実に議席を伸ばし、この選挙では首都ベルリンで得票率30%超を得て単独トップに躍り出た。

この選挙後に、右翼系・保守系の政治家や政党の複雑な駆け引きや党利党略もあり、翌1933年1月30日、ヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命した。権力を握ったいま選挙を実施すれば今度こそ絶対多数を獲得できる、と目論んだヒトラーは即座に国会解散を決め、投票は3月5日に設定された。

2月4日、憲法に定められた緊急時の大統領権限を利用し、「ドイツ国民の保護に関する大統領緊急令」を大統領に出させた。これにより、公共の安寧が脅威にさらされると当局が判断すれば、ストライキ、政治集会、デモ、印刷物の配布禁止と押収などが可能になった。

社会民主党や共産党は選挙キャンペーンどころか日常活動もままならなくなった。同時に全土でナチ突撃隊が反対勢力に対するテロをエスカレートさせていった。混乱の最中の2月27日、国会議事堂放火という事件が起きた。証拠もないのに共産党の陰謀だとデマ宣伝し、翌2月28日に、いわゆる「国会炎上緊急令」を布告。この緊急令を根拠に、共産党の国会議員、地方議員、共産党幹部の逮捕、全支部の閉鎖、共産党系出版物の発行禁止などがなされた。

こうして3月5日に国会議員選挙の投票日を迎え、ナチ党は得票率が43.9%に上昇し、647議席中288議席を獲得する大勝利を収めた。


◎[参考動画]憲法改正 議論進まぬ中 今週動きが……(FNN 2021年5月3日)

駄目押しは、国会に諮らず政府が法律を制定できる「全権委任法」の成立である。国会機能が無くなるのだから独裁が完成する。しかしこの全権委任法を成立させるには3分の2以上の国会議員の賛成が必要だった。本来なら可決できないはずだが、100名を超える共産党国会議員や社会民主党議員を逮捕(一部は国外に亡命)して討議にも投票にも参加させず、1933年3月23日に「非合法的に」成立した。

緊急事態だとして「大統領令」が二度出され、反対威力をテロで大弾圧した。これは自民党憲法の総理大臣による「緊急事態宣言」(草案98条)に通じる。

そしてドイツの「全権委任法」は、自民党憲法の「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」(草案99条)にならないのか。

緊急事態宣言を発令する要件があいまいで、ほとんど歯止めがない。あきれるのは、期間の延長をする場合の証人方法は書かれていても、期間の定めがないところも致命的だ。したがって、自民党憲法が実現化すれば、「ナチス日本」を誕生させかねない。このような憲法草案を未だに捨てていない自民党は、一部の人による支持で暴走している。

直近の5回の国政選挙(すべて第二次安倍内閣時代)において、比例代表で自民党と書いた人は、全有権者の16.7%から18.9%。選挙区で自民系候補に投票した人は、18.9%から25.0%。

少数者に支えられた自民党が、多数派を支配する悪夢が続いている。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号

どうしてわれわれは「M君リンチ事件」に関わったのか? いよいよ明日、対李信恵訴訟控訴審開始! 第1回弁論(5月25日午前10時~ 大阪高裁第2民事部 別館82号法廷)に圧倒的なご注目と応援を! 鹿砦社特別取材班

この5年間、われわれが問うてきた問題の核心は、何であったのだろうか。松岡にとっては2005年に急襲された言論弾圧の際救援の手を差し伸ばしてくれた方々(社会)への謝意もあったであろうし、自身が学生時代に経験した「内ゲバ」が内因になっていたであろうとも推測される。

 
すっかり有名になったリンチ直後のM君の顔写真。血の通った人間なら、これを見たらよほど酷いリンチが行われたことを窺い知るだろう。本人尋問で「李信恵さん、どう思いますか?」との問いに何も答えなかった

では、松岡よりもかなり世代が下のメンバーで構成された特別取材班を突き動かした動機は、どのようなものに由来していたのであろうか。大まかな打ち合わせを行うことはあっても、個々の思想信条には一切立ち入らずに「一致点」を見つけることは可能であり、その「一致点」が5年以上にわたる継続取材を可能にせしめた、ということであろう。その「一致点」とはいかなるものであろうか。

松岡にもたらされた情報は、鹿砦社の複数社員にも共有され、のちに特別取材班の陣頭指揮を執ることになる田所敏夫にもほどなく伝えられた。「特別取材班」などと書けば、大きな所帯を想像されるかもしれないが、結果的に10名以上の協力者を得ることになったものの、当初より戦略的な布陣が引かれていたわけではない。田所がこの問題に腰を上げた理由についても、自身の口から語られたことはない。

◆世界情勢やコロナとも無縁ではない不条理に満ちた「M君リンチ事件」

顧みるのではなく、今日の世界を見渡してみよう。パレスチナではイスラエルとの全面衝突が発生し、第二次大戦後の表出した矛盾の一つである「中東問題」が依然として解決を見ず、悲劇は繰り返されていることにわれわれは、さらなる注意を向けるべきではないか。停戦がなされたとはいえ、世界の歴史を貫く矛盾の結晶が「パレスチナ問題」には内在されている。あたかも「双方に言い分がある」かのごとく報道し、パレスチナへのユダヤ人「入植」という名の「軍事侵略」についての批判を行わない言説には、まったく意味はない。

第二次大戦後冷戦構造を立ち上がらせた「東側陣営(社会主義陣営)」は20世紀の終末を待たずに消滅し、「東西問題」は「民族問題」へと変化を遂げた。かといって残存した「西側陣営」が勝利者であったかと言えば、そうは言い切れない。中国の台頭に怯え、軒並み国家財政が破綻レベルに累積赤字が膨らんだ「先進国」では、産業の成長などは見込めるはずもないのである。ひたすらITの可能性に活路を見出そうとするか、あるいはまったく実体経済とはかけ離れた、担保のない「仮想マネーゲーム」に没頭するしか、未来像は描けていない。つまり西側陣営も、明らかに危機に瀕している。

新型コロナウイルスは、中国の奥地に生息するコウモリに宿る(「宿主」と呼ばれる)ウイルスが人間界に入ったことで生じた疾病であると、ほぼ原因は判明した。その感染症が世界的に広がったことに、われわれは困惑し大騒ぎしているのだ。

こんなことと「M君リンチ事件」がどのように関係するのか、と訝しがられる読者も少なくないであろう。しかし、一見まったく関係のなさそうな「中東情勢」と「新型ウイルス」のパンデミック、さらには「M君リンチ事件」の間には、今となれば幾つもの共通項を見出すことができる。

控訴審から鹿砦社の代理人に就いた森野俊彦弁護士を『週刊金曜日』今週号に3ページにわたり紹介、掲載発売中の号なので1ページのみ紹介、特集は「これでいいのか裁判所」、購読し全体をご覧ください。森野弁護士は元裁判官、大阪高裁にも勤務。1971年任官、この年、同期の7名が任官拒否され異議を申し立てる。「もの言う裁判官」として青法協(青年法律家協会)、「裁判官ネットワーク」などで積極的に活動。宇都宮健児、澤藤統一郎、梓澤和幸弁護士らは同期

◆本質は「体感の痛み」だ

まず、初期対応のまずさだ。「反差別」を標榜する団体なり集団が、暴力事件を起こすのは非常に具合が悪い。差別者に付け入られる隙を与えかねないし、運動内部からも「何をやっているんだ!」との声が上がってくるだろう。だから、加害者(3名)は、被害者M君に宛て「謝罪文」を書いた。そこまでは正しかったし、そのまま被害回復へ向かえばM君が困り果て、鹿砦社に相談してくることはなかったのだ。

同様の初期対応のまずさを「新型コロナウイルス」に対する、日本政府の姿勢に照らしてみよう。2019年冬には武漢での集団発生が、日本でも報じられていた。しかしその時点でウイルスの詳細情報は伝わっていない。感染症予防の原則は、感染者、あるいは感染した可能性のある人の隔離と、徹底した検査だ。しかし、日本は武漢をはじめ、中国全土やその他の国との航空機発着制限を行う意志はまったくなく、結果として2020年初頭から統計に表われる感染者が増加する。

志村けんや岡江久美子が亡くなり、急激に庶民の危機感は高まるが、政府の対策はすべて後手後手であった。「アベノマスク」のバカらしさは誰にでもご理解いただけるだろう。そして無能どころか有害な政府は、あろうことか「Go Toトラベル」などという、税金を注ぎ込んだ「感染拡大策」までを強行してしまった。高校の生物学レベルの知識で判断すれば、「無謀にもほどがある」と簡単にわかる愚策は、当然感染拡大を招いた。

「謝罪文」を書き「活動自粛」を約束しながら、それを一方的に反故にして、被害者の気持ちを踏みにじる行為を選択した李信恵と「李信恵さんの裁判を支援する会」の卑劣さは、わかりやすく例えれば「Go Toトラベル」と同じように大きな間違いであった。

しかし、一度方向を定めると、方針転換は容易ではない。見るがいい。誰が今「東京五輪」開催を望んでいるのか。どの調査を見ても、質問項目にバイアスがかかっていなければ8割以上の人が開催を望んでいない。そうでありながら、日々馬鹿げた「聖火リレー」を感染拡大というおまけ付きで、止めることのない「反知性」はいったい何者なのだ。

ユダヤ人はナチスにより虐殺された。筆舌に尽くしがたい民族浄化の歴史は、世界に知れ渡っている。なのに、どうしてそのユダヤ人の国家・イスラエルがパレスチナの人々を虐殺し続けるのだ。被害者としてユダヤ人は「体の痛み」を持っているはずだ、とわれわれは思うし、思いたい。「体の痛み」は「差別」と置き換えてもよい。ここでイスラエル情勢と「M君リンチ事件」は結び付くのだ。

長く差別されてきた「体の痛み」の歴史を持つのは、在日コリアンとて同様だ。大日本帝国侵略により祖国を蹂躙され、多数が日本に強制連行、あるいは仕方なく渡った歴史は消しがたい。その史実により受ける差別への反対運動は、健全な方向と方法で継続されるべきであるとわれわれも認識する。歴史修正主義者の跋扈は、近年ますます目に余るのだから。

けれども、「M君リンチ事件」のように、誤った(つまりユダヤ人がパレスチナの人々を攻撃し続けるように)事件を起こしてしまう、そしてそれを隠蔽してしまうことは、「反差別」を標榜する団体だからといって、許されるものではない。むしろ反差別をめざす人々には、崇高な思想と行動が伴わなければ、空疎な形骸と化してしまう危険性がある。

李信恵代理人の神原元弁護士(左)。右は師岡康子弁護士

つまり、李信恵や、事件隠蔽の中心的役割を担った「コリアNGOセンター」の幹部たち、または、これらの支持者や隠蔽に関わった者らの「M君リンチ事件」への対応は、極めて不適切であるのだ。「反差別」「人権」に立脚した崇高な思想などは破片も見当たらず、自己保身のために、場当たり的な対応の連続であり、それは「狡い」といわれても仕方のない姿である。そして、「反差別」に立脚していながら、厳しい忠言でも発する一部の人々以外の人間の中には、口には出さずともかえって「差別」感を深める人もいる。在日コリアン全体が狡いと認識し、差別意識は拡大してしまうのだ。これこそわれわれが最も危惧し、それゆえ「火中の栗」を拾わなければならなかった理由でもある。取材班の内部や周囲の在日コリアンの方々も、同様の懸念を示されていた。この点で、リンチ事件を惹き起こした李信恵、その後の対応を誤ったコリアNGOセンターや隠蔽に関わった者らの責任は重いのだ。

 
闘いの舞台は大阪高裁に移る

特別取材班は、2021年5月においてこうしたことを確信できているし、約5年前の松岡の判断も、そのような体験を含んでいたのではないかと想像するのだ。

明日はいよいよ、鹿砦社に対し名誉毀損で賠償金165万円もの支払いと、本通信の記事削除を命じた一審大阪地裁判決に対する控訴審の第1回目期日である。一審原告(被控訴人)は李信恵(当然、一審被告・鹿砦社は控訴人として、くだんの一審判決の取り消しを求めている)。お時間のある読者諸氏は、本文の左側に《M君リンチ事件》とのタグがあるので、是非過去の記事を見返していただきたい。われわれが名誉毀損に当たる記事を書いたかどうかを、裁判所だけではなく、「一般市民」の感覚からもご判断いただきたい。

われわれは、名誉毀損に当たる記事は絶対に書いていないと確信している。思い込みではない。カネとヒトを動員してスクープを連発する「文春砲」にも負けない、徹底した証拠の確認と取材により判明した事実を積み上げた上で、すべての記事を書いているからだ。飛ばし(裏付けを取っていない記事)は一つもない。すでに6冊にまとめ世に問うた関連書籍をお読みいただけた皆様方には、おわかりいただけるだろう。

本件に、引き続きご支援とご注目をお願い申し上げたい。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

[カウンター大学院生リンチ事件 対李信恵訴訟控訴審に向けて5]裁判所(大阪高裁)に、暴力を排しリンチを叱責する、公平・公正で慎重な審理を求めます! 控訴審への私の決意表明 来る第1回弁論(5月25日午前10時~ 大阪高裁第2民事部 別館82号法廷)に圧倒的なご注目と応援を! 鹿砦社代表 松岡利康

「カウンター大学院生リンチ事件」は、別称「しばき隊リンチ事件」とも呼ばれ、かつてはネット上で「十三ベース事件」ともいわれていました。「反差別」運動内部で、その中心メンバーらによって惹き起こされたリンチ事件の被害者救済・支援に私たちが関わり始め、リンチ被害者M君に出会って5年余りが経ちました。

よかれと思って始めた彼への支援活動でしたが、李信恵によって鹿砦社が提訴された、現在控訴中の係争では、あろうことか一審では165万円という高額の賠償金等を課せられるという皮肉な判決を下されました。「まったくおかしい。なにかおかしい」との想いは消えません。

この分載の前回「4」で引き合いに出した16年前のケース同様、壁は厚く、かつての「ベルリンの壁」のようです。

しかし、16年前のケースにおいて私たちは、一敗血にまみれ地獄に落とされはしましたが、私たちをハメた徒輩は、その後相次いで土壺(ドツボ)に嵌っていきました。強い意志を堅持し立ち向かえば、勝利は必ず社会正義のほうに微笑みます。逆に社会的不正義はやがては断罪されるでしょう。

ちなみに、16年前の「名誉毀損」事件について今だからこそ明かしますが、旧アルゼ創業者・岡田和生の逮捕、失脚には、世界的通信社・ロイター通信の国境を越えた取材が貢献しています。ロイターの記者は何度も西宮に足を運び、そのたびごとに私の話に真剣に耳を傾け、少なからずの資料も持ち帰り、粘り強い取材で岡田らの贈収賄疑惑を固め全世界に配信したのでした。今回のリンチ事件も、4冊の書籍(保釈後、裁判報告やパチンコ業界の情況などを編集した2冊の本を出版)にまとめた、その時の取材以上に展開したということを申し述べておきたいと思います。こちらも最新刊の『暴力・暴言型社会運動の終焉』まで6冊を発行しています。

◆李信恵は、いまだにリンチのPTSDに苦しむ被害者M君に真摯な謝罪をすべきです

M君は今でもリンチのPTSDに苦しんでいます。一方リンチの口火を切った李信恵は、彼女の言動から反省の色など見えず、「反差別」「人権」運動の旗手であるかのように持て囃されています。なんという不条理でしょうか。大阪弁護士会や多くの行政、人権団体などが講師として呼ぶ人物。在日コリアンで女性であることに対する「複合差別」で極右団体らに相次いで勝訴判決を出した「反差別」運動の旗手・李信恵には裁判所も忖度をした判決を下さなければならない、かのような“歪んだ事実”があるとは信じたくありません。

「反差別」「人権」を説くのであれば李信恵は、まずは被害者M君に心からの謝罪を行い、できうる限り彼の心を慰撫するところから始めなければならないのではないでしょうか? 「まずは事件直後に出した『謝罪文』に立ち返れ」とは私が何度となく主張していることです。著名な精神科医の野田正彰先生は先に引用した「鑑定書」の結論として「病の改善は、加害者たちの誠実な謝罪と本人の自尊心の回復に影響されるだろう」と指摘されています。同感です。何よりも李信恵は日頃から「人権」という言葉を頻繁に語っているのですから。

裁判所(大阪高裁)には、ぜひ李信恵に厳しく反省を促すような判断を求めたいと思います。

昨年11月24日の本人尋問での李信恵(画・赤木夏)
同じく本人尋問。リンチ後のM君の凄惨な顔写真を示し李信恵を追及する松岡(画・赤木夏)。李信恵はまともに答えず沈黙。

◆裁判所の甘い判断で同じ犯罪を繰り返す人たち

私たちはこの5年間、李信恵ら加害者が、このまま真剣に反省しないならば同種の事件は繰り返すだろうと再三再四警鐘を鳴らしてきました。

私たちの“予感”は不幸な形で当たり現実化しました。昨2020年11月24日の一審本人尋問が終わり、李信恵と傍聴に来ていた伊藤大介氏らは飲食に出掛け、おそらく深夜まで飲み歩いたのでしょう、日付が変わった25日未明、極右団体活動家の荒巻靖彦を電話で呼び出し、伊藤を含む複数の者で激しい暴行を荒巻に加え令状逮捕‐起訴されています(別掲『産経新聞』2020年12月8日朝刊記事参照)。

同日夕方、本人尋問が終わり飲食している様子をSNSで発信。この後、数時間して日付が変わり伊藤大介ら複数で極右活動家・荒巻靖彦を呼び出し暴行
伊藤らによる傷害事件を報じる『産経新聞』2020年12月8日朝刊20面(大阪版)
 
11月25日の神原元弁護士のツイート

伊藤は関東で別途暴行傷害事件を起こし、これと併合して横浜地裁で公判(非公開の争点整理)がすでに数回行われているようです。1年以上も隠蔽されてきた本件リンチ事件もそうでしたが、「男組」(しばき隊の最過激派といわれる)組長・高橋直輝(添田充啓)の不審死などと同じく、伊藤本人、弁護人の神原弁護士、直前まで一緒に飲食を共にしていた李信恵、議員特権で警察への情報収集を行った有田芳生議員、逸早くC.R.A.C.名で声明を出した野間易通、それに賛意を示した中沢けい、香山リカら中心メンバーらが頑なに沈黙を守っているので公判の推移は判りません。これもまた“隠蔽”か? 都合が悪いことはみな隠蔽するのが彼らの流儀らしいです。これはダメでしょう。

そういえば、特別取材班の取材に対して、フリージャーナリストの安田浩一や関西学院大学教授の金明秀は「刑事事件になった時点で、社会に明るみになっている」旨の回答を寄せていましたが、伊藤大介の刑事裁判進行について、私たちは何の情報も持っていません。私たちが無知だからでしょうか。そうではありません。みずから(もしくは代理人弁護士)が報告するか、新聞報道などがない限り、刑事裁判の様子など、一般市民には伝わらないのです。

 
11月27日の有田芳生参議院議員のツイート

伊藤は、M君リンチ事件に連座した者で、M君が加害者5人を訴えた訴訟の一審判決では約80万円の賠償金を課せられていますが、控訴審では取り消されています。別訴一審における伊藤共謀を認めた判断は正しかった(ただし、李信恵の共謀を認めなかった点は論理矛盾です)にもかかわらず、別訴控訴審で大阪高裁は、あろうことか、この部分を取り消し、伊藤の共謀を免責してしまいました。この誤判が、私たちが警告した通り(しかも因果なもので本件一審裁判期日の直後)反省もなく、同種の暴行傷害事件を起こす要因となりました。実際に事件が起こったのですから、ここでは敢えて断言します。

裁判所(2件の裁判で非常識で不当な判決を下した大阪地裁と、別訴一審の伊藤大介への賠償を取り消し免責した高裁)には苦言を呈します。本通信で以前述べたように、この係争は民事であり、刑事事件ではないにもかかわらず一審被告・鹿砦社(控訴人)に捜査機関と同レベルの取材を求めるかのような判断を下しました。それでいて、先日の本通信でお伝えした通り初歩的な(素人的と言っても過言ではありません)証拠資料の見落としがなされています。取材し明確に活字にしているにもかかわらず「取材していない」などと、堂々と判決文に書かれては、勝てる道理がありません。

M君リンチ事件隠蔽活動に勤しむ加害者や支持者ら(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

他にも一審大阪地裁第24民事部は最初から証拠資料を精査するつもりがなかったと感じることがありました。

本件一審第1回期日に証拠資料原本(リンチ関連本5冊)を提出しようとしたところ、当時の増森珠美裁判長は、「必要ない」と受け取りさえ拒絶しました。私は毎回出廷するのですが、この日は急に片目が見えなくなるという不測の事態が発生し出廷できませんでした。こういう時に、問題は起きるものです。

増森裁判長は、以前に李信恵が極右団体・在特会らを訴えた訴訟で彼女に勝訴判決を下した裁判長でした。証拠資料原本を受け取らず「名誉毀損」の裁判でまともな判断ができるでしょうか。

このように過去李信恵に勝訴判決を出した裁判官が裁判長であり、証拠を受け取らず「邪魔になるから持って帰れ」といった趣旨の発言をするので、到底公正な判断は望むべくもなく、裁判官忌避申立をしようと書面も準備していた、まさにその日の朝、増森裁判長は急遽異動になりました。前述の通り冒頭から、増森裁判官の態度には不公平、不公正を感じていました。増森裁判長が異動したとはいえ(異動先の裁判所で『週刊金曜日』敗訴の判決を下しています)、合議体ですから他の裁判官は残り実質的な態勢は維持されたようです。市民感覚からすれば、なにか腑に落ちません。

はじめから結論が決まっていたかのように、証拠原本受け取りを拒絶したり、捜査機関レベルの取材を要求したり、証拠の内容を見落としたり、杜撰な審理をしたりと、加害者(李信恵ら)に甘く被害者(と、これを支援する私たち鹿砦社)に厳しいのが「人権の砦」だといわれる裁判所なのでしょうか? そうではないことを信じたいものです。

◆終わりに──

本件控訴審にあって裁判所(大阪高裁)は、一切の予断と偏見を排し、まさに虚心坦懐に本件資料を読み込み、私たち鹿砦社の主張に謙虚に耳を貸し、公平・公正で慎重な審理を尽くすことを心より願います。

証拠資料にまともに目を通さないような一審判決は、まさに〈誤判〉と断ぜざるをえず、取り消されるべきです。

そうして裁判所が、一審判決のように暴力を容認しリンチに加担するのではなく、人権的見地からリンチ被害者を慮り、真に〈人権の砦〉たる威厳を宣揚することを強く希求いたします。〔了〕
(本文中敬称略)      

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

茨城一家殺傷事件 「少年時代の犯罪」と「捜査の経緯」が示す“冤罪”の可能性

報道を見る限り、異常な人物ではあるのだろう。茨城県境町の民家で2019年9月、住人の夫婦が刃物で刺殺され、子供二人も重軽傷を負った「茨城一家殺傷事件」の岡庭由征容疑者(26)のことだ。

報道によると、埼玉県三郷市で暮らしていた無職の岡庭容疑者は昨年11月、自宅で硫黄45キログラムを所持したとして埼玉県警に三郷市火災予防条例違反の容疑で逮捕され、消防法違反の容疑で起訴された。さらに今年2月、警察手帳を偽造したとして公記号偽造の容疑で茨城県警に再び逮捕され、同容疑で起訴。そして今月7日、茨城一家殺傷事件の殺人容疑で同県警に逮捕されたという。

このような「捜査の経緯」を見ると、2019年9月の発生以来、未解決の状態が続いていた茨城一家殺傷事件について、警察は岡庭容疑者の犯行を疑い、微罪での別件逮捕を捜査の突破口にしようとしたのは明らかだ。では、そもそも、岡庭容疑者が茨城一家殺傷事件の捜査線上に浮上したのはなぜなのか。原因は「少年時代の犯罪」にあるとみて、間違いないだろう。

報道によると、岡庭容疑者は16歳だった2011年、三郷市の路上で14歳の少女を刃物で刺し、さらに松戸市の路上で8歳の少女を刃物で刺すという「連続通り魔事件」を起こした。さらに猫の首を切断したり、連続放火事件に関与したりしており、成人同様に裁判員裁判で裁かれた。しかし結局、「保護処分が相当」との判決を受け、家裁の審判を経て、医療少年院に送られていたという。

このような過去があれば、岡庭容疑者が近県で起きた未解決の重大殺傷事件で捜査線上に浮かんだのも自然な流れだと言える。ただ、こうした「少年時代の犯罪」と「捜査の経緯」に関する報道の情報はむしろ、岡庭容疑者が“冤罪”である可能性を示している。なぜ、そんなことが言えるかというと……。

報道を見る限り、異常な人物ではあるようだが……。左上:「日テレNEWS24」5月7日配信、右上:「NHK NEWS WEB」5月11日配信、下:「FNNプライムオンライン」5月10日配信

◆現場で容疑者のDNA型と指紋が見つかっていないのは明白

答えはシンプルだ。報道の情報が事実なら、現場である被害者宅から岡庭容疑者のDNA型と指紋が見つかっていないことは明白だからだ。

というのも、岡庭容疑者が少年時代に起こした犯罪の内容からすると、警察は当時、岡庭容疑者のDNA型や指紋を採取し、保管していないはずはない。一方、2019年9月に茨城一家殺傷事件が起きた際には、警察が現場である被害者宅でDNA型や指紋の採取を念入りにやったことも確実だ。つまり、岡庭容疑のDNA型や指紋が現場で検出されていれば、この時点でとっくに逮捕されているはずなのだ。

おそらく茨城県警は「殺人事件の犯人が必ず現場にDNA型や指紋を残すとは限らない」という前提のもと、他の証拠を根拠に岡庭容疑者を茨城一家殺傷事件の犯人と断定し、逮捕に踏み切ったのだろう。しかし、現在の警察捜査における指紋やDNA型の検出能力はきわめて高い。民家で家族4人が刃物で殺傷されたような事件であれば、普通は現場で犯人のDNA型や指紋が検出されるはずである。

もちろん、犯人が手袋とマスクを着用し、毛髪も1本も落とさないように帽子をかぶるなどして細心の注意を払って犯行に及んだのであれば話は別だが、岡庭容疑者の場合、そこまで注意深くDNA型や指紋を現場に残さないように犯行を実行できるタイプとは思い難い。

これくらい注目度の高い重大事件であれば、茨城県警は検察と相談しながら捜査しているはずなので、岡庭容疑者は起訴される可能性が高い。しかし、岡庭容疑者が裁判でも無罪を主張すれば、現場でそのDNA型も指紋も見つかっていないことは、弁護側が無罪を示す事実として主張するはずだ。さらに岡庭容疑者のものでも被害者家族のものでもないDNA型や指紋が現場で見つかっていれば、弁護側はそれを「真犯人のもの」だと主張するだろう。

今後の展開も要注目の事案である。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

[カウンター大学院生リンチ事件 対李信恵訴訟控訴審に向けて4]私は「因果応報」という諺を信じます――16年前の「名誉毀損」事件の教訓 鹿砦社代表 松岡利康

以下は、これまでお伝えしてきた、直近の訴訟とは直接関係はありませんが、私たちがM君を救済・支援しようと思った動因の一つですので、あえて申し述べます。

◆地獄に落とされ多くの方々に助けられた私たちは、リンチ被害者M君を救済・支援することを決めた!

5月10日の本通信でも記述し一部繰り返しにもなりますが、私自身が逮捕された16年前、2005年の鹿砦社に対する“事件”を想起し、本件リンチ事件との関連など記述してみたいと思います。

私はパチンコ業界の闇を追及した「名誉毀損」事件で逮捕‐長期勾留(192日間)されました。今振り返ると、この弾圧は神戸地検と朝日新聞大阪社会部が仕組んだ、いわば“官製スクープ”でした。味方顔して近づいてきた朝日新聞にはまんまとハメられました(ちなみに、昨年この事件から15年ということで、今は大阪社会部の「司法キャップ」で、当時担当だった平賀拓哉記者に会って話を伺おうとしたら逃げ回っていますが、平賀記者にジャーナリストの矜持があるのであれば、もう15年経ったのだから恩讐を越えて会って話をするぐらいすべきでしょう)。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日朝刊

さて、私は「巨悪に立ち向かう」という、自分なりの正義感と覚悟で事に当たり(どこかの誰かがのたまう軽薄な「正義」ではありません!)ました。有罪判決(1年2月、執行猶予4年)を受けつつも執行猶予も終わりましたので、なんら恥ずべきことでも隠すことでもなく、今は笑って語れます。ところが、世間の眼はそうではないようです(後述)。

あの事件はまさに言論・出版弾圧でした。私たち鹿砦社は壊滅的打撃を蒙りどん底に落とされました。その時、偶然ながらM君の父親の大学の仲間だった方(今回「公平、公正、慎重な審理を求める要請書」に署名賜った重村達郎弁護士、赤川祥夫牧師)らも含め多くの方々(別途画像参照)に助けてもらったではないか、そうしたサポートで会社を再建し今鹿砦社や私が在るのはその時のみなさん方のご支援のお蔭ではないか、と思い返しました。そうであれば、社会に助けていただいた恩返しとしても、私たちのところに助けを求めてきたリンチ被害者M君を救済・支援しようとは思いました。

しかし、小なりと雖も会社の経営者としては、諸事情もあり逡巡しました。当時、私が生業として出版活動を始めて20年余り経っていました。その初心は、修羅場にあってこそ逃げず、巨悪に立ち向かうためだったのではなかったのか。、もしリンチの肉体的被害と、その精神的被害(PTSD)、さらにはセカンドリンチ(ネットリンチと村八分)に苦しむ被害者の青年を見棄てたら、残り少ない私の人生に悔いが残る、と躊躇する自身を叱咤し、問題解決に関わる決意を固めました。こうした私の判断は絶対に間違いなかったと今でも信じています。

先の「名誉毀損」事件は当時、神戸地検からリークされた朝日新聞の一面トップはじめマスメディアで大きく報道され、裁判の経過も継続して報道されました。鹿砦社のイメージは著しく悪化し、この予断と偏見が本件訴訟に影響することはないと信じますが、一審判決を見るに私たちのみならず多くの方々が疑問を感じています。「大阪地裁は、これまで李信恵に勝たせ続けていているので、行きがかり上李信恵を負けさせることはできないだろう。裁判官の中に予断と偏見で悪いイメージのある鹿砦社に勝たせるわけにもいかない、との判断があったのではないか」と感想を述べる専門家もいました。大阪高裁では鹿砦社に対する予断と偏見なく審理されるものと思いたいものです。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日夕刊

ここで少し“寄り道”をします。刑事事件で判決が確定し、執行猶予付きの場合、この期間、無事に過ごしたら、前科は残り(権力のプロファイリングに記載はされ)ますが、なんら咎められることもなく仕事や社会活動ができなければなりません。本来これが民主主義・法治社会の本来の姿でしょう。しかし、それは建前であって、現実にはそうではありません。

鹿砦社や私の場合、新規に銀行口座を開けなくなりました。銀行口座開設拒否は、1行ではなく複数ありました。そのうち1行には会社、個人合計で5千万円ほどの預金がありました(従前から取引実績があったという意味です)。理不尽な「口座開設拒否」に直面し、やむなく3行に対して民事訴訟を起こしましたが、全部敗訴しました。特にゆうちょは、当初審理さえしないという強硬姿勢でした。

この件については、いずれ詳述したいと思いますが、銀行は口座開設拒否の理由として、くだんの朝日新聞のコピーを示しました。このように、この「名誉毀損」事件は、鹿砦社についての社会的イメージの悪化と共に、現実的なビジネス上の不利益をもたらしているのは遺憾なことです。

多くの方々が支援に名を連ねてくれた

◆「名誉毀損」事件で私たちを苛めた者らに相次いで不思議なことが起きた

また、その後日談として、私たちがみなさん方のご支援を賜りながら会社再建に努めている一方で、不思議な事件や出来事が相次いで起きました。

「名誉毀損事件」時の捜査責任者の神戸地方検察庁特別刑事部長・大坪弘道検事は、のちに厚労省郵便不正事件証拠隠滅で逮捕され有罪判決が確定し失職します。私を取り調べた主任検事の宮本健志検事は深夜泥酔し市民の車を傷つけたことで検挙、被害者との示談が成立し刑事事件としての立件は免れましたが、降格〔徳島地検次席検事から平検事へ〕・戒告処分を受けています。

松岡に手錠を掛けた宮本健志主任検事の泥酔大立ち回りを報じる『徳島新聞』2008年3月26日朝刊
鹿砦社弾圧を指揮した大坪弘道元神戸地検特別刑事部長逮捕を報じる『朝日新聞』2010年10月2日朝刊
 
旧アルゼ創業者オーナー岡田和生逮捕を報じるロイター2018年8月6日付け電子版

さらに、私を「名誉毀損」で刑事告訴し3億円もの巨額損害賠償を求める民事訴訟も同時に起こした当該大手パチンコメーカー「アルゼ」(当時。現ユニバーサルエンターテインメント)について、元警察官僚で参議院議員だった阿南一成社長は、社会的問題企業との不適切な関係で辞任に追い込まれ、創業者オーナー岡田和生は、フィリピンでのカジノホテル開業に伴う贈収賄容疑等により海外で逮捕され、みずからが作り育ててきた会社からも追放されています。

これだけの名うての人物がこぞって鹿砦社と私に対し攻撃してきたわけですから一地方小出版社にすぎない鹿砦社が太刀打ちできるわけがありません。裏に何かあるのは、誰しも想像するところでしょう。

私は「因果応報」という諺を信じます。人をハメた(悪意を持って陥れた)者は、いずれ自分に応報があり、みずからも陥れられるということでしょうか。

何が言いたいかと言えば、当時は彼らのほうが圧倒的に社会的地位も名声も権力もあったわけですが、裏では法的に、あるいは社会通念から逸脱した行為に手を染めていた。そのことが暴露され、鹿砦社弾圧に手を染めた集団の主だった人物は、見事に社会的地位や名声も失くしました。

本件で言えば、李信恵にしろ彼女を庇いリンチを隠蔽してきた国会議員、学者、知識人、ジャーナリストらの社会的地位や名声は、鹿砦社や代表者の私などよりも圧倒的に上位に在ります。しかし、本件リンチ事件の真相や本質、そして隠蔽活動など裏で何が行われていたかが、もっと広く知られれば、関係者の社会的地位や名声は一瞬にして崩壊する、ということです。彼らがリンチの存在を頑ななまでに否定し、あるいは隠蔽活動に必死になったりシラを切ったりするのは、こういうことを自覚しているからかもしれません。(本文中敬称略)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

解散に打って出たい菅総理 このままではジリ貧か? 横山茂彦

北海道、長野、広島での衆参トリプル補選(4月25日)で全敗した翌々日、例によって怪文書が永田町を席巻した。そのタイトルは「菅義偉自民党暫定総裁について」だという。

「菅総裁は、安倍前総裁が任期中に途中退任したことに伴う残任期間限定総裁として選出」されたものだとしたうえで、怪文書はこう結論づける。

「よって、菅総裁は暫定総裁です。菅暫定総裁は9月の総裁任期満了までに党則80条第1項の規定による総裁選挙を実施して、正々堂々と再選を果たして党則80条第1項及び第4項に規定される正式な総裁となった上で、国民の信を問うことを期待します」(「週刊ポスト」5月21日号)

こうした怪文書は、じつは永田町では日常茶飯事である。

発信者が文責のあるものでも「自民党衆院議員有志」や「自民党の危機を憂う党員一同」などという不特定ものであって、発信場所も電話番号不記載、もしくは都内のコンビニやスーパーの複合機(FAXとコピー機、デジタル印刷機を兼用したもの)だったりと、本当の発信者はたどれない。捏造した「事実」がないかぎり、名誉棄損や私文書偽造にも問えない。

したがって、ある意味では匿名の意見書として、ふつうに回覧される性格のものなのだ。その大半は、党内にくすぶる多数派意見(非主流派・非執行部の意見)を代表していると言っても差し支えない。


◎[参考動画]自民党新総裁に菅義偉氏(71)選出(ANN 2020年9月14日)

◆ポスト菅勢力が怖れているのは7月都議選との同時選挙

この怪文書が意図しているのは、発信者が解散総選挙の実施を怖れているという意味である。非主流派、すなわちポスト菅をねらう勢力が怖れるのは、いうまでもなく7月都議選との同時選挙である。

この7月総選挙策は、東京オリンピックの強硬開催と併せ、公明党(創価学会)の選挙活動がピークに達する都議選挙の時期に、総選挙を合わせることで、組織票の最大限の獲得をめざすものにほかならない。菅総理がギリギリで勝負できるとすれば、この都議選同時総裁選しかないのだ。

だが、菅総理にとって最良の選択を採ったとしても、自民党が大幅に議席をうしなう可能性が高い。

現在の世論調査では、以下の結果が明らかになっている。政党支持率である。

自民 40%
公明  3%

立憲  5%
共産  2%
国民  1%
社民  1%
れい  1%
諸派  1%
─────
野党合計 11%

維新   2%
無党  44%

さて、この基本的な政党支持率に、このかんの補選・再選挙における獲得票率(政党支持者のうち、何%を獲得できたか)を加えてみると、自民党は70%獲得の28%に落ち込むのだ。過去二回の政権交代時にも、自民党支持者が野党に投票する行動が指摘されている。

加えて、膨大な数にのぼる無党派層の争奪戦が選挙の争点となる。そこから算出される数字は、自民党にとって悪夢のようなものだというのだ。

その結果、自民党・公明党の過半数割れはもとより、野党統一候補による小選挙区での優位が示されているのだ。すなわち、菅総理が7月に解散総選挙に打って出た場合、自民大敗のシナリオが算出されてしまう。これこそが怪文書が訴える真意なのである。

いっぽう、野党は枝野幸男民主党代表が「コロナ禍のもとで総選挙はできない」と、内閣不信任案の提出を否定した。党内から「暫定政権」と決めつけられ、オリンピック後の総裁選に確信がもてない菅総理が、内閣不信任案の提出を「解散の大義」にすることを怖れての処置である。じつは野党も小選挙区統一候補の調整が終わっていないのだ。


◎[参考動画]“菅おろし”を牽制? 菅首相 総裁選前の解散「あり得る」(TBS 2021年4月7日)

◆小池都知事によるオリンピック中止?

さて、もうひとつの動き。いや、噂が注目されている。

上記のような与野党の動くに動けない緊迫感のなかで、ある噂が独り歩きしているのだ。小池百合子東京都知事が、東京オリンピック・パラリンピックの中止を宣言するのではないか、という観測である。小池ならではの「政治的判断力」が、この噂に信憑性をもたらせている。

国民の80%が中止ないしは再延期を希望しているなかで、世論よりもビジネスとしてのオリンピック開催に踏み切るのか、それとも歴史的な「大英断」をくだしうるのか。にわかに注目を浴びているこの「噂」こそ、東京五輪のジリ貧を示してあまりある。しかもその「東京五輪中止」を、都議会選挙の選挙公約にするというのだ。

しかし、あまりにも東京五輪を政治的に利用するこの「中止策」は、政治主義の誹りをまぬがれないであろう。高度な政治判断よりも、政治的なみっともなさがついてまわる。

たとえば、五輪中止を訴える人々は池江璃花子選手に、SNSを通じて「出場辞退」による「大会中止」を訴えるよう求めているという。

五輪の政治利用を批判しながら、選手に政治的な立場を強要する二律背反の行為は、まさに「政治の醜さ」を端的に顕わしたものだ。

五輪が国家主義の歪んだスポーツ礼賛であり、なおかつビジネス利権であることを誰もが知っているのなら、別の方法があるではないか。池江選手が国費やスポンサーに頼らず、個人として出場できる運動をやってみればよいのだ。彼女は参加タイムをクリアしているのだから。

その運動の成否はともかく、そこにカネと国策に拠らない現代オリンピックの改革論があればこそ、オリンピック反対運動も意義のあるものとなるはずだ。

近代五輪がクーベルタンの意図するところを離れて、ナショナリズムと勝敗主義に陥ったことは、この通信で何度も明らかにしてきた。しかるに現在のオリンピック反対運動は、スポーツ社会学や文化論を決定的に欠いているがゆえに、政治主義的に収れんされ、反対のための反対論に堕してしまうのだ。


◎[参考動画]小池都知事「希望の党」代表に(時事通信映像センター 2017年9月25日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号

[カウンター大学院生リンチ事件 対李信恵訴訟控訴審に向けて3]裁判所(大阪地裁)は、なぜ異常に「平手」か「手拳」に拘泥するのか? このことで「木を見て森を見ない」判断となり初歩的誤判を犯しています! 鹿砦社代表 松岡利康

以下は前回に続き、李信恵から「名誉毀損」で鹿砦社が提訴され、不当な判決を下した大阪地裁の粗雑極まりない判断に対して、控訴審に提出した、私の「陳述書」をもとに(一部わかりやすいように加筆してあります)鹿砦社、ならびに、特別取材班の想いを綴ったものです。
 
◆鹿砦社は控訴審で、心理学者・矢谷暢一郎先生(ニューヨーク州立大学名誉教授)の「意見書」と精神科医・野田正彰先生の「精神鑑定書」を提出! 裁判所(大阪高裁)は、これらの科学的知見を直視すべきであり、もし一審判決を是認するのなら、これらの科学的知見を覆す、それ相当の理由が必須です!

 
リンチ直後のM君の写真。これを見て、あなたはどう思うか?

本件一審判決や、リンチ被害者M君が李信恵ら加害者グループ5人を訴えた訴訟(終結済み)の判決で裁判所は、李信恵によるM君への出合い頭での殴打が「平手」か「手拳」かに異常なまでに拘泥し、M君の記憶が曖昧で発言が変遷したことをもってM君の発言を「信用ならない」(本件一審判決)、「信用性に欠ける」「信用できない」(別訴一審判決)としています。

こうした大阪地裁の2つの判断について、本件訴訟では一審被告とされた私たち鹿砦社(控訴人)は、今回の控訴審に於いて、心理学者・矢谷暢一郎先生(つい最近〔4月20日付け〕ニューヨーク州立大学名誉教授を拝命)の「意見書」と精神科医・野田正彰先生の「精神鑑定書」提出しました。「意見書」と「鑑定書」を読めば、凄惨なリンチを受けた被害者M君の記憶が飛んだり曖昧だったりすることはありえ、むしろ当たり前だということが判るでしょう。今回の控訴審で裁判所(高裁)が一審判決を是認するのであれば、矢谷、野田両先生の「意見書」や「鑑定書」を覆す、それ相当の理由が必須です。

素人のリンチではなく、プロのボクサーでも(つまり顔面や胴体を「殴られる」ことを仕事にししている人でも)これだけの凄絶な暴力を1時間近くも受けていれば、記憶は飛びますし曖昧にもなります。裁判官は地裁にしろ高裁にしろ、これまでの人生で、これだけ凄絶な暴力、つまり1時間ほどにも及ぶ暴力を受けたことがあるでしょうか? おそらく、ないでしょうが、裁判所は被害者救済の観点から、虚心坦懐に証拠に向かい合い、法的合理性を持った判断を下すべきです。激しい暴力を受けた者の被害に寄りそうべきですし、その事実を報じた私たち鹿砦社に賠償金やブログ記事の削除を求めるような不当な判断は、司法の名において、その権威を汚すものであると認識すべきです。

M君へのリンチと私たちの出版をめぐる、大阪地裁の2つの判断は、心理学、精神医学の専門家の分析・診断、また一般市民の感覚から、絶望的にかけ離れています。裁判所は真に「一般読者の普通の注意と読み方を基準」(一審判決)として審理し判断しなければなりませんし、この観点を堅持することは当然です。一審判決は「一般読者の普通の注意と読み方を基準」との言い回しを引き合いに出していますが、判決全体を眺めると、これは言葉だけで、「一般読者の普通の注意と読み方を基準」とは到底言い難い判決でした。

私たちは、李信恵の最初の一発が「平手」であろうが「手拳」であろうが、さほど重要だとは考えません。被害者M君が1時間もの間、殴られ蹴られ全身に重傷を負ったという厳然たる事実こそが重要です。大阪高裁の裁判官は、今一度、リンチ直後の被害者の顔写真を見、リンチの最中の音声を聴いてほしいと思います。

そうして、あえて繰り返しますが、いまだにリンチ被害者M君はリンチのPTSDに苦しんでいることを顧みてほしい。裁判官(高裁)に、血の通った一人の人間としての感性があるのなら、ぜひ被害者に寄り添ってほしいと思います。決して加害者に与して暴力を容認しリンチに加担しないでいただきたい。本件訴訟は、直接被害者が訴訟の当事者ではありませんが、「Mの供述は直ちに信用できない」とする一審判決は被害者の精神をさらに追い込みました。控訴審を審理する裁判所(大阪高裁)が真に〈人権の砦〉ならば、そうした一審判決を是認するような判断は絶対にしないように心より願っています。

一審大阪地裁の2つの判決が、異常に「平手」か「手拳」かにこだわり「木を見て森を見ない」判断になり、これを急所隠しの“イチジクの葉”として本件リンチ事件の〈本質〉が見過ごされているのではないでしょうか。

リンチ後になされたセカンドリンチの一例。こんなツイートをした者らに「人権」を語る資格はない!

◆嗚呼! 大阪地裁の初歩的誤判! 裁判所は真に「一般読者の普通の注意と読み方を基準」に慎重な審理を尽くせ!

一審判決で誰にでも判る初歩的誤判の一例を挙げます。特別取材班キャップ・田所敏夫が電話取材したコリアNGOセンター金光敏事務局長の発言を出版物(『反差別と暴力の正体』)に明確に掲載しているにもかかわらず、これを見落とし、あるいは無視し「被告(注・鹿砦社)は、金光敏に対して取材して、その発言の真意や原告の正確な発言内容を確認するなどしていない」(一審判決文)と一審大阪地裁第24民事部は断じています。初歩的な誤判です。

しかし、この判断(誤判)は簡単に片付けられるものではありません。「取材し」その内容を掲載しているのに「していない」と判断され高額な賠償金を課せられれば、出版を生業とする者にとっては、その法的存在意義を揺るがされます。換言すれば、〈事実〉を無視しても、恣意的な判断にうなだれるしかないという“法治国家以前の姿を甘受せよ”と通告されるに等しい激烈に乱暴な判断です。「平手」か「手拳」かに拘泥するあまり、法律以前の基本が蔑ろにされています。本件訴訟は民事事件ですが、原審の粗雑極まりない判断に対し、私たちには予断と偏見による〈冤罪〉とすら感じられます。
 
◆行方不明だったリンチ実行犯・金良平への裁判所の誤認

 
李信恵と暴力実行犯・エル金こと金良平

また、一審判決文には「金(良平)に対して取材を申し入れるなどしていない」と記載されていますが、これも重大な誤りです。提訴時、「エル金」こと金良平は住所不定でした。裁判所から特別送達された訴状すら彼には届かず戻ってきました。この事実は地裁事務局に記録があると思います。一審大阪地裁第24民事部の裁判官は、金良平が初回期日の直前まで行方不明だったことをご存知なかったのでしょうか?

取材班メンバーが、金良平が居住していると把握していたアパートを訪れてももぬけの殻でしたし、別の取材班メンバーがのちに金氏が署名した住所を訪れたら、居住地であるはずの場所は駐車場でした。笑い話にもなりません。金良平が以前に使用していた携帯電話番号は変えられており、取材を多角的に試みましたが、実現できる状況にありませんでした。鹿砦社は強制捜査権のある「捜査機関」ではありませんので、おのずと限界があります。控訴審に於いて大阪高裁は、この点も十分な検討をすべきでしょう。

リンチ被害者M君は、ネットリンチや村八分などのセカンドリンチを受け続け、それは精神を病むほどでした。そうして大阪地裁の2つの不当判決は、まさに法の名の下による“サードリンチ”と言ってもいいでしょう。もうこれ以上、被害者を苦しめないでいただきたいと願います。裁判所は真に〈人権の砦〉として、暴力を排し、「反差別」運動のリーターとされる李信恵を厳しく戒め、これまでの裁判所の判決ごとに精神的に追い込まれてきたリンチ被害者を慰撫する方向で審理し判断することを強く望んでいます。リンチ被害者M君に救済の手を差し延べてください。(本文中敬称略)

[右]李信恵代理人・神原元弁護士のツイート(2016年9月12日)。私たちのリンチ被害者M君への救済・支援活動を「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」と言い放つが、私たちは「私怨と妄想」でこの問題に関わったのではない![左]同じく神原弁護士のツイート(2016年12月2日)。M君訴訟は広く皆様方の浄財で闘ったが、これを「汚い『集金』」と非難。では、李信恵の裁判を支援する会の「集金」はどうか? M君とは桁違いの大金を集めながら、いまだに会計報告もない!

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

[カウンター大学院生リンチ事件 対李信恵訴訟控訴審に向けて2]裁判所(大阪地方裁判所)への絶望 ── 最も「恐怖心」を覚えたのは誰か? 本係争の根本的問題とは何か? 鹿砦社代表 松岡利康

本通信で5月10日に私がこの事件につき、現在の心境を開陳し、5月12日には特別取材班による、「M君リンチ事件」に関する一連の裁判の流れが、解説されました。5月10日の通信の後半でも述べていますが、数回に分け連続して、李信恵から提訴され大阪地裁で不当判決を受けた控訴審(5月25日)に向けて、私が裁判所に提出した「陳述書」の内容に順じて、現時点の私の想いやスタンス、このかんの私たちの取り組みが、どのような動機に起因したかをお伝えしたいと思います。

◆いよいよ控訴審へ

来る5月25日、対李信恵訴訟控訴審が大阪高裁(第2民事部、午前10時~、別館82号法廷)にて始まります。私は今回の控訴審においても、思いの丈を「陳述書」にしたため裁判所(大阪高裁)に提出しました。

私は一審では4通の「陳述書」を提出いたしましたが、裁判所(大阪地裁)は、これらを精読されたようには思われません。「M君リンチ事件」から派生した本係争に対する私たちの事実に立脚した主張、並びに、それにかけた想いは、全く考慮されていませんでした。

控訴審を審理する大阪高裁には、事実と証拠に基づき、事件を正しく理解していただきたいとの想いで「陳述書」を文章化し提出したわけです。大阪高裁が、妥当な読み方で私の「陳述書」を読み理解してくれるかどうかはわかりませんが、私の想いだけは申し述べておきたいと考えた次第です。

本件一審判決言い渡しを法廷で聴き私は、怒りを通り越して、絶望、脱力感に襲われました。それは、まだ心の中に残っていた“裁判所の良識”への期待が裏切られたからです。裁判所は「人権の砦」であり「憲法の番人」ではなかったのか──本件リンチ事件(加害者らは「リンチ」という言葉が嫌いなようですので「暴行傷害事件」と言っても構いませんが)直後の被害者の顔写真やリンチの最中の音声データに象徴されるような、凄惨な傷(肉体的にも精神的にも)を受けた明確な証拠がありながら、裁判所は一人の青年学徒の人権を尊び彼を救うのではなく、加害者の暴力を容認しリンチ(あるいは暴行傷害)に加担したことに、いいしれぬ絶望感と脱力感を覚えました。

一審判決文(1ページ目)
 
李信恵手書きの「謝罪文」(全7ページ。全文は『暴力・暴言型社会運動の終焉』に掲載)

李信恵は事件直後、一度は「謝罪文」を書き「活動自粛」を約束しながら、これを反故にし、それにとどまらず被害者M君に対して、加害者やこの周辺の者らは激しいセカンドリンチ(ネットリンチや村八分行為)を行い、これを止めるのではなく黙認・黙過しました。被害者M君の〈人権〉などまったく眼中にはなく彼の精神を苦しめ、現在に至るまで被害者をリンチのPTSDに追い込んでいます。

こうしたことによってM君はものごとに集中できず博士論文も挫折、就職活動もうまくいかないままです。もし私がM君の立場だったら、おそらく同様に、いや彼以上に錯乱しているでしょうし発狂しているかもしれません。

一方の李信恵は、あたかも何もなかったかのように、あろうことか大阪弁護士会や行政などから招聘され講演行脚に奔走しています。おそらくこれまで100回前後の講演会や集会の講師を務めていると推察されます(ここが他の加害者4人と決定的に異なるところです)。

こうした李信恵の姿を見るにつけ、彼女が自筆で書いた「謝罪文」は一体何だったのか、と思います。李信恵に〈良心〉はないのでしょうか? 私たちは血の通った人間として、たとえ裁判所が李信恵を免責しても、本件リンチ事件について、日頃「人権」とか「反差別」とかを喧伝する彼女の〈良心〉や〈人間性〉を問い続けます。一人の人間として血の通った真摯な〈謝罪〉がなされるまで──。私たちが問いかけてきたことは、法的責任はもちろんですが、人間の生きよう(「人倫」ともいえるかもしれません)の問題です。

◆本件の最大の被害者は、1時間ほどの凄絶なリンチを受けた大学院生M君です

 
大阪弁護士会主催シンポジウム案内

本件リンチ事件の最大の被害者は、言うまでもなくM君です。李信恵の「陳述書」で彼女は、あたかもみずからが、私たち鹿砦社や取材班による当たり前の取材に対して「恐怖心」を覚えた「被害者」のように誇大に書いています。いわく、鹿砦社の出版物やネット記事等で「自分の受けた被害」によって、「苦しい気持ちになりました。」「不安と苦痛でいたたまれません。」「恐怖に苛まれました。」「恐怖心でいっぱいになりました。」「これら記事を読んで泣き崩れました。」「非常に不安になりました。」「不安感や苦痛はとうてい言葉にできません。」「怒りと悲しみでいたたまれなくなります。」「私に対する強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じています。」等々言いたい放題です。私からすればとんでもないとしか言いようがありません。

よくよく考えてもみてください、「苦しい気持ちになり」、「不安と苦痛でいたたまれ」なくなり、「恐怖に苛まれ」、「恐怖心でいっぱいに」なり、「強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じ」たりしたのは、リンチにより身体的にも精神的にも大きな被害を受けたM君のほうです。

一審の大阪地裁は、このことを誤認し、在日コリアンで女性であることで「複合差別」(李信恵が極右団体らを訴えた別訴での判決文より)を受けてきたとされる李信恵は嘘をつかず、その「陳述書」の内容を“真実”であると、すっかり信じ込み、逆にM君の、リンチによる身体的、精神的傷を蔑ろにし、M君の発言を「信用ならない」と判断しました。

 
李信恵による批判者を罵倒するツイート

常識的に見て、精神的に一番「恐怖心を感じた」のは1時間ほども激しいリンチを加えられたM君です。M君の「恐怖心」はリンチ事件後も続きます。先に提出された著名な精神科医・野田正彰先生によるM君の「精神鑑定書」によれば、

〈被害後、翌朝に再び主犯金良平が電話にて「お前、まだ何か言いたいことあんのか?」と凄んできたこと、反差別運動において敵対者や批判者の自宅や職場への嫌がらせが常態化していたことから、その後加害者グループおよび反差別運動の関係者によるさらなる暴行加害の恐怖に苛まれた。
 受傷被害後6日後から恐怖心がさらに増すようになった。家に来られるのではないか(配達など、インターホンが鳴るたびに緊張した)、待ち伏せをされるのではないか、もし家に来られた場合は飼っている猫も殺されるのではないか、外出すれば襲撃を受けるのではないか…。特に外出時において線路に突き落とされることを恐れ駅のホームでは端を歩かない、公共のトイレの利用においても襲撃を恐れ小用でも鍵のかかる部屋に入る等の警戒をする日々が1年半以上続いた。襲撃を恐れ外食もできなくなった。隣接地域である鶴橋にも行かなくなった。〉

と記載されていますが、M君が感じた「恐怖心」は、李信恵の「恐怖心」を遙かに凌駕します。一時は李信恵と昵懇だった凛七星さんが言うように「彼女(注・李信恵)は言い訳だとか、話を捻じ曲げて自分の都合のいいようにするのが得意」(第2弾本『真実と暴力の隠蔽』134ページ)というような多くの証言がある李信恵がいい加減なことを言うのは仕方ないにしても、彼女の三文芝居に騙されずに裁判所は事実と証拠に基づき、公平・公正な判断をしていただきたい。李信恵の牽強付会な物言いを、言葉通りに誤認しないでいただきたいと思います。

「恐怖心」と言えば、ある在日コリアンの女性経営者が、本控訴審のために当初陳述書を書き証言すると言ってくれましたが、一夜明けると断りの連絡がありました。理由は、何をされるか「怖い」からということでした。李信恵や彼女と連携する者らによる暴力・暴言や職場への電話攻撃、SNSでのネットリンチが激しくなされてきましたので、その女性経営者の情況を察し諦めた次第です。

その女性経営者が躊躇し悩んだのには実例があります。ある公立病院に勤める在日コリアンの医師、金剛(キム・ガン)先生は、生来の正義感から、このリンチ事件批判のツイートをするや、李信恵の仲間や支持者らに激しい病院への電話攻撃をなされています。人の生死に関わる病院に、です。

さらには、四国の自動車販売会社・合田夏樹社長に対しても、身障者の息子さんのいる自宅や会社への電話攻撃、挙句は国会議員の宣伝カーを使い本件リンチ事件にも連座した伊藤大介の指揮の下、自宅や会社(近く)へ押し掛け、さらには大元のメーカーにも激しい電話攻撃は及んでいます(このあたりの詳細な経緯は第2弾本『真実と暴力の隠蔽』参照)。このことで合田社長の奥様は非常な「恐怖心」を覚えたといいます。

伊藤大介らによる合田夏樹脅迫事件
 
同上

先の女性経営者は、これらの事例、さらには批判者に対する容赦ないネットリンチや電話攻撃などを知り「恐怖心」を感じ陳述書や証言を断念されたわけです。他にも李信恵やその仲間らから激しいネットリンチや暴力・暴言を受け「恐怖心」を覚えながらも、いわば“泣き寝入り”をした人たちを私たちは取材の過程で数多く知りました。控訴審を審理する大阪高裁には、こうした事情もぜひ認識いただきたく強く望みます。

また、私たちや取材班メンバーらは、それまで全く面識のなかった李信恵に対して「悪意」や私怨、遺恨など皆無だったことは事あるごとに申し述べてきました。私たちは、あくまでも真相究明のために地を這うような調査と取材(もちろん合法的な)によって事実を積み重ね〈真実〉に迫ったまでです。それが「調査報道」やジャーナリズムの基本であり社会問題に関わる出版という営為であるという矜持と誇りを持っています。

加害者グループと違い鹿砦社や取材班メンバーが暴力を振るうことは断じてありません。社会運動や反差別運動の内部での暴力・暴言(言葉の暴力、右派・左派問わずのヘイトスピーチ)を厳に戒めるというスタンスを明らかにしています。こうしたことにも一審大阪地裁には誤認があります。

控訴審にあっては、真に〈人権の砦〉の立場から大阪高裁は、当然のことながらリンチの被害者に寄り添い、リンチによって追い込まれた被害者の精神状態を慮り、この〈人権〉を尊ぶような審理、及び一審判決における重大な誤った判断の数々(別途指摘します)を、何の予断と偏見なく虚心坦懐に精査し、公正な判断がなされることを熱望いたします。(文中、一部を除き敬称略)

◎読者の皆さんは、どのようにお感じになるでしょうか。私は出版に関わって大小の事件と直面してきました。「M君リンチ事件」は、見方によっては、さほど社会性のない些細な事件と思われる方もおられるかもしれません。しかし、果たしてそうでしょうか。「神は細部に宿る」との格言のとおり、社会を良くしようと指向する運動には、その志に見合った行動が伴うべきではないでしょうか。(つづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

『暴力・暴言型社会運動の終焉』

自粛の強要が社会を殺す──小池東京都知事と吉村大阪府知事に共通する〈悪しき政治手法〉コロナ・ショック・ドクトリン 林 克明

「街灯を除き、全ての明かりを消すように徹底していきたい」

4月23日の記者会見で東京都の小池百合子知事はこう語った。夜間の外出を抑えるために、夜8時以降は、看板照明、ネオン、イルミネーションなどを消灯せよ、というのだ。

まさに戦時中の「灯火管制」だが、この小池知事の発言にあきれる声もある一方、支持する意見もある。そこに、医学や科学を超えた“疾病”=コロナ病の危険を感じざるを得ない。


◎[参考動画]小池知事「午後8時以降 看板、ネオン消灯を」(ANN 2021年4月23日)

多くの人々は、素朴な疑問をもつだろう。けた外れに感染者と死者が多いアメリカやヨーロッパ諸国が意外に持ちこたえ、はるかに少ない日本が、なぜ大阪のように医療が崩壊し、なぜ3回も緊急事態宣言を出し、経済や社会が崩れてかけているのだろうか、と。

少なくとも2021年4月末の時点では、このような素朴かつ重大な疑問が沸き上がるのは当然だ。

読売新聞オンラインの報道によると、2021年4月27日にまでの集計で、人口比に占める感染者の割合(カッコ内は感染者数)は次のようになっている。

・アメリカ 9.82%(3,212万4千人)
・フランス 8.31%( 556万5千人)
・イギリス 6.65%( 442万3千人)
・日本   0.45%( 57万2千人)
 
21年4月末日時点の日本の状況を考えれば、上にあげた米仏英などは、経済も医療も完全に崩壊しているはずである。反対にはるかに感染者数の少ない日本が今日の事態に陥ったのは、1年3ヶ月の間に政府が有効な対策を実行してこなかったからである。

感染症重傷者を治療できる設備を持つ大学病院や国立病院、地域の中核病院の病床や集中治療室を大幅に増やし、それに伴う人員増員と補償する予算措置を明確に実行しなかったのが大きな原因だ。

1年数カ月前に感染症や大規模災害に対応する医療システムの計画を策定し実行していれば、状況はまるで違っていたはずだろう。

つまり、いま私たちが直面しているコロナ危機は、医学的・科学的危機以上に政治危機(人災)の側面が大きいと見なければならないのではないか。


◎「参考動画」コロナによる国内の死者4687人 中国本土を上回る(ANN 2021年1月20日)

◆上と下からの圧力が人と社会を殺す

人災によってコロナ禍が増していくと同時に、マスク警察、自粛警察、通報、など戦中の隣組的発想が増長し、リアルの警察も去年のうちからマスクを付けない若者を交番に連行したり、繁華街で警棒を振り回して歩くなど社会の空気も悪化している。

国家総動員的な空気が蔓延する中で、小池都知事による灯火管制発言が出たわけだ。人々に恐怖を与えれば強権的な言動をとっても、大衆は従う(どころか、従わない人を攻撃もしくは通報)する性質を熟知してのことであろう。

灯火管制発言から週が明けたら、さっそくテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』では、コメンテーターの玉川徹氏と司会の羽鳥慎一氏が、灯火管制に対する批判も「感情的にはわかるが」としながらも、人が集まらないようにするうえで有効であると、灯火管制に賛意を示していた。

灯火管制は、合理的なコロナ対策とは言えず、かつて日中全面戦争勃発後に展開された国民精神総動員運動のスローガンのようなものだろう。メディアが厳しく批判的に報じない限り、政治家の強権的発言や人権を制限する政策が下から支持されやすくなる。


◎[参考動画]燈火管制《前編》昭和15年 内務省製作映画

◆医療システムを脆弱化させた維新と吉村大阪府知事

東京から大阪に目をうつすと、似たような危険がある。大阪では「維新政治」が始まってから、無駄を省き、公務員を削減し、医療をはじめとする公共サービスを低下させてきた。

2020年12月20日付の『長周新聞』(電子版)が分かりやすく伝えている

《医療や衛生部門の職員数も大幅に減少した【表参照】。保健所の統合も進め、07年には748人いた大阪府の保健所職員は、19年には506人となり、12年間で3割以上削減されたことになる。

公的医療の根幹を担っていた府立病院と市立病院を統合して独立行政法人(民営化)へ移行させたことも背景にある。国の方針を先取りして病床数削減も進め、大阪府の病床数(病院)は07年の11万840床から18年の10万6920床と3920床減り、10万人あたりの総病床数は1197床であり、全国平均の1212.1床を下回っている【表参照】。》(引用終わり)

日本医師会の地域医療情報システムによると、コロナが始まる前の2018年11月時点で「結核・感染症」の10万人あたりの病床数は4・18床で全国平均の4・46床を下回る。

今回のような感染症対策に可能な保健師数は、人口10万人当たり25.9人で全国平均41.9人の6割しかおらず、全国ワースト2だ(2018年度)。

つまり、コロナ禍が始まるまでに医療システムが弱体化させられていた。その政策を推進してきた大阪維新の会の吉村洋文知事の言動は迷走している。

象徴的なのは、イソジン吉村のニックネームをつけられたように、昨年夏、うがい薬に含まれるイソジンがコロナ感染の重症化抑止に効果があるなどと発言した。そして「あごかけマスク」によるマスク会食を推奨するなど、その場その場でテレビ受け、一部大衆受けする言動を繰り返してきた。その挙句、3月7日が期限だった2回目の緊急事態宣言を大阪については解除するよう吉村は政府に要請し、2月末に解除された。

あるいは、感染を抑えすぎたから次の波が到来したなどという発言もしていた。極め付きは3度目の緊急事態宣言が決められた4月23日、「社会危機が生じた時に、個人の自由を大きく制限する場合があると国会の場で決めていくことが重要だ」と吉村知事は述べたのである。

これに対し兵庫県明石市の泉房穂視聴は、「大阪府知事は有害だ。自分が病床確保をしていないのに、それを国民に転嫁して私権制限するとは、まさに政治家の責任放棄だ。あの人こそ辞めてほしい」と正論を述べた。

これまで医療体制を脆弱化させてきた維新に所属し、その場限りの言動を繰り返してきた人間が「私権の制限」で国民の自由を奪うなど、犯罪者が被害者を抑圧するがごとき妄言である。


◎「参考動画」協力防空戦(焼夷弾の種類や対処を教育するためのアニメーション)

◆大阪吉村、東京小池はともに有害

話を東京に戻せば、小池知事も昨年、東京オリンピックの延期が決定された翌日から。突然コロナは大変だと騒ぎ始めたのは周知のとおり。前の日までは危機感を表す言動はなかったのに。

「オーバーシュート」「東京アラート」「ウィズコロナ」などというカタカナ語をまき散らし、「夜の街」などという言葉もはやらせた。レインボーブリッジや東京スカイツリーの電飾を操作して、言葉遊びをして「やってる感」を演出してきた。カタカナ標語の乱発やスカイツリー電飾操作は、「欲しがりません勝つまでは」、「一億一心」「撃ちてし止まん」(敵を打ち砕いたあとに戦いを止めよう)の思考回路に通じる。

それはエスカレートし、今回の「灯火管制」発言につながった。日中戦争開始の1937年に始まった国民精神総動員運動の再開をほうふつとさせる。いったい何様のつもりなのか。

基本的には、大阪の知事と同じだ。とくに吉村府知事は、過ちを認めない、誤らないという維新系政治家の特徴をよく表している。このような人たちが国民の自由を大幅に制限せよと息巻き、あるいは灯火管制で国民精神総動員まがいのことをしているのは、一種の倒錯であり危ない。

コロナ対策は急がれるが、東と西の知事を一刻も早くまともな人物に代えることも喫緊の課題だと私は考える。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号