文科省と学校の偏狭無責任に抗った1988年小6「ゲルニカ」の旗と龍一郎氏の良心

また下品な表現を使わせていただくが「ほらみたことか!」である。萩生田光一文科相が11月1日、2020年度から実施すると計画していたセンター試験英語における民間試験の導入を5年先延ばしすると発表した。センター試験に民間試験を取り入れることには、高校側からの反発意見が根強く、文科省は、それに対してこれまで傲慢な態度をくずしていなかったが、既に試験のID発行を始める最悪のタイミングで延長を発表した。

◆文科省「朝令暮改」の無責任──受験生はたまったものではない

こんなことをされては、準備をしていた受験生はたまったものではない。文科省伝家の宝刀「朝令暮改」の本領発揮である。受験生の立場や大学の都合など、一切お構いなしに、どんどん劣化が進む文教行政の本質が、見事に炸裂した事件といえよう。このような「ドタキャン」ならぬ「ドタエン(延期)」を、行政側ではなく、一般市民が行えば必ずや強権的にペナルティーを課したり、脅しをかけてくる文科省。自らの失態のもたらした受験生、高校、大学への不利益をどう始末するつもりであろうか。

始末などできはなしない。文教行政や学校運営に関わる人が、冒しがちな大いなる勘違いがある。それは方針や政策を一連の流れの中で位置づけようとする意思だ。文科省であれば、「社会の要請や時代の変化」だの、大学は「新しい取り組み」といった理由をつけて、受験生や学生にとって例外を除けば、人生に一度しか経験しない受験や、大学のカリキュラム、学部、学科構成などを文科省を主体、あるいは大学を主体に考えて構築してしまう考えかたである。

◆文科省に隷属する学校・教師の無責任

これは、今回の醜聞に限らず、教育関係者とりわけ私立学校の運営や、個々の教師の児童・生徒・学生への向き合い方にも表出することがある。わたし自身が通った「授業料を払う刑務所」こと愛知県立高蔵寺高校に勤務し、のちに校長まで上り詰めた暴力教師、市来宏はわたしに対して「先生(自分のことを先生と呼ぶな!)も若い時は組合で赤旗を振っていたことがある。でもいまはこれが正しいと思ってやっている」とわたしに暴力を振るう際に開き直ったことがあった。市来が若いころも「いま」(過去である)も、本当の「いま」も生徒への暴力は一貫して犯罪行為であり、教師個人の考えが「法律」を超えることなど許されないことは自明である。

これなのだ。教師にとって新任採用されてから、定年を迎えるまで。経験を重ね教師として(あるいは人間として)成長してゆくことは理解できるが、そのときの私的思想や感情で態度を変えてもらっては、児童・生徒・学生にとっては迷惑以外の何物でもない。学ぶ側は個々の教師の人間性を目指してではなく、義務教育であれば学校へ必然的に、高校以降は「その学校の教育(あるいは課外活動)内容」に的を絞って志望校をきめるのであり、教師・教員の都合で教育態度や内容が変化されたのでは約束違反もいいところだ。

この文科省を筆頭とする教育機関、教師・教員個々が冒しやすい「機関や個人史の中に児童・生徒・学生との向かい合い方をおく」考え方の過ちは案外わかりにくい形でも頻発する。私立大学にとっては少子高齢化で受験生・在学生の確保が厳しい時代だ。

そこで定員割れを起こしている大学の中には、従来の学部や学科を改組することで展望を開こうとするケースが昔から多数見られる。教育内容が充実し学生にとっての魅力が増すのであれば構わない。だが「抱えている教員の顔ぶれで、ちょと目先の変わったことができないか」という実は貧弱な理由で改組が行われることは珍しくない。その際、在学生や卒業生が自分が在籍している、あるいは在籍していた学部なり学科が「なくなる」ことをどう感じるか、といった視点に重きは置かれない。

「わたしはX大学のY学部Z学科卒後です」

と自己紹介しようにも、Z学科がなくなっていたら、卒後生はどう感じるか。あるいはY学部が消滅していたら。そしてX大学自体が閉校してしまっていたら。たとえば、就職試験の際の面接などで卒業生がどう感じるか。それくらいはどなたでも想像が可能だろう。もちろん長期的な視点に立った、学部や学科の改組を否定するものではない。新しい学問領域の誕生は必然的に学びの場の要請を伴うのであるから。しかし、1つの学科や学部を改組を5年ほどで繰り返す癖のある大学もある。文科省同様の「朝令暮改癖」と言わざるを得ないだろう。

このような姿勢に欠如しているのは、学ぶ主体である児童・生徒・学生を中心に据えた考え方である。そして残念ながら文科省を筆頭に、今日そのような考え方はかなり広く伝播しており、教育現場諸問題の根源を成す課題となっているのではないかとわたしは考える。

◆福岡の小学生たちが作り上げた学年の旗「ゲルニカ」の奇跡

凄い2ショット! 男2人、宇崎竜童さんと龍一郎さん(「琉球の風」控室にて。なお「琉球の風」の題字も龍一郎さんが揮毫)

そんな問題を考えるときに、「この人しか話せない」経験を有する絶好の人物が10日同志社大学で講演をする。本通信をはじめ鹿砦社のロゴや出版物の表紙やカレンダーを揮毫していただいている龍一郎さん(本名:井上龍一郎さん)が下記のご案内のように講演会を実施する。

小学校教諭として、学ぶ主体である児童を中心に学級、学年をまとめ上げ偉大な成果を作り上げながら、校長の悪意により作り上げた学年の旗「ゲルニカ」が卒業式に会場正面に飾られることはなく、卒業する児童が抗議の声を挙げた。

「私は校長先生のような人間にはなりたくありません!」

児童の声を支持した龍一郎先生は、のちに処分を受けることになるが、龍一郎さんに対する処分は「児童に対する処分だ」と受け取った龍一郎先生は、『ゲルニカ裁判』を闘うことになる。

文科省から現場の教師にまで、「学ぶ主体」の意識欠如が著しい時代に、龍一郎さんは必ずや珠玉のアドバイスを伝えてくれることだろう。

ピカソの「ゲルニカ」(左)と事件の中間報告『ゲルニカ事件』(絶版)。11・10の講演は、こののちの話になる。現在絶版だが、当日手持ちの10冊ほど販売
鹿砦社出版弾圧10周年の集まりで揮毫する龍一郎さん(2015年7月12日)
その際揮毫した「誠」の字は極真会館中村道場に採用された
11月10日(日)同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」
11月10日(日)同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

安倍政権が歩む戦争への安易な道 それよりましな政権選択を探る厳しい道

『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫収録)という本をご存知だろうか。猪瀬直樹という人は、ほとほと政治家(東京都知事)などになって恥をかくべきではなかった。と思わせる氏の名作ノンフィクションのひとつだ。

タイトルのとおり、昭和16年の夏までに、大日本帝国の指導部は対米英戦のシミュレーションを行ない、軍事・経済・資源を算定した総力戦の結果、敗北するというものだ。この試算を行なわせたひとりが東条英機であり、かれの「やはり負け戦か」という言葉も収録されている。

◆戦争は平和目的として発動される 

東条英機が対英米戦争に反対だったのは有名な話で、この試算はドイツのバーデンバーデンでおこなわれた陸軍将校(陸士16期の永田鉄山・小畑敏四郎ら)の長州閥打倒の密議グループに、東条英機らを加えた総力戦研究の勉強会の流れを汲むともいっていいだろう。当時の戦争へという「新体制」(近衛文麿政権)の流れ、戦争前夜の空気感にたいして現実的な試算をした結果、予想したとおり「敗戦」は間違いないと結論が出ていたわけだ。

にもかかわらず、日本人は戦争を選んだのである。負けるとわかっていた戦争を、回避する策はなかったのだろうか。そのための努力はあったが、裏目に出たというべきであろう。

元宮内庁長官・田島道治「天皇拝謁記」で明らかになったとおり、昭和天皇は東条英機の首相登用を、「陸軍を統制して戦争を回避できる人物」と期待していた(失敗だったと田島に語る)。戦時中は専制体制と呼ばれる東条政権も、じつは本人は対英米戦反対論者で、戦争回避のキーパーソンと見られていたのだ。統帥権をもって政権を揺すぶる、陸軍の統制こそが戦争回避の道と考えられていたのだ。

戦争が平和目的として発動されるのは、あらためて言うまでもないことだが、具体的には政治的な実権をもった「人物」の「決断」によるものだ。その意味で「政治は誰がやっても同じ」ではけっしてない。いやむしろ、誰がやっても同じだから政治には関心がない、というアパシーこそが戦争を招くと断言しておこう。あるいは国民的な議論の喚起、必要な論評を避けること自体が思想の頽廃であり、批評精神の衰退である。批評精神の衰退は一億総与党化、戦前で言えば体制翼賛政治への道をひらくものなのだ。

◆危険な選択肢

そこで安倍一強といわれる、与党に批判勢力のない現在の政治状況の中で、よりましな選択肢があるのかどうか。そしてそれが現実的なものなのかどうかを考えてみる必要があるだろう。3年前のことになるが、わたしはポスト安倍が岸田文雄(現政調会長・当時は外相)で、その後は安倍のオキニである稲田朋美ではないかという観測に、大いに危機感を抱いたことがある。

当時、稲田は防衛大臣である。周知のとおり、スーダン派遣自衛隊の日報問題(戦闘地域である傍証)を把握できず、シビリアンコントロールが不能状態となっていた。つまり、派遣先の自衛隊が勝手に「戦闘地域」と判断して戦闘状態に入る可能性があったのだ。これは大げさに言えば、戦前の大陸での関東軍(日本陸軍)の事変拡大政策と、まったく変わらない構造なのである。稲田総理が何も知らないうちに、戦争が始まっていた? 

もしかしたら、歴史はそのように進むのかも知れない。ナチスが国会議事堂を共産党員の仕業にみせかけて焼き払い、国防軍と結びついて突撃隊(レーム)を粛清するまで、ヒトラーが独裁政権(全面委任法)になるとは、誰も思っていなかったのだから――。

◆よりましな選択肢はあるか?

そこで、危機感を抱く何人かの編集者とともに、安倍晋三の反対勢力である石破茂の総裁選を支援しようとした。経済に関する本を出して、アベノミクスに代わるイシバノミクスを打ち出したかったのだ。地域経済の再生という観点から、石破の経済センスは悪くない。

この欄でも何度か触れたが、石破のウィークポイントは「経済オンチ」である。感情とある意味での「天才的な感性」で政治をもてあそぶ安倍が、感じがいいからと「同一労働同一賃金」を政策スローガンに入れるのに対して、石破は「誰か教えていただけないか」とブログで発信していた。わからないことは、わからない。それでいいのではないか。

いうまでもなく、同一労働同一賃金はILOなど労働運動の最大限綱領スローガンであって、これが本当に実現できれば、正規の大学教授(年収1000万円以上)と非常勤講師(年収200万円前後)が同じ賃金を得ることになる。同じ工場で同じ工程を管理している社長と主任も、同じ賃金になる。弁当屋の主人とアルバイトも同じ賃金、つまり社会主義経済の賃金分配なのである。こんなこともわからない安倍に比べて、たしかに石破は実際にはタカ派かもしれないが、物事に慎重なのである。

たとえば安倍の感情的な政策(輸出制限)によって、最悪の状態になった日韓関係の基底にあるもの。すなわち歴史問題について、石破は「なぜ韓国は『反日』か。もしも日本が他国に占領され、(創氏改名政策によって)『今日から君はスミスさんだ』と言われたらどう思うか」と発言して、歴史問題に向かい合うことを訴える(徳島市内での講演)。

「いかに努力をして(関係を)改善するか。好き嫌いを乗り越えなきゃいけないことが政治にはある」「相手の立場を十分理解する必要がある。日韓関係が悪くなって良いことは一つもない」(前出)と語っている。現在の安倍一極も、国民の「よりましな選択」によってよるものである。それはしかし、アベノミクスという仮象の経済によって担保されているにすぎない。貧富の格差、お友だち上級国民と下層国民の分岐。そこにこそジャーナリズムの視点と批評精神が据えられなければならない。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

鹿砦社創業50周年記念出版 『一九六九年 混沌と狂騒の時代』
タブーなき言論を!『紙の爆弾』11月号

対李信恵第1訴訟、李信恵氏が上告を取り下げ! 鹿砦社の勝利が確定!

10月28日、鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の発売を翌日に控え、予想外の大ニュースが飛び込んできた。

 
「反差別」運動のリーダー・李信恵氏が批判者に対して言い放ったツイート

鹿砦社は、Twitter上で李信恵氏から度重なる誹謗中傷を受け、弁護士を通じて「警告書」を送るなど、手を尽くしていた。だが、李信恵氏による鹿砦社に対する罵倒や虚言はいっこうに収まる気配がなかった。そこでやむなく鹿砦社は李信恵氏を相手取り、名誉毀損による損害賠償を求める民事訴訟を大阪地裁に起こした(その後李信恵氏も対抗上別訴を起こしてきたので、便宜上鹿砦社原告の裁判を「第1訴訟」、李信恵氏原告の裁判を「第2訴訟」と呼ぶこととする)。

「第1訴訟」の一審判決では、ほぼ完全に鹿砦社の主張が認められ、勝訴。大阪地裁は李信恵氏の悪口雑言を不法行為と認定したのである。原告、被告双方が控訴した大阪高裁では棄却(一審判決=鹿砦社勝利が維持された)。被告・李信恵氏側は判決を不服として、最高裁に上告していたが、10月25日付け(最高裁の受理は27日)で李信恵氏側は上告を取り下げ、李信恵氏代理人の神原元弁護士は鹿砦社の代理人・大川伸郎弁護士にその旨伝えてきた。

その連絡を28日(月)に受け、ようやくわれわれの主張が裁判の判決として確定したことを知るに至ったわけである。

再度、このかんわれわれの裁判闘争を、陰に陽に支援してくださった皆様方に、ご報告申し上げる!

鹿砦社は、対李信恵裁判闘争において、完全勝利した! と。

この勝利の意味は極めて重い。まず、本件訴訟でわれわれが主張した内容、つまり李信恵氏による鹿砦社への誹謗中傷が名誉毀損に当たり不法行為であることが全面的に認められたこと(逆に李信恵氏の主張はほぼ棄却されたこと)である。

別掲の書き込みをご覧いただければ、お分かりいただけるだろうが、こういった明らかな誹謗中傷を李信恵氏側は「論評」と主張していた。「クソ」という表現が論評に当たるか当たらないかは「常識的」に判断すれば、誰にでもわかることだ。

「李信恵という人格の不可思議」(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)
 

さらには(この点も非常に重要であるが)鹿砦社代表・松岡が、あたかも喫茶店で、会ったこともない李信恵氏に嫌がらせをしたかのような「まったくの虚偽」記述もあった。本人が一番よく知っているのであるから、こういった「虚偽発信」がどれほど、発信者の信用を貶めるものかを、自身も物書きである李信恵氏は知っているであろうに。

Twitterで李信恵氏が発信すると、支援者や仲の良い人々がすかさずリツイートなどで広める(最近はその影響力もかなり低下していると聞くが)。

 

まったくの虚偽事実であっても、かつては強大な影響力を保持した李信恵氏の発信はどんどん拡散されてゆき、「なかったこと」があたかも「あったこと」のように既成事実化に近い認識が形成される。まことに悪質な印象操作であると言わねばならない。そしてそのような印象操作に、神原弁護士や上瀧浩子弁護士も加担していた事実は見逃せない。

 

法廷内で荒唐無稽な主張を展開するにとどまらず、法定外、ことに拡散が容易なTwitter上で極めて無責任で名誉毀損に該当するような書き込みを、弁護士が行ってもよいものであろうか。

裁判の進行報告や支援の呼びかけなどは理解できるが、いくら係争中、あるいは終結した争いの相手であっても、「法の専門家」である弁護士が、一般市民を相手に感情に任せた乱暴な文章や、事実と異なる発信をしてもいいはずはないだろう。それも日頃「人権」がどうのこうの口にしている者が。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)
 

そして、再度確認しておかなければならないのは、このように著名人である李信恵氏が最終的に敗訴しても、一切のマスメディアはその事実を報道しはしない、という歪な状態である。

鹿砦社は、この係争に先立って争われた「M君リンチ事件」提訴以来、M君や松岡が何度大阪司法記者クラブ(大阪地裁・高裁内にある記者クラブ)に記者会見の実施の申し入れをしても、ことごとく拒絶された様子を近くで見てきた。

そして鹿砦社が原告となり(第1訴訟)、李信恵氏を提訴した際にも記者会見開催の申し込みは受け入れられることはなく、さらに、一審で勝訴した際にも記者会見を申し入れたが、開かせてはもらえなかった。

このどうみても「不公平」な扱いを、記者クラブに所属しているマスメディア各社はどのように弁明ができるのであろう。在特会を相手取り損害賠償請求事件を争った李信恵氏には毎回記者会見を用意し(そして記者会見に李信恵氏の仲間らの入場は許可しながら鹿砦社の社員が入ることを拒絶して)、M君や鹿砦社には記者会見の機会を与えない。「差別と闘った」として著名人になった李信恵氏が、このほど鹿砦社に対して、名誉毀損を犯したことが確定した。これはニュースではないのか?

鹿砦社はこれまで、刑事裁判を含め、数えきれないほどの裁判を闘ってきている。裁判闘争史の初期は大物(ジャニーズ事務所、タカラヅカ、阪神タイガース、日本相撲協会など)が多かったので、負けを覚悟での猪突猛進をしていた時期もあった。しかし鹿砦社とて成長するのだ。

ことに言論に関わる争いや係争には近年むしろ慎重に取り組むようになっている。法定外でも情報収集を幅広く行い、「どうすれば勝てるか」を学習もした。また弁護士だけでなくアドバイスを送ってくださる方々の存在も頼もしい。

 

李信恵氏側も、マスメディアも鹿砦社を見下していた印象は否定できないが、このままの姿勢を続けてもよいものであろうか。

「第1訴訟」の判決が確定した。繰り返すがわれわれの〈 完全勝利!〉であった。しかし、この裁判一審の後半になり、李信恵氏側が突如「反訴をしたい」と我が儘にも主張しはじめ、裁判所に認められなかったことから、李信恵氏は別の裁判を起こした(「第2訴訟」はそのような中で発生したものだ)。

その裁判では鹿砦社に損害賠償を迫っているだけではなく、「M君リンチ事件」に関連して出版した書籍の販売差し止めまでもを求めてきている。

とんでもない請求であるが、現在「第2訴訟」は大阪地裁で進行中である。「争点準備手続き」という一般の方が傍聴できない形式を裁判所は採っており、証人尋問までは、基本非公開の法廷で弁論が進む。

当初の裁判長は、李信恵氏が在特会らを訴えた訴訟で李信恵氏勝訴の判決を出した裁判官だった。あまりにも不公平なので裁判官忌避請求を出そうと、準備していたしたその日に、何かあったのか担当裁判長が急に交替した。

李信恵氏との間ではいまだに係争が継続中であるので、「第1訴訟」の完全勝利を喜びながら、気を緩めることなく、「第2訴訟」も完勝し、対李信恵氏裁判〈完全勝利!〉を勝ち取るべく、勝って兜の緒を締めて、さらに闘いは続く。読者の皆様方には引き続きのご支援をお願いしたい。

◆李信恵氏の仲間・金良平氏は直ちにM君に賠償金を支払え!

ところで「M君リンチ事件」で損害賠償110万円超の支払いが言い渡された金良平氏が、代理人を通して「総額のうち40万円余りを支払い、残金は月5万円の分割にしてほしい」と判決確定後に願い出てきた。

M君、弁護団と支援会が相談し、「40万円余りは受け取るが、残金の分割払いには連帯保証人を付けるように」と回答したところ、相手方は難色を示した。仕方なくM君並びに弁護団、支援会は譲歩し、40万円の受け取りを承諾した。そして金良平氏の代理人も「支払う」と回答してきた。

それから少なくとも3週間が経過しているが、いまだに、金良平氏(若しくは代理人)からの支払いはない。

金良平氏は一審の法廷でM君に謝罪したが、これは体のいい猿芝居だったのか!?

リンチ直後に出された金良平(エル金)氏[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)


◎[参考音声]日本第一党 第七回神奈川県本部 川崎駅前東口街頭演説活動 2019年10月19日

 

このことには金良平氏の良心が問われているのだ。「反差別」運動に関わり「人権」という言葉を口にする金氏に良心の一欠片があれば、今すぐにM君に賠償金を支払うべきである。

それどころか、金良平氏は、10月19日川崎で行われた日本第一党の街宣活動に対する抗議行動に赴き、両手をポケットに入れながらも明らかに何者かに、体をぶつけ、その後も聞くに堪えない罵声を、日本第一党関係者に浴びせている。

周囲に金良平氏同様抗議活動へ参加している人の姿が10余名ほど確認できるが、体をぶつけ(相手が警察であれば確実に公務執行妨害で現行犯逮捕だろう。そうでなくとも体をぶつけられた本人が申し出れば金良平氏は何らかの罰則を受ける可能性があろう)汚い罵声を飛ばしたりしているのは、金良平氏ひとりだ。

 

繰り返すが、金良平氏は大阪地裁の法廷で、M君に芝居がかった謝罪のポーズを演じて見せたが、あれはなんだったのだ?

集会結社・言論の自由は、憲法で誰にでも認められているから、どこへ行こうが、何をしようが基本的にはその人の自由である。しかし、金良平氏には損害賠償の支払いが命じられており、その義務をまだ一切履行していないではないか。

M君への110万円余りの支払いを「一時金40万円で、あとは分割にしてくれ」と身勝手な申し出をしておきながら、川崎まで出かけて行ってこんなことをしている場合か?

金良平氏の代理人及び、「M君リンチ事件」一審判決当日、敗訴にもかかわらず「勝訴」とまったく事実と異なる発信を写真入りで行った神原元弁護士も金良平氏を正しく指導する義務があるのではないか!?

鹿砦社は本年創業から50年を迎えた。記念出版物において、これまでの歩みを振り返り、いいところはさらに拡大し、反省すべきは反省しつつ、今後も、われわれが精査し、正しいと判断した道を粛々と進んでゆく。偽物や偽善者に対しては言論戦において容赦はしない。

(鹿砦社特別取材班)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

打落水狗(水に落ちた犬は打て!) 菅原一秀の経産大臣辞任は、結局のところ国会議員の椅子にしがみ付くための方便である

政治は誰がやっても同じ、自民党に代わる政党がないのだから今のままで良いのだ。というのが、日本の国民の少なくとも半数以上を占めるのではないだろうか。あるいは自民党政治にも辟易だが、野党にはおよそ期待できない。そんな政治意識が、じつは自民党政権を支えているのだ。

今回、誰の目にも明らかな公職選挙法違反を犯した、菅原一秀の経産大臣辞任にしても、まぁよくある話(安倍政権では政治資金問題で辞任した閣僚は9人目)として流されていくかのようだ。

だがこれは、れっきとした刑事犯罪(公職選挙法違反)なのである。事実関係を押さえておこう。政治をやるのは誰でもいいわけではない。大げさに言えば、嘘つきやフェイクのパフォーマンスをする者こそが、国家の進路を過ち、戦争への道をひらくのだ。


◎[参考動画]菅原一秀経産大臣が辞表提出 後任は梶山氏(ANNnewsCH 2019年10月25日)

◆国会で追及されているさなかに、堂々と選挙違反

2006年から2007年にかけて、菅原(容疑者=筆者注、以下同)は、選挙区において選挙民にメロンやカニ、イクラ、筋子、みかんといった「金品」を提供して、公職選挙法に抵触する「買収・寄付」を行なっている。これは時効が3年であることから、道義的な責任は問われても訴追される要件ではない。

しかるに、菅原(容疑者)は、過去の有権者買収疑惑を「週刊文春」2週にわたって報じているなかで、公職選挙法違反を犯したのだ。すなわち、練馬区で行なわれた支援者の通夜会場で、秘書をして香典袋を遺族に手渡させ、その瞬間を「激写」されたのである(10月17日)。「有権者にメロンやカニなどを贈っていたのではないか」と国会で追及を受けているさなかに、堂々と公選法違反行為を行なっていたのだ。

菅原(容疑者)は、こう釈明している。「秘書が香典を持って行ったことを知らず、わたしも翌日、香典を持って行ったんです」「先方から香典を戻されたことで、初めて秘書が香典を渡したことを知った」と。議員(大臣)本人が香典を渡すことは、一般慣習として公職選挙法も禁じていない。つまり菅原(容疑者)は秘書が勝手に香典を持って行ったと言うことで、容疑を秘書に押し付けていのではないか。

本欄(2019年9月24日付)では、安倍改造内閣の顔ぶれを批判したときに菅原一秀の経産大臣就任にふれて、批判に晒されるのは必至だろうと断言しておいた。以下、再録させていただく。

【菅原大臣の事務所での暴虐さも暴かれている。秘書たちは朝6時の街頭演説から、夜の11時までブラック勤務を強制されているという。クルマの運転でも、ちょっとでもミスをすれば怒鳴られる。「このハゲー!」で政界を去った(選挙で落選)豊田真由子元議員の言動が暴露されたとき、「つぎは菅原だ」と囁かれたのが、これらの秘書に対する言動だったという。】

【2007年には秘書に党支部へのカンパ(毎月15万円)を強要したとも報じられた(菅原氏はカンパの強制性のみを否定)。高校時代(早稲田実業)に甲子園に出場と選挙公報に書いたものの、じっさいには補欠としてスタンドから観戦していた虚偽記載。】

【女性への言動の酷さは、何度も週刊誌を騒がせたものだ。前述のハワイ行きの愛人に「女は25歳以下がいい。25歳以上は女じゃない」「子どもを産んだら女じゃない」などモラル・ハラスメントしたと2016年6月に週刊文春が報じている。ということは、区議になった元美人秘書は30代から政策秘書(キャリアと能力が必須)を務めていたのだから、女としては扱ってもらえなかったことになる。】

【2016年には、舛添要一辞職後の東京都知事選挙に立候補が噂された民進党蓮舫代表代行が「五輪に反対で、『日本人に帰化をしたことが悔しくて悲しくて泣いた』と自らのブログに書いている。そのような方を選ぶ都民はいない」と発言するが、後日「蓮舫氏のブログではなく、ネットで流れていた情報だった」と釈明している。あまりにも言動が軽く酷すぎる経産大臣が、国会質問で野党の標的になるのは必至だろう。】

菅原一秀事務所では、過去に50人をこえる秘書が退職している。事務所業務のいっさいは菅原(容疑者)が仕切り、勝手な動きをした秘書はクビを斬られるという。したがって今回の「秘書が勝手に」という抗弁も、自己保身ではないかという疑惑が生じるのだ。【高校時代(早稲田実業)に甲子園に出場と選挙公報に書いたものの、じっさいには補欠としてスタンドから観戦していた虚偽記載】とあるとおり、このセンセイは虚言壁があるのではないかとすら思える。

そうであるならば、このさい徹底的に調べを尽くすしかない。香典を持参した秘書は菅原の指示を受けていたのか否か、受けていたのであれば菅原は議員辞職で選挙民に詫びるべきであろう。いや、不逮捕特権があろうとも、検察は書類送検するべきである。いやしくも政治と選挙にかかわる刑事犯罪を犯した議員を、徹底的に叩くことで政治は浄化されなければならないのだ。


◎[参考動画]「政治とカネ」菅原大臣にリスト示し厳しく追及(ANNnewsCH 2019年10月11日)

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▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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◆戦前のような感覚が「普通」になったのか?

下に引用した、ふたつの記事を見ていただきたい。武闘路線を解除し地下組織を解散したといわれる新左翼のなかでは唯一、革命軍戦略(武装闘争)を中止していないとされる(機関誌で革命軍の存在をPR)革労協両派に、公安当局の捜査が入った。とはいえ、読む者をドキリとさせるような内容ではない。

見方によっては「トホホ」なものでありながら、思わず法の運用を間違えたのではないかと驚愕させられる。活動家への私文書偽造容疑は珍しいことではないが、マンションを借りるのに「わたしは過激派の革労協に所属しています」と言わなかったから「身分詐称の詐欺罪」だというのだ。現在の日本に「身分」があるのか。

そもそも革労協(赤砦派)にかけられたこの「詐欺罪容疑」は、暴対法および暴排条例で、ヤクザの組員を取り締まる手法なのである。公安委員会から革労協が「指定暴力団」に指定されたのは、寡聞にして聞かない。

ヤクザに対する法運用にも、問題がないわけではない。銀行口座を作る際やクルマを購入する際に、あるいはゴルフ場や喫茶店に入るときに「ヤクザです」と言わなかったから「詐欺なのだ」と。一連の裁判では暴排条例そのものの違憲性が問われ、少なくない例で「詐欺とまでは言えない」という判決が下っている。当たり前である。カネを出してゴルフやコーヒーを愉しむ側に、とくべつの金銭的な利益が発生するわけでもない。ぎゃくにヤクザが銀行口座を開けないことから、その子弟が不利益を被ることで人権問題が派生しているのだ。

◆日本には、まだ「身分制」があるのか?

そもそも「身分を隠して」というのは、21世紀の日本に、いまだに差別的な「身分社会」があるという意味だ。この「身分」とは、古代社会の「奴婢」や江戸時代の「士農工商」と同じ意味であって、明治維新後は「身分解放令」(「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」明治4年8月28日太政官布告第449号)施行により廃止された。いまの日本には「国籍」や「学生割引」「60歳以上の年齢割引」などの証明、および刑事罰による「公民権の停止」以外の「身分証明」は存在しない。警察庁が無理やり「反社会的勢力」という「身分制」を勝手に作り上げたものなのである。

それでも「反社会勢力」排除という流れは社会の隅々まで行きわたり、マンションの管理組合の規約も、当局の指導で「反社の居住をみとめない」方向で改正されている。今回の事案はおそらく、捜査当局の現場感覚で「過激派も反社だろ」という安易な判断で行なわれたものだろう。暴対法で「指定暴力団」であるヤクザの場合よりも、新左翼は国家の転覆まで目標にしているのだから、けだし当然であるという見方があるかもしれない。

だが、いまだ国家公安委員会は左翼団体を「危険団体」と指定したことはない。いや、ヤクザなら誰でも賛成するだろうという見込みで成立した暴排条例(地方議会)とはちがい、左翼団体を非合法化した場合の国会での法的な論争を、捜査当局および公安委員会が引き受けられるとは到底思えない。かつて「過激派に人権なし」という時代もあったが、精緻な法律論争をやればのっぴきならないことになるのを、警察庁も知っているのだ。ヤクザ(暴力団)とは違って、左翼団体と労働運動団体・市民団体の線引きが、かぎりなく不可能に近いからだ。革命を標榜することが、思想信条の自由および結社の自由(憲法)に保障されているのは言うまでもない。

◆法的な争点を精密に論じよ!

もうひとつの事件は、無許可で金貸し業をやっていたという容疑(4回にわたって、わずか1万2000円……しょぼい)だ。この場合、カネを貸すことで利益が生じたのか否か、あるいは個人間での貸し借り契約(融資)に違法性があるのか(個人的な契約でも、利子は当然発生する)。これが法律上の焦点となる。

かりに無許可で「貸金業」をやっていたとするのなら、当該の容疑者が「営業活動」をしていた事実の立証が必要である。闇金のように看板をつくって「おカネ貸します」とか「カネのないヤツは、俺んところに来い。俺もないけど心配するな!」(植木等)とか言っていた、というのだろうか。

新左翼の中には、かなり酷い法運用を行なわれても「不当弾圧」一般で済ましてしまう傾向があるが、このさい革労協(現代社派)は法律的な争点を明確にし、国賠訴訟で争って欲しいものだ。

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【私文書偽造と「身分詐称の詐欺」事件】

警視庁公安部と埼玉、神奈川両県警は8日、有印私文書偽造・同行使の疑いで、過激派「革労協反主流派」の非公然部門最高幹部、土肥和彦容疑者(71)=横浜市港北区樽町=を、詐欺の疑いで同派非公然活動家、石岡朱美容疑者(57)=同=を逮捕した。調べに対し両容疑者とも、黙秘している。

警視庁によると、土肥容疑者は長期にわたって、非公然部門の最高幹部を務めており、活動全般に影響を与えていたとみられる。2人は石岡容疑者が借りたマンションで同居しており、警視庁などは石岡容疑者が土肥容疑者をかくまっていたとみて調べている。

土肥容疑者の逮捕容疑は平成30年3月、東京都板橋区の歯科医院で、架空の氏名と住所を診療申込書に記入し提出したとしている。石岡容疑者は今年4月、過激派の活動家であるのに身分を隠しマンションの一室を借りた疑いが持たれている。(2019年10月8日付け産経新聞)


◎[参考動画]過激派最高幹部の男を逮捕 歯科診療時に偽名を使用(ANN 2019/10/09公開)

【貸金業法違反】

貸金業法違反の疑いで逮捕されたのは、過激派組織「革労協」主流派の活動家で、住所不詳の緒方信雄容疑者(69)です。

警察は18日の朝から、福岡市博多区にある活動拠点や東京の革労協事務所など5カ所を家宅捜索しました。

警察によりますと、緒方容疑者は2019年5月から8月にかけて、許可がないにも関わらず、県内に住む知人の男性に4回にわたってあわせて1万2000円を貸し付け、貸金業を営んだ疑いです。

警察は緒方容疑者の認否を明らかにしていませんが、革労協による組織的な関与があったとみて、押収品などを調べ容疑の裏付けを進める方針です。(2019年10月18日付けテレビ西日本


◎[参考動画]無断で“貸金業”革労協活動家を逮捕 (福岡TNC 2019/10/18公開)

◆法に依らない日常生活上の禁止

つぎは、11月に延期された祝賀パレード沿道の声(下記引用)である。警視庁は天皇式典の祝賀パレード沿道の住人に対して、ベランダに物を置くな、洗濯物を干すなという「呼びかけ」を行なっているという。「気を付けてください」ではなく「物を置かない」「写真を取らないよう」に「もとめる」。左翼活動家を法的な根拠もなく拘束し、住民には日常生活上の禁止を「求める」のだ。そして問題なのは、これらの指示に従わない者は、社会的に排除される「空気」が醸成されることだ。

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【ベランダに洗濯物を干すな】

警視庁は、祝賀パレードのルート近くに住む人たちに対し、屋上やベランダなどからパレードをのぞき込んだり、写真を撮ったりしないよう協力を呼びかけています。

また物が落下しないよう、廊下やベランダに洗濯物を干すことや、鉢植えを置くことを控えるよう求めています。

ルート近くに住む人からは、さまざまな声が聞かれました。

パレードのルートが見える港区北青山にあるアパートの10階に住む半戸アヤ子さん(77)は、自治会で周知があり、ベランダの鉢植えを移動させる準備を進めていました。

ベランダには、ほかにも夏場に“自然のカーテン”として使っていたゴーヤーのつるが残っていて、その枯れ葉が落ちる可能性があるため、10日はハサミを使って取り除いていました。

半田さんは「なかなか厳しいですが、ベランダから見てはいけないということなので、沿道におりて見ようと思います。天皇陛下が通るのできれいにしておかないといけないと思いますし、洗濯物も1日くらい我慢して干さないようにします」と話していました。

また、千代田区麹町のマンションの10階に住む34歳の女性は「規制について知らなかったのでベランダから見ようと思っていました。

2歳の娘に見せてあげられると思っていましたが、テレビで見ようと思います。何かあったら大変だということは理解できますが、残念だとも思います」と話していました。(2019年10月10日付けNHK

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法に依らない事実上の治安拘束、そしてこれも法に依らない日常生活上の禁止がまかり通るようになったのだ。法に依らないという点では、戦前の特高警察よりも、はるかに悪質な警察権の行使が行われている言うべきであろう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

タケナカシゲル『誰も書けなかったヤクザのタブー』
タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

天皇の「即位の礼」が行われる日はどうして休日なのか

きょう、10月22日はどうして休日なのだろうか。

交通規制のお知らせ(政府広報)

それは天皇の「即位の礼」が行われる日にあたるからだ。30数年前にも同じ理由で休日があった。その日わたしは天皇制にへの反対を示すために、あえて出勤し午後からは市内中心部で行われたデモに参加した記憶がある。

先月来検索サイトを開くと右記のような宣伝(政府広報)が頻繁に目についたし、新聞でも同様の広報があった。おそらくテレビでも東京を中心に相当量の宣伝がなされたことだろう。台風19号の影響で、パレードなど行事の一部は来月10日に延期になったが、総体としての「即位の礼」は変わらない。

さて、「即位の礼」とはなにをする儀式なのだろうか。ウィキペディアが簡潔にまとめているので、紹介する(太字は著者が強調したい箇所である)

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日本国憲法施行後の「即位の礼」では、5つの儀式(国事行為)が行われる。ここでは儀式を概説する。

交通規制が実施される首都高速道路及び地区(警視庁)

・天皇明仁の剣璽等承継の儀
即位の礼はこの儀式から始まる剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)— 皇位継承があった当日に行われる儀式。新天皇や男性皇族が宮殿正殿・松の間に入り、新帝の前に置かれた案(机)に三種の神器のうちの剣璽と御璽、国璽が安置され、新帝が剣璽に挟まれて退出する。大日本帝国憲法下での剣璽渡御の儀(けんじとぎょのぎ)にあたる。

・剣と璽(イメージ、実物は非公開)即位後朝見の儀(そくいごちょうけんのぎ)— 皇位継承当日か、後日行われる儀式。天皇が即位後初めて三権の長をはじめとする国民の代表者と会う。正殿松の間に天皇・皇后や皇族が入場し、天皇の「おことば」の後、内閣総理大臣の式辞がある。明治憲法下の践祚後朝見の儀(せんそごちょうけんのぎ)に相当する。

・即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)— 天皇が即位を国の内外に宣明する、いわば即位の礼の中心といえる儀式で、戴冠式、即位式に相当し、各国元首、首脳らや国内の代表が参列する。皇位継承当日とは日を隔て行われる。宮殿正殿の松の間に高御座、御帳台が設置されて、それぞれ「御装束」に身を包んだ天皇・皇后が登り、諸皇族、三権の長が左右に控える。天皇の「おことば」があり、内閣総理大臣が祝辞である「寿詞」を読み上げ、万歳を三唱して参列者一同がこれを唱和する。

・祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)— 即位礼正殿の儀終了後、天皇・皇后が皇居宮殿から赤坂御用地にある赤坂御所まで御料車でパレードする儀式。

・饗宴の儀(きょうえんのぎ)— 即位礼正殿の儀に参列した内外の賓客に対し、謝意を表してもてなすための宮中晩餐会。即位礼正殿の儀当日に始まり、宮殿豊明殿や長和殿にて数回開催される。

ウィキペディア「即位の礼」の項

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◎[参考動画]即位礼正殿の儀 祝賀御列の儀 祝賀パレード 本番さながらのリハーサル車列 (AirForce Aris2019/10/06公開)

日本国憲法において、天皇は「国民統合の象徴」と定義されているが、なんのことはない。相変わらず、国家神道を土台に据えた明治憲法時代と本質において変わらぬ「神事」が堂々と行われるわけである。

わたしが天皇制を嫌悪し、許容できないのは、このような「宗教儀式」に象徴される「国家神道」が、実質的にまだ生きているからだ。アキヒトは平和を演出しようと、しきりに自分が「象徴」であることを口にしていたが、アキヒトのいう「象徴」とは庶民が使う「象徴」とずいぶん意味が違う。

代替わりに、税金を湯水のように使い、諸外国の元首へ招待状を送り「代替わり」儀式へ参加を要請する。これが「象徴」の入れ替わる際に行われる行事の姿であろうか。こんな扱いは総理大臣の交代にも行われない。つまり本音では「元首」扱いなのだ。

即位礼正殿の儀で《天皇の「おことば」があり、内閣総理大臣が祝辞である「寿詞」を読み上げ、万歳を三唱して参列者一同がこれを唱和する。》この姿を見ただけで日本はいまだに、国家神道から抜け出せていない前近代的な「宗教国家」であることが証明される。でも、日本国憲法の前文やその他の条文から解釈しても、「天皇を元首」とみなすことには絶対的な無理がある。前述したように憲法第一条は「天皇は国民統合の象徴」(この「象徴」の使い方も実に曖昧で不自然ではあるが)と定めているのだ。そしてどこからどう見ても、国民主権は動かしようがない(憲法と法律上は)。

だが、第一条における「象徴」とのあいまいな表現を、優越するはずの国民主権が、実は日本国憲法成立時から、実体化されていなかった事実を「即位の礼」が廃止されなかった経緯に見てとることができる。戦後日本の中枢は、新憲法制定にあたり「国体」を守ることを死活課題とした。そのバーターのために9条が設定されたとの論は、ほぼ間違いないだろう。

「国体」。無理に訳せば不可能ではないだろうが、外国語にこの概念を持つ言語はないのではないか。普段は不可視で存在がつかみにくいが、きょうのような日に正体を現すその核は「国家神道を基礎にする宗教国家」である。

いま何年だ? 2019年だろう。21世紀だぞ! AIの発達が進み、万能細胞が開発され、スマホが世界に行き渡っている時代じゃないか。「国家神道? 馬鹿言いなさい。そんな時代じゃないの」とどうして先進的な科学者や、企業家は発言しないのだろうか。それどころか経団連は労働者を搾取しながら天皇制を称揚し、IPS細胞開発者の山中伸弥はことあるごとに「国家」への忠誠を身をもって示している(新元号選定の有識者会議に山中は参加していた)。ぜんぜん進歩していないじゃないか。IPS細胞の開発者が天皇主義者である事実は、しっかり注意を払う必要がある。

そして、「文化人」だの「評論家」だの呼ばれている連中で、明確に天皇制を批判する方がどれくらいいるだろうか。右の鈴木邦男から自称リベラルの香山リカまで皆さん「万歳」状態じゃないか。芸能人に至ってはもう目も当てられない。

「差別」問題はどうした? 出自による身分制度は、これ以上ない差別制度じゃないのか。「やんごとなき」血筋にお生まれになる方がいるから、生まれたときからさげすまれる子どもが社会的に作られるのではないのか。差別問題を口にしている連中で、天皇制を批判できず、ましてや称揚するような人間は、全員「インチキ」である。

そして「インチキ性」こそが、今日、日本を覆いつくす主流の精神性だといっても過言ではないだろう。まずは鏡を見よう。あなたは「インチキ」に冒されてされていないかどうか。天皇制は強力で巧妙だ。


◎[参考動画]「即位礼正殿の儀」へ 陸自の部隊が予行演習(ANNnewsCH2019/10/19公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

神戸市立東須磨小学校教員間いじめ事件は社会の縮図 ── 文科省の教育施策失敗と日本の社会崩壊を視野に入れなければ、この惨状の本質は語れない

神戸市立東須磨小学校(同市須磨区)の教員間暴行・暴言問題で、同小の仁王美貴校長(55)が10月9日、市役所で市教育委員会の担当者と記者会見した。2018年度に当時の校長が、既に教員のセクハラ発言や職員室でのからかいなどの嫌がらせがあったことを把握しながら、指導などの対応が不十分だったことが判明。加害教員の一部から児童が嫌がらせを受けたとの訴えがあることも分かった。


◎[参考動画]東須磨小学校教員間いじめ問題 新たな事実が明らかに(サンテレビ2019/10/10公開)


◎[参考動画]神戸市・教師いじめ問題 前校長はパワハラを謝罪(ANNnewsCH 2019/10/16公開)

◆1990年7月、神戸高塚高校で起きた女子生徒校門圧死事件

兵庫県では、定期的に教育関係の深刻な事件・事故がおこる。わたしがもっともショックを受けたのは、1990年7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の教諭が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒(当時15歳)が門扉に圧潰されて、死亡した事件である。

本通信の「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」で3回にわたり自身が受けた、天地がひっくり返ったような「公教育」体験の中には、兵庫県立神戸高塚高等学校での事件を彷彿させる場面が、限りなく記憶に残っているからだ。高塚高校同様、わたしの通っていた「授業料を払う刑務所」こと高蔵寺高校や、春日井東高校でも毎朝同様の光景が繰り広げられていた。

わたしは経験はないけれども、校舎の中から眺めていると、教師が猛烈な勢いで校門を閉める際に、少なくとも体を挟まれた生徒は複数確認している。あれが頭部であれば命にかかわったであろうに、野蛮な教師どもは、反省など一切せず毎日同じような危険な光景が繰り返し行われていた。

登校時間ギリギリになる生徒は、必ずしも怠け者の生徒ばかりではない。「授業料を払う刑務所」こと高蔵寺高校は春日井市の西北に位置するが、10キロ以上離れた名古屋市との境界に近い距離から自転車通学してくる生徒も少なくはなかった。

通常通りであれば、登校時間に間に合う時刻に家を出発しても、途中で雨が降り出したり、道路工事で道を迂回しなければならないと、計算通りの時刻に登校できない。生徒はみな、登校時間を送れると「指導」の名のもとに、人権侵害お構いなしの懲罰を食らうことを知っているから、のんびり登校する生徒などはいない。

つまり教師どもは、校則を盾にとって雨中、必死で自転車をこぎ登校してくる生徒を「おはよう」のあいさつで迎えるつもりなどなく、定刻になったら容赦なく校門を勢いよく閉めることに、職業上の喜びや、快感を感じていたのだ。


◎[参考動画]関係者らが追悼 神戸高塚高校 校門圧死事件から29年(サンテレビ2019/07/06公開)

◆「社会の縮図」が引き起こした事件

さて、話がそれたようだが、逸れてはいない。神戸市立東須磨小学校で発生した、教師による教師イジメは、もっとも簡略化して解説するのであれば「社会の縮図」が引き起こした事件である、といえよう。もちろん、その程度の低さと悪質さ、組織的な隠蔽は、もう言及するのも嫌になるレベルである。

学校が、児童や生徒の居場所ではなく、行政権力や国家による人格捻じ曲げの場所に変化してしまったから、このように表現する言葉も見つからない、貧しすぎる精神が居場所を占めるようになったのだ。

このいじめに手を染めた、あるいは黙認した教師どもには、教壇に立つ資格などない。しかし、重要なことは兵庫県だけではなく、全国を見回しても、「イジメ教師」と同等あるいは、同様のレベル人間を今日の学校は制度的に求めている根源がある、ことではないだろうか。

職員会議の議決権が奪われ、校長の権限が強化され、教育に何の知識・経験もない人間が「民間校長」として大阪などでも、もてはやされている。市場原理や、企業的な競争原理を義務教育に持ち込むことが、あたかも「先進的」であるかのような、誤解が全国に広まっている。断言するがこれは完全に大いなる間違いである。

教師を養成する教職課程も、不要な荷重がかけられ、本当に児童・生徒への教育に熱心な個性は、採用されるのが困難になっている。「子供のまま、社会問題など考えない」志望者ほど公立学校の採用試験には合格しやすくなっているのだ。

つまり、極言すれば「子供が教壇に立っている」状態を文科省は望み、その歪な像が実体化している。ここにも深刻な病巣があるのではないか。文科省のいう「多様性」は「成績の出来不出来」を指す。個性も同様だ。少子化で学校の先生の数は余っているはずなのに、先生たちは、毎晩「意味のない」資料作りや報告書作成に追われて、帰宅が遅い。

熱い情熱で、児童・生徒・学生に向き合っている先生・教員が存在することは、強調せねばならない。しかしそういったひとびとが、多数ではいられない仕組みを文科省や教育委員会はが、率先して作り上げている。

きょうのバラエティー番組で、法政大学の「なんとかママ」と呼ばれる「評論家」は、なにをコメントするだろうか。文科省の連綿とする教育施策失敗と、さらにいえば、日本の社会崩壊を視野に入れなければ、この惨状の本質は語れない。


◎[参考動画]東須磨小学校で保護者向け説明会(サンテレビ2019/10/16公開)


◎[参考動画]教員間いじめ問題 保護者説明会で加害教員コメント(サンテレビ2019/10/17公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「企業欲の祭典」東京五輪に対する最善の処方箋は開催の「中止・返上」である

「国際オリンピック委員会(IOC)は10月16日、東京五輪の猛暑対策として陸上のマラソンと競歩を札幌開催に変更する案の検討に入ったと発表した。東京より気温が約5度低く、地理的な条件などを理由としている。五輪開幕まで1年を切り、IOCが会場変更を提案するのは異例の事態で、実現には難航も予想される。猛暑を見据えて準備を進めてきた現場サイドでは驚きと戸惑いの声が上がった。」(10月17日付スポーツ報知)

◆いよいよ混乱が本格化しはじめた

ほーらみろ。いよいよ「企業欲の祭典」、東京五輪の混乱が本格化しはじめた。前回1964年に東京で五輪が開催されたのは、10月。台風の懸念はあるが、年間通じて普通のひとにも過ごしやすい時期だ。あれから半世紀以上がたち、いまの東京8月は、もう「温帯」の気温ではなく「熱帯化」している。わたしが説明するまでもないだろう。関東にお住まいの方であれば「8月の東京」の灼熱ぶりが、五輪に適すか適さないかくらい、簡単にお分かりいただけよう。

そういう自然条件を承知のうえで、五輪招致委員会は「8月の東京」にこだわったのであり、IOCもそれを了承した。どうして8月でなければならないのか? それは北半球の多くの国で、8月が夏休みに充てられ、高い放送料が設定できるからだ、これが10月にずれ込むと放送料は数割安くなってしまう。つまりIOCも招致委員会も、最初から「商売第一」で「8月の東京」をごり押ししたのだ。

ところがである。先に行われたドーハで行われた世界陸上では、あまりの高温多湿にマラソンや長距離競技、競歩で棄権する選手が続出した。当然選手から批判の声が相次いで上がり「二度とこんなコンディションでは、走らせたくない」とコメントするコーチも現れた。

しかもそう発言したのは日本人選手のコーチだった。夜間でも40度を上回り湿度も90%を超える気候で、長距離競技が行われることを前提に、ルールはできていない。日本でも歴史あるマラソンは(福岡国際、別大、琵琶湖、女子マラソン)はすべて冬季に集中しているし、駅伝競技も同様だ。

◆ビジネス最優先のIOCと関連団体の「勘定論」

マラソンは15度くらいに温度が上がると「暑い」と表現され、20度を超えると「厳しい」、25度を超えると「過酷な」コンディションと表現される(気温は概ねの値である)。30度や40度近い気温の中で行われる競技ではないのだ。マラソンだけではない。トラック競技の1000mや20キロ、50キロ競歩なども同様だ。

さて、例年東京の8月の気温はどうであろうか。「熱帯夜」と呼ばれる最低気温が25度を下回らない夜は当たり前。25度どころか30度を下回らない夜も珍しくはない。そんな気温の中で「根性論」ならぬ「勘定論」の上に計画されたのが、東京五輪である。

けれども「勘定論」であるから、競技中に選手がバタバタ倒れたり、救急車がやってくる様子が画面に映ったのでは、非常に具合が悪い。スポンサーのイメージはむしろ下がってしまうから、高いスポンサー料を払っている企業からすれば(その中には朝日、毎日、読売、日経、産経など全国紙も含まれる)「惨憺たる灼熱地獄」を放送したくはない。

そこで、急遽「選手の健康第一」など殊勝な理由をでっちあげて、札幌でのマラソン実施を発案したのだ。IOCをはじめとする「スポーツに詳しいはず」の団体が、競技コンディションなどは二の次で、金勘定だけでうごいていることを証明することになった、象徴的な出来事といえよう。

しかしすでに述べた通り、灼熱地獄で行われるのは、マラソンだけではない。トラック内で行われる1000mは競技時間はマラソンよりは短いが、すり鉢状の競技場を観客が埋めれば、自然気温以上に空気が滞留し、高温化する可能性が高い。そして、あえて指摘しておけば、関東のかたがたがつい最近経験したような、大雨による水害や、地震はいつ発生するか予想ができない。関東を台風19号が直撃した日、千葉沖を震源とする最大震度の地震も同時に発生していたことを、関東以外にお住まいのかたはご記憶だろうか。

◆被災した人々の生活回復を第一に考えれば

自然災害は防ぎようがない。だから「東京五輪」を自然災害だけを理由に批判するのは的外れかもしれない。しかしながら、地震、大雨、火山噴火などここ数年の自然災害により、通常の生活を送ることができなくなっているかたがたがまた増えた。台風19号による被害者がもっとも多かったのは、福島県であった。

福島県……。人間も、自然もどこまで福島に不幸を強いるのであろうか。

被災した人々の生活回復を第一に考えれば、マラソンを札幌に持っていく程度のちゃちな子供だましで、被災者は救われないことくらい理解されるだろう。

東京五輪に対する、唯一最善の処方箋は、「中止・返上」することである。


◎[参考動画]Learn about Olympic Agenda 2020 The New Norm(IOC Media 2018年10月10日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

畜産業崩壊だけで済まない危険な激安牛肉 米国に国益を売り渡した安倍晋三

◆アメリカの一方的なウィンを「ウィンウィン」と強弁する安倍晋三

「秋になったら、すごい報告ができる」と、トランプ米大統領がマスコミに語っていたのは、日本の参院選挙の前だった。ぎゃくに言えば、参院選挙前には発表がはばかられる内容なのはわかっていた。というのも、日本にとって一方的に不利な貿易交渉であり、安倍総理の見え見えの国益売り渡しだったからだ。にもかかわらず、自民党を大敗させなかった国民は、やはり政治を見放しているのだろうか。だとしたら、その危険なツケをも支払わなければならない。

事態は深刻である。70億ドル相当のアメリカ農産物を市場開放するいっぽう、日本がバーターとして考えていた自動車の関税撤廃は見送られたのだ。安倍総理は記者会見で「日本の自動車と自動車部品に対して追加関税を課さないという趣旨であることは、私からトランプ大統領に明確に確認をし、大統領もそれを認めた」と言い訳に終始したが、これは本末転倒だ。オバマ政権とのTPP交渉では、自動車の関税撤廃が約束されていたのに、トランプのTPP撤退によって関税はそのままになってしまったのである。

◆激安化する牛肉市場

この安倍総理が「ウィンウィン」だと強弁する不公平な貿易交渉で、日本の農業とくに牛肉畜産業はほぼ完全に崩壊に追い込まれるとみられている。日米が合意した農産物の関税引き下げによって、牛肉は現在の38.5%から段階的(26.6%から)に引き下げられ、最終的には9%となる(2033年)。豚肉はキロ当たり現在482円から、最終的には50円まで引き下げられるのだ。

買い物に行かれる方はおわかりだろう。スーパーの店頭では、牛肉はOGビーフ(オーストラリア産)とアンガス牛(国産と表記がないものはアメリカからの輸入)が安く出まわっている。250円(100グラム)前後のOGビーフやアンガス牛はステーキ肉としては最底辺クラスで、等級認定クラスの和牛は750円から2000円という価格帯である。OGビーフもアンガス牛も赤身が主流だが、アメリカには和牛の飼育法を参考にした霜降り肉がある。今回の関税引き下げで、500円以下のアメリカ産「高級肉」が入ってくると予測されている。

関税が下げられた場合、価格はどうなるのだろうか。

アメリカ産で現在250円(100グラム)のものが、26.6%ならば229円、9%になった場合は197円まで下がることになる。これがグラム500円前後の高級部位の場合は、グラム400円を切ることになる。もはや少ロット生産の和牛が対抗できる価格帯ではない。その結果、生産をあきらめる畜産業者が続出するとみられている。だが問題は、わが国の畜産業の崩壊だけではないのだ。

◆危険な薬品漬けのアメリカ牛肉

ラクトパミンという薬品をご存じだろうか。EU、ロシア、中国では使用が禁止され、使用された肉の輸入すら認めていない人口ホルモン剤である。肉牛や乳牛の成長を早めるために、このラクトパミンを投与されるのだ。早く成長すれば、それだけ飼育期間が短くなり早く出荷できるため、農家にとっては経済的メリットが大きい。ほかならぬわが国が、牛肉輸入の門戸を大きく開いているアメリカとカナダの牛肉生産者において、このラクトパミンが使用されているのだ。

ラクトパミンは、女性の乳がんや子宮がん、男性の前立腺がんといったホルモン依存性がんを誘発する発がん性物質の疑いが持たれている。EU、ロシア、中国が輸入禁止に踏み切ったのは、こうした理由からだ。

日本でもホルモン依存性のガンが顕著に増えていることから、牛肉の輸入量が伸びていることとの間に、何らかの相関性があるのではないかといわれてきた。疑問を持ったがんの専門医らが10年ほど前に、専門的な調査を実施している。その結果、米国産牛肉には女性ホルモンの一種であるエストロゲンが、和牛に比べて非常に多く含まれていることを確認し、日本癌治療学会で発表している。

ところが、前述したとおり米国やカナダでは、このラクトパミンが飼料添加物として、牛や豚に与えられているのだ。そしてこの薬品自体は、日本国内でも使用は禁止されている。だが輸入肉の使用、残留は認められ、市場に出回ってしまっているのだ。

安価に牛肉が食べられると思いがちだが、こんなところに危険な落とし穴があったというべきであろう。じつはアメリカ国内でも、消費者は普通の安価な牛肉を避け、健康によいイメージの有機やグラス・フェッド(牧草飼育)の牛肉を選ぶ消費者が増えている。日本は先のトウモロコシに続き、またしても安全面で不安の残る米国産農産物を大量に引き受けることになるのだ。

あれ(自動車関税の固定化)も、これ(危険な牛肉の安価流通と国内畜産業の崩壊の危機)も安倍総理のトランプ追従政策の結果である。強いものに巻かれ、独自の外交政策を持たないがゆえのアメリカ追従。安倍にとって「国益」とは、自分の政治的な立場をまもり、アメリカに庇護される代わりに国民に危険なツケをまわすことでしかないのだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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書家・龍一郎さんが長年の沈黙を破り、11月10日同志社大で語る「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

本通信で「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」を3回にわたり掲載した。個的な経験の紹介ではあるが、ある時期、公権力(教育委員会)の明確な意思にもづき、堂々と行われた「教育」に名を借りた「犯罪行為」であるから、私怨としてではなく、記録として留められる必要があると考えたからだ。

愛知県をはじめとする「管理教育」について『禁断の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1981年)『虚構の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1982年)など問題を指摘する書籍も発売され、校内暴力などで荒れる学校の問題と対極に、行政暴力により吹きまくる公立高校内での「犯罪」は限定的であるとはいえ、教育や社会問題に関心のあるひとびとの間では、認知されていた。

NHKも東海地方では教育テレビで特集番組を放送し、『ある小学校長の回想』(岩波新書1967年)の著者である金沢嘉市氏がゲスト出演し、学校内で行われる異常な「教育」の実態を記録したビデオ映像を目にして、「ついにここまで来たか……という感じです」と絶句していたことが思い出される。

わたしは運悪く(あるいはのちの人生を考えれば逆説的に「幸運にも」との評価も成立するかもしれない)管理教育の被害者になったことで、人格形成のかなり重要な部分に多くの傷をすりこまれた。かといって教育界にはわたしに接したような、最低レベルの人間ばかりが巣くっているわけではなく、教育者としてだけでなく、人物としても尊敬に値するかたがたが熱心に児童・生徒・学生のために献身的に身を削っておられることを、身をもって後に知ることになる。

「ゲルニカ事件」は、ウィキペディアに下記の通り、記載されている。

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1988年3月の卒業式の際に、卒業生たち卒業記念作品としてパブロ・ピカソの『ゲルニカ』を模倣した旗(以降、「ゲルニカの旗」と呼称する)を作製した。児童はゲルニカの旗を式典会場の正面ステージに貼ることを希望したが、校長の指示により、ステージ正面には日章旗が掲げられ、ゲルニカの旗はパネルに貼られた状態で卒業生席背面に掲げられた。なお、ゲルニカの旗をパネルに貼って掲げることは校長によって提示された修正案だが、職員会議での合意は得られていない。

これに対する抗議の意味で、卒業式当日には、卒業生代表児童挨拶での校長への批判発言もあり、「君が代」の斉唱の際に着席するなど児童がいた。この児童らに同調し、着席、また退場の際に右手こぶしを振り上げる行動をした教諭に対し、福岡市教育委員会は同年6月、教育公務員としての職の信用を傷つけるものとし、地方公務員法に基づき戒告処分を行った。(ウィキペディア『福岡市立長尾小学校ゲルニカ事件」の項)

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事件後報道もされたので、「へー、世の中には立派な先生がいるもんだな」と感嘆した記憶があった。その立派な先生の名前は井上龍一郎さんだ。わたしが井上龍一郎さんと初めてお会いしたのは、熊本で行われた鹿砦社も支援するイベント『琉球の風』だったと思う。3年ほど前だろうか。当時から鹿砦社のロゴやイベントの際の横断幕などを力強く書く「書家」としてお名前は伺っていた。ニコニコして人柄の優しい井上さんはみずからが出向いて書を描く行為を「テキヤ」と自嘲気味に表現される清々しい方、との印象があった。


◎[参考動画]龍一郎さん 書道 亥(2019年2月16日公開)

けれども、のちに鹿砦社代表の松岡氏から「龍一郎は『ゲルニカ事件』で有名だったんですよ」と聞かされるまで、井上さん(ご本人は「龍一郎」を仕事で使っておられるので以後の記載は「龍一郎さん」とさせていただく)が、まさか、あの『ゲルニカ事件』の先生だとは気が付くはずもなかった。

後日松岡氏の好意で『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(井上龍一郎とお母さんたち1991年、径書房)をご紹介いただいき、即読了した。

井上龍一郎とお母さんたち『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(径書房1991年)

龍一郎さんは1987年4月6日に長尾小学校に赴任して以来のできごとを、同書第一章「君は何をするために学校に来たのか」で克明に綴っている。若く情熱に溢れた教師が、すさんだクラスに赴任してから児童のこころをどうやって解きほぐしていったのか。いうことを聞かないやんちゃ坊主とどのように打ち解けたのか。実に細かく日々の学校生活と児童の様子・変化が記録されている。残念ながら『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』は絶版になっているので、簡単に入手することはできないが、できれば教育に携わるすべてのひとびとと、お子さんを小学校に通わせている、あるいはこれから通わせる保護者のかたがた全員に読んでいただきたい。心揺さぶられる名著だ。

龍一郎さんは個性豊かな(と表現しておこう)児童が集う6年3組の担任を任されることになるのだが、このクラスは校長や教務主任がいうには「問題の多いクラス」ということで、龍一郎さんも心配しながらの新学期が始まった。そして「問題の多い」原因が同じ児童が5年生(5年生と6年生はクラス替えがなかった)の後半に、担任の先生が産休となり、代わりに赴任してきた先生に「毎日叱られてばかいりた」ことが原因で、教師不信に陥って反抗的な態度をとるようになったことを知る。龍一郎さんは毎日手探りを続ける中で、児童「教師に対する猜疑心」を徐々に希釈してゆき、やがては圧倒的な信頼を得るようになる。

「卒業といってっても、何もあわてて特別なことやっても駄目だ。やはり、一学期、二学期の取り組みの延長線上に明確に位置付けるべきだ。私たちは、子どもの主体的活動を基礎に学級集団を作り高めようとしてきた。三学期は、これを土台に学年の集団をはっきりつくりあげていかなければならない。そして、何より子ども達が燃えて燃えて燃え尽きるまでものごとに取り組み卒業してゆくこと――。こんな当たり前のことにたどりついた。具体的な計画を立てるときは、子ども達の興味、関心を最大限に引き出せるように工夫した。何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある。」

「何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある」と龍一郎さんは当たり前に考えておられたが、その真逆の人間が「教師」を名乗っている事実があまたにこびりついているわたしにとって、龍一郎先生の言葉は、新鮮を通り超え驚愕ですらあった。

そして、子供たちは卒業の記念にゲルニカを作成することを決めて、見事に完成する。その過程で児童が戦争や差別など社会問題に興味を持ってゆく過程などは、「これがほんとうに小学生が、みずから考え行動したことなのか」と驚愕させられるほどレベルが高い。2019年、大学生でも龍一郎さんが担任を受け持った児童のレベルに遠く及ばない学生が大半ではないか。

宇崎竜童さん(左)と龍一郎さん(熊本「琉球の風」にて)

はたして、児童たちは見事な学年の旗ゲルニカを完成させ(その完成度も驚愕に値する)卒業式が行われる体育館のステージにいっぱいに、自分たちの小学校生活集大成を見つめながらの卒業式を楽しみにしていた。だが、柳校長は職員の総意と児童たちの思いを踏みにじり、ゲルニカを壇上から外し、代わりに日の丸を掲げた。

卒業式では、卒業証書を受け取った児童が思いを述べる。ある児童は「私は怒りや屈辱をもって卒業します。私は、絶対、校長先生のような人間にはなりたくないと思います」と宣言した。

一連の出来事は「筑紫哲也のニュース23」で特集された。わたしはつい最近その映像を見る機会があった。失礼ながら一番印象深かったのは、わたしの知る、個性派書家龍一郎さんではなく「若い好青年」だったことだ。そして龍一郎さんは「処分」を受け、それを「不当」とし裁判闘争に立ち上がる。『ゲルニカ事件 どっちがほんとうの教育か』を読了するまでにも、わたしは何度もすなおに感激し落涙をおさえられなかった。

長年の沈黙を破り、龍一郎さんが11月10日、13時から同志社大学今出川キャンパス良心館で「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」をテーマに講演会を行う。(講演会参加者には龍一郎さん揮毫の来年2020年の鹿砦社カレンダーを進呈します!)

子どもに向ける情熱を書に切り替えても、龍一郎さんの情熱は変わらない。そんな龍一郎さんは30年前を振り返り、今日の教育問題をどのように感じておられるのだろう。いまからお話が楽しみだ。

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」
同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)