防衛省が新設する、日本(だけ)の平和を守るために「宇宙部隊」という錯誤

 
2018年11月19日付け朝日新聞

〈防衛省は「宇宙部隊」を新たに設ける方針を固めた。部隊は「宇宙ゴミ」(スペースデブリ)と呼ばれる人工衛星やロケットの残骸のほか、他国の不審な衛星などを監視。陸海空の各自衛隊が統合運用する。2022年度をめどに設置する予定で、政府が来月改定する「防衛計画の大綱(防衛大綱)」にも新設が明記される。19日、複数の政府関係者が明らかにした。防衛大綱では陸海空に加え、サイバーや宇宙、電磁波など新たな領域の防衛力強化を打ち出す。「宇宙部隊」の新設はその柱の一つになる。〉(2018年11月19日付け朝日新聞)

1966年、突如毎週地球を襲う「怪獣」が登場し、全国各地を破壊しまくりだした。「科学捜索隊」は「怪獣」に対抗するために、毎週奮闘したが、最後まで一度として「怪獣」を倒すことはできなかった。いわば仮面ライダーにおける「ショッカーの戦闘員」のような役回りしか演じることができなかったわけだ。

「怪獣」には人間の力では勝てない。そこで「ウルトラマン」の出番となる。持ち時間が3分しかないウルトラマンはカラータイマーが青から赤に変わり、警告音が鳴り出すまでは必殺技「スペシウム光線」を怪獣にぶつけはしない。当時人気だったプロレスで、アントニオ猪木が散々痛めつけられながら、最後に「卍固め」や「コブラツイスト」でギブアップで勝ち切る。あるいはジャイアント馬場の「16文キック」(時に「32文人間ロケット砲」)、ジャンボ鶴田の「ジャンピングニーパッド」に匹敵するのが「スペシウム光線」だ。

「どうして最初からウルトラマンはスペシウム光線を出さないのか」は聞いてならない質問だった。禁句というやつだ。アントニオ猪木や、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、デストロイヤー……必殺技を持つレスラーに「どうして最初から必殺技を出さないのか」を大人ですらが誰も議論しなかったように、見る側の慎み、あるいは、作り手と見る者の間に「次回も同様のストーリが確約される」担保として、黙約は成立していた。

まことに牧歌的な時代だったと振り返るしかないが、21世紀がはじまって、もうすぐ5分の1に手が届こうかという今日になって、自衛隊は冗談ではなく「宇宙部隊」の創設を決めたそうだ。真面目に批判するとバカバカしすぎるから、この素っ頓狂は徹底して揶揄させてもらおう。

「宇宙のごみ」を掃除するのなら「宇宙清掃隊」でいいんじゃないか? 他国の不審な動きは既に山ほど打ち上げられている人工衛星で10センチ単位まで監視ができる。GPSは携帯電話やカーナビに搭載され、民生利用されているが、あれのもっと精度が高い軍事技術を自衛隊が持っていないはずがない。「他国の不審な衛星」の動きだって同様に監視できる。

では、なんのために「宇宙部隊」は創設されるのか。それは最上級の国家機密で、閲覧可能者もごく少数に限られているけれども、ついに地球外生物の存在が確認され、数年後には地球を襲うことが確実視されているからだ! 地球外生物の存在! 怪獣だ! しかも奴らは極めて狂暴で、人類滅亡を計画しているとの情報まで入っている。どうする? 人類の危機だ! ウルトラマンでの「科学捜査隊」同様の地球防衛部隊の設立が、喫緊の課題となったのだ。ちなみに「科学捜索隊」は国際的な組織の日本支部であった(いわば対怪獣戦における「多国籍部隊」である)けど、自衛隊の「宇宙部隊」は日本単独の部隊だ(個別的自衛権の行使か?)。国際連携なしに、地球が守れるのか? 全国各地の都市はもちろん、都心にも毎週日曜日の19:00になると必ず「怪獣」がやってきて大暴れする19:00は日没で暗いことが多いが、画面の中はほとんど昼間であることなどを問題にしてはいけない。

日本(だけ)の平和を守るために「宇宙部隊」は創設されるのだ。そして日頃は宇宙空間で「お掃除」をしながら、敵の動向を見守る。ところで自衛隊には宇宙へ行く手段や技術がないがどうする?これはいい質問だ。この日のために長年に渡り、本性を隠していた種子島の連中がいよいよ脚光を浴びる。「人工衛星と称したミサイル打ち上げ」を重ねてきたJAXA(宇宙航空研究開発機構)である。JAXAは「国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構法」で規定されている組織であるが、同法には、以下の記載がある。

第四章 雑則(主務大臣の要求)

第二十四条 主務大臣は、次に掲げる場合には、機構に対し、必要な措置をとることを求めることができる。

 宇宙の開発及び利用に関する条約その他の国際約束を我が国が誠実に履行するため必要があると認めるとき。

 関係行政機関の要請を受けて、我が国の国際協力の推進若しくは国際的な平和及び安全の維持のため特に必要があると認めるとき又は緊急の必要があると認めるとき。》

つまり「怪獣」が地球の平和を脅かすことになれば、主務大臣はJAXAに「要求」(すなはち自衛隊が創設する「宇宙部隊」への協力)することが法的にも可能であり、既に内々にその「要求」はJAXAに伝えられているのであおる(でなければ、宇宙に行くこともできない自衛隊が宇宙で活動できるはずがない)。

さて、問題は「宇宙部隊」を創設したはよいが、肝心の「怪獣」を倒すことができるかどうかという、死活問題をどう直視するかである。過去の経験則からすれば、人類はウルトラマン(あるいはそれに続く「ウルトラセブン」、「帰ってきたウルトラマン」らのウルトラ一族)によってのみ危機を脱しているのであり、「科学捜索隊」や「地球防衛軍」は名称こそ勇ましいものの、怪獣に壊滅的なダメージ与えたことはない。

それどころか、ウルトラマンだって、最終回にはゼットンに倒されてしまったではないか。ウルトラマンがゼットンに倒された最終回から、ウルトラセブン放送開始まで、当時の子供たちはどれほど心細い毎日を送ったことか。

どうせ何の役にもたたない「宇宙部隊」を創設するより、ウルトラマンがどこにいるかを探す方が賢明だろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《ブックレビュー2》50年目の雄叫びに、カオスの悦びを見る ── 『思い出そう! 一九六八年を!!』(板坂剛と日大芸術学部OBの会)を読んで

 
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日芸(日大芸術学部)は日大とは、また別の大学だと言われる。いまでは芸能界やテレビ業界との結びつきを言われることもあるが、その真髄は芸術家志望という華やかさであろう。それ自体がお祭のような日大闘争のなかで、きわだって劇場のごときイメージが芸闘委にはある。その芸闘委を中心とした芸術学部OB会の『思い出そう! 一九六八年を!!』を読んだ。稀代のカリスマ、板坂剛のプロデュース・主筆によるものだ。板坂は冒頭にこう書いている。

「私が探しているのは、自分が遭遇したあの劇的な一時期、若者に活力を与えた“時代”の正体である」わたしはその「正体」は、ほかならぬ日大闘争そのものにあったと思う。

◆発火した68年の記憶

ヘルメットにゲバ棒、長髪にGパン。圧倒的に大量な若者たちの層、おびただしい学生の数は、おそらく彼らが何かを流行らせれば、そのまま大きなブームとなる時代であった。事実、学生運動にかぎらず登山やサーフィン、水上スキーなど、団塊の世代がさまざまなジャンルで小さなブームをつくっては、文化の裾野をひろげた。68年はまたグループサウンズブームの年(全共闘と軌を一に、約一年で終息した)でもあり、いわば発火しやすい年だったのである。当時、小学生だったわたしは、時代が発火しているという記憶だけが鮮明だった。

発火するからには、入れ物が大きくなければならない。板坂も引用している『情況』2009年12月号の特集サブタイトルは、じつに「全共闘運動とは日大闘争のことである」だった。元日大生の座談会やインタビューを編集しながら、わたしはそれまで見聞していた全共闘運動のイメージが激変するのを意識していたものだ。ふつうの学生たちが立ち上がり、右翼学生との命がけの闘いのなか、助けにきてくれたはずの警察(機動隊)が自分たちに暴力を振るう。6月11日の祭の始まりがそれだ。

9.30(団交勝利)以降、あるいは11.22(東大集会)から翌年にかけて、全共闘から70年安保闘争の政治活動家になった日大生も少なくはなかったのを知っている。だが、ほぼ半年のあいだに、ノンポリ学生から全共闘の活動家になり、そしてそのまま普通の学生にもどった人たちの言葉には、当時のままの意識がやどっているようで興味を惹かれた。この本の巻末にも、当時の意識のままの座談会で生身の言葉を拾うことができる。なにしろ、ふだんは活動家っぽくない板坂剛が学生運動の歴史を、座談会の参加者に(けっこう熱っぽく)概説しているのだから──。ほんと、党派のコアな活動家みたいだ。

秋田明大氏(右)と著者(左)(文中より)
山本義隆氏(文中より)

◆東大イベントに殴りこめ

数が質を生み出す原理から、日大生が立ち上がったことで「学園紛争」に火が点いたのは疑いない。同じ時期に東大医学部で処分問題が学生自治会のストライキを生み、その延長に闘争委員会方式の全共闘が誕生した。そして当時の日大全共闘と東大全共闘の位相の落差とでもいうべき「相互の意識」あるいは、愛憎にも似た感じ方もこの本でよくわかった。東大全共闘も主役には違いないのだから、日大への気遣いの足りなさは「御多忙」というしかないと、わたしのような外部の者は思う。

ただし、日大全共闘には不義理な山本義隆氏が情況前社長の大下敦史(元はブント戦旗派)の追悼集会で講演を行なったのは、山本氏が主宰者の一人でもある「10.8山﨑君プロジェクト」のベトナム訪問協力への返礼を兼ねてであって、同プロジェクトに大下の義弟が深く関与していることから、その義弟が主催する追悼イベントに義理で講演したというのがウラの事情である。山﨑博昭君が大阪大手前高校の後輩であることから、山本氏は同窓生に誘われてのプロジェクト参加であったこと。したがって、山本氏はきわめて個人的な義理を尊んだということになる。

それにしても、日大全共闘と東大全共闘には溝があるのだろう。来年の1月に安田講堂を借り切って、元東大生たちがイベントを計画しているという(未公表)。殴りこんでみたらどうだろう。なぜ君たちは東大を解体しなかったのに、記念イベントなんてやるんだと。いますぐ、この赤い象牙の塔を壊そうじゃないかと。なぜならば、いまなお日大生は右翼暴力団の支配に苦しんでいるのだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

『情況』編集部。編集者・著述業・Vシネマの脚本など。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社)など多数。

矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』
松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』

《ブックレビュー》『思い出そう!一九六八年を!!』 板坂剛と日芸OBらが激烈に再現する〈1968年〉の熱量が凄い!!

 
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『思い出そう!一九六八年を!!』の表紙には心が躍った。どこの党派間のゲバルトかは判然としないけれども、キリン部隊衝突の写真は、時代の空気を伝えようと意図されたものであろう。あの時代こんな風景は東京や大阪ならどこにでも見られた。民青(共産党系の学生青年組織)相手のゲバルトや、逆に民青からのゲバルトも熾烈を極めた。

と、あたかもそこにいて、経験したように、いっちょ前の感想をビール片手に書いているが、小生1968年には満三歳。ある地方都市で元市長の官舎に使われていた、敷地が狭くない庭で、祖母と草木に戯れていた。あれ以来50年。小生が覚えた草木の名称の7割以上は、祖母から3歳時までに教えてもらったものだ。

だから「一九六八」の記憶などに、心躍らせること自体がフェイクであり、ナンセンスの誹りをを逃れようがないのだが、この感情は嘘じゃないんだから、仕方ないではないか。たとえば10・8羽田、あるは国際反戦デー、騒乱の渋谷、新宿。佐世保エンプラ寄港阻止闘争。三里塚強制収容から管制塔占拠。

どれもこれも、自分はその場にいたわけでもないのに、Youtubeなどで映像にヒットすると「オッ」と思わず前のめりになる。「超法規措置での収監者解放」、「人の命は地球より重い」と総理に言わしめたハイジャック闘争など、映画を見るより鳥肌が立つ(そのお陰で搭乗手続きが煩雑になり、迷惑もこうむっているけども…)。社会や時代を動かす力を、若者は持っていたし、なかには人の迷惑顧みず、命がけでたたかう学生だって少なくなかった。

真逆の時代に何十年も砂を噛むよう思いをさせられ続けた「割を食った」世代としては、その時代のややこしさや、負の側面など関係ない。単純に熱い時代への憧憬しかないのだ。

◆板坂剛らの手になる山本義隆、秋田明大の実像

そのただなかにいて、山本義隆、秋田明大という二人を直接知る、板坂剛の手になる『思い出そう!一九六八年を!!』は、1968年から50周年企画や出版が様々なされる中で、確実に一番「おもしろい」書籍であると確信する。板坂の秋田明大への親近感と山本義隆へのちょっと冷めた視線が「おもしろい」。山本義隆への人物評を「調整役」としたのには驚いたし、秋田明大が岡本おさみ【注】、加藤登紀子作曲で「あほう鳥」なるレコードを出していた(ってことは日大全共闘議長秋田明大は「歌手」でもあったのか! 知らんぞ! 秋田明大は運動から離れたあとは町工場で過去を語らずに生きていたイメージがぶっ飛んだ)ことも事情を知らぬ人たちには驚きだろう(その代わり、本書でも触れられていない秋田明大の私生活の秘密を知ってるけど、それは内緒!)。

小熊英二が『1968』を書いている。あれは学術書だからだろうか。さっぱり「おもしろくない」。なにより小熊自身が1968になんの共振、共感も抱いていないことが明白で、事実の羅列、年表としか感じなかった。

小熊などと板坂を比べたら、板坂からどんな仕打ちをされるか分かったものではない(小生は板坂との初対面の際、しこたま酔った板坂に筆舌に尽くしがたい仕打ちを受け「噂通り、やっかいなおっさんだ」との確信を強めた。が、後日昼間にしらふの板坂に再会した際、挨拶すると「どちらさまでしたっけ」と板坂は全く覚えていなかった。板坂とはそういう「まじめ」な男である)。しかし、それほど『思い出そう!一九六八年を!!』は全共闘の中で自らが望まずとも、表出せざるを得なかった、山本義隆、秋田明大二人の人物像と個性を知る板坂が(これも強調しなければならないが)、極めて上質な文体と分析から描く「生もの」である。

「1968」をどう評価するか、関心を持つかはおのずから各人の自由であるが、あの年の肌触りを実感し、ここまで再現できる人物はそうはいないはずだ。板坂と春日(この人物についての知識はない)に感服する。

【注】「あほう鳥」の作曲者の加藤登紀子はご存知の通りで注釈を省くが、作詞者の岡本おさみは、レコード大賞を受賞した森進一の『襟裳岬』、吉田拓郎の『旅の宿』、ネーネーズの『黄金(こがね)の花』などのヒット曲がある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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板坂剛と日大芸術学部OBの会=編
『思い出そう! 一九六八年を!!
山本義隆と秋田明大の今と昔……』
(紙の爆弾2018年12月号増刊)
1968年、全共闘は
国家権力と対峙していた。
戦後資本主義支配構造に対する
「怒れる若者たち」
当時の若者には、
いやなことをいやだと
言える気概があった。
その気概を表現する
行動力があった。
権力に拮抗した
彼らの想いを知り、
差別と排除の論理が横行する
現代を撃て!!

人間サンドバック状態の片山さつき大臣 ── 更迭に踏み切れない安倍晋三の憂鬱

 
疑惑のカレンダー

◆カレンダー問題が勃発

100万円の国税庁口利き疑惑、たび重なる政治資金の記載ミス、公職選挙法違反の疑義がある氏名入り看板問題につづいて、こんどはカレンダー寄附疑惑である。片山さつき地方創生大臣が2013年に製作したカレンダーは、過去に松島みどり法務大臣が選挙民に配ったうちわとは違って、定価が付いた商品である。その商品(カレンダー)を選挙民に配った疑惑が生じているのだ。片山大臣は「政治資金パーティーや後援会の集まりなど、有料のイベントで配った(カネを徴収した)ものですから、寄附行為には当たりません」と述べているが、「日刊ゲンダイ」(2018年11月11日付)によると、そうではないようだ。

日本行政書士連合会に所属する司法書士によると、連合会の会報に片山さつきのカレンダーが同封されてきたというのだ。この司法書士は片山さつきの支援者というわけでもなく、大いに当惑したという。しかも送られてきた時期は、4月だというのである。カレンダーには「私(片山さつき)も行政書士です」「行政書士法改正推進!」など行政書士に直接訴えかけるような言葉が並んでいるのだから、片山は選挙に向けたアピールのためにカレンダーを送ったとみられても仕方がないであろう。「夕刊ゲンダイ」は政治資金に詳しい神戸学院大教授の上脇博之氏の見解を、以下のとおり引いている。

「片山事務所が連合会に依頼し、顔写真などが載ったカレンダーを配っていたのなら、公選法違反の恐れがある。また、支部で作ったカレンダーを無償で連合会に提供したのなら、その旨を収支報告書に記載しなければなりません。政治資金規正法違反の不記載に当たる可能性もあります」

◆またもや未記載、締めて770万円なり

11月14日付け朝日新聞朝刊によると、片山大臣の政治収支報告書に450万円の収入未記載があったという。支出の未記載も90万円である。すでに報じられた収入分の未記載、200万円、120万円とあわせて、じつに770万円の未記載ということになる。おそらく片山さつき大臣(当時は議員)にとって、細かい数字はどうでもいいことなのだろう。会計担当秘書がいい加減なのだとしたら、議員としての管理能力の欠如ということになる。あるいは、片山大臣のパワハラ的といわれる事務所運営に、ほとほと愛想が尽きた「秘書」が、わざと記載ミスをしたのだろうか。

 
日仏共同テレビ局France10による片山さつきインタビュー記事より(2014年4月7日 by Henri Kenji OIKAWA)

さすがにこれで終わりかと思っていたら、14日発売の「週刊文春」は、片山事務所の事務所費用にかんする疑惑を報じた。

◆南村「秘書」との謎の関係

その事務所費用疑惑とは、ほかでもない「国税口利き疑惑」のいっぽうの当事者である南村秘書の親族が所有するマンションが対象となっているのだ。すなわち、片山氏が代表を務める政治団体「自由民主党東京都参議院比例区第25支部」の主たる事務所の所在地が、当該のマンションなのである。片山大臣はそのマンションの室料として、2012年から2016年の間、合計150万5千円を支払っているのだ。このうち少なくとも90万円は、政党交付金、つまり税金から支払われていることが確認できたという(週刊文春)。南村氏は2012年時点で第25支部の登録政治資金監査人であり、2016年までは片山氏のファミリー企業で取締役を務めるなど、片山大臣と密接な関係だったことがうかがえる。国会答弁では、税理士としての相談役などと、片山大臣は私設秘書であることを否定してきた。

だとすれば、「自由民主党東京都参議院比例区第25支部」の主たる事務所が、南村氏の関連する事務所であるのは不思議なことと言わざるを得ない。事務所としての使用実績がないとしたら、そもそも政党で支払う義務はなく、政党交付金(税金である)の使途不明にあたる。あるいは公文書の虚偽記載、もしくは公文書偽造ということになるはずだ。疑惑の事務所費から、南村氏と共犯した可能性のある斡旋利得罪の証拠が明らかになるのかもしれない。大臣辞職までカウントが入った感のある片山大臣だが、彼女を更迭できない安倍総理の苦悩も重篤であろう。なにしろ、「2人、3人分の女性大臣」なのだから。


◎[参考動画]片山さつき氏 新たに収支報告書を訂正 野党が批判(ANNnewsCH 2018/11/08公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

滋賀医科大学に仮処分の申し立てを行った岡本圭生医師の記者会見詳報

 
仮処分申し立てを説明する竹下育男弁護士(右)と岡本圭生医師(左)

11月16日、滋賀医科大学前立腺癌小線源治療学講座岡本圭生(けいせい)特任教授が、滋賀医科大学を相手に仮処分の申し立てを行った。18時30分から滋賀会館で記者会見が開かれた。会見では冒頭弁護団から仮処分申し立ての内容について詳細な説明があった。

岡本医師が申し立てた内容は、

[1] 債務者(注:滋賀医科大学)は,債権者(注:岡本医師)に対し,債務者のホームページ中の医学部附属病院の「病院からのお知らせ」欄に掲載した「新聞報道について」と題する別紙請求コメント目録1記載のコメントを全部削除せよ。

[2] 債務者は,債権者に対し,債務者のホームページ中の泌尿器科学講座「お知らせ」欄に掲載した「当講座医師に関する新聞報道について」と題する別紙請求コメント目録2記載のコメントを全部削除せよ。

[3] 債務者は,債権者に対し,債務者医学部附属病院内の所定の掲示場所に掲示した「滋賀医科大学泌尿器科学講座医師に関する新聞報道について」と題する別紙請求コメント目録2記載のコメントと同一内容の文書を撤去せよ。

の3点である。新聞記事報道に対して滋賀医科大学が反論した文章の中に、事実と異なる記載があり、それにより岡本医師の名誉が毀損されているためその書き込みを削除せよ、また同内容で病院内に掲示されているものを撤去せよとの申し立てである。

一見、この仮処分申し立ては、「単なる文章の削除要求」のようにとらえられるかもしれないが、岡本医師の投げかけている問題意識の根本はそれだけだはない。弁護団の説明ののち岡本医師自身が、以下の見解を述べた。

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岡本圭生医師

◆岡本圭生医師の見解

滋賀医科大学前立腺癌小線源治療学講座特任教授の岡本圭生と申します。今回、私が滋賀医科大学に対して申し立てをおこした背景をご説明いたします私自身は、これまで14年間にわたり、滋賀県だけでなく、全国から来院された1000例を超える前立腺癌患者の方々に対して小線源治療という特殊な放射線治療をおこなってまいりました。

2015年から滋賀医科大学では私を特任教授とする寄付講座である小線源治療学講座が設置されました。その時期に今回問題となっている事件が発生いたしました。この事件についてわかりやすく説明させていただきます。

2015年、滋賀医科大学泌尿器科において、泌尿器科教授の指示により実際の患者に対して小線源治療の経験がない、という事実を患者に説明すること無く、いきなり治療の執刀を行うという患者の人権を無視した計画が20名あまりの患者さんに対して企てられました。
具体的には、実際の小線源治療について未経験であり、過去10年間でたった一症例の見学経験しかない泌尿器科准教授が患者さんの同意を得ることなく、いきなり小線源治療をおこなうことが計画され、私は当日の手術に立ち会うよう、泌尿器科教授から要求されました。

さらに私は、当該患者の方々を診察することも接触することも説明することも、泌尿器科教授から禁じられていました。これは、あとに述べるように現在滋賀医科大学が主張している、「私と泌尿器科が協力して小線源治療を行う予定であった」という説明では つじつまの合わない非常に異常な状況といえます。さらに、私はこの計画が実行直前まで進んでいた2015年12月当時、泌尿器科教授と準教授から 「患者が治らずともそれは私(岡本)の責任にしないから最初から手術を準教授にさせろという」要求を繰り返し受けておりました。

医療が、医療として成立するためには、医師・患者間の誠実な信頼関係が存在することが絶対条件・前提条件となります。患者さんは目の前の医師が自分にとって最善を考えてくれるということで医療を託すわけです。一方、医師は目の前の患者さんに対して最善を尽くそうという姿勢をもっていること これが医療の大前提であります。この前提が壊され、意図的に人権侵害や患者を欺く行為が医療として計画され実行されることが許されるなら、それは医療ではなく、傷害行為と呼ぶべきものです。

私はこの計画が患者の人権を侵害するものであり、危険であるとして学長に進言しました。このことを受けて当時学長はこの計画を「コンプライアンスと倫理的な観点からも憂慮すべき」とみずから宣言し、泌尿器科の計画を中止されました。そして学長と院長からの依頼により2016年1月以降、泌尿器科の当該患者を私が診察治療することとなりました。そして当時学長は「2016年以降小線源治療に泌尿器科は一切関わらせない」と宣言されました。

こういった動かしがたい事実があるにも関わらず、現在滋賀医科大学では、泌尿器科の小線源治療計画を「コンプライアンスと倫理的な観点からも憂慮すべき」と自ら宣言し、中止させた学長までが 変節し、「私が非協力的であったために今回の諸問題がおこった」との事実と異なる虚偽の記載をホームページ上に掲載しています。これらの記載は「私が組織内の決定に従わず、患者の診療にも協力しない医師であるとの誤った評価を招き、私自身の名誉を著しく毀損すると考え、削除を求める仮処分申し立てを行いました。

現在滋賀医科大学は泌尿器科が医療の名の下におこなった患者さんの命を危険にさらし、人権を踏みにじった蛮行を組織ぐるみで隠蔽、もみ消すためになりふりを構わない行動をとっています。この問題を告発し、正そうとした私を大学から追放するために寄付講座をそもそも2017年年末で閉鎖しようともくろんでいました。しかし、2017年年末既に多くの待機患者が存在することから本学は講座の延長をしぶしぶ認めました。

しかしながら今をもってもなお寄付講座を2019年12月で閉鎖をし、それに先立つ来年の7月から私の小線源治療を停止すると宣言しています。このことが断行されますと私にしか治せない全国から頼って来院される難治性高リスクの前立腺癌患者さんたちの命が危機にさらされ命が見捨てられることになります。

国立大学附属病院の存在理由と公益は患者ファーストの医療を実践することにありはずです。全国から頼って来院される前立腺癌患者を切り捨てることは、患者ファーストと公益に反する行為です。医療の現場が患者ファーストの理念を失い、保身や組織優先の医療を行うのであれば、それは、権限・権力を有する医師による医療の私物化に他なりません。

2015年に私が泌尿器科の医療行為を止めようとしたのは このようなことが許されれば患者さんの同意なしに、患者さんの命が危険にさらされると判断したことが第一の理由です。

第二の理由は、故意かつ意図的に説明義務違反を犯し、患者の人権を踏みにじることが医療の名の元に秘密裏に行われることが、許されるのであれば、患者と医師の信頼関係によってのみ成立する医療というシステムそのものが破壊されるという非常に強い危機感を抱いたからであります。

私のとった行為が組織の命令に背くものであったとしても、私は誤った組織の命令よりも患者の命を守り、人権を守ることを優先する覚悟であり、このことに今も変わりはございません。

その理由を最後に述べさせていただいて、私の締めくくりとさせていただきます。 医師には医の国際倫理綱領として「ジュネーブ宣言」、「ヘルシンキ宣言」というものがございます。これは第二次大戦後すぐに採択された医師の倫理綱領であります。それによればわれわれ「医療者はどんなときも目の前に患者さんの最善のためにだけ行動せよ」という綱領であります。

さらにこの綱領には副文があります。そこには「目の前に患者さんの最善を実行するための障碍として時に、国家権力や組織の圧力を受けることがあろうが決してその圧力に屈してはならない」と記載されています。

このことが、私が命に代えてもやり抜こうとしたことの本質であります。 

つまり私は医の国際倫理綱領は組織の命令より優先されると考えています。私の判断と行動が医師として是か非か 判断いただければ幸いです。本日はありがとうございました。

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つまり、滋賀医科大学のホームページや病院内に掲載された文章はもちろん問題であるが、その新聞記事が書かれる原因となった、泌尿器科小線源療法未経験医師による、患者への説明義務違反を経て、施術が実行されそうになった事件が根本にある。

岡本医師が学長に危険性を伝えたため、学長は「コンプライアンスと倫理的な観点からも憂慮すべき」と判断。施術は止まったが、岡本医師から学長への警鐘がなければ、泌尿器科小線源療法未経験医師が患者に施術を行っていた可能性が高い。

会見には既に岡本医師の治療を受け、完治した神戸の柴山さんと、これから岡本医師の治療を受けようとしている東京の山口さんが参加し、経験を話した。

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岡本医師の治療を受け完治した経験を語る柴山さん

◆神戸の柴山さんのお話

私は2015年8月、58歳のときに前立腺癌の宣告を受けました。PSAが49超高リスクの前立腺癌と診断されました。地元の病院では「前立腺の全摘出手術は既に無理な状態、しかも根治は到底無理である」と宣告されました。その病院ではホルモン治療しかないと言われ、途方に暮れて「もう人生も終わりか」と絶望の淵におりました。

そんな折たまたま書籍から岡本先生のことを知り、メールで相談させていただきましたところ、とてもやさしいお言葉で「すぐに来なさい」と返信がありました。その後ホルモン治療、小線源治療、外部照射を組み合わせた、トリモダリティーという治療を施していただきました。そして今年の9月、最後の外部照射の治療から2年経過して岡本先生の受診をしたところ「完治確定です。もうこれで大丈夫です。再発もしません」という診断を頂きました。私や家族にとって夢のようなことでした。奇跡と言っても過言ではありません。

罹患当初は「このまま死ぬかもしれない」というよりも「もう遠くなく死ぬだろう」と思っておりました。当時84歳だった私の父よりも「先に逝くだろう」と思っておりました。この時は人生最大の絶望でしたが、「完治確定」を頂いた際は人生最大の喜びを味わったことになりました。私の状況は超高リスク前立腺癌でしたので、岡本先生でなければ完治はあり得なかったと思います。今まさに当時の私と同じような状況で絶望のどん底にいらっしゃるであろう、患者さんには是非岡本先生を紹介して差し上げ、この感動を味わって頂きたいと思っています。

私が岡本先生に出会ってよかったと思う点は一言でいえば「患者ファースト」を徹底されている点です。その1つ目、岡本先生はメールアドレスを公開されておられます。来る者は拒まずとの姿勢を貫かれていること。

2つ目は安心感です。初診の際に「超高リスク前立腺癌であっても95%以上完治する」とのお言葉で、私自身や家族が絶望のどん底から、安心感に変わりました。またその後安心感は、完治確定まで継続しました。

3つ目は当初より岡本先生から、「このような治療を行い、マーカーがこのように変化し、こうなれば完治です」という計画をお聞きしておりました。結果は全くその通りになりました。少し違ったのは予定より早く完治が確定したことです。

4つ目はホルモン治療を受けましたが、ホルモン治療は患者の体にダメージがあります。岡本先生のホルモン治療は極力短期間しか行いません。患者ファーストの現れだと思います。私は幸運にも岡本先生と巡り会い、素晴らしい治療を受けただけですが、岡本先生がここに至るには血のにじむような努力があってのものとお聞きしております。そのため患者が安心して治療が受けられるのです。私も治療中のQOLは大変良く、ジョギングや登山を続けられ、仕事も治療中を除いて通常通り休まずに続けられ現在に至っております。

最後に癌患者を助けるために努力を惜しまない岡本先生の治療継続を心から希望いたします。岡本先生の治療は他の医師の治療と比較して、群を抜く非再発率と根治率であることはいうまでもありません。現実に岡本先生を紹介したい人が私の周りにもおります。しかし患者を軽視した現在の滋賀医科大学では、それもできません。岡本先生にしか助けられない命を、大学の一部の人間が、その権威を使って私利私欲や都合によってその望みを断ち切ることが人道上許されてよいわけはありません。現在大学の一部の人間が権威を盾にして倫理違反を犯した医師を処分せずに居座らせています。

かたや、患者を不当な医療から救済し病院と患者を危機から救った岡本先生にパワハラを与え、さらに組織から除外しようとしていることは絶対に許されるべきではなりません。現在の滋賀医科大学は組織の保身のために奔走しているとしか見えません。是非とも岡本先生の治療継続を懇願する次第です。

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治療を待つ山口さん

◆東京の山口さんのお話

「青天の霹靂」ということばがありますね。そういう経験を3か月前にしました。65歳検診を8月に行きまして、検査の翌日にいきなりその検査機関から電話が自宅にありまして「あなたのPSAは87です。直ぐに病院に行って下さい」という知らせが来ました。私にとって87という意味が全く分かりませんでした。電話の向こうでとても慌てている様子がありましたので、これはやばい状態だろうなということはわかりました。

ただし痛みも何もないんですね。日常生活に全く変わりはない。これはどんな病気なのだろうかと。逆に慌てました。検診先に行き紹介状を書いてもらおうとしましたが、どこに行ったらいいかわからない。私はネットで調べました。ロボット手術、ダビンチ手術をやっている病院が近くにありまして、そこで細胞検査を受けました。ところがそのお医者さんは「5年生存率は70%」というんです。「でも切ってさっぱりしましょう」といったんですね。床屋かなという感じです。

しかも「転移してても切りますよ私は」というのです。ネットで調べるとそういうのはあまりない。先ほどの方がおっしゃりましたが、ホルモン治療をするわけですが、そのお医者さんは「切る」と言ったので益々信頼がおけなくなりました。

その話を聞いて私は夜寝ることができなくなりました。5年生存率70%ということは、死亡率が30%あるわけです。3分の1は死んでしまうわけです。ルシアンルーレットがありますね。あれだって6分の1ですが、私の賭けは、そこに2発の銃弾が装填されているのと同じことなわけです。そんな賭けに乗ることを私は到底できないです。

ということで食欲もなくなり4キロ痩せました。それが10月初旬です。悪夢から逃れられないような状況になりました。そこでまた必死でネットを探したところ、滋賀医大岡本先生の記事にたどり着いたんです。96%再発しないという記事です。

ところがその直後岡本先生が訴訟事件に巻き込まれている、という記事を目にしまして、本当にこの先生にかかることができるのかな、とまた厳しい精神状態に追い込まれました。岡本先生にメールを送ったのですけど、返事が来るかどうかはわからない。ところがメールが先生から来たんです。私は本当にほっとしました。先週ついに先生の初診を受けることができたのです。精神的にもおかしくなりそうな状況だったのですが、食欲も戻って、精神状態も普通の状況に戻ることができました。

例えば来年7月で先生の手術ができなくなると、私が実際に受けることができるかどうか、非常にあやふやな位置にいるんです。再び元の治療、ロボット手術を受けるかと言うと、死を覚悟しなければいけない状況に舞い戻るわけです。

こういった患者さんはたくさんいるわけで、滋賀医大には全国から来ているわけです。癌の最大の脅威は何かというと、転移と再発です。私も転移の検査を受けて結果が出るまではドキドキでしたね。発狂しそうになるくらいでした。転移はなく安心しましたが。

でも岡本先生治療を受けてようやく、再発しない状態になるわけです。ここで滋賀医大が岡本先生の講座を閉鎖する非情な措置が行われるのであれば、我々の生きようとする希望が失われるわけです。こういった状況に対して、是非滋賀医大の非情なありかたを世論に知らしめていただきたい、と心から願っております。

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以上、岡本医師及び、患者さんの重たい言葉に、余計な言葉は付け足さない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

ロシアと日本 ── 利権化した「北方領土返還運動」の総括を

内閣府の北方領土問題HPより
 
内閣府の北方領土問題HPより

ロシアと日本の間で「平和条約」を締結しようという機運が高まっている。「平和」自体は結構なことであるし、どの国であろうが仲良くするに越したことはない。結構、結構と慶賀の至りと、気楽に構えていたいのだが、どうも腑に落ちない。

なぜかといえば、ロシアがソ連であった時代から両国間最大の問題であった「北方領土」について、なんら解決の道筋がつけられていないからである。当事者の方々には失礼にあたるが、本音を言えばわたしにとって北方領土問題は、たいして重要性を感じない。第二次大戦日本敗戦直前のどさくさに参戦してきて、敗戦後北海道の半分を手に入れようとした、ソ連(スターリン)の姑息さに由来する、「北方領土」問題。それでもそこには戦争とは関係なく暮らしていた人々の生活があったのだから、「元の住処に帰りたい」との思いを実現させてあげたいとは、わたしも思う。

でも、実際のところ北方領土問題は、たしかに地理的に北海道に極めて近いという前提があるのもさることながら、ソ連崩壊までは主として「軍事脅威」の宣伝としても、大いに利用されてきた。ソ連は「仮想敵国」だったからだ。そしてソ連が崩壊して、「独立国家共同体」という、訳の分からない状況の時代は、日本政府が本気であれば、いとも簡単に北方四島を取り戻しえた時期だった。当時の旧ソ連では、権力機構も軍隊もKGBもGRUもほぼ国営から民営化され、国全体が揺れに揺れている時期だった。国内では多数の国が独立を果たしてゆき、軍人も元共産党幹部もひたすら金儲けに向かい猛進していた。当時旧ソ連国内での、覇権争いは熾烈を極め、外交どころではなかったはずだ。

 
内閣府の北方領土問題HPより

もし、プーチンが当時日本の首相だったら、間違いなく北方四島を取り戻していただろう。それだけではなく。サハリンからの天然ガスパイプライン敷設を日本の権益として確保したかもしれない。

ところが、現実には北方領土問題は、全く何の進展も見せなかった。ビザなし交流など表面的に改善を装う「催しもの」がお飾り程度に演じられたが、今日再び「帝国」としての地位を回復したロシアは、なにがあろうと北方領土を日本に返還することはないだろう。そして、日本政府も実は本気で取り戻す気などないのだ。多くの都道府県には北方領土問題の啓発に努める部署が設置されており、県庁に「北方領土帰る日、幸せの日」などといった横断幕が定期的に掲げられる。北方領土を中央政府は取り戻すつもりはない(なかでも安倍晋三にはその気が皆無である。ここ数年で何回ロシアに足を運び、またプーチンをわざわざ山口県まで招くなどしたことか)が、官公庁も含め、全国各地に「北方領土返還利権」が確立されているのだ。

だからといって、マスコミはロシアを叩きはしない。なぜならば、いまはロシアでなくても、朝鮮や中国という「代替仮想帝国」があるからだ。

ここで読者諸氏には最大級の注意を払っていただきたい。中国、正式には中華人民共和国と日本の間には「日中平和友好条約」条約が既に締結されていることを。若い人たちは知っているだろうか。日本と中国の間は、日本とロシアとの間ではいまだに結ばれていない「平和友好条約」が締結されていることを。経済的な関係はともかく、昨今のきな臭い報道ばかり見ていると、あたかもロシアよりも中国のほうが「仮想敵国」なのではないかと勘違いしそうだが、条約上は「仲の良い」関係になっているのだ。

 
内閣府の北方領土問題HPより

そして、北方領土問題の二代目を演じているのが「拉致」問題だ。朝鮮による日本人拉致事件はほかならぬ金正日自身が認めたのだから、事実に間違いはない。拉致被害者の方々やご家族は長年にわたり筆舌に尽くしがたいご心労が続いている。そのことを分かったうえで、あえて指摘しなければならない。

日本政府は北方領土同様に、拉致問題も解決する意思を持ち合わせないとわたしは確信する。なぜならば拉致問題が解決してしまえば、日本の軍拡や改憲の根拠が失われてしまうからだ。これまで日本政府、なかんずく安倍晋三は拉致問題に関して、みずから、何をなしえてきたか。韓国大統領が金正恩と首脳会談をすると聞くと「拉致問題を取り上げてくれ」と頼み、金正恩がトランプと会談すると聞くとトランプに「拉致問題も言及して」とお願いするばかり。自分が直接交渉に歩みだそうとしたことすらなく、ひたすら他国の首脳に「ついでに話題にしてね」と頼み込むばかりだ。

 
内閣府の北方領土問題HPより

他方、朝鮮への経済制裁については国際社会でも呆れられるほど、先鋭的に南北朝鮮の緊張緩和を無視するかのように「制裁、制裁」と見当違いに叫び続けるしか能がない。しかし安倍は、この問題に関する限り「無能」なのではなく、意識的に拉致問題が解決しないようにふるまっているのだ。想起されたい。つい最近まで「ミサイルが飛んでくる」とあたかも戦争前夜のように、馬鹿げた避難訓練が「粛々」と全国各地で行われていたじゃないか。それに市民も参加していたじゃないか。

拉致被害者の方々の一刻も早い帰国や、拉致問題の解決を、わたしも願う。そのためには拉致問題の固定化を祈願し、実践している安倍晋三を筆頭とする極右勢力が政権から退場してもらわなければならない。

ロシアとの間での平和条約は結構なことではあるけれども、過去計算できないほどの金がつぎ込まれ、利権化した「北方領土返還運動」の総括がまず先だろう。これまた極右勢力がけん引した「北方領土返還運動」が、何の成果もなく消え去り、結局北方領土はロシアの領土として固定化しても、平和条約が締結できるのか。今見るべき点はそこだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

《スクープ》スーパードクター岡本医師、滋賀医大を相手に仮処分申し立てへ!

滋賀医大付属病院小線源講座の患者さんら4名が、同病院泌尿器科の河内明宏科長と、成田充弘医師を相手取り440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした件については、これまで報告してきた。

そして本日11月16日、滋賀医大付属病院小線源講座の岡本圭生特任教授が、滋賀医科大学を相手取り、仮処分を大津地裁に申し立てることがわかった。岡本特任教授が仮処分を申し立てる内容の詳細はまだ明らかではないが、本日18時から記者会見が開かれ、そこで代理人と本人から説明が行われる。

 
11月12日付けビジネスジャーナル

岡本医師については、11月12日付けビジネスジャーナルで「増加する男性の前立腺癌、再発率わずか2%の画期的治療法『岡本メソッド』」にインタビューが掲載されたばかりだった。

岡本医師による小線源療法については、ビジネスジャーナルの記事に詳しいのでご参照頂きたいが、注目すべきは現役の医師も以下のように絶賛している治療法である点だ。同インタビューから引用する。

岡本教授の治療を受けられた方は、どのように感じているのか。1100名を超える治療を受けた患者さんのなかから、大分県立病院小児科部長の大野拓郎氏に患者さんとして、また専門家の立場からお話を聞きました。

―― 先生に前立腺がんが発見されたのは、いつだったのでしょか。

大野 私は今、53歳ですが、2年前に簡易人間ドックを受けた際に、PSAの値が高いことがわかりました。その後すぐに細胞検査を受け前立腺がんと判明しました。

―― 医師としてご自身の前立腺がん治療にあたり、どのような観点で治療法を選択されましたか。

大野 まず根治性の高い(再発リスクの低い)ものを考えました。私はがんの広がりはなかったのですが、組織型(がんの悪性度)が悪かったので、高リスクとして治療を受ける必要があると判断しました。ダビンチ手術(支援ロボットを利用した手術)を勧める医師もいましたが、仕事をしていますので、仕事に影響が出る後遺症・合併症は困ります。その他の治療法も調べましたが、私が考える芳しい成績ではないなと思い、岡本教授の治療を見つけ、治療成績が傑出していることから、お願いすることにしました。

―― いつ施術を受けたのでしょうか。

大野 2017年の2月です。

―― 手術後の経過はいかがでしょうか。

大野 夜間頻尿が数カ月続き服薬していましたが、半年くらいでなくなりました。今はまったく支障がありません。前立腺がん治療のあとには、排尿関連の合併症が多いのですが、何も感じないで生活しています。

―― 専門家の立場から「岡本メソッド」をどのように評価なさりますか。

大野 私は先天性小児心疾患が専門です。その手術のレベルを考えたときに、病院によって差が出てきます。それは事実ですが我々としては「どこで受けても同じ結果が出る」のが一番望ましい。医療においての再現性を考えたときに一番大事なことだと思います。前立腺がんの治療を見たときに、岡本教授の技術が広がっていく、全国で根付いていくことが理想的だと思います。色々調べましたが、岡本教授の施術は「神のレベル」に近いといえます。しかも報告からは合併症が少ないようです。尿漏れなどは日常生活でも大変不便です。それが少ないのと、根治性、機能面においても非常に高いと思います。

―― 岡本教授のお人柄についてはいかがでしょうか。

大野 岡本教授と話をしていて、「この方は信頼できる」と感じたのは、徹底して患者の方向を向いていらっしゃることです。医療界には別の方向を向いている動きも感じますが、岡本教授は「きちっと根治する治療をする。そのための小線源療法、そして外照射を合わせたトリモダリティ」を考えておられるなと強く感じ、信頼できると思いました。大事なのは「患者さんにとって何が一番良いのか(Patient first)」ですね。その実践ができているという点でも信頼できる先生だと私は思います。私の知り合いで同じ病気になった人がいれば、躊躇なく「岡本先生に治療してもらってはどうか」と勧めます。(引用以上)

4名が泌尿器科の医師を提訴し、岡本医師も仮処分を申し立てる、滋賀医大では何が起こっているのであろうか。記者会見の様子は近日中にご報告する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

出入国管理法及び難民認定法改正で到来する新〈奴隷労働〉社会

政府及び内閣が先日閣議決定をした出入国管理法および難民認定法の改正にわたくしは再度反対の意を明らかにする。

勘違いされると困るが、わたしは海外からこの国にやって来る人を、「入国させることを困難にさせよう」と主張するのではない。むしろ、海外からこの国に渡航してこようとする方々のハードルは下げるべきであると考える(短期滞在を中心とする来日者にとっての抑圧がない在留資格に限定すれば)。

しかしながら、今般、政府がターゲットにしている方々は、そういった方々ではない。これまで表面上は在留資格にはなかった「期限付き単純労働者」を含む多彩な労働者を人口減で、労働力不足の日本に招き入れようとしている。

労働に携わるのであれば、日本人もしくは日本定住者同等の権利義務が保証され得る状況で労働に従事するという最低限の保障が得られるべきである。しかしその最低限保証は、まず間違いなく海外からの労働者には適用されない。

わたしは外国籍労働者の入国規制緩和に反対はしない。しかし、この度の入管法改正においては、そういった諸権利および入国される方々の待遇が保障され得ない可能性が極めて高いが故に、新たな「奴隷労働」の再来を想起し反対を明確にするものである。

◆無茶苦茶に好き勝手されている労働条件現実を直視すべき

外国人労働者受け入れをする論じる際に、前提として日本人(日本居住者)の労働条件が、使用者側により無茶苦茶に好き勝手されている現実を直視すべきであろう。労組もその過半数が「御用組合」に成り下がり、ろくろく賃上げ交渉や、労働者の権利確保に動きはしない。中には「憲法改正賛成」などと、馬鹿げた決議をする組合まで出てくるありさまだ。

おかしなことに、労組の要求ではなく、首相が経団連に「賃上げをしてくれ」と命じると、大企業は賃上げに応じる。日本人労働者の権利も守れない状態で、より立場の弱い外国人労働者が増加したら、その人たちがどのような仕打ちを受けるか、賢明な読者諸氏においては、想像に難くないであろう。

さらに、なぜわたしがそのような点を指摘するのかと言えば、これまでの在留資格で入国をし、労働に従事した方々のうち、研修生および留学などの在留資格を保持した方々は、極めて劣悪な労働環境で働くことを余儀なくされた。その問題の深刻さが正面から論じられることがなかったからである。だがわたしは経験からその実態を知っている。

そもそも留学などの在留資格を持ち来日し、労働に従事すること自体が、在留資格の本来の目的と在留資格の実態からかけ離れていることは勿論である。今般の大きな政策変更いぜんにも、実態としての「外国人頼み」の業種や商業は既に存在していた。しかしながら、「出入国管理法及び難民認定法」の表面上これまで日本は外国の単純労働力としての流入を頑なに拒んできたという歴史がある。

◆外国人労働者受け入れの条件で格段に不備が多い社会

この度の入管法改正は、一気に単純労働者の取り込み、および今後不足することが想定される職域に置いての外国人労働力労働者の容易な入国を認めるものであるが、その前に一度振り返ってみる必要がある。

外国人労働者でなくとも、日本人労働者は労働に対してそれに見合う対価を得ているであろうか。日本人労働者(正規雇用、非正規雇用を含む)が、このかん空前絶後の好況と言われながら、給与所得の向上は、労働組合の要求ではなく、専ら安倍首相が経団連に向け、給与を上げろというようなことに限り、それ以外の状況では上昇してこなかった事実。これらを俯瞰する時に、日本においては他の労働力受け入れを経験した諸国に比べ、格段に外国人労働力労働者受け入れの条件が不備であると断ぜざるを得ない。

それほど難しい話をしなくとも、少なくとも異文化の人々と一定程度の付き合いをしたひとであれば、今回の判断が如何に短絡的なものであるかご理解いただけるであろう。わたしは過去30年ほどのあいだに、日本の中で外国からこらえた方々数百人と接触してきた。東南アジア、欧米、中東、オセアニア、南米(アフリカ出身の方は少なかった)などの方々と接する中で、嫌でも「体感的」な交流からは逃げられなかった。

日本の社会は変化するし、海外からやってくる方々の母国の様子も変化する。だからわたしの経験は、断定的なものとしてしか語れはしない。けれども「価値観・生活様式の違いは予想をはるかに超える」。このことは断言できる。たとえばインドネシア、ベトナムのひとたちは、「穏やかだから介護や看護に向く」との短絡的な決めつけが聞かれる。そういうことを吹聴するひとたちの頭の中には、インドネシアには数百の民族が居住し、言語文化も多様であり、内戦まがいのいさかいが続いている、あるいはベトナムは米国に戦争で勝利した唯一の国であるとの認識などあるだろうか。

誤解されると困るので、わたしはいずれの国籍・民族の人々にもなんらの偏見を持たないことを明言しておく。ただし、世界には「勘違い」した国や民族が同居していることもまた事実である。

逆説的に論じれば、わたしは海外からの労働者が、日本人と同等に処遇されるのであればそれに反対するものではないが、当の日本人自体が本来獲得できる諸権利および賃金が獲得できない状況で蠢いている中で、それより前提の悪い中でやって来る外国人の方々が、まっとうな生活が送れるとは考え難い。今回の入管法改正策動は、高度成長期に日本が批判された「経済的海外進出」の21世紀版“経済的奴隷労働”の具現化に他ならない。


◎[参考動画]入国管理局が「庁」に格上げへ(ANNnewsCH 2018年7月24日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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老いの風景〈07〉猛暑と母の温度感覚

平均寿命が延び、高齢の親御さんやご親戚家族の健康について、悩みを抱える方が多いのではないでしょうか。私自身、予期もせず元気で健康、快活だった母の言動に異変を感じたのは数年前のことでした。そして以降だんだんと認知症の症状が見受けられるようになりました。今も独り暮らしを続ける89歳の母、民江さん。母にまつわる様々な出来事と娘の思いを一人語りでお伝えしてゆきます。同じような困難を抱えている方々に伝わりますように。

◆温度感覚が鈍ってきた

高齢者は室内でも熱中症になる危険性が高いと言われています。今年は、もともと大変な暑でしたが、母の温度感覚が鈍ってきたことを実感したお話です。

暑がりの民江さんが、今年はいつまでも暖かい肌着やベストを身に着けていました。私が持ち帰って洗濯して戻すと、また着ています。「いくらなんでも、もう必要ないでしょ」と何度言っても、また着ています。内緒で普段使わないタンスにしまい、代わりに薄手のブラウスを目につく場所に掛け、やっと夏らしい装いに変わりました。本人は何も言わないので、これでよかったかどうかわかりませんが、今年は少し強引に衣替えをさせてしまいました。

クーラーについては、年齢の割におおらかなのか、それほど暑さに弱いのか、1~2時間の外出ならつけたまま出かける生活を昨年までずっと続けていました。ところが、記録的な猛暑となった今年、7月になってもエアコンはいらないと言います。せめてもと思い、扇風機を物置から出してきて回しておくのですが、いつの間にか止めてあり、また私がつけて……の繰り返しです。「暑くない」と言い張ります。

ある日、民江さんの寝ている和室を覗くと、まだ布団が敷いたまま(民江さんは足腰が丈夫なので、今でも自分で布団の上げ下ろしをしています)でした。片付けようと近づくと、掛け布団は冬用の羽毛布団のまま、襟元はズクズクに濡れてペチャンコに、白いカバーは黄色く変色しツンと臭います。敷布団もずっしりと重たくなっています。大量の汗が染み込んだままの布団、今朝も肩まで布団をかぶって寝ていたようです。私は毎日数回電話をし、最低でも週に一度は来ています。ですが今日まで気が付かなかった。ああ! もっと早く気が付いてあげるべきだった。羽毛布団をクリーニングに出し、その他もさっぱり夏仕様に交換し、室内用布団干しを買って届けました。

こんなに汗をかいて……暑くて布団を剥ぐということをしなかったのでしょうか。そもそも暑さ自体を感じなかったのでしょうか。布団が汚れているという感覚はなかったのでしょうか。起きたら、たくさん汗をかいたことを忘れてしまうのでしょうか。寝る時に濡れた布団に触れても何も思わないのでしょうか。床に落ちている髪の毛は拾うのに、汚れた布団は目に入らないのでしょうか。それら全てによって……これが老いなのでしょうか。独り暮らしにいよいよ危険を感じました。

◆エアコンの設定温度を10度も下げる理由

室内で熱中症になってはいけないので、その日から必ずエアコンをつけるよう丁寧に説明しました。28度に設定し、温度のボタンは触らないように言いましたが、電話をすると「エアコいンつけてるよ」「18度より下がらないのね」「え?もっと上げるの?」「上げる?」「数字を大きくするの?」「三角の上のボタン?」「はい、28になりました」と。そして次の日もまた次の日も、18度より下がらないから始まって、同じ会話の繰り返しです。

本人はデイサービスに喜んで行っていますが、私としてはこれ以上回数を増やしたくないと思っていました。理由は、自分で考えて能動的に時間を過ごす日も必要だと思っていたからです。しかし、この一件で考えを改めることにしました。夏の間だけでも、デイサービスをもう一日増やすように早速お願いし、日曜日と通院日を除いて、週5日通うようになりました。

後日談です。毎日エアコンの設定温度について同じ話を繰り返すことに疲れてきた私は、「18度に下げると電気代もったいないよ」と言ってみました。すると「あら、せっかく点けるのに? 18度にしないともったいないと思ってた」と明確な返事が返ってきました。

そしてそれ以来、リモコンの設定温度は28度のままです。説明を繰り返す必要が一切なくなりました。本人の中では理由があって温度を下げていたことがわかったので、すっきりしたようでもあり、毎日の私の苦労は何だったのかと、別の謎が生まれました。民江さんに振り回される毎日です。そして、ああ、次は冬の装備です。

 

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

今こそメッセージ・ソングが必要だ! 11・11中川五郎トーク&ライブ(於 京都・同志社大学)に150名余が結集!

 

11月11日、同志社大学良心館107号教室で、同志社学友会倶楽部主催、ミュージシャン中川五郎さんによるトーク&ライブ「しっかりしろよ、日本人。」が行われた。同志社大学学友会倶楽部は、学生時代に同志社大学で学友会(自治会)に関わっていたり、関心のあった方々による団体だ。中川さんは同志社大学文学部社会学科新聞学専攻に合格するも、高校時代からフォークソングの世界では既に名をはせていたので、「同志社大学で鶴見俊輔さんからジャーナリズムを学ぼうと思いましたが、大学に入学したら、大学に行くよりも歌いに行くことの方が多くなって、結局やめてしまいました」とご本人が語られたように、同志社大学を中退されている。

11日は鹿砦社代表もメンバーである、同志社大学学友会倶楽部の面々が午前10時に集合し、会場設営やイベント告知のチラシを学内各所で配布した。この日は同志社大学の「ホームカミングデー」でもあり、キャンパスはOB・OGが多数訪れていた。このイベントは6回目で、私もここ数年お手伝いさせていただき、例年通りチラシを配った。中川さんは有名人でもあり、講演だけではなくライブも聞けるとあって、チラシを受け取った人の感触は良かった。

◆中川五郎さんとボブ・ディラン──つながりの片桐ユズルさん、中山容さん、中尾ハジメさん

会場設営を終え、中川さんが到着し、簡単な打ち合わせ後、一同は学生食堂で早い昼食をとった。中川さんの歌は何度も聞いているし、文章もかなり読んでいたけども、ご本人にお会いするのは初めてであったので、昼食を食べながら、お話をさせて頂いた。

中川さんがボブ・ディランに影響を受け、関連の著作や文章をたくさん書いておられるので、「片桐ユズルさんとはお親しいですか」とお尋ねしたところ、「はいはい、ずーっと親しくして、今でも仲良しですよ」と笑顔が浮かんだ。私が不勉強なだけで、実は中川さんにとって、片桐ユズルさんは英語やフォークソングの先生でもあったことを、ライブのなかで遅まきながら知ることになる。

「中山容さんは?」、「もちろん、仲良しでした」、「中尾ハジメさんもお知り合いですね」、「はいはい」というわけで、私がかつてお世話になった職場に在籍していた、個性的な教員たちはみんな極めて親しいかたばかりであることがわかった。

 

◆語りでもなく抒情的な「歌」だけでもなく

13時開始予定の広い教室には、12時を過ぎると早くも、聴衆が集まり始めた。13時をやや過ぎて、主催者挨拶のあと、さっそくトーク&ライブが始まった。中川さんは「僕はあんまりしゃべるのが得意じゃないので」と切り出したが、前後半に分かれた、前半の1時間余りはほとんどを語りに費やした。中川さんはフォークソングを単なる音楽の1ジャンルとしてではなく、語りでもなく抒情的な「歌」だけでもない、「新しい表現方法」だと感じたといい、それまで主流だった恋愛や風景、望郷をうたうだけではなく、「時代」や「その時に考えること」を伝える魅力を見い出した、と語った。

そして60年代終盤に突然火が付いた「関西フォーク」(この呼び名は「あんまり好きじゃない」と言われていた)は、路上や街角で「時代」を歌う「フォークゲリラ」として、社会現象化し、やがて、東京を中心とする関東にも広がってゆく。「新宿フォークゲリラ」は有名だが、あの発信地は大阪や京都だった。

ところが70年代に入ると、再び抒情的な歌を歌う「歌い手」と、それに気聞きほれる「聞き手」の関係が再現してくる。「お風呂屋さんの前で待っている」(笑)ようなフォークソングが再び主流となり、中川さんら「歌うものと聞くものが一体となり、そこから何かが動き出す」フォークソングは一見下火になる。しかし同時代性を歌うフォークソングは死滅したわけではなく、現に中川さんはこの日、同志社大学に「約40年ぶり」に戻ったにもかかわらず、会場には150名以上の聴衆が詰めかけた。

 

◆女性の権利、原発、被ばく、東京五輪、横須賀米軍基地、上関原発、辺野古基地、ガザ……

前半は高石ともやの作品としてヒットした『受験生ブルース』の原曲(『受験生ブルース』は中川さんがボブ・ディランの楽曲の替え歌として編み出したものを、高石ともやが「拝借」し、歌詞もメロディーもかなり作り変えて世に出ている)、新しいバージョンの日本語による「We shall overcome」など3曲を披露するにとどまった。その代わりに来場者は「日本におけるフォークソング史」を濃密に当事者から聞くことができる貴重な機会を得た。

休憩をはさんで後半は、一転して猛烈なライブとなった。時に現役同志社大学生(といっても20代の学生さんではないが)が奏でるマンドリンとのコラボレーションなどもあり、6曲を歌い上げた。

後半最初の曲紹介は「僕は、当時神戸の短大で先生をしていた片桐ユズルさんという人に社会のことや英語やべ平連のことやフォークを教わって、その片桐さんが書いた詩にメロディーをつけたのがこの曲です」で幕を開けたのが『普通の女の子に』だった。

そのあと女性の権利、原発、被ばく、東京五輪、横須賀米軍基地、上関原発、辺野古基地、ガザなどなど日本中、世界中の矛盾・問題をこれでもか、これでもかと歌い上げる。コード進行が奇抜なわけでも、テクニックに活路を求めてもいない(もちろんテクニックが最上級であることは言うまでもないが)、総体としての「表現」としてのフォークソングは、聴取を圧倒する。

 
ピーター・ノーマン(写真左)。白人ながらも金と銅の黒人選手二人の行動を支持し、同じ表彰台で「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(OPHR)」のバッジを着けた

◆圧巻の『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』

中でも圧巻は、『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』だ。17分に及ぶこのメキシコオリンピック200m表彰式で米国籍黒人選手2名が拳を突き上げ、黒人公民権運動の象徴であるブラックパワー・サリュートを行い、差別に抵抗する意思を見せた有名な出来事を「ルポルタージュ」方式に歌い上げた楽曲は、1年間高校で「現代社会」を学ぶよりも、多くの真実を詳細に伝えるであろう、まさに「武器」だ。歌詞の内容は敢えてここでは明かさないから、興味をお持ちになった読者諸氏はぜひ、中川さんのCD購入をお勧めする。

ただ、残念ながら、『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』はCD未収録だが、中川さんの公式サイトによれば、次のURLから視聴できる。https://youtu.be/6LFg1iU6hjo

中川さんの歌は「みんな」が主語にはならない。だから世界に疑問や、怒りをぶつける楽曲でも「みんなで○○しよう」とはならない。ほぼ主語は「ひとり」、「あなた」、「わたし」要するに「個人」だ。ここがともすると一時の恍惚間に陥りやすい、安易な楽曲との違いだろう。聞き手を震わせるが「みんなで○○しよう」という「逃げ」を許さないから、震えながらも聞き手は、おっとりしていられない。厳しくも優しい、精鋭的でありおおらかな享受することが貴重な世界だ。

この日会場を訪れた人は全員、満足していたに違いない。


◎[参考動画]ピーター・ノーマンを知ってるかい(kazuma kuga 2018/07/24公開)

中川五郎さんHP GORO NAKAGAWA FOLK SINGER 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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