ガンから生還!「国松警察庁長官を撃った男」から届いた決意表明の手紙

〈長らくご無沙汰していましたが、最近は手術の予後の休養生活に入り、テレビの特番の放送も二回実現したことで、状況も一段落しました〉

先日、10カ月ぶりに届いた彼の手紙はそんな書き出しで始まっていた。手紙の主は中村泰(ひろし)、85歳。あの歴史的未解決事件、国松孝次警察庁長官狙撃事件の犯人だという説が根強い男だ。

中村から10カ月ぶりに届いた手紙

国松長官が自宅マンション前で狙撃され、瀕死の重傷を負ったのは今から20年余り前の1995年3月のこと。全国警察約26万人のトップが狙撃されるという超重大事件だけに警察は犯人検挙のため、威信をかけて捜査に取り組んだ。しかし、捜査を主導した警視庁公安部はオウム真理教犯行説に固執して迷走し、結局、2010年に事件を迷宮入りさせてしまう。一方、この間に警視庁の刑事部が犯人とみて、追及を続けていたのが中村だった。

中村が国松長官狙撃事件の捜査線上に浮上したきっかけは、2002年に名古屋で銀行の現金輸送車を襲撃し、逮捕されたことだった。中村はその後、獄中にいながらマスコミと接触し、自分が長官狙撃犯だと訴えるようになった。その自白内容には犯人でないと語れないような内容も多く、中村こそが長官狙撃犯だと考える取材関係者も少なくない。かくいう筆者もその一人である。

筆者は今年1月4日に当欄で、この中村が病に冒され、医療施設で闘病中だということを報告した。この時には病名は伏せたが、実は中村が見舞われた病は直腸癌だった。筆者は正直、年齢も年齢だし、大丈夫かな……と心配していたのだが、無事と近況を知らせるために届いたのが冒頭の手紙だった。

◆抗癌剤治療を受けながら著書を執筆中

手紙によると、服役先の岐阜刑務所は医療体制が不十分なため、中村は昨年末に大阪医療刑務所に移送され、今年初めに手術。術後の経過はよく、現在は岐阜刑務所に戻され、抗癌剤治療を受けながら静養しているという。

〈抗癌剤なるものはいろいろ副作用がありまして、万全の状態とは言えません〉

手紙では、そんな苦労も綴っていた中村だが、一方でテレビ朝日が昨年8月と今年3月、特別番組で自分のことを長官狙撃犯であるかのように報じたことを喜んでいた。

〈私としてはこれで警視庁の大嘘つきどもに一矢なり二失なり報いてやれたわけで、どうやら病苦の埋め合わせができたように思います〉

中村の犯人説を追った本「警察庁長官を撃った男」(鹿島圭介著)。中村曰く、本の内容は大半が事実だという。

中村は国松長官を狙撃した目的について、地下鉄サリン事件発生後もオウムへの強制捜査に及び腰だった警察をオウム制圧に駆り立てるためだったと語ってきた。そして自分の謀略通り、警察はオウムが長官を狙撃したと誤認し、制圧に動いたが、この自分の功績を世に知らしめたくなり、我こそは真犯人だと訴えるようになったと説明している。今回は取材協力したテレビの放送により、自分を犯人と認めない警視庁公安部に一泡吹かせてやったという思いらしい。

そんな老殺人者は現在、自著の執筆も進めているという。

〈不自由きわまる環境ですから、なかなか大変なのですが、支援者の協力も得ながら先行き短い命の続くかぎり、努力を続けていく覚悟を固めています〉

警察庁長官が狙撃されるという日本の戦後史に残る重大事件がこのまま未解決で終わっていいはすがない。中村が本当に国松長官を狙撃した犯人ならば、命あるうちに事件の真実を書き残してもらいたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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