私の内なるタイとムエタイ〈70〉タイで三日坊主!Part62 藤川さん、北朝鮮へ!

以下は、北朝鮮へ旅立つ前、藤川さんから直接聴いた話、帰られてから聴いた話の他、オモロイ坊主を囲む会ホームページの藤川さんの言葉、TBS報道特集で放映された内容を引用した部分があります(2004年12月5日放送)。

◆藤川さん、北京から平壌に入る!

「あの北朝鮮の政治体制の中でも仏教があるというが、お坊さんが修行しているとは信じられへん。お寺の和尚に会ってみて『御釈迦様と金総書記はどっちが偉いと思う?』と聞いてみたい。苦労してビザを取って北朝鮮に行く以上、何か掴んで帰りたい。どこかに宗教心を垣間見ることができるはずや!」という藤川さんらしい探究心。

他にも会ってみたい人物もいた。1970年3月に起こった日本航空機、よど号ハイジャック事件。北朝鮮に残っているその実行犯と会う。

日本からの直行便は無い。一般的には北京経由で平壌に渡るしかない。

2004年11月16日、平壌空港に到着。久保田弘信カメラマンと2人で入国後、そこから“2人”の通訳兼案内役に迎えられ、パスポートと携帯電話、航空券を預けなければならなかった(3人で行っていたら3人の案内役)。車に乗せられ向かったのは宿泊するホテル。車窓から見る平壌の街並みは陰気で静か、灯りも暗く寂しいといった印象だったという。

◆よど号ハイジャック実行犯にも説教してしまう藤川さん!

比丘は剃髪から何日かだいたい分かるもの(2003.3.18)

到着した日の夜、ホテルのロビーに尋ねて来た、よど号ハイジャック実行犯の小西隆裕氏と若林盛亮氏の二人とホテルにあるカフェで対面。この方々は日本の支援者の仲介で、予め藤川さんの北朝鮮訪問を聞いて対面が予定されていた。元々は彼らと同じ実行犯、田中義三氏がタイで別事件で収監中に、タイの日本人ジャーナリストの依頼で藤川さんが面会に行ってから交流が始まり、平壌で小西氏らとの対面に繋がったもの。

そこでは、彼らはこの先のことどう考えているのか。率直に聞いて説教してしまう藤川さん。

穏やかに喋る普通のオジサンの小西氏は、「日本に帰るにしても決着付けなければならないことがある。(日本側が我々のこと)北朝鮮のスパイだとか、そういうことはやってないんだから!」等、言い分はいろいろあるところ、藤川さんは、「言いたいことあるんやったらさっさと帰って言え。ここに居って歳取って、あと5~6年はもの凄い貴重になるぞ。若い時の5~6年と違ってこれからの1年1年は大きい意味がある。小西さんが自分の主張を堂々と述べて、反対する奴に論陣を張ってやるだけやったと思って死にたかったら、やっぱり北朝鮮に居る1年2年は勿体無い。その有意義な1年2年の為に他のこと捨ててでも帰るべきやぞ!」

この映像の藤川さんの語り口には普段からの喋る癖があった。ツバ飛ばして喋る本気で説得している藤川さんの姿があった。だんだん熱くなり、いつもの放っておいたら止まらない調子だった。まるで2人の師匠かのような振る舞い。

「人間には帰巣本能がある!」と前々から言っていた藤川さん。

「難しいこと考えんと帰りたいと思うたら帰ればええのに。裁判受けて、田中義三の場合は7年(?)なんやから、あいつらも7~8年やろうから、さっさと帰って来ればええのになあ!」と老いていく時間を小西氏より三つ年上の我が身に置き換え惜しく思ったのだろう。

仏陀像に拝む藤川さん(2000.12.6)

◆中学校での決められた見学セット!

観光メニューとして、まず連れて行かれたのは、主体思想塔。そして故・金日成主席の生家。ガイドによって展示されている写真等の歴史のマニュアル化された説明を受ける。軍事境界線の板門店も訪れてコンクリートで仕切られた韓国側との国境の境目に立った。

「人間の悲しさと哀れさ情けなさを表した国境というものは大嫌いや!」と幾つもの国境線を見てきた藤川さんの率直な感想だろう。

更に中学校を見学。教室で着飾った少女たちが出迎えた。御琴の披露、歌声は見事なもの。

「見てて涙が出てきた。あの子ら喜び組の姉ちゃんと同じ顔(表情)やんか。ホンマかわいそうやった!」と映像の中で語っていた藤川さん。

国の支配下で動かされているマニュアル化された、本来の子供の姿ではない少女達に、映像からも同様に見えてくる。

別の画面で、男の子達がサッカーをして遊んでいる姿を久保田カメラマンが遠くから捉えていた。「こっちの方が本物の子供ぽいっていう感じですね!」という久保田氏。正にどこの国にもあるような子供達がボールを追う自然な姿があった。

◆金日成主席像の前で!

韓国料理を頂く藤川さん、北朝鮮でも食欲旺盛だったろう(2003.8.23)

観光マニュアルの中には、「万寿台の金日成主席像の前では外国人観光者も一礼しなければならない。」と決められているという。

「ワシは御釈迦様の弟子や、サンガ(上座部仏教)では御釈迦様が一番偉い存在で、サンガ以外の在家者に対し頭は下げない。タイ国王が来てもワシらは頭下げることは無い。そやからここでも頭下げるつもりはない!」

そんな発言をしていた藤川さん。実際に万寿台大記念碑に通訳兼案内役に連れられていくと、その主張を曲げなかったという。

すると、「案内人が『頼むから頭下げてくれ!』と次第に泣きそうになっていき、やがて兵隊がこっちに気付き、寄って来よる気配を感じたから、同行者にも迷惑掛かるから金日成主席像に向かって頭を下げてやった!」と言う。拘留に発展するほど意地を張る必要は無い。臨機応変に捉えなければならない。そんな解釈もあったかもしれない。“事無きを得た”、そんな感じだろうか。

タイでも日本でも北朝鮮でも唱える経文は同じ(2000.12.6)

◆この旅の最大の目的、北朝鮮の寺訪問!

滞在中、7つの寺に訪問したという。

ある寺の御堂を開けて貰うと仏像があり、そこでテーラワーダ仏教のパーリー語による読経をした藤川さん。北朝鮮となった国の寺でテーラワーダ仏教の黄衣を纏った比丘が、読経したのは過去に存在するだろうか。

藤川さんの「タイでは仏教は政治と離れていて、タイ国王が来ても、タイの首相が来てもお坊さんは挨拶しないが、ここではどうや?」

「ここも同じ、私達も同じです。」と笑顔で応える住職。

別の寺でも質問。

御釈迦様は好きですか?

「はい!」

一番聞きたかったこと、「貴方の心の中では御釈迦様と将軍(金正日総書記)様はどっちが偉いと思う?」と問うと、
「私達の将軍様が一番偉いです!」とハッキリ応える住職。

藤川さんは「李氏朝鮮以前は仏教の国やったのに、無くなってしまうのは格好悪いから無理に作ってあるという感じやな!」と語る。

訪朝前から答えは分かっているようなものだっただろう。ただ、通訳は入るが、実際に北朝鮮の寺の住職に尋ねて言葉を交わし、生の声から経験値や価値観、感情を読み取れて北朝鮮に来た甲斐はあっただろう。

そんな中のまた違う寺に向かった藤川さん。平壌の中心部から西に十三キロほど離れた龍岳山の法雲庵という寺には住職は居らず、70歳くらいのオバハンが管理人として常駐。藤川さんが本堂らしき建物の中で仏像に向かってお経を唱えると、後ろで管理人のオバハンが泣いていたという。

一通り読経し終わると、そのオバハンが「お坊さん、ずっとここに居てください。この寺には長いことお坊さん(僧侶)が居ません。お坊さん(藤川さん)の食事や洗濯の御世話は私がやります!」と泣きついて来たという。

藤川さんは「仏教を信じている人間がこの国にもいる。心の奥底には宗教を大切にする気持ちが残っている。人々の心の底にも仏陀は生きている!」と確信。涙を流しながらいつまでも手を振って見送ってくれたオバハンには後ろ髪を引かれる思いがしたという(髪無いが!)。

◆北朝鮮では終始、通訳兼案内役が付いていた!

四国八十八箇所巡礼を歩き、北朝鮮へ向かう勢いもまだまだ逞しい(2004.5.28)

「通訳兼案内役に高層ホテルの窓から『お前の家はどこや!』と聞いたら、『あそこだ!』と指差したのは、ホテルから数分で歩いて行ける距離にあるところや。でも帰らずにワシの隣の部屋に泊まりよる。ホテルの部屋には噂どおりの大鏡があった。そこで裸で踊ってやったけどな。ちょっとその辺を散歩でもしようかと思うて部屋を出ると、隣の部屋からその通訳兼案内役も出て来て言いよった。『どこ行くんですか?』と。常に監視して付き纏う彼ら。いろいろなところ行ったけど、直接現地の人と触れられるような場所はスッと避けさせる。ホンマに国の中身を見せよらへん。マニュアル国家やな、ワシら外国人に対しては!」

(でもそんな藤川さんらはどこかの床屋に入っている。藤川さんの頭は剃髪間もなく、訪朝時も薄っすらと毛が生えている程度だったが、ある寺の訪問からすっかりツルツルになっていた。その久保田氏が録ったと見える床屋映像もどこかの放映で見たのだが、わずかな記憶しかない私。)

そんな旅を終えてパスポートと航空券を返して貰って11月23日、北京へ戻られた。
やっぱり“精神的にドッと疲れた”という感じだろう。

私(堀田)が行かなかったのは、持病によって皆の足を引っ張ったかもしれないこと、旅費35万円は高過ぎたこと、あと私の両親は、私が何度もタイに行ったことは知っているが、行く度に心配させない為、「タイに行く!」とは言ったことはない。でもたまに電話があると「なるべく外国には行かんでくれや!」という心配が多かった。それが、北朝鮮の話は全くしていないし、誰からも私の親にはそんな連絡する奴はいないが、「北朝鮮なんか絶対行くなよ!」と何か察したかのように言われてしまった。タイでも暴動があったりと、たまたまそんな言葉が出てしまったのだろうが、これが直接、行かないことに決断させたものだった。仕事として決まっていたら何が何でも行っていただろう。でも単なる観光で行って帰って来れなくなったら、とんでもない騒動だっただろう。藤川さんもTBSから「下手なこと言ったら拘留されてタイへ帰れないぞ、拉致されるぞ!」と脅かされていたようだが、そんな覚悟は出来ている藤川さん。「ナンなら北朝鮮の寺でも修行は出来る!」と考えているのだから、同行者となった久保田氏はアフガニスタンより怖かったであろう。北京から日本へ無事帰り、諸々の関係者に旅の報告を終え、タイの寺へ戻られた藤川さん。次なる挑戦に準備を進めていた。

※北朝鮮の旅関係の画像は一切無いため、藤川さんのイメージ画像として、やや関連する普段の姿を集めています。以上は2000年以降、北朝鮮に向かうまでのもの。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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