私の内なるタイとムエタイ〈75〉タイで三日坊主!Part67 藤川さんの武勇伝

◆観光ビザ時代

藤川さんがタイに渡ったのは、バブルが弾けるかなり前からではあるが、まだ観光ビザで何度も訪れていた頃まで遡る。

「昔、観光ビザで何回もタイと日本を往復しとった時、パスポートはハンコだらけで帰国の際、『あんたはもうタイに入国出来んぞ!』と言われたんやが、パスポートとズボンをワザと一緒に洗濯してボロボロにしてまた申請に行く訳や、『すんまへん、ズボンのポケットにパスポート入れといたの忘れて洗濯してもうたら、こんなんなってしもうたんや、新しいの作ってくれへんけ?』って言うて再申請や。それ使こうてまたタイ行った。それが通用した時代まではよかったが、コンピューターで記録が残るようになってからは出来へんようになった!」と、こんな程度のことは平気でやったであろう。

そんな日本タイ往来を繰り返していた頃、娘夫婦がタイに来て会う事になった時、「ホテルロビーで待ち合わせしたんやが、たまたまワシが遊び通うクラブの派手な格好のホステスどもが居って『藤川社長~!』て叫びながら寄って来て抱き着かれた時は娘亭主の手前、恥ずかしかったなあ。どんな時も恐ろしいとか恥ずかしいとか思うたこと無いが、あれだけは恥ずかしかった!」という意外な弱点も笑いながら話してくれたことがあった。そんな一方、家族に見せられない中では、

「タイではいちばんの高級ホテルは娼婦の連れ込み禁止やが、7人ほど普通の宿泊客のように装って連れて入って全員裸で居らせて乱交パーティー。ルームサービスを頼んで、ボーイが料理を運んで来た時、女がそのまんまドアー越しに出てしもうて見つかってもうた。即刻出入り禁止になった!」

バブルや日本円の力に物を言わせていた行為だったが、それが自分の力と勘違いしている頃だったという。

◆バブルの陰で

「バブルの頃は土地転がしで皆やりたい放題やった。ワシの口座預かり持っとる銀行員がワシの名義で土地買うて来て、その土地売って、「藤川さん、土地売れましたさかいに、5000万円、口座に入れときましたで!」と言いおって、銀行員が土地の売買やっとったんやからなあ。クラブ連れて行って飲ませると「藤川さん、おおきに!」とか言いよるけど、「どんどん飲めや、お前が稼いだ金やないかい!」といった感じで、このバブル弾けて景気悪うしたこの張本人の、不動産業者やら銀行員やら政治家やら、誰も謝った奴も責任取った奴も逮捕された奴も居らんし、後々も普通に生活しとるし、反省の色も無い。滅茶苦茶な時代やった!」といった現実的な話。

土地の売買では、「バブルの頃の土地売った金の受け渡しを現金でやったある時、100万円ずつ入った封筒を何千万円とか入って来る訳やが、いちいち数えておれんで、確認は封筒から1万円札100枚の束をちょっと引っ張り出してまた中に戻すだけ。すると1枚でも足りんと微妙にスカスカするような感覚が指に残るわけや。そういうのだけ数え直して、あとは封筒単位で何百万、何千万と数えるだけやった。数万円ぐらいは足りんこともあったかもしれんが、桁から言うたら微々たるもんやからそのまんま構わず取引きしとった。」

世間の常識からは桁外れの金額を扱った時代、その後、「娘の居る前で、一般サラリーマン級の相手と物の値段の話になると『ウチのお父ちゃんは金銭感覚狂うとるから、高い買い物の相手したらアカンで!』と忠告するようになった!」と笑っていた。

まだ五十代前半頃、元気にいろいろな所へ出向いた藤川さん

◆親孝行物語の裏側

これが最も現実的なタイ人の姿かもしれないが、タイの最も貧しいイサーン(東北地方)の家庭に育った女の子が、貧しい両親や弟妹を養う為にバンコクや日本に出稼ぎに来て、娼婦となって稼いだお金で両親にキレイな家を建ててやり、電化製品が揃った便利な生活をさせてやる親孝行物語。そんな単行本を藤川さんに見せると、

「ワシはその類いの話は信用せえへんで。ワシは実際にこの目で現実を見て来たが、バンコク、チェンマイ、プーケット、そして日本で、売春婦と呼ばれる少女やジャパユキさんと呼ばれる若い女の子と付き合い、名古屋では彼女らの泊っているマンションで、15~16人の女の子の生活を覗いたこともあるが、中には実際に貧しくて家族の生活の為、また親が無学な為、無理やり売られて来た子もいたが、大半は贅沢がしたくて綺麗な服が着たくて、あるいは纏まったお金を掴む手段としてその道に入ったというのがほとんどや。実際彼女らは明るく楽しそうでジメジメした暗いところは少ない。タイ人の仕事に関する一般的な考えを見ていても、女が身体を売って金を稼ぐのも甲斐性の一つだという面もある。とりあえずしんどい思いをせずに、綺麗な恰好して楽に稼げる職業に憧れる傾向が強いんや。実際、北部タイやパークイサーン(東北地方)にも行き、彼女達の実家に行ってみると、彼女からの仕送りの金で家を建て替え、テレビや冷蔵庫などの電化製品を買い、親たちは仕事もせんと酒を飲み博打をやって居る。そしてそれを見た他の親は娘に売春婦になることを勧める始末で、村の若い男達は彼女達が村へ帰って来ると先を争って稼いだ金を目当てに結婚を申し込む始末。むしろ問題は彼女達からピンハネをする組織の方で、そちらの問題を解決するべきや!」というジャーナリスト級の体験談。新たに真実本でも書けばと思うほどである。

こんな出会いもあった。左は習志野ジム・樫村謙次会長。覚えていないだろうなあ!

◆キックボクシングの冷静な未来予想

私の関わる業界にも触れたことがあった。一般論でもあるが、
「キックボクシングは国民の関心が低く、裾野が広がらん。野球やサッカーには少年野球、少年サッカーがあってその大きな裾野があるやろ。ボクシングは世界が相手で、そこまでの道が通じるが、キックはそうはいかん。昭和40年代のキックブームの頃、小学校では、野蛮で禁止されたキックの真似事。これじゃあ裾野が広まる訳が無い。格闘技はハングリースポーツで、強くなれば普通の世界では得られない稼ぎが出来てこそ裾野が広がる。ボクシングも最近の日本にかつての勢いが無いのは他にもっと稼げるものがナンボでもあるからやろ。キックはメジャーになることなく一部のお遊びで終わるやろな。そして時代は観るだけでなく、自分らも出来る参加できるスポーツへと進んで行くんではないんかなあ。」

これが25年前の一般社会人目線での意見。現在、誰でも出来るとまでは言えないが、キックに限って言えば、ジュニアキックからオヤジキックまで、参加しようと思えば女性でもちょっと鍛えて参加し、またはボクササイズでも鍛えられる、藤川さんの予想は近い線を行っている感じではあった。

相手の都合を考えないつまらん長話は藤川さんの怨念が原稿に乗り移ったか、鬱陶しくて聴いてあげられなかった分、出家後の坊主目線の話題を、もう少々だけ触れておきたいと思います。

小国ジム・斎藤京二会長とのツーショット。覚えていないだろうなあ!

※写真はイメージ画像です。画像は文面と直接の関係はありません。

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▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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