「共謀罪法」施行2日後に金田法相が死刑を執行した理由

共謀時審議の中で、散々な無能ぶりを発揮した法相金田勝年が7月13日、2名の死刑を執行した。金田自身が死刑執行を命じたのはこれで3名となる。この島国ではいまだに「復讐権」を国家に委ねる、前近代的な人権感覚が幅を利かしている。

2017年7月13日産経新聞

死刑とは、いかなる理由を付与しようとも「国家による殺人」にほかならない。

主として被害者感情を利用して、または、まったく効果などない「犯罪予防」を理由に「国家による殺人」がまた行われた。しかも西川氏は再審請求中であり、再審請求者への死刑執行は異例中の異例である。

金田はなぜ2017年7月13日に2名の死刑を執行したのか。それは7月11日に「共謀罪」が施行されたことと無関係だろうか。相次ぐ国会審議の中での失態により、内閣改造では法相を更迭されることが確実な金田に、この際最後の一仕事を法務省は押し付けたのか。

理由はどうでもよい。唯一にして最大の問題は、ようやく日弁連も「死刑廃止」に舵をきり、死刑についての議論が高まる機運が生じたことへ、国家意思は「再審請求中の人にも死刑を強行する」ことを国民に見せつけた、そして庶民レベルではまだまだ「死刑廃止」に対する意識の高まりがみられないことである。

「人を殺したのだから殺されて当然」という、当たり前のように聞こえてその実何の思索も行われていない感情論を耳にすることがあるが、「人を殺したら殺されて当然」だろうか。

金田勝年法務大臣

◆「殺人」行為と「死刑」を短絡的に結び付ける大いなる誤解

戦争はどうだ? あらゆる戦争で戦勝国の兵士が敗戦国の兵士や民間人を殺戮したことにより、裁かれ「死刑」になることがあるだろうか。「戦争」だから殺人は免罪されるのか。また、まったくの不幸なめぐりあわせによる交通事故はどうだ。運転手に微塵の殺意がなくとも、意識不明に陥ったりして複数人の犠牲者が出ることがある。それでも加害者は「死刑」に相当するか(判例上このような加害者で死刑になった人はない)。つまり「殺人」という行為と「死刑」を短絡的に結び付けることは大いなる誤解であるということである。

そして、仮に大量殺人の真犯人であっても、その人に死刑を執行することにより、被害者の生命が回復するのか。被害者感情は本当に回復されるのか。殺人でなくとも、加害者に復讐心を抱くことは日常的に起きているのではないか。そのような個人の復讐心の物理的遂行をとどめる為に、近代法は構成されているのではないか。

そうであるので「死刑」制度の存置自体が近代法の精神にはそぐわず、むしろ前近代的な制度であると、近代法を導入した多くの国家は認識し、「死刑」を廃止したのだ。欧州のほぼ全域、そして制度上は廃止されてはいないが、韓国も死刑の執行を行わないことにより、実質的な死刑廃止国となっている。

金田勝年法務大臣

◆特定秘密保護法・共謀罪のすぐ向こうには「死刑」がある

さらにあまり知られていないが、「一人として人を殺さなくとも」「死刑」以外の処罰がない罪がある。「外患誘致罪」だ。外国の軍隊を国内に招き入れたり、外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者を罰するのが「外患誘致罪」だ。この容疑で逮捕された人は、冤罪であっても死刑を覚悟せねばならない。

おかしくないか。日本には米軍が駐留している。日米安保があるとはいえ、条約は法律よりも優位なのか。米軍が日本に駐留しているのが当たり前になっているので、こんな珍説を説く人はいないが、歴代政権は「外患誘致罪」を継続的に実践してきている。さらには集団的自衛権容認により、よりいっそう外国の軍隊がこの島国に上陸する可能性が増した。これは国家的「外患誘致」導入への地ならしではないか。しかし当然のことながら、国家への「死刑」などは制度上存在しない(例外的に、「革命」が起きればそれに相当しよう)。

売り物が無くなったマスコミが安倍政権に背を向けだした。政権へのマスコミの風向きは月刊『文藝春秋』の特集を注視していると解かりやすい。安倍政権批判が全面解禁されたのは今回も6月9日発売の『文藝春秋』7月号「驕れる安倍一強への反旗」が掲載されて以降だ。右派も含め安倍政権叩きが本格化している。

長きにわたった不幸極まりない安倍政権末期にあり、強行された死刑について我々はわすれてはならない。特定秘密保護法・共謀罪のすぐ向こうには「死刑」がある。他人事ではない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《殺人現場探訪06》 未解決の習志野女性殺害事件 献花から窺える遺族の思い

全国に未解決の殺人事件はあまたある。その中でも4年前に千葉県習志野市で起きた女性殺害事件は、特異な経過をたどった事件として印象深い。

現場は、習志野市茜浜1丁目の遊歩道脇の緑地帯。女性が仰向け状態で倒れ、死んでいるのを清掃員が発見したのは2013年6月24日の朝だった。千葉県警の調べにより、ほどなく女性は派遣社員の廣畑かをりさん(当時47)と判明。解剖の結果、死因は首を圧迫されたことによる窒息死の可能性が高いと判定され、財布から金を抜き取られているのもわかった。こうした状況から千葉県警は行きずりの強盗殺人の可能性を疑い、捜査を展開したと伝えられている。

そんな事件は多数の捜査員が動員されながら、4年経った今も未解決。だが、この間には一度、被疑者が検挙されたことがある。

現場近くには多くの人が暮らす団地もあるが、有力な目撃情報はない

◆一度は被疑者が検挙されたが……

千葉県警が廣畑さん殺害の容疑で中国籍の男を逮捕――。事件発生から3年近く経った2016年3月初め、マスコミ各社は一斉にそう報じた。報道によると、被疑者の男は、別の窃盗事件の容疑で有罪判決をうけ、関東地方の刑務所に服役。現場に残されていた遺留物の鑑定の結果、男が事件に絡んでいる疑いが浮上したとのことだった。

そんな報道が出れば、事件は解決に向かったと誰が思う。しかし捜査の結果、千葉地検は「起訴に足る証拠が集まらなかった」と男を釈放し、不起訴に。男は中国に帰国し、事件は再び未解決の状態となり、今に至るわけである。

殺人の容疑で逮捕された被疑者が嫌疑不十分で不起訴になること自体が珍しいが、これほどの重大事件ともなると、警察は普通、検察に相談したうえで逮捕に踏み切るものである。そういう意味でもこの中国籍の男が不起訴となったのは特異なことだった。

現場の遊歩道。夜は暗く、死角になる場所も多い

◆暗く、死角になる場所も多い夜の遊歩道

派遣社員だった廣畑さんは事件当時、現場近くの食品加工会社で働いており、遺体で発見される前日も夜10時から出勤予定だったが、無断欠勤していた。そのため、廣畑さんは夜9時台に出勤していたところを犯人に襲われたとみられている。そこで私もちょうどそのくらいの時間に現場の遊歩道を歩いてみた。

すると、現場は暗いだけならまだしも、生け垣や公園など死角になる場所も多かった。この道を夜9時台に歩いていたとされる廣畑さんが突如、隠れていた犯人に襲われた場面が鮮明に想像できた。遺体が見つかった緑地帯には、花と水が供えられていたが、まだ花は新しく、遺族がこまめに訪れていることが窺えた。遺族は広畑さんの冥福を祈ると共に犯人が検挙されることも切実に願っていることだろう。

一方、千葉県警のホームページでは、様々な未解決事件に関する情報提供が求められているが(http://www.police.pref.chiba.jp/so1ka/safe-life_coop-vicious.html)、中国籍の男が逮捕されて以来、この事件に関しては情報提供が求められなくなっている。

おそらく千葉県警としては、自分たちが逮捕した中国籍の男こそが不起訴になろうとも犯人で間違いないという思いから、この事件の捜査は打ち切っているのだろう。これでは犯人が検挙される可能性はきわめて乏しいと言わざるをえず、廣畑さんや遺族が気の毒でならない。

遺体が見つかった緑地帯に手向けられた花。遺族がこまめに訪れていることが窺える

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《鳥取不審死・闇の奥05》 上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」

2人の男性を殺害するなどしたとして一、二審共に死刑とされながら、無実を訴え続ける鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)。その上告審を担当している最高裁第一小法廷はこのほど、6月27日午後3時から判決公判を開くと決めた。

私は当欄でお伝えしてきた通り、上田被告に対する一、二審判決の有罪認定は妥当だと思っている。そして去る6月29日、最高裁第一小法廷で開かれた上告審弁論を傍聴した結果、もはや何かの間違いで一、二審判決が覆る可能性も皆無になったと思った。上田被告の無罪を主張する弁護人の弁論がかえって上田被告の「クロ」を動かしがたく証明していたからである。

◆あっというまに終わった上告審弁論

6月29日の午前10時30分から最高裁第一小法廷で始まった上田被告の上告審弁論。傍聴券の抽選こそ行われなかったが、最終的に48の傍聴席は満席となり、この事件に関心を持つ人が世間にはまだそれなりに存在することが窺えた。

だが、いざ開廷すると、上田被告の無罪を主張する弁護人の弁論は約20分、上田被告を有罪・死刑とした控訴審までの判断は妥当だとする検察官の弁論は10分もかからず、公判はあっというまに終わった。そんな最終審理で何より印象深かったのは、弁護人の無罪主張の内容があまりに苦しく、かえって一、二審判決の有罪認定にスキがないことを際立たせていたことだ。

6月29日に上田被告の上告審弁論が開かれた最高裁

◆睡眠薬の薬効が出たことは証明されていないと言うが……

一、二審判決によると、上田被告は2009年4月、借金270万円の返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろうとさせたうえ、海に誘導して溺死させた。さらに同10月、電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で殺害したとされる。

弁護人がそんな一、二審判決を覆すため、上告審弁論で示した「無罪の根拠」は2点ある。

1点目は、「2人の被害者に睡眠薬の薬効作用が発現していたことが証明されていない」ということだ。弁護人は、2人の遺体の血液中における睡眠薬成分の濃度などが調べられていないことを根拠にそのような主張をしたのである。

しかし、事実関係を知る者からすると、この弁護人の主張はかなり無理がある。捜査段階に行われた鑑定によると、矢部さんも圓山さんも血液や胃内容物などから睡眠薬や抗精神薬の様々な成分が検出されているし、2人が海や川で溺死した事情が自殺や事故であることは現場や遺体の状況から考え難かった。客観的事実は2人が何者かに睡眠薬を飲まされ、意識もうろう状態で海や川に誘導されて溺死したことを動かしたく裏づけていたのである。

しかも、2人の遺体から検出された睡眠薬や抗精神薬の成分の組み合わせは、上田被告の知人男性が鳥取市内の病院で処方され、上田被告の手に渡ったとされる睡眠薬や抗精神薬の成分の組み合わせと一致していた。この睡眠薬や抗精神薬を上田被告の知人男性に処方した主治医は「私がこれまで1000人以上診察した患者の中には、同じ組み合わせで睡眠薬や抗精神薬を処方した患者はいなかった」と証言している。

2人の被害者が睡眠薬を飲まされて殺害されたことや、飲まされた睡眠薬と上田被告が結びつくことがこれほど確かな根拠をもとに認定されているのである。弁護人の主張するような根拠で、睡眠薬を使った殺害行為を否定するのは無理だと言わざるをえない。

◆「再現実験」もしていたが……

弁護人が上告審弁論で示した無罪の根拠の2点目は、「一、二審判決が認定したような犯行は架空の物語で、上田被告には不可能」ということだ。矢部さんが海の中に誘導されたとされる砂浜、圓山さんが川の中に誘導されたとされる橋の下はいずれも足場が悪かったり、段差があったりするため、上田被告が意識もうろう状態の被害者を誘導し、そのような犯行に及ぶのが「不可能」だというのだ。

しかし、私は両方の現場を実際に訪ねてみたが、いずれの現場も一、二審判決が認定したような犯行が不可能だとはまったく思えなかった。弁護人たちは圓山さんが殺害されたとされる川では再現実験もしており、「男性の我々でもそういうことはできなかったのに、女性の上田さんにそういうことは不可能」とも主張していたが、この主張にいたっては逆に上田被告を有罪に追い込んでいるように思えた。

というのも、当欄でお伝えした通り、上田被告は控訴審の公判において、事件当時に同居していた男性A氏が真犯人であることを明言したに等しい供述をしている。「男性でも犯行が不可能」という弁護人の主張は、この上田被告の控訴審での主張を否定しているに等しい。

圓山さんが殺害された場所は橋の向こう側。道幅は狭いが、歩けないほどではない

◆「弁護人が『クロ』を証明した」という意味

さて、ここまで上告審弁論における弁護人の主張を否定してきたが、実を言うと私は上田被告の2人の弁護人のことをむしろ熱心で、優秀な人たちなのではないかと思っている。

私は主任弁護人とは会って話したことがあるが、東京の弁護士なのに、上田被告が拘禁された松江刑務所までしばしば面会に行っているようなことを言っていた。わざわざ東京から鳥取まで行って、殺害現場の川で実験をしたという話にもよくもまあ、わざわざ・・・と本当に頭が下がる思いだった。2人の弁護人は国選である。金銭的に大赤字だろう。

そんな熱心で、優秀な弁護人たちでもこのような無理筋の無罪主張しかできないのだ。だからこそ、私は弁護人の弁論がかえって上田被告の「クロ」を動かしがたく証明したというのである。

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

《鳥取不審死・闇の奥》
《01》「悪」とは別の何かに思える被告人
《02》弁護人も悲しげな表情で聞く被告人の荒唐無稽な弁解
《03》様々な点が酷似していた2つの殺人事件
《04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告
《05》上告審弁論で弁護人が証明した上田被告の「クロ」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
愚直に直球 タブーなし!最新刊『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち

《殺人現場探訪05》米原汚水タンク殺害事件 冤罪疑わせる「夜は見えない現場」

滋賀県米原市でこの事件が起きたのは8年前に遡る。2009年6月12日の朝、伊吹山のふもとを走る農道脇に設置された2つの汚水タンクの1つから作業員が被害者の女性A子さん(当時28)の遺体を発見。A子さんは2日前から行方不明になっており、家族が警察署に捜索願を出していた。

この事件が当初からセンセーショナルに報道されたのは、まず何よりA子さんの亡くなり方があまりに痛ましかったためである。A子さんの遺体は派遣社員として勤務していた大手メーカーの工場の作業着姿だったが、鈍器のようなもので頭部や顔面を頭蓋骨が陥没するほど乱打されており、両手の防御創を合わせると、30回以上も攻撃を受けていた。そして瀕死の状態で汚水タンクに突き落とされ、し尿を吸引して窒息死していたという。

加えて、容疑者として検挙された男性B氏(当時40)は、A子さんが勤める大手メーカーの正社員だったが、妻子がある身でありながら独身のA子さんと不倫関係にあった。そのために報道はいっそう過熱し、A子さんが事件前、B氏のDVを友人に訴えていたという疑惑も報じられるなどして事件は社会の耳目を集めたのだった。

B氏はその後、2013年2月に最高裁で上告を棄却され、懲役17年の判決が確定している。B氏は裁判で無実を訴えていたのだが、その訴えを正面から報じたメディアは皆無に近かった。

事件現場となった汚水タンク

◆裁判で浮かび上がっていた有罪を否定する事情

実を言うと、私はこの事件を取材し、B氏のことを冤罪だと確信している。B氏がA子さんを殺害した犯人であることを否定する様々な事情があるからだ。

まず、B氏の車の血痕の付着状況だ。B氏はA子さんが行方不明になった日、その直前まで自分の車でA子さんと一緒にいたのだが、車の左後輪ブレーキドラムの内側からA子さんの微量の血痕が検出されたことが有罪の大きな根拠の1つとされている。しかし、A子さんの遺体の状況からすると、犯人は返り血を浴びていることが濃厚であるにも関わらず、B氏の車の運転席やその周辺からは一切の血痕が検出されていなかったのだ。

一方、左後輪ブレーキドラムから検出されたA子さんの微量の血痕について、B氏は「A子さんがタイヤ交換をした際、足を怪我したことがあるので、その時のものではないか」と説明していたのだが、この説明はとくにおかしくない。こうしてみると、B氏の車の運転席やその周辺から血痕が一切検出されていないにも関わらず、左後輪ブレーキドラムの微量の血痕を有罪の根拠にするのは無理がある。

また、A子さんに対するB氏のDV疑惑については、たしかにA子さんは事件前、友人に「殴られ、首を絞められるなどしている」「このまま殺されるかもしれない」などと訴えていたようだ。しかし、裁判で明らかになったところでは、友人たちはA子さんのこのような訴えを深刻には受け止めておらず、A子さん自身も警察に相談するなどの対策を講じていなかった。むしろメールの履歴を見ると、A子さんはB氏に何か不満があれば、積極果敢に伝えており、B氏がA子さんに暴力をふるっていたような兆候は見受けられなかったという。

事件現場の汚水タンクのある場所。昼間は走行中の車からもよく見える

◆一見有力な目撃証言は存在するが……

私は2010年に大津地裁でB氏の裁判員裁判が行われた頃、現場の汚水タンクがある場所を訪ねている。事件当日の夜10時30分頃、この場所をトラックで通過した運転手が「B氏の車と似た車」が汚水タンクのかたわらに停まっていたのを目撃したと証言し、この証言も有罪の根拠の1つとされている。

しかし、このトラック運転手の証言は、夜間に時速60キロくらいで走行中のもので、視認状況が良いとは言えないうえ、車種に関する証言内容の変遷も激しかった。そこで私も実際、この時間にレンタカーで汚水タンクがある場所を走ってみたのだが――。

結論から言うと、視認状況は思ったよりはるかに悪く、汚水タンクやその周辺の状況など何も見えなかった。昼間は目印になる汚水タンク脇の「ポイ捨て あカン!!」の大きな看板も闇の中に沈み、間近に迫るまで一切見えないほどだった。目撃証人の運転手は「B氏の車と似た車」について、「ヘッドライトを切った状態で停まっていた」と証言しているが、ヘッドライトを切っている車など通りすぎる際に到底見えないだろうと思わざるをえなかった。

B氏の裁判では、裁判官や裁判官が実際に汚水タンクがある場所まで足を運び、自分の目で現場の状況を確認するような検証は一切行われていない。そういう検証が行われていれば、私はトラック運転手の証言が有罪の根拠として裁判でまかり通ることはなかったろうと思えてならない。

控訴審段階で弁護側から提出された証拠によると、事件以前からインターネット上にA子さんを誹謗する書き込みが多数あったことも確認されており、B氏とは別の真犯人が存在しても何ら不思議はない。被害者やその遺族のためにも、B氏が犯人だということで片づけていい事件ではないと思う。

夜になると、走行中の車から現場の汚水タンクがある場所はまったく見えない。目撃者によると、実際には車はヘッドライトもつけていなかった

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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《鳥取不審死・闇の奥04》同居男性が真犯人であるかのように語った上田被告

2009年頃に社会の耳目を集めた鳥取連続不審死事件で、2人の男性を殺害するなどしたとして強盗殺人などの罪に問われ、無実を訴えながら死刑判決を受けた上田美由紀被告(43)。その最終審理とも言える上告審弁論も6月29日に最高裁で開かれ、あとは最後の判決を待つばかりだ。

私はこの連載で2つの殺人事件について、事件当日の上田被告や被害者の足取りをたどるなどしたうえで上田被告の無実の訴えは無理があることを論証してきた。

今回は2つの殺人事件のうち、上田被告が2人目の被害者・圓山秀樹さん(当時57)を殺害したとされる事件について、上田被告の弁明がどんなものだったかをみてみよう。

◆同居していた男性が真犯人であるかのように弁明

一、二審判決の認定によると、上田被告は2009年10月、電化製品の代金約53万円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろう状態に陥らせたうえ、摩尼川という川の上流で溺死させたとされる。

そして事実関係を見ていくと、事件当日の朝、圓山さんは内縁関係にあった女性に「集金に行く」と言って、用意された朝食も食べずに外出。そしてほどなく上田被告と合流し、殺害現場のほうに車で向かったのちに行方が途絶え、翌日、川の中で溺死体となって見つかっている。

加えて、上田被告は同年4月、借金270万円の返済を免れるために殺害したとされる1人目の被害者・矢部和実さん(同47)が失踪した当日も朝から矢部さんと行動を共にしていた。そして一緒に車で殺害現場である海まで向かったのち、矢部さんはそのまま行方不明になり、後日、溺死体で見つかっている。このように2つの事件が酷似した経緯をたどっていることを「単なる偶然」だと思う人はいないだろう。

そして2つの殺人事件では、上田被告の弁明も酷似していた。矢部さんが殺害された事件について、上田被告が当時同居していた男性A氏のことを犯人であるかのような弁明をしているのはすでに述べた通りだが、上田被告は圓山さんの殺害についてもA氏の犯行だったかのように主張しているのである。

圓山さんが殺害された当日、上田被告と一緒に赴いた岩戸港

◆詳細に事件当日のことを語ったが……

裁判の第一審では黙秘した上田被告。控訴審の法廷で黙秘を撤回し、圓山さんの事件について弁明した供述の要旨は次の通りだ。

・・・・・以下、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

私は事件当日、知人の運転する車で、ファミリーマート鳥取丸山店に寄って、コーヒー、タバコ、お茶を購入した後、圓山さんが経営する電気工事業の事務所に赴き、圓山さんと合流しました。そして圓山さんの運転する車の助手席に乗って喫茶店に赴き、モーニングを食べ、その際に圓山さんから「電化製品代金のことでAと話がしたい」と言われたので、Aに電話をしました。そしてAに対し、圓山さんの言う通りに待ち合わせ場所を説明したのです。

それから、私は圓山さんの運転する車で、当時は名前を知らなかった岩戸港まで移動しました。そして岩戸港に到着後、10分か20分すると、Aが車を運転してやってきました。すると、圓山さんが「Aと1対1で話がしたい」と言ったため、圓山さんの車の助手席に座っていた私はAと交替しました。そして私はAが乗ってきた車の運転席で2人の話し合いが終わるのを待っていましたが、途中、自動販売機で買った缶コーヒー2缶を2人が乗っている車に差し入れました。

しばらくすると、Aと圓山さんが車から降りてきて、運転席に座っていた圓山さんが助手席に座り、助手席に座っていたAは缶コーヒー2本を海に投げ捨ててから、車の運転席に乗り込みました。そしてAは私に対し、「圓山さんは気分が悪いみたいだ。車を運転し、ついてくるように」と言い、圓山さんの車を運転して岩戸港から出発しました。そこで私も車を運転し、Aが運転する圓山さんの車についていったのです。

それからAは殺害現場の川のほうに車を走らせて行きましたが、その途中、Aの運転する車の助手席に座った圓山さんが窓に頭をもたれかけているのが見えました。それから私はクラクションを鳴らしてAの運転する車を停めさせ、Aに「ついていきたくない」と言いました。私は無免許運転だったため、このまま一本道を行くと、後ろからついてきていると思っていた警察に捕まるのではないかと思ったためです。

すると、Aは「待っとれ」と言い、私の運転する車を残し、自分は圓山さんを助手席に乗せた車で殺害現場の川の付近に向かっていきました。その後、私からAに電話をしたところ、Aから「まあ、ええけえ。ちょっと待っとれ」と言われましたが、私が乗っていた車を少し前進させたところ、Aが小走りで向かってきて、私が乗っていた車の助手席に乗り込んできました。

私は「何があったの?」と尋ねたり、自分と交替で運転席に座ったAに「車を進めて欲しい」と言いましたが、Aは膝から下を濡らした状態で、しどろもどろになってはっきり答えず、車を動かしませんでした。

・・・・・以上、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

 
とまあ、上田被告は裁判で、かくも詳細に事件当日のことを語っている。A氏こそが圓山さんを殺害した犯人だと明言しているわけではないが、そう言ったに等しい供述内容だ。

◆罪を免れるための虚言

実際問題、検察の主張では、上田被告が圓山さんから「代金後払い」の約束で交付をうけていた電化製品は計12点・販売価格合計約123万円に及んだとされたが、そのうち6点・約69万円が圓山さんの作成した売掛帳ではA氏が債務者であるかのように記載されていた。そしてA氏本人は裁判で、自分が債務者であるかのようにされた電化製品6点は上田被告が注文したものだと主張したのだが、裁判では結局、A氏の証言が信用されず、A氏が問題の電化製品6点の債務者だったように認定されている。

しかし事実関係を見ると、上田被告が主張する通りにA氏が真犯人だと考えるのはやはり無理がある。

まず、そもそも上田被告らと圓山さんが取引を始めたのは、以前から知り合いだった上田被告と圓山さんが2009年8月頃、ドラッグストアでばったり会ったのがきっかけだった。さらに圓山さんと内縁関係にあった女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝、上田被告から電話があったことについて、「(電化製品の)代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。そして携帯電話の通話記録を見ると、圓山さんと上田被告の間で頻繁に電話がかけられていた。こうした事実関係を見る限り、圓山さんが代金を請求する相手をA氏ではなく、上田被告だと認識していたことは明らかだ。

そして事件当日の朝、圓山さんは取引先に電話をかけ、「集金に来てくれという電話があったので、行かなければならないからまた後で電話をする」と伝え、その後に内縁関係にあった女性に「集金に行く」などと言い、用意された朝食を食べずに慌てた様子で出かけて行ったという。そして外出後、ほどなく上田被告と合流している。こうした事実経過をたどる中、圓山さんが突如、「電化製品代金のことでAと話がしたい」と言い出し、やってきたA氏がいきなり圓山さんを殺害するなどということはどう考えてもありえないだろう。

そしてA氏が圓山さんを殺害するということがありえないならば、圓山さんを殺害する機会や機会を有していたのは上田被告だけである。上田被告の無実の訴えについては、「罪を免れるための虚言」と評価せざるをえない。(次回につづく)

上田被告は、この橋の下を流れる川まで圓山さんを連れて行き、溺死させたとされる

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号!【特集】アベ改憲策動の全貌

《鳥取不審死・闇の奥03》 様々な点が酷似していた2つの殺人事件

6月29日、最高裁で上田美由紀被告(43)に対する上告審の弁論が開かれる鳥取連続不審死事件。前回は、上田被告が2009年4月、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬を飲ませ、海に誘導して溺死させたとされている通称「北栄町」事件について、上田被告と矢部さんの事件当日の足取りをたどったうえで、上田被告の無実の訴えが荒唐無稽だったことを伝えた。

今回は、同年10月に上田被告が電化製品の代金約53万円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を殺害したとされている通称「摩尼川事件」について、一、二審判決をもとに上田被告と圓山さんの事件当日の足取りをたどり、事件の真相を検証する。

◆2人目の被害者も1人目と同じ死に方

鳥取市を流れる摩尼川の上流で、圓山さんが遺体で見つかったのは2009年10月7日の午後2時半過ぎだった。発見者は圓山さんの知人で、遺体はえん堤付近の河川内でうつ伏せの状態で浮いていた。圓山さんは前日の午前8時頃に家を出かけたまま、行方不明になっていた。

解剖の結果、圓山さんの死因は溺死と判断されたが、矢部さんと同じく圓山さんも体内から睡眠薬や抗精神病薬の成分が検出された。一方で、体内からアルコールは検出されず、疾病も確認されず、頭部などに損傷もほとんど認められないことなどから圓山さんが誤って川に転落したとは考え難かった。さらに現場の水深は30センチから80センチ程度であるにも関わらず、圓山さんの手の平などには傷がなく、溺れた際に危険回避行動をとっていなかったと推定された。

つまり、海と川の違いこそあるが、圓山さんも矢部さん同様、何者かに睡眠薬を飲まされたうえ、水の中に誘導されて溺死させられたことを示す事実が揃っていたわけである。そして2つの事件の共通点はそれだけではない。事件当日に上田被告と被害者がたどった足取りも2つの事件は酷似しているのである。

圓山さんの溺死体が見つかった摩尼川のえん堤付近

◆いずれの被害者とも事件当日に行動を共にした被告

圓山さんと内縁関係にあった女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝に上田被告から電話があったことについて、「(電化製品の)代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。そして事件当日の午前8時8分、圓山さんは上田被告から電話をうけ、女性に「集金に行く」と言い、朝食を食べずに慌てた様子で出かけたという。その約20分後の午前8時30分頃、圓山さんは営んでいた電化製品販売業の事務所前で上田被告と合流し、自分の車に乗せている――。

つまり、2つの殺人事件の当日、いずれも上田被告は被害者と朝から会っているわけだ。

さらに言うと、実は裁判では、上田被告がこの日、圓山さんに会う前に知人の運転する車でファミリーマート鳥取丸山店に赴き、麦茶など4点を購入していることも明らかになっている。矢部さんが殺害された事件当日も上田被告は矢部さんに会う前、このファミリーマート鳥取丸山店で飲み物などを買っていた。2つの殺人事件の当日に上田被告がとった行動はこんなところまで共通しているわけである。

そして上田被告は圓山さんと合流後、喫茶店に立ち寄ってモーニングを食べ、圓山さんの運転する車でいったん岩戸港という港に赴いている。それ以降の行動については、色々争いがあるが、上田被告と圓山さんが摩尼川の殺害現場近辺まで車で赴いていることは間違いない。

そしてこの日の朝、上田被告と会ったのちに殺害現場のほうに向かい、行方が途絶えた圓山さんは、翌日、摩尼川で睡眠薬を飲まされた溺死体となって発見されている。4月に矢部さんが亡くなった時とまったく同じようなことが再び起きたわけである。この事実経過を見ただけでも、上田被告が圓山さんを殺害したのだと確信する人は少なくないだろう。

◆被告の弁明内容も2つの事件は酷似

そんな状況でもなお、上田被告は圓山さん殺害の容疑についても無実を訴えているのだが、実は上田被告の弁明の内容も2つの殺人事件は酷似している。上田被告は裁判において、矢部さんの事件に関して主張したのと同様、圓山さんの殺害についても同居していた男性A氏が犯人であるかのようなことをとうとうと語っているのである。

次回は、その上田被告の弁明内容をみていこう。

(次回につづく)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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《鳥取不審死・闇の奥02》弁護人も悲しげな表情で聞く被告人の荒唐無稽な弁解

周辺で6人の男性が不審な死を遂げ、そのうち2人の男性に対する強盗殺人の容疑を起訴された鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)。裁判では、別件の詐欺や窃盗は罪を認めたが、2件の強盗殺人についてはいずれも無実を主張している。しかし、2つの強盗殺人事件が起きたとされる日の上田被告と被害者らの足取りをたどってみると、それだけでも上田被告の無実の訴えは無理があるとわかる。

今回はまず、現場の地名から「北栄町事件」と呼ばれる2009年4月4日の事件について見てみよう。一、二審判決によると、上田被告はこの日、270万円の債務の支払いを免れるため、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませ、海中に誘導して溺死させたとされる。2人は3月5日、金額を270万円、借主を上田被告、貸主を矢部さん、連帯保証人を上田被告と同居していた男性A氏とし、返済期限を3月31日とする金銭借用証書を作成していたというのは前回述べた通りだ。つまり、事件があったとされる4月4日は返済期限を4日過ぎた日だったことになる。

この日、上田被告は午前7時33分頃、車を使えば自宅からそう遠くない鳥取市丸山町のファミリーマート鳥取丸山店で、おにぎり2個、お茶、即席みそ汁を購入。これと前後して矢部さんと連絡をとって合流し、矢部さんはその後、上田被告が購入したおにぎりやみそ汁を食べている。

そして上田被告は矢部さんの運転する車ダイハツミラの助手席に乗り、2人で殺害現場の東伯郡北栄町の砂浜があるほうに向かっている。そして午前8時16分、国道9号線沿いにあるファミリーマート鳥取浜村店に到着。この店で上田被告はフェイシャルペーパー、ハンディウェットティッシュ、紙コップ、缶コーヒーを購入すると、再び助手席に乗り込んで、午前8時22分に同店を出発し、殺害現場の砂浜がある西のほうへ向かっている。

こうしたことは防犯カメラの映像など上田被告の裁判で示された客観的証拠により動かしがたく証明されている。そしてこの日、午前8時22分、ファミリーマート鳥取浜村店を出発する際に防犯カメラの映像で確認された矢部さんの姿は、客観的証拠により認められる「矢部さんの生前最後の姿」となった。

2日後の4月6日、殺害現場の砂浜で矢部さんのダイハツミラが止められているのが、通報を受けて臨場した警察官により確認される。それからさらに5日後の4月11日、砂浜から東に約3・5キロメートル離れた沖合の海中でワカメ漁をしていた漁師により、矢部さんの溺死体が全裸の状態で発見されている。そして死体解剖の結果、矢部さんの血液や胃内容物から睡眠薬や抗精神病薬が検出された――。

上田被告が矢部さんを殺害したとされる北栄町の砂浜

◆同居していた男性が真犯人であるかのように語ったが……

さて、矢部さんの体内から検出された睡眠薬などと上田被告の結びつきについては後に述べるが、矢部さんには自殺の動機や兆候は見受けられなかったという。とすれば、矢部さんが砂浜で自ら睡眠薬などを飲み、溺れ死んだとも考え難く、何者かに睡眠薬を飲まされ、殺害されたとみるほかない。矢部さんが姿を消すまでの経緯からして、その「何者か」が上田被告である疑いを抱かない者はいないだろう。

そんな状況において、上田被告にとって無実を訴えるうえでの唯一の望みは、午前11時過ぎに現場の砂浜で当時同居していた男性A氏と合流していることだ。この件に関する上田被告とA氏の言い分は大きく食い違うが、上田被告が電話やメールでA氏を迎えに来るように呼び出したことは事実関係に争いがない。そして上田被告は控訴審の法廷において、A氏こそが真犯人であると言ったに等しい次のような供述をしたのである。

・・・・・以下、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

矢部さんの運転する車で西に向かっていた途中、矢部さんは私と自分の交際について、『今後どうするだ』『どう思っとる』などと言ったり、Aさんのことを『あれは男だろう』などと問い質したりしてきました。そして私が曖昧な答えをしていることについて怒り出したため、私はそのまま怒らせたら大変だと思い、矢部さんに対し、『頭、冷やして』と言って砂浜近くにあるコンビニ付近の路上で車から降ろしてもらいました。すると、矢部さんは砂浜のほうにいったん去っていきました。

その後、矢部さんは私をおろした場所まで戻ってきましたが、「頭、冷えたん?」と尋ねたところ、「いや、もうちょっと」と言うので、私が「じゃあ、もう1回頭冷やしてきて」と言ったところ、矢部さんは「わかった」と言って砂浜のほうに車を走らせて行ってしまい、その後、私は矢部さんと顔を合わせていません。

そしてこの間、私はAさんにメールや電話で迎えに来るように頼んでいたのですが、午前11時11分過ぎ頃、車に乗ってきたAさんと合流しました。そしてAさんに対し、矢部さんを怒らせてしまったことや、私のかばんを矢部さんの車に残したままにしてしまったことを説明したところ、Aさんは車を運転し、現場の砂浜手前の空き地に車を停め、車のトランクからペットボトル入りミルクティー2本を持ち出し、私を車に残して1人で砂浜のほうに歩いていき、約20分後、ズボンを濡らした状態で、私のかばんを持って戻ってきました。

その後、Aさんとホテルに入りましたが、Aさんは私をホテルの部屋に残し、車を運転してどこかへ行きました。Aさんはしばらくしてから戻ってきましたが、その時、車の後部座席には、矢部さんが当日着ていた着衣の上下とスコップが積んでありました。

・・・・・以上、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

矢部さんは事件前、上田被告と交際しているような状態だった時期があったとされる。それにしても、上田被告の供述では、矢部さんが嫉妬に狂い、突如、頭がおかしくなったような話になっており、あまりにも不自然だ。そして同居男性のAさんについては、上田被告に呼ばれて現場にやってくるなり、矢部さんに睡眠薬を飲ませ、殺害した犯人であるかのような行動をとったことになっているのだが、荒唐無稽な弁解だと言わざるをえない。

広島高裁松江支部の控訴審で被告人質問が行われた際、私は傍聴券を確保できず、法廷の出入り口ドアにつけられた小窓から中の様子を伺っていたのだが、上田被告に質問をしている男性の弁護人が何やら悲しげな表情をしていたのが印象的だった。それは、第一審では公判で黙秘したまま死刑判決を受け、いよいよ自分の言葉で無実を訴えた控訴審でこんな荒唐無稽なストーリーを大真面目に語った上田被告に対し、哀れみを感じたからではないか。私はそう思えてならない。

(次回に続く)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

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1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌
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《我が暴走09》事件から7年 マツダ工場暴走犯が所感を綴る直筆手記を公開!

2010年6月22日に広島市のマツダ本社工場の敷地内で元期間工の男が車を暴走させて従業員たちを撥ね、1人を殺害、11人を負傷させた事件から明日で7年。犯人の引寺(ひきじ)利明(49)は「マツダで働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と特異な犯行動機を語ったが、裁判では妄想性障害ゆえの妄想だと退けられ、完全責任能力を認められて無期懲役判決が確定。現在は岡山刑務所で服役生活を送っている。

 
引寺が服役している岡山刑務所

当欄では、そんな引寺がまったく無反省の服役生活を送っていることを繰り返し伝えてきたが、引寺は事件から7年経っても相変わらずのようだ。引寺はこのほど、事件から7年の節目ということでデジタル鹿砦社通信への掲載を希望し、便箋20枚を超す手記を送ってきたのだが、それを見れば、引寺が今も何ら罪の意識を感じていないことが実によくわかるのだ。

◆マツダを侮辱しながら「RX-7が大好き」

引寺の手記はまず、〈今年の6月でマツダ事件から7年経つ。もうあれから7年かあー。月日が経つのは早いねーとはいえ、日々、刑務所にキッチリ管理された変わりばえの無い単調で退屈な受刑生活を送っているワシにとっては、事件からの7年は長く感じたのー〉と罪の意識が微塵も感じられない書き出しで始まる(〈〉内太字は引用。以下同じ)。

その後は、2013年に埼玉県でマツダ系列の自動車販売会社が試乗会で車の自動ブレーキがかからずに事故を起こしたことを持ち出し、〈やはりマツダの車は欠陥車じゃのー。(笑)〉〈ったく、マツダのエンジニア達はボケとるのー。(笑)〉などと嘲り笑うなど、マツダを侮辱する記述が続く。

そうかと思えば、〈ワシはガキの頃からRX-7が大好きで、今でもその気持ちに全く変わりは無い〉とマツダ車を好きだという屈折した感情を吐露。さらに〈ワシはRX-7とロータリーエンジンが好きなのであって、マツダが好きな訳じゃない。ロータリーエンジンが持つ、マイナーさゆえの孤高の存在感が好きじなんじゃ〉などと言うのだが、こうした記述には、マツダの関係者を挑発するような意図も窺える。

◆手記で訴える集団ストーカーの「真相」

引寺は手記の後半では、自分に対する集団ストーカー行為に関与していたと信じるYという人物について、引寺の裁判に証人出廷した際に〈自らの保身の為に明らかな嘘をついた〉と主張。この事実がまったく報道されなかったことについては、大手マスコミがスポンサーであるマツダに日和っているためだという持論を展開している。

手記では、このように引寺にとっての真相が色々綴られているが、その大半は「信じるか信じないかはあなた次第」というしかない内容だ。そこで、以下に手記のすべてをスキャニングした画像を掲載した。凶悪殺人犯の実像を知るためには一級の資料だと思うので、心ある人に有意義に活用して頂きたい。

引寺が事件から7年の節目に綴った手記(01-02)
引寺手記(03-04)
引寺手記(05-06)
引寺手記(07-08)
引寺手記(09-10)
引寺手記(11-12)
引寺手記(13-14)
引寺手記(15-16)
引寺手記(17-18)
引寺手記(19-20)
引寺手記(21-22)
引寺手記(23-24)
引寺手記(25-26)

《我が暴走》マツダ工場暴走犯、引寺利明の素顔と手記
◎《08》マツダ社員寮強殺事件でマツダ工場暴走犯が本ブログに特別寄稿
◎《07》「プリズンブレイクしたい気分」マツダ工場暴走犯独占手記[後]
◎《06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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《鳥取不審死・闇の奥01》 「悪」とは別の何かに思える被告人

強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪に問われた上田美由紀被告(43)が死刑判決を受け、現在は最高裁に上告している鳥取連続不審死事件で、最高裁第一小法廷は6月29日、弁護人、検察官双方の意見を聞く弁論を開く。私は当欄で2013~2014年にもこの事件を取り上げたが、その後も上田被告本人や関係者、関係現場への取材、資料の検証を重ね、「冤罪」を訴える上田被告に対する一、二審判決の有罪認定は妥当だという結論に達している。ただ、一方で、上田被告の本質は「悪」とは別の何かではないかという思いが拭えない。事件の闇を報告する。

◆悪くない第一印象

上田被告の周辺で6人の男性が不審な死を遂げていた疑惑が表面化したのは2009年の秋だった。鳥取市の「デブ専」と揶揄されるスナックで働き、5人の子供を抱えていた上田被告。容姿端麗とはいえない太った女の周辺で交際相手の男性らが次々に不審死していたという事件の構図は、一足早く話題になっていた木嶋佳苗死刑囚(42)の首都圏連続不審死事件と酷似していた。そのため、マスコミは上田被告を「西の毒婦」と呼んだ。

私がそんな上田被告と初めて面会したのは、第一審・鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決が出て9カ月後の2013年9月のことだ。場所は島根県松江市の松江刑務所。マスコミ報道で見かけた写真では、かなり大柄で、目つきが鋭く、いかにも怪人物のように見えた上田被告だが、面会室に現れた本人は、体の横幅こそあるものの、身長は150cmに満たないほど小柄だった。化粧をしていない表情は穏やかで、むしろ弱々しい印象を受けた。

「私のこと、怖いですか? 私が暴力をふるうように見えますか?」

マスコミ報道では、上田被告は逮捕前、周囲の男性に暴力をふるったように伝えられていた。そういう報道の情報は事実ではないと上田被告は私に訴えてきたのである。彼女の話だけで判断するわけにはいかないが、こと見た目がどうかといえば、たしかに上田被告は暴力的な人間には見えなかった。私がそう告げると、上田被告は嬉しそうに微笑み、こう言った。

「私のことを一度にすべて知ってはもらえないと思いますが、1つ1つ知って欲しいと思います」

私はこの時、上田被告に対して正直、悪い印象は抱かなかった。むしろ、人当たりのいい人物のように思えたくらいだ。

だが、そういった第一印象はもちろん、上田被告の冤罪の主張を裏づける根拠になるわけではない。上田被告は周辺で不審死していた6人の男性のうち、2人に対する強盗殺人の罪を立件され、一、二審ではいずれも有罪とされているが、動機は借金の返済や電化製品の代金の支払いを免れるためだったとされている。この男性たちも上田被告の第一印象が良かったからこそ金を貸すなどしてしまい、被害に遭ったのではないかと疑ってみることもできる。では、実際はどうなのか――。

上田被告はこの初めての面会のあと、私に対しても、「友人に会わせる」「子供に会わせる」などと都合のいいことを次々に口にしながら実現せず、その都度、場当たり的な弁明をした。私はそんな上田被告の「実像」に直接触れたのに加え、事実関係を調べるうち、やはり上田被告は一、二審判決で認定された通りのことをやっていると判断せざるをえなくなっていった。

◆何ら悪びれることなく不自然な弁明

ここで上田被告が有罪とされている2件の強盗殺人について、一、二審判決で認定された犯罪事実はどんなものだったかを確認しておこう。それはおおよそ次の通りだ。

上田被告は2009年4月4日、合計270万円の債務の弁済を免れるため、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて意識もうろう状態に陥らせたうえ、砂浜から海中に誘導して溺死させた。さらに同年10月6日、洗濯機など電化製品6点の代金53万1950円の支払いを免れるため、電気工事業の圓山(まるやま)秀樹さん(当時57)にやはり睡眠薬などを飲ませて意識もうろう状態に陥らせたうえ、河川内に誘導して溺死させた――。

以上は一、二審判決で認定された上田被告の犯行だが、上田被告は私と面会した際、このことについて次のように述べた。

 
上田被告が勾留されている松江刑務所

「私は2人からお金の返済や支払いを請求され、殺してしまったという話にされていますが、あの人たちはお金の返済や支払いを求めてくる人たちではなかったんです。あの人達がそんなふうに言われるのも悔しくて……」

そう語る時、上田被告は大真面目な表情だった。

だが、裁判で明らかになったところでは、矢部さんが亡くなる約1カ月前の2009年3月5日、矢部さんと上田被告の間では、金額を270万円、貸主を矢部さん、借主を上田被告、連帯保証人を上田被告と同居していた男性A氏とし、返済期限を同3月31日とする金銭借用証書が作成されていた。

また、圓山さんの内縁の妻の女性によると、圓山さんは事件の1週間前の朝に上田被告から電話があった際、「代金を支払わない女性客がいる。その女性の親族が払ってくれる」と述べていた。さらに事件当日の午前8時8分にも上田被告から電話をうけたのち、女性に「集金に行く」などと言い、女性が用意した朝食を食べずに慌てた様子で家を出たという。

こうした事実関係に照らせば、上田被告が私に語った上記の話が不自然きわまりないと誰もが思うだろう。矢部さんや圓山さんが事件前、上田被告に返済や支払いを求めていたのは明らかだからだ。しかし面会の際、上田被告はこうした不自然きわまりないことを話しながら、悪びれた様子はまったく見受けられなかった。さらにこの時以外でも私と面会や手紙のやりとりを重ねる中、繰り返し「冤罪」を訴え、その過程では様々な人を貶めることを述べているのだが、その際も同様だった。

善悪の感覚が根本的に現代の一般的な日本人と違うのではないか。私は上田被告に対して、次第にそう思うようになっていった。私が上田被告のことを「悪」とは別の何かではないかという思いが拭えないというのは、つまり、そういうことである。

(次回に続く)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

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「死刑判決に心が揺れている裁判員経験者も」 LJCCの田口真義さん広島講演

裁判員経験者同士の交流団体「LJCC」のまとめ役を務める田口真義さんが5月27日、広島市中区の「合人社ウェンディひと・まちプラザ」で講演を行った(主催はアムネスティ・インターナショナル日本ひろしまグループ)。自らの裁判員経験やその後の活動に基づき、刑事司法の課題などを話す中、交流する裁判員経験者には、死刑判決を出したことに心が揺れている人もいることを明かした。

 
広島市で講演を行った田口真義さん(2017年5月27日)

◆怖さを感じた評議

田口さんは2010年、東京地裁で著名人が保護責任者遺棄致死罪に問われた事件の裁判員を経験。被告人は無罪を主張したが、結果は有罪で、懲役2年6月の実刑判決(求刑は6年)が宣告された。評議では、まず有罪か否かが決められ、そのあとで量刑をどうするかが話し合われたが、その時のことで今も強く印象に残っていることがある。

「量刑に関する評議では、『大体×年くらいじゃないか』『いや、ここは×年で』と簡単に1年や2年が動くんです。そこに怖さを感じました」

まとめ役を務める裁判員経験者同士の交流団体「LJCC」では、活動の一環として刑務所見学を行っている。それはこの時の経験により「刑務所での1年がどういう時間なのを知りたいと思った」ためだ。裁判員を経験後、自分の仕事が不動産業であることを生かし、出所者に自前の物件を紹介するなどの更正支援も行うようになったという。

◆「自分の判断も間違っていなかったか……」

この他にも全国各地で裁判員経験者同士の交流会を開いたり、裁判員経験者有志で裁判員制度に関する提言をまとめて裁判所に届けるなど、様々な活動を行っている田口さん。その行動力には感心させられたが、講演でとくに印象深かったのは、こんな話だ。

「袴田巌さんの再審開始決定が出た時、死刑判決を出した裁判員経験者には、もしかしたら自分の判断も間違っていなかったか……と心の揺れが芽生えた人もいた。袴田さんは約半世紀、自由を奪われ、生命の危険にさらされましたが、その裁判員経験者は自分も担当した被告人に対し、同じことをしてしまったのではないかと感じているようです」

その裁判員経験者が担当した被告人はすでに死刑判決が確定しているが、無実を訴えており、田口さん個人はその被告人に「冤罪」の心証を抱いているという。

袴田さんに無実の心証を頂きつつ、死刑判決を書いた裁判官の熊本典道氏がその後、苦悩の人生を歩んだ話は有名だが、今後は同じような苦難を強いられる裁判員もきっと出てくるだろう。そんなことを改めて実感させられた田口さんの講演だった。

▼片岡健(かたおか けん)
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