同志社大学此春寮歌音源の完成に協力いただいたグリークラブへの募金について 此春寮OB会発起人(馬場徹、小西桂、川島繁)

鹿砦社代表 松岡利康

久しぶりに爽やかな話題を紹介します。過日の同志社大学此春寮(ししゅんりょう)の先輩・前田良典さんの著書『野の人』の刊行を予告する記事で、関連して少し同寮のことを書き記しましたが、さらもこれに関連する記事です。ぜひご一読、できればご協力お願いいたします。(松岡利康)

寮歌揮毫は書家・龍一郎

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物語は昨年12月に小生(川島)の拙いHPを見た同志社大学グリークラブ員からの問い合わせのメールから始まる。「同志社にまつわる歌の楽譜を調べており此春寮の楽譜はありませんか」と言うものだった。作詞・作曲者は分かっているものの楽譜は誰もその所在を知らない。1977年寮史編纂の時も同窓一同に問い合わせを試みたようだが譜面に行き当たることはできなかった。又、現在寮歌は現役の此春寮生の間でもど歌い継がれていないという。

この寮歌はかつての寮母砂野文枝さん(2010年1月死去)の追悼歌でもある。今でも決まって毎年1月には彼女が眠る深草の共同墓地にOBが集まり彼女を偲び寮歌を歌っているのだ。このままでは此春寮から同志社から寮歌が消える。こんな恐れが頭をよぎる、そんな時に一通の電子メールが寄せられた。これは何かの啓示ではないかと考えた。同窓でも55才 あまりも離れた現役生からメールをもらうことなどまず考えられないこと、しかし伝統の系譜なのか Doshisya college songには、和訳すればこんな一節がある。

「親愛なる母校よ、同志社の学徒はぶどうの枝のごとくつながりゆくことだろう」
つまりこれは寮歌を復元せよということなのだと解釈する。

この思いが伝わり小西桂君が家族の協力も得て譜面を起こしてくれた。そしてこれがグリークラブの皆さんに伝わり、19名のクラブ員が此春寮のために、手弁当で力強く量感あふれる若い声で寮歌の音源を完成してくれました。“人生意気に感ず”とはこのことだろうか! 今まで誰もなしえなかったことです。私たちOBも後輩達のこのボランティア精神溢れる行為に何らかの返答をしなければならないだろう。これは通り一遍のお礼文書でことを済ますことは出来ない。

同志社グリークラブは本年創立120周年である。コロナ禍の活動自粛により19年より合唱コンクールの全国大会から遠ざかり23年春では4年生団員はゼロと危機的な状況を迎えていた。

しかし24年には見事に復活し、大学ユースの部で関西では関学を押さえて一位金賞、更に全国大会では三位金賞に輝いた。東西大学合唱演奏会、全同志社合唱祭など自身の創立120周年記念演奏会を含め多忙な活動を行っている。全国にまたがる活動がために相当な活動資金が入ることは明らかだ。

そこで此春寮OBとして、音源完成への感謝の意を込め、部活動を支える応援を下記のように提案し、皆さんの協力をお願いしたい。

文中の受賞記事の様子(同志社大学グリークラブHPより)

  1. 全国各地で行われるグリークラブの演奏会を機会があれば鑑賞する
  2. 今回の音源作成に協力いただいたグリークラブの活動を支えるため、募金を募り集まった資金は大学募金課を通じてグリークラブへ寄進

・一口以上 5,000円
・募金目標 100,000円
・募金方法郵貯銀行からの振込(6月30日締切り)
(受取人)川島繁(カワシマシゲル)
(記号)14370
(番号)94558181
(備考)此春寮
※振込手数料(5万円未満)は、窓口 203円 ATM 152円

同志社大学グリークラブHP
http://www.gleeclub.jp/index.html

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此春寮 寮歌
金田義国 作詞
西田晃 作曲

1)遍く地より 集い来て
神を見上ぐる 若人の
その意気高く 谺せん
ああ 我が同志社 此春寮

2)互いに努め いそしみて
友と交わり 喜びの
心に満ちて 進みゆかん
ああ 我が同志社 此春寮

3)憂い苦しみ 分かち合い
共にいたわり 祈りつく
正しく強く 生き抜かん
ああ 我が同志社 此春寮

10・8山﨑博昭プロジェクト2025夏の関西集会のお知らせ~今こそあらゆる戦争をなくすために~

鹿砦社代表 松岡利康

10・8山﨑博昭プロジェクト2025年夏の関西集会は、来たる6月21日(土)14:00から「エル・おおさか」5階視聴覚室で開催します。

現在、大阪・関西万博が各種の問題をかかえながら開催中ですが、前回の大阪万博の前年1969年には、大阪城公園において、当時のベ平連を中心として、「ハンパク(反戦のための万国博)」が開催されました。

今回の関西集会では、ハンパクをテーマに研究を続けてこられた大野光明さんと実際にハンパク協会事務局においてハンパクの開催に尽力された植野芳雄さんにおいでいただき、ハンパクの意義と今日的意味を語っていただきます。

講演1『「反戦のための万国博(ハンパク)」とは何か?』
大野光明(滋賀県立大学教員.『社会運動史研究』編集委員会)

講演2『ハンパクに集まった人たち』
植野芳雄(元ハンパク協会事務局)

10・8山﨑博昭プロジェクト
https://yamazakiproject.com/from_secretariat/2025/05/24/7102

4・5東京に続き、7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」の成功と次のステップへ向けて 「セット直販」でのご支援のお願い! 鹿砦社の既刊本、希少本を買ってご支援ください! HELP US!

鹿砦社代表 松岡利康

『紙の爆弾』をはじめとする鹿砦社の出版活動を支持される皆様方──平素のご厚誼、ご支援、まことに有り難く心より感謝申し上げます。

月刊『紙の爆弾』は、お陰様で去る4月7日発行の5月号で創刊20周年を迎えました。

また、その増刊号で、わが国唯一の脱(反)原発情報誌『季節』(旧『NO NUKES voice』)も、昨年8月で創刊10周年を迎えました。

そうして、それを祝うと共に反転攻勢を図る意図で、去る4月5日、わが国メディアの中枢=東京日比谷・日本プレスセンターにおきまして、「鹿砦社反転攻勢の集い」を開催し、多くの皆様にご参集いただき成功裡に終了いたしました。

当初は現状を鑑み、関西の集いは予定していませんでしたが、4・5は東京中心だったことで、関西在住の皆様方から、これまで10周年や鹿砦社創業50周年の際は東京、関西双方で集いを催してまいりましたので、当然今回も関西でも開催するものだとの熱い要望があり、20年前、松岡が「名誉毀損」容疑で逮捕された運命の日=7月12日に、10周年と同じ会場にて開催することになりました。4・5に関西からの参加者は3人にとどまったこともあります。

しかし、当初予定していなかったことで、7・12にはまだご支援が少なく困っています。ここは、恥を忍んで皆様方に緊急のご支援をお願いし、何としても7・12を成功させ、まさに反転攻勢のステップ台とさせてください。

ところで、鹿砦社は、年に1,2度、『紙爆』『季節』定期購読者、会員、支援者を対象に、希少本、新刊織り交ぜて「セット直販」を行ってまいりました。

このたび、これまで書庫(書類置き場)としていた2室を整理、解約する過程で、これまで在庫がないと思っていた貴重な希少本が出てきました。まさに「掘り出し物」ですが放出いたします。

申し込んでくれた方々の一部は、それに気づいておられるようです。

また、「奇妙な情熱」と揶揄された『季節』5号(安保ブントの崩壊と関西ブントの思想。A5判556ページ大冊!)、6号(総特集=現代史における二つの安保闘争の意義。B5判442ページの大冊!)など、今では到底できない仕事です。在庫切れだと思っていたところ、多くはありませんが、そこそこ出てきました。

皆様にもぜひ1セット(いや、2セットでも3セットでも)お買い上げいただきたく思います。

さらに、知人、ご友人の方々らにも、拡販をお願いできれば、と強く希望いたします。10セットほどとりまとめてほしいところです(笑)。

特に今回お薦めの領域は、「学生運動、反戦運動」「『季節』(旧。思想誌の時期)」「レコジャケOTAKARAファイル」等です。すでに在庫がなくなり幻の本と思っていた本が出てきましたので。

◆下の画像は、左2つはレコジャケOTAKAファイルのPANTAとゴダイゴのもの、右2つが『季節』5号と6号)です。

※ご関心のある方は、直接メールにて私までご連絡ください。matsuoka@rokusaisha.com

折り返し詳しい案内(今回163点のリスト)を送ります。

(松岡利康)

同志社大学・此春寮先輩の前田良典さんが著書『野の人』を出版

鹿砦社代表 松岡利康

私たちの尊敬する先輩の前田良典(1962年度生)さんが、おそらくその人生において最初で最後の著書『野の人』を出版されることになり、僭越ながら編集・制作・発行を任せていただくことになりました。目次と前田さんの抱負は別記をご参照ください。

前田良典さんと言っても、一般的には無名に近いですが、1960年代、60年安保と70年安保の、いわゆる<二つの安保闘争>の端境期の時代の同志社大学の学生運動を支えた方です。

四六判、240ページほどで、非売品ですが、ご希望の方には郵送料プラスカンパ程度で私のほうから送らせていただきますので、お知らせください。8月末から9月頃の完成予定です。

【追記】前田さんや私、それに、かの藤本敏夫さんがいた寮は此春寮(ししゅんりょう)と言って、定員20数名の小さな寮です。同志社大学今出川キャンパスの近く、相国寺の裏に今でも在ります。

寮母の砂野(いさの)文枝さんは母親の代から寮母を勤め、学徒出陣を見送ったことで極めて反戦意識の強い方で、デモの日に寮にいたら叱られたほどです。

画像は、寮母さんの退職を視野に入れて刊行された寮誌『プロテスト群像――此春寮三〇年史』(1977年刊、B5変形判、306ページ,上製,箱入り)です。砂野さんは本書刊行を見届け1979年3月に退職されました。(松岡利康)

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関係者OB・OGの方々へ近日発刊のお知らせ

エゾフクロウ

前田良典小論選集
『野の人』(同大此春寮30年史のその後) 
                    

今までに後輩から何度か要請されても、私は「大義いなぁ」とその気にならなかったのですが今回改めての此春寮後輩からの要請で本を発刊することになりました。今まで「紙つぶて」のように出して来た私のバラバラの文章をつながるように後輩たちが何とか直して編集してくれて出版の運びになりました。これまでの文章には70年以降身辺に起きることへの対処と同時に「69年」への無念と不遜ながら原因と責任を書いて来ました。出版に当たってはそれを追悼文に集約しました。ここで私の根拠・拠点はやはり同大此春寮・同大学友会であり京都地方「地域労組(反帝労組)」だと改めて噛み締めました。90年頃までのものは引っ越しで捨てたりパソコンを買い替えてなくなっていましたが、辛うじてフロッピーやCDやUSBメモリーを掘り返したりしたら時代評論や歴史を含めると350頁どころか1000頁を超える文章を書いていました。それを350頁くらいに選定しました。田所追悼は既に発刊済ですので、内容は①藤本(同大)・大森(市大)・堂山(同大)・バラ均(京大)追悼②同大ブント③此春寮④東北大震災⑤書評⑥歴史です。

本のタイトル「野の人」は序文からの採用で9月頃出版です。       
(非売品・出版費と送料へのカンパ自由・拒否も可)
(カンパ振込用の「野の人」刊行会の口座は以下の通り)  
(京都中央信用金庫百万遍支店(010)総合 1083146 前田良典 です) 

2025年6月11日 前田良典

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野の人 目次   

(序)野の人 「前田良典小論選集」作成にあたり                  
第一章 追悼集
① 藤本敏夫氏 個と共同 (2003年)
② 大森昌也氏 追悼(2016年)
③ 堂山道生氏 思い出ボロボロ (2021年)
④ 中島・望月・片山氏 同志社の先輩達(2024年)
⑤ 境毅氏 ばら均さん追悼(1)(2)(2024年)

第二章 同志社ブント記
① 同志社大学学生運動私記(1960年代の記憶)(2003年)
② 同志社ブント黎明期(2011年)
③ 1969年ブントに何があったのか(2019年)

第三章 同志社此春寮(砂野寮母と寮生)
① 砂野ママ葬送一周年(2011年)
② 同志社リベラル(2013年)
③ 深草墓参(2013年)
④ 此春寮OB会で思い出すこと(2014年)
⑤ 館山君への手紙1、2、3 

第四章 書評
① 吉本「マチウ書試論」について(2003年)
② 私達は前近代を活きている(デカルト・スピノザ)1、2(2019)
③ 斎藤幸平「人新世」について(2021年)
④ 上間陽子「海をあげる」書評(2021年)
⑤ 柄谷行人「力と交換様式について」(2023年)

第五章 時代論評
① 時代は回る (2010年)
② 3,11大地震・津波・原発被災(2011年)
③ 南相馬への旅(2012年)
④ 「反原連運動(しばき隊)はスピリチュアル運動か(2015)
⑤ 「慰安婦と非正規労働」問題(2016)
⑥ 原発・沖縄・天皇・障碍者(2016)
⑦ 年頭にあたって(2017)
⑧ 安倍総理が国難である(2017)
⑨ 2018年年頭の思い(2018)
⑩ 「2018年お金と政治の流れ」(2018)
⑪ 擬態国家の頓挫1,2(2022)ウ古代史のこと(2014)
⑫ 小林古代史は単なる夢物語か(2016
⑬ 長州政治は「闇討ち」と「神隠し」の連続である(2016)
⑭ 「明治六年の政変」=近代日本の骨格(2018)
⑮ 藤原さんへ1.2(2020)

編集後記に付して

《6月のことば》真理がわれらを自由にする

鹿砦社代表 松岡利康

《6月のことば》真理がわれらを自由にする(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

今月の言葉は「真理がわれらを自由にする」だ。

この言葉は、知る人ぞ知るで、国立国会図書館の目立つ所に貼られている有名な言葉である。

浅学の徒である私はこの言葉を知らなかった。知ったのは、加藤一夫著『記憶装置の解体──国立国会図書館の原点』(1989年。品切れ)を出版した時だ。この頃、著者は国会図書館に勤めておられた。何で知り合ったのかは定かではないが、おそらく加藤さんが翻訳された第二期トロツキー選集『革命はいかに武装されたか』に関心を持ち連絡したことからだったと微かに記憶にある。学生時代に革命家トロツキーに関心を持ち、ロシア革命の見直しの連続講座も持ったので、この関連からだったかな。上京するたびに国会図書館に立ち寄り歓談させていただいた。そのうち著書にまとめようという話になったのではないか……。

本書刊行は1989年というから出版を専業としてまだ5年ほどしか経っていなかった。A5判350ページの、けっこう大部の本になり、途中弱音を吐いたが、著者に叱責され、また出版界の先輩には激励され、出版に漕ぎつけることができた。

著者は1960年代後半の激動の時代に大学に身を置き闘いながら、70年代に入り大学を離れ国立国会図書館に入った。その、いわば中間総括の書である。今紐解いても意義ある本で輝きを失ってはいない。

ところで、「真理がわれらを自由にする」とはどういう経緯で国会図書館に貼られているのだろうか? 次の解説が一番的確なので、長いが引用し説明に替える。──

《東京・永田町にある国立国会図書館は、昭和23年(1948年)設立された日本で唯一の国立図書館として、国会だけでなく広く日本国民に開かれた図書館だ。
 図書館の利用者は、昭和36年(1961年)開館されたここ東京本館の目録ホールにある図書カウンター上部に刻まれた「真理がわれらを自由にする」という日本語と、その傍らのギリシャ語銘文を自然と目にすることになるが、この言葉が国立国会図書館法の前文として明記され、図書館の精神として66年もの間生き続けていることはそれほど知られていない。
 昭和23年(1948年)起案された国立国会図書館法の前文には、法案の起案に参画した歴史家で当時の参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎氏がドイツ留学中にフライブルグ大学図書館で目にした銘文をもとに、「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」と記されており、このフライブルグ大学図書館の銘文は新約聖書・ヨハネによる福音書の一文「Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ」に由来するものとされている。》(永田純子「真理がわれらを自由にする」:国立国会図書館に生きるギリシャの精神)

(松岡利康)

鹿砦社創業メンバーの前田和男さんが新刊『冤罪を晴らす!』を上梓しました

鹿砦社代表 松岡利康

他社本ですが新刊のお知らせです。鹿砦社創業メンバーにして最後の生き残り=前田和男さんが新刊を出されましたのでご紹介いたします。前田さんと言えば『続 全共闘白書』で有名ですが、こういう本も出されています。当社の本と共にご購読いただければ幸いです。

4・5反転攻勢の集い(東京・日本プレスセンター)の成功に続き、7・12関西の集いを成功させよう!

鹿砦社代表 松岡利康

すでにご報告していますように、4・5日本プレスセンターでの反転攻勢の集いは多くの皆様のご参集と、参加できなくても全国からご支援賜った皆様のお力により成功裡に終了いたしました!

そしてこれを起点に次の10年、20年に向けた再スタートを切りました。

あらためて『紙の爆弾』定期購読者、会員、4・5発起人、参加者の皆様方に送った「ご報告」を掲載すると共に、7・12反転攻勢の集い・関西の呼びかけも掲載し、特に関西在住の皆様のご参集と、参加されない方々にはカンパやご祝儀などのご支援をお願い申し上げます! 4・5は再スタートへの転換点、そして7・12は、それに弾みをつける集いにいたしましょう! こちらの案内も掲載いたします。

何卒、よろしくお願いいたします。

浅野健一さんの最近の言動に苦言を呈します!

鹿砦社代表 松岡利康

このところの浅野健一さんの言動には、長い付き合いの私でさえ違和感、いや不快感を覚えます。3点ほど挙げ、苦言を呈しておきます。浅野さんがこれをどう受け取られるかはご本人の判断に任せますが、私としては真摯に受け止められ、反省すべきは反省され軌道修正されることを願うばかりです。

また、私の言っていることが間違っているかどうか、読者の皆様のご意見も俟ちたいと思います。

◆《1》伊藤詩織監督映画問題と、浅野健一さんの『紙の爆弾』5月号掲載記事について

浅野健一さんは、『紙の爆弾』5月号(4月7日発売)に、『週刊金曜日』3月21日号の伊藤詩織監督の映画『Black Box Diaries』特集に因み、これに連携するかのように「伊藤詩織監督映画上映妨害は言論弾圧だ!」なる記事を8ページにわたり寄稿されています。

今は削除されていますが、4・8の浅野さんのFBに「石橋学神奈川新聞記者のジャーナリズム論に、全面的に賛同します。」とし「必読」とまで持ち上げておられました。石橋学記者は、知る人ぞ知る、いわゆる「しばき隊」界隈の中心人物で、あろうことか『紙爆』の浅野さんの記事でも好意的に名が出ています。

また、伊藤監督の新代理人は神原元、師岡康子弁護士で、これまたしばき隊界隈の中心人物です。『金曜日』の特集にも両弁護士のコメント(要約)が掲載されています。

鹿砦社は長年同誌に広告(ウラ表紙1ページ)を出広してきましたが、一昨年、この一部に森奈津子さんの『人権と利権 「多様性」と排他性』の案内が出ていたことで、『人権と利権』を「差別本」と見なし、これをいいことに取引そのものを絶たれました。この時のやり取りを記憶されている方もおられるでしょう。以降、『金曜日』は“しばき隊色”が濃くなっていったように感じられます。神原、師岡、石橋らしばき隊界隈の者らと、しばき隊色が濃くなった『金曜日』がなぜ、こぞって伊藤詩織監督映画問題に雪崩れ込んでいるのか? 彼らのこと、なんらかの“思惑”があってのことだと推察しています。

浅野さんはいつからしばき隊支持者になったのかと、私たちが「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び2016年以来、被害者救済、裁判支援、真相究明に当たり、多くの訴訟を争い、まさに死闘を繰り広げてきた(いまだに1件係争中)中で、非常に不快感を覚えました。

こうしたことについては私もFBで激しく批判しました。

そうこうしていると、伊藤詩織監督の元弁護団を代表し佃克彦弁護士から抗議の「通知書」が届きました。私たちなりに真正面から受け止め、その内容を吟味、検討いたしました。

こういう中で浅野さんは4月23日のご自身のFBにて、次のように記されています。

〈伊藤氏の前代理人弁護士たちの代理人、佃克彦弁護士から、鹿砦社気付で私にも、訂正要求の内容証明郵便が届き、同社から自宅に届いています。
 今回の映画上映妨害事件の真実を解明するために、この文書は貴重な歴史的文書になるでしょう。
 私は「訂正」は不要と考えています。
 「紙の爆弾」の中川志大編集長(鹿砦社社長)に対応を一任しています。〉

この「中川志大編集長(鹿砦社社長)に対応を一任しています。」という事実はありません。なぜ、こんなことを仰るのか? 中川に「対応を一任しています」と、浅野さんが意図的に事実でないことを記述されているのか、「対応を一任」したと勝手に誤認されているのかはわかりませんが、事実でないことだけは確かなことです。

私は4月11日付けの浅野さん宛てのメールにて、

〈佃弁護士からの「通知書」について、鹿砦社と浅野さんとでは立ち位置が異なりますので、鹿砦社は鹿砦社で対応しますが、浅野さんは浅野さんで別個に対応し回答してください。共同歩調は取りません。〉

と申し述べさせていただきました。実際に佃弁護士には4月14日(月)に、鹿砦社としての「回答書」を送り(ファックスしたのち原本郵送)、全文の提示は今は差し控えますが、次のように回答、提案しています。

〈一 先生方(注:佃弁護士ら)の反論を『紙の爆弾』次号(6月号。5月7日発売)に掲載する。すでに他に決まっている原稿もありますので、4ページぐらいが希望ですが、公平性を保つ意味で言えば、どうしても、ということであれば、浅野氏の記事と同ページの8ページでも構いません。思う存分反論してください。ただし、GW進行のため4月18日原稿締め切りでお願いいたします。4月21日校了ですので。

 二 浅野健一氏とは、立ち位置や見解が異なりますので、別々の対応でお願いいたします。浅野氏にも、必要に応じ氏は氏で対応し回答するように伝えています。

 三 当分の間、本件(伊藤詩織監督映画問題)のみならずすべてにわたり『紙の爆弾』への浅野氏の寄稿は差し控えることを、同誌中川編集長には指示しています。〉

なので、連休明け5月7日発売の『紙の爆弾』6月号に佃弁護士名の反論が掲載されます。

佃弁護士より指摘されている箇所は、浅野さんが事実確認されて記述されたのかどうか、浅野さんは浅野さんで、「中川志大編集長(鹿砦社社長)に対応を一任しています。」などと逃げないで、自分が蒔いた種ですから、今からでも佃弁護士ら伊藤監督元弁護団に真摯に答えてあげて欲しいと切に願っています。佃弁護士からいちいち指摘されていることが事実か事実でないか、事実でなかったら潔く「訂正」すべきではないでしょうか。

◆《2》金正則について

浅野さんが先ごろ、その訴訟判決をFBで採り上げ、次いでたんぽぽ舎(鹿砦社東京編集室の2軒隣)での講座に招いた金正則は、いわゆる「しばき隊」界隈の人物で、大学院生М君リンチ事件においても加害者側を積極的に擁護した人物でもあり、6月の都議選に出るということからか、最近、SNSでも採り上げられています。

特に、リンチ被害者М君を精神的に追い詰めた「エル金は友達」という村八分運動でも賛意を示し投稿もしています(別途画像参照)。

リンチ被害者の大学院生を精神的に追い詰めた「エル金は友達」なる村八分運動
リンチ被害者の大学院生を精神的に追い詰めた「エル金は友達」なる村八分運動
「エル金は友達」への金正則のツイート

また、彼の訴訟の代理人は、しばき隊の守護神といわれる神原元弁護士で、金正則を原告とし神原を代理人とする訴訟の勝訴判決では浅野さんのFBでも金、神原両人の画像が掲載され、私たちに不快感を与えています。神原弁護士は、今でもエル金こと金(本田)良平の代理人として鹿砦社と係争中ですし、私たちは2016年以来ずっと今に至るまで何件も訴訟を争っています。ほとんどの訴訟に神原弁護士が噛んでいますが、まさに死闘です。

金正則は6月の都議選に立候補するとのことですが、推薦人に大学院生リンチ事件で積極的に加害者側に立って動いた中沢けい、安田浩一らが名を連ねています。選挙が近づけば、浅野さんも名を連ねられるのでしょうか。

こういう人物を浅野さんは、たんぽぽ舎での講演に招いておられるのです。

先の伊藤詩織監督映画問題と併せ、傍から見れば、浅野さんがしばき隊に擦り寄っているように感じられます。

金正則の都議選立候補チラシより。中沢けい、安田浩一の名がある

◆《3》故・山口正紀さんへの誹謗について

ジャーナリストの山口正紀さんの生前、山口さんと浅野さんが義絶され、両氏と共通して交流のあった方々を悩ませて来ました。私もその一人ですが、お二人の間の確執について詳しい内容は置いておくとして、あろうことか、浅野さんは、先ごろ亡くなられた山際永三さんの追悼記事で山口さんを誹謗されています。いくらなんでもこれはご法度です。人として死者に鞭打つことはおやめになったほうがいいでしょう。浅野さんの人間性が疑われます。私に山口さんが長年寄り添ってくれたことと同様、浅野さんにも、例えば「文春報道」の際には、ショックの浅野さんに親身になって寄り添ってくださったんじゃなかったんですか。山際さんは、浅野さんと山口さんとの確執には直接関係ないでしょう。故人を追悼するという厳かな記事にて山口さんを誹謗されるとは……私ならずとも、まともな感性を持った人なら不快感を覚えるはずです。

山口さんは、20年前の「名誉毀損」逮捕事件の公判を毎回東京から神戸地裁→大阪高裁までお越しになり傍聴され、この的確な報告レポートをその都度『金曜日』(当時は私と同学年で懇意にさせていただいた北村肇さんが発行人としていらっしゃって、まだまともでした)に寄稿いただきました。

そして、大学院生リンチ事件にも、私たちの問題提起に途中から事の重大さに気づかれ、山口さんなりに調査され、気骨のある真のジャーナリストとして長大な「意見書」を裁判所に提出いただきました。これは名文で『暴力・暴言型社会運動の終焉 ──検証 カウンター大学院生リンチ事件』に収録されています。末期ガンで病床にあっても、亡くなる直前まで準備書面や陳述書作成を手伝っていただきました。私(たち)にとっては恩人です。

そうした山口さんに対し、直接関係のない山際さんの追悼記事の中で誹謗するというのはいかがなものでしょうか? まったく不快感を覚えます。おそらく不快感を持つのは、口にして言わないだけで私だけではないと思います。

以上のようなことは、年少者の中川が大先輩の浅野さんに言えないでしょうから、浅野さんとの長年の関係から忸怩たる想いですが、私の独断で、あえて苦言を呈させていただきました。決して放置しておけることではありませんから。

はっきり申し上げて、特にこのかんの浅野さんの言動は、現在の私や鹿砦社の立場とは相容れません。20年前の「名誉毀損」逮捕事件ですぐに駆け付けていただいた恩義もあり、これまでは「浅野を切れ」といった周囲の“雑音”があろうが、「一つぐらいは浅野さんの原稿を載せる雑誌があってもいいんじゃないか」と、いわば仏心で浅野さんの寄稿を認めてきました。浅野さんがほぼ毎号『紙爆』に寄稿されるようになり、『紙爆』や鹿砦社から離れていった方々もいます。ある方など、かつて『紙爆』創刊10周年にあたり、わざわざ東京から西宮での集会に来てくださいましたが、先の20周年の4・5の集いには返事さえくれませんでした。

浅野さんは、私たち鹿砦社が、大学院生リンチ事件に長年関わり、しばき隊界隈とされる者らと何件も裁判闘争を闘ってきたことをご存知だったはずで、親しばき隊化され、まさに背後から殴られたような気持ちです。

今や、私や鹿砦社とスタンスの違いが明確になった以上、この期に及んでは、なにも『紙爆』に寄稿しないでも、金正則と懇意であれば、彼を通じ、西宮ゼミでも一緒した安田浩一らに頼み、『金曜日』と関係を修復し、こちらにシフトされたり他の雑誌を紹介してもらったほうがいいんじゃないでしょうか。

佃弁護士ら伊藤監督元弁護団への提案を俟つまでもなく、長年鹿砦社と対立関係にある、いわゆる「しばき隊」系の人たちとの諸々の関係などを考慮すると、当分の間、『紙の爆弾』への寄稿は差し控えていただくほうがお互いにとってもいいんじゃないかと考えています。

特段回答を求めてはいませんが、5月2日に以上のような内容を盛り込んだメールを浅野さんに送りました。真摯に受け止めていただければいいのですが……。 以前にも2度(4月11日)抗議のメールを送りましたが、なんのリアクションもありませんでした。先の《1》に挙げた4月23日付けの浅野さんのFBの記事が、そのリアクションだとすれば遺憾なことと言わざるを得ません。なにかしら開き直ったように感じられるのは私だけでしょうか。(本文中一部敬称略)


松岡利康

◎しばき隊リンチ事件 https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62